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一 真の御父母様の権限と使命
1.真の御父母様は肉体をつけられた神様
神様は無形でいらっしゃるので霊界に行っても見えません。それゆえに神様は体をもった父にならなければならないのです。体をもった父になることによって、無形と有形が一つになるのです。それは宇宙が一つになることを象徴します。神様は体をもつためにアダムとエバを造りました。体をもつには愛だけが可能です。愛があってこそ神様の形状に似た体を備えるようになります。アダムとエバが神様の体を備えれば、彼らの心の中に神様がいらっしゃって、地上世界と無形世界を統治するというのです。神様の王国をつくるのです。神様の王国は愛の王国だというのです。愛を中心としてこそ霊と肉が一つになるのであって、他のものでは一つになることができないのです。
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神様は、神様と人間が主体と対象として縦的な愛の関係を完成することだけを目標とされたのではありませんでした。縦的な愛を完成してアダムとエバの横的愛の結実をもたらそうとされたのです。その瞬間が正に内的父母であられる神様が外的父母であるアダムとエバと完全一体を成すために臨在される愛の理想成就の瞬間です。無形の父母であられる神様が、アダムとエバの形状をかぶって有形世界に永存なさる父母になるのです。この時アダムとエバは真の父母、真の先祖になるのです。
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神様が体をもった父になることによって、見えない無形と有形が一つになるのです。それは宇宙が一つになることを象徴します。それゆえに神様の形状に似た体を備えることができる姿としてアダムとエバを造ったというのです。そしてアダムとエバを天国の王宮に、王座に上がるようにして、その王と王妃の心の中に神様の王国をつくるのです。王国は愛の王国だというのです。愛の王国。愛を中心としてのみ霊と肉が一つになるのであって、他のものでは一つになることができないのです。
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神様が心と体に入った愛をもった男女が結婚すれば、それは誰の結婚になりますか。誰の結婚になるのかというのです。人間の結婚であると同時に神様の結婚です。驚くべき話です。既成教会の信徒たちは驚き倒れる話です。「あんなことを言うから異端だと言うのだ」というのです。異端は誰ですか。本当の異端は誰なのか霊界に行ってみてください。
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本来アダムとエバは何ですか。神様の長男、長女です。神様は天宙すべてを創造した万能の王であり、アダムとエバはその王の子女なのです。王の息子と王の娘が絶対者である神様の愛を中心として一つになって、神様と一つになったその基準に立たなければなりません。それがアダムとエバの位置です。言い換えれば、アダムとエバは地上天国と天上天国の王にならなければならないというのです。皆さん、神様の姿は霊界に行っても見えません。姿が見えないのです。神様の創造目的は何ですか。自身の形をもつことです。姿をもちたかったというのです。
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無形の神様は実体がないので、その形態を身代わりしたものが真の父母だというのです。真の父母は個人的な父母であり、家庭的な父母であり、氏族的な父母であり、民族的な父母であり、国家的な父母であり、霊界に行っても、今後、真の父母の形状で神様が現れるのです。統一教会の偉大なことがそれです。レバレンド・ムーンの偉大なこととは何かというと、レバレンド・ムーンの形状を神様がかぶられるということです。何の話か分かりますか。
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先生が監獄に行って、悪いうわさが立ち、すべて滅んでなくなると思っていたのですが、今でも生きて堂々と大口をたたいています。アンテナを張ってすべて見聞きして分かっていて、大声をあげているのです。神様も先生のサインが出ているか、出ていないかを見てそれから決裁するはずです。先生のサインがあるかないかを見て、先生のサインがあれば「OK」、ない時は「ノー」と言われるのです。言葉は簡単ですが、そのようになることがどれほど難しいかを考えてみてください。今後の世界、霊界はすべて先生の手中で動くはずであり、この肉界はいずれ一つの谷間へ行くしかないという結論が出てきます。
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自然世界は真理でぎっしり詰まっているというのです。皆さんは霊界に対してよく分かりませんが、先生は霊界の専門家です。そこは二十一世紀ではなく二十二世紀、三十世紀になったとしても、先生がいなければ開門することができません。理論的に霊界を教示して霊界を開門する時、体系的内容を明らかにしてくれた元祖が文先生だという名声が永遠に残るのです。
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霊界を結束させなければならないのに、霊界を収拾できない人は天下を統一できないのです。天運の根が天であるのに天を収拾できないのです。天運の根が天であるのに天を収拾できない人がどうしてその結果をこの世の道理として世界を統一できますか。それゆえに地上を統一する前に霊界を統一しなければなりません。
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天国に王宮がありますか、ありませんか。そこの王は民主主義の王でしょうか。どのような王でしょうか。霊界は真の愛を中心とした所なので、霊界の王は一度中心になれば永遠です。それゆえに、高い所、低い所を一つと見るのです。全体を球形と見るのであって、分離されたものとしては見ないというのです。
2.宇宙の中心軸、地上・天上の統治者
霊界に行けばアダムとエバが家庭の王であり、氏族の王であり、民族の王であり、国家の王であり、世界の王であり、天宙の王なのです。ですから、霊界に行っては神様の代身者となるのです。神様は無形の神であるので見えません。あの世に行っても神様は見えないのです。しかし神様も体が必要です。それで、神様が造った万物世界は体をもっています。無形の神が体をもつことのできる相対的な存在を必要として万物を創造したがゆえに、完成したアダムとエバは神様の体になるのです。
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アダム家庭とは何かというと、将来アダム一族の族長になり得る立場であり、アダム一国の王になる人であり、世界の王の中の王になる人です。神様の代身と一体となることができる世界です。神様がなぜ創造をしたのでしょうか。地上で人間アダムの後孫を通じ天国の民を育てることがアダムを造った目的です。ですから、地上でアダムとエバに通じることなしに子女を……。
霊界で子女繁殖はできません。縦的であるために霊界に行っては息子、娘を生むことができないのです。ここは縦的ですから縦的なものは一点の上に立つのです。面積がありません。それゆえにアダムとエバが縦的な基準の前に三六〇度で……。これは無限であり、無限の面積が必要なその中で生まれた無限な息子、娘を天国の民とするためのものだというのです。そうなれば天国で王になることができる方が誰かといえば、神様です。神様が王にならなければならず、神様と一つの体となり得る、体をもつことのできる人が必要です。その体が誰かといえば、アダムとエバです。
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堕落しなければアダムが誰ですか。霊界に行くようになれば神様になるのです。霊界で体をもつ主人になるのです。神様はあの世に行っても見えません。なぜ人を創造しましたか。この宇宙は実体があるので、実体の主人であるアダムとエバを中心として管理主導できる立場に立つためです。
神様が霊界で無形でいらっしゃるので、支配できないから、実体の仮面をかぶって実体の体をもつことによって、あの世において、地球星で生産されてくる自分の息子、娘たる後孫を、実体をもって支配することのできる王になるために実体の人を造ったのです。その王の顔が誰の顔ですか。アダムの顔です。王をつくったから王妃が必要なのです。王妃とは誰ですか。エバが皇后にならなければならないのです。地上の先祖であると同時に、天上世界の先祖になるのです。
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霊界に行けば先生がすべて統治しているのです。先生ではなく、神様です。神様の体なのです。皆さん、体のあるところに心があるでしょう。心と体が一つです。もう少し深い話をすれば良いのですが、ひっくり返る人々がいるために話をしてあげることができません。ひっくり返るようになっています。「ああ! そんなことがあるものか」と、このようになるのです。本当にそのようなことがいくらでもあるというのです。神様は遠方にいるのではありません。そのようなことがある、限りなく近い所にいらっしゃる方であるのを知らなかったのです。
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霊界に行けば神様が見えるのではありません。神様がアダムとエバを造ったのは、実体的万物世界を、今後後孫にすべて管理させるためです。神様も形状が必要だというのです。アダムとエバの形状をもち、あの世に行ってお父様の役割、すべての中心存在の役割をするのです。父母様があの世に行けば、神様が心にあって一つの体になって、全霊界とこの地が一つになるのです。神様が心に入り、父母様が神様の身代わりに入っているのです。私たちの体と心の関係のようなものです。そのような原則になっているので、地上の皆さんの家庭は、霊界の中心家庭である父母様の家庭と神様が一つになったその形態を、小さいけれど皆さんの家庭に一単位として実を結ばせたのと同じだというのです。
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アダムとエバが堕落しないで完成し、人間の責任分担を果たせば、この地上世界と天上世界に地上天国と天上天国が成されて、愛を中心として一つの世界になるというのです、真の愛を中心として。結局は最初であると同時に最後になる日は何ですか。「真の父母の日」です。「真の父母」と言えば、神様は縦的な父母をいい、真の父母は横的な父母をいうのです。縦的な神様は霊界を代表し、横的な真の父母は地上世界を代表して一つになるのです。真の愛によって一つになる世界です。その二つの核心的な内容が真の父母です。真の父母の中に縦的父母と横的父母があることを知らなければなりません。
3.真の御父母様を通して天国に行く
宇宙の中心が何かというと、霊肉の真の父母です。その基準を中心としてそこから東西南北が生じ、家庭が生じ、氏族が生じ、民族が生じ、国家が生じ、世界が生じるのです。これが、宇宙の根本です。これを中心として霊界が生じるのです。これが、九〇度、三六〇度になってこの中に宇宙が入るのです。
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先生が幼い時から霊界問題に当面しながら、このようなすべてのものを探し出してくる中での伝承的な記録が、「原理」のみ言だということを知らなければなりません。漠然とした話ではありません。それで、李相軒氏もこの地上に生きているとき、先生を一〇〇パーセント信じられませんでした。先生が「右手は霊界をつかみ左手は地上をつかんで、反対に引き抜かなければならない責任が真の父母にある」と話したのですが、それが何のことか分からなかったのです。
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今私が神様に「神様、私は堕落したこの世界と霊界を見たくありません。新しい、これよりももっと良い天国を再びつくれば良いです」と言っても、それが可能だというのです。まだサタンが解放されていないのが問題だというのです。サタンを底無し地獄に押し込んで、影も見たくないし、恨みの声も聞きたくないというのです。解放されたとしてもまだ処理すべきことが残っています。
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皆さんは霊界についてよく知らないでしょう。私は霊界の専門家です。おそらく歴史の中で霊界を開門することにおいて、理論的基盤と体系的内容によって霊界を教示し明らかにした元祖が文総裁だという名が残るでしょう。元祖を知っているでしょう。貧しくて助けるという意味の援助(注:韓国語読みでは元祖と同じウォンヂョ)ではありません。「根本の意味の元」と「先祖の祖」です。
皆さん、文総裁に対して「真の父母」と言いますが、私はその「真の父母」という言葉を最も嫌う人間です。それがどれほど怖い言葉でしょうか、真の父母になったならば、真の家庭を率いなければならないのです。ここに一門がくっつけば真の一門を率いなければなりません。また世界へ拡張される時は世界を率いなければなりません。天地の前に、霊界と肉界に人類がいっぱいに拡張された時には、それを率いることができる能力がなければならないのです。途方もないことです。そのようなことをみな知っている人です。
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堕落しない本然の真の父母が来て初めて、神様の垂直と人間の水平の九〇度を合わせられるようになるのです。真の父母が来て九〇度に合わせることができる教育をするのです。霊界へ行ってみてください。私が言っていることが間違っていれば首を切ってしまうのです。真の父母が来て水平垂直を九〇度で合わせられるようになるのです。九〇度で合わせられるように教育をするのです。この教育に絶対服従しなければなりません。体をつかんで打ち、九〇度にしなければなりません。
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真の父母は宇宙的な真の愛の中心基盤です。ですから、そのような真の父母が現れれば、朝にすべての山川草木が昇る太陽に向かうように、すべての被造世界が真の父母に向かうようになります。すべての被造物が葉や枝と同じです。霊界ではすべてのものが神様に向かっています。同じように統一教会でも先生が韓国へ行けば食口たちのすべての神経が自動的に先生についていくのです。同じことです。
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博士の学位を受けようとするなら指導教授のおしりもふいてあげ、その教授に足でけられても「ああ、ありがとうございます」と言ってこそサインしてくれるのであって、そうでなければしてくれないのです。「私が鼻を見ても顔を見ても体つきを見ても何を見ても優れていて、相撲をしても勝つし、御飯を食べてもたくさん食べ、何でも一等になることができ、十箇所、百箇所良いところがあるのに、一つくらい知らないからといって博士学位をくれないのですか」と言っても通じません。先生がそのような霊界の特許権をもつかもしれないというのです。
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天地を与えても取り替えることができない高貴な価値の存在である人間が、なぜこのように脱落してしまったのでしょうか。堕落のためです。それを解放しようとするなら、レバレンド・ムーンを通じなければなりません。レバレンド・ムーンを通じることなしに、この原則を知ることはできません。いくら学者であり、いくら世の中でずばぬけているといっても、霊界に行く時はレバレンド・ムーンのサインを受けて入っていってこそパスするのです。
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考えてください。先生を中心として霊界が協助する、それが普通のことですか。霊界もそうですが、今からは私が深刻にしなければなりません。先生が血を見るようになれば恐ろしいのです。無慈悲なのです。歴史的なすべての蕩減を何倍もかけて打ってしまうのです。血を御覧になった神様を、歴史過程のその神様を慰労する道がないのです。それを涙でふさいであげようというのが先生の考えです。
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霊界でも関心は先生以外にはありません。父母様以外にはいないのです。それが生命の根源であり、愛の根源であり、良心の根源であり、すべてのものの根源です。そこを通じなければ大きくなりません。
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この地上世界だけが真の父母を必要とするのではなく、霊界も同じです。どうしてですか。そこでは地上で愛をもって生きた人が行って宮殿をつくるべきですが、そのような人がいないからです。愛の宮殿は神様もつくることができず、霊界の人もつくれません。真の父母がつくらなければならないのです。霊界で愛の宮殿が真の父母から始まります。霊界に宮殿があっても、真の父母が行って「ここを宮殿とします」と宣布してこそ、それを中心としてすべての霊界が落ち着くのです。そのような責任が残っているので、霊界でも真の父母を絶対に必要としています。
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先生は常にいる人ではありません。歴史始まって以来、二百年の間に一世紀前にもなく、あとにもない、永遠に一回しかないこの期間に生まれた人です。いつでも生まれることのできる人ではないのです。そのような期間に皆さんが先生から直接秘密の内容を学ぶということは、無限の価値があるのです。そのまま実践して霊界に行けば、間違いなく天国に行くのです。その未来の国が皆さんを待っているのです。その天国は今まで空いていました。真の父母が本来入るべきはずでしたが、真の父母が現れなかったというのです。
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統一教会の先生の誇りは、神様を知っていることです。霊界で知っている以上に知っているというのです。人がいくら多いといっても、神様の心情を知っている人を最も喜びます。宗教人たちが涙に濡れて膝までへこむほど一生の間祈祷をしても、イエス様に出会い導きを受けるかどうかくらいです。にもかかわらず皆さんがここに来て先生に会い、このような話を聞くことができるというのは歴史的な事件です。
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復帰の真理だとか、死だとか、霊界などを知るにおいては、何もせずに分かるのではありません。先生は何も食べないで十七時間ずっと祈祷だけをしたことがあります。十時間、十二時間は普通です。ですから、ここがすべて固まってしまいました。今は祈祷を長くしなくても神様が近くにいらっしゃるために、すぐ通じます。この膝にもそのような痕跡があります。
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先生が祈祷する時は、冬でも綿ズボンが濡れるほど痛哭したのです。そのような功績を立てて探した「原理」を、皆さんはどのように取り扱いましたか。霊界に行ってそのような事実を知れば、先生の近くにどうやって来るのでしょうか。お母様も先生に対しては用心するのです。分からないことが多いのです。知ればその道に同参しなければなりません。そのような恨の峠を越えるとしても、ここで自分が死んでいきながらも、愛をプラスして死のうとしてこそ、天の死として扱ってくれるということを知らなければなりません。ここは死亡に勝つことができる位置です。死亡が干渉しない位置です。
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先生を知っていて損をした人は手を挙げてみてください。いますか、いませんか。いるという者はどろぼうです。誰が損害を受けましたか。私が損害を受けましたか、皆さんが損害を受けましたか。私が一生の間損をしたでしょう。かといって、それを取り返そうとは思いません。代わりに皆さんの後孫の前に返してあげなさいというのです。皆さんの息子、娘にすべて、先生の代わりに父母として侍ってもらえというのです。それをすることができなければ、先生の功をすべて再び蕩減しなければならないのです。霊界に行き、がちっと引っ掛かってしまいます。許しがないのです。
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「真の父母」という言葉は驚くべき言葉です。皆さんの中で霊界に通じる人は祈祷してみてください。「神様が高いですか、文総裁が高いですか」と祈祷すれば、文総裁が高いと答えるのです。このような話をするから異端でないはずがないでしょう。
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悟りの世界においては、霊界に行って神様にまで認められなければなりません。なぜそうなのでしょうか。「原理」の勉強をすればみんな分かるでしょう。そのように難しいのです。それをすべて暴き体系を作らなければならないのです。私たちのような人はしぶとい者なので、そのような体系を作ったのです。その世界があまりに膨大なので手を付けることができません。継ぎはぎのふろしき包みをくまなくすべて解いて一つの服を作るとするならば、君王が着て出掛けることのできる服を作ることができなければならないのです。そして、神様をして「お前は歴史始まって以来において私より勝っている」と言わせなければならないのです。
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真の愛を中心として生涯を投入し霊界に行けば、どこででも「先生!」と言うと、すぐに会えるのです。すぐ会えます。心配することはありません。愛の心情に合わせれば同参、同位、同居権をもつことができるので、先生を呼べばすぐに会えます。それはいいでしょう。そのような人々には先生が全霊界を見物させてあげることでしょう。ダイヤモンドの星もあり黄金の星もあります。その時、先生の特権で一つぐらいあげるかもしれません。先生にはそのような特権があるのです。
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分かりますか、分かりませんか、この者たち。この者たちと言うのは、私が条件を残してあげることなのです。「文総裁、どうしてそのように悪口を言うのですか。文総裁に私が初めて会うのに、そのように非難されてはすべて信じることができません」と言うかもしれませんが、その時になって許してあげようと悪口を言うのです。そして、あの世に行き「あなたが悪口を言うので、統一教会を信じることができなかった」。それは理にかなった話なのです。
それで、霊界に行って許す条件を立ててあげるために悪口も言うのです。非難されても心が痛くないのです。帰ってみてください。「ああ、悔しい!」そう思っていたのに、故郷へ行く前にすべて忘れてしまうというのです。心がそのようになるのです。分かりますか、分かりませんか。「分かります!」と言う人は手を挙げてください。ぼーっとしなくなりましたね。
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神様は負債を負われる方ではありません。千倍万倍返そうとされるので、文総裁はしがない一人の兵士として監獄に行き来しながらも、先生の所有版図は国を越え、世界を越え、天地を越えて、霊界と肉界の統一的な一つの位置をつかむことができるこの時が来ました。ですから、アダム家庭の天地に統一的な家庭的基盤形態を万民の前に付与できる、このような特権時代を得た先生の権威がどれほど偉大かというのです。全体全般です。一つも欠けることなく全体全般です。その次には全権全能の時代に向かうことができる結果が、先生の未来の世界に待っているというのです。
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天宙は霊肉の世界ですが、天上世界の中間霊界にとどまっている霊たちと地獄に行った霊たちをすべて解放し、門をすべて開いてあげてこそ、神様が解放の立場に立つことができるというのです。神様が解放された立場に立ってこそ、全人類が呼吸を共にして太平の時代に入っていくことができるのです。それが統一教会の行く道です。それゆえに、神様が解放される日まで統一教会は行かなければならないのです。偉大な事実です。大ざっぱなのではありません。
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今霊界は形態をもっていないのです。真の父母によって形態をもつようになるのです。霊界祝福とともに天地総合地上天国統一の愛の主権世界宣布をするようになれば、先生が霊界に行かなくても、神様は先生の父母の形態をもって霊界を主管できるようになるのです。それゆえにそれを待つのです。別れてしまったものが結合するのを待っているというのです。先生が早く霊界に来ることを待っているというのです。ですから、地上の仕事が終われば霊界の仕事を始めなければなりません。皆、待っているのです。霊界の王として立つのです。地上の王がそのまま霊界の王になって、原理原則に一致した故郷の地に帰るのです。
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文総裁の願いは何かというと、教主の中で真の愛のための代表的な教主になろうと考えています。歓迎しますか。皆さんは霊界をよく知らないのです。私は霊界の専門家です。死んでどのようになるかということをはっきり知っているので、世の中の万事がいくら騒々しく反対しても、それが私の目にはとまりません。なぜですか。それよりあの世界を見るからです。あの世に拍子を合わせて暮らすのです。
それゆえに、今後世界の霊通人たちは私のところに来て教育を受けなければなりません。僧侶でもどんな人でも……。天地の秘密を知っている人がいなかったのです。初めてこの時代に文総裁という人が出てきて発表することによって、天国の博物館にもなかった記録の蔵書になり、それを見て数多くの善霊たちが知って、地上の自分の後孫に夢での啓示を通じて、あるいは啓示を通じて教えるようになる時、地上の図書館にぎっしりいっぱいになることでしょう。今ここで言うことは、どのような図書館にもないのです。
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神様の心情世界までも発見したレバレンド・ムーンが、偽物でないということを知らなければなりません。このようなすべてのことを聞いてみてください。世の中にないのです。先生が教える内容は世界のどんな図書館の本にもなく、霊界の図書館にもありません! 初めてなのです、初めて! このような内容は地上のどこにもなく、霊界のどこにもない新しい真理のみ言です。これは神様と霊界と地上の人間が求めることのできない宝の倉庫にある記録だということを知らなければなりません。
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地上で先生を見ただけでも霊界に行っては自慢の種になることでしょう。「私は先生に侍った」と言ってです。草木を見てください。植物たちの芽はすべて太陽の光に向かっているのと同様に、皆さんの本性こそ愛の太陽の光に向かうのです。神様は愛の太陽です。霊界に行けばそうなのです。
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総結論は何ですか。アダム完成です。アダム完成とは何ですか。アダムができなかったことが何かというと、責任分担の完成ができなかったのです。責任分担とは何ですか。祝福家庭世界の伝統的、世界の礎石的基準が、家庭的礎石であり、氏族的礎石であり、民族的礎石であり、国家的礎石であり、地上天国の礎石であり、天上天国の礎石になることのできるすべてです。その礎石が汚されてしまいました。それを清算しなければなりません。ですから霊界の清掃、地上の清掃、すべてのことをしなければなりません。