Book : 祝福家庭

Blessed Family



はじめに


 神様がアダム、エバを創造されたのは、祝福の夫婦として罪のない善の息子、娘をこの地に繁殖させ、天国を成すというところに目的があります。神様が人類の父母として主礼となられ、天の礼法と天法によって行われる天倫の大事として、アダム、エバが結婚式を挙げていたならば、彼らが正に人類の真の先祖であり、真の父母になるのです。ところがこのような天倫の秘密を悟れなかったアダム、エバは、堕落することによって、サタンを中心とした夫婦に転落してしまいました。


 したがって歴史始まって以来、一人も真の婚姻をした人がいません。聖書でも「小羊の婚宴」がなされる前の婚姻は、みな仮の結婚であると言っています。今日、歴史時代のこの世の婚礼は、人間中心の人倫の業です。どんなに豪華で、ぜいたくで、神聖に行われる結婚式でも、神様とは関係がないのです。この世の夫婦は、この世に生きている間、臨時に結ばれる、この世での配偶者であって、永遠の伴侶になることはできないのです。それであの世に行けば、ばらばらに別れるようになっています。


 それでは祝福結婚の意昧とは何でしょうか。祝福結婚は、六千年の人類歴史において初めて、真の父毎を通じて、エデンの園で成し遂げられなかった神様の祝福を今のこの時代に、私たちに成してくださる驚くべき約束の成就なのです。真の父母として地上へ来られた文鮮明先生は早くから、人間の堕落は、サタンとの不倫な愛の関係であるということをはっきりと解き明かされ、救いとは、祝福を通じて神様中心の血統への転換、父子の関係の心情圏を回復するところにあるとといてこられました。


 祝福は単なる結婚式ではありません。祝福は神様の子女に生まれ変わる聖なる重生の役事であり、サタンとの関係を断絶することによって原罪を清算し、新しい生命へと出発する核心的な儀式であるがゆえに、この祝福の関門を通過せずには誰も天国に行けないというのが原理です。祝福は堕落した人類が通過すべき公道です。

ぜひこの本が、このとてつもなく驚くべき祝福の意味と価値を真の御父母様のみ言を通じて明確に理解させ、はっきりと痛感し、祝福に同参させる恵みの道標となることを願います。


二〇〇二年十二月



第一章 真の父母と祝福

一 祝福の意義と価値

) 祝福とは何か

祝福の意義


 祝福は、真の父母と真の子女が出会い、創造目的を成し遂げることを意味します。


 神様は二性性相としていらっしゃいます。これをプラスに分立させたのが男性のアダムであり、マイナスに分立させたのが女性のエバです。そしてアダムとエバを再び合わせた姿のようなものが子女です。このように神様を中心として一代、二代、三代が形成されるのです。


 では、この三代の中で問題が起こったのは何代かといえば、二代目のアダム、エバの代です。アダム、エバが神様の愛を中心として一つになれなかったのです。もし、アダムとエバが神様の愛を中心として一つになっていたならば、神様が臨むことのできる因縁が決定され、そのことによって子女にも、神様と関係を結ぶことのできる愛の基準が連結していたことでしょう。それを「祝福」と言うのです。


 統一教会で行う祝福結婚式は、ただ単に男女が出会って一家庭をつくる婚礼式ではありません。今までの結婚式は、自分を中心としたものでしたが、私たちの結婚式は、神様に喜びを返すような内容をもって歴史を蕩減する貴い条件として、神聖で盛大に挙行します。私たちの結婚式とは、アダムとエバの堕落によって始まった神様の恨を解き、イエス様が成し遂げられなかった新郎新婦の基準を通過することだ、ということを「原理」は明らかに説明しているのです。


 「祝福」という言葉は、統一教会から始まった言葉ではなく、創世時から堕落した以後今まで、歴史過程を通じて神様の内心の中に一つの願いとして、神様がいつもこれを追求し願ってこられたものだということを知らなければなりません。


 そのような希望の一日を取り戻すために神様は、今まで受難の道を歩んでこられましたが、いまだにこの日を取り戻せないでいるのです。ゆえに、この一日を取り戻すならば、この日は歴史的な解怨が成就できる日となり、神様の歴史的な願いを成就できる日になるというのです。このようなことを考える時、この祝福の場が、どれほどとてつもないかという事実を知らなければなりません。


 人間の先祖のアダムとエバが堕落したその日から、人間は神様が祝福してくださる一日を待ち焦がれてきました。


 祝福の場は、過去から今までつづられてきた歴史過程における、あらゆる悲しみを清算することのできる場です。今まで成就できなかった神様の願いが、新たに出発できる場であり、新たな人間の未来が出発するきっかけとなり得る一つの基点なのです。


 今の時代は、蘇生、長成の段階を越えて、完成段階へと進んでいく時代なのです。縦につくられた歴史が横的に越えていくべき時代なのです。すなわち、六千年の歴史をすべて一度に越えていく時代なのです。ですからサタンの侵犯圏内を抜け出さなければならないのです。


 それでは祝福とは何でしょうか。今までの歴史的なサタン圏を完全に越えさせる関門なのです。


 祝福は、真の父母の因縁を継承することです。この日のために、先生は精誠を尽くして闘ってきました。したがって、真の父母がサタン世界と闘ったその看板を掲げて祝福するのです。

 先生が生涯で最も貴いと考えたものとは何でしょうか。祝福です。皆さんにとっても、人類歴史始まって以来、最高の贈り物は、祝福です。


 今日、皆さんは、まだ真の父母と完全な因縁を結ぶことができないでいます。ですから、その因縁を結んであげるためにしてあげるのが、統一教会の祝福です。


 祝福を受けた人は、霊界に行っても先生が永遠に責任を負います。先生が主管して指導します。祝福とは、このように先生と永遠の因縁を結ぶものでもあります。


 祝福をしてあげるということは、天の全権を委譲してあげることを意味します。


 祝福は、天国の門を開くことであり、天国は、子女をもって家庭が入っていく所です。


 祝福とは、永遠の宝物です。子孫万代を今から出発するという一つの契約です。ですから、それを汚す時には一族が関係します。イエス様を十字架につけることによって、一国家が関連することになったように、一族に連結されます。


 祝福とは、歴史が追求してきた万民解放の門を開く鍵なのです。


 祝福を受けるということは、とてつもない事実です。祝福を受けた人は、神様の代わりに「私が定めれば天宙も定める」という心で、主人として振る舞える人にならなければなりません。このような条件が備わってこそ、天が私たちを中心として生活理念を立てることができるのです。


 神様の祝福は、絶対的に公的なものです。その祝福は、ある個人だけのためのものではなく、またある家庭だけの、ある国家だけの、ある世界だけのためのものではありません。神様の祝福は、宇宙全体のためのものです。


 「祝福」という言葉は、福を祈るということです。祝願する(祈る、願うという意味)の「祝」という字です。福を祈るのに、どんな福が一番貴いのでしょうか。愛の福が一番貴いのです。統一教会は、そのような意味で「祝福」という言葉を使うのです。一番貴いもの、宇宙の公約を代表した一番核心的な起源が、男性と女性が結合するところから始まるので、その祝福が一番偉大だというのです。


 その偉大なものが福を祈れば最高の福になるので、統一教会では結婚式を「祝福」と言います。初めて来た人々は、こういうことを知らなければなりません。統一教会で「祝福を受けた」というのは、今日この世で「福を受けた」というのとは違います。神様の立会いのもとに、真の父母を通じて結婚式をしてもらったということです。


 今、あのイギリスの王室にある五三〇・二カラットのダイヤモンドは、昔アフリカでは石ころの扱いを受けていたのです。ダイヤモンドが世界で最も貴い宝石になることを誰が知っていたかというのです。きらきら光るのを見て、単なるガラスの塊だと思っていたのではありませんか。全く同じです。この貴い祝福を受けたことは受けたのですが、これがダイヤモンドであるにもかかわらず、単なるガラスだと考えているのです。何も知らずにいたのが、先生から話を聞いてから「ああ! 貴いんだな」と言っているのです。


 祝福の中で一番重要なものとは何でしょうか。お金ではありません。名誉でもありません。いかなる権力でもありません。息子、娘が栄えていくことです。皆さんがそれを知らなければなりません。祝福の中で一番良い福とは何でしょうか。息子、娘が天の愛を受けることができるように生まれることです。それは立派に生まれることです。


 するとどうなるのでしょうか。その息子が私より神様の愛をたくさん受ければ、恩恵を受けるようになります。そうではありませんか。山の谷間の向こうからこのように下りてきた電線のようなもの、この送電線のようなものを見れば、伸びていますが、ここでぎゅっと引っ張ればピンと張るのです。同じように、子供が天の愛をたくさん受けるようになれば、私がそれだけ落ちたとしても、ぐいっと上がることができるのです。恵みを受けるのです。


 祝福の場に参加する人がいるならば、彼はただそのまま一人の男性、あるいは一人の女性という立場で参席してはいけません。その場は、今まで六千年間この世に来ては逝った数多くの男性、あるいは数多くの女性を代表した場です。その場に皆さんが招請を受けたという認識をもたなければなりません。皆さんは、そういう事実を内情的な心情で体恤しなければなりません。


 祝福が成される今の時は、どのような時でしょうか。今は、神様の願いが成される最高の時であり、六千年間苦労してきた神様の恨が終わる時であり、この地へ来られ、御苦労された神様の息子、すなわちイエス様の願いが成される時です。それだけでなく、人間が創世以後、初めての愛が始まる時であり、万物の歓喜と尊貴と栄光を受けることができる時です。神様にとっても、この日がどれほど良いでしょうか。罪悪がみな消え、光明の太陽が昇った明るい天地を迎える日、すべての自然が和動し、すべての万象が踊る明るい朝、勝利の朝を迎える日です。


 先生は今、現実はこうですが、後日、先生が祝福した者の中から最後に残った一人が、世界的な人的資本として残り、栄光を受けることを希望して生きています。


祝福の価値


 皆さんは、摂理的に見るとき祝福がどれほど重要なのかを知らなければなりません。神様を中心として祝福を受ける場は、地上天国と天上天国が出合う場です。横的に、永遠な世界と瞬間的な世界が出合う場です。


 祝福は、天地で最も貴いものです。同時に、極めて恐ろしいものです。もし祝福を受けた夫婦が、互いにほかのことを考えるならば、それは相手を蹂躙することです。皆さんからまず善の先祖、地、国が生じるのです。したがって祝福を受けた人は、目覚めれば、天地を考えなければなりません。祝福は、人に福を分けてあげるためのものです。


 祝福の場は、恐ろしい場であり、ここでは、いい加減な自分の感情は通じません。一生命の価値は、宇宙よりも貴いものです。ゆえに、一人に責任をもつには、永遠を中心として責任をもたなければなりません。こういう問題が左右する場が祝福の場であることを皆さんは、はっきりと知らなければなりません。ですから自分の一生で、そのような一時をもったならば、彼は幸福な人です。このようなとてつもない祝福の場に皆さんが加担するためには、歴史的な決心をしなければなりません。


 祝福は、その価値を知って受けなければなりません。祝福を受けることによって、第三イスラエルの位置に立つようになるということを知らなければなりません。皆さん、祝福の意味と価値を知ってみると、祝福を受けずしては、人間完成の道へと行くことができません。結婚していない人々を大人として扱いますか。人間の世の中でも、処女が死ねば処女の怨霊で、チョンガー(独身の男性)が死ねばチョンガーの怨霊と言います。それは、誰かがそのようにしたのではありません。天道がそのようになっています。


 国の国王も国民もサインするのは同じですが、その内容においては天地の差があるように、祝福においても外的に見れば何でもないようでも、その内容と価値において見れば、とてつもない差があるのです。


 皆さんが衣食の問題が大変だといって、なすべき使命を忘れて、神様が下さった祝福をお金で売るのですか、そのような考えでしょうか。神様の祝福は、天と地を与えたとしても絶対に引き替えることができません。

 祝福には、全世界を与えたとしても引き替えられない価値があります。時には、私が祝福してあげたことを後悔することがあります。祝福は、一人の男性と一人の女性が神様のみ意を中心として、「真の愛を実行する真の父、真の母になれ」と言って、してあげたものです。


 祝福の場とは、どんな場でしょうか。祝福の場は、世界で一番良い場です。その祝福の場は、誰と関係を結ばなければならないのでしょうか。皆さんは自分自体で完成するのではありません。父母の愛によって完成するのです。子供が親の懐から生まれれば、立派に生まれたとしてもそうでなくとも、その親の姿に似るのです。それと同じように、統一教会では真の父母の道理を教えます。それが皆さんには、福の中の福です。



 八十歳を越えたおばあさんたちも、祝福を受けることができずに死ねば、天国に行けないという事実を知っているために、死んでいく最後の瞬間でも何千里も何万里も向こうに男がいても、その男と絹織り糸を結んで、祝福の条件だけでも受けたいと思うのです。統一教会ではこのようになっています。先生はこのことをやり遂げなければならないので、星回りが悪い人です。


 祝福を受けたということは、メシヤが二千年間の苦労によって地上に基盤を築き、選ばれた民族と教団と自分の氏族を中心として、新郎新婦の名前で出発することができる時が来たということです。皆さんが氏族的メシヤになることができるでしょうか。先生と父子の因縁が結ばれたがゆえに、サタンもどうすることもできないのです。このように祝福は、本当にとてつもないものです。


 イエス様が二千年の間、精魂を尽くして成したかったこととは何でしょうか。婚宴をしようとされたのですが、婚宴とは何でしょうか。正に祝福です。イエス様が二千年間願ってきた、その願いを成就する基準が祝福の婚宴です。婚宴しようとするならば、新郎の前に新婦が現れなければなりませんが、それがキリスト教の終末です。ですからキリスト教を越えずしては、天国に行くことができません。


 イエス様が来て、四千年の歴史を終結させて新しく出発しようとしたものとは何でしょうか。家庭がないために滅びました。家庭があったならば、氏族は自動的に時間がかかっても横的な面において歴史を通じて蕩減できるのです。そうなれば、イエス様の一族が生じていたでしょうし、イエス様の民族が生じていたでしょうし、イエス様の一国が生じていたのではないかというのです。そのようにすることができる家庭をもつために、イエス様が三十三年間苦労したのです。三十三年間苦労してももてなかった家庭なのに、皆さんは祝福の価値を知っていますか。祝福は、六千年間探し求めてきた恨の解決門なのです。


 「小羊の婚宴」は人類歴史上、初めて人間が祝福を受けて家庭的な救いの基準を立てることを意味します。これが六千年の歴史が探し求めてきたものです。「小羊の婚宴」をする新郎新婦が、真の父母の使命をもって現れることです。ゆえに、再臨主の祝福を受ければ、その家庭の救い主として、その家庭の救いの門を開くことになります。

 統一教会に入って皆さんが祝福を受けたということは、神様が四千年間摂理してこられた土台の上に、イエス様を送り、み旨を中心として家庭を復帰したという勝利的基準に立ったということです。それで皆さんの子孫は、復帰摂理において何の功労がなくても、皆さんの勝利の基準を通じて、四千年の復帰摂理で功臣となった先祖たちの恩賜を受け継ぐことができる立場に入っていくのです。


 エデンの園で、男性の前に女性を創造しなかったならば、どうなっていたでしょうか。女性がいるという事実は、宇宙的な真理です。奇跡の中の奇跡が、男女が存在するということです。片方だけ存在するとすれば、何も存在しないのと同じです。人類はおしまいです。統一教会の祝福の価値が、こういう角度から十分に分からなければなりません。


 一度相対者に会えば、それは永遠と連結します。宇宙を与えても、神様を与えても買えない本然の夫婦の愛に感謝して、強く大胆でありなさい。統一教会の真の愛を味わった者たちは、世界のどこへ行っても、その愛の光が共について回るようにならなければなりません。人類を、全宇宙を、真の愛を中心として愛さずしては、絶対に天国に行くことができないのです。


 「神様が変わらない限り、私は変わらない。過去、現在のいかなる人やいかなる物が、サタン世界の生命、サタン的愛、サタン的理想を私から完全に奪っていっても、私は行くのだ。さらには、神様が変わるようなことがあっても、私が神様を元に戻していくのだ。神様が絶対的でなければ私が絶対的にしてみせる」と、こういう考えをもたなければなりません。そのようになれば、神様でも絶対服従します。「私は、金の輝きのように、ダイヤモンドのように硬く、変わらない光をもっている」と、そのように考えなさいというのです。そのような立場で、そのような日を見つめて、神様がアダム、エバの祝福の一日を願っていたというのです。



 皆さんは、神様を探す必要はありません。それよりは愛が必要だというのです。この愛さえもてば、神様は自然に私のところに来るということです。私に捕らえられるというのです。ですから神様を探す方法は、世界人類を兄弟と思い、神様のように父母のように愛して行動することです。そうすれば、すぐに神様は私のところに来るというのです。それで宗教では愛を語っているのです。しかし、このことが成されなかったために、今日、統一教会はこれを再び復帰するために、このようなことをせざるを得ないということを知らなければなりません。祝福はこの場で受けますが、一つになり、これを中心として拡大さえすれば、この宇宙は皆さんのものになります。


 宇宙は、生きるか死ぬかの決定点です。


 三・一運動に参加した三十三人の中に李甲成という人がいるでしょう。今、その人一人だけが生きていますが、三・一運動について考えるとき、その人が大統領よりも高いですか、高くありませんか。それは尋ねるまでもなく、より高いというのです。同じように、先生を通じて祝福結婚をした人は、世界的な栄光を受けることでしょう。

 たとえ一番最後に結婚した一双が、夫婦とも、目も一つなくて、鼻も曲がって、耳も一つなく、腕も一つない不具の中の不具であったとしても、彼らは世界的な栄光を受けるようになるでしょう。そのような身体上のことが問題ではなく、先生を通じて祝福を受けたということそれ自体が問題になるということです。それは数億万ドル与えても買うことができないのです。私たち統一教会のお嬢さんたち、それを知っていますか。どれほど知っていますか。


祝福は人類が通過すべき公式路程


 統一教会を中心として成される合同結婚式は、統一教会にだけ限られる結婚式ではありません。これは、全人類が必ず通過すべき公式的な路程なのです。これをはっきりと知らなければなりません。それでは祝福結婚式をやらなければならない根本的な原因はどこにあるのでしょうか。それは、私たち人間の始祖が堕落したからです。


 もし人間の始祖が堕落しなかったならば、今日、私たちが祝福を受ける、このようなことはなかったはずです。しかし堕落することによって、再び神様の主管圏に越えていかなければならない復帰路程が残るようになったので、私たちはこのような道をさかのぼっていかなければならないのです。今日、人間たちが宗教を信じるのも、このためであり、歴史が指向してきたのも、やはり同じです。


 これから人類は、どこへ行くべきでしょうか。「全人類は祝福の門を通らなければ、天国に行くことができません。数多くの人々がキリスト教を信じていますが、そのキリスト教自体も祝福という門を通らなければ、天国に行けません」。このように言えば、キリスト教では、「統一教会のレバレンド・ムーンは独善的な発言を多くする」と不平を言います。こういう考えをする人、またそのように話す人がいるかもしれませんが、それはその人たちの言葉であって、統一教会でいう祝福結婚は、堕落した人類にとっては必ず行くべき道なのです。どんなに反対しても、霊界と肉界を連結して天国に入っていく上で重大な問題となるのが、この祝福結婚だというのです。


 結局、最後の目的はどこにあるのでしょうか。真の家庭を取り戻そうということです。これが堕落した人間が探し求めてきた最高の目的なのです。この真の家庭を成すためには、真の人が出てこなければなりません。真の人の中でも真の男性が先に出てこなければなりません。その真の男性が真の女性を探して立てて、神様を中心として聖婚式をすることによって、初めて真の家庭が出現するのです。


 人間が堕落することによって、こういう起源をもつことができなかったので、私たちは今までのすべての家庭を否定し、新しく神様の摂理のみ意に従って、このような家庭的基準を踏んで越えていかなければならないのです。もしその基準を越えていくこができなければ、堕落した人間は本然の世界へ戻ることができない、というのが原理的な見解です。


 堕落した人間たちは、誰でもこの公式的な条件をたどっていかなければ、神様の前に立つことができないということを知らなければなりません。

 天国理想は、結婚して家庭をもたなければ成されません。統一教会ですべての善男善女たちが祝福を受けなければならないというのも、天国理想を実践していくためです。未婚者はもちろん、既に結婚した人であっても、一定の基準を備えて再び祝福を受けなければなりません。すべての人が祝福を受けなければならない理由は、創造理想世界へ帰るためです。もともと創造理想の世界は、真の男性と真の女性が祝福を受けてつくっていく世界ですが、堕落によってそういう愛の歴史が一度も現れなかったのです。


 堕落とは、サタンを中心として結婚式をしたことです。サタンを中心として結婚したので、神様を中心として、神様のみ名によって結婚しなければなりません。その結婚は、世界史的な結婚です。一民族の中での結婚ではなく、民族を越えてサタン世界を超越した立場での結婚です。サタン世界を越える場です。


 エデンの園において本来アダム、エバの息子、娘の結婚式は、神様の命令によってアダム、エバがするのです。私たちの結婚式も同じ理致です。それで私たち統一教会では、真の父母のみ名によって祝福してあげるのです。今までこの世で、自分のお母さん、お父さんが結婚の主礼に立って結婚式をするのを見たことがありますか。そのような人はいないのです。それを見るとき、この世には完成した人がいないということを物語っています。

 結婚式は、正に愛の伝授式です。神様の愛をもって父母が生きるように、皆さんも父母の愛を神様の愛の代わりに受けて、「このように生きよ!」という愛の伝授式が結婚式だというのです。神様の愛を父母から受けるのです。ある有名な人から受けるのではありません。それは天使長がしてくれる結婚です。名のある人が片方だけ来て結婚式をするのは、みな天使長にしてもらう結婚式です。


 愛で堕落したがゆえに、復帰するにおいても、天を中心とした新しい父母の愛と関係を結んでしなければなりません。それで統一教会で合同結婚式をする時は、先生とお母様、二人でしてあげるのです。それが愛の伝授式です。ここで造成された伝統は、永遠の伝統になるのです。革命は必要ありません。このように革命の必要のない新たな伝統が、この天地間に立てられるとき、ここから新たな家庭と、新たな氏族と、新たな民族と、新たな国家と、新たな世界が形成され、この地球星を主管することができるのです。


 誰も手をつけられないことに統一教会は着手して、再創造の道へと導いてきたのです。これができる日には世界が一つになるのであり、悪のサタン世界を天の国へと転換させることができるのです。今日米国が、若者たちが自ら相対を得られるようにしてきたのはおかしなことです。キリスト教文化圏なのに、聖書が認めないことをやっているのです。これは物質文明と共にサタンに侵食され、サタン側的な自由主義によって、そのようになったと見るのです。


 ところが皆さんは、なぜそのようにしませんか。サタンがやってきたことを、私たちはすることができません。愛とは何でしょうか。神様から、父母から受け継いだ結婚をするのが原則であるにもかかわらず、神様と関係のない自由結婚を唱えたことが堕落なので、これを根本的に根絶しなければ、天の国に戻ることができません。


 ここは、天道を立てる所です。私は死んでも原理原則を立てるために、私の生活を捧げてきたのに、この結婚という問題に対して、皆さんの言うことを聞いて、適当にする男ではありません。


) 祝福から見た真の結婚観

真の結婚は神様の形状に似るためのもの


 結婚は、なぜするのでしょうか。神様の姿に似るためです。神様は二性性相でいらっしゃる方として各一性が合体化した一体的な存在であられ、その神様の分性的人格自体が男女なので、彼らが合性一体化することによって、種のようになり、神様の本性の場に戻らなければならないのです。


 結婚の最高の神聖さを私たちは謳わなければなりません。男性と女性が愛することができる道は、結婚生活なのです。そのように一つになることによって誰に似るのでしょうか。神様に似るのです。男性と女性が一つとなってこそ、御自身の形状どおりお造りになった神様に似るのです。そうしてこそ神様が臨まれるのです。


 原理について考えるとき、アダム、エバが堕落せずに完成していたならば、結婚式の場へと進んでいたことでしょう。言い換えれば、アダム、エバが神様の実体対象として神様が主体になられれば、彼らは対象になるのです。そのような立場で、愛の主体なる神様から対象的な立場の愛を連結させることができるその土台として個性を完成し、結婚することによって、祝福は成されるということを知っています。


 完成は結局、結婚をいうのであり、結婚は、神様の愛の顕現をいうのです。別の言い方をすれば、結婚がなかったとすれば、現在、人類のこの世における愛というものが始まらなかったと見るのです。その愛の主人とは誰でしょうか。人間ではなく神様だということを私たちは知らなければなりません。


 結婚は、創造理想を完成するためのものです。すなわち、創造目的を成し遂げるためにするということです。すると創造目的は、誰の目的でしょうか。アダムの目的である以前に神様の目的です。ですからアダムが喜ぶ前に神様が喜ばなければならないのです。そのようにならなければなりません。このように見るとき、結婚を誰ゆえにするのでしょうか。神様ゆえにするのです。言い換えれば、神様の創造目的というみ旨のためにするのです。み旨は創造理想を完成することです。


 結婚をなぜするのでしょうか。アダム、エバが自らの愛を探していくためのものではありません。縦的な神様の愛を核として、その核を中心にその分身として一つの球形を成すためのものです。それが理想です。神様の創造理想もそういう愛を中心として結着するのであり、人間の男性と女性も成熟して、そこで愛の結着点が生じ、生命が連結されるのです。ですから生命によって連結されるのではありません。愛によって連結されるのです。縦的父の愛と横的夫婦の愛を中心として、本然の愛の種が初めて連結されるのです。

 成熟したアダム、エバが愛の因縁を結ぶことができるその時になれば、神様は二性性相としていらっしゃるので、男性性相はアダムに臨在し、女性性相はエバに臨在するのです。神様が私たちの体と心の中に臨んで、神様が結婚式をするのです。アダムの心は至聖所のようなもので、アダムの体は聖所のようなもので、その中に神様がいらっしゃるのです。そのようになっていたなら、アダムは神様の体になるのであり、エバも神様の体になるのです。

 神様の男性格的性稟に似たのがアダムであり、女性格的性稟に似たのがエバです。この二人が結婚式をすることが、宇宙の王権を立てる式ではありませんか。それは何の王権ですか。愛の王権です。


 結婚をなぜするのでしょうか。神様を愛するために。神様を愛して何をするのでしょうか。神様の軸と一致するためです。一致して何をしようとするのでしょうか。一致すればどうなりますか。なぜ一致しようとしますか。絶対的な神様の愛を中心として、永遠の愛を中心として永生がなされるのです。それだけではありません。そのように接触した、そこから宇宙の相続権が伝授されるということを知らなければなりません。愛を中心として造られた被造世界は、神様のものですが、私のものとして相続権が与えられるのです。



 結婚した夫婦の愛というものは、神様の縦的な愛に接ぎ木されるのです。神様の縦的な愛と一つになるときは、これを離す者がいません。しっかりくっついていて、離す者がいないのです。ですから人々が生きる生活において何がどうであれ、愛の道を求めていくのです。


 自らの価値をどのように取り戻すのか、これが問題です。男性として生まれたのは、女性のためであり、女性として生まれたのは男性のためです。この男性と女性がなぜ一つにならなければならないのでしょうか。一つにならずしては神様の愛を感しることができないからです。これが問題です。男性と女性が完全な愛によって一つにならなければ、神様の愛を所有できないということです。結婚をなぜするのでしょうか。神様の愛を所有するためです。



 絶対的な神様も、愛が絶対的に必要なので、絶対的愛の対象が必要だというのです。


 アダム、エバが完全に成熟して新郎新婦として神様の前に対象圏を成して、神様の祝福を受けることによって、神的愛による家庭になったならば、それが本来エデンで堕落しないで成し遂げていた完成圏でした。その完成圏に現れたアダム、エバになっていたなら、その場は、どんな場でしょうか。祝福を受ける場です。


 福の中で一番貴い福は、神様の愛です。その次は、神様の創造の権限を引き継ぐことです。神様がアダム、エバを創造したように、創造的権限を与えられるのが子女なのです。皆さんがなぜ子女を愛しますか。神様の創造の偉業を横的に実体圏で受け継いだのと同じなので、アダム、エバを造っておいて、神様が喜んだその喜びを代わりに感じるためです。

 その次は、神様が天地万物を主管されたように、万物を主管させるために、私たちに主管権を与えました。したがって結婚するその時には、神様の愛を相続して、再創造の権限と主管権を完成圏に立って受け継ぐようになるということを皆さんが知らなければなりません。それで結婚式というものは、愛の顕現をいうと同時に、創造権と主管権を与えられるものです。


 創造理想は、自らを中心として成されるのではありません。すべての心情が主体的な神様と一体となって、神様が動ずれば私が動じ、神様が静ずれば私も静じ、心情的一致点を中心として内外が一つにならなければならないのです。このように神様の前に和することができる基準を立てなければ、創造目的を成し遂げることができません。


結婚は愛の完成のためにする


 結婚自体は何でしょうか。結婚をなぜするのでしょうか。何ゆえにするのでしょうか。男性に会いたくて、女性に会いたくて、するのではありません。愛を完成させるためにするのです。男性が探さなければならない愛は、女性でなければ見つかりません。一人では絶対に見つかりません。女性が探さなければならない愛は、男性でなければ絶対に見つからないのです。


 男性が個性完成をしようとするならば、相対完成をしなければならないので、結婚をしなければなりません。結婚をしなければ、愛圏内に行けません。なぜ結婚をしなければならないかといえば、お互いに神様の愛に接するためです。神様の愛に接するために、男性と女性は結婚しなければならないというのです。男性と女性が結婚して、神様の愛がそこに臨むことによって、愛を中心として一つになるので、神様が、その時から宇宙と神様御自身を相続させてくださり、神様の愛まで相続させてくださり、神様に属するすべてのものを相続させてくださるようになるのです。


 結婚は、なぜするのかといえば、自分の個人的愛を完成させると同時に、相手の愛を完成させるためです。個人の愛を完成させると同時に、神様の愛を完成させるために私が結婚するというとき、気分がどんなにいいですか。地上に神様が愛することができる土台を準備するために、男性と女性は結婚しなければなりません。

 二人が愛によって一つになったその基準の上に、初めて神様の愛が訪ねてくるのです。結局は、神様の愛のために、また神様の愛のために生きることは、私が神様の愛をもつためなのです。「ため」に与えるから愛が来るし、愛が来るので神様の愛を自分のものにすることができるのです。


 結婚の目的は、男性と女性の心の世界を一致させようということであり、男性と女性の愛の完成のためのものです。それで結婚したということは、「そういう証拠を見せる」と宣布したということです。


 結婚生活を通じて、愛の完成と心の完成を成し遂げたとすれば、家庭の理想を実現したと見ることができます。それで死ぬとき、これを成し遂げたとすれば、間違いなく天国に行くというのです。

 私が結婚をするのは、私だけのためではなく、相手のためのものでもあります。結婚が自分より相手のために行われるというのはどういうことでしょうか。天地間のすべての理致が、主体と対象でできているように、男女が結婚するのも天地間の道理です。男性が右側ならば女性は左側になりますが、それは宇宙間の横的な関係を成すためであり、男性が主体ならば女性は彼の対象になりますが、それは神様との縦的な上下関係を成すためです。したがって結婚とは、男性だけのためのものではなく、また女性だけのためのものでもない、天理の法度を合わせるためにするものです。それで男性と女性は、互いに異なる姿を備えています。天理の法度を合わせることができるように生まれたのです。


 女性が男性を迎えるのは、男性の世界を得るためです。女性が男性の世界を得て何をしようとするのでしょうか。それは愛の一体を成すためです。


 男性は女性を探していくために生まれ、女性は男性を探していくために生まれました。女性と男性は、二人が合わさって、より次元の高い神様の愛に接するために生まれました。一人では、その愛に接することはできません。一人で接しても、それは一方的です。立体的で球形的な愛に接することはできません。それで、男女がより高い次元の立体的な愛の圏内にジャンプするために結婚するのです。


 本然の世界において男性と女性が一つになればなるほど、その力の作用において偉大な中心が生まれて球形になるのです。横的に連結すればするほど、縦的な力の愛の母体が連結し入ってくるということです。そこで体と心が一つになるのです。


 結婚は私のためではなく、相手のためにするという信条をもたなければなりません。結婚するとき、優秀な人、きれいな人を得ようとするのは誤った考えです。人間は人のために生きるべきだという原則を知ったなら、結婚をする時にも、相手のためにするという観念をもたなければなりません。どんなに醜い人であっても、美人よりもっと愛そうという信念をもつことが、原則的な結婚観です。


 神様の最高傑作品として造られた美しい男性と女性が、神様を中心として愛し合うことができるならば、それは最高の愛であり、超越的な愛であって、この世的な愛ではありません。その愛は、最高の美しい愛であり、愛の中の代表的な愛であり、永遠に輝くことができる愛です。


 新郎新婦は、お金や権力、名誉を中心として一つになるのではなく、神様の本然の愛を中心として一体にならなければなりません。

 人間として生まれて相対を神様のように愛して、人類のように愛して、この世界の誰よりも愛することができるという観念が立たずしては、天の国に復帰されません。一男性として一女性を愛することができなければ、神様と人類を愛することができないのです。


結婚は天地合徳、宇宙合一の道


 結婚とは何をしようとするものですか。発展するためにするのです。何の発展をするためにですか。神様の愛を発展させるためのものです。神様の族属を発展させるためのものです。血統を発展させるためのものです。


 結婚をなぜするのでしょうか。天国へ行くために、そして人類のためにです。男性の前にいるその女性は、神様の娘であり、人類の娘であることを男性たちは知らなければなりません。人類が愛する女性として愛することができ、神様が愛する娘として愛することができれば、夫になる資格がありますが、そうでなければ失格です。女性は、その反対です。「あれは私の男だ」と考えるなというのです。私の男だという以前に、神様の息子であり、人類のすべての男性を代表した男性だと考えなさいというのです。

 人類が愛する以上に愛することができ、神様が愛する以上に愛することができる女性になればいいのです。それで私が男性としての右足になり、女性としての左足となって、人類のために生き、神様のための愛の足跡を、家庭を通じて残そうという考えをもって結婚しなければなりません。

 右足は夫であり、左足は妻であるということは、結婚をしなければ片足が不自由になるということです。また右足、左足が完全でなければなりません。どちらか片方だけで、完全でなければ、片足が不自由になります。ですから完全な男性と完全な女性になってこそ、円満な結婚ができるのです。それで私が夫を好むのは、人類を好むことであり、神様を好むことであり、また夫を愛することは、人類を愛することであり、神様を愛することです。


 結婚は、厳粛なものです。結婚は、天地が合わさることであり、東と西が合わさることであり、南と北が合わさることであり、上と下が合わさることです。それでは愛というものは、どこへ行くのでしょうか。二人が一つになって、愛はどこへ行くのでしょうか。なぜ愛を探していかなければならないのでしょうか。そうすることによって、そのすべての環境の中心の場に行って立つのです。私の家庭がなければ、この社会では不完全です。信じてくれないのです。それは宇宙存続の原則に不合格であるために、その価値を認めないのです。それは理論的です。


 男女が合わさることは、天地が合わさることです。


 男性は天を象徴し、女性は地を象徴します。二人が合わさって調和を成し、水平線を成さなければなりません。


 男性と女性が愛し合って抱擁するそれ自体が、宇宙が一体を成す場となります。神様の理想の中で成される創造本然の姿は、そのようなものです。


 私たちの結婚観は、「宇宙で一番すてきな宇宙シルクの布団を敷いておいて、その中で愛し合う!」と、そのように考えるのです。愛を中心として所有権を私一代で決定する瞬間だというのです。私の当代に所有が決まるのですが、その所有とは、女性の所有が決定されるということです。その女性とは、どんな女性でしょうか。宇宙の半分です。これをつかむ日には、私のおしりに宇宙がついてくるのです。考えてみてください。また、女性はなぜ結婚しなければならないのでしょうか。「男性にくっついて半分(一八〇度)と半分が合わさって、二人が宇宙の価値に対等な作用圏をつくるために結婚する!」と、このように考えるとき、統一教会の思想はすてきだというのです。


 皆さん、香りのない花は好きですか。香りのない花には無関心です。「私は、花になるならば緑色の花になろう」と言いますか。緑色の花を見たことがありますか。私は植物園に行っても、今まで緑色の花は見たことがありません。木の葉のような花は、咲いても咲かなくても意味がないでしょう。それを見れば、天地の理致は実に奥妙だというのです。それ一つ見ても、「神様がいる」と言わざるを得ません。


 葉がみな緑なのに、緑色の花があり得ますか。ただ、緑に近い花が一つあります。それは、唐辛子花というものですが、それも細かく注意深く見れば緑ではありません。内容を見れば、赤などもあります。それは自分を現すためです。現すのは、この世の調和圏に入っていくためです。天地調和の創造法に適用されるためには、自分を現さなければならないということです。私たちの結婚観は、このようにすてきなのです。そういう結婚、私たち統一教会の結婚観がどれほど素晴らしいでしょうか。


 この世で盛んに行われている自由結婚は、サタンが人々を堕落させて、神様の前に行くことができないようにするためにつくったわななのです。そのわなに引っ掛かれば、死んでサタンの支配を受けたり、餌食にならざるを得ません。今日の西欧社会、特に米国は自由結婚が盛んに行われることによって、真の家庭が成されず、家庭生活に失敗した人たちが日増しに多くなり、遠からず家庭をもたない人が多数を占めるようになるでしょう。

 そのようになれば米国社会は、愛に渇いた社会になり、不信によって不安と恐怖が支配する地獄のような社会になるだろうと、自信をもって確言できます。このような時点に立っている皆さんには、このような社会風潮を一掃して米国社会に愛があふれ出る、神様が願う社会を建設しなければならない義務と使命が与えられているということを知らなければなりません。


 私たち統一教会は、結婚観が違います。結婚というものは根本へ帰るためのものです。


) 祝福を受けなければならない理由

堕落によって偽りの父母から生まれた


 アダム、エバは堕落のゆえに血統が変わったというのです。誰の愛によって? 神様の怨讐、姦夫であるサタンの愛によって、サタンの生命体になったのです。男性の生命体、女性の生命体が、サタンの愛に入り混じって一つになり、その二人によって結実したのが、息子、娘です。したがってその息子、娘は、サタンの愛、サタンの生命、サタンの血統を継承しているのです。


 聖書的内容を観察してみれば、人類始祖が不倫な愛をすることによって、悪魔サタンを中心として父子の関係を結んだという事実を否定できません。神様の血筋を受けて、神様の絶対的な愛の中で神様の直系の息子、娘として生まれなければならない価値的な人間が、悪魔サタンの血統を受けて、サタンの息子、娘として生まれたというのです。ローマ人への手紙第八章に「御霊の最初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子たる(養子の)身分を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる」(二三節)と記録されています。養子は血筋が違うのです。これが私たち人間の正体なのです。


 ローマ人への手紙の第八章を見てください。「御霊の最初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子たる(養子の)身分を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる」(二三節)とあり、「あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷(僕)の霊を受けたのではなく、子たる(養子の)身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは『アバ、父よ』と呼ぶのである」(一五節)と書いてあります。養子にしかなれないのです。今、キリスト教徒たちは養子なのです。養子は血筋が違うのです。血筋が。

 ヨハネによる福音書の第八章四十四節を見れば「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている」とイエス様が言われました。ここで「父」と言われたので、血筋が、先祖が悪魔ではありませんか。ですから割礼とは何ですか。陽部を切ることです。このようになっています。善悪の実とは何でしょうか。


 もともとサタンはどんな存在ですか。悪魔という存在はどんな存在かといえば、神様の僕です。ところがこの僕が主人の娘を強奪したのです。これが堕落です。聖書に出てくるその堕落とは何かといえば、エバが善悪の実を取って食べたことが堕落だといいますが、善悪の実とは果物ではありません。僕が主人の娘を強奪したことです。


 将来、代を継ぐ息子と娘を生み育てて、神様の理想を成就しようとしていたのに、僕としてつくった天使長が主人の娘を強奪したことが、人類の堕落の起源となりました。全くそんなことがあっていいでしょうか。天地がそのようになったというのです。複雑にからまった内容ですが、皆さんが「原理」を聞けば、大体分かるでしょう。


 堕落した結果、どうなったのでしょうか。私たちは死亡圏内に落ちました。神様が、「善悪の実を取って食べたら必ず死ぬだろう」と言われたみ言のとおり、死亡圏内に落ちてしまいました。堕落した結果、どうなったのでしょうか。ヨハネによる福音書第八章の四十四節を見れば、悪魔サタンが私たち人類の父になったとイエス様は指摘しました。神様を父として侍らなければならないアダム、エバが堕落することによって、悪魔サタンを父として侍るようになったという、この恨めしい事実が、堕落の報いであるということを知らなければなりません。


 アダム、エバが堕落しなかったならば、神様を中心としたアダム直系の長孫の子女たちが出てきたことでしょう。アダムは長孫であり、真の父であり、王です。地上の国と天上世界の王です。また真の父母であり、真の長子です。ですからアダム家庭は、天の国の王室です。

 それでは、アダム家庭のおじいさんは誰でしょうか。神様がおじいさんです。その次に、お父さん、お母さんはアダム、エバです。そして過去の立場を身代わりした観点で見れば、おじいさん、おばあさんは神様の代わりであり、また神様は父母の代わりです。縦的に見れば、一代圏、二代圏、三代圏を中心として、神様が家庭に着地するのですが、一代圏が横的に展開したのがおじいさんであり、二代圏が父であり、三代圏が私です。それで息子、娘を中心として万世一系の天的皇室を受け継ぐのです。


 真の父母権、真の王権、真の長子権、これがアダム、エバが出発しなければならなかった原点です。そこに神様の王宮があり、神様の愛があります。そして人間と創造主が一つに連結され、真の愛の基盤になるのです。そこが完成した本然のアダムの家庭基盤であり、神様が永遠に臨在することのできる神様の王宮です。


 堕落しないで、完成の場まで行ったとするならば、アダム、エバは個人完成だけでなく、宇宙史的な完成をしていたはずです。また、神様の愛を中心とした新たな家庭が出発していたことでしょう。このように家庭から氏族、宗族、民族、国家、世界が成されていたならば、神様に侍る一つの大家族社会になっていたでしょう。


 このような大家族社会の中心は、神様とアダムです。それでその世界では、神様を中心としたアダム家庭の生活や一生の路程が歴史的伝統として残されるのです。彼の生き方、風習、慣習、彼の生活的な背景が歴史的伝統になるのです。それは神様の愛を中心とした伝統でないはずがありません。神様の愛は生命の根源であり、すべての理想の源泉なので、その懐を離れようとしても離れることができず、離れたとしてもまた帰ってこざるを得ません。


 アダム、エバの堕落は、アダム、エバだけの堕落ではなく、全般的な人類歴史を総合した立場での堕落です。言い換えれば、アダム、エバが堕落したというのは、善の父母になることができず、悪の父母になったということです。悪の父母によって悪の子女が生まれ、悪の子女が生まれることによって悪の氏族、悪の国家、悪の世界が形成され、この世界圏内に五十億の人類が存続しているのです。

 こういう堕落圏内にある今日の人類歴史は、喜びの歴史ではなく、悲しみの歴史であり、人類も喜びの人類ではなく、悲しみの人類であるに違いありません。愛を知るようになるとき、すべてのものが通じます。地上世界の平面的な事実だけでなく、霊眼が開いて、立体的な世界までも分かるので、神様を直接見て、接することができる境地に至るようになります。ところが愛の知覚が発達する前に、堕落してしまいました。天使長との不倫の関係を結んだのです。これが宇宙を破綻させた根本原因になったのです。


 こういう話を、お金を払って聞くことができますか。自分の家を売り、財産をはたいて、千年、万年祭祀を捧げても教えてくれる人はいません。統一教会の文先生しかいないのです。これは宇宙の秘密です。聖書にもこういう内容はないでしょう。聖書では、善悪の実を取って食べて堕落したといいます。善悪の実とは何の果実ですか。そのように幼稚園生にも劣る実力でもって、博士学位を検証し、博士の総会長になった文総裁に「異端だ」と言うことができますか。自分が異端でしょう。異端というのは、終わり(端)が異なるのではなく、終わりが見えないということです。


 私が解き明かした原罪と堕落の曲折は、人間の最初の家庭で起きた天使長との不倫の事件でした。「統一原理」でいうサタンは、観念的存在や仮想の存在ではなく、霊的実体です。神様の愛の理想を破壊して、神様の血統をサタンを中心とした血統に変えた元凶です。イエス様もヨハネによる福音書第八章で、人類の父が悪魔であることをはっきりと語られました。神様が御自分の外的体であるアダム、エバを通じて実現なさろうとしていた愛の理想を剥奪した愛の姦夫が、まさしく悪魔サタンなのです。皆さんには耳新しいでしょうが、私が霊界を開拓して宇宙の根本の曲折を究明しようと血涙のにじむ闘争をした結果、得た結論がこれです。皆さんも真剣に祈祷すれば、解答が得られるでしょう。



怨讐の血統を受けた


 堕落人間は偽物になったので、接ぎ木しなければなりません。血統的に見れば、皆さんは先祖が違うというのです。なぜ養子にしかなれなかったのかといえば、お父さん、お母さんが違うからです。ですから統一教会で、愛によって堕落したと主張するのを否定することができません。聖書を見れば、善悪の実を取って食べて堕落したと書かれています。善悪の実とは何か知っていますか。善悪の実は果実ですか。風が吹けば、落ちてごろごろ転げ回る果実でしょうか。違います。

 アダムとエバの心にサタンが入って、一つになったので、サタンの血統を受け継いだというのです。愛の神様がなぜサタンを許せないのでしょうか。強盗、殺人も許し、みな許すと言ったのに、イエス様を信じるならば許されると言ったのに……。サタンを許してあげることができない理由とは何かといえば、人類の血統を汚したからです。それは何のことですか。神様の立場から見るとき、サタンは姦夫です。愛の姦夫。何のことか分かりますか。


 サタンを中心として結婚式をしたので、サタンを中心とした愛、サタンを中心とした生命、サタンを中心とした血統を受けなかったと否定することができません。もし善悪の実を取って食べずに堕落しなかったならば、神様を中心として結婚式をしていたことでしょう。統一教会の父母様が皆さんを祝福してあげたように、アダム、エバが成熟したあとには、神様が呼んで、祝福してあげたはずです。


 アダム、エバが善悪の実を取って食べずに完成していたならば、天地を創造した大王の息子、娘になるのです。大王の息子、娘というのは、その直系の長男、長女とは何ですか。正に王子、王女になるのです。天の国を代表した地上の王国を治めることのできる基盤になります。王権は二つではありません。一つだというのです。


 神様の手によって直接造られたひとり子、ひとり娘がアダム、エバです。アダム、エバが堕落したので、問題になったのです。それでは、堕落することによってどうなったのでしょうか。「取って食べるな」と言った善悪の実を取って食べて堕落しましたが、「取って食べるな」と言ったその言葉を実践していたなら、どうなっていたでしょう。キリスト教は、そのことを考えることができませんでした。考えてみても分からないのです。それは蒼々たる大海なのです。深いか浅いかについて、深さを測ろうとしても、それを測定する方法がありません。分かろうにも分かるすべがないので、無条件に信じなければならないという冠をかぶせたのです。けれども、無知には完成がありません。


 体を打つというようなことをなぜするのでしょうか。サタンの血、神様の怨讐の血を受けたからです。神様の怨讐とは誰かといえば、姦夫です。神様の愛の怨讐です。その姦夫の血を受けたのです。天国の王権を受け継いで皇后になることができたはずのエバが、悪魔の配偶者になり、僕の対(妻)になりました。これは天地の秘密ですが、先生の時代になって初めて暴露されたので、サタン世界は退かなければなりません。


 無知には完成があり得ません。サタンとは誰ですか。神様の姦夫です。こういう問題を見抜いたのに、これをみな伏せておいて、天国へ行きますか。伏せておいて救いを受けますか。とんでもないことです。でたらめな者たち! そのように信じて救われるのなら、私たちのような人は、とうの昔にみな救われて余りあるというのです。このように苦労しません。


 悪魔は、なぜ神様を憎むのですか。神様は、なぜ悪魔を憎むのですか。キリスト教の論理でいえば、キリスト教は「怨讐を愛せよ」と言っているのに、神様は怨讐であるサタンをどうして愛することができないのでしょうか。愛の怨讐を愛せば、天地がなくなるというのです。治める法がなくなります。存在する法がなくなるのです。


 サタンが神様の理想的愛を破壊させ、理想的生命、理想的血統を蹂躙したのです。そうして子供を生んだのですが、それが人間たちです。サタンの愛の表示、生命の表示、血統の表示であるその息子、娘を、神様は干渉できません。


 サタンがなぜうんざりするほど、今までの人類歴史において、道義の道を行こうとする人のところに例外なくやって来て、首を押さえて、背中に乗り、犠牲にするというようなことをやってきたのでしょうか。そのサタンとは、神様にとっては、神様の家族を奪っていった、強奪していった姦夫だというのです。お母さんが本来、神様に仕えて平和の王国を成し、平和の天地を成さなければならないのに、お父さんと私たちを追い出したというのです。サタンが入って、今日の人間をこのような姿にしてしまいました。何か他の罪を犯したのではありません。



 堕落は、血統の否定的動機から始まった事件でした。それで堕落の結果が現在まで原罪として遺伝してきているのです。血統を転換しなければなりません。なぜ血統を転換するのでしょうか。サタンの血統を受けて継承したので、血統を正さなければなりません。皆さんは、これをはっきりと知らなければなりません。

 サタン圏に属している人たちは、神様の血統とは全く関係がありません。すなわち、善の父母の子女として生まれなければならない人類が、悪の父母との因縁によって生まれました。それで悪を中心とした家庭、氏族、民族、国家、世界へと拡大されたのです。


 堕落とはいったい何でしょうか。生命の因縁が切れたということです。アダム、エバがどうなったかといえば、アダム、エバが関係して神様と一つになるべきところを、僕と一つになってしまいました。結局、神様の血統を受けなければならないこの人間たちが、僕の血統を受け継いだということです。ですから、堕落した人間たちがどんなに神様を父と呼んでも実感がわかないのです。それで自分のお父さん、お母さんがしたのと同じように、サタンの本性を引き継いで、自分を中心としてすべてのものを考えるようになり、天も何も、高いものはみな自分と連結させるのです。


 堕落することによって、真の父母を失い、真の夫を失い、真の子女を失ってしまいました。失うようになった動機は、エバと天使長によるものでした。こういう観点で見るとき、この地に生きている女性たちは、天使長の父、天使長の夫、天使長の兄に頼って生きているのです。ですから女性たちは悲惨なのです。裕福な家のお嬢さんが、自分の家の僕と暮らす立場になったのです。すなわち、僕の血統を受け継いで生まれたということです。ですから本来の夫、本来の父、本来の兄の愛を受けられなかった女性たちなのです。


 悪魔は、何によって堕落させたのでしょうか。善悪の実だというのですか。善悪の実を食べてどこを隠しましたか。口を隠しましたか。手を隠しましたか。下部を隠したでしょう。それが悪を蒔いた種になりました。青少年時代、成熟する前に堕落しました。この歴史的な人間の世の中の血統がそこから広がったので、それが人間の終末時代において盛んになるのです。全世界的に青少年たちが、アダム、エバのように日陰で独自に愛の倫理を破壊させて、天を恐れない時になれば、サタンの全権時代が地上に到来すると思え、ということです。その時は、神様の鉄槌が目前に迫るのです。


 血統的にこじれたために六千年かかるのであって、そうでなければ一日でみな復帰できるというのです。血統的に固まってしまったので、能力のある神様が一度にみな抜いてしまえば、死んでしまうのです。それで六千年かかってやってきたのです。善悪の実を取って食べて堕落したというのですか。そうであるなら、どんなにいいでしょうか。


 罪の基盤、堕落の基盤、悪の基盤、地獄の基盤、こういうものは具体的にどのように生じるのかということが問題です。アダム、エバに戻って考えてみましょう。アダム、エバがなぜ堕落したかという根源を探ってみると、アダム、エバは神様が命令した「善悪の実を取って食べるな」という言葉を不信して堕落しました。


 二つ目は、自己中心的だというのです。三つ目は、自己を中心として愛そうとしたことです。これが堕落した中心的骨子の内容であるがゆえに、この内容を共に行おうとする者はサタン側だという結論が出てくるのです。堕落した人たちはみな、不信の愛で、自己中心の愛で愛した人たちです。結局、自己中心の愛を主張するのが、この世界の人たちだと見るのです。


 堕落が善悪の実を取って食べたことだというのですか。善悪の実とは、女性のそれです。女性は善の夫に出会えば、善の母になり、悪の夫に出会えば、悪の母になるのです。今日、統一教会の文総裁が言うことは、理論的に否定できません。心と体が争う起源は、夫婦の争いによって始まったからです。これを理論的に否定できません。



メシヤとして真の父母が必要


 私たちにメシヤが必要な理由は、救いを受けるためです。それでは、救いに必要な根本的な基点とは何ですか。それは神様の愛の接触点へ帰ることです。ところが人間は、神様とは関係のないサタンの実体をもった存在になってしまいました。これは神様の愛とは正反対なので、蕩減されなければなりません。蕩減とは原罪を除去することであり、原罪を除去するには、血統的なことが根本的に存在します。血統的なものは、堕落人間としては到底解決できないものです。それでメシヤが必要なのです。


 アダム一族において、真の父母が生まれることができずに罪の父母が生まれたので、これを真の父母の役事を通して蕩減復帰し、神様に接ぎ木しようということがメシヤの思想であり、救世主の思想です。そのようになったのは人間の堕落のゆえです。

 メシヤとは誰でしょうか。真の父母です。それでは真の父母が、なぜ必要なのでしょうか。真の父母の愛に再び接ぎ木されなければならないからです。ですからメシヤである真の父母が現れなければ、堕落した人間は原罪を脱いで、罪のない解放された立場から完成段階の祝福を受ける場に出ていくことができないのです。


 堕落した人間が要求する救い主とは、どんな救い主でしょうか。堕落した父母の立場ではなく、堕落していないアダム、エバのような立場で、神様のみ旨と一体となって神様の愛を受け、神様の祝福を受けることができる真の父母の立場で、人類を生んでくれる救い主でなければなりません。そうでなければ、人間は原罪と関係のない立場に上がることができません。


 真の父母が必要なのは何ゆえでしょうか。心情圏を中心として、その根を下ろさなければならないためです。今は根が違います。堕落によって幹と枝がすべて違います。ここで新たに、根が真の父母から始まって、幹と枝が出て接ぎ木をするのです。切って、接ぎ木するのです。接ぎ木して、それが宇宙の大きな主流になるのです。サタン世界のすべてのものを切ってしまわなければなりません。根まで切ってしまわなければなりません。


 人間は堕落によって、神様とは関係のないサタンの実体をもった存在になってしまいました。これは神様の愛とは正反対なので、蕩減しなければならないのです。蕩減とは原罪を除去することであり、原罪を除去するには血統的なことが根本的に存在します。血統的なものは堕落人間としては到底解決できないものです。それでメシヤが必要なのです。


 エデンの園で結婚を誤ったことが堕落なので、今、真の父母が正しく結婚させてあげることにより、再びひっくり返したのです。偽りの父母が誤ったことを真の父母が清算することにより、地獄を撤廃して数百、数千億の霊界の先祖たちまで祝福結婚をさせてあげるということが起こるのです。真の愛を中心とした地上の子孫たちの家庭基盤を通じて、霊界の先祖と地上の子孫が縦的に一つに合わさるだけでなく、このような家庭基盤を基点として東洋と西洋が互いに連結されます。


 皆さんは、新しい血統を受け継がなければなりません。受け継ごうとすれば、メシヤが父として来て、サタン世界に勝ち、サタンが干渉できない超世界的な基盤の上で、エバに侍って蕩減復帰しなければなりません。そうして、夫婦の因縁を中心とした家庭における息子、娘を立てて、横的に接ぎ木するようなことが行われなければなりません。それで統一教会で祝福してあげるのです。


 統一教会は違います。統一教会は、血統がどこから始まったのでしょうか。神様から始まったのです。ですから、いくらでもサタン世界で反対してみなさいというのです。反対していれば、損害賠償を払うようになるのです。


 真の父母は、血統転換する新しい祝福結婚行事を通じて、全人類を神様の真の愛、真の生命、真の血統に接ぎ木して、真の人として救い、さらに真の家庭を成して地上天国を建設されるのです。

二 真の父母と重生と血統転換

) 真の父母はどんなお方か

真の父母は原罪のない始祖


 真の父母とは何でしょうか。堕落していなかったら、神様は縦的な愛になり、アダム、エバは神様の体になります。神様の体のようなものだというのです。神様は骨のようなもので、アダム、エバは体のようなものです。神様も心があり、体があります。神様は内的な立場で内的な父母になり、アダム、エバは外的な立場で外的な父母になります。内的・外的父母が一つになったその場で、愛で結ばれ、内的父母に侍るようになり、外的父母をもつようになります。神様と人間との愛の結合によって、真の父母、すなわち、完成した人間が成就するはずだったのです。愛と結合しなければ、完成人間がいないというのです。


 真の父母の立場は、どんな立場でしょうか。アダム、エバが神様を中心として完全に一つになり、サタンの讒訴圏を抜け出した立場です。サタンが讒訴することのできる内容を残さずに、完成基準を越えた立場に上がって、初めて真の父母の起源が生じるのです。これが原理的見解から見た真の父母の起源です。しかしその見解にふさわしい立場は、簡単につかむことができるものではありません。


 新しい父母とは、どんな父母でしょうか。昔エデンの園で堕落したアダム、エバは堕落した父母ですが、これから人類を再び生み変えてくれるその父母は、堕落していない立場で、神様のみ旨と一致した立場で、神様の公認を受けることができる本来の父母なのです。堕落しないで、み旨を完成し、神様の愛を中心として神様の懐で理想的な家庭を成して、善の子女を繁殖できる、そのような本来の基準に立つことができる父母なのです。その父母は、堕落とは関係がありません。


 もともとアダム、エバが堕落しなかったならば、人類の父母になって神様を中心とした世界を成し遂げていたことでしょう。ところが彼らが堕落することによって、サタンが主管する偽りの父母になってしまいました。したがって、本来神様の創造理想によって立てようとした真の父母はいなくなりました。真の人類の先祖がいなくなったということです。


 真の父母とはどんな存在でしょうか。真の父母は、全体の希望の象徴です。堕落した人類の前に絶対的な希望の象徴なのです。彼は、歴史的な結実体であり、時代的な中心であり、人類が生きている今日、この世界へ連結することができる未来線上における出発点です。


 真の父母というその名前の三文字(韓国語で)を考えるとき、真の父母によって歴史が治められ、真の父母によって新しい世界へ戻ることができる起源が生じ、真の父母によってサタンを屈服させることができる内的な因縁が決まり、真の父母によって外的な世界を占領しているサタンを征服して、初めて神様の解怨を成就することができる中心が決定されるのです。したがって、真の父母と共に生き、真の父母の命令を奉じて行動できるこの驚くべき恩賜に、皆さんがまず感謝しなければなりません。


 人間の願いは、真の父母に出会うことです。死の道を行くとしても出会わなければならない人が真の父母です。歴史をみな失い、時代をみな失い、自らの子孫をみな失ってしまうようなことがあっても、真の父母に出会うならば、歴史を見つけることであり、時代を見つけることであり、未来を見つけることになるのです。このような方が正に真の父母だということを皆さんは知らなければなりません。


 メシヤがこの地上に来られるとき、その方は、個人として来られても個人ではありません。その方の価値は、全世界の人類が信じている信仰の結実体であり、全世界の人類が願っている希望の結実体であり、全世界が願っている愛の結実体です。その結実体には、すべての歴史路程が連結されています。すなわち過去、現在、未来がみな連結されています。そして個人から家庭、氏族、民族、国家、世界がすべて連結されていて、天と地がすべて連結されているのです。


 イエス様は、人類の父母の位置に立たなければならない使命をもって来られましたが、そのみ旨を成就できずに亡くなりました。したがって再臨時代には、そのような立場を蕩減復帰して勝利しなければ、その理想の世界へ上がれないのです。その仕事をこれまでやってきたのが統一教会です。


 真の父母は、完成したアダムとして、アダムが失敗した第一の父母の基準を復帰しなければなりません。また、第二アダムとして来られたイエス様が失敗した父母の基準を完成させなければなりません。再臨時代において先生が苦労の伝統を立てざるを得なかったのは、イエス様が霊的基台しか立てられず、霊肉ともの世界的な基台を立てることができなかったからです。


 私たちが知っている真の父母とは何でしょうか。人間の先祖です。人間先祖。ですから真の父母を自分の父母のように侍らなければなりません。


 人類には真の父母が必要なのです。なぜそうなのでしょうか。愛の軸に連結することができる原則的なことが、歴史始まって以来初めて起こったのです。歴史始まって以来、前にもなく、あとにもありません。はっきり知らなければなりません。軸は一つです。絶対に二つではありません。その軸とは、正に真の愛です。


 歴史始まって以来、神様の名によって人類の男性を代表して勝利した人がいませんでした。これまで先生は、そういう勝利の基準を立てるために闘ってきました。統一教会と先生は、苦労をしなくてもいいのですが、こういう原則を知っているために、苦労せざるを得ないのです。


 人類が願うものとは何でしょうか。真の父母に侍ることです。六千年前にアダム、エバが成婚して全人類が神様の子孫にならなければならなかったにもかかわらず、堕落することによって人間たちはサタンの子孫になってしまいました。したがって私たちは、六千年前に失った天の側の真の父母を再びこの地上に探し立て、真の父母の愛の因縁を通じて重生しなければなりません。そうしてこそ天国の国民になることができるというのです。


真の父母とは何でしょうか。肉身の父母は、真の父母と何が違いますか。真の父母とは何ですか、何をするのが真の父母ですか。愛を中心として話すとき、その肉身の父母と真の父母とでは何が違いますか。何が違うかといえば、愛に対する概念が違います。正に愛の概念が違うということです。肉的父母は肉身を中心とした愛を教えてくれるのであり、霊的父母は霊的な世界を中心とした愛を教えてくれるのです。内容が違うということです。



真の愛によって人類を生んでくださる


 皆さんは、真の父母と関係ない立場で、天の前から追い出された偽りの父母の血統を受けて生まれたので、この血統から抜け出すためには、血統を否定して否定して抜き取らなければなりません。そうして血統を根本的に変えずしては天の国に行けないのです。


 真の父母は何をしなければならないのでしょうか。サタン世界の根っこの間違った血統を正さなければならず、間違った生命を元に戻さなければならず、間違った愛の道を正しく開かなければなりません。


 血統的転換を成すためには、アダムの骨髄まで、骨肉の中心部まで入っていって、将来の赤ちゃんとなるその種に神様の愛と結束した勝利的条件を充足させなければ、神様の子女として生まれることができません。これは理論的に間違いないというのです。聖書に、そのようにしてきた記録があるでしょうか。あるとするならば、聖書は神様のみ言だということです。

 堕落した人間が要求する救い主とは、どんな救い主でしょうか。堕落した父母の立場ではなく、頃落していないアダム、エバのような立場で神様のみ旨と一体となって神様の愛を受け、神様の祝福を受けることができる真の父母の立場で、人類を生んでくれる救い主でなければなりません。そうでなければ、人間は原罪と関係のない立場に上がれないのです。


 真の父母が必要なのは何のためでしょうか。心情圏を中心として、その根を下ろさなければならないからです。今は根が違います。堕落によって幹と枝がすべて違います。ここで新しくこの根が真の父母から始まって、何が出てきたのでしょうか。幹と枝が出てきて、接ぎ木するのです。切り取って、接ぎ木します。接ぎ木して、それが宇宙の大きな主流になるのです。

 サタン世界のすべてのものを切ってしまわなければなりません。根まで切ってしまわなければなりません。


 今日、万民が願うこととは何でしょうか。世界国家を迎える前に、真の父母を迎えようということです。また未来の子孫たちは誰から出発したいのでしょうか。皆さんの息子、娘は皆さんの血統を通じて生まれたいのではありません。真の父母の血統を通じて生まれたいのです。ですから真の父母は、新たな未来の出発点になるということです。


 真の父母は何をしなければならないのでしょうか。サタン世界の根となる間違った血統を正さなければならないし、間違った愛の道を正さなければなりません。聖書に「生きんとする者は死に、死なんとする者は生きん」とありますが、そのような逆説的な論理がなぜ出てこなければならないのでしょうか。正にサタン世界は死ななければならないからです。


 真の父母と真の父母の子供というのは、永遠不滅の宿命的な業(関係)です。これは誰も分けられないのです。千年、万年、その道を行かなければなりません。行く道は、二つの道ではなく一つです。他の方法はありません。秘法がないのです。その道を行かなければならないのです。


 エデンの園で結婚を誤ったことが堕落なので、今、真の父母が正しく結婚させてあげることにより、再びひっくり返したのです。偽りの父母が誤ったことを真の父母が清算することにより、地獄を撤廃して数百、数千億の霊界の先祖まで祝福結婚させてあげるようなことが起こるのです。真の愛を中心とした地上の子孫たちの家庭基盤を通じて、霊界の先祖と地上の子孫が縦的に一つに合わさるだけでなく、このような家庭基盤を基点として東洋と西洋が互いに連結されます。


 養子はどのようにしなければならないのでしょうか。真の息子から接ぎ木を受けなければなりません。野生のオリーブの木を切り捨てて、真のオリーブの木の芽を接ぎ木しなければなりません。渋柿の木が甘柿の木になる運動をしなければならないのです。重生するためには真の父母の血統を受け継がなければなりません。それで人類が願うのは真の父母であり、イエス様と聖霊が願うのは「小羊の婚宴」です。

 まずは父母を心から慕わなければなりません。私の生命の動機も父母であり、私の願いの一切も父母であり、私のすべての理想と幸福の根源も父母だという基準を中心として、父母に侍らずしては救いを受けられません。皆さんはそのように侍ってみましたか。皆さんはこれをはっきりと知らなければなりません。ですから「私は真の父母と永遠に一つになることのできる息子、娘だ」という信念を、自分の存在意識を超越できるほどに固くもたなければなりません。そうでなくてはならないのです。


 皆さんは買ってきた人たちです。人類を与え、天宙を与えて、買ってきた人たちです。ゆえに神様は、皆さんをおいて天地を審判したいと思われるのです。神様は、サタン世界の奴隷の立場にある皆さんを買って、神様の息子、娘として立てました。ゆえに皆さんは、福を受けた栄光の子女たちです。ですから全世界で皆さんを「くれ」と言うとき、与えることができる皆さんにならなければなりません。サタンにまでも与えることができる皆さんにならなければなりません。

 皆さんは、先生の血と汗の代価で買ってきた人たちです。先生の体を与えて、買ってきた人たちです。したがって、皆さんも先生のような仕事をしなければなりません。先生は食口たちを誇りたいのです。このような立場で公約しましょう。


) 重生摂理の核心

生まれ変わるということの真の意味


 再び生まれなければならないというのは、堕落したアダム、エバの子孫の父母の血縁を通じて、もう一度生まれなければならないということではなく、堕落と関係のない父母の血縁を通じて再び生まれなければならないということです。そうでなければ、神様に帰ることができないのです。罪の根本の根はアダム、エバから始まったがゆえに、これを踏んで越え、すなわち原罪と縁がない立場で生まれたという資格を備えなければ、神様のそばに絶対に帰ることができないのです。



 神様が私たち人類を救おうとする目的はどこにあるのでしょうか。堕落圏以下では、どんなに救おうとしてみたところで、救援ができないのです。それで神様は、堕落していないアダム、エバ以上の真の父母をこの地上に再び送り、その父母を通じて人類が再び生まれる路程をたどらせ、永遠にサタンとの関係をなくさせ、讒訴しようにも讒訴できないようにされ、神様だけが主管し、神様だけが干渉できるようになさるというのです。そのような立場で人類が再び生まれなければ、原罪をもった人間が原罪のない立場に戻ることはできないのです。


 真の父母が真のオリーブの木ならば、皆さんはみな接ぎ木されなければならない野生のオリーブの木です。脇の芽であり、脇の枝です。これは新しい枝が出てこそ、正常な生態作用をすると見ることができるということです。人類は、信頼と愛と実体を失ってどうなってしまったのでしょうか。血統的に逆になってしまいました。それでひっくり返さなければなりません。すなわち、ニコデモがイエス様に「天国に入るには、どうしなければなりませんか」と尋ねると、「生まれ変わらなければ、天国に入れない」という最も重要で、事実的な内容を明らかにしたのです。

 生まれ変わるというのは、心が改変しなければならないということです。


 ニコデモがイエス様に「どうしたら救いを受けることができますか」と尋ねると、「生まれ変わら(重生し)なければならない」と言われたのです。それは、サタンの子として生まれたので、救いを受けるには、神様の聖霊を受けて、再び生まれなければならないということです。今までサタンと結んできたすべての関係を清算して、神様と創造本然の関係を結ばなければならないという言葉です。


 神様の摂理で信仰を立てたとしても、神様の子供に復帰されるためには、接ぎ木されなければなりません。


 生まれ変わるには、アダム、エバより劣っていてはできないし、またアダム、エバより劣っていては根本復帰もできません。生まれ変わるにも個人が生まれ変わらなければならないし、家庭、民族、国家、世界が生まれ変わらなければなりません。この事実を、今日のキリスト教徒たちは知らすにいます。


 今日、キリスト教を信じる人たちの中には「再び来られる主は、雲に乗って来られる」と信じる人々もいます。何も知らない中でも、信じれば救われるという考え方では、真の信仰をすることができません。そんなに簡単に救いを受けることができるならば、統一教会はこの世に必要な宗教ではありません。


 野生のオリーブの木に真のオリーブの木を接ぎ木するときは、枝を切ってそこにつけるのではなく、木の下のほうを切って根だけ残しておいて、その上につけるということです。この話は既成教会が再び来られる主によって、既存の体制や制度、またはすべての儀式を変えて、新しく出発するようになるということを意味します。


 彼らが信仰生活を通じて結んだ実は野生のオリーブの木の実なので、真のオリーブの木の実を結ぶためには、大木を切り取って、芽接ぎをしなければならないのです。もし接ぎ木することができなければ、根まで引き抜いて、燃やしてしまわなければなりません。そのまま置いておけば、野生のオリーブの木の実が畑に蒔かれて、数多くの野生のオリーブの木をつくり出すからです。

 野生のオリーブの木を切るのは、新しい真のオリーブの木の芽を接ぎ木するためです。問題は真のオリーブの木の芽や野生のオリーブの木の芽が、外から見ると全く同じなので、いさかいが起こるようになっているということです。特に再臨上が来られる時には、多くの偽キリストが現れるので、真実を見つめる価値観と目が混乱を起こしかねないのです。それで「絶えず祈りなさい」と言ったのです。

 野生のオリーブの木の下のほうを切って、真のオリーブの木を接ぎ木することによって、野生のオリーブの木はみななくなり、真のオリーブの木の畑になるはすです。このような作業をレバレンド・ムーンがしようとするので、大騒ぎなのです。彼らは自らの体が切られる痛みを恐れて、「いかさま庭師ではないか」と思うからです。摂理歴史の春とともに、野生のオリーブの木に接ぎ木をする作業が始まりました。


重生しようとすれば

 新郎のイエス様の愛と新婦の聖霊の愛が一体となったその愛が、私の骨肉と一つにならなければなりません。すなわち、「私があなた方の中にあり、あなた方が私の中にあって」というイエス様のみ言のように、愛の心情基盤が成される前には、キリスト教でいう永生はあり得ないということです。


 皆さんは重生されなければならないといいますが、重生されるには、イエス様を誰よりも愛さなければなりません。堕落圏内で、すなわちサタンの愛圏内でなされるそのいかなる愛よりも、神様を中心としてなされる愛が、より次元が高くない限り、神様と連結することができる道がないということを知るべきです。これが受難の道であり、宗教人たちが行くべき険しい道だというのです。


 キリスト教徒たちもイエス様を日ごとに思慕しており、イエス様が再臨されることを首を長くして待っており、無心になって「新郎イエス様、いらしてください」と二千年間叫んできませんでしたか。しかし、体がばらばらになり、胸が裂けて、骨髄が溶ける立場、体の中にあるのか体の外にあるのか分からない境地、ただ神様やイエス様とのみ通じることができる境地に入るとき、初めて聖霊が臨むのです。聖霊が臨むことによって、霊的な赤ん坊として再生することのできる霊的重生の役事が起こるというのです。

 皆さん、そのような体験がありますか。そのような体験がない限り、まだサタン世界の息子、娘だということです。まだサタンの讒訴を受けざるを得ない人だということを皆さんは知らなければなりません。そのような人は、天国に行くことはできません。

 イエス様はニコデモに対して、「あなたが生まれ変わらなければ、天国に入ることができない」と言われました。今まで生きてきた私は、いずれにせよ歴史的に否定されなければなりません。どんなに良くやったと弁解して自ら立てた何かがあるとしても、私自体は否定されなければなりません。堕落人間であるがゆえに、そのような圏内を抜け出すことができないのです。否定されるべき生涯であり、否定されるべき生活であり、否定されるべきしかばねの人生であったというのです。


 血統を転換するのはメシヤがするかもしれませんが、転換できるように行動するのは自分自身でなければなりません。このような基準が成されない限り、私たちは救いの道に至ることができません。それは決して容易に成されるものではなく、生きるか死ぬかの境地を通過しなければなりません。四十日断食祈祷であるとか、血を吐く死の境地に行ってこそ、血統転換が可能です。


 世界の万民は真の母が現れる前に生まれたので、意味もなく生まれたことになります。それでイエス様と接ぎ木した立場でイエス様の腹の中に入っていって、イエス様が夫婦になったとき、聖霊を通じて再び生まれなければなりません。偽りの愛によって生まれたので、真の愛を通じて再び生まれなければならないということです。キリスト教で愛を強調する理由もそこにあるというのです。

 イエス様と一体になるには、愛以外にはありません。真理でも正義でもありません。生命があるのに先立って、愛が必要です。愛は歴史も跳び越えることができるし、距離や空間の支配を受けないというのです。

) 真の父母の中心思想は血統転換


 血統的転換は誰がするのでしょうか。それは誰でもできることではありません。先生がこのことをするために、涙ぐましい十字架の道を歩んだということを知らなければなりません。こういう基準があるので、皆さんは何の功労もなく祝福という新しい伝統を受け継ぐようになりました。転換の勝利圏を立てるには、数千年に及ぶ神様の労苦と、実体を中心とした先生の苦難の生涯がありました。これを土台として立った所が、正に皆さんが立っている所です。祝福とは、接ぎ木することであり、接ぎ木することによって血統が変わることです。


 血統の同一性が必要なので、神様の心情圏に従わざるを得ないのです。なぜそうなのかといえば、根が違います。幹が違います。しかし、根が同じでなければならず、幹が同じでなければならず、芽が同じでなければなりません。そこには絶対的に血統転換という、とてつもない問題が起こるのです。それは、一人ではすることができません。真の父母がいなければなりません。


 神側では、サタンの偽りの愛圏にいる人間をより大きな神様の愛によって奪ってきて重生させるのです。人間が偽りの愛の父母、偽りの愛の先祖、偽りの愛の血統を通じて生まれたがゆえに、真の愛の父母、真の愛の先祖、真の愛の血統を通じて再び生まれてこそ、神様の子女、神様の民になるのです。イエス様の聖血が貴いのも、聖餐の儀式もみな、血統転換を通じて神様の子女になる摂理を形状的、象徴的に表すものです。

 皆さんは血統転換、これの実感がわかないでしょう。皆さん、いつこのようになりましたか。先生がアベルになるとき、皆さんはカインとして完全に一つになるのです。この関係があるので皆さんが先生と一つになれるのであって、この関係がなければ大きな問題が起こるというのです。


 神様の心情は、どこで連結されるのでしょうか。理論では連結されません。血統を通じてのみ連結されるのです。皆さんは、神様の心情の血統を受けました。今までは知らなかったというのです。それで皆さんが祝福を受ける前に、血統転換式があります。その時は、私は何もないという無の境地に入らなければなりません。私の体はないという立場に立って、父母様の血肉を再び受け継ぐ結着点が、私から始まるという信念をもたなければなりません。


 皆さん、祝福を受けるとき、血統転換式をしたでしょう。皆さんは何も知らずに先生がさせるまま従ってやっただけですが、それがそんなに簡単なものではありません。イエス様が夫婦関係を成すことができなかったために、歴史がこのように混乱してきたということを考えて、その目的に合う一双を立てるという心情的基準から見るとき、祝福で血統を汚すような何かがある場合には、大変なことになります。これは刑罰が問題ではありません。


 エデンの園では未完成期に堕落した者も追い出しましたから、完成の心情的基準で罪を犯したとすれば、言うまでもありません。そのような者は、後ろ姿も見たくない神様であられます。先生もやはりそうです。

 祝福を受けるとき、皆さんは血統転換式をしたでしょう。その次からは完全に変わらなければなりません。真の父母が出てこなければ、このことが可能ですか。創世以後、どんなに険しい道を歩んできましたか。真の父母が現れたことだけでも有り難いのに、真の父母から祝福を受けたということは、もっと驚くべきことです。こうした伝統、その伝統とは、血統の伝統です。真の愛と、真の生命と、真の血統を植えた伝統ができているのです。これを、いつも考えなければなりません。


 祝福家庭は、どんな意味をもっているのでしょうか。祝福家庭を中心として見るとき、サタンは祝福家庭を支配できないというのです。どんな国においても先生を完全に信じて真の父母に属したという信念をもって立つようになるとき、サタンはそれを侵犯できないのです。なぜそうなのでしょうか。父母様の心情を中心として血統転換した心情圈に連結されているからです。それで、ここからはサタンが手をつけられないのです。


 復帰途上で僕の僕の時代から僕の時代を経て、養子の時代、直系の時代に上がらなければなりません。それでは完全に僕の僕の時代を経て、僕の時代、養子の時代を経て、直系の時代と因縁が結ばれるでしょうか。

 直系の時代と因縁を結ぶには、そのままでは結ばれません。必ず原理によって、信仰の基台を経、実体基台を経て、メシヤのための基台を経なければなりません。すなわち、メシヤを迎えなければならないということです。メシヤは神様の真の息子です。養子と真の息子では、血統的な関係が違います。それで血統転換が必要だというのです。

 堕落人間は、血統を転換しなければなりません。これが根本的な問題です。神様と人間との関係は父子の関係ですが、このようなすべてのものが未知の事実として残っていたがゆえに、歴史が解けず、今までも神様の摂理を知らなかったのです。血統転換も個人圏、家庭圈、民族圏、国家圏、世界圈、みなしなければなりません。

 これをするには、メシヤにならなければなりません。父母が出てくることによって、父母から血統が出てくるのです。父母が出てこなければ、血統が転換されないのです。このようなすべての問題に個人が責任をもたなければなりません。個人がみなこういうことをして、越えていかなければなりません。これを知らないので、知っているメシヤが来て、代わりにやってあげるのです。


 堕落人間は、出発が間違ったというのです。ですから、また帰らなければなりません。帰ることは帰るのですが、どこに戻るのでしょうか。原点へ戻らなければならないのです。偽りの父母によって始まったので、原点へ帰って真の父母によって再び始めなければなりません。ですから、どれほど深刻ですか。

 私が神様の愛と、神様の生命と、神様の血統を再び受け継がなければなりません。それで皆さんが祝福を受けるとき、血統転換式をしたでしょう。それを自分の生命よりも信じなければなりません。統一教会の一つの儀式ですが、ただ一般の宗教儀式だと思ってはならないのです。これは死んだ人を回生させる注射の薬と同じです。解毒注射です。


 聖書の歴史を見れば、ヤコブはお母さんと一つになって父を欺いて祝福を受け、タマルの歴史を中心としてもこのような非人間的行為をしたのに、ユダ支派を通じてイエス様が来るとはどういうことですか。血統転換という問題があるからです。血統を清めなければなりません。キリスト教だけが血統を重要視して、血統転換を主要思想とみなしてきました。他の宗教にはこういう歴史がないので、ここに従わなければならないという結論が出てくるのです。

 ですから血統転換というものを中心として見るとき、文総裁はキリスト教を外すことができませんでした。選民思想を受け継いだキリスト教を外せなかったというのです。(世界基督教統一ではなく)「万教統一」と言っていれば、どうして私が迫害を受けるでしょうか。何のことか分かりますか。骨髄思想がこのようになっているためです。はっきり知らなければなりません。


) 血統転換の三段階過程

聖酒式


 統一教会の祝福を受けるとき、血統転換式があります。皆さんは血統転換式をしたでしょう。蕩減棒行事とか三日行事とか、どんなに複雑ですか。そこには、サタンは入ることができません。それは真の父母と神様によって天国の門を開き、解放を宣言して立ったものであるがゆえに、長成期完成級で活動していたサタンは関係をもつことができないのです。祝福を受けた家庭は血統転換式をしたことを知っていますか。それを経なければならないのです。


 皆さんが婚約式をしたあとには聖酒式があり、その次に結婚式があります。それでは、この婚約式と聖酒式、そして結婚式はいったい何でしょうか。これは、ある前例に従って行う式ではありません。堕落したすべての内容をもう一度、象徴的に再現させて、それを蕩減するために行う不可避な行事なのです。


 堕落した人間は、サタン世界の偽りの愛によって汚された過去のすべての愛を否定して、新たに神様の愛を中心として真の父母の愛を再現させることができる復活的な実体を備えずしては、祝福の場に行くことができません。したがって聖酒式は、まさしく真の父母の愛の関門を通じて、新しい生命の基準を成すことを約束する儀式です。


 聖酒式は何をするものでしょうか。新しい愛を中心として神様の体を自分の体の中に投入させる儀式です。堕落した体は一つしかないので、神様の愛を中心として取り替えるのです。これが正に聖酒式だというのです。イエス様が、「パンは私の体を象徴するものであり、ぶどう酒は私の血を象徴するものなので、あなた方はそれをもらって食べ、飲まなければならない」と語ったのと同じように、愛を中心として、神様の実体を中心として、新しい血統を受け継いで原罪を洗い清めることができる式です。この式を経ずしては、祝福の場に行けないのです。ですからこの式は、血統を転換させる式です。


 「血統転換」という絶対語が必要です。皆さんも祝福を受けるとき、血統転換式をしたでしょう。その血統を転換するためには聖酒がなければなりません。そして聖酒という酒が出てくるためには、二十一種類の選別過程を経なければなりません。それが何か知らないでしょう。それは空中で実を結ばせるものと、地で実を結ばせるものと、地の下で実を結ばせるものを中心としています。その次には鉱物世界、植物世界、動物世界で最も貴いもの、このように二十一種類の選別された物を通じて、その過程を経るのですが、そのすべてのものが讒訴条件に引っ掛かってはいけません。七カ月間、使わずにおきますが、そこに不祥事が生じてはいけないのです。


 聖酒式は蕩減復帰式です。聖酒式は天使長の立場でするのです。ですから血統とすべてを捧げます。すべて復帰する条件になります。ここでお母さんを通じて先生がするのです。皆さんも全く同じ立場です。そのような立場で橋を架けるのです。聖酒式をこのように挙行することによって、皆さんが父母の場と同じ復帰の場に入っていくというのです。それを知らなければなりません。

 聖酒は女性が先にもらいます。女性が先に先生に敬拝して聖酒をもらい、半分だけ飲みます。その次は、夫が敬拝しなければなりません。これは、女性が半分飲む時は、男性は頭を下げているのです。この時は、女性がお母さんの立場にあります。お母さんの立場と同じです。こうして女性が半分飲んで残ったものを男性にあげ、男性が飲むことによって因縁が結ばれます。それで男性も対等な場に行くことができるというのです。


 聖酒式は、アダム、エバが堕落したその反対のコースで行うものです。結婚するには、婚約式がなければなりません。その次は聖酒式です。そうしてこそ結婚式に進むのです。皆さんは堕落したので、アダム、エバになれなかったのです。婚約式は、息子を取り戻そうという神様の前に、真の父母の前に、「堕落した息子より立派なアダム、エバになりました」と言うものです。

 アダム、エバは婚約段階にあったのです。こうして一つの世界がここから誕生するのです。ですから、このようなすべての因縁を連結させる条件を成立させることが聖酒式だ、ということを知らなければなりません。


 聖酒を飲むには、天使長からエバ、エバからアダムです。皆さんはどのようにするかといえば、エバが受けます。エバがいなければ、男性は再び生まれることができません。復帰なので、エバに杯を受けさせ、半分だけ飲んで、その次にエバが夫に与えます。杯をもらう時は、お父様から頂く代わりなので、礼をして、実際には三拝ですが、礼を一回だけでもいいです。三拝するという気持ちをもって、それを頂いて半分を飲んで、それを夫に。それを飲んだあとは、返してもらいます。そして反対にします。

 そのようにすれば、心情的に一体化します。実際には、その前に先生が女性たちに手をのせて祈祷しなければなりません。先生が女性の手にこのように祈祷します。これが一体化の祈祷です。そういう祈祷をして聖酒を飲めば、堕落の血統をきれいにすることになります。それが条件です。キリスト教の洗礼式のようなものです。血統転換式! 分かりますか。


 天使長を通じてエバが堕落したので、復帰歴史においては、エバがアダムを通じて天の前に立って天使長復帰をしなければなりません。そのために行うのが聖酒式です。聖酒式をするとき、先生が女性に先に与えるでしょう。なぜそうなのか知っていますか。それが失ったエバを復帰する式なのです。聖酒式をすることによって霊的に一つとなり、心情的に一つとなり、肉的に一つになるのです。絶対的な内約なのです。


 聖酒は、ただ作られるのではありません。ただそのままできるのではないということです。サタンと神様の立ち合いのもとに、霊界にいる数多くの天使たちの立ち合いのもとに作られるのです。そして、そこには皆さんが知らない二十一種類の物が入っています。万物世界と人間の復帰歴史の過程で形成される、すべての物が入っているのです。

 聖酒を作る時は、霊界の霊人たちが来て、「頼むから一杯だけ注いで自分に飲ませてくれ」と強要します。聖酒を飲めば、復帰されることを知っているからです。それで、こじきが群れになって来て、しきりに「自分たちにも恵みをくれ」と言います。先生にはそれができるということを知っているのです。しかし、先生は、霊界のための先生ではありません。地上のための先生です。ですから「君たちは待ちなさい」と言って、苦労した皆さんに与えたのです。


 聖酒には、父母の愛を象徴するものが入っています。そして血を象徴するものが入っていなければなりません。したがってそれを飲めば、父母の愛と一体になり、また血と一体になります。こういうものが聖酒の内容なのです。


 聖酒は、どのように作られるのでしょうか。それは地と海と空を象徴し、全体を象徴するものから作られた酒です。聖酒には三種類の酒が入っています。それ以外に、すべての万物を象徴するものが入っています。これを飲むということは、霊的に生まれ、肉的に生まれることを意味します。この式がなければ、原罪を脱ぎ、血統を転換することができません。血統が転換されなければ、完成基準を通過して神様の愛と一体となることができないのです。したがって聖酒式は、そのすべてのものを蕩減する式だということを知らなければなりません。


 聖酒式は、堕落によって血統的に汚されたサタンの血を抜いてしまうものです。言い換えれば、原罪を取り除く式だということです。


 聖酒にはサタンの讒訴のない万物の要素がみな入っています。その聖酒をもらって、真の父母と一つになった自分自身を汚す行為をすれば、サタンよりも恐ろしい立場に立つようになります。サタンは長成期完成級圏を汚して蹂躙しましたが、祝福を受けた者が過ちを犯せば、完成期完成級園で神様の実体を犯した罪が残るので、永遠に許されません。これは実に恐ろしいことです。


 聖酒式をしたその場は、父母様が通過してきたすべての受難の道をみな蕩減してあげるためのものです。それは天下、宇宙を与えても替えられない貴い立場です。それを汚してはいけません。そうすれば当然、責任追及を受けなければなりません。


 祝福家庭の二世たちと新しく入ってくる若い層、祝福対象者たちとは何が違うのかというのです。皆さんが祝福を受けるときは、聖酒式が必要であり、それ以外に必要なものが多いのです。複雑なのです。しかし祝福家庭の二世は、そのような聖酒式がありません。根が違うというのです。皆さんの根は堕落世界の根ですが、彼らはそうではありません。もちろん、人はみな同じように見えますが、歴史が違い、背景が違うというのです。出発が違うので、過程も違い、今現在置かれている立場も違い、未来において行く目的地も違います。目的地が同じだとしても違うというのです。祝福家庭としての立場なので、同じではありません。


祝福結婚式


 祝福式は、愛の伝授式です。神様の愛をもって父母が良く生きるように、皆さんも父母の愛を神様の愛の代わりに受けて、「このように生きなさい!」という愛の伝授式が祝福式だというのです。神様の愛を父母から受けるのです。ある有名な人から受けるのではありません。それは、天使長がしてくれる結婚です。名のある人が片方だけ来て結婚式をしてくれるのは、みな天使長にしてもらう結婚式です。


 結婚式というものは、愛の顕現をいうと同時に、創造権と主管権を与えられることをいいます。


 祝福結婚式は、ただ単に男女が出会って一つの家庭を成す婚礼式ではありません。今までの結婚式は、自分を中心としたものでしたが、私たちの結婚式は、神様に喜びを返し得るだけの内容をもって、歴史を蕩減する条件として、神聖で盛大に挙行されなければなりません。私たちの結婚式とは、アダムとエバの堕落で始まった神様の恨を解怨し、イエス様が成し遂げられなかった新郎新婦の基準を通過することであると、「原理」は明らかに説明します。


 主礼の前に歩いていくのは、六千年の摂理路程を歩むことです。蘇生、長成、完成を意味する路程に、二十一人、十二人の介添人を立てます。これは三数を代表するものです。七歩歩いて、蘇生を越える条件として三回、敬拝しなければなりません。この路程は、アダムから今までの歴史路程です。


 特にアダム、イエス様、再臨主の三時代の過程ですが、この介添人の中を通過して、真の御父母様と出会うことを意味します。介添人を立てるのは、十二支派、二十四長老の霊的基準を立てるためです。敬拝することによって、蕩減条件を立てるのです。真の御父母様は聖水をまきますが、これは蕩減復帰した立場に立てるためであり、その条件を立てるためです。また霊界の先祖たちの土台を越える条件を立てるものです。


 合同結婚式は、神様の新しい家庭を取り戻し、立てるためのものです。合同結婚式は、神様を何よりも愛することができるようにするものです。


 統一教会の誇りは合同結婚式です。しかも同じ民族同士で結婚することより、東洋、西洋の人が合わさって結婚式をもつということは、誇り以外の何ものでもありません。そのことは統一教会でなければ、誰もできないことです。大統領もできないことです。それは先生が優秀だからそのようなことができるのでなく、神様の力が作用しているからです。

 先生の聖婚式は、今までのどんな結婚式よりも盛大にしなければならないのに、苦難の中で行ったので盛大にできませんでした。ですから今後、盛大にしなければならない条件が残っています。食口たちは自分を中心とした三代の中で、外的に最も結婚を素晴らしく行った立場に立たなければなりません。そうしてこそサタンの前に条件を立てることができます。それで合同結婚式をするのです。内的な面でも神様が喜ぶ結婚をするためには、祭物的な条件を立てなければなりません。


 神様が催した宴会は、サタン世界のどの宴会よりも壮大でなければなりません。しかし個体としてはその基準に立つことができないので、歴史始まって以来、かつてなかった合同結婚式を挙げなければなりません。


 祝福結婚式の目的とは何でしょうか。それは世界を教うためのものです。この結婚式は、国境と人種と言語と文化、習慣を超越した国際合同結婚式でした。新しい神様の民が編成されるのです。したがってこの結婚式場は、和解の広場でした。

 神様を中心として世界民族の編成のために、統一教会で祝福結婚式を行います。


 今日のこのような成婚式は、神様の希望であり、理想でした。アダム、エバが成熟すれば、成してあげようとしていた成婚式なのです。創造理想の心情の中にあったもので、これは実に歴史的なことです。このような式典は創造以後、初めて行われたということを痛感しなければなりません。


三日行事 ― 実体復帰式

 祝福を受けて四十日が過ぎたのちには、三日間にわたり実体的な復帰式があります。この四十日期間は、歴史的で総合的な蕩減期間なのです。人間が愛を中心として復帰の権限をもつようになるのは、蘇生期でもなく、長成期でもありません。完成期に入らなければならないのです。


 アダムの時代と次の時代は、失敗の時代です。その結果、旧約時代の神様の蘇生的な愛圏を継承できずに、キリスト教を中心として神様の長成的な愛を受け継ぐことができませんでした。その蘇生、長成の愛圏を受け継いだのちにこそ、完成的な成約時代圏に立つことができるようになるのです。そのような条件を立てることが、三日行事の実体復帰式である蕩減式です。三日行事の実体復帰式の最初の日は、旧約時代の復帰です。堕落したアダム、旧約圏を復帰するのです。二日目は、新約時代のイエス様の立場を蕩減復帰するのです。三日目は、イエス様の代わりの新郎として新婦を再創造するのです。そこで初めて正式軌道に乗って、出発することができます。このように具体的に蕩減条件を立てるのは複雑なのです。



 三日行事をするとき、夫婦はどんな立場に立たなければならないかといえば、夫婦とは夫と妻ですが、妻がお母さんの立場に立たなければなりません。お母さんになって、夫を愛によって生んであげなければなりません。結局は、再臨主までエバが生んであげなければなりません。主が来る時まで、再臨主までは三時代を経ますが、アダム、イエス、再臨主の三代を経て出てくるには、誰が生んであげるかといえば、女性が生んであげなければなりません。


 この地上には今、主が、主人がいないというのです。ですからそれを生んであげる責任を果たさなければならない立場に立ったのが、女性たちだというのです。エバがアダムを完成させなければならないのに、堕落させ、イエス様がその使命を完成できるように、イエス様をよく生んで責任を果たさなければならないマリヤが、責任を果たせなかったというのです。それを、すべて復帰してあげなければなりません。結局は、アダムとして生んであげなければなりません。完成したアダムでなければ、結婚することができないということです。再臨時代まで三代かけてきたので、三人、三代にわたるお産の使命を果たさなければならないのです。


 エバがアダムをこれくらい産み育てて、そこにまたイエス様をこれくらい育てたのちに、完成段階に入って夫を育てます。そののちに、夫としての権限を中心としてエバを愛して、越えていくそのような過程があるというのです。そこにおいて告解がなければなりません。再臨時代になって初めて夫になります。完成したアダムの立場に立つので、祝福の場、新郎の立場に立つようになるというのです。何のことか分かりますか。


 先生を通じて妻は、お母さんの使命を再び与えられるのです。これは、三段階で生んであげる形式で愛さなければならないということです。愛によって生んであげるので、そのような条件を立てるためには、愛するときに、今までとは反対にするのです。女性が上になり、男性が下になります。愛するとき、それを間違えないようにしなければなりません。


 三日行事の式を進行するとき、まず女性が祈祷します。蘇生的アダムをお産するのに、祝福がなければなりません。その次には、イエス時代に入ります。「イエス様のような第二次アダムをお産する祝福をしてください」と同じ式を行います。それで二度生めば、イエス様の立場であると同時に完成的な立場に育ったという段階へと越えていくのです。そのとき初めて、夫の立場に進みます。主体的立場へと進むのです。



 その次からは、男性が上に復帰されます。それで三度目の愛は、男性が上で行います。二人がそのように愛を終えたのちは、神様の永遠の夫婦として、天の相続を受けた永遠の家庭として、父の眷属になると祈祷して、その次に夫婦生活に入るのです。そのようになれば、完全に蕩減復帰された家庭として、天の国に堂々と入るというのです。そのように難しいものです。ですからこういうことを知らなければ、復帰は不可能なのです。これを知らなければ、復帰できません。今日、既成教会で、信じて天国へ行こうというのは、でたらめで、こっけいなことです。天国へ行くのではなく、楽園へ行くのです。楽園は待合室です。


 聖酒式は、三人のお母さんから生まれたという条件を立てる式です。聖酒には蕩減の血が入っています。聖酒を飲むことによって、内的に清め、聖巾で体を拭くことによって、外的に清めようとするのです。

 これから実体の子女を繁殖しなければなりません。父と心情的な因縁を結ぶことができる子女を生むようにしてくださいと祈祷しなければなりません。心情的な祭司長になることができる子女を生むために祈祷しなければなりません。先生は、天地を身代わりすることができる心情的基準の上で子女を生むことを願います。

 先生は、一度祝福すれば責任を負います。私たちは世界の代わりに、もう一度祝福を受けなければなりません。ですから条件的な結婚です。それまでの四十日間は、四千年を蕩減する期間に該当します。事実、結婚生活はきょうからです。今までは蕩減期間でした。


三 祝福家庭の責任

) 真の父母と一体圏を成さなければ


 人間は長成期完成級で堕落したので、そのまま完成段階に上がることはできません。私たち人間が長成期完成級で堕落したので、堕落したその線以上に上がってこそ、初めて原罪を脱ぐことができるようになっているということです。原罪は長成期完成級で脱ぐのではありません。したがって今日、皆さんが祝福を受けて立ち上がったこの場は、完成期完成級ではなく、長成期完成級だという事実を知らなければなりません。


 堕落したアダム、エバを中心としてカイン、アベル、セツと彼らの対象(相対者)を含んだアダム家庭の八人がみな落ちていってしまったので、神様の前に蕩減条件を立てて、再び完成級に向かっていかなければなりません。そこでは父母の愛を感じなければなりません。生命の起源は、父母の愛を通じて生まれるのです。こういう生命の価値を世界の何よりも尊重視できるその場を経てこそ、新しい道を行くことができるというのです。原理がそのようになっています。


 今の個性完成は、絶対的な全体個性完成になっていません。条件完成です。復帰過程での条件完成ということを知らなければなりません。それで彼らが父母の立場に立っていますが、神様の心情圏というものを知りません。自分の妻は宇宙を与えても替えることができず、夫は宇宙を与えても替えることができず、二人が愛するそこに天地をつかんでいくことができる偉大な力があるということを体験できませんでした。

 ですから祝福してあげた家庭は、この堕落圏を越える時までは、条件完成圏内に立っているということを知らなければなりません。天国完成圏ではありません。条件完成圏です。条件完成圏にあるので、ここで生きたのち、霊界に行けば手続きを別にしなければなりません。手続きの手順を済ませて、完成的完成をすれば、パスポートをもらって天国に入るのです。

 「私は祝福を受けたからもういいだろう! じっとしていても天国だ」とそのように座っていれば、めちゃめちゃになるのです。祝福を受けたことが完成段階ではありません。皆さん、七年路程を習ったでしょう。このような複雑な内容を知って、合わせてくれる人がいないので、全能なる神様も仕方なく引っ張られてくるのです。皆さんが祝福を受ける時、「私たちは神様の原理原則に従って祝福を受けた。きょうから一つになった」と言いますが、一つですか。再び夫婦が再創造しなければなりません。

 お互いに再創造しなければなりません。怨恨の夫婦の溝を埋めなければならない道が残っていることを、統一教会の祝福を受けた者たちが忘れてしまえば滅びます。私がいくら「滅びない」と言っても、滅びるようになっています。二人の夫婦は、神様が願う理想的復帰完成の夫婦に向かって、再び再創造の過程をたどらなければならないのです。それで統一教会では、個人復帰完成、その次に家庭復帰完成をいうのです。


 人類が願うこととは何でしょうか。真の父母に侍ることです。六千年前に、アダム、エバの成婚によって、全人類が神様の子孫にならなければならなかったにもかかわらず、堕落することによって、人間たちはサタンの子孫になってしまいました。ですから、これから私たちは、六千年前に失った天側の真の父母を再びこの地上に探して立てて、その真の父母の愛の因縁を通じて重生しなければなりません。そうしてこそ天国の民になることができるのです。


 すべての始まりは、真の父母からです。すべてのものの出発、初めは皆さんではなく、真の父母です。生きるのもそうであり、行動するのもそうであり、愛の家庭を連結するのもそうです。初めは真の父母です。これは先生の話ではなく、私たちの初めの先祖に対する神様の公式的な概念であったというのです。どうすれば私たちの家庭を父母様の家庭のようにつくれるか、それを考えなければなりません。


 皆さんはこれから、真の父母と共に生きなければなりません。ですから真の父母は、おじいさんの立場であり、自分のお母さん、お父さんの立場であり、自分たちは長子の立場だというのです。三代にわたって共に生きるという結論、これが違うのです。神様が私と共にあり、真の父母が私と共にあって、自分の父母が共にあるのを感じて生きなければなりません。神様がいない、死んだというのは、考えられない時代に入りました。


人間は誰でも、心情的に神様と一つになるようになっています。神様である父と、子である人間は、正に心情で結ばれています。


 神様を信じることができずに堕落したので、メシヤを信じて、ついていかなければなりません。ついていって何をするのでしょうか。愛の住みかを用意しなければなりません。簡単でしょう。それから新郎であるイエス様と実体的に一体化して、心情一体化しなければなりません。それで復帰しなければなりません。そうして神様と真の父母と真の子女が対面する場、すなわち神様が初めに願われたその揚が、この天地間に繰り広げられれば、そこから新しい天地が開かれるのです。


 皆さん各自の血統的内容が違い、背後が違っても、父母に似るためには、接ぎ木する役事をしなければなりません。ひっくり返して接ぎ木しなければなりません。接ぎ木するには、皆さん自体に残っている蕩減路程をみな清算しなければなりません。それは父母から始まったので、父母を通じて清算されなければなりません。それで真の父母から接ぎ木されなければならないのです。アダムが真の父母になることができず、偽りの父母になったので、神様は今まで真の父母を探してこられたのです。再臨時代に新郎新婦とか「小羊の婚宴」とかというものも、みな父母を探すためのものです。


 父母の愛を受けるには、何をしなければならないでしょうか。父母様が愛するすべてのものを愛さなければなりません。そうしてこそ、初めて愛されるのです。家庭でいえば、自分の親に愛されることを願うならば、その息子は親がもっているすべてのものを愛してから、愛されなければならないということを知らなければなりません。これをしないで愛されようという人は、どろぼうです。父母が貴く思うものをすべて自分勝手に引き継いでは、愛されないのです。


 皆さんは、真の父母の本当の息子、娘ですか。真の子女とは、何を中心としていうのですか。真の血統です。もちろん真の愛を通じて因縁をもちますが、成されるのは真の血統を通じて連結したということです。真の血統を通じて連結されたものは、お母さん、お父さんに似るのです。皆さんは先生に似ていますか。皆さんの目は青く、私は黒く、髪の毛も違うではありませんか。髪の毛がみな白いではありませんか。私は東洋人で、顔が平らです。

 似るのは、一番の骨子だけが似ます。骨子だけが似ますが、どういうふうに似るかといえば、サタンに勝つことと神様を絶対に愛することだけ似ます。それだけ似るというのです。そうしてサタンを主管して、コントロールするというのです。


 皆さんが先生をどれだけ愛さなければならないでしょうか。根本問題に戻ります。サタン世界の愛の痕跡がある、その愛に染まったところで愛してはいけません。それ以上でなければなりません。皆さんがサタン世界で生まれたお母さん、お父さんと妻子、その誰よりも愛さなければなりません。

 それで聖書で「わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない」(マタイ一〇・三七)と言ったのです。すべてそのような結論を下したのです。そう言いながら、あとでは「自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない」(同一〇・三八)と言いました。十字架を背負わなければならないと言いました。反対に引っ張っていく力を押さえて越えていこうとするので、十字架でしょう。ここで、悲痛な涙を流さなければなりません。


 今日、堕落した人間はすべてのものを否定して、全体を否定する中で、愛の芽を育てなければなりません。そのような論理が必要になっています。全体を否定して、ただ主体の愛をもった神様を中心とした、愛を中心とした絶対基準を発見しなさいというのです。


 一切を父母と共にかかわり、父母と共に決定し、父母と共に話し合い、父母と共に解決しなければなりません。


) 性の絶対的な価値観確立


 男性、女性の愛の象徴とは何でしょうか。愛の終着地点とはどこでしょうか。男女を一体とならしめる性器官です。それは、愛を中心として心と体が完全に合わさることができる通路になるのです。


 男性と女性は何が互いに違いますか。性器官(Sexual Organ)を含むその体がまず違います。それでは男性の性器官は誰に絶対に必要ですか。男性の性器官は女性のためにあるのです。人間の性器官が一つは凹で一つは凸ですが、なぜそのようになっていますか。二つともとがるようにするとか、二つとも平らにすることもできるのに、なぜそのように違うのですか。みな相手のためです。

 男性のものは女性が絶対に願い、女性のものは男性が絶対に願います。絶対に女性のものが男性のもので、男性のものが女性のものだという事実を知らなかったのです。それを占領することによって、愛を知るというのです。


 生殖器とは、愛の王宮であり、永生の生命が誕生する王宮であり、永遠に変わらない天の伝統を受け継ぐ血族を、血統を受け継ぐ王宮です。真の生命の王宮、真の愛の王宮、真の血統の王宮だというのです。その王宮は最も貴いところです。自分勝手にできません。神様の公認がなければ、開けることができません。神様と宇宙の公認を受けた自分の夫、自分の妻以外にはタッチできないのです。


 男性と女性が、凹と凸が一つになるのは、神様が完成し、半分の女性、半分の男性が完成する場です。凹と凸が結婚して初愛の関係を結ぶその場で、神様の愛的理想が完成する定着地が展開するのです。男性と女性の愛を中心とした神様の相対的位置としての完成の位置が決定するのです。これは宇宙の核です。

 これが動けば、すべての宇宙が行ったり来たりします。地上天国の本拠地であり、天上天国の本拠地なのです。ここは愛の本然地であるので、「愛の本宮」と言います。多くの王宮の中で、中心の宮を「本宮」と言います。ここが愛の本宮であり、生命の本宮であり、血統の本宮であり、その次には、天上天国と地上天国の出発地であり、人間が願っている自由と幸福と平和がここから始まるのです。

 そこは愛、生命、血統、すべてのものの王宮であり、個人、家庭、氏族、民族がそこから連結されます。天上天国と地上天国の本熱地、出発地だということを知らなければなりません。その次は自由と幸福と平和の起源地です。女性に男性がいなければ絶対暗黒であり、男性に女性がいなければ絶対暗黒です。


 平和の基地もそうで、地上天国と天上天国、すべてのものが愛から始まります。何の愛ですか。男性の愛ですか、女性の愛ですか、男性、女性が合わさった愛ですか。合わさった愛です。その男女の愛はどこで合わせますか。顔で合わせますか、指先で合わせますか。凹凸で合わせるのです。


 男性が崇拝できる最高の場所とはどこでしょうか。女性の顔ですか。女性の胸ですか。女性の体ですか。どこですか。凹と凸を合わせることができる所は一つしかありません。そのために、予備的環境が、社会が連結され、国家が連結され、世界が連結されて、地上・天上天国、宇宙がみな連結されます。これが存在世界の鉄則であり、公式です。


 男性完成、女性完成、神様まで完成させることができるその本拠地とはどこでしょうか。どこで神様の愛を完成させることができ、どこで男性、女性を完成させることができるのでしょうか。その中心の定着地とはどこでしょうか。これが問題です。これを知らなければ、地上に愛の理想天国を拡張、拡大することはできません。それは目ですか、鼻ですか、手ですか、足ですか。どこですか。凹凸です。


 生殖器というものは何ですか。それは真の愛を中心とした王宮であり、真の生命を中心とした王宮であり、真の血統を中心とした王宮です。一番貴いものです。これがなければ、神様の理想、神様の家庭、神様のみ旨が成されないのです。これは、全体完成を成し遂げることができる一つの起源です。


 女性の生殖器は、宇宙的な本源です。愛の関係を結ぶその場が、愛の本宮になっています。本然の宮中です。愛はそこから始まるのです。結婚した初夜の愛が、愛の本宮の出発です。女性の生命、男性の生命が、初めて一つになるのです。ですから理想的な生命の本宮がそこであり、血統がそこから始まるために、血統の本宮がそこなのです。そして天国がそこから始まるために、そこが地上天国の本宮であり、天上天国の本宮であり、人間完成の本宮であり、神様完成の本宮です。


 生殖器は、愛の王宮です。今、その愛の王宮がどのようになっていますか。愛の王宮であり、生命の王宮であり、血統の王宮であるもの、そのように貴いのが人間の生殖器です。神聖なものです。それが堕落によって、汚いものになってしまいました。本然の神様の観点から見れば、汚いものではなく、神聖なものです。最も貴いものです。生命、愛、血統がここに連結されています。このように神聖なものをサタンが汚しました。


 生殖器を絶対的に貴く思う世界になれば、その世界は良い世界でしょうか、悪い世界でしょうか。栄える世界でしょうか、減びる世界でしょうか。神様が人間を創造なさるとき、最も大切に精誠を尽くして創造された箇所とはどこでしょうか。目でしょうか。鼻でしょうか。心臓でしょうか。でなければ頭脳でしょうか。これらはすべて、死んでなくなります。事実がそうではありませんか。


 私の生殖器は、愛の本宮です。私の生殖器は、生命の本宮であり、王宮だというのです。私の生殖器は、血統の王宮です。このようになってこそ、神様が臨在できる王宮になることができるのです。神様は王の王であられ、本宮を訪ねてとどまられるお方なので、神様に仕えるために、愛の本宮にならなければならず、生命の本宮にならなければならず、血統の本宮にならなければならず、良心の本宮にならなければなりません。


 愛が中心となって、二人が生命の合一体となって合わさる場、男性の血、女性の血が一つのるつぼで一つになる場が生殖器です。その場は、息子、娘より貴く、夫より神様よりも貴いということを知らなければなりません。子供より貴く、夫より貴く、父母より貴い場だというのです。それがなければ、父母も無価値なものであり、夫婦も無価値なものであり、息子、娘も無価値なものです。


 そのように貴いので、宝の中の宝として、世の中の誰にも見えないように一生の間、錠をかけておくのです。そしてその鍵は、男性のものは女性がもち、女性のものは男性がもっていますが、各々一つしかありません。一つの鍵だけをもたなければなりません。フリーセックスのように十も、二十ももちたいですか。門を開けて主人がいない家のように、過ぎゆく人がみな出たり入ったりする廃虚の家のようになりたいですか。


 男性と女性が愛する本宮、生殖器とは何ですか。愛の王宮であり、生命の王宮であり、血統の王宮です。おじいさん、おばあさんもそれをつかんで生き、今後生まれてくる息子、娘もみなそれをつかんで生きるでしょう。それをつかまないで生きる女性、男性がいるでしょうか。ところが、それが何ゆえ悪いものになりましたか。「下品な言葉」と言うでしょう。何ゆえ下品な言葉ですか。聖なる言葉です。聖なる言葉として受け入れなければなりません。そこで永遠の愛が連結され、永遠の生命、永遠の血統が出てきます。最も貴いものです。


 女性、男性の貞操を守り、保護するというのは、宇宙を保護することと同じです。男性、女性の愛の秩序が、宇宙の根本だからです。


 頭よりもそれがもっと重要です。頭には真の愛の起源がありません。頭には真の生命の起源がありません。頭には真の血統の起源がありません。その起源はどこにあるでしょうか。生殖器です、それは間違いないでしょう。生殖器にすべてのものがあります。そこに生命があり、愛があり、血統があります。そこが愛の本宮なのです。生命の根もそこにあります。血統も同じです。人間の体だけでなく、人間世界と人類歴史を通じて、一番貴いところです。それがなければ人類の繁殖は不可能です。


 堕落した世界において、愛は最も危険なものになってしまいました。愛をよく管理できなければ、天下が崩れ、ひっくり返るのは、堕落したからです。愛が何ゆえ偽りで醜くなったのかよく分からなかった人間が、その愛を守り、保護しようとしてきたのは、真の愛が現れてくれることを希望する本能のためでした。


 堕落することによって、男女の生殖器が、この妖邪な死亡の波、死亡の法、滅亡の地獄を開門させた本宮となり、天道を破綻させた化け物団地になりました。これが今まで歴史に隠された秘密でした。


 愛の王宮とはどこですか。こういう話をするからといって、変に考えないでください。それを正すことができなければ、世の中がみな狂うのです。標準が合わなければ、全天下に妖邪なものが横行します。文総裁がこれまで苦心して、人間の根本問題、宇宙の根本を究明してみると、ちょうど到着したところが生殖器でした。生殖器に到着してよくよく考えてみると、天地の調和がここで渦巻いていたのです。驚くべき事実です。


 真の自由は、責任性を前提とします。もし責任性がなく、個々人の愛の自由だけを主張して実践するならば、どんなに大きな混乱と破局が訪れるでしょうか。至高な愛の理想を成す人間の完成は、愛に対する責任性をもつとき、可能なのです。


 人間は愛の自由を下さった神様に感謝しながら自己修養、自己主管によって、自由の主体となる責任性をもたなければなりません。人において愛の責任性は、法や人目を気にすることによって守られるのではなく、神様との生命的、縦的関係の中で、自己主管、自己決断によって守られるのです。


 生殖器を目の見えない盲人のように、方向を失ったまま使用すれば、地獄行きであり、反対にこれを神様の絶対愛の基準に合わせて使えば、天国の高い所に行くのです。明白な結論です。


 愛の器官をむやみに扱えば、罰を受けるようになっています。それが愛の王宮であり、愛の先祖の園です。愛は、そこから出発しました。生命がそこから出発しました。歴史がそこから出発しました。地上天国の起源であり、天上天国の起源であり、神様の幸福の出発の起源が、そこで形成されるというのです。

 神様の笑いの土台がそこから出発します。愛を見つけて、神様が踊ることができる場が、その場です。その場を探していかなければなりません。それは正しいですか、違いますか。このように貴いものです。


 人間が堕落するとき、愛ゆえに堕落したために、この性器が一番恐ろしいのです。宗教では姦淫することを一番恐ろしい罪として扱っています。米国のフリーセックスは悪魔の地獄膨脹主義ですか、天国膨脹主義ですか。地獄です。地上地獄であり、天上地獄です。これはすべて滅亡するのです。


 文総裁がすべての真理を探究し、霊界、肉界を探査し、すべての経典を探査しても、これは解決する道がありません。神様がいるでしょうか、いないでしょうか。神様がいるならば、世界をこのようにつくった神様をそのままにしてはおきません。見極めるための談判闘争をしたのです。人間が生まれた根本原則とは何であり、何ゆえ生まれたのでしょうか。男性は女性のためです。それが全体の真理の中の最高の真理です。

 女性の前に理想的な男性は最高の真理です。宇宙全体を完成した理想の真理の本体だということを知らなければなりません。男性の前にそのような女性も、宇宙の真理の本体の中の本体です。絶対的な真理体です。


 祝福を受けた血統を汚してはなりません。それを皆さんは、よく知らなければなりません。天国を受け継ぐことができる、相続することができる財産です。それは血族の文書、血統の権利証書と同じです。族譜と同じです。純潔をどのように守るかということです。

) 理想的夫婦生活が重要


 男性は、神様の陽性的形状をもった存在であり、女性は、神様の陰性的形状をもった存在です。夫婦は、天下を一つのふろしきに包んだようなものです。ゆえに夫婦は、神様の理想的な愛の心情を感じることができます。


 夫婦が神様を愛し、人類を愛する心の土台の上で、爆発するように愛し合うならば、その家庭によって、神様が酔い、宇宙が酔うことができるようになります。その愛は、神様のための愛であり、人類のための愛でないはずがありません。その愛の根はどこにあるのでしょうか。自分にあるのではありません。神様が愛の根源であり、人類の愛が根源なのです。


 結婚したならば、既に平面的ではありません。平面的な基盤しかありませんが、高いものが低いものと連結されるときは、垂直的概念が生じます。平面的な役事は宇宙や天宙を収拾できません。垂直と水平が出合って、九〇度の角度を成すとき、それは天を地にしても、地を天にしても、前を後ろに、後ろを前にしても、右弦左弦、上弦下弦、前弦後弦、どの面に付けてもぴったり合うのです。地上の完成基準は、霊界のすべての完成へとつながります。


 神様の結婚式とはアダム、エバの結婚式です。ですから地上天国と天上天国が同時に生じるのです。愛の巣から出発するのです。男性、女性の生殖器を中心として、堕落しないで出会うその時間が、地上天国、天上天国出発の起源地です。三大王権を樹立しなければならないその基地がそこです。その場でなければ、愛の巣を成すことができません。


 人間は本性的に、自分に対する相対の愛が分散することを願いません。夫婦間の横的な愛の関係は、親子間の縦的な愛の関係とは違って、分散すれば既にその完全性が破壊されます。夫婦間には絶対的な愛の一体を成すようになっている創造原理のためです。人間には、自分の相対に絶対に「ため」に尽くさなければならない愛の責任性があります。


 男性と女性が祝福を受けて完全な愛を分かち合い、喜びを享受するとき、神様の目には、地上に咲いた花のようだというのです。また彼らの愛によって成されるすべての調和万象は、神様には香気のようなものです。神様は、このような美しい香りの中で暮らしたくて訪ねてこられるというのです。神様の愛が訪ねてくることができる根拠地が、まさしく夫婦の愛の場です。その場は、万物と宇宙が和動する場となるでしょう。


 神様の愛が人間の三大愛を中心として共に花咲くことができる家庭を成すことが世界の願いであり、人類の願いであり、未来の願いだというのです。これが初めて天地の法度の前に歴史の香りを漂わせることができ、新しい花として登場できる貴く美しいものが、夫婦の愛だということを知らなければなりません。


 男性と女性の愛の完成が宇宙の完成です。この愛が壊れる日には、宇宙の秩序が破壊され、縦的な世界がみなつぶれるようになります。

 心情的な愛によって結ばれた夫婦は、その愛情が生活圏に満ちあふれ、生涯を通じて満ちあふれ、神様の目的と間違いなく一致したという家庭を成さなければなりません。そうでなくては神様がいらっしゃる天国へ帰ることはできません。


 愛は永遠です。そのような愛は、二つではなく、一つです。男性と女性の間が愛によって結ばれれば、地上で百年偕老(注:夫婦が仲睦まじく年を取ること)し、死んでも永遠に共に生きていくようになっています。体は二つでも、一つとなって回ることによって一体になるのです。二つの体が一つになれば、神様と回るようになって、愛の四位基台を成すので、それが正に理想世界なのです。そこには偽りの愛が侵犯できず、ただ真の愛のみが臨在するようになるのです。


 人には常に刺激が必要です。幸福は、刺激なしには成されません。刺激がなければなりません。


 いつも食べる御飯も、食べるたびに、おなかがすいていてこそ味が新しいように、夫婦間の愛も同じように、常に新しくなければなりません。妻と夫がお互いに見れば見るほど、より一層共にいたいし、一日中、共に過ごしたいと思わなければなりません。そのために自分に対する研究をしなければならず、神様に対する研究をしなければなりません。


 理想的夫婦とは、どんな夫婦でしょうか。最高の芸術を実体に展開させることができる夫婦、最高の文学を展開させることができる夫婦なのです。最高の理想、最高の文化世界に接する前に、最高の愛によって夫婦がやり取りする甘い愛が、世界最高の芸術作品にならなければなりません。夫婦生活自体が最高の文学作品であり、それ自体が文学の実体にならなければなりません。


 結婚して夫婦が真の愛を行う場は、神様と人間の愛と、生命と、血統の根源の王宮の場であり、理想のための地上天国、天上天国の出発地なのです。このような真の愛によって結実した子女が、真の愛を中心とした夫婦一体を完成して、神様に仕えて生きる家庭になり、平和と理想の出発基地になるのであり、半分の男性、女性たちは一体となって、神様の相対として神様の理想愛を完成させるようになるのです。

 赤ちゃんを生む場は、神様の上弦世界を占領するのです。神様の立場に上がることによって、子女を愛することによって、神様が創造以後、人間をどれくらい愛したのかという内縁を体恤させるのです。


 皆さん、愛するのを神様が見るでしょうか、見ないでしょうか。天下時空を超越する神様が、この世界の五十億人類が愛する夜になると、目をつぶるでしょうか、つぶらないでしょうか。見ているなら気分はどうでしょうか。

 良い妻、良い夫がどれほど多いですか。考えてみてください。ありとあらゆることがみな展開されるでしょう。やむを得ず女性の役割をし、やむを得ず引っ張られていき、やむを得ず機嫌を取って、そのように生きるのではありません。

 それが愛ですか。それが人生ですか。世の中がすべて神様が願っていた創造理想どおり、花の香りが漂うエデンの園のように、ちょうど蜂が思いのままに飛び交い、天地に和動しながら生きることのできる環境となって、神様がそこに酔い、眠ることができるなら、どんなにいいでしょうか。それを考えたことがありますか。一度そのように生きてみてください。


夫婦の愛を通じて一つになることによって、神様のような立場で、創造の能力を成したのが子女です。


) 祝福は理想家庭完成にある


 人間に対する神様のみ旨は、創造目的を完成して創造理想を実現することです。創造理想の実現は、男女が結婚して愛によって一つになることで終わるのではありません。そのようになったのちは、息子、娘をもたなければなりません。何ゆえそうなのかといえば、天地の道理は上下、前後の関係が連結されることだからです。きのうがあればきょうがあり、きょうがあればあすがあるのです。連結されなければなりません。ですから夫婦だけでは、きょうはあってもあすはありません。あすがなければ、すべてのものが終わるのです。それで天地の道理は、上下が連なってこそ左右になります。


 人間の始祖を通じた神様の理想は、男性と女性が結合して、理想的な家庭を成すことでした。理想的な家庭の中心は、男性でもなく、女性でもありません。家庭とは、父母と子女、夫婦の結合によって成された一つの束なのですが、その結ばれた中心が、正に神様の愛です。神様の愛を中心として、家庭を完成させることが神様のみ旨だという結論が出てきます。家庭は、神様の理想が顕現することのできる基点であり、人類の幸福の顕現の基点となるのです。人間としての仕事がみな終わる場であり、神様もすべての物事の完成を見る場です。家庭がなぜいいのですか。それは父母の愛を中心として自由に活動する基地になるからです。


 家庭には必ず父母がいて、妻子がいなければなりません。そうしてこそ、その家庭が幸福の土台になるのです。神様が人類を訪ねてこられる目的も、神様御自身の幸福を模索するためのものであるに違いありません。ゆえに神様御自身が幸福の土台を訪ねてこられるのに、人間を離れた所では、そのような理想はあり得ないというのです。人間と共に関係を結んでこそ、その一致点をもたらすことができるのです。私たちが家庭で情緒的なすべての内容を備えた立場で幸福を感じるのと同じように、神様もやはりそういう立場で幸福を感じようとされるのです。


 神様を中心として一つになるとき、千態万状に回るようになるのです。したがって兄弟間で愛するのも、父母が子供を愛するのを見習って、兄は弟を愛さなければなりません。そのように愛して一元化した家庭は、家庭愛が花咲くことができます。これがまた社会愛になることができます。さらには、民族愛になり、世界愛になるのです。ところが今日、これが漠然としているというのです。


 真の家庭は、自分のお母さんのように妻を愛して「ため」に生き、自分のお父さんのように夫のために尽くして愛し、兄妹のように愛し合う所です。その次は、神様のように自分の妻を愛し、神様のように自分の夫を愛して尊敬する世界が、理想家庭が暮らす天国です。このような伝統がこの地球上に立てられなければなりません。


 神様を中心とした永遠の父母の愛、永遠の夫婦の愛、永遠の子女の愛、この三種類の愛があるのが理想的家庭です。


 人の一生において、最も重要な時はいつかといえば、生まれる時、結婚する時、死ぬ時です。それでは生まれる時は、どのように生まれなければならないでしょうか。正しく生まれなければなりません。私たち統一教会でいえば、心情の因縁を中心として生まれなければなりません。

 その次は、結婚する時です。結婚とは、生きるためにするものです。すなわち、四位基台を成すためにするものです。これと同じ宇宙の公法を地球上に立ててこそ、神様のみ旨が成され、人間の願いが成されるというのです。このような宇宙の法度が指向する内容を備え、その形態を備えるためのものが家庭です。


 天国生活はどこから始まるのでしょうか。正に家庭です。他の所から始まるのではありません。天国は家庭を立体的に拡大させただけであって、家庭園を離れたものではありません。ですから皆さんが自分の妻や夫を抱くとき、これは世界のすべての男性と女性が一つになるのだという考えをしなければなりません。このように世界人類を愛したという条件を立てることができる場が、正にこの家庭です。


 父子の関係の真の愛は縦的であり、夫婦の真の愛の関係は横的であり、兄弟の真の愛は前後の立場として、球形の真の愛の理想を願われたのです。すなわち、縦に上弦下弦、横には左弦右弦、前後には前弦後弦を全体的に連結した一つの中心点で統一は成されるのです。その点が球形体の中心点になるのです。いつ四大心情圏である子女、兄弟、夫婦、父母が一体を完成するのかといえば、神様を中心として人間が結婚して初愛を結ぶ場が、すべての完成の結実点であり中心になるのです。したがって結婚は、天地人の合徳であり、縦横、左右、前後、全体を完成するものです。結婚は真の子女、兄弟、夫婦、父母の理想の真の愛の完成地なのです。


 一家庭を中心として、一番良いものとは、皆さん自身で決定されるものではありません。それでは家庭での最上の価値は、何になるでしょうか。父母です。皆さん一個人においても、権力や知識、または名誉やお金も貴重なものになるでしょうが、そのすべてのものに勝って良いものは父母以外にないというのです。その次は皆さんの妻や夫になるでしょうし、さらには皆さんの子女になるでしょう。

 事実、皆さんの家庭で皆さんの父母や妻、そして子女たちよりも大切で価値あるものがありますか。ないというのです。では何ゆえ、父母が良いものになるのでしょうか。そしてまた夫と妻、子女が何ゆえ、良いものになるのでしょうか。愛があるからです。父母の愛、これは夫と妻にとって、絶対的に必要なものになります。そして兄弟間の友愛とか、子女が父母に対して抱く孝行の心も、一家庭で絶対的に必要なものです。


 神様は真の愛の本体なので、真の愛と連結されればすべてが同じ体になります。父母は神様の代わりに生きている神様であり、夫と妻はお互いに片方の神様であり、息子、娘はまた一つの小さな神様です。このように三代が真の愛を中心として成された家庭組織が、天国の基盤です。そのような基盤を成さずしては天国が成されません。家庭とは、宇宙の中心です。家庭完成は、宇宙完成の基礎となるために、家庭で愛するとともに宇宙を愛すれば、どこでも無事通過です。こういう場合、神様は宇宙全体の父母として、愛の複合的な中心の場にいらっしゃいます。


 統一教会の「原理」でいう四位基台は、三大愛圏をいうのです。三代が一つの家で暮らしながら、愛によってむつまじく幸せなとき、天地創造の理想が実現されるのです。夫婦が愛し合うことはもちろんですが、子女たちに愛によって祈祷してあげ、精誠の心で世話をしてこそ、家庭がむつまじく、幸福になるのです。これが縦的に成され、横的に連結されるとき、完全な愛が成されます。いとこと、またいとこの兄弟たちまで愛によって一つになって初めて愛の原形となり、完全になります。


 理想的な愛は、家庭で成されます。しかし神様は、真の息子、娘をもつことができませんでした。真の兄弟をもつことができず、夫婦をもつことができず、また父母になることができませんでした。ゆえにこのようなことを成そうというのが、神様のみ旨です。このようなところでこそ、愛がとどまるのです。このような愛が成されるところには、人々が世の中のすべてのものを捨てて、訪ねてくるのです。


 神様は、家庭の中心となるお方として、この世界は神様の国にならなければなりません。祝福家庭は、神様の国を連結させることができる家庭になるように努力する生活をしなければなりません。神様の代わりに、「ため」に生きる生活をするところから、氏族が展開され、民族が展開され、国家が興って形成され、世界が形成されます。それで家庭は、神様を中心とした世界を形成する責任を果たさなければなりません。先生を中心とした統一教会は、一つの氏族のようなものであり、一つの民族のようなものです。五色人種が合わさって単一民族を形成し、世界に誰よりも「ため」に尽くすことのできる国家を形成することが、統一教会の目的です。それが先生がしようとする目的であり、神様が先生を通じて成就しようとする目的です。

 統一教会では、天国は氏族圏内から成されると見るのです。おじいさんを中心として、父母と兄弟が一つになり、いとこと、またいとこまで一つに連結されるとき、完全な三代が成されます。このような氏族圏の愛が、地に立てられ、神様と一つになるならば、すべての世界は神様と一致する愛の世界であり、天国になるのです。

 女性が嫁に行っても同じです。夫の祖父や舅は、神様の代わりの立場であり、夫の代わりの立場ですから、愛で侍らなければなりません。また義理の弟や小姑とも愛によってむつまじくなければなりません。こういう愛の関係が、社会へ拡大して、民族と国家、世界へ拡大するならば、この世界は罪悪と戦争の代わりに、平和と愛で満ちるでしょう。その世界が正に神様の理想が実現された一つの天国であり、理想世界です。

 この宇宙の中心は、どこにあるのでしょうか。家庭にあります。真の愛が定着できる基地はどこでしょうか。皆さんが生きている皆さんの家庭だというのです。したがって本来の家庭は、宇宙愛を掌握して宇宙の保護様相を体得しながら、宇宙愛圏を拡大させ、家庭を越えて国家を愛する愛国の道を行かなければならず、ひいては民族と国家を越えて、世界を愛する道へと行かなければなりません。家庭を愛する人を「孝子」または「烈女」と言い、国を愛する人を「愛国者」と言うならば、世界を愛する人は何と言うのでしょうか。その人を正に「聖人」と言うのです。


 神様の愛圏の中で理想的な家庭を成し、氏族を成し、民族と国家を形成して、もっと拡大して、アダムの理想が実現する一つの理想的世界を成し遂げていたでしょう。木の根、幹、葉が一つの生命で連結されているように、愛を中心として上には神様を父として侍り、下には万民を兄弟のように、一つの生命体、愛の生命体に和するようにして、神様を中心とした永遠の理想世界を成さなければならないのが、正に神様のみ旨から見た世界観です。このような世界の人間たちには、救いが必要ではなく、メシヤも必要ありません。なぜかといえば、その世界に住む人間は、神様の善の息子、娘だからです。


 この地球上に神様のみ旨が成されていたなら、アダムを中心とした単一文化圏が形成されていたことでしょう。今日のように数多くの民族がそれぞれ文化と文明を形成してきたのではなく、アダムを中心とした単一文化、単一思想、単一文明をもった世界になっていたはずです。このようになっていたならば、文化、歴史、風習、言語、伝統などがみな統一されていたことでしょう。


 家庭とは、人類愛を教育する代表的な修練所です。心情の中心を立てる代表的な広場です。そこで互いに信頼し合い、幸福な生活を営めば、全宇宙の中心が立つようになり、幸福を享受するようになるというのです。それが理想圏の始まりです。愛なくしては、何の存在の意味もありません。


 統一教会の理想は、他の所にあるのではありません。出発も家庭で、結論も家庭です。まだこのような問題を解決した人がいないので、それを願ってきました。そして、そこに幸福があるので、これを体系化させ、天宙化させて、無限の価値を現したので、「統一主義」が公認されたのです。したがってこの主義を嫌う人々がなく、みな頭を下げて好きになれば、世界は自動的に統一されるのです。


 これから先生は、家庭に対する規範、天国家庭としてもつべき生活に対する規範を教えてあげなければならないと感じています。しかし、復帰の路程を歩むべき人たちは、「原理」を中心として教えてくれる人がいるので、その人たちを通じて教えを受けなければなりません。先生が直接そのような問題に責任を負う時代は過ぎました。家庭一つ一つを中心として、再び収拾しなければなりません。私たち統一教会の組織は、家庭組織です。家庭を中心にするというのです。個人を中心にしてきたものを、家庭を中心にするということです。


第二章 真の父母と祝福の歴史

一 真の父母と第三選民圏

) 祝福家庭は真の父母の新しい氏族圏


 先生の家庭を中心として結合した祝福家庭は、新しい氏族です。これが日に日に発展していくと、新しい民族になります。そこから少し発展すると、国家・世界圏を成すようになります。すなわち、新しい民族、第三イスラエル民族が形成されるのです。日本人であっても、今までの日本の歴史過程に現れた先祖から血統を受け継いだ子女ではなく、新しく神様による血統圏を受けた子女になり得るのが統一教会です。


 霊的な第一・第二イスラエルを連結して、第三イスラエル圏を地上に成さなければなりません。そのために再臨主は、第一イスラエルの代わりの第一家庭(アダム家庭)と、第二イスラエルの代わりの第二家庭(ノア家庭)と、第三家庭(ヤコブ家庭)を探し出して立てなければなりません。それで三十六家庭は、人類の先祖とならなければなりません。


 これから統一教会を中心として第三イスラエルの民になるためには、祝福を受けなければなりません。その昔、アブラハムの時代には、イスラエルの民になるためには割礼をしなければなりませんでした。またイエス様の時代には、洗礼を受けなければなりませんでした。同じなのです。統一教会では、祝福を受けなければ第三イスラエルの民になることができません。しかし、祝福を受けるための条件は簡単ではありません。先生もその条件ゆえに、今までの四十年の生涯を捧げてきました。それゆえに、一生をみな捧げてきたのです。


 祝福家庭の版図が広がるというのはどういうことかといえば、神様を中心とした主流の家庭圏が拡大されたということであり、神様の氏族が形成されたということです。このように真の父母の因縁と天倫の内的な心情を受けた家庭が生まれて横的に拡大されたのは、神様を中心として氏族が形成されたということであり、民族、国家が形成されたということです。さらに一国家の形成で終わるのではなく、神様を中心として世界を形成することなのです。


 本来、統一教会の祝福家庭は、一国家の形成を目標として始めたものではありません。神様を中心として善の世界を目標として出発したものです。ですから統一教会の祝福家庭は、全民族的であり、全国家的なのです。

 神様のみ旨を中心として出発したので、皆さんの家庭がたとえたった一つの家庭であり、皆さんが金なにがし、朴なにがしという個人だとしても、統一教会の祝福家庭は、個人のみを代表とした家庭ではありません。全世界の人類を代表した家庭です。言い換えれば、国家を超越し、民族を超越し、氏族を超越し、全体を代表した家庭だというのです。


 統一教会は、他人同士が集まって新しい家庭を形成し、今までの氏族観を超越した新しい氏族を形成しなければなりません。また様々な氏族を合わせて単一民族を形成しなければならず、様々な民族を合わせて自分の民族を愛する以上に愛することができなければなりません。これが統一教会と統一教会員が行く道です。


 祝福の基点の上に現れた責任者、すなわち中心存在は、その時代という制限された環境のみに処している存在ではありません。世界史的な内容をもった中心人物だというのです。ですから祝福は、夫婦の因縁をもつことだけで終わるのではありません。その祝福によって新しい家庭を形成しなければならず、新しい氏族、新しい民族、新しい国家が形成されなければなりません。そのすべてのものがここから出発しなければならないのです。

 このような観点から見る時に、一九六〇年代から新しい歴史時代に入ったということを知らなければなりません。新しい歴史時代に入ることによって、新しい氏族がここに顕現するでしょうし、新しい国家、新しい世界の形成がここに現れるようになるのです。今まで、このような基点を中心として統一教会では祝福行事を挙行してきたのです。

) 祝福家庭を通した第三イスラエル圏の編成


 神様の側では祝福家庭を誕生させることによって、新しいイスラエル圏を編成しなければなりません。それで一九六〇年からは神様の側の運勢が高まるのです。そこから家庭・氏族・民族時代を経て、世界時代に向かうのです。ヤコブのような先生が家庭を中心として、エサウのような皆さんと一つになって氏族と民族を編成しなければなりません。


 第三イスラエルの先祖にならなければならない終わりの日に処した皆さんは、最後のみ言は神様の愛のみ言だということを知らなければなりません。神様の愛に基づいたみ言……。神様のみ言の見える実体にならなければなりません。神様の内的心情が皆さんの内的心情にならなければなりません。すなわち、本心の実体にならなければなりません。


 皆さんは、神様のみ言を繁殖させ得る第二創造主の使命を果たさなければなりません。すなわち、み言の繁殖体にならなければならず、生命の繁殖体にならなければなりません。そして愛を中心として一つになってこそ、神様に永遠に侍ることができるのです。このような基準が第三イスラエルの基準です。このようにしてこそみ言を植えつけることができ、実体を植えつけることができ、生命を植えつけることができるのです。

 神様に侍り、み言を読んで感じることのできるみ言の実体、生命の実体、六千年の心情に代わった実体になり、第二イスラエルを再創造する使命を完遂しなければなりません。そうしてこそ神様の内的な心情が完全に通じた息子、娘になることができ、そのような神様の真の子女になってこそ、神様の愛を中心とした永遠なる栄光の中に生きることができるということを心に刻まなければなりません。


 第三イスラエルは、悲しみから復活した民族です。喜びの場から復活したのではなく、悲しみの場から復活したのです。悲しみの世界でサタンを屈服したということが違うのです。前にも龍媒島事件のことを話しましたが、そのようにするのは難しいことなのです。しかし避難の道をたどる時も、この三千万の民族の中で最も困難な避難の道をたどろうと心に決めました。そして「死ぬ時までこの道をたどる! 私の脈拍が止まる時まで行く! まだ息をしているのだから行かなければならない!」という決心をして行ったのです。



 世界が一つの心情によって一つの形態をもち、天の心情とイエス様の悲運な死を通して歴史が流れてきたのですが、今日この実を結ぶことのできる一つの実体が皆さん自身であることを知らなければなりません。皆さんがイエス・キリストの悔しい心情と喜びの心情を所有する相対者になってこそ、第三イスラエルとして残ることができるのです。イエス様がそのような心情を抱いて祭物になられ、第二イスラエルをつくったので、今日私たちがこのような覚悟をしてこそ、第三イスラエルの先祖になることができます。また、いわゆる地上天国、すなわちエデンの園の本然の子女になることができるのです。


 統一教会の祝福家庭は、その昔イスラエルを中心としてユダヤ教を通してメシヤを待ち望んだ立場ではなく、メシヤに出会って新しい氏族編成をした一段階前進した立場に立っているのです。


 韓国を見る時に、神様を不信した人たちは第一イスラエルであり、既成教会は第二イスラエル、統一教会は第三イスラエルに該当します。そしてサタンがこの摂理の中心を攻撃するのです。


) 第三イスラエル入籍は祝福によって


 アブラハムは祭物としてイスラエルを形成しましたが、統一教会では祝福によってイスラエルを形成しました。それで第三イスラエル入籍は、祝福によってのみ可能なのです。


 統一教会は、アダムとイエス様がサタンに侵入されて立てることのできなかった、その絶対基準を立ててきました。聖婚式は一九六〇年、先生の家庭を中心として始まりました。そののちには家庭園編成を超えて氏族圏を編成しなければなりません。氏族圏を成すためには、イエス様を中心として弟子たちが一つになった立場に立たなければなりません。イエス様が弟子たちと相対基準を結んで家庭を築いたなら、その弟子たちも相対基準を結んで家庭を築かなければなりません。そうしてユダヤ教内で新しい氏族圏を編成するのです。


 イエス様が聖婚式を挙げるなら、聖婚式を挙げない立場でまずイエス様の家庭と十二弟子が完全に一つにならなければなりません。その次に、イエス様の家庭を中心として祝福を受け、霊肉共にサタンが侵入できない勝利圏をつくらなければなりません。祝福を受けて新しく編成された氏族というのは、堕落によって復帰された養子圏とは全く違います。それは、初めて神様の息子から始まった氏族圏が出現することを意味するのです。


 キリスト教が霊と肉を中心として完全な立場に立つことができなかったので、すなわち肉的基準を除いた霊的基準だけを中心として第二イスラエル圏を成したので、私たちが肉的基準までも成さなければならないのです。この肉的基準を成す日が再臨の日なのです。この一日を願ってきたキリスト教徒たちは、第二イスラエルの霊的基準の上で再び来られる主に出会い、第三イスラエルの世界的な選民圏を成さなければなりません。


 イエス様は霊的には勝利されましたが、地上にイスラエル圏を成すことができなかったので、霊界のイスラエル圏を立てることも、個人から始まるのです。


 今日、全世界を見る時、二千年前の国家のように腐敗しつつあります。このような国の中からイスラエルの立場の国家として韓国を、またローマの立場の国家としてアメリカを立てて摂理をされているのです。この二つの国家さえ一つになれば、世界を一つにし得る基盤が成されるのです。霊的なキリスト教の世界的基盤の上に、共産世界を吸収して地上天国を完成するのです。ですから再臨主には、共産世界と民主世界を一つにしなければならない責任があります。


 では今、どこまで来たのかといえば、既に世界的基盤を越えたというのです。統一教会は、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界の完成基盤をつくり終えたのです。ですから五色の人種が一つの家族になっているのです。第三イスラエル民族は、世界的な国の基盤の上に霊界と肉界を中心とした天の国をもち得る民族なのです。それで私たちは、新しい第三イスラエル民族になることができるのです。


 第三イスラエルは、神様の心情を相続した群れです。再臨主によって心情的実体基台が世界的に拡大されなければならず、その基台を通して蕩減復帰していかなければなりません。そして復帰した家庭の基準をつくらなければなりません。


 イエス様は、人類の真の父母になられるはずのお方でした。それで、真の父母として来られたイエス様がサタンに侵害されたことは、真の父母によって生まれ変わらなければならない全人類がサタンに侵害されたことになるのです。父母が侵害されたので、父母から生まれたすべての子孫たちは、その父母の基準を凌駕することはできません。それで神様とみ旨のみを思って出発することができなくなった人間は、イエス様の十字架のもとに集まらざるを得なくなり、それが今、世界的に広がって信仰しているキリスト教徒たちなのです。


二 祝福家庭の歴史

) 三十六、七十二、百二十四家庭の歴史


 神様の歴史は氏族での民族編成運動なので、統一教会の先生を中心として一九六〇年代の聖婚式、すなわち祝福のあとから本格的な氏族編成が展開するのです。それが三十六家庭から七十二家庭です。三十六家庭は、イスラエルの民族歴史、ユダヤ教の歴史の中において、先祖たちをもう一度探し出したものです。先祖の代表を立てたものなのです。そのような蘇生基盤が展開されたその基盤の上に、七十二家庭があるのです。


 それでは七十二家庭とは何でしょうか。三十六家庭の二倍なのですが、祝福家庭があると、いつもカイン家庭とアベル家庭の闘いの問題になるのです。ですから父母の家庭を中心として、息子の家庭である長子の家庭と次子の家庭が一つになれませんでした。常にカインがアベルを打つ立場にあるので、一つになれなかったのです。それで象徴的な面で蕩減条件を立て得る家庭として合わせたのが、七十二家庭だということができます。


 横的に見ると七十二家庭は、イエス様の時代の十二使徒の次の立場の七十二門徒を代表とした家庭なのです。これは今日、私たちの時代においての三十六家庭を中心として見るとき、すべての家庭の前にアダム家庭のカイン・アベル家庭に該当します。

 今まで、その時代に影響を与えてきたすべての先祖たちが摂理の中で、カイン、アベルを一つにするのに失敗しました。そのカイン、アベルを一つにする基盤を形成し得なかったので、堕落の世界は延長してきました。そして三十六家庭を中心として七十二家庭型をつくり、カイン家庭とアベル家庭を連結させて、一つの先祖の家庭をつくるのです。これが八十四家庭になるのです。


 百二十門徒とは何でしょうか。イエス様が昇天したのちにできた百二十門徒。十二使徒が一つの氏族的基準だといえば、七十二門徒は民族的基準であり、百二十門徒は世界的国家に代わった基準です。このようなすべてのものを再び蕩減復帰して、解怨成就をするのです。それを誰がしなければならないのでしょうか。来られる主の解怨成就なしには、世界の生きる道はありません。それで三十六家庭を立てて七十二家庭を立て、これが一つになることによって、民族的中心を確定することができるのです。


 三十六家庭は、アダムからアブラハムまで二千年間の先祖たちに代わった家庭です。ですから三十六家庭の前にはカイン、アベルがなければなりません。この立場に立てられた家庭が七十二家庭です。また十二数を中心とした、全体数のために立てられた家庭が百二十家庭です。百二十四家庭のうち四家庭は、この世で既に結婚していた家庭を立てました。これは堕落した人間の立場を復帰することであり、イエス様の歴史の中で探し出そうとした家庭を復帰することを意味するのです。


 先生は、先生の家庭を中心として三家庭を祝福し、三家庭を中心とした十二家庭を中心として三十六家庭、七十二家庭、百二十家庭を祝福しました。これは、先生が世界史的な闘争を経て祝福したものです。これは、イエス様を中心とした三弟子と十二弟子、七十門徒、百二十門徒のようなものです。イエス様が神様の息子の立場で父の代わりに勝利的責任者になったのと同じように、皆さんも息子の立場で責任を果たさなければなりません。


 これから問題になるのは祝福家庭です。三人の息子は、アダム家庭、ノア家庭、ヤコブ家庭に代わる家庭です。三十六家庭というのは、どのような家庭でしょうか。歴史的に提示されたすべての蕩減条件を果たさなければならない代表的な家庭です。結局、三十六家庭とは、歴史上の各時代においてすべての家庭がみ旨を成すことができなかったので、家庭の形態を果たせずに受け継がれてきたすべての歴史的な蕩減条件を、この時代に地上で予防線として張るための家庭です。言い換えれば、歴史的に受け継がれてきた蕩減条件を防ぐことのできる代表的な家庭が三十六家庭です。


 それでは七十二家庭と百二十家庭とは、どのような家庭でしょうか。三十六家庭は歴史的な代表の家庭なので、過去からつづられてきたものの代わりになる家庭です。この家庭を中心として現実的な基盤として立てられたのが、七十二家庭と百二十家庭です。過去から願ってきた家庭的な蕩減条件を防ぐことのできる家庭が三十六家庭ならば、それを現実的な家庭の基盤として防ぐことのできる家庭が七十二家庭と百二十家庭です。七十二家庭は氏族と民族を代表した家庭であり、百二十家庭は世界を代表した家庭です。


 皆さんも御存じのように、一九六〇年を中心として、先生の聖婚式を中心として、三十六家庭から七十二家庭、百二十家庭へとずっと発展してきたのです。三十六家庭を選ぶためには三家庭を中心とし、続いて十二家庭を中心とした三時代型、すなわち旧約時代、新約時代、成約時代型を代表に全体を連結させたのです。


 十二数というのは横的基盤のみではいけないのです。縦的な立場において霊界と連結させる基盤をつくらなければならないので、三十六家庭を中心として、それを一つの先祖が再臨した基盤として、七十二家庭、百二十家庭に連結されたのです。七十二家庭とは、氏族から民族に編成して天を代表し得る中心者を選んで立てるということなのです。


 モーセが七十二長老を中心として民族的な指導基盤をつくったのと同じように、統一教会においても氏族圏から民族圏に発展しなければならないというのです。それは家庭です。どこまでも家庭を中心として天が役事するというのです。ですから統一教会の合同結婚式は、ある個人の結婚問題を解決するためのものではありません。祝福家庭は、今まで歴史時代に数多くの先祖たちと民族、国家が天と相克してきたものを打ち破るために、一時一つの群れとなり、時代的な一つのチームの使命的負担を担わなければならないのです。

 百二十家庭であれば百二十家庭が一つのチームになり、四百三十家庭であれば四百三十家庭が一つのチームにならなければならないのです。歴史的なすべての結婚を中心として成された家庭の失敗を蕩減して、一つの中心的な復活家庭として登場するのが合同結婚式をした家庭だということを知らなければなりません。


 先祖を中心としてカイン、アベルが一つになったなら復帰されていたでしょう。その復帰の目的は国家のみではありません。世界です。国家のみの復帰ではいけないのです。世界が復帰されなければならないのです。イエス様が昇天され、五旬節の日が来た時に屋根裏部屋に集まった百二十人の門徒とは、世界的国家代表だというのです。民族を中心としては七十二家庭まで基盤ができれば、それが一つの中心になり、世界的な国家形態が成されます。これは十二支派を中心とし、七十二門徒を中心として国家の中心になることはできても、世界の中心にはなれないのです。


 民族を中心とした七十二家庭の基盤の上に、世界の代表百二十国家を糾合したならばイエス様がこの地上でみ旨を成すことができたというのが摂理観なので、これを蕩減復帰するのが統一教会の責任です。統一教会の責任であると同時に、統一教会の祝福を受けた家庭の責任です。

 では、この家庭はどうしなければならないのでしょうか。三十六家庭を中心とした七十二家庭、百二十家庭が完全に一つにならなければなりません。形で見るとどうなるかといえば、世界を代表したのが蘇生で、その次の七十二家庭が長成、その次に三十六家庭が完成です。これが先祖ですから、そのように見るのです。百二十家庭が終わることによって一九六五年に、先生が全世界に聖地を選定したのです。


 神様のみ旨を中心として三十六家庭を探し出し、その次には七十二家庭を探し出して民族的中心にし、世界国家型の百二十家庭のような基盤をつくっておいたので、世界国家を管理しなければならないのです。そうすることのできる時代に入るので、全世界四十カ国に、百二十箇所の聖地を選定したのです。

 そうすることによって、神様のみ旨の中で先祖が探し出され、その次には七十二家庭を中心としてカイン・アベル型が探し出され、世界代表者が探し出されたので、世界の国家の地を探し出さなければなりません。神様の摂理時代に人を探し出し、地を探し出したので、世界的な時代へと越え始めたのです。このようなことが一九六五年に、聖地を選定したのちに起こったのです。


 三十六家庭も責任を果たすことができず、七十二家庭も責任を果たせませんでした。全部果たせませんでした。それで先生の家庭で惠進と喜進が犠牲になりました。先生は、息子、娘を犠牲にしながら天のため、またカイン家庭のために生きたのです。三十六家庭、七十二家庭の皆さん、考えてみてください。皆さんもそのような心をもって生きてきましたか。先生は、天の家庭はこうでなければならないということを見せるために、どんな代価を払っても讒訴条件を残さないようにしたのです。

 ところが、もしこれが残ったときには、どのような代価を払わなければならないでしょうか。もう一度七年路程を歩まなければなりません。しかし一次七年路程を歩むことによって、家庭的な基準を中心として、讒訴条件を解消させることができたのです。


 縦的な歴史を横的に蕩減する歴史を経てくるためには、蕩減復帰の基盤を築かなければならないので、三十六家庭と、七十二家庭と、百二十家庭を立てたのです。その中で三十六家庭は、縦的な先祖三十六代の縮小型です。その次に、一代下ったカイン・アベル型が七十二家庭です。そして百二十家庭は、世界の百二十カ国を代表した家庭です。国連加入国とぴったり合わなければならないのです。事実、そのようにぴったりと合っているのです。


 三十六家庭は堕落した人類の先祖たちが復活した型であり、七十二家庭はその先祖たちの息子、娘が復活した型であり、その次の百二十家庭は世界の人たちが復活した型です。ですからこれらが一つになれば結局、家庭と息子、娘が一つになって、世界が一つになります。それで百二十家庭までは、個人が責任をもたなければならないのです。


 これからは皆さんも、先生のような考え方をしなければなりません。一つの世界を探し出すためには一つの国を立てなければならず、一つの国を探し出すためには一族、文氏であれば文氏の氏族を動員しなければなりません。氏族を動員してこの大韓民国の民族を救わなければならないのです。このような観点をしっかりともっていなければなりません。


 再臨主は、アダム家庭の立場を蕩減復帰しなければなりません。したがってアダム・ノア・アブラハム型の家庭を探し立てて、先祖として立てなければならないのです。そのためにはまずアダム型の十二家庭を立て、次にノア型の十二家庭とアブラハム型の十二家庭を立てて、縦的な先祖を立てなければならないのです。それで先生が三十六家庭を立てたのです。この先祖たちを中心としたカイン・アベル型の家庭として立てたのが七十二家庭です。そして百二十家庭は、世界百二十カ国の指導者を象徴しているのです。


 百二十門徒は世界を代表します。イエス様も百二十門徒を中心として世界的な出発をしようとしましたが、それができませんでした。私たちはこれ(百二十数)を所有しなければなりません。世界を標準として行く道を前にして、橋を架けることのできる自分の子孫を段階的に立てなければならないのです。子孫を立てるときには、誰でもいいのではなくて、世界的な代表になることができる人を立てなければならないのです。これが何でしょうか。統一教会の三十六家庭、七十二家庭、百二十四家庭の合同結婚式です。三十六家庭は十二双の三倍であり、三時代を代表しているのです。


 三十六家庭は、歴史的な代表の家庭なので、過去からつづられてきたものに代わる家庭です。この家庭を中心として、現実的な基盤として立てられたのが七十二家庭と百二十家庭です。過去から願ってきた家庭的な蕩減条件を防ぐことのできる家庭が三十六家庭ならば、それを現実的な家庭の基盤として防ぐことのできる家庭が七十二家庭と百二十家庭だというのです。七十二家庭は氏族を代表した家庭であり、百二十家庭は世界を代表した家庭です。そうなるのです。


 三十六家庭の責任とは何でしょうか。今までの歴史的なすべての蕩減条件を防ぐことです。言い換えれば、サタンを完全に取り除くことのできる、一つの完璧な囲いにならなければならないのです。ですから家庭のすべての伝統と思想を、サタンとは完全に隔離されたものとして立てなければなりません。この伝統を中心として、横的な因縁を七十二家庭と百二十家庭が立てていかなければなりません。このような立場で見るとき、三十六家庭の責任がどんなに重要であるかを皆さんは知らなければなりません。


 三十六家庭と七十二家庭は、私たちの教会の中でしたものです。違うというのです。これは教会を中心とした、ユダヤ教を中心とした民族形成の基盤を築くのと同じなので、内的基盤を確保するのです。その次には外的基盤を見ると、世界史的キリスト教文化圏をつなげ、百二十四家庭を中心として世界基盤を拡大させていくことなのです。百二十四家庭が祝福を受ける時は、国連の加入国も百二十四カ国にならなければならないのですが、これが間違いなくぴったりと合ったのです。


 これは、世界各国の代表である韓国において、内的蕩減要因を確立させる世界史的な条件を立てる、このような祝福だったというのです。そのような祝福とは何でしょうか。家庭を確保したのです。先生の家庭を中心とした三家庭、三十六家庭、七十二家庭、百二十四家庭……。これによって世界的蕩減条件を形成したというのです。


 今日の統一教会を中心として見るとき、一九六〇年から三年間にわたって祝福を受けた三十六家庭、七十二家庭、百二十四家庭は何をしなければならなかったのでしょうか。これらの家庭は、イエス様が生きていらっしゃった時に勝利できなかった外的な基準を中心とした、囲いの使命を完結しなければなりませんでした。そうして内外において世界を代表し、国家を代表し、または民族、氏族、家庭を代表し得るすべての蕩減内容を連結させて、一つの相対基準を接続させる責任を果たさなければならないのです。


 このような囲いの使命を果たさなければならないのが、一九六〇年から三年の間の祝福を受けた家庭たちの責任だということを知らなければなりません。


) 四百三十家庭は民族を代表したもの


 聖地祝福ののちに、私たちは四百三十家庭を祝福しました。それは、ユダヤ民族のエジプトでの四百三十年に該当し、韓国歴史においての四千三百年に該当するのです。それは、新しい歴史の出発を意味しました。また四百三十家庭は、世界の家庭を代表しました。そののちに、先生が第二次世界巡回の時、アメリカ、ヨーロッパ、そして日本で四十三双を祝福しました。それによって先生は、その四十三家庭を、世界的な次元で四百三十家庭に連結させたのです。


 四十三家庭を四百三十家庭と連結させることによって、先生は、韓国で成した勝利の基盤を再び世界に連結することができました。先生は、その基台を西洋の世界に連結することができたのです。これらを成すことによって、統一教会の食口だけではなく世界のすべての家庭は、その時に、天的な運勢が受けられる立場に入ることができたのです。それで門は、この地のすべての家庭に開いているのです。


 四百三十家庭は、四千三百年の歴史とぴったり合うというのです。イスラエルが四百三十年ぶりに四代を中心として(エジプトから)出てきたのと同じように、四千三百年ぶりに四十三数の地上基盤を経て出発し得る、新しい全体を代表とした国家、民族を天のみ旨の前に立てる土台を広げるための代表家庭が四百三十家庭です。この四十三数、すなわち四と三を合わせて七数になり、これを掛けて十二数になるのです。このような原則を通して四百三十家庭を韓国で祝福したのです。


 このようにして四百三十年ぶりにイスラエルの解放が起こり、移動が起こったのと同じように、統一教会でも移動が起こるのです。ですから全羅道の人は江原道に行き、江原道の人は全羅道に行って、みな混ぜて大移動をするのです。


 韓国においての統一教会は、自体において蕩減していたのであり、国家基準の蕩減の因縁はまだ結んでいない状態だったのです。この時に行われたのが四百三十双の祝福です。四百三十という数字もまた、適当につくられた数字ではありません。どのような意味があるのかといえば、その年が正に韓国が檀紀で四千三百年になった年であり、イスラエル民族においてはエジプト路程の四百三十年に該当するものなのです。これが四百三十という数字です。



 それで四百三十双を祝福したのです。それで韓民族は、誰でも祝福を受けることができるようになりました。国家的には、そのような基準を成したのです。ところが、その相対的基台を外国につくらなければならないのです。



 四百三十家庭は、世界的運勢を代表とした統一教会圏内において全民族を意味するものであり、民族全体の誰でもここに入ることのできるものです。四数、三数は、七数を代表し、イスラエル民族が四百三十年目に、カナン復帰のためにエジプトを出発した者を代表したものです。それで新しい出発をする時だというのです。また、その時が韓国の歴史四千三百年に当たる年だったのです。それは偶然の一致ではありません。神様は数理的役事をされます。

 四千三百年になる年に四百三十双をこのように祝福したという事実は何かといえば、氏族的な、一つの系列の宗教の勝利的な基盤だけではいけないので、全氏族の前に共通する門を全部開放させるのです。ですから李氏も、これからは神様のみ旨の中では国家的な恵沢を受けることができ、世界的な恵沢を受けることができます。金氏も、朴氏も、いかなる姓の氏族もみな、全体が福を受け得る基盤を築かなければならないので、その道を開門するのが四百三十家庭です。


 四百三十家庭を私がつくってきたので、この大韓民国の国民であれば誰でも、神様の摂理のみ旨の前に、横的にすべてが連結され得る運勢圏の中に入ったのです。ですから、大韓民国は滅びるはずがないのです。滅びてはいけないというのです。このような結論になるというのです。このような歴史的時代に入ったのです。


 ですから一九六八年を中心として、その時から世界的な時代です。私たちが一九六八年に「神の日」を設定したでしょう。「神の日」を設定したその年に、四百三十家庭の祝福をしたのです。そうでしょう。世界的時代だというのです。世界的に連結されているのです。それで先生がこの韓国に基点をつくったものを世界的に連結しなければならないので、一九六九年に初めて四百三十双の代わりに四十三家庭を世界に広げて祝福したのです。それはなぜでしょうか。韓国で築いた運勢を世界に連結するためです。


 韓国という国は世界の代表国家なので、その国家にあるすべての氏族を超越しなければなりません。それは文氏のみを中心としたものではありません。ここにはどんな姓であっても、すべての姓が天の前に自由に接することのできる門を開けておかなければならないのです。ですから統一教会の合同結婚式というものは、ある個人の結婚問題を解決するためのものではありません。祝福家庭は、今まで歴史時代に多くの先祖と民族、国家が天と相克した内容を壊すために、一時一つの群れとなって時代的な一チームの使命的分担を背負わなければならないのです。


 三十六家庭が一チームになり、四百三十家庭であれば四百三十家庭が一チームにならなければならないのです。歴史的なすべての結婚を中心として成されてきた家庭の失敗を蕩減して、一つの中心的な復活家庭として登場させられたのが合同結婚式をした家庭だということを知らなければなりません。統一教会の合同結婚式は、そのような意味をもっているのです。


 四百三十家庭を中心とした世界的な連結体をつくることによって、統一教会は、平面的に世界民族圏として発展したのです。韓民族だけではないというのです。四百三十双と四十三双を世界舞台に家庭的基台として連結させたということは、超民族的、超国家的基準において、新しい超民族形成の出発がなされたということなのです。そのように見るのです。


 世界的基盤を築かなければならなかったので、四百三十家庭を祝福したのちに十カ国の人たちに国際結婚をしました。ところで、ここから韓国が抜けてもいいでしょうか、いけないでしょうか。それでは、外国の女性たちが韓国の男性と出会うことは栄光でしょうか、そうでないでしょうか。外国の男性が韓国の女性と出会うことは栄光でしょうか、そうでないでしょうか。そうなれば、万民に栄光を与える国が良くなるでしょうか、ならないでしょうか。


 ですから男性たちは、栄光の妻になろうとする人と結婚するため、国家を超えて相対を迎えなければならず、また女性は、栄光の夫になろうとする人と結婚するために、国家を超えて相対を迎えなければなりません。


 先生が四百三十双を祝福したということは、世界的な次元の使命を遂行することのできる門が開かれたということを意味します。皆さんが世界的な次元でその目標を達成したならば、それは皆さんが氏族的な次元でメシヤになる立場にあることを意味します。祝福を受けた人として皆さんは、今、死んだイエス様の立場にいるのではありません。皆さんは祝福を受けたので、氏族を復帰するための再臨のイエスの立場にいます。四百三十双と七百七十七双の祝福は、イエス様の基台を築くことに成功したということを意味します。


 イエス様が十字架で亡くなるとき、ユダヤ教とイスラエルの国とローマが合同で反対しましたが、その時と同じような、危険の絶頂期である六〇年代に聖婚式を断行したのです。そして三十六家庭を全部サタンから奪ってきたのです。このようにして三十六家庭から七十二家庭、百二十家庭、四百三十家庭を中心として社会に物議を醸しながら、私たちが追い出されたのではなく、社会を押し出しながら大きくなってきたのです。

) 七百七十七、千八百、六千、六千五百家庭の歴史


 私たちの合同結婚式の歴史がそうです。三家庭、次の三十六家庭、その次は七十二家庭、その次には百二十四家庭、そして四百三十家庭、四十三家庭、七百七十七家庭、その次は何でしょうか。千八百家庭。最後は八数です。そのように進むのです。これは全世界的です。それで今は、世界のどんな民族でもすべて神様の祝福圏内に入ることができるように開門する時代なのです。それでアメリカとドイツと日本を主体国として、みな祝福したのです。それで宣教師も、みなその国から引き抜いたのです。


 そのような土台が築かれたので、これからは七百七十七家庭、これは三・七数なので最後ということなのですが、神様の摂理圏内において最後だというのです。それで一九七〇年に七百七十七家庭を祝福することによって、初めてどんな民族でも神様の摂理圏内に……。地上天国に入ろうとすれば相対理念を完成しなければならないのと同じように、どんな世界の民族、または氏族もこの全体圏内に入ることのできる恵沢を賦与するそのような代表的な式が、七百七十七家庭の祝福式だということを知らなければなりません。

 それで七百七十七家庭には、世界復帰のためにみなばらばらになって三年の動員がありました。日本の食口の場合には、五年間、聖別したのです。一九七〇年から七一、七二、七三、七四年を経て、七五年の六月十日に初めて同居するようにと先生が特別処置をしたのです。なぜそうしたのでしょうか。世界的基盤を築くためだったのです。

 統一教会がなぜ父母や兄弟から反対されなければならないでしょうか。レバレンド・ムーンが行く道を統一教会が行くのに、なぜ反対があるのでしょうか。なぜこうなのかというのです。これが真のものなのでしょうか、そうでないでしょうか。ですから天とサタン世界が分かれるというのです。このようにして韓国に基盤を築き、三十六家庭、七十二家庭、百二十四家庭まで立て、四百三十家庭、七百七十七家庭、千八百家庭まで立てて、世界的に基盤を築いたのです。


 その圏内で皆さんが祝福を受けたのです。これを中心として民族基準を経て、世界基準の七百七十七家庭、千八百家庭で連結したのです。七百七十七家庭は七数完成を意味します。全体の家族を中心として世界の国家において蘇生、長成、完成の三掛ける七は二十一、二十一段階の過程を経たすべてのアダムとエバの子孫たちは世界に広がっています。七百七十七家庭は、その圏内のすべてのものを代表することのできる家庭と見ることができます。ですから世界的な二十一段階で連結させたのです。

 「神の日」を設定することによって、神様が初めて地上で干渉し、主管することのできる基盤となりました。それで一九六八年から国家的家庭対家庭・氏族対氏族の対決時代へと超えたのです。それで皆さんに、一九七〇年に七百七十七家庭まで、みな三年路程の命令をしたのです。この三年路程とは何でしょうか。全世界の家庭が韓国に来て、韓国の家庭と一つになり、国家と世界的版図を広げる条件を立てる期間です。このような基盤が築かれることによって、先生は一九七〇年から、七一年、七二年まで三年路程蕩減家庭基盤を中心とし、氏族基盤を中心として活動したのです。


 そのために三十六家庭、七十二家庭、百二十家庭、四百三十家庭、七百七十七家庭まで、それまで祝福を受けた家庭が子女を生み、生活基盤を築くために準備をしたものを、一時にすべて崩してしまったのです。みな別々に南へ、北へと行きました。言い換えれば、家庭を祭物にして、その国の氏族と民族を救うための全国的な三年蕩減路程を通過したのです。


 その次は、攻撃戦です。その次からは、韓国を中心として攻撃戦です。そして祝福家庭がみな動員されて三年路程を歩みました。あの時、七百七十七家庭まで動員したでしょう。七百七十七家庭まで動員されてみな息子、娘を捨てて国のために出ていきました。この国の受難のすべての溝を埋めるために、飢えながら、愛する息子、娘を、反対する親の住んでいる塀の向こうに、ねんねこにくるんでほうり、国を生かしてくると泣き泣き旅立ったのが、ついきのうのことのようです。


 皆さんもそうではありませんか。一九七〇年から三年間、七百七十七家庭まで動員されたでしょう。これは世界的なことです。動員されて三年の間、苦労しなさいということでした。それは、民族を代表し、世界を代表した、いかなる家庭も統一教会の家庭にはかないません。統一教会の家庭のようにならなければならないというのです。三年の間、みなどんなに悪口を言ったことでしょうか! 親が反対するので、子供をふろしきに包んで、夜に行って塀の向こうに置いてくるようなことをしたのです。

 なぜそうしたのかというのです。国を自分の息子、娘よりも愛したという条件を立てなければならなかったからです。そうするためには子供を孤児院に入れなければなりませんでした。妻と離れ離れになりました。祝福して「幸せになれ」と言うのではなく、みすぽらしい家庭用品で大変な生活をしていた者もみな、どたばたと送り出しました。それは何かといえば、数多くの姓氏、統一教会で祝福を受けた姓氏が代表となって、国に行って氏族圏を蕩減復帰したのです。それで挙国的に反対しましたが、結局は「金日成を防ぎ、国を救おうとする統一教会の人たちのようにならなければならない」と言うくらいになったというのです。

 「子供と妻を捨てて国を救うために、こうしなければならない」という教材になったのです。三年になるころには、最初に反対していた人たちが歓迎し始めました。そのように歓迎するのが、カイン・アベルの復帰なのです。


 七百七十七家庭まで全部動員しました。家も捨て、子供も孤児同様になり、出動命令によって出動したのです。これが世界に行くための国家的総清算をする蕩減の期間でした。三年路程を中心として分別期間を立てずしては解決できなかったので、家庭を中心として金日成を防ぐ立場で大韓民国に対する忠節の道理、忠臣の道理を果たさなければならなかったのです。祝福家庭が愛国者の模範家庭として行動しなければならない時だったのです。


 一九七〇年代に大移動が起こりました。そして、全世界から十カ国以上の祝福家庭を韓国に呼び寄せてカナン復帰をするのです。韓国に呼び寄せて、みなここで一つにまとめるのです。これが七百七十七家庭の祝福だということを皆さんは知らなければなりません。それを一九七〇年に行いました。そのような基盤を築いて、世界圏で、統一氏族が国家を代表して十カ国から参加しました。蘇生、長成、完成の九数を超えた十数は、神様の数です。十数は十二数に該当するものです。ですから十カ国は、いずれにせよ連結しなければならないものです。


 先生の聖婚式をしたのちに、十二弟子、それから三十六家庭、そして七十門徒のような七十二家庭です。イエス様に七十門徒がいたでしょう。次には百二十門徒と同じように百二十四家庭、四百三十家庭、そして七百七十七家庭、こうして蕩減復帰をして世界的に発展していくのです。こうして統一の運勢は、既に世界的基盤をもって今後、登場するようになるのです。だんだんと現れるのです。これが原理です。


 そうして統一教会の女性は、少なくとも金日成が暮らした以上の立場で暮らさなければなりません。そうできなければ天国に行くことができません。将来、統一教会を信じる人は、みな北韓の金日成が暮らした以上の立場で暮らす時が来るでしょう。皆さん、世界的に、将来は七百七十七家庭といえば、その国で軍楽隊をもって一人しかいない貴賓として取り扱われ、その国の役人を集めて、侍られる時が来るのです。


 今まで、どんなに複雑だったでしょうか。霊の子女を三人立てなければなりませんでした。七百七十七家庭まで霊の子女を絶対に主張してきました。ところが七百七十七家庭以降は主張しませんでした。これは、天使世界においてアダム圏の半分を超えたということです。霊の子女は三天使世界を復帰するということです。「父母様の出現の前には先生もイエス様の名で祈祷する」と言って、父母様の名で祈祷しませんでした。ところが祝福してからは、真の父母の名で祈祷するようになったのです。


 父母様を中心として三家庭、その次には三十六家庭、その次には七十二家庭、百二十四家庭、四百三十家庭、七百七十七家庭、千八百家庭です。これが七数です。七数。ここから三段階が残ります。これが三数です。これは、いつでも分別数です。なぜ三数でしょうか。直線上には調和がありません。三数を通して、ここで面積ができ始めるのです。三数を並べると直線で戻ってくる道がありません。これが三点からだと戻ることができるのです。それで三段階では帰っていくのです。上がったら必ず戻るようになっています。



 韓国のすべての宗氏が、天国に行くことのできる門をみな開きました。これを邪魔してはいけないのです。神様の愛を中心として普遍的な愛が全体的な愛であるだけに、門を閉めておくことができないのです。みんな開けておかなければなりません。こうやって行くのです。そこから拡大するのです。四百三十家庭、その次は七百七十七家庭です。これは世界の舞台に立つのです。国家の舞台を越えて世界の舞台に行くのです。そうです。六千双は人類の代わりです。その次が六千五百双です。サタン世界を七数を中心として、霊界まで解放圏を立てるためのものなのです。

 先生がまず強調するのは、天使長復帰です。信仰の三人の子女をもたなければならないのです。そうでしょう。それを七百七十七家庭まで強調しました。千八百双からは、その次に超えていくのです。世界的な版図、世界の家庭を代表的に祝福することのできる時になったので、千八百双からこれを強調しなくてもよくなりました。千八百双は七番目です。七数を超えるのです。八番目は六千双、六千五百双が九番目です。三万双が水平になるのです。水平になると水が入ってくることができるのです。


 祝福をしたというのは、父母を中心として、この地上に天的血族圏が生じたということです。サタン世界がいくら反対しても、その血族圏には数多くの氏族が入っているのです。韓国を中心として様々な氏族が入っているというのです。その門を開けているのが四百三十家庭の祝福から七百七十七家庭の祝福です。そうしてすべて世界的に連結していくのです。


 十八数は、サタン世界の完成数です。また四の四倍である十六も、サタン世界の理想数です。それで韓国動乱の時、国連の十六カ国が参加し、オリンピック大会も百六十カ国が参加したのです。韓国・北朝鮮の国連加入も百六十番目、百六十一番目です。それが世界的な版図です。


 サタンは堕落する時、家庭を中心として堕落したので、神様の主管圈に家庭をつなげて超国家的な運動を展開してきたのです。七百七十七家庭、その次に千八百家庭、千八百家庭が最後です。サタン数である六数の三倍、蘇生、長成、完成をして十八数です。サタン世界で、千八百家庭を先生がもったということは、氏族圏を超えることになります。その国家基準に連結された勝利基準は、世界に連結される道の始まりです。その千八百家庭は、サタンの主管圏にある六百数の三倍です。それを基準として家庭を立てて、サタン圏の家庭を蕩減する基準になるのが千八百家庭です。


 六千家庭は全世界の縦的なキリスト教徒と一般の人、縦的なキリスト教徒と横的なカイン世界のようなものです。六千家庭を先生が連結するようにしたのは、サタン世界が家庭的に攻撃する時代は既に過ぎたということを意味します。そこから先生が世界的に進んでいく路程が始まるのです。霊的な長成基準を国家基準において成すのです。

 世界的な基準においては霊的なキリスト教が世界的な基盤になるので、世界的実体基準をキリスト教文化圏に連結するためにアメリカに行って、全国的に復興活動をしたのです。そして行く先々で歓迎を受けました。それを国家基準を代表して韓国に連結しました。そのように勝利して帰ってきました。


 祝福家庭は、国際合同結婚式が伝統です。千八百まで国際結婚を重要視したでしょう。十八は六数の三倍数です。三×六=十八、それで千八百家庭というのです。イエス様は百二十家庭で、再臨主は百八十家庭です。


 百八十家庭と百六十家庭は、同じ数です。四数の倍数です。四×四=十六、そして十八は六数の三倍です。サタン数の完結数です。それで祝福家庭に「氏族の百六十家庭を祝福するように」と言ったのです。本来は百八十家庭なのですが、百六十家庭も同じと認めるのです。一家庭でも少ないほうを皆さんが望むので百六十にしました。これからは百八十家庭です。次には八数、それで三数で増えます。七数、七番目が千八百家庭です。三家庭、三十六家庭、七十二家庭、百二十四家庭、四百三十家庭、七百七十七家庭、千八百家庭まで七数です。七数から、八数、九数、十数である帰一数に入るのです。十数は祝福世界化時代へと超えていくのです。


 これから先生は解放です。兄、弟の立場で教えてあげ、神様が愛する息子、娘の立場で教えてあげ、その次に夫の立場で、父の立場でしっかりと教えてあげるのです。先生がそれをすべて分別して教えてきたでしょう。三十六家庭、七十二家庭、百二十四家庭、四百三十家庭、七百七十七家庭、千八百家庭、六千家庭、六千五百家庭まで、三回以上教育しました。三万家庭まで教育して、すべて終わったのです。


) 蘇生的国際結婚――三万家庭


 見てください。今まで多くの祝福をしてきて、一九九二年には三万双の祝福がありました。なぜ三万双でしょうか。これは国際的です。一九五六年に父母を中心として世界的祝福をすることのできる世界時代を失ったのですが、一九九二年、四十年ぶりに世界的祝福の時代に入ったので、三万双の結婚が始まるのです。これは世界的な時代の蘇生です。


 一九九二年の三万双の祝福は蘇生です。国際的な基準でした。人種や文化のすべてのものを否定するのです。結婚とは何でしょうか。アダム、エバの愛のためにつくったものが結婚でしょう。アダム、エバはサタンを中心として神様を否定しましたが、神様を中心として、真の父母を中心としてこれを肯定することにより蕩減復帰するのです。


 自分勝手に結婚して、今まで反対してきたのが親でした。ですから統一教会で、祝福圏を親にも立ててあげるのです。サタン世界を共に祝福してあげなければなりません。ですから三万双の祝福の時は、一週間の修練を受けた人までみな祝福してあげたのです。このように超えていくのです。今の世界的な時代には三万双、三十六万双、そして若い青年たちが三百六十万双の結婚をすることのできる時が来るかもしれません。

 今の青少年たちがぼろぼろの版図を構成したのは、アダム家庭から始まったものです。イエス様も結婚できずに死んだのです。愛の関係のためにです。今までそのような版図が広がっていたのです。完成時代において父母様がしなければならないのは、直系の子女、青少年を中心として結婚をさせることなので、これから既成家庭の祝福は先生が手をつけなくてもいいのです。


 家庭を重要視するので、昨年三万双を結婚させたのです。これは世界的な爆弾です。三万双の結婚を考えてみてください。親も息子、娘を自分勝手にできない世の中なのに、統一教会の文先生が、百三十一カ国の若者を連れてきて思いのままに結婚させるのです。これ以上の奇跡があるでしょうか。また、これ以上の世界的な事件があるでしょうか。


 一九九二年四月十日を中心として、イスラム教を信じる人たちをはじめとした八カ国を祝福することによって、イスラム教までも統一する条件を立てました。知らなかったでしょう。その祝福の立場に参加しなかった人はいないのです。イスラム教徒も祝福に参加しました。中国人、韓国人、北朝鮮の若者が、それに惹かれて入ってきました。共産主義から転換して入ってきて、祝福を受けた人もいるのです。全世界的にカバーしたというのです。


 百三十一カ国の若い男女を捕まえて写真でマッチングをして、三万双の結婚式をしたのですが、それにすべて従うという気の狂ったような人が、この世のどこにいるのかというのです。そのようなことをしたのは先生しかいないのです。レバレンド・ムーンは、気が狂っているのではありません。能力があまりにも多すぎるので、そのようなことをしているのではありませんか。


 これから家庭堂には個人は加わることができません。家庭で加わらなければなりません。そうしてすべて祝福を受けなければなりません。それは簡単でしょうか、難しいでしょうか。ですから氏族的メシヤを配置するのです。皆さんが故郷に帰って氏族的メシヤとして基準さえ立てれば、一族がみな一度に押し寄せてくるのです。三万双の祝福を受けた人がみな故郷に入り、十二双ずつでも伝道すれば、三年以内に三十六万双の祝福が可能になるのです。そうなることのできる環境をつくっておいたのです。


 考えてみてください。歴史的に三万双まで結婚させた人が、この世で先生以外に誰がいるでしょうか。これからは、三百六十万双までもしてあげようというのです。そのためには、一日に一万双ずつしても一年はかかるのです。それで私が霊界に行って、「お父様、人種差別とかすべての複雑な文化圏をかき混ぜて、あなたか喜ぶ統一世界にしてきました」と言うとき、神様が「ははは……」とお笑いになるのです。立派な統一教会の若い青年にも、それが可能な時代圏内に入ったのです。


 百三十一カ国で三万双が相手の写真を見ただけで結婚をしました。それは歴史的な事件です。これをローマ法王ができるでしょうか。アメリカの大統領ができるでしょうか。先生が望んだのではなくて、皆さんが望んだのです。「どうか先生がしてください!」と言ったのです。では、皆さん! 今回カップルを結んであげたのですが、お似合いですか、似合いませんか。写真を見てやったということを世界がみんな知っているのです。


 統一教会員たちは、賢いので先生にお願いするのです。これからは先生がしないようにしようと思います。そうすれば泣く人が多いでしょう。「早く受けるんだった……」と言うでしょう。そのような力がどこから出るでしょうか。人を見れば分かるのです。そのような何かがあるので、統一教会の教祖もするのです。教祖をするのが簡単でしょうか。歴史始まって以来、最も迫害をたくさん受けた人がレバレンド・ムーンではないでしょうか。クイズにも出るでしょう。「歴史上で最も迫害をたくさん受けた宗教指導者は誰でしょうか」と言えば、「レバレンド・ムーン!」と答えるのではありませんか。


 将来、人々がなだれ込んできて、皆さんが逃げなければならない時が来るのです。また誰に説明を聞いたのかという時に、祝福を受けた家庭の中で、最も高い家庭に説明を聞いたというのが誇りになる時が来るのです。「三万双の祝福を受けた人に聞きました」と言うのと「六千双の祝福を受けた人に聞きました」と言うのでは、どちらのほうが価値があるでしょうか。ですから統一教会で長くなった人たちは、祝福について解説して回るだけでも歓迎を受けるのです。


 世界の若者たちによる三万双が、一つ所に集まって結婚したという事実は宇宙史的な慶事です。それは宮殿で、ある王を中心として「王子、王女が結婚をする」と言って一国が祝うよりももっと素晴らしいことなのです。世界的な次元だというのです。これが世界的な事件として続いて、一次、二次、三次まで発展すれば、その次からは大きなことが起こるのです。


 今回、三万双をすべて公開してしまうのです。四十日の教育だけで祝福を受けて結婚したのちに二人とも、三年路程に行かなければなりません。何の条件もない人にも恵沢を与えるのです。ですから皆さんが、「祝福を受けた家庭はこうなんだなあ!」と近所の人が慕い、うらやましがるような伝統を立てるのです。そうして、新しい祝福を受けた人が皆さんの家庭に入ってきて、十二支派のように一つにならなければなりません。そして先生を中心とした環境のように、「あの家に行って御飯を一度食べてみたいなあ!」という環境にならなければなりません。

 愛の道理に従って神様が投入して忘れたような実践路程の主体者になる時は、その環境は、荒地になろうとしてもなることができないのです。民族の結合した喚声と南北統一を願う声が天地に響くのです。遠からず南北解放の日に、歓喜の声とともに、統一教会の人たちが万歳三唱を叫ぶ日が来るでしょう。


) 長成的国際結婚―─三十六万家庭


 このごろ統一教会が、二、三年の間に世界での水準が上がったのを知っていますか。では何をしてさっと上がったのでしょうか。お金を稼いでさっと上がったのでしょうか。伝道をたくさんして上がったのでしょうか。祝福です。三十六万双の祝福はいつですか。一九九五年です。三万双は、一九九二年です。一九九二年から一九九五年、三年目に三十六万双です。その次は三百六十万双です。「三万双から三十六万双をする」と言った時、誰が信じましたか。三十六万双の時、そうでした。三十六万双をして三百六十万双をするまで、三年かかりませんでした。二年半でやり遂げました。二年半もかかりませんでした。

 これをしようとした時、三百六十万双になると信じた人は一人もいませんでした。神様はどうだったか分かりませんが、先生も信じられるか信じられないかでした。考えてみてください。この一本の指と十本の指は違うでしょうか、同じでしょうか。峠はいくつでしょうか。十の峠があるのです。私が三年間ジャルジンに行って仕事をしながら二世の時代を宣布しました。宣布した内容とは、絶対信仰です。絶対信仰、これからは信じまいとしても信じざるを得なくなるのです。


 三万双から三十六万双になるという時、それを信じなかった人は損をしたのです。不合格者の烙印を押されたのです。また、三十六万双が三百六十万双になるという時、それも信じることができなかったのです。そしてまた今、「三百六十万双から五月の末までに三千六百万双をするように」と言い、また一億二千万双までやろうとしているのです。そのようなことを言う人たちは、正常な人たちでしょうか、気の狂った人たちでしょうか。


 三百六十万双の結婚、これは蘇生、長成、完成の完成です。三万双から三十六万双を経て、完成の段階を成すのです。これを水位で例えると、水が六時間かけて満ちてきてたまり、十二時間で一回ずつ引いていくとすると、六時間前にたまった水も、六時間後にたまった水も同じ水位に立つのです。先にたまったものを押しのけて、新しくたまった水が先になることもあるのです。ですから平準化時代に入ったのです。


 お母様が現れたその年を中心として三万双の祝福をしました。これは国際的な祝福です。初めて父母が出てきて、対等な価値でこれを全世界国家に植えるための蘇生的国際結婚式が行われました。次の長成的な国際結婚式が三十六万双です。次の三百六十万双は完成です。三万双の時から、すべての宗教とすべての根本民族は、誰でも祝福を受けることのできる道が開かれました。三十六万双で本格的な長成時代を経て、この三百六十万双は、信者でなくてもみな対等な立場で相続することができるようになりました。


 これからは、国が一度に丸ごと入ってくる所がたくさん出てくるでしょう。今までは伝道するのが大変だったでしょう。今の氏族時代を超えると、これから国が入ってきます。大統領とその国さえ認めれば、三百六十万双も行うことができるのです。先生が金日成の肩を軽くたたきながら北朝鮮の青年男女を中心として「三十六万双の結婚式をしましょう!」と言って、そのようにすれば、南北統一が成されるでしょうか、成されないでしょか。そうして北朝鮮の三十六万の男性と韓国の三十六万の女性を混ぜれば統一されるでしょうか、されないでしょうか。

 日本人も韓国人と交差結婚をしたのですから、韓国と北朝鮮が交差結婚ができるというのは論理的でしょう。金日成が本当に男性なら、男性と女性を組み合わせることに反対できないようになっているのです。簡単なことです。


 初めは、結婚して七年間、聖別をしました。七年間を通過しなければなりません。蕩減の塔を見るとこのように高く長いのですが、だんだんと近づいてくるでしょう。ここが頂上になっているのです。三十六万双とか三億六千万双は、三十六数です。蕩減条件を中心として歴史が、このように何百年も早められて今に至っているのです。三十六家庭のような三百六十万、三千六百万、三億六千万、このように前進してきました。かえって昔の人はみな年老いて、心情的に世界的な活動をする手本になっていないのです。

 祝福を受けた日本の人は、本当に祝福の価値を知った時には、あまりぼーっとした人はいないので、そのまま一〇〇パーセント飛躍的発展をすることができるのです。そのような意味で平等なのです。なぜ三万双から三十六万双、三百六十万双、三千六百万双、三億六千万双をするのでしょうか。三万双の時が分別式です。三数を中心として、世界レベルでサタンと神様との世界的祝福圏に対する分別式をしたのです。


 真の父母といえば、既にレバレンド・ムーンだということを知っているのです。真の父母といえばレバレンド・ムーンなのですが、それ以上の名称はないのです。それ以上教えることがありません。考えてみてください。今から四十年前には、再臨論を教えるためには聖書の六十六巻を広げて話をしましたが、今は再臨論の講義をする必要もありません。「レバレンド・ムーンを知っていますか」と言えば、「その方は三十六万双の結婚式をした人で、これから三百六十万双を結婚させる人だ」と答えるのです。「その人は人ですか、メシヤですか」と言うと、「メシヤ」という言葉がぴったりであって、「人」という言葉は合わないようになるのです。


 統一教会の文先生が真の父母の立場で結婚式をして、全世界に氏族的メシヤとしての数十万双を配置することができる時になりました。三十六万双を配置する時代が来たので、その一族は滅びるはずがないのです。それで家庭を中心に、ザカリヤ家庭とヨセフ家庭が一つになることができなかったことによって、成すことのできなかったイエス様の理想を、すべて成すことができるようになったのです。

 これからは新郎の家、そして新婦の家を一つにすれば終わるのです。それがカイン、アベルです。新郎にも一族がいるでしょう。夫にも夫の家の一族がいるでしょうし、妻にも妻の一族がいるでしょう。ここに婿や嫁になってすべてを一つに結んで百六十家庭さえ一つになる日には、一族圏内でサタンが活動する舞台はなくなるのです。

 根本の根が間違ってしまったので、根をひっくり返さなければなりません。それで根を探す運動という言葉も今、出てきているのです。偽りの父母によって結婚式を間違え、根本をひっくり返したので、真の父母が来て世界的な結婚式をしなければならないというのが理論的な論理です。それで三十六万双の祝福結婚式、そして三百六十万双の結婚式をするのです。三百六十万双の結婚式ができるでしょうか、できないでしょうか。できるかどうか見てみましょう。もう既に決まっているのです。できるようになっているのです。


 三万双の結婚式をしてすぐ「三年後に三十六万双を結婚させる」と言ったときに、誰が信じたでしょうか。神様とレバレンド・ムーンしか知りませんでした。五カ月でそれをやり遂げました。これからは三百六十万双は、問題にもなりまサん。インドという国のヒンズー教徒だけでも一億を超えるし、パキスタンはイスラム教徒が七千万を超えます。彼らがみな自分の国だけで三百六十万双をするというのです。アメリカは、お使いでもしていなさいというのです。


 混乱した邪悪な性問題の解放を主張する世界をほっておいてはいけないのです。神様が制裁を加えるのです。エイズという病気は罰です。罪を犯したので、罰を受けなければなりません。この罰で死んではならないのです。これを防御しなければならないので、先生が仕方なく世界的な大家庭編成をするのです。三百六十万双を結婚させる時には、結婚する人たちが統一教会の結婚観を知ってから結婚するでしょうか、そうでないでしょうか。これから問題になります。

 三十六万双をやっても今、問題です。小学校の先生に、「先生、私たちは十一歳、十二歳になったのですが、いずれは結婚するので、聞きたいのです。統一教会で結婚することを既成教会では『異端だ、悪い、悪魔だ』と言うのですが、統一教会の三十六万双は、国境を越えて地の果てから来た人もみな面会もせずに、写真で結婚しても幸せそうです。うちの近所には、結婚をして暮らしても、一週間もたたずに壊れた家庭があります。統一教会の結婚式は正しいと思いますか」と質問されたら、どう答えますか。そういう時が目前に来ています。


 私たちが三十六万双の祝福を果たしたので、三百六十万双を三年後にして、また三年後に三千六百万双が祝福を受けるとすれば、世界に統一教会のカップルのいない所がなくなるでしょう。どこでも祝福家庭がいるのです。そうなれば強力な力をもつようになるのです。その国では、どの村でも境界線がなくなるのです。すべての所が連結されているので、何の問題もないのです。座ったまま電話で、世界の三百六十カ国の友達をつくりながら暮らすのです。


 三万双、三十六万双、そして三百六十万双を超える時代、そのような世界的な基準の方向圏を今日に至って造成しながら万歳を叫び始めたのです。今日まで先生の生活は、悲惨でした! 天下が喜ぶことのできるその日を迎えるために、歯を食いしばって死の道を歩んできました。四千年の歴史を四百年で復帰しなければなりませんが、四百年生きることができないので、一生涯の四十年以内に生涯をかけて成さなければならないということが、先生としてどんなに深刻だったか考えてみてください。


 世界の真の父母圏の基盤を備えるために、世界的なこの運動をしました。そして今、祝福も三万双から三十六万双、そして三百六十万双をしています。蘇生・長成段階を超えるのです。長成段階を超えたというのは、国家的基準を超えたということです。イエス様が失敗したイスラエル圏、国家を失ったのを復帰することのできる時が来たので、このような観点で見ると、先生を中心とした家庭と氏族と民族と国家を探し出して、入っていかなければならない時が来たことが分かります。ですから王権時代へと超えていくのです。


) 完成的国際結婚――三百六十万家庭


 世界的な拡大は、祝福家庭を中心として行うのです。三万双から三十六万双、三百六十万双を中心として家庭的世界版図が形成されることによって、神様個人よりも、神様の家庭や真の御父母様の家庭が行くのに、縦横を経なくても神様がこの地上に臨むことのできる時代圈を迎えました。それで「天地父母天宙安息圏」を宣布しました。それで蘇生、長成、完成を経て、世界の統一家庭が動くときに障害物がなく、歓迎を受けることのできる時代になったのです。神様がどこででも休むことのできる時代になったのです。

 それでこの宣布式をしたのです。したがって今回、天の安息圏を宣布したので、世界的な三万双、三十六万双、三百六十万双を中心として三千六百万双、三億六千万双を祝福するのです。これら(三千六百万双、三億六千万双)は、下りていくので簡単です。三億六千万双が分水嶺になったので、この峠を越えることによって、世界の全人類は一つの家庭になるのです。アダム家庭で始めたものを失ったので、それを取り戻すために、国家でこれを成そうとし、世界で成そうとしたので、先生を中心として家庭で勝利、国で勝利、世界の版図で勝利したすべてのものを中心として、初めて全人類が解放圏に入ることができるのです。


 三億六千万双の祝福が終われば、どうなるでしょうか。三百六十万双の祝福は、祝福において最高の山場です。山でいえば、エベレスト山のようなものです。今これを越えるのです。これが最も難しい峠です。それを越えて三万双が蘇生であり、三十六万双の長成、三百六十万双の完成を成して三千六百万双へと進みます。全部三十六数なのですが、三万双が出てきました。なぜ三数でしょうか。三数というのは過程的な数です。いつでも転換の時期には三面を広げていくのです。ですから三万六千双ではなくて三万双なのです。


 三数がいつも分別期間になっているので、三万双を中心として、三十六万双、三百六十万双と、頂上に上るのです。それが最も難しいのです。これを全世界が注目しています。すべての宗教圏で「統一教会が三十六万双を結婚させ、三百六十万双を結婚させるそうだ。三十六万双は簡単だったけれど三百六十万双はできるだろうか」と言うのです。一年八カ月だったか、何カ月でしょうか。それを誰も信じませんでした。しかし三百六十万双を七月十五日を期して超えました。きょうまでで、二千五百万双を超えたのです。きのうまででしょうか、おとといまででしょうか。二千四百五十七万人、四捨五入すると、二千五百万を超えたのです。


 すべての堕落した子孫の最高の願いは、「どうしたら先生の血統圏につながるか」ということです。それで親戚関係を結ぶのが最高の希望です。先生の子女は何人でしょうか。孫たちはどれくらいいるでしょうか。息子、娘が、孫をどれくらい欲しいかと聞きます。一人ずつ生みましょうか。みんな少なくても一ダースを超えなければなりません。大勢の人たちが待っているのです。黒人、白人、黄色人種みんなが待っています。そのような希望をもっている世界的な大氏族になるのです。多くの血統圏につながることができます。三百六十万双ではつながらないところがありません。至る所に必ず一双ずついるのです。


 今日、統一教会は真の父母の家庭を中心として伝わってきた氏族で蕩減して上がってきました。そして水平線に上がって世界化の祝福時代、一九五二年から一九九二年までの四十年を過ぎて、一九九二年から国際的な祝福時代へと超えたのです。祝福が国際時代へと超えたのです。氏族基準に入って、そこから水平的な国際時代に入るのです。そして一九九五年に三十六万双を祝福し、その次には一九九八年六月十三日に四千万双の祝福をしたのです。これが世界時代において三万双、三十六万双、三百六十万双です。この三百六十万双が峠です。ここから全世界水平時代に入るのです。


 条件に引っ掛からないように、完全な作戦のためのすべての責任を完遂しなければ、完成することはできません。延長し、また延長した先生の最後の方便であり対策が、正に三百六十万双、三千六百万双、三億六千万双です。この最後の段階で責任を完遂したという条件を立てて、万民解放を成すのが先生の責任であり、先生の思想です。先生が行く道です。



 十二の峠を越えていくのです。十二の峠を迎えて世界に越えていき、天下は、その世界の懐に抱かれるようになっているのです。祝福家庭の懐に抱かれる時が来るのです。ですから八月以前に三百六十万双を終えたときには、三千六百万双は一年以内で終えるのです。三千六百万双の祝福が終わったなら、また一年以内の三億六千万双は問題ありません。その次には三十六億をするのですが、三十六億双になる七十二億の人が地球上にはいないのです。人類は六十億しかいないのです。それを何度かすれば終わってしまいます。このようにすれば二〇〇〇年内に世界は行き場もないように家庭版図に打ち込まれなければ、生きていく場所がなくなるのです。


 家庭を中心として世界の基準を超えなければなりません。それで統一教会は、その日を実現させるために合同結婚式をしたのです。三十六家庭から十数を中心として三万双、その次には三十六万双、三百六十万双まで頂上の峠を越えるのです。分水嶺を越えるのです。ここまでが大変なのであって、これからは世界祝福の門をすべて開けるのです。三百六十万双、絶頂の横的基準が立つことによって、この縦的な基準も比例的に高まるのです。それによって地上で全世界の氏族、民族、国家を超えて祝福を受けたのと同様に、天上世界、天使長圏世界までみな祝福を受けるのです。

 三百六十万双の祝福が終わっても、おしまいではありません。町ごとに(祝福家庭が)いるので旗を立てて全部祝福しなさいというのです。そうしなければなりません。旗を立てて祝福するのです。サタン世界の地獄の民が、天国の民に加入することのできる真の父母の血族をすべて相続するのです。そうして全部祝福するようになっています。旗を立てて祝福を受けた人が、町内で一人残らず祝福を授けるのです。


 一九九七年八月九日までに三百六十万双の祝福が終わって、先生が七十七歳の七月七日七時七分七秒のその日に三千六百万双の祝福を宣布しました。誰でも祝福を受けるのです。解放です。「三千六百万双を祝福する」と言えば、霊界が下りてきて強制的に打って、祝福を受けるように引っ張っていく時が来るのです。


 今まで宗教は個人の救いを語ってきましたが、これはどんなに簡単でしょうか。家庭の救いと、国家の救いと、世界の救いと、天宙の救いです。国家救援から、今は世界救援に超えていく時なので、霊界の先祖たちを祝福することができるのです。霊界や肉界や地上で、家庭生活を真の父母と暮らした人が入るところが、天上・地上天国であり、天上・地上天国の民になるのです。ですから霊界に行っている先祖たちを解放させるために、不可避的に宗親連合をつくらなければならなかった事実を知らなければなりません。

 このために必死に努力しなければなりません。それが遅れれば遅れるほど先祖がドンドンドンと足踏みしながら、「こいつ、なぜこのように遅いのか」と言うのです。「早く、早く」と言って、解放されたがるので、天使長圏の解放が起こるのです。地上で天使長圏を祝福すれば、天上世界が祝福を受けられるのです。それで興進君と大母様が「三百六十万双祝福!」と言えば、直ちに先生が霊界に祝福することのできるものを与えるのです。


 レバレンド・ムーンの公式的な名前、神様が制定した名前が「真の父母」です。このようなものを八段階に上がっていくのを平面的にしたのです。蕩減法のとおり、心のままに、世界的な家庭を編成したのです。ここで三百六十万双が祝福を受けるのです。


 二次四十年路程がこれまで短縮されてきました。このようになると、これからは自由結婚時代へと超えていくのです。父母が決定すれば、自由にするのです。これからは、先生が結婚を決めないのです。三百六十万双の結婚のあとは、何人かだけ先生が祝福してあげるのです。そのようなすべての関係が完全にできているので、十代、聖婚式当時のお母様の年齢以上の人はみな解放してあげるのです。それで十九歳、十八歳まで結婚させるのです。


 三百六十万双の祝福をしたので、また、三千六百万双が祝福を受ければ、世界の町々には、統一教会のカップルのいない町はなくなるでしょう。どこにでも祝福家庭がいるのです。そうすれば強力な力をもつようになります。その国では、どこにも境界線がなくなるのです。すべての場所がつながるので、何の問題もないのです。座ったまま電話で、世界の三百六十の国の友達をつくりながら暮らすことができるのです。


 祝福家庭を超国家的、超世界的、超民族的、超宗数的な水平線に置いてするのです。三百六十万双を祝福すれば終わるのです。そうすれば世界は、家庭を訪ねていくために統一教会の教理を知らなければならなくなるのです。何の力で、一人の人が三百六十万双を国境を越えて統一することができるでしょうか。そのような力をもったという事実は、永遠に歴史の誇りとなる事件です。それで、鳩のように小さな一双が結婚することが問題でしょうか。そうして一族が心配し、母親が鴇が鳴くときのようにのどを詰まらせながら、結婚をどうするかと悩み、心配しながら眠れない、そのような環境から抜け出すことができるのです。


 そして、小学校の先生がこれを知らなければなりません。「先生、三百六十万双が結婚したのは事実ですか、うそですか」と聞いたとき、先生はどう答えるでしょうか。「うそだ」と言うでしょうか。そのような先生は、偽者になるのです。「その内容は何ですか」と聞かれた時に、説明できなければ落第です。

 蕩減条件を先生が立てました。一週間以内に百六十家庭、千六百家庭も祝福することのできる時代になりました。三十六万家庭で実ったでしょう。大韓民国の人に「三十六万家庭を祝福し、七十二万人を結婚させた文総裁は立派ですか、悪い人ですか」と聞けば、何と答えるでしょうか。もし「悪い人だ」と答えれば、「その悪い人のもとに、世界の大統領がいるし、学者、博士が並び、優秀で立派な人たちが従っていますが、みなあなたより劣っているので祝福を受けたのですか」と問い詰めるのです。三尋の竿でかき混ぜても引っ掛かるところがありません。そのような時代になりました。


 三十六万双が三百六十万双になり、三千六百万双になり、三億六千万双、三十六億双へと広がっていく時、人類社会から初めてエイズが撲滅され、神人が一体化した純潔な真の愛の世界が実現されるのです。これは夢ではありません。神様の地上天国建設の大歴史の中でその実現は、必至の事実です。人間の業ではなく、それは神様のなさる業だからです。


第三章 祝福家庭の摂理的意義

一 三十六家庭

) 三家庭をまず祝福


 一九六〇年に先生の聖婚式を挙げる前に、三十六家庭の中の三家庭を婚約させて先生が聖婚式を行ってから、この三家庭を祝福しました。それは、イエス様を中心としたペテロ、ヨハネ、ヤコブのように、先生を中心として三子女が神様の理想圏に立ったという条件を立てたのです。完全に分かれることができないという勝利基盤を立てたのです。

 最初にしたことが三家庭の祝福です。一九六〇年に先生が聖婚式をする前に、この三家庭の基盤がなければ聖婚式はできないようになっていたのです。お母様を迎える時に、この人たちの相手をすべて決めておいて、先生が結婚式をまず行い、次に彼らも祝福してあげたのです。そのように原理の道を合わせてきたのです。


 アダムの前に三大天使長、アダムの八人家族を編成しなければなりません。三大子女、信仰の息子、娘を立てて結婚すれば、八人家族の編成と三大天使長を連れて天の前に行かなければならないというのです。それで統一教会の文先生も、三人の息子、娘、三十六家庭を立て、三十六家庭の婚約式を行ってから結婚式をしたのです。すべてが原理的です。水も漏らさぬ組織編成をしてきたのです。アダムが家庭を失ったので、再び家庭を探し出さなければなりません。


 先生を中心として見れば、縦的立場の子女たちがいて、子女を中心として見れば、横的な立場の兄弟がいますが、横的基盤で私たちの子供の中の代表としてアベルの位置に立ったのが誰かというと、興進だったのです。二番目、二番目だというのです。私たちの統一教会で見れば、三十六家庭を立てるためにはイエス様の三弟子、天使長の家庭を代表した三数を解決しなければならないのです。その三数が決定されたので、アダム家庭、ノア家庭、ヤコブ家庭の三十六家庭の型が出てきたのです。


三十六家庭で代表されるこの三家庭の中で、最初の家庭が金元弼家庭です。歴史は、誰でもその場に立てるようにはなっていません。これこれこのようなプログラムによる、様々な背後の内容が霊的な世界にできていなければ、長子の位置に立てることができないのです。そのような人が金元弼なのです。その次に二番目は誰かといえば、劉孝元です。そして三番目は、金榮輝です。


 三家庭を中心として十二人を立てなければなりません。この十二人は、歴史的な使命を果たさなければなりませんが、十二人だけでは駄目だというのです。過去の十二人、現在の十二人、未来の十二人、三十六数を決定しなければならないのです。それで三十六家庭となるのです。アダム家庭からノア家庭まで十代、ノア家庭からヤコブ家庭までの十代、ヤコブ家庭の十二人の子供、二千年歴史の先祖を連結できなかったのを、すべて圧縮したのが三十六家庭です。


) 三十六家庭を立てた意味


 三十六家庭は、第一家庭、第二家庭、第三家庭で構成されています。第一家庭は、旧約時代を象徴していますが、それは神様の許可なしに結婚した立場です。第二家庭は、新約時代を象徴していますが、新約時代は、地上で初めて神様が選んでくれる結婚を願った時代です。しかし、イエス様が十字架で亡くなることによって失敗し、新婦は新郎がやって来ることだけを待った時代です。

 第三家庭は、成約時代を象徴しますが、成約時代は、完成の時代で、神様の家庭の出発を願う時代です。現在の摂理は、ヤコブが勝利した象徴的復帰摂理を経ています。したがって先生は、僕の時代と養子圏時代を蕩減復帰して、神様の真の子女時代を成し遂げなければなりません。この三時代の路程を象徴的に復帰するのが三十六家庭です。


 三十六家庭の中で、第一家庭は、既成家庭で旧約時代に該当し、イエス様の時代は、結婚を願ったけれども成せなかった時代で第二家庭がそれを象徴します。第三家庭は、すべての苦難に勝って、勝利したヤコブのように、成約時代を象徴します。特に三十六家庭は、先生を中心として一代に旧約時代、新約時代、成約時代を蕩減する勝利的基台となるのです。さらに、家庭勝利の完成で三時代を横的に一代に蕩減した歴史的意義をもつのが三十六家庭の祝福だというのです。


 摂理史的に見れば三十六家庭の第一家庭は、アダム家庭を復帰した立場です。アダム家庭のカイン、アベルを含み、ノアまで十二数でつながっているので、これを蕩減するために十二家庭を立てたのです。第二家庭は、ノアからアブラハムを復帰したことを意味します。アブラハム家庭にサタンが侵犯することにより、イサクとヤコブに延長された十二代を象徴します。ヤコブは、十二人の子女を通じて歴史上初めて縦的な摂理を横的に蕩減復帰したので、三十六家庭において第三家庭がそれを象徴するのです。ヤコブが成した個人的勝利の基台の上に出発した家庭は、旧約時代、新約時代、成約時代を象徴したものでもあります。


 三十六家庭は、三十六代と同じです。三十六家庭は先祖なのです。神様の復帰摂理の中で先祖が失敗したことを、すべて取り戻した型です。イエス様の時代の十二弟子を代表した歴史的な過去、現在、すなわち旧約時代と新約時代を、すべて蕩減して取り戻した型が三十六家庭だというのです。言い換えれば、成約時代は旧約と新約を完成しなければ出発することができないのが原則なので、これをすべて清算するために三十六家庭を取り戻さなければならなかったのです。


 先生が個人的な勝利の基盤の上に、横的な家庭的蕩減の基準を準備しなければならないので、三十六家庭を祝福するようになったのです。ノア家庭から勝利の基準を築いたでしょう。伝統的家庭の基準を中心として立てたのがノア家庭です。その次にヤコブ家庭、第三家庭とは何でしょうか。これは清い青年男女たちです。ここから地上の基盤は、すべて蕩減復帰して完全なものを立てなければなりません。それでヤコブ家庭型の十二家庭を中心として横的な四方向性が起こるのです。


 これが三十六家庭を中心として全体を代表した立場で基盤を築くようになります。それが十二支派を中心として、三時代の十二型です。ヤコブを中心として見れば、蘇生、長成、完成の三時代です。これがすべて一つとならなければなりません。


 三十六家庭は、歴史時代において復帰摂理の使命を担った時代の数多くの善なる先祖を代表した家庭です。その先祖が縦的に失敗したことを横的に実体復帰するために、先祖の復活体としての責任をもった、選ばれた家庭です。この三十六家庭は、三十六億の世界人類を代表しているということを皆さんは知らなければなりません。


 世の中を見れば、家庭をもった既成家庭と家庭をもっていない人がいます。また、家庭をもっていない人の中にも二つの種類があります。一つは、自分勝手に男女関係を結んで失敗した者です。このように世界の人々を分ければ、三種類になるのです。自分勝手に結婚した人、その次に自分勝手に男女関係を結びながら家庭をもっていない人、今そのような人が多いでしょう。その次には純潔な青年男女、このような内容でもつれ合っているのが世界人類です。世界人類を縦的に見れば三種類なのです。

 言い換えれば、自分勝手に結婚した人、その次には、自分勝手に相対的関係を結んだけれども結婚できなかった人、すなわちイエス様と聖霊が今まで婚約段階にありながら新しい家庭を収拾する、そのような型の人がいます。その次は、純潔な青年男女がいるのです。このような型をすべて蕩減復帰するためには、縦的な歴史時代を代表して家庭的に収拾しておかなければならないので、それで三十六家庭が出てきたのです。


 イエス様が十二弟子を取り戻し、アダム家庭からノア家庭、ヤコブ家庭までの三時代の代わりにしてみ旨を成そうとしたことを、蕩減復帰するために三十六家庭を立てたのです。このように連結してきたのです。このように先生は、どれ一つ取っても適当にやったことはありません。


 再臨主は、アダム家庭の立場を蕩減復帰しなければなりません。したがってアダム、ノア、アブラハム型の家庭を取り戻して先祖に立てなければなりません。そのためには、まずアダム型の十二家庭を取り戻し、ノア型の十二家庭とアブラハム型の十二家庭を取り戻して、縦的な先祖を立てなければなりません。


 三十六家庭は、私たち人類歴史の先祖が復活したものです。その先祖が復活してどのようなことをするのでしょうか。地上世界の人間が六千年間縦的に繁殖したものが、横的に展開しているのですが、これをすべてつなぐようなものです。これが全体の縦的蕩減においては十二代、代数では十二です。地上でも、この十二ですべて連結されました。地上でも、蘇生圏が既成家庭、長成圏は、愛の関係はもったが結婚式を挙げていない者、その次に完成圏は、清い青年男女です。


 三十六家庭は、すべて十二数です。アダムからノアまでは十代ですが、十二数です。カイン、アベルで十二数になりました。その次は、ノアからアブラハムまでが十代ですが、イサク、ヤコブを入れて十二数です。こうしてヤコブの時になって初めて十二数の基準を中心として、横的に展開することにより世の中に着陸したのと同じように、統一教会も、やはり三十六家庭が出てくるのです。


 アダム家庭型、ノア家庭型、ヤコブ家庭型、これが第一家庭、第二家庭、第三家庭です。これを中心として歴史時代のすべてのもの、旧約時代と新約時代を経てきたすべてのものを成約時代に一つにつないできたのです。霊的世界を代表して、これらを連結させ、地上に先祖たちを一つにつないできたのです。それで三十六家庭は、みな先祖たちです。


 三十六家庭とは、いったいどんな家庭でしょうか。三十六家庭の中で第一家庭は、自分勝手に結婚した者をすべて連れてきて神様の前に連結させたのです。その次に第二家庭は、愛を成し遂げられなかった、このような内容をもった人たちをすべて組み合わせたのです。そのまま単にペアを組んで祝福したのではないのです。それはなぜでしょうか。世界の人々を救うためです。その次に第三家庭は、清い青年男女たちです。既成家庭は、第二家庭の前に絶対服従しなければなりません。霊界に行けば分かるのです。その次に、第二家庭は、第三家庭に絶対服従しなければなりません。

 今後、み旨が成し遂げられた時には、三十六家庭の中で誰が中心になるかといえば、第三家庭が中心になるのです。こういう話は、先生から初めて聞いたでしょう。では、再臨主が来られる所とはどこでしょうか。この既成家庭を訪ねてくるのではありません。自分勝手に愛の関係を結んだ人を訪ねてくるのではなく、清い青年男女を訪ねてくるのです。


 先生が三十六家庭を組んであげなかったとすれば、皆さんは、天上世界に入っていって立つ場所がないのです。このようなことを知っていますか。ここでそれを拡大すれば、全世界がその範囲の中に入るのです。既成家庭を蘇生とするならば、長成は第二家庭です。それでこれをアダム家庭、ノア家庭、ヤコブ家庭、このようにいうことができます。ヤコブ時代となって初めて平面時代、横的に越えてきたのです。十二支派を中心として横的に越えていくのです。

 天上世界に行けば十二の真珠門があり、十二支派があるように、また地上世界に十二カ月があるように、先生を中心とした十二支派、これがすべて合わなければいけないのです。イエス様を中心として十二弟子がいたように、先生を中心として三十六家庭がありますが、その中で十二家庭の代表が清い青年男女たちです。これを中心として、その次は自分勝手に生きてきた人たち、その次は家庭をもった人たちです。この人たちが一つになったという条件を立てなければ、入っていく道がないというのです。


 清い青年男女として先生から祝福を受けた家庭は、先生と連結することができる基準が立てられています。それで今後、家庭的基台においての中心は、清い青年男女として祝福を受けた家庭です。このようなことを知り、皆さんが今後、家庭の秩序を立てていかなければなりません。三十六家庭を見るとき、第一家庭、第二家庭、第三家庭の中で、第三家庭が中心になるのです。


 三十六家庭は、アダムからノアまで、ノアからアブラハムまで、アブラハムからヤコブまでを経て、十二の子女を中心として、全体的な摂理の基盤を築かなければなりません。これは、過去の歴史を成し遂げようとするのではありません。先祖が失敗したことを現実において、横的に一度に蕩減復帰するためなのです。これを成すための闘いが三十六家庭を中心として起こるのです。


 先生がこの世の事情を知らずに、そのようなことを言っているのではありません。人間の事情よりも神様の事情がもっと哀れで、人間の意志よりは神様の意志がより大きいので、責任をもってこれを成そうとしたのです。神様が子女を失った歴史的な恨を蕩減復帰しなければならないので、縦的な歴史を現実において横的に蕩減復帰して、先祖の願いと、先祖が立てようとした基準を再び取り戻さなければならない立場にあったので、三十六家庭を祝福したのです。


 三十六家庭の責任とは何でしょうか。今までの歴史的なすべての蕩減条件を食い止めることです。言い換えれば、サタンを完全に消し去ることのできる一つの完璧な囲いにならなければなりません。それでこの家庭のすべての伝統と思想は、サタンとは完全に隔離された伝統を立てなければなりません。この伝統を中心として横的な伝統の因縁を七十二家庭と百二十家庭が立てていくのです。このような立場で見るとき、三十六家庭の責任がどれほど貴重なのかを皆さんは知らなければなりません。


 霊界に行けば、正式に清い青年男女として祝福を受けた者と、既成家庭が受けた祝福は違うというのです。霊界に行けば、天は三層になっています。現実の社会にも上中下があるように、霊界もそうだというのです。それでは三十六家庭はどうでしょう。各々十二家庭ずつアダム家庭、ノア家庭、アブラハム家庭の代わりとなる三十六家庭を見るとき、どの家庭が一番貴いかといえば、一番最後の家庭が一番貴いというのです。今後は、そのような家庭を貴ばなければなりません。今は、そのような時になっていないからそうなのであって、みな差があるというのです。違うのです。


 私がお金を投入して金の指輪、服などを買ってあげたのです。そのようなことを、なぜするのでしょうか。三十六家庭は、結婚費用も出さなかったでしょう。人の子を連れてきて、自分の子以上の結婚式をしてあげました。一次、二次、三次と、世の中がどんなに反対しても堂々と行いました。全く、そのようなことをすれば土地が生じますか、お金ができるでしょうか。何ができるというのでしょうか。先生に度胸がなかったならそのようなことが成せたかと、考えてみてください。大韓民国が騒いでも、既成教会が騒いでも、微動だにしなかったのです。米国が騒ぎ、全世界が騒いでも、微動だにしませんでした。それで、今ここまで来たのです。

) 三次にわたって祝福――数多くのエピソード



 一九六一年の三十六家庭の祝福式の時に、乱闘劇が起こりました。門に警備兵を立てて結婚式を行うほどでした。しかし先生は、誰がどんなに騒いでも、すべきことは、すべて行います。三十六家庭の親たちが集まって来て、あらゆる罵声を浴びせながら大声を張り上げました。またひどいのは、先生を「監獄にほうり込んでやる」と裁判所に何十枚もの投書をして、先生が裁判所に呼ばれていくこともありました。


 特に、過激になって練炭の灰をばらまきながら「統一教会をなくさなければならない」と言う人が十二人いました。統一教会は、そのようなところで大きくなりました。反対されるその立場で、勝利の基盤を築かなければならなかったのです。反対されて冒険をする立場で、勝利の基盤を築かなければならないのです。


 私が三十六家庭の合同結婚式をする時、新郎新婦のお父さん、お母さんに私の名前で招待状を送りました。「お父さん、お母さん、何日にあなたの息子、娘が青坡洞教会で結婚式をします。それで来たる時には、このような礼服を着て来れば参加できますが、そうでなければ参加できません」と招待状を送りました。


 そのようにしたところ「全く、そのような話がどこにあるか。誰が人の子の結婚式の招待状を送るのか」と大騒ぎして、どんなに大変だったか分かりません。騒いでみろというのです。私が既に決めて行うのです。警察が動員されても私が言ったとおりに、そのままするようになっているのであって、自分勝手にするようにはなっていないのです。


 韓国で三十六家庭の結婚式の時は、自分の親も天使長の扱いをしたのです。親にも全く知らせなかったのです。仕方なくあとで、一週間前に、「礼服も着て来なければならない」という条件を立てて、通告したのです。それでののしりわめき、「他人の息子、娘を連れていって誰が結婚式をするのか」と物議を醸しましたが、仕方ありませんでした。親がどんなに気分を悪くしたか考えてみてください。それでそのまま鉄の門を閉じて、誰も入ってこられないようにしました。そのようなことをして、すべて分別したのです。



 三十六家庭の幹部の中のある人の親は、相当な名士で、文先生のような人は夕日のように過ぎ去る金サッカ(韓国の詩人)ほどにも思わないで、ああだこうだと言ったのです。その人の娘を結婚させる時、私が通知を送りました。その人は、自分の娘が結婚するといって結婚式場に堂々と入ってこようとしたのです。しかし、統一教会の結婚式に参加するには礼服を着てこなければならなかったのです。(礼服ではなく)自分の洋服で入ってこようとしましたが、入れてくれないので大騒ぎになったのです。娘の結婚式なので入らなければならないのに、入れないので仕方なく、統一教会の教会員のところに行って、「頼むから礼服を貸してくれ」と言って、礼服を着て入ってきたのです。

 三十六家庭の合同結婚式をする時にも、お父さん、お母さんに知らせることができるでしょうか。駄目だというお父さん、お母さんに会って、説得しようとする子を歓迎するでしょうか。そうではないですか。それは明らかなのです。お父さん、お母さんが来れば喜ばしい日となり、目が細くなりますが、先生という人は、それをすべて知っていながら、そのお父さん、お母さんに尋ねてから紹介するようになっているでしょうか。


 しかし、通知はしなければならないので、結婚式をする前日の何時間か前にちょうど到着するようにするのです。「あなたの息子、娘が貴い結婚式を行います。御来賓なされますようお願いします」、そのようにすべて通知したのです。


 先生の時代にどんな革命をしたかといえば、伝統を完全に覆しました。キリスト教の伝統を完全に覆して、大韓民国の伝統を完全に覆しました。お父さん、お母さんを否定しました。皆さん、祝福を受ける時、皆さんのお父さん、お母さんに先生が相談して祝福しましたか。一言もしていません。先生が主体です。三十六家庭の時にはお父さん、お母さんが来られないようにしました。無条件、礼服を着て来いといいました。それで大騒ぎとなったのです。革命の中の革命なのです。完全に覆したのです。


 三十六家庭の結婚式をする時、一次の結婚式は何時にしたでしょうか。夜明けにしたでしょう。闘いながら「やあ、私の父を出せ!」、「私の娘を出せ!」と言いながら騒いだのです。「私の父を出せ」と言うので、他人の父を盗んだ人となり、「私の娘を出せ」と言うので、他人の娘を盗んだ人になってしまったのです。


 このようにして、けんかをしながら「やあ、文なにがし! 出てこい! やつが出てきて、うちの家をめちゃめちゃにして、うちの娘を気違いにした!」と言うのです。結婚する場合、親から承諾を受けなければならないのに、結婚式の日に親に、「来たければ、こういう礼服を着て来てください」と通知を送る、全くそのような話がどこにあるかというのです。


 そのようなことはあり得ないのを、私はよく知っています。それを知らなければ楽ですが、知っているので息が詰まるのです。そうでしょう。知らずにすれば悪口を言われても「なぜですか」と言えますが、非難されることを明らかに知っていながらするのです。このようなことを知っていながらも、しなければ蕩減にならないのです。目をつぶって、いい加減にしてはならないのです。


 三十六家庭が結婚式をする時、一つは夜に行い、一つは昼に行い、一つは夜明けに行ったのです。なぜでしょうか。自分の息子、娘を出せと、みんなが反対をしたからです。神様のみ旨から見た時、偽りの父母から出発したので、真の父母の立場で、すべてのものをコーチしなければならないというのです。親たちも反対しましたが、国も反対しました。私が裁判所に行って、調書を作ってきて結婚式をしたのです。そのようにやってきたことを、誰も知らないでしょう。先生が立つ位置がなかったのです。そこから冒険をしてきたのです。

 先生がおもしろい話を一つしましょうか。私たちの韓国で三十六家庭の合同結婚式をする時、その娘婿も今この席にいるのですが、ある人が訪ねてきました。自分の二人の娘が二人とも統一教会に引っ掛かったというのです。自分はある学校の校長先生なので、良いお婿さん候補にある先生たちを選んでおいたと、絶対合同結婚式をさせることはできないというのです。しかし先生は、「反対をするならしなさい。あなたの娘は私が嫁に送る」と言いました。


 三十六家庭を選ぶ時、その親たちに先生が相談したでしょうか。他人の子を連れていって相談もしないで、招待状も出さないで、すべて先生の勝手に結婚をさせたので、悪口だけでなく、棒でたたかれるようになっているのです。昔のイスラエル民族だったならば、服を破られ、刃物で刺されて死んでいたことでしょう。しかしそれを、みんなが何をしているのか分からないように、あっという間に片づけてしまったのです。

 サタンの子をみな連れてきて、神様の子にして結婚させました。天の宇宙的な運勢で復帰路程を完結させるのに、誰に相談しなければならないでしょうか。祝福してあげるのに、誰に相談しますか。三十六家庭は何かといえば先祖です。先祖となる愛を成すのに、肉親のお父さん、お母さんに相談できますか。神様に相談しなければならないのです。


 三十六家庭の祝福も、真っ暗な夜中にしなければならなかったので、門を閉めて成婚式をしたのです。その時、「私の息子を出せ、私の夫を出せ、他人の息子、娘を連れてきて何をするのか」などの罵声を浴びました。自分の息子に妻をめとらせるのは、親の一存で決めることなのに、統一教会の先生が独断で結婚させるというので、わめいたのです。すなわち、サタン世界の親だからです。神様の息子、娘をサタンが奪っていったので、先生が再び奪い返して蕩減復帰するのです。歴史的に失った息子、娘を再び取り戻して蕩減復帰するためでした。それで式を早く終えたのです。蕩減復帰歴史なので仕方がありませんでした。


二 七十二家庭

) 七十二家庭の祝福の意義


 今まで先祖が責任を果たせなかったことだけが間違ったのでしょうか。そうではありません。先祖も過ちを犯しましたが、兄弟が間違ってそのようになったのです。それで、三十六家庭の前に兄弟のような立場としてカイン、アベルの二人を立てたのが七十二家庭です。七十二家庭を立てることによって、ヤコブの代まで、地上に横的基盤を築く時まで、家庭を中心としてカイン・アベルの二つの型を復帰した基準に立てたのが七十二家庭です。

 それによって今までの直系先祖の家庭が、すべて復活した型として地上に現れたのです。これによって重要な中心が決定されたのです。十二家庭を中心としてイスラエル支派型の出発が行われたのです。今日、私たちが七十二家庭を立てたので、先祖を中心とした基盤がこの地上に立てられたのです。


 先祖の前に二人の息子の家庭型を編成しなければならない摂理的意味があったので、これを立てるために三十六数の二倍の七十二家庭を立てたのです。縦的な歴史路程において、アダム家庭で成し遂げられなかったことをカイン・アベル家庭が完結させなければなりませんでしたが、完結させることができなかったのです。すなわち、蕩減条件を立てることができなかったのです。


 ところがカイン・アベル家庭型の七十二家庭を祝福することによって、延長した縦的な摂理が平面的な一つの基準点で勝利の基準を立てることができたのです。三十六家庭と七十二家庭を立てることによって、縦的なカイン・アベル型の理念的基盤がすべて地上に造成されたのです。その次に平面的に縦的家庭型を復帰しなければならないのです。その家庭は、すべてアダム家庭を復帰するための型です。


 三十六代が失敗したことを復帰したという基準を立てたのが三十六家庭ですが、そのようにして先祖となった三十六家庭だけでは駄目なのです。争いは、どこから始まりましたか。アダムとエバの息子のカインとアベルから争いが始まりました。それで、この世界がこのように壊れました。それは何のことかといえば、その子孫がみなけんかをする世界をつくったということです。これを蕩減復帰しなければなりません。


 そのためには、三十六代の息子、娘が神様の前で争わないで一つになったという条件を立てなければなりません。それでカイン、アベルに分立した数、すなわち三十六を二倍した数の七十二家庭を立てたのです。この七十二家庭が立てられることによって、カインとアベルが争わないで四位基台を成すことができる歴史的な先祖の基礎をつくったのです。それでサタンを防ぐことができる絶対的な基準が立てられたのです。皆さんは、七十二家庭がどのくらい深刻な位置に立っているかを知っていますか。


 七十二家庭は、三十六家庭の祝福基盤の上に立てられました。七十二家庭は、アダム家庭を中心として復帰されたカイン・アベル家庭を象徴します。アダム、エバが神様の前に立つためには、カイン、アベルが完全に一つになった基台の上に上がらなければなりません。アダム、エバが人類の先祖として完全な父母の立場に立つためには、カイン、アベルが完全に一つにならなければなりません。


 三十六家庭は、先祖格のアダム家庭を象徴しています。したがって三十六家庭は、カイン、アベルが一つになった家庭の基盤の上に立ってこそ、父母の資格を備えるようになっているのです。七十二家庭が三十六家庭の二倍になっているのも、カイン、アベルの立場だからです。


 七十二家庭とは何でしょうか。聖書で見るように、七十門徒といい、七十二門徒ともいいました。もともとは、この七十二数が合うのです。七十二数。十二支派を中心として六数、六人の族長たちが合わされば二掛ける六は十二、十二掛ける六は七十二なのです。七十人ならば数が合いません。それで七十二家庭が、もともと合っているのです。


 この七十二家庭は何かといえば、中心家庭の三十六家庭、すなわち先祖家庭の前にある息子、娘と同じです。子孫なのです。神様のみ旨の中で先祖がみ旨を成し遂げられなかったことは、その先祖の家庭においてカイン、アベルが一つになれずにみ旨が延長されたと、このように見るのです。


 カイン、アベル、息子、娘、兄弟が一つになった、その家庭の基盤をもてなかったのです。七十二家庭とは何でしょうか。全体を合わせてみれば、三十六家庭の倍数です。それでカイン・アベル家庭の三十六家庭の息子を中心としたアベル的三十六家庭とカイン的三十六家庭、合わせれば七十二家庭と同じです。それは何かといえばカイン、アベルが一つになれずに、歴史的先祖が失敗したことを蕩減復帰するための代表的家庭です。このように見るのです。


 三十六家庭から七十二家庭、百二十家庭は一チームです。分けることはできません。三十六家庭は歴代の先祖のことをいいます。次に七十二家庭は、息子、娘のことをいいます。百二十家庭は、世界国家の祭司長のことをいうのです。十二支派のことをいいます。十二支派の世界的分派型をいうのです。問題は、先祖とカイン、アベルと十二支派が一つになればいいのです。それが復帰歴史です。



 今日の「私」という存在は、過去の結実であり、現時代の中心であり、未来の出発です。すなわち、三時代を代表した結合体だというのです。この三時代の形を結合したのが三十六数です。十二数に三時代を掛ければ三十六双になるのです。この三十六双を中心としてカイン・アベル型の息子、娘を復帰しなければならないので、七十二家庭が出てくるのです。


 家庭でいつも問題になるのは、父母と子女が一つになることです。アダム家庭において、アダムとカイン、アベルが一つにならなければならないのです。神様の前に一致させることができる家庭になるためには、父母と二人の息子が一つになったという条件を立てなければなりません。そうでなければ神様の前に立てないのです。それが三十六家庭の二倍に当たる七十二家庭なのです。


 この七十二家庭は、イエス様の七十門徒に該当する数です。私たちが家庭を取り戻すことによって、この家庭はイエス様の十二弟子と七十門徒を中心として氏族を編成しようとしたのを成した型です。イエス様が十二弟子と七十門徒を家庭型として復帰した氏族型が、七十二家庭です。


 言い換えれば、この三十六家庭と七十二家庭は、イエス様のイスラエル民族を中心とした十二支派と七十門徒のようなもので、イスラエル民族を指導し得る代表的型を復帰した型なのです。これは、神様がイスラエルを中心として取り戻そうとした基本数が取り戻された型です。


 七十二家庭は、どんな家庭でしょうか。家庭を完全復帰しようとすれば、カイン・アベル家庭が一つにならなければいけません。アダム、エバが完全に神様の前に立とうとすれば、カイン、アベルが完全に一つになった基台の上に上がらなければならないのです。先祖というのは、父母の立場です。この父母の立場が完全に神様の前に立とうとすれば、カイン、アベルの基台を復帰しなければなりません。

 三十六家庭は、先祖です。先祖が立とうとすればカイン、アベルが一つになった家庭の基盤がなければならないので、三十六家庭の二倍の七十二家庭になります。七十二家庭はイエス様を中心とした七十門徒に該当します。それが一つになった地上の蕩減圏を成し遂げたので、神様の摂理はますますその基台が拡大されるのです。こうなると先祖の家庭を中心としてカイン・アベル家庭が一つになるので、摂理歴史においてそれは、家庭を中心に必要としたすべてのものが備わったことになります。家庭復帰を完成したことになります。それが七十二家庭までの祝福です。


 七十二家庭の祝福が成就することによって初めて、地上に神様を中心として平面的にも立体的にも一つの段階を成すようになったのです。したがってこれが決定されることによって、中心的基準が立つのです。


 すなわち、神様の摂理により決定されなければならない中心点が縦的な足掛かりとして、完全な歴史の勝利者として立つことは、三十六家庭、七十二家庭が一つになることによって成されるようになります。その中心点が決定されれば、神様が要求してこられた中心的先祖の勝利圏を成すことになります。それは完全な基台なので、それを横的に展開しなければなりません。


 イエス様が天国を成すことができなかったのはなぜでしょうか。氏族が協助することができず、次に十二弟子が協助できなかったからです。三弟子と十二弟子が協助できなかったのです。その次に氏族を中心として、十二弟子を中心として、七十門徒を中心として国と国を連結することができる橋を架けようとしたのに、その橋が崩れてしまいました。そうして家庭的基盤をもつことができなかったイエス様、氏族的基盤をもつことができなかったイエス様、教会基盤をもつことができなかったイエス様となったのです。


 次に、七十門徒が一つになることができなかったのです。この七十門徒は十二支派の代わりであり、七十長老を代表したものです。これが七十門徒ではなく、七十二門徒にならなければならないのです。十二支派に六人ずつとすれば、七十二人です。それで統一教会では、七十二家庭を祝福したのです。聖書を見れば、新約には七十二人ですが、旧約は七十人となっています。七十二人が合っているのです。七十人では合わないのです。


 復帰歴史とは、カイン、アベルの歴史です。カイン、アベルの歴史なので、このような先祖の前に二人ずつ、カイン、アベルだけを組んでやれば、今まで歴史時代において先祖が失敗したすべてのものを蕩減する条件となるのです。先祖がなぜ失敗したかといえば、カイン、アベルが一つになれなかったからです。カイン、アベルを中心として信仰基台と実体基台がすべて成されるのです。ところが、その先祖を中心としてカイン、アベルの基準を完結できなかったので、それを完結するための条件をこの地上の横的基盤に合わせるためのものが七十二家庭です。


 地上天国を成し遂げるためには、家庭を成さなければなりません。イエス様の三弟子、十二弟子、これは三時代の蘇生時代、長成時代、完成時代です。それを代表した三十六家庭。その次は七十二家庭です。カイン、アベルが家庭を中心として争ったので、その代表的な立場として七十二家庭を立てたのです。これは七十二民族、民族的な代表なのです。


 人類の中にはアダムのように自分勝手に結婚した型があり、次に相手を見つめながら生きてきたイエス型の人物もいるし、再臨主型もあります。再臨主は、これらの人物型の立場をすべて蕩減しなければなりません。まずノア型家庭を復帰しなければなりません。それはノアがアベル型であり、またイエス型だからです。神側の二番目の息子型なので、これをまず復帰しなければなりません。これがカイン、アベルに分かれて復帰された型が七十二家庭です。


 三十六家庭を立てた目的は、三十六の先祖を探し立てるところにあるのです。それで三十六家庭を中心に霊界と肉界が一つになるのです。これをカイン・アベル型に広げたのが七十二家庭です。ヤコブが七十二家族を率いてエジプトに出発したように、統一教会も七十二家庭の時、そうでした。


 祝福は、新しいイスラエルを認めることです。三十六家庭の一家庭に、カイン型とアベル型を立てれば、七十二家庭になるのです。


 三年の期間にアブラハム、イサク、ヤコブの三代の基準を越えなければなりません。今年、七十二双を無理に結婚させたのです。何組かしか気に入る人がいません。


三 百二十四家庭

) 百二十四家庭を立てた意味

 イエス様の百二十門徒の代わりとなる百二十家庭は、世界的な型です。百二十家庭は、世界の代表型として世界的な蕩減条件を立てることができる基盤となるので、百二十家庭を立てることによって、神様が世界的に訪ねてくることができる基準を立てたのです。それで国連の加盟国が百二十カ国を超えれば、その時が「終末だ」と言うことができるのです。



 百二十家庭は、世界のすべての国家を代表した基準で立てられた家庭です。


 再臨主は、アダム家庭の立場を蕩減復帰しなければなりません。したがって、アダム・ノア・アブラハム型の家庭を取り戻して先祖に立てなければなりません。そのためには、まずアダム型の十二家庭を取り戻し、次にノア型の十二家庭とアブラハム型の十二家庭を取り戻して、縦的な先祖を立てなければなりません。それで先生が三十六家庭を立てました。この先祖を中心としたカイン・アベル型の家庭として探し立てたのが七十二家庭です。そして百二十家庭は、世界百二十カ国の指導者を象徴するのです。


 横的な基準を立てて、平面的な四方数の世界型を立てたのが百二十家庭です。これは百二十国家を代表したものです。


 百二十四家庭までは七年路程です。現在百二十家庭があるので、新しいイスラエル圏を中心として世界の百二十カ国を取り戻すことができる基盤が連結されるのです。それでイエス様が家庭を通じて取り戻そうとした世界的なすべての数が、先生が百二十家庭を祝福することによって、復帰された基準が決定したのです。


 皆さんに必要なのは何かといえば、八十四人と百二十人をすべて氏族圏内に立てることです。それは縦的です。三十六家庭、七十二家庭、百二十家庭、違いますか。百二十というのは世界の代表です。それでイエス様が復活したのち、五旬節に屋根裏部屋に百二十人が集まったのです。それは世界的な代表です。先生が百二十四双を祝福する時、国連の加盟国が百二十四カ国でした。それがすべて合っているのです。


 十二数に該当するのが百二十門徒です。これは、イエス様の時代において百二十門徒の代わりの蕩減復帰数に該当するので、世界国家の代表者型です。これを立てて、その族長代表が国家代表でしょう。国家代表基準として編成するために、世界的な基準として編成するために祝福してあげたのが百二十四家庭なのです。


 四家庭は、これはこぶです。その四家庭は、既婚家庭です。なぜ既婚家庭を入れたのでしょうか。既婚家庭を入れないと今後、既婚家庭を救う道がないのです。この四数は東西南北の四方の門を象徴するので、このようなタイプの型を中心として既成家庭が復活できる道を開けてあげなければならないのです。それで百二十四数を祝福したのです。


 百二十家庭は、イエス様を中心とした百二十門徒の代わりなのです。四家庭は、結婚した既婚家庭です。四方の門を開けてあげなければなりません。

 イエス様が十字架で血を流すようになったのは、七十二門徒と十二弟子を足した八十四人が一つになれなかったからです。ですから皆さんは、八十四人を実体で蕩減復帰しなければなりません。その蕩減復帰基盤の上で、皆さんは結婚生活ができます。先生もそうです。そのために十二、十二、十二の三十六家庭です。それは蘇生、長成、完成です。これは三つですが、縮小すれば一つなのです。



 その次の七十二家庭も同じです。その基盤上に百二十家庭、百二十家庭の基盤上に世界が連結されるのです。イエス様が復活し昇天したのちに、五旬節に百二十門徒が一つになって聖霊が地上に降臨したでしょう。それは世界の代表を象徴します。


 イエス様がユダヤ数的基準を成し遂げられなかったことが恨なので、それに代わる百二十家庭がイエス様の恨を解いてあげる祝福家庭だというのです。それで百二十家庭は先頭に立って犠牲にならなければなりません。この前、出動教育を受けた地域長は、全部百二十家庭なのです。百二十家庭は犠牲にならなければならないのです。百二十家庭は、イエス時代の百二十門徒の立場で世界的な支派編成をするところにおける、世界百二十国家を代表した国家的な基台です。


 イエス様が昇天する時に百二十門徒を立てたでしょう。百二十門徒は、百二十家庭を意味します。その次に、地上でも天上世界に行った百二十国家の代表がいるのです。その国家代表の列に皆さんの血族が一つずつ入っていくことによって、皆さんの活動舞台が百二十国家の天国の版図を相続して、そこに活動できる基地を連結するのです。


 イエス様に十二弟子と七十門徒だけがいたのではありません。五旬節の時に百二十門徒に聖霊が降りてきて、世界的な宣教運動を始めたのです。それを代表したのが百二十カ国です。私たちが百二十家庭を祝福する時にも、国連に加盟した国が百二十四カ国でした。私たちにおいても百二十四双ですが、四双は何かといえば、東西南北を中心として犯罪者だった人でした。前科一犯、二犯、三犯、四犯まで百二十四組にすべて入っています。なぜでしょうか。地獄に行っている人々を救ってあげなければならないからです。刑務所にいる人々を救ってあげなければならないのです。


 天国の民を少なくともイエス様が願った百二十人、百二十家庭は連れて入らなければならないというのです。百二十家庭とは何でしょうか。百二十家庭は、地上の国家の代表です。それで一生の間、百二十家庭を連れて入っていかなければなりません。それを目的としなければなりません。それは何かといえば、イエス様が死なないで再臨できる代わりの者となって氏族に送るということです。カインの氏族にアベルの氏族を送ることです。それがメシヤの資格です。それが氏族的メシヤの使命なのです。


 自分の息子、娘と自分の血族と復帰された民と共に、永遠なる創造理想的伝統を、愛の伝統をどのようにつくっておくのかというのです。あの世に行って、これが一つの群れとなって自らの永遠なる生命の権威、生命の位階を求めていくのです。一族を復帰して百二十家庭以上を連れていかなければなりません。これだけ話したから分かったでしょう。恥を免れるように準備しなさいというのです。恥どころか裸にされて追い出されます。


 イエス様の十二弟子の十二数を十倍した百二十数は、平面的な世界を代表する数です。それで、この百二十門徒と同じ数を合わせるために百二十双の祝福をしたのです。本来は百二十ですが、四方数の四双を足して百二十四双を祝福しました。


 百二十カ国の代表に四を加えて百二十四双を祝福して、氏族的中心が決定された基盤の上に世界的な百二十四家庭を祝福しました。これは、イエス様が百二十カ国の象徴基盤として出発したキリスト教全体を代表する家庭が成立したということです。ですからそれは、先生を中心として個人で四位基台を成して、次に先祖をつなげ、次に民族をつなげて、次に世界をつなげる蕩減的家庭なのです。ですから今は、世界に広がっている数多くの国家圏を代表することができる国家が、すべて一箇所へ行くことができる道が開けるというのです。


 百二十門徒は、世界を代表します。イエス様も百二十門徒を中心として世界的な出発をしようとしましたが、それができませんでした。私たちは、これを準備しなければなりません。世界を標準として行く道の前に、架け橋となることができる自らの子孫を段階的に立てなければなりません。子孫を立てる時はいい加減に立てるのではなく、世界的な代表になることができる位置に立てなければなりません。これは何でしょうか。統一教会の三十六双、七十二双、百二十四双の合同結婚式です。


) 献貢式と百二十カ国聖地選定


 百二十四双の成婚式ののち、献貢式を行いました。神様がイエス様を通じて成すことができなかった個人的、家庭的、氏族的、民族的な基盤を成すために復活実体として来られ、み旨を成さなければならない方が再臨主です。それを三年間しました。この三年は、子女を取り戻す期間(縦的期間)に該当します。この期間は、イエス様がユダヤ教とユダヤ民族を収拾しなければならなかったように、復活実体の一人のお方を立てて、それを収拾する期間です。


 百二十家庭は、世界型です。一九六五年に四十カ国を中心として、百二十箇所の聖地を立てた理由もここにあります。


 人を取り戻したのちには土地を取り戻さなければなりません。先生が四十カ国を巡回した理由は、聖地を選ぶためでした。韓国で堕落前の基準を立てたので、聖地を選ぶことができたのです。世界四十カ国で百五箇所の聖地を選びました。百二十家庭は、百二十国家を象徴します。今後、私たちは、百二十箇所の聖地を選ばなければなりません。


 百二十家庭とは何でしょうか。百二十国家を代表する型だというのです。それでは天の組織で見たとき、先祖と家庭の形態と、ここに世界の代表者の型を備えたのに、土地がないというのです。土地がないので、天の前に人的組織の型は備えたものの、この地を汚したことを天が取り戻せる基盤がなかったので、これを中心として数を合わせるために四十カ国に百二十の聖地を選んだのです。それで地の基盤となったのです。そのようになったので、皆さんが聖地に行って祈祷するときは、そのような観点で祈祷しなさいというのです。


 皆さんは百二十家庭を代表して、七十家庭を代表して、三十六家庭を代表して、天の王座の中心である真の父母を代表して、すべて地上に降りてきて、平面に広がった立場で祈祷しなさいというのです。それで今後、統一教会を発展させるためには神様も動員しなければならず、今までの先知先烈(注:先駆け歩んだ義人たち)も動員しなければならず、すべて動員しなければならないのです。彼らはカイン型です。ここはアベル型なので、すべて地を中心として協助するのです。神様もしなければならないし、天使も協助しなければならないし、先祖も協助しなければならないのです。


四 四百三十家庭

) 四百三十家庭の数理的意味


 四百三十家庭とは何でしょうか。四百三十家庭は、全体の平面的な基準です。ですから一つにならなければなりません。今は、国家を中心として影響を及ぼすことができる状況になったので、世界へ出ていくのです。それで四十三数を立てて、先生の四十年生涯を復帰しなければならないのです。世界的に条件を立てなければならないのです。それで歴史は今、統一教会時代圏に移ってきているのです。ではここで、何が問題かといえば、氏族が一致団結して民族復帰のために進むことです。民族が復帰される日には、国家は自然屈服するようになっているのです。


 今年、四百三十双を祝福しなければならないのは、韓国において一九六七年が檀紀四千三百年になるので、これを摂理的な条件に合わせなければならないためです。また、イスラエル民族がエジプトの地からカナンに帰ってくるまで四百三十年かかりました。すなわち、四十三数です。それは新しい時代に移っていく歴史の転換点となる数です。それで私たちも、四十三数を中心として七年路程を最後に終わろうというのです。これがすべて合って、新しい歴史時代に移っていくのです。これから統一教会が行く道は、日進月歩することでしょう。


 四数、三数というのは、七数を代表して、イスラエル民族が四百三十年目にカナン復帰のためにエジプトを出発したことを代表します。ゆえに新しい出発をする時だというのです。また、その時が韓国歴史四千三百年になった年なのです。偶然の一致ではありません。神様は、数理的役事をされます。四千三百年になる年に四百三十双をこのように祝福したという事実は、氏族的で一つの系列的な宗教の勝利的基盤だけでは駄目なので、すべての氏族の前に共通の門を開放させておくのです。


 四百三十家庭の時は、大韓民国の歴史が檀紀四千三百年の年だったのです。四千三百年になる年に、大韓民国の家庭はどんな家庭でも、天の国へ行くことができる門を開いたのです。反対した集団までも入っていくことができるのです。いかなる氏族、いかなる民族、大韓民国の民は、反対した人でも、下賤の身の子孫だとしても、人ならば誰でも行くことができるのです。それで四百三十家庭は、氏族全体が加担する時なのです。全体の特定時代が、今は普遍的時代に移ってきているのです。


 それで金氏ならば金氏家門が神様の前に選ばれたならば、金氏全体が入っていくことができるのです。そして一九六九年度に、世界の数多くの国家を代表して四十三家庭を祝福してあげたのです。ドイツで祝福してあげ、米国で祝福してあげ、日本で祝福してあげたでしょう。それが四十三家庭です。相対なのです。


 四百三十家庭の国家的家庭の前に、四十三数の相対的家庭です。これは何を意味するのかといえば、全世界民族国家も韓国のあらゆる氏族が天国圏内に加担する特恵を得たので、世界民族が加担できる内的基盤によってこの相対的基準を連結させれば、外的世界の氏族も内的世界の蕩減基準にある韓国民族と連結することができるというのです。


 四百三十家庭は、イスラエル民族がカナン福地へと出発したように、私たちは、世界のカナン福地に出発したのです。四百三十年に出発したことを、この時は、四千三百年を代表した四十三数を合わせたのです。そこからみんな出ていくのです。出ていくための単位は、個人単位でなく、家庭単位です。家庭を引き連れて進まなければなりません。それを知らなければなりません。単位は個人ではありません。家庭なのです。それで自分の家庭を捨てていってはいけないというのです。

 モーセは、イスラエル国民を捨ててはいけないのです。みな率いて進まなければならないのです。監獄にイスラエル人がいても、その人を奪い取ってでも連れていかなければならないのです。そのような数を代表して四百三十双を祝福したのです。四百三十家庭には、すべての民族が入っていくのです。善なる人、宗教人、すべての人が入ります。十二数から四十数も出てくるし、三十数も出てくるし、百二十数も出てくるし、すべてここから出てくるのです。一カ月の三十日もここから出てくるのです。宇宙の中心数がここに、すべて入っているのです。


 それで四百三十家庭を中心として、四千三百年を私たちが出発するのです。一段階高いのです。正にその年なのです。韓国民族はもちろん、世界民族までここにみな入りました。韓国は、世界の代表で、すべて入っているというのです。それをはっきり知らなければなりません。広めていくのです。


 四百三十家庭を祝福することによって、どんなことが起こったかといえば、大韓民国はこれから統一教会と連結することができる立場に立ったというのです。それは何を意味するのかといえば、韓国の民は、宗教を信じなくとも、四百三十家庭を中心として第三イスラエル圏の恩恵を受けることができる圏内で蕩減条件を成立させることができるということです。それで大韓民国が選民だということを発表することができました。選民圏が形成されたというのです。


 では、このような基盤を中心として、次は何をするのかといえば、先生が世界的に拡大するのです。四百三十家庭をつくっておいて、次に世界的に大韓民国の土地と民をすべて拡大しなければなりません。土地に植えるというようなこと、聖地を選んでおいて、次に四百三十家庭に接ぎ木をするということをしなければなりません。それで四十カ国を中心として聖地を選んだのです。次に、世界巡回をしながら何をしたでしょうか。四十三家庭の祝福をしたのです。四百三十家庭の相対的数になる四十三家庭を、日本と米国とドイツを中心として連結させるのです。これは世界史的です。それによって、世界にいる数多くの信仰のない人々も、イスラエル圏の恩恵を受けることができるのです。


 四千年あるいは六千年間のユダヤ教やキリスト教の歴史を経てきましたが、そのように伝統を受け継いで信じてきたその恩恵を、信じないでも平面的時代へのその恩恵圏内に加担できる特権を与えるというのです。このような基盤が形成されたというのです。


 祝福とは何でしょうか。家庭を確保することです。先生の家庭を中心とした三家庭、三十六家庭、七十二家庭、百二十四家庭……。これによって世界的蕩減条件を形成するというのです。それでは、次に何が問題でしょうか。四百三十家庭なのです。世界的祝福基準の代表的型として百二十四家庭を立てましたが、大韓民国を中心として見た時、宗教を信じないで宗教生活をしない数多くの人が大韓民国にいるのです。そうではありませんか。


 蕩減条件は、教派を中心として必要なのです。神様の摂理は、教派を中心として必要なのですが、その他の宗教を信じない人は、どのようになるのでしょうか。それをすべて切って捨てることはできないのです。結局、教派を中心とした主流の思想圏内に平面的に数多くの国家、民族、数多くの氏族をすべて接ぎ木しておかなければならないというのです。世界へ通じることができる道を開き、その宗教人を連結させることができる門はできていますが、一般人は外れてしまったのです。一般人は加入できなかったのです。


 それで、韓国を中心として一般の数多くの氏族圏を接ぎ木しなければならなかったので、四百三十家庭を立てたのです。韓国歴史四千三百年を代表した四百三十家庭なのです。


 四百三十家庭とは何でしょうか。数多くの姓、朴氏、金氏などなど、韓国にも数百の姓があるでしょう。これと同じように、世界の数多くの姓をもった人々が連結し得る道を四百三十家庭を通じて開いておいたのです。四百三十家庭を中心として見れば、国内四百三十家庭と国外四十三家庭、日本とアメリカとヨーロッパ中をすべて合わせたことで相対圏を成します。これで全世界五色人種の前に四百三十数の相対的数を決定して、四十三家庭でつなげたのです。


 四百三十家庭は、韓国における四千三百年に合わせたものです。ここには、すべての人々が入っているのです。罪人も、あらゆる人たちが入っているのです。ここは殺人犯も、強盗もいて、あらゆる人がいなければなりません。それでこそ、世界の人々が入ることができる門ができ、道ができるのです。


 四百三十家庭が統一教会で主力部隊にならなければなりません。今四十代ならば、先生が世界的に闘う時です。四十五歳までにすべての基盤をつくって、大韓民国の蕩減基準を立てて、国と国を連結させた四十カ国を中心として百二十箇所の聖地を選んだ時だったのです。闘いの準備を始めた時です。


 四百三十家庭には、どれほど重要な意義があるか知っていますか。本来、昨年の一九六七年を中心にして越えなければなりませんでした。今年の二月二十二日は、先生が興南の監獄に入って満二十年を越えようとする時です。それで内外のすべてが先生の復帰路程二十年を越えていく、その中に内外の重要な意味があるので、皆さんがその日を中心として記憶されるというのです。


 皆さんがそのような同参する権威を所有できるという事実が、どんなに光栄であるかを知らなければなりません。その日は、悲しい日だけではありません。ジョージ・ワシントンの誕生日がその日なのです。そのように理解して、皆さんが素晴らしい家庭を築いていかなければなりません。


 四百三十家庭とは、大韓民国、この民族の代表なのです。そこには様々な姓が、すべて入っています。それとともに、これがアダムの立場、アダム国家のような世界的版図基盤を経て、韓国国民が連結されたところに、エバ国家型と同じ基準の人を連結させるのです。そうでなければ連結できないのです。それで四百三十家庭の時初めて、日本の久保木家庭を連結させたのです。そこから連結させていくのです。


 一九六八年を中心として「神の日」を定めるとともに、大韓民国の背後に神様の家庭が連結され得る版図をすべてつくったのです。世界へ出ていくことができる版図を連結させておいて、世界的に進出するというのです。ゆえに四百三十家庭の中に、初めて日本を介在させたのです。久保木会長が代表なのです。世界的時代に連結させていくのです。このような蕩減的条件を立てて、世界の版図を組んでいく、このような勝利の発展をさせていくのです。


 原理的に見た時、國進は四番目の息子で七番目に生まれ、結婚は八番目にしました。そのすべてが原理に合うのです。それとともに今回、四百三十家庭を國進の相対としたのは、四百三十家庭を中心とした全体の姓を連結したものです。世界の姓がそれほど分かれたということです。四千三百年を人によって、年数を人で蕩減するのと同じなのです。また、家庭を中心として蕩減するのも同じなのです。


 過去には四百三十家庭をすべて祝福することで、個人が行くことができましたが、今は四百三十数を家庭で選ぶことで、先生の家庭を中心にすべての東西南北にある世界の姓をもった人が家庭的に入ることができる時が来たというのです。それで國進の結婚式が、どれくらい影響が大きいかを知らなければなりません。したがって地上において東西南北が、すべて満たされるのです。先生は、その真ん中の位置を占めるのです。


 四百三十双というのは、四数、三数は、韓国歴史の四千三百年数に該当するのです。また、四数、三数を掛ければ十二数が出てくるし、四数、三数を合わせれば七数が出てくるのです。原理数においてすべての重要数、合わせて倍にする数が七数、三数、四数から出てくるというのです。このように四百三十双に決定しておいて、その次は韓国が中心なので世界の前に相対的数を探し立てるために、世界で四十三家庭を立てて祝福をしたのです。日本と欧州と米国において四十三家庭を立てて、世界的な相対圏を成したのです。これによって、全世界の万民には、天と接することができる平面的な基盤が完結したのです。


 天についていく人ならば、地の果てであってもその人が真心を込めれば、必ずこの門を通じて一箇所に集まることができる道を開けてあげなければならないのです。統一教会の合同結婚式はそのような意味があるので、四百三十家庭を中心とした世界的な連結体をつくることによって、統一教会は平面的に世界民族圏に発展したのです。韓民族だけではないというのです。四百三十双と四十三双ӛ