Text Box: TP portrait  四 先祖と私たち


 1.私たちは先祖の結


 皆さんはみな先祖の代わりとして生まれてきた史的な復活体です。その史がどのくらいになるでしょうか。何十万年になったと言います。そのように長い史過程を、結局は「私」一人をつくるために苦したのです。金氏なら金氏という「私」一人を誕生させるために、多くの先祖が生まれて逝きました。ですから、私たちは史的な結体です。

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 先生は人の顔を見れば、その先祖が良いのか、いのか大分かります。ある人は良い先祖がいて福を受けるかと思えば、ある人はい先祖がいてに苦ばかりしているというのです。そのような人は道しようと任地に行っても、ひどく苦ばかりします。

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 皆さんが基準を立てて統一教会調を合わせていけば、界にいる家的な運勢にって動いた善の人や先祖が、皆さんのために仕事をすることでしょう。皆さんは外的に見ると顔が平たく、耳がぐっと入って不幸せに見えるけれども、界では皆さんを福を受ける人だと考えます。また、十代圏内にある先祖はをもんでいます。なぜなら、復帰歴史は十代を中心として成されるからです。ところが、万一い子孫が現れれば、十代圏内にいる先祖が「こいつ! お前が私たちを滅ぼそうとするんだな」と言って審判します。

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 イエスが地上へられることによって、それ以前の善の先祖が形体級の界から生命体級の界に入っていくことができたように、皆さんの先祖も地上にいる皆さんを件にして再臨できる特別な恵沢圏内に入りました。皆さんがこのようなみ旨を知って勝利の枝になれば、一つの生命体を成し遂げることのできる立場なので、皆さんの先祖が皆さんを協助するのです。このように皆さんは、千代の善の先祖が再臨できる基盤にならなければなりません。

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 界に行くようになれば、多くの預言者、烈士たちと多くの先祖にって討論するのです。「あなたはどこからましたか。地球のどこですか。どこのですか。どこですか」と聞いて回想して言うのです。友達同士がえば自分の昔話をするでしょう。界に行くようになれば、皆さんの最初のおじいさん、千、万の先祖にうようになります。ところが、「この者たち、どのように生きたのか」とぞんざいな言葉遣いをすれば分が良いでしょうか。考えてみなさい。

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 今は、私たちを協助してこそ自分たちが福を受けるようになっているのであって、反すれば反するほどますますどん底に落ちていくのです。天運が急していきます。今後、家ごとに先生の写真を掛けようと大ぎするでしょう。界で自分の先祖が忠告するのです。それで旗をげ、先生の写真を掛けてその前で日のようにあいさつする人は、自分の先祖を復活させることができる役事が再び起こるのです。

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 今まで、入りれた多くの界に通じる人たちは、「統一教会に行くな」と言いました。しかし、これからは迦、イエス、孔子、マホメットも統一教会に行けとえてあげなければ、天法に引っ掛かるのです。なぜでしょうか。先生が言う宗は、父母の宗だからです。

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 「私たちは、の父母によって新しい血統の代をぐことのできる先祖になることによって、解放がる祝福を受けた氏族になったのです。この氏族は永遠不滅の神の眷であり、血族になりました」このようになれば、サタンと完全に決別です。それで、統一教会は先祖を祭ることを認めるのです。

 キリストが祭祀を行うことを認めましたか。統一教会は、今やその統を引きいで打ち立てなければなりません。これはこの世の統ではありません。天の父母、天、天の先祖に侍ることによって、その代をぐ氏族的メシヤ統的な血族を千年、万年侍ることのできる王土になるのです。王に仕えて永遠な太平の世を導き得るになるのです。そので暮らしてこそ皆さんのお父さん、お母さん、一家、一族が天に直行するのです。

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 皆さんが祈して界と通じてみれば分かると思いますが、界では子孫を天の前に近く立てるために、どれほど努力しているか分かりません。ところが、ここでは先祖にでも口を言って私だけ足に生きようとしています。



 2.先祖の救いは私たちがする


 先祖が住んでいたこの家の中に、自分のひいおじいさん、ひいおばあさんが暮らした部屋に、おじいさんを産み、お父さんを産み、私を産んだその部屋に、おじいさん、おばあさん、ひいおじいさん、ひいおばあさんが愛した愛より大きな愛をすことによって、天が見れば、愛の光がぴかぴか光るというのです。百ボルト、千ボルト、一万ボルト、何億ボルトの光をずっと照らすというのです。その照らす光がどこに行くのかといえば、先祖、先祖、先祖に上がっていくのです。界に行くようになれば、神を中心とした天に行くのです。その天が本、私たちの本然の故です。私たちの本のお父さんが神でしょう。

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 あの世のすべての先祖が皆さんの生き方をすべて見ています。す所がどこにもありません。先祖がすべて見ているというのです。界に行くようになれば、壁もすべて通じるのです。地球もすべて通じるというのです。そのような世界に行って永遠に生きなければなりません。神の愛の象として創造された人間であるがゆえに、神が永遠であられるので一つの愛の象になる存在も永遠に必要だというのです。神が永遠であられるように私たちも永遠だというのです。愛の相がなくては永生がありません。

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 界が私の手に懸かっており、親戚が私の手に懸かっており、親戚だけでなくが私の手に懸かっており、今後る子孫の前に正しい統を立てておかなければならないということも私の手に懸かっています。これをいつも考えなければなりません。皆さん自身一人一人が正しくできるか、できないかによって、界に行った皆さんの先祖も解放でき、皆さんの親戚も解放でき、皆さんの子孫は解放の選民として策定されるのです。

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 皆さんはいつでも「三時代を代表した私だ」と考えなさいというのです。ですから、界が私の手に懸かっているというのです。皆さんの先祖が皆さん自身に懸かっているというのです。過去、現在、未をすべてこのように集めて、二つを重ねて引っ張っていけば走ってくるのです。そのような使命を果たさなければなりません。

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 今から世の中が急します。なる人が事故でたくさん死ぬというのです。我知らず死にます。今は蕩減がありません。即決処断時代がるのです。しっかりしなさいというのです。誰がするのですか。魔に蕩減させません。自分の先祖が理します。今現在祝福してあげたその基準は水平になっているのですが、ここから落ちていきそうになれば、界に入れば落ちないので、失わないためにも連れていかなければならないというのです。そのような時代がるのです。先祖がをくれ、病えます。先祖が「の御父母写真を置いて侍りなさい」というのです。

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 天地が願う以上の切な心をもって協助を受けなければならないのです。みんなそのように行くのです。三代です。三代なのです。自分の先祖が一代、それから自分が二代、息子、娘が三代です。そこに切な心で縛っておけば、新しく生まれるこの地上の三代の子孫が、父母と天上の先祖にまで及ぶようになるというのです。そうでしょう。

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 この地上にて協助しようとするなら、自分が先生の母として立つことのできる位置を整えてなければならないので、今たと言うのです。皆さんによって復活をするのです。皆さんの先祖までも皆さんによって救われるのです。ですから、積極的に後援しようとするのです。ですから、その部落で休まず仕事をしなければなりません。

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 皆さんが一つの則として知らなければならないことは、その地方で生まれた忠臣、愛者、孝子、教会の牧師たちがくした精誠以上に精誠をくさなければならないということです。それ以上精誠をくしさえすれば、彼らがみな協助するというのです。それが件です。そうすれば、サタンの讒訴以上の位置に立つようになるのでサタンが反せず、界の協助によって皆さんの先祖が、皆さんの子孫に「みんな統一教会に入れ」と的に追いむのです。どのようなことが起きるかといえば、皆さんのおじいさんが協助しようと現れてみんな道するというのです。

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 お手洗いに行って座っていれば、界では「お前はきょう、何をしなさい」とプログラムをすべてえてくれるのです。そのようなすごい事が起こってくるのです。ですから、街頭にいれば連する人は、あらかじめ的にすべて連絡がついていて、う事がいくらでもあるのです。ですから、界の協助を受けなければなりません。界の協助がなければなりません。皆さんも今や先祖が協助するようになっているのです。落していない圏内の世界において、アダム完成を天使が保護して育て、祝福の位置に行くことができるのです。界がそのような本然の使命をすることにより、天使長界が復されて彼によって地上が復されるのです。

 落は天使長がしたでしょう。それで、皆さんの先祖がて善の天使長がなすべきことをすることによって、皆さんはアダムが落しない本然の位置に立って、神の心情圏内に到達できるのです。皆さんは、そのような道を皆さんの先祖が協助する垣根の中で行くことができるのでではありません。本然の心情の勝利に立ち、解脱圏に向かって前進するのだというのです。それゆえに、天に直行できるのです。それが蕩減復原理にすべて合うのです。先生は適に言うのではありません。

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 界が協助するのです。界が協助してその一族、親戚すべて、近い群れをすべて集めて皆さんの前に追いむのです。このようにすることによって皆さんを中心として界が、神を中心として界のが降りててアダムを取りむのです。そこは善むためになるサタンが侵犯できない圏内となるというのです。それで、その基準を中心として、本然のの先祖の位置を心情的因によって受けぎ、新しく植えた基盤ができたので、その基盤を中心として、皆さんの一族のおじいさん、おばあさん、誰彼なしに頭を下げることができます。

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 今や皆さんの先祖が協助するようになっています。以前はい先祖が子孫を利用したのです。しかし、今では善の先祖が降りてて活躍できる時がました。それゆえに、皆さんはそれこそ十字架を背負わなければなりません。氏族の十字架を背負い民族の代わりに蕩減し、家と世界の十字架を背負って、家と世界のために蕩減するという人がいなければなりません。

 世界的理念時代に身を置くことが、家と民族の希望でしたが、人たちは今まで高い位置に立てずに、どん底に押さえられているのです。しかし、世界的恵沢圏内で皆さんが十字架を背負ってうならば、皆さんによってさっとすべて復活できるというのです。そうすれば、平面的な立場で先祖代に救援できる踏み台がすべて築かれるのです。それでこそ皆さんの一族の解放が起こるのです。私の話が分かりますか。何の話か理解できますか。

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 善が降りてきて皆さんを協助し、先祖がみな協助するというのです。それで、皆さんも、以前は誰かが統一教会に反すれば、冷や冷やして震えたりしたことがすべてなくなるのです。今では天下がぎ立てても、心は太平だというのです。心が動しないというのです。それはどういうことかといえば、に時がそのようになったというのです。なる的な雰囲気が私たちと接することができないのです。善の先祖をもったすべての子孫は、じっと見ると、彼らの心は皆さんが自分の家に訪ねてくるのを喜ぶのです。またれば何かを貴いものをえたがるのです。

 皆さんは分かりませんが、心にその先祖が協助することによって皆さんがかわいそうな人を助けたくなるそのような心をもてば、皆さんの先祖も恩を受けるのです。したがって、皆さんも展して……。今は再創造時代なのでアダムを天使世界が協助したその道理によって、先祖が天使であり、アダムの子孫である皆さんを後援し、再創造するのに協助することによって、天のみ旨の前で成長していくことができるのと同じ位置に立つというのです。

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 おばあさん、おじいさんが死んだとしても私のためによみがえり、お父さん、お母さんが私のために生き返ることができます。の愛によって、の愛を中心として「生き返ってください」と言えば「よし」と言って、おばあさんが現れ、死んだお父さん、お母さんにうことができます。そのような道がの愛にあるので、おばあさん、おじいさん、私たちの先祖はみんな界にいるのですが、「私がこのような難しいことがあるので協助してください」と言えば、さっさっさっとするのです。そのような時代に入ります。えてくれるのです。

 神は私たちの先祖であり、私たちは孫です。ですから「このように告げるので成し遂げてください」と言えば、「よし」と言うのであって「駄目だ」と言わないのです。神はすべて通じるのです。

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 人たちは界で地上人の協助を受けるために、いろいろな方法を動員して地上の子孫を訪ねてきますが、地上の子孫が解決する方法を知らないために、だんだん家運が傾いて、行く道がしくなるなどの困難が繰り返されます。地上人の助けによって昇進する人たちは、現在の自己の位置からもっと良い位置に移っていくことで自らの生活がになり、地上にいる子孫の生活もまた平和になるのです。



 3.祝福家庭と祭祀


 統一教会は先祖を祭ることを認めるのです。統一教会は今その統を引きいでいかなければなりません。これが今後、の父母を中心として反の立場に立つのです。この世、世の中の統ではありません。天の父母、天、天の先祖に侍ることにおいて、その代をぐ主流思想的、統的な血族を千年、万年侍ることのできる王土になるのです。王に仕える永遠な太平の世を導き得るになるのです。そので暮らして行ってこそ皆さんのお父さん、お母さん、一家、一族が天に直行するのです。

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 先祖が死んだ日になれば、みんなるのです。そして、先祖のために祭壇を整えて祭祀を執り行います。先生の写真を置いた部屋で執り行えば、敬をしても罪にはなりません。を作って祭祀を執り行うからといって罪になるのではありません。

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 選民と血統を重要視しなければなりません。選民は長子です。韓は長子のです。韓が族譜(注:家系)を愛する民族になったのも、すべて血統を受けいでいくためなのです。先祖を崇して先祖に祭祀を執り行うのはいことではありません。今後、儒思想以上に父母を尊敬する時がるのです。何の話か分かりますか。

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 おじいさん、おばあさんが亡くなったら墓りをしなければなりません。神が墓に埋められたと思って墓りをしなければなりません。そして、私の一代におばあさん、おじいさんに侍ることができなかった恨をその日に贖罪しなさいというのです。

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 長子はどのようになるのかといえば、根を深く打ちまなければなりません。それは誰もくことができません。おじいさんもけません。叔父さんもけません。それゆえに、祭祀を執り行う時はいくら叔父さん、いとこ、八親等、ひいおじいさんがいたとしても長子を先に立てるのです。そのようなことを知っていましたか。

 韓統的な文化背景に先祖を尊重視することにおいて、長子を前面に立てたのを見ると、この民族は長子を尊重視する民族であったというのです。それは驚くべきことです。

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 今までキリストにおいて、祭祀を行うことができなかったのも一理あります。祭祀は神と全人類のの父母が受けなければなりません。上の代の先祖が天でまず侍られなければなりません。ところが、落することによって今までは禁止してきましたが、今復時代において祝福を受けたので、今後先祖に侍らなければなりません。

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 祭祀の日がれば、祭祀を執り行う時間は長子が決定するのです。ですから、明け方一時にしたのを朝五時にでもできます。朝五時にしようとしていたのを事情によって朝七時にでもでき、にでもすることができるのです。誰がそれを決定するかといえば、亡くなったおじいさん、先祖がするのではありません。長子が決定するのです。

 亡くなったおじいさん、おばあさんたちも長子が決定した時間にてこそ祭祀の膳にすることができるのであって、それが嫌ならばすることができないのです。地上が中心ではないですか。地で解けば天で解かれるというのと同じなのです。それゆえに二つが一つにならなければなりません。

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 先祖を愛しなさいというのです。先祖のために生きることは罪ではないというのです。サタン世界でも先祖のために生きるのに、キリストでは「先祖のために生きるな」と言うでしょう。しかし、今後天の世界の先祖のために生きて、またさらに「ため」に生きなければならないのです。それで、統一教会は祭祀も認めるのです。キリストでは「お、偶像なのに……」と大ぎするでしょう。しかし、落した世界にいる祝福を受けた家庭は、このような統を子孫に授してあげるべき責任があるというのです。

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 韓史はに見事なのです。祭祀の時には長子の家で、叔父さんも長子に侍って祭祀を執り行うでしょう。神理の中で長子の民族をつくるための史的背景があるという事を知らなければなりません。このように知っていれば、韓民族の優越性がどんなものか、韓民族がどれほど偉大なのかが分かるので、皆さんの息子、娘が憶することがありません。このようなことをはっきりと知らなければなりません。

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 「長子」と言えば、おじいさんも祭祀を執り行う時は、長子の前でその指揮下に入らなければなりません。尊敬しなければならないのです。長子の血統、その次は族譜(注:家系図)と血統を尊重視する事実、これは神様の復帰摂理におけるその心の根本の根本を忘れることができない記録的な歴史性に代わってきたという事実は驚くべきことです。

 

 アダムの息子、娘がいくら多くても長子を中心として国が連結するのです。そうすれば、その長子を中心として横にいる兄弟たちは広がって氏族になり、国家になるのです。長子が系統を継ぐのです。韓国を見ると長子です。実に驚くべきことです。韓国が偉大で、神様の祝福を受けることができるのは、長子を守ってきたということです。最初のおじいさんの息子が長子になれば、ひいおじいさんたちや、おじいさんの弟になる人たちは祭祀の時、長子を中心として侍らなければなりません。長子に仕えてきたことは驚くべきことです。絶対服従しなければなりません。

 

 韓国民族がそうです。長子の歴史、ひいおじいさんも祭祀の時は長子を立てるのです。それは驚くべき歴史だというのです。この話がそうなのです。それより高い血族的な基準、より高い生命基準、より高い愛の基準が関連性をもつようになる時は、神様が願う最高の基準として、天を中心とした影響圏を地上に合わせれば、その影響圏に必ず吸収されるので、地上天国に改善することが可能だというのです。これがすべて理論的なのです。妄想ではありません。理論的です。

 聖子の道理とは何ですか。「聖子」と言えばこれは縦的です。垂直概念を言います。「聖人」と言う時は東西南北の横的です。儒教思想もそうではありませんか。「天」といえば天子だけが関係を結ぶと考えませんか。ですから縦的なのです。韓国の礼法を見て驚くことは、叔父さんも祭祀の時には長子を前面に立てます。それはなぜですか。縦的です。縦が先だというのです。






 



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