1.出産、奉献式
愛する息子と愛する娘というのは極めて貴いものです。分かるでしょう。天と地の極めて貴い宝物です。それはお金で買えないし、この世に代えられない宝物です。神様にもそうですし、父親、母親にもそうです。息子、娘を代えることができますか。息子と娘は神様が下さった貴い贈り物です。
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子供を見ると神秘的なのです。それを考えると神秘的だというのです。「やー! こいつどうやって出てきたんだ」という具合にです。どんなに神秘的か考えてみてください。皆さんがそのように人をつくるとしたらどうでしょうか。それは何千年かかってもつくれないでしょう。
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皆さんが生まれる時、母親の腹中から出る時、どんなに大変だったかを覚えていますか。神様はなぜ子供を産む時、このように産むようにされたのでしょうか。ただ簡単に、言うがごとく簡単に、おいしい食べ物を食べるように簡単に、香水の香りが漂うように簡単に、ただうれしくて口を開け「ははは」と子供を産めるようにしたらどんなに良いでしょうか。なぜそのように産ませずに、汗を流して死ぬか生きるかという限界で産むようにしたのでしょうか。なぜそうしたのでしょうか。どうして? 光り輝く愛を見るためにです。
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その死ぬような境地で目の玉が飛び出し、すべてのものがみな壊れ、天地にこれは大変だという境地で子供が「おぎゃー」と泣いて生まれると、はっとするのです。痛いことは瞬間に消え去るのです。このように産んだので、その困難以上に愛するのです。「あらまー(かわいい)」と言うのです。それは何のことか分かりますか。
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娘は生まれたら七日目に奉献し、息子は八日目に奉献式をします。
2.祝福、祝福式
皆さんは真の父母と完全な因縁を結ぶことができませんでした。ですからその因縁を結ぶためにしてあげるのが祝福です。
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祝福が何かというと、神様と一つになることです。神様と一つになると全体を背負うようになります。神様のすべてのもの、主体がもっている全体を受けるのです。
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祝福の場はどんな場ですか。祝福の場は世界で最も良い立場です。その祝福の立場は誰と関係を結ばなければならないのでしょうか。皆さんは自分自身で完成するのではありません。父母様の愛によって完成されるのです。子供が父母の懐から生まれれば立派であってもそうでなくても、その父母の形態に似るのです。それと同じように統一教会では真の父母の道理を教えてくれるのです。それが皆さんには福の中の福です。
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祝福をしてくれるということは天の全権を移すということを意味します。
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祝福は天地で最も貴いものです。同時に極めて恐ろしいものです。もし夫婦が互いに他のこと(いけないこと)を考えたなら、それは相手を蹂躙することです。
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皆さんからまず善なる先祖、地、国が生まれるのです。ですから祝福を受けた人は目さえ開ければ天地を考えなければなりません。祝福は人に福を与えるためのものです。堕落によって汚れた血統を継承するものを転換しなければなりません。これをしなければ原罪を脱ぐことはできないし、原罪を脱ぐことができなければ真の子女として祝福を受けられる段階に上ることができません。原理がそうなっています。堕落によって生まれた原罪を脱ぐ血統転換、すなわち血肉を交換する式が聖酒式です。
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聖酒にはサタンの讒訴のない万物の要素がみな入っています。その聖酒を受けて、真の父母と一つになった自分自身を汚す行為をしたなら、サタンよりももっと汚れた立場に立つようになります。サタンは長成期完成圏を汚し、蹂躙したのですが、祝福を受けた者が間違えると完成期完成圏で神様の実体を犯した罪が残るようになり、永遠に許されません。これは実に恐ろしいことです。
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結婚式はすなわち愛の伝授式です。神様の愛をもって父母が生きたように、皆さんも父母の愛を神様の愛の代わりに受けて、このように生なさいという、愛の伝授式が結婚式です。
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祝福を受けた人は霊界に行っても先生が永遠に責任を取ります。先生が主管して指導します。祝福とはこのように先生と永遠の因縁を結ぶものでもあるのです。
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祝福を受け、間違えたなら必ず蕩減があります。間違いなくあります。過去には許されませんでした。だから統一教会は恐ろしいところです。原理がそうなっています。
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先生は今まで新しい祝福、新しい家庭のための蕩減条件を皆さんが立てられるようにしてあげ、皆さんの重い荷物を私が責任をもとうとしてきました。しかし先生が責任を遂行したにもかかわらず皆さんが天法を犯したとしたら、その罪は何十代の子孫まで引っ掛かる恐ろしいものです。
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祝福の過程を通過した人ともう霊界にいった多くの人との価値は、どう違うでしょうか。信仰の基準から見る時、それは相手になりません。このような天的な恩恵を投げ捨てるようになった場合にはサタンが皆さんを讒訴するようになります。天使長は長成基準でサタンになったけれど、皆さんは完成基準で堕落したのでサタンが審判するようになるのです。
3.昇華、昇華式
今日人間が死んでいくということが何かを知らなかったのです。それは悲しみではありません。次元の低い世界から次元の高い世界に愛の橋を通して移動することだというのです。ですから統一教会は死を昇華します。次元高く昇華するというのです。それは愛でのみ可能です。愛でのみ。
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堕落しなかったら人が死ぬことは幸福です。それで統一教会は死を悲しみとして迎える教会になってはいけないと教えるのです。ですから昇華式というのです。
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統一教会では死んでお葬式をすることを昇華式といいます。死んだ人にすがって泣くのを見ると、死んだ霊が嘆息するというのです。「このように無知で、私の行く道を綱で引っ張って行けないようにするのだ」と言うのです。そのようなことを知っているので統一教会では昇華式というのです。天に向かって聖なる飛翔をするというのです。愛の力をもって押してあげなければなりません。引っ張るのではなくて押してあげなければなりません。
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昇華式という言葉は興進君の時から出てきたでしょう。愛勝日というものの、その愛勝とは何でしょうか。死亡に勝つことです。他の人だったら母親も身もだえし、はいつくばりながら痛哭することですが、母親が涙を流してはいけないのです。三日以内にこの式をしてあげなければなりません。死亡に勝ったのだと宣布してあげなければなりません。ですから統一教会では昇華式が行われるのです。死亡を越えて喜びに向かって行くのです。昇華式を経ていく人たちは霊界のすべての峠をひゅうっと越えていくのです。もちろんそうできない者たちは途中で留まりますが……。それを知らなければなりません。昇華式とは興進君から始まったのです。
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興進君が蕩減してこの死亡の塀を、死の塀を壊してしまったのです。それで昇華式と言うのです。死は失望や落胆ではありません。落ちるのではなくて跳躍することです。昇華するということです。統一教会の教会員たちは死に対しての恐怖をもってはいけません。死はこのような自然の循環の法度によってくるのです。もっと良い世界に移してあげるための手続きなのです。
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自分の息子である興進が亡くなっても涙を流しませんでした。霊界に行くことは悲しいことではありません。解放のラッパの音とともに天国の旗を掲げ、足取りも堂々と百戦百勝して天下の錦を飾った旗を掲げて故郷に帰り、民族と人類の歓声をあびて、堂々と入ることのできる還故郷をするのです。悲しいことではありません。統一教会では泣きません。それをなんだかんだと言いますか。昇華式だというのです。
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私の義理の母になる方も亡くなりましたが、統一教会は葬式とは言いません。何と言いますか。昇華式。昇華されるのです。横的なこの世で生きて縦的な世界の活動舞台に、無限な世界に行くのです。サタン世界では泣きわめくと悪霊が来ますが、そういう立場は悪霊が訪ねてくることができません。
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では、統一教会では葬式を何というのですか。昇華式とは何ですか。変化して一段階上がるというのです。今回おばあさんが亡くなった時も私は泣きませんでした。彼女の行く道を選んであげるのに忙しかったのです。孝子と言うならそれ以上の孝子がどこにいますか。
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統一教会は死んだのちの葬式もそのようにはしません。昇華式です。どこに行くと思って生きますか。この世に怖いものがどこにありますか。天下に怖いものがどこにありますか。罪悪の世界、混乱した世界において自主的な中心の形態をもって、天地の度数に合わせて神様の愛圏内の垂直の立場に入るようになります。なぜ垂直の立場に入るのでしょうか。その立場には影がありません。すべてのものが完成です。その次に、これが回るようになるので、回る環境全体が垂直化されます。男性を中心として女性が一つになれば、その男性と女性を中心としてその環境は全部幸福圏になるのです。