第十篇 平和思想 

第一章 平和とは何か

第一節 平和の概念

 

 

 

1 今、この世界における最も緊迫した課題とは何でしょうか。世界戦争は始まっても終わります。国家間の争いも終わりの日になれば終わるのですが、永遠に続く戦争は、心と体の闘いです。心を中心として体を完全に征服する、そこに平和の基準があるのです。父母が永遠に一つになり、夫婦が永遠に一つになり、父子が永遠に一つになり、一族が永遠に一つになる平和の基地ができるのです。その平和の基地が個人を越え、氏族を越え、民族を越え、人種を越えて、世界の果てまでできてこそ、世界平和が実現されるのです。ですから、人間改造革命が必要なのです。

 

 

平和の正しい意味

 

2 平和を成し遂げるというのは、主体と対象が互いに一つになることをいいます。「平」の字は英語ではホリゾンタル(Horizontal)であり、「和」の字はハーモニー(Harmony)という言葉です。それは中心と相対が相反するのではなく、和合していくことなのです。

 

 

 

3 歴史始まって以来、人類は、平和を念願してきましたが、この地には、依然として戦争が存続しています。不幸にも、強大国や権力者たちは、時として「平和」という言葉を誤用してきました。彼らは、平和を語りながらも、実際には、人々を平和でないものによって苦しめてきました。特に共産主義者たちは、挑発しながらも、「平和」という言葉を口癖のように使ってきました。

 

このように、「平和」という言葉は、不義を実現する手段として何度も利用されてきたのです。真の平和は、知識や富、そして社会的地位や政治的権力のような外的な条件にかかっているのではありません。世の中では、世界的関心事を公平に判断する絶対的基準がないので、変化する世界の中で衝突する利害関係に縛られ、真の平和の維持が不可能なのです。真の平和は、真の愛の基盤の上にのみ立てられるのであり、愛の関係は、人類を一つに結ぶ神様を中心とした絶対価値を理解するときにこそ、体験することができるのです。

 

 

 

4 和平や平和というものは、今まで長い歴史の期間を通して、全世界があらゆる手段、方法を動員し、ありとあらゆる努力を注いできましたが、ある一国家の政治力や経済力、軍事力だけでは、完全に解決できる問題ではありませんでした。問題は、最も近い家庭から氏族、民族、国家、そして世界を越えて天宙までも含めて通用する根本的な真理、すなわち平和の思想がなければならないのです。

 

 

 

 

 

5 平和というものは、どこにおいても、しわ一つない平らな状態のことをいいます。すべて平らなものとして和合するということです。一〇〇パーセント和合すれば、円形になります。土をこねて転がし続けていけば、丸くなります。ぱんぱんに張って丸くなるので、結局は最高の円形が作られるのです。しわがなく、何であろうといっぱいに満ちていないものがなく、完全に充満して円形を作るのです。

 

 

 

6 神様は、絶対者であられ、唯一の方です。その唯一の方は、完成の基準を自分お一人におかれたのでしょうか。そのようにしたとすれば、大変なことになるのです。

 

喜びと幸福というものは、一人を対象として語る言葉ではありません。幸福も、相対的関係を対象として語る言葉です。母と子の間において、二人が一つになるところに幸福があるのです。「平和」という文字自体が、平らに和合するということであり、既に相対性を含んでいるのです。

 

「平和」や「幸福」という言葉は、独自的な立場を対象として語る言葉ではなく、相対圏との関係を対象として語る言葉なのです。

 

 

 

7 「平和」とは、相対的な言葉です。二つは和合することによって平らになるのであって、「独平」ではありません。相手と同等の立場において、お互いに好意をもってこそ幸福だというのです。「自由だ」と言っても、愛を除いて自由がありますか。愛があってこそ無限の自由があります。そして、愛をもってむち打つ独裁者のような人になったとしても、それは誇らしいことなのです。

 

 

 

8 平和は、水平になって和合することをいいます。平和は、独りで成し遂げることができません。これは、上下関係、左右関係など、すべてが和合して喜ぶことができ、すべてのものが片寄らないで円満でなければなりません。そうしてこそ、平和だというのです。

 

 

平和と愛

 

9 神様も、独りでいれば不幸です。私たちと同様に、独りでは寂しいのです。ですから、神様も絶対的な真の愛を好むといえば、理論に合います。神様より高い愛、絶対的な存在より高い愛を望むというのです。神様が一番必要なものとして、より絶対的で高い愛を願うとすれば、そこに神様も絶対的に服従しなければなりません。

 

宇宙の存在の根源とは何でしょうか。絶対的な存在ではなく、絶対的な存在を一つにすることができる絶対的な愛が宇宙の存在の根源となり、起源になれば、この天地は平和の世界を造成できる、という結論を禺すことができるのです。そのような愛ゆえに、すべてのものが宇宙に存続し始めたという結論を出せば、愛ゆえに平和と理想も顕現するという論理が、自動的に出てくるのです。

 

 

 

10 生命の源泉であられる神様は、どのような基盤の上で生きることを願うのでしょうか。平和の基盤の上で生きることを願うでしょう。平和の基盤は、生命が設定するものではありません。主体と対象が高低を超越し、共通的価値を認定できる秩序的段階を超越した、その何かです。それが真の愛です。

 

神様は、真の愛の土台の上で生命をもち、真の愛の土台の上で全知全能でなければなりません。それでこそ、神様は歴史を超越した立場に立った理想的な主体になることができるのであって、生命の力だけで主体的立場に立つならば、すべての万物が一つになることはできません。小さな動物や植物も、すべて愛の主人が自分を育てることを願って、愛の手を差し伸べてくれるのを喜ぶというのです。

 

 

 

11 今日まで人間は、輝かしい科学の発展を遂げることによって、創造的な生活面においては神様に似るようになったということができますが、愛の生活においては、全く神様に似ることができていません。ですから、悲しみと苦痛と不幸が継続しているのです。愛は調和なので、愛がないところに調和はあり得ず、調和がないところに平和や幸福もまたあり得ません。ここから数々の悲惨な光景が展開するようになるのです。

 

神様も人間も、神様に似た理想的な生活、理想的な世界を願っています。神様が願い、人間の本心が願う理想的な人間は、創造的であると同時に、神様を中心とした愛を実践する善の人間です。また、神様と人間が望む理想的な世界は、環境を改善する創造的活動がなされながら、個人と個人、国家と国家の間に愛が満ちあふれる、大調和の統一世界です。このような新しいタイプの人間が、新しい統一世界で生活できるようになる時、永らく人間を困らせてきた一切の悲しみ、苦痛、争いは、初めて永遠に跡形もなく消えるようになるのです。

 

 

 

12 何を中心としてこの世界を収拾するのでしょうか。今日、これについて、歴史家たちも主張し、現在の知性人たちも主張していますが、まず世界を指導できる人が必要です。それでは、何を指導するのでしょうか。経済力を中心として指導できる能力のある人は、いくらでもいます。政治的な立場を中心として指導できる能力のある人も、いくらでもいます。お金がなくて、それができないのではなく、政治体制がなくて、それができないのでもありません。神様と神様の理想に通じる、愛の秩序がないのです。本然の愛の秩序が世界的基盤の上で成長する真理を模索できるならば、そこで初めて平和の起源ができ、人間の本心が安息し始めるのです。

 

 

 

13 「平等」は、一つのものを中心として語る言葉ではありません。左右という観念で、二つが一つの水平を形成してこそ平等になります。「平和」という言葉自体が、必ず相対的関係をおいて語る言葉です。東西を中心として平和を語るのです。東側だけを中心とした平和は一方的な平和であって、全体の平和を身代わりすることはできません。「平」の字が入った「平準」「平衡」という言葉は、すべて相対的概念です。二つ以上のものを中心として、連結されるところで成立する言葉です。

 

平和の境地も、男性と女性が一つになるところで成り立ちます。男性と女性が一つになるというのは、背丈が同じだからではありません。背丈を中心として見れば、男性は大きくて女性は小さいのです。力を見ても、男性は強くて女性は弱いのです。外的な面では、水平になることはできません。それでは、何を中心として相対的水平圏を成し遂げるのでしょうか。それは、何かの力でもなく、知識でもありません。知識は、いくら学識が広いといっても、高低の違いがあります。平等の立場を成し遂げ得るただ一つのものがあるとすれば、それは愛しかないのです。

 

 

 

14 「平」という基準は、どこで求めることができるのでしょうか。愛を中心とした基準でのみ可能です。愛は、男性でも女性でも、私たちのあらゆる細胞が要求する、絶対的な理想の頂点です。その理想の頂点を中心として一つになる基準、全体を代表した基準として立つので、「平均」や平等という言葉は、力や形を中心としたものではありません。愛を中心として語る言葉なのです。

 

 

 

15 私たちは、どこに向かっているのでしょうか。理想世界に向かっているのです。また、平和世界、統一世界に向かっています。理想や統一や平和というものは、一つになった世界なのです。その一つの世界の中心とは何でしょうか。このすべてのものは、愛が中心となっていなければならないのです。共産世界が平和の世界ですか。民主世界が平和の世界ですか。いくら組織が統一されたとしても、愛がなければ、それは統一世界になりません。愛がなければならないのです。

 

 

 

16 千年、万年、不変な本質があるとすれば、その本質を中心として平和が成り立ってこそ永遠の平和が広がるのであり、幸福も、そのような本質を中心として広がってこそ永遠の幸福が成就するのです。そのようなことが真の愛から始まります。真の愛を中心として主張する自由は、永遠の自由であり、その真の愛を中心として始まる平和は、永遠の平和であり、そのような幸福は、永遠の幸福であり、それを中心として全体が統一されれば、それが永遠の統一になるという結論が出てきます。そうなれば、永遠の平和が永遠の社会、世界まで連結されるのです。

 

 

平和と幸福

 

17 神様の愛を受ける人になるとすれば、どうなるでしょうか。心と体はうれしいでしょうか、うれしくないでしょうか。そのような人は、不幸ではありません。神様が永遠であられるように、「私」も永遠に生きることができます。神様は、永遠の生命の主体であり、すべてのものを備えた方であり、私はその備えた方の愛の対象である以上、その方が悲しまない限り、私も悲しむことができず、その方が喜ぶ限り、私も永遠に喜ぶことができます。ですから、人間が完成するというのは簡単です。幸福であることです。平和で幸福であることなのです。それ以上は必要ありません。それは、すべてのものがいっぱいに満たされている立場をいいます。もちろん、その中には自由があるのです。また、願うものがすべて実現するのです。

 

 

 

18 不幸な人とは、どのような人でしょうか。与えようとしても与えることができず、受けようとしても受けることができない人が不幸な人です。一人では、幸福はあり得ません。一人では、平和はあり得ません。平和というものは、相対的関係において展開するのです。「愛」や「幸福」や「平和」という言葉は、絶対に一人でいるときに成立するものではありません。相対的観念において成立する言葉なので、その相対が完全な相対でなければ、完全な幸福はあり得ず、完全な平和と、完全な愛はあり得ません。

 

 

 

19 人間は、様々な努力をしてみましたが、人間が真に要求する真の人や、真の理想や、真の幸襯や、真の平和といったものを願ったにもかかわらず、そのような要件を成就できる希望さえ喪失してしまった悲惨な状況に置かれています。この変わる人間像を超えて、永遠でもあり、不変でもあり、絶対的でもあるそのような方がいらっしゃるとすれば、その方こそ、私たちが知っている神様です。

 

神様は、私たち人類が願う真の希望の中心であり、真の幸福の中心であり、真の平和の中心であり、真の愛の中心であり、真の理想の中心です。神様は、愛の王であり、理想と幸福と平和の王です。神様と私たち人間が同じ願いの基準、同じ希望の位置、苦楽を共にできる位置に行くためには、神様を中心として、真の愛がどこから始まり、真の理想と真の幸福と真の平和がどこから始まるのかという根源を、はっきりと知らなければなりません。

 

 

 

20 今日、世界人類は、自分たちも気づかずに、平和の世界、幸福の世界を追求しています。また、自由を追求しています。これはすなわち、根本的な自由の基盤の上に立つことができず、平和と幸福の根本となる位置に立てなかったからだ、ということを証明するものです。神様は、絶対者であられ、全能であられる方なので、その方によって造られたすべての万物は言うまでもなく、その神様が自由であられるならば、私たち人間も自由でなければならず、神様が平和な位置にいれば、私たちもその方と同じ位置に立たなければならないのです。

 

 

 

21 自分自身というものは卑しいものだと思っていましたが、私たち個々人によらなければ神様の愛を完成させることができないという事実、「私」自体でなければ、神様の理想を成就させることはできないという事実、神様の幸福と神様の平和を完成させるには、人間でなければならないという明確な事実を、今まで知りませんでした。不足な私ですが、神様の愛を完結させ、理想を完結させ、神様の幸福と平和を完結させることができる高次元的な価値の存在なのです。

 

 

 

22 相手のために生きながら暮らしていこうという原則さえ掲げていけば、家庭では平和の家庭、自由の家庭、幸福な家庭、愛の家庭、社会でも平和の社会、自由の社会、幸福な社会が形成されるでしょう。国家と世界でも同じです。いかなるところでも、この原則を中心としていけば、幸福と自由と平和と愛が宿らざるを得ないという結論は当然なのです。

 

 

 

23 人のために生きようとする男性と女性が夫婦になったとすれば、そのような夫婦こそ、理想的な夫婦なのです。そのような夫婦こそ、真の平和の基準を求めることができます。そのような夫婦が、本当に幸福な夫婦だというのです。そのような夫婦こそ、永遠不変の真の愛の主体者となることができるのです。

 

それでは、本当に理想的な父母とは、どのような父母でしょうか。自らのために存在し、自らのために生涯を送ろうとするのではなく、子女のために生まれ、その子女たちのために存在してきたと考える父母、子女たちのために生命を捧げて生涯を終えようという父母がいるとすれば、そのような父母こそ、真の父母です。このような父母こそ、真の平和、真の幸福、真の理想の父母です。

 

子女は、自分が生まれたのも父母のために生まれたのであり、生きるのも父母のために生きるのであり、死ぬのも父母のために死ぬとすれば、その子女は孝子です。真の愛を受けることができる、真の幸福と真の平和と真の理想の子女にならざるを得ないのです。

 

 

 

24 平和の起源、幸福の起源はどこに立てるのでしょうか。今、自分自身を中心として、「私は、自分のために生まれたのではなく、相対のために生まれた」ということを発見すれば、宇宙のすべての難問題は解決されるでしょう。堕落の原因は、アダムとエバが自分の自覚と自己主張をしたところにあります。神様のために生き、神様を主張しなければならないのに、反対になったというのです。ここにおいて、皆さんに一つの公式を提示することができます。ために生きるところでのみ、真の理想と幸福と永遠の世界が存続するというのです。

 

 

 

25 いくら優れた男性でも、その男性は、男性のために生まれたのではありません。女性のために生まれました。いくら素晴らしい美女も、自らのために生まれたのではありません。男性のために生まれたというのです。ですから、存在の起源は、ために生まれることから始まったと考えざるを得ません。神様が理想世界を創造した公式を、ここから探し出すことができます。ために生きるところでのみ神様の真の愛が出発でき、神様の理想的相対が顕現し、平和が成し遂げられ、幸福が成し遂げられるというのです。

 

 

 

26 今日、世界の混乱状態を迎えた全人類は、国家を超越して平和世界を追求しています。しかし、人を中心とした平和は、今まで実現しませんでした。人々が願ったすべての平和は実現しなかったので、今、一つの可能性があり、希望を与えるところがあるとすれば、それは神様を中心とした世界平和の論理を提唱するところです。そこにおいてのみ、混乱した世界に新しい方向性、新しい歴史性を提示できる、その何かがあるはずです。このような結論は、論理的に追求するときに得られる、堂々とした結論です。

 

この結論とは、天国です。天国を意味するのです。平和の世界、中心をもった平和の世界です。そのような所が天国です。その中心は、歴史性を克服しなければならず、宗派性を克服しなければならず、その次に民族性、人種性など、あらゆるものを克服しなければなりません。そのような立場において、変わらない一つの中心として残り得る所にならなければならないのです。

 

 

 

27 宗教が行く道、倫理を中心として行く道、あるいは哲学が指向する真理の道において、幸福の世界を紹介できる平和と自由を、どのように求めなければならないのでしょうか。人の心情は、誰でもみな同じです。数千年前にもった心情も、億千万年後に現れる心情も、すべて同じです。心情の世界は変わらないのです。

 

同じ基盤で動く心情を引き出して幸福の園を成し遂げる世界、幸福を感じられる社会的な基準、幸福感を味わえる宗教的な意識、このようなものがこの地上にはないのでしょうか。もし、ないと断定すれば、神様はどこに存在するのでしょうか。神様は、人類と共にいらっしゃらないという結論が下されるのです。

 

 

 

28 人類を抱き、摂理と倫理道徳を立てて善を指向させる天倫があるとすれば、天は必ず私たちと関係するあらゆることを解明してくれるのはもちろん、老若男女を問わず、これを心情的に肯定できるひと日が来るでしょう。そのような立場で和合して動じながら、この幸福が私たちの幸福であり、この平和が私たちの平和であり、この自由が私たちの自由だと声高に語ることのできるひと時が現れなければならないでしょう。そうでなければ、神様も、いかなる偉大な思想家も、私たちとは何の関係もありません。

 

 

平和と自由

 

29 世界人類は、平和を待ち望んでいます。さらには、自由を享受する個人となり、自由の社会、自由の国、自由の世界で生きることを、誰彼を問わず願っています。「私」の心に平和がなく、私の心に自由がなければ、真の幸福はあり得ません。真の人生の道を歩もうという人がいるとすれば、彼は、真の平和の中で真の自由を謳歌し、真の幸福を享受することを願うでしょう。今日、優れた人も愚かな人も異口同音に、「この世界は平和の世界になっていない」と言っています。自由を叫んでいますが、自分の心情のままに生きられる自由な環境になっていないことを自認しています。ですから、人間は、理念的に待ち望む幸福の自分になり得ていないという事実を否定できないのです。

 

 

 

30 あらゆるものは、起源が良いものを訪ねていきます。また自由な所を訪ねていくのです。幸福なものを訪ねていくのです。自由は自由なりに、幸福は幸福なりに、平和は平和なりに、別々の道を行くのではありません。歩調を合わせていかなければなりません。それでは、平和の中に自由がなければならないのでしょうか、自由の中に平和がなければならないのでしょうか。平和の中に自由がなければならないのであって、自由の中に平和はあり得ません。平和は、二人が互いに和合することです。それは、お互いが譲歩するときに可能なのです。

 

 

 

31 サタン世界の愛を中心としては、自由がありません。平和がありません。幸福がありません。希望がありません。永遠の生命がありません。それを蕩減復帰しなければなりません。物権、人権、愛権を復帰することによって、そこから自由が生じるのです。ですから、心と体が一つにならなければなりません。人権を本来の姿に戻しなさいというのです。心と体が一つに統一された基準でのみ自由があります。祖父と孫の嫁が一つになれば、秘密裏にドアを開けて入ろうと、どこに行こうとかまいません。壁がなくなるというのです。そのように一つになってこそ、自由があります。自由がなければ平和はないのです。

 

 

 

32 統一された基盤の上に立たなければ、自由はあり得ません。心と体が闘っているのに、自由のふろしきを持ってきて、その自由にしがみついて「うれしい」と言うことができますか。自由が生じるのかというのです。とんでもないというのです。また、平和がどこにありますか。平和というものは、平坦な状態で、すべてのものが欠如することなく満ち足りていて自由なのです。ところが、心と体が闘っているのに、平和がとどまる所がありますか。幸福も同様です。心と体が闘っているのに、幸福を求めることができますか。とんでもないというのです。

 

このようなすべての根本問題について考えてみるとき、心と体が完全に一つになる場においてのみ、自由を占有することができるというのです。心と体が一つになる場においてのみ、平和の基盤が生じるのです。心と体が一つになるところにおいてのみ、幸福が展開するのです。夫の心と妻の心、夫の体と妻の体が一つになるところでのみ、家庭の平和を中心として、世界に対する夢を見ることができるというのです。

 

 

第二節 神様と人類の希望である平和世界

 

 

天聖経  第十篇 目次 第一章 平和とは何か

第二節 神様と人類の希望である平和世界

 

1  人類が善になるためには、まず人類を形成している個々人が善にならなければなりません。そのようにならなければ、人類が善になることはできません。結局 は、一人一人が善の人となり、一人一人が真の立場に立って、平和の動機となり、あるいは、善の結果の立場に変わることなく、永遠に立ち続けなければならな いのです。そのようにならなければ、いくら平和な世界になることを願ったとしても、この世界が平和の世界になることはできません。

平和と神様

 

2  人類の先祖は、堕落したので神様の息子、娘になれませんでした。息子、娘になれなかったので、真の子女になれませんでした。そして、自分たちの考えで カップルになり、息子、娘を生むようになり、そこから氏族ができ、民族ができ、国家ができるようになったのです。これは、神様を中心とした原則的な愛を中 心として完成されなければなりませんでしたが、それができなかったのです。平和の世界や理想の世界や幸福の世界というものは、神様の愛を除いてはあり得な いのです。

 

3 歴史はメシヤを迎えるための、神様を中心とした歴史です。ですから、今まで神様とサタンが対立してきたので す。神様がプラスならば、サタンはマイナスにならなければならないのですが、プラスになっているので反発するというのです。それで、これをマイナス圏にし て、サタンが屈服できる関係を通さなければ統一ができないのです。統一されなければ、エデンの園、平和の世界は出発することができません。天の側がアベル になって、この世の中にやって来なければなりません。ですから、一つになる所には平和が、争う所には戦争と破壊と滅亡が訪れるのが原則です。アベルは、争 うために来る人ではなく、統一をして平和を成し遂げるために来る人なのです。

 

4 人類は、真の真理、不変の真理を求めてきま した。それとともに、愛と理想と幸福と平和と自由を追求することを継続しています。いくら混乱した世の中で、いくら絶望の世界だとしても、私たちがこのよ うな希望を諦めないまま、そのような真の愛や理想や幸福や平和が存在することを願う心をもっていることは、間違いない事実です。

 

それでは、 ここで問題になることは、神様はどうなさるのかということです。神様も真の愛の世界、真の理想の世界、真の幸福と平和と自由の世界を追求せざるを得ませ ん。それは、人間が追求するのも、神様が追求するのも、同じです。それでは、「愛」や「理想」や「幸福」や「平和」というそれらの言葉は、独りを対象とし て語る言葉でしょうか、でなければ相対的関係で成立する言葉でしょうか。その言葉は、独りで成立する言葉ではありません。独りで愛が成立しますか。独りで 理想が成立しますか。独りでは幸福や平和というものはあり得ません。このような言葉は、相対的関係で成立する言葉なのです。

 

5  あらゆる学問を超越し、社会の構成や体制、あるいは慣習を超越して決定すべきことは、神様の問題から始めなければなりません。始まりは神様にならなけれ ばなりません。その神様は、最初から過程を経て人間を造ったならば、その創造理想の実現、その目的地まで行くことができる道を再発見しなければ、平和の世 界は成し遂げることができません。平和の世界は、一つの世界だからです。

 

人間が行く方向と、神様が行く方向の二つの方向があるというとき は、一つの平和の世界は現れないので、不可避的に、結論は一つの方向とならざるを得ません。ですから、人間を第一とした世界を打破し、神様第一主義の世界 を決定しなければ、一つの平和の世界に行ける道を発見することはできないのです。

 

6 完成した個人への道は、神様の創造理想 に向かう道と同じです。神様が万物を造られたのは、ただそのまま見て、向き合うためではありません。喜ぶために造ったのです。喜ぶことによって幸福になる のであり、幸福になることによって、そこにお互いの平和な環境が成り立つのです。

 

喜びを感じるところには、お金が必要ではなく、人が必要な のでもありません。ここには、互いに切ろうとしても切ることができず、神様が父として息子と向き合うことができる喜びの要素、喜びの力がなければなりませ ん。いかなる力も除去できず、防止できない絶対的な力、主体的な力でなければなりません。

 

そこには、「その一つだけが私たちの絶対理想だ」 と言って追求できる道がなければなりません。それが決定されなければ、互いに理想の主体であり、理想の相対者をもつことはできません。ですから、喜びを生 み、幸福の問題を解決できる中心要因とは何でしょうか。私たちの平和の起源となる核とは、何でしょうか。これは、絶対的な神様の愛と相対的な関係を結ぶ立 場しかないのです。

 

7 世界の問題を解決するために、最も重要なことは何でしょうか。神様はいるのかいないのかという問題を はっきりと解明することが、何よりも重要な問題であると見るのです。もし、神様がいることを全人類が分かる日には、神様のみ旨がどのようなところを指向す るのかがはっきりと分かるようになり、その指向するみ旨が分かるようになる時には、その世界はそれこそ一つの世界であり、平和の世界であり、理想の世界に 間違いないということが分かるようになるでしょう。

 

8 平和の世界を人間だけで夢見るということは、否定的で可能性がありま せん。なぜでしょうか。皆さんの心と体を見る時、その闘いがどれほど熾烈でしょうか。ですから、先生も修養路程にいる時、「宇宙主管を願う前に自己主管を 完成せよ」というのが標語でした。この体がどれほどしぶとくて強いか、いつも道を遮るようになっています。宇宙を主管する能力があるとしても、自分を主管 するのは難しいというのです。本質がそうなっているので、混乱した有様になっているこの天地間において、平和や統一を語りながら一つの世界を夢見るという のは、妄想にすぎません。しかし、神様がいる限り、神様がいるならば可能なのです。

 

9 本然のエデンの園は、生命の園でし た。そして、ある時間圏内にとどまる生命の園ではなく、永遠を中心として現れる生命の園なのです。その生命の園がこの地に造られたとすれば、人間は生命を もった存在として、神様の生命の恩賜に対する感謝と永遠の楽しみをもつことができたでしょう。また、本然のエデンの園は、人間がすべての生命の主人の立場 で、生命の光を現すことができる世界でした。

 

すなわち、その世界では、個々人の生命が神様のみ前に永遠の希望の実体として現れることができ ると同時に、無限の価値の存在として光を現すことができたというのです。そして、本然のその園は、愛の園であると同時に、平和の世界であり、神様の愛を中 心としてお互いが和睦しながら一つになる統一の世界なのです。

平和の王と平和王国

 

10 皆さんは、アダム とエバが世界基準において完成した国を中心として、一つの統一的大家族になるのです。この統一的大家族は国ではありません。霊界と肉界を中心として新しい 一代先祖、二代先祖を編成し、氏族と民族と国家と世界を編成するという、歴史的な最終ページの結論を下すことが残っています。ですから、どれほど深刻です か。神様の祖国と平和王国時代を発表しました。その時が来るので、すべての存在物は、神様の祖国と平和王国の上に立たなければなりません。ですから、神様 の祖国と平和王国は、解放・釈放圏の上に立たなければ、神様の所有として扱うことはできないのです。

 

11 私たちが取り戻す ことを願う本然の園は、幸福の園であり、神様に賛美と感謝をお返しすべき世界です。また、その世界は生命を中心とした希望の世界であり、生命と愛を中心と した平和の価値と統一の価値が実現された世界です。そして、そのような人間のすべての価値が結合して、美として現れる世界であり、すべての個体が歌とほほ えみと踊りによって、神様の生命と永遠の愛を賛美する世界です。さらには、人間が動くとおりに被造物が共に動きながら、和動する世界です。神様は、このよ うな創造本然の世界を、人間を通して成し遂げようと願われたのです。

 

12 カインとアベルは、神様の愛を中心として生まれた 息子、娘ではありません。アダムとエバは、神様のむちによって追われ、追い出された私たちの先祖です。本来、アダムとエバは神様から、「愛するアダムよ、 愛するエバよ、万宇宙の創造目的の世界、愛の園を建設するために、私はあなたたちを造ったのだから、あなたたちは平和の王であり、幸福の王である」という 祝福を受けなければなりませんでした。この地上のほかのいかなる存在も王になることはできません。私たちの先祖だけが王にならなければならなかったので す。アダムは、千秋万代、永遠無窮に地上の王として、天上の王として立つことができたはずだったのです。天地が生じたのちに、神様と人の関係が生じたのち に、初めて「王」の名をつけることができた方が、正に私たちの先祖アダムだというのです。

 

13 天は、人間が堕落して以後、 四千年の歴史の中で選民を選び立て、彼らに「あなた方の指導者であり、あなた方の主人であり、あなた方の平和の王子であり、自由の王子であり、幸福の王子 になる人を送ってあげよう」と約束しました。そうして、天は、幸福の主人公であり、平和の主人公であり、自由の主人公であって、天の恨を解き、天の福を紹 介できる一人の存在として、長い歴史を経てきながら約束していたそのお一人を送られました。

 

そうして、長い歴史を経てきながら約束したその お一人が現れましたが、選ばれたイスラエル選民はそのお一人を迎えることができず、歓迎してそのみ旨のとおりに生きることができず、その方のみ旨のとおり に団結して天のみ旨を立てて神様の恨を解くために闘うことができなかったために、恨めしい歴史は今まで延長を繰り返してきているというのです。平和の王子 であり、幸福の王子であり、自由の王子として来られた方は、堕落以後四千年の歴史過程の恨めしい心情を引き受けて来られたイエス・キリストだったのです。

 

14  皆さんが宇宙的な天国の理念を身代わりすることができる存在となり、神様の愛と生命と真理の運動を展開すれば、平和の世界がこの地に建設されるでしょ う。ですから、自分の父母だけが父母ではなく、自分の兄弟だけが兄弟ではなく、自分の息子、娘だけが息子、娘ではないというのです。皆さんは、すべての人 を自らの父母、兄弟、子女と思うことができる人格を備えた人になれば、死亡の世界で苦しんでいる多くの民を見つめるとき、涙なくしては向き合うことができ ないはずであり、兄弟や幼い人々を見つめるときにも、「彼らを救おう」という責任感をもって、涙を流しながら努力するようになるはずです。本当にそのよう な皆さんになれば、皆さんを中心として、この地に天国が建設されるでしょう。

 

15 平和の王がいなければ、平和は永遠に成し 遂げられません。人間が平和の王にならなければなりませんか、神様が平和の王にならなければなりませんか。それは言うまでもなく、神様が平和の王にならな ければなりません。その平和の神様がいかなる神様なのか分かるようになれば、その息子となり、平和の神様の息子になれば、平和のみ旨を受け継ぐので、地上 において王権を受け継ぐことができる後継者になるのです。

 

 

16 世界を一つにすることは、偉大な力や、偉大な知識ではできま せん。愛でしなければなりません。自分を犠牲にさせてでも、すべての責任を完遂しようというところで世界平和が成し遂げられるのです。力で統一させたもの は力がない時には分かれますが、犠牲で統一させたものは、力がなくても分かれません。神様は、知恵の王なので、長期的に残る統一的な原則を立てておきまし た。犠牲になりなさい、ために生きなさいという原則、愛の原則を立てておいたのです。そのように生きるようになれば、愛は自然に芽生えるのであり、喜びが 自動的に広がります。ですから、「私」を犠牲にしなさいということ、人のために生きなさいということは、宇宙と通じることができ、天の永遠の愛と最も近い 距離に立つことができるようにするための一つの主張なのです。

 

17 存在世界を法則的に推し量って公式化し、これで知識の一 部をつくり上げたものが科学です。科学がすべてではありません。私たちは、自らの皮膚を触れば体温を感じ、もちろん感触もありますが、そのほかに感じられ る何かがあるというのです。宇宙の理念は、私たちの生活を収拾していきながら、私たちが反対方向に行こうとする時には、「宇宙の目的と一致する方向に行き なさい」と言います。

 

ですから、大きな物でも小さな物でも、どのような物だとしても、それらはすべて天地を創造された神様の大理念圏内に存 在します。神様は、愛を中心として、それらを造られました。そのように造られた大宇宙は、神様が見つめる時、最高に喜楽を感じられる平和の世界にならなけ ればなりません。その目的が成就されて、神様は「私は幸福だ」と言うことができなければならないのです。

 

 

第一節 平和世界実現の段階

 

 

天聖経  第十篇 目次 第二章 平和はどのように成されるのか

第一節 平和世界実現の段階

 

1 個人の平和、家庭の平和、氏族の平和、民族の平和、国家の平和、世界の平和、宇宙の平和を成し遂げて、解放したあとに自由天地は形成されます。そのような自由世界の基盤の上で幸福はあり得るのです。今まで誰も、そのような平和の世界を探し出せませんでした。だとすれば、誰からそのような平和の基盤を見いだせるのでしょうか。今、神様とサタンが闘っています。理想の神様と悪のサタンが闘っているのです。そのように闘っている神様とサタンが、どうして平和の基盤をつくれるでしょうか。その闘いを、誰が止められるでしょうか。皆さんの心と体も闘っています。それが問題です。神様とサタンが闘っているだけでなく、「私」にも闘いが続いていることが問題なのです。

 

 

個人、家庭、社会、国家、世界、天宙の平和

 

2 「私」が行く道、すなわち私たちが行く道は、歴史に代わる道であり、私たちが見つめて進んでいく方向は、歴史の流れと一致した方向であり、同時にそれを収拾していく道です。

 

私たちは、この目的に向かって、私たちの全生涯路程をかけて歩んでいます。私から出発して、その目的点まで行く道は、個人はもちろん、家庭、氏族、民族、国家、世界、さらには神様と全体が動員されて行くべき道です。このような方向に向かっていく途上には、平坦な所はほとんどありません。それは、人間が堕落したからです。個人がこの方向に合わせて目的点まで進む所には、闘争があります。個人的な闘争、家庭的な闘争、国家的な闘争、世界的な闘争、天宙的な闘争が横たわっているというのです。

 

 

 

3 「私」が平和の世界を訪ねていかなければならないといっても、平和の世界はできていません。外部にはないのです。いくらアメリカに行ってみても、ロシアに行ってみても、世界のどこに行ってみてもありません。平和の世界は、私から始めなければなりません。世界と取り替えることのできない平和の心にならなければなりません。

 

人間の欲望は、天地のあらゆるものを自分のものにしたいのです。あらゆる中心的価値の位置に立ちたいのです。そのようにしようとすれば、原則的基準で統一的公式路程を経ていってこそ、その公式路程に計算されたすべての道が合致して、最後まで統一の目的地に到達できるのであって、公式と違っていては、いくら欲望をもっていても駄目だというのです。今日、宇宙全体が公式法度の上で動いています。今日、科学技術も公式の発展基台の上で成り立つのです。

 

 

 

4 個人から家庭、氏族、民族、国家、世界に行くときに、引っ掛かるものがあってはいけません。個人から家庭が勝利点を受け継ぎ、家庭から民族が勝利点を受け継がなければなりません。そのようなパターンで家庭の勝利点を氏族が受け継ぎ、氏族の勝利点を民族が、民族の勝利点を国家が、国家の勝利点を世界が受け継いで、越えていかなければなりません。そのようなバターンが出発と同時に、変わりなく個人から世界まで受け継ぐことができる、一貫した関係を整えた基盤が地上に展開しなければ、神様が願われる摂理的最後の勝利点は、この地上に顕現することができません。そのようなものがなければ、この地上に平和の世界は、やって来ることができないのです。

 

 

 

5 今日、この世界は平和を願っています。万民は、一つの統一された理想世界を夢見ています。その理想世界というものは、私たち一人一人を通さなければ成し遂げることができないのです。私たち一人一人がそのような理想の基盤を確保し、その環境を広める過程を経なければ、その世界にまで到達できません。一つの社会について見てみれば、社会でも互いに競争しています。互いに紛争しているのです。家庭を見ても、相反した立場にあります。私たち個人においても心と体が闘争しているのを見る時、平和の道、統一の道は、他の所から求めるものではありません。私たち個人から模索する道以外にはないのです。

 

 

 

6 世界のすべての人たちが「正しい」と言える基準、公認されたその基準は、「誰も変更することができない」と言える基準でなければなりません。その基準を中心として世界の平和が芽生えるのです。ここから善の個人と善の家庭、善の氏族、善の民族、善の国家、善の世界が出発できるのです。しかし、国家がいくら善だとしても、世界的な基準と方向を合わせられなくなるときは、その国家は崩れていきます。ですから、私たちに問題になることは、主義と思想です。宇宙観と世界観、そして人生観と生活観、新しい世界の人格観などが問題になるのです。

 

 

 

7 私が頼っている世界、私が頼っている国、私が頼っている社会、私が頼っている家庭、私が頼っている父母、私が頼っている妻子、このように考えてみたときに、私自体には頼れる何ものもない、ということを発見するようになります。自分自身も頼ることができないほど心と体が分立しています。

 

ここで問題になるのは何でしょうか。私が生きている世界が問題になるのではありません。世界は遠い所にあります。国も問題にならず、社会も問題にならず、家庭も問題になりません。夫あるいは妻も問題になりません。結局は、私自身がいかなる統一的な基盤を築くのか、ということが何よりも重要な問題です。このように見るとき、平和と統一の世界を願うとすれば、自分から統一して、自分から一つになる位置を探さなければなりません。そのようにしないで、統一的な世界と関係を結ぼうというのは理論的な矛盾なのです。

 

 

 

8 第二次世界大戦や、今のロシアとアメリカが問題ではありません。自分の中で永遠に続くこの戦争を、いかに平和へとひっくり返してしまうかが問題です。これは、この上なく重要だということを知らなければなりません。これができなければ、世の中が平和世界になっても、地獄になります。先生がこの道を出発する時、第一の標語が、「宇宙主管を願う前に自己主管を完成せよ」というものでした。自分自身を主管できない人は、世界を主管することはできないのです。

 

 

 

9 堕落した運命圏の子孫として生まれた私たちには、個人を犠牲にしなければ家庭を連結させる道はありません。個人を投入しなければ、家庭に平和の基地をつくる道はありません。家庭のために犠牲になろうという精神基盤がなければ、その家庭が民族と世界に前進できる基地になることはできません。安息の基盤になれないのです。ですから、家庭全体が民族を経ていく基地にならなければなりません。民族を経ていこうとするので、一族を導いていかなければなりません。

 

 

 

10 イエス様は「神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ(ルカ一七・二一)と言いました。天国は自分の心にあります。心自体を中心として見るとき、天国は統一された世界なので、心と体が統一された基盤になっていなければ、臨在することはできないのです。

 

ですから、統一教会は、世界統一を主張するのではありません。世界統一の前に国家統一がなければならず、国家統一の前に民族統一がなければならず、民族統一の前に氏族統一がなければならず、氏族統一の前に家庭統一がなければならず、家庭統一の前に個人統一がなければならないのです。最も根本になる心を中心として、個人統一をしなさいというのです。

 

 

 

11 統一の内容は簡単です。自分の心と体が一つになればできるのです。そのように一つになったものが家庭と一つになれば、平和な家庭になるのです。そのように一つになった家庭が社会と一つになるとき、その家庭は社会において、誰にも恥ずかしくない幸福な家庭になるでしょう。そのように一つになった社会が国と一つになるとき、それは国において、誰も否定できず、尊敬せざるを得ない統一圏が展開するでしょう。さらには、世界人類と間違いなく一つになったというとき、そのような人たちを通して地上に天国が成し遂げられるのです。

 

 

個人から出発する平和の八段階

 

12 今後、全体的な摂理を担当する宗教があるとすれば、その宗教は、霊界までも解怨成就し、蕩減してあげなければなりません。この地上にいる人類、世界の問題だけではありません。霊界の問題までも解決してあげてこそ、世界に平和の時代が来ます。霊界の問題を解決し、その次には神様までもお迎えして玉座に座らせてさしあげてこそ、永遠無窮な地上・天上世界になります。個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様まで八段階なのです。

 

 

 

13 天を第一とする中心的な存在が歩む道において、その個人は、何のための歩みをするのでしょうか。個人のための歩みではないでしょう。その個人は、家庭を経ていかなければならず、世界に向かう道を行かなければなりません。その個人が、世界だけでなく、天地を統一し、神様と永遠の愛で一つになる勝利のひと時を迎えるようになる時、初めて人間の願う愛の世界、平和の世界が展開するのです。

 

 

 

14 人間は、紛争に連結されている歴史の結果体です。それで、全体をひっくり返して新しい結果をつくることが難しいというのです。自分を中心として、そのような紛争の世界が延長されるので、平和を求める人としては悩まざるを得ません。個人を基準として悪を考え、善を考えるのです。個人を中心として善悪の闘いが起こります。さらには家庭を中心とした紛争、氏族を中心とした紛争、民族を中心とした紛争が起こるようになります。それがもう少し大きくなれば、民族を越えて、国家同士で闘うのです。そのようにぶつかることによって、世界の平和はさらに難しくなります。個人から見れば、個人の平和圏が世界まで連結されるので、家庭の紛争圏、氏族の紛争圏、民族の紛争圏を越えなければなりません。統一教会で言う、八段階の境界線の壁を越えなければならないのです。

 

 

 

15 神様も独りでは絶対に愛の理想を成し遂げることはできません。神様は、腹中期、幼児期、少年期、青年期、夫婦、父母、祖父母、王という八段階の主人にならなければなりません。しかし、そのすべてのものを堕落のために失ってしまいました。神様がその八段階の愛のモデルを立てなければならなかったのですが、堕落のためにすべてのものを失ってしまったのです。それを私たちがつくってさしあげなければなりません。それで、私たちが神様の愛のモデルになって、息子、娘をもつようになっているのです。

 

 

第二節 心と体の平和

 

 

天聖経  第十篇 目次 第二章 平和はどのように成されるのか

第二節 心と体の平和

 

1 皆さんが暮らしている所は、すべて争いの群れです。心と体が争っているので、夫婦を合わせれば、四人の争いの群れになります。十人の家族が暮らせば、二十人の争いの群れになり、三十六億の人類が暮らせば七十二億の争いの群れです。この中では、平和を夢見ることはできません。神様は、知恵があり、このような道理と事情を御存じなので、平和の基点をどこにおいたのでしょうか。宗教を通して、個人を中心としてこのような運動をするのです。それを見れば、神様は偉大な方だというのです。平和の基点を世界においたのではなく、国においたのではなく、氏族においたのではなく、個人においたというのです。

 

個人の心と体の平和を永遠の基点にして、そのようにできる男性と、そのようにできる女性を誕生させ、この地上に一組の男性と女性が完全に統一され、完全なプラスの男性と完全なマイナスの女性が神様の愛の力を中心として完全に一つになった家庭が現れたならば、誰がそれを引き離すでしょうか。そのようにできる力の母体であり、神様の愛を中心として連結された家庭の基盤が、まだこの地球星には顕現していないのです。

 

 

 

2 宗教は、個人の生死の問題を決定するものです。私が死ぬか生きるかという問題、私の心と体の平和の基準、私の心と体の解放的自由権をもつことが問題です。それが解放された立場に立ち、自主的な自由権を探し出してこそ、社会解放、国家解放、世界解放があるのです。そこには理論的な矛盾がありません。ところが、心と体が互いに毎日のように闘うのに、自由を見いだすことができるかというのです。

 

 

 

3 人類は、平和の世界を願っていますが、数千万年たっても平和になっていません。堕落人間ではできないのです。平和の主人とは誰でしょうか。家庭が平和になるには、平和の主人である父と母が平和の原因と平和の内容、生活方法を教えなければなりません。その前には、永遠の平和を見いだすことはできません。

 

人類の先祖は平和を実現しましたか。アダムとエバは怨讐になりました。その怨讐の血統を受けた皆さんは、心と体の間に闘いが起こっています。心と体がなぜ闘うようになったのでしょうか。心と体が闘うようになったのは、平和の本源地を失ったか、破壊されたためです。心と体の平和の基準を見いだせない人々が、平和をどうして探し出すことができますか。闘う人は、家庭から追い出され、国家と世界から追い出されるようになります。今日、人類全体が、心と体が闘っているのに、天国に行くことができますか。いくら修養しても行けません。ですから、宗教の目的は、心と体を統一するところにあるのです。

 

 

心と体の闘争

 

4 神様の愛の理想の園と反対となるこの世界は、実体的に分立と紛争が絶えない世界です。愛を中心とした平和の理念が具現された真理の世界ではなく、サタンが寓居して天倫を破壊する世界であり、妬みと嫉妬によって闇争と分裂が絶え間なく起こっている世界です。天性、すなわち本然の理想の園を訪ねようとする皆さんの心の中に、猜疑と嫉妬心がありますか。また、紛争と分裂の心がありますか。これが残っているならば、皆さんは決して本然の理想の園を探せないでしょう。

 

 

 

5 堕落は、自分を自覚したところから始まりました。堕落は人類歴史の破綻、苦悩と失敗の歴史、戦争の歴史をもたらしたので、これを一掃して神様の根本問題を知らなければなりません。神様を中心とした愛のために生きる、すべてのもののために生きる根源を探し出さなければなりません。そのようにしなければ、平和の根源を発見することはできません。平和の根源を発見できなければ、平和の世界は探し出せないのです。

 

 

 

6 神様の血統を受け、永遠に神様の愛を受けるべき体が、神様の怨讐であり、本然の人間の前に怨讐である悪魔サタンの血を受けて、地獄に引かれていく恨めしい立場にあるという事実を、今まで知りませんでした。言い換えれば、神様を中心として、平和な天国で理想的に楽しく暮らせる家庭に、サタンが襲いかかり、不幸と地獄の世界をつくったというのです。

 

 

 

7 心と体の闘いは、核戦争よりもっと恐ろしい戦争です。その戦争には休戦もありますが、ここには休戦もなく終戦もありません。私たちの人生がこの地上に存続し始めたその日から終わる時まで、私たちの心の底では休戦もなく、戦争が続けられているのです。このような人々が家庭を形成し、氏族を形成したので、一層闘うようになり、このような民族と民族が合わさったので、もっと闘うようになり、国家と国家が闘うようになりました。今までの人類歴史は、戦争につながった歴史でした。一月として戦争のやむ日はありませんでした。その闘いの根拠地は、心と体です。心と体が闘いの根拠地となって、個人、家庭、氏族、民族、国家がそのようになったのです。

 

 

 

8 いくら恰幅の良い人だといっても、その人を分析してみれば、金某ならば全某として、内外で闘争をしているというのです。絶えず、内なる人と外なる人が対決をしているというのです。これは否定することができません。皆さんの中では、いつも善の心と悪の体が闘っています。この闘いが問題です。

 

この闘いの出処はどこでしょうか。起源はどこでしょうか。この闘いは、堕落人間が生まれたその日から発生したのです。今後もこの闘いは、数万年後まで続く可能性が多分にあるのです。

 

 

 

9 今、皆さんは闘っています。自分の一生を中心として大砲を撃っているのです。世の中と向き合う前に、皆さん自身の心と体が闘っているのです。これをいかにして平和にするのでしょうか。この闘いで体が勝つのでしょうか、心が勝つのでしょうか。「私は間違いなく心が勝ちます」と言える人にならなければなりません。心が勝つ人は善の側であり、体が勝つ人は悪の側なのです。

 

 

 

10 今まで人間は、自分自身の心と体を中心として闘争の過程を経てきました。一日として、平和を成し遂げ、統一を成して、天倫に従うはっきりした目的に向かって走っていったことのない人間だというのです。心と体が闘いながら今までの歴史を支えてきたので、結果的に、このような二つの世界に分かれざるを得なかったというのです。

 

 

 

11 本来、人は生まれながらにして心と体が闘う存在であるとすれば、人間における理想や平和や思想などというものは、すべて空論です。それは、すべて無駄なことです。本来、人がそのように生まれついたのでなければ、それは可能ですが、もともとそのような人として生まれているとすれば、無駄だというのです。これは、理論的に合わないことです。

 

人は、あくまでも原因的存在ではなく、結果的存在です。何ものかによって生まれたので、その結果的存在は、原因と一つにならなければなりません。原因と結果が異なることはあり得ません。結果は、原因を内容として現れるものなので、原因と結果は通じるのです。ですから、過程も一致しなければなりません。それが科学的なのです。

 

 

 

12 神様の根拠地である本心は、天国の見張り台であり、サタンの根拠地である体は、地獄の見張り台になっています。この本心と体が国境線になっています。その境界線で銃声が聞こえてくるのです。それが皆さんの本心の声であり、本心と体が闘う声なのです。この戦争を除去するまでは、神様の息子になることはできず、天の国にも行くことはできません。また、そのような基盤をもたなければ、天国や理想世界というものが訪れることはあり得ないのです。

 

 

 

13 私たちの心と体は、神様とサタンの善悪の対決の場となって、熾烈な争いを繰り広げています。先生も、「宇宙主管を願う前に自己主管を完成せよ」という標語を立てて身もだえした人です。この習慣性を、どのようにするのでしょうか。韓国人は、コチュジャンとみそを食べなければなりません。これを克服できるのでしょうか。昼は仕事をしなければならず、夜は寝なければなりません。寝ないでいることができるのでしょうか。これが問題です。眠りを克服しなければならず、空腹を克服しなければならず、男性が女性に対して、女性は男性に対して克服しなければなりません。

 

 

 

14 私たちの体は、サタンの王宮です。それゆえに神様は、「自分に勝ちなさい、自分を征服しなさい」と教えられるのです。「私」から一つになる道を模索しない限り、世界の平和統一は絶対にあり得ません。今日、世界の人類は、外的な世界において、民主世界を中心として、あるいは共産世界を中心として、「一つにしよう、統一しよう、平和の世界をつくろう」と言っていますが、誤った考えです。私たちの心と体が闘ったままでは不可能です。外的に一つにしたとしても、内的には、自分の心と体が闘っていれば、不可能なのです。

 

 

 

15 私たちは、良心も生きていて、体も生きていると自負していますが、善の中で生活できないサタンの捕虜となっているので、死んだ者です。ですから、私たちを取り囲んでいる鉄格子を壊して出てこなければなりません。また、私たちの心の中や周囲には、二人の主人がいて、平和などあり得ず、苦痛が連続しているのですが、ここにおいて、人生の道を探し求めていくべき私たちがもつべき覚悟と決意とは何でしょうか。私たちを取り囲んでいる鉄格子とはほかならぬこの体なので、良心を動員してこの鉄格子を押しのけて出てこなければなりません。その時が終わりの日なのです。

 

 

 

16 平和と平等は、全人類が願う共同の目標です。その世界は、何から出発するのでしょうか。相応し相合する道と真理から出発しなければなりません。ですから、新しい真理とは何でしょうか。天と地が相応することができ、上下、高低、前後、左右を問わず、立体的な世界にとどまるいかなる存在とも相応できる原動力と内容が備わった世界観と人生観と生活観をもった主義だけが、人類世界の終末に残る、絶対的な真理なのです。歴史は、相応から出発したのではなく、相克から出発したので、この歴史は、破綻と悲哀で幕を下ろさざるを得ません。相応の理念をもって人類を呼び求めている一つの絶対者がいないとすれば、人類の歴史は絶望と言わざるを得ません。

 

 

心と体の統一

 

17 今まで数多くの聖人が生まれては逝きましたが、怨讐がどこにいて、世界平和の基準がどこにあるのか分かりませんでした。悪魔とサタンの戦場が「私」の中にあります。それで、先生は心と体の統一を主張するのです。歴史始まって以来、どの聖人も説明できない理論的な基準において、絶対に心と体が一つにならなければならない、という論理をもって教育しています。

 

皆さんの心の中に、皆さん自身が定着しましたか。自分が自分自身を信じることができますか。深刻な問題です。自分自身が自分を信じることができないのに、どうして神様に「分かってください」と言うことができますか。先生に「分かってください」と言えるのかというのです。私の心が私の体を認め、私の体が私の心を認める絶対的な立場に立たなければなりません。神様が私を認めざるを得ない立場に立たなければならないのです。

 

 

 

18 世界平和の基準は、歴史時代の終末点にあるのではなく、「私」の心と体が闘うのを統一させるところにあります。私たちがその位置を所有できないとすれば、理想世界が来ることはありません。

 

その世界は、不変の世界なのに、皆さん自身のその変わる姿をもって、不変の自分を所有できますか。それは論理的な矛盾です。絶対不可能なのです。ですから、理想世界を追求するのに先立ち、「私」自身の統一圏、幸福な自我を発見しなければならないのです。

 

 

 

19 皆さんは、心を中心として団結し、まず内的な基盤を積み、次に外的な基盤を探していかなければなりません。そうして、神様を中心とした自分の個体を超えて家庭、社会、国家、世界を探していき、天地までも探していかなければなりません。それでは、一つの世界、一つの理念を求めてきた人間に、最も重要な問題とは何でしょうか。一時、存在してなくなる国家と世界の理念が問題ではありません。権勢が大きくて、地位がいくら高かったとしても、それが重要なことではありません。二つの世界を一つにできる理念と主人公が問題です。

 

人間には、心を中心とした内的な世界と、体を中心とした外的な世界があります。世界がこのように二つの世界から成り立っているように、霊界も天が支配する善の霊界があり、サタンが支配する悪の霊界があります。神様の六千年の摂理の終結点が「私」の一つの体にあるというのです。

 

 

 

20 今日、天下を統一したとしても、その統一された世界は、その内部に闘いを内包している統一圏の世界であって、その内部が統一されて外的な統一圏を形成した世界ではありません。ですから、たとえ外的な統一を成し遂げたとしても、その世界はいずれ分かれる結果をもたらします。自由を望み、平和を望んで天国生活を享受しようと思っても、現在の何らかの方法で収拾することでは、それを成し遂げることはできません。根本的な問題は、私たちの個体の統一です。心と体が統一を成し遂げ、その根本となる心が、「この世の中の何ものとも替えることができない幸福の条件をもった」と主張することができ、今、この世界に存在するいかなるものにぶつかっても譲歩せず、壊れることがない中心を備えた人間として出発しなければ、世界平和の起源をもたらすことはできません。

 

 

 

21 統一の基盤の上においてのみ、平和があり、幸福があり、自由があり、希望があります。皆さんの心と体が一つになっていないのに、そこに自由がありますか。会社に行ったとしても、心と体が世界大戦をしていて定着できていないのに、自由がありますか。自由という言葉自体も嫌うのです。心と体が闘っていて、そこに幸福がありますか。ですから、皆さんも人生問題について悩むのです。これが根本的に大きな問題です。心と体が一つになっていないところに、幸福があり、平和があるのかというのです。

 

 

 

22 今まで神様は、宗教を通して摂理してこられました。宗教を通して心を中心とした生活を強調してきたのです。心を中心とした生活を強調したのであって、「この世の中と共に生活しなさい」とは教えませんでした。終わりの日以後の世界、この世の中を超えた終わりの世界の生活を強調してこられたのです。

 

キリスト教を見ても、この現実世界を中心として生きなさいと教えたのではありませんでした。この世の中で、良く食べて、良く暮らしなさいと教えた、そのようなものはありません。必ず心の世界の平和を唱えてきたのです。「神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」(ルカ一七・二一)と教えてきたのです。

 

 

 

23 真の愛なしには、心と体の世界を一つにすることはできません。心と体が分立して争っている世界が、まさしく堕落した世界です。心が絶対的に中心でなければなりません。体は、絶対に不平を言うことはできないのです。体は常にマイナスの立場を取らなければならず、心は常にプラスの立場を取らなければなりません。

 

プラスが前に立てば、それは永遠なのです。心の力を中心として、体はその位置に立たなければなりません。そのようにしなければ、この世界が平和な世界になったとしても、皆さんはその理想世界に連結されません。

 

 

 

24 統一がないところに平和はありません。統一がないところに希望はありません。皆さんの心と体が一つになっていないのに、幸福ですか。心と体が闘っているのに、幸福ですか。そこに自由がありますか。お互いがよく回らなければならないのです。平和は、お互いにバランスが取れていなければならないのに、バランスが取れていますか。皆さんは、夫婦同士お互いによく調和していますか。皆さん夫婦が、朝二人でけんかをしても、一日中、幸福ですか。そうではありません。統一された基盤の上に自由があるというのです。統一がなければ幸福もなく、統一がなければ平和もなく、統一がなければ希望もないのです。

 

 

 

25 未来の新しい理念は、神様の人間に対するみ旨と理想をはっきりと究明しなければならないだけでなく、神様と人間の関係を明確に明かさなければなりません。本来、人間の心と体は、神様の真の愛を中心として、完全な一つの統一体を成し遂げるようになっています。そして、このように神様の真の愛で心と体が一つになった男性と女性が、神様の真の愛を中心として出会い、夫と妻として一つの家庭をつくるようになれば、この家庭は神様の真の愛を中心として一体を成し遂げることによって、真の自由と平和と幸福の根源地になるのです。

 

 

 

26 心と体において平和の基準をどこに立てるかは、人生において最も貴い問題です。心と体が闘っています。平和の基準は、どこにあるのでしょうか。世界でもなく、国でもなく、宗教でもありません。「私」自身において、心と体の絶対統一を成し遂げた平和の基準を確立するのが宗教指導者であり、そうなるようにするのが教育と修練の目的です。

 

ですから、皆さんがいくら宗教を信じて偉大な宗教指導者になったとしても、心と体の統一を成し遂げられなければ駄目です。個人の基準に平和の起源を確立して、定着させなければなりません。平和の起源を「私」から設定しなければ、理想的な宗教や天国というものは、夢にすぎません。それは、私と関係がないのです。

 

 

 

27 自分の心と体を、どのようにして一つにするのでしょうか。世界に対する不平を言う前に、世界に対する真の平和を叫ぶ前に、世界に対する真の幸福を叫ぶ前に、皆さん自身を中心として、心と体が一つになって平和の基点を形成しているのか、平和の中心の基点が神様となっているのかが問題です。その基点は、心だけではいけません。神様を中心とした心に一致する体にならなければなりません。このようになったとすれば、神様に従う道が二つにはなり得ません。しかし、堕落することによって、今日、人は二つの道に行くようになりました。分かれるようになりました。そのような結果を見るとき、誤った原因が存在するという事実を否定できないのです。

 

 

 

28 世界的な理念の障壁を崩してしまい、世界のために自らを犠牲にしようという主義が、正に「神主義」です。神様は、世界のために、最も近い息子、娘を犠牲にさせるのです。神様は最も近い人を犠牲にして、世界を愛する起源を備えてこられたので、結局は「神主義」だけが残るのです。それで、歴史に終末が来ても、世界の障壁を乗り越えられる心情を備え、世界を中心とした民族や国家の立場で生きていける意志をもたなければなりません。そのようにしなければ、世界に残される群れになれません。私たちは、体を中心として一つになるのではありません。体は心を中心として、心は天を中心として一つにならなければなりません。天と心と体が一致したその人には、平和と幸福と理想が定着するのです。

 

 

 

29 本来、人は、心の分野を中心として体が一つになり、分けようとしても分けることができなくなれば、堕落していない完成した人間になっていたはずです。エデンで堕落していなければ、心と体が分かれることはないというのです。

 

しかし、人間の心と体は、今まで闘っています。堕落した世界のその誰もが、心と体が闘っています。ですから、心と体を一つにできないことが恨です。

 

心と体が一つになれなければ、平和が来ることはあり得ません。幸福が宿りません。人間の生涯が悲運の生涯であり、「人生は苦海のようだ」と言ったのも、すべて一理あります。一つにならなければならないのが本来の摂理観であるにもかかわらず、心と体が分かれることによって、すべて四方に分かれたのです。言い換えれば、主体と対象が分かれたというのです。

 

 

 

30 平和の世界は、いかにして訪れるのでしょうか。心と体が一つになった立場を見いだすことができなければ、平和世界の根はありません。今日、人々は、平和世界が来れば統一の世界が来て、あるいはこの地上に地上天国が来るといいますが、その地上天国の基盤は、あくまでも心と体が一つになるところから始まります。心と体が一つにならなければならず、その次には夫婦が一つにならなければならず、その次には子女が一つにならなければなりません。人間が堕落したので、世界的にすべて破綻するのです。

 

 

 

31 人間の心と体の間隔が広がれば広がるほど、苦衷は大きくなるのです。そこには苦痛が介在し、悲劇が宿るのです。ですから、私たちの心と体の間隔を狭め、それが一つに統一される時を迎えなければなりません。そうでなければ、人間世界に平和や幸福はあり得ません。ですから、自分自身の闘い、自分一個体の闘いを終息させられない人は、世界的な闘いが終息し、そのような世界に入って暮らしたとしても、希望や幸福、あるいは平和の条件をもつことができないのです。

 

問題は、「私」自身にあります。私自身の根本問題を解決しなければなりません。そうして、私自身の外的な世界の理想的環境を迎えるようになる時に、初めて心にしみる平和、心にしみる幸福を感じられるのです。そのような基盤の上で世界と連結されて、初めて自由で幸福な天国が形成されるのであって、環境がいくら整えられたとしても、自らの問題が解決されていない立場にいれば、いかなる幸福な環境にも和合できないのです。

 

 

 

32 平和世界に向かう道は、二つの方向から一つの方向に向かうのです。今まで心と体の二つが闘ったので、全世界が分裂するようになりました。この心と体が分裂して世界的に展開したのが、宗教世界と政治世界です。この二つを平面的な世界圏にして統一することにより、一つの方向に一体化した世界的な平和圏が生じるのです。堕落していなかったなら、アダムを中心として世界平和の基準が可能です。堕落とは方向が反対です。地獄に行くのではなく、天国に行きます。神様と父母様を中心として、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界に展開していきます。そのようになれば、すべて天国の所属になるのです。

 

 

 

33 天国を成し遂げるための一つの重要な標準とは何でしょうか。天国を成し遂げることができる一つの要因とは何でしょうか。それは統一です。統一という原則過程を経なければ、天国は実現されません。一つになるところでのみ、天国はできるのです。人間が願う平和や幸福というあらゆる要件も、一つになるところで成し遂げられるのです。心と体が一つになっていないところでは、いくら「私」が幸福になろうとしても、幸福になれません。いくら平和の基準を維持しようとしても、維持できないのです。ですから、ここで一つになることが何よりも重要だというのです。

 

 

第三節 家庭の平和

 

 

天聖経  第十篇 目次 第二章 平和はどのように成されるのか

第三節 家庭の平和

 

1 男性と女性が愛し合うようになれば、その家庭は、平和の家庭になります。父母と子女の間も同様です。国も同じであり、すべてそうなります。このような原則をもった幸福の日を、人類先祖がもち、人類がもたなければならなかったのですが、今までもつことができませんでした。男性と女性が一つになるところ以外に、完成基準はありません。

 

 

家庭は平和の基点

 

2 宗教の目的とは、万民が善の人になって、平和に生きていける一つの世界を成し遂げることです。平和の条件は、どこかの国際的な政治家たちの手によってできるものではありません。ですから、何かの政策や主義によって世界に平和が来る、というのは不可能です。さらに、軍事力によって世界の統一と平和が来る、というのは不可能なのです。平和の基点を発見できる根拠地、幸福の基点を発見できるその根拠地とは、皆さんが暮らしている家庭なのです。

 

 

 

3 人間は誰でも、家庭で泣いている父母よりは、笑っている父母に侍って暮らしたいと思います。笑って生きる兄弟と共に暮らしたいと思います。それでは、どのようにすれば、笑う父母に侍って暮らし、笑う兄弟と暮らせるのでしょうか。世の中でいう夫婦とその父母を中心とした家庭ではなく、全人類と全世界の父母を中心とした家庭にならなければなりません。世界を代表し、万国を代表できる家庭の軸は、どこにとどまるのでしょうか。誰でも平和な家庭を求めているのと同様に、絶対的な神様がいるならば、その方もやはり絶対的な平和の家庭的基準を求めてこられるのです。

 

 

 

4 男性と女性が一つになれば、どうなるのでしょうか。神様と縦的に一つになった男性と女性が結婚して、心と体が一つになるときは、天理大道の創造原則に適合するので、神様の愛を占領するようになります。神様の愛をもつことができるというのです。軸ができます。

 

結婚は、なぜするのでしょうか。神様の愛を中心として神様を占領し、愛を中心として男性と女性を統一するためです。天下の起源、平和の起源がここから始まります。真の愛の本質は、父が母のために生き、母が父のために生き、兄が弟のために生き、弟が兄のために生きることです。ために生きる愛で一つになったところに、永遠の神様の愛が臨在するので、その家庭は、永遠無窮の永生的家庭になるのです。

 

 

 

5 一つの家庭において、夫婦が互いに相反する立場を固守するときは、その家庭に平和はあり得ません。必ず主体的な立場である一つの中心を基準にして、その中心と相対が一つにならなければならないのです。主体と対象の関係において、誰が中心にならなければならないのでしょうか。主体が中心にならなければなりません。対象は主体を中心にしなければならず、主体に自分を連結させなければなりません。そうしてこそ、自分が対象としての目的を成し遂げることができるのです。ところが、主体が対象の立場に立って行ったり来たりすれば、一つの目的を成就できないのです。結局、一つの家庭で目的を成し遂げようとするなら、その家庭の内外が一つにならなければならないのです。

 

 

 

6 平和の世界は、どのようにすれば訪れるのでしょうか。第一の条件とは何でしょうか。一つになる起源を探さなければなりません。それを探し出すことができなければ、統一の世界とは永久に離別です。家庭が一つになる前に「私」自身が一つになったのかと尋ねれば、一つになった「私」を発見することができないというのです。心と体が闘っているとき、個人が幸福になることはできず、夫婦が幸福になることはできません。平和ではありません。希望ではありません。

 

終わりの日になればなるほど、心の分野と体の分野に分かれ、夫婦は四つに分かれるのです。心と体が二つずつなので、四つに分かれて互いに争うのです。心を中心として一つになろうとしても、体と闘うので、心は逃げださなければならないのであり、体を中心として一つになろうとしても、心と体が闘っているので、心はまた出てこなければなりません。どこにも根拠地を置くことができません。この地において、平和の基点を探せないのです。

 

 

 

7 家庭で父が悲しんでいるのに、息子が喜ぶことはできません。父と兄が悲しむ時、その弟と妹が喜ぶことはできません。父が悲しくても、夫が悲しくても、息子が悲しくても、すべてが同じ心、同じ心情で和合しなければなりません。子女が社長であっても、父が悲しむのを見て会社に出社したとすれば、仕事をしながらも、悲しい父を心配するのが子女の道理です。自分が家に帰る時、その父が歓迎しながら迎えることが、何よりも喜びにならなければなりません。そのような家庭の一員になってこそ、平和と理想を享受できる幸福な家庭になるのです。

 

 

 

8 愛する夫と妻が、共に一生の間、寝て起きて、働いてまた働くことが、どれほど幸せなことですか。そのような愛をもって生きれば、たとえ独りで暮らすようになっても、難しいことはありません。そのような愛は、宇宙が侵害しません。ここは、宇宙が共同歩調を取る立場なので、地上世界でも天上世界でも、いつも保護するようになっています。その愛を中心として歩む人は、現世でも来世でも不幸な人ではありません。

 

宇宙の中で、そのような愛で一つになって生きる夫婦に与える最も大きな賞が子女なのです。その息子、娘は、何よりも貴いというのです。妻よりもっと愛したいと思い、夫よりもっと愛したいと思うのです。父と母と共に一つになって授け受けする家庭は、愛を中心とした平和の基地です。愛を中心として子女と父母が完全に一つになる家庭が、平和の家庭なのです。

 

 

 

9 家庭天国を成し遂げることが神様のみ旨です。世の中で一番恐ろしいものが息子、娘です。息子、娘は、皆さんがするとおりに学ぶのです。ですから、一番恐ろしいものが息子、娘なのです。すべてのものを受け入れてあげ、赦してあげ、平和に暮らせば、その息子、娘もそのまま学ぶのです。罪のない息子、娘の父母になるのは、簡単ではありません。

 

 

 

10 天国は、皆さんの家庭からできるのです。幸福が別の所にあり、平和が別の所にあるわけではありません。皆さんの家庭に問題が生じれば、世界ばかりでなく、何を得たとしても、みな不幸なのです。そのように愛し合う家庭は、先生が行く天国に、間違いなくあとからついてくるでしょう。

 

 

 

11 家庭は、この世界に平和の王宮を建てるための訓練道場です。真の愛を中心として、ために生きる夫とために生きる妻が天倫の中心として、永遠の愛の道を行くための夫婦として、子女は、息子、娘としての責任を果たさなければなりません。私たちの家庭は、平和の基地だというのです。

 

 

 

12 真の父母を中心とした家庭の家法が生まれなければなりません。父母を中心とした愛の法度がまだ立てられていないので、この地上に平和の基準が立てられず、愛を中心として平和の基準が立てられなかったために、平和の息子、娘がいないのであり、平和の家庭、平和の氏族、平和の民族、国家、世界がありません。父母として来られるその方に従って、愛の懐に入らなければならないのです。

 

 

 

13 統一食口の願いとは何でしょうか。復帰された家庭になることです。私たちの願いもここであり、万国の平和の起源もここであり、天上天下の幸福の基点もここであり、神様の摂理の基点もここであり、天地がひっくり返る天地開闢の基点もここであり、あらゆる人生の価値の根源もここであり、希望の出発もここなのです。それでは、復帰された家庭の中心とは誰でしょうか。真の先祖、父と母なのです。

 

 

 

14 神様の願う国が父母様の願う国であり、父母様の願う国が皆さんの国です。その国の根本は、個人と家庭から始まります。垣根を越えて、この家庭をここまで引っ張っていかなければなりません。家庭を中心としなければなりません。家庭が理想世界の基礎です。愛を中心とした家庭が希望の基礎であり、平和の基礎です。本来の真の愛を中心としなければなりません。永遠であり、変わらない真の愛を中心とした夫婦でなければならず、変わらないカップルにならなければならないのです。そして、皆さんは、終わりのない力を創出し、家庭の基盤、これを引っ張っていかなければなりません。家庭がこのような道を行かなければならないのです。

 

 

 

15 世界平和の起源は、家庭において、子女と父母がどのように平和の基盤を築くかというところにあります。これが平和の全般的な問題をすべて解決できる基礎だということを知ったので、統一教会は、個人完成と家庭完成を強調しているのです。大韓民国において、いくら南北統一がもたらされたとしても、家庭の平和をもつことができなければ、南北統一の平和も崩れてしまうのです。先進国を代表する国々が、国際会議を通してどんなに世界的平和を形成してきたとしても、世界の家庭を中心とした父母たちが、平和の基準を引き継ぐ家庭的基盤を形成できないときは、その世界の平和も崩れるようになるのです。

 

 

 

16 「世界平和家庭連合」を成し遂げることができなければ、平和世界は絶対に訪れません。家庭はそれくらい重要なのです。平和世界も家庭から始まるのです。家庭に家族が十人いれば、その家族十人がすべて一つにならなければなりません。一つになり、お互いが縦横に、前後、左右に立体的に和合するようになるときに、理想的平和の世界が訪れるのです。

 

 

 

17 家族全体が喜ぶためには、祖父と祖母が和合しなければならず、父と母が和合しなければならず、自分たち夫婦が和合しなければならず、兄弟が和合しなければなりません。和合して互いに一つにならなければなりません。それでは、どのようにすれば一つになれるのでしょうか。「自分のために生きなさい」と言う時は、すべて分かれるようになっています。

 

八人家族が一緒に暮らす時、八人家族が一つになろうとすれば、どのようにしなければならないのでしょうか。祖父と祖母も全体のために生きなければなりません。「自分のために生きなさい」と言えば、八つに分かれます。一つになる方法は、お互いがために生きることです。祖母は祖父のために生き、祖父は祖母のために生き、父は母のために生き、母は父のために生き、夫は妻のために生き、妻は夫のために生き、また兄弟同士でも、兄は弟のために生き、弟は兄のために生きるのです。一つになれる秘法は、このように簡単です。ために生きる関係を結べば、その家には平和が訪れるのです。

 

 

 

18 世界平和は、どこにあるのでしょうか。世界にあるのではなく、「私」にあるのです。どんなに外部が統一されて裕福になっても、私の心と体が一つになっていなければ、何の関係がありますか。その平和は、世界から来るのではありません。私から成し遂げていくようになっているのです。アダムとエバの心と体が一つになったその基準において、真の愛を中心として完全に一つになるところから平和の家庭が広がるのです。その平和の家庭というものは世界的です。平和の家庭であると同時に、統一された家庭なので、それは世界的なのです。

 

 

 

19 本来、神様のみ旨の中において、堕落せずに一つの家庭がつくられたならば、それは神様の愛の中で、平和を中心として全人類の一つの共同起源になったでしょう。その家庭は、神様が臨在し、神様を中心とした家庭になることができ、神様と一致して一つの氏族の中心となり、氏族の中心となれば、その氏族を中心として民族が一つになるのです。

 

また、その民族を中心として国家、国家を中心として世界が一つになるのです。このように、一連の愛の理想の道を通して自然な環境に展開した世界になるので、その世界は一つの思想でつくられた世界であり、一つの血縁的関係である氏族形態が拡大した世界なのです。ですから、その世界は二つの世界にはなり得ません。一つの世界です。そのような世界が、正に理想世界なのです。

 

 

 

20 男性と女性が世の中に生まれて夫婦になり、「私は幸福だ。私は平和だ」という心で一つになったときには、神様が、一つになった場に自然にやって来て関係を結ぶのです。これが神人関係を結ぶ、一番の動機です。このように、神様と人間が関係を結んだ時、神様と人間にだけ良いのではなく、関係している動物世界、植物世界、鉱物世界も、その統一的内容を歓迎して有り難く思うのです。

 

 

 

21 家庭の中には、男性と女性を中心とした愛の舞台が組まれています。この家庭を中心として、愛国思想、聖人思想、聖子思想を綴っていかなければならないのです。このような一致した方向を中心として終着点に定着するようになる時、一致した目的の価値が世界的基準で成就されるのです。ですから、統一の世界、平和の世界は、愛の方向を備え、全世界を抱くための神様の愛の歴史的方向性を経てこそ、可能なのです。それがなければ、理想天国が顕現することはできないのです。

 

 

地球村の大家族主義

 

22 歴史は、誰が導いていくのでしょうか。追われ、追い出される人々が歴史を創造していくのです。歴史は、そのような段階を経て発展していきます。私たちが一つ肝に銘じるべきことは、世界平和主義を掲げて進んでいかなければならないということです。そうするためには、自分の民族を第一にして行くのではなく、世界万民を第一にして、「世界平等化運動に貢献しよう」と言いながら立ち上がらなければなりません。そのような民族は、絶対に滅びません。このような思想をもって、今日まで歴史を発展させることに貢献したのが、正にキリスト教です。世界万民の平等化運動、世界万民の兄弟運動、世界万民の大家族運動などの理念を中心として現れたので、歴史時代に攻撃を受けたのです。

 

 

 

23 女性国連と宗教国連、そして政治世界の国際連合、この三つが、エバとカインとアベルとして一つにならなければなりません。これが真の父、真の母と一つになれば、全人類が一つの家族圏内に入るようになります。すべての国とその指導者がすべてこの方向に従って、平和世界に入っていくのです。神様を中心とした一つの国が現れるようになります。

 

全世界は、家庭制度で成り立っています。ですから、家庭に入って収拾しなければなりません。その次には、自動的に氏族基盤に行っても、争いがありません。そのようにして、国と世界、天宙、神様まで上がるのです。

 

 

 

24 一般宗教にも、再臨の概念があります。このようなものを見るとき、宗教を立てた一つの共通目的があるのです。その一つの自的とは、世界平和と世界統一です。なぜそうでなければならないのでしょうか。主人が一人だからです。絶対者であられる神様の思想は、絶対的に一つであって、二つではありません。その一つの思想、主義とは何でしょうか。世界を一つにして、平和の世界、統一された世界を成し遂げるというものです。愛を中心とした単一家族のように、兄弟の友愛で世界が同化され、一体圏を成し遂げるのが神様のみ旨なのです。

 

 

 

25 人類は、すべて家族です。私たちは家族だというのです。真の愛によって関係した一つの家族です。人類は一つの木です。皆さんの家庭には、何人もの家族が一緒に住むのです。そこには、赤ん坊もいて、少年もいて、青年もいて、壮年もいて、老年の人もいます。このような家庭の道場は、世界大宇宙の家庭を連結させるための模範教育の場なのです。

 

ですから、自分の家庭を中心として関係をもっている祖父と祖母から、父と母、自分の兄、自分、このような一つの家庭で訓練された四種類の人がいます。したがって、自分の家庭を中心として訓練することが、世界の家庭に接ぎ木するための道なのです。世界の家庭に連結させるためには、自分の家庭を投入しなければなりません。より大きな目的を成し遂げるためには、投入しなければならないというのです。

 

 

第四節 世界の平和

 

 

天聖経  第十篇 目次 第二章 平和はどのように成されるのか

第四節 世界の平和

 

1 統一教会の中心思想は、「ために生きる」というものです。そのようにすると、「私」が中心になるのです。互いにために生きる過程がなければ、家庭の平和がなく、家庭の平和を形成できなければ、民族平和、国家平和、世界平和はありません。ですから、全世界の愛の圏を中心として生きなさいというのです。これは、人類平和の絶対的な要因になるのです。

 

 

 

2 統一教会の思想は、救援の目標を個人に置いていません。一つの国と一つの世界に置いています。国が救援されて、太平王国になれば、その国の民は太平の民になります。同様に、世界が平和の世界になれば、その世界圏内に属している数多くの民族と国々も、平和な国家圏をつくるようになります。ここでは、相反圏があって闘争をするのではありません。統一祖国の光復を世界化させ、その世界化された圏内で、普遍的な生活文化を創建できる内容をもつようになるのです。このような思想をもつことが、現在の難局に直面した世界情勢を、新しい局面において打開できる方便です。このような思想が「統一思想」なのです。

 

 

 

3 本来、人は、心を中心として体を制御し、管理し、統括し、主管して一つの目的を成し遂げる共同目標を達成していかなければなりません。心と体は、そのような相対的基準です。そのような相対的基準を除去してはいけません。心的なものを中心として体的なものを吸収し、それに同化させることができる新しい運動が、この時代の世界の前に現れなければならないのです。

 

 

 

4 今後の世界はどうなるのでしょうか。政治的形態が整えられたといって、世界が一つになるのではなく、経済的生活制度が同じだといって、世界が一つになるのではありません。政策の方向が一つになってこそ、世界は一つになります。国家間の戦いや決裂のようなものは、どこから始まるのでしょうか。政策の方向が異なることから始まります。それが異なることによって、世界がぶつかったり、分かれたりもします。結局は、考えが異なっているということです。ですから、各々の考えを統合していかなければなりません。

 

それでは、それを統合するに当たって、人間同士の生活で統合できるのでしょうか、でなければ、神様を中心として統合できるのでしょうか。道は二つしかありません。人間自体としては理想を探し出すことはできません。人間同士の欲望で立てられた政策理念では、一つの政策方向、一つの路線を追求できる道はありません。ですから、絶対的な思想、絶対的な精神と関連した一つの思想体系を通して、人間の良心と体を通した生活舞台を再現させる道を発掘しなければ、一つの世界を模索することはできず、平和の世界をつくることはできないのです。

 

 

 

5 統一教会は、「犠牲になりなさい」と教えています。「統一教会の教会員たちは、統一教会より国のために犠牲になりなさい」と言います。国や民族に今までになかった犠牲の心をもってために生きるとすれば、今まで歴史上に現れなかった愛国精神がここから顕現するようになります。ここに国民を愛する新しい伝統が立てられるようになる時、その伝統を立てた団体は滅びません。それさえ植えておけば、万民がその愛の道を喜ぶでしょう。それは過去においても喜び、現在においても喜び、未来においても喜ぶでしょう。時間的にも観念的にも、これを凌駕するものはありません。あらゆるものがこれを標準として終着するようになっています。これが母体であり、起源なので、その愛だけが人類に必要なのです。

 

 

「共生共栄共義主義」

 

6 男性と女性が天情とともに、新しい世界へと門を開けて立ち上がれるその時が、正に私たちが希望していた天国が出発する時です。そうしてこそ、そこから天地の始まりの日が来るのであり、人類が願っていた目的と希望の一つの定着点が生じるのです。その時になれば、一人で主張する時代はすべて過ぎ去るようになります。「私が一番だ」と言えない時代です。その時からは共同世界です。すなわち、「共生共栄共義主義」の世界だというのです。ですから、統一教会で、共生共栄共義を主張するのです。その世界は、独りで成し遂げるものではありません。

 

 

 

7 理想的な社会や国は、すべての人が国境と皮膚の色を超越、し、相互協力と調和を形成し、幸福に生きていく社会です。この社会は、人々が唯一の神様の息子、娘であることを自覚し、真の父母を中心として一つの兄弟となった大家族社会であり、そこは血統と所有権と心情を復帰した祝福家庭たちが、真の父母の言語、真の父母の文化のもと、自由と平和と統一の世界を成し遂げたところです。

 

人々は、神様の心情文化の中で、共生共栄共義の生活をするようになります。人類は、地球環境に対する公害要因を除去し、万物に対して真の主人として愛し、保護しながら生きるようになっています。その世界における生活のための活動と作業は、他のために生きて愛する心情を土台とした喜びの奉仕であり、実践です。したがって、構成員の生活レベルは標準化されます。このような理想の実践は、真の父母の思想、すなわち、ために生きる真の愛の理念でなくては不可能なのです。

 

 

 

8 父母の愛、夫婦の愛、兄弟の愛、このようなものは西洋思想にありません。ですから、心情的な面においては、東洋思想が西洋思想より一段階高いのです。その土台から、「共生共栄共義主義」を主張するのが統一教会です。ですから、このような観点を離れては、「私」というものは存在し得ないのです。絶対に独りでは勝利できません。

 

皆さんに「教会のために生きなさい」と言うのは、何のためでしょうか。より大きくさせるためです。家庭で大将になろうということでよいのですか。教会のために生きるのは、私がもっと大きくなるためであり、国のために生きるのも私がもっと大きくなるためであり、世界のために生きるのも私がもっと大きくなるためであり、天地のために生きるのも私がもっと大きくなるためです。

 

どれくらい大きくなるためでしょうか。最高に大きくなるためです。ここで大きいというのは、体積をいうのではなくて、内外に最高の円満さと円熟さを備えることをいいます。皆さんは、そのような立場で統一教会を中心として、世界水準の舞台で、万民と共に生きようという人にならなければなりません。そうしてこそ、天地を創造された神様の息子、娘になれるのです。

 

 

「頭翼思想」

 

9 「頭翼思想」とは何でしょうか。「神主義」を求めていくものです。「神主義」を求めて何をするのでしょうか。平和主義として再度出発するのです。「神主義」とは、神様と出会い、愛を中心として一つになり、平和主義として再度出発するものです。その世界において、本然の地上天国の出発基地ができるのです。そこで一生涯生きた人は、手続きもせずに永遠の世界にそのまま間違いなく入っていくのです。

 

 

 

10 復帰の道は簡単ではありません。今は左右の終末時代です。左右を中心として死んでいったイエス様は、父母の恨を残して逝きました。ですから、父母の思想をもって「頭翼思想」と神様を中心として、左翼の讒訴圏を離れた立場で統一圏を論議し、これまでとは反対に回れ右をして無限に進んでいける環境をつくらなければ、天国ができません。そのような時です。そのような意味で、先生が「神主義」、「頭翼思想」を掲げて現れ、兄弟主義をなくしていくのです。

 

 

 

11 統一教会で言う「頭翼思想」とは何ですか。頭がないので左翼と右翼が闘うのです。「頭翼思想」、左翼思想、右翼思想、この三つの思想が合わさって連合思想が現れるのです。その連合思想の主体とは誰でしょうか。どんなに考えてみても、頭がすべての神経系統、中枢神経の根なので、頭を通過しなければ現れないのです。それでは、その根の中の根とは何でしょうか。根の中の根は神様です。神様から出てくるものが「頭翼思想」なのです。ですから、私たちの正常な本然の心が満たされるのです。

 

 

 

12 統一教会は、思想的統一を中心として頭翼運動をします。左翼と右翼とは羽のことです。しかし、頭翼の頭は、羽ではありません。左と言えば左側を意味するように、「頭翼」と言えば頭のほう、頭側と考えればよいのです。イエス様が、どこから新しい世界的な分立歴史をなしたのかといえば、十字架上からです。イエス様を中心として、右側の強盗と左側の強盗、そしてバラバ圏、このように三つの世界圏に分立されたのです。終わりの日に至っては、右翼と左翼があり、イエス様のように頭が現れ、バラバがいるのです。バラバは、共産世界でもなく民主世界でもない世界で、アラブ陣営の世界なのです。

 

 

 

13 世界主義思想が必要です。民族主義思想、国家主義が現れましたが、今まで共産主義は国家を第一として、自分たちの主張には人種的限界があったのです。私たちは、それをすべて越えました。ですから、超宗教、超国家です。今までの国家の思想を乗り越えなければなりません。これは、世界主義ではなく「天宙主義」です。超国家、超世界です。超世界の国家、超世界の宗教だというのです。今までそのような思想はなかったのです。神様を中心とした主義、思想が現れなければなりませんが、ここに「神主義」、「頭翼思想」が台頭するようになったのです。

 

 

 

14 先生は、超宗教、超国家、超国連の理想をもって、すべてのものを結束させます。現実世界では「超」がありません。宗教圏と国家圏にも「超」はありません。「超」といえば、神様のところに帰る頂点圏を意味します。そこに立っている人間としての再臨主であり、真の父母なのですが、その真の父母は「頭翼思想」をもって左右を収拾します。

 

「頭翼思想」とは、神様を絶対中心として、世界のあらゆるものを収拾するものです。ですから、宗教圏や国家圏は相手になりません。それを乗り越える主義が必要なのです。それを乗り越えるのは、神様のみ前に完成されて連結される心情の文化圏である、アダム統一文化世界です。それは、神様と一体圏を成し遂げる心情圏の出発基地です。

 

 

 

15 「神主義」とは何でしょうか。超国家、超宗教、超NGO(WANGO:世界非政府機構連合)のための統一主義です。その統一を何でするのでしょうか。考えだけでは統一できません。愛が必要です。ここにおいて、宗教や社会のあらゆる伝統的思想の主流が出てきますが、それが犠牲と奉仕です。犠牲になるところには、新しい芽が出てくるのです。

 

 

 

16 今からは、神様を中心とした考えと観念で始まるのであって、人間を中心とした考えと観念で始まるのではありません。人間を中心としたところには道がありません。唯一、希望的な道は、神様が理想実現のための終着駅に向かって出発できたということです。先生は、そのような概念を宣言しているのです。頭翼を中心として、左翼と右翼が一八〇度転換して一つになり、神様の世界に帰らなければならないのです。神様の愛で一つの世界をつくることができ、世界平和を成し遂げることができるのです。

 

 

 

17 歴史を見れば、キリスト教を中心として物本主義と神本主義に分かれました。物本主義も崩れ、神本主義であるキリスト教文化圏も崩れて、世俗的な人本主義に降下しました。ですから、神様を中心とした主義がありません。唯物論者と人本主義者たちでは、世界が収拾されません。主人は神様なので、その主人の立場から見てこそ、収拾ができるのです。ある思想をもった権威者がいるとしても、彼が世界を導いていくことはできません。右翼も左翼もできません。それで、生まれてこなければならないのが「頭翼思想」なのです。「頭翼思想」は心情主義です。何の心情主義でしょうか。真の子女の心情、真の夫婦の心情です。神様を父母として侍り、その神様と血統的関係を結ぶ家庭環境でなければならないのです。

 

 

 

18 家庭的な天国基盤を準備するために、統一的主人の姿勢と家庭的姿勢を備えることができる基盤を完成しようというのが「頭翼思想」の目的です。家庭は、天国基盤の単位です。金型の機能をするモデルです。大量生産をするのです。天国をつくれる家庭のモデルが、どこにありますか。天上世界の王国と、その王権世界に対応できる地上での天国単位の家庭が、どこにあるのかという話です。それは、先生が教えたもの以外にはありません。私たちが「頭翼思想」を主張するのは、アダムとエバが衝突する要因を統一的基盤の上で解決し、本然的な家庭の基礎を準備しようということです。それが「頭翼思想」の基盤になるのです。

 

 

 

19 東洋と西洋を誰が一つにするのでしょうか。先生しかいません。キリスト教文明圏と東洋思想文明圏を中心として、仏教、儒教、イスラームを連合させた背景、その大きな背景を消化できる、世界平和のための宗教連合をつくっておきました。その次に、政治風土では「世界平和連合」をつくり、西欧社会とキリスト教社会が東洋と出会う準備をしているのです。政治的には「頭翼思想」と「神主義」を中心として、超国家的理念で世界の政治風土を一つにして、平和世界に向かうのです。

 

 

 

20 今は緩衝地帯に置かれています。イデオロギー、すなわち価値観の没落によって、世界が収拾できない状態になりました。緩衝地帯に入った難しいこの混乱時代に、主体牲をもった価値観が一つもないというのです。それをもつことができ、それを成し遂げることができるのは、私たちが主張する「頭翼思想」と「神主義」しかありません。これが最後の価値観を代表できる時代に入るというのです。

 

「神主義」は、絶対的な価値です。今まで、人間的な幸えで騒ぎ立てましたが、今からは人間中心から神様中心に移っていきます。神様は絶対者です。絶対者には絶対的な考えがあります。今まで誰も、このような内容を知りませんでした。数多くの宗教が文化的な背景になっていても、「神主義」を知らなかったのです。

 

「神主義」というとき、主義というものは生活様式を意味します。個人的な生活様式、家庭的な生活様式、社会的な生活様式、国家的な生活様式、世界的な生活様式、天宙的な生活様式など、体系的様式において、理想的な宗教的内容はありませんでした。しかし、統一教会がこの地上に出現することによって、「頭翼思想」を宣布し、「神主義」を宣布するようになったのです。

 

 

 

21 アメリカには、ソ連の共産党に勝つことができる思想がありません。先生の「頭翼思想」を中心として「神主義」で武装するようになれば、経済基盤とともに内外が一つになり、先生の指導を受けて神様の垂直方向、直線方向に行くようになります。垂直は直線と通じます。直線方向に従って、本然的創造理想の基準に向かって、世界が一つの家庭を連結させた兄弟的版図を成就することによって、世界平和圏ができます。政治と宗教を結合させるために、宗教圏は心的世界を代表したものなので、「世界平和宗教連合」をつくり、世界の政治圏を中心としては「世界平和連合」をつくって、これを一つにするのです。

 

 

 

22 今までの数多くの主義は、不変の方向を取ることができませんでした。アメリカはアメリカだけを中心として、ソ連はソ連だけを中心として、民主主義は民主主義だけを中心として、共産主義は共産主義だけを中心として進んできたのです。宗教もそれと同じでした。それは、神様が願われる方向ではありません。一時も同じ方向を取ることができず、すべて東西南北にそれぞれ分かれたのです。今までは、どんな組織、どんな責任者、どんな国家も神様が願われる方向をつかむことができませんでした。ですから、これからは、個人、家庭、社会、国家、世界、天宙など、すべてのものは、永遠不変の方向性をつかまなければなりません。そのようなものを代表したものが「頭翼思想」であり、「神主義」なのです。

 

 

 

23 韓国の地から世界的な指導者たちを輩出して、統一の世界、平和の世界である地上楽園を成就しなければなりません。祖国の統一はもちろん、東西の文化的差異と南北の貧富の格差を「神主義」と「頭翼思想」で解消し、愛を中心とした人類大家族社会である、平和の世界を建設していかなければならないのです。

 

 

 

24 民主世界は右翼を代表し、共産世界は左翼を代表します。これらが今、崩れつつあります。両世界とも中心がありません。中心とは何ですか。これから必要なものは、「統一思想」であり、「神主義」だと、先生が宣布しました。いかなるヒューマニズムも、神様のみ前に出ることはできません。「神主義」しかありません。神様だけが絶対的であり、永遠の中心です。「頭翼思想」だけが全人類の中心になることができます。真の霊界と肉界の中心となるのは、「真の父母主義」なのです。

 

 

 

25 この世の中には、宗教文化圏と歴史的文化圏、民族文化圏が残っています。宗教文化圏は神様の生活から出発したものです。ですから、「神主義」を実現できるのが宗教文化圏です。これは、東西南北の文化背景を収拾するためのものです。その次には、左翼と右翼が闘っているので、これを収拾しようというのが「頭翼思想」です。「神主義」では宗教を統一するのであり、人間世界の哲学思潮と苦しみうめくこの世界を収拾しようというのが「頭翼思想」です。

 

 

世界主義

 

26 キリスト教は、どのようにして世界的な宗教の中の宗教になったのでしょうか。聖人の中でも、王の聖人を中心としたからです。聖人の中でも中心の聖人がいます。中心の聖人は何を教えなければならないのでしょうか。神様を中心とした人間の道理、正道を教えなければなりません。聖人は、神様に対する人間の道理、神様のみ前に行くことができる道理を教えなければなりません。聖人は、これが違います。聖人は、神様が指導されるので、世界的です。歴史を超越した平和の国を追求し、愛の心情を中心とした人類愛を追求するのが神様の道理なので、その道理に従う聖人の教えは、世界主義です。ですから、神様を第一としなければ聖人になれないのです。

 

 

 

27 今日は、終わりの日です。この時代は、世界主義の時代に入っています。その世界と遠ざかるのではありません。天心があるとすれば、天心を中心とした「天宙主義」時代に入るでしょう。それでは、私たちの心は、どこに向かっていかなければならないのでしょうか。自分のために生きる時代は過ぎ去りました。家庭のために生きる時も過ぎ去りました。社会のために生き、民族のために生きる時も過ぎ去りました。一カ国のために生きる時も過ぎ去りました。今からは、世界主義時代が来ます。

 

ある理念のもとで、世界のために生きなければならない段階に入ってきました。今からは、天の心が向き合いたいと思う個人を探さなければならず、天の心が向き合いたいと思う家庭を探さなければならず、天の心が向き合いたいと思う民族と、国家と、世界と、天宙を探さなければなりません。それが分からない限り、歴史上の偉人や聖人たちの路程を繰り返すことになるのです。

 

 

 

28 私たちの理念とは何でしょうか。人間を第一とした世界的な主義ではありません。宗教という枠を越えて神様を第一とした一つの主義、世界を標榜し、この標榜した一つの主義と、人間が世界圏内に標榜しておいた善の世界とが、矛盾なく合わなければならないのです。そのようになってこそ、天地が一つになるのです。

 

天は心であり、人間は体と同じなので、体と同じこの世界が一つに収拾され、人間を中心とした善の世界になったとしても、それではいけません。心と同じ善の主体が、「善の世界である」と認めることができる全体的で内的な世界が現れなければなりません。これが、矛盾や衝突なく一つの主義として完結するようになる時、天地は初めて、そこから平和の世界へ向かうことができるのです。

 

 

 

29 今の時は終わりの日だと言うことができます。世界的な教団やいかなる主義、思想でも解決が難しい時代が来ました。今日まで、人間が提示してきた主義、主張では、私たちの心の世界を包括することができず、心情の世界を安息させることはできません。哲学も、宗教も、科学も、自ら降参すべき段階に入ってきています。

 

ここで知るべき問題は、この世界が何を抱かなければならないのかということです。心の世界を越えて、天宙を越えて、無限なものを抱かなければなりません。この世界が抱いている以上のその何かを抱き、その価値を謳歌することが、地上のいかなることより貴いというのです。そうしてこそ、この世界を治めることができます。

 

今日は、世界主義の時代です。二つの陣営が対決して、世界を分ける時です。これが闘いで終わってはいけません。どちらが心を象徴し、どちらが体を象徴するのかという内容の基準を立てて解決しない限り、この世界は混乱が広がって自滅の道を避けることができなくなるのです。

 

 

 

30 世界において、「自由のために闘争する。自由のために生命を投入する。死を得るか、自由を得るか。自由のために生命を捧げる!」と言いますが、そうではありません。自由という問題を中心として革命を起こし、何かの団体や国を得たとしても、そこでまた、闘争が起こります。そこには、永遠の主体の概念がありません。銃剣の力で強制してでも得ようとするというのです。そのような代表的な存在が共産主義です。個人主義、家庭主義、民族主義、国家主義も同様です。今は、国家主義の限界線を越えられないので、世界主義という概念の上で暮らしている人は一人もいないのです。

 

 

 

31 最後には、神様の愛を中心とした家庭主義であると同時に国家主義であり、国家主義であると同時に世界主義が現れなければなりません。ですから、「世界万民は一つの家庭の家族に、兄弟にならなければならない」と言うのです。万国が平和になり、世界が統一されるようになるとき、いかなる世界をつくるのでしょうか。兄弟の関係をもった家庭主義の世界が来なければなりません。それが理想世界です。

 

家庭主義の世界に、兄弟だけが現れてはいけません。兄弟同士では争いが終わりません。国連の百数十カ国は、アメリカがいくら大きくても、アメリカと一対一で相手をします。兄弟の国家圏だからです。その次には、父母が現れなければならないのです。兄弟同士は争いが終わっていないので、父母が「あなたは正しく、あなたは間違っている」ということを教えなければなりません。このような時が来るので、父母が来て世界統一主義を主張するようになります。父母の懐を離れましたが、再び父母の懐を求めて、神様の愛の圏内で深い眠りにつき、春の日を迎えられる、その世界が統一の世界なのです。

 

 

「天宙主義」

 

32 「天宙主義」とは、心と体を合わせ、神様の愛の本体になる家庭をつくり、その理念を霊界と肉界に連結させる主義です。天宙の「宙」は、「家」を意味する文字です。それで「天宙主義」という言葉を使うのです。天宙は、無形世界と実体世界を合わせたものです。これが私たちとどのような関係があるのでしょうか。私たちには家庭が必要です。家庭で一つになれなければ、「天宙主義」とは関係ないのです。家庭が「天宙主義」を完結させる最終基準になります。ここで平和の歌を歌えずに、幸福をたたえることができない人は、この地上でも霊界でも不幸な人になるのです。

 

 

 

33 神様は、全天地万物を創造された方として、全天地を統治すべき主人公であって、どこか一つの地域を主管する方ではありません。ですから、皆さんが神様に対して「父」と呼べる、神様の息子、娘になろうとすれば、神様が指向する世界について、考えなければなりません。そのような時に、神様と関係を結ぶことができるのです。

 

今まで、数多くの主義と思想は変遷しています。しかし、変遷したあとには、この宇宙の根源者であられる神様と一つになることができる「天宙主義」的な形態をもたなければなりません。これが正に、必然的な歴史的帰一点として残されなければならないのです。

 

 

 

34 今や世界主義時代が過ぎ去り、新しい「天宙主義」の理念時代が訪れてきます。この時代が来る時に、両手を挙げて歓迎しながら、その時代の中心の前に全体が屈服できなければ、すべて壊れます。これが正に大審判です。イスラエル民族が塗炭の中でも、自分たちの歴史的な観念とあらゆるものを忘れてモーセの前に頭を下げ、天が共にあるモーセに従って進んでいった時には、前を遮っている紅海も無難に渡ることができ、パロの配下での逆境と苦痛の環境も無難に越えることができました。しかし、モーセを不信するようになると、六十万の大衆は荒野でみな倒れました。なぜでしょうか。歴史を治めてきたのは、その当時の人々を導いていく思潮や主義ではありません。より高いところに向かって導いてくれる心です。そのさらに高いところは、神様の心なのです。

 

 

 

35 私たちは、民主主義でも共産主義でもありません。それでは、何主義でしょうか。「天宙主義」です。「天宙主義」という言葉は、主人を意味する民主主義の「主」の字ではありません。家を意味する「宙」の字です。神様は、この国で暮らすことができますか。暮らすことができません。この国は、天宙、すなわち神様の家にならなければなりません。これができないので大騒動が起きるのです。主人が家を離れて大騒動だというのです。

 

 

 

36 今までの歴史時代において、そのいかなる思想もついてくることができない内容をもっているのが、正に「天宙主義」です。これは、世界のいかなる思想も凌駕する新しい思想であり、この思想の特徴は「家」なのです。家を意味する「宙」の字の「天宙主義」です。結局、「私」が生きていくことのできる家、国が生きていくことのできる家、世界が生きていくことのできる家、天と地が生きていくことのできる家がなければなりません。個人の家、国の家、世界の家、天地の家に向かっていかなければならないというのです。

 

このような家の中心は神様です。神様を中心として、個人の家から、民族、国家、世界的な家に発展していかなければなりません。サタンは、世界の型をつくっておきましたが、神様はまだそこまで位置を占めることができていません。サタンは、個人の家から氏族の家、国家の家、世界の家まで造っています。ですから、私たちは、神様を中心とした代表的な力をもって、サタンのすべての家を壊してしまい、神様のみ旨を中心として再び新しい家を建てなければならないのです。

 

 

 

37 皆さんは、神様と同じように天宙主義者です。ですから、自分の家庭のために生きるのではなく、国のために生き、世界人類を自分の兄弟のように愛さなければなりません。それでこそ、天の国の家庭と接ぎ木できる世界的足場が、そこから広がるのです。神様と人類のためにあらゆるものを犠牲にできる息子であり、娘だという立場で、「私」が結婚するのも「私」のためではなく、神様と人類のためであり、寝るのも「私」のためではなく神様と人類のためであり、食べるのも「私」のためではなく神様と人類のためでなければなりません。このように、すべてのことを神様と人類のためにするというのが、「神主義」であり「天宙主義」なのです。

 

 

 

38 人類の根本は父母です。ですから、皆さんは、情緒的な面において、神様の心情を中心としてあらゆる生死の起源を立てなければなりません。それが人間としての必然的で、絶対的な要件です。そのような要件を備えて世界を考え、自らの一生を生きていく人がいるならば、その人は「天宙主義」に属した人です。そのような人は、たとえ大韓民国で生きているとしても、「天宙主義」に属した人だというのです。

 

「天宙主義」の主権が立って、世界のすべての人々が「天宙主義」の世界に属するようになる時、その主権が立つまで迫害されていたその人々は、天地が歓迎する中で賞を受けるようになるでしょう。その責を受けた人々は、新しい地上天国で生きてから、永遠の天国に入るのであり、その子孫は地上で永遠に残る天の民になるのです。そこが正に私たちが行くべき終着点です。ですから、その基準を訪ねていかなければならないのです。

 

 

 

39 統一教会は、地上の人類を救うことはもちろん、今までこの地に来てから霊界に行って地獄に捕らわれ、地獄の鎖につながれている霊人たちまで解放しようというのです。これが統一教会の理念です。ですから、「天宙主義」を論じてきたのです。それは、ある法的条件をもってできることではありません。神様を泣かせることができ、神様の心情を通して神様の中にある、歴史的なあらゆる恨を解怨成就できる孝子が現れるまでは、不可能です。

 

そうかといって、孝子だけでできるものではありません。そのような家庭が現れて、「神様、イエス様が個人的な息子として人類を許されましたが、神様の息子、娘が夫婦となって家庭をつくり、一つになって贖罪の祭物を捧げる立場に立ちましたので、霊界に行っている霊人たちまでもお救いください」と言ってこそ、そのことが可能になります。家庭が一つになってこそ、霊界と肉界の全般的な人類を解放できるのです。

 

 

 

40 人間が求める最後の時代は、情的な主義の時代です。人情ではなく、天情に通じることのできる情的な主義の時代です。私たちは、その時代を考える必要があります。いくら優れた何かをもっているとしても、必ずそのような時代が来てこそ、歴史が解決されるのです。

 

このような世界的終末時代が来るのですが、宗教理念をもった世界的宗教をよく見てみると、キリスト教がこれをよく看破してきました。それでは、そのキリスト教の情的な基盤は何でしょうか。

 

「私は花婿であり、あなたがたは花嫁である」という立場で、新郎新婦の横的な関係を立てたその主義、「神様は父であり、私は息子である」といって、父子関係を結ぶことができたその主義、万民が兄弟だとして、全世界の人類を兄弟として結びつけることができたその主義は、観念主義ではなく、良心を乗り越えた情的な主義です。この時代は、天情に通じることができる「天宙主義」時代なのです。

 

 

 

41 今日のこの時代には、世界主義よりも大きな「天宙主義」の理念が現れなければなりません。「神主義」が現れなければなりません。そうして人間がこの地で生活する上で、その「神主義」を中心として、心と体が天の心情と通じることができる確固とした基準を立てなければ、私たちは幸せに暮らすことができません。

 

ですから、私たちは、生活圏内でその理念を中心として心と体が安息し、楽しむことができると同時に、その理念を通して歴史的な神様の心情、時代的な神様の心情、未来的な神様の心情を体恤しなければなりません。そうして、世界の前に宇宙史的な最後の贈り物として立たなければならないのです。

 

この贈り物の最後の目的は、地を治めることではありません。この世界を基盤として無限の世界を抱き、最後には神様を抱くのです。これが最後の目的です。神様を抱くこと、神様を私のものにするのです。

 

 

 

42 韓半島の葛藤は、先進国と後進国の間の葛藤だけでなく、東西文化の葛藤までもよく現しています。ですから、韓半島の統一は、世界平和と不可分の関係にあるだけでなく、未来の世界の問題を解決するのに重要な方向性を提示する指標になるでしょう。今日の世界は、霊的な大覚醒が必要な時を迎えています。個人や国家や世界のすべてが、神様の実存に対する新しい理解だけでなく、神様と人間が再び出会い、離れようとしても離れられない本然の関係を再び取り戻さなければなりません。このために提示されたものが、先生が教え導いた真の愛を中心とする「神主義」なのです。この「神主義」は、左翼でもなく右翼でもない「頭翼思想」なのです。

 

 

第一節 宗教による世界平和

 

 

天聖経  第十篇 目次 第三章 世界平和の実現方案

第一節 宗教による世界平和

 

1 宗教は、世界的なものです。人類の基盤の上に平和の土台をつくって、人類が共に暮らそうというのです。ですから、宗教は世界平和を指向します。

 

世界平和は、人間だけを中心とした平和ではありません。神様が喜ぶことができなければなりません。神様が望む平和の基準と人間が望む平和の基準が、一致する立場でなければなりません。

 

何を中心として一致するのでしょうか。世界の人を中心としたものではありません。神様を中心としたものでもありません。神様も統治したいと願い、人も統治されたいと思う一つの道がありますが、それが愛の道です。今まで神様の恨は、真の愛による支配を受け入れられなかったことです。真の王として末端の民がそのような真の愛を受け入れたとすれば、末端の民を必要とする神様です。その愛は、通過できないものがありません。隔たりがありません。光と闇、前と後、左右は、すべて分かれていますが、愛はこれを、すべて通過することができるのです。

 

 

 

2 今日、私たちが見る宗教の歴史は、博愛主義が中心の思潮です。宗教は、広い意味で神側を中心とした主流なので、愛を語り、慈悲を語り、公義を語り、善を語る立場にあります。ですから、それは、自己の野望を拡張しようとするのではなく、公的な利益に符合する自分のすべての素性を悪の世界に投入して、悪の世界を天の側に移そうというものです。それは、悪を中心として争うのではなく、善を中心として和平を企図し、平和を企図し、和解の雰囲気を造成するためにするのです。

 

この悪の世界に対峙していくために、結局、宗教世界は、新たな投入をしなければなりません。新しい何かを投入することによって、環境が自分によって影響を受けるようにしなければなりません。「投入しなさい」と言うのではなく、お互いが投入していくところにおいてのみ、和睦と和合と平和をもたらすことができます。これが、善の歴史性を備えた宗教が歩んできた背後にある、主流思想なのです。

 

 

宗教の目標は平和世界の建設

 

3 神様は、平和の根拠地を、どこに求められるのでしょうか。アメリカでもなく、ロシアでもなく、ほかのどの国でもありません。そこは、ほかならぬ人間の本心です。それは、世の中のあらゆるものをすべて放り投げ、本心の基準に帰りなさいということです。自らの中に入っていきなさいということです。それでイエス様は、「神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」(ルカ一七・二一)と言ったのです。

 

ですから、私たちの心の中にある善を解放してあげなければ、理想世界や幸福の世界は不可能なのです。宗教は、このような歴史的基準を決定するのです。神様は、人々を平和の道に導かなければなりません。歴史過程に、人間を平和の道に導こうとしていた痕跡が残っていなければなりません。そのような活動をしたというその痕跡が、正に宗教なのです。

 

 

 

4 真の平和は、「私」から始まります。私のどこから始まるのでしょうか。私個人の心ではなく、神様と一つになった心から始まるのです。そうして、体を調整しなければなりません。ですから、人間は、あくまでも原因的な存在ではなく、結果的な存在なのです。したがって、根本である神様と完全に一つにならなければなりません。

 

しかし、皆さんは、神様と一つになることができていません。原因と結果は一つであって、反対になることはあり得ません。そのような観点から、皆さんは、結果から一つになるのではなく、原因から一つにならなければなりません。それを接触させるための、歴史的使命を果たすものが宗教だというのです。

 

 

 

5 神様の目的は世界平和です。それは、仏教の釈迦牟尼に尋ねても、キリスト教のイエス様に尋ねても、イスラームのムハンマドに尋ねても、すべて同じなのです。宗教の目的は平和です。一つの世界です。理想的世界なのです。

 

 

超教派運動による世界平和

 

6 み旨から見る時、イスラエルとユダヤ教がイエス様と向き合うような基準、すなわちイエス様の時代のような環境が、今、私たちの前に造成されています。このような時点に置かれているので、私たちとしては、超教派運動を展開せざるを得ないのです。このような信念をもって両面作戦をせざるを得ません。私たちが民族復帰のために忠誠を尽くしたように、超教派運動にも精誠を尽くさなければなりません。今まで、私たちは、このような基準を立ててきたのです。

 

 

 

7 神様のみ旨とは、世界を救援することです。世界を救援するためには、超民族主義、超教派主義の過程を通さなければなりません。アメリカの建国精神を見れば、新教を中心として超民族的に国家が結成されました。超国家的な結成をしたのです。しかし、超教派主義的な基準は立てることができませんでした。超国家主義になっても、超教派主義にはならないというのです。超教派主義的基準さえつくっておけば、自動的に超国家的になり、超世界主義になるのです。

 

 

 

8 先生は、電気で言えば、配電所のような役割をしています。発電所が故障しない限り、電灯の明かりを照らすことができます。すべての人々の家に明かりをつけてあげるのです。明かりをつけてあげれば、喜ぶようになっています。このような原則に従って、今、一つの世界をつくろうというのです。一つの世界をつくるのに、漠然としていてはいけません。具体的な内容を提示しようとすれば、宗教連合運動をせざるを得ないのです。

 

 

 

9 終わりの日が近ければ近いほど、宗教連合運動に連結されていきます。地上にいる人々は、宗教の背後にある神様の歴史を知りませんが、宗教圏は、神様が中心となって一つの世界に向かって前進する過程に協助できる体制を形成せざるを得ないので、宗教連合という世界的運動が現れたのです。これに反してサタンは、宗教と反対の立場を取って一つの体制を形成しました。悪の神を中心として形成した体制が、宗教に反対する理念として広がってきたのです。神様を否定しながら物質を絶対視する唯物主義を主張し、人本主義を主張するのです。神様と関係のない立場で、一つの世界形態を備えたのです。

 

 

 

10 先生は、神様の愛を実践することに全生涯を捧げました。神様の真の息子の立場で、皆さんも通過しなければならないのと同様な路程を歩んできました。私たちがそこで完全に成功できるならば、解決できない問題はありません。それで、「世界平和宗教連合」を創設したのです。この機構を創設することによって、宗教が神様を中心とした理想家庭と社会、一つの世界を成し遂げることに協力できるようになったのです。

 

 

 

11 分かれた心と体が、世界的に拡張されたものが政治圏と宗教圏です。政治圏と宗教圏が闘っていきます。体的な政治圏が、いつも心的な宗教圏を蹴飛ばしてきたというのです。それが国連にまで広がりました。これに対峙するために「世界平和宗教連合」を創設したのです。また、「世界平和連合」をつくったのです。サタン世界の政治圏が言うことを聞かなければ、アベル的政治圏をつくって消化していかなければなりません。政治圏と宗教圏を一体化させるためのものが、この「世界平和連合」と「世界平和宗教連合」なのです。

 

 

 

12 心と体が分かれて二つの世界が争う姿になったので、今、心の世界を象徴する宗教界を「世界平和宗教連合」を中心として統一しなければならず、体の世界を象徴するこの世界で争っている国々を収拾しなければならないので、「世界平和連合」を創設するのです。それらは既に結成されていますが、そこで共同会議をして、平和世界建設の任務を中心として出動命令をするようになる時、宗教者たちが先頭に立たなければなりません。その時は、統一教会の人々とあらゆる教団の継承者たちが、世界の平和のために導いていかなければなりません。心が体を動かすのと同じようなことをしなければ、平和の世界は来ないのです。

 

 

 

13 歴史路程において、宗教を迫害したのは政治です。政治は体と同じです。体を中心とした活動舞台は、神様を認めません。自分から無神論と有神論が始まったのです。有神論圏内には本心があり、無神論圏内には体があって、この二つが闘うのです。宗教を糾合するためには、宗教が互いに争ってはいけません。神様には闘争の概念がありません。平和の概念だけです。本来、神様を求めていく理論は、平和の概念でなければならないのであって、闘争の概念では駄目です。闘争するすべての教団は消えてしまわなければなりません。人類が残しておきません。すべて追い払ってしまうのです。

 

 

第二節 理想家庭による世界平和

 

 

天聖経  第十篇 目次 第三章 世界平和の実現方案

第二節 理想家庭による世界平和

 

1 平和は、家庭の真の父母から心と体が一つになり、夫婦が一つになり、子女が一つになる時に広がります。真の父母と真の家庭が広がってこそ、そこから平和が始まるのであって、世界や国家からではありません。そこから地上天国が始まります。これが人類の基礎です。愛の王国、生命の王国、血統の王国、地上天国、天上天国の王国、幸福、希望、統一の王国、平和の世界など、すべてはここから始まります。

 

ですから、そこは心と体が一つにならなければなりません。男性と女性、カインとアベルが一つにならなければなりません。堕落によって心と体が分かれ、アダムとエバが分かれ、息子と娘が分かれたので、これが統一されなければなりません。真の父母は、心身一体、夫婦一体、子女一体の理想のモデルです。世界的にすべて勝利した真の父母を通して、すべて学んで知っているので、皆さんは家庭的天国さえつくればよいのです。

 

 

 

2 世界統一は簡単です。統一教会では交叉結婚を語ります。怨讐と怨讐が姻戚になる道があるとすれば、天下はあっという間に平和の世界になっていきます。先生は、日本の人と韓国の人を交叉結婚させました。そこにありとあらゆる人々がいましたが、交叉結婚をしたのです。怨讐を天国に連れていくことができてこそ、イエス様も天国を迎えることができます。怨讐になった人々は、怨讐を自分の息子、娘よりも、父母よりもっと愛することができる世界を求めていってこそ、神様が平和の王の地を備え、王宮で暮らせる同族を率いることができます。怨讐関係である日本の人と韓国の人は結婚できないのに、統一教会はそれを克服したのです。

 

 

 

3 平和世界を成し遂げるのに、国際結婚以上の直短距離(最も近い距離)はありません、国境ですべて怨讐になっています。最も近くにいる人が怨讐になるのであって、遠くにいる人は怨讐にはなりません。ですから、平和の世界が早くできるようにするために、国境を越えて怨讐国家の人たち同士を結婚させるのです。そうなれば、半分は平和世界に入るのです。

 

 

 

4 世界平和の先頭に立たなければならないのが、宗教圏の任務です。絶対的に神様が要求する任務です。それに反対する人は、この場にいないでしょう。平和に向かう一番の短距離、近道は何でしょうか。それは、宗派を超えて青年たちを結婚させることです。紛争する宗派同士で結婚した場合には、紛争が半分は減ります。それを二回だけすれば、平定されてしまいます。統一教会の青年たちを中心として、各宗教の青年たちと交叉結婚をさせようというのです。世界の宗派が交叉結婚をするようになれば、怨讐の国が一つになるのと同様に、怨讐の宗教が一つになります。それが世界平和を成し遂げる直短距離です。それをしなければ、神様が宗教を立てた意味がないのです。

 

 

 

5 今、世界宗教大会において、異なる宗教の信徒同士が「結婚しよう」と言っています。十三教団の代表たちが集まって、これから世界平和に向かう直短距離は、この道しかないという結論を下したのです。宗教が先頭に立たなければならないのです。心が平和を主導しなければなりません。心の立場にあるのが宗教だからです。一つになるには、結婚以上に早い道はありません。国境を中心として、すべて怨讐になっているのです。

 

 

 

6 今後、平和の世界をどのように成し遂げるのでしょうか。骨子は簡単です。怨讐同士の息子、娘を結婚させて、自分よりも幸せに暮らすことを祈る、その国から平和の世界は出発します。それをしなければ、永遠に平和の世界になれません。国境を中心として、いかなる国でも怨讐になっているのです。

 

 

 

7 結婚も国境を越えてするようになると、自然に国境が消滅します。イギリス人とフランス人が結婚すれば、国境は自然になくなります。自分たちも知らず知らずに移り変わっているという事実を知らなければなりません。そのようになると、フランスにお嫁に行ったからといってフランス人でもなく、またイギリスの夫を得たからといってイギリス人でもありません。これが問題です。どこの人かと言えば、間違いなく統一教会の人です。その統一教会の人とは何でしょうか。今後、理想としていた平和世界、あるいは自由世界が成就されれば、それを基地にして性相世界(神様を中心とする不変の世界)を出発させる群れなのです。

 

 

 

8 人類の先祖が結婚を間違うことで国境線が生じたので、祝福を受けて国境線を撤廃しなければなりません。カイン・アベルの二つの国が怨讐です。それを結婚が分けたので、交叉結婚をしなければ統一世界になりません。国境で分かれていたものが、交叉することによって入れ替わるのです。兄が弟になり、弟が兄になります。交叉結婚をしないところには、平和の出発がありません。それで、神様が怨讐を愛しなさいといったのです。

 

 

 

9 統一教会には国境がありません。文化背景の壁がありません。そのようなものをみな切ってしまうのです。白人と黒人がたくさん結婚しました。今回、数百人の日本人がアフリカの人たちと結婚したのです。この数が百万を超え、千万を超えて国まで超えるようになると、世界は平和の世界に向かうのです。そうして、一つの血統になるのです。一つの家で、十二カ国の人々が互いに一つになればどうなるでしょうか。一つになってみなさいというのです。「平和世界になってはいけない」と言っても平和世界になるのです。どれほど素晴らしいでしょうか。その時は、先生が平和の王になります。ですから、メシヤであり、真の父母だというのです。

 

 

第三節 文化と世界平和

 

 

天聖経  第十篇 目次 第三章 世界平和の実現方案

第三節 文化と世界平和

 

1 人間が堕落しなかったとすれば、理想的な春の園を迎えていたでしょう。その理想的な春の園で、神様が喜ぶことができる人々として成長したでしょう。そのように育った人類は、この地上に新しい文化世界を創造し、その中で、平和で幸福に暮らしていたのです。万物が春夏秋冬の季節に従って順行するのと同様に、人類歴史もやはり、春の季節、夏の季節、秋の季節、冬の季節のような過程を経ながら、永続する世界にならなければならないにもかかわらず、人類が堕落することによって、私たち人間の世の中においては、人間が喜ぶ蘇生の時、栄光の一日を迎えることのできる喜びの出発を見ることができなかったのです。

 

 

 

2 神様の人間を通しての目的が一つの創造世界なので、そのような世界を人間も追求しなければならず、神様も成し遂げなければならないというのは、双方的な立場から見るとき、当然の結論です。

 

今日、歴史を通して一つの文化世界、一つの主権世界、一つの平和世界、一つの統一世界を指向しなければならないというのは、人類あるいは個々人の生活的な面において必要要件なのです。

 

 

 

3 世界文化体育大典は、人類の精神文化を収拾して人間の幸福のための真の価値を求め、神様と人間と万物が調和した平和な新しい文化世界を指向する、歴史的な行事です。全世界の学者、宗教者、言論人、政治家、青年の代表たちが地球村家族の一員として一堂に会し、人類和合の知恵と経験と実践を結集する祝典なのです。

 

 

 

4 美しさを追求し、それを表現しようとするのは人間の本性です。神様の創造理想に似た人間の内面世界は、情、知、意の三機能を発揮し、人間の肉身はその心の命令に感応して行動します。その結果、人間はいつも愛と真理と美しさを追求しており、それぞれ宗教と科学と芸術が、その表現の手段です。結局、宇宙万象は、創造主である神様の内的性相が多様な実体として現れた外的形状なのです。

 

 

 

5 芸術をする心の極致は、神様が一つ一つ自ら造られた作品である各種の万物万象を通して、無限に喜ぼうとされる創造主、神様の心情世界に到達することです。与えても、また与えようとし、ために生きても、またために生きようとしながら、条件なしに投入しても忘れてしまおうとするのが、神様の心です。その心情世界の根本は、真の愛です。被造世界に対する神様の創造理想は、その心情から出発したものです。芸術の原点は、その心に似ることにあります。したがって、芸術世界には国境がありません。特定の理念や理想がその道具になってはいけません。調和と統一が基本原理です。分裂と葛藤は堕落性の実です。したがって、作品世界でも、東洋は西洋を理解し、西洋は東洋を受け入れて、四方性の世界性を帯びなければならないのです。

 

 

芸術とスポーツを通じた世界平和

 

6 芸術と体育は、平和時代をつくるにおいて、欠くことのできないものです。そこにおいて、私たちが先端基準の世界的立場をつかんだという事実は、驚くべきことです。サッカー大会、そして芸術文化世界においてロシアのボリショイ・バレエ団以上になる看板を、既にみなもっているというのです。今後、自由と平和世界、戦争がない世界に向かう時には、必ず体育と芸術が必要なのです。

 

 

 

7 芸術を中心として大衆を善導しようと思います。舞踊は女性善導の武器であり、体育は男性善導の武器でした。この二つの武器を世界の頂上に、いかにして引っ張り上げるかということが先生の夢でした。これは、瞬間に大衆を動かすことができる力があります。気迫がそこにあります。この気迫を統一教会の精神と結びつければ、サタン世界を神様が凌駕するようになります。今まで天が怨恨を抱き、サタン世界を凌駕するためにどれほど苦心しましたか。この壁を乗り越えることができなくて苦労しました。しかし、壁を乗り越える時代においては、これを再びくじくことはできないのです。

 

 

 

8 今や、体育と芸術世界が新しくならなければなりません。バレエは西洋の舞踊の中で最高の舞踊ですが、これが今までは地に埋もれていたのです。それを先生が新しく引き上げようとするのです。体育もそうです。このようなものは思想がなければいけません。バレエも体操と同じで立派な技術が必要です。技術が入っていますが、そこに高尚な精神が入っていなければなりません。そうすると、何か分からなくとも、その魅力的な力についていくのです。

 

しかし、今、あらゆる芸術分野は、それが死んでいるというのです。体育の分野も、徹底した精神がなければならないのです。

 

 

 

9 スポーツは、本来、丈夫な体と安全な社会を維持するために現れたものであり、今日、数十億の人々の生活を楽しく豊かにしながら、全世界の隅々にまで拡大しています。このような万民のスポーツを通して、万民の平和に寄与できる方法を様々な側面から模索しなければならないのです。

 

 

 

10 体育と芸術を一体化することが先生の計画です。歌と踊りが運動と一つにならなければなりません。ですから、体操式の運動ではなく、音楽と一つになった舞踊式の体操形態をつくるのです。ですから、空手のようなものも、芸術化しようと思っています。その運動を、今、私が推進しています。体育と芸術を一つにするための運動を推進しているのです。そこに神様の思想が入っていくのです。

 

 

 

11 世の中の人たちは、なぜ宗教指導者である文先生が、体育やサッカーに関心をもっているのかと言うでしょう。これは、今後、文化祝典、文化オリンピック大会の時、若い人々の気迫を向上させるのに絶対に必要です。その国が栄えるか衰えるかというのは、若い人々の気迫によって左右されます。いくら知識が豊富で、立派で顔形が整っているとしても、気迫がなければなりません。気迫が上昇する若い人々をもった国は栄えるのです。ですから、思想が重要なのです。

 

 

 

12 世界文化体育大典は、体育だけするのではありません。文化が入ります。学者ならば学者、宗教者ならば宗教者、女性ならば女性のあらゆる特技を誇ることのできる大会です。それがどれほど素晴らしいか、考えてみてください。あらゆる存在は、陰陽合同、互いに愛を中心として一つになります。調和するためのものなので、このような大会をしたとすれば、それがどれほど素晴らしいでしょうか。

 

 

 

13 宗教は文化の中心なので、「世界宗教議会」と「世界平和宗教連合」は、世界文化体育大典の中心に位置するようになります。宗教的理想とその知恵と価値は、世界の中の教育、学間、芸術、体育、言論、政治、経済に宿り、その基準にならなければなりません。世界文化体育大典は、人類の精神文化を収拾し、人間の幸福のための真の価値を取り戻し、神様と人間と万物が、調和した平和的な新しい文化世界を志向する、歴史的な行事になるでしょう。

 

 

 

14 スポーツマンたちが感じるその感情の世界は、国境を超越します。一和天馬(イルワチョンマ)サッカーチームがアジアの代表になったとすれば、アジア人の注目の的になります。南米に行って席巻したといえば、全世界のサッカー関係者たちの耳目がここに集中するのです。宗教性なしに一和サッカーチームを中心として、いつでも誰でも歓迎しようとし、相手をしようとします。サッカーといえば、南米が一番上手だというのは誰でも知っています。ですから、それ以上に上がれば、世界が一和サッカーチームについて回るというのです。九十分という短時間の間に、世界の数十億の人類が、一緒に拍手し、万歳を唱えることができるのはこの運動しかありません。

 

 

 

15 先生は、なぜサッカーチームをつくり、運動に関心をもつのでしょうか。運動は、和合と平和を増進するのに必要です。有名なサッカーチームが競技をすれば、全世界が見るようになります。ボクシングは個人競技ですが、サッカーは十一人でしなければなりません。そのサッカーチーム自体が、融合されなければなりません。一つにならなければなりません。和合されなければならないのです。争いや闘争なしに、平和と調和が広がるのです。

 

そして、競技場に出てくるサッカーチームに出会うことが、自分の生活よりもっと好きになります。そこで、統一がなされるのです。ですから、サッカーチーム自体が和合と統一です。一つです。これが私たちの家庭に必要であり、社会に必要であり、国家に必要であり、天地に必要なのです。平和が必要だというのです。平和にならなければ、統一されないのです。

 

 

 

16 先生は、一九六〇年代からリトル・エンジェルスを創立して、韓国の美しい芸術世界を全世界に宣揚してきました。これを土台として「愛天愛人愛国」を建学理念とする仙和芸術学校を創立しました。さらには、ユニバーサル・バレエ団を韓国に、そしてキーロフ・バレエ学校をアメリカの首都であるワシントンに創設し、ニューヨークにはニューヨーク・シティ・シンフォニー・オーケストラを創立したのです。

 

 

 

17 今日の芸術分野を見ると、真の愛を完全になくそうとする先頭に立っています。歌を歌ったり、運動をしたりする人も同じです。冬季オリンピック大会を見ても、若い人たちが堕落の行動を見せています。それを防ぐために、先生が芸術分野においてリトル・エンジェルスやユニバーサル・バレエ団をつくりました。正反対です。芸術分野において俳優学科をつくり、体育や武術の学科までつくっておいたのです。本然の愛を中心として、ひっくり返して掌握しなければなりません。

 

 

 

18 一九六〇年代に先生は、韓国の文化を他の国に紹介してみようという夢がありました。その時、私は韓国の子供舞踊団リトル・エンジェルスをつくりました。これまで、リトル・エンジェルスは、世界の六十以上の国家で公演をしました。そして、三百回以上のテレビ放送に出演しました。舞踊団は、子供たちで構成されています。なぜなら、私の感じるところでは、子供たちこそどこの誰よりも精神世界をよく表現するからです。いくら批判的な人であっても、子供たちの前ではいつものマスクを脱いでしまい、あらゆる人間が本質的に追求する純粋さと愛を感じるようになるのです。

 

 

言論を通じた世界平和

 

19 言論は、行政、司法、立法に続く第四の権力であるといわれるほど、社会に莫大な影響力と権力を行使しています。その強大な言論の権力は、善のために使われるべきであり、世界平和のために寄与する権力になるべきであると信じています。言論人たちも専門職業人である前に、その根本はみな神様の子女たちです。

 

皆さんは、神様が願われる道義世界、真の平和の世界に特別に召命された平和のチャンピオンたちです。このような言論人たちの自由な討論の場として、究極的な道義世界の具現を目標とした「世界言論人会議」があるのです。全世界と人類が神様の摂理の中で、究極の真の平和世界に向かって進むこの時に、言論は神様から召命を受け、平和世界具現という重要な使命があります。言論は、平和を熱望する他のあらゆる努力と連合して、地球村時代に人類大家族の理想を具現するのに強力な影響力を行使し、真の平和と道義世界実現の主役となって、勇敢に雄々しく前進しなければなりません。

 

 

 

20 言論機関は、社会的な面で道義に責任を負い、国家を発展させることのできる教育機関です。記者自身も人格ができていなければなりません。先生は、退廃思想に陥るアメリカの言論機関と闘う人です。今まで言論機関は、先生をどのように扱ってきましたか。むやみにたたかれました。それでも、一言も言い返しませんでした。実力は無言のうちに表れてくるのです。

 

言諭機関の歴史はこうでなければならず、その歴史を構成していく言論人はこうでなければならないという定義がありません。それで、先生が言論人大会を今までしてきたのです。言論人の責任を追及するために、今まで「世界言論人会議」をつくって、そのことをしてきたのです。責任的言論人になりなさいというのです。その信念に自分の命を懸けて責任を負わなければならないのです。

 

 

第四節 南北統一と世界平和

 

 

天聖経  第十篇 目次 第三章 世界平和の実現方案

第四節 南北統一と世界平和

 

1 アジアの東方にある小さな韓半島、その中でも韓民族は、排斥された民族であり、追われる群れでした。神様は、追われるこの群れを通して、世界的な摂理の主権を立て、新しい時代を創建しようとしました。この民族が末世的な患難と塗炭の苦しみに陥っているこの世界、民主世界と共産世界が互いにぶつかり合う環境の中で、祭物になった原因がどこにあるのかというと、正にそこにあるのです。そのような意味で、韓国は、共産世界においても民主世界においても重要な国なのです。

 

 

韓半島の摂理的意味

 

2 韓国は、歴史時代のあらゆる宗教と人類を、神様のみ旨に合うように収拾して、統一的な世界と統一的な天国を建設するための責任を果たす国にならなければなりません。文化背景を中心として南北が統一され、そのような位置をつかむことにより、世界の宗教を動かし、世界万民を動かせる位置に立ってこそ、イスラエルを選ばれた神様のみ旨と一致する宗教圏が顕現し、神様のみ旨に一致する民族圏、国家圏が形成されるのです。韓国は、南北に分かれました。堕落とは、心と体が分かれたことです。世界的に見るとき、北側は唯物論で物質が主であり、また南側は唯心論で心が主です。これは、アダムとエバの堕落によって心と体が分かれましたが、それぞれ全世界的に分かれて実を結んだのです。

 

 

 

3 韓国は、南北に分かれているので、いくら民族を取り戻したとしても、一つの主権を取り戻すことはできないのです。一つの主権を取り戻すためには、民族が団結して闘わなければなりません。この民族がそのようにして主権を取り戻したとしても、その主権だけでは「すべてが成し遂げられた」と言うことはできません。主権を取り戻したなら、世界に向かっていかなければなりません。主権を犠牲にすることがあっても、世界を取り戻していく闘いの行路を経なければ、神様が取り戻そうとされる平和統一の世界は来ないのです。

 

 

 

4 韓国は、三十八度線を中心としてアベル国家とカイン国家に分かれました。ここでカイン国家である北朝鮮がアベル国家である韓国に屈服しなければ、世界平和が訪れません。世界も大きく見れば、民主世界と共産世界に分かれています。この分かれた民主世界と共産世界が接触した所が韓国です。ですから、韓国の統一は、世界統一の一つの方案になるでしょう。

 

 

 

5 大韓民国が、今後、世界で生き残り、世界の万民に歓迎される国になるためには、大韓民国の主権と大韓民国を犠牲にして世界を生かそうと、先に十字架を背負う民族にならなければなりません。十字架を通して勝利の拠点となって平和の王国が建設される日には、十字架を背負った民族が栄光の出発点に立つのです。

 

 

 

6 統一教会の人々は、一つの氏族のような立場において大韓民国のために犠牲にならなければなりません。犠牲になれば、大韓民国は今日のような大韓民国にならないでしょう。南北に分かれた国ではなくなり、統一された国、一つの国、より高次的な理想によって、北朝鮮にいる人々までも私たちを歓迎する思想に立脚した国になるでしょう。そのような国をつくらなければなりません。彼らを教化させて、正しい人、すなわち神様をあがめ尊ぶことのできる人にしなければなりません。そうなれば、統一された一つの国が自動的につくられるのです。このように一つになった国を成し遂げるようになれば、その国は世界を利用する国ではありません。世界のために犠牲になる真の国になるのです。

 

 

 

7 私たちが蕩減復帰という厳然たる因果法則を、摂理歴史過程で否定できない原則として公認すれば、この世界史的な終末時代において、世界史的な蕩減の使命を果たす悲惨な国がなければなりません。それはどの国でしょうか。その国は、ほかでもない韓国です。韓国が六・二五動乱を通して三十八度線という対峙線を中心として、この民族とは何の関係もなく、縁もなかった左右の世界史的思潮のゆえに、祭物となって血を流したという事実は悲惨なことです。世界舞台において、再び悲惨な運命の位置を代表する立場にある国が韓国です。このような事実を見るとき、どうして韓国は、このような運命圏に追いやられなければならないのかを考えざるを得ないのです。

 

 

 

8 民主主義と共産主義が韓国で対決しています。板門店を中心として二大陣営がお互いに甲論乙駁しているのですが、この事実が正に、天の世界とサタン世界がお互いに闘っていることを表しているのです。外的には、このように韓国と北朝鮮が対決していますが、内的には歴史的な事実と時代的な事実と未来的な事実を中心として、神様とサタンが最後の対決をしているのです。そのようにすることによって、内的な蕩減条件を立てなければなりません。歴史は、このような両面的な関係をもって流れているのです。

 

 

 

9 韓国は、三十八度線を中心として南と北に分かれています。原理から見るとき、祭物は裂かなければなりません。そして、祭司長が祭物を捧げるときは、上下を問わず、祭壇の前に頭を下げるのです。贖罪の祭物の前には、その国の君主も頭を下げるようになっています。今後、統一教会は、民族全体がそのようにする基準を築かなければなりません。それができなければ、統一教会の使命は完結されないのです。

 

 

 

10 韓半島が南北に分かれたのは、解放直後にキリスト教と先生が一つになれなかったからです。キリスト教と国が先生に反対し、先生と一つになれなかったからです。ですから、国の代表と教会の代表が先生を中心として分かれたので、その再蕩減基盤を築き上げてきた先生を中心として一つにならなければなりません。韓国の地域全体が先生に順応できる基盤、版図が既に連結されているのです。

 

 

 

11 神様は、人類の祖国たる韓国を保護し、祖国光復のために韓国動乱に世界のたくさんの国を動員させました。祖国光復のための独立軍として犠牲になった人々が、韓国動乱の参戦勇士たちでした。韓国動乱は、神様の摂理から見るとき、祖国光復のために血を流させるための世界的な動員でした。韓国動乱当時に、イエス様が空中に現れたという話も、これを後押しする材料です。そして、イエス様の顕現とともに、韓国動乱は、神様の聖殿を取り戻すための偉大な戦争なのです。また、韓国は、摂理的な意味をもつ国として、ここに真の父母が現れれば理想的な祖国になるので、祖国光復のために天が民主世界のキリスト教思想をもった国家を動員して戦うようにしたというのです。

 

 

韓半島と環太平洋文明

 

12 エジプトを中心として形成されたナイル川文明が、地中海を中心とした半島文明のギリシャ文明を経て、ローマ文明で結実しました。それでは、どうして文明は、西欧圏で循環しなければならないのでしょうか。堕落のために、そのようにならざるを得ません。本来は、アジアを中心として世界統一文化を形成しなければならなかったのですが、人間が堕落することによって、その反対の立場から出発しなくてはいけませんでした。それは、原理的な観点に一致します。

 

そうして、ナイル川を中心として形成された地中海文化圏である口ーマ文明圏を経て、島国のイギリスが近代西欧文明、キリスト教文化圏を中心とした近代文明形成の揺りかごの地になったのです。しかし、それはそこでは定着できません。それは、いずれ一周してアジアに戻ってきて統一文明圏を形成しなければなりません。そうなることが神様のみ旨なので、そのような結果に到達しなければならないというのは、当然の結論です。かくして世界的な奇跡を遂げ、近代文明を形成したアメリカは、太平洋をつなぐ太平洋文明圏として、アジアと連結しなければならない最後の道が残っているのです。

 

 

 

13 西洋文明と東洋文明は、いつ一つにならなければならないのでしょうか。また、どこで一つになるべきでしょうか。島国で一つになるのではありません。半島で一つになるのです。このように見るとき、アジアにおける半島国家として、最も微妙な立場にある国が韓国です。韓国周辺を見ればロシア、中国、日本、アメリカがあります。「歴史は今から太平洋文化圏時代に移る」と、学者たちが言っています。世界の政治、経済、歴史学者たちが「そのような時代が来る」と言っているのです。

 

 

 

14 文明は、半島を中心として発展します。半島を中心として、海洋文明と大陸文明が交流し、連合して文明が発展します。ですから、ギリシャ半島やイタリア半島、スペイン半島を中心として文明圏が発展しました。

 

今、世界史的に問題になっている半島とは、アジアにある韓半島です。ですから、世界の大運勢によって西洋文明と東洋文明が調和していくのですが、この二つは、いずれ一つにならなければなりません。これがどこでぶつかるのでしょうか。世界的な運勢を中心とした太平洋文明圏内において、中心となる島国と半島と大陸が連結された所でぶつかるのです。このような環境的中心地域として、要塞地のような所が韓半島です。これは、地政学的に否定することはできないのです。

 

 

 

15 韓民族の試練は、この民族自体だけのものではなく、摂理的なものであり、神様はこの民族がそれを克服することを待ち望んでいらっしゃいます。世界史の総合的遺産であると称することもできる東と西、南と北、精神と物質、唯心と唯物の対決と混沌が集約され、この韓半島においてひしめき合っているのも、ちょうど新時代を宿した妊婦の苦しみのようなものです。

 

韓民族の民族的、国家的困難は、神様のみ旨と摂理を離れては解決できないものであり、韓国単独ではなく世界との関係の中においてのみ、解決は可能であると見るのです。今こそ韓民族は神様のみ旨を悟り、神様が世界の精神界を指導する目的で遣わされた方に従い、苦難を乗り越えなければならないのです。

 

 

 

16 世界文明は、間違いなくアジアに訪れてきます。太平洋文明圏の時代が到来するというのです。今日、社会科学を研究する著名な学者たちはもちろんであり、科学界の学者たちまでも、「太平洋文明圏の時代が来なければならない。歴史的帰趨はそのようになる」と主張します。先生は既に四十年前から、「太平洋文明圏時代が来る」と教えてきました。それがどの国に行くかということは、誰も知りません。先生は、大韓民国が主導しなければならないと見るのです。

 

 

 

17 今から太平洋文明圏が訪れます。アメリカ、日本、韓国、中国、ロシアを中心として争いの場が生まれざるを得ない、このような状況と文明と文化の背景において、準備しない国は後退するのです。そのような先端に立って準備をした男が先生です。ですから、日本を結び、アメリカを結び、中国を結び、ロシアを結びました。そのような先生とアメリカの人々が、手をつないで一つになって大きな仕事をすることは、今後、アメリカと世界、太平洋文明圏において共同運命圏を勝ち取っていく一つの条件になることを考える時、希望的なのです。

 

 

 

18 今の時は太平洋文化圏時代です。歴史は、河川文化、地中海文化圏を経て大西洋文化圏を回って、今、太平洋文化圏を中心として宇宙空間文化圏に跳躍する時代が訪れつつあります。これをいかにつないでいくかということが、世界の政略家たちが模索する問題ですが、彼らによって解決されることはありません。先生が世界で立派だという政治家たちをみな集めて、数多くの国際的な会議をしました。彼らの結論は、先生の思想だけがこの時代の希望だというものです。

 

 

 

19 半島の国は、いつも歴史文明の発祥の地です。新しい文明を誘導できる起源地だというのです。ギリシャがそうであり、イタリアがそうでした。世界的な立場において、あらゆる文化を総合できる一つの歴史的使命を果たしてきたのです。東北アジアにおいては、韓国が重要な立場にいます。キリスト教文化圏を中心として、アメリカを中心として世界を制覇できるその保護圏内に韓国が生まれました。ですから、ローマ時代のキリスト教を中心とするイエス様の時代を蕩減しなければなりません。ローマのような世界的な基盤を中心として、キリスト教を中心として、属国のような立場が大韓民国だというのです。

 

 

南北統一は真の愛で

 

20 二十一世紀に期待するビジョンとは何でしょうか。それは、平和の世界、統一の世界、一つの世界です。世界も、一つの新しい平和の世界、統一の世界を望んでいて、私たちの民族も南北統一を望んでいます。

 

さらには、「私」自身はどうでしょうか。いくら世界に平和が訪れたとしても、私たちの国が分断されて危険水位を越える立場にあるならば、私たちの国は世界平和とは関わりがないのです。また、南北統一がもたらされたとしても、私自身において心と体が葛藤する立場にいるとすれば、南北が統一された平和の大韓民国も、私には理想の国家となることはできません。ですから、世界の平和の前に国の平和を準備しなければならず、国の平和の前に個人の平和を準備しなければならないのです。

 

 

 

21 統一教会は、国よりも先に、民のために闘わなければなりません。民族のために闘わなければなりません。ところが民族を見るとき、南北に分かれています。民族が分かれていれば、主権があるといっても、一方的な主権にしかならないのです。何よりも重要なことは、韓国と北朝鮮を凌駕する民族的精神基準を、どのように一元化させるのかということです。これが、今後の統一教会が力を入れるべき課題なのです。

 

 

 

22 神様が願われる国が取り戻されれば、世界復帰は一瞬のうちにできるのです。一つの国から三つの国を越える時には、四つの国になります。そうすれば、世界に四位基台国家の形態が整えられるので、サタンが侵犯できない四方の防御城が築かれるようになります。その時に、初めて平和の世界、天国の沃上が形成されるのです。それが統一教会の求めていく本郷です。そのために、私たちの情熱を捧げ、私たちの若い生を投入するために集まった群れが統一の群れです。生の路程を塞いでいる悪の勢力が手ごわくても、それを粉砕し、解体して、くまなく根を抜いてしまい、一時に遮断することを決意し、誓う人々が統一の群れなのです。

 

 

 

23 指導者は、食口たちを強力に追い立てて、現実生活において、より理想的な構造をもつ実績を築き、その価値を高めなければなりません。統一教会は実績を通して国家や世界が公認できる基準をつくらなければなりません。これをつくることができなければ、神様のみ旨も何も、成し遂げることはできません。

 

そのような意味で、韓国を訪れる縁と国運、あらゆるものと向き合い、私たちが国家を救おうという新しい信念と絶対的な信仰をもちながら、「世界を救うまでは死ぬことができない」と考えなければなりません。そのような信念が結合した運動をすることによって、統一教会を中心とする主体的な思想が韓国の地を動かし、北朝鮮の地を動かすならば、国は滅びても世界を救うことができる道は残ります。ですから、先生は、国のために愛国、愛族の思想をもって歩む統一教会を共産党が見て、自分たちよりも優れていると認証できる材料が必要だと長年にわたって主張しているのです。

 

 

 

24 血のにじむ歴史的な道を開拓してきたその生活は、悲しく悲惨でしたが、それが自分の一身の幸福のためではなく、民族の解放と世界の平和のために天の使者としてそのようなことをしたとすれば、これは永遠に歴史に残るでしょう。その実績が高らかに光り輝く時に、この基盤を通して韓半島の解放はもちろん、アジアの新しい解放の鐘の音が鳴り響くのであり、世界解放の気運がここから湧き上がってくるのです。

 

 

 

25 先生は、北朝鮮の地に入って、たくさんの苦労をしました。しかし、先生は怨讐に追われ、興南収容所でとらわれの身になって凄惨な拷問を受け、肥料工場に行って死の峠を越える重労働もしましたが、「私は滅びない。私の命令に従って、私の燃えるこの心情を受け継いだ世界のすべての若者たちが、爆発するような燃える心を抱いて北朝鮮の地に向かって総進軍する一時が来るだろう」という、このような思いをもって過ごしたのです。

 

 

 

26 先生が三十八度線を越えながら、神様のみ前に祈ったことがあります。「お父様、この三十八度線を再び越える時には、大韓民国が越えてこなければなりません」と涙を流しながら祈りました。先生はいつも、その時に決意した内容を忘れずにいます。それで、故郷の地を恋い慕いながら三十八度線を越えましたが、平壌にまで行っても故郷には行きませんでした。行くことができませんでした。先生自身が誓った使命を果たすことができなければ、死んでも故郷に行くことができないのが先生の運命です。それで、監獄から、あるいは悲惨な運命の道で裏切られ、民族が怨讐視する道を経て、今日、これほどの基盤を築いたのです。

 

 

 

27 私たちの最後の決勝点、決勝線はどこでしょうか。それは三十八度線です。これを越えなければなりません。これが、統一教会がぶつかって越えるべき最後の決勝線です。それを越えるためには、誰にも負けてはいけません。私たちは、共産党以上にならなければなりません。そのいかなる宗教もついていくことのできない、そのような実績を備えておかなければなりません。私が三十八度線を越えながら天のみ前に決意して祈った基準が、そのようなことでした。

 

私の故郷の父母、兄弟に会うことができずに、韓国の地に来ました。監獄の鉄格子の扉を開けて出てくるその日、「お母さん!」と叫んで走っていきたいと思い、私のために犠牲になった兄を訪ねて会いたいと思い、犠牲にした兄弟たちに会いたいと思ったのです。その思いは人間として、動物ではない以上、誰にでもあるものですが、その道に背を向けるしかありませんでした。二日以内に行くことができる距離でしたが、それまでに縁をもった人々を収拾して、北朝鮮に背を向けて韓国の地に向かってきたのです。

 

 

 

28 先生が三十八度線を越える時、南北統一を自分の手で成し遂げようと決意したように、皆さんも家庭に入って、一族を中心として決意しなければなりません。父と母が祝福家庭なら、さらに良いのです。三代を中心として、息子、娘まで抱いて、私たちの家庭がいくら困難な恥辱の道を行っても、南北統一とアジアの統一は自分の手で成し遂げよう、と誓う時になったことを知らなければなりません。

 

 

 

29 私たちの課題は祖国統一です。これは、私たちの宿命であり、私たちが生涯を捧げて成し遂げるべき終生の聖業です。先生は今まで、神様のみ旨に従って統一の聖業を成し遂げようという一念で生き、残りの人生も、ただ神様のみ旨を成し遂げる一念で生きていくでしょう。

 

統一を念願する韓半島の七千万の同胞は、今から葛藤と闘争を終息させ、和解と愛で民族の同質性を回復することに民族を挙げて立ち上がることを願う次第です。銃刀を溶かして鎌とすきをつくる時が今であり、今、統一祖国の明るい新世紀を迎える準備を急がなければなりません。

 

 

 

30 世界は、民主世界と共産世界に分かれていますが、民主世界は唯心史観なので心の側であり、共産世界は唯物史観なので体の側です。このように分けざるを得ません。この二つの世界が今、大きな波紋を起こしていますが、この波紋がどこから始まったのかといえば、皆さん自身から始まりました。皆さん自身がその波紋の種です。これが問題です。ですから、皆さんは、世界のどこかの政治家によってこの世界が統一されると考えてはいけません。

 

統一の方案は、どこにあるのでしょうか。それは、外部にあるのではなく、内部にあります。統一の方案は、「私」の心と体の争いを平定させて、心が先に立つようにしなければなりません。そのようにして、心が「行こう」と言うとおりに、私の体が行かなければならず、家庭が行かなければならず、社会が行かなければならず、国が行かなければならず、世界が行かなければなりません。このようになれば、統一は自動的に成し遂げられるのです。

 

 

 

31 南北統一は、単に今の国家だけの問題ではありません。これは、大きくいえば世界的な問題であり、小さくいえば個人の問題にも連結されます。世界の統一の前に、国家の統一がなければなりません。国家の統一の前に、家庭の統一がなければなりません。いくら夫婦が幸福を願っても、一つになれないときは、その家庭が幸福になれません。また、その家庭が幸福であることを願っても、「私」個人が幸福でなければ、その家庭の幸福も不可能なのです。昔の言葉で、「家和万事成(いえわしてばんじなる)」という言葉があります。最も重要なことは、夫婦が一つになって平和の家庭を築くことです。これがすべての解決の基点になるのです。

 

 

 

32 統一の方案は、どこにあるのでしょうか。他のために与えるところにあります。愛が宿ったものは、何でも喜んでもらいたいものなので、その良いものを永遠に与えることができる立場に立つようになれば、北朝鮮も統一されます。現在の北朝鮮の国民たちの生活よりも豊かな立場で、永遠に与えることができる基盤さえつかむようになれば、共産党の宣伝などは受け入れられないのです。彼らの生活水準より貧しいのに、与えると言ってはいけません。彼らが「受け入れない」と言うのです。より豊かな立場で与えなければなりません。

 

大韓民国が生きることのできる道は簡単です。大韓民国が経済分野、生活分野、知識水準などのあらゆる分野で群を抜き、永遠に与えることができる立場に立つようになれば、完全に一つになります。一つになってはいけない」と言っても、一つになるのです。

 

 

 

33 神様が先生を立てたのは、天倫の行くべき道のためです。生涯を通してその道を歩んでいくようにしたのです。共産党を滅ぼすためではありません。共産党まで救援しようというのです。先生は、アメリカのワシントン大会が終わったあとに、モスクワ大会の開催を宣言した時、銃や剣をもって宣言したのではありません。「私を引き下ろして、あなたたちの足もとに立てなさい。私は上がっていく」と言いました。上がっていくでしょう。南北の統一も、銃や剣を用いてはできません。神様のために生きる心情的基盤に従っていくのです。本質的な平和の路程を外れては不可能です。天運が和合してくれません。

 

 

 

34 神様の代身の立場で、北朝鮮の金日成主席を訪ねていきました。それで「神様に服従しなければならない」と言って、根底から揺さぶらなければなりません。別の方法はありません。「皆さんは『頭翼思想』と『神主義」に従わなければならないのであって、別の道はない!」と言いながら、はっきりと結論を下したのです。結局は、先生の責任を果たしました。生死の問題は天に任せるのです。今でも創造の能力を発揮できる神様です。神様は、神秘的な方法で役事されるのです。

 

 

 

35 個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、あらゆる思想界から反対を受けながらこの道を進んできましたが、今はみな克服しました。金日成主席までも克服しました。金日成主席のその壁を崩すのは、人間の力ではできません。天の愛だけが突き抜けることができるのです。今回、先生が知って歩んできたこの道が、真実であったことをはっきりと悟りました。ここでのみ完全な勝利があるのであって、そのほかには完全な勝利はないという結論を下すことができました。ですから、先生が行った北朝鮮においては、再創造の役事の奇跡が起こったのです。

 

 

 

36 今、南北に分かれているのは、個人が神様の愛を通して、愛を中心として一つにならなければならないのに、一つになれなかったからです。夫婦同士も分かれています。このように分かれたものを、真の愛で統一しようというのです。父子の間も分かれ、兄弟の間も分かれました。民族と民族、同族同士血を流すのは、真の愛がないからです。しかし、世界的情勢を背負って現れたその基盤が、大韓民国と北朝鮮以上の基準を中心として現れる時は、大韓民国と北朝鮮は吸収されていかなければなりません。国家基準ではなく、世界的運勢圏内で南北統一圏が広がるようになるのです。

 

 

 

37 皆さんの家庭が氏族を中心として完全に一つになる時は、南北統一は問題になりません。政党、自分の派閥を中心とした政党政冶もまた、成り立ちません。組織が力です。誰が国を愛し、誰がアジアを考え、誰が天地を愛するのでしょうか。私たち以上にする人はいないと思います。大韓民国をどこに引っ張っていかなければなりませんか。愛の国に引っ張っていかなければなりません。権力の園ではありません。術策の園ではありません。真の愛の園に南北を引っ張っていく時、南北はここで統治されるのです。父母を中心とした兄弟の関係をもって消化しなければ、平和の世界は現れません。

 

 

 

38 祖国光復は韓国だけでありません。韓半島を中心として四大強国圏内にある各国家を愛の力で消化しなければなりません。それは、真の愛の力によってのみ消化することができます。これは永遠不変です。数千万年前から、私たちの先祖が願っていた愛です。この時代に数十億の人類が求めている愛です。今後、永遠に後代たちが、この愛を中心としてすべて一つになる共通分母が、国家の次元を越えて世界的につくられた時、神様の愛を中心として統治する世界を地上天国といいます。その世界をつくろうというのです。

 

 

 

39 三千里半島(韓半島)で、先生の精神が宿らない所はありません。統一教会の信者を通して、すべて投入しました。投入してみると、結実するのです。今は、名実共にこの歴史時代に現れる時になりました。私たちの主体思想は、金日成主席の主体思想や民主主義、共産主義の主体思想ではなく、神様を中心とした愛の主体思想なのです。

 

 

 

40 中心が曖昧な個人の没落を防止し、社会の没落を防止し、中心がない国家を防止し、中心がない世界を防止し、中心がない神様の摂理観を防止することのできるただ一つの公式軌道は、ために生きる原則です。これは、出発とともに終着点まで、神様の創造の世界から終着点まで、永遠に残る真理であり、原則であることを皆さんは覚えておかなければなりません。

 

 

第一節 真の父母様が構想された平和世界

 

 

天聖経  第十篇 目次 第四章 世界は平和のための構想

第一節 真の父母様が構想された平和世界

 

1 本来、人間始祖のアダムとエバが堕落していなければ、どうなっていたでしょうか。アダム家庭におけるアダムは族長になります。族長になると同時に民族長になります。また、国家の代表になってアダム王になるのです。ですから、この世界は、一つのアダム主義に統一されていくのです。

 

取るに足らない主義が出てきて世界を攪乱させているので、私たちはこのような主義を根こそぎすべて取り除かなければなりません。アダム主義、アダム言語、アダム文化、アダム伝統、アダム生活様式、アダム制度など、あらゆるものがアダム国家の理念制度にならなければなりませんでした。このような主義が「神主義」です。神様の心によって神様と一体とならなければならないので、「神主義」だというのです。

 

 

神様と平和世界

 

2 アダムとエバが堕落しなかったならば、祝福によって結婚式を挙げてくださり、神様が喜ぶ息子、娘を生み、神様が喜ぶ家庭を編成し、これを繁殖させ、氏族と民族を編成しようとしていました。これがさらに広がれば、その世界は「神主義」の世界であると同時に、アダム主義の世界なのです。その世界に理念があるとすれば、これはアダム主義の理念であり、そこに宇宙観があるとすればアダム主義の宇宙観であり、天宙観があるとすればアダム主義の天宙観であり、生活観があるとすればアダム主義の生活観なのです。そして、五色人種(あらゆる人種)が混じり合っても、そのようなことは問題ないのです。それは、環境によって異なったものなので、数多くの民族や皮膚の色の違いは問題ないというのです。それでは、どうして数多くの民族の言語が異なるようになったのでしょうか。人類始祖が堕落することによって、天が分立させたというのです。

 

 

 

3 本然の地とは、どのような所でしょうか。悪が宿る所ではありません。悪と絶縁し、あふれ出る本然の愛を中心として、永遠無窮に幸福を歌いながら暮らす、永遠の統一世界です。しかし、そのような所で生活した人がいたでしょうか。一人もいませんでした。歴史上で数多くの人々がそのような世界を追求しましたが、そのような世界は、この地上に立てられませんでした。「その世界はこのような世界だ」と言った人はたくさんいましたが、自らが実践して、そのような世界を成し遂げた人はいなかったというのです。

 

 

 

4 私たちが住みたい所は、天の国です。天の国で暮らしたいというのです。天の国には境界線がありません。天の国で使う言葉は二つではありません。人種の差がありません。人はみな神様の懐から生まれたので、人類は一つの兄弟です。神様を中心として見れば神様の息子、娘なので、すべてが兄弟であり、地上天国を中心として見れば民です。地上天国の国民です。民だというのです。

 

 

 

5 「共生共栄共義主義」の世界は、人類が望んできた理想天国の世界です。その世界は、絶対に独りでは成し遂げることのできない世界です。ですから、その世界は、独りだけでいる世界ではありません。「私」と言えば、必ず相対がいるのであり、また家庭があるのです。これは、観念としてのみ終わるのではなく、実際の生活において作用されなければなりません。生活舞台において、それを実際に表現できる世界が、正に天国の世界なのです。

 

 

 

6 人間は本来、堕落していなければ、神様が喜び、神様が好み、神様が楽しみ、神様が愛することのできる祖国をもっていたでしょう。本来は、そうなっていなければなりません。この地上が、この地球星が私たちの祖国でした。その祖国が地上天国なのです。そのようになっていたなら、神様を中心として始まり、神様の愛を中心として関係を結んだでしょう。神様がいらっしゃり、神様の愛がある限り、私たちが神様を知らないことはあり得ません。神様の愛を体験すると、神様の愛がどのようなものかが分かるので、万民が兄弟の関係を中心として一つの家族のように、一つの兄弟のように、一つの家庭を、大家族をつくったでしょう。

 

この地上天国で神様の家族として暮らした人々が行く所が、霊界の天上天国です。天上天国は私たちの本郷の地です。人間が堕落して以後、今までそのような地上天国が生まれず、地上に私たちの祖国が生まれなかったために、天上天国が空いています。天上天国に入った人はいないというのです。

 

 

平和世界は大家族社会

 

7 天国とは、主体的な神様の愛を中心として、すべてが一つになって和合し、互いに喜ぶことのできる家庭を世界的に展開させた所です。そこが、神様が理想とされる天国です。結局は、神様の愛を中心として大家族理念が調和する世界圏がつくられてこそ、天国になります。そうしてこそ、神様が構想された世界になるのです。

 

今日、世界は、これを夢に見ることもありません。そのような世界を知らずにいます。神様がこのような世界まで収拾しようとしていらっしゃるのですが、このサタン世界の僕が反対して天の法度に背いたので、その僕以上の一人の男性、サタン以上に高い立場で神様のために忠誠を尽くすことができる、僕以上の真の人が現れなければ、神様が手をお付けになることはできません。これが今日、堕落世界と、悪の世界と向き合われる神様の立場なのです。

 

 

 

8 神様は父母であり、人間はその国の民であるとともに子女の立場にいます。個人もそうであり、家庭もそうであり、氏族、民族、国家、世界がそうです。このように、神様を中心とした一つの主権下において、神様の実の息子、娘として展開された個人的家庭を中心として見る時、その国の主権とは、家庭を結びつける主権です。国の主権が家庭を代表した主権だというのです。

 

ですから、その主権は、数多くの個人から、数多くの氏族、数多くの民族がいるとしても、必ず主体的であり、相対的な立場に立っています。

 

そのように主体と対象の関係がどこでも形成される創造理想的な世界になることによって、そのような所には神様の主権があるので、「天の国だ」と言える横的な世界が形成されなければなりません。それが神様の創造理想でした。しかし、人類始祖が堕落することによって、根本的に破綻をもたらしたのです。

 

 

 

9 理想世界の体制は、どうなっているのでしょうか。家庭の体制を拡大したものです。その家庭の教本の原則に一致する心情圏を完成した人なら、どの家庭に行っても兄弟のように接し、息子、娘のように接するようになります。そうかといって、夫婦のように接しなさいという話ではありません。また、自分の祖父と祖母の年齢のような人は、自分の祖父と祖母のように接し、自分の息子、娘のような年齢の人々は、自分の息子、娘のように接するのです。どこかに行って、自分の息子、娘のような子女たちが通り過ぎれば、「来なさい」と言って、食べ物があれば一緒に分け合って食べるのです。このような世界をつくらなければなりません。ために生きる世界でなければ、平和世界が来ることができません。ために生きる哲学の論理を、生活哲学から生涯哲学に発展させなければ、この世の中に平和の世界が来ることはできません。

 

 

 

10 すべての人間が最後に行くべき共同の目標であり、行くべき共同の関門とは何でしょうか。国でもなく、世界でもありません。共産主義世界でもなく、民主主義世界でもありません。共産主義世界の前に、本然の家庭がなければなりません。また民主主義世界の前に、真の民主主義世界を創建できる本然の家庭がなければなりません。今までこれに対する秩序がどこにあり、ここに対する教育がどこにあり、ここに対する目的基準がどこにありましたか。このような決定的な基準がこの地の上に現れなかったというのです。これが現れるまでは、平和の王国、平和の理想国家、平和の国はあり得ません。

 

ですから、このような理想的家庭、本然の家庭、生きるべき家庭、出会うべき家庭、探すべき家庭がこの地球上に必ず現れて、人類歴史とともに運命を共にすることができる一時が来なければなりません。そうしてこそ、地に対する神様の摂理が成就されるのであり、安息の福地、安息の家庭が出発するというのです。

 

 

超国家、超民族、超宗教社会

 

11 神様が創造した世界に国境はあり得ません。白黒の人種問題は問題にならないでしょう。善悪の闘争も必要ないはずです。このような観点において、私たちが暮らす世界には、国境がないでしょうか。国ごとに国境があります。白黒の人種問題だけでなく、家庭において夫と妻、父母と子女の間で分裂が起きています。善人と悪人が闘っています。

 

このような現在の情勢において、来られる主は、国境のない国をつくり、人種問題を超越して世界を一つにしなければなりません。分裂した家庭を統一しなければならず、善悪が闘っているこの世界に平和の王国をつくらなければなりません。ですから、個人は家庭の前に犠牲にならなければなりません。国は、一つの世界のために犠牲になり、屈服していかなければなりません。このような道を模索しなければ、今後、訪れる一つの世界まで進む道が完全に断絶するのです。

 

 

 

12 宗教は、国家体制を越え、世界体制を越えなければなりません。そのような絶対的な力をもった宗教にならなければなりません。そのような真理をもった宗教は、堕落圏内でつくられたあらゆる制度やあらゆる風習やあらゆる国家やあらゆる氏族、血族までも、変化させる主体的な力をもたなければなりません。そこでは、アジアや西欧が別々にあるのではありません。そこに、国家的に分立し、民族的に分立し、氏族的に分立する現象や、不公平な現象によるサタンの起源があってはいけません。

 

それらが望む標準は、一つの国があるだけです。一つの民がいるだけです。一つの国土をもつだけです。それでこそ、神様を中心とした永遠不滅の一つの主権が形成されるのです。その国は、神様を中心として直系の子女たちが天命に従い、神様の命を受けたその王権をもって統治する国であるに違いありません。そこには、民主主義や共産主義はあり得ないのです。

 

 

 

13 今まで世界の数多くの民族、あるいは五色人種がつくった文化圏の世界を、すべて打破してしまい、一つの文化圏にしなければならないのです。言い換えれば、「神主義」的な家庭制度、「神主義」的な社会制度、「神主義」的な国家制度、「神主義」的な内容を備えた理想社会が展開されなければなりません。そのような主義が、堕落していない完成したアダム主義です。共産主義でも民主主義でもないアダム主義です。それは、「神主義」を求めていく過程なのです。

 

 

 

14 先生は、今から国連を一つにまとめなければなりません。国連を束ねて何をするのでしょうか。けんかをしてはいけません。そのモデルは、平和の国家になることができ、統一国家になることができるのです。超民族、超宗教、超人種、超文化圏を中心として、兄弟愛によって侍られる父母が、天下の大王陛下になるのです。アダム家庭が、家庭の王として、氏族王、民族王、国家王、世界王に発展していかなければなりません。ですから、王権が伝授されて続くようにしなければならないのが神様の摂理なのです。

 

 

 

15 宗教の中心とは何でしょうか。神様です。もちろん神様に対する名前はたくさんあります。しかし、名前が問題ではありません。その神様は、二人になり得ないのです。根源は一つなので、お一人の神様です。お一人の神様について語るとき、各国の言語が違うので一つの神様を表す名詞は異なって表現されますが、その本体は一つなのです。

 

神様が志向される目的は、宗教を通して現れます。ですから、どんなに数多くの教団があるとしても、その教団が行く道の目的は、一つの帰結点に帰着しなければなりません。その帰結点とは、平和と連結され、天国と連結される理念です。

 

 

 

16 人間がいくら平和の国をつくろうとしても、人間の世の中にある何かでは、世界的な平和の国を成し遂げることはできません。もし可能だとすれば、今よりも昔の多くの宗教人たちが精誠を捧げたことによって、既にその世界を成し遂げていたでしょう。

 

今日、人々は発達した科学文明の中で、実存主義、現実主義に立脚して、その理想を探求しようともがいています。皆さんは、私たち人間が希望する本郷の国、理想世界を成し遂げることができるでしょうか。皆さんの心と体が一つになれずに分かれていることが問題です。ですから、外的な体と内的な心が一つになれば、問題になることはありません。心と体が統一されているかという時、この体が怨讐です。心はまっすぐに行くことを願うのに、体は反対に行くことを願っているというのです。

 

 

 

17 天地を創造された神様は、善を中心として、個人と家庭、国家、世界、天宙を立て、神様が願われた愛を中心とした平和の世界を成し遂げようとされました。しかし、人間の堕落によって、このようなものをすべて失いました。そうして、神様が創造したこの世界は、真の個人と真の家庭、国家、世界、天宙となれずに、悲しみを伴った個人と家庭、国家、世界、天宙になりました。神様は今まで、これを復帰するために苦労してこられたのです。

 

そして、私たちの先祖も復帰のみ旨に従ってきましたが、どのようにすれば神様のみ旨に合うように個人が復帰され、家庭が復帰され、国家、世界、天宙が復帰されるのかということを知らずに来ました。先生は、真の個人から家庭、国家、世界、天宙まで、いかに復帰し、この天宙が神様の心情にいかに一致するか、という重大な問題をかけて、これを解決するために今まで苦労してきたのです。先生は原理を探し出したあとに、これがやはり人類に必要なものであることを知り、またこの原理でなければ、神様が創造理念を達成できないことを知りました。

 

 

第二節 共産主義の問題点と終焉

 

 

天聖経  第十篇 目次 第四章 世界は平和のための構想

第二節 共産主義の問題点と終焉

 

1 今日、世界は、共産世界と民主世界、カインとアベルに分かれています。世界的に分かれています。カインとアベルが争うことによって不幸を招きましたが、その歴史的な恨の血統を清算するためには、カインとアベル、共産世界と民主世界が分かれて闘う立場に立っていてはいけません。この地上に世界平和の王国が臨むことができないというのです。平和の父母がこの地に臨むことはできません。カインとアベルと同様の立場にいる共産世界と民主世界が一つになってこそ、この地上に父母の立場にある世界統一主権が降臨するのです。

 

 

なぜ共産主義が問題なのか

 

2 民主世界と共産世界は、反対になっています。民主世界は天を求め、共産世界は反対に向かっています。共産世界は物質世界を求めていきますが、民主世界はその反対の道に向かっています。民主世界は個人を中心にしていますが、共産世界は党が主管しているのです。民主世界は自由と愛と平和を中心としていますが、共産世界は脅しと銃剣を中心として強制的に主管しています。二つの世界が今、反対に広がっているのです。

 

 

 

3 民主世界は心の主義です。そこには、それでも同情があり、未来があります。また、そこでは平和を論じます。しかし、共産主義の理論は、唯物弁証法による闘争を主張します。彼らは、闘争過程が発展の要因であると言っています。そこには平和があり得ません。理念が違うというのです。

 

 

 

4 今日の世界は、体と物質のために闘う世界です。どんなに経済学、科学、思想が発達するとしても、それが人類に平和をもたらしてはくれません。それではできません。心の世界に入って、この肉体と物質を再鑑別することができる、ある主義や天的な動きが歴史的な終末時代に現れない限り、この世界は滅びてしまうでしょう。

 

今や、天が必ず一つの中心を決定すべき最後の時代に直面しました。このような時代に暮らしている私たちは、この多くの問題をどのような立場で解決し、清算すべきなのでしょうか。この問題が世界的に起きて二つの思潮として現れたのですが、その一つは唯物史観であり、もう一つは唯心史観です。はっきりと分かれて現れたのです。物質と共に、体と共に行けば滅びます。ですから、神様と共に清算しなければなりません。ここにおいて、私たちが提唱すべきものは心ですが、この心の主体は誰でしょうか。心の主体は神様なのです。

 

 

 

5 民主主義は民主主義なりに、共庭主義は共庭主義なりに、自分たちを中心として平和世界に到達しようとします。共産主義は、今から完全に地上から消えていく時代に入っていきます。これは、摂理的に見ても、また歴史的に見ても、そのようになるしかありません。共産主義がなくなれば、民主主義はどうなるのでしょうか。民主主義世界においても、「共産主義世界がなくなったので、今からは民主主義の時代が来る」と考えます。自分たちが主導権をもち、世界を支配し、民主主義が希望だと考えていますが、共産主義の滅亡とともに、民主主義自体も、そのあとを追いかけ、急激に落ちていくのです。

 

 

 

6 今までの共存は、相手をお互いに否定しようとする闘争が継続する状態での共存です。互いが平和を維持しながら、互いに良い状態での共存ではありません。このような観点から、唯心史観と唯物史観の闘争は、根本から解決しなければなりません。これを解決しようとすれば、善をどの位置に立てるのでしょうか。まず原則的な基準をしっかりと立てたのちに、その基準を中心として、あとのものを処理しなければなりません。

 

 

 

7 先生は、カイン圏である共産世界とアベル圏である民主世界を統合した基盤の上に立たなければなりません。ですから、これらが一つにならなければならないのです。心と体が拡大した世界が民主世界と共産世界です。一つは「心主義」の世界であり、一つは「体主義」の世界です。これを合わせた基盤の上に立たなければ、世界平和の扉を開けることはできません。これが原則です。これが個人の体から、家庭、社会、国家、世界にまですべて連結されるのです。

 

 

 

8 共産主義の論理を見ると、「世界は闘争過程を経て私たちが指向する一つの理想世界に到達するのだ。それは絶対的だ。党の命令はどのような命令よりも絶対視しなければならない」と言うのです。それが善の側に立ち、自由と幸福と平和をもたらすことができる側に立ってそのように言うのであれば分かりませんが、共産主義の本質的内容を見れば、これは、とても想像できない内容をもっています。自分たちの目的を達成するためには、手段や方法を選ばないのです。自分の父母も、自分の国も、自分の同志も、その行く道に障害になれば切るのです。そうして、七十年の歴史を経た共産主義は、世界の問題として登場しているのです。

 

 

 

9 共産主義が追求するものとは何でしょうか。闘争の結果によってもたらされる平和の世界です。その平和の世界は、今日、民主世界でいう平和とは違います。平和に背くあらゆるものは粛清するのです。共産主義思想に背くあらゆるものは粛清します。反動分子だというのです。ですから、反動分子をすべて切ってしまい、反動分子がいないようにした、その世界の平和を言うのです。民主世界とは異なるのです。今日、ソ連が平和を主張しますが、その平和は、マルクス・レーニン主義を中心として、そこに背くすべての反動分子たちを粛清してしまい、マルクス主義一辺倒の立場で反対する群れがいない境地を言うのです。

 

 

 

10 共産主義とは何でしょうか。神中心の主体も認めない、対象も認めない、方向性もない、目的性もないというのです。この中でどれか一つでも認定すれば、すべて崩れ去ってしまうのです。ここでは、主体と対象の関係を闘争関係として見ています。闘うことで一つになるというのです。そのような道理がどこにありますか。「女性と男性が闘って一つになる。心と体が闘って一つになる」というのです。

 

彼らはまた、主体と対象においても、「物質が先であって、心が先ではない。心は物質から派生した」と言います。逆さまにひっくり返してしまいました。「発展は闘争だ」と言いながら、闘争の方向を取っています。平和の方向ではありません。「統一は血を見なければならない。血を見て統一される」と言うのです。これは、歴史発展の原則にも、宇宙の存在の原則にも違反するのです。

 

 

 

11 唯物弁証法は、すべてのものは闘争しながら一つになるというものです。もし資本主義世界がなくなり、資本主義体制が共産主義体制になるときには、闘争目標をどこに置くのでしょうか。その時に、平和の世界がただそのまま来るのかというのです。その時、ただじっとしていて理想的な共産世界が来るとは絶対に考えることはできません。もし、これ自体が飽和状態になって理想実現が不可能になるときは、必ずそれ自体の分裂が激しくなります。

 

もしそのような世界になるとすれば、霊界がその世界を黙って放っておくのかというのです。神様がいるとすれば、どのようにされるでしょうか。その世界になったとすれば、宗教がなくなります。宗教がない世界になるのです。そのようになった時、今まで宗教と向き合ってきた神様が、何もせずにじっとしているだろうかというのです。共産主義は、資本主義に対して閾争目標を立てると同時に、神様に対して闘争目標を立てています。宗教を闘争の目標に立てるのです。

 

 

 

12 共産主義が語る平和は、私たちと概念が違います。語彙的戦術を活用しているのです。「平和」といえば、私たち自由世界、民主世界の人々は、互いに意見が異なり、主張が異なり、目的方向が異なる立場にあっても、互いに和合して一つになることができる基準を探していきます。それが平和です。そのように一つになったものが平和だとみなすのですが、共産世界は違います。プロレタリア独裁政権に反対するすべての反動分子は、完全に除去してしまい、そこに相対的なものが現れない基準に立った平和なのです。

 

 

 

13 既にアメリカの行政府や軍隊や教会に、共産主義者が投入されています。ですから、無神論的キリスト教化運動を本格的に宣伝してきています。物質思想を中心とした共産主義思想の基盤のもとで、組織的な編成をしてきていますが、これを中心としては何も期待できません。行政府に期待することはできず、軍隊に期待することはできず、教会に期待することはできず、すべて期待することはできません。学者もそうであり、大学生も同じです。

 

ですから、仕方なく共産主義に対処できる思想的な基盤のもとで、新しい宗教運動を提示して、世界問題化させて希望を存続させる道しかないという結論が出てきます。ところが、共産党は、道理にかなった理想世界を願いません。暴力的な理想世界を願うというのです。目的のためには手段、方法を選びません。そのような世界化された基盤と向き合わなければならないのが先生の立場であり、統一教会の立場であることを考えてみなければなりません。ですから、思想的に向きを変えておかなければならず、生活的な感情を変えておかなければならず、行動の方向を変えておかなければなりません。

 

 

 

14 共産党や悪というものは、力が強いときはいつでも攻撃してきます。平和がありません。そのような意味から、先生が統一教会の若い人たちの心に火をつけ、未来において闘争という内心的な決意を誓わせるために、勝共運動をしたのです。力は力で制圧することができる基準になっていなくてはならないのです。だからといって、攻撃するということではありません。弱くなるときは、いつも侵攻しかねないのがサタンの本質です。平和だ何だと言うのは、彼らの戦略戦術です。急変する情勢が押し寄せてくるこの時に、韓国の国民たちがすべきこととは何でしょうか。生死の決断を下すことができる思想的な武装をすべき時が来たというのです。

 

 

 

15 唯物論を中心とした共産主義がいかにして出てきたのでしょうか。それは、歴史的に物質しか分からないこの体の闘争的内縁を拡大させ、世界的に結実させておいたものです。それが唯物論的世界観です。また、今日の民主世界は、闘う心と体において、心の側として実を結び、世界的に結実したものとして現れたのです。これが今、世界問題として対峙しています。いつも体が心を打って引っ張り回すように、終わりの日には、物質主義が心の主義を侵犯して死亡のどん底に追い詰めかねない危険千万な水位を越えるようになります。

 

このように見る時、二十一世紀に世界の統一も必要であり、一つの世界や平和の世界も必要ですが、「私」の心の中の奥深くに統一と平和をもたらすただ一つの方案を、いかにして探し出すのでしょうか。これが問題です。これが起源になっているので、ここから解決しなければ、すべてのものが水泡に帰すのです。

 

 

 

16 今日、世界情勢の状況を探ると、共産主義者たちは、三つの形態の戦争を繰り広げています。それは、思想戦、情報戦、宣伝戦です。アメリカは、大きくて強大な国家ですが、共産主義者たちと闘って勝つことのできる確実な政策をもっていません。アメリカの為政者たちは、共産主義者たちと対抗して戦うことを敬遠し、後退と譲歩を繰り返してきました。

 

ですから、アメリカと隣接した中南米の国々が共産主義者たちに操られ、アメリカの自由と平和を威嚇する段階にまで至ってしまいました。もし、共産主義者たちがアメリカの統治権をつかむとすれば、皆さんはどのようにしますか。彼らが今のように、皆さんに自由と平和を保障してくれると思いますか。先生は、そのような不幸な事態がアメリカでも発生する可能性があり、そのような兆候は既に、世界の至る所に現れていることを確信しています。中南米の様々な国々は、先生とその思想だけが未来の希望だと認識し始めました。今、統一教会の信徒たちは、アメリカを説得し、理解させなければなりません。

 

 

共産主義の終焉

 

17 先生は、共産主義が七十三年を越えられないことを、天理を通して知ったので、待ち望んできたのです。金日成主席とソ連の情報当局が、一九八七年十二月までに先生を暗殺する計画を完了していました。そのような事実を、アメリカ情報局を通して通告されていました。一九八七年、日本の赤軍派二十五人がニューヨークに投入されてから、捕まって吐露した事実です。そのようなソ連が、統一教会の真理を調べてみると、これこそ素晴らしいものであり、ソ連に新しい希望を与える真理だということを知るようになったのです。

 

 

 

18 先生は、スイスのジュネーブで開かれた「世界平和教授アカデミー」の大会を中心として、「一九八五年八月十五日になる前に、ソ連の滅亡を宣布しなさい」と言いました。三百五十人の世界の学者たちとソ連研究の専門家たちを集めて、ソ連は滅亡せざるを得ないと宣布してしまいました。そのような条件を立てなければ、ソ連が下降していくことはできないのです。

 

 

 

19 先生は、共産主義を終息させるために「ソ連帝国の滅亡」という主題で、一九八五年に「世界平和教授アカデミー」を中心として大会を行いました。この時、ソ連は破竹の勢いのある時期でした。一九八五年にはアメリカを乗っ取ろうというのがソ連のプログラムでした。

 

その時、カプラン博士がダンベリー刑務所に訪ねてきて、「ソ連帝国の滅亡という話を露骨にしないようにしましょう。多分(メイビー:maybe)、そうなるかもれない、という言葉を入れましょう」と言いました。

 

それで、先生が「ソ連帝国が五年以内に滅びたらどうするのか。責任をもつのか。見ていなさい!」と言って、そのまま滅亡を宣言したのです。そうしたのですが、五年目に滅びたのです。

 

 

 

20 闘って発展するものはありません。闘えば、必ず二つとも落ちて、下降していきます。闘争して発展するという共産主義は、七十三年もちませんでした。先生は、既に一九五〇年代から予言していました。「共産主義が七十三年を越えれば、私を好きなようにしなさい」と言いました。ちょうど七十三年目にきれいに滅亡しました。闘いを助長する人は、必ず現在の基準を破綻させるのです。転落させるのです。闘争概念というものは、発展的動機がありません。現在以上の基盤を築けないのです。

 

 

 

21 先生は、思想的な体制を中心として、四十年間闘ってきました。共産党が滅びるので、共産党を捨てる時には、何を得ようとするのでしょうか。共産党に積極的に反対してきたものを得ようとするのです。それしかつかむものがありません。それが転換時代の立て札にならざるを得ないというのです。

 

ですから、自由世界が反対し、共産世界が反対しましたが、少しも揺らぐことなく今まで闘ってきたのです。また、モスクワに行って、「共産党は滅びる」と宣言し、神様を紹介しました。ソ連が今後、神様を求めるためには、先生が話したその基準を中心として求めなければなりません。今までのギリシャ正教や既成宗教の観点とは根本的に違います。神様を現実的生活の中心に登場させておいたというのです。そのような面で、歴史的な宣言をしたのです。

 

 

超理念時代のビジョン

 

22 一代はもちろん、十代、あるいは百代、千代、さらには人類の最初の先祖から、今後、来る数多くの子孫まで、永遠に感謝できる主義、思想がこの地に現れるとすれば、その思想によって世界は征服されるのです。過去の数多くの聖人、賢人までも感謝、感激できるその何かがあるとすれば、霊界も協助するようになります。そして、この時代の数多くの人間も、そのような思想と理念があるとすれば、感謝、感激せざるを得ないでしょう。それが、今の時代で終わるのでなく、過去から現在、未来まで連結されるに違いありません。そのような内容を私たちが探ってみる時、これが何によってそのようになるのでしょうか。このような観点から、統一教会が特に主張するのは心情なのです。

 

 

 

23 歴史を総合して見ればローマ教皇庁を中心とした神本主義も失敗し、人本主義である民主主義も失敗し、物本主義である共産主義も失敗しました。ですから、神本主義と人本主義と物本主義をすべて合わせることのできる超国家的、超理想主義的な世界があればどうだろうか、という考えをもつようになるのです。それを総合できる思想的体系が必要であるのと同時に、宗教的体系が融合した一つの道が絶対に要求される時代圏に移りつつあります。

 

ですから、思想も必要ですが、宗教主義も必要です。神様を中心とした、人間以上のものが必要だからです。人間では駄目です。世界の歴史のあらゆる政治的趣向がこのような方向に移っていくので、ここで統一教会がそれを統合するための道を模索して、発表するのが「頭翼思想」なのです。

 

 

 

24 これからは、共産世界でもなく民主世界でもない、新しい世界が現れなければなりません。私たちの心を主とした、神様を尊重する世界がこの地に現れなければなりません。死亡の体を越えて、私たちの心が渇望する希望の世界がこの地に現れなければならないというのです。その時が正に私たちが渇望する平和の王国時代であり、私たち統一教会員が主張する地上天国時代なのです。

 

 

 

25 今まで民主世界と共産世界は闘争してきました。それで、共産世界の怨讐は民主世界であり、民主世界の怨讐は共産世界だといいながら、お互いに減ぼそうとしているのです。このような世界においては、私たちが願う平和は現れることができません。ですから、ここで必然的に要求されるものとは、心と体を一つにした新しい運動です。心が絶対的に、完全に体を管理できる一つの勝利的基盤を築くための新しい運動が、この地上に展開しなければなりません。そうして、それが民主世界を抱き込んで、さらに共産世界まで抱き込むことができなければならないのです。

 

 

 

26 なぜ左翼が現れ、なぜ右翼が現れたのでしょうか。右翼と左翼が現れるようになった起源は、どこにあるのでしょうか。それは、政治家たちがそのような名称を付けたくて付けたのではありません。歴史的蕩減路程を再現させて、これを抜け出すことができなければ、イエス様が解放されないからです。右翼と左翼、バラバまで一度にイエス様の前にひざまずき、「あなただけが栄光の勝利者であり、最後の勝利者だ」と賛美できるそのような世界になってこそ、平和の天国が開門されるのです。

 

 

 

27 歴史の進展過程を見る時、宗教統一運動と勝共運動をせざるを得ません。宗教の統一運動と、共産世界と自由世界の統一運動をしたという証拠を残すのです。右足には「統一原理」、左足には「勝共理論」を中心として、「統一思想」の人として立って「私はここにいる!」と言うようになる時、神様の息子になり、そこから新しい理想と地上天国が始まります。先生は、地上天国を行進していくのです。神様が「どうなったのか」と尋ねれば、先生は「あらゆることを終わらせました。私たちも平和の世界を願っていました」と答えるでしょう。

 

 

 

28 今、東西問題を中心として見たとき、民主主義が勝ったと思わないでください。民主主義は何もありません。民主主義は、政治形態の一つです。思想的基礎は何もありません。今、思想の空白期に入りました。これから、私たちの思想を教育しなければなりません。「神主義」と「頭翼思想」を掲げていかなければなりません。それをもって、制度化して引っ張っていく機関が必要です。

 

単に統一教会だけでは駄目です。それを統一教会が引っ張っていけば、統一教会の教理になります。また、勝共連合を中心としてすれば、共産主義に反対する、偏った立場の団体理念になります。ですから、大きな枠を中心とした「世界平和連合」を中心としてするのです。第一次世界大戦以後には国際連盟ができ、第二次世界大戦以後には国際連合ができました。新しい世界を収拾するための世界機構として、政治の方向や知識層の人々を収拾することができなければなりません。それを収拾する新しい指導理念を満たしていかなければならないのです。

 

 

 

29 統一教会は、アメリカや共産主義と何が違うのでしょうか。アメリカは、人間中心の平面的な基準の国々を中心として民主主義を主張し、共産主義も、やはり平面的な基準の世界平和を主張してきました。アメリカは、キリスト教文化圏だと言いますが、神様を絶対主体として立てるのではなく、神様をなおざりにしながら、人間が先頭に立っているというのです。

 

しかし、統一教会は立体性をもっています。世界を一つの平和の世界につくり上げても、それが終わりではありません。それを一つの新しい宇宙平和の理念のための出発基点にするのです。これが恐ろしいのです。そこから神様の出動が可能です。そのような次元において、統一教会は、世界平和の基準を出発点と見ていますが、今日、平面理念を主張する民主主義や共産主義は、世界の平和基準を自分たちの目的にしているのです。

 

 

 

30 共産主義や民主主義は、形状世界(地上世界)の平和や形状世界の自由というものを求めてきましたが、性相世界(天上世界)の平和と自由は知らずにいます。形状は変わっても性相は変わりません。形状的にはいつでも変化がありますが、変質する道はないのです。形状的な変化の形態を取れば発展するのです。しかし、本質的な変化はありません。性相は変わらないからです。

 

性相と形状が一つになる基準から見るとき、統一教会は、地上の平和や地上の統一という概念を、性相世界に向かって出発する基点として見るのです。今日、この世界は、形状世界の平和と自由を論じていますが、私たちは、それを中心として性相世界を願うので、自由世界の終着点が、性相世界に向かう出発点になると見るのです。

 

 

 

31 現在の共産世界や民主世界を見る時、二大対決時代は過ぎ去り、今は融合時代がやって来ました。しかし、平和を主張する時代は来たのですが、その平和を成し得る内容が明らかではありません。この世界は、混乱の渦中にありますが、これを克服する内容を提示できる未来像がありません。共産主義は、理想世界を実現しようとしましたが、その夢がみな崩れました。民主世界もそうです。現在の民主世界をアメリカが主導していますが、世界の平和的終着点に到達するには、あまりにも遠い立場です。むしろ、その希望の基準が坂道から滑り下りていっているのが現状です。しかも、青少年たちが腐敗して「人種之末」(人として最低の無法著)の段階に至ったので、未来像はあり得ないのです。

 

 

第三節 国連と世界平和

 

 

天聖経  第十篇 目次 第四章 世界は平和のための構想

第三節 国連と世界平和

 

1 第一次世界大戦以後に、世界は国際連盟を中心として、平和の世界、戦争のない世界に向かうと思っていたのですが、三十年もたたずに戦争が起こり始めました。しかし、平和を追求する人間の本性の欲求は不変です。死んでも平和の世界に行こうとするのです。それで、第二次世界大戦以降には、国際連盟を解体したあと、国際連合をつくり、「全人類は兄弟である」と言って、戦勝国家が敗戦国を独立させ、兄弟圏として保護、育成する時代に入ってきたのです。

 

今や、冷戦を通じた戦いは終わりました。第三次世界大戦は思想戦です。ソ連とアメリカは、お互いに戦うことを恐れています。これからは、嫌いであろうと好きであろうと、平和のために「世界はこのようにならなければならない。神様はいる!」と主張しなければ、収拾する方法がありません。そのようなことを知った先生は、神様の絶対価値を基盤として世界観と宇宙観を編成し、神様まで解放できる論理を体系化してきたのです。

 

 

国連刷新と世界平和

 

2 今、平和のモデル国家をつくらなければなりません。このことを始めて、世界の統一を完成しなければなりません。国連に命じて、世界の様々な国を引っ張っていくことのできる立場に立てなければなりません。「世界平和宗教連合」や「世界平和連合」、「世界平和教授アカデミー!」など、すべて「平和」を入れたのは、国連を目標にしたからです。先生は、数十年前から準備してきたのです。本来は、国連を標準として従っていくようになっています。人類の平和は、国連が主導しなければならないのです。

 

 

 

3 個別の国家を中心として進んできた世界が、平和世界に向かうためには、一晩ではできません。長い期間を通して進んでいかなければなりません。何かを転換させるには、一つの標本がなければならないのです。「なるほど、あのようにすれば国が発展するだろう!」と言うことのできるモデルがあるなら、それを国連が宣伝して、国家が支援できる環境さえできれば、すべての国がついていくようになっています。それで、今、先生がしていることを、発展途上国が歓迎しているのです。先進国は、G7G8 など、何カ国にもなりません。それ以外は、すべて後進国家型になっているので、国連が主張する平和的モデル国家形態があるというときには、それ以下のすべての国家は、一つの方向に自動的に向かっていくのです。

 

 

 

4 今の国連では、世界平和をもたらすことはできません。国ごとに、自国の利益を得るために争っています。それではいけません。良心的ではありません。ですから、良心を中心とした宗教連合と現在の国連を合併させるのです。その背後にエバのような「女性連合」がいます。本来、世界平和は、女性が中心にならなければならないのです。そのようにしなければ、争ってばかりいます。女性が真ん中でカインとアベルを抱くような組織をつくり、女性を中心として、全世界に平和の雰囲気を造成するのです。

 

 

 

5 世界平和を誰が主導すべきでしょうか。天が主導しなければなりません。宗教圏も政治圏も、天が主導しなければなりません。先生が主唱するのが宗教圏国連です。その次に、女性国連を主唱するのです。これは、間違いなくできます。このようになれば、現在の人類は、神様のプログラム圏内に完全に引き込まれていくのです。

 

 

 

6 政治的立場では、世界を料理することはできません。料理する相手が政治圏です。政治圏はみな腐敗しています。家庭を中心として、この腐敗した事実を是正する道はありません。ですから、宗教が再び糾合しなければなりません。世界を糾合して平和の世界に向かうことができる近道、まっすぐな道を整えてあげなければならないのです。

 

 

 

7 国際連合は体です。体に心の世界をもってきて結びつけなければなりません。それが宗教圏の「世界平和宗教連合」です。宗教圏を結びつけてこそ、心と体が一つになります。その次には、母としての「女性連合」をもってきて、結びつけなければなりません。その次に、「青年連合」をもってきて、結びつけるのです。四大団体を国連にもってきて立てれば、今後、国連が平和統一をすることができ、一つの世界へ行ける方向を提示できるようになります。

 

 

 

8 今日の国連は、一つになるために新しい政治理想を成し遂げようと、一つの世界的な政治機構としてつくられましたが、その内部で一つになれない複雑な問題が、外的な問題よりも多くなれば、外的に一つになろうとすること、それ自体も崩れていきます。共産世界も、労働者と農民を中心としてすべて一つになろうと、外的には主張していますが、内的にはやはり分裂しているのです。

 

 

 

9 国連は、国の形態をもつことができませんでした。国連は政治風土に染まり、正常に機能していない状態になっています。家庭がつくられるためには、父と母がいなければならず、息子、娘がいなければならないのですが、国連には主人がいません。誰が誰なのかも知らないのです。平和の世界に向かう新しい国連の構想は、先生以外には立てることができません。家庭の王を中心として、失ってしまったすべてをここで接ぎ木することによって、一つの世界的な王権を中心とする国家になるのです。

 

 

アベル国連

 

10 今の国連はカイン的なので、アベル的な国連をつくらなければなりません。ですから、大韓民国は、大韓民国の責任者たちが責任をもちなさいというのです。今後、大韓民国が世界に行くことができる道を、ここでつくらなければなりません。先生は、大韓民国がどこに行くべきなのかを知っているのでほかの人々が夢見ることもできないことをしているのです。

 

 

 

11 平和のための国連機構のようなものをつくらなければなりません。今の国連機構は、頭だけがあるのであって、手足がない機構です。「世界平和教授アカデミー」というものをつくって、その看板だけつければ、国連総会もすることができます。「あなたたちは、国連総会で政治家たちだけが集まるではないか。私たちは、平和のための使節たちだけが集まる」と言いながら、新しいアベル的な国連総会をつくろうというのです。現在の国連総会は、頭だけあって手足がないので、全身が麻痺しているのです。

 

 

 

12 今や平和の時代が来ました。アメリカが世界平和の先導国になろうとすれば、モデル国家がなければならないのです。南北を統一しなければならず、中東を統一できる道を、先生が国連機構を中心として提示するのです。既存の国連機構をカインの立場に立てて、新しい国連機構をつくってアベルの立場に立てて、カイン・アベルを中心として天のみ旨と一つになるようにしなければなりません。ですから、平和のモデル国家として解放されたそのモデルをもたなければ、平和を主導することはできないのです。

 

 

 

13 中国問題に関して、私たちが国連で三日断食の祈祷をしながら、台湾の加入問題を議論したことに意味があります。中国が問題だというのです。サタン世界で見れば、金日成主席の北朝鮮がアダム国家だとすれば、中国はエバ国家であり、ロシアは天使長国家です。ですから、反対に一つにならなければなりません。ロシアと中国と台湾まで一つにならなければなりません。「島嶼国家連合」や「半島国家連合」や「大陸国家連合」などによって、すべて束ねておいたので、それを国連に建議しようと思います。アベル的な国連をつくらなければなりません。現在の国連は方向感覚を失っているので、世界人類には必要ではありません。そのような時代に移っていきます。ですから、国連を中心とした統一王国時代に移っていきます。そのような条件を備えて、万全の準備をしたのです。

 

 

宗教国連

 

14 全世界に散らばっている宗教者たちが団結して、いかなる民族や主権も勝てない世界的な主権をつくらなければなりません。そうして、寝ている国連を目覚めさせなければなりません。今は、共産主義が反対すれば、国連は全く身動きがとれません。ですから、宗教国連を早くつくらなければなりません。そのあとで、左と右の世界を収拾して、神様のみ前に捧げることが宗教者たちの使命なのです。

 

 

 

15 今、神様のみ前に現れた家庭は、堕落した家庭です。堕落した世界を越えて堕落していない家庭になってこそ、神様の理想家庭が現れます。理想家庭が現れても、理想家庭から理想国連を中心として理想世界全体の体制を備えた新しい時代が来なければなりません。そこからモデルが現れるようになります。理想家庭を中心としたモデル世界になります。モデル世界は、家庭から出発しなければなりません。家庭から出発して、国家、世界を越えて、カインとアベルが一つになった超アベル国連がスタートするのです。

 

 

 

16 世界の国連形成と同時に、全世界の宗教国連になり、「外的な国も一つであり、内的宗教も一つにならなければならない」と主張していたなら、今日、統一教会が新しい宗教理念をもって現れても、反対してはいけないという時代に立っているでしょう。宗教国連と世界国連が一つになって、「一つの兄弟であり、神様のみ旨に真実に仕える孝子であり、国を愛することができる所がどこか」と言って探し、研究していたならば、統一教会は反対を受けなかったのです。「世界はこのような思想でなければならない」と言ったでしょう。

 

 

 

17 政治体制では国連が生まれました。その反面、宗教国連は生まれませんでした。宗教国連が生まれなければなりません。宗教国連を中心として国連が一つにならなければなりません。これが生まれないことによって、今日、共産党が入るようになってしまいました。その使命を果たせなかったために、このようになったというのです。それで、先生がアメリカのアイゼンハワー元大統領に会い、「あなたが外的世界の共産党を調整できる機構をつくらなければならない」と提案したのです。「共産党を防ぐための備えをしなさい」と言ったのです。

 

 

 

18 先生の計画は、今から宗教国連をつくろうというものです。全世界の宗教者たちが国連をつくらなければなりません。その次には、女性たちを中心とした女性国連をつくらなければなりません。なぜそうしなければならないのでしょうか。政治は体を代表したものです。これがサタン側の基地です。詐欺的なところが多く、だましてでも自国のためにしようというのがサタンの考えです。このサタン世界を調整するのは、心の世界であり精神世界です。この地の人類の中には、神様を信じる者がいて、神様を信じない者がいます。神様を否定する人と神様を肯定する人の二つの輩からなっています。神様を否定する人は人本主義であり、世俗主義であると同時に、個人主義に陥るのです。それは神様と関係なく、悪魔と関係があります。体の世界の国連がつくられているので、心の世界、宗教世界の国連がなければならないのです。

 

 

 

19 私たちが計画しているのが、超宗教国連をつくることです。超国家国連はあるので、超宗教、超国家、超NGOWANGO)を中心とする新しい文化創造を中心として、このような組織をつくらなければなりません。新しい宗教国連の中には、国家が入らなければならず、その次には政治、経済分野の人々が入らなければなりません。その次には男性と女性です。男性と女性が入らなければならず、その次には青年が入らなければなりません。そして、超教育連合をつくらなければなりません。ですから、一つの国の形態でやらなければならないのです。軍隊も今、NATO(北大西洋条約機構)を中心として、超国家的軍事連合をつくる計画です。

 

 

 

20 世界に宗教議会をつくらなければなりません。宗教者たちを中心として、一つの国をつくることができるので、サタン世界で闘っているものを完全に清算することができます。ですから、宗教議会を中心とした国連機構を編成することを考えています。それが話だけではなく、今、その仕事をしています。その次には何かというと、女性国連をつくろうというのです。それで、「世界平和女性連合」をつくっています。女性連合を中心とした国連機構をつくるのです。今後、女性連合が結成されれば、世界の頂上クラスの妻たち、大統領夫人、首相夫人、王妃、すべてが女性連合に入ってくるようになっています。彼らが入ってくれば、国連に送るのです。

 

 

 

21 宗教と政治は、怨讐関係だったということを知らなければなりません。これが国連にまで来ました。国連は、体の政治体制を中心とした世界の結合体です。ですから、全世界的なこの結合を否定できる時が来ました。今、先生が来て、心的なものを中心として、国連に宗教が加入しなければなりません。心と体が分かれましたが、体の国連があるので、心の国連がなければなりません。その次に、女性の国連がなければなりません。天使長側の男性だけを主とした国連ではなく、女性のための国連がなければなりません。エバを失ったので、エバを取り戻さなければならないのです。

 

 

第四節 超宗教運動と世界技術平準化

 

 

天聖経  第十篇 目次 第四章 世界は平和のための構想

第四節 超宗教運動と世界技術平準化

 

1 今までは、分裂的な基準に立っていましたが、今や、時は民族的な観念を超越し、天的に見れば兄弟社会国家時代に入るようになります。ですから、すべて、国連機構のもとに兄弟です。ところが、兄弟がけんかをするのです。カインとアベルが争ってきました。今や、平和的な兄弟にさえなれば終わるのです。それで、世界は兄弟という同等な立場にあるので、アメリカがもつ財産を分けようというのです。その財産は自分たちがつくったものではなく、父母から相続したので分けてあげるのです。残り物を分け与えれば与えるほど、災いになります。ですから、今の時は、必ず天を第一とした心情の世界にならなければなりません。

 

 

 

2 人類が生きるためには、白人と黄色人種が一つになって黒人を生かす運動をしなければなりません。そのようにしなければ、平和の世界が訪れることはできません。それを、これから統一教会がしなければなりません。霊界に行くようになるとき、白人が別々に行き、黄色人種が別々に行き、黒人が別々に行くのではありません。一つになるのです。

 

 

超宗教、超人種、超国家運動

 

3 神様の愛を「私」が所有できる栄光の立場を訪ねていこうとするので、怨讐までも愛するのです。神様には国境がないので、国境をなくさなければなりません。ここにおいてのみ、一つの世界が広がるようになります。ここにおいてのみ平和が広がります。ここにおいてのみ、霊界と肉界が一つになって、通じることのできる道が生じるのです。

 

 

 

4 人間を手先にして操ってきたいかなる主義、思想、いかなる宗教理念によっても、世界の平和と統一を成し遂げることはできません。このように、すべて道が塞がっているので、真の仏教徒も待ち望み、真のキリスト教徒も待ち望み、真の哲学者も待ち望み、真の思想家たちも待ち望む一つの理念、社会、国家、世界、天下を統一できる一つの理想が出てこなければならないのです。

 

 

 

5 今、一カ国主義の時代は過ぎ去りました。民族主義の時代は過ぎ去りました。人間がいくらあがいても、神様が行く統一の公式路程を完成するためには、一つの民族だけではいけないのです。連合民族、総合民族を通して成し遂げられるというのです。

 

一つの平和世界は、単一民族に従うのではありません。そして、宗教もやはり、民族を越えてアジアと世界、天地をすべて包容できる能力がなければならないという結論が出てくるのです。

 

 

 

6 世界的に教団が一つになって、今、平和の理想世界、統一された天国の世界を望むというとき、それは絶対的な神様の願いなので、二つということはあり得ないのです。絶対的な一つの世界であるはずなのですが、その世界を中心とした天国理念は、超国家的、超人種的にすべてのものを勝利して超えた位置で成し遂げられるのです。

 

 

 

7 宗教は今、天の国を追求し、理想世界と極楽を望んでいます。神様と人間が最大に幸福で、最大に平和な所を、平和の世、天国だというならば、その天国の主権者は誰かというのです。その主権者は神様です。その次に、その民は超人種的な民です。そこにおいては、髪の色や顔の色が問題ではありません。神様は、超人種的な国の大王なのです。

 

 

 

8 宗教者たちがすべきことは、平和の世界を成し遂げることです。一つの平和世界をつくらなければなりません。ムスリムでもクリスチャンでも、誰彼を問わず、皆が平和の世界をつくって、永遠に一つの希望的な人類として残らなければなりません。この思いだけは一致しています。

 

 

 

9 宗教を見ると、自分の教派第一主義を中心として、すべて排他的です。このような環境になっては、これから世界にとても困難な時代が来るというのです。これから一つの平和世界を構成するときに、宗教が何かの助けになるでしょうか。この宗教の壁を崩さなければ、宗教が人類の平和に莫大な被害をもたらすだろうと考えるので、超教派的なことをするのです。

 

宗教は、国境を越え、数千年の文化背景を超え、超民族的に信者たちを包容しているので、この壁を崩すのはこの上なく難しいことです。四大宗教であるキリスト教、イスラーム、仏教、儒教は、みな数千年の歴史を経てきました。これから、これらが対立して争うようになると、世界の平和は破壊され、人類は滅亡するというのです。このような各教団に、いかにして闘わずに一つの平和の世界に向かい、互いに交流しながら連合体制をとらせるかということが問題です。これは、私たち人間よりも、天が、霊界がそのように志向することを願うので、その願いに従って先生は、統一教会を中心として、世界的な運動を展開しているのです。

 

 

 

10 心と体、超宗教圏と超政治圏が一つにならなければなりません。超宗教超国家連合です。「超」というのは、今までの世の中とは異なります。今までは、横的な基準を中心として人間同士で考えたのであって、神様は含まれませんでした。しかし、超宗教には神様が入るのです。神様を中心として統一するのです。神様の願いは宗教の統一です。国家の統一です。ですから、国家と宗教を統一するのです。宗教と国家を統一して、心情一体圏で全天宙を代表した、天地を代表した、全体を代表した一つの結実体として、解放された地上に着地しようというのです。

 

 

 

11 真の家庭の神様の息子、娘、神様を中心とした家庭ならば、絶対的なその家庭自体が超教派、超宗派、超国家理念をもつのです。世の中にあるものを超越する超宗教超国家連合です。今までの宗教圏では、世界の問題を解決できません。今までの国家の名前では世界を収拾できません。「超」という言葉を入れて、超宗教、超国家をいうのです。神様を中心とした内情的な実像が、現実社会と一致できる実体的な基準を中心として、最適に体系化されるものが現れてこそ、解決方法になるのです。

 

 

 

12 「世界平和超宗教超国家連合」は、国連を動かすことができる最高の立場にあり、その責任を果たさなければなりません。統一教会が今から世界に対することのできる最後のプログラムがそれです。言論機関、その次には大学連盟、その次には金融界です。このように四つです。これは、最後にこの世界を収拾できる柱なので、「世界平和超宗教超国家連合」に属する問題なのです。

 

 

キリスト教とイスラームの和解

 

13 イエス様の死によって、左翼、右翼、バラバとイエス様の四大怨讐圏が対決するようになりました。再臨の時には、その世界が統一されなければならないので、左翼と右翼を一つにし、バラバ圏を一つにしなければなりません。イスラームとキリスト教を一つにして戻っていかなければなりません。このように、全体を取り戻して平和統一の道に戻っていかなければならないのです。しかし、右側のものが左側に行き、左側のものが右側に行くこともあるのです。反対したキリスト教が共産党に負けてしまう場合もあります。反対したキリスト教がイスラームに負けてしまうこともあるのです。

 

ですから、聖書の「先の者はあとになり、あとの者は先になるであろう」(マタイ一九・三〇)という言葉は、正に終わりの日について語った言葉なのです。これらが回れ右をするには、共産党が反対し、イスラームが反対し、そして民主社会が反対しても回れ右ができません。どのようなことをしてでも、平和統一して回れ右をしなければなりません。そのようにすることによって、神様の玉座に向かって行く道が生じるのです。

 

 

 

14 イエス様が死ぬことによって、サタンが世界を占領しました。それが歴史において再現されるのが再臨時代です。終わりの日に左翼と右翼が現れて、互いに争うというのです。それが共産世界と民主世界です。イエス様が死ぬことによって、左翼と右翼が現れて世界まで拡張されたのです。アメリカを中心とした右翼と共庭世界を中心とした左翼がそれです。イエス様の時と同じです。再臨の時に世界的な基盤に拡張されます。再臨の時、民主世界が一つになり、共産世界が一つになり、そしてイスラーム世界まで一つになるのです。それが再臨の時の使命なのです。

 

 

 

15 再臨王は、民主世界を収拾し、共産世界を収拾し、イスラーム圏を収拾しなければなりません。現在、バラバ圏がイエス様の体を占有しています。イエス様が死ぬことによって、イスラームが、祝福されたイスラエルの十二支派民族圏を占領したのです。バラバが、イエス様の代わりに生きるようになりました。生き残ったバラバ圏のアラブ圏、イスラーム圏が占領したのです。キリスト教と怨讐であり、イスラエルと怨讐です。イエス様の体を占有してすべてのものを受け継いだというのです。終わりの日になって、これを統一して反対に向くことによって、一つの天国の平和世界に行くことができるのです。

 

 

 

16 先生の使命は、第二次世界大戦の時に分かれた二つの世界を統一することです。すべて分かれました。韓国も二つの世界に分かれ、イスラエルも還故郷をしましたが、二つの世界に分かれました。アメリカも人本主義の世界、神様を離れた世界に分かれていきました。先生を中心として、第二イスラエルのキリスト教と第三イスラエルの韓国を統一することによって、アメリカを中心として世界統一圏が広がり、イスラエルの問題と韓半島の問題が解決されます。今、世界的に韓半島とイスラエル、第一次と第三次のアダム国家が問題です。これさえ統一すれば、平和世界が訪れるようになります。それを全うすべき責任が統一教会と先生に残っているのです。

 

 

 

17 イスラームとキリスト教の戦いをそのまま放っておけば、人類は滅亡します。原子爆弾も使い、その次には生物化学兵器まで使うとすれば、世界大戦どころではありません。一個人が部落を滅ぼし、一人が都市全体を滅ぼし得る時代に突入しました。力をもってしては駄目です。いくら闘っても、それで終わることのできない時代が来ました。

 

ですから、今まで数十年の間、宗教界の連合活動をしてきました。「イスラエルの神様とムスリムの神様は違う方ではない。ほかの宗教の神様もキリスト教の神様も同じだ」という「神様会議」を通して一つにするのです。そのように超宗教運動を世界的にしてきたのであり、超民族運動を今までしてきたのです。

 

 

 

18 イスラーム圏が、長子権をもって故郷に帰ってくるイスラエルに反対しました。ですから、イスラエルとイスラームを一つにしなければ、世界に平和がありません。国家同士も歴史的に二つに分かれています。今、世界は、宗教を中心とした中近東のイスラエル地域の問題と、民主主義思想と共産主義思想を中心とした韓半島の問題があります。それで、宗教と思想を背景にした二大陣営の衝突によって第三次世界大戦が起こるとすれば、地上の人類は全滅するようになります。そのような危機の渦中に立っています。これを誰が平和の世界に収拾するのでしょうか。先生のほかには、収拾できる材料をもっている人がいないのです。

 

 

 

19 左翼と右翼が転換できる契機を先生がつくったのは歴史的事実です。誰も否定できません。世界で一番の問題がイスラエルのユダヤ教、キリスト教、イスラームの争いです。これを誰が和解させるのでしょうか。今まで、これに手をつけた人がいませんでしたが、初めて先生を中心として連結されるのです。ですから、世界平和の問題が根本的に解決されていくという事実を、知らなければなりません。歴史的転換時期に立っているのです。

 

 

 

20 イエス様を中心として左側の強盗と右側の強盗がいました。左翼と右翼、一方は「神様はいない」と言い、一方は「神様はいる」と言います。今は、右翼と左翼がみな崩れましたが、バラバが残っています。これはサタン側の代表宗教です。これを主が来て、天の側の宗教に吸収しなければなりません。共産主義を天の側の国に吸収しなければなりません。それで、先生が「世界平和宗教連合」をつくったのです。これをつくって、先生がシリアのようなイスラーム圏を中心として、平和を主張できる条件を既にみな立てたのです。

 

 

 

21 キリスト教とイスラームが争うようになる時は、民主世界と共産世界の紛争は問題ではありません。宗教は恐ろしいものです。今、悪魔は、宗教戦争を起こそうとしています。そうして、キリスト教文化圏をはじめとして、霊的な基盤をすべて自分の側に引き込もうというのです。このようなことが起こる前に、それを防御するために、平和主義者として先生が背後で通じ合うようにするのです。

 

 

 

22 バラバ圏がイスラームです。イスラーム圏がユダヤの国の十二支派を占領しました。イエス様が死ぬ時にこれができたので、イエス様が再び来る時は、右翼を収拾し、イスラームを収拾して平和の世界に行けるようになってこそ、この地上にイエス様の復活的統一と平和の理念が成就されるのです。

 

その次に、何でもって統一するのでしょうか。「頭翼思想」です。左翼と右翼を消化できるのは真の愛だけです。その次には何をするのでしょうか。教育です。家庭において神様が教育できなかった子女教育、兄弟教育、夫婦教育、その次に父母教育をしなければなりません。そのようにして、平和な天の国の祝福を受けることができる家庭にならなければならないのです。

 

 

 

23 今はイスラーム圏の国同士で争いますが、キリスト教圏が激昂することによって、イスラーム地域が一つになれば、宗教戦争に発展します。このようになれば、問題が大きいというのです。今回の中東会談は、先生とイスラーム圏のイスラーム指導者グランド・ムフティと二人で提案しました。発起人が二人です。それが今、世界的に知られ、イスラーム世界にも知られています。結論は簡単です。宗教者たちが先頭に立って、平和の世界を成し遂げなければなりません。それは間違いない結論です。それが、先生が今まで自由世界と宗教世界に対して下した決定的な結論なのです。

 

 

 

24 宗教が国の上にあるのがアラブ圏です。それと一時に糾合すればキリスト教圏とイスラーム圏の間に戦争が起こるのです。そうなれば、右側の強盗と神側がサタンを打った立場になるので、世界平和の門が崩れるのです。それで「絶対争うな」という厳命を下したのです。それで、アラブ圏のイスラーム責任者であるグランド・ムフティ、シリア、イエメンなどの教団長たちに緊急会議を指示したのです。キリスト教と争ってはいけません。それを平和の基点にすることを、イスラームの頂点で教えてあげなければなりません。そうしてこそ、その指導者たちがキリスト教と争うという主張を防御できるので、それをさせているのです。

 

 

 

25 世界平和という目的を中心として見る時、人類が受ける被害が大きいので、ペルシャ湾での争いを収拾しようというのです。数日間ですべて殲滅して焦土化させ、アメリカが勝ったとしても、何の利益があるのかというのです。歴史的な汚点となって、キリスト教文化圏とイスラーム文化圏を決裂させかねない刺激的な材料になるだけであって、何の利益もないというのです。先生は世界平和の問題を中心として、先端に立っているので、これを考えざるを得ないのです。

 

 

世界の技術平準化を提案

 

26 技術というものは人類のものです。ある特定の国のものではありません。ドイツの技術、日本の技術、アメリカの技術、これらを世界の技術として拡大させる責任があり、それが正義の旗を掲げて前進する男の行くべき道だと考え、人類が望む平和の基地を築く道だと考えるので、十年前に世界平和のために技術の平準化を主張して立ち上がったのです。中国に、「オープンにしなさい。私が準備したドイツの技術、日本の最高の電子科学技術をあなたたちのところにもっていくつもりだ」と言っても、信じませんでした。しかし、三年かけて研究してみて、事実だということが分かったのです。

 

 

 

27 先生は、科学技術で世界の王者の立場に立ちました。ドイツで一九八〇年から一九八五年まで、五年の間に四大工場を買いました。ドイツ最高の技術をすべて連結させるために、工場を買わなければならないと考えたのです。「科学の統一に関する国際会議」の時、中国の技術平準化の促進問題を中心として、宣布したとおりに即時に買いました。また、国際平和高速道路を即時に建設するために日韓トンネルを掘り始めたのです。

 

 

 

28 今や、政策の方向が必要ない時が来ます。先進国家と後進国家が必要ないというのです。知識はすべて宇宙のものであって、自分たち、一つの国のものにはなり得ません。それで、先生が一九八〇年代から技術平準化、知識平準化、次には物々平準化、お金の平準化、金融機関の平準化を主張したのです。最近は、教育の平準化、技術平準化を主張してきたのです。

 

ドイツを中心として技術センターをつくって、たくさんの、国々が競争しています。小さな一つの付属品を開発するために、各国が競争をします。これを公式化させて、原材料を供給し、時間さえ投入すればよいことなのに、無限の損失を被っています。このような世界の国際的な分割経済時代を再考しなければなりません。ですから、統一世界にならなければならないのです。

 

 

 

29 ドイツの今後を心配する人々が調査をしてみると、文先生以上にドイツのことを考える人はいないというのです。十年前からずっと話してきたことを録音しておいたテープを聞いてみると、その時には、その人が先生だったということを知りませんでした。その時語った、その内容が科学技術の平準化運動です。ドイツを越えて平和の世界に連結するのです。彼らには分からない話です。そのようにずっと話した内容を聞いてみると、反対することは何もないというのです。尊敬する内容しかないのです。

 

 

 

30 神様が万民の平和の武器として下さった科学技術を、特定の一国民のみが使用して世界を貪り、幸福になることを神様は容赦されません。万民の幸福のために人間に下さったのが科学技術です。特定の白人だけがその恵沢を享受し、平和を無視した武器として使用することはできません。そのような観点から、先生は技術の平準化を語るのです。

 

 

 

31 中国は今、先生の側に抱き込まれるようになっています。今、中国は、重工業化が必要であり、中小企業の発展が緊急に必要です。それで、先生と手を結ばなければ世界的に効果を得る道がないことをよく知っています。先生と手を結べば、三十年飛躍し、文先生と手を結ばなければ大変なことになります。日本と外交を結んでつくった合弁会社制度では何十年もかかります。日本は科学技術を譲渡しません。アメリカもそうであり、先進資本主義の国々は、それが不可能です。

 

そのような世界の現状の中で、一九八一年、第十一回「科学の統一に関する国際会議」で先生は、科学技術の平準化を世界に提唱しました。私がもっているすべてのものを中国に譲渡してあげようというのです。なぜでしょうか。アメリカも中国を消化できず、ソ連も消化できませんでした。誰も消化できなかった中国を、先生は科学技術によって消化するのです。

 

 

 

32 先生は、世界の全域にかけて築いた科学技術の基盤を中心として世界を助けようというのです。それで、世界の科学技術の平準化のために、一九八一年に、「先端科学技術は一国家に属するものではなく、世界平和のために全世界の人類に属している」と宣言したことがあります。アメリカのような一国を中心として科学技術を準備するのではなく、全世界的な目的に従って、それを使わなければならないというのです。

 

 

第五節 世界平和のための機構

 

 

天聖経  第十篇 目次 第四章 世界は平和のための構想

第五節 世界平和のための機構

 

1 「世界平和宗教連合」、「世界平和女性連合」、「世界平和連合」、「世界平和言論人協会(「世界言論人協会」)、「世界平和教授アカデミー」、すべて「平和」が入ります。平和思想とは何かといえば、「神主義」であり「頭翼思想」です。家庭は、世界平和のための家庭です。個人も世界平和のための個人です。すべて自己中心ではありません。平和のためのものです。その思想をもたない人は、みな個人主義です。これは、すべて除去されるのです。

 

御飯を食べるのも世界平和のために御飯を食べ、水を飲むのも世界平和のために水を飲み、空気を吸うのも世界平和のために空気を吸うのです。愛も世界平和のための愛です。仕事も世界平和のためにするのです。そのように考えなさいというのです。そこに歩調を合わせることができないものは、すべて秋風に散る落葉になるのであって、枝にはなれないというのです。葉にしかなれません。枝にならなければなりません。枝になろうとすれば、平和思想をもたなければなりません。話すことも世界平和のためであり、においを嗅ぐことも世界平和のためであり、五官がすべてそうでなければならないのです。

 

 

世界平和のための機構を創設

 

2 神様は、真の愛を中心とした環境圏を造成するために、真の愛と真の家庭の実体である真の父母を中心として、世界的な基盤を造成してきました。世界の大学者と共に絶対価値を探求する「科学の統一に関する国際会識」と「世界平和教授アカデミー」、言論の自由と倫理的責任を追求する「世界言論人会議」、各宗教間の和解と一致を模索する「世界平和宗教連合」、世界平和を模索する「世界平和連合」、女性たちの社会的参与を通した理想社会実現のための「世界平和女性連合」、真の家庭理想を実現してその理想を全世界的に拡大するための「世界平和統一家庭連合」、そして、二十一世紀の新しい青年文化運動を主導する「世界平和青年連合」の結成および組織拡大などは、そのような背景から出発したのです。

 

 

 

3 先生は、世界平和機構をつくって何をするのでしょうか。「世界平和教授アカデミー」をつくって、何をするのでしょうか。世界的に莫大なお金を使いながら、今までこのようなことをしてきました。「科学の統一に関する国際会議(ICUS)」を開催してきましたが、先生は学者たちからよい待遇を受けることはできませんでした。

 

先生は、無言で学界に奉仕し、犠牲になりながら、自分たちの道を開いてあげ、連帯的基盤を築き上げ、学術の平準化基準の自由通路をつくってあげたのです。学者たちは、専門家として、少しだけ知っていることをもって、自分が一番だと考える人たちです。今は、世界の学界が、先生の貢献が大きいことを知っています。ですから、先生を無視できません。

 

言論機関も同じです。言論機関をつくって何をしようというのでしょうか。権力を握って、大統領になろうというのではありません。アメリカに行ってそれをするのは、アメリカを生かし、世界を生かそうというのです。学界にも、そのような意味でやっているのです。

 

 

 

4 「南北統一運動国民連合」は、韓国だけを主としたものではありません。アジアのためのものです。それだけでなく、世界の万民を連合、連結させるために世界的基盤を築き止げました。

 

世界を代表して韓国とアジアの国民を連合させる運動をしているのです。「全国大学教授学生南北統一運動連合」をつくったのも南北統一のためです。日本では「東西南北教学統連」をつくりました。世界的な東西の思想的対立と南北の貧富の格差の問題を解決するための運動を、日本では既に始めているのです。

 

 

 

5 今、宗教圏の解放を宣布して、天地が分かれたものを統一するために、真の父母の愛を中心として地上に成約時代の宣布とともに安着するのです。安着という言葉は恐ろしい言葉です。成約時代は、創造理想の完成を成し遂げる時です。それが世界的舞台です。家庭的舞台ではありません。アダムは、家庭的舞台で滅び、イエス様は国家的舞台で滅びました。先生は、世界的舞台で滅びるその道を取り戻し、勝利の覇権を立てて、万世に称賛できる伝統を残しておきました。真の父母様の勝利圏は、安着の上での勝利圏なのです。

 

 

 

6 今や、宗教は必要ありません。「世界基督教統一神霊協会」の時代は過ぎ去ったというのです。それで、「世界平和統一家庭連合」を宣布したのです。エデンにおいて堕落しなかった本然の家庭、アダムとエバの絶対信仰、絶対心情圏、永遠に分かれない父子関係の絶対一体圏を形成しなければなりません。世界のいかなる邪悪なものが誘い込んでも、アダムとエバが堕落した根源的動機に接する何ものもない位置に立って解放されなければならず、釈放されなければなりません。それが堕落した人間の宿命的な任務なのです。

 

 

 

7 体を代表する国連機構の前に、一つの心的代表として世界平和を指導できる「世界平和連合」をつくるのです。第一次世界大戦後の国際連盟と第二次世界大戦後の国際連合という国連機構が平和を模索してきましたが、すべて失敗しました。先進国家を代表する為政者たちが先導的立場に立つようになるので、体が心を動かす立場に立ったというのです。

 

しかし、今回、先生が提唱する「世界平和連合」は、宗教指導者たちが先頭に立つのです。これは、何千年の歴史をもっています。この世界的宗教指導者たちが力を合わせて政治世界をコントロールしなければなりません。心が体をコントロールするように、それを収拾しようというのです。ですから、外的な政治世界に相対的平和基準を設定するために、先生が提唱したのが「世界平和連合」なのです。

 

 

 

8 「世界平和女性連合」は、家庭倫理を徹底して教育させる運動として定着しなければなりません。これが定着しない世界は、神様のみ旨も、世界の平和も、国の復興もすべてありません。先生も、この基盤を築くために家庭を求めていきます。「世界平和女性連合」は、「世界平和家庭堂」になるのです。「世界平和家庭連合」ですが、すべて家庭堂になるのです。この「堂」の字は、「家」を意味する「堂」の字です。「群れ」を意味する「党」の字は、闘争する党、戦う党だというのです。闘っては平和の基準に代わることはできません。ですから、先生は、一生の間、打たれて復帰してくることをしてきたのです。

 

 

 

9 宗教圏は連合しなければなりません。今までは、宗教圏が政治問題に関与しませんでしたが、今からは本格的に、心が体を指導するように、宗教圏が政治の分野に完全に影響を及ぼすことができるように主導的役割を果たさなければなりません。見えない心が無限の力の背景を備えているのと同様に、宗教圏が連合運動をして、それこそこの世界を指導しなければなりません。それで、「世界平和宗教連合」を創設し、そこに対峙して「世界平和連合」を創設したのです。

 

人間の堕落以後、心と体が分かれて、歴史時代に闘争過程を通してきた歴史の方向を、前進的な摂理の発展に従って収拾し、自由世界と共産世界、左翼と右翼を神様のみ旨の前に収拾しなければなりません。右翼がこの責任を果たせませんでした。共産主義の無神論が有神論を完全に蹂躙してしまいました。その結果、神様を離れた世俗的人本主義思想が再現しかねない時代に移っていきます。これを防ぐために、どのようにしなければならないのでしょうか。連合的宗教体制が必要なのです。

 

 

 

10 世界的に先生が準備しておいたあらゆる著名人を中心として、「世界平和連合」をつくって、心と体が分かれたものを一つにしなければなりません。宗教とこの外的世界を一つにしなければ、平和の世界が絶対に訪れません。そして、先生は、学者世界の組織をもっています。百カ国以上に学者組織をもっています。これは強力な組織です。

 

その次に、言論界をもっています。言論界を束ねました。その次には、頂上会議、全世界のトップクラスたちを束ねておきました。思想界においては頂上の位置に上がってきたのです。トップの位置に上がってきました。

 

また、科学技術においても、先生にかないません、ドイツの機械技術と日本の電子科学技術を導いています。その次には、金融界も同じです。今後、アメリカが世界最大の借金国になることによって、ドル貨幣が没落して世界経済恐慌時代が来ます。既に八年前から対策を購じています。このような全般的な問題を中心として、先生が世界の中心になっているのです。

 

 

 

11 先生は、アメリカで「国際司法協会」をつくりました。なぜそれをつくったのでしょうか。ロシアや中国、北朝鮮は、いまだに人権蹂躙が横行している状況です。それで先生が、世界救済の先頭に立って万民を正しく平和の道に導くためには、この裁判制度を正しく確立しなければならないと思ったのです。そのような意味で、この「国際司法協会」をつくったのです。

 

 

 

12 私たちが行く道は、国を復帰するものです。国を取り戻すには、超国家的基準で取り戻さなければなりません。そうするためには、国連を背景として一つの国を取り戻さなければなりませんが、国連が話を聞かないので「島嶼国家連合」をつくったのです。これはアベル的国連です。その次には「半島国家連合」をつくりました。そうして六大州の国家連合をつくっておいたのです。

 

 

 

13 今は王権復帰時代なので、「島嶼国家連合」、「半島国家連合」、「大陸国家連合」をつくりました。使命を果たせないときは、北米大陸は放棄してもかまいません。アジアと南米を中心として、カイン・アベルで結べばいいのです。そのような時代になります。国家定着の摂理観を超越するために世界を回るのです。中心を求めれば三六〇度回るのです。世界の国家を思いのままに選べる権限があるのです。

 

 

 

14 「島嶼国家連合」をつくって「半島国家連合」、「大陸国家連合」をつくって新しい国連を構成できる基盤を築き上げました。それで、宗教国連、女性国連、青年国連、学生国連に加入させなければなりません。これが四大国連です。アダム家庭で心と体が分かれたので、長子圏と次子圏が一つにならなければなりません。そして、来られる主を国連が迎えることができなかったので、国連が真の父母の日、真の子女の日、真の万物の日を設定してお祝いする日には、統一天下が広がるのです。

 

 

平和大使と分捧王

 

15 平和大使は天の国の大使です。サタン世界を整備するための大使だということを知らなければなりません。父母様を身代わりした長男の立場に立てるのです。神様の主権定着時代の旗手になることができる人々です。

 

 

 

16 平和大使がならなければならないのは、父母様の代身です。サタン側におけるカインと同じですが、カインではありません。兄として弟の立場で奉仕しなさいというのです。国に奉仕し、統一運動に協力しなさいというのです。

 

 

 

17 大使というのは、その国の特使です。その国を代表して、どこに行ってもあらゆる権限を代行できるのです。それでは、平和大使とは何でしょうか。神様の王権が樹立され、天の国の全権を分配された人々が、天の国の大使です。天の国の平和のための大使だというのです。

 

 

 

18 男性の平和大使は父の代身であり、女性の平和大使は母の代身です。国の父と母として神様の代わりに愛の心情をもって、その国の息子、娘のために犠牲になりながら、投入して忘れるための政治体制ができ、そのような一国の形態ができることによって、地上天国と天上天国が完結し、天上解放と地上解放、神様、父母、万民解放万万歳の世界になり、理想世界が自動的に形成されるのです。

 

 

 

19 先祖たちが祝福を受ければ、天使長家庭のようになって、地上に橋を架けるのです。その中間の橋とは何でしょうか。功績なしに天使長の立場に立ったのが平和大使です。イエス様を中心としてユダヤ教とイスラエルの国が一つになったなら、家庭を編成して平和大使を派遣するのです。そのような平和大使、百二十人を派遺できませんでしたが、それを再び蕩減するのです。失敗したものをみな蕩減しなければならないのです。

 

 

 

20 平和大使は天使長です。シオニズム以上、パレスチナのムスリム以上にならなければなりません。統一教会しかそのような人はいません。死地に自発的に行って、平和の門を開けようとするのですが、それは決壊した大きなダムを塞ぐのと同じです。体に鉄甲をつけた軍隊を一度に投入して犠牲にすることができ、服と骨と肉を混ぜて幾重にも防いで穴を処理することができ、一個師団で防ごうとして、一個師団が一度に死んだとしても実行できる群れがいてこそ、そのダムを塞いで平和の農地を維持し、暮らすことができるのです。そのくらい犠牲になれる群れが現れるならば、世界平和を完成することができるのです。

 

 

 

21 先生が計画するとおり、青年平和大使、中高等学校平和大使、小学校平和大使、幼稚園平和大使を中心とした新しい平和大使体制を中心として、完全に一つになれるようにしなければなりません。幼稚園から大学、社会の重鎮まで、どの村でも平和大使の名をもってするので、一つの道で行かざるを得ません。私たちが暮らす所では戦争はあり得ず、父母の前に不孝だとか国の前に不忠をすることはあり得ないのです。

 

 

 

22 国家的メシヤは、ローマ帝国を中心としたたくさんの国の分封王と同じです。その国のアベル的王です。その国の主権者はカインですが、そのカイン世界全体をアベル王である国家的メシヤが抱き込まなければなりません。ですから、国家的メシヤは世界的メシヤに連結されなければなりません。世界的メシヤは来られる再臨主です。国家的メシヤは世界的メシヤの前に絶対信仰、絶対愛、絶対服従しなければなりません。そこに自分の意見や意志があれば、平衡が取れません。自己主張をすれば、必ずぶつかるようになっているのです。

 

 

 

23 国家的メシヤというのは、昔のローマで言えば分封王です。その分封王は総督よりも上です。王は皇族権の血統をもって生まれなければなりません。そうしてこそ分封王になるということです。各国の大統領を中心として見れば、その大統領はカインの大統領であり、国家的メシヤはアベルの大統領です。この二つが一つになってこそ、父母が着陸できる道が広がります。それが原理なのです。

 

 

 

24 「分封王」とは天の国の総督です。王の上で教育しなければなりません。一つの国をつくって、天国に連れていくことができるその国の信仰の父と母です。新しいメシヤです。国家を代表したメシヤです。その国を助けてあげるために行くのであって、自分たちが搾取するために行ったのではありません。善の総督なのです。

 

 

 

25 アベル国連がすべきこととは何でしょうか。今、在郷軍人と現役軍人を平和圏内の平和軍と平和警察にして、善の世界をつくらなければなりません。現役軍人と在郷軍人たちで平和軍を創設しなければなりません。先生は、このような基礎をつくってきたのです。

 

 

第六節 国際平和高速道路と日韓トンネル・ベーリング海峡プロジェクト

 

 

天聖経  第十篇 目次 第四章 世界は平和のための構想

第六節 国際平和高速道路と日韓トンネル・ベーリング海峡プロジェクト

 

1 皆さんは、国に属していますが、世界に属していなければなりません。国にしがみついていてはいけません。皆さんがエデンの園に家庭を引っ張っていく時に、東に行こうと西に行こうと、エデンの園に国境線があり、行くなと制止する人がいただろうかという話です。いなかったというのです。その基準で行かなければなりません。ですから、世界を通過しなければなりません。統一教会の名をもってどこに行っても、妨げるものがない世界的版図をもたなければなりません。そのようにしなければ、地上に天国理念を完成した立場で入ることができないというのが理論的なのです。

 

 

 

2 今や、先生がいなくても、地上において天国を自動的に実現していくことができるのです。このようにすることができるように、すべて築いておきました。ですから、霊界の地獄の門を撤廃し、天上に行くことのできる高速道路を、すべてつくっておいたのです。もし、私たちがワシントンに行こうとすれば、その過程には千万の段階があります。宿命的な差によって、少し近いか遠いかの距離があるだけであって、ワシントンにはみな行くことができます。十年かかって行くのか、百年かかって行くのかというのは、自分の努力いかんにかかっているのです。

 

 

国際平和高速道路建設の意味

 

3 霊界のように、地上も遠からず国境線撤廃運動が広がるようになります。できるというのです。それで、各民族を中心として、ロシアのクレムリンまでも霊たちが再臨して、統一教会の宣伝運動をしているというのです。先生に対して反対すれば、霊界が放っておくかどうか、見ていなさいというのです。霊界がじっとしていません。世界の後方地帯まで派兵をして、先生に反対すれば、反対する程度に比例して霊的に放っておかないというのです。

 

 

 

4 あらゆる境界線を撤廃しなければなりません。サタンのあらゆるものを清算し、平地をつくらなければなりません。個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙のあらゆる壁を先生が壊してしまい、平地にしておきました。ですから、境界線がありません。ヒマラヤ山脈のような壁も問題ありません。そのあらゆる壁をきれいに清算し、高速道路をつくっておきました。そのような壁を押し倒し、境界線を越えるようになれば、真の愛が現れるのです。

 

 

 

5 世界の国家群を見つめる時、数多くの国境線で遮られています。この国境線は誰が遮り、主権は誰が立てたのでしょうか。それは怨讐の操作によってつくられた主権であり、怨讐の操作によってつくられた国境線です。神様を身代わりするという信念をもって、それを打破していくことのできる群れ、怨讐サタンの地を処置してしまうことを覚悟し、結束して立ち上がることのできる群れは、どこにいるのでしょうか。今日のキリスト教がその群れになることはできません。

 

このような意味で、統一教会は自重した立場で自覚し、自覚した立場で明日の希望を再度誓いながら、きょう、自ら準備を完璧にして、前進的な目的を成し遂げるために金城鉄壁の組織を備えなければなりません。それを通して登場するところで、再び収拾する必要のない生活とともに、伝統の道を選んでいかなければ、サタン圏内で勝利のひと日を迎えることはできません。

 

 

 

6 今から反対になったものを、正しく立て直さなければなりません。皆さんは家庭を中心として小さなメシヤになり、左翼と右翼がない、一つの統一された世界をつくらなければなりません。一九八五年二月一日の三時、先生はダンベリーにいながら、イースト・ガーデンのお母様を中心として、天地の地獄の門、霊界の地獄の門と地上で遮られていたすべての塀を壊し、心情的支流がすべて通じる道をつくりました。あの地獄のどん底から天上まで、高速道路をつくりました。私たちが地上で平和高速道路の話をするのも、そのような時になったからです。それで、先祖たちがいる地獄のどん底にも行って伝道することができます。今までは、それができませんでした。先祖たちが地上の子孫を導くことはできませんでした。今は、教祖たちが教えるのです。霊界にいる祖父が地上の自分の息子、娘のところに来て、すべてコーチできる時代に入ったのです。

 

 

 

7 先生が「科学の統一に関する国際会議」で国際平和高速道路の計画を発表しました。その時、議長団はそれに反対しました。平和高速道路のうちの一つは、韓国と日本の間にトンネルを掘って、中国を中心としてシベリアを通過し、モスクワを経てロンドンまで行き、もう一つはインドを通過し、中東を通過してロンドンにまで至るものです。

 

 

 

8 ソ連を防御するためには、アメリカと日本を背景にしなければならず、その次には中国を背景にしなければなりません。中国を背景にするために、一九八一年の第十回「科学の統一に関する国際会議」で、先生が、国際平和高速道路を建設することを宣布しました。その時、「世界平和教授アカデミー」の議長団は、「議長団がこぞって反対しているのに、先生はなぜこのようなことをするのか」と言いながら反対しました。それで、先生は一言、「皆さんは、私ほどアジアを知りません。アジアについて何も知らず、歴史についても知らないではないですか」と言いながら始めました。「科学の統一に関する国際会議」には、百十一カ国から八百八十人の学者たちが来ました。そして、彼らの国の総理たちに国際平和高速道路の建設計画案を送ったのです。大学の総長たちにも送ったのです。

 

 

 

9 今は世界主義の時代です。宇宙時代が来るのです。人々の理想は、夫婦で世界を一周しながら暮らすことです。これが理想です。それで、先生は国際平和高速道路を計画したのです。これが世界的な問題になっています。この前、日本で国際平和高速道路の起工式をし、トンネルを掘り始めました。大韓民国は知らずにいますが、日本では朝野が大騒ぎしています。大韓民国では、夢にも思っていないのです。世の中は自分のものだと思って、昼寝ばかりしています。

 

 

 

10 万民が平和で幸福に歩むことのできる平坦な大通りを整備しなければなりません。そうして、気分良く何百マイルもの速度で走ることのできる国際平和高速道路を造らなければなりません。たとえ後代の人たちが、誰が整備したのか知らずに感謝することもないとしても、このような道を整備しておかなければならないのが私たちの使命なのです。ですから、私たちは、直線的で平坦な大路を整備しなければなりません。

 

 

戦争のない平和公道

 

11 世界平和を成し遂げるに当たって、問題は戦争です。戦争をなくすためには、アジア次元で空港を管理しなければなりません。飛行機で兵士も送り、武器も送っています。今後、先生が国際平和高速道路をつくって、「この高速道路で軍事機具を運搬してはいけない!」と言えば、世界は戦争をすることができません。勝手に空港も使用できないというのです。飛行機もそのように共同で運用することになれば、契約制になります。それで「この飛行機はすべてのアジア国家が活用すると同時に、アジアに被害をもたらす物は絶対に運送してはいけない」ということになれば、戦争はますますなくなるようになります。港と高速道路もそのようにすれば、今後、戦争をすることはできないのです。

 

 

 

12 世界は、徐々に交流するようになります。それで先生は、一九八一年に国際平和高速道路を建設することを提唱しました。それは、国境なく往来するものです。国境がありません。四車線の道路を中心として、左右の四キロメートルずつ、その八キロメートルは不干渉エリアです。日本なら日本が平和高速道路に通じるその左右の八キロメートルの外は干渉できますが、その中は絶対に干渉できないようにするのです。そのエリアを、どこでも絶対不可侵エリアとして設定し、世界のすべての人々が往来できるようにするのです。そこに入れば国境がありません。

 

 

 

13 サタンが数多くの障壁を積み上げましたが、先生がそれをすべて押し倒して清掃したのです。一直線の高速道路を造りました。世の中でも、天と同様にこのような高速道路を造るのです。統一教会の教会員たちは、海があればトンネルを掘って走り、山があればトンネルを掘って走らなければなりません。なぜでしょうか。真の愛は直短距離です。直線の道です。上下、前後、左右を見ないのです。

 

 

 

14 平和の達成、これは先生の全生涯の希望です。一九八一年、ソウルで第十回「科学の統即に関する国際会議(ICUS)」が開かれました。百カ国以上の国家の著名な学者たちが集まった会議でした。先生はその会議で、国際平和高速道路の建設案を発表しました。この巨大な計画が実行されれば、東京からロンドンまで自動車で行くことができるのです。国際平和高速道路が人々を一つの人類家族として団結させると考えます。現代の技術は、人類が一家族として暮らすことを可能にしてくれるでしょう。

 

 

 

15 日本は、先生と昔は怨讐の国でした。しかし、アジアの国として、兄カインの文化的な背景において、福を受ける先発隊として立て、交流させようというのです。それで、これを連結させるために、北朝鮮を通って中国大陸を通る国際平和高速道路の建設を計画するのです。それは日本人がしなければなりません。そのようなことを先生がしたというのです。歴史の上で、理論と共に実際の行動を通して「正しい」と言える証拠的基盤を、ダンベリーを通過してもって出てきたので、ここから統一の運勢が拡大していくのです。

 

 

 

16 国際平和高速道路圏の理想を具体化するために、私たち統一教会を中心として、日本とアメリカと中国に居住する韓国の僑胞を結束させ、技術圏を形成するでしょう。そうなれば、日本とアメリカの方向も自動的に一致し、世界的に自由を保障される新経済基盤の上に、国際平和高速道路圏を発展させるでしょう。このようにして、歴史的宿願だったアジアの自由通路が成り立ち、黄色人種の大移動が実現されるのです。私たちは、ここアジアを基点にして、絶対価値である神様の愛を中心として現実的統一経済圏を実現し、東西新文明を結合して新しい世界の平和を具現しようというのです。

 

 

 

17 先生が今、提唱するのは国際平和高速道路です。今後、あらゆる宗教のブロックを動かすのです。極東の儒、仏、仙、インドのヒンドゥー教、中東のイスラーム、ヨーロッパのキリスト教文化圏の総団長たちを動かし、青年の核心要員をしっかり動かせば、どの地域でも人を登用できます。今日、宗教者たちが世界全体に貢献したものがありません。自分の教団のためには貢献したものがありますが、世界の人類には貢献したものがないのです。

 

この国際平和高速道路の建設計画は、本当に才覚のあるアイデアです。このプログラムなら、教団ブロック、極東なら儒、仏、仙を中心として、宗教者の動員は問題ありません。そのような意味で、韓国と日本の教団がアジアのために貢献することができるように、そこに加担しなければなりません。その次には、インドのヒンドゥー教を束ねるのです。そのように束ねれば、人はいくらでも動員することができるのです。

 

 

 

18 今後において、日本で問題になるのは材料の問題です。日本が原材料を供給されるにあたって、アメリカや自由世界が大々的に歓迎すれば分かりませんが、ブレーキをかけるとすれば、日本が行くべきただ一つの道は、中国から原材料の補給を受けることです。ですから、そのために一九八一年、先生が世界的に宣布したのが国際平和高速道路です。国際平和高速道路を建設することによって、大陸と連結し、東南アジアから西欧社会、またはシベリアまで連結しようというのです。そうなれば、自動的に原材料を補給できる基盤を築き上げるのに非常に大きな貢献をすると考え、このような計画を宣布したのです。

 

 

日韓トンネル建設の意義

 

19 アジアに影響を及ぼすものが日韓トンネルです。今や、日本と韓国が鉄道を中心として交通路で連結されれば、世界の物流が、アジアとアメリカ、太平洋圏の三分の一は韓国を通過するようになります。それで、韓半島が統一されてトンネルさえ通しておけば、韓国を通してたくさんの物流を汽庫で運ぶことができる時が来るのです。

 

 

 

20 日韓トンネルを掘り始めたのはかなり前のことです。日本から韓半島を通して中国まで道を開くようになれば、南北統一は問題ありません。そうなれば、今後、日本にも希望があるでしょう。大陸の無限の資源を供給することのできる道を整えようと考えるのです。

 

 

 

21 日韓トンネルを掘るのです。国際平和高速道路を造って中国まで連結し、ロシアまで連結するのです。韓半島で連結させることができます。韓半島は高速道路の中心地です。世界の政治思潮の観点において、出発の基地が極東です。先生が生まれた故郷の地です。祖国が基地なので、すべてのものの出発がここから始まります。そうなると、韓国は輸送基地になり、文化交流の焦点になるので、世界の文化がこの基地を中心として平準化に従っていかなければなりません。ですから、韓国の位置が重要です。先生は二十年前からこのような話をしたのです。

 

 

 

22 日本が輸出できる道は、台湾海峡と玄界灘だけです。その二つの道が塞がれば大変なことになります。三日だけそこを塞ぎ、資源を補給しなければ、日本は手を上げてそのまま滅びます。そのような危険を防止するために、日韓トンネルを早く掘りなさいと言ったのです。日本は、トンネルがあれば陸地と連結されます。トンネルがあれば、自動車で二時間もかかりません。二時間以内にトンネルを通して物資を送ることができます。下は鉄道を敷き、上に高速道路を造ればいいのです。

 

 

 

23 世界平和の王権を立てるには、韓半島が主導的役割を果たすことができなければなりません。日本と韓国を中心として、南北を統一しなければならず、その次には日本と連結し、太平洋と連結されるためにはトンネルを掘らなければなりません。それで、アメリカが主動的な立場で太平洋の台湾と日本を中心として連合し、怨讐たちを束ねることができるのです。

 

 

 

24 日韓トンネルが経済流通路の重要な要所です。日本に出入りするあらゆる輸送物、ヨーロッパや中東や膨大なロシアまで、行き来する物が韓国を通さずにウラジオストクや大連を通そうとすれば、遠いというのです。しかし、高速道路を中心として三ラインだけ造ってロンドンまで連結されれば、ヨーロッパやアジアや四大州、五大州以上が、すべてこのルートを通して動くのです。

 

 

ベーリング海峡プロジェクトは世界平和の象徴

 

25 ベーリング海峡を中心として、世界平和の公道を開拓するこの事業は、人間の世の中から戦争を終結させることができる一つの方法だと考えます。

 

それは、人類が望むものなので、統一教会が始めたとすれば、先生の名前とともに、永遠に解決しなければならない問題だと見ています。

 

 

 

26 皆さんは、どこに行って講演しても、ベーリング海峡のことを入れなさいというのです。朝でも昼でも、御飯を食べるのを忘れても、どこかに行って話す時は、べーリング海峡について語ることが主目的にならなければなりません。統一教会は、命を懸けて世界の祖国の地を決めるために、身一つで立ち上がりました。ですから、世の中がやらなくても、私たちはしなければなりません。これをすれば、国境を越えて国が生まれるのです。

 

 

 

27 ベーリーング海峡を中心として、善の王権時代には戦争はあり得ません。海から来る道、空中から来る道、陸地を通じる道を中心として、平和の道路を開設しようというのです。しかし、軍事物資は、その道路で運ぶことはできません。先生がそのような基盤を築き上げたので、旗だけ掲げて動けば、世界が動くようになるのです。

 

 

 

28 べーリング海峡の問題、これは平和王国を立てる第一の鍵です。このような最後の決戦場に来て、皆さんが何をしなければならないのかといえば、富豪たちを説得しなさいというのです。このような機会に、ダイヤモンド鉱山や金鉱、十二月を象徴する十二種類の宝石鉱山を知ることよりも価値のあるものを知ったのですから、自分の財産と自分の国の土地を売ってでも責献すべきだという精神がなければなりません。

 

 

 

29 ベーリング海峡を中心として、ロシア大陸とアラスカを連結するトンネルを貫いて、海洋圏さえ連結されるならば、地球星には自動車に乗って世界をどこでも巡ることができる時代が来るようになります。日韓トンネルも一つの方法です。このようにしておけば、韓国が中心地になります。そのような構想のもと、ヨーロッパ、アフリカ、南米、アジア大陸から海洋大陸に影響圏をもっている人は先生しかいません。国連加入国家に、みな基盤があるのです。

 

 

 

30 パレスチナ地域は、イスラムとユダヤ教の宗教の戦いが広がり、その次に韓半島は、北朝鮮と韓国の政治圏の戦いです。それから先生の時代には、べーリング海峡の境界線撤廃の戦いです。それをみな終わらせなければなりません。宗教の戦い、政治の戦い、それからベーリング海峡の所有権の戦いを終わらせてこそ、先生の時代が来るようになります。

 

 

 

31 旧約時代には家庭摂理、イエス様の時代には国家摂理、再臨主の時代には世界摂理をするのです。再臨主の時代には、天地が一つになって統一されなければなりません。そのことを先生の一代でなさなければなりません。旧約時代の国境線が関わっているのがパレスチナ、カイン・アベルが関わっているのが韓半島の三十八度線、その次に神様の国と故郷の地が関わっているのがベーリング海峡です。ロシアとアメリカが交叉結婚さえすれば、世の中は完全に解放されるのです。

 

 

 

32 ベーリング海峡は、一番難しい国境線です。地の国境線であると同時に、思想的にも一番難しい国境線です。この国境線を撤廃して、両国が一つになれば、地獄と天国が一つになることができるので、べーリング海峡を中心に全世界の人々と霊人たちまでも、同じ故郷、同じ祖国の名で、このことを成就しなければならないのです。

 

 

 

33 ツンドラのような地域を占領するようになれば、世界を制覇して余りあるのです。今後、後天時代の資材の保有地をもつことによって、後天時代の主人になれるので、それを奪われてはいけません。ですから、先生が今、ベーリング海峡を何よりも重要視するのです。

 

 

 

34 べーリング海峡の地域を十二地域に分けましたが、そこに十二支派を編成するのです。全世界の人々がその支派圏内にすべて入り、分割された地域に、もっているお金を投入し、精誠を尽くして、いかに早くトラックが走れる四車線の高速道路を造るのかというのです。基礎工事が必要なのです。

 

 

 

35 ギリシャ哲学を中心として発展したのが、神様に反対する人本主義思想です。キリスト教と新しいアベル文化の世界に反対したのです。それが共産主義を中心としたソ連です。一九五三年にスターリンが死んだ時から、共産主義は分裂しました。先生がアメリカの宗教基盤を中心として、国連と一つになる環境になれば、サタン世界は分かれるようになります。今、アメリカがすべきことは、ロシアと中国を一つにすることです。これを解決するのがベーリング海峡です。地に対する境界線を崩して、一つにしなければなりません。霊的な境界線を打破し、一つにしたので、今からは実体的境界線を打破しなければなりません。軍事力で統一しようとしてはいけません。神様が願う犠牲と奉仕、先生が教える思想をもってなさなければならないのです。