Text Box: TP portrait  七 家庭盟誓第七節の解説


  私たちの家庭は真の愛を中心として、本然の血統と連結された為に生きる生

  活を通して、心情文化世界を完成することをお誓い致します。


  一) 本然の血統と連結した


 「家庭盟誓」の七節が重要です。簡単ではあっても重要なのです。「私たちの家庭は真の愛を中心として、本然の血統と」です。本然の血統です、堕落していないアダムの、堕落と全く因縁のない本然の血統を受け継いで、「血統と連結した心情文化世界を完成することをお誓い致します」です。私たちの世界は、心情文化世界です。神様のただ一つの愛を中心とした、統一家族、一つの家族です。高いも低いもなく、五色人種が一つの家族生活をしなければなりません。今後、そのような時が来ます。

 

 神様を中心とした本然の血統です。その本然の血統を受け継げば、本然の心情文化が展開されるのです。本然の血統を失ってしまったところには、心情文化は生まれません。文化というものは、歴史性を通して連結するのです。家庭を中心として、社会を中心として、国家と世界を中心として、これが連結しなければならないのです。

 「本然の血統と連結した心情文化世界を完成することをお誓い致します」。純潔な血統を残すのが問題です。そのようにしなければ、自分たちと心情文化世界が中断されるのです。あの膨大な天国が私が暮らすことのできる心情的基盤になっているのですが、心情文化世界ができなければ、その世界が断絶されるのです。それゆえに、心情文化圏を中心とした生活をしなければなりません。

 

 「本然の血統」とは何ですか。アダムとエバを中心として、純潔な真の父母の直系子女の血筋を、千年、万年残さなければなりません。この環境は、めちゃくちゃです。私たちは、節操を守り、貞操を守ることによって、めちゃくちゃな中ですべての最高の福を受けることができる位置に行くのです。これは、先生の特権です。誰も手が出せません。誰も根本の根になり得ないのです。

 

 本然の血統は、堕落した血統ではありません。サタンの血統を根絶した、堕落したものを蕩減復帰した血統です。接ぎ木をしたのです。根を抜いて接ぎ木をすれば、三代以後には、本然の血統の種を受けるというのです。接ぎ木をした木から種を受けたものが、本然の真のオリーブの木にならなければならないというのです。そのためには、三代を経なければなりません。自信がありますか。

 皆さんは、偽りのオリーブの木でしょう。偽りのオリーブの木が接ぎ木される以上にならなければなりませんが、母の腹中に再び入っていって出てくることはできないのです。三代を経て、そこで収めた種を植える時、真のオリーブの木にならなければならないのです。三時代を経なければなりません。深刻です。

 

 統一教会で最も重要なことは、本然の血統を汚さないことです。それは何かというと、皆さんの子孫が、アダムとエバが堕落したように血統を汚すことがあってはいけないというのです。「本然の血統と連結した心情文化世界を完成することをお誓い致します」です。

 

 エバが行ったたった一度の失敗によって破壊された本然の血統を、億千万世にわたって蕩減条件を立てて取り戻したというのですから、考えただけでもむごたらしいというのです。血統関係とは、本当に恐ろしいのです。

 

 本然へ帰るのです。七節は、そのことです。本然の血統、本然の血統は、神様を中心とした血統です。本然の血統と連結された「ため」に生きる生活を通じて、心情文化世界を成し遂げようというのです。血筋、数千代の清い血筋を残さなければなりません。千年、万年。男女が一瞬のうちに行った堕落が、このような歴史的な世界史を、願わない世界を霊界と肉界に広げてしまったというのです、これをどのようにしますか。深刻に考えてみたことがありますか。

 

 本然の血統とは何ですか。堕落した血統ではないのです。皆さんは、堕落した血統と連結した夫婦でしょう。いくら誇っても、それを否定できません。本然の血統には、堕落していない本然の神様が連結しています。今から、「ため」に生きる生活を通して、心情文化世界を創造しなければなりません。神様は、それができなかったのです。本然の血統圏を中心として、地上に創造理想の根本である「ため」に生きる方策を連結できなかったので、心情世界は、地獄と連結しているというのです。それゆえに、これを天国側に転換させるには、本然のものに変えなければならないというのです。

 

 真の愛を中心として、本然の血統、血筋です、血筋! 千年、万年、子孫が汚さないように精誠を尽くす第一代先祖にならなければならないのが統一教会の祝福家庭です。その前に、二度と堕落したものを見ることができないというのです。何百倍の世界的途上において堕落した代表的な家庭になるので、許しがない時代に越えていきます。恐ろしい時代が来ます。

 それゆえに、私は、この話ができません。今は、結論を話すことができません。堕落した祝福家庭から生まれた息子、娘を、神様は見ることができないのです。これは、罪の中の罪を犯したので、地獄に逆さまに打ち込んでも、神様は見ることができないというのです。そのように、男女関係の愛において、支流を通じることは恐ろしいということを知らなければなりません。

 

 堕落後、アダムとエバから連結した人類の血統は、サタン側に属します。自然世界のすべてのものも同じです。そこで、反対に祝福を受けることによって、すべてのものが逆に帰るのです。財産、息子、娘、夫婦が神側に属するようになるのです。そのようになることによって、全宇宙が神様に連結します。そこから、神様が思いどおりにできるようになるのです。そのように帰らないものは、サタン側に残ります。すべてのものが神側に帰らなければならないのです。財産、息子、娘、家庭、先祖まで本然の位置に帰るべきだというのです。


  二) 為に生きる生活を通して


 「家庭盟誓」の七節で、「私たちは真の愛を中心として、本然の血統と連結した」の次に付加すべきものがあります。「為に生きる生活を通して」、これを入れなければなりません。「本然の血統と連結した為に生きる生活を通して、心情文化世界を完成」するのです。「為に生きる生活を通して」を入れなければならないのです。「為に生きる」では漠然とします。具体的な為に生きる生活を通して、個人、家庭、全体の生活を通して、心情文化世界を完成するというのです。

 

 「真の愛を中心として、本然の血統と連結した為に生きる生活を通して」、「ため」に生きる愛です。愛を感じることができなければなりません。神聖なのです。愛を主管できなければなりません。自分の思いどおりにしてはいけないのです。為に生きる生活を通して「心情文化世界」をつくるというのです。心情文化世界とは何ですか。神様の愛の文化世界であり、根本的な文化世界を追求するのです。どこかに愛があるならば、真の愛が関係していないものがないのが文化世界です。

 

 私たちの中で、他人に主管されることは死んでもできない、と考える人々が多いと思います。しかし、一つ知らなければならないことは、今まで、人間たちの「ため」に存在するものに主管されて暮らすことがどれほど幸福なのかという事実を、夢にも考えることができなかったのです。

 霊界の組織を見れば、天地の大主宰であられる神様、その神様は、宇宙万有の存在の中で、「ため」に存在する中心存在であるがゆえに、その方に支配されることが、どれほど幸福でしょうか。それが分からなかったのです。千年、万年支配されても、感謝することができる理想的統一圏が、ここに成立することを知っているので、神様は、「ために存在しなさい」という原則を立てざるを得なかったのです。

 

 「ため」に生きる人になりなさい。これが、天宙生成、形成の根本です。神様も「ため」に存在していらっしゃるのです。天宙のすべてのものの中で、これに逆らうものはありません。このように主体的、生成の根源、エキス的、核心的な位置に立ったその人は、天宙、神様までも歓迎するのです。先生のような人がそうです。皆さんは、それを知らないので実感できないのです。霊界も先生を中心として動いているのです。そのような世界を知らないでしょう。ですから、いい加減にしているのです。

 

 愛は、一人では成り立ちません。愛は、どこから出てくるのですか。私から出てくるのではなく、対象から来るのです。対象から出てくるので、私が頭を下げて対象のために生きなければならないのです。「ために生きなさい」という天理が、ここから生じるのです。限りなく高貴なものが私を訪ねてくるので、それを受けようとすれば、敬って「ため」に生きなければならないのです。「ために生きる哲学」を成してこそ、愛されるのです。

 

 真の愛を中心として「ため」に生きる人は、夜でも昼でも、天宙万宙、どこに行こうと歓迎を受けるのです。皆さんは、いずれ霊界の展示場に展示されるのです。人間の博覧会をする所が霊界です。霊界では、地上でどのような生涯を送った人間なのか、すぐに展示されるのです。そこでびりになってみたいですか、全員が称賛する人になってみたいですか。どちらですか。最高に称賛を受ける人になってみたいでしょう。そのようになるためには、先生が話すとおりに生きなければならないというのです。最高に称賛を受けようとする前に、最高に「ため」に生きなさいというのです。そのような人は、間違いなく中心者になるのです。

 

 永遠という概念、これは、自分のために生きるところには不可能なのです。皆さんが運動するのを見ても、押してあげ、引いてあげる相対的方向が、大きければ大きいほど速く回るのです。知恵の王である神様が「ため」に存在する法度を立てたのは、永遠であり得るようにするためです。

 

 「ため」に生きる人は滅びません。また、「ため」に生きる人は、霊界が絶えずコーチしてくれます。絶えず新しいものと関係を結ぶようにしてくれるというのです。新しいものと関係を結ぶので、その人は、自然に有名になり、世界的に知られるようになります。

 

 理想世界の体制は、どのようになっているのでしょうか。家庭体制を拡大したものだというのです。その家庭教本の原則に一致できる心情圏を完成した人ならば、どの家庭に行こうと、兄弟のように接し、息子、娘のように接するようになります。だからといって、夫婦のように接しなさいという話ではありません。

 また、自分のおじいさんやおばあさんと同じ年代の人は、自分のおじいさんやおばあさんのように接して、自分の息子、娘と同じ年代の人々は、自分の息子、娘のように接するのです。どこかに行って、自分の息子、娘のような子供たちが歩いていれば、「来なさい」と言って、弁当を分けて食べるのです。このようにすることのできる世界をつくらなければなりません。

 「ため」に生きる世界でなければ、平和世界は訪れることができないのです。そうですか、そうではありませんか。「ため」に生きる哲学の論理を、生活哲学から生涯哲学に発展させることなくしては、この世に平和の世界が訪れることはできません。統一教会が出てきたので、それが可能なのです。

 

 一つになることができ、平和の起源になることができるその道は、どこにあるのですか。神様御自身だけでなく、真の人間は、「ため」に生きる存在だという原則を立てざるを得なかったのです。それゆえに、真の愛は、「ため」に生きるところから、真の理想も「ため」に生きるところから、真の平和、真の幸福も「ため」に生きる位置で成立するのであって、「ため」に生きる位置を離れては見いだすことができません。これが、天地創造の根本だということを、私たち人間は分かりませんでした。

 

 しばしば世の中で言われることは、「ああ! 人生とは何か」ということですが、人生観、世界観の確立、その次には、宇宙観の確立が問題になるのです。これをどのように確立するのですか。系統的段階と秩序をどこにおき、その次元的系列をどのように連結させなければならないのかという問題は、最も深刻です。しかし、「ため」に存在するという原則に立脚して見るときに、最も価値ある人生観は、私が全人類のためにいて、全世界のためにいて、国家のためにいて、社会のためにいて、家庭のためにいて、妻のためにいて、子女のためにいるという立場で幸福な自我を発見できるならば、これ以上の人生観はないと思うのです。

 

 統一教会に来るようになれば、地上で幸せに生きなさいとは言いません。ひどく貧しく、激しく苦労して死に、道端に倒れて犬もかみつかない死骸を残したとしても、その場には、花が咲く日が訪れるはずです。そこには、すべての神聖な人々が集まって都城をつくるはずです。統一教会の群れを、国のために、世界のためにうんざりするほど苦労させて、孝子、忠臣にしてみようというのが先生の考えです。「行かない」と言えば、張り飛ばさなければならないのです。足でけ飛ばしてでも、現在の悲惨さを、現在の困難を克服させるのが愛です。


  三) 心情文化世界を完成することを


 心情文化世界は、本然的神様の文化世界であり、堕落していない完成したアダム文化世界です。文化は二つではありません。一つしかないのです。言語も一つであり、風習も一つであり、習慣も一つであり、伝統も一つしかない、このような統一の世界になるのです。そこにおいてのみ、神様が個人と共にお暮らしになり、家庭で共にお暮らしになるということを知らなければなりません。

 

 心情文化世界とは何か知っていますか。神様の心の世界や、天上世界、地上世界、真の父母の心の世界、すべてが一つだというのです。それで、「心情文化世界を完成することをお誓い致します」、これが、私たちの理想です。文化は二つではありません。一つです。

 堕落した世界は、文化が複雑多端です。心情文化世界でなくては、個人から天宙まで連結することができないのです。ジグザグです。今まで世の中は、ジグザグに上がったり下がったりしたので、何千年かかってもまだ終着点に行くことができないというのです。心情文化世界では、あっという間に行くのです。ただ真の愛によってのみ可能なのです。

 「私たちの家庭は真の愛を中心として、本然の血統と連結した心情文化世界を完成する」です。私たちの家庭は真の愛を中心として、本然の血統と連結した・・本然の血統です。血統が重要です。血統が変わってはならず、汚してはいけません・・心情文化世界を完成するというのです。心情文化ということは、すべての生活において、真の愛によって「ため」に生きるという思想が入っていなければならないというのです。心情文化世界といえば、全体を代表した「一つの垣根」をいうのです。心情圏、氏族をいうのです。

 

 本然の血統と連結した心情文化世界を完成しなければならないのです。アダムとエバは、堕落していない純潔な神様の真の愛を中心とした血統の関係を結ばなければならないというのです。それで、私たちの文化には、サタンが存在せず、神様が喜ぶことができる文化圏を形成しなければならないのです。心情文化世界を成し遂げなければなりません。真の愛を中心として、心情文化世界の内容も一つであり、方向も一つです。一つです、二つではありません。

 

 本然の血統を失ってしまったところには、心情文化は生まれません。文化というものは、歴史性を通して連結するのです。家庭を中心として、社会を中心として、国家と世界を中心として、これが連結しなければならないのです。

 「本然の血統と連結した心情文化世界を完成することをお誓い致します」。純潔な血統を残すのが問題です。そのようにしなければ、自分たちと心情文化世界が中断されるのです。あの膨大な天国が私が暮らすことのできる心情的基盤になっているのですが、心情文化世界ができなければ、その世界が断絶されるのです。それゆえに、心情文化圏を中心とした生活をしなければなりません。

 

 本然の血統と連結した、神様の血統がある心情文化世界には、どこに行っても神様が訪ねてこられるというのです。心情文化世界では、すべてが拡大して和動するのです。このように息をするようになれば、細胞たちも拍子を合わせていくので、同じように息をしなければならないというのです。神様の真の愛において、「ため」に存在する原則において一元化され、より「ため」に生きることができるのです。そのようにすることによって、神様に栄光をお返しすることできる道があるのであって、自分のために生きなさいというところでは、神様に栄光をお返しできません。

 

 神様の心の世界や、天上世界や、地上世界や、真の父母の心の世界も一つだというのです。それで、「心情文化世界を完成することをお誓い致します」です。これが、私たちの理想です。文化は二つではありません。一つです。それを通してこそ、個人天国、家庭天国、氏族天国、民族天国、国家天国、天上天国、永遠の世界の天国に連結するのです。その心情でなければ、個人、家庭、氏族を連結できません。

 

 今後、理想的な世界においての主流、あるいはその基台になることができる文化の源泉は何ですか。原料になる文化として、誰もがみな必要とする文化とは何ですか。心情文化です。父母が子女を見なければならず、子女には父母がいなくてはなりません。兄弟がいないのもいけません。私の民族がいなくてはならず、私の国がなければなりません。すべてそうです。私の世界がなければならず、私の天と地がなければなりません。これが心情の文化です。それゆえに、東方に明けてくるきらびやかな文化というのは、どのような文化ですか。心情の文化です。これから私たちは、心情的な文化世界を創造するのです。

 

 真の愛の文化というものは、家庭文化のことをいうのです。皆さんが食べて生きるその生活は、真の父母の文化圏で生きなければならず、一つの文化圏で生きなければなりません。一つの文化を中心として、一つの言語と一つの文字を中心として生活しなければならないのです。

 ソドムとゴモラをすべて燃やす時、ロトの妻が後ろを振り返って塩の柱になったのと同じように、今後皆さんの文化全体を火で燃やして捨てるこのような時、そこに未練をもって後ろを振り返れば塩の柱になる、このような歴史的転換時代が来ることを、皆さんは知らなければなりません。真の父母と一日生活圏内に生活しながら、同じ文化と同じ言語と文字を書かずにいるとすれば、霊界でそれ以上恥ずかしいことがないというのです。

 

 統一された言葉を使わなければ、過去のような文化の差が生じるのです。本当に困ります。霊界に行ってもそうです。習慣性は、永遠に続くのです。そのように難しいのです。しかし、地上では直すことができます。今まで慣れたことよりも、もっと新しいものを習慣化させれば、地では取り消すことができます。今しなければなりません。今しなければ、霊界に行って問題になります。霊界に行って引っ掛かってしまいます。

 

 統一教会の四十年開拓の基盤の上に、真の父母と成約時代を迎えた私たちは、真の父母主義の実践によって、新しい心情文化世界を創建していかなければならないのです。神様と人間が、真の愛の父子関係として統一される時、その愛の調和の中で、人間は、理想と幸福の実体になります。

 

 真の愛の心情文化世界へ委譲しなければなりません。旧時代は堕落時代です。旧時代の堕落性を脱いで新時代に向かう、理想時代に向かう宗教、哲学、政治、経済、文化全般を、真の愛の心情文化世界へ転換しなければなりません。この世界は、堕落したので真の愛の心情文化世界ではないというのです。

 

 真の愛を中心として楽しく生きなければなりません。動物と話し、すべての万物と和合して神様と和合しなければならないのです。そのようになれば、国境というものがありません。文化が違いません。愛の文化です。愛の文化は、趣味文化であるがゆえに趣味生活が愛です。自分が妻を愛して、息子、娘を愛そうとすることを世界版図ですることができるのです。すべて自分の家庭を拡大した文化祝典の対象圏です。それゆえに、楽しむ心情文化世界が地上天国文化だというのです。趣味文化です。趣味文化は、堕落していない本然の愛の文化です。趣味文化は、天国の文化だというのです。

 

 本然の血統と連結した心情文化世界は、心情世界です。真の愛が表面化した世界です。心情を表面化させ、世界化させる時代になることによって、統一の心情文化世界、単一文化世界、統一文化世界が訪れるのです。戦争がなく、紛争がない一つの世界、地上天国と天上世界になるのです。心情文化世界になれば終わりです。そのすべてのものが思いのままであり、私たちの家庭が地上で天国の皇族圏に入っていくことができ、内外の内容を整備して、そこにすべて一体化することができることを願って、このような盟誓文を設定したことを知らなければなりません。







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