Book十三: 真の神様の祖国光復
Restoration of the True God’s Homeland
はじめに
真の御父母様の八十歳の御聖誕日を中心として、統一問題が再び争点となっています。真の御父母様が主管された国際会議の全般の主題が「二十一世紀・韓国のビジョンと統一祖国」であったし、御聖誕日の行事以後、引き続き全国二十一箇所の市、道において、南北統一前進大会を開催して、統一に対する民族の熱望を確認したところです。
それでは、民族の宿願である統一は、どのように現実化すべきでしょうか。韓国は人本主義と神本主義、共産と民主、唯心と唯物の世界、すべての宗教と思想の最後の終着地となっています。言い換えれば、南北分断は、単純な政治的、軍事的分界線ではなく、神様とサタンが対決する現場なので、韓国だけの問題ではなく、世界の問題となっており、それで韓国の統一問題は、世界統一のビジョンと一致しています。
真の御父母様は、私たちの南北統一が、世界統一の典型であり、神様がこの上もなく願われる神様の国の創建だという次元の高い価値と目的をもっていると語られました。
真の神様の祖国光復は、全人類的願いであるがゆえに、歴史の趨勢も統一祖国に向かっています。それでこの聖なる歴史の前に、召命された人類とすべての宗教は、真の神様の祖国光復に、超民族、超国家、超宗教的に、協力せざるを得ないのです。
神様は、世界の最も重い荷物を背負っている韓国を通して、世界を救うことのできる真の御父母様を立てられ、そのお方を通して世界史の難しい問題、すなわち、共産主義の問題、人種差別、貧富の格差、倫理道徳の堕落、宗教問題などを解決することのできる統一思想を下さったのであり、真の御父母様は、このような神様のみ旨を深く理解され、平和と統一世界を成就するために、大変な計画と事業を先頭に立って、実践してこられました。
真の御父母様は、四十年前からこのような統一の根本原則を見抜かれ、徹底して神主義を母体とした真の愛を中心に、共生・共栄・共義の心情文化を創建することに目的をおいて、調和と統一の新たなビジョンを提示されたのです。
新千年の始まりである二十一世紀は、偉大な神様の世紀になることでしょう。神様の神性と人間の理性が調和する私たちの真の神様の祖国創建のために、高邁な役割を果たす指導者となられることをお祈りいたします。
二〇〇〇年五月一日
日本語版発刊によせて
真の御父母様は、傘寿祝賀の一連の行事が行われたころから再び韓半島の南北統一を強調され、そのための具体的な活動を強化されるようになりました。神の摂理という観点からみるとき、韓半島の南北分断は単なる一民族の政治的分断を意味するのではなく、人間の堕落以来カインとアベルの二つの型に分かれて争ってきた善悪闘争歴史が、最終的な結末をつけるべき摂理の終着点であるという極めて重大な意味をもっています。それは単なる政治的な統一ではなく、神様の祖国の回復として成し遂げられなければなりません。そのため、本書のタイトルである「真の神様の祖国光復」は、正に六千年の復帰摂理歴史と、真の御父母様の八十年の生涯を通じた悲願であると言っていいでしょう。
しかしながら、復帰摂理の原則は、人間が一足飛びに国家レベルの勝利を手中に収めることを許しません。そのレベルに至るためには、個人、家庭、氏族、民族の各レベルにおける勝利基準を着実に積み上げていかなければならないのです。そのため、真の御父母様はこれまで「家庭教会」「統班撃破」「氏族メシヤ」などに代表されるように、各段階ごとに私たちが勝利しなければならない内容を実に事細かに語り、指導してくださいました。
これらのみ言は、荒野時代を越えて定着時代を迎えるに際し、私たちが具体的に何をしなければならないかを教えてくださったものです。過去の復帰歴史においては、エジプトから出てきたイスラエル民族が荒野路程を終えてカナンに定着しようとする時、モーセを通じて神様から与えられた十戒のみ言と、荒野で訓練された信仰の伝統を守ることができずに、カナン七族の風習に染まって堕落してしまいました。
今日、私たちはいよいよ本格的な定着時代を迎えようとしていますが、私たちは決して堕落世界の風習に染まって過去のイスラエル民族の失敗を繰り返してはなりません。今日の私たちは、成約のみ言の集大成とも言うべき『聖本』と、本書の中に収録されている「世界と南北統一教本」とされている五つのみ言を頂き、さらにそのための細かい活動指針までも示されるという、まことに恵まれた立場にあります。
本書を通して多くの方々が、定着時代における信仰実践の具体的な方案を学んでくださるように願ってやみません。
二〇〇〇年五月
第一章 真の神様の祖国光復
一 真の神様が願う祖国
イエス様も真の神様の祖国を創建するために来られたし、先知先烈(注:先駆けて道を悟った先人、義のために命を捧げた烈士)たちも祖国建設の役軍(注:担い手)たちでした。天国を創建するために完成した男性が来なければなりません。天地が公認する男性が家庭を成して、子女を繁殖し、氏族、民族、国家を成さなければなりません。カインとアベルを基準として蕩減し、接ぎ木して、この世界を神様が主管する祖国として創建しなければなりません。先知先烈たちがこれを願ってきましたが、願う個人、家庭、氏族、民族、国家、世界へとつながる地上天国を建設できなかったので、私たちは歩んでいた道を捨てて、行かなければなりません。
本来、人間始祖のアダム・エバが堕落していなかったならば、どうなっていたでしょうか。アダム家庭でのアダムは族長になるのです。族長になると同時に民族長になるのです。また国家の代表者になり、アダム王となるのです。ですからこの世界は、アダム主義一つに統一されるのです。くだらない主義はみな片づけなければなりません。くだらない主義がたくさん出てきて、世界を惑わしたので、私たちはこのような主義を根こそぎ引き抜いてしまわなければなりません。主義もアダム主義、言語もアダム言語、文化もアダム文化、伝統もアダム伝統、生活様式もアダムの生活様式、制度もアダム制度、すべてのものがアダム国家の理念制度にならなければならなかったのです。このような主義が神主義です。神様の心情によって神様と一体とならなければならないので、神主義なのです。
私たちが住みたい所は天の国、天国で暮らしたいというのが正しいのです。天の国に境界線がありますか。ありません。天の国で使う言語は二つですか。違います。人種の違いがありますか。ありません。では天の国とは何ですか。人はみな神様の懐から生まれたので、人類はみな兄弟です。神様を中心として見れば、神様の息子、娘ですから、みな兄弟であり、地上天国を中心として見れば、国民です。地上天国の国民なのです。国民だというのです。
私たちの目標は統一世界、神様を中心とした一つの国を築くところにあります。その国は、一つの主権、一つの国民、一つの国土、一つの文化です。真の父母を中心に一つの血統で連結されています。その国では、すべてが心情圏を成して、理想的な後継者になろうとするのです。聖書で「怨讐を愛せ」と言うすべてのものを成就することができます。
神様が創造した世界は、国境があり得ません。白黒の人種問題は問題になりません。善悪の闘争もそこには必要ないはずです。このような観点から見るとき、私たちが住む世界には各国ごとに国境があります。白黒の人種問題だけでなく、家庭において夫と妻、父母と子女の間にみな分裂が起こっています。善なる人と悪なる人が闘っています。このような現情勢を見るとき、来られる主は国境のない国をつくり、人種問題を超越して、世界を一つにしなければなりません。分裂した家庭をみな統一しなければならず、善悪が闘うこの世界に、平和の王国をつくらなければなりません。
それでは本郷の地と本郷の祖国はどこか、祖国は何を意味するのか。祖国はもちろんある特定の一つの国家的基準になるでしょうが、神様が求めて来られた人類の祖国はどこかと言えば、地球星です。この地球星です。この地球が人類が願う祖国だというのです。神様が願う人類の祖国なのです。過去に数多くの歴代の私たちの先祖たちが犠牲の道を歩みましたが、彼らが希望をもって天の前に訴えながら歩んだこととは何だったのか。「希望の祖国の一時が早く来るように」というものでした。天の一つの国家を立てることによって、今まで天の前に怨讐である大サタンを審判してしまい、悪を取り除き、善のみを中心とした平和の天国をこの地上に築かなければならないというものです。それが神様の願いであり、イエス様の願いであり、今まで摂理路程において、至大な貢献をした私たちの先祖たちの願いであったということを皆さんは、はっきりと知らなければなりません。
祖国は、アメリカでも韓国でもありません。いかなる所であっても、家庭の編成、氏族の編成、民族の編成が成された祖国の地がなければなりません。神様は六千年の間、数多くの国家を経ながら、この地に築かれる天国を願いつつ、求めてこられたのです。天の忠臣、烈女がどこにいるかと求めてこられたので、今こそ私たちは天を中心とした国家と民族、家庭を再編成しなければなりません。祖国光復の解放の日のために、召されたということを忘れてはなりません。祖国創建が宗教人の使命であるのに、自分一人が救われようという間違った欲をもっています。
統一教会のメンバーは、個人から民族、国家基準まで築いてきました。これからは全世界の人類とすべての国家を動員しなければなりません。私たちは祖国光復、自由、平等、幸福の日を求めて行かなければなりません。その道が難しくとも行かなければなりません。それは先生が見つめる観点であり、神様が御覧になる基準です。イエス様はこの基準を目指して歩み、亡くなられました。私たちは祖国光復の過程において、苦労し、前進しなければなりません。この地の人類は、統一教会のメンバーを前に立てて行かなければなりません。統一教会のメンバーでなければ駄目だという時が来ても、三年は苦労しなければなりません。彼らが私たちのものを相続する時まで、伝統を立てて、血と汗と涙を流さなければなりません。まだ私たちには蕩減条件が残っているということを知らなければなりません。
神様は悲惨な神様、神様は孤独な神様、神様は言い表すことのできないほど悲しい神様ですが、この神様を解放するための旗手になり、第一線の将兵となり、「血を流しても正統に打たれ、血を流して倒れるとしても一度に倒れよう」と言うことのできる信念をもって、祖国光復のために、その世界を一つに収拾するために歩む勇士の隊列がだんだん大きくなれば、ここから神様の喜びが始まることでしょう。
今は摂理の時が、どのような環境になったかということが、分かりますか。天の国の祖国光復がなされ、神様の地上天国が解放されること、それが第一の目標です。そのためには自分の家庭だとか自分の一族を犠牲にしてでも、やらなければならないのです。難民になったとしても、それをやらなければなりません。
一つの神様の主権のもとに一つの国を建てなければなりません。皆さんがこれから神様を中心として、真の父母を代行する実権者であるだけに、地上に祖国光復、世界統一的な国家に税金を払う時が来ました。先生の財布から出たお金をもって、皆さん個人を助けてはなりません。天のみ意に従わなければなりません。ですから韓国は韓国なりに責任を果たさなければならないし、日本は日本なりに責任を果たさなければならないし、アメリカはアメリカなりに責任を果たさなければなりませんが、この三カ国が一つの国です。父母の国と兄の国です。
今後、言語の統一をしなければなりません。父母様が成就したすべてのことに対する記録を読むのに、翻訳されたものを読むということは恥です。天上世界の前に恥となるでしょう。天上世界にに行けば、神様の命令によって千年、万年を蕩減しなければならないかもしれません。そのように大変な問題が起こるのです。その峠を越えられない人は、祖国光復をしたと言っても、故郷に帰る道がありません。祖国に住むことのできる居住証がありません。国民として入籍できていないというのです。深刻な問題です。
二 我々の祖国を求めていかなければ
私たちは、神様の国を仰ぎ慕います。そこは、愛があるところだからです。一時的な愛ではなく、時間を超越し、永遠な愛の存続するところです。また、自分自身が高められるところであり、自分の価値が一〇〇パーセント認められるところなのです。すなわち、永遠に幸福なところです。それゆえ、人は天国を慕い、憧憬するのです。
もしも、地上で国家を復帰するということを自分の生涯で果たせない場合、皆さんは霊界に行っても天国に属する人としての価値をもつことはできません。地上で神様の主管圏内で統治されたという実績をもって、霊界に行かなければなりません。それが本来の創造基準なのです。
私たちの信仰の目標は、神様の国の民になることです。その国の民にならなければ、その子女として万民あるいは万物世界に、自由自在に誇り愛される道は現れません。国のない者は、いつも攻撃を受けることになります。かわいそうな立場に立つことになります。物も言えず攻撃される場合がいくらでもあります。それゆえ、神様の願う国がどこにあり、神様が足場とする国がどこにありますか。それが問題です。
私たちがこの国、この民族のために血の汗を流すのは、結局のところ永遠な天国をつくるため、千秋万代の子孫が永遠にたたえることのできる福地を築くためです。
その国とは、神様を中心として直系の子女が天命を受け、神様を身代わりした命令をもってその王権によって治める、そのような国であることに違いありません。そこに民主主義や、共産主義はあり得ないのです。一度形成されれば、永遠な国家体制として残るのです。そのようなことを考えるとき、私自身がそのような国の民となれなかったという事実が恨めしいことではないかというのです。自分自身がそのような国で暮らせないということを嘆かなければなりません。そのような一つの国をもてなかったということを嘆かなければなりません。そのような一つの不変の主権をもてなかったということを、私たちは嘆かなければなりません。
主権と国と国土を復帰するために、人類は主権国家を立ててきました。その中で多くの人が死に、多くの民が犠牲となり、多くの国が滅び、多くの主権が入れ替わってきたという事実を知らなければなりません。そのように犠牲になった多くの人、天側にいる人、あるいはそのようなみ旨のために犠牲になったすべての哀魂は、いつの日かそのような国、そのような世界を築いてくれることを願っているのではないでしょうか。
神様は愛する息子、娘を地上に送り、絶対的な一つの国家を建てるためのみ旨を進行させてきましたが、現時点では一つの国家を復帰し得る土台は築かれていません。いつも失敗してきたので、この地上に天の人を遣わし、それを治めさせ、推進させ、成就させるために苦労してきたのが、今までの天の歴史なのです。
主権のない国の国民はかわいそうなものです。ですからイエス様が心配して「何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう」(マタイ六・三一~三三)とおっしゃいました。まず息子を求めなさいとおっしゃいましたか、国を求めなさいとおっしゃいましたか。神様の求めている国を求めよとおっしゃったのです。
イエス様も楽園に行って待っているのです。天の宝座の前には行けなかったということを知らなければなりません。イエス様は神様の前に国の主権を立て、国を治めて、地上から天国まで直通することのできる権限のある国をつくることができなかったので、神様の前に立つことができないのです。ですから楽園は天国へ行くための待合室です。また、天国は一人では行くことができません。本来堕落しなかったならば、天国はアダムとエバ、家庭単位で行くべきなのです。息子、娘と一緒に行かなければならないのです。そうでなければ行けないのです。
今まで宗教人たちは、なぜ生き残れないようなことをしてきたのでしょうか。宗教を協助することのできる家庭もなく、社会もなく、国もなかったからです。国のない民なのです。国があったならば、氏族が反対する立場に立ったとしても、その国の圏内に残る道があったはずなのに、今まで宗教を信じる人たちが、どこへ行っても迫害を受け、どこへ行っても血を流す祭物の道を歩んできたのはなぜでしょうか。国がなかったからです。主権者がいて、国さえあったならば、「おい、これは正しいのだ」と言えば、「ちぇっ」ということになったであろうに、国がなかったので……。国のない民なのです。
国がなかったとすれば、いくら幸福で良い家庭だとしても黄馬賊団(注:馬に乗った盗賊)が出てきて首をはねられるかもしれないのです。それゆえ国を求めなければなりません。宗教人は、これが分からずにいます。宗教人は確実に知りません。善なる国を求めなければなりません。これが宗教の目的です。
国がなければ国籍がないということになります。国がなければ入籍するための土台がないということです。私たちは民族を編成して、新しく入籍しなければなりません。この地上に天国を編成し、その国籍をもって、愛国、愛族の真実で善なる父母の血統を受け継いだ勝利的息子、娘として、自分の一族、あるいは家族を率いて生きたのちに、天上世界の天国に入ることができるのです。それが原理です。
国があって初めて私たちの千秋万代の子孫の前に、大切に残してあげることのできる伝統も残るのです。私たちが血の汗を流したすべての努力も残るのです。天の労苦をたたえる記念塔がこの地上に生じるのであり、すべての栄光の形跡がこの地上に残るのであって、国がなければすべて無駄なものになるのです。今日、世界のキリスト教にとって残された十字架やすべての涙も、天の求める国がないとするならば、すべて川に流さなければならないのであり、燃やしてしまわなければなりません。サタンの籠絡に倒れていくということを知らなければなりません。それゆえ国が問題だということを皆さんは知らなければなりません。
私たちが求めるべき祖国というのは、今日この地上にあるような歴史と伝統をもった国ではありません。そのような国とは本質的に次元が違うのです。私たちが次元の異なるその国を受け継ぐには、そのための思想的な主体性をもった国民にならなければなりません。しかしその主体的な思想は、絶対的な創造主の思想と一致する思想でなければならないのです。絶対者の願う国が存在するには、その国の主権を中心として、その国の国民が一致し得る国となることを願わなければならないのです。そのような国民性をもち、国家形態をもたなければならないのです。
国が形成されるためには、国土がなければならないし、国民がいなければならないし、主権がなければなりません。主権とは何でしょうか。根源的な神様と因縁を結ぶことです。国を治める人は、国民が深い眠りについたあとで、神様と因縁を結んで政治をしなければなりません。そうして主権者は国民と一つにならなければなりません。国民と一つになって自分にあるすべてのものは自分のためのものではなく、天のためのものであると考えなければなりません。そうなれば、その国は繁栄するのです。
一つの国が形成されるためには、主権がなければならないし、国民がいなければならないし、国土がなければなりません。天国もやはり同じです。主権に代わるものが父母であり、国民に代わるものが息子、娘であり、国土に代わるものが国なのです。この中の、どれ一つとして欠かすことはできないのです。これは鉄則です。
一つの国を見ると、国が形成されるためには、その国の主権がなければならないのです。そのような観点から地上に天国を実現するという問題を考えてみると、天国の主人は誰でしょうか。主権者は誰でしょうか。間違いなく神様が主権者です。では国民は誰でしょうか。国民は万民です。それでは国土はどこでしょうか。地球星です。
自分が行き来するのも、その国を求めるための、祖国光復のための建国の功臣になるために、そのような使命を負って、あるいは天の密使としての指令を受けて、今日の悪なる世に来てこのようなことをしているのだという事実を考えながら生きていくべきです。そうでなければ、皆さんは今後来たるべき国の国民として、その威信と体面を立てることができないということを知らなければなりません。
さあ、六千年間神様に打撃を与え、苦しめてきたサタンが、そのままおとなしく「ああ、我は降りる」と言って目を伏せて引き下がるでしょうか。皆さんはぼろの雑巾でも、捨てようとすればもったいないと思いますね。ぼろでも裏返して臭いをかいでみてから捨てるでしょう。サタンがそのまま引き下がるわけがありません。それでしぶとく闘いを挑んでくるのです。ですから中心に合わせなければなりません。統一教会の文先生も、中心から外れれば折れて出ていくのです。方向が合わなければ発展しないのです。
統一教会のメンバーは、はだしで立ち上がり、祖国を創建しなければなりません。食べて残ったものでこの国を生かすことができるでしょうか。食べて、着て、乗り歩くことに気を遣っている暇があるでしょうか。はだしで、素手で開拓していこう、このようにしていくのが統一教会です。
三 祖国光復の旗手
皆さんが責任を遂行するために誓い、三千里半島で新たな旗手になろうと誓って立ち上がるとき、大韓民国は私たちの懐に帰ってくることでしょう。それゆえ、輝く瞳をもっているならば、その瞳は栄光の祖国を直視する瞳と化さなければなりません。才能と力があるならば、それを祖国光復のために用いることのできる勇士となって、皆さん自身が堂々とした姿で、祖国光復のための聖別された責任者に代わる者となろうという信念を感じながら前進することができなければなりません。
祖国を立て、祖国を輝かせ、祖国と共に生き、祖国の中で死ぬことのできる自分とならなければなりません。今まで天の前に、誰も果たすことができなかった責任、この一時に一度しかできないこの厳粛な責任をおろそかにしてはなりません。一度聞けば十のことを考え、一度聞いたことを十以上のものと比較していかなければなりません。天の運勢をここに顕すためには、自分が千回恥辱を受けてもそれをものともせず、また、百の死の道があったとしてもそれをものともせずに行こうという信念をもって進むとき、神様は皆さんの行く道を守ってくださることでしょう。なぜならば先生が今まで歩んできた生活の中で、そのようなことがあるたびに神様はお捨てにならなかったことを体験したからです。皆さんも神様が保護してくださることは間違いないのです。
祖国光復のための一つの主体的な使命者として、自分が任された一つの道ならば道、一つの部落ならば部落で、この責任を遂行する者は自分しかいないという信念をもって、絶対引き下がってはなりません。ここで背信者となってはなりません。天命に一致する責任を果たせなくてはなりません。責任の裏道(責任を避けるところ)にいたのでは、この道を越えることはできないのです。
寝ることができなくてもやらなければならず、食べられなくてもやらなければならず、追われながらもやらなければならず、死ぬとしても決定を下してから死ななければなりません。決定的な使命を遂行しようと新たに決心して立ち上がるとき、皆さんの行く道は開かれるに違いありません。しかしそうできなければ、先生が皆さんを立てて信じ、願ってきた希望の世界、光明の世界は、逆に闇の世界となることでしょう。先生はこのような問題を心配しているのです。
因縁を結んできた歴史とともに、因縁を結んできた事情とともに、感じ難い涙ににじんだ心情を感じるたびに、神様の心情をかき抱いて身もだえしなければなりません。そして祖国光復と世界解放の土台を私たちの手で、私たちの精誠によって築くために、闘いの場に向かって力強く闘っていかなければなりません。そのような皆さんになってほしいと思います。私たちが求めるべき希望の祖国を見いだす皆さんとならなければなりません。
皆さんが死地に赴かなければ、自分が救われないのはもちろん、大韓民国が滅びることになるのです。大韓民国の国民がすべて滅びたとしたならどうしますか。そこに入ろうとしなければならないのです。もしそこで犠牲になったとすれば、民族を団結させ得る新たな世界史的な爆発的力の源泉がそこからわき出るのです。「行こう!」と決意することのできる男らしい足並みとならなければなりません。
そのような道でなければ成し遂げる方法がないとするならば、その道を通ってでもみ旨を成していこうと、そこに志操の碑を立てていこうという天の息子がいるとするならば、それは神様の胸と骨と肉を一度に溶かすことのできる息子ではないでしょうか。祖国光復の伝統的思想は、そこから芽生えるのではないかということです。
そこへ共に行き、その涙の谷間を共に行き来するならば、皆さんは滅びることはないでしょう。神様はそのような人を捨てはしないでしょう。来たる希望の祖国は、そのような人を迎えるようになっているのです。皆さんが世界史上になかった祖国を迎える最初の旗手となり、祖国光復の建国の勇士として登場するときには、千年、万年たたえられる群れになるのではないでしょうか。これは深刻な問題です。
今日、統一教会の群れは、金日成を中心とした北韓共産党の骨髄分子が一つとなったもの以上に、それを凌駕できなければ、神様のみ旨を成し遂げることはできないのです。そうでなければ神様の願う新しい祖国光復はあり得ないのです。
女性が先頭に立たなければなりません。ですから今、韓国でも祝福を受けた家庭の女性をすべて一線に追い出しました。先に動員したのです。韓国が本部国家なので、祝福を受けた皆さんの先輩家庭はみな一線に出ました。それを知らなければなりません。ですから世界に散らばっているムーニーの女性すべては、それに従って一線に向かって出ていくのです。アーメン。
四 私たちは祖国光復のための独立軍
皆さんが決心すべきこととは何でしょうか。祖国光復の一日を迎えることです。今日、私たち韓国の民は、八月十五日を光復節として記念しています。解放の日として記念しているのです。第二次世界大戦以降、多くの弱小民族が、自分の一つの国を中心として光復と解放と独立を記念しています。ところで神様を中心として、天地の光復の日と独立をたたえることのできる日はいつ来るのでしょうか。考えたことはありますか。その日が来なければならないのです。
日帝時代末期に祖国光復のために、祖国の独立のために地下運動をして日本と闘争しました。今もはっきりと覚えています。私が血を吐くような場で、息が詰まり倒れるその場で、「私は神様の名によって日本帝国を屈服させなければならない」といって闘争しました。そのような場において、神様は共にあるのです。北韓に行っても同じです。監獄に入れられ、追い込まれた場でも、神様の名によって監獄へ行けば、神様がついてくるのです。
私たちの生きている現世を、どんなことがあっても否定しなければならない運命にあるのが、今日の人類であり、人類を導いている様々な国家だと結論づけることができます。それゆえ、この地上に生き、地上に存在する人類と国は、どの道一つの峠を越えなければならないのです。歴史的伝統をそのままもっていては、真なる理想の祖国、神様の描く祖国の光復はあり得ないということを知らなければなりません。
神様の祖国光復が私たちの目前に来るという時点があるとすれば、そして、今日の韓国の地が神様の祖国光復の基地となるという驚くべき事実を知れば、韓国民族は寝ていられるでしょうか。食べて遊ぶでしょうか。勝手なことをするでしょうか。「するな」と言っても昼夜を問わず生命を投入することでしょう。
財産が問題ではありません。子と妻はもちろん、自分のすべてと南韓(韓国)全体を投入してでも、これを成就させなければならないという義務感をもった大韓民国になるに違いないのです。そうなれば南北が統一されるでしょうか、統一されないでしょうか。それを知らなければなりません。
その基地はどこでしょうか。班です。その班が、個人の前で「お前は祖国光復をしたのか」というときに、「したとも。私は神様が愛した本然の祖国、私たちの先祖が愛した祖国の上に立ったのだ。歴代の先祖が愛し、見たいと思っていたその位置に立ったのだ。それゆえ、愛を中心とした神様の祖国のための復活体、祖国光復を願う父母と歴代の先祖の希望の復活体、祖国光復を願う世界万民を縮小した復活体として、私は立ったのだ」という自負心をもたなければなりません。
今まで統一教会は、家一つ建てませんでした。私はビルを建てることができるのに、どうしてそれをしないのでしょうか。私たちの教会本部をヨイドに建てようとしたとき、政府が許可してくれませんでした。本堂を建てられない統一教会が、地方教会を建てるというのですか。祖国光復のため、万民復帰を主張するための一つの神様を迎える殿堂を立ててから出発しなければならないのに、私たち統一家がひとつところに落ち着いて良い暮らしをしてはならないのです。
ですから「父母の日」から、祖国の光復を公布しなければならないし、万国天下の伝統的出発と一致しなければなりません。このような闘いをしなければなりません。これを失ったのです。ですからこれは、サタンの餌です。では、これを起こして成し遂げた人は誰でしょうか。サタンでも誰でもみな、「文総裁は最高だ」と言うのです。
父の国、再臨主の国、愛の救世主の国、天国の生命を中心とした愛の中心存在、天国の生命をもった中心存在として、神様の血統を受け継いで、ここに真のオリーブとして登場し、ついにこの統一教会の群れを支えることのできる統一教会ができたので、これらを中心として、すべての既成教会思想を切ってしまって、接ぎ木をするということをなしてきたのです。接ぎ木されまいと騒ぎ、切るといっては大騒ぎしていますね。切ってしまわなければ、それは滅びるのです。
日本人が復讐をするときは、自分の母一人、兄弟一人殺したといって、一生の間命懸けで復讐します。これを知れば、私たちの祖国光復のための復帰摂理路程において、このような惨事に遭ったことを知る王の悲痛、民の悲痛はどれほど大きかったであろうかということです。ところが、民であるこの人類がそれを知らずにいるのを見る神様は、なおのこと悲痛なのです。
神様のものなのに、偽りの愛によってすべて奪われてしまったのです。ですから、神様に帰らなければなりません。帰るには、そのままでは帰ることができません。蕩減しなければなりません。ではそのようなことを誰がしなければならないのでしょうか。数千年間宗教を通してなしてきたのですが、アメリカのキリスト教が韓国をアダム国家として保護し、イギリスとフランスと日本とドイツ、イタリアまで合わせて、祖国を光復させなければなりません。父の国を創建しなければなりません。そのためには絶対服従して、すべて真のオリーブに接ぎ木されなければなりません。
お母様の行く道は、先生の道のように困難であってはなりません。お父様の行く道は男性が反対しても困難はないのですが、お母様の行く道には反対する女性がいてはなりません。それを私が解怨成就するためにも、お母様の行く道は女性という従者がすべて後援し、「私を踏んで早く祖国光復と天地を解放して、神様を解放することのできる道を行ってください」と言うことのできる女性の橋が必要なのです。
ここにいる食口たちはみな国を捨ててきました。自分の祖国を捨ててきました。なぜでしょうか。神様が願う本然の祖国の地のため、祖国の光復のためにです。いかにアメリカが素晴らしいとしても、私の言うことを聞かなければ滅びるようになっています。このような独断的な決断を下してそんなことを言う人は、通りがかりの客ではありません。それをすべて果たしたので言っているのです。ほら吹き者ではありません。すべて終わらせてきたのです。
過去の人、現在の人、未来の人、霊界に行った人も、祖国光復のために協助することのできる時が来ました。ですから多くの人々の先祖が入ってきて、統一教会に行かなければ薬を与えて病気にするようなことが起こるのです。文総裁の力でそうなるのではありません。神様と先祖、天使世界と先祖が一つとなって、地上をすべてコーナーに追い込むのです。家庭問題を中心としてコーナーで手をつけることはできません。唯一文総裁だけが全権をもって行使することができるという驚くべき事実を、この民族が喜望峰として、その国の、祖国の基盤として歓迎するときには、天下無敵の国となるのです。
五 祖国光復は真の愛によって
天の国、天国を建設する祖国光復において独立軍として戦いに出た女性は、歴史上どれだけ立派なことでしょうか。歴史上どれだけたたえられることでしょうか。堕落したエバ一人によって、歴史的に女性がどれほど呪われてきたことでしょうか。しかし、今復帰時代において、女性が先頭に立って祖国光復のために勝利的基盤を築いたならば、それはどんなにたたえるべきことか、考えてみてください。
では、どのようにして勝たなければならないのでしょうか。銃剣で勝ちますか、何によって勝ちますか。女性が現れれば、サタンの男性兵士が女性の真の愛を願うでしょうか。願いません。そのような者たちにどうやって勝つというのでしょうか。皆さんは自分が女王であるかのように考えなければなりません。
金日成は悪なる王であり、皆さんは善なる女王なので、自国のあらゆる権限をすべて悪なる王に何も言わずに与えるのです。そうして整備しなければなりません。何によってでしょうか。真の愛によってです。
神様が最も喜ばれるのは、愛の文化です。神様はお金や権力、知識などが必要でしょうか。良い家を設計して建てるためには、レンガも必要だし、ドアも必要だし、多くの材料が必要ですが、その中でも最も重要なものは、その家を完成させる総合的な完成美を備えることです。神様が人間に願われる最も大きな願いは、多くのお金をもっていること、学者になることではありません。
聖書のみ言のとおり「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」(マタイ二二・三七)これが第一の戒めです。第二に「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」(同二二・三九)とおっしゃいました。驚くべきみ言です。
今後この世界の問題を解決し、人類の道徳問題をすべて解消するためには、堕落論がなければならないのです。堕落論なしには、人間の問題は是正されないのです。これはサタンが天に背反し、歴史を率いてきた最後の絶望的終末現象なのです。これは人類を破綻、滅亡させるためのサタンの戦略です。これを解消しなければ歴史が解かれることはありません。歴史が解かれなければ歴史を清算することはできないのです。
それに対する代案を中心として、神様の創造理想の代案を中心として、私たちの神主義に帰ろう、真の愛主義に帰ろうというのです。それは自分自身のためではなく、利他的なものです。愛の相対を創造しなければならないのです。そのような内容でなければ、収拾する道はありません。
アメリカの女性は、善なる女王のようです。現代のどんなアメリカの家庭においても、女性は女王のような状態にあります。それは事実です。いつも夫に「ああしろ、こうしろ」と命令するのです。神様がアメリカの女性を訓練しているのです。お金もたくさんもっているし、宝石もたくさんあるし、力も強いのです。お金をたくさんもっています。お金、すなわち「マニー」というのは、韓国語では「多い」という意味です。
皆さんが宝石や家や、アメリカの土地の半分を金日成の肩にかけてやれば、投げ出してしまうことでしょう。アメリカの半分を載せさえすれば、あきらめてしまうのではないでしょうか。そうでしょう。今、彼らは飢えて死につつあります。悲惨です。経済的に後援すれば変わります。ですからアメリカの女性が一線に立って「闘うのはやめよう。おなかがすいているでしょう。食べ物を送ってあげる。車も送ってあげる。欲しいものはすべて送ってあげる」と送り続けてごらんなさい。自然に解放されるのです。
アメリカの女性がもっているお金をすべて金日成にあげれば、金日成は闘おうとするでしょうか。その次には、中共を通して食べ物も送り、着る物も送ってごらんなさい。アメリカ人のように良い暮らしができるようにして、豊富に食べさせてあげれば、闘うことはしないはずです。ですから、ムーニーたちはどうすべきなのでしょうか。苦労して飢えながらも北韓の人に対して犠牲的に接したとしましょう。そうすれば、北側の人はそれが分かったときに、銃剣でムーニーを殺すでしょうか。
人類はすべて家族です。私たちは家族だというのです。すべて真の愛によって関係した一つの家族なのです。きょうお話ししたことと同じです。人類は一つの木だということです。皆さんの家庭には何人もの家族が一緒に住むのです。そこには赤ん坊もいるし、少年もいるし、青年もいるし、壮年もいるし、老年もいるというように、みんないるのです。このような家庭の道場は、世界大宇宙の家庭を連結させるための師範教育の場なのです。
自分の家庭を中心として関係をもっているおじいさんから母親、父親、自分の兄、自分、このような一つの家庭で訓練された四種類の人が散らばっているのです。ですから自分の家庭を中心として訓練することが、世界の家庭に接ぎ木するための道なのです。世界の家庭に連結させるためには、自分の家庭を投入しなければなりません。それが復帰原理なのです。より大きな目的を完成するためには、投入しなければならないのです。それが復帰原理です。再創造原理です。
主体と対象が、より大きな対象を求めて対応的な相対関係を中心とした主体と対象となって、一つとならなければならないのです。このみ旨と同じです。人類大家族化時代なのです。これは家庭を中心として訓練されたのを、自分の家庭よりもより大きく愛するということです。投入して忘れるならば、より愛するならば、どこにおいても主人となるのです。家庭よりも氏族が大きいので、氏族を愛し、氏族よりも民族が大きいので氏族を愛していた以上に民族を愛し、民族よりも国家が大きいので、民族を愛する以上に国家を愛するということです。
このように段階的により投入し、忘れなさいということなのです。大きい分野に該当する道理に従って、より投入するという概念がなければなりません。この国からあの国に移るときも同じです。国をもって世界へと上がるときには、国に対して尽くしてきた精誠以上の精誠を尽くせばいいのです。投入するところには、より投入すべきなのです。
韓国で暮らしてきた人が、ここウルグアイに来たということは、地の果てから地の果てまで来たことになるので、自分の国よりも愛さなければならないのです。そのように自分の家庭よりも、自分の国よりも愛そうという心をもっていれば、夢でも統一されます。国境がなくなります。国境がなくなるのです。今や地球星は真の愛を中心として、統一祖国化時代となったので、このような思想さえもっていれば、どこでも通じることができるのです。一番目は言語統一化時代であり、二番目は人類大家族化時代です。これらはすべて、真の愛を中心としてするのです。
世界も祖国光復とともに自然についてくるので、一つの方向を中心として、民族が団結した世界と国家の形態をつくることができるのです。これがアダム文化ですね。それは何かというと、真の愛の文化です。
生まれるのも愛ゆえに生まれたということです。男性が生まれたのは自分のために生まれたというのでは、真の愛をすべて全面的に抱くことはできません。向こうの果てまで完全に抱くためには、無限に与え、与えて忘れなければなりません。そうすれば、宇宙が飛びついてくるのです。
今後、天国の世界では、給料をもらうという時代は過ぎていくのです。夫婦を中心として総蕩減をしなければならないのです。歴史時代においては、絶対信仰、絶対愛、絶対服従が宇宙創造の原則です。愛ゆえに信仰も必要なのであり、服従も必要なのです。愛ゆえです。無限なる愛には、宇宙的神様までも服従するのです。神様が投入してお忘れになるのですから、私も投入して忘れなければならないのです。服従するのです。
愛を中心として絶対信仰です。愛を完成するためには絶対服従しなければならないのです。死んで、百回死んでも愛を必要とするがゆえに、その道をよく求めていかなければならないのです。それゆえ、霊界に行くということは死ぬことではなく、神様の愛を求めていく道だということです。神様が愛のために死ぬという道をつくったのです。それ以上の心をもっていなければ、愛を復帰することはできません。
六 祖国光復のためにもつべき信念と姿勢
これから新しい時代を迎えて、どんな姿勢をもつべきなのでしょうか。祖国光復のための信念が、何よりももっと高く胸の中で燃えていなければなりません。言い換えれば、六千年間神様が待ちわびてきた祖国を建設する旗手となり、先鋒に立った精鋭部隊の一員として開拓者になるという、このとてつもない使命に責任をもっているという自負心を感じなければなりません。来ては去っていった多くの人が手に入れたいと願ってはきたものの、手に入れようにも手に入れることのできなかった、たった一つしかない、この時にしかない特権的な使命を背負っているという厳粛な責任感をもつべきです。
食べて寝て、行き来するという生活全体が、祖国創建のためのものでなければなりません。神様から特別に遣わされた密使として、凛々しくこの使命を遂行しようと勇み立つことを、神様はどれほど待ちわびてきたことでしょうか。今まではひどく追い込まれ、ひどく追われてきました。一度たりとも国家の足場を備え、全体の内容を提示して繰り広げることのできなかった天のそのみ旨、祖国を立てるための、そのみ旨を立てなければなりません。今まで一度もそのみ旨を立てることができなかったのです。
これからは、そのような祖国を立てることができます。その祖国には主権があり、その祖国には国土があり、その祖国には国民がいます。またそこには、単一民族の血統がつながっており、他の民族にはもつことのできない歴史があります。このような祖国のために、私たちは密使の使命を遂行しなければなりません。
そのような使命を自分自ら早い時期に完遂できれば、それだけ祖国光復の土台が自分によって徐々に近づくのです。今日苦労の代価を払うということが、祖国光復の一日を近くに迎える土台となるのです。
このような事実を考えながら、皆さんは生きて密使の使命を完遂しようという決意をもって進まなければなりません。そうしなければ、この時代に神様が私たちにもたらしてくださる世界史的な祝福と天運を、私たちのものとして迎えることはできません。
「神様は私たちの神様、私たちは神様の息子、娘、私たちは祖国光復のために生きてきた。世界の至る所で追われても滅びることなく、復権する日を見るまでは死ぬものか。たとえ私たちは果たせずに死んだとしても、お前たちはその日を見てから死になさい」と子孫に遺言を残すのです。この思想が、すなわちイスラエルの思想です。
今後私たちは、大韓民国を神様のみ旨の前に立てなければならないのであり、神様の願う祖国光復をしなければなりません。このような意味から、私たちの責任遂行を前にして冷徹に批判してみるときに、今まで私たちがつづってきた生活態度が、どのような意味での生活だったかを反省せざるを得ません。
神様はどのようなお方でしょうか。神様は密使の大王であられます。祖国光復のためにサタン世界に現れる密使の大王であり、総司令官であられます。では、そのような神様がこの地に向かって、「私が神様である。私が教えてやることのできる真理はこれだ」と六千年の間に主張したことが一度でもあったでしょうか。ありませんでした。
しかしながら神様は、私たちの澄んだ良心を通して指示し、絆を結ぶために苦労してこられました。私たちの心の器を広げ、一致し得る自由な世界へと率いてきたのが六千年の復帰摂理歴史なのです。
第二章 家庭教会は摂理的な内的基盤
一 家庭教会とは何か
皆さんは「ホーム・チャーチ」という言葉を聞いたことがありますか。家庭教会というのでしょう。ところで家庭教会というのは、昔はいくら家庭教会という名詞を知っていたとしても、事実それを迎えることはできなかったのです。なぜでしょうか。時が来ていなかったからです。そのような蕩減条件が、歴史の前に神様とサタンと歴史を代表した責任者との決定がなされていなかったので、いくらホーム・チャーチに入って、「これを世界の祭壇に完結させて捧げます」と言っても受けることができないというのです。サタンも認定しないというのです。
今、全世界の統一教会で、家庭教会活動が展開されています。堕落した人間たちは、個人復帰から世界復帰まで、先生のように一生を、犠牲の道を通じて天国に行かなければなりませんでした。
しかし、今は先生が築いた道に従っていけばいいのです。もう先生は、皆さんが走ることのできる道をつくってあげました。皆さんは先生が築いておいた道を蕩減復帰する条件を立てて、出発することができます。それが三百六十軒を中心とした家庭教会活動です。
皆さんが今年から家庭教会活動ができるという事実は、驚くべきことです。これは人間が堕落の運命を抜け出すための運命的な道であり、生きてできなければ、死んででも行くべき道です。もう個人から氏族、民族を天の国民として編成させる時になったので、統一教会はこの全歴史のすべての結実を総合して、一つの勝利的祭壇を築かなければなりません。そのようなことを担当するために出てきたのが、家庭教会活動なのです。
自分の息子、娘よりも三百六十軒のカイン世界を愛さずしては、入り得る道はありません。神様は、数千年の間、言い表すことのできない難しいこの道を築いてきましたが、私たちは七年間、三百六十軒を中心として活動し、勝利の条件を経ることができるのです。このような家庭教会の基盤が、皆さんの目前にあるので、皆さんは行かざるを得ません。これは歴史的なすべてのことを網羅して、この世界を代表した神様の理想的完成であり、今日人類がやるべきこととして、登場し得る家庭教会となるとき、間違いなく地上天国が実現されるでしょう。
家庭教会とは、三百六十軒を中心とした祭壇を設定して、その家庭教会の祭壇に属した家々を神様のみ旨の中に、立ててあげる活動です。このように三百六十軒を中心とした家庭教会を実践し、完成する人は、個人的には神様の真の子女になると同時に、宗族的メシヤになり、全体的には神様の創造理想を実現することになるのです。
先生が百余国家のすべての蕩減条件をみな立てて、天地にふさがれた壁を心情的基準で連結させたので、皆さん自身もそのような世界を縮小した型を中心として蕩減条件を立てて、現時点において、天と地に壁がふさがらない、自分自ら動くことのできる基盤を築いておかなければなりません。それが何かといえば、ホーム・チャーチ(家庭教会)だというのです。
先生は今まで父母の名前をもって全世界の人類の前に、万民が個人、家庭、氏族、国家、世界、神様にまで、行くことのできる蕩減条件を代表的に立てておいたのです。代表的に立てて、勝利したので、この勝利の名前でそれを一〇〇パーセント相続して、皆さんが七年路程を経て、行かなければならないのです。先生が一生の間、世界の舞台に成し遂げたことを皆さんはできますか。ですから世界舞台を縮小した足場、祭壇が必要だというのです。それがホーム・チャーチだということを知らなければなりません。家庭教会……。分かりましたか。
統一教会が歴史上初めて、家庭教会という主題を立てることができたという事実は、神様の前にも人間全体の前にも、極めて重要なことだという事実を知らなければなりません。
先生は、世界的に勝利しました。皆さんはわずか三百六十軒を中心とした家庭教会で勝利することができないのですか。
皆さんが家庭教会活動をするのは、神様の代わりに、真理の教育と愛の教育をしに行くのです。家庭教会を通じて父なる神様の愛と真理を教えなければなりません。
皆さんは神様にどこで出会えるのでしょうか。レバレンド・ムーンは、世界の蕩減基盤を中心として各国で、汗と涙を流す闘争の中で、勝利の土台を立てるところで神様に出会うことができましたが、皆さんは父母様の名を通じて勝利のそのすべてのものを相続し、皆さんが世界の舞台には行かなかったとしても、「世界に行った」と言うことのできる、そのような条件を成就したということが必要なのです。それが何ですか。家庭教会です。
そこが、万国の解放された家庭の出発地点です。堕落していない本然的なアダム・エバの理想的な真の愛と真の生命の出発が宣布されたところだというのです。これを編成するために、先生が宗族的メシヤを宣布したのです。イエス様が家庭を求めてきたでしょう。ホーム・チャーチを知っているでしょう。カインの一族、アベルの一族が一つにならなければなりません。イエス様でいえば、ヨセフの支派と洗礼ヨハネの支派が一つになって、家庭を成さなければなりません。そのように家庭が策定されなければならないというのです。そうすればサタンが侵犯できません。そのようにして、宗族的メシヤの前に、イエス様の前に、すべての一族が抱かれることによって初めて、イスラエルの国で失敗した家庭本然の基準が、堕落していない基準へと復帰されるのです。
家庭教会の完成とは何ですか。新たな文化創建を主導する、アダム文化を再編成することのできる主人になれということです。そうしてこそ、アダムの後孫になるでしょう。それでは何が中心なのでしょうか。心情的基準が中心です。それではその心情とはどんな心情なのでしょうか。神様が皆さんを見つめるとき、心の中に「お前は堕落した。復帰された息子ではない」という、そのような堕落したという観念を感じないで、「我が愛する息子よ」と言うことのできる立場に上がらなければなりません。「あの野郎、あの統一教会に入って、ろくでもなくあんな姿で歩き回り、あっちに行ったりこっちに行ったり、どじょうの子、うなぎの子のような姿で」などと言われてはなりません。
世界がまだ私たちの教会化した天国基盤になっていないので、家庭教会の組織を通じて、先生が四十年の間、蕩減条件、神様の愛を中心とした所有決定的権限を完全に編成し、勝利したという印を押さなければならないのです。サタンが公に認めた立場で「勝利しました」と言い得る決定をしてこそ、愛する父母は、愛の勝利の所有決定権を皆さんの前にすべて相続してくれるのです。それは真の父母という名前をもったがゆえに、皆さんが相続することができるのであって、そうでなければ相続することができないのです。
皆さんはホーム・チャーチをしながら、ありとあらゆる人にののしられなさいというのです。冷遇されなさいというのです。冷遇されるたびに、自分が冷遇されるときは、ただされるのではないのです。私が冷遇され、ののしられるのは、なぜかと言えば、妻を生かすために、息子、娘を生かすために、そうするのです。息子、娘を抱き締めて、妻子を抱き締めて、夜を明かしながら、止めどない涙を流さなければなりません。「これはどうしたことか。この道を行くのにこのように反対できるのか」と言って涙を流すのは、悲惨なことではありません。この世で涙を流すすべての悲痛な人々よりも、切なる天の価値のために涙を流す立場に立ってこそ、これが谷となり、この世から流れて入ってくるのです。そうしてこそ同情して、一つに絡み合って出てくるのです。
私が統一教会をつくって、統一教会に残してあげた宝があるとすれば、これです。家庭教会は、私が一生の間、犠牲の道を歩んで残してあげた宝です。統一教会の教会員たちに残してあげられる宝とは何でしょうか。統一教会の権限を天と地から、あるいはサタンと神様から堂々と相続することができるという、これが宝です。それでは家庭教会が完成するときは、統一教会という名詞があるでしょうか、ないでしょうか。神様の摂理はあるでしょうか、ないでしょうか。私以外の家庭教会未完成圏では、あるかもしれませんが、私自体に成された家庭教会圏内では、神様の摂理も宗教もありません。そこは天国人が住むところです。
皆さんは今、父母の代わりに働くことのできる時代に入ってきたということを知らなければなりません。皆さんが代わりにしなければならないこととは何かといえば、先生がやったことを繰り返すことです。ところで、先生が世界の舞台でしたことを、皆さんは全世界的に歩き回りながらはできないというのです。ですから、制限された一つの祭壇のようなところでしなければなりません。世界を歩き回りながら祭祀をして、連結させたすべてのことを縮小した一つの祭壇、世界全体の人類を代表して拡大されたそれを縮小した祭壇でしなければなりません。皆さんのそのような活動的蕩減内容が必要なので、そのような形につくっておいたのが家庭教会です。
蕩減したすべてのことを皆さんが先生から受け継がなければならないのに、ただでは足場がないというのです。祭壇がありません。このような世界的祭壇をつくって、勝利したこのすべての祭壇から祭物を移すとすれば、自分なりに祭壇を築いてこそ、祭物を移すことができるのです。その祭物を移しておいたのが、何かと言えば、家庭教会だというのです。分かりましたか。
家庭教会は、皆さん自身が完成できていないことを完成させてあげるものなので、世界を越えて帰ってこなければなりません。世界に行って蕩減条件を経て、このことをするのですが、それを縮小したものです。これを縮小して先生の福を引き継ぐことのできる祭壇です。祭物は祭壇を築いて、大きな祭壇から小さな祭壇に移さなければならないのです。祭壇は血を流すのです。ホーム・チャーチとは何ですか。チャーチというのは、まだ祭壇を築いて血を流さなければならないのです。先生が築いた祭壇を受け継ぐための小さな祭壇として、世界史的な苦労をしたのです。
神様はどれほど苦労したでしょうか。先生はどれほど苦労し、イエス様はどれほど苦労したでしょうか。このすべての苦労と労苦によって勝利の祭壇をもってきたものを皆さんが引き継ぐためには、皆さんも祭壇を築かなければならないのです。そうしてこそ引き継ぐことができるのです。それがホーム・チャーチです。
家庭教会はどこからですか。ゲッセマネの十字架の絶頂からしなければならない、こう考えます。ゲッセマネ……。それは何のことか分かりますか。さらにはゴルゴタの山頂から始まるというのです。考えてみてください。イエス様がそのゴルゴタ、ゲッセマネの園で死ぬとき、同情した人は一人もいませんでしたが、私が死のうとするとき、数多くの人々が同情することのできる基盤、環境をもってから死ねるということが、どんなに幸せなことかというのです。皆さんが死ぬとき、逃げ出すペテロではなく、皆さんの代わりに「私が死にます」と言うことができる群れを地上でもつことができる自由な環境をもったという、このような事実を考えて、このような歴史的伝統を蕩減すると考えるのです。
ここに来ては、みな先生にだけついていこうとするのです。「自分の言うことだけ聞け」と言って、自分は「何、ホーム・チャーチは嫌だ。先生の行くところにだけ行こう」と言うのです。それはいけません。
いくら父が大統領でも、父のそれをただそのまま自分が引き継ぐことができるでしょうか。大統領になるためには、大統領になる基盤を築かなければなりません。いくら皇太子として生まれたとしても、王になるためには、王になることのできるすべての法度と規範を習わなければなりません。備えなければなりません。それで皆さんは、口だけではなく、これから人類歴史最後の路程に父母様の言うことを一つ聞けば、神様が「お前は孝子だった」という印を押して、天の国の孝子として天国に送ろうというのです。これはどれほど驚くべき愛でしょうか。その基盤とは何ですか。家庭教会という基盤です。
それでは皆さんは、天の国の孝子として行きたいですか。ならず者として行きたいですか。孝子、孝女として行きたいでしょう。ホーム・チャーチを通じずには、孝子、孝女の印をもらう道がありません。天国は、孝子が入るのです。
息子は息子でも、ならず者は入ることができません。孝子の名前をもって行かなければならないので、孝子の名前の印を押してもらうためのもの、それが家庭教会です。
統一教会の指導体制が、もう今は私が引っ張っていく時が過ぎたというのです。平面的拡大時代になったので、家庭理想をもった自体の氏族を中心として拡大すれば、世界は自然に復帰されるのです。その氏族拡大の方法とは何かというと、統一教会でいういわゆるホーム・チャーチだというのです。このような総決算的公判の場ができたというのです。
二 家庭教会活動の始まり
一九七八年十一月十二日を期して、皆さんすべてをメシヤの資格者として、ホーム・チャーチの区域に出ていけと命令したのです。どうしますか。出ていこうという人、手を挙げてください。それでは、これからそこに出ていくのです。家庭教会をつくるまでは、帰ってくることができないということを知らなければなりません。死ぬまで帰ってくることができません。霊的に帰ってくることができないのです。
イエス様は死んで昇天するとき、ペテロに天国の鍵を与えましたが、レバレンド・ムーンは生きて、天国の鍵を与えるのです。個人のために与えるのではなく、氏族を救うための鍵を与えるのです。個人の救いをさせる人ではありません。皆さんはメシヤになるのです。家庭教会のメシヤ。これは空論ではありません。地でなされることはそっくりそのまま霊界でもなされるようになっているというのです。ですから、この宇宙のダイヤモンド鉱山のようなところで、誰がこの鉱山口でたくさん掘り起こすのかということが、皆さんの努力いかんにかかっています。この宇宙のダイヤモンド鉱を統一教会の教会員たちが探し当てるのです。ホーム・チャーチで探し当てるのです。誰がたくさん見つけるでしょうか。分かりましたか。大変なことです。
これまで宗教は、自分一人が救われようとしたのです。私一人がどうやったら救われるかという個人の救いを標準にしてきたというのです。私たちは個人の救いではありません。氏族の救いを一度にやろうというのです。皆さんゆえに氏族が救われ、その三百六十軒が救われるのです。
このようなことは、宗教の歴史上にもなかったし、人類歴史上にもありませんでした。このような一つの事件が始まったのです。宗教がいつ結婚しろと教え、宗教がいつ親と一緒に暮らせと教えましたか。そのように教える法がどこにありますか。初めて出てきたのです。初めて、皆さんが一緒に家庭教会を中心として……。家庭教会というものは、同じ運命にあるということです。共に栄えることのできる全体の救いの基盤を与えられ得る大変な、時代になったというのです。このように大きな世界的な三段階が、家庭教会によって短縮されます。短縮されるのです。
皆さんの前に、先生が家庭教会の基盤である三百六十軒を分けてあげることができたというのは、歴史的な希望の日であり、宗教が希望してきた終着点であり、神様の摂理の終着点となるのです。サタン世界で今まで確保しておいたサタンの基地が完全に撃破され得る出発の日となるのです。もし先生が家庭教会を発表できなかったならば、歴史は悲惨な運命の歴史として終わっていたことでしょう。家庭教会というタイトルは、皆さんにとって無限の福です。歴史過程に数多くの王がいたし、数多くの大富豪がいたし、数多くの学者がいたし、有名な人がいましたが、それがすべて問題ではないというのです。皆さん自身が「たとえ私は卑しい身であっても、たとえ無価値な身であっても、私が生きているうちに先生からホーム・チャーチという名前を中心として、私に伝授してもらえる」という事実は、驚くべき事実であることを知らなければなりません。
父母を探すと同時に、天使世界も探さなければならないし、サタン世界も探さなければならないというのです。神様も探さなければなりません。ここで、これがみな決まります。それで今度日本へ行ってもイギリスに行っても、みなこれから行くべき道はホーム・チャーチ、すなわち家庭教会です。それが何かと言えば、家庭天国だというのです。それで三百六十軒全部が皆さんをメシヤのように侍ることができ、皆さんを真の父母のように侍ることのできる基盤を備えて、一つにし、神様の前に奉献したという事実は、全世界を通じてサタンが基盤を築き、反対したすべてを勝利の立場で受け継いだということです。
私たち統一教会は、家庭教会をしなければなりません。この家庭教会を通してカインの氏族を一つにしなければなりません。そのカインの氏族をみな一つにして、アベルの氏族圏をつくらずしては、その氏族の基盤の上に父母様を迎えることのできる基盤ができないのです。氏族的天国が現れないのです。その基盤ができたのちには、民族が連結されるのです。氏族圏を中心として民族ができれば、その次からは、民族を中心として国家は縦的に行くのです。相対的です。
一族を収拾するためには、サタン世界に既に広がった五十億の人類を愛さなければなりません。それから救ってあげなければなりません。ですからホーム・チャーチ(家庭教会)の組織はなくなってはいけません。
神様も宇宙的なアベルの立場に立っているので、サタン世界に対して神様に近いすべてのものを犠牲にして、カインを愛さなければなりません。したがって、このカインが神様の息子、娘を愛したのちに、アベルが長子の資格を備えて出てくるとき、神様が愛するようになるというのです。それで祝福して愛するようになるのです。この原理をはっきり知らなければなりません。これは公式です。家庭教会を完成させるには、これを知らずしてはできないというのです。
「統一神霊協会」と言うとき、神霊的なものが何かといえば、堕落していない本郷の世界です。統一された本然の世界を成すことができる協会です。これからは、キリスト教がうまくいきません。これが今日から三十三年はいいですが、将来新しい世界へと越えていくときには、世界キリスト教ではなく、宗教もなくなります。何と言いますか。家庭教会。家庭教会だけが残ります。真の父母を中心とした家庭。この葉も葉同士が家庭でしょう。この葉と葉同士、三つの葉は三つの家族、五つの葉は五つの家族で、これも枝の一家族です。何を中心としてですか。根と芽を中心として。根を神様とすれば、人は芽です。芽と根を中心として、家庭調和の活動をすれば、この木は、無限に大きくなる木になるのです。
これから統一教会に従っていく人々は、私のように悲惨であってはならないというのです。神様の願いがそれです。レバレンド・ムーンのように悲惨であってはいけないというのです。レバレンド・ムーンを苦労させて、苦労を短縮させて、このような悲惨な運命を一度に一箇所で世界を代表して越えることのできるところがあれば、どんなにいいでしょうか。これが神様の願いであり、先生の願いであり、皆さんも願うものです。そのような願いの基準を生涯の目標とし、摂理の目的地にしているのです。そうして現れたのが家庭教会です。ホーム・チャーチです。
アダムの願い、イエス様の願い、先生の願いを解いてあげることのできる蕩減条件を必要とするのが、ホーム・チャーチ(家庭教会)です。
生きている間はとても短いのです。一生がとても短いというのです。私が死ぬまでにこれをすべて突破できるかという問題を前にして、「私の生命をこれくらい延長してくれるなら、私のあらん限りの力を尽くして行こう」と、このように思って行くべき道であるにもかかわらず、皆さんは今、見物人のような姿で歩んでいるのです。ですからホーム・チャーチ(家庭教会)をしなさいというのです、ホーム・チャーチ、ホーム・チャーチという言葉は、一生涯のうちでも、いい言葉でしょう。
世界を連結させる上での条件基盤とは何ですか。それがホーム・チャーチ(家庭教会)です。世界を代表して、三六〇度を中心として方位数全体を代表することのできる地で、三百六十家庭が東西南北どこでも門を開いておいて、私を歓迎できるようにしなければ、あの世に行って引っ掛かるというのです。
今後、ここに妨害となるすべての組織体は、解散させ、全部停止させるでしょう。家庭教会運動が第一です。その次に他のことをするのは、付帯的なことです。ですから、この伝統的思想を全世界の統一教会と、統一教会に従うすべての人の前に、伝授することを宣言するものです。
三 家庭教会の活動展開
一) 宗族的メシヤの資格を賦与する条件
今まで宗教というのは、個人の救いを目標にしてきましたが、統一教会の救いの目標は、氏族の救いだというのです。一度に氏族が救われようというのです。「私は死んで天国に行くのではなく、生きて氏族が天国に入ることのできる公義のチケットをもらおう!」この運動がホーム・チャーチ運動であることを知らなければなりません。
宗族的メシヤというのは何かといえば、イエス様以上の人だというのです。イエス様は宗族的メシヤになれませんでした。そうならなければ、完成時代に父母様の子女になることのできる資格がないのです。そうすることによって父母が誤ったすべてのことを蕩減し、新・旧約の蘇生、長成のすべてのことを、歴史的な全体を総合して、一度に燃やして捧げるためのものが、家庭教会の祭壇だというのです。分かりますか。これを完成させて、勝利すれば、世界も天上世界もどこでも行ったり来たりすることのできるパスポートをもらうことができるのです。
あなた方の家庭がアベル家庭としての役割を果たしましたか。アベルの責任について知っているでしょう。アベルはカインを救うべき責任があります。なぜでしょうか。カインを救わなければ父母様に会えません。それで、統一教会において家庭教会とは何ですか。カインの氏族復帰をしたのちに、自分の氏族復帰をする役事ではありませんか。あなた方は、カインの氏族復帰のために努力しましたか。カインの氏族とアベルの氏族が一つになれなければ、民族圏内に上がることができません。上がる道がないのです。これが原理ではありませんか。原理。
今日、統一教会においては、世界的蕩減、すべての蕩減の版図を縮小して、現実化したのが、ホーム・チャーチです。分かりますか。ホーム・チャーチですから家庭教会でしょう。これを氏族教会に発展させなければなりません。氏族教会を発展させて……。韓国にはそれぞれ姓が多いでしょう。姓を連結すれば、民族教会になるのです。民族教会になり、国家教会時代を経て……。そうなれば、私たち統一教会を中心としてホーム・チャーチを始めたので、氏族圏チャーチが始まり、国家圏チャーチが展開されていくのです。
皆さんの一家、親戚を中心として、皆さんが祝福家庭として立つには、カイン・アベル氏族圏を越えなければなりません。イエス様がザカリヤ家庭、ヨセフ家庭を中心に一つにできず、ユダヤの国とユダヤ教がカイン・アベル国家基準を越えられなかったのと同じように、これを蕩減復帰する運命が、キリスト教の歴史に残っているのです。これを蕩減する基準に立ってこそ、家庭が祝福を受けるようになっているのが、原理の基準なので、「家庭教会を中心としてこれを統合させよ」と言ったのですが、家庭教会を一生懸命にやりましたか。
家庭教会とは何かといえば、氏族です。宗族的メシヤの基盤ですが、その宗族的メシヤの基盤とは何かといえば、イエス様を中心として見るとき、ヨセフ家庭とザカリヤ家庭の基盤です。イエス様が死んだのは、ザカリヤ家庭のゆえです。ヨセフ家庭を中心として、一つになれませんでしたが、ザカリヤ家庭を中心としても一つになれませんでした。ザカリヤ家庭を知っているでしょう。洗礼ヨハネの家庭のことです。洗礼ヨハネとは誰かといえば、イエス様と兄弟です。腹違いですが、兄弟なのです。
絶望の呻吟も笑いによって消化することのできるものとは、何ですか。家庭教会だというのです。家庭をホームと言い、チャーチは教会でしょう。ですから皆さんが帰るときには、皆さんの故郷に帰らなければなりません。皆さんのお母さん、お父さんの前に帰らなければなりません。お母さん、お父さんの前に帰って、ホーム・チャーチ運動をしなければなりません。
皆さんはもう二十年もかかりません。あっという間にできる時です。それで四十カ国の代わりに東西南北四カ国に通じなさいというのです。四カ国に行って、血と汗を流し、精誠を尽くさなければなりません。四カ国を通過せよというのです。そうしなければ、アメリカ人はアメリカ人の観念を離れることができません。ですから、東洋でもどこでも、遠いところ、できるだけ遠いところに、端から端へと、東西南北の端を経なさいというのです。何のことか分かりますか。白人の霊たちが今までどんなに地上に来ることを待ち焦がれたでしょうか。今まで来ては逝った善なる人生を送った良心的な霊たちが、地上に降りてくるのをどれほど待ち望んでいるかというのです。そうするには、自分の一族が縁を結ばなければなりません。それでホーム・チャーチ・システム(家庭教会組織)が展開されるのです。これによって世界のいかなる霊も自分と関係のあること、専門分野、経済なら経済分野の学者を中心に世界の各国、百二十カ国以上の霊たちが自由に活動できる基地になるというのです。それでホーム・チャーチが絶対に必要だというのです。さらにアメリカのような所では、三百六十軒の中で百二十カ国以上の種族がいるかもしれません。また各国の中にあるすべてのホーム・チャーチを中心として見るとき、人によってみな違います。黒人のような人、イギリス人のように傲慢な人、ドイツ人のようにこだわりの激しい人、みないるというのです。そのように考えなさい。アメリカ人のように個人主義的な人もいるのです。
統一教会が一九七八年から主張してきたこととは、伝統を受け継がなければならないということです。伝統とは何の伝統ですか。神様の復帰摂理の心情の伝統を受け継がなければなりません。その次には先生がこの伝統を立てるために歩んできた、六十年の生涯のすべての心情を、皆さんが受け継がなければなりません。これを受け継ぐことのできる一つの足場(土台)がホーム・チャーチであり、その運動が家庭教会運動だというのです。
家庭教会をもたなければ、将来天の国に行くとき、先生についていくことができません。将来、家庭教会が全世界的に二十四万くらいになれば、全世界の人類に対して配置するのです。完全に教会はなくなるのです。韓国人は将来、家庭教会に配置される恵沢圏内にいるのです。まだ世界の至る所に家庭教会の配置がされていないので、大移動、民族大移動をしなければなりません。家庭教会に配置されるために、ここからアフリカに行かなければならないし、これから全世界へ大移動する時代に入るのです。
原理を見れば、同時性時代に関することが出てくるでしょう。そこを見れば四十数に関することがみな分かるでしょう。四千年の代わりの四百年、四百年の代わりの四十年、四十年の代わりの四十日、そこで一週間という七数は復帰摂理の中心数です。このような問題をかけて、私たちが自分の生命の道を開拓するには、蕩減条件が絶対的に問題です。
四十日ずつ三年やれば、百二十日になります。三年やれば三・四、十二(三×四=十二)、百二十日ではありませんか。百二十日を埋めていくのです。日本は、明治維新以後百二十年です。サウルとダビデとソロモン王で百二十年です。これは重要な一つの峠を越える過程です。
ですから三年を中心として特別にこのことをしなければなりません。断食しながら四十日間の活動を展開しなければなりません。昔は出ていって活動しましたが、今は自分の故郷に帰って、このことをしなければなりません。ホーム・チャーチ内でしなさいというのです。
私が今回指示したこととは何ですか。「二世をもって故郷復帰しなさい」と言いました。まとめて故郷に帰るのです。これが統一教会でいう家庭教会の理念を代表することのできる二世を連れて、皆さんの故郷に帰るのです。一人が十名、二十名の若者を連れていって、「死ね」と言えば死に、「生きろ」と言えば生き、二十四時間その部落を掌握してどんなことをやっても、その町(村)の人々は反対できないでしょう。
お母さん、お父さんもそうです。これからは文総裁に反対できない環境へと、世界がだんだん押されていくのです。「いい」と言うようになっています。あっという間に回っていくのです。
二) 訪問、奉仕、教育など多様な活動を展開
今まで長年の間活動してきたホーム・チャーチ(家庭教会)がなくなったのではありません。ホーム・チャーチ基盤はカインの基盤であり、自分の一族はアベルの基盤です。ホーム・チャーチの基盤で涙と血と汗を流した功績をもてば、自分の一族は自動的に回っていきます。ホーム・チャーチを通して百名さえ伝道して自分の一族のところに行けば、「英雄の息子が帰ってきた」と言って、その村が一朝一夕にして一度に復帰されるのです。闘った経歴を報告するのです。他のことをするなというのです。三百六十軒をみな配当しなければなりません。
「党の責任者だ」と言いながら勝手にやっていた人が、今まで冷遇した人に、反対にあいさつをしなければならないというのです。そのようになったとき、その親戚たちがいいでしょうか、悪いでしょうか。同じです。家庭教会三百六十軒、妻の側まで七百二十名を率いて自分の村を訪ねていくのです。その町で住んでいた七百二十名の中には、ちょっとした者がいないでしょうか。一族を率いて宴会を開き、トラックにプレゼントを積んでいって分けてあげれば、一朝一夕にしてすべてきれいに整理できるのです。この話をどうして話すのですか。皆さん一人を中心として百人をつくりますか、千人をつくりますか、一万人をつくりますか。みんな「一万人をつくる」と言えば、人が足りないのです。それも事故です。雰囲気を見ながら他の人が食べるのも(やるのも)ちょっと残しておいてやらないと……。早くしないで、みな平均的にしなさいというのです。一つ一つしっかり食べなさい(やりなさい)というのです。分かりましたか。
七月三日から九日までに先生は七万三千の里、統の支部長たちにみな先生の写真を与え、統一教会の旗を与えたでしょう。それがみな生きていますか。死んでいますか。考えてみなさい。先生が家庭教会を発表して十四年になります。天の三百六十軒を探せ! 探せというのです。家庭教会を成すことができなかったら、自分の故郷を訪ねていかなければなりません。三百六十軒ならそこに大統領もあり得るし、内務長官もあり得るし、外務長官もあり得るし、外交官もあり得るし、学者もあり得るし、先生もあり得るし、僕の子供もいるでしょう。
その町を訪ねていけば、その町以上のものが、すべてそこにあるというのです。その人々が訪ねてきて、「あなたの家のなにがしという方が、私たちを救ってくれた救世主です」と言うとき、お母さん、お父さんや町内の人々が目をぱちくりさせながら、見物するでしょう。そして頭を下げるでしょう。
統一教会の食口全体が原理の本三十冊を買って、毎日一日に一冊貸してあげなさいというのです。それを一週間ずつ貸してあげれば、三・四、十二(三×四=十二)、百二十軒に分けてあげることができるのです。この百二十軒を中心としてその本を読むと考えてみなさい。切なる紹介内容をつけて分けてあげるのです。それを読ませ、その次にビデオ・テープを貸してあげるのです。自分が住んでいるところで、これから統班撃破運動をそのようにしなさいというのです。ホーム・チャーチ運動を続けながらです。
そうなれば創造原理を講義するときは、誰でも本をもってきて創造原理を聞くのです。本を中心として簡単に序論式にその内容を講義するのです。そうなれば、本を中心として自分たちが講義する内容に合わせながら、全部やっていけるのです。
皆さん、最近ホーム・チャーチをやりながら反対されませんか。「私にはあなたは要らない。要らない」と言っても、また行くのです。「来るな」と言ってもほうきを持っていって、庭でも掃いて、雪が降れば雪を片づけたり、いろいろやるのです。溝に水があれば、溝も片づけるのです。それなのにその主人が「あの、私が嫌だというのにどうしてこうするんですか」と言ってけんかする日には、町内の人々が「こいつ、何だって言うんだ」と言って代わりに闘ってくれるのです。このようなことがいくらでも起こるというのです。それがどれほど素晴らしい闘い方でしょうか。そんなことが起こるのです。どうしてそうなのでしょう。
もう一つ話すことは、これから会社に戻っても五時になりさえすれば、みな工場から出てくるのです。ですから工場を中心としてホーム・チャーチ組織、家庭教会組織をすべてもたなければなりません。それで個別的な活動基盤を中心として、霊の息子、娘から氏族編成をしなければなりません。それが発展する原則です。人を育ててこそ自分が成長するのです。人を育ててみなければなりません。
では、これから皆さんが三百六十軒のホーム・チャーチをつくるのに、誰が歴史時代に初めてやって、先生、お母さん、お父さんを迎えることができるでしょうか。そのようなホーム・チャーチが韓国の地から出てくるか、アメリカの地から出てくるか、日本の地から出てくるか、イギリスの地から出てくるか。「家庭教会ナンバーワンはコリア!」、こうならなければならないというのです。考えてみなさい。皆さんは足が長くてこうやって歩きますが、韓国人たちはダダダダ……。歩くのに背が高くてこのように、目が丸くて四方を見て「ウー」と言いますが、韓国人たちは背も低く、目も小さくて、一箇所だけに集中して行くのです。それなのに、彼らに勝てると思いますか。自信がありますか。
これから皆さんは、家庭的に愛をもってサタン世界を攻撃するのです。家庭をもって腐敗したサタン世界の人々を攻撃するのです。それでこの自由世界の腐敗した動物的な家庭をみなけ飛ばしてしまうのです。みな壊してしまわなければなりません。全部そうだと彼らが滅びながら、「ああ、私は滅びる」と言うのではなく、滅びながらも泣くのではなく、喜ぶというのです。「わあうれしい。わあうれしい」と言うのです。何のことか分かりますか。そのような時が来たのです。
それで皆さんが一度に家庭を動かすことができ、氏族を動かすことができ、民族を動かすことのできるホーム・チャーチ運動をせよということを私が言ったのです。ホーム・チャーチ、分かりますか。これさえ終えれば、これさえ築かれれば、世界が引っ張られていくことができる、これさえ成せば、「天国を私が成すことができる」と言うことのできる時が来たというのです。
父母様と心情一体にならなければなりません。世界を救うためのその痛烈な心をもって、一生を経て克服したこのすべてのことを皆さんは、七年間でできるのです。七年もかからないでしょう。これからはむごく反対されるとしても七年もあれば終わるのです。先生がやってきたように精誠を尽くせば、七年以内に皆さんは家庭教会をきれいに終えるというのです。それは何を意味するのでしょうか。世界問題が七年後にみな終わるということです。全世界に統一教会のメンバーたちが、これから広がって三百六十軒さえやれば、簡単だというのです。ですから精誠を尽くして、これを築くのです。
韓国全域を四千万と見て、家庭教会を組織すれば、家がいくつですか。約六百万ですか。五・七、三十五(五×七=三十五)……。八百万! 八百万ですから、一人が三百六十軒ずつすれば、二万二千、そうでしょう。食口が二万二千ならば、このホーム・チャーチ(家庭教会)組織はすべて終わるのです。難しいことではありません。それでホーム・チャーチの責任者から一代、二代、三代と続けて伝道していけば、千名、二千名、数千名がホーム・チャーチ運動をやるようなことが起こるのです。
勝共連合の全国組織がさっとできて、自分の家庭に入って教育するようになるのです。文総裁が家庭に入って教育していますか。割り当ててあげて、やるのです。ホーム・チャーチ(家庭教会)組織に連結させるための作戦です。ホーム・チャーチ基盤さえきちんとできれば、班に十軒、二十軒ありますが、三百六十軒ですから、一人が十五軒ずつ責任をもって活動するのです。二重三重にやるのです。
私たち統一教会の目的とは何かといえば、家庭教会を成すことです。それが目的なので、その家庭教会三百六十数に該当する班を昼も夜もみな……。原理の本があり、勝共理論があり、統一思想があります。私たちの教会のすべての材料がみな待っているので、早く訪ねていってホーム・チャーチ、家庭教会活動と共に勝共連合の統、班編成を中心としたこのような、何の教育ですか。それを何と言いますか。班常会(注:班で毎月もたれる例会)教育、それで家庭家庭を中心として父母様の家庭の四位基台、自分の家庭の四位基台が完全に一つになって、天下が反対し、世の中が反対するとしても、分かれることができないという愛によって結ばれるようになるときには、そこから超国家的な天国が出発するということを知ったので、このことをしなければならないのです。
先生が今まで四十年間闘ってきたすべてを総合して、決算することのできる決算場がホーム・チャーチです。ですから皆さんがホーム・チャーチを一生懸命にするために、教会長がいれば教会長に、「きょうは、私はホーム・チャーチのために教会に行けません」と言うときは、「教会に来なかった」と言えないというのです。ホーム・チャーチ第一主義時代です。
ですからホーム・チャーチがこれからどんなチャーチになるべきかといえば、皆さん自身のホーム・チャーチが氏族チャーチにならなければなりません。家庭教会ではなく、これから氏族教会に発展していくのです。皆さんが氏族教会さえ連合すれば、金氏、朴氏という民族は自然に生じるのです。そうじゃありませんか。金氏、朴氏、文氏、おびただしく氏族復帰の基盤さえできれば、国家は自然にできるのではありませんか。そのようになるのです。氏族教会、民族教会、国家教会、世界教会、天宙教会、そのように連結されるのです。
宗族的メシヤは、カイン、アベル二つの族属を抱かなければなりません。イエス様を中心として見るとき、ヨセフ家庭とザカリヤ家庭と同じです。これらの家庭が一つになれなかったことによって、イエス様が死んだのと同じように、今は家庭教会と氏族教会が必要だというのです。いつも同じです。ヨセフ家庭とザカリヤ家庭が一つとなったその上に、イエス様が立つのです。その宗族的メシヤを迎え、国家的メシヤを迎えれば、復帰です。ですからホーム・チャーチ(家庭教会)はカイン的教会として、宗族的メシヤの基盤であり、アベル的教会は自分の一族です。この二つを合わせなければなりません。そうしてこそ宗族的メシヤの使命が終わるというのです。これから氏族と完全に一つになるのは問題ありません。そして外部的にも問題がない時が来たというのです。
今は世界的な時です。その時は国家的な時でしたが、今は世界的な時です。イエス様を中心とした国家的な時を蕩減復帰して、解放されたので、迫害のないところにおいて、世界的な基準を中心として宗族的メシヤになるのです。宗族的メシヤとは何ですか。家庭教会ではありませんか。家庭教会をつくって、全部やったなら、宗族的メシヤがどんなにいいでしょうか!
これからは自分の霊の息子、娘たちをみな連れて、教育しなければなりません。親族です。霊的な信仰の息子、娘たちを中心として一つになって、宗族的メシヤ圏を復帰することによって、霊界の他の族属たちも後援するのです。そうなれば、連合的前線が展開されるのです。
四 三百六十軒家庭教会完成
一) 三百六十軒の数理的な意味
ホーム・チャーチとは何ですか。家庭教会とは何ですか。すべての歴史時代の摂理を中心として国境とか社会制度をすべて捨てて、家庭教会の中で一つになれば、すべてのことを復帰するのです。
三百六十家庭は三百六十族属です。それをなぜやるのでしょうか。三十六とは、十二数の三倍です。そうでしょう。十二数というのは、天理の度数です。これは霊界の十二真珠門をいうのです。三十六家庭数と同じだというのです。旧約時代、新約時代、成約時代の三段階の運勢を連結させることができるのです。それは天道を解くためにすべて出てきたのです。
家庭教会の祭壇は三百六十軒です。この三百六十軒の数理的意味は、すべての数理的価値を象徴した内容です。三百六十軒は原理的な数として、ここに数理的意味がみな入っているのです。三百六十数は、三十六数の拡大数として、三十六と同一の意味です。三十六数は十二数が三つ合わさった数であり、十二数は三数と四数を掛け合わせた数です。
ですから三数、四数、十二数、三十六数、百二十数、三百六十数を含めた数理的意味があるのです。旧約時代十二数、新約時代十二数、成約時代十二数を代表するので、三十六数は全歴史を意味します。そして三百六十数は立体的な内容を含んでいます。ですから東西南北の四方を意味し、三六〇度を中心とした立体的な内容も備えていて、そこには春夏秋冬の四季があり、十二カ月を含んだ数であり、百二十カ国まですべて入っています。
ですから三百六十数の復帰は、世界復帰だけでなく、歴史的な蕩減路程の完成を意味するものであり、神様が失った全被造世界と全歴史、全人類を探し立てる重要な意味がすべて含まれているのです。
家庭教会三百六十軒は、まず区域が選定されなければなりません。三百六十軒家庭教会の祭壇が確定されなければ、原理的な意味がなくなり、霊界が地上再臨できる条件的な祭壇になることができません。ですからまず三百六十軒の祭壇を確定することが重要です。三百六十軒の祭壇が優先的に確定されなければ、家庭教会の意味が立てられません。
三百六十軒家庭教会の祭壇で勝利するには、血と汗と涙を流さなければなりません。三百六十軒を完全に復帰し、勝利すれば、先生の勝利の栄光を伝承してもらえるのです。言い換えれば、神様の復帰の心情を蕩減復帰する立場に立たれた先生の立場に立ててくださる条件なのです。
私たちがやるべき三百六十軒家庭教会は、カイン型天使世界に該当します。このカイン型天使世界である三百六十軒家庭教会を成功させれば、アベル型天使世界である自分の氏族は自動的に復帰されます。
三百六十軒家庭教会を伝道すれば、カイン型天使世界の宗族的メシヤになり、その次に自分の氏族から歓迎され、アベル的宗族的メシヤになるのです。
私たちの地球星を中心としてどこに行ってもホーム・チャーチが成されなければなりません。
どこでも三百六十軒のホーム・チャーチ運動をしなければなりません。それは氏族です。特定氏族です。氏族を解放しなければ、特定氏族が生じ得ません。これは元来、三次七年路程が終わってやることです。そのことを三次七年内にやっているということを知らなければなりません。皆さんには夢のような話ですが、事実なのです。
二) 家庭教会は摂理の終着地
このようなことを宣布することができるということは、摂理史において、偉大な飛躍だというのです。では、家庭教会で勝利すれば、皆さんは何になるのでしょうか。その時にはメシヤになるのです。メシヤ。宗族的メシヤになって、民族に対してもその民族を救うことのできる責任者になるのです。
皆さんがどのように完成するのでしょうか。皆さんには父母がいて、息子がいて、万物がありますが、家庭教会はこのようなものを拡大したものです。アダムが堕落することによって、この三つを失ってしまいました。ですから、この三つを一度に取り戻して、神様の前に捧げなければなりません。失ったものを取り戻して真の父母を通じて神様の前に捧げようというのです。
それで神様を経てこなければならないのです。失ったものを取り戻して、神様のものになってから父母から再び相続しなければなりません。そうしてこそ皆さんの家が生じ、皆さんの世界が生じるということを知らなければなりません。その土台がホーム・チャーチです。これは何かといえば、祭物です。これは一つの祭壇です。ここで三大祭物を捧げるのです。
家庭教会は私たちの定着地である! いったい家庭教会とは何でしょうか。ホーム・チャーチは統一教会が迫害の歴史においてレバレンド・ムーンを中心として、すべての歴史的蕩減基準、すなわち個人蕩減世界的基準、家庭、民族蕩減世界的基準、国家蕩減世界的基準、天宙蕩減世界的基準の蕩減路程において、チャンピオンの継承権をなして、全体勝利した承認を受け、決定してきたものです。ホーム・チャーチにおいてのみ初めて、すべての蕩減条件を脱いで定着することができるのです。
アメリカを失い、地球星を失ったとしても、真の愛をつかんでいれば、神様が私のものになるので、天の国が私のものになり、自動的に地球星も私のものになっても余りあるというのです。その結論が間違っていますか。合っていますか。それでは、皆さんに何の心配がありますか。「ああ、私は家庭教会が嫌だ」と言って大変なのです。真の愛は、難しいほどその価値がもっと大きいというのです。
地上で生きている間に、家庭教会運動を一生懸命にやるのが、福を受ける道です。人生は短いのです。
統一教会で絶対に必要なものがありますが、それは何かと言えば、ホーム・チャーチです。ホーム・チャーチが出てくるまでは、先生でしたが、父母様でしたが、ホーム・チャーチが出てきたあとは、ホーム・チャーチ完成が絶対的だというのです。これを成してこそ父母様も私の父母様になるのであり、父母様の世界になるのです。父母様の天国が私の天国になるのです。父母様の愛が私の愛として伝授されるのです。
ホーム・チャーチがなければ、天国が成されません。ホーム・チャーチがなければ、すべてのことができないのです。ホーム・チャーチは天国の基地です。天国はどんなところですか。天国というところは安息するところであり、幸福が宿るところであり、愛が宿るところであり、平和なところです。
キリスト教が、救いがあって何がどうですって。統一教会を離れては、生命的救い、永遠の愛を中心とした因縁的救いはありません。それで先生が還故郷の道を築いて、自分たちをみな立てて還故郷をして宗族的メシヤ宣布をさせたのです。それを私がいつから教えてあげましたか。そのためにはカイン・アベルの関係を収拾しなければなりません。
ホーム・チャーチ、家庭教会をいつ話しましたか。七年の歳月です。やりましたか、やりませんでしたか。「やる」と言ったのが成功しましたか。台風が吹いてきて、自分の足が切られ、首が落ちたとしても、やらなければならないのです。
家庭教会の任務を任された人は、歴史的な最終の、マラソン大会で言えば最後のマラソン選手と同じなのに、「国家代表のマラソン選手として立って、ただ汗をかくから汗を拭き、汗を流さずに走り、汗をかけばうちわであおぎ、コーラも飲んで、適当に楽に行けばいい」と言うのと、走るのに、ひたすら汗を流し、死んで倒れたとしても最後まで行くのと、どう違うでしょうか。
神様はチャンピオンの後ろにいて見えませんが、サタン世界では「この野郎! 倒れろ! あの野郎、倒れろ! こいつめ、飯食って行け! こいつめ、休め!」と言って、すべて反対するのです。
霊界が見えますか。神様が見えますか。世界が行ったり来たりする中で、天と地が応援し、「もっと走れ」と言っても、それを聞くことができないのです。その反面、サタン世界でそれに反対して、「ああ、神様がなんだ。こいつめ! お前、飯食って走れ! 休んで行け! 車に乗って行け。歩いてどうするのか。ああ、あれは何だ」と言うのです。決勝点に行って、勝つまではサタンも関与できないのです。
私が帰ってくれば、国家が歓迎しなければならないのです。今は歓迎することができる時なのです。けれどもそれができないので、私が男たちに責任を追及するのです。私が十四年前から「家庭教会をしなさい」と言ったでしょう。けれども誰か一人でもそのようにした人がいましたか。
それをやるのに十四年かかりました。一九七八年から家庭教会を語ってきたし、統班撃破を始めてもう七年がたったのに全部失敗しました。教会が存在するのは、国と世界のためです。それなのに皆さんは、自分の家庭と自分だけにしがみついて、教会はみな後回しにしてしまったでしょう。
頂上クラブをつくって、世界最高の頂上たちに会うのです。アメリカのブッシュ、ソ連のゴルバチョフ、中国の江沢民を教えた小平等々……。みな今まで隣の家の暮らしでもするかのように乞食のようにやってきたというのです。何ですか、これは。てっぺんに火をつけて飛び出して来れるようにしてこなければなりませんでした。そうすれば私がこのことをしなくてもいいのです。
ホーム・チャーチ、家庭教会をすべてやっていたら、このことをやらなくてもいいのです。個人が行ってでもみな教育しなさい。分かりましたか。荒野路程のその受難生活はもういけません。そこで勝たなければなりません。このような輩たちを屈服させなければなりません。
第三章 統班撃破運動をなぜしなければならないのか
一 統班撃破運動を再び行う理由
統班撃破運動をなぜしていないのですか。あなた方が生きる道がそれです。その運動の基盤のもとで、今回故郷に帰って、今まで活動したことのある自分の郡、面、自分の町内、すべてに自分が責任をもって、統、班を動かしていかなければなりません。数がないので、故郷に入って、それをしなければならないというのです。昔のように食べて寝て、そのようにする時ではありません。
これから地方の郡民、農民たちを動員してデモしていくのです。今工場で「デモをする」と言って大変ですが、工場のデモは会社で勝手に首を切れば、ばらばらに自分の田舎に帰るので、なくなるのです。しかし農民たちが結合してデモすれば、永遠に停止です。何のことか分かりますか。
どんなことをしてでも、私たちの氏族を中心として統班撃破運動を実現するための中間的な集合、訓練をするための復興会をしなければなりません。今回は急がなければなりません。それを近いうちにやって、実績を出さなければなりません。
そのように一つの面で、三つの部落になりさえすれば面全体を消化することができると同時に、郡全体、面一つを消化すれば郡全体まで影響を与えることができるのです。一つの郡全体になりさえすれば、このケースで道まで連結させることのできる道が開かれるのではないかと見るのです。このようにやらずしては、この全体の統班撃破組織編成が不可能だというのです。これが急がれているのです。
皆さん、先生が統班撃破を命令してから四年の歳月が流れました。この者たち! 先生がお金を出してあげなければなりませんか。愛国するのに先生がお金を出してあげなければなりませんか。血を売って、土地を売って、家を売ってやってきました。妻子とすべての兄弟と私の一族を犠牲にしながら愛国してきました。伝統を踏んで行くべき統一の群れたちが自分の姿勢と立場を忘れて、行く道を知らなければ、亡国の種になるのです。亡国の種。私の目の前に倒れる者が現れると見るのです。
ここの政党の党首をやってみようという人たち、自分の党だと思っているでしょう。大韓民国が自分のものだと思っているでしょう。先生が韓国統一に協助しなかったらと考えてください。ガラガラとなります。
それで統班撃破です。分かりましたか。皆さん、統班撃破です。この郷里のためにやれば、すべて氏族の名前で統班撃破ができるでしょうか、できないでしょうか。きれいにできるでしょう。このサタン世界など問題ありません。統班撃破という言葉が、これがそのことです。
先生の一代に解放をもたらし、自由天地を見つめ、この三年路程において、将来の南北統一の運勢を駆り立てて、鉄槌を打ち込まなければなりません。そうするには四千万民族をすべて抱かなければならないので、私たちはあの頂上の政党の責任者になろうとはしません。彼らの母になり、父になって、兄になり、姉となり、弟になろうという戦略戦術法が今日の統班撃破運動であることを知るべきです。そのために神様のような心をもたなければなりません。
この三年の間に天は捨て、地だけを見つめなさいというのです。地獄の底まで行こうとし、先生がしなさいと言うとおりに統班撃破をやって、各家庭を神様の愛に感動させなければなりません。各家庭にふさがっているのは何ですか。責任分担でふさがっています。この壁を崩さなければなりません。蕩減復帰の壁でふさがっているので、これを崩さなければなりません。血統転換をしなければなりません。すべてこれを切って、接ぎ木しなければなりません。このように挙国的に動かなければなりません。
私の手にかかっているのです。できない者たちはみな首を切ってしまおうと思います。ですから統班撃破が必要です。それが主人になる道です。そうでなければ僕にもなれません。金日成をつかまえることがそれで、国を生かすことがそれです。最近、共産党の輩たちがみな地方で活動していますが、地方は私の手で主管しなければなりません。大学教授が有名でも大学教授をもってしてはできません。
ですから、あなた方がしっかりしなければなりません。大韓民国のどの愛国者よりも先頭に立たなければならないし、北韓のどの愛国者よりも先頭に立たなければなりません。これから統班撃破の組織をやるようになれば、金日成は行ってしまうのです。そうじゃありませんか。労働者と農民の組織が統、班ではありませんか。貧しい人々です。それで今まで先生が、「中央にお金を使うな! 統、班に使え!」と言ったのです。このようにやれば、大統領をやったとしても反対されません。分かりましたか。
復帰とは何ですか。どこに帰らなければならないのでしょうか。文総裁が天下にいくら高い地位に上がったとしても、循環する一番下は家庭です。統班撃破です。統班撃破とは何でしょうか。サタン世界のすべての家庭に対して根源的に、血統的に、文化的に、生活的に浸透する、これをみなひっくり返さなければなりません。それで撃破という言葉が出てきたのです。
統班撃破とともに復興会をしなければなりません。そうすれば縦的基盤がつくられるのです。これは横的です。それでこれが家庭において、ちょうど九〇度になり、「私の母と父は、真の母、真の父であり、私の息子、娘は真の息子、娘だ」と言うことのできる家庭の喚声が、この地上にわき上がるとき、地上世界のサタン圏は終わりを迎えるのです。家庭で出発したので、家庭でひっくり返さなければなりません。統班撃破はサタン世界の家庭を転覆するためのものです。サタン世界の血統を転覆させて、意識的なすべての内容をみな消化させるためのものです。これが最後です。
私たちがやろうと言うのが、統班撃破です。家庭で堕落して、世界的に繁殖したのを文総裁が逆に上がってきて、家庭を取り戻すことのできる基盤をみな築いたので、韓国のすべての家庭を訪問して今まで根を下ろしているサタン側的すべての愛の因縁をひっくり返そうというのです。「撃破」です。ここには闘争の概念があります。「撃破」という言葉は何かと言えば、悪魔を跡形もなく焼き尽くしてしまおうというのです。これをひっくり返さなければなりません。そうして新しい家庭として神様を迎えるようになるとき、ここから統一は自動的に始まるのです。
今日、ソウルを中心として、文総裁が提示する統班撃破は、家庭基準において真の父母の息子、娘をつくるためのものです。家庭で真の父母の愛に代わることのできる夫婦をつくり、神様が見たかった、神様の愛の中で成されるべきおじいさん、おばあさん、お父さん、お母さん、妻と夫、子女の基準を中心として一族、一国、一世界を失ったのを再現させなければなりません。そうして世界万民を私の息子、娘として抱き、愛することのできる世界になったと宣布してこそ、地上に解放圏が始まるのです。そうすることによって悪なる世界、暗黒の世界は退き、新しい光明の世界が来るのです。この門を開けようとするので、天は文総裁に世界の迫害の過程、国家の迫害の過程を通過させたのです。ここの大統領たちがみな私の世話になりませんでしたか。反対していた彼らが自然屈服するのです。
私たちは統班撃破をしなければなりません。神様の歴史的願いを成就しなければなりません。家庭で誤ったことを家庭からひっくり返さなければなりません。天の国は国を通して出てきます。出てくるのは真の男性と真の女性を通して出てきます。サタン世界の反対の家庭から出てくるのです。ですから、統一教会はすべて世の中と反対です。真の父母という言葉も反対です。
それでは今までの父母は何ですか。真の父母と反対ではありませんか。自分を生んだ父母は偽りの父母だということではありませんか。その言葉が神様の側では合っています。またサタンの側でも合っているのです。ですから真の父母を強調すれば、サタンは退くのです。なぜですか。神様が重要視するので、サタンは退いていくというのです。ひっくり返すのです。
生命の種を蒔けというのです。精誠の限り、精誠を込めて、掘りならして、精誠を尽くして蒔けというのです。十年、二十年たてば、必ずそれが私の枝となり、知らないうちに大きい巣を作って大きくなったもの自体が、天の国に行くことができるように実を結んで、あの世の高い、神様と近いところに行くことができるでしょう! アーメン。ですから統班撃破をしなければなりません。
なぜ統班撃破をしなければならないのでしょうか。復帰歴史は今まで堕落した世界からどこへ帰るのかといえば、真の父母の門を通して帰るのです。堕落の門へ出てきて繁殖したのが、すべて真の父母の門を通して、エデンから出発したのを中心として再び回って上がっていかなければなりません。回って上がっていくその主流とは誰かといえば、統一教会のメンバーです。回って上がる時には、ぼろのふろしき包みのようなものはいりません。サタンが汚したすべてのものをきれいに清算して水晶のように澄んでいなければなりません。蒸留水のようにきれいな真の愛の心と体をもって、この地上に顕現した天の国の王子、王女となる真の愛の後継者であると自信をもつことのできる人にならなければなりません。
「統班撃破」と言うとき、「撃破」という言葉は、戦闘で使う言葉です。それが何かと言えば、サタン世界のこのすべての習慣を抜いてしまおうというものです。取ってしまって、皆さんに従い、天の側的習慣をここで確立することによって、天上天国が愛を中心として完成するでしょう! アーメン。そのような精兵として、長男、長女として歴史時代に新しい黎明期を迎え、宣布するのに、出戦した精兵たちが統班撃破の勇士たちです。
二 勝敗の最後の砦は統、班
これから統班撃破をなぜしなければなりませんか。堕落は家庭でしました。班ではありません。分かりますか。統、班です。班の中で家庭です。家庭撃破。お母さん、お父さんが神様を絶対に信じなければならないし、神様がお母さん、お父さんを愛するように、息子、娘を愛さなければなりません。息子、娘、お母さん、お父さん、妻と夫が愛し、神様を愛する三大愛を中心として、連結された場に町内の親戚と国を愛さなければならないのです。ここから統一圏の方向が設定されるのです。分かりましたか。
今、標準は統班撃破です。これはイエス様を中心として見れば、一家、氏族的版図を中心として成就できなかったことを今日、私たち統一教会の教会員の家庭を中心として氏族的版図を完成することによって、世界的氏族圏の解放が四方から起こるのです。それが万国に統班解放圏を起こさせることのできる条件になると見るので、先生が今回、ここで命令し、誓いを受けたことを知らなければなりません。
一番重要なことは、私たちがどこで根を下ろさなければならないかということです。この根が下りるところは、道の組織体ではありません。道の下に郡があり、郡の下に面と里がありますが、それらはみなポンと浮いているので、ここはサタンが入ってきて、寓居することのできる土台が築かれているというのです。ですから統、班で根を下ろさなければなりません。これを原理的に知らなければなりません。これが統一教会が統、班を撃破する目標を単一目標にしなければならない原因となるのです。復帰の目標はただ一つなのです。人間が過去の時代や現在の時代や未来の時代を問わず、完成を目指す目標も一つです。個人完成から始まるのです。それと同じように、統一のために、統、班を中心として鉄壁のような基盤を築かなければなりません。
今、大韓民国が失敗する理由がどこにあるかと言えば、統、班組織を中心として国民教育をできないところにあります。すべて操縦して郡まで行けなかったのです。道で行ったり来たりして、行政部で組織をつくって、国庫だけ消耗して、すべて飛んでいってしまったというのです。それではいけません。統、班長を中心としてすべてのものを投入して、ここで成功しなければなりません。それで家庭を保護しなければなりません。家庭を保護しなければなりません。国を救うためには、細胞を保護し、細胞繁殖をしなければなりません。細胞自体が思想武装をして、私たちが大きくなって、隣近所に「一つにならなければならない」と言って、互いに一つになろうとする、これが大きいのです。そうして結束しなければなりません。
私たちが統班撃破運動を展開しているのは、政治的目的ではなく、南北統一時代を迎え、思想と組織を強固にしようというのです。共産党は組織で動く集団なので、それに匹敵する私たちの立場を準備しようというのです。
今が重要な最後の峠です。先生が一生の間祈祷してきたのは、面、洞を中心として統、班を占領することです。そうしてこそサタン世界を完全に占領するというのです。いかなる大きい機関でもなく、中央庁でもなく、いかなる都市でもなく、占領するのは、洞を中心として統と班、面を中心として、統、班を占領しようというのです。そうすればそこには、みな入るのです。どんな素晴らしい人も出来の悪い人も、その国の最高の人物たちから最低の人、階級を超越してみな入っているというのです。ですから教区長とか支部長たちも、これからの活動基準がどこにあるかといえば、道ではありません。統、班長にあります。洞を中心として、統、班長が活動舞台だというのです。
大韓民国は、今まで各政権が、統、班長を中心とした自分たちの政治的方向だとか、ある教育をすることができなかったというのです。民族的教育ができなかったのです。思想教育ができなかったのです。各道知事を集めたり、郡守たちを集めたり、班で一人ずつ集めたりはしたでしょう。しかし、思想教育の主人が統、班長にならなかったのです。ですから根がありません。根を下ろすことができなかったのです。根を張ることができなかったのです。浮き草と同じです。
初めは統・班長撃破問題、その次は面撃破問題、里まで、そうしておけば、完全に組織化できるでしょう。
統を中心として班の消化にどのように火をつけるかと言えば、問題はもう生死を決定することなのです。すべて家が問題です。選挙の時に動かすのは何ですか。どこかの都市、市長を中心としては駄目なのです。郡守を中心としては動かないのです。問題は何かと言えば、統、班長を中心として班を動かす組織です。
統・班長を中心として消化するのが難しいですか、易しいですか。この組織編成をすれば易しいでしょうか、難しいでしょうか。ですから自信をもってください。それは誰でも幼子でも問題ないと考えるのです。事実、問題ではないでしょう。統・班長さえさっと配置しておけば、それは長くかからないのです。
皆さんが一線で闘う先生のような立場には及ばないとしても、統、班を中心として涙の峠を越えて定着しなければなりません。
堕落した運命、ゆがんだこの悲哀の運命を打開しなければなりません。そうしなければ天が協助しません。天がここに働きません。天が離れます。天が離れるのです。
皆さんがこの運動をするのに、靴が何足すり切れてもやりなさいというのです。統・班長を訪ねるには自動車ではいけないのです。歩いて行かなければなりません。靴を何足も捨ててでも歩いて回りなさいというのです。汗を流しながら一日に三回、四回ノックしてみなさい。皆さんのほとんどが一度しかノックできなかったのではありませんか。一日にも統、班に講義をしに何回か行けば、汗に濡れますが、そうすればお風呂に入らなければならないでしょう。そうやってみなさいというのです。天が役事してくださるか、役事してくださらないか。火がついて出ていくか、消えて出ていくかやってみろというのです。先生の言葉がうそか本当がやってみなさい。
先生を中心として、皆さんは出ていって統、班を撃破する砦となって、同じ輝きを発しなければなりません。大きくはできなくとも、同じ光を発しなさいというのです。青い光を発しなければならないところで、赤い光を発してもいいでしょうか。そこで黄色い光を発してもいけません。同じ光を発しなければなりません。
先生が提示したすべての焦点は確実です。統・班長、南韓にいる統・班長を撃破するのです。
皆さん、統一教会の教会員たちは、みな班長になるか統長になる立場に立ってこそ天の前に記憶される群れとなるでしょう。
私たちの目標は簡単でしょう。私たちは、どんなことがあっても、泣いたりわめいたりしてでも、統・班長を一つにしなければなりません。統、班にみな配置されるのです。それは大学の学生もするのです。
私たちが家庭をしっかりつかんでおけばいいのです。すべてが家庭の中にしばられた人たちではありませんか。家庭さえつかめば、国会議員も捕まえられ、長、次官もみな捕まえられ、青瓦台の大統領も捕まえられるというのです。みんな統・班長をやれというのです。そうではないですか。国会議員と国家の重要な為政者たち、閣僚たちと軍隊の幕僚たちまでも完全に統・班長運動に動くようになれば、すべて終わるのです。闘いなく私たちはつくることができます。何のことか分かりますか。
私たちは政治が問題ではありません。私たちがやろうというのは、国を取り戻そうというのです。統、班をつかもうというのです。統、班をつかめば、国は自動的に解決されるのです。
これから私たちがやるべきことは何ですか。北韓の組織というのは、統班撃破ができません。北韓がいくら地下工作しても統、班まで追い出して、撃破運動を消化できません。点の組織、線の組織は行政によって組織しますが、統班撃破はできません。統班撃破さえやればみな掛かってきます。すべて倒れます。点の組織も引っ掛かり、線の組織も引っ掛かり、体制がみな引っ掛かります。
この北韓でできないことを私たちがやるのです。共産党が下りてきたときは、これをさっとやって、頭を下げればいいのです。南韓の四千万がふろしきを持ってみな入り、ヤコブがエサウを屈服させたのと同じです。二十一年の間蓄えたすべての財産をもっていって、「これはお兄さんのものです」と言って、まるごとあげてしまえば、北韓は完全に屈服するのです。
これから国民連合を中心としてやるべきこととは何でしょうか。統班撃破運動だけが残っています。この統班撃破のために体制をつくるのです。中央の体制、道の体制、郡の体制、面の体制を定立させるのです。面を中心としてすべて動かすのです。統、班を中心として見れば、国の体制は大きい枠です。道の体制はその次の枠で、郡の体制はその間の枠で、面の体制はその次の枠です。班を中心として見れば、統はその次の枠なのです。復帰は個人復帰から家庭復帰、氏族復帰、民族復帰、国家復帰、世界復帰、このように進みます。そのように私たちが、体制的に見るときに、国家も国民連合のようにすべて国家組織があります。道の組織があり、その次には郡の組織があり、面、里(統)班の組織があるのです。これが現在の韓国の国家組織体制です。それでは班は何を代表しますか。もちろん統を代表しますが、二重目的があります。直接の目的は班のためのもので、全体目的は国のためのものです。統と班がみな一つになるのは、国を一つにすることです。私たち人体の構造と同じ組織体制をもっています。
初めに組織、二番目に団結、三番目に行動が必要です。これが私たちの韓国を中心に世界を動かすための三大要素です。徹底した組織圏内に立つことによって、四方八方への連絡を一〇〇パーセントしなさい。そして中心使命を果たすために、先頭に立って、このような基準をつくらなければなりません。自分の位置、組織圏内の自分の位置を決定しなければなりません。位置がなければ、座るところがありません。位置を決定してこそ仕事ができるのです。努力次第で、その位置がどのように大きくなるのかということが分かります。位置決定は組織力を強化していく上で、重要なものです。
三 南北統一方案も統班撃破運動
韓国において何をしなければならないのかと言えば、長子権を復帰しなければなりません。大韓民国の人々は、「文総裁を中心として南北統一へと前進しなければならない」とこのようなイメージができあがっているのです。大統領も南北統一をするのには協助するようになっているのであって、反対するようにはなっていません。そのような意味でカインとアベルを中心として見るとき、これからは私の言うことを聞かなければなりません。さらに三派閥が生じるので、私たちが統班撃破をして、操縦さえきっちりやる日には、昼寝ばかりしていても、かかとをつかんで「おお、主よ! 助け給え」と言うようになるのです。先生は知恵の王ではありませんか。どうすればこのようにぴったり合うようにして、悪口を言われても滅びないで、素晴らしく生き残るのかというのです。
統班撃破をやるのです。地下に隠れていたスパイを私の手でみな探し出して、爆破してしまうのです。赤を追放するのです。毎日のように夜、北韓と連絡するのを探し出すのです。これからだんだん深く入るでしょう。金日成のいかなる特攻隊よりも熱烈な忠臣の精気を込めて統班撃破の組織を完成するのです。そのようになれば、金日成が死ぬとか問題が起こるのです。統一教会の組織編成完了のときまで、金日成が死んではいけません。何のことか分かりますか。
南北統一のためにお昼を一食抜いてみたことがありますか。きょう、ここに何をしに来ましたか。統班撃破です。「南北総選挙をしよう」と言うとき、我が国は何もできないままやられてしまいます。どういう時が来るか分かりますか。それを知らなければなりません。
では、そのように歩む先生が韓国に来て、「遊んで食べろ」と言わなければなりませんか。どのようにしなければなりませんか。韓国人が仕事ができなければ、追い出さなければなりません。今度の七月には、統一教会のメンバーはみな四十日間伝道しなければなりません。一九五六年から伝統的に、永遠に開拓精神を受け継ぐための修練期間として、設定しておいた期間です。最近、毎年これをやっていますか。今回は三十八度線の国境地帯にみな配置して、毎日のように聖歌のラッパを吹かせて、スピーカーを通して北韓の平壌まで聞こえるようにしなければなりません。こうして共産主義は滅びたということをすべて訴えなければなりません。そのような材料がたくさんあるではないですか。みな根こそぎにやらなければなりません。統班撃破の責任者になっていないので、これを鑑定するその鑑定部隊に派遣するでしょう! 「アーメン」と、大きい声で言わなければいけません。派遣するでしょう! 「アーメン!」。
統一教会は統班撃破をするでしょう。復帰歴史を出発して、サタンが先に浸透してきた個人基盤、家庭基盤、氏族、民族、国家、世界まで行って、アメリカを越え、共産党を越えて、回って帰ってくるのです。韓国に回って帰ってくるのです。韓国に回って帰ってくるのに、韓国という国が私に反対したでしょう。今、国はお粥を炊いているのです。みな互いに自分が大統領になろうとしているのです。
そうやって争っていなさいというのです。私は天理の道を、天運を受けて一周回ってきて、抱いていこうというのです。こうして回って帰ってくるのです。そうして国民を失いつつあるので、統一教会の文先生が国民をみな収拾するのです。
イスラエル民族が、カナン福地に復帰するために、エジプトを出ていくとき、自分の一族に何度も行って、「私たちが行くべき道を行かなければならない」と言いました。「サタン世界を解放しなければならない」と言いました。今は、その時代に入ったので、人を解放しなければなりません。私たちがその伝統を立てなければなりません。
一軒でも逃してはなりません。今はそのような時です。先生が「統班撃破」という言葉を、それで言ったのです。疲れを知らず、その日が満ちるまで、昼も夜も一軒でも自分の歩みが通過しなければなりません。東西に行き、南北を経て、円形に通過しなければなりません。ですから三回は、行かなければならないというのです。みな三回以上訪ねて行きなさいというのです。今、帰って何をしなければならないですか。統班撃破を北韓よりももっと熱心にやらなければなりません。そうしてこそ根を引き抜くのです。
全大協キリスト教農民会、カトリック農民会が、デモをしようとどれほど一生懸命ですか。皆さんは統班撃破をそれ以上にやりますか。それ以上やらなければなりません。
この大韓民国の一番悲惨な家庭の底を通してふろしきに包んで、これを引き上げて南北統一をしなければならないというのです。統一はどこからですか。頂上会談、大統領と金日成が頂上会談をやってできるのではありません。それで統班撃破です。統班撃破という言葉は、統、班を破壊せよという言葉です。その統、班というのは、自分たちのための統、班です。お母さんもお父さんも自分のために生き、夫も子供もみな自分のために生きる世界です。サタンが身を潜めているので、それを撃破しなければなりません。
私の国を統一しなければならないのではありませんか。それで私たちは今、南北統一のための選挙の準備をしているのです。それで統班撃破をしなければなりません。国を取り戻して世界を復帰しなければなりません。どこからしなければならないかと言えば、韓国を中心としてしなければなりません。先生が一番初めに、昔は景武台(青瓦台の旧称)を通して、梨花女子大学、延世大学のような頂上から始めました。ところが頂上でできなかったので、下りてくるのです。頂上をつかめなければ、一番下をつかまなければなりません。サタンはそれを知っています。一番上で定着できなかったので、着地のために一番下に下りてくるということを知っているので、サタンが下りてこれないように打つのです。それで党の話が出てきたのです。
統班撃破を中心として着地時代が回ってきたので、これからは私が故郷を訪ねていくのです。私の兄は八・一五に解放されることをみな知っていました。その兄が私の言うことに絶対に従うのです。その兄と母と父に原理のみ言を一言も伝えることができませんでした。皆さんを私の母と父よりも愛しました。何のことか分かりますか。一生をすべて統一教会のために尽くし、血と涙の事情を経て、埋めていくのです。個人を埋め、家庭を埋め、氏族を埋め、民族を埋め、国家を埋め、世界を埋めていくのです。埋めなければサタンが離れないのです。それで私がアメリカへ行って、千辛万苦の受難の道を歩んだのです。そしてソ連を救うために準備しているのです。今はすべて成したので、故郷に帰ってきて統班撃破をするのです。
統班撃破をするのに、これから皆さんが十二族を吸収せよというのです。洞に行って十二の統を消化し、統に行っては十二の班を収拾せよというのです。十二段階です。今はもう、市、郡、区、ほとんどが私たちと和していませんか。機関長でも誰でも、文総裁を尊敬しない人がいないでしょう。皆さんもみな尊敬されているでしょう。有志になったでしょう。有志ですが、びりの有志ですか、中心の有志ですか。共産党に対して闘える人々が私たちしかいないではありませんか。中心有志になっています。
統班撃破をすることによって、南韓に浸透したスパイは自動的に摘発されるのです。そうでしょう。一周転がせば、スカートの下に隠れていたのが、みな現れるのです。
反対され、疲れ切ったこの乞食の群れのような統一教会のメンバーたちを集めて、挙国的な面で共産党に対峙することのできる価値観をもって、理論的設定の基盤に立って、共産党が攻撃するのを方々から防ぐことのできる準備を私一人でやってきたのです。それで統班撃破を五年の間主張してきました。しかし皆さんの中に実際にその価値を知り、その時を知り、それを実際に責任化して、私の体と心で盾となって防ごうと努力した人が誰がいますか。文総裁一人しかいません。
これから統一教会がアベルの立場で南北統一に備えることのできる準備をしなければなりませんが、今までは統一教会が自体整備の着地ができませんでした。統班撃破とは何でしょうか。南韓の地の家庭を中心としてひっくり返さなければならないのです。なぜですか。出発が家庭なので、家庭的基準で思想を転換しておかなければならないのです。ところが、そのような環境的与件を訪ねていこうとする神様の前にサタン側の外的世界は躍起になって反対したのです。今までの政治風土は自由党の時から共和党、民政党と、ずっと統一教会が組織して地方へ下りていくのを反対しました。定着するのを反対したのです。
今まで五年の間、統班撃破を何のためにしようとしましたか。一つの時を迎えるためにです。時は今しかありません。金日成がこれから行くところがどこにありますか。ですから米軍を撤収しなくても選挙しようと出てきます。そうすればすべて終わります。南韓のどこに代案がありますか。それを防御するための基盤を築いていますか。二者が争ってばかりで、大便をしてまごつき、下痢をし、はらわたに穴があいているのに、薬がないではありませんか。こんなものは雪かきのようなもので押して片づけなければなりません。そのようにできるように教育しなければなりません。そうでなければ、私たちについてきますか。それしか道がありません。これからカインとアベルが一つにならずしては行く道がありません。今、はっきり分かったでしょう。
文総裁はいろいろ悪口を言われてきましたが、滅びないで希望的立場で統班撃破、家庭をつかまえて、世界のすべての家庭をこのようなモデルにつくろうとしています。その場に行くときは、悪魔は接近もできず、跡形もありません。金日成がどこにいますか。地下運動をする共産主義者がどこにいますか。きれいになります。
これから十年の間は統班撃破をしなければなりません。統班撃破とは何かと言えば、南北を中心として、家庭を占領することです。神様が今まで歴史を通じて天の下に恩賜を施しておいたのです。そうしては、実が実ることを願っていたのですが、そのようにできませんでした。もちろん宗教圏を中心としてこれを撒くことによって、その恵沢を全世界に広げておきましたが、今はこれらを刈り入れる時が来ました。
私たちがやる統班撃破とは何でしょうか。南北を統一して、神様の名前で、真の父母の名前で万国の勝利の版図を中心として大韓民国を全人類の祖国光復として神様の前に捧げなければならないのです。ここには民族と共産が一つになっています。真の父母と偽りの父母を中心として見るとき、神様の前に互いに怨讐ではありません。金日成が死んではいけません。今、金日成と私たちの側が会っています。安企部でもそれを知りません。反共法に私が抵触するでしょうが。私がそのようなことをたくさんやってきました。日本にもそうだし、アメリカにもそうだし、ソ連にもそうだし、すべて投入してきたのです。
南韓においての共産党の基地をすべて……。統班撃破、分かりますか。潮水は初めにどこへ行かなければなりませんか。洞役場に行ってはいけません。家庭に入らなければなりません。家庭を埋め、その次に統を埋め、次に洞を埋め、郡を埋め、ソウルがいっぱいになり、大韓民国がいっぱいになってこそ青瓦台を埋めるのです。そして最後に、死ぬとしても大統領があとで死ななければなりません。大統領が先に死んで、自分は生きようという輩は乞食たちです。半分泥棒です。大統領になったら、尊敬し、仕えなければなりません。
北韓一千万の五道民を収拾して、教会と連結し、南韓四千万を中心として先生の言うことを聞けば、南北間のキリスト教統一と国民統一が可能です。
ですから統班撃破を急ぐ意味は、南北のための統一のために進む近道の方案であることを知らなければなりません。この道でなければできないのです。
さあ、統班撃破さえきっちりやっておけば、金日成が何かできるでしょうか。先生が神様の前に「共産党は私の手で処理します!」と言ったのですが、すべて処理しました。最後に残ったのは金日成ですが、もう南侵戦争を通じてもできないようになっています。金日成が生きることのできる道は、選挙することしかないのです。選挙して、落選したからといってみんなを捕まえて殺すでしょうか。生き残るにはその道しかないというのです。そのようなことを積極的に推進しなければなりません。
もう最後です。一九九二年まで一度期待してみるのです。これから統班撃破をやりなさいというのです。先生を中心としてみな三位基台を結んだでしょう。洞、統、面を中心として配置した人が三位基台です。先生を中心としては四位基台です。長がいないのです。統、班です。洞、面基準が私たちの活動舞台なのです。国がどこにありますか。国を中心として考えていたら、国が滅びます。何のことか分かりますか。道が滅びれば滅びます。郡が滅びれば滅びます。一番安全地帯に出ていけるのが、洞、面です。もし北韓が占領するとしたら、どこを占領するでしょうか。面を占領しますか、洞を占領しますか。洞を占領してどうするか、統、班を占領してどうしますか。中央庁を占領しなければ、道を占領して郡を占領するのであって、面は行きもしません。そうじゃありませんか。昔、金日成の輩が面に来て闘いましたか。面は経もせずにみな占領しませんでしたか。安全地帯です。
四 統班撃破は家庭を中心にしなければ
協会長を通じて十二の地区にビデオ・テープを作って、真の父母宣布大会をみな部落までしなければなりません。なぜそうかと言えば、蕩減復帰は家庭が基盤です。洞ではありません。洞が家庭ではありません。家庭で出発して氏族、民族、このようになっているので、氏族的復帰の土台というのは、家庭を連合したものです。ですから統班撃破というのが、世界的すべての運勢を国家の運勢に、国家の運勢を氏族の運勢に、氏族の運勢を家庭の運勢に、家庭の運勢を個人の運勢につないでいくのです。
統班撃破というのがどこですか。家庭基盤です。それをやらなければいけません。家庭基盤が大韓民国で一番貴い新芽が出てくるところではありませんか。息子、娘。そうではありませんか。国の芽がそこから出てくるのです。天の国の芽が芽生えなければならないというのです。そこから息子、娘が出てくるでしょう。息子、娘は天の国の民ではありませんか。天国の国民の出生地、生産地は、地球星しかありません。ほかの星の国に人がいるのではありません。
この間、選挙のとき、私たち統一教会の人の中にも「選挙に出馬したら」と言うのを、「この者たち、何だ!」と怒鳴りました。選挙に出馬していたらどうなるところでしたか。共和党でも数名推薦してほしいと通報が来ました。政治をもって収拾するのではありません。家の中からするのです。救いの摂理は上から出発するのではありません。家庭から出発しなければなりません。三千万の精誠と熱意がすべての家庭に着陸しなければなりません。それで統班撃破をしなければならないというのです。洞、面が統、里へと下りていかなければならないし、統、里が班へと下りていかなければなりません。ですから、私たち統一教会のすべての活動基地は、それぞれの家なのです。そこに種を植えて、お母さんとお父さんの愛以上の愛を芽生えさせ、そこで未来の自分以上の父母たちの心情をもった後孫たちを中心として新芽を芽生えさせ、神様の心情とともに家庭圏の上に植えなければなりません。
これから私たちがやるべきことが統班撃破であるだけに、家に帰らなければなりません。アダム、エバが男、女から出発して、息子、娘から汚したのでそれを収拾するためには家庭に帰らなければなりません。自分の一族と親戚の家を訪ねて血と汗と涙で掃除しなければなりません。水で掃除するのではありません。血と汗と涙をもって洗わなければならないようになっているので、その家庭に入って血と汗と涙を流さずしては復帰ができないのです。その道を先生が行かなければならないのです。
統班撃破です。統班とは何ですか。神様が会いたかった父に出会うところです。家庭に帰ろうというのです。神様が会いたかったお母さん、お父さんをつくろうというのです。神様が会いたかった息子、娘をつくろうというのです。神様が会いたかったおじさん、おばさんをつくろうというのです。これが文総裁の願いであり、神様の願いです。誰の願いですか。天地を創造した大主宰の願いです。誰が本当にその方の願いの成就の、このことを引き受けて手をつけるでしょうか。皆さんの家の中において、皆さんは神様が会いたがる父母になっていますか。これが問題です。統班撃破というのは過ぎ去る言葉ではありません。アダム、エバが家庭で神様が会いたがる真の母、真の父になれなかったのが神様の恨です。真の息子、娘になれなかったのが恨であり、真の夫婦になれなかったのが恨であり、真の孫になれなかったのが恨です。どこでですか。家庭で。ですから私の家庭でこの恨を解いてあげなければなりません。その恨を解いてあげてこそ天地に解放が始まるのです。
今、何をすべきかといえば、統班撃破です。統班撃破。神様が家庭を失ってしまったので、この天地間にすべての本郷的天の国の基地になることができるところが韓国だと言うとき、文総裁が生まれた本郷の国が韓国だと言うとき、韓国の故郷に帰って、家庭において神様が訪ねたいおじいさん、おばあさん、お母さん、お父さん、夫婦、子女を抱いて天地の大脈を開けることのできる一つの起源地となる、一つの葉となり、枝になることのできる家庭を成すことが、全天地の願いであり、創造主の願いであることを知ったので、家庭で失ってしまったものを家庭で取り戻し、新たに植えてあげなければならないので、統班撃破ということを五年前から主唱してきたのです。これがすべて終われば、将来誰が大統領をやっても心配ありません。私たちが思いどおりにできる時が来るのです。
南北韓を解放する近道が統班撃破です。北韓に自分のお母さん、お父さん、自分のいとこ、あるいは親戚がいれば、その人に会うとき、抱き締めて泣くように、これから各家庭を訪ねていって、心情的に涙を流すことができなければなりません。このような心情的因縁が神様と共に同伴することのできる環境が成されるときは、私によってその家庭が、神様の訪ねたい愛らしい家庭として誕生するのです。そのような喜びの歓声とともに解放のその日が私の目前にやって来ることを知っているので、このようなことをやっているということを知り、今日ここに集まった皆さんは真の兄弟の因縁を経て、神様が探している愛の家庭形成を願う使者となって、神様の心情的通告者としての使命をしなければなりません。
そうすることのできる兄になり、姉になって、あるいはおじさん、おばさんとなって、お母さん、お父さん、おばあさん、おじいさんの代身者となって、その家庭を収拾し、神様をお迎えできる家庭の基盤をソウルから始めようというのが、今日、洞、統、班に責任をもって全力を尽くすことのできる、神様の代身者となる皆さんに下さったみ言です。万歳しましょう!
家庭とはどんなに貴いものでしょうか。家庭は国を代表したものであり、家庭は世界を代表したものです。
ですから三千里半島の多くのおじいさん、おばあさんたちを自分の家庭のおじいさん、おばあさんのように、神様が愛したいおばあさん、おじいさんのように愛し、私のお母さん、お父さんのような多くの人々を神様が愛したがるお母さん、お父さんのように愛し、私の妻のような多くの女性たちを神様が夫婦のように愛したがるように、神様の愛の代身者として愛し、私の息子、娘、私の兄弟のような多くの人々を神様が愛したがるように、愛さなければなりません。このような愛の理想を中心として、神様が訪ねたかったその心の基準をもって世界のために投入し、投入しなければなりません。
そのようにするとき、神様を代行することのできる息子の継承者となり、娘の継承者となり、その国と世界を建国する独立軍になるというのです。今、このような事実をはっきり知ったので、これから皆さんの家庭に帰り、家庭を覆さなければなりません。それが統班撃破です。家庭を取り戻さなければなりません。これが私たちの義務です。
統班撃破とは何でしょうか。家を訪ねていくものです。文総裁がいくら世界的勝利圏をみな備えたとしてもその贈り物をどこにもっていきますか。国ではありません。国にあげる前に、家庭から失ったので、家庭にもっていって植えてあげなければなりません。家庭に種を蒔かなければなりません。民族に蒔いてはいけません。ですから文総裁は統班撃破、家庭着地! 共産党の搾取という言葉ではありません(注:韓国語の着地と搾取の発音が似ている)。そのようにすることによって、そこから今まで亡国の種に行きつつあった、地獄に行こうとしていたのが、天上に帰ることのできる時代が来るのです。ここからサタン世界は文総裁によってみな遮断されてしまいました。そこで後ろを振り向く日には、自動的に南北統一ができるのです。完全にプラスの前に一つになるのです。霊界が動員され、掃いてしまうのです。
私が南韓にいてから北韓に入り、三年後に帰ってきたとき、以北で感じた習慣性を解消するために五年以上かかったことを覚えています。これを考えるとき、私たちがサタンの伝統的な歴史を通じて受け継いだ習慣性を解消するためには、どれほど痛烈に悔い改め、身もだえしなければならないかを知らなければなりません。その身もだえすることを自分自らするのではなく、公的な命令の戦争の場に入って、統班撃破路程でやれば、このことがどんなに短縮されるかということを知り、その道を自任して取っていく賢い息子、娘たちにならなければなりません。
統班撃破が問題です。ですから家庭から勝利しなければなりません。経済問題、政治問題、文化問題、宗教問題、思想問題、全体が家庭で解決されなければなりません。
先生が話した幸福の心という意味の会社をつくりました。七年間ずっと開発投資してつくったのですが、それが何かといえば、ホーム・チャーチ組織です。これは今に、統班撃破運動と連結して家庭を占領するでしょう。これを占領してしまえば、何でも可能なのです。大衆動員には、これ以上の基盤がないのです。
統一教会では今、一大激戦が起こっているのです。統班撃破! アダム・エバが家庭から失ったものを取り戻そうとするので、家庭に帰らなければなりません。家庭に帰って、一八〇度ひっくり返さなければなりません。一八〇度何ですか。覆すのです。
アダム・エバが家庭に根をおいたのが、悪なる家庭が生じることによって、悪なる氏族、悪なる民族、悪なる国家、悪なる世界まで広がったのです。それで根を再び植えなければならないのです。今日、この韓国においての統班撃破の論理がそれです。
今、何かといえば、統班撃破家庭着地です。それは先生が指示したことです。この者たち……。隣近所の選挙運動をしてどうしますか。この者たち。生死の境がかかった重要なことであり、天下を得るか失うかという闘いなのです。
国から、道から、郡から、面を経て、統班撃破をしていくのです。アダム・エバが偽ったので、偽ったのを元に戻さなければなりません。
皆さんに統班撃破を指示し、十四年前から家庭教会を指示したのです。五年前から統班撃破を話したのです。これは何かといえば、今日皆さんがする統班撃破を叫んだのです。根がどこまで下りなければなりませんか。家庭まで下ろさなければなりません。今日、この世の国は家庭まで行けませんでした。行ってみても、面までも行けませんでした。しかし私たち統一教会はどこまで行かなければなりませんか。班まで行かなければなりません。班まで。
これからは家庭を寄着地(注:経由地)として救国、国を救わなければなりません。その運動が統班撃破です。それで統、班に入れというのです。班常会をリードせよというのです。班常会を通じて家庭、家庭に私たちの根を下ろさなければなりません。
家庭の平和の基地をつくるための運動を私が強調しました。これらもそのように教育しなければなりません。統班撃破の班常会を通して、おじいさん、おばあさんを神様のごとく侍るように教育し、お母さん、お父さんを王のごとく侍るように教育し、若い人たちは王子、王女の立場だと教育しなければなりません。そのような思想さえ入れれば、サタン世界のどこに行くところがあるでしょうか。そうすれば天国と直通するのです。
復帰摂理は家庭に帰らなければなりません。家庭まで帰らなければなりません。氏族をもってしても駄目です。家庭まで帰らなければなりません。アダム・エバが家庭で堕落しました。
アダム・エバを中心として息子、娘が出てくるところが家庭なので、家庭に下りていかなければいけないのです。そうでなければ、帰ってくることができないのです。
五 統班撃破活動の組織拡大
一) 社会の人物を中心に組織拡大
私たちは今度完全に統班撃破をするのです。反対する人たちを訪ねていって、どうしても悔い改めさせ、私たちの側に引いて来なければなりません。これを選挙運動をする以上の運動だと知ってやりなさい。分かりましたか。決戦時代に入るのです。
今度アメリカ研修に行って来た人たちの知り合いとか、ここに同意する人、あるいは団体の誰々がいれば、大会に参席させて、私たちが面に三人ずつ派遣するのに、私たち食口以外にそこで推薦してくれる人二人を配置してもかまいません。このように三人ずつ配置しても人が余れば、四人ずつ配置するのです。そのときは、私たち食口一人に推薦された人三人がそこに加担するのです。
それは三人だけの単位ではありません。多ければ多いほどその基準を中心としてもっと早く統班撃破が可能だし、面洞撃破が可能だというのです。それで早く組織が編成されれば、そこで他の統を協助してあげるのです。そうすれば面だとか洞を中心として自分の基盤を完成して、周辺の洞、面を協助することのできる責任者になるのです。そのような責任に実績をもった人は、いくつかの面、いくつかの洞の中で、中心人物になるのです。
大韓民国で今まで出したものが何かありますか。政治家たちが、文総裁を家庭の基盤まで下りていけないようにしたのです。それがもう何年ですか。統班撃破を始めてから五年になるではありませんか。六年目です。家庭をひっくり返さなければなりません。そうしてこそ国が蘇生するのです。面ではなく、郡でもありません。皆さんのように実力のある人たちが、みな家庭に組み込まれていなければなりません。
将来、能力がなくなれば、教会もやめて、支局長でもやるとか、メッコール販売でもしなさいというのです。これからは私がそのように手をつけようと思います。一九九二年さえ過ぎれば、さっと整理するでしょう。分かりましたか。そのときは、教会の責任者たちが一年に約八百名ぐらい出るでしょう。成和大学を卒業する人たちが、五百名以上は出るのです。その人たちをどうしますか。皆さんの郡の東西南北に配置するのです。これをサタンたちができないように妨害したので、できなかったのであって、そうしなかったなら既にできていたはずです。十八年の歳月が流れてしまいました。統班撃破を完了しても余りあったでしょう。そのようになっていたなら、大韓民国は心配しなくてもいいのです。このだらしのない者たち、みな首を切ってしまったことでしょう。
私たちが活用しなければならない人たちは、アメリカやソ連に行って来た人たちです。その人たちが多いのです。この人たちをどうやって核心的な要所要所に配置するかということが問題です。この人たちをみな糾合して、統班撃破のための統長をやらせ、班長をやらせなければなりません。家はみなあるじゃないですか。みんな統長、里長、班長をやらせなければなりません。
次に選挙するときには、私の手を経なければならないでしょう。これからどうなりますか。私は党はつくりません。党にいるがらくたは私が首を切ってしまわなければならないというのです。統班撃破をして、国を蝕み、不信の風潮を起こす、このような邪悪な群れは、私の手で南北統一を中心として切ってしまうでしょう。
それと同じように「国が求める人はこのような人だ」と言うとき、そこにふさわしい私が後援するでしょうし、ここについて争い、頭で口先だけのことをいう人たちは、きれいさっぱり掃いてしまわなければなりません。しなければなりませんか、してはなりませんか。国らしい国を見て、生きなければならず、国を守ることのできる国会議員らしい国会議員を見て、死ななければなりません。
ですから金日成が自分勝手にできません。それで近いうちに統班撃破着地運動を中心としてつないでいかなければなりません。さっき、何人ずつやろうと言いましたか。帰ったらすぐに、十二人をつかめというのです。つかんだその十二人がまた十二人をつかんで、これさえやれば、七千三万の里がみな私たちの懐に敷かれるのです。
団体を大きくつくれば、被害が大きいです。「統一教会は何でもない」と言うので、無事でした。何のことか分かりますか。アメリカに連れていって教育した人たちは上中下が連結されていないので、これを今回の大会を中心としてつなごうとするのです。そうなれば、統班撃破は問題ではありません。それを知らなければなりません。
皆さんが父母として侍るならば、愛の起源が同じだし、生命の起源が同じだし、血統の起源が同じだということです。父母に似たという話でしょう。そう、北韓を思えば、歯ぎしりするほどいまいましく、みぞれが降る日が嫌なように、とても嫌でしょう。そのようなことを一緒に感じなければなりません。そのようなことを知って、統班撃破に総力を傾けなければなりません。今年の夏に私が帰ってきて、郡守(郡の長)でも何でも私が会おうと思います。将来、地方自治になれば、私の手を経ずしては、郡の議員、道の議員になれないというのです。
さあ、統班撃破運動をやりますか、やりませんか。何のためにですか。文総裁ではありません。皆さんが愛する息子、娘とお母さん、お父さんのために、南北が統一されるのが、皆さん自身の願いだけではありません。私の息子、娘の願いであり、私の妻の願いであり、私のお母さん、お父さんの願いです。このように共通の願いとなり、責任を各自がもっているので、この各自の責任を果たさないという人は、民族の反逆者になるのです。
そう、統班撃破をやるときには、文総裁が出してくれることを願いますか。皆さんがお金を出してやることを願いますか。お金をもらって、給料をもらってそのことをやるのが愛国者ですか。食事を抜き、寒くて、誰も分かってくれない道を歩みながら、愛そうとする人が愛国者ですか。答えてください。二番目でしょう。今はこれくらい分かったので、統班撃破を一生懸命やりなさいというのです。
私は日本の国会議員たちともたくさんかかわりをもっています。ここでもそうです。私と関係のある人がおよそ百八十人はいます。私がもし悪党だったら、既にみな焼いて食い、煮て食っていたことでしょう。私はそのすきにつけ込むのは嫌いです。
ある人は、「文総裁が統班撃破まで論じるのを見ると、座ったまま大韓民国を網でしっかり囲み、投網さえ引っ張れば、その中にいる魚を一度に丸ごと捕まえるのと同じように、取って食べようとしている。それで大統領でもなろうとしている」と言うのです。そうですか。(笑い)
毎日のように何ですか。路傍伝道! その次は何ですか。統班撃破運動! 近いうちに、六月までに終えなければなりません。みな洞、統、班に長たちを配置して、三泊四日の教育を早いうちに終えて、その次は第二次へと急がなければなりません。よくできる人たちは、将来いいでしょう。よくできない人たち、実績のない人たちは落ちるし、協会長、それを知らなければなりません。目標は百二十人です。氏族復帰、ですから近いうちに洞を中心として教会をつくるのです。三千六百個を早くつくらなければなりません。
統班撃破のための組織の体系化が急がれる問題です。
これからまず初めにしなければならないことは、教学統連を中心として大学基地撃破運動です。大学がどうやって国民連合を中心として一体となり、方向を保っていくのかということが問題です。そのように大学を中心として連結することを通して、その次には、対社会運動です。社会の有志たち、その地方なら地方の行政機関、あるいは政党の官吏たちを集めなければなりません。それで教授たちが地方の有志たちをつないで、その次に、学生たちは地方の青年たちをつないで、大会をするのです。主要都市で大会をしていきながら、統、班を撃破するのです。統班撃破だというのです。私たちの最後の闘いの激戦地は統、班です。統・班長強化完成、これが目標です。
統班撃破という言葉は、政党にしっかりしろと、国の政治をする人々にしっかりしろという言葉です。
言うことを聞かなければ、けんかもやったりしてみなさいというのです。「国を生かそうというのに、どうしてやりませんか」と言ってです。こうして将来、ここに逸する人は、首を切ってしまわなければなりません。何をもってですか。統班撃破の基盤をもって、これからはみな選挙運動です。何のことか分かりますか。
先生が多年間、統班撃破をしなければならないと言ってきたのは、この一時に使うためでした。そんな時が来ると見ていたのです。先生でもこのような準備をしていなかったらどうなっていたことでしょうか。どうなると思いますか。大変なことになると思うでしょう。大変なことになるところでした。そこに皆さんが選抜されて準備された代表だという意識をもって、「台風が吹いても、地震が起こっても火山が爆発しても、私は抜くことができない。鉄壁のような鉄槌だ」と言いながら出ていかなければなりません。そうすれば、霊界も協助し、国民の心も自然にそこに収拾されるだろうというのです。
二) 地域奉仕活動で組織拡大
まだ残りの闘いが残っています。今回先生が指示したことを知っていますか。統班撃破というものを知っていますか。一九八四年から始めて、満六年になります。統班撃破、これが最後のキーポイントです。これさえすべて果たす日には、政治をする人たちもお尻についてくるようになります。
これからは、私がやろうというとおりにやらなければなりません。民主主義はみな滅びました。民主主義をもってしては、世界を指導できません。今、私が新しい主義を主張するのです。天宙主義方式! 私が国家指導者の選出方法を提示しなければならない時が来るのです。
目的が何ですって。統班撃破です。完全に主導できるようにしなければなりません。
ですから、洞の責任者は洞長と肩を並べなければならないし、統長、班長と肩を並べることができるようにしなければなりません。これから以北の人を中心として、みなこのような組織もつくろうと思います。ソウルは特別にそうです。
ホーム・チャーチ組織をつくることによって、統班撃破が可能だし、将来消費者組合が可能だというのです。経済圏がここから……。私たち統一教会のメンバーは絶対に御飯に飢えることがありません。座って立ち上がったと思ったら、新聞も約二百部は一時間以内に配達でしょう……。
明け方寝ていたらもどかしく、空気も濁るし、これをやればどんなにいいでしょうか。お前たちはみな寝ていろ。こう言いながら夜の王者になって、さっさっと、密命を受けた勅使となって、視察に回ると思えば、どんなに気分がいいですか。
大韓民国は、今から選挙の準備のために統班撃破を推進していかなければなりません。統班撃破。復帰歴史は、家庭を通じて失ってしまったので、文総裁は、三千里半島に広がっている家庭を通じて上がっていくのです。国を通じて上がっていくのではありません。ある人々は「文総裁が大統領になろうとしてああしている」と言いますが、違います。
一つ私たちが約束しましょう。これは南北統一のための指導者会議でしょう。統一教会の文先生が今まで何をしたかといえば、縦的にだけ育ててきました。なぜですか。迫害がとても激しいので、今まで何と何があるのか分かりませんでした。今はみなそれは過ぎ去りました。これからは横的につないで、統班撃破、面と洞を中心として結束運動をしなければなりません。
先生が五年前から何を強調してきましたか。統班撃破とは何ですか。私もみな忘れてしまいました。統班、分かるでしょう。洞の場まで今回の古稀を通じて完全に全国三千六百の洞で大会をしました。
これからやるべきことは、ここに十倍、十五倍、三万六千ないし五万の統、三万五千から五万の統をすべて教育しなければなりません。統を教育するのです。その次は三十一万です。三十一万の班を教育しなければなりません。
三) 教育強化で組織拡大
統班撃破をしなければなりません。家庭から始めます。初めはただ歯をむき出して大声でほえていた犬たちが、しっぽを振りながらうれしく迎えることができるように、出入りしなければなりません。故郷で閉まった門を開けるためには、犬が案内役をしなければなりません。夜に行っても昼に行っても、私が行くべき道を行かなければなりません。千の道、万の道、足に豆ができるほど走れ、走れと言って、統班撃破をしなさいというのです。
大都市の復興会と具体的組織拡充、組織をつくらなければなりません。統班撃破をやって組織をつくらなければなりません。
統班撃破、分かりましたか。自分の村に、一つの宗氏が一班と見れば、百軒なら何班になりますか。班まで下りていってこそ、李氏なら李氏、朴氏なら朴氏、といってその村全体を動かすではありませんか。家庭で蒔き間違えて、すべて滅んだので、家庭で刈り入れ、栄えることのできる天の国の家庭をつくっておかなければなりません。そのためには、運命をかけて、最後の是非の決定をつけなければなりません。
教育は長くする必要はありません。一週間ずつ教育すれば、みな終わるのです。統、班を中心として一週間ずつ教育しさえすれば、すべて終わるのです。それが可能になるためには、どうするのでしょうか。洞、統、班の要員さえ四十日修練を受けさせればいいのです。そうしたのち、その人たちを通じて、住民たちを客間に集めておいて、一週間ずつ続けて講義する時間をもつのです。夕食を食べて集まり、昼夜集まるのです。集まって、時間計画表を組んで、集まる数を中心として、教育し、修練を受けたという条件を立てるのです。こうしてそれがみな終われば、統班撃破を完了するのです。そのように標準を決めるのです。
統班撃破というのは、一つの洞に、平均二十五の統があり、その二十五の統には、二百五十の班があるので、大体三百人と見て、三百名を今まで七日修練したその時間の比重を中心として、二十日ずつ二回、四十日、原理の本を見ながら教えてあげ、勉強させ、七日修練に該当することをすべて教育しておいて、試験をして、五十点以上取った家を統班撃破の班長にするというのです。こういうことは初めて聞くでしょう。私がこれをみな話しました。そのようにやっておけば、終わるのです。南韓でそれをみなやっておけばです。今まで浸透していたスパイたちが摘発され、みな追い出されるのです。そうなれば、金日成は南韓に降伏するしかありません。
韓国にも今回、統班撃破を中心とした組織をつくっています。ですから安企部から「昔は、何かの大会をするとき、一日に二千四百、二千七百箇所でやった記録がありますが、今はどうしてこんなに静かですか」と言ってきて大変なのです。今は、自分の息子、娘を育てなければならない時です。壁を越えて声が出たらいけないのです。布団の中でささやきながら、教育するときに入ってきたのです。これが統班撃破です。班常会以上の班常会をしなければなりません。それでここで三十人ずつ、五箇所に百五十人集まれば、「あなたたち百五十人が感動を受けたなら、南北統一を願うなら、お父さん、お母さん、親戚の中で誰か一人を立てよう」と言うのです。それで三百人を越えなければなりません。その三百人を中心として洞大会、面大会を指示しました。
行政機関を中心として、その婦人たちを通して統班撃破のための体制を洞会長から統長、班長まで、二重に配置するのです。教育して配置するのです。このようにして、横的に政府を中心として班長同士一つになり、統長同士一つになれば、四千万がみな私たちの側になって入ってくるのです。一度に入ってくるのです。
政府がこれを知ってから、「これは文総裁に取られた」と言って、じたばたしても駄目なのです。彼らには思想がないのです。ですから私たちを信じざるを得ないということを知らなければなりません。ここで国が完全に私たちに引っ張られていくのです。ですから確実な自信をもとうというのです。
統班撃破は主にどこからやるべきかと言えば、協会がしなければなりません。きょう話した内容とは何ですか。長子権、父母権、王権復帰は、家庭基盤を中心として祝福家庭たちがしなければならないのです。それをするには、原理講義もしなければならないし、勝共講義もしなければなりません。そしてこれから洞の責任を任された祝福家庭がいれば、勝共連合を活用しなければなりません。もともとは組織において、勝共連合の人々をどうやって信仰化するかということが、一番重要な問題です。この組織が大きいのです。そこに関係した人々を食口化すれば、現在私たち統一教会の教区長の数が問題ではありません。教会の教会員の数が問題ではないというのです。
急がなければ南北総選挙に備えることができません。それで今から六カ月の間、南北総選挙の準備の全国大会をするのです。これから火をつけるのです。全部火をつけて講義するのです。統班撃破です。これから本当に統、班を掌握して、講義するのです。本当にこれをやらなければなりません。これをやってこそ生きるのです。
統班撃破というのは、家庭基盤を中心として、しなければなりません。そこにみ言を中心として、真の父母の宣布内容のみ言を中心として、感興を受けさせ、これを連結させていかなければなりません。今回、隊員たちを配置して、テープをみなコピーして、それを上映するようにするのです。それを全部見ていった人に、中間中間に見た内容を記録させるのです。一度だけやってみたらいいです。みな感銘を受けた話をしてあげて、これから南北統一に……。南北が分かれていますが、南韓が内的であり、北韓が外的です。南韓は精神的基準において、心的立場であり、北韓は体と同じです。体が反対してきたのです。体が、サタン圏なので。ちょうどそのようになったのです。
私の命令のとおりに統班撃破を一度やってみなさい。長くはありません。七カ月さえ死ぬつもりで足の裏に豆ができるほど一度走ってみろというのです。お金もかかりません。これからは私が、「ここまで来い」と言わないでしょう。私があなた方の故郷に行くでしょう。みな行けばいいでしょうが、今ソウルの洞だけでも三千三百あり、統だけでも一万二千あり、班だけでも十二万もありますから、みな行くことができますか。みんな行けないので、推薦してもらって、行って、会うでしょう。
皆さんがみんな素晴らしい統班撃破をして、神様が誇ることのできる家門を代表した家庭が成されれば、自動的に福を受けるでしょう。そこで幸福の礎が形成され、自由の旗がなびくことでしょう。
ソウルは、最近みなびりだというのです。もともとはみな故郷に行くのです。故郷に行くのに、これから六カ月の間、期限を決めて、みな統班撃破することのできる組織をつくり、そこに有力な人、既成教会に通っていた将軍たち、長老級たちがいれば、将来、そこにみな配置しようと思います。ソウルはそのように全部配置しようと思います。四十日さえ修練を受ければ、いくらでも導くことができるのです。長クラスは、連隊長やいろいろなことをやったので、組織とか大衆を指導する上では、皆さんはかないません。
愛の世界には、神様を私の相対にすることのできる特権があるというのです。大きいか小さいかを問わず、そうだというのです。
自分が統班撃破の分野で血と汗を流して、基盤を築いて、一から百までいっぱいに愛があふれ出ることができるように、るつぼをつくっておいて、主人の立場で「神様、一度いらっしゃいますか」と言うとき、神様が来て、「どけ」と言うでしょうか。「私が案内する」と言うのです。「どこに座るか」と聞くようになっているのであって、自分が勝手に座ることができますか。この世の道理がそうです。
秩序を立てた神様は、被造世界の段階を知っているので、自分が座り、立つ位置を知っているのです。物心のつかない人に対して、「あいつは座る位置、立つ位置をわきまえて生活することを知っているか」というようなことを言うでしょう。同じです。
四) 教学統連と二世中心の摂理
道別に全名門校出身の全国大会をして、道を中心として地方組織の責任者たちを選定するのです。
道の責任者、郡の責任者、面の責任者、統の責任者、班の責任者まで選定すれば、これが統班撃破の活用基盤になるのです。このようにしておけば、その名門中学、高校の出身者たちが大体、ソウル大、高麗大のような名門大学出身に連結されるので、名門大学出身全国連合会が自動的に編成されるのです。
本来、私がアメリカへ行って話すとき、統班撃破時代に教授たちを中心として、中学、高校の先生、小学校の先生まで、いちいち対談して、させたのも、みな父兄たちと連結するための作戦なのです。それで勝共連合の組織をつくって、国民連合の組織をつくり、みなつくったのに……。これをしていなければなりませんでした。これがよくできなかったので、共産党は共産党のままのさばって、みな死の地にしてしまったのです。これに一人で闘ってきたのではありませんか。
統班撃破運動を教授たち、中学、高校の先生、小学校の先生たちを中心として連結させるのです。彼らを連結させれば、すべて終わるのです。既成教会が歴史の何がああだこうだと言って、反対しますが、みなきれいに越えていくのです。共産党までみな座って、消化できるのです。
こうしてそこに関係のあるすべての教授たちの前に……。ある教授は故郷がどこでというようなことが、すぐに出てくるではありませんか。百個すべて郷土学校の基盤を中心として、さっとつくり、「ホーム・チャーチの責任者、来い」と言って、夕食は教授たちがごちそうしてもいいです。そうして組織して、共産党を防ぐための地方においての統班撃破、里洞撃破をしなければ、共産党の前に、食べられるのは、実際的問題です。
統班撃破、それはカープ(CARP)が主導の役割をしなければなりません! 中学、高校の学生たちは、将来、大学生になって、二世たちを包摂しなければなりません!
今の時は、学舎(注:韓国の原理研究会の寮)を動かすことを重要視しなければなりません。あなた方はみな統班撃破に責任をもち、今教育をしているのではありませんか。二重作戦です。行動部隊として今学舎が立ち上がったので、全面的に後援しなければなりません。無法な振る舞いが起こるこのような風土で、学生たちを中心として、全大協、西大協の者たちが、いろいろなことをやるのを首をきつく締めて、決死的に反対することによって、市民がみなここに……。それで新聞社を早くつくらなければなりません。新聞社、早く急がなければなりません。
今回、どんなことがあったのかといえば、南北統一運動国民連合をつくって、全国的に統班撃破運動をしてきました。そこに面長の半端者たち、支署長の半端者たち、警察署長の半端者たち、郡守の半端者たち、「どこどこの大学を出た」と言って、腹を突き出してかき回して歩く者たちが加担しました。またそこの面の委員長が誰かといえば、大学教授たちです。みな大学教授たちが配置されて、国を生かそうとするのに、ここの新聞記者の先生たち、自分の故郷を生かすのに加担しますか、加担しませんか。答えてください。やりますか。国を生かすためにもっとやらないと。世界を生かすのにはどうですか。国を売ってでも世界を生かそうとするならば、その民族は世界の祖先の民族になるのです。
国が必要だし、世界が必要です。これを探していく道がありません。このように見るとき、皆さん教授自身も垂直的愛に九〇角度平衡線愛圏を中心とした愛の球形の理想を成すべき宇宙史的本然の追求を抜け出す道がありません。それは何のことかと言えば、文総裁の言うことを聞けということです。そうでなければ、これに合わせることができません。これをやっておけば、さっと合わせれば、どこに行きますか。家庭に行きます。それで統班撃破とは何かと言えば、家庭に帰って、これに合わせるのです。
皆さんは文総裁の息子、娘なので、私が世界的に築いたすべての心情圏、同参、同位の相続権とその価値まで、無条件に丸ごとあげたので、故郷に帰って家に行き、根を下ろせというのです。皆さんが根さえ下ろして、しっかり立てば、文総裁によって、世界的情的版図をそのまま相続して、同参することのできる勝利的栄光の立場に上がるというのです。理論的です。真の父母は絶対的です。ですから、宗教でメシヤが絶対に来なければならないという結論がここから出てくるのです。
「国民連合でも勝共連合でも統一教会でも、あなた方が働くべき場所は、現在の事務室ではありません。統班撃破、これをやっておいて、闘うにしても闘え」と言うのです。誰が班に行って、多くの影響を与えるのか、誰が洞に行って、北韓解放の勇士になろうという人を多く加入させるか、地区長、あるいは議長団のもとに自分に属した族属たちをたくさんつくるのかということを競争しなさい。それを発表しなかったら、みな崩壊していました。教授たちは考えもしなかったでしょう。責任をもった文総裁はどんなに頭を使ったか分かりますか。それで結論が何かと言えば、中央までもすべての郡でも面までも、教授たちが統・班長をしろというのです。
教授たちはみなふろしきを包んで、家庭に行けというのです。愛国の根は家庭に植えなければなりません。面の事務所、郡の事務所、ではありません。家庭に根を……。親孝行、下へ、子供へ……。さあ、文総裁が統班撃破しろという宣言をよくやったと思いますか、間違ったと思いますか。教授たち、よくやりましたか、間違いましたか。それでは統班撃破をしようと夜を明かしてどれほど歩き回りましたか。それが問題です。
自分のお父さんが亡くなった時の悲しい心情以上の心情をもたなければ、国を生かすことができません。自分のお母さん、自分の一族が死んだ以上の悲しみを感じなければ、南北統一はできません。私はそのように見る人です。教授たちが家に入って手を取り、涙ながらに「南北統一しよう」というむせぶような一言には、通り行くいかなる先生の千の言葉もかなわないと見るのです。
それで教学統連をつくっておいて、班町内を生かそうというそのような教授がいるとすれば、学生たちと連結させて、その息子、娘たちをみな糾合せよと指示しました。
五) 宗族的メシヤ活動と統班撃破
本然の故郷の地に帰らなければなりません! これが原理観です。これをどうやって否定しますか。理論的な結論です。そうじゃないと言う人、手を挙げてください。否定できますか。服従する道以外にありません。それで今、韓国でそのようにしているのです。還故郷しろと言って、自分の村の統班撃破を完遂した基盤の上に国家基盤完遂……。各家庭の出発点を立てて、蘇生、長成、完成を通るのです。家庭は蘇生で、統、班は氏族長成で、国家が完成になるのです。家庭にこの三つが連結されなければなりません。そうでなければ、氏族を連結できないし、国家を連結できないし、世界を連結できません。
統班撃破をなぜするのですか。今まで政府が私に反対してきたのは、文総裁が家庭まで入れば大変だと思ったからです。文総裁が定着すべきところは、政府ではありません。政府には平和の基地がありません。大韓民国ではありません。それではどこでしょうか。家庭です。アダム・エバの家庭です。家庭を中心として堕落したので、家庭を正さなければなりません。偽りの父母によって、家庭が破綻したので、真の父母が出てきて、家庭を正さなければなりません。
これからは統班撃破のために、全国の三千六百個の面と統を中心として、組織を編成し、完全に配置するでしょう。ここ本部にいる人もよく知っておいてください。これからはここが自分の故郷ではない人がここに参席したならば、みなぶんなぐるでしょう。なぜでしょうか。宗教世界において、還故郷というプレゼントをくれたのに、なぜ行かないのかというのです。
今、宗族的メシヤの使命を果たせば、自動的に大韓民国は解放されるのです。これが何かと言えば、統班撃破に連結されるのです。一族を中心として、統班撃破、これが決定される時には、共産党は存在できません。ですから韓国で個人的にサタンの讒訴圏を抜け出ました。
先生が国家基準まで、実体を中心としてアメリカを中心として築いてきて、アメリカを中心とした国家の勝利的基盤をもたらしたので、ここで大韓民国が国家を経て、世界に行くことができる道を先生が、ここに接ぎ木して、宗族的メシヤ圏を中心として、四千万民族をさっと連結させることによって、これが一つになったというときには、皆さんの家庭には、サタンが讒訴するところがありません。個人で讒訴できる基盤を越えたし、家庭で、氏族で……。三つの宗族を連結させれば、民族が編成されるのです。
氏族的基盤さえ解決すれば、民族は自動的に編成されるのです。そしてこれからのこれが何かと言えば、統班撃破問題です。統班撃破は氏族圏から始まるのです。部落と言えば部落、統、班はみな氏族圏内にあります。それで先生が今まで、統班撃破という言葉を使ってきたということを知らなければなりません。これから宗族的メシヤになれば、統班撃破が完了できますか、できませんか。完了できるのです。
それでは、皆さんは、どのように動かなければならないのでしょうか。先生が一生をかけて、苦労したすべての受難の道を推し量りながら、涙とともに自分の故郷、父母兄弟が自分の親族のために、泣かなければならない時が来たというのです。涙でもってエデンの園で別れざるを得なかった親族が、みな四方八方に散らばって、数多くの怨讐国家と闘って、滅び得るサタンの地域になっていたのが、これから再び帰って、涙をもって一つになり、万国を収拾するのです。一つの愛を中心として、万国を代表した家庭を通して、涙で出会うことによって、そこに解放の旗が立てられるとき、万国はそれを中心として、永遠に戻ってくることができるというのです。
統班撃破という言葉は「破壊させよ」というのではありません。その言葉をもって問い詰める人は「統班撃破が何だ。統班消化と言うとか、解放とか言ったらいいのに」と言うでしょうが、ひっくり返さなければなりません。なぜですか。そこには偽りの愛が残っているし、偽りの血筋が残っているし、自分のために生きよという偽りの生命があるからです。これをひっくり返さなければなりません。
それで「生きんとする者は死に、死なんとする者は生きん」、と言いました。あなたの家の中の食口が怨讐だというのです。必ずそうです。その道を行こうとすれば、お母さん、お父さんが、狂った子だと言います。
統班撃破の意義を知らなければなりません。家庭基準を中心として、思想的な面で一八〇度真の父母の心情圏に帰らなければならないというのです。
私が語る言葉は私のものではありません。万民のものです。天地のものです。愛で私に伝授された父の伝統を引き継いで、私も真の父母の因縁をもって、無条件で皆さんに与えるのです。私が与えるには、血と肉と精誠を付け加えて与えようというのです。そのような誠意ある気立てを見習って、皆さんの奥さんの心、息子、娘の心、隣人である皆さんの村、さらには、統、班に与えれば、統班撃破がみな終わるのです。
アダムとエバは家庭から出発できなかったがゆえに、結局のところ宗族的メシヤが家庭定着の問題を解決しなければなりません。それゆえ韓国で統班撃破運動を展開するのです。家庭が定着できるようにするために、今、韓国にいる家庭に先生の写真を掲げる運動、旗を掲げる運動をさせているのです。それは何かというと、完全にサタン世界と天側の世界を分けることです。初めて家庭に真の御父母様のお写真を迎えることになるのです。
今、統班撃破において、里、統の組織を先生がすべてつくりました。八万世帯に該当するすべての家庭に、御父母様のお写真と旗を分けてやり、七月三日から九日まで、真の父母宣布、救世主宣布、メシヤ宣布、再臨主宣布まですべてしたのです。再臨主宣布とは何でしょうか。真の父母です。メシヤとは何でしょうか。再臨主のことです。
本然の心情が爆発する一つの起源とならなければ山頂を越えていくことはできません。ヒマラヤのような山頂を越えることはできないのです。何をもってでしょうか。愛の力をもって、死ぬ、生きるということが問題ではないのです。その反面、外部の世界は国が合わさり一つとなって反対するのです。その反対する渦中に責任をもち、行って撃破しなければならないのです。先生一人で闘うのです。私はアメリカに行っても闘ったのです。個人的に撃破! 統班撃破ですね。
南北統一時代になすべき第一のことは、統班撃破です。今叫んでいるのが統班撃破ですね。統班撃破を通して先生のお写真を掲げ、それから先生の思想を教えてあげるのです。真の御父母様とは誰であるかということを教えてあげるのです。
還故郷しなさいと言いましたね。私も大韓民国へやって来て頂上をすべて吸収しました。文総裁と言えば「ああ、あの方は愛国者だ!」というようになっているのです。優れた人物だと言われる人々にも「こういうわけで南北統一総選挙に備える全国大会をするのだが、反対しますか、支持しますか」と言えば、「どうして反対などしましょうか。支持します」という通牒を受けてするのです。今まではそのような通牒をすることもありませんでした。もしも反対するならば、私が力比べをしてさっさと押し出してしまいます。私が手を出したら凄まじいのです。いくら大きなことを言ってもしおれてしまうのです。そういうことを知った上で統班撃破をしなければなりません。
統班撃破というのは、行って銃剣で脅迫し、恐喝せよというものではありません。愛のみ言と、愛の実践を通して夜も昼も活動するならば、おじいさん、おばあさんがタバコを吸い、酒を飲みながらも、あるいは悪いことをしながらも「うちの息子、娘たちも、あの人たちを見習うようにしなければ」と統一教会を褒めるのです。すると酒好きの悪魔もそこから逃げていくのです。けんかしていた者たちも、統一教会に入教してからはけんかをしないのを見て、「うちの息子、娘たちも統一教会の信徒のようになったらいいのに!」と思うならば、サタンはみな逃げていくのです。何のことか分かりますか。
家庭に基盤を築けば、一八〇度変わるのです。それゆえきのうもお話ししましたが、御父母様の写真を掲げなさいというのです。そうすれば、御父母様の命令と一致し得る立場となるので、あたかもモーセが竿に蛇を掲げたのを見た人は生き残ったように、生きるのです。全くそのとおりです。
私たち統一教会の旗を見て呪うようなことがあれば、今後目がおかしくなったり、様々なことが起こったりするのです。皆さんが精誠を尽くして掲げないからそのようなことが起こらないのです。写真を掲げるのも、精誠を尽くして掲げれば、指を指して悪口でも言おうものならば、指が曲がるなど、いろいろなことが起こるのです。精誠を尽くしていないから駄目なのです。
統班撃破のために家庭を訪ねていくのです。アダムとエバの家庭からすべて失い、それが国と世界を失う起源となったので、これからは先生が世界から蕩減して、大韓民国の家庭をすべて包み込んで方向転換するということをしているのです。そうするためには主体思想がなければならないので、真の父母と、真の師と、真の主人の思想を宣布したのです。これを宣布なさった真の父母はどんなお方でしょうか。神様のような立場です。神様は真の父母なので、この地上の真の父母の立場で、真の師の位置、真の主人となるための世界的版図圏を相続してあげるために、今大会をするように教えてあげるのです。これが最後です。分かりましたか。
統班撃破の組織さえ完了したならば、どの家にも旗を掲げた竿を立て、統一教会の人が、一日に三人も出入りしても喜ぶことのできる、そんな家庭にさえなれば、みな救われるのです。ですからお世話をするのです。反対するなといってお世話するのです。皆さんは私の世話になりましたね。アメリカに連れていって教育して……。明らかに世話になっているのに、真の父母だと言ったからといって、反対することができるでしょうか。先生を中心としてなされたすべての事実、先生のみ言によって精神的分野と物質的分野でみな恵沢を受けたのです。重鎮(注:その社会で不動の位置を占めている人)の誰が反対するでしょうか。ラッパを吹いて太鼓をたたけと言えば、みなラッパを吹いて太鼓をたたくようになっています。そのような段階まで来ているということです。
ですから御父母様を宣布し、歓迎することによって世界の頂上を越えるのです。サタンが今まで舞台としてきたこの地球星の上に立ち、韓国に帰って天国と連結させて、王権、何と言いますか。定着宣布式をすることのできる時となったのです。分かりましたか。ですから押さえつけるのです。精神を統一させてしまえば何も言えないのです。こぶしでなぐるのではありません。考えだけで制圧することのできる時が来るのです。
今は韓国に帰ってきて統班撃破をするのですが、これは家庭に帰る運動です。すべてのことを、国家を中心に、統から、班から、すべて帰り始めれば、組織として統と班さえ統一すればそれで終わるのです。それは蘇生、長成、完成の三段階を意味しています。自分自身を中心として垂直には家庭と統、班、横的には自分と父、そしておじいさん、このように自分を中心として蘇生、長成、完成の三段階基準をもって家庭転換期に入っていくのです。そのときに何を中心としてそのようになるのでしょうか。真の父母の愛とともに、頭翼思想、神主義が中心となっていくことによって、サタンは歴史を通して何の讒訴条件も押し出すことができないのです。
六 統一運動と女性の役割
先生は実に巧みでしょう。良い暮らしをしている女性に統班撃破とか何とかやらせて……。それが皆さんとどんな関係があるのでしょうか。それをしたからといって誰かが認めてくれるでしょうか。しかし、これによって女性解放の伝統的歴史を、韓国の女性が築き上げることになるのです。それが教材となるのです。
先生の教えたみ言のすべてと、皆さんが行動してきたその内容は、今後世界の女性を動かす伝統的教材となるということが分かるのです! アーメン。
誰がその教材となることができるのでしょうか。楽な立場で八時間寝て、三度の食事をして、暑ければ涼しい所へ行って日陰で休む、そうではありません。日の照りつける中で血の汗を流し、脂汗を流しながら行動することが歴史に残るのです。悲惨であるほどに歴史時代の材料となるのです。皆さんも先生が獄中生活をした話を聞けば、骨の髄まで泣くのです。ですから先生はそのような話ができないのです。獄中生活をした話、それを包み隠さずに話せば、痛哭が巻き起こるのです。そこにはどれほど多くの事情があることでしょう。話さないのです。
私は一銭のお金も出してあげませんでした。お金を出してあげたのではいけません。お金を出してあげれば、今後国の行く道は遮られてしまいます。国が民にお金を出してあげなければならないという論理が成り立つのです。そのような国はないのです。それゆえ大変でも、統一教会の信徒が血の汗を売って、血の汗を流し、骨身を削って売ってでも、この国のなすべきことをしなければなりません。お金を出さずにこれまでやってきて、今や統班撃破が終わる段階に来ています。うまくできましたか。できませんでしたか。あのように生活が困難な統一教会の信徒がいかにしてやったか、この間全体の報告を聞いて、整理するために私はソウルへ来ました。全国は行くことができず、ソウルが中心ですから代表として来たのです。お母様にそのような話をしたところ、お母様が考えて、今巡回しているのです。
きょう、よく話を聞いて清算し、新しい皆さんとならなければなりません。先生の願うことは何かというと、男性を通して失敗した統班撃破体制を再び築くために、今現在、里、統基準を中心としてすべての人事をしました。統班撃破が目の前にあるのですから、統一教会の女性たちは寝ず、食べず、遊ばずに、これをなすべき天的な義務があるということを知っているのです! アーメン。そうしようという人、手を挙げてください。
今まで先生が夜寝ずに一生の間犠牲になってきました。皆さんも同じなのです。統班撃破は自分の一族を中心として百二十家庭をしなければなりません。昔、イエス様の時は百二十門徒がいましたね。それと同じく百二十家庭を自分の指揮下に立てたならば、お金などが問題ではありません。食べて生きるのが心配でしょうか。問題ありません。男性たち、分かりましたか。男性たちは天使長です。天使長は使い物にはなりません。母親を通して生んだという条件を立てなければなりません。ですから再び祝福を受けてこそ天国に入るというのです。
韓国は女性を立てて救わなければなりません。このような意味から、不可避的に世界平和女性連合の指導者を、地方の女性指導者として立てたのです。世界平和女性連合の指導者たちが地方における郡支部長となり、面支部長となり、洞支部長となり、統支部長となるのです。それは容易なことでしょうか。文総裁はこれを十四年前から準備してきました。ホーム・チャーチという言葉を中心として「地方へ行って一族を収拾せよ」と、これを十四年前から準備してきたのです。それゆえ、七年前から統班撃破を主張してきました。
来たる四月に、十五万人の女性を中心として、オリンピック・スタジアムを完全に埋めるための計画を立てています。ですから全国の夫人は統班撃破をしなければなりません。男性ができなかったので、女性がしなければなりません。今まで七年の間、統班撃破運動をしてきたのですが、まだできていません。私は三度も、多くのお金を使って完遂せよと言ったのにできなかったのですから、今後は男性を信じることはできません。男性を除いて女性を動員して解決しなければならないのです。男性が統班撃破をするとしても、妻の署名、息子、娘の署名をもらわなければ勝手にはできません。しかし女性は一軒一軒入っていって、夫を追い出して集まることができるのです。分かりますか。なんと便利なことでしょう。女性たちは、群れをなして裏門、正門、門の垣を乗り越えてその家の夫を追い出して、思いのままに会議をすることができるのです。分かりますか。
皆さんは神様を中心として、平和の世界が早く訪れるように国民を結束して、平和の門を開くために南北統一平和の基準を促進化しなければなりません。これを促進化するための運動が統班撃破運動だということです。分かりましたか。これによって……。南侵したスパイが隠れているところは、女性の懐です。女性のチマの中に抱かれているのです。チマの下に隠れているということです。スパイは南へ下りてきて南韓で嫁をもらって金を稼ぎ、婚家の又従兄弟のところまで入っていって、後援をしたり、町内や一族の者に気前よく施したりするのです。これが南韓スパイの工作費で宴会を開いてもてなすような、名のある立て札を得た人だということを知らなければなりません。これを撃破しなければなりません。
今までは仕方なく男性にさせてきましたが、これからは違います。家庭教会は、主に男性がしてきましたし、今も男性が主にやっていますね。男性を中心に統班撃破をするのにどれだけお金を投入したことでしょうか。これからは血肉を売ってでも、きちんとした基盤をつくらなければなりません。土地を売るなり、一族の畑を売るなり、一族のお金を集めてでもこれを成就しなければなりません。分かりましたか。今後指令が下されます。七十家庭をして、一家庭で一億ずつ準備しなさいと言えば、七十億ができます。南北統一時代なのですから、それができる準備をしなければなりません。涙と血の汗を流してまとまったお金を作って、夫に知られないように通帳を作らなければなりません。先生は今何と言いましたか。夫に知られないように何を作れと言ったでしょうか。通帳、銀行通帳を作るのです。
一九七八年より始めたので、すでに十四年目です。十四年前からこのことを始めたのです。皆さんが決死の覚悟でしていたら、どれほど良かったでしょうか! そのようにしていれば、ホーム・チャーチを中心として、統班撃破に連結されるのです。ホーム・チャーチの基盤を中心として統班撃破をするために、男性たちを中心に里まですべて組織したのです。それで洞大会、統大会、班大会まですべてしたのです。
十二万人いるすべての班長たちに、私の名前で『世界の希望』という本と原理の本を配布してあげたのです。ここにももらった人がいるはずです。そうしたにもかかわらず、男性たちがみな責任を果たすことができませんでした。このことを、この世の遊び事でもするかのように、気楽に考えたのです。ですから、男性たちが責任を果たせなかったので、女性がしなければならないのです。何があろうとやらなければなりません。
女性たちは、自分の家の家事だけをしていてはいけないようになっています。女性連合を中心として動員したのを見てください。これが動員されたのは人の力によってですか。一番最初、私がアジア平和女性連合発起大会をやると言った時、みな目がこんなふうになって、「女性がいったい何をするのですか。アジア平和女性連合がいったい何をするのですか」と反対したのが、私たち統一教会の教会員たちでした。お母様が前面に立ったので、仕方なかったのでしょう。雰囲気を見れば、反対できないのです。そのようにしながら、女性時代の到来を宣布したのです。それができる時になったので、宣布したのです。これから女性時代が到来するかどうか見ていなさい。
統班撃破を一九七八年から始めたので、もう十四年になります。十四年間統班撃破をしてきたのは、この時を目標にしてのものです。家庭教会の理念が統班撃破の理念です。それが薄れてきたので、色彩を異にして統班撃破を中心として引っ張ってきたのです。それが七年、七年の十四年かかりました。それ以前から準備して行うのが先生の計画だったのですが、韓国の責任者たちが、それが分からずに責任を果たせなかったのです。男性が二度できなかったので、これからは女性がしなければなりません。
南北総選挙を実施するようになれば、この南韓はどうなるでしょうか。このような様々な問題……。文総裁は愚か者ではありません。今やすべての準備を整えて統班撃破をするのです。それを何度も訓練しておきました。ですから女性が必要なのです。
北韓の軍人を女性たちが担当しなければなりません。女性が地上のサタンを担当しなければならないのです。そうして初めて男性が天上世界のサタンを打つのです。両面作戦をしなければなりません。北韓のスパイが住んでいるのですが、それは女性が保護しているのです。女性の懐で……。男性はみな願っていないのに、女性が隠しているのです。これを撃破するために統班撃破運動が現れたのです。今やあれこれすべて分かりました。先生は、いつ皆さんを呼んで命令を下し、使命を果たせと言うか分かりません。できないと言うならば牢獄に閉じ込めておくのです。遊び事ではありません。生死の決断をして勇み立つ道なのです。給料をもらって楽な暮らしをするための場ではありません。野良犬を連れてきて食べさせてやる所ではありません。それを知らなければなりません。天国の精兵をつくるところです。
統班撃破というのを知っていますか。十四年前からホーム・チャーチのことを語ってきました。多くのお金を使って教育してきました。五年前から「統班撃破」と言ってきました。男性を立てて失敗したので、仕方なく最後に女性を立てるのです。
第四章 宗族的メシヤ活動をせよ
一 今は東西南北統一の時代
先生は、南北統一運動をすることのできる基盤をつくるために、一生の間苦労してきました。
これから皆さんは、既に造成された雰囲気の中でその運動ができるので、ずっと容易なのですから、勇気をもって一生懸命活動してほしいと思います。もし南北統一運動に反対する人がいるとすれば、その前に行ってデモをしてでも反対しないようにしなければなりません。
皆さんが韓国で楽に暮らしながら南北統一の目標が達成できるでしょうか。ここは一線です。世界の一線なのです。ここは世界の焦点だということです。ですから、決意した分、私たちのみ旨を中心として様々な役事が起こると考えられるのです。完全に団結して南韓さえ動かすことができれば、霊界で役事するのではないでしょうか。何が起こるか分からないのです。
お金がなくてもしなければなりません。自分の家も売るのです。そうすればこそ、天が行く道を守り、責任をもってくれるのです。問題はそこにあるのです。お金に従ってはならないし、体制に従ってはなりません。天の喜ばないお金は毒薬です。滅びるのです。精誠が必要です。これからは教会で泣いた以上に、泣きながら歩くべきです。それは簡単なことです。教会で精誠を尽くした以上に、南北統一運動のために泣きながら歩きなさいということです。
いかにして統一された体制をつくるかという問題を考えるときに、思想的な面において、民主体制と共産体制を越え、それらを消化することのできるもう一つの統一的な思想がなければならないのです。そのような理論的基盤の上で、統一体制を形成しなければならないという結論が出てくるのです。統一体制を形成するには、この韓国が一つのモデルとなります。韓国を中心とした国民連合の形態をもっているのが、世界の東西南北統一連合です。すなわち韓国が世界のモデルだということです。世界がそれに従ってくるならば、すべてが統一的世界体制になっていくのです。
今後の問題は世界を動かすことです。そのためにはまず、理念の徹底化、二つ目は組織の強化、三つ目は協同活動によって一致すること。それゆえ私たちは共産主義に対して、共産主義以上に強い組織力と活動力をもって対決しなければなりません。少し発展すれば組織化しなければなりません。
南北統一運動国民連合は、南北統一運動のための、統一のための運動機関です。そこでは国民が連合して南北統一運動をするのです。そこでは六千万を動員しなければなりません。六千万民族が一つにならなければなりません。六十万を代表として団結させ、新しいエデンに向かって六百万、六千万の団結した旗手が生じるならば、世界は完全に地上天国の基地へと直行することでしょう。
統一教会には教会もあり、勝共連合もあり、教学統連(注:全国大学教授学生南北統一運動連合)もあるし、南北統一運動国民連合もあります。これらは何をしようというものでしょうか。南北統一だけではありません。南北解放だけではありません。人類解放と共に、神様を解放しようというものです。何を中心としてするのでしょうか。真の愛を中心としてするのです。それを知らなければなりません。
南北統一運動は神様の伝統的思想を中心として南北を統一しようというものです。そうしてすべての国民が新しい建国思想をもって、天国を建設しようというものなのです。
問題はこれです。歴史の勝敗圏を分ける最後の激戦場の勇士として闘うにあたって、今後迫ってくる激戦、戦争の前に、どれだけ強く雄々しくあるか、どれだけ克服していくか、生死の交差路においても、第二の決意をすることのできる希望ある勇士となれるかということが問題なのです。死の道においても、再び生きて闘うことのできる希望があり、それがかなわなければ再び生きかえって闘おうという思想があるならば、共産主義を吸収することができるのです。
いまだに統一教会を知らない人がいますね。それは責任を果たせなかったということです。楽に休み、遊んでいる人はいても、この民族に責任をもつ責任者がいなかったのです。骨が砕けても、この山河、あの町の谷間、すべてが私の血の汗のにじんだ精誠の手を待っているのですから、行かなければなりません。自分にそれができないならば、鐘に綱を結びつけて引っ張り、四方にガランガランと鐘の音を鳴らしてでも、ひとつところに動いていくことのできる統一戦線をつくらなければなりません。そうしなければ、いくら南北韓が会談したとしても、統一法案を模索する道はありません。私たちが主体的な立場でそのような道を切り開かなければなりません。
今はどんな時でしょうか。イスラエル民族がエジプトからカナンの福地に向かって出発する時です。そのような時なので、夜を明かしてでも、ありったけの力を出して、エジプトの地に住んでいるイスラエル民族に、何日、何時にその家を出なければならないと通報をしてあげなければなりません。知っていながらも知らせてあげない人は、永遠の罰を受けることになります。そのようにカナンの福地に向かって出発する時代になったので、私たちは三千万民族全体の前に、彼らが行くにしても、行かないにしても、知らせてあげる責任があるのです。ですから今まで全国的な活動を展開してきたのですが、いまだに統一教会を知らない人がいるというのではいけないのです。
呻吟の声の高まる、息の詰まるような世界的最後の交差点に向かっていく混乱した渦中で、自分の主体性をいかにしてもっていくかという問題が、今後の韓国において宗教人が解決すべき問題であり、多くの僑胞が解決すべき問題であり、大韓民国全体が解決すべき問題ではないでしょうか。これもいいし、あれもいい、というのではなりません。主体と対象を確実に分けて、天を主体とし、人間を対象として完全に分けて、立つべき位置に立ち、いるべき所にいなければならないということです。それゆえ、息の詰まるような時代の交差点に向かって私たちは今前進しているのであり、今がその瞬間なのです。
南北が一つとなるためには、北韓を自分の兄弟以上に愛するという愛をもって、養ってあげることのできる南韓の政権にならなければなりません。
今、全羅道と慶尚道が互いに「自分がやってやろう」と闘っているのですが、そんなことで南北統一をしようというのでしょうか。とんでもありません。そういうことではすべてが滅びます。滅びるのです。このような話は耳に痛いかもしれません。耳に痛い話だとしても、私は正しいことを言っているのです。
天運に従っていかなければなりません。個人的運勢、国家的運勢も、アジアの運勢を捨てたならば、大韓民国はここで失脚するのです。天運に従って、アジアの運勢に足並みをそろえることのできる大韓民国にならなければなりません。
大韓民国は、天運に従ってこそ天運の保護を受けるのであって、そうでなければ滅びるのです。その道をいくら知っているといっても、文先生に学ばなければならないという結論まで出したのです。今日も同じです。
南北が統一されれば、統一された大韓民国は、堂々と世界の前で先頭に立って、世界のために犠牲になることのできる、伝統的思想を残す国家とならなければなりません。そうなれば、この大韓民国がなくなり、主権がなくなったとしても、この民族の思想は今後二十世紀を越えて、三十世紀以降いつまでも残り、必ずや世界を指導することのできる民族として残ることでしょう。皆さんはそれを知らなければなりません。
貿易することによって南北統一がなされると思いますか。とんでもありません。共産主義思想とはいっても、神様の愛の中では力なく吸収され、消滅してしまいます。私たちが今までそれが分からなかったからであって、愛する心をもつならば、南北統一は絶対に問題ではありません。のみならず東西問題や南北問題も、この神様の愛で完全に解決することができます。このような神様の理想を中心として、世界の理想を消化し、そこで国家の理想を消化し、国家理想から民族、家庭、個人まで連結し得る理想世界の平和的無限景(この上もなく素晴らしい景色)ができることによって、この地上にはユートピアが建設されるに違いありません。
この時代においての願いは南北統一です。北韓と南韓を統一して、神様が安息することのできる基台を、皆さんの家庭と、私たち民族と世界に築くことを天は願っているということです。それでは何をもって神様にお仕えするのでしょうか。他の何でもありません。自分の母親、父親を愛する以上の、夫、妻を愛する以上の、子を愛する以上の愛を中心として、祭物的な祭壇を築こうというところから、初めて理想的南北統一というものが出てくるのです。理想的東西文化の統合がなされるのです。地獄と天国の解放圏ができるのです。愛をもってしなければ解くことはできません。愛のキーが必要なのです。
韓国で南北統一がなされれば、世界の統一は自動的になされるようになっています。軍事力、武力を使って統一できるでしょうか。とんでもない話です。軍事力だけならば、私は何でもつくることのできる力のある人物です。しかし軍事力だけでは絶対にできないので、このようにみ言を伝播しているのです。
我が国の政治を執り行う指導者たちは、国を愛しているでしょうか。国がどうなっていっているのかも知らずに、このごろも民政党やら、新民党は自分が大統領になるといって闘っていますが、やってみなさいというのです。本当に国民と共に生きようという心が彼らにないならば、すべては流れていくのです。いくら立派だといっても、水の泡のように流れていってしまうのです。国民を愛することのできない指導者ならば、国民から、そしてのちには歴史からの審判を免れることはできないはずです。
分かれた南と北は、そのままでは一つとなることはできません。愛国の同志たちが闘争するその過程では、夜寝ずに、時間を超越し、困難な環境を屈服することのできる心の決意と実践が必要なのです。真に共に生きたい。死ぬにも共に死に、生きるにも共に生きたい。私たちの先祖、霊界の霊人たちとも共に生きたい。そのような皆さんとなることによって、今後南北統一をここから始めるのです。
北韓があのように困難に処しているのは、北韓が閉鎖社会となっているからなのですが、その事情を知れば知るほど、その治下にある人々がどれほど悲惨か知れません。共産主義が怨讐なのであって、人々が怨讐なのではありません。北韓を眺めながら、かわいそうな暮らしをしている同胞のために、喉を詰まらせて涙を流し、「あなた方の困難と共に私は生きている。解放の一日を準備して皆さんの前に現れよう」と誓い、統一のための実践運動がここから繰り広げられたならば、北韓に行く日は遠くないのです。
統一をどこからするかが問題です。南北統一は、どこから、何をすべきなのでしょうか。こぶしや力によってでしょうか。力によって屈服させたとすれば、のちに向こうの力のほうが大きくなったときに、再び闘いが起こります。そのような方式では統一することはできません。たとえ以南(南韓)の地で生きているとしても、以北(北韓)に住む人々と本当に共に生きたいという心、一つとならなければという心があってこそ、統一の道が開かれるのです。
「共に生きたい」というその内幕の共通分母は何でしょうか。それは権力ではありません。権力は歴史を超越することができません。それは一時のものです。知識でしょうか。知識の世界は発展するものです。皆さん、知識の世界で学問とともに、永遠に共に生きたいという気持ちはありますか。私たちが共に生きることのできるものは、知識でもなく、金銭でもないということは確かです。このように考えるならば、上や下や前後左右を問わず、過去、現在、未来の時間性を超越した場で、共通的に認め得る一つの分母とは何でしょうか。それはすなわち愛なのです。
人間がいかに生きるか、あるいは、私たちの人生航路をいかに行くべきかを念頭において考えるとき、その骨子を要約すれば、孝子の行く道、忠臣の行く道、聖人の行く道、聖者の行く道の根本があるのです。すなわち、永遠に共にいたいと思い、共に生きたいと思う心です。上下を問わず、共にいたいと思い、前後左右、昼夜を超越して、生涯を越えて共に生きたいという切なる思いをもった生涯ではないか、という結論が出てくるのです。
三十八線を中心として南北に分かれているこの国において、私たちはどうしたらよいのでしょうか。問題の解決をいかにすべきかということが問題です。それは北韓の人々よりも苦労し、南韓の人々よりも苦労することです。苦労の中で立てられた超民族的な愛国心をいかにしてもっていくか、それが韓国を生かす近道であり、解決方案です。悪なる世界と善なる世界を統一するのもやはり同じです。悪なる世界の忠臣以上の忠臣が現れなければなりません。今まで善を志向してきながらも、私たちの先祖が立てた忠臣の道理以上の忠節を主張し得る人が現れてこそ、決裂した歴史を収拾することができるのではないでしょうか。そのように考えるのです。
今、南北の間で行き違いがあります。方向を異にする立場で、一方は南に、一方は北に行こうとするという二つの別れ道があるので、その目的は異なるのです。いかにすれば統一されるかという問題を考えると、深刻なのです。その主体的な使命を誰が果たすべきなのでしょうか。南韓がすると言えば、北韓が反対するでしょうし、北韓がすると言えば、南韓が反対することでしょう。自分自体にこだわる立場では、再び決裂することでしょう。これをいかにするかが問題です。問題は、南韓の誰よりも北韓をより愛する韓国人が現れなければならないということです。北韓の人が北韓を愛する以上に、北韓を愛する韓国人が現れればよいのです。それ以外には模索方案、解決方案はありません。南韓の誰よりも国を愛する人、北韓の誰よりも国を愛する人、そのようにして一つの道を行く人がいるとするならば、そこから統一方案が出てき得るのです。そのほかに道はあるでしょうか。それ以外に道はないのではないでしょうか。
今、南北統一を願っているのですが、南北統一するための方案は何でしょうか。次元の高い統一の内容を提示せずしては、統一されることはありません。以北(北韓)から以南(南韓)に来て、また、以南から以北に行って互いに「私の言うようにしよう」というのではなりません。互いに損害を受ける立場では統一はされないのです。互いにプラスとなるところにおいて可能なのです。そうではないでしょうか。男女が結婚して互いにマイナスとなる立場では、一つとなる法はありません。それゆえ互いに利益となることを求めなければならないのです。
南韓が北韓を武力で打って屈服させるのではありません。私たちは彼らよりも強い思想の基盤をもたなければなりません。彼らが国を愛する以上に、私たちも我が国を愛さなければならないのであり、彼らが共産主義を愛する以上に、私たちも天を愛することのできる思想的な強い力をもち、人格的な面において彼らを自然屈服させることのできる実力者とならなければなりません。そうでなければ北韓を吸収することはできないのです。生活的に潜伏させて、人生観や生涯を通して感服させることのできる、人格的な基準を中心に現れた人格の価値を中心として考えるときに、共産主義の思想で武装した彼らを凌駕する私たちとならなければなりません。私たちが彼らに影響を与え得る環境をもたなければ、カイン国家を復帰することはできません。カイン国家を復帰できなければ、天国を中心とした世界的な国となり得る復帰の国家は、成立しないのです。
神様が、サタンを敵であり怨讐だと考えて、復讐しようという思想をもっているとするならば、絶対に勝利の頂上を占めることはできません。そのような観点から、神様は「怨讐を愛せよ、怨讐を愛せよ」と、愛の作戦をとってこられました。イエス様のみ言の結論も「怨讐を愛せよ」というものです。
世界的に迫害を受けたとしても、世界的な怨讐圏に立ったとしても、彼らを愛したという条件を立てなければなりません。この一筋に神様もかかっており、神様の子女になろうというあらゆる宗教界のすべての人がかかっているのです。「怨讐を愛せよ」というみ言は偉大な真理です。内容は簡単ですが、これが神様とサタンの闘いの勝敗を分かつ境界線となってきたということを誰も知りませんでした。
私たちの願い、私たちの願いは何でしょうか。統一です。統一教会を中心とした統一ではありません。統一教会が祭物となって南北韓を統一する、その統一のことを言っているのです。
統一教会の行く道は、何をしようというものなのでしょうか。統一です。統一が核心です。
二 宗族的メシヤ宣布の意義
先生が宗族的メシヤの宣布をしました。宗族的メシヤ。なぜそれをしなければならないか分かりますか。韓国が先生に反対したからです。それを蕩減復帰しなければならないでしょう。アメリカもみな反対したのを私が蕩減復帰してあげましたから、私が蕩減復帰してあげるのです。そうしなければならないではありませんか。
どうして宗族的メシヤを韓国と共に世界に宣布したのか分かりますか。これを韓国でさえやれば、世界の国家すべてが真の父母を中心として一つになるのです。霊界でどれほど総動員されたか考えてみなさい。この時だと、みな目に火をつけて解怨成就することのできる、数千、数万年の歴史を蕩減することのできる良い時が来たと、すべてが下りていくことを願っているのに、みな橋を切ってしまったらどうしますか。今はもう国家的次元、世界的次元です。ですからこれがすべて崩れたので、自分が立つ場がありません。立つ位置をつくるには、宗族的メシヤとして祝福家庭を配置して、イエス様の完成、自分の完成、アダムの完成、三大先祖の基準を立てることによって、この地上にいるすべての人間たちを抱くことのできる自由な環境に入るのです。ですから宗族的メシヤの宣布をするようになったのです。南北統一がいい加減にできるのではありません。これをつないでいってこそ可能です。それが家庭的基準と氏族的基準に連結されたので、国家的基準に連結されるでしょう。ですから統一教会と政府が内的に一つにならなければならないのです。
イエス様が失敗したのち、皆さんに宗族的メシヤを委任して、堕落したアダムと同じように、自分勝手に結婚した自分の親を今になって、「祝福」という神様の天恵によって、堕落していない親の立場に立てるという、それはとてつもないことです。夢のような話です。そのようなことを完成するために、宗族的メシヤを宣布したのです。イエス様は一人で宗族的メシヤを宣布したのです。イエス様は一人で宗族的メシヤ、国家的メシヤになるために送られたのですが、先生は全世界的に祝福を受けた二万五千名以上の祝福家庭たちを宗族的メシヤとして発表しました。この威力というものがどんなものか考えてみてください。
韓国の統一教会と日本の統一教会は、カイン・アベルとして一つになりましたが、一つになった統一教会の女性たちがプラスとなって、統一教会の団体である国際勝共連合、南北統一運動国民連合など、すべての団体をはじめとして、統一教会に連結された団体のすべての女性たちをこれから捧げなければなりません。どこにもっていって捧げなければならないかと言うと、家庭に訪ねていくのです。どこからしなければなりませんか。家庭です。これを促進化するために、氏族メシヤを宣布したのです。先生の代わりに男たちが行ったので、女性たちがみな収拾して、女性を四人しっかり収拾しておけば、男たちはその国の氏族的王になるのです。そうすれば女性のお出ましを中心として、すべての男性までも収拾することができるのです。教育さえすればすべて終わるのです。
地で成されることが天でも成され、地における成就が天の勝利として刈り取ることのできる時が来たし、真の父母のみ名と共に今日挙行したすべての式典が、霊界のイエス様を中心として、統一的な霊界と地上の真の父母を中心として、統一的な一つの世界になりました。二つの世界が一つの真の愛を中心とした家庭的な血縁関係を通して、つないでいくことのできる新たな世界拡張時代として、宗族的メシヤを宣布しました。これを受け入れることのできる新婦と家庭、エバとカイン・アベル圏を中心とする真の家庭の基盤において、新郎の心情を接ぎ木することのできる世界的なすべての終末的な清算期間をもたせてくださったのです。
宗族的メシヤが家庭的メシヤの橋を見失えば、重生することのできる道がふさがってしまうのです。先生がこのようなことを知ったので、人類を解放するために、宗族的メシヤを宣布したのです。これは世界的な革命的事件です。特権的事件、特赦的な事件です。
三 宗族的メシヤの責任を与えた理由
宗族的メシヤとは何でしょうか。真の愛の主人です。真の愛の主人、これはイエス様が願い、アダムとエバが願い、神様も願った所願でした。ですから、すべて真の愛の主人になって前進しなければなりません。そうすればすべてが終わるのです。宗族的メシヤになりなさいというのは、氏族的先祖になりなさいということです。
宗族的メシヤとは何でしょうか。一言でいえば、父親、母親を王権の位置に上げて立てるための役事をすることであり、その次には、今まで愛を中心として父母が始めて、私の生まれた本来の故郷である天国の故郷に行くことができるのです。
そうでなければ故郷はありません。これをしてあげなければ生まれた故郷がないのです。故郷のないところには父母がいるわけにはいかないのです。故郷が定められることによって、韓国で暮らしていたすべての人の故郷は、今後天国の故郷の地に入り収められるのです。それによって、地も、人間の生まれたあらゆる所が天国に属し、堕落していない立場で生まれた父母の位置を代わりに受け継ぐようになるのです。
宗族的なメシヤは、一代において氏族を中心として、故郷を案内する先鋒者であるということを知らなければならないのです。モーセのように出エジプトの先鋒者であることを知らなければなりません。盲目的であってはなりません。モーセは何も分かっていませんでしたが、私たちは具体的にすべて知っています。理論的にすべて知っているのです。故郷を訪ねていかなければなりません。
しかし、カインを探し出さなければ故郷に入ることができないということは原理的な事実です。サタン世界に兄の氏族が残っているので、彼らが自分の氏族に来るように、兄を救ってあげなければなりません。そうしなければサタンになるので、仕方がないのです。兄を救ってあげて行ってこそ、兄が囲いとなり、自分の故郷に帰って、自分の一族を救うことができるのです。そうしなければ、皆さんの母親、父親を伝道しておいても、サタンが再び連れていくのです。引いていかれるのです。そのようになる危険性があるので神様はこのような摂理をせざるを得ないのです。自分の父親、母親、自分の一族、故郷をすべて伝道しても、再び引っ張っていくのです。
氏族的なメシヤは、まず父親、母親を、堕落していないアダム・エバにします。その次に故郷、故郷を探し出すことによって、どんなことが起こるかというと、王権回復がなされるのです。そうなれば、すべて終わるのではないでしょうか。それをさっと入れるのです。まずは、父母同位圏に立つのであり、次に故郷復帰をするのです。王圏復帰するのです。それゆえ生まれたすべての人々、ソ連でもアメリカでも、生まれた人々が天の国の故郷をもつようになるということです。天国の故郷をもつには、天国の父母をもたなければなりません。天国の父母をつくるのが、宗族的メシヤの使命なのです。
神様の息子になるためには、垂直の位置に行かなければなりません。東西南北の感覚と前後、左右、上下の感覚すべてを体得することによって、神様が見るときに、見るまでもなく経験したと言うことのできる位置に入ったとき、息子の位置に入るのです。本然の位置に行かせまいと、サタンが百方をふさいでいるのです。サタンが最も恐れることは、神様の愛に接することです。お金も恐れはしませんし、権力も恐れません。神様の前では権力は必要ありません。神様は全知全能なお方なので、知識は必要ありません。全知なるお方に、何の知識が必要でしょうか。知識の王様なのですから。
垂直の位置で、天にいる神様に代わって地上に降りて、地上から横的な面で宗族的メシヤを送るというのが、今回することなのです。宗族的メシヤは、自分は死んだとしても、必ず世界的に築かれた版図、この鉄柱、垂直的世界に接ぎ木されるようになるのです。それゆえ、今先生は宗族的メシヤを送って、アベル的門中の先祖となるようにしているのです。その先祖は生命の種をもっているということです。メシヤは父母なので、種をもって現れるのです。皆さんの一族と、両親は、サタン世界の種を受けたのです。皆さんが生命の種をもってぶつかれば、どこへ行っても通じます。
宗族的メシヤは、ユダヤ教、キリスト教、統一教会を中心として、伝統的すべての失敗を圧縮し、勝利的権限をもって仏教、儒教などのすべての宗教が受けることを望むすべての恵みを総合した位置で、決定的核として伝授したものです。それが宗族的メシヤです。皆さんが国家のことを心配する必要はありません。皆さんが世界のことを心配する必要はありません。皆さんの一家のことを心配すればいいのです。
自らの氏族を復帰するためには、宗族的メシヤの責任を果たさなければならないのです。このような命令は、歴史上なかったものです。宗族的メシヤの立場は、第二の真の父母の立場であり、イエス様の立場よりも上なのです。そのような立場を与えられたという、とてつもない価値があるのです。これは何ものとも換えることはできません。
なぜ宗族的メシヤとして責任分担を果たさなければならないのでしょうか。最初の理由は、皆さんの父母を救わなければならないからです。父母というのは第一のアダムの立場です。皆さんは第二のアダムの立場にいます。父母を復帰し、再創造してアダムの使命を完遂しなければなりません。
二番目の理由は、皆さんには故郷が必要だからです。宗族的メシヤの使命を果たすことによって、自分の故郷をもつことができるようになるのです。結局のところ、宗族的メシヤの責任分担を果たす理由は、アダム家庭の完成のためなのです。具体的には、氏族を教育しなければならないということです。
これからは皆さんの根を整備しなければなりません。根はどのようになったのでしょうか。堕落することによって父母が駄目になりました。長子が駄目になりました。それゆえ、真の父母を中心とし、真の息子、娘を中心とした本然の父母圏と長子圏を中心として逆に回して越えなければなりません。そのままでは接線をもつことができないのです。一八〇度反対にしてつけなければ、出発できないのです。ですから皆さんは故郷に帰って先祖を変えるべき運命が残っているということを知らなければなりません。
皆さんを宗族的メシヤとして送ったのはどういうことでしょうか。昔はイエス様が、霊界からこの地上に縦的な過程を通して送りましたが、今日文総裁は、天を代表した神様の立場で、氏族を代表するメシヤ型の数万家庭を世界に送ったのです。これからは滅ぶことはありません。一九八九年二月三日、午後二時三十分に宗族的メシヤを宣布したのです。
統一教会教団は、宗族です。宗族なのです。私の血が共に動くのです。私が涙すれば、涙しなければならないし、私が喜べば、喜ばなければならないのです。血族なのです。五色人種を越えて、文化背景の異なるすべての国家基準を越えて、壁を取り払って一つとなった、新たな天国創建のための民族です。この民族が聖なるものとなるとき、天国の創国が顕現するのであり、そのような聖なる創国の民族として生きていくとき、創世界がなされるのであり、その世界の上に、天宙的な地上の天国と、天上天国が連結するのです。
私が皆さんを祝福してあげました。祝福というのは、イエス様に優る立場を意味します。祝福を受けた皆さんを、サタンが讒訴することはできません。男性も女性も、みな讒訴することはできません。なぜでしょうか。真の父母を中心として血統がつながっているからです。それを見ればサタンも、個人、家庭、民族、国家、世界のいかなる次元においても讒訴できません。それが神様の最終的な観点です。絶対に讒訴することができないのです。それが解放の境地です。ですから今回宗族的メシヤを宣布したのです。
今、宗族的メシヤになれと宣布したのは、どういうことでしょうか。皆さんが私の代わりに責任を負ってするならば、天が後援するということです。私が過去に、統一教会が困難の中にあったときに開拓したその時代、後援して開拓したその役事を、霊界では今でも間違いなくしているということです。そのとき反対される中においても、統一教会を氏族的復帰時代に発展させた天なのです。今は反対されないのですから、どれほど発展することでしょうか。
堕落したアダムとエバが失敗したものを、皆さんが再び復活させて、復帰された家庭の資格を天国の天権をもって是認、公布するのです。それが宗族的メシヤ宣布の目的です。
故郷、私も今、故郷に帰りたい思いです。ここソウルにいたくはありません。このように従う外国の統一教会員が故郷へ行ってすべて還故郷活動するようになり、その余波が北韓を凌駕するようになれば、先生の故郷は自然と浮上してくるのです。闘うことなくそのまま通じるのです。水が、潮が先生の故郷に満ちるかもしれないし、通じるのです。それゆえ、金日成の徒党以上の精誠を尽くして、心情的な故郷、カナンの地を編成するのが統一家の使命だということです。ですから今日、氏族的なメシヤになりなさいというのです。
今先生が皆さんにメシヤという名をあげました。宗族的メシヤ! では皆さんはどうしなければならないでしょうか。メシヤとして何をすべきでしょうか。国家的メシヤ、世界的メシヤ、天宙的メシヤとなるための、すべてのことを準備しておきました。山のような大きな宝物を、皆さんのために準備しました。皆さんがメシヤになりさえすれば、宝石の山のようなこれらすべての相続を受けるのです。水道管のようなものがつながっていて水が流れていくように、皆さんに相続されるのです。
宗族的メシヤが安物だとでも思いますか。賢明な先生が、メシヤの使命を果たすために一生をかけても至らずに恥ずかしく思うのです。皆さんの前に宗族的メシヤという言葉は、驚くべきことです。イエス様よりも貴い価値ある位置に立つことができるのです。それだけでなく、統一教会に反対して、ありとあらゆる悪態をついていた人までをも、堕落していないアダムの位置に引き上げてあげるのです。そんな話がいったいどこにあるでしょうか。話をしている文という人は、真の父母の位置にいるので、今まで話したことはすべて成し遂げてきました。成されなかったことはありません。
皆さんは宗族的メシヤ、氏族の救世主という名前をもったのです。ヤコブ家庭においてメシヤが来ることをどんなに待ったでしょうか。何千年も待ちました。何千年も待って迎えなければならないものを、皆さんの氏族の前にメシヤとして任命して送ったのですから、そのメシヤの種子としてどんなに貴いものでしょうか。
ここに来た皆さんは、金氏ならば金氏家門のメシヤの使命を果たさなければなりません。金氏家門であれば金氏家門、朴氏家門であれば朴氏家門において、天国を創建するにあたって、その氏族を代表して「私がメシヤだ」と考えなさいというのです。救い主だと考えるべきです。金氏家門を救ってやる救世主だと考えなければなりません。そのためには金氏家門の全体を代表して祭司長的な責任を果たさなければなりません。
今後、最後に残った終着地は何でしょうか。解決方法は何かということです。すべての壁を取り除き、処方するのですが、そのような恵沢を受けるにはどうすべきなのでしょうか。宗族的メシヤにならなければなりません。宗族的メシヤ。これさえ終われば、個人的讒訴条件、家庭的讒訴条件、氏族的讒訴条件、民族的讒訴条件、国家的、世界的讒訴条件を提示するその何ものもなくなるということです。
皆さんが外地に出て修練し、み旨を中心として懸命に活動した新しい習慣性をもって、その町全体を変革させなければなりません。従っていくのではいけません。神様が何もない中から自己の全体を投入して愛の対象圏をつくったように、皆さん自体を投入しなければなりません。必ず一つにしなければなりません。皆さんの故郷の人々の中で、誰よりも最高の位置につけば、霊界が協助するのです。実際にそうか、そうでないか、見ていてください。そしてビデオ・テープをたくさん作って伝道しなければなりません。
今日、皆さんは故郷へ帰って、種となり得る存在にならなければなりません。そしてその種が植えられて、大韓民国はもちろんのこと、天地が訪ねていくことのできる、神様がいつでも訪ねていきたいと思う環境を残すことができなければなりません。そうした上で、あの世へ行くときは、天国の息子、娘として愛を受けて生きるに違いありません。このような生涯路程をこれから定立していかなければなりません。
先生が「故郷へ行きなさい」と言えば故郷へ行くのは、新たな種を植えるということです。アダムとエバの種となったので、皆さんを通して新しい種を植えて、新しい根を下ろそうとしているのです。新しい種を植えるときには、肥やしをかけてやらなければなりません。
ですから悪口を言われに行かなければなりません。善意の悪口を言われて、多くの苦労をしなければなりません。三年だけしてみなさい。三年も必要ありません。六カ月あれば、すべて終わると見るのです。
昔、皆さんが一次伝道に出るときも、故郷の代わりとして行って百二十軒つくって、教会をつくれと言って追い出したことがありましたね。それは失敗に終わりましたね。その次に「ホーム・チャーチ」をしなさいと言いましたが、それも失敗しましたね。もう最後です。
宗族的メシヤとして行きなさいということは、自分の氏族のところに生えているものはすべて偽物、野生のオリーブなので、そこに行って、真のオリーブが生えるように、切って接ぎ木をして真のオリーブ畑にしようということです。その一族にとっては、それ以上の福音はありません。国を求めることよりも、世界を求めることよりも、天地を求めることよりも、もっと貴いことなのです。
韓国統一というのは、統一教会の文先生を中心として統一教会の信徒が完全にプラス・マイナスとなって、私が縦的なところにいれば、統一教会員は横的な基準で走ればよいのです。私が国のためにこの基盤を築いたのですから、皆さんはこの基盤を築くために、南北統一のための基盤を築くにあたっては、氏族が連合せよということです。
宗族的メシヤが来て、助けてくれとはどういうことですか。協会長! 言ってみなさい。先生は助けてくれという祈祷は一言もしませんでした。また助けてみましょうか。それを助ければさなぎになるのです。さなぎとはどんなものか知っていますか。死ぬほどの力を出し切っても駄目ならば、祈祷してみなさい。祈祷しなくてもお金はついてくるようになっています。そういうものです。
故郷に帰るにあたって、今後の自分の生活問題、息子、娘の教育問題、このようではすべて滅びます。イスラエル民族が出エジプトするにあたって、出ていかなかった人々はすべて滅びたではないですか。呪われる民族になるかもしれないのです。そのような天的なみ旨があるので、先生があらかじめすべて宣布するのです。宗族的メシヤに関してのことです。
四 真なる心情を本郷の地に植えよう
個人が安息するには、家庭がなければならないので、今まで統一教会は家庭を探し求めるために闘ってきたのです。また、家庭が安息するためには氏族圏がなければなりません。氏族が囲いとなって吹き付ける風と、それ以外のすべてを防いでくれる責任を代わりに果たすような、そんな舞台をつくらなければ、自分が安らかな家庭で生存することはできないのです。そのためには、親戚を中心として族長になれというのです。
族長になれば、戦いが起こっても町中の親戚が出て戦うので、族長は作戦を指揮しながら休むことができるのです。ですから先生は皆さんに対して宗族的メシヤの使命をなすように言うのです。
今までは事実上、他郷での暮らしでした。これからは故郷を訪ねていくのです。故郷へ行って、涙を流して精誠を尽くさなければなりません。イスラエル民族がエジプトに行って四百年間暮らしたのと同じく、私たちは四十三年間そのように暮らしたので、故郷に帰って愛の根を下ろさなければなりません。神様を愛し、父母を愛し、兄弟を愛さなければなりません。
ですから世界的サタンが讒訴し得る起源を切ってしまわなければなりません。イスラエル民族はそれができなかったので、カナン福地の理想天国を形成することができませんでした。ですからサタン世界に何かを求めてはならないのです。ふろしき包みを背負って歩いたとしても、私たちが一番です。
悪口を言われて歩き、夜には近所の犬にほえられても、私たちが一番です。そのような自負心をもって、父母も堂々と村の天地を、愛の歓声と共に消化することに参与して前進しなければならないということをよく覚えておいて、闘ってほしいと思います。
皆さんは真の御父母様の前に真の子女の名分をもっているがゆえに、相続権、同位権を付与することができるのです。このような天の特権的事実を信じて、すべてを愛圏の中に投入しなければなりません。神様が投入したのと同じように、皆さんが完全に投入することによって一族が復活するのであり、一族が復活するに従って一国が復活することでしょう。
自分の郷里を中心として、新しい種として植えてもらうことのできる父母の赤い血筋が自分に埋められ、すべての山野、山河がすべての犠牲の代価をたたえるように、頭を下げるようにしなければなりません。そこに植えられて花が咲けば、初めの花は天の花として、二番目の花は御父母様の花として、三番目の花は自分の長男の花として、四番目、五番目は自分のものとしなければなりません。適当にしてもいいでしょうか。とんでもありません。
今回故郷に帰ったならば、皆さんもカナン福地に入ったイスラエル民族と同じなのですから、皆さんは故郷に帰ってお金持ちの人をうらやんではなりません。権力者をうらやんではなりません。気を奪われることなく、正しい教育をしなければなりません。
神様を愛し、自分の後代を愛し、イスラエル圏である私たち民族を愛することのできる伝統が第一です。
皆さんの子を抱いて教会に出入りするとき、彼らに吸収されてはなりません。何千年ぶりに、何万年ぶりに故郷に帰ってきた還故郷の喜びをもって細胞と骨の髄が響くように泣き、血の涙でその地を濡らし、血の涙に浸った聖なる血であるという名が天から降りなければなりません。そこから天国が始まるのです。
皆さんは故郷に帰って、故郷を復活させなければなりません。イスラエル民族はそれができませんでした。四十年間乞食の群れとなって渡り歩き、帰ってきてからは豊かに暮らしているカナン七族がうらやましく思われ、子羊がうらやましく、家がうらやましかったのです。天幕を張って暮らす身の上だったからなのですが、そうしているうちに国を売り渡し、神様を売り渡すことになったのです。
それでは、故郷に帰ってどうしなければならないのでしょうか。皆さんと一つになるようにしなければなりません。その方法は簡単です。息子を生んで、天の伝統を伝授する教師となり、「こうすれば天国ができる」という手本を見せてやり、母親、父親は、その町内の母親、父親に「こうすれば天国の部落になる」というのを見せなければなりません。
そうすれば良いのです。簡単です。夫は妻を、妻は夫を愛し、父母は子を、子は父母を愛する愛の家庭を築いて、それをすべて伝授すればよいのです。
先生は世界的先祖の位置に立つために、このようなことをしてきましたが、皆さんは、それぞれ皆さんなりに、氏族的先祖になるための伝統を、それぞれの分野に該当する伝統を受け継ぐために、皆さん自身もそのような道を行かなければならないという事実を知るべきです。皆さんの氏族のために、一族のために伝統を立てなければならないということです。これから十二支派が編成されていくことでしょう。ですから伝統が必要だということです。自分のことを考える人は、ここから落ちるのです。
真なる心情を本郷の地に植えなければなりません。これが植えられなかったのが堕落でした。そして皆さんは皆さんの一族の中で宗長にならなければなりません。
「神様は宇宙のアベルであり、この世界の人類は神様の前にカインの立場にあるのですが、神様は、僕の僕の体をまとい、養子、子女の体をもまとって、今まで復帰歴史をしてきたので、私たちはその伝統を受けて、自分の氏族のところへ行き、そのような伝統を再び提示し、屈服させる役事をしましょう! というのです。それは長くかかりません。三年、長くても三年です。ですから十年と見るのです。
五 この時代に我々がやるべきこと
一) 真の父母を証しよう
万民の願いは何でしょうか。世界の国家を迎える前に、真の父母を迎えようということです。誰から出発したがるのでしょうか。皆さんの新しい息子、娘は、皆さんの血筋を通して生まれるのを願うのではありません。真の父母の血筋を通して生まれたがるのです。それゆえ真の父母は、新しい未来の出発点になるのです。
すべてはどこに帰結するのでしょうか。真の父母に会うことに帰結するのです。人類の真の父母が現れることが歴史の願いであり、国家の願いであり、摂理の願いです。ですからそのような真の父母が現れるときは、歴史上で一度しかない定点をなす時であり、空前絶後の時なのです。永遠な世界というものを考えれば、人間の一生というのは、一度呼吸する期間のようなものです。
真の父母というのはどのような存在でしょうか。真の父母は全体の希望の象徴です。堕落した人類の前に、絶対的な希望の象徴なのです。それは歴史的な結実体であり、時代的な中心であり、六十億人類が生きている今日のこの世界の国家圏の中心です。真の父母は今後の理想世界につながる未来線上における出発点です。
真の父母というその名(韓国語で三文字)を考えるとき、真の父母によって歴史が治められ、真の父母によって新たな世界になり得る起源が生じ、真の父母によってサタンを屈服させ得る内的な因縁が結晶し、真の父母によって外的な世界を占領しているサタンを征服し、初めて神様を解怨成就してさしあげることのできる中心が結晶するのです。それゆえ、真の父母と共に生き、真の父母の命令を受けて行動することのできる、この驚くべき恵みに、皆さんはまず感謝しなければなりません。
人間の願いは真の父母に会うことです。死の道を行ったとしても会わなければならないのが真の父母なのです。歴史のすべてを失い、時代のすべてを失い、自分の子孫すべてを失うことがあったとしても、真の父母に出会ったならば、歴史を得ることであり、時代を得ることであり、未来を得ることなのです。そのようなお方がすなわち真の父母だということを皆さんは知らなければなりません。
皆さんが真の父母と完全に一つとなるときに、国家があり、氏族もあり、民族もあり、家庭もあるのです。天地の栄光の価値すべてを総合した実体基準が真の父母です。真の父母をこの世のお金と取り替えますか。自分の生命を渡して取り替えることができるでしょうか。それゆえ昔とは違うのです。皆さんはどこに行っても真の父母にお仕えするために大韓民国を訪ねてこなければなりません。皆さんの息子、娘も、千世万世の子孫たちもそうしなければなりません。それゆえ統一教会は違うのです。
統一教会で言う真の父母とは何でしょうか。堕落しなかったとすれば、神様が縦的な愛になり、アダムとエバは神様の体になるのです。神様の体のようなものです。神様は骨のようなものであり、アダムとエバは体のようなものだということです。神様にも心があり、体があります。神様は内的な立場で内的な父母であり、アダムとエバは外的な立場で外的な父母となるのです。内的、外的な父母が一つとなったその場において、愛によって結ばれて内的父母に仕えるようになり、外的父母をもつことになります。神様と人間との愛の結託によって、真の父母、つまり完成した人間が成就するということです。愛と結託しなければ、完成人間はないのです。
二) すべての家庭に御父母様のお写真を掲げよう
御父母様の写真を貼り、統一教会の旗さえ掲げればそれは天国の眷属となるのです。天国の眷属にしようというのです。それゆえ、今回旗を掲げるのをためらっていて打たれた人がたくさんいましたね。本当に不思議です。先生に対して後ろ指をさしたことで、手が悪くなり、幾晩も祈祷して悔い改めて初めて良くなったり。そのようなことが起こるではないですか。なぜでしょうか。
天運が来ているのに、個人の運勢によって防ぐことはできません。宿命的な道なのです。モーセが杖を持っているときは、それを見ていた人はみな生きました。統一教会の旗を見て行く所ごとに敬拝し、泣いては敬拝し、写真を見て敬拝し、泣いては敬拝すれば生きるのです。
統一旗を掲げるのは、通りがかりの信徒が空腹であれば、ここに入って休みなさいという表示であり、昼時であれば、昼御飯でも食べていきなさいという表示です。それゆえ、いつでも客をもてなすことのできる準備をしていなければなりません。父母に代わってそのような準備をしなければならないのです。ですから部屋もなければなりません。御父母様が来ないので、御父母様の代わりとしての客に侍ろうというのです。この思想は、天の最高の基準の前に平準化思想を連結させるためのものです。そのような意味で、神様に侍るように、御父母様に侍るように客をもてなしなさいというのです。そのような人は恵みを受けます。
文総裁は有名です。国のための愛国者だということは、みな認めています。また、私が成した功績には、天下がみな頭を垂れます。そして「あの方の写真をかけている以上、夫婦がむやみにけんかをするわけにはいかない」と言い、息子、娘の前でも「あの文先生の前ではそれじゃあいけない」と言うようになれば、悪いことはありません。自分の両親の写真以上に尊ぶことによって、先祖たちが来て、先祖として侍るのです。また、先祖たちが来て、その家に侍るための祭壇となるのです。それゆえ、天上世界の恵みを受けることのできる道があるので、午前三時になれば、自分たちは寝ていても、(先祖たちが)みな一家周辺の邪悪な悪魔をすべて追い出すのです。
今日以降、皆さんは先生の写真をもって歩くのが良いのです。そうすればどんな苦難に遭ったとしても、無事に耐え抜くことができるよう保護してくれることでしょう。モーセがエジプトのパロ王からイスラエルの民を脱出させてカナンに導くために、奇跡を見せたとき、長子は患難に遭い、病気になって死にましたが、羊の血を門の柱に塗った家はその患難は避けて通ったのです。霊界は、私たち人間のすべての行動を見ることができるだけではなく、保護もしてくれるのです。
イスラエル民族がエジプトから出てくるときに、門の柱に血を塗って災いを免れたのと同じように、写真をもっていれば、そのようなことがあるかもしれないのです。先生の写真をポケットに入れておいても分かるのです。このように小さな条件が、門の柱に血を塗るのと同じことになるのです。
これからレバレンド・ムーンの名声は国境を越えます。あちこちの政治家の中には、書斎にレバレンド・ムーンの写真を掲げて仰ぐ人が多いということを私は知っています。尹博士も私の写真を掲げましたか。毎日あいさつしますか。毎日キスをしますか。熱情的でなければなりません。キスしなければなりません。だからといって失礼になることはありません。神様の愛に代わってキスすることによって、私がキスすることによって、霊界に行った人々に同参圏、同位圏をもたせようとしているのだと言えば、神様は「ノー」とは言わないのです。「そうだ、そのとおりだ」と言うのです。尹世元博士、そうしてみたらどうですか。
先生のほほえみは、モナリザのほほえみほどに神秘的なところがあるという経験をしたことがあるはずです。ある時はこうで、またある時はああで、数十万種類の姿に見える先生のこの神秘的な姿は、霊界をして皆さんに協助させるという経験を大部分がもっていると思います。霊界の霊人たちはみな、先生のことをよく知っているのですから、この写真を見れば霊界が喜ぶでしょうか、気を悪くするでしょうか。皆さんの先祖がこれを媒介体としてつながることができるのです。そのような良い材料であると理解してほしいと思います。
三) 氏族復興会をしよう
これからは家庭復興会をしなければなりません。家庭復興会は皆さんの一族を中心としてするのですが、その復興会は全体の氏族を代表した復興会です。それは韓国だけでなく、世界の多くの祝福家庭が、氏族をつなげた、その氏族を代表した復興会だと思わなければなりません。そのような復興会に世界の人がみな同参するのです。今日韓国にある統一教会は、韓国が基地となることによって、氏族基盤を中心として、世界を代表して復興会をすることができるのです。これがどれほどの恵みか知れません。
ですからこの復興会の宴会で牛をつぶしてもいいのです。それは皆さんの思いどおりにしてください。鶏をつぶすならつぶして、鶏をつぶしただけの恵みを受ければいいのです。牛をつぶせは牛をつぶしただけの、牛百頭をつぶしたとすれば牛百頭をつぶしただけの恵みを受けるのです。相手のためにというその心情、自分の努力いかんによってすべて左右されるのです。それに比例して皆さんの先祖の解放圏が広がっていくのです。
今や韓国統一が可能な時になったのです。すべてがそうです。これからは故郷を訪ねていって氏族復興会をすれば、それは歴史的な復興会になるのです。これは国を取り戻そうと三・一運動で万歳を叫んだ以上の驚くべき事件です。歓迎される立場で天理が動き得る、そのような環境をもったということです。このような舞台で自分の氏族を動かせないとすれば、それはもう死ななければなりません。
歴史というのは、真の真理を求めていく路程です。その真理は、真の個人が生きる道、真の家庭が生きる道、真の社会が築かれ得る道、真の国が築かれ得る道、真の世界が築かれ得る道を提示しなければなりません。そうして個人から世界までの焦点がすべて一致してこそ、世界完成、国家完成、氏族完成、家庭完成、個人完成が可能なのです。このようにぴったりと合わせ得る核となるみ言、すなわち真理をもってこられるお方が真の父母なので、その真理はすなわち神様の真の愛です。
全世界の人類は、気を確かにもたなければなりません。統一教会の文総裁の教えは、救世の真理なのです。人類が永遠に必要とする真の愛と生命のみ言です。再臨主が世の中を救おうとして来られるとするならば、人類を鉄格子の窓で審判するというのではなりません。たたくことによっては一人として完全に屈服させることはできないのです。手がヒキガエルの背のようにでこぼこになり、曲がって開かなくなるほどに苦労した母親の犠牲的な愛には、不孝者を悔い改めさせ、戻ってこさせる力があるものです。
棍棒をもってしてはできません。審判の大王であり、天地を思いのままに主導なさる神様でも、真の愛なしには天宙統一は不可能なのです。真の愛は困難が問題にはなりません。自分の生命を投げ出してでも、行くことのできる力が真の愛にはあるのです。
統一教会のみ言はいいのだが、人は良くないというようになれば滅びます。滅ぶのです。統一教会の文先生は皆さんの前にみ言を語っただけでしょうか。み言を語っただけではありません。先生が今皆さんに教えている内容は、先生がすべて行ってから教えているものなのです。それゆえこれは間違いありません。
先生は知識の面においても、実際的な面においても、矛盾や相いれないということのない理念体系をつくって教えてあげているのです。そこに関しては誰も何も言えません。サタンも公認するし、神様も公認することでしょう。
神様はみ言をもって私たちを呼んでおられるので、私たちはそのみ言どおりに行かなければなりません。真の父母と真の子女が相まみえるための道は何でしょうか。真なるみ言を通じることです。そのみ言は父のみ言です。父のみ言を知らずしては、子となることはできません。父のみ言が絶対的であり、真のみ言であるとするならば、同じみ言を千年、万年聞いても飽きません。終わりがないのです。
私たちはそのようなみ言を求めていかなければなりません。そのみ言がある論理的な条件にぴったりと合うといっても、それで終わるものではありません。大原則でありながらも、聞いて、聞いて、また聞いて、永遠に聞いても生命となり得るみ言です。そのようなみ言を求めなければなりません。
父母のみ言は永遠なものです。時間と空間を超越しているということです。それゆえ、神のみ言は歴史を超越しています。主義を超越しています。思想を超越しています。ですからどこの誰の言葉よりも貴いものです。そのみ言は夜聞いても、昼聞いても、夜見ても、昼見ても、皆さんの心に無限に流れてくるのです。そのようなみ言を求めなければなりません。
私の恨は何でしょうか。両親の生きているうちに、統一教会に入会するように涙を流し、絶叫しながら勧めることができなかった不孝を残したことです。この恨を、皆さんを通して解こうと思います。
私の一族を伝道することはできませんでした。八人の兄弟姉妹がいましたが、私は彼らの前で原理のみ言を一言も語ることはできませんでした。兄は私が語れば何でも絶対服従するのです。カイン復帰を完全にしました。家を売れと言えば家を売り、牛を売れと言えば牛を売ってくれるのです。母親、父親が及ぶところではありません。そのような兄に対して、一度も原理のみ言を語ることができませんでした。
これからは故郷に帰って灯台を立てるべきです。灯台とは何でしょうか。夜、暗いところに灯をともすのです。それはどんな灯台でしょうか。南北統一、東西統一の灯台の灯をともしなさいということです。これからは聖地のその灯を消さないように、灯をともさなければなりません。
今後皆さんは口を閉じていてはなりません。人が集まってくれば、先生が一九五〇年代に七年間二時間以上寝ることなく、皆さんに昼夜を問わず教えたように、夜も昼もなく七年ぐらいやってごらんなさい。七年間しなくてもよいのです。四年もかかりません。四カ月以内にすべて終わるのです。
私が故郷に行くならば、もう、あっという間に統一してしまうのです。ですから両親によく教えてあげなければなりません。兄弟たちに本当の意味でよくよく教えてあげなければなりません。自分の手で、人の口を借りることなく、皆さんの血の汗を通して教えてあげなければなりません。精誠のこもったその教える態度を、その姿勢を父母が見習い、兄、姉、弟、妹が見習い、甥、姪が見習えば「家の宝である私たちのおじさん、私たちの弟、お姉さん、私たちの息子、娘」というようになるのです。
皆さん、これからみ言を宣布しなければなりません。これから原理宣布だと言って、皆さんの町内で八時間でも何時間でも夜を明かして、私が七年間したように、皆さんもそのようにしなければなりません。七年もかかりません。七カ月もすればすべて変わっていくことでしょう。そうなれば私がトラックにいろいろと積んで行くかもしれません。一族が私を招待して。
先生は七年間一日に二時間しか寝ませんでした。皆さんもそうしなければなりません。私は劉協会長に三年間、十六時間ずつ講義させました。劉協会長が大変がるときに、私が「こら、横になって人を殺そうというのか。先生に横になると言いもせずに横になっているのか」と怒鳴ったことが、今となっては心が痛みます。劉協会長は魚のことが好きだったですから。
アキアミ(注:甲殻類に属する海老の一種)というのがありますね。アキアミの塩漬けは臭いがして、その横に行くこともできないのに、それがおいしいといって食べたことを今でもはっきり覚えています。今では味付けした牛のカルビー(あばら肉)の片方全部を食べさせてやることのできる時代になったのに、あんなにかわいそうな生活をしていたことを思うと、胸が痛むことがあります。どうしてそうしたのかというと、伝統を立てるためです。
四) 訓読会を組織化せよ
先生のみ言は、先生が語ったものではありません。先生が言ったことではないのです。天が先生を通して語られたみ言です。そのみ言は皆さんがいつ、どこで聞いても心が動き始めます。心が感動を受ければ、体に一大革命的変化が起こるのです。そのような力があります。
集まりがあるときは勉強です。夜も昼も時間さえあれば勉強です。何百回、何千回と読んで、自分のものになるまで、自分がその相対的実体圏をもつまで、これからはそのようなことをするのです。統一教会員は座っていると病気になります。病気にならないためには一生懸命に読んで、試験をして、努力するのです。
真の父母はみ言の先祖であり、人格の先祖であり、心情の先祖です。
訓読会は私が千辛万苦して人生において積んだすべての宝の箱を、民族の前で開けて与えることなのです。誰にでもすべて。翻訳もするなと言いました。翻訳できません。私の民族の前に通告するときまでです。それを知らなければなりません。
時間さえあれば訓読会をしなければなりません。一人でも、化粧室でも訓読会、一日に何時間でも、どこを読んだか記録して、ポケットにみ言の本を入れておいて常に訓読会をしなければなりません。
『御旨の道』を読み、原理を読むのはもちろんですが『祝福と理想家庭』であるとか、今まで先生の語ったみ言の中で重要なみ言は、サタン世界と対峙して闘ってきた勝利の記録なので、すべて読まなければなりません。ここには御父母様の歴史的記念である過去、現在、闘ってきた内容がすべて含まれているので、私たち統一家が御父母様と一つとなるためには、その内容と一つとなりながら、そこにあるそのみ言と相対的な基準をつくっていかなければなりません。自分を中心として、家庭を中心として、自分の一族、七代まで、そして横的には百六十家庭、百八十家庭を中心として完全に一つとなってみ言を定着させなければならないのです。
訓読会は祝福家庭の夫婦二人きりでもしなければなりません。毎日朝一時間ずつ。もし朝にできなければ、夜寝る前に十二時でも一時にでもすべきです。私はしています。今回南米を巡回したときにも、十二時を過ぎて疲れていても、それを実践したのです。一日も欠かすことはできません。分かりましたか。読んでみるべきです。『祝福家庭と理想天国』! この本は祝福家庭の内容をすべて教えてあげたものです。先生がそれをめぐって闘ってきた勝利の基盤を、ハイウェイを切り開いておいたので、ここに高速道路をつくって皆さんはすべて自動車となり、ガソリンとなって、自動車でここを最高のスピードで走らなければなりません。
私たち統一教会の原理の内容を、嫌気がさすほど語ってみなさい。一度嫌になるほどやってみようということになれば、どんなにおもしろく、どんなに良いか知れません。み言が創造の能力をもっているという事実を、確実に知らなければなりません。私がどこへ行こうとも、天が共にあるということを知っているので、その心情が直接大衆に影響を及ぼすのです。どういうことが分かりますか。
今までの先生の説教をまとめた説教集をすべて読んだ人は手を挙げてみなさい。こら! どんな教育をしたのですか、協会長。先生はその説教集の中でも深い内容は語れませんでした。今でも語ることはできません。み言の貴さを知り、み言の下には生命の源泉が、湧き水の源泉、水の源泉ではありません。降水ではありません。その生命の源泉が流れているということを知らなければなりません。自分個人の家にその湧き水のパイプをひいて、永遠の生命水が湧き出すような道を模索しなければならないというのが、統一家の群れの責任であるのに、何をしてきたのですか。あれはみな古物屋に売る本なのですか。
第五章 再出発のための私たちの決意
一 再出発の決意
さあ、滅びるわけにもいかないし、死ぬわけにもいきません。生き残らなければなりません。生き残るためには、そのままでいてはならないのです。敵を越えていかなければなりません。敵を越えなければならないのです。敵を越えれば天国です。ですから還故郷したところから敵を越える日には、天国の版図が広がるのです。統一民族圏ができるのです。
それゆえ、皆さんが今回同行することによって、一千万の心の中に還故郷の火をともすことのできる良い機会です。こうして底辺から侍り、抱き、兄弟の愛をもって南韓の同胞と北韓の同胞が兄弟のように自らのすべてを分かち合いつつ、そこから再出発するのです。そこには国家観はありません。カイン・アベル時代に国家はあったでしょうか。国家がありましたか、ありませんでしたか。国家の後援を受けてはならないのです。国家の後援があれば、両者とも滅びるのです。
以前、分水嶺を越えると言いましたね。古稀のとき霊界に通じる外部の人が、踊りを踊りながら「今や文総裁が三十八度線を越えた」と言いました。それは敷居を越えたという意味です。幸福の世界が来るということです。すべてそういうことです。
そのようにして一九九〇年代を越えなければなりません。これを越えれば統一教会は一瀉千里に発展していくことができます。今回の古稀からは……。七十歳ですから七千年、七数を蕩減して八数時代になるのです。八数は解放の数、再出発の数ですね。
ですからアメリカが共産党滅亡宣布をしたのです。すべてが終わったのです。本当に不思議です。それも私たちが大会を終えたのちの七日と八日でした。
このような難局の時期が来ることを天は知っていたので、神のみ旨を中心として新たに再出発する準備をさせなければなりません。その位置にあるべき宗派、教会、あるいは宗団とはいかなる宗団でしょうか。統一宗団です。
その名のとおり「統一」という言葉は指導を受ける位置での統一ではありません。「統」には率いるという意味があるのです。率いなければなりません。主体的中心をもって相手を教育し、主体理論の理想的な同伴者として、相対圏を形成することのできる内容を備えなければなりません。それが統一宗団、統一教会です。
しかし、それはこのレバレンド・ムーン一人の構想から始まったものではないのです。歴史性を超越した内容を中心として始まったという事実を今日の世界は知りませんでした。
孝子の道を行くためには、有史以来の迫害が迫り、困難な峠が多かったとしても、それを克服することのできる余裕満々とした男とならなければなりません。患難と試練の中でもまれ、後退の余念をもって悲しみの恨の道へと戻っていくのではなく、億千万世の苦衷と受難の道を克服し、克服し、決意して誓い、あすの希望に満ちた再出発の道を促していきながら、死の道も見分けていくことのできる道を残して行かなければなりません。そのような歴史的要求と、神様の要求があるということを知らなければなりません。
世界平和連合構想をそのときから始めたのです。それを今年八月末までに終わらせなければなりません。世界平和宗教連合も同じです。これが九月を越えてはならないのです。八月は世界的な再出発をする月なので、それを形成しなければなりません。そのために七月一日の神様祝福永遠宣布式をしたのです。蕩減路程をすべて越えなければならないのです。そして宗教圏まで一つに結んで宣布しなければならないのです。それが八月二十八日です。そのときまでに宣布式をして、その次に九月一日に新たな出発をするのです。すべてが越えるのです。そしてこれからは、世界は進んでいた道に背を向けて、すべて先生に従ってくる群れとなっていくのです。
皆さん、皆さんがそのように「ため」に生きようという生き方をすれば、歴代の先祖の基準を越えて、歴史上初めて必勝の勝勢者として神様の息子、娘だということのできる天道の道を行く巨人の人生に出世するのです。そのような時代になったのです。皆さんが自分自身の生涯を再出発させることのできる、驚くべき時代になったのです。
二 真の御父母様の伝統相続の姿勢
皆さんは堕落した息子、娘です。本来は、一人ではその位置に到達することはできません。皆さんは堕落した位置にいるのです。それゆえ、まず真の父母に学ばなければなりません。その場で互いに一つとなることができ、そこで真の愛が生じるのです。それが最初のエデンの家庭の伝統になるのです。真の御父母様なしに、どうして真の愛と伝統を学ぶことができるでしょうか。御父母様なしにはそのような相続がなされるはずはないのです。分かりますか。
父と母は、真の愛で愛する息子、娘に自分のすべてを相続しようとするのです。宇宙の相続は愛の伝統の上で、同等な愛の価値的位置を見いだすときに、そのすべてのものを心置きなく一〇〇パーセント相続するようになっているのです。ですから父母は孝子を望むのです。孝子とは何でしょうか。父母の永遠なる愛の同参者として愛を相続しつなぐものです。
皆さんは、皆さんの家庭の主人がどんな人だったらいいでしょうか。どんな人を主人の位置に置きたいでしょうか。父親でも、おばあさんでも、家族はみな、どんな人を相続者にしたいでしょうか。より愛する人です。おじいさんが最もその家全体を愛しているとすれば、家族はおじいさんにすべてを報告するのです。お父さんをさておいても、それはどうしようもないのです。それゆえ、一つの主人となることのできる者は、愛の心をもって「ため」に生きる者です。愛の心をもってより「ため」に生きる者が、その愛の家庭の伝統を受け継ぐのです。より大きな愛をもって「ため」に生きる者が永遠なる相続系列に同参するということを知るべきです。
皆さんは家庭で「孝子になれ」と言いますが、それはどういうことでしょうか。真の愛の中に入りなさいということです。それでは「相続者となるようにしなさい。愛国者となりなさい」というのはどういうことでしょうか。国を相続しようということです。「聖人になれ」と言いますが、それはどういうことでしょうか。世界を愛せよということです。「聖者となれ。神様の息子となれ!」と言いますが、それはどういうことでしょうか。神様の愛に同参して宇宙全体の相続権を受け継ぎなさいということです。そのすべてを相続することのできる伝統的な道があるがゆえに、今日まで堕落した人間世界において、このような論理的な段階に発展することのできる基盤を連結させてきたのです。それゆえ宗教の目的や、求道の道が可能であるということを決定づけることができるのです。何ゆえにできるのでしょうか。愛のゆえです。
今までこの道を切り開いてきた神様の道がそうだからです。神様の築いてきた伝統を相続してやるには、皆さんがこの道を行かなければならないのです。皆さんが苦労するのを見て喜ぶのではありません。苦労して切り開いてきた、その心血を注いだすべての福の恵みを、皆さんに無条件に祝福してくださる天があるということを知らなければなりません。その位置で相続を受けてこそ栄光となるのです。神様はそこで暮らすのです。十字架で蒔いたのですから、十字架で取り入れなければなりません。それを知らなければならないのです。涙で蒔いたので、涙で取り入れなければなりません。
私たちが神様の摂理全体を相続するためには、その伝統に忠実でなければなりません。伝統に忠実な者となったのちには、どうすべきでしょうか。そこからは責任をもたなければなりません。責任をもたなければならないのです。責任をもったならば革命を起こさなければなりません。この伝統が父の前に正しくないとするならば、その伝統を全体の前で相続させるためには、社会環境の矛盾したすべてを打開するために闘争しなければなりません。そうしなければ発展がないのです。それゆえ、皆さんがそのような歴史的な因縁を相続し、時代的な開拓者の責任を果たすためには、神様の復帰摂理に関する歴史的な純粋な伝統を受け継がなければなりません。そして、現在の生活的環境においてそのような責任を負い、未来の新たな理念の礎を築くために闘争していかなければならないということを、よくよく心に刻まなければなりません。
同じ父母をもち、兄弟の因縁を共にしなければなりません。そうして一つの父母の生活と、習慣と、伝統をそのまま相続しなければなりません。そして、天が喜ぶことのできる家庭形態を備えなければなりません。そうしてこそ家族ができるのです。
立派な国をもちたがっている人が、「ただ遊んで食べて、人と同じようにしながら立派な国をもとう! それはどんなに素晴らしいことか!」と言っているとするならば、その人は悪魔の後継者に違いありません。立派な氏族と民族と国をもとうとするならば、一家ではなく、一族を、自分の氏族を……。そのような世界を願うならば、まず一国を投入するということをしなければなりません。そうしてこそ、立派な世界を相続することのできる摂理史的伝統の位置に立つのです。そのとおりです。
皆さんのお母さん、お父さん自体が生命をもって生きているのですが、そこに愛というものがなければ、関係を結ぶことはできません。また、愛がなければ、前後左右のいかなる因縁も相続することはできないのです。それゆえ夫婦となった男女は、必ず父母の愛を伝授してもらわなければなりません。父母の愛を伝授してもらうと同時に、子女にその愛を伝授する伝統の上に生命の軸を立てなければなりません。
天国とは「ため」に生きる人の行くところです。自分を世界に投入しつつ、世界と連絡し、世界を抱いて、世界以上の位置を、神様に侍るための愛を求めてさまよう人が、天国の主人となるのです。そのようなことを誇らなければなりません。自分から自分の母親を誇り、自分の妻や夫を誇り、息子、娘を誇り、兄弟を誇り、皆さんのお兄さんを誇るには、そのような伝統を中心としてこれを国へと拡大して適用し、その公式を世界に適用し、天宙に適用しなければならないのです。そのような人はどこへ行っても同参、同位、相続権をもつことができます。
それゆえ、神様が私のものとなるのです。神様の愛が私のものになるというのです。神様の行くところはどこでも同位、同参することのできる権限があるということを知らなければなりません。この驚くべき事実を知ってから他のものを求めていこうというのなら、行きなさいというのです。雷が落ちることでしょう。そのようなことを求めていくのが統一教会の道であるということが分かりました。
息子、娘が、自分のことばかり考えるようであってはなりません。私のように、天地のために、人類のために生きるには、より強く、より次元の高い伝統を受け継ぐことのできる息子、娘にならなければなりません。そのように考えるのです。だからといって、誰も不平を言うわけにもいきません。それゆえ、統一教会の教主の後継者には誰もがなれるというわけではありません。血統を受け継いで、「ため」に生きる伝統的な愛と一致することのできる息子、娘にならなければなりません。より次元の高いお母さん、お父さん以上の息子、娘とならなければならないのです。そのより高い息子、娘は、侍る生活をしてみなければなりません。出たり入ったりする人はなりません。それゆえ、相続も、高い次元の息子、娘がもっと「ため」に生きようという基準で相続しなければならないので、長孫(孫の中で一番上の男の子)が必要なのです。
皆さんは南韓の地においてどうしなければならないのでしょうか。北韓を取り戻す前に、南韓はアベル圏の中にいるがゆえに、皆さんがアベル圏の中に入ってこの世界版図まで上がるように、先生が引っ張ってあげなければなりません。ずーっと上がってきたこの基準を皆さんが相続して、皆さんの誰もが先生を代表し、世界を代表し、国家を代表し、氏族を代表し、民族を代表して、皆さんの故郷に帰って、皆さんの家に根を下ろすのです。真の夫婦の愛を中心として、本然の伝統基準をここにしっかりと根づかせることによって、先生の世界基準の根が完全に根づくのです。
教会をあとにして、みな家に帰って自分だけがよく食べ、いい暮らしをするというのではなりません。帰ってから第一にすべきことは何かというと、教会を整備することです。次に、自分の息子、娘から後ろ指をさされるようではいけません。物乞いになって人の世話になるようであってはなりません。血の汗を流し、正義の真なる血肉の価値を通したその基盤において、息子、娘を養い育て、息子、娘に新たな伝統を教育しなければなりません。のみならず、自分の一身を投入してその一族を生かしたのちに、一族が自分を定着させてくれて初めて私が生きるのです。さもなければ潔く祭物として消えていこうという犠牲的精神をもつ、そんな相続者がいなければ、この南韓の地が天国の基地として残り得る国家の基盤はできないということを、はっきりと知らなければなりません。
相続は天の名によって、天の命令によってなされるものです。相続は民主主義式ではできません。もしそうであれば滅びます。国会の相続、授権政党というものを、自分たちが偉いからといって自分たちの手段方法をもってしてはいけません。国の伝統を立てなければなりません。命令によってなされるものであるがゆえ、命令を受けることができなければなりません。そのような社会にならなければならないのです。それを分かってほしいと思います。
今回皆さんを配置したのですが、それは皆さんが愛の主人、サタンが愛してきたそれ以上の愛をもって、主人意識を回復した立場に立ち、神様に代わって、イエス様に代わって、先生に代わって、子孫として堂々と伝統を受け継ぐ天の相続者としての権威をもち、主人の役割を堂々と果たしてくれることを願って故郷に送ったというわけです。これまで故郷では私たちに反対してきましたが、これからは順応できるようになりました。文総裁のもとに従ってこれるようになっているということです。
愛には相続権があるのです。驚くべき事実です。この世でも、親が相続権を与えるときには、父母を愛し、国を愛し、兄弟を愛する人に与えようとします。それはなぜでしょうか。その伝統の歴史的起源、出発の起源に合っていて初めて正しい種となるからです。それが分からずにいたのです。
歴史上どんな父母にもそれはできません。私が最高の伝統を立てました。そのような伝統を皆さんに相続してあげようというのです。皆さんは何をしているのですか。これから季節が変わります。春が来るのです。お父様は春だけではありません。四季……。そのような態度でやっていくのです。
生命よりも貴いものは何でしょうか。私が貴いでしょうか。私の生命よりも、もっと貴いものは何ですか。それは愛であるがゆえに、高い愛をもった人の前に忠誠を尽くさなければならないのです。
それゆえ、家庭に入れば父母の前に服従するのです。愛の最も高い位置にあるのが父母の愛であるがゆえに、その愛を慕う息子、娘は、千年、万年順応しながら、その愛を相続するために、山奥をさまようような立場にあっても良いというのです。あの臭い肥やしを頭からかぶっていても、父母を愛する伝統を受け継いでいかなければならないという立場で、「孝行しなさい」という父母の言葉を永遠に誇ることのできる愛を相続するのです。そうならなければなりません。
先生がこの世を去るときの贈り物として、何を残していくかということを考えるとき、それが最高の贈り物なのです。それは天地を渡しても売り買いすることのできないものです。その贈り物は、先生が真の父母だという場合、真の子女がいたとすれば、血統的に一つに結び付けてくれるものです。血統的に一つとなったというのは、生活はもちろんのこと、環境のすべてまでも収拾されます。父母に代わる者、父母に代わって愛する者であるがゆえに、父母のみ言を相続し、父母の文化を相続し、父母の生活方式を相続しなければならないのです。それが伝統的な道です。
三 真の愛を植えよう
愛によらずしては、一つにすることができません。二つを一つにするには、言葉をもっては不可能です。二つが一つになるためには何がなければならないのでしょうか。物質によって一つになっている場合、物質がその場を離れたならば、逃げていってしまいます。第三者の紹介によって、ある事情を通して一つとなったとする場合、その人がいなくなれば去っていってしまうのです。二つが一つとなるためには、永遠に一つとなるためには愛がなければなりません。愛以外のものではなりません。
神様を中心として考えるとき、根本は愛です。愛があれば統一は自動的になされるのです。サタンよりも水準の高い愛で愛すれば、サタンも引かれてきます。神様は最高の善と愛を与えるために天地を創造なさったのです。
愛が偉大なのはそれです。上下、高低の距離を超越し、空間と時間を超越して、共同所有の理念を即時に共有し得る圏内に参ずることができ、参加することのできる能力が愛の道にある! これは驚くべき事実です。
愛があればどうなりますか。どうなるでしょうか。すべてが遠ざかりますか、それとも近くなりますか。愛はどうして良いのでしょうか。それを知らなければなりません。遠いものも極めて近くに、一つにすることができるのです。東洋人と西洋人を政治力、軍事力、文化の力で一つにできる人はいるでしょうか。文化の力、経済力、どんな力をもってしてもできません。何がありさえすれば一つになるのでしょうか。愛というものがなぜ良いのか分かりますね。
人間が愛を最も好むのは、愛は全体を統一して私のものにすることのできる主体だからです。人は愛がどんなに良いものか完全に知るよしはありません。ですから先生が愛をもって出てきたのです。
愛の心は、愛の力は、殺そうとしていた怨讐までをも一つにするのです。極と極、反対のものを一つにすることができるのです。女性と男性は、極ですか、それとも極ではないでしょうか。女性は女性同士で好むでしょうか。女性が二人きりで「私はあなたの手にほれたの。ああ、なんて良いのでしょう」と言ったとすれば、どんなに気持ち悪いことでしょうか。
統一の方案はどこにあるのでしょうか。「ため」に生きるところにあります。それでは南北を統一するのに金日成の言うとおりにするというのでしょうか。金日成の言うとおりにするのではありません。愛が宿るものは何であっても「受けたい」と思うような良いものであるがゆえに、その良いという立場において永遠に与えることのできる位置に立てば、北韓も統一されるのです。現在北韓の民が暮らしている以上の立場で、永遠に与えることのできる基盤さえつかめば、共産党の宣伝などは通用しないのです。大韓民国が、経済分野、生活分野、知識水準などすべての分野で優越な立場にあり、永遠に与えることのできる立場に立てば、一つになるなと言っても完全に一つになるのです。
善は何かにぶつかるたびに発展するのです。行く先々で百勝するのです。困難なように見えてもこの原則に立脚すれば、この原則が間違っていない限り、必ず勝利をもたらすのです。この原則によって生き、この原則に立脚して犠牲になる人は、必ず勝利するのです。自分が得た利益を自分の利益と考えるのではなく、より大きい国家の利益とみなし、勝利したならば、その勝利した価値を自分のものとしてではなく、国のものとして、世界のものとして返す、そのような思想を繰り広げていく団体があるとすれば、世界が滅びることはあっても、その団体は滅びないはずです。そのような内容をもった統一思想は滅びないということを、皆さんは知らなければなりません。
借りをつくっては統一ができません。借りをつくるところに統一はありません。借りがあっては天国を築くことはできません。借りをつくっておいて復興するという法はありません。借りたものの何倍もの利子をつけて完全に返すことのできる余裕ができたときに、富国が設定されるのです。天国というのは富国の中の富国なので、借りのある立場では不可能だということを知らなければなりません。
結局のところ、どこに行かなければならないのでしょうか。愛を求めて行かなければならないのです。お金も貯めて、世界も支配し、学者にもなり、人が良いというものはすべてしてみたところで、すべては使い道のないものなのです。ですからどこへ帰らなければならないのでしょうか。真の愛と一つになった自分自身、体と心、すなわち、神様の縦的人と横的人が一致する自分、このように一致した男女が神様の縦的愛を中心として、永遠に核が骨のようなものとなり、その体が回る、一つとなるそれ以外にはないのです。
これから皆さんは天国の愛の僕として暮らすと考えるべきです。天国を築く愛の僕であり、愛の秘密結社隊員であり、スパイ工作情報要員だと考えるべきだということです。だとすれば何でもできないことがあるでしょうか。生きるためには男性が女性の仕事をすることもあるのです。乞食のようなことをすることもあるのです。国を生かすため、自分の一族を生かし、自分の国を生かすためには、自分はそれ以上のことでもできるという心の姿勢をもって実際にそのように行動するならば、村は黙って屈服するのです。
真の愛を中心とした幹の根と、真の愛を中心とした真の幹の芽が必要です。皆さんのような芽ではなりません。ですから涙を流し、血の汗を流して、皆さんが、この地上に生きては去っていった多くの人以上の愛で、地のため、村の人のため、民のために愛したという基準を定めることによって、皆さんは正常な根を下ろし始めるのです。
皆さんは真の御父母様の前に真の子女の名分をもっているがゆえに、相続権、同位権を付与することができるのです。このような天の特権的な事実を信じて、すべてを愛の圏内に投入しなければなりません。神様が投入したように、皆さんが完全に投入することによって、一族が復活するのであり、一族が復活するに従って一国が復活するのです。
先生は世界的先祖の位置に立つために、このようなことをしてきましたが、皆さんは、自分なりに氏族的先祖となるための伝統を、それぞれの分野に該当する伝統を受け継ぐために、皆さん自身もそのような道を行くべきだという事実を知らなければならないのです。皆さんの氏族のために、一族のために伝統を立てなければならないということです。これから十二支派が編成されていくのです。ですから伝統が必要なのです。自分を考える人はここで落ちてしまうのです。
皆さんが故郷へ行くときには、真の愛をもって行かなければなりません。真の愛をもって故郷に行って、真の愛を植えて愛するならば、皆さんが先祖となるのです。皆さんが一代目の先祖となるのです。皆さんが朴氏だとすれば、朴氏として天国に接ぎ木され得る一代目となるのです。このように考えるならば、皆さんの父親は、逆に皆さんの息子格になるのです。
四 愛の根を故郷に下ろせ
今までは勝手に生きてきたとしても、これからは深刻なのです。私が敗者であるか、勝者であるかを決定すべき責任があるのです。その責任は先生にあるのではありません。皆さんにあるのです。敗者の覇権をもって帰るのでしょうか、勝者の覇権をもって帰るのでしょうか。どちらですか。真の御父母様が勝利し、神様が勝利したその内容をもって帰らなければなりません。その内容は他の何物でもありません。故郷に前進することです。世界を縮小して私の家庭にすべて反映したものなので、それを求めてきた御父母様と神様の蕩減歴史を考えるとき、人が訪ねてきたならば、涙で迎えてあげなければならないのです。ある人が自分を訪ねてきたならば、夜を明かして話をしてあげても疲れることのない心情が伴わなければなりません。
イスラエル民族がエジプトへ行って四百年間暮らしてきたように、私たちが四十三年間そのようなことをしてきたのですから、故郷に帰って愛の根を下ろさなければなりません。神様を愛し、父母を愛し、兄弟を愛さなければなりません。そうして世界的サタンが讒訴する起源を切ってしまわなければなりません。イスラエル民族はそれができなかったがゆえに、カナン福地の理想天国を形成できませんでした。ですからサタン世界に何かを望んではならないのです。ふろしき包みをもって歩いたとしても、私たちが一番です。行く先々でののしられ、夜に近所の犬にほえられても私たちが一番です。そのような自負心をもって、堂々とした足取りで、村の天地を愛の歓声と共に消化することに同参し、前進しなければならないということを肝に銘じて闘ってほしいと思います。
皆さんが故郷に帰ったならば、故郷の山河をもう一度眺めて「ああ、これは神様が私に下さった贈り物だ」と考えなければなりません。私よりも年を取った木のおじいさん、私よりも年を取った川の石、そして平野を眺めては「元気だったか」と言うべきです。それが愛です。自然を愛することができてこそ、人を愛することができるのです。再びそうしなければなりません。復帰なのです。復帰。アダムが万物を愛せなかったので、万物を愛さなければなりません。郷土に帰って自然を愛さなければなりません。近所の草からあらゆる山川草木に至るまで、すべてを愛さなければならないのです。すべてを愛してから人を愛するのです。山川草木、動物まですべて愛することのできる立場に立ったならば、その基盤の上で人を愛するのです。万物を復帰してから人を愛するようになっているのです。
人を愛するときには、まず最もかわいそうな人から、かわいそうな子供たちから愛して、それから中年へと上がっていくのです。世の中の貧しい人には、良心的な人が多いのです。私たち統一教会の家庭は世の中で最も貧しい人を愛するのです。貧しい人は悪魔の世界にいるとしても、今後はそのような人の中から天運を受け継ぐことのできる人が現れると考えるのです。
今日皆さんは故郷に帰って、種となり得る存在にならなければなりません。そしてその種が蒔かれて、大韓民国はもちろん、天地が訪ねていくことができ、神様がいつでも訪ねていきたいような環境を残すことができなければなりません。そうしてからあの世に行くならば、天国の息子、娘として愛されて生きるに違いありません。そのような生涯路程を今から立てていかなければなりません。
五 霊界の協助と確信
今は霊界が極めて近くに来ているので、善なる霊人たちが地上に定住する時代が来ることでしょう。来て住むということです。それがどういうことか分かりますか。今まではサタン、悪魔が地上をすべて分割して主管してきたのです。しかしこれからは善なる霊人たちがその地域を奪い返して主管するのです。そのために統一教会員は涙を流し、血の汗を流してホーム・チャーチ(家庭教会)運動をしなければならないのです。精誠を尽くさなければならないのです。キリスト教が精誠を尽くした以上に、イスラム教、仏教、どの宗教よりも切なる心情をもって祈祷しなければならないのです。「あなた方を中心として地上に実体基盤が復帰されましたので、霊的基盤を中心とした霊界圏を通して統一教会は前進します」と祈祷するのです。
霊界に行った人々も私たちを通して初めて救われるということを知っていますか。ですから霊界に行った人のために生きるならば、霊界の福が皆さんのところにやって来るのです。そのように、霊界のために蕩減してあげて、悔い改める人であれば、その霊界が皆さんに従ってくるのです。霊界が皆さんを中心としてすべて動くということです。蕩減と悔い改めがそれほど重要だということを知らなければなりません。ですから、これらすべてのことを、家庭教会を中心にしてやっていけばいいのです。
地上で家庭教会祭壇を中心として活動し、精誠を尽くせば、各界各層の霊人が再臨して、地上の聖徒に協助することができるのです。三百六十軒の家庭教会祭壇の中には、仏教徒、キリスト教徒、儒教、その他の良心的な人たちが千差万別に生活しています。霊界にいる霊人たちは、教派と宗教を超越して再臨し、摂理の中心人物の前に導くという霊的な現象が起こるようになるのです。家庭教会は、霊人たちが再臨復活するための条件的な祭壇だということです。
皆さんが一つ鉄則として知っておくべきことは、その地方から生まれた忠臣、愛国者、孝子、教会の牧師が尽くした精誠以上の精誠を尽くさなければならないということです。それ以上の精誠を尽くしさえすれば、彼らがみな協助するのです。それが条件なのです。そうすればサタンの讒訴圏以上の位置に立つことになるので、サタンが反対することはなく、霊界の協助によって皆さんの先祖が子孫に現れて、統一教会に行けと霊的に協助して、伝道するのです。
霊界にいる皆さんの先祖も、この世を眺めながら誇らしい子孫に協助しようと、地上に降りてきたがるのです。ですから多くの先祖が皆さんの周囲に降りてきます。これが氏族を中心とした宗派を超越した宗教世界です。理解できますか。皆さんの先祖が皆さんを信じて、皆さんを愛しながら皆さんに従いたいと思うのです。皆さんに従ってくるのです。そして皆さんに協助することに献身したがるのです。
強い信念さえもって進めば、皆さんの先祖は、お母さんであれ、親戚であれ、押さえつけて身動きできないように、口が開けられないように圧力を加えるのです。「私の言うことを聞け!」というようにです。なぜでしょうか。堕落した悪なる霊は退き、善なる圏内の本然の氏族的基盤を中心として、父母と連結され得る国家的基準までつながった御父母様と共に、世界的基準までサタンを押してきた基盤の上に立っているので、サタンは退き、天使長型霊界にいる皆さんの先祖が協助するようになっているのです。
それでは、誰に拍子を合わせるべきでしょうか。私が皆さんの動きに拍子を合わせなければならないのでしょうか、皆さんが先生に拍子を合わせなければならないのでしょうか。異議はないのです。そうしなければ霊界が動かないのです。先生の言うとおりにしなければ通じません。いくら才能があったとしても、いくら能力があったとしても、先生の願わないものを付け、指示していないことをするとすれば、通じないのです。それゆえ、その条件に天は退くのです。霊界の協助がなされないのです。天使長は協助することなく、破壊してしまうのです。
私は天国の法をすべて知っている人物であり、行くべきことすべてを知っている人物です。サタンの動きの秘法をすべて知っており、神様の作戦計画を知っている人物です。それゆえ、今世界ではレバレンド・ムーンが問題になっているのです。これからは霊界が私に協助する時が来るのです。もう少しすれば不祥事がたくさん生じます。
今日地上では、統一教会に来て祈祷すれば、一週間以内に先祖が現れて、すべて教えてくれるのです。そのような所にまで来たということです。それは何を意味しているかというと、今まで宗教が世界的版図をつくって、心情的絆によって縦的な行路を築いてきたのですが、そこから横的版図を世界的に広め、この世界の果てまでつないだので、霊界に行った先祖が氏族を中心として、初めて地上に再臨して協助することのできる時代になったのです。ホーム・チャーチはそのような世界的な版図を縮小した基盤です。ですから善なる霊はどうなるでしょうか。昔は、来て協助しては帰っていったのですが、これからは地上に定住するのです。そのような時代が来るのです。定住、いいですか。定住といっても、先生の故郷の定州ではありません。(注:韓国語の定住と定州は発音が同じ)霊界に行った善なる霊が初めて定着して住むことのできる時代になるということです。ですから皆さんが統一教会に来て活動するときに、善なる先祖が皆さんと共に暮らして協助します。それゆえ氏族復帰が可能なのです。
天運に乗ってきたのです。一九八七年四月は新たな光が蘇生し、世界の希望がひとつところに集まって芽を出すのです。霊界の霊人たちはどれほど韓国に来たかったことでしょうか。霊人が韓国に来て、協助することのできるその日をどれほど待ち望んできたことでしょうか。みな集まるのです。ですから国のために血を流した人々、祭物になった霊たちが連合して、初めて御父母様に侍るための連合運動をするのです。その霊たちが今後世界的な霊人をすべて迎えるための仲介に立たなければならないのです。ですからその霊たちと連結してこの国を変えていくのです。
一度しなければなりません。今は霊界が「韓国を助けよう」ということのできる時代になったのです。今まで善なる霊たちが世界に散らばって、外部で働いてすべての基盤をつくり、その運勢に乗って来るのですが、誰が来るかというと、先生が先発隊となり、韓国のために生きた忠臣、烈女、愛国者がすべて先生の後ろについて来るのです。従ってきて、霊界にいるすべての宗団長を中心としてキリスト教、イスラム教を問わず、韓国の統一運動に協助しようとするのです。そのような旋風が押し寄せてくるのです。
皆さんも同じです。同じ神様が同じ信念をもっているのに、なぜ皆さんには霊界が協助するその結果が現れないのでしょうか。同じことです。みな自分というものが残っているからです。自分というものが残っているので…。先生はそのような警告をしたのです。困難だとしても……。足が棒のようになれば「足よ! 私は行かねばならないのだ」と言います。先生はそうしてでも歩くのに、若い者が……。そのような者は天罰を受けるべきです。若い者が昼寝をして歳月を無為に過ごすとは。それではならないのです。
皆さんが霊界に行ったとき、隔たりのない自由天地の主人の息子、娘になる資格をつくってあげようというのですから、どんなに有り難いことでしょうか。先生の言うことを聞いて、そのように生きたならば、霊界の領域は果てしなく、境界線がないので、どこへ行ってもみな「私がお前たちに協助した。そこの責任者がお前だった時、お前の時代に行って協助した」と言うのです。友達になるのです。一つの時代圏の中にいる同僚になるのです。
先生が言っているように、霊界が動員されなければなりません。霊界が動員されなければ、どうやって天国を形成するのでしょうか。形成できません。天国は真の父母から始まるのであって、今までの堕落した子孫から始まるようにはなっていないのです。アダムを創造するときに天使世界の協助を受けたように、再創造も霊界から降りてきて、みな地上に協助しなければなりません。そうせざるを得ないようになっているのです。原理がそうなっているではないですか。復活原理がそうですね。復活原理がそのまま結果として現れてこそ真だと言えるのです。ですから霊界は先生のことがどんなに好きなことでしょうか。
世界的な時代に入った皆さんは、個人的な立場にあったとしても世界最高の聖人につながっています。それゆえ、その聖人のような心性をもって、そのような心的な生活をした人には、必要なときは、どこでも縦横無尽に協助できる基盤が霊的にできているのです。ですから今統一教会の動きに関して、全世界の各国の愛国者はすべて、この地上で統一教会の基盤を中心として背後の囲いとなって再臨し、定住しています。これを部隊にたとえれば、その国の民族の何十倍、何百倍もの人が死んでいったのですが、その人たちが来て陣を敷いて拡大工作を待っているのです。それゆえ、すべての宣教師は国家的な運動をなして総動員し、霊界と全体を代表し、犠牲を覚悟して総進軍命令を下せば、その霊たちが協助するようになっています。
統一教会は霊的な個人を動員することができ、連結的体制を通して先祖を動員することのできる能力をもっています。それを知らなければなりません。これまでの宗教は、霊界と肉界をつなぐことができなかったので、霊的な精誠を尽くすことによって、縦的な面に拍子と波動を合わせて、初めて接線をもつことができたのですが、今はもう、その放送局の中に入ったのです。振動板のような位置に立ったということです。波動なのではなく、波動を起こす送信機自体だということです。ここで周波数を何千にするなり、何十にするなり、短波にするなり、つなぎさえすれば、どんな波長、電波でも送ることができます。
私が放送局をもっているので「霊界にいる先祖は来て、私に協助してください。善なる先祖よ、来て協助してください。そのようなバイブレーション(振動)が必要です」と言えば、すぐに来て……。個人を呼んでも動くし、家庭を呼んでも動くし、氏族圏、民族圏、世界圏を中心としてつなぐことのできる足場が地上にできたので、それが動いて降りてくるのです。このようになれば、今まで私の体はあちらに行こうとしていたのに、我知らず反対を向いて引かれていくのです。二つの霊人体が来て一つをつかんで引いていけば、自分はつかまれているのが分からないので否応なしに引かれていくのです。ひとりでに走って入っていくのです。皆さん、それが信じられますか。これは空論ではありません。理論的なのです。
統一教会が動けば、マホメットが協助し、儒教、仏教の代表者たちがみな協助し、神様も協助するというのは理論的なことです。ですから、自分は人類を代表し、霊界を代表し、神様を代表しているので、全体が協助する位置で動く、という自負心をもたなければなりません。
過去においては、祈祷し、精誠を尽くしても宗教の教主とはその時にしか会えませんでした。会おうものならすべて分かれてしまうのです。ですからまた上がらなければなりませんでした。ところが今では、すべて宗教圏を中心として地上に再臨することのできる時になりました。そのような時代が来たので、皆さんが過去時代、現在時代、未来時代を動かすことのできる実績がなければ天国へ行くことができません。それを知らなければなりません。
過去時代とは、今霊界にいる善なる霊、天使をはじめとした善なる霊の時代であり、現在時代とは、父母の時代です。そして未来時代とは、神様の時代です。それゆえ霊界を動員し、御父母様を動員し、神様を動員することのできる、そのような実績をもっていない人は天国へ行くことができないということです。アダムとエバに天使が動いて協助し、神様が動いたのと同じです。その次に宇宙はアダムとエバが動かさなければならないということです。
皆さんがこのホーム・チャーチ運動さえすれば、霊界がすべて協助するようになっています。ですから今後一九八八年以後は、本格的なホーム・チャーチに入るのです。そうなれば先生はここにいてもいなくても同じです。これ以上教えることはありません。これ以上とは。天国に入る証明書をどうやって準備するのか、すべて教えてあげたのです。その内容は地球ほどのダイヤモンドをいくつ渡しても得ることはできません。ですから霊界が皆さんをどれだけ……。「なぜこのような黄金時代を逃しているのか!」と言うのです。もう分かりましたか。
今まで霊界が御父母様を支持できず、協助できなかった理由は、完成した父母の位置を、堕落した霊界が協助するということは不可能だったからです。本来そうではないですか。原理がそうなっています。完成した御父母様の位置というのは、神様と、堕落していない天使長が後援するようになっているのであって、いくらサタン圏内の霊が多かったとしても、御父母様に協助することはできない位置にいるのです。
今霊界にいる霊人たちは、真の父母を通して生まれたのではなく、偽りの父母を通して生まれたがゆえに、真の父母に協助することはできないのです。しかし天使長の失敗したすべてのことを蕩減し、子女の立場で、アダムとエバが成長しているという立場においては、いくらでも後援することができるようになっています。それゆえ霊界が協助することによって、世の中が遠からず徐々に崩れていくのです。
六 我々の本郷と天国入籍の道
一) 故郷は創造本然の世界
人間の力、人間の知恵、人間の文化、その何をもっても真なる意味の平和の世界や、一つの統一された世界を望むことのできない時点にあるということを私たちは知っています。このような立場において、世界文化を解決するにあたって、最も中心的な問題となるのは何でしょうか。神はいるか、いないかという問題をはっきりと解明することが、何よりも重要な問題だと考えるのです。
もしも神様がいるということを全人類が知ったならば、神様のみ旨が何を志向しているかということがはっきりと分かるでしょうし、その志向するみ旨を知るとするならば、その世界はそれこそ、ほかならぬ一つの世界であり、平和の世界であり、理想の世界なのです。
皆さんは民族主義者になりますか。世界主義者になりますか。宗教は世界主義にとどまりません。人間にだけ良い主義なのではなく、神様にとっても良い主義であるべきだということです。しかし共産主義や民主主義は、人間さえ良ければいいという主義です。ですから神様まで良くなければならないという主義と、人間さえ良ければいいという主義と、どちらが良いでしょうか。神様も人間も良いという主義がいいですか、それとも主人を抜きにして僕だけが良いという主義がいいですか。宗教はそれだから良いのです。
私たち統一教会は他の何でもありません。統一教会は、母親、父親を愛するように兄弟を愛し、兄弟を愛するように氏族を愛し、民族を愛し、国家を愛そうというのです。母親、父親を捨ててでも国家を愛そうということです。世界を愛するためには自分の国も捨てなければなりません。また、天を愛するためには世界までも捨てようということです。より遠く、大きいもののために、自分に近い小さいものを犠牲にするという愛の道を行くのが統一教会の主流思想です。
統一教会とはいったい何でしょうか。右翼を抱き、左翼を抱き、この二つをつかんでどこへ行くのでしょうか。寄り集まって闘う闘争の世界を越えて、天の導く幸福の世界へ、ユートピアの世界へと導くのです。それを抱いて平面的に行くのではなりません。どういうことかというと、体制によって思想的に没落し、失敗したものを、統一教会がすべて収拾し得る論理体系を備えなければなりません。これを抱いて横的に動かすと同時に、宗教を中心として縦的な基準で動かすことのできる、霊的体験の基盤を中心とした超越的実体を追求する内容をもたなければならないのです。
統一思想は、人間的な面での人本主義や物質主義、そして過去のあらゆる神本主義をも体系的に理論化して、それを統合し得る内容をもつと同時に、縦的な面において宗派を超越してつないでいくことのできる、超自然的体験の宗教思想となるべきであるという事実を知らなければなりません。
統一教会の願う国とはどのような国でしょうか。今統一教会は大韓民国を経て世界へと進んでいます。統一教会は、現在のように、共産主義の唯物史観と、民主主義の唯心史観が争うような世界を望んでいるのではありません。この世界を超越し、神様の心情と愛の支配する国を望んで進むのです。
私たちの住みたいのは天国、天国で住みたいのです。天国に境界線はあるでしょうか。ありません。天国で使う言語は二つでしょうか。違います。人種の差はあるでしょうか。ありません。
では天国とは何でしょうか。人はすべて神様の懐から生まれたので、人類はすべて兄弟です。神様を中心として見れば神様の息子、娘であるので、みな兄弟であり、地上天国を中心として見れば民です。地上天国の国民だということです。民だというのです。
国がなければ国籍というものはありません。国がなければ入籍する基盤がないということです。私たちは民族を編成して、新たに入籍しなければなりません。この地上で天国を編成して、その国籍をもって、愛国愛族の真なる善の父母の血統を受け継いだ勝利的息子、娘として、自分の族属(一門)あるいは家族を率いて生きてこそ、天上世界の天国に入ることができるのです。それが原理です。
家庭の天国とはどのようなものでしょうか。妻は夫のために一〇〇パーセント存在し、夫は妻のために生き、妻のために死ぬという立場に立つとき、その家庭こそがほかならぬ天国なのです。「家和万事成」という格言があります。国が栄えるのも同じです。国を治める主権者自身の存在価値は、自分が主権を行使することではなく、民のために治めることにあります。またその民は、民自体のためというよりも、国のために……。このようになればその国は天国になるのです。
このような原則を拡大していくことによって、国家、民族を超越して互いに「ため」に生きる世界を築くならば、その世界こそ、私たち人間の願うユートピア的愛の世界であり、理想の世界であり、平和の世界であり、幸福の世界であるに違いありません。「ため」に存在するというこの原則をもって進むならば、どこでも通じないところはないのです。
私たちが探し求めていく祖国というのは、今日この地上にあるような歴史や伝統をもった国ではありません。それらとは次元を異にするその国を私たちが受け継ぐには、それにふさわしい思想的な主体性をもった国民とならなければなりません。ただし、その主体的な思想とは、絶対的な創造主の思想と一致するものでなければなりません。絶対者の願う国が存在するためには、その国の主権を中心として、その国の国民が一つとなり得る国であることを望まなければならないのです。そのような国民性をもち、国家形態を備えなければなりません。
自分が行き来するのも、その国を復帰するため、祖国光復のための建国の功臣となるために使命を帯びてのことであり、天の密使としての指令を受け、今日の悪なる世に来てこのようなことをしているという事実を考えながら生きていくべきです。
二) 天国に入籍するには
皆さんは、そのままでは御父母様の前に直接行くことはできません。皆さんは血統が違いますね。入籍する前に相続権を受けることはできません。皆さんはまだ入籍していません。先生の族譜に入籍しましたか。祝福を受けたからといって、入籍したことにはなりません。祝福を受ける位置は長成期完成級、その位置です。七段階の完成級七年路程が残っているのです。それが原理です。その原理を中心として復帰していくのです。
入籍時代に入って名簿を作るとき、適当に作ることはできません。ホーム・チャーチを経なければ名簿に記入されないのです。天国の族譜編成ができないのです。祝福家庭でも外すのです。落ちるのです。それをわきまえて、天の提示するすべてのことを早くしなければなりません。人がするから自分もする、というものではありません。しなければならないのです。それをせずに霊界に行けば、霊界に行ってから永遠にしなければならないのです。地上で解決できないまま行ったならば、大変なことになるのです。
悔い改めなければ、皆さんは公議の審判を受けなければなりません。愛のその掟の前に立つ者はいないのです。そのときには先生が弁護士となって、先生の家族一族が弁護士となって、皆さんを指導する統一教会のすべての人が弁護士となって、神様も、先生も、先生の家庭から指導者までが弁護して、弁護の範囲が讒訴圏よりも大きくなって、初めて善なる天国の民として入籍できるのであって、その讒訴圏よりも小さければ入籍できないのです。
統一教会員は絶対自分勝手に生きてはなりません。自分の心を偽ることはできません。自分の心を偽れない限り、天国の戸籍を偽ることはできません。すべてのことが入籍に関係するのです。私がこの手を上げれば、それが今ビデオ・テープに記録されますね。人の世でもこのように記録されるのに、天の国に記録されないと思いますか。ボタンを押しさえすれば、ある祝福家庭の夫婦の幼いときから、その先祖のころからがすべて出てくるのです。一瞬のうちに出てくるのです。長時間ではありません。ここでは時間の観念がありますが、天国ではあっという間に終わるのです。
入籍というのはどういうことか分かりますか。女性が嫁に行けば籍を移さなければなりません。自分が生まれたもとの籍を取り消して、違うところに移さなければならないということを私たちは知っています。
大韓民国は今後私たち統一教会を中心として祖国をつくることによって、大韓民国を中心として入籍する時が来るので、今まで動員された人はみな、今後大韓民国の土地を買うことのできる時が来るのです。先生を中心として大韓民国を動かすことができるならば、西洋にある自分のすべてのものを売って、大韓民国で小さな小屋暮らしをするとしても替えなければならない時が来るのです。
もう死んで、村の裏山に行くように(注:普通、裏山に墓がある)気力もなく、(部屋の中から)敷居の向こうを眺めながら「年老いたから……」と言っています。年老いても伝道しなければなりません。自分の母親、父親をみな天の前に入籍させてから霊界に行かなければ大変なことになるのです。
母親、父親に、歴史上の自分の先祖の前に、自分の兄弟の前に、自分の親戚、姻戚を中心として歴史的に偉大なことをすることのできるこの時代、この時を迎えているのが統一教会の祝福家庭なのです。
今まであなた方に伝道しなさいと言ってきたのは、威信を立てさせてあげるためなのです。今後、族長を立てて、七十二族長を立てて、すべてそのようにして、新しい入籍時代が来るので、その軸に入れてあげようとしているのに……。実績があってこそ入れてあげることができるのです。
これからは入籍するのです。南北が統一されるときには、世界の統一教会の家族は祝福家庭の中で正常な行動をした人はみな、氏族を越えて入籍するのです。先生の力によって南北が統一されたならば、法をつくって世界の統一教会の忠臣を代表民族として、種を受け継ぐ民族として立てようというのです。そうしても反対する者はありません。歴史的に見て、韓国の独立のために、韓国の還故郷のためにこんなに尽力したのですから、誰が反対するでしょうか。
皆さん、これからは氏族加入時代が来ます。個人加入時代ではありません。氏族加入時代が来るのです。金氏であれば金氏、朴氏であれば朴氏。それが過ぎれば国家入籍時代が来るのです。すぐです。これからは早いのです。目の回るほど早く変わっていくのです。なぜそうなるのでしょうか。文総裁がいるのでそのようになっていくのです。原因はほかにあるのではありません。
所有権を神様にお返しするためには、真の父母の名を通さなければなりません。真の父母の名を通さずしては、帰っていく道がありません。それゆえ世界統一は統一教会が中心とならざるを得ないのです。手を下さなくても、誰もが少しでも早く入籍しようと列をつくって待つようになるのです。一番、二番、三番を争いながら必死になる時が来るのです。
これから入籍する時が来ます。先生の一族、皇族を中心としてつながるところに、皆さんが加入するための入籍時代が来るのです。しかし入籍時代になっても氏族復帰ができていない人は、そこに入籍することができません。それを知らなければなりません。十二支派と同じです。氏族復帰をするまでは入籍できないのです。
人々がこの氏族復帰の内容を知ったならば、我先に統一教会に入ろうと、群れをなして押しかけてくるのです。入籍すればどうなるのでしょうか。今までは愛をはじめとして、人から万物まで神様の所有ではありませんでした。サタンの愛によってサタンのものとなっていたものを、今は神様のみ旨を成し遂げた先生を中心として、先生の息子、娘、先生を中心とした万物を復帰していかなければならないのです。そして、いまだ先生には国がないので、国を求めて立てなければなりません。
これはサタンの所有地であり、神様の所有ではありません。所有権の回復というのがあるので、天下は戦争なしに一つとなるのです。どういうことか分かりますか。今後、一族が財産とすべてのものを合わせて天に入籍するために、世界の歴史上で類を見ない行列が続くことでしょう。そこに誰が先に入籍するかによって、兄となり、弟となるのです。
今まで天国への入籍はありませんでした。天国に国がなかったのです。家庭もなく、国もありませんでした。霊界に行けば、親も何も、十人家族だとすれば、十人がみなばらばらになったのです。しかしこれからはそうではありません。本来堕落しなかったならば、お母さん、お父さん、自分たち夫婦、息子、娘が一つになって、相手のためという真の愛をもつならば、それには神様も絶対服従するのです。そのような愛の伝統に服従しながら相手のための愛をもって動くその世界、「ため」に生きるその世界では、平和の基地が生じるなと言っても生じるのです。
これからみな越えていかなければなりません。越えなければならないのです。越えるには整備しなければなりません。一つとなって夫婦の日記をつけなければなりません。そして息子、娘の公認を受けて、みな入籍しなければなりません。入籍時代が来るのです。清算して越えなければなりません。そのときにはサタンがついてくることはありません。そのように深刻な時が来ます。祝福家庭はみなこれから日記をつけなければなりません。たやすく通り過ぎてはならないのです。
これからは世界がみな入籍しなければなりません。十二支派を中心として。入籍するときには皆さんの人生、統一教会に入ってから今までのすべてのことを、一つ残らず記録しなければなりません。この教会から何か一つ、ふろしき一枚でも持っていったならば、それをすべて記録しておかなければなりません。これが霊界に記録されたコンピューターの記録と合っていなければ、皆さんは入れないのです。
王族の心情圏を中心としたところでは歓待のみであって、崖や壁といったものは一つもありません。平地なのです。全体が歓迎し、万年の愛の世界がつながっているのです。そこの主人として生きるのです。自分の一族がそうなるのです。一族がみな集ったその栄誉の価値をもって入籍して天国に入るのです。入籍するのです。新たに入籍して天国に入ることができるように、清い解放の氏族長として、メシヤとして、父母として、自分が率いてあげましょう。
今後天国が地上に建設されればこのようになるのです。憲法がそうなるのです。全体を天国に帰化しなければなりません。それゆえ統一がなされないわけがないのです。強制的にするのではありません。志願しなければなりません。そうすれば移籍する日が来るのです。その氏族が入籍する順番となるので、先に入籍すれば先祖になるのです。残りはその前で頭を下げなければならないのです。
自由な環境舞台が訪れるこの時代において、イスラエルの王権を造成すべき独立軍であることを肝に銘じなければなりません。小隊長になりますか、中隊長になりますか、連隊長になりますか、師団長になりますか、軍団長になりますか。皆さんの活動いかんによって左右されるのです。
これからは兄、姉、弟、妹がみな一方では競争になるのです。勝利した人が、先に登録する人が兄、姉になるのです。先祖になるのです。天地開闢の時代が来るのです。祖父が孫になり、父親が息子になり、弟が兄になり、姉が妹になる時代になるのです。誰が先に入籍するかが問題です。
天国の法を守り、天国の王宮法を尊重できなければなりません。それがどのようなものか知りませんね。今後、南北が統一された世界のすべてに備えなければなりません。その訓練をすべき内容が残っています。そのときには、誰もが入れるわけではありません。入籍時代が来るのです。それは、大学を卒業して博士として大学の先生になることよりも難しいのです。自分一代の一族の歴史をすべて編成して、そこにパスしなければなりません。霊界、肉界から鑑定を受けて選出するのです。
天運は相対圏をもった人を保護するようになっています。ですから献金をしなさいというのです。それは当然のことです。すべてを、一族を神様のところに連れて行かなければなりません。そこでは誰が先祖になるかというと、先頭に立って率いる人が先祖になるのです。久保木が統一教会の会長であっても、率いていくことができずに、今み言を聞いている人がすべてを率いて入籍するならば、久保木会長が何代も後の孫になるのです。入籍を先にした人が先祖になるのです。
そのような時代になったので、先生は命令をするのです。「早く氏族復帰をしなさい! 所有権を神様に返しなさい! 早く入籍しなさい!」。これは人間としての最大の希望です。先祖以来、千万代を経た希望がここにあるのです。肝に銘じ、忘れてはなりません。そうすることによって、未来において日本の黎明の朝が過ぎ、輝く太陽を迎える喜びを体恤するようになるのです。
天国での財産とは何でしょうか。今は天国の国民がいないので、復活させて天国の国民を連れていく以外に方法はありません。天国の国民がいなければ、霊界での財産というのもありません。それゆえ、皆さんが生んだと言っても、皆さんの息子、娘ではないのです。日本の一億二千万すべてが神様の国民になる道を探さなければなりません。
いかにして多くの日本人を皆さんの息子、娘と共に天国の国民として入籍させるかというその数字が、皆さんが霊界に定着するにあたっての礎石となるのです。それがなければ、たとえ統一教会の会長を何十年したといっても、すべては無駄なのです。今までは統一教会が反対されていたので不可能でしたが、これからは全世界的に先生を尊敬するようになるので、可能なのです。
真の父母と一つになって伝統を相続し、皆さんの家庭が主体的伝統をもって万国を治めることのできる基盤となり、主体性をもった家庭となったならば天国の皇族圏内に入籍するのです。このようにして入るのが天国です。天国は誰もが入ることのできるところではありません。その道を行こうと三代が決心しなければなりません。おじいさん、おばあさんから父親、母親、夫婦、息子、娘まで、段階は四段階であり、系列でいえば、夫婦になったのが三代です。
これから皆さんの行くべき道には反対がありません。先生がすべてつくってあげました。すべてふさいであげました。すべて取り壊してあげました。ですから皆さんは先生をどれほど崇拝しなければならないでしょうか。皆さんが迫害時代に先生を崇拝していたその何百倍も、皆さんの子孫が崇拝することのできる伝統を残さなければ、天国という本貫(注:先祖発祥の地)に入籍することは難しいという事実を通告しているのです。皆さんの息子、娘が、皆さんが先生に侍っていた何百倍以上も侍ることのできる基盤をつくっておかなければ、離れてしまうのです。押し出されてしまうのです。
入籍しなければなりません。入籍するためにどこへ行こうというのですか。本郷の地に帰らなければならないという運命を、避けることはできません。生きているうちにできなければ、霊界に行ってから後戻りして、億千万世、回りに回りながら涙と嘆息で越えなければならないという、堕落圏の支配から逃れることはできないのです。ですから、直行することを願って、皆さんの前で詳しくお話ししましたので、それを忘れずに肝に銘じ、勝利の天国の門に入る王権を受け継ぐことのできる、そのような相続を受け継ぐことのできる皆さんとなることを願う次第です。そうするという人は諸手を挙げて宣誓してください。
第六章 真の父母が伝授する世界と南北統一教本
一 「世界と南北の統一は真の愛で」
世界と南北の統一を熱望する内外の貴賓、そして紳士、淑女の皆様!
今正に始まった新千年紀は、分裂と藤の前世紀の遺物が清算され、和解と統一の地球村、一つの家族の理想が実現される時です。皆さんの各家庭に、新千年紀の祝福が共にあらんことを祈願いたします。初めに、私の八十回の誕生日を祝賀してくださるために、世界と全国の各地から訪ねてこられた皆様に心から感謝申し上げます。何よりも、この日まで見守ってくださり、共にいてくださった神様に、このすべての栄光を捧げます。
私の生涯を振り返ってみるとき、一時も平坦な時期はありませんでした。私は韓半島を取り巻く列強の狭間で、あらゆる苦難の道を歩んできた民族の受難史と共に歩んできました。
私は、十六歳(数え)の少年時代に祈祷をしている最中、突然、神様のみ旨に接したのち、生涯を通して神様のみ旨を成就するために、全身全霊を尽くしてきました。そうして知ってみると、人間の不幸の根本原因は、人類始祖が堕落することにより、霊的無知に陥り神様との関係が断絶されたことにあったのです。これによって、神様と人生と宇宙などの根本問題について無知に陥ったのです。これまで私は、世界各地の公式席上で、一万回余りのみ言を通して、神主義に立脚した真なる人生観、世界観、歴史観を提示してきました。これは、十二種類の世界各国の言語に翻訳され、既に三百巻余りの書籍として出版されています。これは、文献による総合的な研究や、学問的な探求の結果として解明したものではなく、有形、無形両世界を自由に行き来しながら、原理的であり、根本的な答えを説き明かしてきたものです。
きょう私は、意義深い場を感謝しながら、我が民族の宿願であり、世界の冷戦問題の最後の決算と言える韓半島の統一問題を念頭に置いて、その方案に対する根本的な解答として「世界と南北の統一は真の愛で」という題目で、お話ししようと思います。
我が国の統一は、単純に国土の統一だけでなく、これは、堕落によって引き裂かれた人間の心と体の統一問題から始まり、東西の二大世界に引き裂かれた全世界の統一のためのモデル的路程です。したがって、この問題は、神様の救援摂理的側面から理解しなければならない事案であるがゆえに、摂理的次元から解いていかなければならないのです。
人類歴史は、人間始祖が堕落により失ってしまった本然の世界を再び取り戻すための蕩減復帰歴史です。
ゆえに歴史は、神様の創造理想を実現させるための目標を置いて、サタン側と天側の善悪闘争の歴史なのです。歴史の背後ではいつも、善なる側には善霊が協助し、悪なる側には悪霊が作用してきました。人間の堕落により始まった分裂の歴史は家庭、氏族、民族、国家、世界へと範囲を拡大しながら、結果的に人本主義と神本主義の根幹となった無神論と有神論の対決として現れたのです。
二千年前、ユダヤ民族がイエス様を受け入れていたならば、イエス様はユダヤ教を基盤としてユダヤの氏族と民族を統一し、十二支派の後孫たちが住んでいたアラブ圏を統一していたことでしょう。さらに、イエス様の思想が中東地域とインド地域を経て極東にまで伝播され、一方では、ローマ帝国と全ヨーロッパを掌握し、イエス様の時代に統一された一つの世界が成し遂げられていたことでしょう。最終的には、イエス様を中心として一つの新しい宗教文化圏を形成し、イエス様は世界の王の王にならなければならなかったのです。
しかし、イエス様が十字架にかけられることによって、それ以降、外的な肉的文化圏である人本主義のヘレニズムが先に発達して、ローマ文化を形成しました。一方、内的な心の文化圏である神本主義のヘブライズムを代表するキリスト教は、四百年の間、ローマからあらゆる迫害を受けたのです。人間始祖の堕落によって引き裂かれた善と悪の闘争歴史の背後で、サタンは今、何をねらっているのでしょうか。神様をはっきりとねらっています。永遠、不変、絶対、唯一であられる神様が、天地創造時に理想とされた基準も永遠、不変、絶対、唯一でなければなりません。サタンはそのような神様の絶対的なみ旨を破壊しようとするのです。
神様にお尋ねしてみれば、神様は、その事実を認められることでしょう。サタンが神様に、「神様! 最初に私を天使長として立てられたとき、一時的な愛で立てられましたか。そうでなければ、永遠なる愛のために立てられましたか」と質問するならば、神様は、どのように答えられるでしょうか。それを考えてみなければなりません。神様は、永遠に愛するために立てられたと語られることでしょう。一時的な愛で立てたとするならば、一時的な神様となります。永遠に愛するという基準をもたなければ、いつかは、サタンの前に神様の権限を行使することができなくなるのです。
ゆえに神様は、サタンがどんなに反対しても、彼を愛したという条件を立てざるを得ないのです。それで、神様は悪に対しては「無抵抗主義者」なのです。それはどうしてでしょうか。神様は、この地球上に天国理想の世界を成就する時まで、どのような環境の中でも、堕落してサタンとなった天使長を愛さなければなりません。神様は、サタンがいくら暴れ回るとしても、罰したり、打ってしまうことができないのです。どのような状況でも愛したという条件と基準を立て、サタン自身が「ああ、本当に神様は神様であられる。幸福でした」と告白しない限りは、神様は、完全なる勝利を成し遂げることができません。それが問題なのです。
神様がそのようにサタンを愛することによって屈服させることが、復帰原理的な道であるならば、神様の子女である私たちも、やはりその道を行かなければなりません。世界的に迫害を受けても、世界的な怨讐圏に立つとしても、彼らを愛したという条件を立てなければなりません。このような側面から、悪を自然屈服させようとする神様の戦法は「怨讐を愛せよ」ということでした。
話は簡単ですが、これが神様とサタンの間で勝敗を分ける境界線となってきたということを誰も知りませんでした。神様がサタンを敵であり怨讐であると見なし、彼に対して復讐しようという思想をもったとするならば、絶対に勝利の頂を占領することはできません。反対に、神様は「怨讐を愛せよ」と言って、愛の作戦を繰り広げてきました。神様のひとり子であるイエス様は、サタンが役事して自分を殺そうとする怨讐に対して、彼らを許し給えと祈祷したということは、偉大なことです。もし、イエス様が十字架で死ぬときに、怨讐に対して敵愾心を抱いたならば、摂理は逆転したことでしょう。福を祈る愛の心をもって死を克服したために、サタンが自然屈服したのです。永遠に神様の子女として残ることができる資格が、そこで生まれたのです。サタンもこれを認め、「あなたは、本当に神様の息子である」とサインするのです。
皆さんも神様の前で、「サタンよ、私が神様の息子であることに間違いないだろう」と問えば、「はい、間違いありません」、また「神様の息子としての相対圏を拡大していくであろう。個人から、家庭、氏族、民族、国家、世界圏に拡大するのに異議はないだろう」と言えば、「はい、それは原理原則なので仕方ありません」と答えるように行動しなければならないのです。
神様は、このような条件に従って、キリスト教文化圏を中心として摂理を推進してきました。犠牲の道、殉教の場、血まみれの境地においても神様を愛し、怨讐までも愛する運動をキリスト教は展開してきたのです。私たちは家庭、社会、国家、世界においても、この運動を展開しなければなりません。キリスト教の愛の精神によって、激しく迫害を加えてきたローマ帝国がついに屈服しました。キリスト教は、そのようにして世界的な宗教になりました。これまで、クリスチャンは個人的な怨讐だけを考えてきたのですが、そうではありません。怨讐国家や、さらには怨讐世界も愛さなければなりません。怨讐国家の中心に天国の出発点があるので、そこに真の愛の伝統基盤をつくって出発しなければ、地上天国は成し遂げられません。このようにして伝統が立てられれば、これ以上の思想、これ以上に消化できる主義は生じません。韓国が日帝のもとにあったとき、韓国、日本、ドイツ、米国など主要な摂理的四大国家は、互いが怨讐の関係でした。その当時の状況では、日本と韓国が怨讐の関係であり、日本と米国が怨讐の関係であり、米国とドイツが怨讐の関係です。
ところが、私はこのような怨讐関係にある日本人とドイツ人を米国に連れていき、米国が神様を無視し、神様を失ってしまったら滅んで死んでしまうので、米国を生かさなければならないと言って、真の愛の道を実践しました。日本やドイツの人々に「敵対関係であった米国を、自分の祖国以上に愛することができる伝統を立てることなくしては、神様が望まれる新しい世界理念を立てることができない」と強調し、真の愛の伝統を教えたのです。怨讐関係にある国家を自分の祖国以上に愛する基盤と伝統を成さない限り、地上に天国は顕現できません。このような歴史的な伝統の樹立は、神様の真の愛の中でのみ可能なのです。
私は、米国連邦政府より屈辱を受けて罪なく法廷に立ったとき、米国の未来を心配し、保守正論紙、「ワシントン・タイムズ」を発行し、放送局を設立させるなど、むしろ米国のためにあらゆる努力をしたのです。近来では、共産主義の没落以降、ロシアと中国の未来を心配し、数十種類にも及ぶ各種の教材を出版し、青少年を中心とした倫理教育に多くの支援をしています。
皆さん! 日帝のもとで反日地下運動をしていた私にとって、日本民族は怨讐でした。民族的にはもちろんのこと、個人的にも怨讐でした。しかし、日本が敗戦したのち、私は日本人を愛しました。地下独立運動をしたからといって引っ張っていき、むごい拷問をした日本の警察官たちは、私が一言言えばみな処刑される運命だったのですが、反対に、追われている彼らを安全に送ってあげたのです。
今日、日本の多くの若者たちがなぜ、私に永遠なる命を懸けて忠誠を尽くしているのか分かりますか。因果の法則に従って、報いなければならない原則があるためです。それは、私が国家を超越し、神様の心情的なみ旨に従って、世界に向かって真の愛を植えたからです。国家的な怨讐を愛して生きる道に導く心情的な基盤を植えたので、自分たちも知らずに天命に従っているのです。
私は、日帝のもとで当時の日本にも恨みがあったのです。しかし、日本は既に敗者でした。天は、滅びる者をさらに打つことはしません。自分の罪を自白して、謝罪する者に対しては、哀れみをもって対するのです。そのような天であるので、敗者にさらに刃物をもって打てば、打った者の後孫が滅びるのです。米国もやはり、私を敵対視していた国家です。しかし私は、道徳的に塗炭の苦しみに陥った米国を救うため、父母兄弟をあとにして、祖国を振り返ることなく、カイン世界を救うために、私に属しているすべてのものを捨てました。
また、既成教会が統一教会をどれほど憎んだことでしょうか。しかし、怨讐のように闘ってはなりません。お互いに、愛で和合しなければならないのです。二つが和合して、大韓民国を天のみ旨の前に立て、北朝鮮を消化しなければなりません。
解放直後に、既成教会と統一教会が一つとなっていたならば、すべてのことが解決されていたでしょう。しかし、そのようにならなかったので、私たちが行く道の前において、個人的、家庭的、氏族的、民族的、国家的な怨讐と対峙するようになり、それでも闘わないという条件を立てるために、無限なる犠牲を払いながら受難の道を克服してきたのです。
内外の貴賓の皆様!
既に北朝鮮の人たちは、全国民が金日成の主体思想で武装しています。私たちは、彼らを消化することができる神様の真の愛の思想で武装しなければなりません。北韓は、ソビエト文明から来た冷たい風が吹きつける、北方文明です。私たちは、温帯文明によって彼ら自身が自ら溶けていくことができるような作戦をとらなければ、お互いが滅びるのです。ゆえに、私たちは徹頭徹尾、真の愛の思想武装をしなければなりません。私たちの思想は、個人の欲望のためのものではなく、世界人類を救うためのものです。自分を中心としたものではありません。より大きなもののために生きようという思想です。
しかし、共産主義者たちは、共産党員の何人かの幹部を中心として成そうとするのです。それで彼らは、自分の敵が現れれば除去してしまうのです。私たちはそうではありません。「相対的環境と和合し、一つとなって、より高い次元の相対的基準を成そう。すなわち、カインとアベルが一つとなって、より高い父母を迎えよう」という思想です。言い換えれば、生活的に感服させ、人生観や、人格的な基準を中心として、共産主義の思想で武装した彼らを凌駕することのできる私たちとならなければなりません。私たちが彼らに影響を与えることのできる環境をもたなくては、カイン国家を復帰することができません。カイン国家を復帰できなければ、天の国を中心とした世界的な国になり得る復帰の国家が成立しないのです。
したがって、南北韓は分断されましたが、北韓と闘わずして解放しようというのです。ゆえに、お互いに利益となる愛し合う道を探し求めなければならないのです。
皆さん、現在、南と北の目的が食い違っています。方向が異なった立場で、一方は南に、もう一方は北に行こうとする分かれ道にいるので、その目的が異なっているのです。どのように統一されるかという問題をおいて見るとき、深刻です。その主体的使命を誰がしなければなりませんか。それを南韓がすると言うとき、北韓が反対するでしょうし、北韓が主導すると言うとき、南韓が反対することでしょう。互いが、「我々がしようというとおりにしよう」と言うときには成されないのです。自分自身の立場に固執すれば、必ずまた決裂することでしょう。これをどのように克服するのかが問題です。問題は、南韓の人が南韓を愛する以上に北韓をもっと愛するという人が出てこなければならないということです。
同様に、北韓の人が北韓を愛する以上に南韓を愛する人が出てこなければならないのです。それ以外に、模索方案、解決方案がありません。南韓の誰よりももっと国を愛する人、北韓の誰よりももっと国を愛する人、そのように一つの道を行く人がいるというとき、そこから超国家的な統一方案が出てくるのです。それ以外に道があるでしょうか。どんなに考えても、それ以外に道はありません。
それでは、これをどのように実践するのかが問題です。それは、北韓の人よりももっと苦労し、南韓の人よりももっと苦労することです。このような苦労の中で立てられた超民族的な愛国心が南北を生かす近道であり、解決方案なのです。悪なる世界と善なる世界を統一するのも、やはり同じです。これまで、私たちの先祖が立てた忠臣の道理以上の忠節を主張することができる人が現れてこそ、決裂した歴史を収拾することができるのです。
そのような観点から見るとき、イエス様は偉大でした。ユダヤ民族が不信し、十字架の道を行かざるを得ない立場になられると、神様のために生き、イスラエル民族のために生きる道は、神様のために死に、イスラエル民族のために死ぬことしかないと考えたのです。それが十字架の道理なのです。人類を愛することにおいて、歴史始まって以来誰よりも人類を愛し、神様を愛することにおいて、歴史始まって以来誰よりも愛したので、滅びつつあった歴史が、そこから新しい方向に向かってより次元の高い善の目的の世界に進出したのが、キリスト教文化圏です。それは歴史的事実です。
ゆえに、南北を統一することができる方案は、南と北のために死ぬことができる群れとなる道しかありません。それ以外に、統一することができる道はありません。本当に、共に生きたいという心がなくてはなりません。人間がどのように生きるのか、あるいは、私たちの人生航路をどのように行くべきかということを念頭において見るとき、その骨子を要約するならば、孝子が行く道、忠臣が行く道、聖人が行く道、聖子が行く道の根本があるはずです。まさしく、永遠に共にいたいと思い、共に生きたいと思う心です。上下を問わず共にいたいと思い、前後左右、昼夜を超越し、生涯を越えて、共に生きたい思いに満ちた人生のことではないでしょうか。このような結論が出てくるのです。「共に、一緒に生きたいなあ」という、その内なる共通分母とは何でしょうか。それは権力ではありません。権力は歴史を超越できません。
それは一時のものです。知識もやはり同じです。知識世界は発展するものです。知識の世界で、この学問と永遠に共に生きたいという思いがあるでしょうか。間違いなく私たちが共に生きることができるのは、知識でもなく、お金でもありません。
このように見るとき、上や、下や前後左右の区別なく、過去、現在、未来の時間性を超越した立場から、共通的に認定することができる一つの分母とは何でしょうか。これがすなわち、神様を中心とした真の愛だというのです。ですから、孝子は、家庭で父母を限りなく愛して生きる人です。また、愛国者は国をこの上なく愛して生きる人であり、聖人は世界万民をこの上なく愛する人であり、聖子は人類と神様をこの上なく愛しながら生きていく人なのです。
したがって、愛国者の心のように、民族と共に生きたいと思い、民族が困難なときには、その困難がすなわち自分のことであり、自分の痛みであり、喜びがあるとすれば、それが過ぎ去る喜びでなく、私たちすべての喜びとして永遠に残ることができるものでなければならない、と誓うことができる真なる心情の基盤が問題なのです。真なる愛と心情の因縁をもった人は、統一圏に同参できる特権があります。
皆さん、全く字を知らない女性でも、博士と結婚して愛の因縁を結ぶならば、一日にして博士夫人になるでしょう。このように、共に生きようという情の因縁をたくさんもった人は、今日、統一圏に堂々と参席することができる特権があるのです。神様御自身がそのようなお方であるために、一つとなることができる生活内容をもてば、同参することができる資格が自動的に賦与されるのです。
それでは南北統一は、どこから、何をもってするのでしょうか。力で屈服させるならば、相手側の力がもっと大きくなるとき、また闘いが起こるようになります。その方式では統一を成し遂げることができません。たとえ以南の地で暮らしていても、北朝鮮で暮らす彼らと真心から共に暮らしたいという心、一つにならなければならないという心があってこそ、統一の道が開かれます。北朝鮮を思いながら胸が詰まり、哀れに暮らす私たちの同胞のために涙を流し、あなた方の困難と共に私は生きている、解放の一日を準備してあなた方の前に現れることであろうと誓いつつ、統一のための真の愛の実践運動がここに起こるならば、統一の日は遠くありません。
皆さん、その最初の段階として、郷土とどのように生きるのかを考えてみなければなりません。自分の父母と共に生きたがらず、郷土と共に生きたくない人が国を愛するというのは偽りです。国と共に生きてこそ、世界と共に生きるようになっています。そして、世界と共に生きてこそ、神様と生きるようになっています。ゆえに郷土を愛し、その地域社会を愛してこそ、愛国も可能なのです。政治をする指導者たちが国をどれほど愛していますか。彼らに、国民と共に真心から共に生きようという心がないときには、そのような政治家は流れ去ってしまうのです。どんなに優れていても、水の泡のように流れ去ってしまうのです。
引き裂かれた南と北がそのまま一つとなることはできません。愛国の同志たちが闘争するその過程では、夜寝ることもせず、時間を超越して、困難な環境を克服することができる心の決意と実践が必要なのです。「本当に共に生きたい。死んでも共に死に、生きても共に生きたい」という、そのような心を互いがもつようになるときに、南北統一運動が始まるのです。南北統一を成し遂げれば、民主世界と共産世界の統一も、ここから起こるのです。ですから、韓国問題を心配する場合は世界を代表した立場に立って、六十億人類を代表し、三十億のアジア人を代表し、民族の将来、世界の将来を見通さなくてはなりません。
そして、「私は、あなた方と共に、本当に共に生きる運動を展開するだろう」という誓いをしなければなりません。それが聖人の道理に通じれば聖人に似るのであり、聖子の忠節をもって神様に対して実践すれば、「神様の相続者」「み旨の後継者」となるということを、私は生涯を通して確認したので、きょう皆さんにこのようなみ言を伝えているのです。
内外の貴賓の皆様!
神様の真の愛を中心として互いに因縁を結べば必ず主管権と所有権、それから、相続権をもつことができる特権が賦与されます。力学では入力よりは出力が小さいですが、真の愛の世界では、入力よりも出力がもっと大きいのです。
真の愛とは何でしょうか。「他のため」に生きる愛であり、与えてはそのまま忘れてしまうものです。与えたことを、ことさら記憶もしないのです。また、どんなに降り注いでも、疲れるということを知りません。九十歳を超えた父母が、七十歳になった息子に、「息子よ! 車に気をつけるんだぞ」と言っても不自然でなく、何十年間、その言葉を数限りなく繰り返したとしても嫌気がさしたり、疲れるということがありません。堕落した世界の父母がこのようであるのに、いわんや、本質世界で父母なる神様の愛を授け受けするとき、疲れるはずがあるでしょうか。人生で真なる神様の対象圏を確定し、真の愛の栄光が不変であるということを初めて知るようになるとき、永生の論理を妥当化させることができるのです。
私が、去る一九八四年に何の罪もなく米国の監獄に入り、獄中のベッドに一人で横たわっているとき神様が訪ねてこられて、信じる人は私しかいないのでニカラグアの事態を解決しなさい、と命令されました。神様が訪ねてこられる人間が、どうして私しかいないのでしょうか。先進国を代表するという米国には、二億四千万という国民と、数限りなく多くの教役者(注:宗教活動に携わる人)がいるのですが、彼らを訪ねていくことができず私を訪ねてこられた神様が、どれほど哀れであられるか推し量ることができるはずです。
しかしながら、神様は強い引力の愛を訪ねていくことができるので、昼夜、世界のために心配する私を訪ねてこられたのです。その時、私が「ワシントン・タイムズ」を前面に立てて助ける仕事を展開しなかったならば、南米は思想的に既に廃墟になっていたことでしょう。
紳士、淑女の皆様!
我が民族の念願である南北統一は、この時代の神様の願いでもあります。北韓と南韓を統一させ、神様が安息することができる基盤を、皆さんの家庭と、私たちの教会と国に築くことを天は願っているというのです。それでは、神様に何をもって侍るのでしょうか。何をもって、これをすべてきれいに洗い流さなければならないでしょうか。何をもって洗い流してこそ、神様がきれいだとおっしゃるのかというのです。ほかでもなく、自分の父母を愛する以上の、夫や妻を愛する以上の、子供を愛する以上の真の愛を中心としてその環境をつくり、祭物的な祭壇を積もうというその立場から、初めて理想的な南北統一ができてくるのです。理想的東西文化の統合が起こるのです。分離した地上世界と天上世界の理想的統一が起こるのです。地獄と天国の解放圏が開かれるのです。それで、真の愛の鍵が必要なのです。
私の心と体の愛による統一は、家庭的な愛の統一と常に互いに通じることができるのです。家庭が和合した愛の夫婦は、家族だけでなく、その氏族と国家と世界にも通じることができます。愛し合う夫婦が一つになれば、誰がそしり、踏みにじることができるでしょうか。和合した家庭、和合した民族、和合した政府、和合した世界、和合した天と地、和合した真なる人間愛と神様が一体となった、そのような世界が真の愛のユートピアではないでしょうか。すべての植物が太陽の光を生命の要素として吸収するのと同じように、人間には、愛が生命の要素となるのです。私たちの願いは、永遠に真の愛と共に、慕いながら生きることのできる地上天国と天上天国が建設されることです。
しかしこの世の中には、すべてのものの主人格として登場することができる驚くべき人生の価値と、その特権的な権限をもった真の愛の主体者あるいは対象者が、果たしてどれくらい存在するでしょうか。きょう、この場に参席された皆さんはどうかこれを忘れないで、心と体が一つとなるように努力することによって、自らの夫婦同士でより高くために生きることができる愛で愛し合うことから、家庭と、民族と、国家と、世界を愛することができる真なる人と家庭となることを願います。
もしそのようになれば、南北統一は既に成就したも同然です。どんなに強い主体思想であっても、神様の愛の中では力なく収拾され、消滅してしまうことでしょう。真の愛で愛する心をもつようになれば、南北統一は絶対問題ではありません。それだけでなく、東西問題や世界的南北の貧富の格差問題も、この神様の真の愛をもって完全に解決することができます。このような神様の理想を中心として世界の理想を消化し、そこから国家理想を消化し、国家理想から民族、家庭、個人にまで連結することができる理想世界の平和的無限境が成し遂げられることによって、この地上には真の愛の平和世界が建設されることは間違いありません。
内外の貴賓の皆様!
私は四十年余り前から、ここでお話ししたように統一の根本原則を宣言し、国内外で神主義を中心とした理念運動を土台として、周辺四大強国に統一の国際的な基盤を造成してきました。韓国や、日本、米国などに、各々数百万を超える会員たちが、国際勝共連合、カウサ(CAUSA)活動などを通して民間基盤を構築してきたのです。これまで私が主唱してきた神主義は、唯物論、無神論の相反する価値観の統一はもちろんのこと、世俗的人本主義を解放することができる唯一の思想として、世界各国の指導者たちと思想界で検証されました。
南北統一を熱望する愛国同胞の皆様!
私たちはみな共に、真の愛の神主義で私たちの価値観を定立し、国民思想武装に総決起しましょう。私たち自身と、韓民族と世界平和のため、南北統一を信仰化しましょう。そしてこの時代、歴史と天の召命を受けて立ち上がり、南北統一運動に私たちすべてが先頭に立つ義人と指導者になりましょう。真心より共に生きたいと思う真の愛、怨讐までも愛する心で、真の愛の温風を北方の地の同胞たちに送りましょう。
特に、人類歴史の始まりにエバの失敗によって歴史が誤ったので、終わりの日には女性たちが先頭に立って、真の愛の母性愛で、青少年の和解と統一の新しい歴史を創造していきましょう。女性の使命は、子女のような立場である青年男女および学生たちを、真なる教育を通して真なる子女たちに復帰することです。さらには、母と子女が一つとなって手本を示し、教育を通して夫までも真なる天の息子として復帰し、真の父母に従って神様を中心として侍り、地上天国理想を復帰しなければなりません。今一度、きょうの私の話が、南北韓が共に真の愛で出合うその日を早める全国民運動となるように願いながら、お話を終えようと思います。
神様の祝福が皆様の家庭に共にあることを祈願いたします。ありがとうございました。
二 「天宙は私の故郷であり祖国」
尊敬する内外の貴賓の皆様!
きょう、私の八十回目の誕生日を祝賀してくださるために公私共にお忙しい中、全世界の至る所からここ韓国を訪ねてこられた各界各層の指導者の皆様に、心から感謝申し上げます。私は、今日まで共にいてくださり、見守ってくださった神様に、このすべての栄光をお返ししようと思います。私は生涯を通して、ただひたすら神様の創造理想実現のために諸般の難問題を解決しようと心を砕いてきました。
私は十六歳(数え)の少年の時に天命を受け、楽園のイエス様をはじめとする歴代の聖賢たちと自由に交流しながら、神様のみ旨の究明とともに、人類救援のための復帰摂理歴史を完結するために、孤軍奮闘してきました。知ってみると、神様は栄光と尊貴の玉座にいらっしゃるお方ではなく、堕落して地獄に落ちた子女たちを救うために苦労してこられた、悲しみと嘆息と苦痛の神様であられました。この意義深い日、私たちが心に刻まなければならないことは、私たちがみな神様の心情と完全に一つになることであり、さらには神様のみ旨を成し遂げることです。人間は堕落によって霊的無知に陥ることにより、神様の実存および人間と宇宙に対して根本的な無知に陥りました。
したがって、肉身をもってこの世をどのように生きるべきか、死後の霊界の実在とそのための準備として、地上生活がどのようでなければならないかということを知らないまま生きてきました。神様のみ旨と心情を知って生きてきた私の生涯は、一言で言えば、昼夜を忘れ、季節も環境も超越して、ただみ旨を成就するために全身全霊を尽くす道でした。私の八十年の生涯を振り返ってみるとき、これまでの多くの苦難と迫害にもかかわらず、この場できょう、皆様と共に過ごすことができたのは、ただただ神様が助けてくださったからです。私はこれまで、世界の至る所の公席で一万回余りお話をしてきました。これは既に三百巻余りの本として発刊されています。
きょう、世界最高の指導者の皆様と出会ったこの意味深い場で、これまで私が考え、教えてきた内容の一端を「天宙は私の故郷であり祖国」という題目でお話ししようと思います。本来、天宙は、人間が主人となって暮らすように造られた巨大な家です。そしてこの天宙の中心となった人間は、上下、左右、前後の関係性、すなわち父子関係、夫婦関係、兄弟関係の中で球形として存在します。神様は私たちの日常生活を指導されながらも、見えない中心の位置にいらっしゃるのです。堕落したサタン圏内での拘束と苦心の中から、神様の助けにより自由と解放を受け、真なる息子、娘として成長したのちに相対に出会い、真なる夫婦となり、さらに子女を生み、真なる父母となることが人間の正しい人生路程です。
ゆえに、私たちは真なる子女を否定することができず、真なる夫婦を否定することができず、真なる父母を否定することができません。これを否定すれば宇宙の原則に逆行し、自らの存在を破壊することになります。それゆえ、人間は真なる父母と共に、真なる夫婦と真なる息子、娘によってなされた、真なる家庭を成し遂げなければならないのです。これがすなわち、理想的な存在のモデルとなるのです。人間は、家庭において真なる父母の愛を完全に受けなければならず、真なる夫婦の愛を完全に受けなければならず、それから真なる息子、娘の愛を完全に受けなければなりません。このようなすべての人間関係を完成させるのは、お金でもなく、知識でもなく、権力でもなく、物質的な力でもない、均衡をなす神様の真の愛しかありません。真の愛は投入する力です。与える力であって、受けることのみをする力ではありません。すべてを与え、零点(ゼロポイント)の位置に入っていくのです。完全に空いた場になるので、零点の位置には何が入ってきてもOKです。
それで、与える力が永続するので、戻ってくる力が加重され永続することによって、永遠なる均衡がなされるのです。それゆえ、真の愛を中心に「ため」に生きる世界は、授受作用を通して完成されるのです。天地のすべてのものが相対的関係で存在しているのも、このように授けて受ける作用を通して真の愛の世界を成すためなのです。相対関係において、すべての授ける力に対して戻ってくる力が運動することによって、その中心点は永遠に定着することができるのです。すなわち、天運の数である「7」のような真の愛の中心位置に神様がいらっしゃり、全宇宙が均衡をなして運行しているのです。天運というのは、このように受けて返す巨大な天宙的な流れです。その中で愛も流れ、空気も流れ、水も流れ、光も流れます。しかし、その流れは回り回って、再び円形に戻っていくのです。
内外の貴賓の皆様!
善なる人とはどのような人ですか。様々に定義することができるでしょうが、一つは受けたものを踏み倒す人は悪なる人であり、受けたものに対して、プラスして恩返しする人は善なる人であるというのです。それゆえ、子供が自分よりも低くなることを望む父母はいないのです。高くなることを望みます。また夫は妻を、そして、妻は夫が自分よりも素晴らしくなることを願います。また、兄は弟が、弟は兄がもっと立派になることを願うのです。
ゆえに、受けたものよりももっと大きなものを返そうとするのが父母の願いであり、夫の願いであり、子女の願いであり、万物の願いであり、結局、宇宙の願いでもあるのです。一歩進んで、大きな心で「天宙が私の故郷であり、私の祖国である」という考えをもった人だけが自由と解放を受け、天宙的に歓迎されるのです。すなわち、個人的に歓迎され、家庭、国家、世界、天宙的に歓迎されてこそ、結局、神様の真の息子、娘になることができるという結論が出てくるのです。
それでは、皆さんはどこで暮らしたいですか。自分が生まれた本然の故郷で暮らしたいはずです。しかし、本然の故郷は、広い意味で考えるとき天宙の中でも地球星であり、祖国は私たちの先祖である神様がいらっしゃる所です。この地球星で堕落していない本然の父母、兄弟、息子、娘が共に暮らすならば、そこがすなわち私の故郷です。そこには黒人、黄色人種、そして、白人が共に調和して暮らしているのです。このすべての人種は誰の息子、娘ですか。父母は一人の方であられます。ゆえに、宇宙で東西南北のどこに行ったとしても、共にいらっしゃる神様が人類の父であらざるを得ないのです。例えば、米国の主人が白人であったり、黒人であったり、黄色人種であるという考えは誤りです。米国の主人は神様であられます。
韓国も同様です。ただ皮膚の色が違うのは、住んでいる地域に従って、保護色を合わせるための気候と環境の影響のせいなのです。それで、雪の多い地域には白人が多いのです。反対に太陽の光が強いアフリカのような所には、黒人がたくさんいるのです。しかし、人はみな根本的に同じなのです。例えば、血の色や、皮膚や骨の形はみな同じです。そして、互いに愛し合うことも同じです。ゆえに、人種の差別はあり得ません。
それで統一教会では、国際合同結婚式を通して人類を平等化してきました。自然の道理と原則を尊重してみると、五色人種が互いに結婚するようになったのです。黒人と白人が結婚することは、北極と南極が一つになることと同じです。また、黄色人種と黒人が結婚すればお互いの長所を受け継ぐようになり、より優れた後孫を生むと考えるのです。愛があるところには藤がありません。たとえ皆さんの生まれた故郷と祖国は異なるとしても、一つ間違いのないことは信仰の本郷地であり、平和と統一の本郷地というのは、真の愛を中心とした祖国と故郷であるということです。
人間世界で、最も重要なことは真の愛、真の生命、そして真の血統です。真の愛には真の生命があり、真の血統が連結されます。真の血統が連結されなくては、真の愛が成されないのです。また、真の生命が連結しない愛は偽りの愛です。真の生命は、真の愛と、真なる血統の因縁の中で懐妊されるのです。
このように、真の愛と、真の生命と、真の血統を通して永生の道が開かれるのです。真なる人となり、真なる愛と、真なる生命と、真なる血統を後代に残すことが神様の創造理想なのです。永遠なる真の愛、永遠なる真の生命、永遠なる真の血統の主人であられる理想的な神様に似た人が、天の国の完全なる真の息子、娘になるのです。どうして結婚をするのでしょうか。まさしく、このような真なる血統的伝統を、過去、現在、未来に連結するためです。
堕落する前、アダムとエバは神様に直接、自由に接することができたのですが、堕落したのちには、以前のように神様に接することができなくなってしまったのです。さらには、堕落したアダムの子女たちであるカインとアベルは、神様の血筋を受けることができず、サタンの血筋を受け継ぎました。ゆえにイエス様は、ヨハネによる福音書第三章三節で「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない」と言われたのです。
人間は、血統的に誤った愛によって、誤った生命をもっている自分自身であることを自覚しなければならないのです。人間は、自分たちが愛の怨讐であり、生命の怨讐であり、血統の怨讐の位置にあるという事実をこの上なく恥ずかしく思わなければなりません。神様は、今日の世界でフリーセックスやホモセクシュアルが氾濫しているのを御覧になって、言葉にできない悲しみと苦痛を感じていらっしゃいます。
しかし、そのような怨讐の息子、娘を自分の息子、娘よりも、もっと愛さなくてはならないというのが神様の立場です。投入し忘れ、また投入し忘れながら、失ってしまった息子、娘を再び取り戻そうとするのが、神様の救援摂理です。堕落した生命を生かすためには、それよりももっと強い生命力を投入しなければなりません。堕落し、偽りの種で腹中に宿された子供を見ながら、悲惨に感じている神様がどんなに哀れでしょうか。そのような子女が繁殖し、今日の六十億の堕落人類となったのです。
人間は本来、三時代を通過するようになっています。母の腹中時代は水中時代であり、地上世界は土と水と空気の時代であり、死後の世界は愛の時代です。胎児が母の腹の中で栄養をもらって育つのと同じように、人間の肉身は、地球星で万物を食べながら成長するのです。それで人間は、地を母のように愛さなければならないというのです。霊界は、太陽のような光が夜も昼も射す所です。太陽の当たる所は常に昼です。霊界もこれと同じです。霊界での愛の光は変わることがありません。朝でも夜でも、北極でも南極でも、愛は変わることがありません。そのような真の愛が充満した世界が霊界です。霊界は、春夏秋冬という季節を通して実を結んだものを収穫し、倉庫に貯蔵する所と同じなので、地上世界の人生が結実した所です。
復帰歴史路程で、これまで神様の直接的な真なる血統が連結され、真の生命をもって出生した人はイエス様しかいません。ゆえに、これまで堕落した人類の中で、地上や霊界で神様の直接主管圏に入っていった人は一人もいませんでした。それで神様は、これまでお一人で孤独な悲しみの歳月を過ごしてこられたのです。
ゆえに、人間も悲しく、万物も悲しい世界となってしまったのです。それで神様は信じることができる一人の人、すなわち血筋を浄化させ、真の生命に重生させ、神様の真の愛を受け継ぎ、解放の主人になることができる一人の男性、メシヤを探してこられたのです。
皆さんも御存じのように、アダム以降、旧約時代の歴史はメシヤを迎えるための選民の歴史です。準備された選民イスラエルを通して、イエス様がメシヤとして来られ、万民をイエス様の家庭と接ぎ木し、真の血統を世界化しようとされたのが神様のみ旨であったのです。しかしユダヤ民族の不信により、イエス様が十字架にかけられることによって、そのみ旨は再臨理想として残されました。したがって、再び来られる再臨主は人類の真の父母の立場で、再び真の愛の家庭を取り戻し、天地父母の位置を経て、人類救援摂理を完成しなければなりません。
メシヤが出発しなければならない起点は、アダムとエバが堕落しないで完成した家庭よりももっと神様に栄えある立場で、もっと素晴らしく侍ることができる孝子、孝女の家庭とならなければなりません。メシヤは、真の愛を中心とした父の立場で、真の生命と真の血統を連結し、新たに出発しなければならない人類の理想的な核となる家庭の主人です。ここから祝福結婚した家庭を連結し、地上天国、天上天国の完成を見るのです。ゆえに、メシヤは人類の前に真なる父母として来られなければなりません。来られるメシヤは、サタンの愛とサタンの血統を否定し、神様の真の愛で連結した、完成した個人、家庭、氏族、民族、国家、世界と天宙を成さなければなりません。
すなわち真の父母の愛によって、全人類が新たな祝福結婚をすることによって、神様の新しい血統的家庭の相続を受けなければならないのです。そしてこれは、真の愛でなくては道がないという事実を知らなければなりません。こうして、サタン世界の地獄圏を解放しなければなりません。ゆえに、すべての人類は八段階の復帰過程を経て、神様の子女の立場を取り戻さなければならないのです。すなわち腹中時代を経て、幼児時代、兄弟時代、婚約時代、夫婦時代、父母時代、祖父母時代を経て、王と王妃の時代までの八段階を復帰しなければなりません。結局、人間は神様の子女として、王子、王女として、天地の大主人になるという目的で生まれたことを知らなければなりません。
皆さん! このように、私たち人間は本来、成長して、男性は女性に出会って王となり、女性は男性に出会って王妃となり、天の国の王子、王女として、天の国のすべてのものを相続される相続者の位置にまで行かなければなりません。このためには、地獄の底から八段階の蕩減条件過程を通過して天国まで一体化させなければならないのですが、これは、メシヤとして来られる真の父母の祝福を通してのみ可能なのです。このような祝福家庭(blessed couple)は、世の中の前に助けとなる、主体的なプラス・カップル(plus couple)にならなければなりません。このように、完全に生まれ変わった新しい人になるためには、神様を中心として、絶対信仰、絶対愛、絶対服従を実践しなければなりません。私もやはり生涯を通じて、これを実践してきました。
神様は宇宙を創造されるとき、絶対信仰をもって造られました。さらに、神様は私たち人間を愛の絶対的パートナーとして造られました。絶対従順とは、自分自身までもすべてなくして完全投入することを言います。このように投入しては忘れ、投入しては忘れ、最後には自分という概念まですべてなくなるゼロ・ポイントになるのです。愛を否定されてももっと愛し、投入してももっと投入してこそ、怨讐を真の愛で自然屈服させる位置まで進むようになるのです。神様がそのような道を歩んでこられ、天地父母がそのような道を歩んできたのです。
投入して忘れてしまい、投入して忘れてしまうことを続ける人が中心者となり、全体の相続者となり、孝子の中の孝子となります。家庭の中でもおじいさんおばあさんなど、十人の家族が暮らすとしても、最も「他のため」に生きる者が家庭の中心となるのです。国において、愛国者も同様です。投入して忘れてしまうほど、忠臣、聖人、さらに進んで聖子として決定されるのです。
神様は、人類歴史始まって以来いかなる存在よりも、真の愛を中心としてより一層「他のため」に投入して忘れてきたのであり、また、永遠に継続して忘れて投入することができるお方であるので、「他のため」に生きる者の王となり、先祖となることができるのです。私が導いてきた統一教会が、短い期間に世界的な宗教団体として成長したのも、まさしくこのような原理原則で努力してきたからです。自分の生涯を振り返ってみるとき、私が人類救援の道を行きながら今日に至るまで、有形・無形世界の億万のサタン勢力が反対し、多くの宗教指導者たちが反対し、各国の政権が反対しましたが、私は堂々と彼らのために生きてきたので、いつの間にか彼らの中心位置に立つようになったのです。真実を理解できず反対する彼らのために生き、反対する彼らの子女たちのために投入し、反対する政権のために生きてきてみると、いつの間にか、人々がレバレンド・ムーンを尊敬するようになっていたのです。
私たちはここで、天の戦法とサタンの戦法がどのようなものであるかを学ぶことになります。すなわち、天の戦略は打たれて取り戻すことであり、サタンの戦略は打って失ってしまう戦略です。このような原則のもとで、レバレンド・ムーンは人類救援のための方便として、五大洋六大州に広がっている五色人種を「一人の方、神様のもとの一つの世界」を成すために国際合同結婚式を挙行し、数千数万双の若者たちを祝福結婚させてきました。東洋と西洋が結婚を通して一つとなるとき、世界で最も大きな文化的藤はなくなるはずです。米国人とドイツ人が結婚し、夫婦が真の愛で一つとなれば、怨讐であった二つの国が神様の真の愛によって一つになるのです。
さらに、レバレンド・ムーンは霊界にいる霊人たちまで、真の愛により祝福してきました。地上と天上に天国が成されるためには、霊界にいる霊人たちまでも祝福を通して解放しなければならないのですが、それは、地上にいる真の父母を通してのみ可能であるのです。人類の先祖が偽りの父母として罪悪の種を蒔いておいたので、メシヤは人類の真の父母として来て、地上と霊界のすべての人類を解放してあげなければならないのです。血統で誤った問題に対する解決は、全知全能であられる神様でさえも、一人ではなすことができないのです。
もし神様がなすことができるのであれば、既にずっと以前にされたであろうし、また堕落もさせなかったはずです。人間に賦与された自己の責任分担は、原理法度の神様においては一切干渉することができないのです。ゆえに、再び来られるメシヤは、人類の真の父母として来られ、血統を汚した原罪をもった人間を真の愛によって重生してあげなければなりません。このような点から、私が主導してきた国際合同結婚式の意味は、単純に、男女が配偶者として出会うところにのみあるのではありません。
本然の神様の生命の種を賦与され、真なる神様の子女として生まれ変わるための、神聖な重生の儀式なのです。このように、蕩減原則を通して個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙的蕩減時代を経て、最終的には、霊界解放と地上解放時代を迎えたのです。世界が数千数万の民族に分かれ、父母、夫婦、子女まで分裂し、宗教圏もキリスト教、イスラム教、儒教、仏教など四大文化圏に分かれてきましたが、今私たちは、大統一家庭化時代を迎えたのです。新約時代を経て、完成時代である成約時代を迎えて、堕落がなかった本然の第四次アダム圏時代に入り、天国の時代に入っていくようになったのです。言い換えれば、今は国家主義時代が過ぎ、世界主義時代を越えて、天宙が一つの神様のもとで、一つとなる時代に突入したのです。さらに地球星が全祝福家庭の故郷となり、神様がいらっしゃる天上世界は祖国になり、一つとなることによって、永遠なる神様の祖国が主権復帰された地上天上天国が始まるのです。
内外の貴賓の皆様!
私は、新千年紀が始まる午前零時に、全世界に送るメッセージを通して「真の愛の天宙化は、新千年天国完成」というみ言を宣布しました。「真の愛の天宙化」という言葉は、天と地を真の愛の家にしようという意味であり、新しい千年紀を迎え、全体世界を通して天国を完成するということになります。天宙は神様から出発したので、その対象的立場にある愛の家の完成のために、家庭や氏族、民族、国家、世界が同じ公式原理の家を求めて一つにならなければなりません。
国は家庭が入ることができる愛の家であり、世界は国が入ることができる愛の家であり、さらに天宙は世界が入ることができる愛の家です。その中でも、真の愛の家庭というものは巨大な天の国の家、天宙の出発点であり、核になるのです。家庭で夫は妻の真の愛の家であり、妻は夫の真の愛の家であり、父母は子女の真の愛の家であり、子女は父母の真の愛の家です。神様の国は真なる自由と信仰の理想が花咲き、実を結ぶ所であり、真の愛と真の生命と真の血統が結びついた真なる家庭がとどまる所です。さらには、永遠なる真の愛と幸福が充満した千年王国時代が始まる所です。私がこれまで主唱してきた天地安息圏の中心が、神様が共にされる真なる男女が結合した家庭であるために、真なる家庭の価値を説き明かしてきたのです。ゆえに、私たちは、聖書でいうエデンの園をこの地球上に具現させなければなりません。
今、新たに迎えた千年紀は、六千年間の救援摂理が完結され、創造理想を中心とした本然の天の国が建設される時です。旧約と新約の約束が成される、成約の時代をいうのです。二度と涙がなく、死亡がなく、哀しみ痛む声が聞こえない、新しき天と新しき地をいいます。水晶のような澄んだ生命水を代価なく分け与えられる、条件のない真の愛の時代をいうのです。霊界と地上が一つに通じ、天上と地上に神様の国が成される時代です。生きていらっしゃる神様の直接主管が復帰された長子権、父母権、王権を通して、全体、全般、全権、全能の新時代を開く時です。以上お話ししたように、地球星は人類の故郷であり、霊界は人類が完成、到達しなければならない永遠なる祖国を意味するのです。
そしてついに「一なる神様のもとの一つの国(One nation under God)」を越え「一なる神様のもとの一つの天宙(One cosmos under God)」として、天の父母を中心とした地球星大家族主義の世界が成される時です。ゆえに、神様と人間の根本関係である父子の因縁を心に刻み、「天宙」すなわち霊界と地上を「私たちの故郷であり祖国」として創建するために、積極的に先頭に立ってくださるようお願いいたします。重ねて、この場を訪ねてくださった全世界の指導者の皆様に感謝し、四海同胞がお互いに真なる兄弟姉妹となり、平和と自由と正義があふれる新しい千年王国が始まることを祈願しながら、み言を終えようと思います。
皆様の国と、各家庭に神様の祝福が共にあらんことを祈ります。ありがとうございました。
三 「真の愛は誰もが願う」
尊敬する内外の貴賓の皆様!
公私共にお忙しい中を、第四回「世界文化体育大典」に参席してくださった皆様に、心から感謝申し上げます。
理想家庭を通じた真の平和世界の具現のために、私が生涯をかけて追求してきた平和運動は、神様のみ旨を地上に成就してさしあげるための一環として推進してきました。分裂と藤の一世紀が終わり、和解と統一を模索して出発した新千年紀の希望は、漠然と成就するのではありません。神様の創造理想を中心として全世界が、一つの神様のもとに一つの世界を指向するという具体的な青写真をもって、各界各分野で具体的な実践運動が世界化されなければならないのです。
私は、十六歳(数え)の少年時代に天のみ旨に接して以来、楽園のイエス様をはじめとする歴代の聖賢たちと自由に霊通しながら、生涯を通じてあらゆる試練に打ち勝ち、ただひたすら神様のみ旨成就に全身全霊を尽くしてきました。知ってみると、神様のみ旨は、地上と天上に自由と平和と解放の天国を建設することでした。神様と人間の本然の関係は、永遠の父母と子女の関係です。堕落はその断絶を意味し、復帰は、父母と子女の因縁を回復することを言います。
私がこれまで設立した各種の平和団体と国際組織は、「一なる神様のもとの一つの世界」を構想してこられた神様のみ旨成就のための一環です。特に、皆さんが参観された国際祝福行事は、堕落によって受け継いだ人種、宗派、国家間の藤を根本的に解決するための神様の戦略です。五色人種が一つに調和して、真の兄弟、真の夫婦として出会うことは、「一なる神様のもとの一つの世界」を追求する聖なる理想の現実化なのです。
きょう、私の八十歳の誕生日の祝賀行事と第四回「世界文化体育大典」を記念する歴史的大会を終えながら、皆さんと共に考えてみようとするみ言の題目は「真の愛は誰もが願う」です。皆さん、人間に一番重要で必要なものとは何でしょうか。それはお金や権力や知識ではありません。生命よりも貴く、空気よりももっと必要なものとは真の愛です。真の愛が私たちにこれほどに貴く、重要なのは、何のためでしょうか。人間が生きていく上で、神様に会うことを願うように、神様も真の人間に会いたいと願われるのです。
ところで、人間の中でも男性と女性のどちらか一方に先に会いたいと言われれば、おそらく互いに不平を言うことでしょう。ですから神様は、愛を前に立てざるを得ないのです。愛さえ一番に立てれば、男性と女性が一緒に会うことができ、一緒に触ることができ、一緒に分かち合うことができるからです。世の中で一番貴いものがあるとすれば、男性と女性が互いに先に所有しようと争うでしょうが、それが愛だということが分かれば、二人が互いに一つになって所有しようとするのです。このように愛は誰もが好むだけでなく、愛のみが、人間の欲望をみな均等に充足させることができるという原則があるので、神様の救援摂理も可能なのです。
愛とは本来、神様のものです。しかし、いくら神様のものだといっても、神様お一人では所有することができません。愛は必ず相対を要求するようになっているのです。男性一人、あるいは女性一人だけをもってしては、愛は成立しないのです。ですから男性の愛のために女性が、女性の愛のために男性がいるということになります。醜い男性も醜い女性も、愛の対象が現れることを願うのです。それも、最も高い愛の対象であることを願います。
ゆえに、宇宙のすべての存在を見れば、みな主体と対象、プラス(+)とマイナス(-)の対になっています。鉱物界、植物界、動物界、そして人間の世界もみなペア・システムになっているのです。なぜならば、すべてがこのような相対関係を通じて真の愛を願うからです。この宇宙の中で絶対に一人では所有することができないのが愛ですが、反面、相対が現れることによって、愛で連結されたすべてのものを所有するようになるのです。同じように、子女がいなければ子女を愛することのできる父母の愛が現れないし、子女に対する父母の愛の主人にもなれません。ですから神様も、真の愛を成されるために、その相対として宇宙と人間を創造されたのです。このように子女の愛や兄弟の愛、夫婦の愛、そして父母の愛すべてが、主体と対象が一つになることによって現れるのです。主体と対象として一つになれば、これら二つは分けることができません。もし分けるならば、真の愛が破壊されるのです。ですから離婚という概念はあり得ないのです。
男性が愛を感じるからといって、それが自分によるものではありません。女性から始まったものです。また女性が愛を感じるからといって、それもやはり自分によるものではなく、相対である男性から来たものです。すなわち、愛の主人は相対です。ですから愛を貴く思う以上にその相対を貴く思い、相対の前に感謝して、「相対のため」に生きてあげなければなりません。これが、祝福を受けた夫婦が永遠に共に暮らすことのできる根本の道理です。このように夫婦が互いのために生き、尊重し合い、真の愛によって完全に一つになるとき、これを通じて堕落したサタンの血統は完全に根絶されるのです。
真の愛とは、横的な水平関係だけでなく、縦的な垂直関係においても成されるのです。真の愛の横的関係が縦的にだんだんその次元を高めれば、結局その頂点に到達するのですが、この場が「真の愛の王」である神様の位置なのです。この場ではすべてのものが結合し、抱かれ、愛化され、そして花咲くことができるからです。
ですから宇宙の中にあるすべての存在は、愛によって和することを願い、愛の中で生きることを願うという結論になります。愛のために生まれ、愛のために生きて、愛のために死ぬということになります。真の愛は人間のみならず、すべての万物も願います。ですから万物の霊長である人間は、神様が造られた傑作品を抱いて愛するだけでなく、すべての万物に愛することを教えてあげなければならない責任があることを知らなければなりません。万物たちはこのような主人を探しています。このような基準に私たち自身を照らしてみながら、自分を恥ずかしく思わなければなりません。宇宙いっぱいに満ちたすべての存在は、自分のレベルで相対と共に存在しますが、結局より高い愛の次元に吸収されて上昇するという原則に従うのです。
すなわち、鉱物は植物に、植物は動物に、結局は人間にすべて吸収されることを願うのです。ですからすべての存在は、捕まって食べられたり、吸収されたりして、より高い愛の次元に上がり、最後は愛の根源であられる神様の最も近い愛を受ける立場まで進んでいくようになるのです。このようにすべての存在が究極の目的地とするのは、正に真の愛の本質だというのです。ダーウィンの「弱肉強食」という言葉は、このような愛の論理によって再び解釈されなければなりません。それゆえ、蟻や微生物までも真の愛を願うのみならず、自分を愛する主人のところに行って死のうとするのです。
このような原則から神様の愛の最も高い対象として造られた人間は、すべての万物をみな食べたり、持ったりすることのできる立場にいるのです。このすべてのものをみな食べて、持ちますが、これらを造られた神様の真の愛の心をもって食べ、持たなければなりません。万物の中で長い形のもの、例えば、うなぎや魚が好きなみみずのようなものは、大体薬剤として使われるのです。どのレベルにおいてもみな、捕って食べられるようになっています。もしそうでなければ、宇宙は存立することができないのです。
神様の理想は、アダムとエバを種として家庭をつくり、氏族をつくり、国をつくって、膨大な天の国の民をつくろうというものでした。天の国の民は、このような神様の真の愛の伝統に従って繁殖されるのです。私の理論とチャールズ・ダーウィンの理論は正反対ですが、平和の世界は、私の理論に従って成されるのです。なぜならば、これが創造理想を成す根本原理だからです。進化論と創造論の論争が続いてきましたが、「創造」という言葉には既に創造主であられる神様がいらっしゃることを認定する意味が前提となっているのです。
神様の創造には真の愛の目的がある反面、共産主義には闘争と破綻があるだけでなく、結局、すべて消えてなくならざるを得ないのです。神様が主体と対象を通じてつくられた創造には、方向性と目的観が内在していますが、唯物論をパターンとした共産主義理論には、何の方向性も目的観もあり得ないのです。すべての万物の中でも一番貴い存在が人間、すなわち、男性と女性なのです。その中でも一番重要な部分は、鼻でも、目でも、手でも、そして頭脳でもなく、愛の中心器官である生殖器です。この愛の器官によって、宇宙のすべてのものが再創造されるのです。植物も動物もこの生殖器によって繁殖し、拡散していくのです。一番価値があり、一つとなった素晴らしい家庭もそれが一つとなった夫婦から現れるのです。一つとなった夫婦によって理想家庭が始まるのです。この愛の器官こそ、愛と生命の本宮であり、血統と歴史が連結するとてつもない価値の場なのです。
神様が宇宙を造られた根本原理は、雄と雌の概念を通すのです。ところで、この雄と雌が絶対的な愛を願うならば、その相対が二つであってはいけません。ただ一つ、絶対に一つでなければなりません。永遠に絶対男性と絶対女性でなければなりません。それで神様は、アダムを二人造ったのではなく、エバも二人造ったのではありませんでした。ただ一人ずつ造ったのです。
ところが、今日の世の中を見ると、義理の父が十人もいるケースを見ることができます。いかに偽りのごみ箱のような世の中でしょうか! 女性と男性が貞操を守り、保護するというのは、宇宙を保護することと同じです。男性と女性の愛の秩序が宇宙の根本だからです。ですからこれを動物のように濫用してはいけません。愛の主人は一人です。その中でも真の愛の「真」は、二つを許すのではなく、ただ一つであり、絶対に一人なのです。
「真の愛」とは、誰でも言うことができる言葉ではありません。唯一神様のみが、本当の真の愛をなすことができ、真の愛の絶対主人となられるのです。ゆえに、神様の真の生命も、神様の真の血統も、神様の真の良心も、真の愛を必要としています。このように、神様の最も根本となる本質は、真の愛です。
またこの真の愛と因縁を結ぶには、神様と関係を結ばなければなりません。うちのお母さんとお父さんがけんかしないで豊かに暮らすからといって、真の愛で愛しているとは言えないのです。恋愛している若い未婚男女が、互いに命を懸けて愛し合うからといって、それが真の愛ではありません。神様が介在していないので、真の愛ではありません。真の愛は必ず神様を中心にしなければなりません。神様の息子、娘になるには、神様の血統と生命と愛に関係しなければならないのです。権力や知識やお金、軍事力だけをもってしては、真の愛の世界で歓迎されません。真の愛は、誰もが願うものですが、愛とは「他のため」に生きることによって可能だという原則を知らなければなりません。相手のために奉仕し、犠牲になってあげなければならないのです。「私のために生きよ」という心で人に接すれば、みな逃げていくのです。
このような利己的な個人主義はサタンの戦略であり、目的であり、道具です。ですからその結果は地獄以外の何ものでもありません。全体のために生きなければなりません。人のために全体のために犠牲になり奉仕すれば、みんなが来て、私を愛してくれるのです。子女として造られた人間が兄弟になり、夫婦となり、父母の立場に進む過程ごとに、神様はそのすべての真の愛の主人になるのです。すなわち、人間が育つのを見ながら、神様はそのすべての段階の愛の主人として定着されるのです。それゆえ、神様をしてすべての愛の主人となるようにした人間こそ、神様よりも貴い存在だとも見ることができるのです。ちょうど自分が愛する人を、自分よりも何千万倍も価値があり、貴く思うようにです。ですからもっと貴いもののために神様は投入され、忘れられ、また投入され、忘れられるのです。一〇〇パーセント投入されたのち、一〇〇パーセント忘れられるので、続けてさらに投入することができるのです。
自分の夫が素晴らしくなるのを願う妻は、夫のために投入しては忘れ、また投入しては忘れることによって、夫を成功させるのと同じです。投入して忘れることを続ければ、その愛の段階を高め、究極的には神様の位置に連結されるのです。そうして神様と共に父子の関係を成して、永生するのです。みんなが天国に行きたがるのですが、「私のために生きろ」という思いだけをもっては天国に行けないのです。
真の愛は神様が造られたすべての傑作品を抱いて、「他のため」に生きるところから始まり、全世界の人類と究極的には神様にまで「他のため」に生きることによって、天国に至るようにするのです。一生に三回以上生命を捧げて、「他のため」に生きようとしなければなりません。アダム家庭の堕落、イエス様の十字架、そして再臨主の家庭を追い出した迫害のすべての歳月を蕩減しなければなりません。
神様に出会うには、三回死に、再び復活したのちにも、神様に私のことを分かってほしいと願うよりも、神様のためにもっと尽くそうとしなければなりません。そのような人々が生きる世の中がこの地上にあるならば、そこが正に天国です。この道を私が教えており、そのような世の中をつくっていっているのです。子供はお母さん、お父さんの愛の実ですが、愛の実というのは、愛と生命と血統が合わさって成されるものであることを知らなければなりません。子供たちが「自分のもの」を主張しますが、私のものの出発点は父母です。父母は根であり、幹です。父母がいなければ、すべて孤児です。父母に連結された愛のはしごを切ってしまえば、生きることができないのです。真の愛の起源であられる神様を父母として、私たち人間は、息子、娘の立場に立てられました。父母は本来、子女のための愛の最高の主人です。父子の関係が縦的な垂直関係なのに比べて、夫婦関係は横的な水平関係です。ですから父子関係と夫婦関係は互いに直角(九〇度)を成して、ここに前後関係である兄弟関係が合わさることによって、すべての愛の関係が球形を成します。
それで、愛によって成されたすべての存在は球形です。宇宙全体が球形になっているのです。このように成された球形の中心位置ですべての愛が統一され、定着しますが、この場に神様がいらっしゃるのです。すなわち、神様とその息子、娘である人間の垂直関係を中心として男性の愛と生命と血統が右側に位置するならば、左側は女性の愛と生命と血統が定着するのです。ここに兄弟の愛が前後の方向に定着すれば、このすべての愛を中心として宇宙全体がバランスを取るようになりますが、これらが一番の核として出会うところに神様がいらっしゃるのです。これを平面的に横にしてみれば、愛の一番の根っこに、生命の一番の根っこに、血統の一番の根っこに、そして良心の一番の根っこに神様がいらっしゃるのです。このように神様を中心とした家庭では縦と横、そして前後の愛が一つになりますが、このような家庭から氏族になり、民族、国家、世界、そして天宙に至るまで拡大していきますが、その根本中心は常にお一人、神様であられるのです。
アダムとエバが堕落しなかったならば、真の夫婦の愛のモデルが出てきていたはずです。彼らから愛の教育、すなわち、愛することを学んでいたはずです。彼らが子供をもてば、誰がその子供を結婚させてあげるでしょうか。それは父母です。それでは果たして今日、この社会で父母がどれほど子供たちの結婚に関与しているかを考えてみなければなりません。統一教会では真の父母がいるので、世界の人々を父母の立場で結婚させてあげています。ここには、人種の違いを超えるだけでなく、聖人も悪人も一緒に結婚させているのです。真の父母は、悪なる愛、悪なる生命、悪なる血統を接ぎ木して勝利し、否定させることによって、アベルを殺したカインを除去してしまわないで、みな同じ立場で祝福してあげるのです。
潮水を見るとき、出ていく水と入ってくる水が出合い、水平を成した時のように、歴史的に救援摂理(蕩減復帰)が終結する善悪の転換期において、善人と悪人を一緒にみな祝福してあげることによって、サタンは完全に追放されるのです。エデンの園で結婚を誤ったことが堕落なので、今、真の父母が正しく結婚させることによって、これを再びひっくり返すのです。偽りの父母が犯したことを真の父母が清算することによって地獄を撤廃し、数百数千億の霊界の先祖たちまでも祝福結婚させ、真の愛を中心とした本然の真の愛と真の生命と真の血統を取り戻し、真の父子関係を復帰するのです。こうして神様の創造理想である八段階の真の愛のモデルの主人を完成するようになるのです。
すなわち、腹中時代、幼児時代、兄弟時代、思春期時代(婚約時代)、夫婦時代、父母時代、真の祖父母時代、真の王と王妃の時代を経て、永遠に変わらない真の愛の伝統を立て、父子関係である真の愛のモデルが完成するようになるのです。真の神様の愛と生命と血統は、絶対、唯一、不変、永遠なので、子孫万代の不変の真の愛を中心としたモデルとして相続するのです。真の愛を中心としては、父子一体、夫婦一体、兄弟一体になるのです。父を愛の主人にしてくれるのは息子であり、夫を愛の主人にしてくれるのは妻であり、兄を愛の主人にしてくれるのは弟なのです。反対に、子女に父母がいなければ、妻に夫がいなければ、兄に弟がいなければ、それぞれ愛の主人の立場を見いだすことができないのです。
真の愛の主人になるためには、相対を自分よりも高め、「他のため」に生きなければなりません。ですから、個人においては心身一体、家庭では夫婦一体、兄弟一体、国家一体圏を形成し、八段階の理想のモデルである愛圏を完成するのです。そうして父母と子女、夫婦、そして兄弟(姉妹)、国家がみなこのような真の愛を中心に八段階のモデルである主人になることを願うところが、私たちの理想家庭と国家です。ここで永遠の世界的標準化が始まるので、地上天国が出発するのであり、また天上天国も自動的に築かれるのです。今、新たに始まった二〇〇〇年代には、世界の至る所で定着した祝福家庭たちが、天地父母様と一つになり、真の愛を中心とした新たな家庭革命、世界的道徳革命を主導することによって、地上と天上すべてに永遠の平和と統一の理想天国を創建することを願うのが、神様の願いなのです。私たちみんながこの聖なる聖業に同参し、神様の真の愛圏を相続する主人になることを願います。
皆様の家庭に神様の祝福があることを祈ります。ありがとうございました
四 「終末における人類とアメリカが行く道」
尊敬する内外の貴賓の皆様!
きょう、私の八十回目の誕生日を祝賀してくださるために、全世界から参席してくださった各界各層の指導者の皆様に、心から感謝いたします。特に、今日まで常に共にいてくださり、守ってくださった神様にこのすべての栄光をお返しし、深く感謝申し上げます。私は生涯を通じて、ただひたすら神様の創造理想実現のための諸般の難問題を解決するために、心を砕いてきました。知ってみると、神様は栄光と尊貴の玉座にいらっしゃる方ではなく、堕落して地獄に落ちた子女たちを捜し、救援するために苦労してこられた、悲しみと嘆息と苦痛の神様であられました。
このような神様のみ旨と心情を知った私の生涯は、一言で言えば、夜も昼も季節も環境も超越し、ひたすらみ旨を成し遂げるために全身全霊を尽くしてきた日々でした。過ぎし八十年の星霜を振り返るとき、ありとあらゆる迫害と苦難を受けたにもかかわらず、きょうこの場を皆さんと共にすることができたのは、神様が共にいてくださったからです。この意義深い日に、皆さんと共に神様の摂理的な観点から歴史と世界を理解するために、「終末における人類とアメリカが行く道」という題目でみ言を分かちたいと思います。
神様の救援摂理的歴史観の立場から見るとき、歴史の終末はサタン主管圏の悪なる歴史の終末であり、同時に神様の主管の善なる歴史の出発の起点となります。したがって終末は、天の摂理の全般を完成させなければならない時です。すなわち、個人完成を完結させるべき終わりの日であり、家庭、民族、国家、世界、ひいては天宙完成を完結させなければならない終末だというのです。神様は摂理路程で、終末期を迎えるごとに神様中心の理念圏へと人類を導いてこられましたが、実に人類は自ら責任分担を果たすことができず、悪なる歴史を整理して善の立場に立つことができませんでした。
しかし神様は絶対、唯一、永遠、不変の方であられるので、神様のみ旨に対する予定も絶対的です。ゆえに神様は、堕落によって人類が失ってしまった真の個人、家庭、社会、国家、世界、そして真の主権の復帰を通じて天上と地上に神様が運行できるその世界を取り戻し、成し遂げられることでしょう。神様が求めていらっしゃる本然の世界とは、どんな世界でしょうか。その世界は真なる父母を中心とした真なる世界です。ところが人類は、堕落によって歴史過程においてではなく、歴史の初めに、人類の真なる父母と真なる世界を失ってしまいました。
その結果、堕落によって私たちが住んでいるこの地も、人類が所有している理念も、どれ一つとして真の父母と直接因縁を連結させてあげることのできるものがありません。ですから人類はまず、「真」を求めなければなりません。そうして真なる父母、夫婦、子女、民、万物、主権、宇宙が真なる神様の心情を通じて動じ、静ずることのできるその日が、人間世界において悪なる世界の終わりの日となるのです。このような理想が成就する時が終末であり、再臨の時期です。したがって再臨期は、火の審判や地が崩れたり、信じる人が空中に引き上げられるなど、天変地異現象が起こるのではありません。もつれた曲折の悲運の歴史を蕩減し、個人から家庭、社会、国家を経て、世界を正しく立てる時なのです。縦的に失った個人、家庭、社会、民族、国家、世界を再び取り戻し、横的に連結させ、歴史的な個人、家庭、社会、国家、世界を成す時です。その日を願って生きてきたのが人類の所望であり、人類歴史が行くべき終着地だというのです。
ところが、個人も家庭も国家も行く道を失ってしまいました。世界には各種の公害問題、食糧問題、さらに宗教間の藤、人種間の対立などが至る所で起こっており、各種の紛争の主要な原因となっています。誰がこの世界に責任をもちますか。深刻な問題です。過去の共産主義国家群も、自分の民族主義を超えることができませんでした。今日、強大国であるアメリカも、汎アメリカ主義の理想を超えることができずにいます。自国の利益のみを優先するときは、世界を指導することができません。自らを犠牲にするとしても世界人類を抱き、より次元の高い理想的国家へ前進しようという理念で団結した、民族や宗教が必要な時です。このような側面から私は、神様の命を受け、ここアメリカに来て青年たちを教育しながら、没落していくアメリカの道徳的危機に強力な警告をするとともに、地に落ちたキリスト教の再復興のために全力を尽くしてきました。
皆さんは、レバレンド・ムーンの教えの核心とは何なのか、気になることでしょう。その答えは簡単です。
第一は、「より大きなもののために犠牲になって生きよ」ということです。個人は家庭のために、家庭は氏族のために、氏族は民族のために、民族は国家のために、国家は世界のために、世界は神様のために生きよというのです。そうすればその神様は結局、「私」を訪ねてこられるのです。家庭でも、父母は子女のために生き、子女は父母のために生き、夫は妻のために生き、妻は夫のために生きなければなりません。より多く「他のため」に生きる者が、善の中心者になるのです。
第二は、「怨讐を愛せよ」ということです。神様は堕落して悪魔サタンの子になってしまった人類を救うために、ひとり子イエスを送り、犠牲の道を行かせました。怨讐を本当の子供よりももっと愛するところには、サタンも自然屈服するのです。いつも、サタンの戦略は打って奪われるのであり、天の戦略は打たれて奪ってくるのです。それが公式です。私が全生涯を通じて、多くの迫害と苦難を受けてきたにもかかわらず、今日全世界百八十五カ国に宣教基盤を築いたのは、このような天理に従って生きてきたからです。
キリスト教の宣教歴史を見ても、イエス様を信じるキリスト教徒たちが行く道は追われる道であり、迫害の道であり、殉教の道でした。そのように二千年の歴史を経て、殉教の血の跡が土壌となり、民主世界という巨大な体制を発展させてきましたが、今日では、その原動力となったキリスト教が危機に瀕しています。キリスト教理念を中心とした国家群が神様を否定し、イエス様を否定し、さらには神様の摂理を否定しています。甚だしくは「神はいない」「神は死んだ」と主唱している神学までもあるのを見るとき、真なる子女を捜してあらゆる犠牲の道を歩んでこられた神様の心情は、いかばかりでしょうか。
内外の貴賓の皆様!
神様が今まで投入して犠牲になったすべてのものは、誰のためのものでしょうか。それは、アメリカのためのものでもなく、キリスト教自体のためのものでもありません。結局は、堕落によって失ってしまった「私」一人を救うためであったということを知らなければなりません。堕落が一人の個人から始まったので、救いも一人の個人から始めなければなりません。
したがって代表的な一人が出てきて、「この時代の責任を果たそう。人間が神様に負ったすべての負債を清算して、堂々と善なるものをお返しできる私になろう」と自覚せずしては、復帰する道がないのです。漠然とした立場では、絶対に蕩減復帰をすることができません。観念的であってはいけません。神様を身代わりして、悲惨なことがあれば、悲惨な目に遭う当事者以上の心情をもたなければ、神様の心情に到達することができません。
皆さんは、皆さん自身が死んでいくというそのような深刻な心情で、六十億の世界人類のために祈祷したことがありますか。皆さん個人を犠牲にして、家庭を救い、氏族、民族、国家、世界を救うために、どれほど精誠を尽くされましたか。そのような点では、誰も簡単に自信をもつことができないはずです。そのような絶対的な基準の代表者として来られる方が、再臨主です。人間始祖が堕落したのち、救いの摂理を展開してこられた神様は、アダムから二千年後にアブラハムを探し立てられ、その後孫を選民とされ、新しい家庭、氏族、民族を編成されましたが、それが正にイスラエル民族です。メシヤを迎えるための勝利的な基台の上に召命された選民がユダヤ民族だったので、将来メシヤを実体として迎えるための主流民族になったのです。その主流の要を求めていくと、人間始祖アダム・エバができなかった使命を再現するための基準と理念が必要ですが、それが正にメシヤ思想であり、クリスチャンの立場から見れば、新婦思想です。主を新郎として迎えるための新婦としての資格を準備することが、最も重要なキリスト教の使命なのです。
このような莫大な使命をもっていたのに、ユダヤ民族がイエス様を十字架で処刑することによって、第一イスラエルとして召命されたユダヤ民族は流れ去ってしまい、第二イスラエルであるキリスト教がその使命を継承してきたのです。この一つの目的を中心として神様は六千年の摂理をしてこられましたが、その摂理の終盤が、今のこの時代なのです。
それではメシヤ思想の核心とは何でしょうか。それは世界を救い、統一させるための思想であり、本然の理想家庭を建設することのできる教えであり、人間始祖が堕落によって失ってしまった位置である真の父母の立場を取り戻すことです。新・旧約聖書の教えを見ても、メシヤは父の権勢をもって来られ、聖霊の実体である女性神に出会い、真の父母の立場を回復されるのです。ヨハネの黙示録に預言されている小羊の婚宴後の新郎新婦は、真の夫婦の段階を経て真の父母になるのです。このような使命で来られた方がイエス様でした。イエス様はイスラエルの不信によって民族と国を失ってしまいましたが、神様が願われた世界と天国のために生命を捧げました。十字架にかかられたイエス様の苦難の行路は、神様と共に歩まれた苦難の道でした。イエス様は死の場でも「彼らの罪を赦し給え」と切に祈られたのです。死にゆく場でも未来の勝利を期して、ローマと、反対する群れを祝福したのです。したがってイエス様の生涯は、一代三十三年で終わったのではなく、神様の協助によって歴史と共に残り、その精神を継承したキリスト教は世界的な宗教にならざるを得なかったのです。
内外の貴賓の皆様!
アメリカが今は世界で一番の強大国だと言いますが、神様の摂理線上にまっすぐ立たない限り、いつまでも栄え続けることはできません。人類文化史を見れば、古代文明の発祥は主に熱帯圏から始まりました。マヤ文明、インカ文明、エジプト文明、インド文明、中国の黄河文明など、古代文明の発祥地は亜熱帯圏ないしは熱帯圏でした。人間が堕落しなかったならば、春の季節の温帯文明から始まるべきでしたが、熱帯文明から始まって、その次は秋の季節の涼帯文明圏に属するようになりました。これが自由世界を中心とした温帯文明圏に属するようになり、西洋文明がその中心です。大体赤道を中心として見るとき、北緯二十三度圏で連結されていますが、アメリカ、イギリス、ドイツなど、西側の先進諸国がこれに該当します。秋の季節の涼帯文明が終わりつつ、冬の季節の寒帯文明がしばらく押し寄せるようになります。これが共産主義の出現です。
多くの知性人たちは、ソビエト連邦が解体したのち、以前の冷戦体制は終わったと思っていますが、いまだに唯物論と無神論は、無力化された民主と共産の二大思想の代替理念として世界の至る所に蔓延しているのです。本来、神様の創造理想は春の季節の温帯文明から始まるべきだったのに、堕落によって熱帯文明から、原始的な状態から出発したのです。今こそ涼帯文明の危機と寒帯文明の脅威を貫いて、古代から人類が追求してきた本当の春の文明である温帯文明が現れることでしょう。誰が、寒帯文明の冬の季節を溶かすことができますか。権力や経済、科学や知識をもってしては不可能なのです。河川と海岸を中心とした文明の循環を見てみても、文明は巡礼します。ナイル川、チグリス川、ユーフラテス川を中心として発達した文明は、ギリシャ、ローマ、スペイン、ポルトガルを中心とした地中海文明に移り、この地中海文明は再びイギリス、アメリカを中心とした大西洋文明を経て、最後にはアメリカ、日本、韓国をつなぐ太平洋文明で結実するようになるのです。
このような文化史的観点から、韓半島の位置はとても重要です。韓国は、北の方にはロシアと中国を結ぶ寒帯文明圏の極地点であり、南の方はアメリカと日本を結ぶ涼帯文明の極地点です。したがってここで、涼帯文明を消化することのできる世界史的な春の季節、温帯文明圏が誕生するというのは摂理観的です。このような側面から、涼帯文明の結実地として人類的課題として残された南北問題と東西問題を解決するために、生涯を捧げてきたレバレンド・ムーンが韓国から出てきたということは、神様の摂理的な帰結だと言わざるを得ないのです。
実際に私が、生涯を通じて人種と理念と国境を越えて「神様のもとの一つの世界」運動を展開してきたのは、このような神様の摂理による道であったということを申し上げたいと思います。これは摂理史的な原則であって、私が作り上げた特別な理論ではありません。天のみ旨を悟った私は、理論だけでなく、このような神様の構想を現実化するために、外的には五大洋六大州に影響を及ぼさない所がありません。アラスカ、南極、南米三十三カ国、旧ソビエト連邦各国とアジア、アフリカ大陸の各国など、全方位的な宣教と事業基盤を通じて、到来した新千年時代に人類が当面した公害、食糧問題などを解決することのできる準備をしてきたのです。近年ではブラジルのパンタナールとアマゾンを中心に、地球環境保存について実際に基盤を築いてきました。
一方、これまで内的には、国際合同結婚式および真の家庭の価値誓約運動を通じ、約四億三千万組が参与することによって、神様が長い間待ち望んでこられた理想家庭を土台にした地上天国建設に拍車をかけてきたのです。
内外貴賓の皆様!
その間、世界は政治、軍事、経済において優越した力をもった国々が支配してきました。しかし、神様の摂理と一直線上に立たないとき、永遠の国はありません。燦爛たるギリシャ・ローマ文明の滅亡はその良い例なのです。今日、超強大国としてそびえ立ったアメリカは、過去のローマのような立場です。ローマの滅亡は、外からの侵犯よりは内部から崩れ始めた道徳的堕落に起因し、天の運勢が離れたからです。一時期は、労働者、農民を主体視した唯物論と唯物史観に立脚した政治勢力が、旧ソ連と中国を中心に、世界人口の三分の一、地球面積の三分の二を占領したこともありました。しかし、それは永遠ではあり得ませんでした。これからは、神様のみ旨を代弁する宗教人たちが勢力を得る時が来ることでしょう。宗教指導者は、神様のみ旨を地上に宣布し、人類に進むべき方向を提示してあげなければならない預言者です。しかし今のように四分五裂し、続いてきた教派間の藤と宗教間の争いは神様の摂理に障害物となるだけです。それで私は、ずっと以前から教会全体の予算の半分以上を超教派、超宗派運動に投入し、宗教間の藤を解決しようと努力してきました。さらに「世界平和宗教連合」を創設し、宗教間の和解と一致によって、人類平和増進の先頭に立ってきたのです。近年には「世界平和超宗教超国家連合」を創設し、これまでにここワシントンD・Cで七回にわたって「国際訓読セミナー」を行ってきました。
すべての人類は人種と宗派を超越して、創造理想世界の実現のための神様の摂理を理解し、究極的には神様の心情と一致点をもたなければなりません。堕落によって失ってしまった神様との心情的関係を回復し、本然の父母と子女の位置を取り戻さなければならないのです。したがって、神様が約束された終末は、真の父母が顕現される時です。言い換えれば、堕落によって父母を失ってしまった人類が、本然の父母を再び迎えることのできる希望の時です。したがって真の父母は、人類歴史の希望の結実体であり、願いの結実体であり、勝利の結実体です。統一教会は、このような伝統を国際合同結婚式を通じて世界化してきました。民族と人種、皮膚の色を超えて、黒人と白人、黄色人が一つの兄弟姉妹としてまみえ、夫婦となるのは、地球村を一つにしようとされる神様のみ旨成就において、最も重要なことの一つです。今日、このように人類は、失ってしまった本然の兄弟姉妹、夫婦、父子の因縁を回復し、究極的に、子供を失い、嘆いてこられた神様を解放してあげてこそ、真の幸福の道が開かれるのです。これまで民主主義は、「人間の自由」と「人間の解放」を主張してきました。これに比べて私たちは、「神様の自由」と「神様の解放」を主張しなければなりません。この問題を解決するならば、人間解放はもちろん、人間の自由回復は自然に成し遂げられるのです。
内外貴賓の皆様!
特別に、きょうアメリカの首都ワシントンD・Cで、神様の摂理を語っているのは深い意味があります。
アメリカは、いろいろな面で神様の祝福によって準備された国です。アメリカを建国した先祖たちは、信仰の自由のために命を懸けて自由の国を求めてきたピルグリム・ファーザーズです。彼らは真の信仰の自由を求めて、愛する父母、兄弟、故郷と離別し、さらには国まで捨てるという覚悟で、命を懸けて大西洋を渡ってきました。メイフラワー号がニューイングランドに到着したのは一六二〇年十一月の晩秋でした。その年、初めての冬を越えながら共に到着した百二名の中で、寒さと飢えによって半分以上の人々が死亡しました。彼らが素晴らしかった点は、後孫たちのために翌年に蒔く種を残しておいて、自分たちは飢えて死んでいったという事実です。
清教徒たちは、何をするにしても神様のみ旨のために生きているという信仰が徹底していました。彼らは、初めの年の収穫をもって神様に感謝を捧げ、教会と学校を先に造ってから、彼らが住む家を造りました。清教徒たちが開拓する路程で、農業をする時も、戦争をする時も、常にまず祈祷をしました。独立戦争当時、あの有名な最後の激戦地フォージ渓谷で、ジョージ・ワシントン将軍は戦闘で激戦に臨む瞬間、命を懸けた祈祷をしたはずです。神様のみ旨を先立てた戦闘で、神様はアメリカに手を挙げてくださいました。当時、世界的な強大国であったイギリスは、国王と国民が一つになって戦いましたが、アメリカは、神様と神様が愛する息子、娘たちが共に戦ったのです。それで、アメリカという自由信仰の国家が成立するようになったのではありませんか。
今もアメリカは、国会が開院される時は、祈祷から始めます。大統領が就任宣誓をする時、聖書の上に手を置いて神様の前に誓い、聖職者の祝祷を受ける国です。さらには、貨幣にも「我々は神を信ずる(In God We Trust)」という言葉を書いている唯一の国です。このようにしてアメリカは、地球上に唯一、プロテスタントを信奉する世界的な形態を備えた国家となったのです。
ところが、今のアメリカはどうでしょうか。公立学校では、公式的に祈祷を禁じています。創造論よりは進化論を教育しています。さらには五〇パーセントに至る離婚率は、家庭の神聖さをことごとく破壊してしまっているのです。このような現実を心配されている神様の声を聞いた私は、既に一九七一年に祖国と家族をあとにしたままアメリカにやって来ました。何度も全国を巡回しながら私は、「火事になった家に消防士として来た。病気になっているアメリカを治療するために医者として来た」と叫びました。その時私は、既にアメリカを離れていらっしゃる神様を発見しました。アメリカのいかなる所にも神様がいらっしゃらなければならないのに、反対に至る所で神様が離れ始められたのです。人々の心から、家庭から、学校から神様が離れておられました。振り返ってみると、ニューヨークのマンハッタンの五番街を歩きながら、アメリカを離れていかれる神様にしがみついて限りなく涙を流したのが、きのうのことのようです。不幸にもアメリカは私が予言したとおり、道徳的に衰亡の一途をたどっています。
皆さん! レバレンド・ムーンがなぜアメリカで反対されながらも苦労してこのように叫んでいるのでしょうか。私は、神様が今日アメリカを訪ねてこられるまでに流された血と汗と涙の苦労を誰よりもよく知っているので、去る三十年間、アメリカにいながら一日たりとも楽な気持ちで過ごしたことがないのです。アメリカの主人は誰ですか。ホワイト・アメリカンやブラック・アメリカンではありません。神様がアメリカを愛されるようにアメリカを愛する人が、本当のアメリカの主人です。アメリカは地上に神の国を立てるために選ばれた長男のような長子権代表国家なので、今もイエス様は霊的に主にアメリカの地にいらっしゃりながら、そのみ旨を果たしてくれることを切に祈っていらっしゃいます。
一方、私は神様のみ旨に従って一九八二年にワシントン・タイムズ社を設立し、アメリカが行くべき方向を提示する保守正論紙として、アメリカの世論を主導してきました。そして真の家庭の価値運動と青少年たちのための純潔運動を通じて、強力な救国救世運動を展開してきました。このすべてのものに、アメリカが神様の摂理の前に正しく立つことを願う心から投資してきたのです。私が一九六五年にワシントンD・Cを訪問し、決定したホワイトハウスの近くの聖地には、今も夜を明かしてアメリカのために祈祷する群れがたくさんいます。皆さんすべては、心の門を開き、あのピルグリム・ファーザーズから歴代の愛国の烈士たちの切なる願いを聞くことができなければなりません。
内外の貴賓の皆様!
今始まった新千年紀は、六千年の間追い求めてこられた神様の救援摂理歴史がみな終わり、エデンの園で失ってしまった創造理想が天宙的に実現される時です。人間の堕落によって主人を失った万物の嘆きも解放される時であり、長い間別かれていた父母と子女が再び出会い、これ以上涙のない新らしき天と、新しき地が成し遂げられる時であり、霊界と地上が一つに通じ、地上と天上に神様の国が成就する時代です。生きていらっしゃる神様の直接主管が、全般、全能の権勢として現れる時代です。さらに東西両洋全体が、天地父母を中心に「一人の神様のもとに一つの宇宙」として地球星大家族主義の世界が実現される時です。これは、聖書に預言された旧約の約束と新約の約束が成就される、成約時代の完成を意味します。
今、時が来ました!
アメリカが再び目覚めるべき時が来ました。第二の建国運動を挙国的に展開し、神様を中心とした真の父母、真の家庭、真の国家、真の世界を取り戻すべき時です。そうして離れようとされる神様を再びお迎えしなければなりません。六千年間も準備して訪ねてこられた神様がアメリカを離れられたら、どこに行きますか。神様さえ正しくお迎えすれば、家庭問題、倫理問題、青少年問題、人種問題は自動的に解決されます。五色人種が一つに相まみえて生きていくアメリカは、地上天国のモデルなのです。この時、私たちみんなが一致団結して、人類が進むべき道を開かなければなりません。「長子の国(注:兄弟の最年長のこと。最も期待が大きい国の意味)」であるアメリカが先頭に立って、天の父母様に侍り、世界各国を神様の前に導く先導者的な使命を完成すべき時です。
この歴史的な課業を完遂するために、共に同参してくださるようお願いいたします。もう一度この場を訪ねてくださった皆様に、深甚なる感謝を捧げ、天と地に平和と自由と正義があふれる新たな千年王国が始まることを願いつつ、お話を終えようと思います。
皆様の家庭と国に神様の祝福が共にあらんことを願います。ありがとうございました。
五 「神様の王子、王女が行くべき生涯路程」
南北統一を熱望する指導者、そして紳士、淑女の皆様。
たった今始まった新千年紀は、二十世紀の遺物である分裂と藤が清算され、和解と統一の地球村一家族という理想が実現されるときです。皆様の各家庭に新千年の祝福が共にあることを祈願いたします。
まず、私の八十回目の誕生日を祝賀してくださるために、世界(全国)各地から訪ねてきてくださった皆様に心から感謝いたします。そして何よりも、この日まで見守ってくださり、共にいてくださった神様にすべての栄光をお捧げいたします。私の生涯を振り返ってみるとき、ただの一時も平坦な時期がありませんでした。韓半島を取り囲む列強の狭間で、あらゆる苦難の道を歩んできた民族の受難史とともに歩んできました。
私は、十六歳(数え)の少年時代に、祈祷している中で突然、天のみ旨と出合い、その後、生涯を通じて神のみ旨を成就するために全身全霊を傾けてきました。そして気がつけば、人間の不幸の根本原因は、人類始祖の堕落によって霊的無知に陥り、神様との関係が断絶されたことにあったのです。このことによって、人間は神様と人生と宇宙の根本問題等に対して無知に陥ったのです。今まで私は、世界各地の公式席上において一万回以上語ったみ言を通して、神主義に立脚した真の人生観、世界観、歴史観を提示してきました。それらの内容は、世界各国の十二の言語に翻訳され、既に三百巻以上の本として出版されました。これは、文献による総合的な研究や学問的な探求の結果として解明したものではなく、有形・無形世界を自由に行き来しながら、原則的で根本的な解答を解き明かしてきたものなのです。
今日、私は、この意義深い場に感謝しながら、私たち民族の宿願であり、世界の冷戦問題の最後の決算であるというべき韓半島の統一問題を念頭に置き、その方案に対する根本的な解答として「神様の王子、王女が行くべき生涯路程」という題目でお話ししたいと思います。
内外の貴賓の皆様。
皆様は、どこの国の国民ですか。大多数の人が韓国の国民であると思います。そうすると、韓国が皆さんの祖国です。そうではないですか。それでは、神様の祖国はどこになりますか。今、神様の祖国はありません。この世界のすべての国家の起源はどこですか。神様が起源になっていますか、そうでなければ、他のところが起源になっていますか。このような、すべての国家の歴史的な起源が問題になっているのです。
この世の国々は、すべて闘いによって分かれて生まれました。それゆえに、ある二つの国があるとき、その二国の境界線は、深い恨みが積もった境界線になっている場合が多いのです。第三国、第四国との境界線よりも、隣接した境界線を中心としてより熾烈な闘いを繰り広げ、より多くの血を流した歴史的な事実があるということを私たちはよく知っています。このように、二国家間、二つの民族間の障壁が最も高いのです。
闘いは常に、何万里も離れた所に飛んでいってするのではありません。昔から、隣接する二国家の境界線を中心として闘いが起きてきました。ですから皆さんも、最も近い隣人との間から闘うようになっています。なぜなら、人間が堕落したからです。隣人との間から闘いが起きるのは、堕落による結果なのです。
堕落とは何ですか。神様と人間との間に藤が生じるようになったことであり、神様とサタンとの闘争が起きるようになったことであり、人間とサタンとの闘争が起きるようになったことです。人類歴史において、この地球上に数多くの国があったということは、数多くの闘争があったということを証明することだという結論を下すことができます。そのようにして生まれた国はどこに行くのでしょうか。すべての国が平和の世界を追求しますが、本当に平和の世界に行くことができるかという問題が、今人類共通の課題として残っているのです。
平和の世界というものは結果の世界ですが、過った出発、すなわち過った原因から平和の世界に到達するということは、論理的な矛盾と言わざるを得ません。それゆえに、このような戦争の起源を克服して乗り越えていくことのできる運動を展開するところにおいてのみ、理想世界に向かう出発点を捜し出すことができるのです。原因が完全であるために結果が完全であり、平和で始まるがゆえに平和の過程をたどることができ、平和の目的に到達できるということは理論的に妥当なのです。
このように見るとき、自分の国と隣接している国が歴史的な怨讐国家であるといって、ずっと憎み続けようとするならば、永遠に平和の世界には到達できないということを知ることができます。それでは、いくら理想郷を慕い、理想郷に向かって前進したとしても、その目的達成は不可能です。このような闘いが始まった、その動機を否定し、過った歴史を消し去るためには、その反対方向の内容を主張する運動が必要であるというのです。
内外の貴賓の皆様。
皆様は、国のない民と同様です。それでは、過去には国があったのでしょうか。歴史上に、「私の国である」ということのできる形態の国があったでしょうか。そのような国の形態も、もつことができなかったのです。それでは、その国を取り戻すために苦労した人がいなくてそうだったのでしょうか。そうではありません。その国は、過去の歴史時代の人が考えていた位置では、捜し出すことができないために迎えることができなかったのです。その時代圏内において、内外を備えた基準を中心としてその国を捜し出すことができなかったので、その国を迎えることができなかったのです。私たちが取り戻さなければならない祖国というのは、今日、この地上に存在する、いかなる歴史と伝統をもった国でもありません。そのような国とは本質的に次元が違うのです。
私たちは、次元が違うその国を受け継ごうとするならば、そのようにできる思想的な主体性をもった国民にならなければなりません。しかし、その主体的な思想は、絶対的な創造主がおられるならば、その創造主の思想と一致する思想でなければなりません。絶対者が願う国を成そうとするならば、その国の主権を中心として国民が一致することのできる国となることを願わなければなりません。そのような国民性をもって国家形態を備えなければならないのです。
一つの国が形成されるためには主権がなければならず、国民がいなければならず、国土がなければなりません。天の国もやはり同じです。主権に代わるものが父母であり、国民に代わるものが息子、娘であり、国土に代わるものが国なのです。この中のどれ一つとして除くことはできません。これは鉄則です。最も重要なことは何ですか。世界と国のために生きることです。そのようにしさえすれば滅びません。滅びない所が限界点です。
国のために生きる基準で実際に行動をしていて死んでいった人々は、死んでもその国の民になります。その国がなくなる時まで残るようになるのです。国が形成されるためには、国土がなければならず、国民がいなければならず、主権がなければなりません。
主権とは何ですか。根源である神様と因縁を結ぶことです。国を統治する人たちは、国民が深く寝入ったあとに、神様と因縁を結んで政治を行わなければなりません。そして、主権者は国民と一つにならなければなりません。国民と一つになり、自分の持つすべてのものは自分のためのものではなく、国のためのものであると考えなければならないのです。
そのようになれば、その国は繁栄します。そのような観点から地上に天国を実現するという問題を考えてみるとき、天国の主人は誰でしょうか。主権者は誰でしょうか。間違いなく神様が主権者です。そして国民は誰ですか。国民は万民です。それでは国土はどこですか。地球星です。地上天国は誰に似ているのでしょうか。「私」に似ているのです。一つの国を見れば何がありますか。主権、国民、国土があります。これは人間と同じです。
地上天国は誰に似ているというのですか。「私」に似ているのです。「私」という個人が集まって国になるのです。したがって、「私」に心があるように、国にも主権がなければならず、人格体なので国民がいなければなりません。人間には万物が必要であるように、国土がなければなりません。このような原則から、国土は人に支配され、国民は主権に支配されるのです。この国土、国民、主権が国家形成の三大要素です。そのようになっています。
人について見てみるとき、心は体を支配し、体は万物を支配するのが原則です。この原則があるために、全世界を見れば、天地人であるという決定的な結論が出てきます。天とは何ですか。人間の心と同じなので主権と同じです。人は国民であり、地は万物です。結局、国は誰に似たのかというと、「私」に似ているのです。
いくら大きい社会、いくら大きい国家であっても、人に似なければなりません。それは、神様が御自身の形状に似たものを好まれるからです。それでは、人が最も好むものは何ですか。自らの形状に似たものです。ですから、理想的な国家とは、何に似なければならないのですか。人に似なければなりません。天・地・人に似るのです。
統一教会の用語で「祖国」というものは、大韓民国という一つの国ではなく、世界的な国のことをいうのです。「世界的」という言葉は、堕落した世界圏でも使われる言葉なので気分が良くありません。それで、このような「祖国」を捜し求めていく主義を統一教会では「天宙主義」というのです。
その祖国は大韓民国ではありません。神様が願われる祖国は大韓民国ではなく、米国でもありません。共産国家でもないのです。その祖国は神様が願う祖国です。ゆえに、私たちは、新しいその祖国の文化を創り上げなければならず、その祖国の歴史を創り上げなければなりません。
私たちは、新しい理想的な祖国を建てるために、新しい基準を定めなければなりません。私たちの生活を変えなければならないのです。その世界は、今のこの世界と全く違います。言葉も違うのです。「原理主管圏」や「相対基準」、「相対基台」、「復帰基台摂理」という重要な言葉を、世の中の人々は知っていますか。ですから、違うというのです。
統一教会が願う国が建設されれば、統一教会の看板を外さなければなりません。そして、統一教会が願う世界が形成されれば、統一教会が立てた国はなくさなければなりません。大韓民国の韓民族を中心とした文化と人格だけのための宗教は捨てなければならないのです。世界のために生きる宗教であってこそ、これからも残る宗教になるのです。
満場の内外の貴賓、紳士、淑女の皆様。
神様のみ旨を受け継ごうとする人がいるならば、彼はどのような主張をしなければならないと思いますか。
この世の人々が好むような方向に行くようにという主張は絶対にできません。むしろその反対の道に行くようにと主張しなければなりません。それに該当する代表的な標語が「愛の心をもって怨讐を愛しなさい」というものです。「怨讐を愛しなさい」このみ言は、誤った歴史を元に戻すことができるものであり、台風に揺さぶられる船の錨や錨綱のようなものです。
しかし、復帰摂理歴史を通じて「怨讐を愛しなさい」というみ言を実践してきた人はいませんでした。もし、怨讐を愛することができる人々がいるならば、そのような人々によって一つの組織的な形態を備えた世界的な版図を確保しなければなりません。このような結論が出てくるので、そのような運動を神様が提示なさらなければならないのですが、神様によって提示されたその運動の反映体が、歴史に現れた宗教運動であるということを皆さんは知らなければなりません。
今までで、神様が最も愛することのできる人は誰でしょうか。イエス様なのです。イエス様は、闘っているこの世界に新しい方向を提示してくださいました。ローマやイスラエルのような圧迫国家と非圧迫国家の間には、お互いを怨讐視する高い障壁があるのですが、イエス様の哲学は、それを壊してしまうべきであるというものでした。イエス様は「ローマよ、あなたは力で私を征服しようとするが、私はその反対に愛であなたを征服する」と考えられたのです。それで、十字架にかかりながらも怨讐のために福を祈ってあげたのです。
そのような思想は、ローマの兵士たちに対して「彼らは、自ら犯した罪が分からないので、彼らを赦したまえ」という驚くべき宣言として現れたということを知らなければなりません。イエス様がそのようになさることによって、世界のすべての国がお互いを怨讐視することを乗り越えることができ、二つの国家間の国境を乗り越えることができる一つの原型、または模範となりました。
イエス様は、個人的な怨讐がすべてではないということを知っていたのです。家庭的な怨讐があり、氏族的な怨讐があり、民族的な怨讐があり、国家的な怨讐があり、世界的な怨讐によって四方から縛りつけられているということを知っていました。これは、自分に従い、自分が行く道を行こうとする人には、数多くの怨讐が待っているということなのです。そして、「家庭的に行けば家庭的な怨讐が待っており、氏族的に行けば氏族の怨讐が待っていて、熾烈な闘いが予想されるけれども、その時ごとに怨讐を愛しなさい」というみ言です。このような精神をもっていれば、いつかは勝利できるというのです。
それでは、神様の理想国家の実現、すなわち神様の祖国の主権復帰はどこから実現されるのでしょうか。怨讐を愛するという思想をもった個人から出発するのです。それゆえに「神様がいらっしゃる限り、愛で国境を崩し、すべての環境と文化的な垣根を越えて怨讐までも抱こう」という運動を提示したキリスト教は、世界的な宗教にならざるを得ないのです。大豆を植えれば大豆ができ、小豆を植えれば小豆ができ、真っ赤な花の種からは真っ赤な花が咲きます。同じように、あだを討つサタンの種を蒔けば、あだを討つ悪の木が育つのですが、怨讐を愛する善の種を蒔けば、怨讐を愛する善の木が育つということです。これは自然の道理なのです。
神様の祖国は、どこからどのような道を訪ねてくると言いましたか。それは、怨讐を愛する道、個人の怨讐を愛して、家庭の怨讐を愛して、氏族の怨讐を愛して、国家、世界の怨讐を愛する伝統を残す道から訪ねてくるのです。そのような道でなければ、神様の祖国は現れることができないということを皆さんは知らなければなりません。
見ていてください。米国が反対したがゆえに、国務省が反対したがゆえに、国会が反対したがゆえに、私は国会で勝利したという賞状を受け、国務省から勝利したという賞状を受け、米国で勝利したという賞状を受けることができる時が来るはずです。それで、反対する国務省の中にも友人ができ、国会の中にも友人がたくさんできています。勝利は、私に返ってくるようになっています。
私は、そのような友人が一人もいなかったとしても、あらゆる反対を克服して勝利に導くことができるという確信があります。反対すれば反対するほど、こちらの怨讐を愛する内容が相対的により大きくなるので、反対が激しいからといって落胆する必要はありません。
自然の道理は、一方が低気圧ならば、もう片方は高気圧になっています。一方が高気圧になれば、もう片方は低気圧になるのです。米国の国務省が高い所から反対するとき、私が低気圧圏を成していれば、高気圧が低気圧に吸収されるように、米国の国務省は私に屈服してしまうはずです。
私が非難されながらも闘わずに彼らを愛すると、彼らは私の友人になり、友人の家庭ができ、友人の氏族ができ、友人の国ができたのです。怨讐を愛する精神をもった人々によって構成された国が現れれば、その国は、神様が願う理想境となることができ、人類が入っていくことのできる理想郷になることができるということを知らなければなりません。
私は、とても見すぼらしい男です。事実、そうではないですか。皆さんは「違う」と言いますが、世の中の人たちは、私が愚かな人であると思っています。しかし、神様は、私が一番お好きです。世の中が私を愚か者扱いしたとしても、神様が認めるので、世の中に対して堂々とした立場で攻撃できるのです。
怨讐を愛する心をもてば、言えないことがありません。なぜですか。神様が送った男性であり、美男子というならば、そのような人が美男子です。立派な人というならば、そのような人が立派な人です。堂々として勇ましい人というならば、そのような人が堂々として勇ましい男であると考えるので、私はそれを栄光に思い、世の中に対して自信をもって攻撃するのです。
私一人がこのように陶酔して活動すれば、何が起こるか御存じですか。このようにすることによって、神様を喜ばせる若い青年男女が生まれ、神様を喜ばせる五色人種の家庭が生まれ、神様を喜ばせる民族が編成され、神様の祖国の主権復帰が可能になるのです。
「怨讐を愛しなさい」と言ったので、最も憎むべき人をも愛さなければなりません。一番の美男子に一番の醜女を夫婦として結んであげたとしても、怨讐を愛する以上に愛さなければなりません。そのような人は、この世の怨讐を愛するにおいて最高の王子の旗を掲げて前進する人の候補者です。事実そのような人がいるならば、どれほど素晴らしいか考えてみてください。そのような人は、民族の国境をさっと越えることができるというのです。愛する心だけをもって暮らす日には、すべての障壁が崩れていき、復帰摂理歴史が短縮されて天国が近づいてくるということを知らなければなりません。
私の哲学は簡単です。私は、やってみなかったことがありません。農夫にもなってみて、労働者にもなってみました。やれることはすべてやってみました。漁夫になってまぐろも釣りました。そのようにして生涯を生きてみると、一人だと思っていたのに、振り返ってみると英国人がついて来て、米国人もついて来て、世界の数多くの人々がついて来ています。ついて来るなと足でけ飛ばしてもまたついて来て、後ろに飛ばされてもまたついて来ます。ですから統一教会を、いくら研究してみてもその内容のすべてを知ることはできないのです。
内外の貴賓、そして紳士、淑女の皆様。
今から行くべきなのは、どのような道ですか。いくら氏族を編成したとしても、サタンの国の主権が残っている限り、皆さんは国のない人々です。ここが皆さんの国ですか。皆さんには国がないのです。いくら氏族があるとしても、その主権が天を中心とした主権でないときは、この氏族の首を切ることもあり得るのです。そうでしょう。それゆえに、天が歓迎することのできる国を訪ねていかなければなりません。今日、この地上における第一イスラエル圏というものは、天全体が歓迎でき、個人も歓迎し、家庭も歓迎し、氏族も歓迎し、民族も、教会も歓迎することのできる、そのような地になるべきです。
ところが、今日の統一教会を中心として見ても、既成教会を中心として見ても、大韓民国を中心として見ても、全体が歓迎できる立場に立ったでしょうか。そのようになることができませんでした。方向が違います。方向が違うのです。大韓民国が進んでいるのは外的です。そうでしょう。神様を中心としたものではなく、世の中を中心として外的に進んでいます。この国の主流的な思想がないというのです。
したがって、この国の主流的な思想を中心として天と連結させ、新しい立体的、あるいは平面的内容を備えた新しい国家観を形成し、その形成された国家観を、今日の国家を中心としたもの以上の内容として備えていかなければ、神様の祖国の主権復帰の時を迎えることはできません。
今日の「解放」というものは第一の解放です。今、統一教会においては、第二の解放が必要なのです。大韓民国も第二の解放が必要です。ここで大韓民国が第二の解放を迎えれば、国家と民族はそのことによって願いを成就できるかもしれませんが、統一教会は第三の解放を必要とするのです。そのようになるのです。大韓民国は第一の解放により、初めて内外において今の国家形態を備えましたが、第二の解放が必要な時が来ました。南北が統一されなければならないというのです。
その国はどのような国ですか。その国は、歴史過程において、民族が悲惨な路程をたどらねばならず、蕩減復帰の原則に一致することのできる国民性をもたねばならず、歴史的な伝統を引き継いできた国でなければなりません。その国はどのようにならなければならないのでしょうか。完全に統一された国にならなければなりません。今日の大韓民国がそのような国になろうとするならば、どのようにならなければならないでしょうか。
その国の基準に上がっていくためには、南北を統一しなければなりません。北朝イスラエルと南朝ユダのように分かれた南北韓を、一つに統一しなければなりません。カイン・アベル国家に分かれたのと同じように南北に分かれたのですが、これを統一しなければ一つの勝利的イスラエル国家は現れないのです。
それでは、この国において、大韓民国を中心として北朝鮮と韓国は、どのように統一されなければならないでしょうか。それは、新しい世界主義的な思想をもたなくては統一することができません。この時に備えて、新しい思想を掲げていこうというものが、今日の統一教会が主張する統一思想です。分かりますか。
今、私たちは二つのことをしなければなりません。世界において、いかなる国家もついて来ることができない団結した民族を形成しなければならず、そして、いかなる宗教もついて来ることができない鉄のような信仰で団結した国家を成し遂げなければならないのです。このような思想を中心として、南北が統一された国家が成し遂げられなければなりません。そうしなければ、神様の国、世界に誇ることのできる天国の主権は誕生しないのです。これが、今日の私たちの行くべき地上の第一目的地であるということを知らなければなりません。
祖国を取り戻すことができなければ、サタン世界の国家を凌駕することのできる天を中心とした一つの国をもつことができません。その国をもつことができなくては、世界のサタン国家を打つことはできません。押し出せないのです。宗教、統一教会をもってしてもできません。真の父母の思想を中心として、国が方向を定めて進んでいかなければなりません。このような問題が残されているということを知らなければならないのです。
このような観点で見るとき、イスラエル国家の精神的な支柱がユダヤ教であったように、今日の韓国において統一教会がユダヤ教と同じ立場であるならば、真の父母の思想が韓国の主流的な思想になるのです。ある人たちは、そのように言うのです。国会議員たちもそのように言います。真の父母の思想を国家の中心理念すれば、共産党は問題ありません。
紳士、淑女の皆様。
今日、天のために行く人々は、サタン世界に派遣された密使です。個々人において、大小、広狭、高低の差はあるかもしれませんが、各自が置かれている生活自体においては、密使の生活から離れてはなりません。そこには、いつも生死の危険が伴っています。まかり間違えば、永遠の生命の問題が左右される立場に立つようになるのです。
それゆえに、永遠の生命を支えることができ、永遠の生命を保護してくれる私たちの祖国を取り戻すという観念が、その環境より何百倍も強くなければ密使の生活はできません。「祖国の栄光を願う心をもって祖国の恨を解いたとき、すべての万民が喜ぶ」ということを考えながら、新しい歴史を創建し、神様の祖国主権復帰の一日を迎えるその時に、自らの功労が現れることを思いながら、現在の立場を無視してしまうことができなければなりません。そのような心が先立たなければ、密使の使命を遂行することはできないのです。言い換えれば、神様の祖国主権復帰のための希望が現実の希望より千倍、万倍強くなってこそ、今の生命を捧ることがあったとしても、それを克服して密使の使命を遂行することができるのです。
もしそのように責任を果たそうとして、不意の事故で犠牲になったとしても、そこには新しい責任者を再び派遣できるのです。既に彼が死んでしまったとしても、彼の友人になることができ、彼の側に立つ人々が出てくるはずです。彼が模範となる立場で生きてきたゆえに、たとえ彼が犠牲になったとしても、そこには彼の側に立つ人々が残るのです。このような人々が残っている限り、神様がその基台の上に代わりの者を送ることができるのです。しかし、そうでない立場で死んでしまうときには、そこで彼がいくら苦労したとしても、それで終わってしまうのです。
このような立場で皆さんは今、新しい時代を迎えてどのような姿勢を持たなければならないのでしょうか。神様の祖国主権復帰のための信念が、何よりも高く胸の中で燃えていなければなりません。言い換えれば、六千年間、神様が待ち焦がれた祖国を建設する旗手となり、先鋒に立った精鋭部隊の一員として開拓者になる、この途方もない使命に責任をもっているという自負心を感じなければならないのです。過去に生きた数多くの人々がもつことを願いましたが、もとうとしてももつことができなかった、一つしかなく、この一時にしかない特権的な使命を担ったという厳粛な責任感をもたなければなりません。
したがって、食べること、寝ること、行くこと、来ること、すべての生活が祖国創建のためのものでなければなりません。「神様から特別に派遣された密使として、凛々しく見事にこの使命を遂行しよう」と立ち上がってくれることを神様がどれほど期待していらっしゃるでしょうか。今までは、ひどく追い込まれ、激しく追い回されました。国家の基台を備え、全体の内容を提示して一度も広げてみることができなかった天のみ旨、祖国を立てることができる、そのようなみ旨を立てなければなりません。今までそのみ旨を、一度も立てることができなかったのです。
しかし、今からはそのような祖国を建てることができます。その祖国には主権があり、その祖国には国土があり、その祖国には国民がいます。また、そこには単一民族の血統が因縁となっており、他の民族が持つことができない歴史があります。そのような祖国のために私たちは密使の使命を遂行しなければなりません。そのような使命を自分自ら早く完遂して、やり遂げればやり遂げるほど、神様の祖国主権復帰の基台が自分によって徐々に近づくのです。きょうの苦労を代価として払うことが神様の祖国主権復帰の一日を早く迎えることのできる基台になるのです。このような事実を思いながら、皆さんは生きて密使の使命を完遂するという決意をもっていかなければなりません。そうでなければ、これから神様が私たちに与えてくださる世界史的な祝福と天運を、私たちのものとして迎えることができないのです。私たちは、天国を地上に建設しなければなりません。地上でその国を復帰し、その国の中心と一つになって、天の国において、天が願ったその希望の基準を備えてお父様のみ前に帰ってこそ、面目を立てることができるのではないかというのです。
ところが、皆さんに国がありますか。もっていないということを考えるとき、死ぬに死ねないのです。死ねば、どこへ行くのかというのです。お父様のみ前に行って面目のないことと恥ずかしさをどのように免れるのですか。自分の生命の長さというのは制限されているのに、その期間内にしようとするのですから、どれほど忙しいでしょうか。そこで悪なるサタンの環境は私たちに反対し、怨讐たちは私たちの道を妨げるのです。これを切り開いていこうとするので、いつも密使のような行脚の路程を避けることはできないのです。
私が行き来するのも、その国を取り戻すための、神様の祖国主権復帰のための建国の功臣になるためであり、そのような使命を担い、あるいは天の密使として指令を受けて今日の悪なる世界に来てこのことを行っている、という事実を思いながら生きていかなければなりません。そのようにしなければ皆さんは、今後、訪れる国の国民として、その威信と体面を立てることができないということを知らなければなりません。
皆さんは個人的に影響を与えたいですか。家庭的に影響を与えたいですか。国家的ですか。世界的ですか。どのように影響を与えたいですか。世界的に影響を与えたいでしょう。しかし、世界的な舞台に上がっていこうとするならば、一人ではできません。国がなければなりません。しかし、皆さんの国があるでしょうか。
ですから私たちは、夜も昼もその国のために食べて、寝て、暮らそうとするのです。そのために生まれたということを、皆さんが天地を中心として誓う生活をしなければならないということを知らなければなりません。寝ているときにも、世界の数多くの人々のベッドを集めて、その頂上で寝ていると考えなければなりません。食膳を見てもそのように考え、どこにいても自分一人で座るのではなく、世界の人種をすべて集めた頂上の玉座に座っているという心をもたなければならないのです。天の息子はそのようでなければなりません。
サタン世界の権限を凌駕する位置に立つことができ、その栄光の位置に立って生きなければならないのが天の息子、娘の生活であるということを、皆さんは知らなければなりません。神様が息子、娘を愛そうとするならば、そのような息子、娘を愛すべきなのであって、サタンにさえも劣る息子、娘を愛すれば、父の威信が立たないのです。皆さんは、そのような信念をもって今後、全世界と手を結んで日々の生活をしていかなければならないということを、新しく決心しなければなりません。そこにおいて、統一戦線の基盤は確固たるものになると思うのです。
「私は、たとえサタン世界圏内にいたとしても、天の密使だ、天の一大使だ」と考えなければなりません。密使には、その国の国王と直接連絡することのできる道があるのです。ほかの人には分かりませんが、そのような密使の使命と威信のために生きているという信念をもっていかなければならないのです。このことを皆さんは、はっきりと知らなければなりません。国の国王も密使の報告をもっているのです。それと同じように、私たちがこの地上で、そのような使命をもっているならば、神様も私たちの報告と私たちの要求を待たれるようになるというのです。
したがって、自分が密使の立場で「至急に願うものを送ってください」と言えば、あらゆる冒険を克服しながらでも送ってあげようとするのではないでしょうか。これと同じように、皆さんがそのような信念をもって神様の特権的な栄光の息子、娘であることを認識しながら「私はこれを願うので成し遂げてください」と言えば、成し遂げてくれるのです。そのようにすれば、生きていらっしゃる神様を発見でき、生きていらっしゃる神様が働かれるのを見ることができるのです。
そのようになってこそ、指導者になることができ、病気の者がいれば病気を治すことができ、困難なときには、神様が直接助けてくださるようになるのです。そのような生活を通じて多くのことを学ばなければなりません。そうしてこそ自信が生まれ、そうしてこそ信念をもってすべてのものを打開していくことができるのです。
紳士、淑女の皆様。
私たちが行くべき所はどこですか。個人を尋ねていくことが、私たちが行くべき目的ではないのです。また、家庭を尋ねていくことが現在の私たちの目的ではありません。私たちが行くべき道は、国を尋ねていくことです。分かりますか。父、母、息子などという区別なく、これを尋ね求めなければならないということです。ところが、今日の統一教会の教会員たち、祝福を受けた家庭、氏族圏内にいる人々は、「ああ、国だとか何だとか、教会だとか何だとか、そんなことは知らない」と言います。そのようになれば、すべて落第です。原理的にそうなのです。
死ぬときまで国を求めていき、もてる精誠のすべてを尽くして、正に天国の主権復帰のために祝典を行い、祝賀することができ、勝利の凱歌を上げることができる、その時を迎えなければなりません。
イエス様の言葉ならば何であっても、その一つだけしか知らないというようでなければなりません。方向を提示するにおいては、二つではなく一つです。行こうと言えば行かなければなりません。そのようになっています。そのようになっていますか、いませんか。それでは、夫を捨てて、息子を捨てて、家庭を捨てて行こうと言えば、行かなければなりませんか、行ってはならないでしょうか。統一教会のためにそのようなことはしないのです。国のためにそのようなことができなければならないというのです。
今、以北(注:朝鮮半島で休戦ライン以北を言う語。北朝鮮)では、家庭の戸籍をすべて作り直しています。これはどういうことだと思いますか。サタン世界が先に行うということなのです。国のためには、自分の夫や、妻、父母、息子など、すべて捨てて立ち上がることができなければなりません。そうしなくては、希望の国を取り戻すことができません。その国を復帰するとき、その国とともに父母を取り戻すようになるのです。国を見いだすことができなければ、血を流す父母を見なければならず、血を流す妻を見なければならず、血を流す子女を見なければなりません。それ以上に悲痛なことがどこにありますか。それゆえに、国を取り戻す前には妻を愛することはできないのであり、父母を愛することはできないのであり、息子を愛することはできないのです。これがキリスト教が行くべき道であり、統一教会が行く道なのです。
皆さんは、自分自身を否定して、その国とその義のために生きる人にならなければなりません。いかなる困難な環境にぶつかったとしても、皆さんは、自分自身に対するお父様の願いがあることを思いながら、その環境と闘って勝つ人にならなければなりません。そのような皆さんになって初めて、神様の真の息子、娘であると言うことができるのです。
それでは、神様の国を建設できる人はどのような人でしょうか。それは、自らの一身を否定し、切ない心で天のために生きる人です。自分を否定して、社会と民族、国家、世界のために生きる人が、正に神様の国を建設することができる人であるというのです。さらには、国家と世界を否定してでも天のために生きる人が天国を建設することのできる人であるというのです。また、いかなるつらい環境にぶつかったとしても、自分一身のゆえに悲しむのではなく、社会と国家、世界、さらには天のために悲しむ人であってこそ神様の国を建設することができます。
それだけでなく、皆さんは、神様の国と神様の義を捜し立てる過程において、サタンとの闘いに敗北せずに勝利して、皆さんが個人から家庭、社会、民族、国家、世界を一つに連結させることができなければなりません。すなわち、皆さんがどのような立場に立ったとしても、そこでサタンと闘って勝利する人にならなければならないのです。社会に出れば、その社会のどのような環境の中にあってもサタンと闘って勝利すべきであり、国家に出れば、その国家の一番難しい問題に責任をもち、サタンと闘って勝利しなければならないのです。
六千年間神様を縛りつけてきたサタンが、そのまま素直に「ああ、私は降参します」と言って、目を伏せて帰ると思いますか。皆さんは雑巾でも、捨てようとすればもったいないと思うでしょう。雑巾でも、引っ繰り返してにおいをかいでみてから捨てるのです。サタンは、そのまま退いてはいきません。ですから、がむしゃらな闘いをしてくるのです。それゆえに、中心に合わせなければなりません。統一教会の文総裁も、中心から外れるようになるときには負けてしまうのです。方向が合わなければ、発展しないということです。
その国を取り戻すのは世界を取り戻すためであり、世界を取り戻すのは霊界のためなのです。そうして何をするのでしょうか。神様を地上にお迎えして、そして定着し、万国が神様を中心にお迎えして、その神様の前に勝利の栄光をお返しするために行くのです。そのような闘いをしなければならないのが私たち統一教会の使命であるということを知らなければなりません。
私たちは、はだしで出ていき、神様の祖国を創建しなければなりません。食べ残したもので、この国を生かすことができますか。食べること、着ること、行き来することに、いつ神経を使うことができるでしょうか。はだしで、素手で開拓していかなければなりません。このようなことを行うところが統一教会なのです。
皆さんは祖国を捜し出さなければならない勇士ですか、それとも滅ぼす亡国の士ですか。勇士とは国を代表し、ほかの人ができない仕事をできる人のことを言うのです。誰でもできる仕事をする人を勇士とは言いません。そのような人は兵士です。同僚たちができずに後退するとき、その仕事をやり遂げることができる人であるならば、その人は勇士です。「勇」という字は、「すばしこい」という意味です。誰よりも早く走り、鉄砲玉もよけるほどにならなければなりません。誰でもできる仕事をする人を勇士とは言えないのです。
国を建国するにおいて、開拓の勇士となるべき先鋒に立つ将軍は誰ですか。そして、国を成すことのできる基台はどこですか。一つの国を成そうとすれば、主権がなければならず、国土がなければならず、国民がいなければなりません。それでは、天の国を中心として見るとき、国土となり得る基盤は何ですか。それは、教会の人と物しかないというのです。そうでしょう。
この韓国に建てられる国はどのような国でしょうか。互いが流通し交流するようになるときは、共産国が建てられるでしょうか、それとも今日の大韓民国としてそのままにしておくのでしょうかそうでなければ、どちらでもない新しい国を追求するのでしょうか。このような問題について見るとき、私たちの時もますます近づいてきているということを感じるようになります。皆さんが、このことを成して責任を負うべき統一の群れであるならば、それに対する責任感をどのくらいもち、また、どの程度の犠牲の代価を払うことができる決意ができているのかというのです。自信がありますか。三十八度線の以北に越えて、以北にある五つの道の市、郡を中心として、私たちの基地を準備しなければなりません。
人員が不足なこの時に、誰が北韓の地の、定州ならば定州の責任者になるのかを考えてみなければなりません。定州の郡ならば定州の郡を中心として、「私が責任者にならなければならない」と十年、二十年準備して、それでもなれなければ、後孫に「お前は一所懸命に勉強して、一所懸命に準備をし、その日を迎えたら定州の地の天との因縁を代表した責任者になりなさい」と、遺言を残してから死ぬことのできる、そのような精誠を尽くす皆さんになってみましたか。私は今まで、そのように思って準備してきました。
そのようなことを考えるときに、若い者たちは地方に帰って自分の子女と妻を連れて、笑いながら暮らすようになっていますか。そのように暮らすようになっていますか、いませんか。死んでも国を残していかなければなりません。死んでも、子女たちに国を残してあげなければなりません。新しい決心をしなければならないのです。
「私は、ソ連と満州に隣接する地方に行って共産党と額を突き合わせ、朝夕に銃声を聞きながら国境地帯の見張り役をする責任者にならなければならない。国が理解してくれず、誰も理解してくれなかったとしても、生命と取り替えても、国を愛する忠節の心は変わらない」という決心をしなければなりません。それで満点です。世の中が分かってくれなくてもかまいません。霊界に行けば、すべて明らかになるようになっているからです。
このようなことを考えるとき、人が足りないということを皆さんは知らなければなりません。分かりますか。人が不足しているということを知らなければなりません。かかしのような男性であってもラッパをかつがせ、あるいはロボットを造って北韓の地を歩き回らせてラッパを吹かせたいというのが私の心情であり、神様の心情です。口があり、感情をもった男として生まれ、それも二十歳、三十歳の若い心と体をもっていながら、原理のみ言を語ることができないというのでは話になりません。
目玉が腐って飛び出すくらい、夜、寝ずにでも勉強をしなければなりません。おなかがすいて骨と皮だけになったとしても、準備をしなければなりません。そのようにして骨と皮だけになったやせこけた体が、天の愛をすべて受けることができる体となるのです。神様は、そのか細い一人の男性ならば男性に、すべての期待をもつことができるのではないかというのです。
イエス様も、国を建てられるために来られました。祖国がなければ、かわいそうなのです。祖国がないので、宗教人たちは悲惨でした。審判しようとすれば個人と家庭、氏族、民族、国家、世界が不変の基準に立ってこそ、その基準を基台として審判するのです。祖国は最後の希望です。祖国の中には、民族も、氏族も、家庭も、個人もすべて含まれているのです。
この三千里(注:朝鮮半島全体)が祖国になりましたか。そのようになっていないので、清算しなければなりません。神様が望まれ、イエス様と聖霊が望まれる祖国を創建するために、私たち全員が一片丹心で頑張らなければなりません。
善というものは何でしょうか。家庭のために個人が犠牲になり、氏族のために家庭が犠牲になり、神様の祖国主権復帰のために氏族が犠牲になることが善です。神様の祖国主権復帰のためにすべてが犠牲になって、神様の祖国主権復帰が成し遂げられれば、すべての人が愛国の忠臣となるのです。国家的基準の前に忠誠を尽くして国家基準を立てれば、家庭、氏族の基盤を築いたという公認を受けるようになります。道義の基準とは、神様のために絶対忠誠することです。そのようにすれば、その過程のすべてのものは認められるようになるのです。
私たちはどのようにすべきでしょうか。イエス様は「わが父よ・…わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさってください」(マタイ二六・三九)と言われました。ここにおいて、「わたしの思い」とは世の中の思いであり、「父のみこころ」とは神様のみ旨です。統一教会員である皆さんは何をしましたか。忠臣の道理を立て、またその実績をもってきましたか。孝子の道理を果たして、その実績をもって、個人、家庭、氏族、国家、世界的な闘争をする覚悟ができていなければなりません。イエス様は祭物の使命をもって来られました。皆さんは世界的な闘争をなしていきながら、民族的な基盤を築いていかなければならないのです。メシヤとの相対的な価値を備えなければならないのです。指導者が世界を開拓するところにおいて、指導を受ける皆さんは、民族的な道を築いていかなければなりません。数多くの人々が神様の主権復帰の道を願いながら死んでいきました。いつになるとしても「必ず成る」という信念をもって死んでいったのです。
統一教会員は、個人から民族、国家基準まで築いてきました。今からは、全世界の人類とすべての国家を動員しなければなりません。私たちは、神様の祖国主権復帰、自由、平等、幸福の日を捜し出していかなければなりません。その道が困難であっても行かなければなりません。それが、私が望む観点であり、神様が望まれる基準です。イエス様はこの基準を望みつつ、歩まれている途中で亡くなりました。私たちは神様の祖国主権復帰の過程において、苦労しながら行かなければならないのです。
韓国は、私たちが責任をもたなければなりません。きょうもあすも変わることのない祖国創建という覚悟と信念をもって、イエス様の祖国、聖霊の祖国、先知先烈(注:預言者と、義のために戦って死んだ烈士)の祖国、神様の祖国、その祖国を成せなかった恨を解かなければなりません。そうでなければ、面目が立たないのです。
私たちは、祖国を取り戻さなければなりません。祖国を取り戻そうとすれば、祖国のために生きなければなりません。祖国のために生きることができない人は祖国を見いだすことができません。それでは、どのように生きることが祖国のために生きることになるでしょうか。世界を自分の祖国と思って世界のために生きなければならないのです。そのような人は、祖国を創建することができます。食べること、寝ること、歩いていくこと、すべての生活と行動が祖国創建のためのものとならなければなりません。
それゆえに私たちは、共産党から白昼、刃物で刺される覚悟をもって闘っているのです。この民族ができないときは、私たちがしなければなりません。この民族が行くことができなければ、私たちが行かなければならないのです。そのためには、誰よりも祖国を愛さなければなりません。御飯を食べるのも祖国のために食べ、結婚するにしても祖国のために結婚しなさいというのです。私たちの祖国のためにです。
今は、私が言えば何でも聞くことができる群れが生じ、私が方向を提示すれば動くことができる群れが生じましたが、これで幸福を感じる男ではありません。統一教会を犠牲にしてでも、神様の祖国主権復帰を約束できる、そのような基台を広めていくのです。六千年摂理の中心的み旨として立てた家庭を信奉することのできる、教団と民族と国家がなければなりません。神様を信奉することができる、そのような基台を準備し、それが一時に連結することを願って送られたのですが、それが粉々に壊れたゆえに、再び収拾しなければならない運命が残るようになったのです。これを収拾するために先頭に立って走らなければなりません。
夜になって寝床に入る時間にも、その願いの国と共に寝なければなりません。今は神様の国がありませんが、その国の国民の一員として、その国のために眠るのであり、目覚める時もその国を建国するための一員として眠りから覚めなさいというのです。見て、聞いて、感じるすべての感覚も、祖国という命題を思うことなくしては感じてはならないというのです。その日が来るまでは、死んではなりません。その日が来るまでは忙しいのです。そのことを成すためには、激しい受難と逆境を克服しなければなりません。
成すべき仕事があれば、寝るのが遅くなったとしても解決しなければならないのです。神様の祖国の主権復帰というものが時間を中心とした犠牲の量を加重させてこそ訪れてくるということを思うとき、自分の涙と精誠の量を、きょうこの時間を通じて少しでも補充すべき責任があるのにもかかわらず、安らかに寝て伸びをしながら起きられるのかというのです。起きては腰を曲げて「お父様。あなたが訪ねていかれる明日の安息の住みかであり、あなたが行使されたかった世界を支配することのできる勝利的国家の基台に向かっていく寂しく孤独な男の行く道が、このように悲惨であることを感じます。私自身がそうであるのに、天が訪ね求めてこられる道はもっと悲惨なのではありませんか」と、祈祷しなければなりません。
疲れたといって思いのままに横になることができないのです。死んでも国のために死ななければなりません。それゆえに、年を取って疲労を感じるそのような立場で、自分がもし死の場に行くとすれば、その場で残すことができる一つの願いが何かというとき、それは「天のためにできることはすべて果たした。その国のためにできることはすべて果たした」という言葉を残すことです。
イエス様は「(あなたがたは)何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。・・まず神の国と神の義とを求めなさい」(マタイ六・三一~三三)と言われました。このように聖書の主流思想は国です。国、その国を求める思想なのです。自分の幸福を求める思想ではありません。国の民として生まれ、夫をもったとしたならば、その夫は国を代表した夫です。ゆえに、国を愛した後に夫を愛さなければなりません。妻も国を代表した妻であるので、国を愛したのちに妻を愛さなければならないのです。死ぬにしても「私が成し得る力をすべて果たし、私はこれ以上できないというその位置で死なせてください」と言えなければなりません。「これをやっておけばよかったのに」という言葉を残して死んではなりません。それゆえに、やってもやっても忙しいのです。行っても、また行かなければならないのです。ほかの人が休む時間に、私たちは一歩でもさらに進まなければなりません。「サタン世界よ、休んでいろ。サタン世界よ、お前は何もしないで遊び暮らしていろ。我々はその国のために歩むのだ」と思わなければならないのです。
南北統一を熱望する愛国同胞の皆さん。
特に女性の使命として、子女格である青年男女および学生たちを、真の教育を通じて真の子女として復帰しなければなりません。さらに、母と子女が一つになって模範を示し、教育を通じて夫までも真の天の息子として復帰し、真の父母に従い、神様を中心に侍り、地上天国理想を復帰しなければなりません。
改めて、きょうのみ言が、南北韓が共に真の愛で出合う、その日を早める汎国民運動になることを願いつつ、私の話を終わりたいと思います。
神様の祝福が皆さんと、皆さんの御家庭に共にあることを祈願いたします。ありがとうございました。