Text Box: TP portrait  十三 祝福家庭の生涯儀


  1.出産、奉


 愛する息子と愛する娘というのは極めて貴いものです。分かるでしょう。天と地の極めて貴い物です。それはお金で買えないし、この世に代えられない物です。神にもそうですし、父親、母親にもそうです。息子、娘を代えることができますか。息子と娘は神が下さった貴い贈り物です。

            *

 子供を見ると神秘的なのです。それを考えると神秘的だというのです。「や! こいつどうやって出てきたんだ」という具合にです。どんなに神秘的か考えてみてください。皆さんがそのように人をつくるとしたらどうでしょうか。それは何千年かかってもつくれないでしょう。

            *

 皆さんが生まれる時、母親の腹中から出る時、どんなに大だったかをえていますか。神はなぜ子供を産む時、このように産むようにされたのでしょうか。ただ簡に、言うがごとく簡に、おいしい食べ物を食べるように簡に、香水の香りが漂うように簡に、ただうれしくて口を開け「ははは」と子供を産めるようにしたらどんなに良いでしょうか。なぜそのように産ませずに、汗を流して死ぬか生きるかという限界で産むようにしたのでしょうか。なぜそうしたのでしょうか。どうして? 光り輝く愛を見るためにです。

            *

 その死ぬような境地で目の玉が飛び出し、すべてのものがみなれ、天地にこれは大だという境地で子供が「おぎゃ」と泣いて生まれると、はっとするのです。痛いことは瞬間に消え去るのです。このように産んだので、その困難以上に愛するのです。「あらま(かわいい)」と言うのです。それは何のことか分かりますか。

            *

 娘は生まれたら七日目に奉し、息子は八日目に奉式をします。



  2.祝福、祝福式


 皆さんはの父母と完全な因を結ぶことができませんでした。ですからその因を結ぶためにしてあげるのが祝福です。

            *

 祝福が何かというと、神と一つになることです。神と一つになると全体を背負うようになります。神のすべてのもの、主体がもっている全体を受けるのです。

            *

 祝福の場はどんな場ですか。祝福の場は世界で最も良い立場です。その祝福の立場は誰と係を結ばなければならないのでしょうか。皆さんは自分自身で完成するのではありません。父母の愛によって完成されるのです。子供が父母のから生まれれば立派であってもそうでなくても、その父母の形態に似るのです。それと同じように統一教会ではの父母の道理をえてくれるのです。それが皆さんには福の中の福です。

            *

 祝福をしてくれるということは天の全を移すということを意味します。

            *

 祝福は天地で最も貴いものです。同時に極めて恐ろしいものです。もし夫婦が互いに他のこと(いけないこと)を考えたなら、それは相手を蹂躙することです。

            *

 皆さんからまず善なる先祖、地、が生まれるのです。ですから祝福を受けた人は目さえ開ければ天地を考えなければなりません。祝福は人に福をえるためのものです。落によって汚れた血統を承するものを換しなければなりません。これをしなければ原罪をぐことはできないし、原罪をぐことができなければの子女として祝福を受けられる段階に上ることができません。原理がそうなっています。落によって生まれた原罪をぐ血統換、すなわち血肉を交換する式が聖酒式です。

            *

 聖酒にはサタンの讒訴のない万物の要素がみな入っています。その聖酒を受けて、の父母と一つになった自分自身を汚す行をしたなら、サタンよりももっと汚れた立場に立つようになります。サタンは長成期完成を汚し、蹂躙したのですが、祝福を受けた者が間違えると完成期完成で神体を犯した罪がるようになり、永遠に許されません。これはに恐ろしいことです。

            *

 結婚式はすなわち愛の授式です。神の愛をもって父母が生きたように、皆さんも父母の愛を神の愛の代わりに受けて、このように生なさいという、愛の授式が結婚式です。

            *

 祝福を受けた人は界に行っても先生が永遠に責任を取ります。先生が主管して指導します。祝福とはこのように先生と永遠の因を結ぶものでもあるのです。

            *

 祝福を受け、間違えたなら必ず蕩減があります。間違いなくあります。過去には許されませんでした。だから統一教会は恐ろしいところです。原理がそうなっています。

            *

 先生は今まで新しい祝福、新しい家庭のための蕩減件を皆さんが立てられるようにしてあげ、皆さんの重い荷物を私が責任をもとうとしてきました。しかし先生が責任を遂行したにもかかわらず皆さんが天法を犯したとしたら、その罪は何十代の子孫まで引っ掛かる恐ろしいものです。

            *

 祝福の過程を通過した人ともう界にいった多くの人との値は、どう違うでしょうか。信仰の基準から見る時、それは相手になりません。このような天的な恩を投げ捨てるようになった場合にはサタンが皆さんを讒訴するようになります。天使長は長成基準でサタンになったけれど、皆さんは完成基準で落したのでサタンが審判するようになるのです。



  3.昇華、昇華式


 今日人間が死んでいくということが何かを知らなかったのです。それは悲しみではありません。次元の低い世界から次元の高い世界に愛の橋を通して移動することだというのです。ですから統一教会は死を昇華します。次元高く昇華するというのです。それは愛でのみ可能です。愛でのみ。

            *

 落しなかったら人が死ぬことは幸福です。それで統一教会は死を悲しみとして迎える教会になってはいけないとえるのです。ですから昇華式というのです。

            *

 統一教会では死んでお葬式をすることを昇華式といいます。死んだ人にすがって泣くのを見ると、死んだが嘆息するというのです。「このように無知で、私の行く道を綱で引っ張って行けないようにするのだ」と言うのです。そのようなことを知っているので統一教会では昇華式というのです。天に向かって聖なる飛翔をするというのです。愛の力をもって押してあげなければなりません。引っ張るのではなくて押してあげなければなりません。

            *

 昇華式という言葉は興進君の時から出てきたでしょう。愛勝日というものの、その愛勝とは何でしょうか。死亡に勝つことです。他の人だったら母親も身もだえし、はいつくばりながら痛哭することですが、母親がを流してはいけないのです。三日以にこの式をしてあげなければなりません。死亡に勝ったのだと宣布してあげなければなりません。ですから統一教会では昇華式が行われるのです。死亡を越えて喜びに向かって行くのです。昇華式をていく人たちは界のすべての峠をひゅうっと越えていくのです。もちろんそうできない者たちは途中で留まりますが……。それを知らなければなりません。昇華式とは興進君から始まったのです。

            *

 興進君が蕩減してこの死亡の塀を、死の塀をしてしまったのです。それで昇華式と言うのです。死は失望や落胆ではありません。落ちるのではなくて跳躍することです。昇華するということです。統一教会教会員たちは死にしての恐怖をもってはいけません。死はこのような自然の循環の法度によってくるのです。もっと良い世界に移してあげるための手きなのです。

            *

 自分の息子である興進が亡くなってもを流しませんでした。界に行くことは悲しいことではありません。解放のラッパの音とともに天の旗をげ、足取りも堂と百百勝して天下の錦を飾った旗をげて故り、民族と人類の歓声をあびて、堂と入ることのできる還故をするのです。悲しいことではありません。統一教会では泣きません。それをなんだかんだと言いますか。昇華式だというのです。

            *

 私の義理の母になる方も亡くなりましたが、統一教会は葬式とは言いません。何と言いますか。昇華式。昇華されるのです。的なこの世で生き的な世界の活動舞台に、無限な世界に行くのです。サタン世界では泣きわめくと悪霊ますが、そういう立場は悪霊が訪ねてくることができません。

            *

 では、統一教会では葬式を何というのですか。昇華式とは何ですか。化して一段階上がるというのです。今回おばあさんが亡くなった時も私は泣きませんでした。彼女の行く道を選んであげるのに忙しかったのです。孝子と言うならそれ以上の孝子がどこにいますか。

            *

 統一教会は死んだのちの葬式もそのようにはしません。昇華式です。どこに行くと思って生きますか。この世に怖いものがどこにありますか。天下に怖いものがどこにありますか。罪の世界、混した世界において自主的な中心の形態をもって、天地の度に合わせて神の愛圏内の垂直の立場に入るようになります。なぜ垂直の立場に入るのでしょうか。その立場には影がありません。すべてのものが完成です。その次に、これが回るようになるので、回る環境全体が垂直化されます。男性を中心として女性が一つになれば、その男性と女性を中心としてその環境は全部幸福になるのです。









(next section)
(CSG Index)