第二篇 真の父母

第一章     真の父母とは

第一節      真の父母とは誰か

 

1先生は、どこから出発しましたか。真の父母という名前をもって出発しました。「真の父母」という言葉は、驚くべき言葉です。先生は、神様のみ旨を追い求めていますが、その理想的目的の基準、その定着点が真の父母です。神様のみ旨の完成、創造理想の完成は、アダムとエバが愛の理想を実現して、直接主管圏内で父母の位置に立つことです。それが、み旨の完成の位置です。先生がこの地上に真の父母という名前をもって来たことは、驚くべきことなのです。堕落した人間にとっては、その国を失つて取り戻すことよりも、世界を失って取り戻すことよりも、真の父母という言葉が貴いのです。世の中の言葉の中で最も福のある言葉です。天地の何よりも貴いのです。

 

 

「真の父母」という言葉の意味

 

2復帰摂理において神様のみ旨が成就されるためには、父母が来なければなりません。堕落した父母ではなく、真の父母が来なければならないのです。この「真の父母」という言葉は、皆さんが考えもしない立場で出会う、そのような言葉、そのような内容ではありません。これは、歴史上、初めて現れた言葉です。これは、歴史にない、奇跡的な大事件です。真の父母という言葉を語ることができるのは、今まで生きては死んでいった数多くの父母たちの愛を凌駕する、ただ一度しかない愛をもって現れたので可能なのです。そのような基準をもったので、真の父母という言葉を語れるのです。

 

 

 

3統一教会の教会員が習慣的に使っている言葉、それが「真の父母」です。その言葉は簡単ですが、その内容は実に驚くべきものです。歴史始まって以来、どの図書館にもありません。その言葉は、私たちだけがもっている言葉であり、私たちだけが使う言葉です。

 

キリスト教が二千年の歴史を経ていく過程で、人類始祖が堕落したとすれば、堕落した父母は偽りの父母、悪の父母であり、堕落していない父母は善の父母であり、真の父母だということがすぐに分かるはずですが、それを今まで発表できなかったのは、発表できるこの時を待っていたからです。過去の歴史時代に、真の父母を考えた人はいたかもしれませんが、その背後がどのようなものなのかを解くことはできませんでした。「統一原理」の膨大な全体の内容を備えなければ、それをはっきりと解くことができなかったので、誰も簡単に真の父母という言葉を語ることができなかったのです。

 

 

 

4真は世界と連結されます。また、絶対的なものであり、歴史的なものです。過去、現在、未来を総合したものです。そのため、真は、歴史的な結実であり、この時代の中心であり、未来に向かう出発となります。ですから、統一教会から真の父母が出るようになったのです。

 

真の父母は、神様のみ旨の中から探し出された人類の父母です。真の家庭とは、その真の父母のみ旨を相続した家庭です。真の氏族も、真の父母を中心として形成された氏族です。皆さんは、これを知って、真の人にならなければなりません。真の人は、国を愛し、世界を愛し、神様を愛する人です。

 

 

 

5神様が人間世界に与えられる最高の贈り物は、皆さんが人類の先祖になり、真の母、真の父になることです。それ以上のものはありません。長官や大統領も屑を並べることができません。それが、神様として人間に与えられる最高の贈り物です。

 

真の父母になれば、真の子女が生まれ、真の家庭ができ、真の氏族ができ、真の国、真の世界が自動的に生じます。ですから、真の父母という名前、「真の父母」という用語が最も重要です。

 

 

 

6「真の父母」という言葉をはっきりと知ることによって、何が分かるのでしょうか。人類始祖の堕落が不倫の関係によってなされ、神様と関係のない、創造理想を立てようとした真の父母とも関係のない血統的因縁を残しました。誤つた血統を受け継ぐようになったのです。ですから、「真の父母」という言葉は、人類始祖から歴史上のすべての人間が、誤った血統の中で生きたことを清算し、神様を中心として新しい本然の根を中心とする愛と生命と血統がつながるという意味で語る言葉です。

 

 

 

7真の父母を中心とするところから、理想的な歴史が出発し、新しい文化が出発し、新しい愛が出発し、新しい人生が出発し、新しい家庭が出発し、新しい国家が出発し、新しい世界が出発し、天国と神様の愛が出発するのです。この「真の父母」という言葉は、無条件に言葉にできるものではなく、今までの既知の内容をもつ言葉ではありません。この位置は、数億数千万の犠牲の祭物の血が解怨してくれることを訴えかけてくる位置です。

 

 

 

8「真の父母」という言葉は、神様も恐れ、サタンも恐れます。人間は堕落圏内にいるので、真の父母を中心として見るとき、真の父母に従っている人々は、その言葉によって審判を受けるのです。なぜサタンが「真の父母」という言葉を恐れるのでしょうか。人間が真の父母の言葉を信じて従っていけば、自分のすべてが破壊され、破綻するからです。それで、いつもサタンは、真の父母の行く道を遮りながら、倒れることを願い、衰退することを顧うのです。

 

 

 

9真の父母という名称を中心としてこそ、神様の心情と一致することができます。真の父母を中心として本然の血統が始まり、本然の人格が始まり、言語が本来の位置に戻り、生活が本然の形態に戻り、本然の国家が形成され、本然の世界が戒し遂げられます。この全体を総集約した核心的な母体が真の父母です。真の父母によってすべてのことが決定されます。ですから、真の父母のすべての思想を引き継がなければなりません。その心情、その人格、その生活観、その国家観、その世界観をすべて引き継がなければ、中心となる位置に立つことができません。

 

 

 

10真の愛を中心として、堕落していない父母が生まれていれば、神様が私たちの父です。縦的な父です。真の愛を中心とする縦的な「私」の父が、神様です。これは偉大な発見です。その縦的な神様のみ前に、一〇〇パーセント、九〇度をなし、本然の真の愛を中心として完成しなければならなかったのが、人類の真の父母であるアダムとエバでした。神様の愛、神様の生命、神様の血統に、横的な父母の愛、父母の生命、父母の血統が合わさって天地合徳(和合)し、調和の実として結ばれたのが「私」です。

 

 

 

11神様が人類の先祖になるためには体が必要なので、アダムとエバという体をまとってこられたのです。その体は、内的な心の体である霊人体と、外的な肉身から成っているのですが、この二つが一つにならなければなりません。どのようにして一つになるのですか。心は縦的です。創造主である神様は、縦的な真の愛を中心とする真の父母です。アダムとエバは、横的な真の愛を中心とする真の父母です。創造主である縦的な真の父母と、創造主の体のようなアダムとエバの横的な真の父母が、愛を中心として一つになるのです。

 

 

 

12縦的な真の父母と横的な真の父母の真の愛は、常に最も速い速度で最短距離を通過します。したがって、神様から地上に下りてくる真の愛は、最短距離である垂直線に下りてきます。男女間の愛もやはり、最短距離で通過し、水平線を形成します。垂直的な真の愛が水平的な真の愛と出会うようになるとき、その交差点は絶対的に九〇度にならざるを得ません。その他の方法では、これらの愛の線は交差することができません。

 

神様は、真の愛を中心とする縦的な真の父母です。神様は、私たちの縦的な父母であられるので、私たち一人一人ととても親密な関係をもっていらっしゃいます。完全な人類の先祖、すなわちアダムとエバを真の父母として迎えるとき、私たちは、神様の垂直的な真の愛と、真の父母の水平的な真の愛の間に九〇度の交差点をつくり出すのです。

 

 

歴史と時代と未来の核心

 

13皆さんが祈るとき、「六千年歴史の結実である私たち」と祈りますが、どうして六千年の結実なのでしょうか。父母の前の一人の子女にすぎないではないですか。しかし、真の父母と通じることができる子女の位置にいるので、歴史的な実であり、歴史的な結実であり、未来の出発の起源なのです。したがって、皆さんの願いは、未来にあるのではなく、真の父母にあります。皆さんが、その真の父母と完全に一つになれば、世界も一つになるのです。

 

 

 

14皆さんが真の父母と完全に一つになるとき、国家もあり、氏族もあり、民族もあり、家庭もあるのです。天地のすべての栄光の価値を総合した実体基準が、真の父母です。真の父母を世の中のお金と取り替えることができますか。自分の生命と取り替えることができますか。ですから、昔とは違うのです。皆さんがどこに行こうと、真の父母に侍らなければなりません。皆さんの息子、娘も、千代、万代の子孫たちも、そのようにしなければなりません。

 

 

 

15天地において運動する数多くの存在物の価値基準を決めることができる核心であり、中心が真の父母です。すべての存在の願いの価値を決めることができる要因が、真の父母なのです。神様が、そのような方でいらっしゃるからです。歴史的な結実を追い求める原理の原因となり、時代の中心であり、未来の主人が、神様です。したがって、真の父母は、神様が臨在することができる中心本部です。

 

 

 

16歴史の核心となり、時代の核心となり、未来の核心となる思想とは何でしょうか。歴史について見てみるときは歴史的な結実となり、時代について見てみるときは時代的な中心となり、未来について見てみるときは未来の起源となる世界主義思想の中心が真の男性と真の女性です。

 

その真の男性と真の女性の生活観は、世界のために生きることに生き甲斐をもつというものです。二人が愛するのも世界のためであり、息子、娘を生むのも世界をより愛する動機をつくるためなのです。

 

 

 

17真の父母は、歴史を審判し、現在を主管し、未来を開拓される中心存在です。人間が歴史的に渇望してきたことも、真の父母を迎えることでした。

 

神様のみ旨を代わりに受け継いでこの地上に現れるべき真の父母とは、どのような方でしょうか。サタン世界と闘い、万物を主管する立場を収拾し、人間世界を主管しているサタンを壊滅させなければならず、霊界の数多くの霊人たちまで主管できる絶対的な位置を構築しなければならない方です。真の父母には、そのような使命があります。それで、神様は、万物から人間、そして天までつながった一つの世界を復帰するために、今まで真の父母を送ることのできる道を築いてこられたのです。

 

 

 

18私たちは、人類始祖の堕落によって故郷を失い、国を失い、世界を失ってしまいました。さらには、神様を失ってしまいました。神様の愛までも失ってしまいました。このように膨大で、途方もないすべてのことを再び取り戻すことができる一つの起源が、真の父母です。

 

神様が、今まで歴史的に願っていらっしゃった摂理の目的とは何でしょうか。人類が堕落以降、今まで蕩減歴史を経てきたのは、真の父母を取り戻すためです。数多くのキリスト教徒が今まで願いの一日を望み、再臨の日を待ち望んできたのも、このためであり、数多くの宗教がすべてこの一日を願っているのも、このためです。このような事実を考えるとき、真の父母が生まれたことは、恐ろしくも驚くべき事件です。

 

 

 

19摂理時代を見れば、復帰摂理は、終わりの日を通して成就されます。終わりの日が近づけば近づくほど、宗教の目的が成就される時代が来ます。その宗教の目的が成就される最後の時が、父母様が現れる時です。その父母は真の父母ですが、真の父母という方は、原理で教えてくれているように、原理結果主管圏と直接主管圏、すなわち間接主管圏と直接主管圏をすべて経て、責任分担を完成した位置で神様の愛を中心として一体理想を成し遂げた父母です。歴史上初めて、神様と人間が愛を中心として一体理想を成し遂げた父母なので、神様の愛の理想が初めて、地上に真の父母の家庭を中心として着陸し始めるのです。

 

 

 

20今まで、神様が復帰歴史を導いてこられるときに、その最終的な目的はどこにあるのでしょうか。真の父母にあります。真の父母を求めるのは真の家庭を代表するためであり、真の家庭を求めるのは真の氏族を代表するためであり、真の氏族を求めるのは真の民族、真の国家、真の世界を代表するためです。このように発展していくのです。

 

これを逆に見れば、世界を代表しては、国家が祭物にならなければならず、国家を代表しては、民族が祭物にならなければならず、民族を代表しては、ある特定の氏族が祭物にならなければならず、その氏族を代表しては、ある特定の家庭が祭物にならなければならず、その家庭を中心としては、ある特定の代表的な位置に立った人が祭物にならなければなりません。結局、父母に帰結するのです。

 

 

 

21私たちは、善悪が闘争する生活をしています。それでは、過ぎ去ってしまわざるを得ない生活が永遠に残る生活へと、いつ交差、転換するのでしょうか。また、国家はいつ交差し、世界はいつ交差するのかという問題が発生します。このような問題は、どこが起源になっているのでしょうか。アダムとエバが堕落し、偽りの父母になることによって、すべての問題が始まりました。このため、心情問題、血統問題、人格問題、言語問題、生活問題、国家問題、世界問題が生じたのです。これを一度に蓄積させ、このすべてを総合することができる真の基準は、ある氏族圏内で形成されるものではありません。社会圏内や、国家圏内で形成されるものでもありません。世界圏内でも、絶対に不可能です。すべての問題の起源が偽りの父母から始まったので、真の父母を中心としてのみ、復帰することができます。

 

 

 

22億千万の人間の父母が一度に生き返ったとしても、真の父母の栄光を備えた父母はいません。千万代の先祖がすべて復活し、その栄光をたたえたとしても、それは堕落圏から抜け出していない栄光であり、称賛です。

 

統一教会で言う真の父母は、皆さんの立場が悲惨でも、幾千万の先祖と共にこの地に勝利をもたらし、万民解放圏を備えた栄光の位置で褒めたたえる以上の価値をもつ、誇らしい言葉です。真の父母に出会った中で、神様に出会える道が連結されるのであり、統一教会に出会ったこの位置には、近い将来に、神様の国と真の父母が願う祖国を取り戻せる道が連結されているのです。

 

 

真の父母は救世主、再臨主

 

23メシヤは、神様の愛を完成したアダム格の立場なので、本然の父の資格をもって来られます。ですから、その父を中心として母を選択し、神様の本然の愛を中心とするその基盤を中心として、所有決定権が、個人、家庭、氏族、民族、国家形態で完結するはずでした。個人から家庭、氏族、民族、国家基準まで、真の愛を中心として所有権がメシヤのものとなったのちに、国家のものであり、国民のものであり、家庭のものであり、個人のものであるというように所有権の版図が広がらなければならないのです。

 

 

 

24メシヤの本然の愛が個人から国家まで形成され、ローマと世界にまで伝播されていれば、今日の再臨思想はなかったのです。この地球上で、そのような過程を通過した国はありません。キリスト教の数多くの教会は、このような神様の愛の原則に一致した所有圏に属していません。天の国が、地上にはないのです。このように考えるとき、「真の父母」という言葉は、どれほど偉大で、どれほど途方もない言葉でしょうか。これこそが、堕落圏のサタン世界を貫いて上がっていくことができる、一つの基地となるのです。

 

 

 

25再臨の目的とは何でしょうか。真の父母です。再臨主は真の父です。メシヤは、真の父を意味します。それは歴史の終着地です。また、孤児のような、国のない窃復するすべての群れが真の父母のもとに来てこそ、一つの世界になります。一つの家族になることを知らなければなりません。真の父母のいる世界には悪魔がいません。それが原理観です。真の父母が現れれば、サタンは自然に退くのです。この地上に真の父母が現れて、サタン世界を一掃してしまうことを、神様は願っていらっしゃいます。神様が、そのような基盤を築こうとされたのです。

 

 

 

26真の父母が歴史上に出てこなければなりません。そのような歴史的使命を代行する一つの存在が、「救世主」という存在、「メシヤ」という存在です。救うとはどういうことでしょうか。体を救うのではなく、理想的な愛の願いを成就してあげるということです。それを成し遂げようとすれば、メシヤは間違いなく、真の父母として来なければなりません。

 

キリスト教では、イエス様を、メシヤ、救世主として信じていますが、真の父母として来るためには、どのようにして来なければならないのでしょうか。まず真の父に代わり得る、一人の男性が現れなければなりません。それで、神様のみ前に「私はひとり子だ」とイエス様が言われたのです。ひとり子が現れたのですが、ひとり子だけではいけません。ひとり娘がいなければなりません。ひとり娘を探して、神様を中心として、互いに喜ぶ位置で結婚しなければなりません。結婚して、神様が縦的な父母として喜び、横的な父母として喜ぶことができる新郎新婦となって、地上で息子、娘を生まなければなりません。

 

 

 

27家庭の中で最高に勝利した家庭を願って来られる主が、キリスト教で言う再臨主です。それでは、その方の生活の基点とは、どこでしょうか。家庭を中心とした所ではありません。基点は、天地を中心とした所です。その方の行く所は、世界的でない所がありません。その方のする仕事は、歴史的なものでないものがありません。その方のすべての行跡は、一から千万に至るまで、歴史のどのようなものより貴い価値をもって、永遠に残ります。その方の書いた一枚の紙切れも、歴史的な遺産として残るのです。このように、すべてのものが世界的であり、天宙的なものとならざるを得ません。

 

 

 

28世界の宗教を見れば、天使長格の宗教と、エバ格の宗教があるのですが、エバの前にアダムが来なければなりません。これがキリスト教で言う再臨主です。再臨主とは何でしょうか。一次のアダムが失敗したので、二次のアダムとして来られた方がイエス様であり、三次のアダムとして来られる方が再臨主です。アダムは、人類の真の先祖となるべき人です。真の先祖になるべきであるにもかかわらず、堕落したので、偽りの先祖になりました。これを、イエス様が来て、霊的な先祖をつくりました。その霊的な先祖から始まったのがキリスト教です。イエス様が来て新郎新婦の関係を結べなかったので、実体の父母が出てきませんでした。父母が出てこなかったのに、先祖になることができますか。それで、仕方なくイエス様は、霊的にだけ父母の役割を果たしたのです。

 

 

第二節 真の父母の顕現

 

 

天一国経典「天聖経」目次

第二篇 真の父母

第一章 真の父母とは

第二節      真の父母の顕現

 

1歴史は、男性と女性を接触させてきました。男性と女性は一つの基点でつながらなければなりません。その連結は、真の父母を中心としていなければならず、その真の父母は、歴史の起源として出発しなければなりません。言い換えれば、アダムとエバを中心として歴史が出発していれば、永遠の結果の世界まで伸びていくはずでしたが、これが失敗したので、歴史の起源を再びつくらなければなりません。

 

そのようにしようとすれば、広がってきた歴史を収拾しなければならないのですが、そのためには、真の父母を中心として、一人の男性と一人の女性を必ず結んでおかなければなりません。そのようにしなければ、新しい歴史時代に移ることができません。これが、統一教会が現実的にすべきことです。統一教会を指導している先生の責任は、真の父母を立てなければならないということです。これは、今まで、誰も考えることができなかった重要な使命です。

 

 

真の父母を復帰してきた歴史

 

2アダムとエバが堕落する以前、神様の願いとは何だったのでしょうか。アダムとエバが、本然の真の父母を中心とする真の血族として、氏族、民族、国家、世界を形成することでした。そして、天国世界を成し遂げることが、本来神様の創造理想でしたが、人間が堕落することによって、父母が壊れていき、子女が壊れていき、結局、今日のような世界になってしまったのです。

 

この地球上で暮らしている人類が、一様に、真の父母の血統的関係を経ることができていない現世のこのような状態では、神様と関係を結ぶことができません。したがって、真の父母として来られる方が再臨主です。六千年歴史は、失ってしまった真の父母、すなわちアダムとエバの完成基準を復帰する歴史だったのです。

 

 

 

3蕩減復帰原則により、父母が必ず出てこなければなりません。もしイエス様が未婚の新郎の立場で、娘の立場にいる花嫁を探し出していれば、どれほど良かったでしょうか。しかし、イエス様は、蕩減復帰路程で成し遂げるべき蘇生、長成、完成の段階を成し遂げることができなかった立場で来られたので、これをすべて越えて勝利の基盤を築かなければなりませんでした。

 

このように、内外で勝利の基盤を備えようとすれば、エバによって堕落した経路と反対の経路を経て、先に罪を清算しなければなりません。このためにイエス様は、新郎の部屋を準備しなければならず、花嫁を探さなければなりませんでした。そうであるにもかかわらず、これをすることができなかったので、イエス様は断食祈祷をしたのです。それが神様の恨になり、イエス様の恨になりました。人類を生かすのが願いであり、目的だったので、そのみ旨を果たすことができずに十字架で亡くなったイエス様は、再臨されなければなりません。イエス様が再臨されるとき、先に何をすべきでしょうか。弟子たちに出会うことではありません。花嫁を探さなければなりません。この花嫁が、今日、新郎が来るのを待ち望みながら準備してきたキリスト教です。

 

 

 

4真の父母が現れるためには、真の息子、娘がいなければならず、真の息子、娘が現れるためには、真の僕がいなければなりません。神様の復帰歴史路程を見れば、僕の時代を経て、子女の時代を経て、父母の時代を迎えるように、神様は役事(働き)してこられたのです。また、僕の時代から、養子の時代、子女の時代を経て、父母の時代まで復帰してくる間、霊界にいる霊人たちも協助してきました。外的に、一国家の基準を超えて世界的な基盤が備えられなければ、真の父母はこの地に来ることができません。

 

 

 

5神様は、ノアとアブラハムを経ていく二千年の摂理歴史期間があったのち、ヤコブをして初めてイスラエル民族を形成できる基盤を築くようにされ、その民族を通して国家を形成するようにされました。そのようにするためには、個人が僕の立場で神様に代わってサタンと対決して勝たなければならず、養子の立場で神様に代わってサタンと闘って勝たなければならず、直系の息子、娘の立場で神様に代わってサタン世界と闘って勝たなければなりません。そのようにしなければ、真の父母を迎えることができません。ですから、摂理歴史は、旧約時代から新約時代を経て、今日まで長い歴史を経てきているのです。このように、僕の立場を復帰し、養子の立場を復帰した基盤の上で、直系の息子、娘の立場を復帰して勝利の基盤を築いておいたのちに、真の父母を立てるのです。これが、神様がこの地上にメシヤを送られた目的です。

 

 

 

6二千年前に来られたイエス様は、僕の立場で闘って勝利され、養子の立場で闘って勝利され、直系の息子の立場に進まなければなりませんでした。これがイエス様の立場でした。養子の立場と直系の息子の立場を経たのち、イスラエル民族を基盤として真の父母を立てることが、神様がイエス様を送られた目的でした。またそれは、イエス様がこの地上に来て、果たすべき使命でした。

 

ところが、イエス様が十字架にかかって亡くなることによって、全体的な基準で勝利の基盤を築くことができず、霊界を中心として真の父母を開拓してこられたのです。ところが、まだ、個人的な位置、家庭的な位置、民族と国家的な位置をつかめずにいます。ひたすら天のみ旨に対する個人と家庭と民族と国家を立てて、今まで巡り巡ってきたのです。

 

 

 

7世界的な時代を迎えて、天は必ず、約束されたように新郎となる主を送ってくださいます。そして、新婦を選ばれ、真の勝利の基盤を築かれるのです。真の父母の位置は、本然の創造目的の位置なので、そのような位置を築くため、神様は今まで六千年間、闘ってこられたのです。ですから、六千年の復帰摂理歴史は、この真の父母を迎えるための歴史だと言っても過言ではありません。その真の父母は、六千年の摂理史全体に代わる方です。それで、その真の父母を探し出せなかったことが、人類全体の悲しみだったのであり、苦痛だったのであり、悲哀だったのです。

 

 

 

8人類歴史は真の父母を復帰する歴史である、と言うことができます。真の父母を復帰しなければ、真の子女があり得ず、真の子女を立てなければ、真の家庭と真の氏族と真の民族、国家、世界、天宙はあり得ません。神様は、今までこの基準を立てるため、六千年という長い歳月を苦労してこられました。

 

今から二千年前に来られたイエス様は、この地上に初めて真の父母の栄光として来られた方でした。イエス様が真の父母として現れるためには、言い換えれば、真の父母は歴史的な結実体なので、イエス様が歴史的な結実体として立つためには、一面的な勝利をするだけではいけません。息子の使命を果たすだけでもいけないのです。父母の使命を果たさなければなりません。

 

 

 

9イエス様はこの地上で、肉的には息子の立場を復帰する路程を経ていかなければならず、霊的には父母の立場を復帰する路程を経ていかなければなりませんでした。このように、両面的な立場で責任を果たして、神様と一つになる起点を立てなければなりませんでした。その起点は、個人的、家庭的、民族的、国家的イスラエルの基盤となるのです。このようになっていれば、霊的、肉的に真の父母の基準を立てることができたはずですが、イスラエル民族がイエス様を不信することによって、その基準を立てることができませんでした。

 

創造原理を見れば、真の父母は、霊的、肉的に神様の祝福を受けた人でなければなりません。ところが、イエス様はイスラエル民族の不信によって、真の父母になることができませんでした。イエス様は、霊界に行かれても、真の父母をお迎えできる基盤を築いてこられたのです。これはどういう意味でしょうか。この地に再び来られる主は、霊的な父母の立場を復帰しなければならず、肉的な父母の立場を復帰しなければならないという意味です。

 

 

 

10イエス様は、地上ではなく霊界で摂理してこられたので、キリスト教を信じる人たちはすべて、霊的な父母と関係を結んできたのです。この地に再び来られる主は、イエス様が洗礼ヨハネからすべての祝福を相続しなければならなかったのと同じように、イエス様が霊界で築いておかれた霊的な個人、家庭、国家、世界的な基盤を、イエス様から相続しなければなりません。そのような立場を経なければ、真の父母をこの地に立てることはできません。

 

 

 

11イエス様が新郎として父母の位置に進むには、花嫁がいなければなりません。その新郎新婦は、堕落していない人間の先祖として、人類の真の父母にならなければなりません。真の父の立場になる方がイエス様です。この地に人類の真の父として立とうとすれば、真の母がいなければなりません。イエス様は、息子の使命を完結しましたが、真の母となる花嫁を探すことができませんでした。それで、霊的な父母だけを残していったのです。イエス様は、新郎として天の代身となり、聖霊は、花嫁として地の代身となり、霊的父母の基準を立てたのです。

 

本来、夫婦は、実体をもって平面上に立たなければなりません。これが、イエス様が本来、成すべき目的でした。それが霊的にだけ成されたので、霊界と肉界が一つになることができなかったのです。そして、新郎であるイエス様は天に上がり、花嫁である聖霊は地に下って、霊界と肉界を一つにしようとしているのです。

 

 

 

12アダムとエバが思春期を経て成熟し、人生の春の季節を迎えるようになれば、神様が結婚させてくださったはずです。そのとき、神様は、彼らの結婚式をしてあげなければなりませんでした。それをしてあげられなかったので、キリスト教を中心として、「小羊の婚宴」という言葉を立てたのです。

 

聖書のヨハネの黙示録の最後を見ると、「小羊の婚宴」という言葉が出てきます。小羊の婚宴とは何でしょうか。六千年前、神様が結婚させてあげるべきだったアダムとエバが、サタンを中心として結婚し、悪の先祖になりました。したがって、それを復帰するために、歴史的な終わりの日に、神様が新しい新郎新婦を立てて再び結婚式をしてあげる宴がなければなりません。その宴が小羊の婚宴です。この宴をすることで、失ってしまった真の父母が人類の前に誕生するようになるのです。

 

 

 

13小羊の婚宴をする時が来たので、第二次世界大戦以降、世界は変わりつつあります。国連機構が出てきて、世界が変わりつつあります。第一次世界大戦後は、戦勝国家が敗戦国家を思いどおりに虐げ、思いどおりに支配しましたが、第二次世界大戦後はそうではありません。第二次世界大戦以後は、戦勝国家が敗戦国をすべて解放してあげました。父母が来る時になったからです。数多くの国連の国々は、すべて兄弟国家です。国の大小を問わず、みな兄弟です。したがって、国連を中心として、すべてが一対一の権威をもって同等に、一つの家庭の兄弟のような立場にならなければなりません。そこに平和の旗手として、真の父母が来なければなりません。

 

 

 

14理想世界の真の基準は、真の父母です。したがって、真の父母の歴史が始まらなければなりません。真の父母が来て、世界の人をすべて一つの心情基準に一致させ、善と悪を教えてあげ、新しい父母の伝統を立てなければなりません。そのようにして、新しい血族を形成して、世界の新しい出発が起きなければなりません。したがって、来られる主は、新しい家庭を編成するために来られるのです。その来られる方が、キリスト教で言う再臨主です。

 

 

真の父母誕生の背景

 

15再臨主が来るためには、国がなければなりません。ところが、先生が生まれる当時は、国がありませんでした。国がないのに再臨主が来なければならないので、韓国が独立運動をしたのです。この時、韓国全土で国を取り戻そうという運動が起こりました。それは、サタンに対処するためなのです。この時、先生が懐妊され、一九二〇年一月に生まれました。一九一九年三月一日に独立万歳運動が起きた、その基盤を通じて、条件的な国を基盤として、愛国的な血を流した人々を通して天の摂理を成就してきたのです。

 

 

 

16エバが十六歳(数え)で堕落したので、柳寛順は、天国を創建するために、十六歳の娘として、怨讐サタンの国、女性の国に対抗したのです。日本は女性の国です。国の独立のためにこのようにしてきたのです。国を失ってしまったので、条件的な国家の基盤を立てなければなりませんでした。そのような条件的な基盤の上に、先生が生まれました。先生は、愛国者の家庭に生まれ、物心がついてから独立運動をした人です。

 

エバがアダムを蹂躙した歴史があったのですが、十六歳の少女がサタンの大王国に対して祭物になったのです。屈服しないその基盤の上にアダムが道を築くことができる門を開いたという事実は、驚くべきことです。女性たちは、柳寛順の思想を継承しなければなりません。柳寛順は、命を奪われながらも降伏しない驚くべき伝統思想をもっていたので、先生はそれを条件として生まれることができたのです。

 

 

 

17イエス様は、本来は三十三歳から七年路程を歩みながら、神様が願う父母の基準を立て、そこから万物主管の基準を立てて四十歳ですべてを終結し、天のみ旨を成し遂げなければなりませんでした。これが、イエス様の使命でしたが、イエス様がこのみ旨を成し遂げることができず、十字架で亡くなることによって、このみ旨はそのまま残るようになりました。それで、再び来られる真の父母が、内外の闘いに責任をもたざるを得ないので、四十年準備期間、あるいは闘争期間を経ていくのです。外的には四十年準備期間でしたが、内的には闘争期間だったのです。こうして、霊的に勝利の基盤を築いて、初めて地上に霊肉を合わせた実体的な基盤を築く土台を備えたのです。

 

 

 

18皆さん自身は、個人として正しい勝利の基盤を築くことができていないのですが、真の父母を通して、真の父母と一致した条件さえ立てれば、個人的勝利、家庭的勝利、氏族的勝利、民族的勝利、国家的勝利の碁盤を築くことができます。そのような期間が七年路程です。それで、真の父母を中心として国家的な勝利の基準を立てれば、その時から、初めて神様は万物を主管する最初の出発ができます。再び万物を主管して、天の家庭を立て、天地に揺るぎない一つの主権を立て、一つの民を立て、一つの領土を立てることができます。そのときから、神様が永遠無窮に安息なさることができ、そこから審判が起こるのです。

 

 

 

19天に代わり、真の父母に代わって、み旨に責任をもって従ってきた統一教会は、試練を自ら招き、受けているのです。その過程で、サタン世界から分別された自らを立て、真の父母が勝利の一つの手本となり、サタン世界を審判できる真の子女の基準を立てておかなければなりません。そのように、氏族、民族、国家の基準を立てておかなければ、真の父母に対する本然のみ旨を地上に成就することができません。この期間に先生と共に闘っている皆さんは、真の父母の個人的な代身であり、家庭的な代身であり、民族的な代身であり、国家的な代身です。このような父母の代身として、今まで、韓国はもちろん、世界舞台で責任をもって闘わなければならなかったのが皆さんです。

 

 

 

20先生は、世界のために、どれほどたくさん投入したか分かりません。どれほど血の涙を流し、どれほど汗を流し、どれほど嘆息したでしょうか。出世のためにそのようにしたのではありません。地上世界と天上世界、そして神様を解放するためです。そのような背後の歴史をもっています。それは観念だけではありません。実践の舞台において具体的な領域を形成するために、その理想基盤を築いてきたので、世界万国が粛然と頭を下げることができる段階にまで来たというのです。

真の父母になるための基準一

 

21本然の愛を中心として理想を実現しようとした真の父母を中心とする真の息子と真の娘が、神様の愛を中心として初めて結合するとき、横的な男女の愛と縦的な神様の愛を接ぎ木できる一つの歴史的な爆発点、愛が爆発する泉が生じます。しかし、堕落によってこの泉を失ってしまいました。神様の縦的愛が夫婦の真の愛と垂直線で、中央線でぶつかるその位置が、アダムとエバを造って見つめられながら神様が願っていた、真の父母の位置です。真の父母の位置にいるのは、真の息子と真の娘、善男善女です。罪の意識を感じることがない、神様のすべての意識と同化できる位置に立った男性と女性が、お互いに東西の立場で一つになるこの位置を立てるのです。

 

 

 

22真の父母の立場は、アダムとエバが神様を中心として完全に一つになり、サタンの讒訴圏を抜け出た立場です。サタンが讒訴できる内容を残さず、完成基準を越えた立場に上がってこそ、真の父母の起源が生じるのです。これが原理的見解から見た、真の父母の起源です。

 

 

 

23神様が六千年間摂理されたのは、来られる「真の父母」の基盤を備えて、当代に勝利の基盤を築かせるためだったのですが、この地上にいる聖徒たちが霊的父母の命令に一致団結して従うことができず、その命令に歩調を合わせられず、今までイエス様の築いておかれた霊的な基盤を、再び来られる主に相統する碁準を立てられなかったのです。それで、再び来られる主、真の父母となられる方は、再び霊的な世界で、個人的試練から、家庭、氏族、民族、国家、世界的な試練を受けなければなりません。その試練に勝って、内的勝利の基準を立てなければ、地上に実体的な勝利の基準が立てられないので、内的な闘いをしてこざるを得ないのです。

 

 

 

24新しい世界は、真の父母がこの地上に新しい基盤を築くことで始まります。その父母によって新しい子女、新しい氏族、新しい民族、新しい国家、新しい世界、新しい天宙が編成されなければなりません。これが、イエス様が再び来て摂理する願いであり目的です。そのようにしようとすれば、その日が一度に来てはいけません。僕の僕の道を収拾しなければならず、僕の道を収拾しなければならず、養子の道を収拾しなければならず、その次には、息子の道を収拾しなければなりません。しかし、六千年の歴史過程ですべてずれてしまったので、来られる主は、これに生涯をかけて、歴史的な六千年史を収拾したという勝利の基準を立てなければなりません。歴史を審判できる真の基準を立てなければ、この地上に真の父母として現れることはできません。

 

 

 

25先生は今まで、誰にも負けないほど祈りを捧げました。涙を流すにおいても誰にも負けず、悔い改めも誰にも負けないほどしました。また熱意を込めることにおいても、誰にも負けないほどの熱意を込めました。それでは、なぜ今日のキリスト教徒たちが反対する道を先生は行くのでしょうか。この道が間違いないからです。いくら調べてみても、合わせてみても、間違いありません。歴史は、このような原則によって整備されるはずだということを、確信するからです。

 

 

 

26歴史は、新しい父母から始まらなければなりません。この天地父母が出てこなければ、新しい歴史は始まることができません。サタンと闘って勝利し、「あなたは天地父母です」と公認を受けた真の父母が出てこなければなりません。その父母が出てこなければ、天地開闢は起きません。天地開闢が起きてこそ、そこから歴史が出発し始めるのです。神様と共に新しい心情を中心として育った息子、娘たちが、神様が創造当時にアダムとエバに対して願ったその心情をもって、神様のみ旨にかなう一体の生活をすることで、神様がアダムとエバに対して願ったことを、代わりに成し遂げてさしあげなければなりません。

 

 

 

 

 

27真の父母は、すべての歴史を克服しなければなりません。そのような資格を備えなければならず、この堕落した世界を克服しなければなりません。真の父母は、未来のために道を築かなければなりません。今まで、そのようなことをしてきました。ですから、尊敬される十分な資格をもっています。皆さんは、その資格を認めなければなりません。皆さんの中で、何人かでもそれを認めなければならず、認めたからこそ、先生から祝福を受けたのです。そのような夫と妻は、互いに争うことができません。これが事実なら、争いが起こることがあるでしょうか。

 

 

 

28真の父母になるためには、カイン世界を愛さなければなりません。カイン世界は、長男の世界です。カイン世界は、堕落した長男の世界と同じなので、それが反対しても、天の愛を尽くしてあげたという条件を立てなければ、サタン世界が復帰できないのです。長子を先に愛さなければなりません。原則的に、サタンが長子の立場にあるので、サタンが、「神様、あなたがアベルを愛するためには、長子を先に愛したという条件を立てなければなりません。そのような愛を私に見せなければ、次子を愛することはできません」と言うのです。これが原理です。ですから、母であるエバが行くべき道は、カインとアベルを一つにして、アダムに帰ることです。母がいくら宇宙的な愛を願ったとしても、そのような愛で愛してあげることができない位置にいるのです。

 

 

 

29メシヤという存在は、血統的に蕩減復帰した基盤の上に来なければなりません。言い換えれば、サタンの血統を受けて生まれた人類の前に、メシヤは血統的な面でサタン側から生まれたとしても、サタンが讒訴できない環境から生まれなければなりません。サタンが讒訴できる環境から生まれたならば、創造原則的な立場に合わないのです。本来、神様がアダムとエバを創造するとき、サタンが讒訴できる立場で創造したのではなく、天使長の助けを受ける立場で、天使長が頭を下げる立場で創造したように、メシヤであるイエス様も、この地上に生まれ、メシヤとして登場するためには、腹中時代から、サタンに讒訴されるような内容をもっていてはいけないのです。それが原理です。

 

 

 

30真の父母が現れようとすれば、サタンの讒訴圏を超越しなければなりません。サタンが讒訴できる立場では、真の父母が出てくることができません。それでは、サタンはどのような存在でしょうか。霊的な存在です。霊的存在であるサタンを屈服させ得る立場に立った中心的な方でなければ、真の父母になれません。そのようにしようとすれば、今まで霊界に行っている、地上で生まれて死んでいった数千万の鯉徒たちと数多くの先祖たちを中心として、数千億になる霊界の霊人たちは、真の父母を中心として一つにならなければなりません。一つになって、サタン圏に対して勝利したという歓喜と栄光の決定的な基盤をもたなければ、真の父母はこの地上に顕現することができないのです。

 

 

真の父母の顕現とその意義

 

31歴史が望む中心、時代が望む中心、あるいは未来が願っている中心とは何でしょうか。それは、真の愛を中心とする真の家庭です。真の家庭は、歴史的な願いの結実体であり、時代的な願いの中心であり、未来的な願いの出発です。言い換えれば、歴史的な結実、すなわち歴史的な復活体であり、全世界においては世界的な中心であり、未来に対しては原則的な出発の基点です。真の人と、この真の人を中心とする家庭は、歴史的な願いが成就されて、初めて現れます。真の人として、真の家庭の目的をもって来る人が新郎です。その次には、新婦がこの新郎と一つになって、真の家庭が成就されるのです。

 

 

 

32真の父母が出てくれば、真の家庭が成立し、真の人の目的も成就することができます。過去や、現在や、未来に永遠にたたえられるその名称が真の父母です。真の父母がこの地上に顕現したという事実、真の父母がこの地上にいらっしゃるという事実は、何よりも喜ばしい、福音の中の福音です。今日、邪悪な人間の前に、悪が主管することによって方向を備えられず、死亡圏を形成しているこの世界に、真の父母の名称が成立したのは、単に今日の韓国の領土を中心として成就したのではなく、神様の六千年の歴史的な苦労の功績の結実として現れたものです。また、多くの人間が行き場所を見つけられず、方向を見分けられないこの時代に、行き場所を見つけてあげ、行くべき方向を提示してあげられる、一つの中心的なモデルとして現れたのが、真の父母という名称です。

 

 

 

33「真の父母」という名称が出てくることによって、神様の創造理想世界、エデンの園から出発すべきだった永遠の未来の天国が出発するという事実は、歴史的であり、時代的であり、未来的なことです。ですから、過去、現在、未来の全体の歴史をまとめて見てみるとき、この地上に顕現した真の父母という名称は、宇宙の中心を決定する中心点です。歴史は、ここから実を結び、ここから収拾され、ここから出発するのです。歴史がここで実を結ぶので、過去がここで復活し、世界がここで一つ世界に収拾され、一つの世界が起源となって、新しい天国が形成されるのです。ですから、真の父母が現れなければならないのです。

 

 

 

34今まで歴史時代において、人類の希望がどこにあったかというとき、その希望は未来にありました。人類は、希望を未来のものとしてだけ考えてきました。人類は、どこに向かっていくかというとき、未来に形成される一つの世界に向かっていくというのです。未来に対して、一つの世界を模索したのです。したがって、偽りの人類の中で、真の父母を迎えることができる道があるなら、人類は喜ぶはずです。

 

人類の希望は、真の父母を迎えることです。真の父母は、人間の最高の希望なので、真の父母が顕現すれば、歴史的伝統は未来で形成されるのでなく、真の父母が顕現した現実圏内で形成されるのです。真の父母が現れれば、真の父母が現れた、そこが、歴史が完成する出発点であって、完成を願う出発点ではないというのです。願いが出発する場ではなく、所願成就が出発する場です。

 

 

 

35神様が行くべき道は、この地上に錨を下ろす道です。そのようにしようとすれば、地上のすべてのものが本然の姿勢を備えなければなりませんが、その本然の姿勢を備えようとすれば、真の父母がいなければなりません。この真の父母が顕現するまで、人類は悲惨な歴史をもつようになります。しかし、真の父母が来て、この悲惨な歴史をすべて正し、一つの基礎を準備することにより、真の父母の歴史において立てるべき条件をすべて立てるようになれば、ここから正に、真の父母の歴史、真の子女の歴史へと連結されるのです。しかし、真の父母が歴史的な条件を越えなければ、真の父母の歴史は出発できず、真の父母の歴史が出発できなければ、真の子女の歴史も出発できず、同時に真の世界の歴史も出発することができません。なぜなら、真の父母の歴史、真の子女の歴史が正しくつながっていくようになれば、それが箕の国家の歴史となり、真の世界の歴史になるからです。

 

 

 

36真の父母は、自分の先祖たちを解放したので、家庭的真の父母となり、氏族的真の父母、国家的真の父母、世界的真の父母、天宙的真の父母にならなければなりません。天宙的真の父母は、神様です。来られる主は、世界的真の父母であり、その次には国家的真の父母、氏族的真の父母、家庭的真の父母です。真の父母は、神様の直系の血統を受け、誰かが「ああせよ、こうせよ」と言わなくても、自動的に息子、娘を生んで天国に行ける神様の息子、娘です。アダムとエバと同じです。家庭的真の父母、氏族的真の父母、国家的真の父母、世界的真の父母、天宙的真の父母が連結される道をすべて築いたので、皆さんは家庭的真の父母の立場で、そこで暮らしさえすればよいのです。

 

 

 

37真の父母は、歴史を超越しています。それは、今まで歴史は、真の父母を望んできたということです。今まで歴史は、未来を見つめてきました。それは、希望が来来にあるという意味です。しかし、統一教会の希望は、未来にあるのではなく過去にあります。ここでの過去は、世の中にない、歴史的過去を超越したものであり、現実を代表したものです。過去の結実であり、現在の中心であり、未来の出発基点です。全体を統合した中心です。ですから、歴史を超越しているというのです。

 

 

第三節 真の父母宣言と「三大主体思想」

 

 

天一国経典「天聖経」目次

天聖経:第二篇 真の父母

第一章 真の父母とは

第三節 真の父母宣言と「三大主体思想」

 

1 皆さんが世界の代表になりたければ、なることができます。天地を代表した愛を中心として世界を神様のように愛し、国民を神様のように愛し、自分の家を創造するときの神様の心をもって愛することができれば、誰でもそうなることができます。

 

「私」が血の汗を流して、再創造の過程を経なければなりません。私から始めて一族を再編し、天理の大道に連結させるべき歴史的蕩減の使命が、堕落した子孫にあります。ですから、先生一人で迫魯を受けながら経てきたのです。国だけではなく、世界まで、すべて経てきました。今、真の父母宣布をしなければなりません。本当に真の父母宣布が終わったというときは、悪魔のような邪悪なものなどは、すべて退かなければなりません。しがみついていれば、すべて木っ端みじんになります。雷が落ちるのです。霊界が放っておかないのです。

 

 

真の父母宣布の基準

 

2 一九八八年にオリンピック大会を中心として、長子権復帰を宣布しました。長子権復帰、父母権復帰、その次に王権復帰を宣布しました。天上世界と地上世界の王権定着を宣布したのです。その次にすべきこととは何でしょうか。世の中の国には(真の)主人がいません。世の中の国の主人はサタンです。サタンの血統を中心とする悪魔が主人です。偽りの父母を中心として、偽りの風土になったのです。ここで、真の父母宣布をしました。

 

 

 

3 世界史的な反対の中で、個人的な勝利の立て札を立て、家庭的勝利の立て札を立て、氏族、民族、国家を中心として、世界百五十カ国に二万五千家庭以上を氏族的メシヤとして派遣できる基盤をすべて築きました。これは誰かが取って捨てることはできません。失敗していないイエス様の血族を中心として、王権を受け継ぎ得る天の血肉が地上で育っているのです。ですから、先生の前には、サタン世界が反対する環境はありません。真の父母宣布ができないことによって、サタンが生じたのです。それは長成期完成級です。真の父母宣布というのは、完成期完成級で原理結果主管圏と直接主管圏を中心として責任分担を完成し、愛の理想家庭の出現を成し遂げたことを意味するのです。ですから、悪魔は、そこに現れることができません。地上で悪魔と闘って自然屈伏させた勝利的環境で、真の父母を宣布するのです。その基盤の上に悪魔が出現することはあり得ません。

 

 

 

4 真の父母を宣布するまで、どれほど多く苦労し、どれほど多くの悪口を言われ、どれほど監獄暮らしをしたでしょうか。六度も監獄に入りました。このようにして、真の父母を宣布したのです。世界で最も哀れな王の中の王が先生です。しかし、自分が哀れだとは夢にも思いません。過ちを犯した子女をもった父母は、涙を流さなければなりません。苦痛を受けなければなりません。その苦痛を避けようとし、涙を流すのを恨む人には、天罰が訪れます。今まで、迫害を受ける統一教会の教会員たちに涙を流させてきたのは、民族の涙を減らすためなのです。

 

 

 

 

 

5 先生は、四カ国で監獄生活を経験しました。国家を超越した監獄、それも東西南北の四数です。回数ではサタン数である六回です。それは解放圏を形成するためなのです。そのような迫害を受けながら、讒訴圏にとどまらず、その讒訴圏をすべて踏み越えたのち、勝利の旗を揚げて天上天下に真の父母宣布をしているのです。

 

 

 

6 今日、争いが起きている、誤ったこの世の中に、先生が真の父母を宣布しました。真の父母を世界的に宣布するためには、個人的真の父母、家庭的真の父母、氏族的真の父母、民族的真の父母、国家的真の父母、世界的真の父母、天宙的真の父母、神様と人間を中心として、神様も真の父母、真の父母自身も真の父母と言える位置にまで行かなければなりません。そのような言葉を宣布したという事実は、歴史的なことです。

 

 

 

7 真の父母宣布をしなければなりません。歴史において、これ以上の福音はありません。この地上に、これ以上の朗報はないのです。これ以上の平和の基準はありません。歴史の終末に理想的な実体として現れたのが、真の父母です。真の父母として生きてこそ、真の愛を中心として、真の愛の王宮が生ずるのです。

 

 

 

8 今日、真の父母を発表しました。エデンの園で、アダムとエバが堕落していなければ、神様も真の父母であり、アダムとエバも真の父母になっていたはずです。神様は縦的な真の父母であり、アダムとエバは横的な真の父母です。縦横が一致した真の父母ですが、それを見れば、東西南北がすべて同じです。

 

 

 

9 なぜ真の父母を宣布するのでしょうか。民主世界と共産世界は、カインとアベルの兄弟です。民主世界と共産世界は、二人の息子と同じですが、闘うのです。闘っていた二人の息子を先生が和解させ、歓迎される立場に立ったので、父母の特権をもって韓国の地に来て、国を挙げて初めて真の父母宣布をしたのです。

 

 

 

10 先生はなぜ苦労したのですか。私の国のためなら、なぜ苦労をしますか。世界のために生き、天の国のために生きようとしたので、苦労をしたのです。韓国が四十年間、先生にありとあらゆることをすべてしました。兄弟の重荷を先生が負い、父母と遠い姻戚として縁をもったすべての韓国の民の重荷を先生が担って、すべてを整えて韓国へ来て、祝福してあげました。それで、真の父母宣布を韓国でしたのです

 

 

 

11 悪魔が人類の真の先祖の命を奪いました。一代のアダムが堕落することによって、神様の怨讐になってしまったのです。その次に、第二次の真の父母として来られた方がイエス様です。メシヤです。救世主として来られたこのメシヤを、人類が、自分の息子、娘たちが、捕まえて命を奪いました。真の父母を捕まえて命を奪ったのですから、その国の罪は、どれほど大きいでしょうか。その罪から逃れることができないのです。

 

 

 

12 イスラエル民族は、二千年間、孤独な立場でさまよい歩いてきました。このすべての歴史的背後をたどってみれば、数多くの人が、剣により血を流し、馬のひづめに蹴られ、怨恨と呪いの露と消えていったのです。そうして、ようやく二千年の歴史が過ぎて、初めてアメリカの後援のもと、独立することができたのです。悪魔が私たちの父母の命を奪い、悪魔の息子、娘たちが、第二次の真の父母の命を奪い、第三次に来る真の父母に対して、世界の悪魔がすべての思想と、すべての体制を動員して、その命を奪おうとしました。しかし、命を奪われることなく千辛万苦の末に生き残り、父母の道理と真の父母を地上に宣布できるという事実は、天がどれほど願ったことでしょうか。

 

 

真のお父様が御覧になる真のお母様

 

13 私たち夫婦が過ぎし歳月の間、天意による召命を受けて歩んできた生涯は、大韓民国のすべての国民と、全世界の人類の前に、誇らしい路程でした。その間、私たち夫婦の歩んできた道は、皆さんが想像できない茨の道でした。全人類を罪悪の世界から解放し、分断された韓半島の統一のために、アメリカ、ソ連、中国、日本などの地で、韓半島統一の基盤を固めるために、血の汗を流しながら歩んできました。これからは、そのすべての基盤が堅固に構築され、民族の前に現す時となりました。

 

私たち夫婦が過ぎし数十年にわたって世界的な基盤を築くまで、同族である韓国の人々から受けた無理解と迫害は、本当に耐え難く、悲しいものでした。歴代の政権が、私と統一教会を迫書したのはもちろんのこと、一部のキリスト教徒たちの中傷謀略はあまりにも悪意に満ちたものでした。私たち夫婦は困難な悪条件の中でも、神様のみ旨と真の愛で完全に一つになり、万難をかき分けてくることによって、今日、全世界百六十カ国以上で、私たち夫婦を真の父母様として侍る人々が、日ごとに増えてくるようになりました。

 

 

 

14 お母様は、真の母になり、真の妻になり、真の娘になる、その三つをすべてしなければなりません。一つするのも大変ですが、お母様はそれをすべて成し遂げました。夫に侍るときに、娘のような立場で侍り、お兄さんのように、兄弟のように侍りました。その次に、夫に侍るには、世界最高の名声をもった男性として侍らなければなりません。そうしてこそ、真の母になるのです。また、母となって息子、娘を生まなければなりません。世界最高の息子、娘を生まなければなりません。それで、私たちの息子、娘たちは、みな頭が良いのです。世界に立って、どこの社会に行っても、負けない頭をもっています。自分たちが努力しないだけであって、先生のように、みな素質が豊かです。できないことがありません。

 

 

 

15 お母様は、もともとおとなしかったのです。今、四方にすべて気を配ることができる活動的なお母様になったのは、先生と出会って、そのように訓練されたからです。実際は、静かで、おとなしい女性です。聖婚の前に、青披洞を行ったり来たりするときも、一つの道だけを通りました。そのようなことを先生が目を凝らして見ていました。一度来るときもそうであり、二度来るときもそうであり、必ず通った道だけを通りました。そのとき、先生は、お母様となる女性を探そうと、女牲という女性はすべて鑑定していた時でした。お母様がそのようにしたことを見て、なるほどと思いました。

 

また、韓鶴子という名前が良かったのです。「韓」という字の「ハン」は、漢学の「漢」にもなり、恨めしいの「恨」にもなります。したがって、誰よりも、神様に対して最高に学んだ学者にならなければなりません。韓鶴子という女性がそのようになれば、まさしく神様の相対の位置に立つと思ったのです。姓も良く、名前も良かったのです。そのように訓練して今日の位置まで来たので、真の母として宣布をするのです。女性を代表して恨の峠を越えます。それで、すべての母の根として宣布するのです。

 

 

 

16 血統転換と所有権転換をしなければなりません。本来は、サタンが主人になる前にアダムが主人にならなければならず、アダムの前に神様が主人にならなければなりません。ところが、神様が所有主になっていません。アダムが所有主になっていません。エバが失ってしまった所有権を返還するために、世界に出てすべて収拾しなければなりません。神側に返還しなければならないのです。

 

所有権を返還するとき、直接先生にもってくることはできません。先生の息子、娘を通して、お母様を通してもってこなければなりません。反対です。復帰していくのと同じです。これからは、エバを後ろに立ててはいけません。横に立てるのです。ですから、お母様を先生の横に立てたのです。男性は、先生の後ろに立ち、女性はお母様の後ろに立って侍らなければなりません。そのように夫婦が一つになれる基盤を徹底的に築いて宣布した大会が、女性解放大会です。

 

 

 

17 今まで、お母様を誰も知りませんでした。蘇生、長成、完成の三段階を延長して、先生は投入するのです。堕落していない完成圏の世界で息子、娘を救う時期になったので、真の父は文鮮明であり、真の母は韓鶴子であることをはっきりと宣布するのです。それをしなければ、霊界が歩調を合わせることができません。このようなことを堂々と世界に発表しても、誰一人、反対する人がいません。それは、父母様の勝利によるのです。

 

 

真の父母宣布以後の変化

 

18 天下に真の父母を宣布したので、主流宗教圏が解放、釈放されます。主流宗教圏がなくなるのです。救援摂理路程において、主流宗教のユダヤ教とキリスト教と統一教会を通してのみ、すべての霊人たちが地上を往来してきましたが、世界的版図をすべて越え、還故郷して、国家的基準で真の父母を宣布したことは、宇宙史的です。世界の中で先生を知らない人はいません。そして、氏族的メシヤは、国家基準と世界基準において縦的基準の枝と同じです。ですから、国を連結させることができる縦的基準さえ連結すれば、すべてのものが終わるのです。

 

19 摂理的に見るとき、真の父母宣布とともに長子権復帰時代、父母権復帰時代、王権復帰時代、このような本然的基準を復帰する時代に入ってきました。ですから、最も重要なのが、原理原則的な生活です。創造理想を実現するためには、創造原理的な生活をしなければなりません。創造原理は、漠然とした救援摂理に必要な原理ではありません。創造原理である以上、今後、み旨の世界が来ても、この道は誰もがみな、守っていかなければなりません。ですから、各自の責任分担圏がまだ残っているのです。堕落する前もそうでしたが、堕落した以後は、さらに責任分担圏を強化しなければなりません。

 

 

 

20 神様の復帰摂理は、創世以後、何千年、何万年の歴史を経てきたのですが、まだ、その基準を立てることができていません。統一教会の時代に先生が来て明らかにすることによって、初めてこれが可能になったのです。ですから、成約時代を発表し、真の父母を発表したのです。これは世界的な事件です。事件というより、文化世界の創建、新しい世界を創建できる一つの起源となるのです。

 

文化世界の創建とは何かというと、成約時代だというのです。神様が人間と共に創造しようとした、その約束を成就する時代です。復帰摂理時代ではなく、救援摂理時代が成就されるのではありません。創造理想世界が成就されるのです。真の父母という名称は、人間よりも神様が先に考えたのです。真の父母の顕現とは、創造理想です。太初から神様が創造した理想の根本がそこにあります。ですから、天がじっとしていることはできません。世界的大変革、大変化時代に入っていくのです。

 

 

 

21 真の父母を宣布することによって、どのようなことが起こるでしょうか。神様を中心としてために生きていた霊界のすべての善霊と、サタンを中心としていた悪霊が、はっきりと分かれるのです。真の父母を中心とする立場に立てば、完成したアダムとエバの立場に立つようになるのですが、完成したアダムとエバは、天使長がいつも保護し、育ててくれ、協助するようになっています。完成したアダム圏に立てば、協助だけでなく、愛の理想によって、実体的な主人として侍らなければなりません。命令することができる段階です。そのような位置に上がるのです。

 

ですから、世の中の終わりです。サタン世界の偽りの父母の愛で始まったすべてが終わりになり、新しい真の父母の愛を中心とする新しい世界になるのです。これを肥やしにして、新しい世界が展開するのです。ですから、皆さんが、新しい生命の生活圏を中心として進んでいくというのです。新しい生命の起源は、新しい愛です。この新しい愛が真の父母の愛です。

 

 

 

22 皆さんは、先生に感謝しなければなりません。何を感謝しなければならないのですか。サタンから解放されたので、感謝しなければなりません。父母様によって、サタンの生活から解放されました。その次に、サタンの血統から解放されました。生活には、文化の背景があり、習慣性が伴ってくるのです。生活というものは、文化の背景によって違います。イギリス人はイギリスの文化を中心として暮らし、アメリカ人はアメリカの文化を中心として暮らすのです。すべて、生活環境が違います。その生活から解放されなければなりません。

 

その次には、血統です。三代の解放が起こります。ですから、統一文化が自動的に起こるのです。解放されれば何をするのでしょうか。サタンから解放されたので、神様に帰るのです。サタンから解放されれば、偽りの父母と因縁づけられ、拘束されていたものが解放されることによって、自由な父母の心情に帰るのです。帰るには、サタン世界の生活圏、習慣性をもったまま帰るのではありません。きれいに清算しなければなりません。

 

 

 

23 時を知らなければなりません。真の父母を宣布することによって、サタンの血統的父母は、みな終わるのです。真の父母がサタン世界と闘って、民主世界、共産世界が倒れる段階に来たので、勝利的条件をもって宣布することによって、サタン世界は終わるのです。サタン世界が終わるということは、サタンから解放されるということです。今まで、サタン世界の文化圏、サタン世界の生活圏で生きたのですが、サタン世界と、サタンの生活圏と、サタンの血統から解放されるのです。サタンから解放され、神様に帰らなければなりません。

 

 

「三大主体思想」の中心は真の父母

 

24 「宗教」とは「根本の教え」を意味します。最後の教えです。家でいえば棟木のようなものです。家をつくるためには棟がなければなりませんが、宗教は基礎になる教えのことです。その基礎になる教えの総結論が、真の父母、真の師、真の主人です。この地上には偽りの父母がいて、偽りの師がいて、偽りの主人がいます。真の父母がいなくなったので、偽りの愛を中心とする偽りの父母、偽りの愛を中心とする偽りの師、偽りの愛を中心とする偽りの主人がいるようになったのです。すべて除去し、真の父母と真の師と真の主人を迎えなければなりません。

 

真の父母と真の師と真の主人は一人です。その方が神様です。その方を知ることによって、すべての教えの根となることができ、芽となることができ、幹となることができる基礎の教えを知るようになるのです。

 

 

 

25 皆さんは、真の父母にならなければならず、真の師にならなければならず、真の主人にならなければなりません。これが「三大主体思想」です。

 

三大主体思想の根は、真の愛です。真の愛は、自分の一〇〇パーセント以上を投入し、また投入しようということです。そのような思想をもった父母であり、師であり、主人にならなければなりません。

 

根は一つです。ですから、「真の父母」と言うときは、必ずその右に師が来て、左には主人が来なければなりません。それがいつも、ついて回るのです。息子、娘を生むからといって、誰でも真の父母になるのではありません。息子、娘を生んで、育てなければなりません。

 

 

 

26 大学の総長も、夜になれば、父母として家に帰り、大統領も、文武百官(国のすべての役人のこと)を従えたとしても、寝るときは、家に帰って寝なければなりません。父母になるのです。そのようなことを見るとき、父母が中心です。父母的学校であり、父母的主人の位置です。出ていったとしても、みな父母のところに帰ってくるようになるのです。帰らずに暮らすことができるところは、父母を迎えたところです。すべて、真の愛を中心としてそのようになっています。君師父一体という言葉も、そこで成立するのです。先生が、真の教えを与えています。ですから、師の中の師でもあるのです。

 

 

 

27 「三大主体思想」の中心思想は、真の父母思想です。なぜ真の父母が中心になるのでしょうか。垂直を通じた縦的基準は、一つしかありません。真の愛の垂直は一つなので、真の父母と縦的な神様の決着点をもった家庭を中心とする代理基盤だというのです。ですから、父母の思想を模範とする師、父母の愛を模範とする主権者は、天国の環境的に与えられた条件を指向するようになるのですが、ここにはサタンが侵犯できません。悪魔の愛の内容をもって侵犯できないので、解放圏が形成されることによって、地上に天国が形成されます。

 

 

第一節 人類の希望

 

 

天一国経典「天聖経」目次

天聖経:第二篇 真の父母

第二章     真の父母とメシヤ

第一節      人類の希望

 

1歴史時代には真の父母がいませんでした。地上に堕落した父母だけがいたので、天上にも真の父母がいませんでした。神様を人類の父母と言うのですが、神様はどのような立場にいるのでしょうか。神様御自身が真の父母になろうとすれば、真の子女をもたなければなりませんが、そうでない立場では、真の父母になれません。ですから、神様御自身の立場を見ても、人類を創造することはしましたが、創造した立場で、父母としての位置、真の神様としての位置をもてなかったのです。すなわち、人類の始祖が堕落したので、神様は真の神様になることができませんでした。

 

言い換えれば、人類の完成とともに、人類の真の父母を中心とする人類の真の家庭が成されたはずであり、人類の真の家庭とともに真の氏族、真の民族、真の国家、真の世界が形成されたはずです。このようになっていれば、真の神様の心情を受け継いだ真の神様の血族になったはずであり、真の神様の血族によって、真の神様の民族が形成されたはずです。その民族を中心として、神様が直接治める一つの国が形成されたはずだというのです。

 

 

真の父母は歴史的願い

 

2私たちは堕落した人間なので、真の父母を失ってしまった群れです。真の父母を失ってしまったので、真の子女になることができなかった群れです。創造当時、最大の善の理念で立てようとした真の父母と真の子女がすべて壊れていきましたが、神様は、歴史的な苦労の路程、数多くの逆境と数多くの苦痛の路程を経てでも、再び真の父母を立ててくださろうとするのです。同時に、真の子女を立て、真の夫婦、真の兄弟、真の国家、真の世界、真の人類、真の天宙を立ててくださろうとするのです。神様は、最初から堕落した人間の心の中に入ってきて役事するのではなく、遠い相対的立場で、堕落した人間に万物を連結させ、真の息子と連結させたのち、あとから人間の心の中に入ってきて、心情の父になろうとするのです。これが救援摂理の終着点です。

 

 

 

3堕落した世界の歴史について見てみるとき、この世界には堕落した父母が生まれました。堕落した父母が生まれて、堕落した世界をつくったというのです。この世界は、堕落した父母と因縁づけられた世界であって、真の父母と神様が理想とした本然の世界とは、関係のない世界です。ですから、長い人類歴史を経てきながら、この世に多くの人たちが生まれて死んでいきましたが、彼らの中で、幸福を謳歌しつつ、「私は人間として生まれて幸せであり、人間としてすべての面で成功した一人だった」と、宇宙の前に誇って生きて死んでいった人は一人もいないのです。

 

 

 

4人間の歴史的な願いは、真の父母に侍ることです。真の父母を迎えることです。神様がイスラエルの囲とユダヤ教を立てられたのは、メシヤを迎えるためです。メシヤとは真の父です。また、キリスト教とキリスト教文化圏をつくったのは、再臨主を迎えるためです。再臨主は、第三次アダムとして来られる真の父です。

 

 

 

5私たちが抱くべき希望とは何でしょうか。天に代わってこの地に来られる真の父母様に侍ることを心から希望しなければなりません。

 

侍るには、勝利の基盤が形成されたのち、万民が仰ぎ見、万民が恭敬するようになった立場で侍ることを願ってはいけないのです。悲しい歴史を経ている真の父母に侍ることを願わなければなりません。悲しい歴史を経ている真の父母に侍ることができなかったことを、先祖たちは恨と思っています。真の父母に侍ることを、全人類は心から希望するのです。ですから、栄光の場で侍ろうとするより、悲惨な場で侍る真の孝子、真の孝女にならなければなりません。

 

 

 

6真の父母が来られる時になると、世界のすべての国家が兄弟の関係をもつので、第二次世界大戦後に、戦勝国家が敗戦国家を解放させるということが起こりました。これは、兄の立場から弟を打ったので、弟に福を祈ってあげなければ、来られる父母から罰を受けるので、そのような通常とは異なる歴史的現象が起こってきたのです。歴史が願いつつ求めてきたことは、真の父母に出会うことです。宗教が出てくるのも、真の父母に出会うためです。世界が出てくるのも、国が出てくるのも、真の父母を求めるためです。真の父母の道を備えるために出てくるのです。

 

 

 

7真の父母は全体の希望の象徴です。堕落した人類の前に、絶対的な希望の象徴です。それは歴史的な緒実体であり、時代的な中心であり、世界の国家圏の中心です。真の父母は、理想世界に連結される未来線上における出発点です。それでは、歴史時代の先祖たちは何を願うのでしょうか。統一の世界は誰と出会うことを願うのでしょうか。真の父母と出会うことを願います。言い換えれば、真の父母と永遠に相まみえようとするのです。

 

 

 

8「真の父母」という言葉は、歴史時代において、誰も呼び求めてみることができず、誰も考えることができませんでした。しかし、私たちは、呼び求めることができ、知ることができ、侍ることができる栄光の位置に立っています。このように私たちは、歴史時代の誰よりも幸福な位琶に立っており、誰よりも高貴な位置に立っています。真の父母という名称とともに、歴史は今まで苦労してきたのであり、真の父母の勝利の基盤を備えるために、歴史的な数多くの犠牲の代価を払ったことを考えるとき、真の父母という言葉こそ、人類には、福の中の福の言葉なのです。

 

真の父母によって歴史が治められ、真の父母によって新たな世界に戻り得る起源が生じ、真の父母によってサタンを屈服させ得る内的な関係が決定し、真の父母によって外的な世界を占領しているサタンを征服して、初めて神様を解怨成就してさしあげられる中心が決定するのです。ですから、真の父母と共に生き、真の父母の命令を受けて行動できる、この驚くべき患みに感謝しなければなりません。

 

 

 

9真の父母は、人類歴史の最高の希望の存在です。歴史の最高の勝利の基台です。いかなる民族も求めるべき歴史の希望の中心点です。歴史の望むところは、国でもなく、世界でもありません。外的には、国や世界のように見えますが、外的世界だけでは解決できません。神様の摂理は、世界を救うことが目的ですが、世界を救おうとすれば、善の父母がこの地上に来て、完全な基台をつくらなければなりません。こうならなければ、国家や世界を救う完全な道は生じません。

 

ですから、歴史全体の希望は、国でもなく、世界でもありません。真の父母です。ここでは、民族観や、世界観は認められません。民族観も、父母の血統を受け継いだのちに立てられなければなりません。それができたのちに、氏族を編成しなければならず、民族を編成しなければならず、世界を復帰しなければなりません。父母がいなければ何もありません。真の父母を迎えなければ、何も始まりません。

 

 

 

10歴史は、何を求めてきたのでしょうか。時代は、何を求めてきたのでしょうか。未来は、何を求めなければならないのでしょうか。真の父母です。全体がここに帰結しなければ、歴史過程や宇宙の中から幸せの基準を探してみることができません。

 

愛の起源は、本来神様と人間を中心として、縦的・横的基盤がすべて同じでなければなりません。違ってしまったこの基盤を同じにすることが堕落した人類の願いです。このような点で、キリスト教では、イエス様を中心として新郎新婦の関係を結んできたのです。

 

 

 

11私たちは、目的を千年後の未来に求めるのではありません。私たちの求める目的も、未来の子孫たちが求める目的も、過去に求めるのです。それが真の父母です。これは過去のものであり、現在のものであり、未来のものです。これは永遠のものです。皆さんは、この理念を中心として近づく世界を歓迎ばかりしていてはいけません。真の父母を慕いながら、侍っていかなければなりません。したがって、今日、この時代圏内にいる皆さんは、現在に暮らしていますが、過去の結実であり、未来の起源にならなければなりません。この三時代が一つにならなければならないのです。後ろには過去、前には未来を統合させることができる、現在の自分にならなければなりません。

 

それでは、何をもって統合するのでしょうか。真の父母の愛で統合させなければなりません。誰に統合させるのでしょうか。息子、娘に統合させなければなりません。その息子、娘は、真の父母の愛を中心とする息子、娘です。言い換えれば、堕落していないアダムとエバが生んだ息子、娘と同じです。ここから天国の息子、娘になることができます。したがって、三時代の愛の関係をもって生まれた位置が、真の父母の息子、娘になる位置です。たとえ人間が堕落したとしても、歴史過程を逆に上がっていき、その位置を取り戻さなければなりません。

 

 

 

12亡くなったと思っていた、本性を中心とする本然の父母がよみがえる、その道を「私」が開拓するためには、言葉で表現できない精誠を込めなければなりません。また、誰よりも、天の悲しみに胸が引き裂かれるほど心を痛め、無念さと悔しさを感じる、その位置で忠誠を尽くさなければなりません。そのような心をもって、父母がよみがえる道を築かなければなりません。それが子女の道理であり、孝子の位置に立つことです。これが私たちの責任です。ですから、生死を意に介することなく、この道を開拓しなければなりません。世の中の良いことと、世の中の迫害と、死の道も意に介することなく、この道を開拓するために忠孝の心をもたなければなりません。

 

 

真の父母の息子、娘になるということ

 

13今日、私たちが生きているこの世界に真の父母を迎えましたが、この地には、真の父母の息子、娘だけが生きているのではなく、堕落した父母の息子、娘も生きています。

 

本来は、真の父母の血肉を通して、神様の愛する息子、娘になるはずだったのですが、堕落により、堕落した息子、娘になってしまいました。それで、その人類始祖の過ちを解怨成就してあげるために、再び来られる父母が、再臨主であり、救世主です。

 

 

 

14 イエス様は、堕落していない真の父母でした。真の父母の使命をもって来ました。人間の先祖、アダムとエバは、堕落することによって堕落の血統をつくってしまいました。彼らは、神様が望む本然の理想世界、堕落していない世界で、神様と一体になって神様の直系の血統を受けた息子、娘を生むべき真の父母になることができず、サタンと因縁を結び、死んだ子を生んだサタンの頭になったのです。したがって、今日、人類はすべて、偽りの父母に出会いました。ですから、偽りの父母の血統を否定して、真の父母に出会わなければなりません。

 

 

 

15堕落は、悪魔の偽りの愛と、偽りの生命と、偽りの血統が蒔かれたことです。人には、愛があります。生命があります。先祖から受け継いだ血統があります。ですから、一人の人は、歴史の始めの先祖から受け継いだ愛の結実であり、生命の結実であり、血統の結実です。サタンの愛と、サタンの生命と、サタンの血を受けて、神様の怨讐になり得る立場にいるということです。これを払いのけて脱ぎ捨てなければ、地上に平和はやって来ません。それで、先生が真の父母の理想をもって来たのです。真の父母は、この偽りの愛をきれいに清算して、個人、家庭、氏族、民族、国家が分立できるよう、平和と反対となる悪魔の要素をきれいに清算するために闘争するのです。

 

 

 

16キリスト教が世界的な版図を形成するまで、どれほどの犠牲の代価を払ったか分かりません。殉教の祭壇で絶えず犠牲になることによって、その悲惨な叫び声が地球上に響き、その泣き声の聞こえなかった所がないほどになりました。その血の祭壇が連続し、今日、目前にまで到達した歴史的な恨が絡まっているのです。これを受け継いで解怨すべき、厳粛なる歴史的な課題を抱いている私たちは、神様を解放し、キリスト教を解放しなければなりません。キリスト教を立てて以来、今までキリスト教がどれほど悲惨な歴史を経てきましたか。これを解放しなければなりません。天宙を代表した天地の主体の国として、主体の宗教として、人類を収拾するばかりでなく、後代の千秋万代に勝利した王子権である長子権を賦与されなければなりません。

 

 

 

17人間の願いとは何でしょうか。人間の理想や希望というものは何でしょうか。どこに帰結するのでしょうか。その第一が何ですか。神様の息子、娘になることが、人間の最大の希望とならざるを得ません。その次は、神様から愛される息子、娘になることです。その次には、神様のすべての存在を「私」が相続することです。それ以上はないのです。人間の願いは、神様の息子、娘になること、神様から愛される息子、娘になること、神様のすべての存在を相統する息子、娘になることです。

 

 

 

18幸せとは何でしょうか。父母を失ってしまった孤児のような民が、六千年目に父母と巡り合うことです。これ以上に喜ばしいことがどこにありますか。宗教をもつことは、このような父母と巡り合うことに加担することです。永遠に死んだと思っていたのに、その死んだ父母が生きることができるというのです。父母が生きることができるのなら、私たちは、手段と方法を選ぶことができません。父母と出会うのに、財産が問題ですか。親戚が問題ですか。国が、世界が問題ですか。何も問題になりません。すべてを後回しにして、父母と出会うために、あらゆる精誠を尽くさなければなりません。

 

 

 

19神様は、愛する真の息子と娘を、愛を存分に与えたいと思っていた子女を失ってしまいました。男女関係から見れば、神様を中心とする夫婦を失ってしまいました。そして、子女として見れば、真の父母を失ってしまいました。一つの堕落行為で、この三つをすべて奪われました。どのようにしてこの三つの心情を、蕩減復帰原則によって一度に蕩減し、神様が認める基準を立てるか、ということが問題です。まず神様のみ前に真の息子、真の娘として、神様が愛し得る基準を復帰し、その過程を通過して結婚の適齢期になれば、神様の愛を中心とする夫婦として結合し、そこで再び、神様が喜ばれ、神様が願われる四位基台を造成するために、善の子女を生まなければならないのです。

 

 

 

20人類の希望は、真の父母に出会うことです。歴史の結実は、真の父母に出会うことであり、時代の中心は、真の父母に出会うことであり、未来の出発の基地は、真の父母に出会うことです。そこに接ぎ木された皆さんは、枝になるのです。

 

今まで、歴史時代の願いは、すべて来来にありました。しかし、皆さんの一生を中心とする真の父母との縁は、永遠に一時しかありません。一度しかない貴いものです。先祖たちももてなかったのであり、子孫たちももてないのです。皆さんの希望は、ほかにあるのではありません。真の父母の息子、娘になることです。真の父母の息子、娘になって、真の孝子、真の孝女になることです。その真の父母が、今後、天下を中心として、地上の万王の王になります。ですから、人類の希望や歴史の希望や時代の希望など、そのすべての希望の中心が結実できるところがここです。皆さんの希望は、ほかにあるのではありません。

 

 

 

21今日、万民が願うこととは何でしょうか。世界や国家を求める前に、真の父母を迎えることです。また、未来の子孫たちは誰から出発したいと思うのでしょうか。皆さんの息子、娘は、真の父母の血統を通して生まれたいと思うのです。ですから、真の父母は、新たな未来の出発点になるのです。真の父母を完全に愛そうとする人は、世界を本当に愛そうという人であり、真の父母を完全に愛することができる人は、未来世界の子孫たちまで愛することができる価値をもった人です。したがって、真の父母の愛を受けるために自らの生命をすべて捧げて犠牲にしても感謝できなければなりません。そのような人は、真の父母の愛を相統するのに不足がないのです。

 

 

 

22人間は、神様から造られて生まれましたが、神様の息子、娘としての振る舞いができません。その第一は、神様が人間を息子、娘として愛することができないことです。神様が人間を愛することができず、また人間は、神様の息子、娘として愛を受けることができないのです。第二には、神様の愛を受ける息子、娘として聖婚式ができず、第三には、彼らが神様の愛を中心とする天の家庭を築くことができずにいるということです。この三つを彼らがすべて成し遂げていれば、人間は、今日のように悲惨になっていなかったはずです。

 

ですから、最後に私たちが行つて再会すべき所、最後に私たちが行つてとどまるべき所、そこを求めていかなければなりません。世界の国々が本然の祖国を求めなければならず、世界の数多くの人間が、本来の自分の故郷、本郷を求めなければならず、数多くの氏族たちが本来の父母を求めなければなりません。これが、今まで神様が摂理してこられた目的です。

 

 

 

23救援とは、本然の状態に戻ることです。それでは、本然の状態に復帰するにも基準があるはずですが、その基準とは何でしょうか。人間は男性だけがいるのではなく、また女性だけがいるのでもありません。したがって、復帰の第一基準は、神様の息子や娘になるだけではなく、子女の位置を経て、夫婦の関係を結び、真の父母となって新しい血族を立てることです。これが人間の創造目的であり、人類歴史の新しい出発基準になります。ですから、国や民族、氏族が問題ではありません。また、息子、娘が問題ではありません。人類にとって最も問題になることは、人類の前に必ず存在しなければならない真の父母、神様が実体として顕現なさる真の父母を決定することです。真の父母をどのようにして決定するかということが、人類の最高の問題であると同時に、目的だというのです。

 

 

 

第二節 イエス様の再臨と真の父母

 

 

天一国経典「天聖経」目次

天聖経:第二篇 真の父母

第二章     真の父母とメシヤ

第二節      イエス様の再臨と真の父母

 

1偽りの父母から連結されたその結果を、真の父母がこの地に来て完成したこの時において、先祖たちは、子孫たちを助けてあげることによって救われます。真の父母に似ていなければならないのです。ために生き、献身生活をする子孫たちによって、霊界での自分の位置が変わります。

 

メシヤが最後の時に来て、すべての堕落した世代を教育するのです。偽りの父母がこの地とあの世界につくつておいたものを、完成した真の父母が来て、再び立て直すのです。本然の概念に従って一つになることにより、取り替えることができます。そのためには、アベルの立場である次子に、カインが従っていかなければなりません。霊界はカインの立場なので、次子の立場である地上に従っていかなければなりません。次子は、次の世代のことを言います。キリスト教は、イエス様を中心として、次の世代へと拡大してきたのです。

 

 

 

2聖書を見ると、「わたしはアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終りである」(黙示録二二・一三)とあります。創世記で成し遂げようとした目的を、人間の堕落によって成し遂げることができなかったため、ヨハネの黙示録で成し遂げるようになるのです。

 

それでは、イエス様は、どのような方として来られたのでしょうか。アダムが堕落したので、堕落しないで神様の愛に一致できる完成したアダムとして来られました。それで、コリント人への第一の手紙第十五章四十五節を見ると、「『最初の人アダムは生きたものとなった』と書いてあるとおりである。しかし最後のアダムは命を与える霊となった」と書かれているのです。聖書を見ると、イエス様を二番目のアダムとしています。神様が人間に賦与できる真の息子の位置、夫婦の位置、父母の位置を決定しなければ、神様が計画された家庭を探すことができないので、それが地上に現れなければなりません。

 

 

 

3堕落した人間は、どこから本然の真の愛の基盤を探し出していくのでしょうか。真の神様、真の父母様からであり、真の神様を中心として人間が互いに調和するところから始まります。それで、聖書は何を教えてくれているのでしょうか。神様のみ旨を果たすことができる核心を、旧約と新約の六十六巻を通して教えてくれました。神様の願いの核心、人間の願いの核心である愛の理想世界、天国に直行する道を教えなければなりません。その核心は、神様は既にいらっしゃいますが、真の父母がいないので、真の父母を探すことなのです。世界の宗教を中心とする摂理の決定権がここにあるので、イエス様が新郎として新婦を求めてきたのです。それで、聖書の結論は、新郎新婦を復帰して本然の愛の園を訪ねていくということです。

 

 

 

4創世記に、エデンの園には二つの木があり、一つは生命の木であり、もう一つは善悪を知る木であったとあります。その木とは何でしょうか。神様が探さなければならない真の男性と真の女性です。真の父と真の母になる二人を失ってしまったのですが、その真の父母を象徴する言葉です。すべてそのように教えてくれています。

 

イスラエル民族を荒野で導くとき、火の柱と雲の柱がありましたが、昼に導くのが雲の柱であり、夜に導くのが火の柱でした。それは、男性と女性を象徴し、終わりの日に父母が来るとき、イスラエル民族が侍ることを象徴的に見せてくれたものです。この火の柱と雲の柱の導きに従っていかない人は、すべて滅亡するようになります。

 

 

 

5イスラエル民族が四十年間、メシヤを迎えるためのカナン復帰をして、地上天国と神様の理想世界を実現するために、真の父母として来られるメシヤを迎える道を案内するのがカナン復帰路程です。ところが、その民族が荒野で倒れそうになったので、象徴的にメシヤの身代わりとして与えたのが、契約の箱の中に入っている二つの石板でした。これに絶対的に侍ることによって、来られるメシヤに絶対的に侍ることができるのです。そうすることで、天の国の建国が始まるということを見せてくれました。ですから、象徴的なメシヤを立てて訓練したのが、幕屋の理念です。メシヤが降臨できるようにする象徴的な準備だったのです。

 

6終わりの日には、どのようになるのでしょうか。天地がひっくり返るのです。天道が変わります。天道が変わるというのは、天が割れることではなく、丸かった地が平らになるということではありません。天道が変わるというのは、み旨から見るとき、あとから出てくる人が先祖であり、先に出てきた人が子孫になるということです。人類始祖が六千年目に来るので、その父母の血肉を受けてこそ、本来の正常な軌道になるのです。それで、イエス様は、「アブラハムの生れる前からわたしは、いるのである」(ヨハネ八・五八)と言ったのです。アブラハムより先にいたとはどういうことでしょうか。イエス様は、父母として来ましたが、父母が二組ということはあり得ません。人類の先祖が二組ということはあり得ないのです。イエス様は、先祖格であり人類の真の父母格として来たので、み旨を中心として神様の側から見れば、アブラハムよりも先だというのです。

再臨思想と真の父母

 

7人間を造られた神様の目的は、霊的な碁準の、妄想のような空想の国家理念を成就するためではなく、生きている間に人間たちが汗を流しながら、生活しているその基盤の上に、家庭と氏族を編成し、民族と国家を編成して、神様が愛される希望の国、希望の天国を成就することです。このような国を編成して、神様の愛を受けなければならないというのが、本来の創造理想でした。

 

このように、地上に何の基盤もない霊的な国だけをつくることが、神様の願いではありません。再び来られる主が、空中から雲に乗ってきて霊的に妄想のような国家を創設することが、神様の願いではありません。彼が再び来るのは、この地を足場にして神様の愛をすべて受けることができる一人の新婦を迎え、人間の先祖が、六千年前に人類の真の先祖になることができず、偽りの先祖になることによって失ってしまったものを、取り戻す役事をするためです。

 

 

 

8愛の絆を求めてきた神様が、四千年の苦労の結実として、イエス様を人類の真の父として、真の男性として送られたので、イスラエル民族を代表して一人の真の女性が現れ、真の父となるイエス様を真の母の立場で愛していれば、その時からイスラエル民族は、哀れな民族でもなく、孤児でもなく、世界へ飛躍できる民族として出発していたはずです。それにもかかわらず、イエス様を追い出すことによって、この地上に実体を備えて神様の愛を連結させるために、息子として来られた一人の男性を失ってしまいました。そして、この男性は、み旨を果たすことができずに逝ったので、再び来なければなりません。

 

 

 

9私たちには、必ず求めるべき、ただ一つの問題が残っています。この一つの問題とは何でしょうか。神様の愛です。その愛は、偽りの父母から出てくるのではなく、真の父母によってこの地上に顕現するようになります。真の父母がいるためには、先に真の父が来なければなりません。その父の人格と神様の愛を代わりにもって、この地球星に訪ねてくる方が、今日、宗教人たちが信じている、宗教思想の中心的な存在、すなわち再臨主です。

 

 

 

10再臨思想とは何でしょうか。それはメシヤ思想を意味します。メシヤは、父を意味します。皆さんは、新しい血統を受け継がなければなりません。新しい血統を受け継ごうとすれば、メシヤが父として来て、サタン世界に勝利した、サタンが干渉できない超世界的な基盤でエバを迎え、蕩減復帰しなければなりません。そして、夫婦を中心とした家庭を中心とする息子、娘を、横的に接ぎ木しなければなりません。それで、統一教会で祝福をしてあげるのです。統一教会は、血統が神様から始まりました。ですから、いくらでもサタン世界で反対してみなさいというのです。反対すれば、損害賠償を支払うようになります。

 

 

 

 

 

11再臨思想は、真の父母の思想です。真の父母を意味するのです。真の父母を通して血統を転換するのですが、その血統転換をするには、男性一人でもできず、女性一人でもできません。縦的に結ばれたものなので、横的に入れ替えなければなりません。逆にならなければならないというのです。父母様の心情を中心として連結していかなければなりません。

 

 

 

12統一教会の教会員たちは、キリスト教と関係がないと思っていますが、それは絶対に間違っています。旧約時代も、結局は復帰のためのものであり、アダムとエバ、真の父母復帰のためのものです。新約時代も、真の父母の復帰のためのものであり、成約時代も同じです。真の父母の復帰という内容は同じです。メシヤは真の父母です。したがって、キリスト教も、ユダヤ教も、統一教会も、その目的とする内容は同じです。

 

それでは、違うこととは何でしょうか。ユダヤ教は、国家的次元でメシヤを迎えようとしました。国家的次元で真の父母を迎え、世界へ拡大することが目的でした。キリスト教はどうでしょうか。イエス様が逝かれたのち、世界的な基盤でメシヤ、真の父母を迎えるためのものです。成約時代とは何でしょうか。これは天宙的です。霊界まで真の父母を迎えるようにしようというのです。次元が違います。それを、はっきりと区別しなければなりません。

 

 

 

13天の国が来る前に、天の国の民族が出てこなければなりません。その民族が出てくるには、どのようにすべきでしょうか。民族は一度には出てきません。特別な氏族が出てこなければなりません。その氏族が出てきて、民族を動かさなければなりません。その氏族が出てくるには、親族がいなければなりません。その親族が出てくるには、親族の中心になる家庭が出てこなければなりません。その家庭が出てくるには、子女がいなければなりません。その子女が出てくるには、父母がいなければなりません。その父母が出てくるには、天の国のすべてを代表できる一人の男性がいなければなりません。それがメシヤです。その男性が父母になるには、相対をつくって、その相対と一つにならなければなりません。それがキリスト教の教えです。それが終末です。このように逆さまに落ちたのを、世界的なキリスト教の基盤の上に、二千年間イエス様を中心として、反対に霊的な復帰をしてきました。これが霊的なキリスト教です。ここでメシヤを迎えれば、すべてが終わるのです。

 

 

メシヤがすべきこと

 

14宗教の中で最高の宗教は、愛の論理を立てて、堕落した世の中に対する完全否定を主張する宗教です。堕落した世の中を否定してから、そこで否定した以上に肯定的な愛を展開させることができる宗教でなければなりません。そのような世界になれば、理想世界が訪れるのです。統一教会は、何をするところでしょうか。神様が人間との愛の味を味わえるようにしてさしあげ、また人間世界に下ろせなかった神様の愛の根を、下ろせるようにするところです。

 

 

 

15善悪の主人が闘っています。人間を中心として善悪の闘争をしています。その闘いを誰が終わらせなければならないのでしょうか。神様もその闘いを終わらせることができず、サタンも終わらせることができません。悪神と善神の闘いを、誰が終わらせてあげることができるのでしょうか。それは、神様でもなく、サタンでもありません。人間は人間なのですが、真の人間です。真の愛から出発して真の愛をもっていく、世界万民がついていける愛の主人公にならなければ、神様とサタンの闘いを終わらせることはできません。

 

それでは、誰がこの闘いを解決することができるのでしょうか。神様は、その代表者を送られたのですが、その主流思想をメシヤ思想と言うのです。

 

 

 

16メシヤが来て何をするのでしょうか。メシヤは、歴史上初めて、一つの国の主権と国土と民を取り戻し、それを基盤として、横的な世界を復帰するための闘いを指導する司令官として来るのです。それがメシヤの使命です。サタンを屈服させようとすれば、国家を屈服させるだけではいけません。サタンは世界的な主権をもっているので、世界の主権までも追放しなければなりません。そうして初めて、この地球星に解放圏ができるようになります。地球星のどこに行っても、サタンが反対する影があっては、神様が自由と平和の園としてつくられたエデンの園の理想が実現されません。地球星にサタンの反対する影がなくなってこそ、地上天国が完成します。

 

 

 

17メシヤがすべきこととは、個人的にサタンを屈服させ、サタンの血統を除去し、個人的に勝利の道を築かなければならず、家庭的、国家的、世界的に勝利の道を築かなければなりません。これがメシヤの行くべき道です。第一は、個人が行く道を築かなければならず、第二は、家庭が行く道を築かなければならず、第三は、国家が行く道を築かなければならず、第四は、世界が行く道を築かなければなりません。個人的に勝ったのちに、世界的なサタンが動員され、国家と民主世界が一つになって攻撃してきても、それと闘って勝たなければなりません。家庭的にも、世界的にも、そのようにしなければなりません。言い換えれば、ヤコブが天使と闘って勝ったように、勝たなければならないのです。これは一対一の闘いです。しかし、今は、サタン世界全体を打たなければならず、そのためには、そうすることのできる最先端の代表的な国がなければなりません。そこが韓国です。

 

 

 

18来られる主は、どのようなお方でしょうか。悪魔サタンを屈服させなければならず、数多くの霊人、数多くの教祖、数多くの霊界の指導者たちを屈服させなければなりません。神様の人格と真の愛を中心として、宗教とこの宇宙はこのようなものだということを、すべて納得させることによって屈服するのです。この地上の、より高い愛の主人公の前に吸収されようとするのが、この万有の存在です。ですから、真の愛を中心として屈服させ、彼らのすべての権限を相続しなければなりません。統一圏の相続を受けなければなりません。それが、メシヤという方がこの地上で果たすべき責任です。

 

 

 

19道人たちの中には、自分は天下で何々になると言って誇る人々がいますが、彼らはこの堕落圏を収拾する内容がどうなっているかも知らず、ただ時だけを願って精誠を尽くしています。それではいけません。サタン圏で勝利し、その次には霊界圏で勝利しなければなりません。それは、見える世界ではなく、見えない世界です。見えない世界と闘争してサタンに勝利しなければ、霊界に進める道が生まれません。必ず妨害を受けるので、霊界に入ることもできず、入ったとしても闘って勝つことができません。

 

したがって、サタン圏で勝利圏を備え、その次には霊界に入って勝利圏を備え、雑教から、すべてを経て最高の宗教まで、キリスト教が最高の主流宗教であれば、キリスト教まで屈服させなければなりません。それは、彼らのすべてのものを相続しなければならないということです。このような闘いの過程を経て、天地に勝利の公認を受けるようになるとき、神様から「お前は、サタンと霊界の勝利者だ!」という立て札をもらって、地上実践路程が始まるのです。そのような歴史が残っているのです。

 

 

第三節 メシヤは真の父母の起源

 

 

天一国経典「天聖経」目次

第二篇 真の父母

第二章 真の父母とメシヤ

第三節 メシヤは真の父母の起源

 

1今日、堕落した人間は、希望の理念と一つの帰一点を求め、さまよっています。その最後の目的は、天地と共に喜び、天地と共に通じ、天地と共に和動することができ、天の栄光を表すことができる人を探すことです。そのような一人の人が、信仰の目的体であり、希望の目的体であり、愛の目的体であるということを知らなければなりません。

 

復帰原理を通して知っていることですが、信仰基台を立てるための蕩減条件や、堕落性を脱ぐための蕩減条件など、すべてのものは信仰を基盤として出てくるのです。堕落性を脱ぐためには、希望の結実体であるメシヤが来なければなりません。私たちが、今まで希望の一時を願ってきていることは、来られるメシヤに帰結するのです。メシヤは、そのものが信仰の目的体であり、希望の目的体です。それでは、メシヤを中心として目的を果たしたその時には、何が残るのでしょうか。愛だけが残ります。その愛ほ、信仰の完成実体を通じた愛であり、希望の完成実体を通じた愛です。その一つの愛を中心とした代表者として来られる方がメシヤです。

 

 

メシヤは信仰、希望、愛の結実

 

2人間は、不可能なことが可能になる一時を願っています。不可能であるがゆえに、その時、その人を求めてさまようのです。信仰の目的体であり、希望の目的体であり、愛の目的体であるその一人を求めるために、堕落した人間は苦しんでいます。ですから、私たちが信仰を叫ぶときは、信仰の結実体が必要なのであり、希望を叫ぶときは、希望の結実体が必要なのであり、愛を叫ぶときは、愛の結実体が必要なのです。

 

信仰と希望と愛の結実体は、堕落の因縁を受けず、堕落の世界とは関係ない真の人です。その方によって天地は収拾されるのであり、その方によって初めて天の栄光が始まるのであり、その方によって父と息子の愛が始まるのです。また、その方によって父子を中心とする夫婦の関係と、夫婦の関係を中心とする家庭の絆が連なり、新しい天地の起源が始まるのです。

 

 

 

3来られるメシヤは、信仰の実体、希望の実体、愛の実体になる方です。信仰の実体になるためには、信仰を主として世界史的な闘争過程で勝利した資格を備えなければなりません。功労がなければならないのです。希望の結実体になるためには、世界的な希望の闘争歴史で勝利した価値をもたなければなりません。愛の結実体になるにおいても同じです。

 

信仰生活をしている私たち個人が、信仰と希望と愛を求める目的とは何でしょうか。個人を救うために信仰する場合もあり、家庭を救うために信仰する場合もあるでしょう。さらには、氏族、国家、世界、天地のために、信仰の結実体を求める場合もあるでしょう。個人より家庭を救うことがより難しく、家庭より氏族を救うことがより難しく、氏族より民族を救うことがより難しいのです。範囲が広くなれぱなるほど、救うことがより難しくなるのです。

 

 

 

4来られるメシヤとは、どのような方でしょうか。個人はもちろん、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙すべてにおいて、信仰と希望と愛の実体として立つ方です。その方が、このような場に立ってこそ、人類の歴史上に残っている信仰が結実するのであり、希望が結実するのであり、愛が結実するのです。そうでなければ、信仰と希望と愛は結実することができません。その方が語る言葉は、個人的な言葉ではありません。皆さんも、そのような信念をもって叫ぶようになるとき、その言葉は、個人の口から出てくる言葉ですが、世界史的な内容とその縁を備えた言葉になるのです。

 

 

メシヤは真のオリーブの木に接ぎ木してくださる方

 

5神様は、堕落した世界を救援するために宗教を立てました。世の中は、サタン世界の畑になっています。聖書を見ると、野生のオリーブの木についての内容があります。それはサタンが管理するオリーブの木です。神様が思いどおりにできるオリーブの木の畑をつくるのが宗教です。野生のオリーブの木の畑は、サタンが思いどおりに管理するので、神様が管理するものは一つもありません。したがって、宗教を通してサタンが管理できるオリーブの木の畑を、神様が管理できるオリーブの木の畑にして拡大し、世界のサタン圏、悪のオリーブの木の畑を凌駕する基盤をつくるのです。そのためにあるのが宗教文化圏です。

 

 

 

6サタン世界は、既に国家になっているので、神様の摂理も、国家を転換させなければなりません。この国家的父母の立場に立てられた方が来られるというのが、イスラエル民族のメシヤ思想です。本来、堕落していなければ、真の父母を中心として、そのまま天国へ行くのです。そのまま天国に行き、天の宮殿を通して天国の国民になっていたはずです。しかし、堕落したので、そのような立場をすべて失ってしまい、地獄に行くようになったのです。神様が、これを収拾するために、野生のオリーブの木の畑に真のオリーブの木を送るのです。真の父母が来られる時に備えて、準備する主人の立場に立てられたのが、宗教圏です。宗教圏は、まだ真のオリーブの木ではありません。この地球星、野生のオリーブの木の畑には、ある程度、神様が管轄する野生のオリーブの木の畑があります。真のオリーブの木が現れれば、それらがすべて切られる一方で接ぎ木するということが起こるのです。

 

 

 

7神様は、今までサタンに創造世界をすべて奪われた立場に立っているのですが、神様は放置することができないので、この世の中に一つの真のオリーブの木の標本を送ろうというのが、メシヤ思想です。ところで、真のオリーブの木、メシヤ一人で来てはいけません。サタン世界が夫婦を中心として社会を形成し、国家を形成したので、メシヤが一人で来ては、真のオリーブの木になりません。メシヤ、真のオリーブの木とメシヤの相対は、真のオリーブの木を中心として一つになってこそ、真のオリーブの水として実を結ぶことができます。それで、イエス様は、この地に、新郎として来て、新婦を探して真のオリーブの木の畑をつくり、サタン世界の野生のオリーブの木をすべて切って、接ぎ木する運動ができるように準備しなければなりませんでした。

 

神様が管理する氏族圏として、一度にすべて切って接ぎ木できる環境をつくったのですが、それが選民のイスラエル圏であり、ユダヤ教でした。

 

 

 

8六千年前、人間を横的な父母として、神様を縦的な父母として、縦横の父母の愛を中心に喜びの出発をすべきだった起源が、サタンによって侵犯されたため、これを再び取り戻して、真の父母の息子、娘になるようにしなければなりません。そうするためには、野生のオリーブになったので、真のオリーブの枝をもらって、接ぎ木されなければなりません。宗教は接ぎ木するのです。これがキリスト教思想です。それで、新郎新婦の婚姻の宴が、この地上に現れなければならないという話が出てきます。

 

 

 

9サタンが人類を、すべて地獄に連れていきました。それで、神様が一つ、二つと分けて別々のものにするのです。すべてがサタン世界の野生のオリーブの木でしたが、天の側のオリーブの木をつくりました。民主世界のキリスト教を中心として、天の側の野生のオリーブの木をつくり、世界を導くようにしておかれたのです。サタン側の世界が弱化し、キリスト教文化圏ができれば、再臨主が来て、一度に切って、完全に接ぎ木して、一つにして元に戻すのです。

 

 

 

10真の父母とは、血統を正すための主人です。その秘密、秘訣を知っています。処置方法を知っています。堕落した父母が偽りの父母になったので、真の父母は、このすべてを料理できる内容を知って、注射を打って復活させ、偽りの愛ではなく、真の愛、真の生命、真の血統を連結させることができる基準をつくることによって、これをひっくり返すことができるのです。

 

ひっくり返すときに、家庭をすべて一遍に生み返すことはできないので、切って、家庭を接ぎ木するのです。野生のオリーブの木の家庭に接ぎ木しようとすれば、真のオリーブの木の家庭のモデルが一つなければなりません。モデルを接ぎ木して三年さえ過ぎれば、すべて真の家庭の実を結ぶようになっています。誤った野生のオリーブの木の家庭の父母たちに接ぎ木して、真の父母の息子、娘、子女の家庭にしてあげようというのです。

 

 

メシヤを迎えるための基台

 

11人間が堕落することによって、この世界はサタン世界になったので、この世界には、サタン側の個人も、家庭も、氏族も、国家も、いくらでもあります。しかし、天の側はいません。個人はいますが、その基準に上がった家庭や、氏族や、民族や、国家がないのです。結局、メシヤ個人として、家庭に勝ち、氏族に勝ち、国家に勝つ基盤がなければ、一般の人が上がっていく道がありません。神様は、この地上にメシヤが来るようになれば、メシヤに従って共に上がる圏内を、個人から家庭を経て準備しておいたのですが、それがイスラエル民族です。そして、その思想が選民思想です。しかし、イスラエルの国は、まだここに上がることができていません。線に引っ掛かったのと同じです。ですから、選民の希望は、この線を越えることです。この線を越えなければならないのであって、越えられなければ大変なことになります。しかし、この線を越えようとしても、自分たち同士では越える道がありません。

 

 

 

12イスラエル民族の前にメシヤが来て、そのメシヤを中心として、死ぬとしても共に死のうという立場になり、サタンが離そうとしても離すことができないほど完全に一つになれば、そこから個人的に接ぎ木して、家庭的に接ぎ木して、氏族的に接ぎ木して、民族的に接ぎ木して、国家的に接ぎ木して、彼らを一時に引き上げられるのです。ですから、この世界には選民思想がなければなりません。それで、神様が選んだ民族を中心として、神様が選ぶ国家を形成しなければなりません。選民がいるという言葉自体が、神様がいるという事実を証すものです。このような原則で見るとき、メシヤを送ろうという預言があることは、神様がいることを証しています。

 

 

 

13私たちがメシヤを必要とするようになったのは、何の目的があったからでしょうか。堕落することによって、私たちは偽りの父母をもつようになりました。神様と一つになった父母がいなくなったということです。神様と一つになる父母の位置を、私たちにもってきてくれる方がメシヤです。これが第一です。第二は、私たちを再び生んでくれるのです。結局、私たちの体にサタンの血があるので、その血を抜いて、サタンの息子、娘でないという立場で、私たちを接ぎ木して再び生んでくれるのです。第三は、メシヤは、人間をして、悪魔サタンを僕として使うことができる人にするのです。すなわち、人間の前にメシヤが来て、私たちをしてサタンを屈服させて僕にすることができ、それを処断できる資格をもつ人にしてくれるというのです。

 

14終わりの日には、どのようになるでしょうか。天宙主義です。天宙主義は、神様と「私」の主義です。不足であるがゆえに、天があるのかないのか分からず、終末時代において環境をどのように収拾し、その時がどのようになるのか分からないのが人間です。したがって、その時が来て、環境が形成される時に、天が、収拾できる方として送られた方がメシヤ、救世主です。その救世主は、歴史的な、世界的な、偉大な師ではありません。救世主は父です。神様は内的な父であり、来られる救世主は外的な父です。

 

 

第四節 真の父母と家庭の救い

 

 

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天聖経:第二篇 真の父母

第二章     真の父母とメシヤ

第四節      真の父母と家庭の救い

 

1人類始祖であるアダムとエバが、長成期完成級で堕落することにより、人類の父母がいなくなりました。言い換えれば、神様が願われる真の人類の父母が立てられるべきでしたが、そのようにできませんでした。神様が喜ぶ一つの家庭をもたなければならないのですが、そのような家庭をもつことができませんでした。ですから、神様を中心とする四位基台が成立しなかったのです。堕落した家庭から、堕落した子孫が生まれました。堕落した家庭は、神様と内外の関係を結ぶことができない悪の圏内に落ちているので、神様と内外の関係を結ぶことができる家庭を再び取り戻すために、今まで神様は苦労してこられたのです。それが復帰摂理歴史です。

 

 

家庭を求めてきた摂理

 

2堕落した人間は、サタンの讒訴圏を抜け出た神様の息子に出会わなければなりません。人間には父母がいません。皆さんは、堕落した父母はもちましたが、天のみ旨の中で完成した父母は、もつことができませんでした。神様の息子、娘に出会ったのちには、神様が愛し得る父母の立場を取り戻すのです。その次には、父母の家庭を取り戻すのです。父母の家庭を取り戻し、神様の愛を取り戻して、神様に出会うのです。

 

 

 

3兄弟を探さなければならず、父を探さなければならず、母を探さなければならず、「私」の家を探し出して本郷の家をもたなければならないのが、今日、この地上にいる人類ですや神様の愛を中心とする父母がいらっしゃるところ、その父母から愛された息子、娘を中心とする家庭が故郷となって「家和万事成」を実現できる環境で、愛の歌を歌いながら横的に伸びていくようになるとき、民族形成が可能なのです。アダムが家庭を失ってしまったので、宗教を通して探さなければならない基準は、まず家庭です。

 

 

 

4堕落していないアダムとエバは、神様の結実体と同じです。ですから、内的には神様と一つになり、外的にはアダムとエバが一つになって家庭をつくれば、それは正に神様の家庭です。そして、家庭で生まれた息子、娘は、そのまま神様の息子、娘になります。

 

ところが、サタンがエバを強奪して、アダムまで堕落させました。十六歳の分別のない時に、愛に対して何も知らない時に、サタンが侵犯したのです。そして、非原理的な愛の因縁を結ぶようになり、神様が臨在すべき位置にサタンが入っていくようになったのです。

 

それでは、誰がアダムとエバの父になるのでしょうか。サタンがなっているのです。ですから、聖書でも、堕落した人間に対して、イエス様が「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた」(ヨハネ八・四四)と言ったのであり、また、「まむしの子ら」と言い、洗礼ヨハネも「まむしの子」と言ったのです。聖書で言う蛇が、正に人間の先祖なのです。

 

 

 

5神様の再創造歴史は、失ってしまったアダム家庭を、サタン世界の版図圏内で探し立てるものです。サタンがどんなに反対しても滅びず、消えないで、勝利して残る一つの家庭をつくるためのものなのです。神様の真の生命と愛を中心とする王宮で、暮らせる家庭をつくろうというのです。それが、救援摂理の最高の目的です。今までの救援摂理歴史は、完成した家庭を探すためのものでしたが、イエス様が来ても、これができませんでした。本来イエス様は、完成した家庭をつくって、国を従えなければなりませんでした。そして、ローマに入って、ローマを消化しなければならなかったのです。そのようになっていれば、天下統一をして還故郷をすることができました。

 

 

 

6今まで神様は、何を求めてこられたのでしょうか。主体を求めてこられたのではありません。理想的な対象を求めてこられたのです。神様を模範とし、御自身が造られた世界の内

 

外の内容を備えているものを求めてこられたのです。このような、結果的な一つの基点が家庭です。家庭以上に宇宙を代表できるものはありません。

 

父母と一つになることは、歴史と現実が出会うことです。ここで「私」は、私一人を中心として父母を愛することによって過去を愛することができ、相対を愛することによって現実を愛することができ、子女を愛することによって未来を愛することができます。したがって、私は、三時代の愛を体験することができるのです。三つの愛が結集した実体の核心が、正に家庭です。

 

 

 

7今まで、歴史では、ある個人なら個人を模範にしようとし、社会が変われば、発展した社会を模範にしようとしました。そのために努力した人が多くいたのであり、またそのような国家も多かったのです。しかし、模範にしようと思う家庭はありませんでした。今までの世界思潮では、そのような家庭が現れることができなかったのです。「誰々の家庭を模範にしなさい」という主義が出てこなかったのです。あの国を模範にしなさい、誰それを模範にしなさいという主張などはたくさんありましたが、あの家庭を模範にしなさいという主張は出てこなかったのです。

 

したがって、最後に残された問題とは何でしょうか。私たちが崇拝できる、個人や国が出てくることではなく、万民が仰ぎ、敬うことができる家庭が出てくることです。そのような家庭だけが新しい世界を創建し、この宇宙に永遠の幸福が宿るようにすることができます。そのような家庭で私たちが安息するようになれば、幸福の基盤がつくられるのです。

 

 

家庭救援の時代

 

8神様が六千年間復帰摂理をされたのは、一国を取り戻す前に、あるいは民族と教会を取り戻す前に、家庭を取り戻すためでした。すなわち、御自分の相対を求めて家庭を取り戻すことだったのです。一国が形成されるためには、家庭がなければなりません。したがって、全体の根本が家庭です。イエス様も、四千年歴史の基盤の上で、家庭をつくらなければなりませんでしたが、家庭の根本となるエバ、すなわち新婦を探すことができませんでした。また、信仰の息子、娘である三弟子を立てましたが、彼らがカイン的な立場で、イエス様の直系の息子、娘に侍ることができず、蘇生、長成、完成、この三時代を代表して、カインが反対したことを家庭的な基準で蕩減復帰できる基準を立てることができなかったので、イエス様は死んでいかれたのです。

 

 

 

9イエス様は、家庭を探すために来られました。救援の歴史は、復帰歴史です。病気にかかったので、病気が治るようにしなければなりません。イエス様は、堕落した人間を救援するためにこられました。救援は、家庭を失ってしまったので、それを再び取り戻すことです。再び取り戻そうとすれば、失ってしまった本来の位置に戻っていかなければなりません。そのようにしなければ、取り戻すことができません。

 

それでは、どうして人間は家庭を取り戻さなければならないのでしょうか。これは、本来の家庭を失ってしまったからです。病気にかかったので、病気を治さなければなりません。すなわち堕落したので、復帰しなければならないのです。

 

 

 

10今までの宗教は、個人救援を標準にしましたが、今後、新しい時代に、世界が好み、神様が立てることができる宗教は、家庭を救援することができる宗教でなければなりません。男性一人だけが救われていけば、女性はすべて従っていきます。また、女性がすべて蕩減するようになれば、男性はすべて従っていくようになります。言い換えれば、女性の言葉に生命を投げ出し、死ぬほど信じる男性は、天国に行くのです。また、男性の言葉を絶対的に信じる女性も、天国に行きます。

 

 

 

11神様を中心とする家庭を探し出すことができなければ、国も探し出すことができず、世界も探し出すことができません。イエス様は、この地に来て、神様が愛する家庭を築かなければなりません。すなわち、一人の新郎として来て、新婦を探し出してこそ、一人の男性を中心として真の父母も生まれ、真の夫婦も生まれ、真の兄弟も生まれます。これができなかったので、再び来て成し遂げると預言したのが小羊の婚宴であり、新郎が新婦を迎えることです。家庭をもってこそ、氏族を探し出し、民族を探し出し、世界を探し出すことができるため、家庭が問題です。新郎新婦が出会わなければならないのです。

 

 

 

12今後の歴史は、どのようになるのでしょうか。新郎となる主が来て、新婦に出会う新郎新婦の宗教圏時代が来るようになります。それが真の父母宗教です。それはもはや従来の宗教ではありません。宗教というものは、その時になくなるのです。真の父母に侍ることによって救援を受けるのです。統一教会で言う侍義の救援時代が来るのです。したがって、真の父母の語る言葉は、自分が語るすべての言葉の根本にならなければならず、真の父母の生理的なすべての感情は、自分のすべての生理的な感情にならなければならず、真の父母の生活は、自分の家庭の伝統的な文化基盤にならなければなりません。

 

 

 

13今は、真の父母時代を迎えたので、ほかの人を伝道する必要はありません。自分を伝道しなければならず、自分を救援しなければならず、自分の家庭を救援しなければならず、その次に、自分の夫婦が救援されなければならず、自分の息子、娘が救援されなければなりません。これが、歴史的総摂理の結実です。実です。

 

今までそのような実を採ることができませんでした。木は生い茂っています。数多くの教派はあるのですが、そのような実を採ることができなかったのです。統一教会で、初めて実を採るようになりました。

 

 

 

第一節 重生と復帰の道

 

 

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第三章     真の父母と重生

 第一節      重生と復帰の道

 

1堕落の起源を見れば、堕落は愛によって始まりました。愛を中心として神様の体となるべき人間が、サタンの体になったことが堕落です。本来、アダムとエバが神様の聖殿となり、神様と一つになって夫婦になっていれば、霊的な基準が一つになると同時に、実体的に一つになっているので、そこで神様を中心とする息子、娘が出てくることができました。ヨハネによる福音書第八章四十四節を見ると、イエス様は、私たちの父であり、私たち人類の先祖が悪魔サタンであると指摘しています。結局、私たちが堕落したということは、人間がサタンの宮殿となり、サタンの体と一つになって、サタンの息子、娘を生んだということです。これが堕落です。結局、アダムとエバが神様め願わない中でサタンと一つになり、否定的な愛を、不義の愛を結ぶようになったことが堕落です。

 

 

重生、復帰が必要な人間

 

2神様が人類を救おうとされる目的はどこにあるのでしょうか。堕落圏以下では、いくら救おうとしても、救えません。神様は堕落していないアダムとエバ以上の真の父母をこの地上に再び送り、その父母を通して人類が再び生まれる路程を経るようにされ、サタンとの関係を永遠に断ち切り、サタンが讒訴しようにも讒訴できないようにされ、神様だけが主管できるようにされるのです。そのような位置で人類が再び生まれなければ、原罪をもった人間が原罪のない位置に戻っていくことはできません。

 

 

 

3生まれ変わらなければならないというのは、堕落したアダムとエバの子孫となった父母の血肉を通して生まれ変わらなければならないということではなく、堕落と関係ない父母の血肉を通して生まれ変わらなければならないということです。そのようにしなければ、神様に戻っていくことができません。罪の根本の根はアダムとエバから始まったので、これを踏み越えて、原罪と関係がない立場で生まれたという資格を備えなければ、神様のそばに戻ることができません。

 

 

 

4皆さんが世の中に生まれるとき、すべて怨讐の血統をもって生まれてきました。神様のみ前に逆賊の立て札をもった、サタンの血統をもって生まれてきました。昔、韓国では、怨讐の家は七族まで滅ぼすと言いました。皆さんは、怨讐の血統をもって生まれたので、四次、五次にわたって肉身がはげたかの餌食になったとしても、何も言えないでしょう。幸い、そのようにはならなかったので、有り難く思わなければなりません。私たちは、怨讐の血を受けて生まれたので、この血を抜き取ってなくさなければなりません。ですから、宗教は「断食をしなさい、温柔、謙遜でありなさい」と言うなど、自分の肉身を打つ役事をしてきたのです。

 

 

 

5人間は本来、神様の子女なので、高くて広い天地のように、高くて広い基章をもたなければならないのが人間の本性です。それにもかかわらず、堕落したので、神様は、人間にそのような基準を賦与することができなかったのです。

 

世界を制覇したいと思う欲望は人間の本能です。本能の欲求なのです。人間の先祖が堕落して、強盗の立場、裏切り者の立場、逆賊の立場で生まれた私たちですが、人間創造時の、天倫に向かって作用する本心は消えなかったので、人間は、宇宙で一番高いところに行きたいと思い、大きくなりたいと思うのです。

 

しかし、宗教では、「私」の体にあるサタンの情欲を捨て、血気を捨てなさいと言います。断食をして、サタンの血統をすべて切ってしまいなさいというのです。霊界に行く時、皆さんが一週間以上天のための断食をしたことがなければ、誰であっても、あの国に行って入籍ができなくなります。

 

 

 

6イエス様は、人間を神様の血統に復帰するために来られるので、復帰するための基盤を築いてこなければなりません。そうしてから、復帰していくのです。私たちがこの世の中に生まれてみると、既にサタン世界の人間になってしまっていました。したがって、神様の息子として復帰するためには、生まれ変わらなければなりません。母のおなかの中を訪ねて入っていったのち、再び出てこなければなりません。重生しなければならないのです。重生とは、生まれ変わるということです。

 

 

 

7人は、男性にある生命の種が女性を経て一つの生命として生まれます。この転換の道は、どこでその交差点をつくらなければなりませんか。それは女性のおなかの中です。それで、女性のおなかに向かって戻っていく運動をしてきました。言い換えれば、歴史は、ずっと原点に戻る条件を立ててきたのです。そして、女性のおなかの中に生命は宿るとしても、その生命は、いい加減に宿ることができません。そこには、懐妊しなければならない女性がいると同時に、懐妊させる男性がいなければなりません。結局、一つの家庭を中心として、神様はそのようなことをしてきました。完全復帰ということを考えるとき、男性の骨肉の中に潜在している赤ん坊の種から出発するのです。ですから、その男性の血肉の中にある赤ん坊の種まで、神様の愛を中心として一体になったという条件を立てておかなければなりません。それを立てなければ、完全な血統転換の基台をつくったという条件が満たされません。

 

 

 

8完全復帰の道を行こうとすれば、汚された血統を清めなければなりません。皆さんの体は、サタンの血を受けました。原理を聞いて観念的に知っているのであって、この体が神様の怨讐であり、人類の怨讐であり、歴史の怨讐であり、天理の逆賊となる、その逆賊の血が入ってきて渦巻いていることを本当に感じているかというのです。この目は、サタンの目です。口も、手も、足も、体すべてがサタンのものです。それで、キリスト教では、罪を拭いなさいというのです。清めなさいというのです。

 

 

 

9もし体が、血統を通してサタンの家になっていなければ、神様の復帰歴史は、あっという間に成し遂げられます。本来は、神様が父にならなければなりません。ところが、人間はサタンの息子として生まれたので、神様を父として感じることは、極めて難しいのです。サタンを北極とすれば、神様は南極のようなものです。ですから、世の中で最も難しいことは、今日まで受け継いだこの血統を否定し、自分の父ではなかった神様を新たに自分の父以上に知る道を探すことです。そのようにしなければ、天国に戻っていくことはできないというのが救援摂理の道なので、歴史上で、救援の道理が最も難しかったのです。全知全能であられる神様が六千年かけても、いまだに完成できていない原因はここにあります。

 

 

重生は血統転換によって

 

10アダムとエバが愛の伝統を破壊することによって、血統を誤って汚しました。偽りの父母が、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統を結んで、このようにしたので、真の父母が来なければなりません。真の父母が、天の父母を知って、天国の秘密とサタン世界の秘密を知り、これらを祝福して、神様の王権を解放してあげなければなりません。それでは、神様とサタンの争いを停止させる権限は、誰にありますか。来られる真の父母以外には、その争いをやめさせる者がいません。偽りの父母が植えておいたからです。

 

 

 

11統一教会の提示する内容は家庭です。これは、父母を中心とする新しい家庭です。新しい家庭制度で新しく出発する息子、娘たちは、過去を清算してこなければなりません。皆さん各自の血統的内容が違い、背後が違っても、父母に似るためには接ぎ木する役事がなければならないのです。接ぎ木しようとすれば、皆さん自体に残された蕩減路程をすべて清算しなければなりません。それは父母から始まったので、父母を通して清算されなければなりません。ですから、真の父母に接ぎ木しなければなりません。アダムが真の父母になることができず、偽りの父母になったので、神様は今まで、真の父母を探してこられたのです。再臨時代の新郎新婦や小羊の婚宴というものも、すべて父母を探すためなのです。

 

 

 

12成約時代は結婚する時代です。アダムとエバが堕落することによって、神様は結婚式をしてあげることができませんでした。したがって、再臨主、真の父母が来て、神様の代わりに結婚させてあげなければなりません。天国は夫婦で入っていくようになっているのであって、一人で入っていくことはできません。イエス様も、今まで楽園に行っていました。すべての聖人も、真の父母がすべて結婚させてあげなければなりません。皆さんも、真の父母によって野生のオリーブの木を切ってしまい、偽りの血統を切ってしまって、そこに真の父母様の血統を接ぎ木してこそ、生きるのです。今からは、宗教もすべてなくなります。

 

 

神様を絶対的に愛さなければならない

 

13神様は、人間を創造本然の人間にして、神様の愛を人間と結合させたいと思われた方だと考えながら、自分の一身は忘れても構わないという神様に対する愛情心に接しなければ、生死の境地を乗り越えることはできません。ですから、完全な宗教は、肯定から出発するのではなく、否定から出発するのです。完全否定です。生命までも否定です。そのような立場を通過しなければ、堂々とサタンの前に立つことができません。それが、今まで各個人が信仰生活をしてきた立場です。

 

 

 

14神様を信じることができずに堕落したので、救世主を信じて、ついていかなければなりません。ついていって、愛の家庭を用意しなければなりません。そして、新郎であるイエス様と実体的に一体化し、心情が一体化して復帰されなければなりません。そうして、神様と真の父母と真の子女が対面する場、すなわち神様が初めに願われたその場が、この天地間に展開すれば、そこから新しい天地が開かれるのです。今、この世の中のすべてのものは、神様のもとを離れてきたものです。したがって、私たちは、いずれにせよ蕩減の過程を経なければなりません。

 

今日、このようなところで、統一教会の教会員たちが重大な立場にいます。私たちが上手くやってこそ、民族を生かし、世界を生かすことができるのです。今まで、私たちが犠牲になってきたのは、民族的な祭壇を準備するためでした。今は、世界的な祭物になるために、再び進まなければなりません。二つの使命を果たさなければならないのです。

 

 

 

15イエス様が、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。これがいちばん大切な、第一のいましめである」(マタイ二二・三七、三八)と言われたのは、どういうことでしょうか。これは、絶対的な立場で、公的だということです。それは、「私」というものがないことを意味します。全体を代表して、神様を主体にするのです。

 

この堕落した世の中はサタン圏内なので、全体を身代わりする一つの中心存在として、神様を絶対的な主体として侍らなければならないのです。「私」という観念をもってはいけません。「私」という観念をもてば、必ずサタン圏が所有する条件が残るのです。「私」を絶対否定する立場で、絶対主体観念を中心とする外的物質と体と心が一つにならなければなりません。このようにして、祭物を捧げなければなりません。

 

 

 

16イエス様はニコデモに対して、「だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない(ヨハネ三・三)と言われました。今まで生きてきた「私」は、いずれにせよ歴史的に否定されなければなりません。どんなに「良くやった」と弁解し、自ら立てた何かがあるとしても、私自体は否定されなければなりません。堕落人間であるがゆえに、そのような圏内を抜け出すことはできないのです。否定されるべき生涯

 

であり幅否定されるべき生活であり、否定されるべき屍の人生であったというのです。

 

 

真の父母の心情世界に入っていかなければならない

 

17祝福を受けても、相対との関係はあとから結ばなければなりません。先に父母を慕わなければなりません。父母がいなければ、夜も、昼も、世の中もなく、自分の存在価値がないような気持ちを感じることができなければなりません。父母に向かう思慕の心情と欽慕の心情が、皆さんのすべての生活を占領しなければなりません。そうしてこそ、天の息子であり、娘であると言えます。そのような生活過程を通じたあとに、初めて相対、すなわち妻なら妻、夫なら夫を迎えることができます。そのようにすることなく、どのようにして夫を迎え、妻を迎えることができますか。まずは、父母を心から慕わなければなりません。

 

「私」の生命の動機も父母であり、私の希望の一切も父母であり、私のすべての理想と幸福の根源も父母であるという基準を中心として父母に侍らなければ、救援を受けられません。ですから、皆さんは、「私は真の父母と永遠に一つになることができる息子、娘である」という信念を、自分の存在意識を超越するほどにしっかりともたなければなりません。

 

 

 

18真の父母に侍るのは、一人ではいけません。男性なら男性、女性なら女性、自分の相対的な存在がなければなりません。もし一人のときには、アダムの立場で力を受けなければなりません。それで、父母に何かを報いることができ、捧げることができることによって、初めて皆さんが父母の愛を相続し、自分の子孫たちに血統的関係を連結させることができます。皆さんの血統を通して、このような関係を連結させる価値が決まるため、この愛の土台を基盤として侍ることができるのです。このような血統的な相対的価値を基準にして真の父母に侍ることができるのであって、そのようにしなければ侍ることができません。

 

 

 

19統一教会に入ってきて信仰生活をするとき、最初の出発点とは何でしょうか。自分が神様の子女であると実感する立場です。そして、神様の愛を中心とする子女の立場を復帰しようとすることです。神様から愛を受ける人が、この偉大な神様のみ言を誇りに思い、天宙にそれを叫ぶことができる心情になっていなければ、その人は、神様の息子、娘として立つことができません。

 

神様の権威を中心として、その基盤に立ったという権威をもたなければなりません。神様の息子、娘としての権威をもって、サタンの本拠地でいかなることがあっても正しく立ち、前に進むことができる基準が立っていなければなりません。アダムとエバを堕落させた、そのサタンを屈服させる過程を通過しなければなりません。そのようにしなければ、祝福の基準が立ちません。

 

 

 

20孝子になろうとすれば、父母の心情に通じなければなりません。統一教会に入ってきて先生を知ろうとすれば、先生の心情的世界に入っていかなければなりません。ほかのものはありません。責任者たちや伝道する人々がこのような心情に入っていき、道を歩きながらも、一日に何度も、思わず痛哭する生活をするようになれば、その教会は良くならざるを得ません。

 

 

 

21統一教会の祝福を受けた家庭が義務を果たしましたか。本来は、皆さんが勝利の基盤を築かなければ、数多くの皆さんの家庭が、この道を中心として、各自が四方に行かなければならないにもかかわらず、先生が代表的に道を築いてあげたのです。したがつて、皆さんが精誠を尽くして、心情的基準から歩んでいかなければなりません。心情一致です。距離を超越し、環境を超越し、歴史を超越することができる位置で、一致するのです。

 

時代と時代圏をすべて短縮できる同じ心情をもち、先生が悲しめば、皆さんも悲しまなければならず、一つの呼吸のように、ここで息を吐き出せば、吸い込むことができるよう、拍子を一致させて勝利圏を迎え入れることができる生活をしていかなければなりません。それで、家庭を特別な祭壇とし、常に祈りながら歩んでいかなければならないのです。

 

 

第二節 重生と血統転換

 

 

天一国経典「天聖経」目次

第二篇 真の父母

第三章 真の父母と重生

第二節      重生と血統転換

 

1 アダム家庭を見れば、アダム家庭にはカインとアベルがいます。彼らは兄第です。彼らの中で、誰が兄なのかといえば、カインです。愛は、一つの原理であって、二つの原理ではありません。愛に、二つの原理がありますか。『原理誰論』には、非原理的な愛となっています。堕落は、非原理的な愛の立場に立ったことです。愛を中心として一つにならなければならないのであって、二つになることはできません。誰かに息子が百人いるとしても、その息子たちは一つの兄弟であって、二つの兄弟になることはできません。ところが、非原理的な愛をもつようになれば、その息子たちは誰のものですか。サタンのものです。そのようになっています。

 

 

カインとアベルを通じた血統転換

 

2アダム家庭で、カインをサタン側に立て、アベルを神側に立てたと言いました。アダムが、神様の立場にならなければなりません。このような正しい位置になっていますか。正しくないので、順序が逆になったのです。本来、愛の実を神様がもたなければなりません。ところが、天使長が先にもっていったのです。愛を受けることができる人を復帰してくる過程において、愛を受けることができる立場に立てた人が、アペルです。復帰歴史路程で、神様の愛によって関係を結んで召命された人々は、長子ではなく、次子です。

 

ですから、聖書を見れば、出エジプトの時代、エジプトでも長男の命を奪ったのです。言い換えれば、次子は天の側であり、長子はサタン側なのです。このサタンの血をなくさなければなりません。サタンの血統を切ってしまわなければならないのです。しかし、神様が、カインだからといって命を奪ってよいでしょうか。ですから、神様は、接ぎ木をされるのです。接ぎ木して、神様のすべての考えと生活観を完成した立場に立てるために、すなわち神様の思想をそのまま接ぎ木してあげるために、人を送るのです。これがメシヤ思想です。

 

 

 

3復帰摂理歴史は、長子を打って、次子の前に屈服させる歴史です。カインとアベルもそうであり、エサウとヤコブもそうであり、ペレヅとゼラもそうであり、ヨセブと彼の十一人の兄弟もそうであり、イスラエル民族と世界の国家もそうであり、世界の人類と神様の息子、イエス様もそうです。長子を打って滅亡させるのではなく、先に打ったものを審判して屈服させるのです。天道が逆さまになったのです。それで、兄が先に出てこなければならないのですが、弟が兄の上に乗って先に出てくる役事が起こるのです。それで、聖書でも、ヤコブがヨセフの息子、エフライムとマナセを祝福するとき、彼らの頭に手を交差して祝福してあげたのです。兄は左手で、弟は右手で、逆に祝福をしてあげたのです。天地がなぜこのようになったのか誰も知りませんでした。

 

 

 

4私たちにはメシヤが必要なのですが、その目的とは何でしょうか。救援されることがその目的です。救援の根本基点は、神様との愛の接触点です。そこに再び戻らなければなりません。戻らなければならないのですが、私たちはサタンの血統をつくっています。一から十まで、神様の血統と関係のない人間になっています。これは、神様の愛とは正反対なのです。それを蕩減しなければなりません。それを蕩減するためには、原罪を取り除かなければなりません。原罪を取り除くには、血統的問題が根本的な問題になっています。これをどのようにして抜き取るかという問題、これは、堕落した人間自身では到底解決することができません。それで、人間にはメシヤが必要なのです。

 

 

 

5イエス様は、なぜメシヤなのでしょうか。新しい生命の種、神様の愛を中心として、神様の生命と、神様の血統を受け継いだ代表的な息子として、歴史始まって以来、初めて血続を転換した歴史的結実として生まれたからです。それがイエス様です。それで、ひとり子なのです。歴史において血統を清め、神様の愛と生命と血統を受け継いだ代表的な息子として生まれたので、ひとり子なのです。

 

歴史時代に聖人たちが生まれては死んでいきましたが、イエス様が彼らと違うのは、血統を転換して、初めて神様の生命を中心として生まれたからです。そのように生まれた代表的立場に立っているので、メシヤです。メシヤは、新しい生命を中心とする中心存在になることができます。イエス様が今から二千年前に来られたので、人間が堕落して以降、聖書の歴史で四千年の歴史を通して、初めて血統転換の代表者が出てきたのです。その人がメシヤです。

 

 

 

6来られるメシヤとは何でしょうか。堕落した父母が生まれたので、堕落していない父母が生まれなければなりません。堕落していない父母になろうとすれば、神様と同じ立場で、悪魔サタンも愛したという条件を立てなければなりません。そのようにしなければ、天国に入ることができる道がありません。これが今まで、霊界の秘密であり、人間世界と天上世界に横たわる悲哀の落とし穴でした。これを誰も知りませんでした。先生がこれを明らかにしたので、サタン世界には、一大悲運の歴史が始まりました。

 

 

 

7父母を身代わりする立場でメシヤとして来られるイエス様は、天使長と闘うのです。「私は神様のひとり子だ」として闘うのです。ひとり子は、神様の愛を初めて受けた人です。ひとり子として、ひとり娘を迎え、本然の堕落していないアダムとエバと同じように完成しなければならないのです。ひとり子、イエス様は、メシヤとして来ました。メシヤは、失ってしまった父母を身代わりできる父母の資格を立て、父母の血統に従って接ぎ木し、再び蘇生させる役事をする人です。ですから、キリスト教では、重生の論理を通じなければ天国に行けないというのです。

 

 

 

8イエス様は、どのような方でしょうか。神様は、六日間にわたって天地創造をしました。すべての万物を創造し、六日目にアダムを創逡しましたが、そのアダムと同じ方がイエス様です。このように、イエス様は第二のアダム、すなわち後のアダムです。堕落していない本然のアダムなのです。神様が太初にアダムを創造し、そのアダムを中心としてエバを創造したので、この後のアダムを中心として、後のエバを立てなければなりませんでしたが、立てることができませんでした。エバは、誰が立てなければならないのでしょうか。アダムが立てなければなりません。エバが堕落するとき、アダムが責任を果たすことができなかったので、失ってしまったエバを、アダムが探し立てなければなりません。蕩減原則には、容赦がないのです。

 

 

イエス様と聖霊を中心とする重生の役事

 

9本来は、天を夫とし、地を妻として、この夫婦が平面上で向かい合って話し合うべきでしたが、堕落することによって、天と地が分かれたのです。サタンが占領している天と地の境界線を崩すために、神様は、今までキリスト教を発展させてきました。キリスト教で、聖霊を受けられなければ救援を受けられないと言いますが、その聖霊は、正に母の神を意味します。堕落は母が先にしたので、すなわち母が罪を蒔いたので、母が収拾しなければなりません。

 

それで、聖霊となった母がこの地に来て、出産の苦労をしなければなりません。人間の先祖の堕落によって誤った子女たちがこの地に生まれたので、真の霊的な父と、真の霊的な母が、互いに愛の心情で出会わなければなりません。そして、怨讐の障壁をかき分けてサタンの権限を取り除き、愛のエキスを受けることができる境地に入ってこそ、すべての人間は霊的に重生するようになるのです。父と母の愛なくしては新しい生命が生まれる方法がありません。キリスト教の復活と重生は、正に霊的な父母によって生まれ変わることを意味します。

 

 

 

10イエス様は、誰であり、なぜ来られたのでしょうか。人類の真の父母にして、真の父の使命者として来られた方です。アダムが堕落していなければ、神様の祝福を受けて、人類の真の父になっていたはずであり、エバは真の母になっていたはずです。ところが、堕落することによってその祝福を失ってしまったので、それを復帰するために神様は、四千年の長い歴史を通して準備した基盤の上に、イエス様を真の父の使命者として送られたのです。

 

イエス様は、このような摂理的な歴史を相続し、アダムの位置でサタンの讒訴を受けたエバの立場にいる人を屈服させ、その社会のすべての条件を取り戻し、エバの前に立っているすべてのサタンを屈服させてこそ、復帰することができます。ですから、イエス様が来られて主張するのは、「私は新郎であり、あなたがたは新婦である」ということです。イエス様は、この世界からエバを探し出す活動をしたのです。

 

 

 

11堕落した子孫である人間は、母のおなかの中を通して生まれるため、母の愛に抱かれて入っていかなければなりません。これが聖霊の愛です。聖霊は母の神なので、愛という感情をもって、父であるイエス様を探し立てて包み込んであげなければなりません。その愛によって、母の神が父を霊的に慕うようになるのです。このように慕うその愛の力が作用して、ぶつかる力を感じることが、正に火を受けることなのです。これを体験してこそ、新しい生命が生まれます。言い換えれば、母のおなかの中を通して、父母を中心とする愛の感覚を感じなければならないのです。その愛の感覚を感じなければ、新しい生命として生まれることができません。愛がなければ、新しい生命が生まれることはできないのです。これが、キリスト教で言う重生です。

 

 

 

12来られる主は父なので、その父の骨髄の中に入っていかなければなりません。堕落した人間は、本来、父の中に入ったという条件を立てなければ生まれ変わることができないので、イエス様を新郎として侍る聖霊の恵沢を受け、男性であるイエス様の骨髄の中に入っていくようにしてきました。しかし、実体で、イエス様の骨髄の中に入っていくことはできません。それで、愛する心に入っていかなければなりません。愛する心であれば、通じることができるのです。キリスト教徒たちがイエス様を信じる理由は、母の神である聖霊の協助を受けて、イエス様の骨髄の中に入っていくためです。イエス様は結婚をしなかったので、独身の神と同じです。そのようなイエス様の骨髄の中にある赤ん坊の種の立場に入っていくために、キリスト教徒たちは今までイエス様を信じているのです。このようにイエス様の骨髄の中に入っていったのち、復帰された新しい母を通して生まれ変わったという立場に立ってこそ、重生されるのです。

 

 

 

13キリスト教では、本然を基準として、イエス様の骨髄から生まれた息子、娘の位置に立たなければならないと言います。アダムが堕落する前に、息子、娘の種をもっていたのと同じ位置に立たなければならないというのです。ですから、キリスト教徒たちは、イエス様を中心として父の骨髄から生まれた息子、娘の位置に立たなければなりません。そのためには、「あなたと私が一つになった」という愛の一体の立場を中心としてイエス様と一つになり、聖霊である母を通して生まれなければなりません。生まれ変わらなければならないのです。父だけで重生するのですか。母だけで重生するのですか。父と母の結実体を形成し、神様の創造理想のみ旨である家庭完成、愛の理想家庭を成就できなかったので、これを救援するためには、再び来て新郎の位置で新婦を迎え、神様の愛と一体化しなければなりません。このようにして、堕落することなく完成するエデンの園のアダムの位置が、愛によって一体化して結ばれる日には、いかなるものも堕落させることができないのです。人間は、その日を願っています。

 

 

 

14イエス様を信じるということは、どういうことでしょうか。イエス様は、男性として、堕落していない本来のアダムです。結局、肉的でありながらも霊的な父です。したがって、この父と一つにならなければ、生まれ変わる道が全くありません。ですから、キリスト教は、人間をしてイエス様の骨髄にまで入っていったという、イエス様を慕い焦がれ、イエス様の愛情に触れることを体恤させるただ一つの教えです。イエス様を、新郎として慕わしく思って迎えなさいという教えです。新郎として迎えなさいという教えは、二重の効果を得ようとするものです。一つは、その骨肉に入っていく赤ん坊の種になろうとすることであり、もう一つは、母のおなかを通過したという条件を得ようとすることですが、これが正に新婦の立場です。

 

 

 

15本来、人が生まれるとき、霊人体と肉身が分かれて生まれるようになっていません。イエス様が死ぬことによって、霊的重生はできても肉的重生ができなかった立場にいるので、イエス様は再び来ざるを得ません。ですから、イエス様を信じる人々は、すべて世の中を捨て、霊界に行ったイエス様が再臨する、真の父母が来る時に、その真の父母のおなかの中を経て生まれ変わったという条件を立てなければ、生きる道がありません。

 

言い換えれば、皆さんは、堕落していない、母を迎える前の真の父の骨髄の中に、娘や息子の赤ん坊の種として入っていてこそ、母を通じて出てくることができるのです。そのため、「主よ!主よ!」と言って、すべて主の体の中に入っていこうとするのです。それを霊的にしているのです。イエス様が再臨する時に、霊的に入っていったものが、イエス様の肉身を通して一つになり、母を通じて出てくることができます。それが完全復帰の道です。サタンの血統を完全に取り除いて、初めて復帰されたという立場に立つのです。

 

 

 

16キリスト教は、霊的な父母を中心とする霊的世界、霊的天国を見つめてきた宗教です。本来の天国は、アダムとエバがこの地で失ってしまったこの世界の向きを再び変え、霊的に勝利した基準を、縦的にではなく平面的に立てなければなりません。真の母と真の父が平面的に愛を授け受けできる地上世界が形成されなければ、根本的に誤ったこのすべてのものを復帰することができません。したがって、再び来られる主は、肉身をもってこの地上に来られなければならないのです。

 

 

真の父母と重生の道

 

17神様は、愛のために人を造ったので、アダムとエバの主人にならなければならず、その次に、愛を中心として愛の主人にならなければならず、生命を中心として生命の主人にならなければならず、血統を中心として血統の主人にならなければなりませんでした。そのような神様が、愛も、生命も、血統も奪われてしまいました。救援とは、病気になった人を、病気になる前の状態に回復させることです。再臨主がすべきことは何かと言えば、血統を転換させることです。神様とアダムとエバが、一つの体になるのです。ここで、縦的な神様と人間の縦的関係がしっかりと結ばれれば、横的関係においてアダムとエバは東西なのですが、この東西も、堕落していない真の愛の原則的な基準に行くようになるとき、直短距離になるのです。縦横が直短距離で出会うのが、九〇度の角度です。縦の神様を中心として、横の人類先祖が九〇度で一致し、前後を中心として理想的な愛の球形体を形成できなかったことが堕落です。

 

 

 

18神様は、血統転換ができません。それができる方は、真の父母以外にはいません。神様は、偽りの父母の友達になることができません。縦的な父母であって、横的な位置に立つことができないのです。横的なところで過ちを犯したので、、横的な位置で復帰しなければなりません。牛の皮なら牛の皮を当てなければならないのであって、他の皮ではいけません。偽りの父母から穴が開いたので、真の父母で補わなければなりません。真の父母を苦労させなければ、補うことができません。それは、神様にもできないのです。神様にできるのであれば、既にしています。

 

 

 

19真の父母が必要なのは、サタンの愛、生命、血統の基盤を清算するためです。なぜ男性と女性が、悲惨な位置に落ちたのですか。それは生殖器のためです。本来、生殖器は愛の王宮です。その愛の王宮が、今、どのようになっていますか。愛の王宮であり、生命の王宮であり、血統の王宮であるという、そのように貴いものが人間の生殖器です。それが随落によって汚れたものになってしまいました。本然の神様の観点から見れば、それは汚れたものではなく、神聖なものです。最も貴いものです。生命、愛、そして血統がここに連結されています。そのように神聖なものをサタンが汚しました。

 

 

 

20私たちに必要なのは真の父母です。偽りの父母から出発したので、真の父母から出発しなければなりません。偽りの父母から、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統を受けました。これをひっくり返さなければなりません。真の父母の愛を中心として、真の生命と真の血統を受け継がなければなりません。言い換えれば、生命の種を誤って受けたので、この本然の種を再び受けなければならないのです。真の父母がいなければ受けることができないので、この地上にメシヤが来られ、そのメシヤの種、真の父母の新しい生命の種をもってきて再度注入し、接ぎ木することを通して、本然の真のオリーブの木の位置に帰らなければなりません。神様は本当に私たちの父母です。ですから、どれほど近いですか。縦的な父母が神様であり、真の父母は横的な父母として理想の愛を成就するのです。

 

 

 

21真の父母は、堕落していないアダムとエバです。神様が一代、真の父母は二代ですが、祝福家庭を三代圏内に接ぎ木してあげたのです。野生のオリーブの木に真のオリーブの木を接ぎ木したので、真のオリーブの木になるためには、自分が多くの努力をしなければなりません。真の愛と真の生命と真の血統の純潔性を、自分自体から内的、外的に整備すべき責任が、何よりも急務です。真の父母を、自分の血統的な直系の父母と感じなければなりません。真の父母に孝行し、国に侍り、天地に侍る孝子、忠臣、聖人、聖子の道理を尽くせる基準で、完全に一つになっていなければならないのです。

 

 

 

22アダムとエバの初愛を中心として、新たに父母のおなかを通して誕生する愛の関係を経なければ、生命の関係が始まらず、原則的な復帰をしなければ完全蕩減ができません。それで、皆さんがみ旨を中心として先生を愛し、先生の感情を中心として、皆さんのすべての感情をそれと一致させようとする心情が、知らず知らずの内に動いてきたのです。皆さんが真の父母の骨髄から心情的に接ぎ木されることによって、真のお母様のおなかの中を通じて、本然のアダムとエバの立場で生まれたという条件を立てるのです。そのようにしなければ、復帰ができません。したがって、皆さんは、お母様を中心として復帰されなければなりません。先生の息子、娘がお母様のおなかの中にいるときに、皆さんは、その赤ん坊を中心としてカインとアベルを復帰するのです。

 

 

 

23皆さんは、腹中から生まれたカイン的存在として、お母様を愛すると同時に、その赤ん坊を愛する立場に立たなければなりません。そして、彼らと一致化することによって、双子と同じ班列に同参(一緒に参加すること)したという心情的条件を立て、彼らに侍る立場に立たなければなりません。そうしてこそ、腹中における二つの種の反発を防ぐことができます。反発した堕落の起源を防ぐことができ、ここで復帰されるのです。神様は皆さんが知らない中で、このような役事をしてきました。

 

 

 

24お父様と心情的一致点を備えなければ、お父様の骨髄の中に入っていく道がありません。お父様の骨髄の中にある赤ん坊の種になるだけではいけないので、お母様のおなかの中を通して生まれ変わらなければなりません。それで、先生が一九六〇年に聖婚式を挙げることによって、真の母が立てられました。これによって、皆さんがお父様の骨髄の中にいるときに感じた愛の恩恵を感じてお母様を愛し、侍ることによって、再びお母様と縁を結んだので、そのお母様の愛と連結して出生することができるのです。

 

 

 

25統一教会の教会員たちは、なぜ、夜も先生、昼も先生と、常に先生について回ろうとしますか。なぜ、そのように愛そうとするのですか。自分の父と母、夫も捨てて、なぜ、そうするのですか。先生の骨髄の中に入って生まれた息子、娘のような心情的関係をもたなければ生まれ変わる道がないので、そのようにするのです。そして、お母様を愛して生まれるという条件を立てなければなりません。皆さんは、夢にでもこのようなことを考えましたか。先生は、このような内容を知り、神様の深い内容をもって、この地上に生まれてから、このみ旨のために今まで生きてきました。

 

 

第三節 長子権・父母権・王権復帰

 

 

天一国経典「天聖経」目次

天聖経:第二篇 真の父母

第三節      長子権・父母権・王権復帰

 

1息子とは、愛の結実です。神様は、原理の神様です。原理的な立場で見れば、先に生まれた息子も神様の息子にならなければならず、次に生まれた息子も神様の息子にならなければなりません。ところが、堕落以降、先に生まれた息子はサタン側であり、次に生まれた息子は天の側です。非原理型が深く入り込んでいます。原理的になろうとすれば、最初に生まれた息子も天の側にならなければならず、二番日に生まれた息子も天の側にならなければなりません。神側の息子が先に出てこなければなりません。サタン側の息子が先に出てくるのが原理ではありません。ですから、原理的な神様が堕落した人間を救援するためには、先に生まれた位置の息子を愛さなければならないのです。神様が愛する息子になるようにしようとすれば、先に生まれた位置に立てておかなければなりません。

 

 

 

2アダムの息子たちは愛の実なので、神様も主管することができ、サタンも主管することができる立場にいます。ですから、カインとアベルを、それぞれ天の側とサタン側に分けて立てなければならないのです。それで、最初の愛は天使長とエバの愛なので、長子であるカインを、その愛の表示体としてサタン側に立て、二番目の愛はエバとアダムの愛なので、次子であるアベルを、その愛の表示体として神側に立てるようになりました。本来は、神側に立っていたアダムが、神様の愛を中心として原理的な主管権をもってエバと天使長を主管し、天理の原則を立てなければなりませんでした。ところが、アダムが堕落することによって、創造原理的立場では神様がアダムを取ることができる立場なのですが、愛を中心としては、サタンがアダムを取ることができる立場に置かれるようになりました。これを、天の側で再び取り戻すためには、どのようにしなければならないのでしょうか。主管されるべき天使長が、逆にアダムを主管したので、反対に主管される位置に入っていって、本来の基準を復帰しなければなりません。それで、サタン側に立てられたカインが、神側に立てられたアベルに逆に屈服しなければならないのです。屈服しなければ、復帰になりません。

 

 

 

3根本復帰をするためには、重生しなければなりません。重生するためには、堕落していない父、結婚する前の父の骨髄の中から出発しなければなりません。歴史を通じて、一番目は長子権復帰、二番目は父母権復帰、三番日は王権復帰、四番目は皇族圏の復帰をしなければなりません。そのためには、血統を転換しなければなりません。それで、リベカを中心としては兄弟同士で争い、タマルを中心としては、子宮で入れ替わって生まれた息子を中心として、そこから新しいイスラエル選民が出てきたのです。イエス様が来る時まで、国家基準を中心としてマリヤを通して分別したのです。今、再臨時代まで、そのようなことを拡大して、血統を清めてきました。国家基準でそのような過程を経なければならないので、イエス様もやはり、マリヤの腹中を通して再び分別され、懐妊されると同時に神様が主管できる息子になったのです。ひとり子という言葉が、そこから出てくるのです。

 

 

長子権復帰の過程

 

4イエス様は、いつ血統的に転換されたのでしょうか。これが問題です。カインとアベルを中心として血統的に見れば、どのようになっているでしょうか。血統を転換させるためには、母のおなかの中に入らなければなりません。サタン側の長子が先に出てきて天理の大道に背いたので、これを腹中で転換させなければなりません。それで、カインとアベルの歴史は、弟が兄の長子権をひっくり返す歴史です。生んでひっくり返します。世界の人々をすべて生んで転換しておき、少しずつ範囲を狭めていかなければなりません。それを、もう少し近い段繕で転換したのが何かといえば、エサウとヤコブです。双子を中心として転換するので、転換しやすいのです。

 

 

 

5堕落圏を越えて、長子権も神側の長子権を、次子権も神側の次子権を取り戻してこそ、堕落していない本然の世界に立つことができます。これが、本来の創造理想です。神様が絶対的である以上、その理想も絶対的なものとして残っているので、これを再び取り戻してくるための歴史過程を経て蕩減復帰し、ある一時でも、これを越えなければなりません。

 

 

 

6長手権復帰はどれほど大変でしょうか。このために宗教人たちが数限りなく犠牲になり、キリスト教がローマ帝国において四百年間苦労し、サタン世界の版図を越えるために血を流したのです。ローマに行けば、カタコンベという洞窟があります。先祖の死体を棚に置き、その臭いを喫ぎながら暮らしました。そうせざるを得なかったのであって、誰がそのようなことをしたくてするでしょうか。人間としてはできないことです。したがって、天がどれほど苦労しましたか。歴史におけるその功を、皆さんは知りません。

 

 

 

7皆さんを立てたのは、長子権の一族を設定するためです。自分たちが福を受けるのは、長子権を立てたその長子が福を分け与えるときに、受けられるのです。その長子権は、自分がもっているのではありません。来られる主を中心として、縦的な天上世界と関係を結ばなければなりません。横的世界だけではできません。先生がこの道を知ったので、「ために生きなさい1」という論理を立てざるを得ませんでした。生まれたのも、ために生きるために生まれたのです。男性も女性のために生まれました。「私」というものがありません。

 

 

 

8個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙まで七段階、神様まで行くためには七段階を越えなければなりません。七段階の過程的長子復帰の基盤を通して、堕落していない本来の長子の位置に行かなければなりません。

 

アダムとエバは、長子であり長女でした。長子、長女が、原理結果主管圏を通して直接主管圏まで、長子権の愛を中心として連結されるのであって、次子の愛をもっては連結されません。ですから、この位置に戻って長子権を復帰して、一段階、一段階上がっていかなければなりません。この闘いをするのです。

 

 

 

9アダムとエバが堕落したので、カインとアベルが縦的に一つになる道がなくなりました。カインとアベルを通して、アダムとエバの失敗を復帰する立場に立っているので、アダムとエバが縦的に関係を結ぶことができる基準はありません。アダムとエバにはこれがなくなったので、嫡子権を願っている私たちにおいては、縦的に結ばれる父母とその子女が一つになった条件が立てられなければなりません。養子の立場では、一つになって上がっていくことができません。堕落していない嫡子の立場に立たなければ、神様と一つになって完成基準に上がっていくことができないように、人間はその段階を通過しなければなりません。いくら神様の子女になったと言っても、いくらカインとアベルが一つになったと言っても、堕落していない父母の基台を復帰しなければ縦的に上がる道は生じません。ですから、神様は、今まで真の父母の基準を立てさせなければなりませんでした。

 

 

 

10カインとアベルの時もそうでしたが、エサウとヤコブの時にも二人が腹中で争いました。そのとき、二人の子供が腹中で争うので、「こんなことでは、わたしはどうなるでしょう」(創世記二五・二二)と言ってリベカが神様に祈ると、神様が、「二つの国民があなたの胎内にあり、二つの民があなたの腹から別れて出る。一つの民は他の民よりも強く、兄は弟に仕えるであろう」(創世記二五・二三)と、このように知らせてあげたのです。次子を通して長子復帰をする闘いの路程を経ていかなければなりません。

 

 

 

11エサウとヤコブの兄弟が双子で生まれたので、心情圏においてはすべて通じるのです。双子は、弟が悲しめば兄も悲しむようになっています。それほど通じるのです。そのような近い立場である双子を中心として復帰するのです。復帰は誰がするのかといえば、母がしなければなりません。堕落して、母がカインを生んだので、復帰過程でも、母がしなければなりません。母子協助を中心としてしなければなりません。ここにおいて母は、ヤゴブを中心としてエサウを欺いたのです。

 

 

 

12母子が協助することによって、長子権を取り戻すのです。兄エサウが狩りに行つて帰ってきたとき、弟ヤコブにバンとレンズ豆のあつもので長子権を売ったので、復帰の条件に引っ掛かったのです。売ったため、実際に行動をするときには屈服しなければなりません。亮っていなければ、欺くことができません。条件がなければできません。ここで初めて、イスラエルという名前をもつ契機になったのです。初めて長子権を復帰したイスラエル圏になったのです。

 

双子の兄弟を中心として入れ替えたのですが、まだ腹中では入れ善ることができていませんでした。それで、どのようなことが起きるのでしょうか。その条件を立てたのはヤコブの四番目の息子のユダです。ユダには、息子が三人いました。また、その長男の嫁がタマルという女性です。タマルは、神様の祝福を受けた血族がどれほど貴いかを知っていました。それで、その血族を受け継ぐためには、どのようなことでもしようとしたのです。

 

 

 

13タマルが懐妊した二人の子供が争うので、神様に祈ると、神様は、エサウとヤコブの僻リベカに言った言葉と全く同じように、「お前の腹中には二つの国があり、大きい者が小さい者に侍るだろう」とおっしゃいました。このようにして、ペレヅとゼラが生まれました。ところが、兄であるゼラの手が先に出てきました。ゼラの手が先に出てきた時、産婆がその手に赤い糸を結びつけました。これは、後代に関することを印で見せてくれたものです。後代に必ず共産主義が出てくることを予告したのです。長子の権限を回復できるペレヅが、腹中で兄を押しのけて先に生まれることによって、ここで初めて次子が長子復帰をするようになるのです。それで、押しのけて出てきたという意味でペレヅという名前をつけてあげたのです。このように、リベカの伝統歴史、タマルの伝統歴史、すなわち血統転換の闘争路程を通して、腹中で長子を次子にし、次子を長子にすることによって、ここで初めてイスラエルの歴史過程における長子権が始まったのです。ですから、常に神様が助けることができるのです。これを滅ぼそうとすれば、天が打つのです。イスラエルの歴史は、イスラエル民族を打とうとするすべての異邦の民族を、無慈悲に打った歴史です。

 

 

 

 

長子権復帰は愛によって

 

14自分が勝利しようとすれば、出ていかなければなりません。出ていって長子権を復帰しなければなりません。その長子が、弟の次子を兄として侍り、「祝福はお前によって受ける」と言えるようにならなければなりません。そうして、長子が次子の立場になり、次子が長子の立場に上がらなければなりません。そうして長子が、「お前が私の代わりに上がりなさい」と押し上げてこそ、長子権氏族から長子様民族へと進むようになります。このようにして一段階ずつ上がっていくのです。長子が代わりに押し上げてくれてこそ、上がっていくのです。そのままでは上がっていけません。このような原理的な内容があるので、長子権復帰基準を完成しなければなりません。そのようにしなければ、神様の摂理を成し遂げることができないというのが宗教歴史の秘密です。それで、真の宗教の道を行くためには家を離れなければなりません。国を捨て、家を捨てて出家しなければならないという話は、このようにして出てきたのです。

 

 

 

15サタン側はカインです。兄です。天の側はアベルです。この闘いです。神様は、長男を愛したのちに次子を愛するようになっています。カインである長男は、サタン側です。長男がサタン側になったというのです。その長男を救うために、アベルを立てたのです。アペルを立てて、長子権を復帰するのです。長子権を復帰するのに、拳で責め立ててするのではなく、愛で感動させなければなりません。愛で溶かして復帰しなければなりません。愛したという立場に立たなければ、愛して彼らが振り向くまでは、自分の息子、娘を愛することができません。神様は絶対的な神様なので、創造理想から見るとき、本来、長子が先に愛を受けるようになっているのであって、次子が先に愛を受けるようにはなっていません。

 

 

 

16先生は、自分の妻よりも、子供よりも、サタン世界をもっと愛したかどうかが問題になります。妻や子供をより愛してはいけません。神様は、アベル圏を愛する前に、カインを先に愛さなければなりません。そして、カインを愛する以上にアベルを愛してはいけないのです。最初の息子をもっと愛さなければなりません。長男がサタン側に行ったので問題なのです。ですから、救援歴史がこのように長くかかったのです。血統を通して、血が系統を通して連続的につながっているので、血統を浄化して長男を愛し、その愛する位置にすべての天の側の人々が立たなければ、天国に行くことができません。ですから、救援摂理が今まで延長されてきたのです。

 

 

 

17蕩減復帰歴史で、長子を屈服させる秘法とは何でしょうか。サタンは、「神様も完全な神様であり、神様が求めるアダムとエバも完全なアダムとエバなのですから、堕落していなければ、アダムとエバは、本然の天使長である私を愛するのが原理の基準です。ですから、私は堕落して悪い立場にいるとはいえ、あなた方が善良で正しい立場にいれば、私を愛したという条件を立てなければなりません。そのようにしなければ、私の前で神様の本分を果たすことはできません!」と主張するのです。それが問題です。

 

 

 

18個人基準の長子復帰をしたなら、家庭基準の長子復帰をしなければなりません。そのためには、必ずサタンが迫害して命を奪おうとする最前線に出ていって闘い、愛で屈服させ、私たちのすべてのことを教えてあげなければなりません。そうして、彼らが私たちの伝統が良いことを知り、自然に心に感動を覚えて涙で悔い改め、生命を捧げてあなたのために祭物になりますと宣誓しなければ、カイン世界の祝福権を取り戻してくることができません。

 

 

 

19愛でなければサタンを屈服させることはできません。天国に入っていける家庭となるためには、神様も堕落した天使長を愛したという立場に立たなければならず、神様の息子、娘の家庭も、サタンを愛したという条件を立てなければなりません。

 

そして皆さんが出ていって闘い、サタン世界を愛で屈服させたという条件の上に立たなければなりません。「私は怨讐をみなたたき潰したのではなく、怨讐を愛で屈服させて長子権を回復するようになった」と言わなければなりません。

 

 

 

20神様は、怨讐を打ち砕くのではなく、怨讐を愛したという条件と、怨讐であるサタンを、アダムの身代わりの位置に立った人によって愛したという条件を立てなければなりません。迫害を受けながら、涙と血の汗にすべて打ち勝ち、耐えに耐えて自然屈伏させ、神様の愛を抱いて戻ってきて、初めて祝福を受けることができます。そこで、サタンは解き放ってくれるのです。「あなたはこれから天国に行ける子女になれる!」という公認を受けなければなりません。誰がサインしなければならないかというと、サタンがしなければなりません。サタンがしたあとで皆さんがサインし、皆さんがサインしたものを真の父母様がサインしなければなりません。真の父母様のサインを通してこそ、神様のみ前に立てるのです。それが天国です。

 

 

 

21世界的にサタンを愛したという条件さえ立てれば、私に従うすべての人は、サタンが連れていくことができないのです。そうすれば、カインとアベルが入れ替わります。アベル圏は、今までは追われる立場にありましたが、今、天国の長子権をもってここに立ったので、愛を中心とするこの前から、サタンの天下は崩れていかなければなりません。一路後退するしかありません。ここに対峙する、何ものもありません。対峙すれば、木っ端みじんになるのです。それが原理観です。

 

 

父母権復帰

 

22先生は、今まで家庭を取り戻すのに苦労し、教会を取り戻すのに苦労し、その次には、キリスト教の方向を定めるのに苦労し、滅んでいく自由世界の方向を正すのに苦労し、滅んでいく共産世界の方向を正すのに苦労しました。それで、結論は何かというと、先生によって、長子権が復帰されました。本来、アダムが堕落していなければ、アダム自身が長子権をもったでしょう。また、アダム自身が真の父母になります。その次には、アダム自身が王の中の王になるのです。

 

 

 

23人間は、堕落によって長子権を失ってしまいました。天地の大きな事業と財産を相続する、その長子の権限を失ってしまいました。悪魔のために失ってしまいました。それだけでなく、神様の愛と、神様の生命と、神様の血統を中心として、天地の創造主である父母に侍ることができ、永遠の血族になるべきであるにもかかわらず、アダムが真の父母になるべき権限を失ってしまいました。堕落していなければ、一つのアダム文化です。アダム一族です。このようになれば、一つの王権なのです。

 

 

 

24長子権復帰をするためには、八定式を終わらせなければなりません。その次に、天父主義時代、父母権復帰時代です。父母になるのです。カインとアベルが一つになっているので、父母が来るのです。父母権とは何でしょうか。アダム父母とイエス父母は失敗しました。このアダム父母、イエス父母、再臨主父母の三代の父母権を、先生の時代に来て、すべて完成しました。先生の代に来て、アダムも完成し、イエス様も完成し、再臨主も完成したのです。

 

 

 

25蕩減や、長子権復帰や、父母権復帰や、王権復帰といったものが、なぜ必要なのでしょうか。サタンの愛とサタンの生命とサタンの血統が問題です。本来、神様から出発しなければならなかったのですが、悪魔から出発しました。その悪魔は、愛という途方もないものを中心として出発しました。愛ゆえに宇宙ができました。創造は、すべての創造の起源となる愛を中心としてなされました。その根本をサタンがひっくり返したのです。ですから、ひっくり返された根本を、元に戻さなければなりません。

 

 

 

26神様の創造理想は、真の父母の名で、天国の王国と地上の王国を築くことです。真の父母の名をもたずには、地上天国と天上天国は生まれません。今日、キリスト教徒たちに、「イエス様は神様の愛する長子であり息子ですが、どうして天国ではなく楽園に行っているのですか」と尋ねてみれば、答えられません。天上天国と地上天国は、真の父母の完成と愛の基盤を通してのみ形成されます。霊界に行って王国を統一することが、真の父母の使命であって、他の人の使命ではないのです。イエス様は真の父母になることができなかったので楽園にいるのです。

 

 

 

27復帰が困難なので、歴史峙代において苦労しながら今まで延長してきたのであって、能力のある神様が、なぜこのように苦労してきたのかというのです。教えてあげられるものならば、もう既に教えていたのです。アダムが知らなかったので、アダムが責任を取って探さなければなりません。天地をかき分けて探さなければなりません。そのようにしようとするので、どれほど多くの涙を流したでしょうか。涙を流して追い出されたので、復帰路程で、どれほど涙を流したでしょうか。

 

そのような点で、先生は、涙をたくさん流した大王です。歴史を代表して、真理の道を探すために涙を流し、血肉を裂きながら受難の路程に打ち勝ってきた代表だということを知らなければなりません。そのような驚くべき父母に、皆さんは侍っているのです。これが最後の峠です。ですから、父母権復帰基準とともに、次子権を一つつくらなければなりません。先生を中心として、長子権、父母権がすべて立てられました。王権まですべて備えて一つになれば、母と次子で母子協助基盤を築くことによって終わるのです。

 

 

王権復帰

 

28本来、アダムが完成すれば、天国の父が完成し、エバが完成すれば、天国の母が完成し、それで家庭の主人になれば、家庭的天国の王権が生まれるのです。ですから、アダムとエバは、個人的王であり、家庭的王であり、氏族的王であり、民族的王であり、国家的王であり、世界的王になるのです。このように国家基準を越えることができる時が来たので、サタン世界の王権を踏み越えて、天の世界の王権を設定することができるのです。その日が、一九九〇年三月二十七日(第三十一回父母の日)です。

 

 

 

29先生は、世界的な家庭迫害を解消するために七年路程を行きました。家庭解放のために、十字架の道を行ったのです。ですから、先生が家庭の王にならなければならないのです。家庭で、長子の王、父母の王、家庭の王になることが、創造理想と摂理観的な立場でアダムに任せられた責任でした。一つの家庭で天国全体の理想的基準を立て、天国の型にはめようとしたことが失敗したので、すべてなくなりました。アダム一代から数千代、今まですべてが空になったのです。偽りの父母が空にしたものを、真の父母が来て、神様に代わって主人となり、再び成し遂げなければなりません。真の父母になり、真の神様の愛を中心として、真の生命を中心とする祝福の基盤を連結し、血統を転換することによって、サタンと関係のないアダム家庭完成型をつくるのです。

 

 

 

30天父主義とは何でしょうか。第一は兄弟権復帰、第二は父母権復帰、第三は王権復帰です。民主世界には王という概念がありません。民主世界は兄弟主義です。平面的に見るのです。兄弟主義ですが、兄弟主義の世界ではお互いに闘います。「あなたのもの、私のもの」と言いながら、争奪が繰り広げられるのです。民主主義は闘いの概念です。与党と野党が闘います。その内容は、王権を互いにもとうとすることです。大統領は、王権ではありませんか。これが行ったり来たりして搾取しようとするので、うまくいかないのであって、絶対的な王が現れれば、問題ではありません。絶対的な平和の世界が訪れるのです。

 

 

 

31民主世界の政治体制は、闘争の体制です。ですから、私たちが父母の位置に上がらなければなりません。そうすれば、争いを止めることができます。すべての兄弟が、父母を中心として一つになるのです。そのように一つになるところから平和の世界が展開します。そのようにしなければ、他の方法はありません。まず真の父母を取り戻してこそ、そこから真の子女、真の国家、真の平和を含むすべてのものを取り戻すことができます。それ以外に他の方法はありません。

 

 

 

32天父主義、神主義を中心として統一するのです。真の父母は、家庭の王です。家庭は、様々なほかの家庭と交わって、自動的に氏族になります。そうすれば、氏族の王が出てきます。また氏族は、様々なほかの氏族と一つになって民族になり、民族の王が出てくるのです。国家、世界、天宙もみな同じです。このように王たちがつながり、神様までつながるのです。ですから、神様は、万王の王になるのです。

 

 

 

第一節 真の父母の道

 

 

天一国経典「天聖経」目次

天聖経:第二篇 真の父母  

第四章 真の父母と真の子女

 第一節          真の父母の道

 

1真の父母が来られるまで、皆さんが思いも寄らない背後で、多くの涙を流しました。一瞬に流す涙は問題ではありません。過去を通じて現在に至るまで、まだそのような闘いをしていることを知れば、涙なしには語ることができません。そのような自分を発見しなければなりません。過去、現在にかけて、罪を犯しながらも何事もなかったようにしてはいけないのです。涙を流さなければなりません。堕落した人が神様のみ前に帰ろうとすれば、感謝の涙を流さなければなりません。そのようにしながら復帰していかなければ、天国に入っていくことができないというのです。その心情は、誰もがそのようになっています。神様が迎える人は、実にそのような人です。

摂理の出発路程

 

2先生の生まれた時は、韓国では最も悲惨な時でした。独立運動が起こり、凶作になり、すべての国民が最も困難な時でした。三・一独立逓動をして多くの人が無残に犠牲になりました。外的な世界は、凶作であり、内的な世界は、国難が起きて犠牲者が続出する時代でした。それで、二十代の青年の時まで、おなかがすかない日がありませんでした。慕わしくないものがないほどの、そのような過程を経ました。すべてのものが慕わしかったのです。先生の祖父の兄弟は独立闘士だったので、弾圧が激しく、私たちの家門は、完全に破綻するようになりました。家庭全体に破綻が起きたのです。外的にも動揺し、国家的にも動揺し、家庭的にも混沌としていました。   3先生は数えの十六歳の時に、普通では考えられない経験をしました。復活節の朝、長時間の涙ながらの祈りの中で、イエス・キリストが先生に現れて、多くの啓示と教示を下さいました。イエス様は、深奥かつ驚くべき多くのみ言を語ってくださいました。「苦痛を受けている人類ゆえに、神様が悲しんでいらっしゃる」とおっしゃいました。そして先生に、「地上での神様の役事に対する、特別な役割をしなければならない」と要求されました。その後、多くのことが起きました。先生は、学業を統けながら、聖書を勉強しました。先生は、万民が聞いて知ることができる深奥なみ言をイエス様から受けました。このみ言を人々に教えたとして、先生は何度も逮捕、投獄され、ひどい拷問を受けました。三年間、北朝鮮の「死の監獄」にいました。この監獄では、人々が数カ月もたたずに死んでいきましたが、神様は、三年間先生を保護され、また先生を、激しい苦痛の中で生き残るようにされました。   4先生は、先生自身の家族を伝道したり、彼らに影響を与えたりすることができませんでした。先生自身の兄弟や父母、どの親戚にも、原理について話しませんでした。自分の民族に捨てられたイエス様の立場にいたからです。それで、先生は、一人孤独に、外の世界からそのような人物たちを復帰しなければなりませんでした。先生が外部の人々を復帰して祝福することによって一族を形成し、氏族的な段階を形成した今からは、先生が親戚を伝道して連れてくることができます。   5先生は、父母も、友も、師もなく、いかなる環境的な生活もなく、孤独な心情だけでした。一人孤独に、悲しい荒れ地のような天地の前で一人心情を整えて、「父よ」と呼び求めるその心とともに涙を浮かべるその立場で、流れてくる風の便りが友でした。朝の東から昇る日の光が心情の友であり、寂しく横たわっているその土が友であり、目に入る自然が友でした。そのようなことを皆さんが感じてみたならば、ここから新しい自我を発見することができ、新しい価値と新しい動機が躍動する決心をもつことができるでしょう。この決心をもって神様の恨みを晴らしてさしあげるために、私だけが伏して祈るのではなく、民族と一族を捧げてでも必ず天にすがって涙を流し、汗と血を流さなければならないのです。   6祝福を受けることができる民族、祝福を受けることができる地を探し求めてきたのが、今までの先生の立場でした。この道を行くためには、監獄にも行き、凄惨な道も行き、死の道も越えていくのです。怨讐の地は、茫々たる大海です。見渡せば空しかありません。友もなく、同志もなく、兄弟もいません。父母まで排斥するのです。しかし、滅びません。イスラエル民族が荒野で倒れた歴史的な道、ノアが嘆息しながら苦労した道、イエス様の弟子たちが十字架に逆さにかけられてまで天のために生きていった歴史的な悲惨な道を、どうして知らないはずがあるでしょうか。しかし、行くのです。今までは、先生でなければこの世界に責任を負う人がいなかったので、仕方なく冒険の道を尋ね求めてきたのです。

苦難と勝利の路程

 

7先生の一生は悲惨でした。長子の特権を探すために出ていき、闘って勝たなければ、帰ってくることができないのです。拳で闘うのではなく、血を吐いて犠牲にならなければなりません。怨讐を愛し、血の涙を流す紆余曲折の道を行き、自分の国と、自分のすべての財産と、自分にあるすべてのものと、自分の国のすべてのものを先生にもってこようとするカイン圏を立てて天の側の長子権をつくり、次子が長子の位置に上がらなければなりません。自分の体はもちろん、自分のすべての財産と自分の国まで、カイン圏がすべて先生にもってくることができる立場になるまでは、長子の立場に戻ってくることができないのです。そこでは、八段階を越えていかなければなりません。   8歴史路程で真の父母まで行くには、どのレベルまで経なければならないのでしょうか。真の僕がいなければならず、僕の僕から始めなければなりません。十字架を背負った人もいなければなりません。そのようなことを嫌だと思えば、絶対に真の父母が出てくることはできません。罪人の中でも真の罪人がいなければなりません。その道を行かなければならず、橋を架けなければなりません。世の中で一番悲惨な位置から始めて、これを越えられる愛の代表者がいなければなりません。そのためには、愛の十字架の道を行かなければなりません。それが橋になるのです。真の僕から上がっていき、真の養子に上がっていき、真の息子に上がっていき、真のカインに上がっていき、真のアベルに上がっていかなければなりません。その道が、先生の行く道です。先生はその道を行き、闘って生き残り、迫害に対して勝利したので、その橋を架けてあげるのです。ですから、通りでかわいそうな人を見れば、先生がそのような道を行ったことを知らなければなりません。先生が、共産党の怨讐たちに踏まれ、拷問され、蹴られたりするとき、悔しい思いをしましたが、「神様、あの怨讐たちに雷を落として、すべて命を奪ってください!」とは言いませんでした。体から血が流れる立場でも、福を祈ってあげたのです。     9解放直後、先生が、七年路程を出発した時、その七年路程を中心として国の運命を見つめると、深刻でした。勝利すれば、この国に神様が共にいらっしゃり、誤れば、共にいてくださらないことを知ったからです。七年路程の中で、キリスト教が先生と一つになって手を握るようになっていました。そのようになっていれば、七年路程だけでも、統一教会は世界的に伸びていくことができたはずです。北朝鮮にある共産党もなくなり、この世界にある共産党も、既にすべてなくなっていたはずです。先生は、この七年路程の中で、家庭的な出発をしなければなりませんでした。これは、歴史の希望であり、人類の希望であり、すべての宗教人たちの希望でした。   10キリスト教が一九四五年に先生を受け入れていれば、七年で世界を一つにしていたはずです。祝福して、地上と天上の門を開き、天国を成し遂げていたはずです。キリスト教は、国を取り戻そうとしたときに、世界と一つになって反対し、世界を取り戻そうとしたときに、天と地、地上と天上が一つになって反対してきたのです。しかし、先生は神様の代わりに守ることができる秘法を通してここまで越えてきて、全人類を祝福しなければなりません。祝福を受けざるを得ません。絶対「性」、絶対夫婦でなければならないのです。   11解放後に、キリスト教の指導者たちが先生の話さえ聞いていれば、完全に私の手で、七年後に世界を平定できる版図をつくってきたはずです。世界がどうなるということをはっきり知っており、このようにしては滅びるということをはっきり知っていました。それを知らなければ、今日、四十年のこの回り道をしてきたでしょうか。うんざりするほどの回り道でした。それは、父と母も理解できず、兄弟たちも理解できず、すべての人が理解できませんでした。サタン圏内に既に入っていたので、理解させようともしませんでした。そのときからは、荒野へ追い出されたのです。家の隅に捨てた石が、重要な石になったのと全く同じです。使い道がなく捨てられた石になったのですが、そのように捨てた石が、主人にとって重要な石になることを誰が知っていたでしょうか。   12神様は、天地を造られた王の位置にいたのですが、その権限を、堕落した父母によって失ってしまいました。サタンによって失ってしまったので、今まで王権の行使を一度もしてみることができませんでした。神様を推戴するのは真の父母がすることであって、神様がするのではありません。真の父母でなければ、それを復帰する人がいません。神様が天地を創造した本然の基準である王権を占領したあとに、家庭を収拾し、氏族、民族、国家、世界、地上の王権時代が来るのです。したがって、一度に天地をうんぬんしてはいけません。人間とサタン、天使長が一つになって神様の王権をひっくり返してしまいました。しかし、真の父母が来てサタンを取り除いてしまい、神様の摂理の完成基準、すなわち天上世界と地上世界の地獄を撤廃し、堕落がなかった位置に立って、神様を王権の位置に立ててさしあげたのです。

血の涙の復帰路程

 

13先生には、先生がいません。神様も、先生になれませんでした。神様が先生になっていれば、祈る人は、すべて先生になっていたはずです。先生が先生になれたのは、先生自身が先生にしたからです。先生が真の父母になったのは、先生自身が真の父母にしたからです。先生が主人になったのは、先生自身が主人にしました。それは再創造です。神様にできるのであれば、あっという間にしていたでしょう。   14先生は、十七時間も祈ったことがあります。普通、十二時間以上、夜を明かしながらします。痛哭の涙で綿のズボンがぬれ、それを絞れば水が出てくるほど祈りました。遊び半分や行楽気分で進めてきた統一運動ではありません。それは、血と汗と涙で、血肉を絞って築かれた真理の道です。先生は、悟ったその基準を自ら成し遂げ、勝利した基台は間違いなく成就するのであり、実験して間違いがないと確認したので、教えるのです。先生は、真の父母になるだろうではなく、真の父母になっています。それで、世界に「真の父母と成約時代」を宣布しました。今は、「成約時代の安着」です。天下の何ものも先生の定着基準を侵害できない時代になりました。   15統一教会の教会員たちが世界で迫害を受けているのに、先生が楽に眠ることができますか。御飯も食べられず、眠れない歳月をどれほど過ごしたでしょうか。共産治下で宣教師が死刑宣告を受けた日を知ってからは、先生が寝ることができるでしょうか、裕福に食べることができるでしょうか。会ってみたことはありませんでしたが、数多くの国境を越えて、み言を聞き、生命を捧げながら、「先生、どうぞ成功してください。私は先に逝きます」と、そのような遺言を残して逝ったということを伝え聞いたとき、肉と骨がどうなるでしょうか。国のないことが恨です。神様の苦難がこのようになることを、誰が知っていたでしょうか。   16先生は、三十歳まで、おなかがすかない日がありませんでした。お金がなく、食べ物がないからではありません。一日二食でした。三十歳まで、自分で服を買って着てみることができませんでした。哀れな人々を救ってあげるべき責任があることを知っていたからです。それで、食べることができず、着ることができない中でも、おなかがすいている人々を救ってほしいと祈り、服を着ることができない哀れな人々を解放してほしいという祈祷をしました。それは、天国に直通するのです。   17私たちは、大きな十字架を背負っていかなければなりません。個人的な試練と、家庭的な試練は、氏族的な基盤を築くための準備期間にありました。今、私たちの前に現れる迫害と試練がないからといって、行く道が平坦だろうと思ってはいけません。範囲がさらに広くなりました。過去には、座して十字架を背負いましたが、今は、十字架を背負って歩いていかなければなりません。過去には、十字架を背負って一カ所だけを見つめてきましたが、今は、一カ所だけを見てはいけないのです。東西南北をよく見ていかなければなりません。先生は、神様が行かれる道に従わなければならず、皆さんは、先生の行く道に従わなければなりません。先生は、皆さんより加重された道を歩んでいます。また、先生を指導する神様は、一つ上の道を歩んでいらっしゃいます。   18神様が、良いものをすべて息子、娘に与えたかったのと同じように、また、息子、娘は、神様のすべての貴いものを欲しかったのと同じように、先生も、皆さんの前にすべてのものを与えたいと思い、皆さんも、先生のすべての良いものが欲しいと思うのです。それが、真の父母を中心とする家庭です。私たちも、そのように望むのです。先生は、神様を身代わりする立場で、皆さんの前にすべての良いものを与えようと思い、皆さんも、最も良いものを受けようとすることを原則として知っているので、このような道を指導するのです。

真の父母を求めていく路程

 

19どのようにして自分を取り戻すのでしょうか。その中心が、神様、真の父母、真の愛、真の生命、真の血統につながらなければなりません。神様は縦的な父母であり、真の父母は横的な父母です。その二つが一つになる位置で、完成された愛が定着します。縦的な神様の愛と、横的な真の父母の愛が定着することによって、私の価値が設定されます。そこで、私たちが存在できるのです。そして、家庭、氏族、民族、国家、世界に拡張されるのです。   20初めにアダムを通してエパを創造しました。エバはアダムを通して創造されたのです。それで、真の父が、真の母を創造するのです。再創造です。真の父と真の母は、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様の八段階をすべて越えたのちに、神様の息子、娘として並び立つようになりました。全く同じ次元の位置に立つようになったのです。それは、神様がそうしたのではなく、真の父がそうしました。その代価として、「真の父母様天宙勝利祝賀宣布」が行われるようになりました。したがって、真の父母のモデルを、皆さんが完全に相統しなければなりません。真の父と真の母の使命は、偽りの父母だったアダムとエバによって汚された世界を清算することです。真の父母と絶対信仰、絶対愛、絶対服従で一つになれば、サタンは干渉できません。   21天の父母を中心として、アダムとエバが真の愛、真の生命、真の血統を相続し、全人類が一つの木のようにならなければならないのですが、死んだ木のように逆さになっています。これを正さなければならない立場にいるので、真の父と真の母が出てこなければならず、真の息子、娘が出てこなければなりません。そして、血族を中心とし、氏族、民族、国家を編成し、地上、天上、天国で完結して、解放世界へ進まなければなりません。   22アダム家庭を中心として完成すべき本然の位置を失ってしまったので、反対に合わせていくことによって、母が世界の代表として立つようになります。真の父が来られて、世界の女性たちをエバの位置、母の位置に立てるのです。摂理歴史において母子協助が行われたのと同じように、皆さんが母の代身の位置に立ち、神様の代わりに真の父母が来られて母子協助ができ、八段階の愛を中心として一つになることをすべて教えてあげるのです。一つになることによって、絶対、唯一、不変、永遠の神様が、サタンと闘っていた世界を立て直すのです。   23お母様のために、先生がすべての整備作業をしてあげてから逝かなければなりません。忙しいのです。先生が百歳以上生きることを願ってはいけないというのです。霊界がどれほど忙しいか分かりません。先生が行って、組職を再編成しなければなりません。本来は、天国の門の鍵を先生が受けて、開かなければならないのです。今は、象徴的であり、条件的です。途方もない問題が引っ掛かっているのです。   24第四次アダム圏時代は、子女を立てるようになります。皆さんも、そのようにしなければなりません。妻を育て、子女を育てて家門に杭を打ち込まなければなりません。杭を打ち込むためには、前哨作業として息子を準備しなければならず、息子、娘が一つになったところに、母が立たなければなりません。メシヤ思想、真の父母思想は、神様が、母を中心として息子、娘の上に天の伝統を立てるためのものです。天国の伝統の杭を打ち込むのです。家庭の伝統ではなく、国の伝統です。国のために家庭があるのです。すべての家庭は、国を身代わりする家庭です。家庭が犠牲にならなければ、国ができません。祝福家庭たちが犠牲にならなければ、国が生じません。   25どのようにしてすべてのものを、天の父母と真の父母に連結させるのでしょうか。すべての家族がばらばらに散らばっています。その家庭を一つにしなければなりません。一つにしたのちは、母と一つにならなければなりません。これが復帰路程です。そして、息子、娘が母と一つにならなければならず、その息子、娘が母と一つになったのちは、父と一つにならなければなりません。そのように父と一つになれば、再臨主、真の父母が連結されます。そのように連結されたのちは、どのようにしてすべてのものを復帰するかということが問題です。父と母、そして、息子、娘が一つになるとき、神様が臨在するのです。そこから地上天国が出発します。   26母は、息子カインとアベルを再創造して、一体圏を形成できる伝統的思想と生活的基準、未来において国家を越えて世界に行くことができ、天国で生活できるそのすべてを、今からカイン世界に連結しなければなりません。そのようにするために、自分の息子、娘と一つになり、カイン世界を教育して、国家的基準を立てなければなりません。国家的基準さえ立てば、長子権復帰、父母権復帰、王権復帰の基準に入っていくのです。ですから、先導する立場で全てのお手本を見せ、環境条件を収拾すべき主体的立場が、今日の母の立場です。主体的立場は母です。先生ではありません。皆さんが、イエス様の恨を解き、国家圏の新婦として、世界まで連結しなければなりません。

 

 

第二節 真の父母の責任と特権

 

 

天一国経典「天聖経」目次

天聖経:第二篇 真の父母 

第四章 真の父母と真の子女

第二節          真の父母の責任と特権

 

1人間世界が堕落の病にかかったのですが、病を治療してあげる医者は、神様しかいません。歴史時代に数多くの宗教がありましたが、その宗教の教祖たちは、伝達者にすぎません。薬を調剤するにおいて、天が提示したその調剤法に従って調剤し、それを伝達する人にすぎないのです。それでは、最後の人間救援の完成は、どのように帰結するのでしょうか。薬を飲んだからといって、治療を受けたからといって、完全に救援が完成するのではありません。最後は、神様の命令に一致できる過程を経なければなりません。そのようにしなければ、完全救援摂理はありません。

 

 

霊界と肉界の人間救援

 

2メシヤは、人類の前に現れるとき、平等な思想をもってきます。神様は公平であられます。したがって、メシヤは、堕落した人間を救うための救い主として来るため、どのような人間であれ、救ってあげるためには公平に対してくれます。公平な目的と、公平な時代的環境をもってきます。ですから、メシヤと一つになる人は、メシヤの弟子になることができます。そして、メシヤはどのような道を行くのでしょうか。メシヤは、人間世界の地獄から、一番の栄光の立場にまで行くという話が成立します。人類の救いのためには生命を差し出し、行けない所がないというのです。

 

 

 

3歴史を振り返ってみるとき、歴史上、数多くの預言者、烈士たちが存在しました。彼らは、外的な統一は果たしましたが、心と体の心身統一は果たすことができなかったので、根本的な限界に突き当たらなければなりませんでした。

 

しかし、今、神様の真の愛を中心に、真の父母がこの地に顕現して真の家庭をつくり、統一した理想社会を実現していきつつあるので、神様の救援摂理の主流圏を形成するようになりました。

 

真の父母様は、神様と人類を接ぎ木してあげる仲保者です。人類は、真の父母なしに神様のみ前に進むことができません。真の父母は、人類を堕落から救援してあげる唯一の道を提示してくれる方です。

 

 

 

4真の父母は、霊界と肉界を中心とする王権をもってこられたため、それを霊界までつなげるためには、霊界に統一基盤を築いて、霊界の王権基盤、蘇生的長成基盤を連結しなければなりません。そのようにしなければ、真の父母が地上で完成藻準を立てた位置に、霊界が参与することができません。ですから、その準備をしておかなければなりません。霊界が真の父母の愛を中心として統一され、連結されるはずでしたが、すべて塀によって塞がれたのです。しかし、興進君とイエス様が一つになることによって、イエス様も、興進君を通して地上の父母様の家庭と連絡を取ってやって来ることができます。

 

 

サタン世界の清算

 

5世界的に混乱が起きています。その混乱の対象が、家庭です。家庭破綻、その次には青少年の堕落です。これは、エデンの園のアダム家庭の破綻と青少年であるアダムとエバの堕落が世界的な結実体として現れたものです。その位置は、神様も手をつけることができません。神様が手をつけることができないので、誰も手をつけることができないのです。摂理のみ旨の前にいる誰にも、サタンも、どうすることもできません。

 

 

 

それでは、これを誰が清算すべきでしょうか。罪を犯した人間が清算しなければなりません。偽りの父母から偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統をつくったので、「真の父母」が来なければなりません。真の父母が、サタンの秘密と天国の秘密をすべてもってくるのです。この秘密がすべて分かれば、二つの世界のものを相続して、すべて抱きかかえなければなりません。左右をかき抱かなければなりません。イエス様が抱くことができなかったので、右翼と左翼に分かれて争いが起きたのです。これを統一しなければなりません。ですから、民主世界と共産世界、唯心論と唯物論をかき抱かなければならないのです。

 

 

 

6摂理的に終わりの日には、エバを中心としてカインとアベルの勝利圏を収拾するのです。神様を中心として収拾し、サタン側を消化した勝利の基準を立てなければなりません。そのようになれば、完成したアダムを中心として、家庭、氏族、民族、国家の基盤が収拾されるのです。このように、アダムを中心として左翼と右翼を感化させ、神側に連れていけば、サタン世界がなくなってしまいます。それが、第二次世界大戦直後に成し遂げられなければなりませんでした。

 

イギリスは島国として、女性を象徴します。イギリスを中心としてアベルと天使長を立てるようになるのですが、アベルは、イギリスが生んだアメリカです。フランスは、過去、イギリスの怨讐でした。それで、天使長です。神側のエバ、神側のアベル、神側の天使長が一つになったのです。その反対に、サタン側のエバとして立てられたのが日本です。日本も、島国です。そして、ドイツは、サタン側のアベル国家であり、イタリアは、サタン側の天使長国家です。このように世界的に二つの陣営に分けられて闘ったのが、第二次世界大戦でした。ここで連合国が勝利することによって、歴史的に、神様を中心として統一世界が起きたのです。宗教圏が世界を統一したのはその時でした。

 

 

 

7歴史を明確に知らなければ、摂理をはっきりと認識することができません。サタン側のエバ国家とアベル国家、天使長国家が、神側の国家として帰ってきたので、終わりの日です。末世です。しかし、この一つになったカインとアベルの血統は、神様から相続したものではありません。サタンによる、偽りの父母による血統を受け継いだので、それをすべて蕩減復帰して神様に帰らなければなりません。エバとカインとアベルが、神側の息子、娘になるためには、サタン側のすべてのものを清算し、真の愛を中心として、新しい生命の種を再び相続しなければなりません。その新しい生命の種を相統してあげる実体が、正に再臨主であり、救世主であり、真の父母です。

 

 

 

8真の父母の位置に立つためには、偽りの父母になったアダムが狂わせた、天上世界と地上世界のすべてのものを、きれいに整備しなければなりません。サタンが讒訴する条件を、完全に整備しなければなりません。そのようにしようとすれば、サタンは、世界を動員して先生の行く道を攻撃するのです。個人的に世界的な攻撃をし、家庭的にも世界的な攻撃をし、氏族的にも世界的な攻繋をしました。先生の行く道において、サタンが、個人の行く道を阻み、家庭の行く道を阻み、氏族、民族、国家、世界、天地全体世界の行く道を阻んだことを、先生の手ですべて清算してしまいました。

 

 

 

9神様がメシヤと共に、真の父母と一つになって世の中を解放するのが救援摂理の目的です。皆さんは今、最後の位置に立っています。一歩だけさらに踏み出せば、転げ落ちます。ですから、回れ右をしなければなりません。サタンが愛した以上の愛をもたなければなりません。そうしてこそ、サタンに対する負債を清算することができます。どのようにして、神様と真の父母を解放するのでしょうか。今まで神様は、再創造の役事をしてきました。再創造は、真の愛を中心として、投入して忘れ、投入して忘れることです。先生が行くところでは、サタンの障壁が崩れます。個人の壁、家庭の壁、氏族、民族、国家、世界の壁、すべての壁が崩れました。なぜでしょうか。長子権が復帰されたのです。これからは王権が復帰されるのです。それが、本然のアダムの位置です。

 

 

 

10真の父母は、人類を代表して地獄の門を開き、天国の門を開いて、天国に直行できる高速道路をつくるのです。それが、神様が創造したアダムとエバに祝福してあげた本然の基盤です。天国に入った人は、地獄の叫びを聞きたいと思わず、地獄の環境や楽園など、複雑な霊界の環境を見たいと思わないのです。天国だけが見たいと思うのですが、そのような環境になっていません。これを誰が清算しますか。真の父母がされます。真の父母、真の家庭、真の氏族、真の国家、このようになります。真の国家、真の世界、真の天宙が現れて、堕落以後の天と地のすべてのものは滅亡するのです。

 

 

 

 

神様の解放

 

11真の父母の聖婚を中心として、四十年間で四千年歴史を蕩減し、世界人類の祝福圏内の解放圏を形成することができる現実的時代をつくりました。青少年問題、家庭の破綻問題が、今、最も問題になっています。どの国の主権者、いかなる教育者、いかなる人も、解決する方法が分からずにいます。それを解決できる特権をもっている人が、真の父母です。霊界の秘密と地上の歴史の秘密、それをすべて解怨成就したのです。先生が、すべてのものを蕩減して勝利したので、絶対信仰、絶対愛、絶対服従で、夜も昼も一体圏を形成しようとするときは、真の愛を中心として上がっていくことができます。真の父母様は、真の愛の血統と、真の愛の一族と、真の愛の民族を編成することを神様から許諾されました。それで、歴史の何よりも貴いものとして、天の宝物の倉庫を個々人の家庭に伝授したのが、祝福家庭です。

 

 

 

12どのようにしてサタンに対する負債を清算し、神様と真の父母を解放するのでしょうか。今まで、歴史を通して、多くの蕩減を払いました。氏族的メシヤの使命を果たすことによって、神様を解放し、真の父母を解放することができるのです。国家、世界、天宙がそこにつながっているからです。本来、皆さんが氏族的メシヤ、国家的メシヤ、世界的メシヤ、天宙的メシヤを通過してこそ、神様と連結されるのです。これらのものは、真の父母がすべてしました。皆さんには、氏族的メシヤとしての使命一しかありません。

 

 

 

13なぜ先生は皆さんの父母でしょうか。皆さんを生んであげましたか。先生は、神様の愛、本来の愛を連結させてあげられる父母です。堕落とは何ですか。先租となる父母が、神様の愛を連結させられなかったことです。皆さんの父母は、皆さんを神様の愛に連結させることができません。真の父母が違うのは何でしょうか。神様の愛を連結できる特権をもってきたのです。このような立場で、皆さんの父母の言うことよりも真の父母の言うことを聞くのは、社会の正義ですか、悪ですか。正義です。天宙の原則がそのようになっているからです。

 

 

 

14 成約時代には結婚をします。旧約時代までは結婚できず、新約時代には結婚しようとして保留になりました。その保留になったことを、終わりの日に再臨主が来て、小羊の婚宴をして完成するのです。結婚完成世界時代です。

 

 

 

結婚完成世界時代には、結婚を完成して神様と一致すれば天国に入るので、地上に天国が顕現するのです。堕落によって、二つの道が生じましたが、そこで一つの道を探すのです。それで、世界人類が天国に入ることができるようにするのです。祝福してあげることによって、数千年間窒いていた天国を一度に満たすのです。それで、世界人類が、地上天国と天上天国、一つの世界、解放された一つの文化、一つの統一された世界に入っていくのです。

 

 

 

15統一教会は、いかなる使命を担っているでしょうか。キリスト教が願う希望の時を見つめていくのではなく、その希望を成就した実体基準を中心としていく使命を担っているのです。その基準が、真の父母です。真の父母は、神様と連結され、地と連結され、霊界と連結されなければなりません。言い換えれば、神様と連結され、地上の万人と連結されることはもちろん、天使世界にまでも連結されなければなりません。そして、宇宙が、真の父母を中心として一つの目的を指向し、神様が直接主管できる権威を立てなければなりません。そのとき初めて、神様の目的と創造の偉業が成就されるのです。

 

 

第三節  真の父母の真の愛・真の生命・真の血統

 

 

天一国経典「天聖経」目次

天聖経:第二篇 真の父母 

第四章 真の父母と真の子女

第三節          真の父母の真の愛・真の生命・真の血統

 

1真の父母という言葉は、堕落したあとに連結されたものではありません。神様の創造理想は、真の父母を中心として始まりました。ところが、堕落したので血統が変わりました。完全に反対になりました。国も、堕落していない本然の国とは違います。本来は、宗教がありません。宗教であれ国であれ、堕落したあとの堕落の血統を中心とする因縁的関係は、すべて先生と関係ありません。

 

そのような意味で、神様が、創造前に真の父母という概念を中心として考えたその考えだけが絶対的であり、その考えだけが神様の愛と生命と血統に連結されるようになっているのであって、堕落したあとの皆さんが考える概念や観念、因縁的関係は、堕落する前の真の父母の理想とは何の関係もありません。したがって、きれいに絶ち切ってしまわなければなりません。

 

 

愛と生命と真理の実体

 

2神様は、御自身の願いである天国を成し遂げる中心的な一つの存在を立てるために役事してこられました。神様によってこの地に立てられるその方は、まず神様の真理と生命と愛を受けるはずであり、その次には、愛と生命と真理の実体として立つようになるでしょう。このように、神様の愛と真理と生命を中心とする人間の基準を完成した一つの存在を立てるために、神様は、長い歴史を経て役事してこられました。もし心と体が一つになった実体として、神様を身代わりして現れる中心的な存在を迎えることができなければ、神様が成そうとする天国と何の関係もなくなります。こればかりでなく、この地の万民が願う天国、被造万物が願う天国は、決して建設されません。

 

 

 

3ある一つの存在が、神様と通じることができる真の真理、神様と通じることができる真の生命、神様と通じることができる真の愛の中心位置に立つようになれば、彼は、被造万物の希望の中心であり、神様が願う希望の核心的な存在なので、すべての被造物は、その中心存在から離脱することがなくなります。そのような基準で神様の真理を語るならば、彼は、実体を備えた神様の生命を証することができ、実体を備えた神様の愛を現すことができ、実体を備えた神様の真理を現すことができます。このような意味で、イエス様が「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネ一四・六)と語ったのです。

 

 

 

4本然の神様の愛と、本然の真の父母の愛を中心として、本然の血統の歴史をつないで生まれたのが、本然の「私」です。その私を取り戻せば、そこには真の父母と、真の父母の愛があります。神様の愛から私が始まったので、私を取り戻せば、私の中には、既に二つの本然の愛が植えられているのです。それが根となっています。私を神様から離してしまうことができず、真の父母から離してしまうことができません。その肢体であるので、そういう自らを否定できません。

 

細胞のようなものを見れば、葉の細胞を剥がしても、根の細胞を剥がしても、同じです。最近は、細胞を繁殖して、植物も繁殖させますが、それと同じです。葉にも根の要素が、すべてあります。神様の愛と真の父母の愛は、宇宙のすべての主管性の核です。主体性の永遠の標準です。愛を中心として、すべて主管しようとするのです。

 

 

 

5蕩減復帰しようとすれば、失ってしまった状態を再び取り戻さなければなりません。母を中心として、分かれていたカインとアベルを統一するために、二つの群れができたのです。サタン側の父と母と、天の側の父と母が闘ったのです。これを清算する戦争が第二次世界大戦です。それで、世界ほ、完全に統一圏になりました。神様の愛と真の父母の愛を中心として、真の父母の生命と神様の生命、真の父母の血統と神様の血統が再び連結されます。昔の本然の基準はあるのですが、これを連結させることができませんでした。これは残しておき、サタンが横から根を下ろしてすべて占領することによって出てきた芽を切ってしまい、ここに新しい父母を中心として再び連結し、生命の木に再復活圏をつくっておかなければなりません。そのようにしようとすれば、切って接ぎ木しなければなりません。

 

 

 

6イエス様が再臨するということは、人類の真の父母として来るということです。真の父母として来るのですが、生命の本然の根、神様と一体となった真の愛を中心とする真の生命、真の血統の根として来るのです。ですから、すべて戻っていって真の血統にくっついたという条件を立てなければなりません。血統を再び連結しなければなりません。愛と生命と血統が連結されたという平等の価値を再び編成しなければ、そこへ行くことができません。神様の国は、本来の堕落していないアダムとエバの息子、娘、血統的な面で一体となった子孫たちが行くところです。今日、堕落した人間の血統的欠陥は、このような関係を再びもたなければ元に戻せないということです。

 

 

 

7この地上に再臨主であり救世主が来るようになれば、その方が主人です。その方は、愛の救世主であり、生命の救世主です。愛が狂い、生命が狂い、血統が狂ったので、真の愛の救世主であり、真の生命の救世主であり、真の血統の救世主として来るのです。それが本然の世界で失ってしまったものですが、それを取り戻さなければならないので、人類歴史を通して求めてきたのが真の父母の伝統的歴史でした。

 

 

 

8神様とサタンの争いを誰が止めますか。「真の父母」です。何をもって止めるのでしょうか。真の愛です。サタンと神様が手を取り合って褒めたたえるのが真の父母です。真の父母の真の愛の原理を通して神様を解放し、サタンを解放するのです。したがって、地獄の門を撤廃して天国の新しい愛の光明の光がさし込み、霊界に革命が起きるのです。

 

 

 

9真の父母の本質は、真の愛です。絶対、唯一、不変、永遠な愛の基準の中心位置にいる方が、真の父母です。すべて相対的な基準が必要です。すべてのものに相対がなければなりません。小さなものには小さな相対が必要です。小さなものは小さいなりに、主体と対象を中心として球形を形戒し、大きなものは大きいなりに、主体と対象を中心として球形を形成するのです。このようにして、より大きなものになっていくのです。神様は根本なので、最初から最後まで球形を形成するのです。字宙がすべて、その愛の圏に入っていきます。

 

 

 

10神様の愛と生命と結ばれた血統をもった父母なので、真の父母なのです。真の父母を知らない人は、今からは人として扱われません。真の父母は、神様の愛を完成させてあげることができる、神様を愛の主人にしてあげることができる先覚者です。真の父母がいなければ、神様の愛の完成プログラムを永遠に成し遂げることはできません。

 

 

真の愛の血統に転換

 

11血統が汚され、血統が汚染されました。汚染された血統を清めるために、どれほど大変だったかということを知らなければなりません。また、血統が汚されたので、神様はこの世の中を思いどおりにすることができません。怨讐の子女なので、思いどおりにできません。ですから、宗教を通して、数多くの人々の方向を一八〇度転換させることに、数千、数万年かかったのです。

 

 

 

12地上世界の偽りの父母によって、天上世界の楽園から中間霊界、地獄へと広がり、地上世界もそのような実状が連結されました。地上世界を整理するために、旧約時代にはメシヤを送ることを約束し、新約時代には、イエス様を中心としてこの地上で家庭的な天国が成し遂げられて、初めて天上天国が始まったのですが、家庭天国を成し遂げられなかったので、世界時代にまで延長されてきたのです。

 

再臨時代には、小羊の婚宴を中心とする真の父母の顕現とともに、このすべてのものを蕩減できる歴史の起源をすべて整理した位置に立つことによって、真の父母の愛を中心として真の血統の条件を継承して接ぎ木するのです。これを家庭的に接ぎ木してあげるのが祝福です。天国は、家庭が入ることができる基準であり、初めて家庭的な基準で接ぎ木したので、その実をもって入っていくようになれば、野生のオリーブの木の実が真のオリーブの木になるのです。

 

 

 

13責任分担を果たせば、神様の真の愛、真の生命と連結され、真の血統だけが連結されて真の父母の伝統が立つのです。真の父母になるためには、血統を転換しなければなりません。そのようにしようとすれば、野生のオリーブの木に真のオリーブの木を接ぎ木しなければなりません。その接ぎ木をするのが統一教会の祝福です。

 

 

 

14神様を中心とする完全な家庭が定着することができず、氏族、民族、国家、世界、天上世界までが一つになっていません。カインがアベルの命を奪い、セツを迫害してきたことが整理されていないのです。それで、救世主、メシヤ、再臨主、真の父母が必要です。特に真の父母によって、その真の愛と生命と血統を中心として、堕落がなかった家庭が出発するのです。それは、家庭王の出発であり、氏族王の出発であり、民族、国家、世界、天宙、天上天下の王権の出発です。その王位を中心として、全体が神様を中心とした愛の主権世界になるのです。

 

 

 

15宗教を信仰して真の人になるのではありません。堕落がなければ、宗教も必要ないのです。生殖器から、神聖できれいな息子、娘が出てくるのです。そこから真の愛が来るのです。そこから真の生命が出て、そこから真の血統をもった真の息子、娘、サタンのいかなる讒訴も受けない解放的な息子、娘が出てくるのです。生殖器は、真の愛を中心とする王宮であり、真の生命を中心とする王宮であり、真の血統を中心とする王宮です。最も貴いものです。これがなくなれば天地がなくなり、これがなければ神様の理想、神様の家庭、神様のみ旨は成就されません。これは、全体を完成することができる一つの起源です。

 

 

 

16統一教会の教会員は、真の父母と共に、神様と共に生きていきます。真の父母の愛とともに生まれるのです。愛は永遠の関係を結ぶので、愛を絶つことはできません。死ぬときまで愛を忘れられないのです。父母は、死んでいくときも、愛の心情をもって、息子、娘を愛しながら死んでいきます。夫や妻も同じです。愛を忘れて死んでいく人はいません。愛は、死を越えて永遠とつながります。それで、愛による生命圏を受け継いだ自分、男性と女性は、愛の根本である父母を忘れてしまうことができません。父母は根であり、自分自身は幹であるとするなら、息子、娘は芽です。それが共に大きくなれば、氏族圏、民族圏、国家圏に拡大するのです。

 

 

第四節 真の子女の道

 

 

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天聖経:第二篇 真の父母  

第四章 真の父母と真の子女

第四節          真の子女の道

 

1 六千年の復帰摂理歴史は、父母を復帰するための摂理歴史です。父母を復帰し、子女を復帰する摂理歴史です。そのような復帰摂理路程においては、父母と子女が同じ責任を担っています。父母が個人的な十字架、家庭的な十字架、氏族、民族、国家、世界、天宙的な七段階の十字架路程を歩んでいるので、子女である皆さんも、そのような七段階の十字架路程を歩まなければなりません。期間の長さの違いがあるとはいえ、先に行くかあとに行くかの違いがあるとはいえ、蕩減条件の内容は同じなのです。

 

 

真の子女の復帰路程

 

2 天運の時代に突入する時において立てられる、「真の父母」と真の子女と真の夫婦は、どのような人たちでしょうか。そのような人たちは、人間の情に通じ、神様の心情に通じた人たちであり、神様の心情が宿る宇宙的な苦難を体恤した人たちであり、神様の真の愛を中心として、「神様は私の父である」と言える、その何かを感じた人たちです。六千年の歴史を経てきながら、人間は、人間の縦的な問題を解決できず、横的な問題も解決できませんでした。人間は、このような問題を解決してくれる宗教を求めてきました。私たちは、終末時代においてぶつかる峠と、すべての障壁を越えていかなければなりません。

 

 

 

3真の父母の前に真の子女として立つためには、子女の個人的な復帰路程があり、家庭的な復帰路程があり、氏族的な復帰路程があり、民族的な復帰路程があり、国家的な復帰路程がなければなりません。父母の個人、家庭、氏族、民族、国家的な復帰路程と、子女の個人、家庭、氏族、民族、国家的な復帰路程を完結し、その父母と子女が一体となって勝利したという基準を立ててこそ、民族復帰を終結し、世界的な舞台に向かって新しく出発することができます。

 

 

 

 

 

4家庭が十字架を負わなければなりません。このような家庭が出てくれば、この三千万民族(韓民族)のすべての家庭を復帰することができます。したがって、統一氏族の家庭全体が、この民族を代表して苦労しなければなりません。民族の役軍(担い手)にならなければなりません。皆さんには個人の蕩減路程ですが、先生には家庭的な蕩減路程になります。また、先生が氏族的な十字架を背負っていくとき、皆さんは家庭的な十字架を背負っていかなければなりません。先生は、皆さんより一段階先を進みます。

 

 

 

5先生の家庭が家庭的基準でアベル的責任を果たせば、その次には皆さんが、家庭的基準でアベル的責任を果たさなければなりません。このようにして天国を目標にして広がっていかなければなりません。ところが、まだ神様が安息なさることができる基盤が築かれていません。それで、常に闘いであり、またいつでも四方にサタンが往来することができるのです。ですから、いつ定着するのですか。このような困難な問題が残っているのです。したがって、皆さんは、そのような問題を中心として、あらゆる精誠を尽くさなければなりません。

 

 

 

6アベル家庭が勝利してカインを立てておけば、そのカインは、すべての家庭の前にアベルの立場に立たなければなりません。そうして、アベルの立場で勝利した人々が安息し、その代わりとして、カイン的な人々が天のアベルの立場を相続して、サタン世界のカインたちを再び屈服させていかなければなりません。カインたちを屈服させた人々、すなわちアベルの立場を相続した人々は、カイン的立場ではない、天のアベル的立場で勝利したので、安息できる位置に立ち、自分たちの立場を新しい代身者たちに譲り渡しながら蕩減復帰していくのです。

 

 

 

7祝福家庭が民族復帰の過程を経ているとすれば、真の父母は世界的な復帰の過程を経ていかなければなりません。すなわち、一段階先を進まなければなりません。

 

しかし、民族復帰の勝利的基準が立てられなければ、真の父母は世界的な路程を行くことができないので、真の父母様に世界的な路程を行かせるために、民族復帰の責任を相続しなければなりません。それで、皆さんは死ぬまで、この民族の恨が除かれる時まで、民族復帰の責任を背負っていかなければなりません。

 

 

真の父母の家庭を守護しなければならない

 

8個々人について見てみるとき、皆さんは、サタンから自らを守護しなければなりません。サタンの一線と神様の一線の中で、神様の一線に立った自分自身を守護し、サタンの攻勢を受けない勝利の決定圏を、皆さん自身が確定しなければなりません。皆さんの家庭が、サタン世界に勝利の基盤を築き、主の家庭を守護しなければならないのです。その次に、イエス様の氏族を保護しようとすれば、イエス様の氏族を救う数多くの民族的保護圏がなければなりません。その民族たちが、サタン世界で勝利の基盤に立って、イエス様の側に立つ氏族のための守護圏をつくらなければなりません。

 

 

 

9カイン家庭はアベル家庭のためにあり、カイン氏族はアベル氏族のためにあり、カイン民族はアベル民族のためにあり、カイン国家はアベル国家のためにあるという観念がはっきりと立つとき、初めて守護圏が生まれます。「難しいことがあれば自分が責任をもとう」と言うようになるとき、そこに安息圏、すなわち天国が建設されるのです。

 

 

 

10今日、左翼と右翼がすべて滅びるようになりました。誰がそのようにしましたか。神様と真の父母がそのようにしました。真の父母と一つになった家庭は、世界のどこにいようと、今まで真の父母が歩んできた道を相続したので、そこで強く、大胆であれというのです。そうすれば、神様とこの宇宙が先生を保護するように、その家庭を保護するので、一国を消化することは問題ありません。皆さんが先生のように一線に立ちなさいというのです。戻ってはならないというのです。真の愛で直行するのです。

 

 

 

11皆さんはどこに行っても、統一教会の信徒であると誇らしく宣布しなければなりません。私たちは、真の父母様に属した人々です。私たちは、真の父母の子女たちです。争ってはならないというのです。争うのは、サタンを受け入れることです。。宣布して歩きなさいというのです。「私たちはナンバーワンの神様の子女である!」と言うのです。そうすれば、サタンが讒訴することができません。そのような考えをしっかりもって歩きなさいというのです。

 

 

 

12天と地が分かれていましたが、イエス様が天の品格をもって地に来て一つにしていれば、霊肉を中心とする国家勝利圏が初めてサタン世界に成し遂げられます。その圏内は、サタンが統治できません。もしサタンが侵入できない国をもてば、神様は、氏族や民族を中心として安息することができるのです。国を中心として闘って勝つようになれば、神様は一つの氏族長として安息できるのです。氏族が闘って勝てば、神様は家長として安息することができます。

 

ですから、国家的勝利圏をもつことができなければ、神様が民族的な安息圏をもつことができず、民族的な勝利圏をもつことができなければ、氏族的安息圏が生まれることができないのです。氏族的勝利圏をもつことができなければ、家庭的安息圏が生まれることができず、家庭的勝利圏をもつことができなければ、個人的安息圏をもつことができないのです。

 

 

第五節 真の父母の心情の伝授と相続

 

 

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天聖経:第二篇 真の父母  

第四章 真の父母と真の子女

第五節          真の父母の心情の伝授と相続

 

1 学校へ行けば、試験を通過しなければなりません。試験を通過すれば、上がっていくのです。同じです。皆さんが天国に行くためには、真の父母の心情圏を相続しなければなりません。そのようにしなければ、行けないのです。

 

 

 

2 神様のみ旨を真の父母が相続し、真の父母のみ旨を皆さんが相続して、その伝統的な思想を失ってはなりません。その伝統的な思想とは何でしょうか。人間が怨讐サタンの血統を受けて生まれたので、この怨讐サタンの血統を除去したのち、神様を中心として、真の父母を中心とする血統を復帰しなければなりません。そのためには、神様と心情的に一致しなければなりません。心情的な一致を基盤にして、天の血統を受け、神様を根とする木の枝になり、葉になり、神様の代身の実体となって、サタンを屈服させる絶対的な基準を、地上に立てておかなければなりません。そうしてこそ、復帰の歴史が推進されていくのです。

 

神様は、決して復帰歴史を放棄されません。皆さんが使命を果たせないからといって、神様は、この地を放棄されないのです。

 

 

 

 

心情の伝授は一体化で可能

 

3 神様が、各時代に、私たちの先祖を訪ねてきて相続してあげたいと思われた心情を中心とする偉業を、今までアダム家庭から歴史的な終末まで連結し、一つの勝利的な心情の実体として天地に立てるものが、天地、あるいは全人類が願う再臨の理想、すなわち真の父母の理念です。したがって、この真の父母を中心として、真の父母を完全に皆さんが相続することができ、真の父母を皆さんの父母として侍ることができ、真の父母の解怨を皆さんの解怨として感じる位置に立たなければ、天の祝福、あるいは相続を受けることができません。

 

 

 

4 先生は、アダムからイエス様までの心情を相続し、勝利しなければなりません。これが、今日まで闘っている歴史的な内容です。アダムから終わりの日まで連結して、天地の前に立てようとするのが再臨の理想であり、真の父母のみ旨です。真の父母の理想、真の父母のみ旨を感じることができなければ祝福を受けることができません。今までの「私」は、歴史的な裏切り者であり、赦されない罪人でした。

 

したがって、嘆息と恨を晴らし、実体の中心に侍ることができる環境を準備しておいた者にだけ、実体的父母と関係を結んであげるのです。神様の遺業を相続するために真の父母がいるのであり、皆さんは、真の父母の遺業を相続するためにいる存在です。私たちは、真の父概の心情と摂理歴史の悲しい内容を知らなければなりません。真の父母と一体となってこそ、祝福の位置に進むことができます。

 

 

 

5 歴史的に見るとき、アダムの前でも、真の父母の身代わりをする「私」であり、ノアやアブラハム、モーセ、イエス様の前でも、真の父母の身代わりをする私であり、天地の前でも真の父母の身代わりをする私にならなければ、祝福の位置に立つことができません。男性は父の分身であり、女性は母の分身です。この分身という言葉には、歴史的な涙がにじんでおり、歴史的な悲しみと曲折がにじんでいます。ですから、このような歴史的な涙と悲しみと曲折を蕩減しなければなりません。

 

「私はこれこれこうなのに、なぜ祝福をしてくれませんか」と言うようにはなっていないのです。私たちは、過去と現在と未来にわたる真の父母の心情と実体と、すべてのみ言を接ぎ木されなければなりません。真の父母を身代わりして、祝福を受けた先輩たちに負けず、「先輩たちが責任を果たせなければ、彼らの責任まで身代わりします」と言えば、間違いなく彼らと同じ福を受けることができます。「過去には不足だったが、最後まで不足な私になってはならない」という覚悟をもたなければならないのです。個人の目的は許諾されません。真の父母を身代わりしなければ、祝福を受けることができないというのです。

 

 

 

6 皆さんは心情を合わせもってこそ、天の勇士になることができます。心情を除いてはなれません。心情がなければ、人格が出てこず、心情を通じた人格が出てこなければ、心情を通じた真理も出てこず、心情を通じた真理が出てこなければ、理想が出てきません。皆さんの理想は何ですか。真の父母です。統一教会は、歴史が求めてきた中心である真の父母に侍るところです。時代が要求する中心である真の父母に侍るところです。未来の起源になることができる真の父母を、「私」が相続することができるのです。したがって、私は歴史的な実です。私は時代的な中心です。未来の起源になり、先祖になるのですが、真の父母の心情と一致できる関係を結んでこそ、そのようになるのです。このような心をもってこのような祈りをすれば、恥ずかしくありません。

 

 

 

7 神様の心情と真の父母様の心情は、どこで連結されるのでしょうか。縦的な心情が、横的にどのようにして連結されるのでしょうか。神様と人間が一つになって完成するようになるとき、横的な心情圏が始まります。それでは、完成基準という言葉とは何でしょうか。十七、十八歳になれば、成熟するようになります。下から育って、中央線まで上ってきます。ですから、心情圏を中心として、必ず真の父母を中心として、横的世界に自分の生活舞台が広がるのです。これが一つにならなければ、心情の軸が立ちません。縦的基準を中心とする神様の心情圏は、原理で言えば直接主管圏として、サタンが全く侵犯できない絶対圏です。心情圏から直接主管が起こります。

 

 

 

8 皆さんが、真の父母の心情と神様の愛とその心情をどのように体恤するのですか。その境地にどのように入るかが問題です。そのようにするには、堕落していないアダムとエバにならなければなりません。サタンが讒訴できてはいけません。それでは、サタン世界でどのように解放されるのですか。サタンと闘って勝たなければなりません。そうするには、どれほど苦労し、どれほど苦しまなければなりませんか。ヤコブも十回だまされ、モーセも十回だまされ、イエス・キリストもそのように欺かれました。先生も同じです。それを克服していかなければなりません。そのときに、神様の心情を知るようになるのです。父母様の心情を知るようになるのです。そうでなければ、絶対に分からず、そうでなければ、サタンが離れないのです。サタンに勝利できない限り、父母の心情を知ることができず、神様の心情を知ることができません。

 

 

 

9 皆さんは、神様の悲しみを知らなければならず、神様の悲しみが大きければ大きいほど、私たちを祝福したいと思う心が切実だということを知らなければなりません。復帰過程にいる皆さんは、まず真の父母に侍り、その次に、再びその関係を連結して、天上世界まで収拾しなければなりません。このような立場で、皆さんに天地を相続してあげ、宇宙を相続してあげ、万民を相続してあげたいと思うのが、神様の心情です。したがって、皆さんは、神様の代わりに、真の父母の代わりに、真の息子、娘の使命を果たして、神様のみ前に立てられる真の子女の栄光の基盤を備え、神様が「忠臣」だと言える基盤を備えなければなりません。

 

 

 

10 父母の心情を知るためには、一体ということをどのようにして感じるかが大きな問題です。サタンに勝利するまでは、それは絶対にできません。体恤が訪れないというのです。ですから、先生が、発電所と送電所をつくっておきました。個人的、家庭的、氏族的、民族的、国家的、世界的、天宙的、神様まで、このような塔をつくっておきました。今、心情の電線を架けなければなりません。これは、先生がするのではなく、神様がしてくださるのでもありません。皆さんがしなければなりません。

 

 

真の父母の心情圏を相続しよう

 

11 真の父母が出てこなければ、真の子女が出てくることはできません。今まで、地上に真の人がいなかったので、真の父母が出てきませんでした。それで、統一教会では、真の父母を認め、その真の父母を発見して侍ろうというのです。真の父母の息子、娘になろうというのです。その息子、娘になれば、真の父母がもっているすべてのものを相続するのです。真の父母がもっている相続権は、天地と神様までです。神様までも相続しようというのです。天地に主人がいなければ、その天地は何の価値もありません。その天地の価値を一〇〇パーセント認めることができ、その価値を永遠に主張できる「私」にならなければなりません。また、それを公認してくださる方に出会わなければなりません。その方が神様です。ですから、真の父母の相続権をもたなければならないのです。

 

 

 

12神様が願われた真の父母であり、人類が望んだ真の父母であり、天地が待ち望んだ真の父母は、歴史的な解怨をして神様の心情的な偉業を相続するために、この地上へ来られた方です。このような真の父母を再び相続しなければならないのが、私たちであり「私」です。このような父母を相続するためには、神様の悲しみはすべて知らなくても、真の父母の悲しみの一面を体験しなければなりません。新たに地を探すために天がしてきた苦労も、もちろん知らなければなりませんが、それはすべて知らなくても、地上で苦労した真の父母の心情がどのようなものだということと、悲しい内容がどのようなものだということを、ある一面でも知らなければなりません。

 

 

 

13皆さんが神様の愛をもつためには、神様の生命を根本にしなければなりません。そのようにしなければ、神様の愛が受けられません。神様の生命をもつようになれば恩恵があります。神様の生命を土台にする人にならなければ、神様の愛を受けることができません。皆さんは、その恩恵を受けなければならないのです。恩恵の表示は、幻想や夢のようなものによって現れます。皆さんは、実体の神様の立場にある真の父母が慕わしくて、泣かなければなりません。しきりに会いたいと思わなければなりません。御飯を一膳炊いておき、水を一杯くんでおいて侍りたいと思わなければなりません。そのような、切実な心をもたなければなりません。涙が先立つ心情をもっていればよいのです。そうすれば、先生を中心として、皆さんの心情一致がなされ、先生と共に呼吸することによって、先生の人格基準と、その背景となる先生の過去と、過去に絡まった事情がどうなっているのかを知るようになり、さらにはそれを相続し、引き継ぐことができます。

 

 

 

14先生は、死の境地に入っていくことがあっても、総合的な活動の背後を束ねて責任を果たさなければなりません。これは宿命的な路程なので、いかなることがあっても進まなければならないのであって、退いてはいけません。真の父母からこのような精神を相続する皆さんの姿勢はどのようなものでなければなりませんか。今まで皆さんは、思いどおりに生きてきました。しかし、先生の基盤を相続して、残りの生涯をかけて守っていくべき宿命的な使命が、皆さんに残っています。命を懸けて守っていくべき使命が、皆さんすべてに残っているのです。

 

 

 

15私たちが行く道は、まだ終わっていません。皆さんは、天の前に感謝することによって祝福を受けたのです。皆さんは、個人的に感謝するだけでなく、自分の氏族を代表し、さらには民族を代表し、世界人類を代表して祝福を受けたという価値を忘れてはいけません。また、真の父母が地上で果たすべき責任を相続したことを知らなければなりません。

 

 

 

16真の父母の勝利圏を相続しなければなりません。個人的に、天と地の前に、父母様の前に恥ずかしくてはいけません。ですから、絶対愛、絶対服従。絶対信仰で生きなければならないのです。すべてのものを犠牲にしても、父母様のために生きた祭物になろうという心情一致圏を中心として、父母様が愛する以上の愛をもっていてこそ、真の父母様が解放されます。父母様が人類を愛する以上に愛する社会になってこそ、神様の解放圏が生じるのです。そのような息子、娘をもつことによって、初めて息子、娘を称賛し、息子、娘を愛しながら自分が喜ぶことができる解放圏が生じるのです。そのような心情的忠臣の道理、聖人、聖子の道理を守っていくべき伝統的本然の主流の位置に立ったことを忘れてはいけません。

 

 

 

第一節 天地人真の父母

 

 

天一国経典「天聖経」目次

天聖経:第二篇 真の父母

第五章     天地人真の父母と勝利圏相続

第一節      天地人真の父母

 

1           真の父母は天地父母であり、神様は天宙父母です。地上の天地父母は一代です。一代で終わるのです。天宙は神様の家です。永遠なのです。「天宙」とは二人の家を意味し、「宙」の字のうかんむり(宀)は、安らかだという意味であり、自由な家ということです。二人が暮らすことができる自由な家、それが天宙です。それで、天宙主義は、神主義という言葉です。今からは、天宙父母と天地父母を別に分けて理解しなければなりません。「天地父母」と言うときは、堕落していない完成実体、神様の代身として実体をもって世の中のすべてのことの中心位置に立った方を意味するのです。

天宙父母と天地父母

 

2           天宙父母は神様です。天宙というのは、神様の家です。霊界も、神様の家であり、地上も神様の家です。天地父母は、この地上の堕落した世界で、父母の位置に立つのです。天地父母の聖婚式が天宙父母の聖婚式と合徳(和合)することによって、天宙・天地父母の王権即位式を中心として、地上と天上の二つの世界が一つの道で決定し、収められ、天の結実として捧げられるときが来ました。

 

3       真の父母と神様は、何が違いますか。神様は神であり、真の父母は人です。人と神が一つになって核になり、中心になって、永遠に山水苑のような、泉がやむことなく、陽光が照らしてくれるその世界になれば、地上天上、万国解放の理想郷となることができ、天上と地上が統一された一つの理想の国とならざるを得ないのです。

 

4           人は、天宙父母と天地父母の結箋体です。神様も、お一人では愛の目的を成し遂げることができません。無形では、実体世界の息子、娘を天国まで移していって、天国の民にすることができません。体がなければならないのです。

 

5           天の父母様を、天宙父母と言います。天地父母は、地の真の父母です。天宙父母と天地父母が一体になり、アダム一家庭さえ、真の愛と真の生命、そして真の血統で結んで定着していたならば、万事がすべて終わっていたはずです。その家庭の出発が、世界復帰の出発であり、世界祝福の出発です。その一つの家庭が、天国の門を開くことができ、天国を開門することができる主人です。同時に、その一つの家庭の伝統を受け継いだ人々は、宗教や救世主、メシヤ、再臨主、真の父母というものがなくても、天国の王の基を中心として侍ることができる皇族圏の子女になっていたはずです。

後天時代と天地人父母

 

6           統一教会で最も重要な言葉は、天宙父母、天地父母、天地人父母です。神様の理想は、天宙父母になることでもなく、天地父母になることでもなく、天地人父母になることです。それが神様の創造理想であり、願いでした。父母の中で、天宙父母も必要であり、天地父母も必要ですが、天地人父母がもっと必要です。その天地人父母を知っている人は、今まで一人もいませんでした。

 

アダムとエバが、人として完成できなかったので、神様も完成できず、天地父母も完成できませんでした。神様も、お一人では愛を探すことができません。天地父母も、愛の相対がいなければ、愛することができません。心の位置には神様、体の位置には真の父母、皆さんは三代の孫の位置に立つことによって、二つの父母の種として、実として、倉庫に入っていくことができる天国の収穫の実となるのです。ですから、天地人父母が最も貴いのです。

 

7           人間が堕落していなければ、神様が天地人父母になります。神様が直接心に入ってきて体をもち、それから愛の相対と出会って、愛することによって子女を生み、家庭の本当の父母になるのです。今までそのような父母をお迎えすることができませんでした。ですから、創造理想は、体でもって、自分の子女から家庭をつくり、民族、国家、世界、天宙をつくることです。堕落することによって、神様が体をもってすべてを移譲することができず、息子、娘を生むことができなかったので、神様が体をもって父母になることができなかったのです。

 

8           最後は、この地上ですべてのものを完成しなければなりません。神様も、真の父母も、地上で完成しなければなりません。そうすれば、地上の家庭を中心として暮らす個人たちが、世界を代表するのです。世界を代表する氏族、民族、国家、世界、天宙全体が、地上で形成されなければなりません。それを形成して、天国に入って暮らすようになっているというのが創造理想の観です。その世界を失ってしまいました。神様と人間、天宙父母と天地父母が分かれたのです。それが一つになって、最終的に天地人父母にならなければなりません。最後に希望として願うものが天地人父母です。神様が完成するのは地においてであって、霊界ではありません。無形の神様が実体をもって完成しなければなりません。

 

9           万物を中心として失ってしまった万物を探す時代が旧約時代であり、万民、カインとアベルを一つにするための時代が新約時代であり、そして、天地の父母様、天の父と地の父が一つになる時代が再臨時代です。したがって、再臨時代は、皆さんの家庭が天宙・天地・天地人父母の血統を伝授され、何の讒訴も侵害も受けない父母権をもてる時代に移行する新天新地の時代です。先天時代が後天時代に変わるのです。そのような総合的な結論がはっきりと定められ、きれいに整理されるのです.

 

10         天地人父母になるためには、心と体が一つになった男性と女性が一つになり、家庭定着をしなければなりません。そうなることによって、その位置は、解放時代であり、神様の血統を世界的に選んで越えようとするので、釈放時代です。世界的基準の頂上に来て、釈放時代までつくっておいたので、先天時代が過ぎ去り、新天新地の後天時代になります。神様を中心として新天新地ができることによって、平和の王が登場するようになります。

 

11         先天時代は過ぎ去り、後天時代が訪ねてきます。ですから、「双合十勝日」の「日」だけでなく、「年」までも取り戻さなければなりません。サタンが「日」を占有し、「年」までも思いどおりに主皆してきました。先生を通して天宙・天地・天地人父母の能力を備え、無形の神様がもつことができず、イエス様がもつことができなかった体をもって、天地人として人の息子、娘を生むことができるようになりました。そのような家庭の出発が祝福家庭です。その祝福家庭がなければ、天の群れもなく、国もなく、世界もありません。

 

12         皆さんは、既に罪人ではありません。堕落の罪から解放され、解放された天一国になりましたが、天一国の国に死刑囚たちが残っています。無期懲役囚となった地獄に永遠にいる人までも解放しなければならないので、釈放時代を宣布しました。先天時代と後天時代、新しい天と新しい地を出発できる「双合十勝日」を中心として、失ってしまった「日」と「年」を神様が取り一戻し、「日」と「年」を開くことによって、新天新地を発表したのです。

 

13         神様御自身も、人の体をもって、息子、娘を生産する家庭で暮らさなければなりません。それが天国です。地上・天上天国が一つの世界です。二つではありません。それ以外のすべてのものはなくなります。取り消されるのです。それ以外のものをきれいに清算しておいて、新しい法で治めなければなりません。そのためには、先天時代のすべてのものを整理してしまい、後天時代の新しいものに改造しなければなりません。天上が統一された単一家庭を拡大した民族から新たに編成されるその国が、神様の国であり、皆さんの本郷の地です。

 

14         真の父母が来ることによって、超宗教、超国家、超歴史時代になりました。旧約時代、新約時代、成約時代を連結して、天地を統一した真の父母統轄時代だというのです。天宙父母、天地父母が統轄することができる時代です。今まで分かれて、互いに関係を結ぶことができずにきたのです。今は、関係を結ぷことができる時代になったので、「天宙天地真の父母様平和統一祝福家庭王」の出発が可能なのです。

 天地人父母の責任

 

15                神様を身代わりする人になることによって、霊肉が一体となる地上の愛の王朝で暮らしたのち、天地人父母たちの一族が天上世界に行って暮らすところが永遠の天国です。天宙父母、天地父母、天地人父母、この三つが一つになってこそ、調和が起こります。天と地の直線には調和がありません。天、地、人の三点で調和が起きるのです。天宙父母になりますか、天地父母になりますか、天地人父母になりますか。天地人父母は、三度復活しなければなりません。霊形体、生命体、生霊体の三つの峠を越えてこそ、着地するのです。それを星で言えば、衛星ではありません。恒星にならなければなりません。

 

16         天地人父母の資格を取らなければ、天国に入ることができません。無形の父母である神様、実体の父母であるアダム、エバ、実体のアダムの息子、娘を祝福した第三創造主の立場が天地人父母です。

 

先生が一代なら、皆さんが二代であり、皆さんの息子、娘が三代です。三代を中心として、横的にも一つにしなければなりません。それができなければ問題になります。天地人父母の位置を通過することができないのです。天宙父母、その次には天地父母、その次には天地人父母です。ここで初めて、神様も人になるのです。完全な男性と女性を中心として愛に定着するとき、天地人父母です。

 

17         統一教会は、天宙・天地・天地人父母を語っています。三段階を経て、実体的で人性を備えた、人の体をもつ父母から、息子、娘ができるのです。天宙父母である無形の神様、中和的存在からは、息子、娘が出てきません。それで、天地父母と一つになり、人として天地人父母の位置を経てこそ、息子、娘を生んで家庭が生まれるのです。ですから、皆さんの中で、実体を通して天国に行くことができる息子、娘を生むことができなかった人々は、天国に行けません。

 

18         無形の神様である天宙の神様と天地の神様、二つが一つになって天地人父母になるのです。それができなければ、地上において、天地人の先祖の血統を通して代身者の立場で相続することができません。相続しなければ、天地人父母になれません。天地人父母になって、息子、娘を連れて入っていくところが天国です。

 

19     天宙父母は無形の神様であり、無形世界の主人であり、天地父母は地の主人であり、アダム完成の主人です。ところが、天宙父母になることができず、天地父母になることができませんでした。天の父母と地の父母を連結して、人が主人として定着しなければなりません。天地人父母だけが地に定着するのです。天宙父母、天地父母が定着できなかったので、何の実効性もありません。神様がアダムの体の中に入っていき、エバの体の中に入っていって、実体をもった父母となり、息子、娘を生んで、初めて定着するのです。三代をもつことができなかった神様は、地に臨在することができません。再臨主が地上で人格的な神様として、人として、霊界と肉界の父、三代の父の位置をもって、初めて定着するようになります。

 

20         天宙・天地・天地人父母という言葉は、歴史の総論です。天地人父母に侍ることができなければ、体の父母と心の父母に侍ることはできないのです。いくら霊界に行っているとしても、イエス様が霊界の楽園にいるとしても、天地人父母の位置において、天宙・天地父母と一つになった父母に侍らなければ、天地人父母の世界と関係を結ぶことができません。それで、再臨という言葉が出てきました。

 

 

第二節 天地人父母の代身家庭

 

 

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天聖経:第二篇 真の父母

第五章     天地人真の父母と勝利圏相続

第二節          天地人父母の代身家庭

 

1天宙・天地・天地人の血族の夫と妻になり、神様と全字宙が崇拝できる家庭をもってこそ、アダムが堕落していない解放的天国の起源になります。そのようになるのが原則です。その原則の位置よりも上にならなければなりません。

 

 

 

2天地人父母とは何でしょうか。第一創造主が神様であり、第二創造主が真の父母であり、第三創造主がアダムとエバの息子、娘です。しかし、孫と孫娘をもてなかったので、第三の天地人父母になることができませんでした。それを身代わりする立場に立ったと考えなければなりません。重要なのは天地人父母です。皆さんが、天地人父母の家庭にならなければなりません。自分の時代において天地人父母として定着し、神様の祖国の上に平和の王権時代を備え、天国に入ることができる時代を宣言するのです。

 

 

祝福家庭は三代圏

 

3真の父母は、神様が創造された堕落していないアダムを身代わりする完成した方を意味します。一代が神様、二代が真の父母、三代が祝福家庭です。三代です。そこには何もありません。国も何もないのです。一代、二代、三代、その間には、堕落や、偽りの愛や、偽りの生命や、偽りの血統などというものもなく、名前もありません。

 

 

 

4形状のない神様が体をもつために、絶対信仰、絶対愛、絶対投入をして相対理想を最先端の上に立て、愛の対象をつくるのです。それで、母をかき抱いて実体の天地人父母になることによって、初めて体をもって霊界や肉界の主人の役割を果たせる時代になります。体をもったその主人に、神様も従っていかなければならず、サタンも服従しなければならず、天使世界も服従しなければなりません。

 

それで、天地人父母の位置に進まなければならないので、天宙父母、天地父母を身代わりする天地人父母として、代身家庭を相続してあげるために、天一国時代において神様の祖国と平和王国時代を宣布したのです。皆さんは、天地人父母にならなければなりません。そして、三代が一つにならなければなりません。神様が、見えない二性性相の中和的存在が、格位では男性格ですが、これが体をもったのです。すべて投入してアダムとエバを造ったのです。

 

 

 

5皆さんは、祝福中心家庭です。祝福中心家庭は、真の父母の代身家庭なので、神様のみ前に先生が祈祷したのと同じように、霊界にいるすべての聖人、聖者も、皆さんの言葉を聞かなければなりません。

 

地上で、真の父母と共に祝福を受け、侍って暮らした人は皆さんなので、皆さんが主人です。霊界に行ってみれば、霊界がすべてそのようになっているので、入っていくやいなや、どんどん上がっていくことができます。はしごがすべてあります。

 

 

 

6天宙・天地・天地人父母の王権を受け継ぎ、長子権を代表した孝子、忠臣の家庭になって、三時代の王権をそのまま後代に伝授することができる家庭となり、過去、現在、未来の代表的家庭となり、三大王権時代の代表的な王子、王女の家庭であるという自覚をもたなければなりません。「天宙・天地・天地人父母の王権時代に相続した王権を代表する孝子、忠臣の家庭になります」と言いなさいというのです。三時代の王権を受け継いだ代表者が「私の家庭」であるという認識をもたなければなりません。

 

 

 

7皆さん自身が中心です。霊的神様と実体的真の父母の代身として、天国の法、個人の法、家庭の法、氏族の法、民族の法、国家の法を立てなければなりません。皆さんが全権を中心として、神様の代身として、真の父母の代身として、天宙・天地・天地人父母の愛の実権時代に、神様と一つにならなければならないのです。

 

神様と一つになって、ひっくり返して中心と一つになって着地するのです。

 

天宙父母と天地父母と天地人父母が内外で一つになるのです。その基準で皆さんが相続を受け、今後、皆さんの国と皆さんの世界が、祝福一体化されるのです。

 

 

 

8愛の実体として、永遠に神様の息子、娘であり、天国の代表であり、天国の文武百官(すべての役人)の代表者であるという考えで生活しなければなりません。

 

このようになることによって、地上から心置きなく、天国の神様を迎えた栄光の王子圏内に参与でき、統一世界において一つの国を治める文武百官の一員になれるということを念頭におき、精誠を尽くして、その位置まで到達しなければなりません。それができなければ、皆さんは、千万年宮殿を見つめるばかりで、入っていく入り口を越えることができなくなるのです。

 

 

天地人父母の代身者

 

9皆さんは、神様の代身者になりたいと思い、真の父母の代身者になりたいと思い、その次には、天地人父母の代身者になりたいと思うのです。天宙・天地・天地人父母は、自分の代身者が自分より優れていることを願うのです。皆さんは、蕩減路程を経ないで越えていくのです。もっているものは何もありませんが、真の父母様が一生の間闘ってきた信仰基準の前に絶対信仰さえすればよいのです。絶対信仰は、絶対愛圏を探すために必要なのです。したがって、地から、地獄から絶対信仰者にならなければならないので、投入して忘れ、投入して忘れてしまわなければなりません。そのようにして、天地が一つになった無形の天宙父母、その次に対象的実体圏となる天地父母、その次に天地人父母の合徳基盤を中心として完結されたのです。

 

 

 

10天宙父母、天地父母、天地人父母が成し遂げたすべてのものを相続しなければなりません。父母より劣る代身者を、父母は願いません。夫は、愛を中心として、妻が自分より劣ることを願いません。妻も同じです。代身者は、自分より優れていなければならず、代身者が優れているので、相続することができるのです。

 

 

 

11 復帰摂理は、一次、二次、三次の旧約時代、新約時代、成約時代、このようにしてきました。今は、解放・釈放時代を中心として、無限境の解放世界、罪の痕跡もない霊肉を中心とする実体の息子、娘の平準化された世界を形成していきつつありますが、その世界が、正に私たちが生きていくべき理想世界です。ですから、天宙・天地・天地人父母、再臨主がこの地に来て、神様の代身として、完成アダムの代身として、実体的な体をもって、愛の実体圏を初めて定着させるのです。それが家庭です。それを定着させることができず、息子、娘がいなければ愛もなくなります。夫婦でいくらやっても、子女がいなければそこで終わりです。

 

 

第三節 真の父母の勝利圏相続

 

 

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天聖経:第二篇 真の父母 

第五章 天地人真の父母と勝利圏相続

第三節          真の父母の勝利圏相続

 

1地上に真の父母が現れなければ、霊界には神様の息子、娘が永遠にいなくなっていたでしょう。先生によって、初めて本然の息子、娘たちが生まれるようになります。先生によって神様の皇族が生じるのです。皆さんは、そのような自負心をもたなければなりません。私たちが、すべての国を本然のエデンに連結しなければなりません。それで、先生が天宙世界を越えて勝利的な基盤を築きました。真の父母が、そのような基盤を築いたのです。真の父母が成し遂げたことを、真の子女たちに相続してあげなければなりません。

 

 

真の父母の勝利圏

 

2真の父母の勝利圏とは、サタンとの闘いで勝利したことです。個人的な圏で勝利し、家庭的な次元で勝利し、氏族的、民族的、国家的、世界的な基準で完全勝利を収めたのです。決してたやすくはない、険しい路程でした。しかし、万難を克服して勝利を勝ち取り、「神様王権即位式」を奉献することによって、神様までも解放してさしあげる奇跡を成し遂げました。没落した共産主義諸国までも、真の父母は、再び真の愛で赦してあげ、かき抱いていくのです。

 

 

 

3真の父母様の勝利圏とは、個人が失ってしまい、サタンがもっていたものを取り戻してきたことです。個人を失ってしまいました。エバのゆえに、アダムまで失ってしまいました。アダムが取り戻されたので、世界の女性を取り戻してこなければなりません。それで、一九九二年四月十日、お母様を立てて、女性解放運動を中心として取り戻してくるのです。母の時代に入っていくのです。母の時代です。

 

 

 

4真の父母が勝利したということは、偽りの父母によって失ってしまったすべてのものを取り戻して回復したということです。真の息子がいて、真の娘がいて、真の夫婦がいるようになったのです。真の夫婦によって、真の孫から千万代の子孫まで、善良でない人がいない一族を残すことができます。その根が真の父母です。

 

 

 

 

 

5真の父母様の勝利圏は、個人に限ったものではありません。宇宙史的です。それを相続しなければなりません。相続しようとすれば、アダムとエバが絶対信仰をもつことができず、絶対愛で一つになれなかったことによって失ってしまったものを、血統的に汚されたものを清算しなければなりません。そのために先生が勝利の覇権を築いておいたので、本然の軌道に従って、個人から上がったり下がったりしなければなりません。思いどおりに行ったり来たりしなければなりません。

 

神様と人間を平面的に見れば、あの世界の果てまで神様を引き離したので、父母様が行って神様を迎えて家庭に戻ってきたのです。縦的に八段階です。縦的、横的にすべて克服し、サタンの讒訴圏を脱したので、思いどおりに神様を家庭に迎えることができ、国に迎えることができる時が来ました。

 

 

 

6先生が真の父母の名を誇ることができるのは、どうしてでしょうか。愛を中心として、塞がれていた塀を崩し、歴史時代を通して縦横のすべての段階的分野をかき分け、門を開放できる内的心情圏を備えたからです。そのような勝利的基盤は、「私」の喜びだけではなく、天地が喜んであげ、歴史が喜んであげ、時代が喜んであげなければなりません。そのような段階で喜ばなければならないのであって、歴史を否定し、過去を否定して喜んではいけません。過去、現在、未来に共に喜ぶことができる内容で残されなければなりません。

 

 

 

7血統を転換し、所有権を転換し、心情圏を任せ、絶対信仰、絶対愛、絶対服従する家庭を中心として、カインとアベルの形態がつくられなければなりません。勝利的覇権を握った家庭が勝利することによって、「真の父母と成約時代」、「真の父母と成約時代の安着」が出てきたのです。家庭的にすべて安着したので、世界の家庭を相対的主体として認めることによって、真の父母の勝利圏を相続するようになります。そうしてアダムとエバの四位基台圏を中心として、個人的、家庭的、氏族的、民族的、国家的へと、公式基盤が大きくなっていくのです。大きくなっていくときは、一度に大きくなるのではありません。世界は、国家の中心であり、国家の目的地です。国家は、世界に行くことができる基点になるのです。

 

 

 

8真の父母を誇って愛さなければなりません。真の父母と成約時代、真の父母と成約時代の安着です。真の父母が安着して、真の父母と真の父母の勝利圏を相続してあげるのです。安着したので、祝福してあげることができるのです。世界的安着です。

 

相続してあげました。すべて相続してあげたので、堕落した人々は感謝しなければなりません。真の父母を褒めたたえ、真の父母を愛さなければなりません。今まで天の父母が私たちに侍ってきたので、反対に「祝福し、誇り、愛します」と言って、その天の父母を褒めたたえて誇らなければならないのです。それが、天の家庭の悲しみを解消させることです。

 

 

 

9アダム家庭は失ってしまいましたが、その失ってしまったものが世界的な形態で完成されたので、これを「真の父母」が総合して戻さなければなりません。偽りの父母の愛と生命、血統によってこのようになったので、真の父母が、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界と天宙のすべてのものを神側へ取り戻さなければならないのです。偽りの父母によって完全にこのようにひっくり返ったのですが、真の父母がこれを戻すのは、家庭だけではありません。天上と地上のすべての完成圏を蕩減復帰して、家庭を中心として再び整備しながら、氏族と民族など八段階をすべて収拾しなければなりません。偽りの父母によって家庭を失ってしまいましたが、この家庭で収拾されたものを、神様にお返しすることはできません。天宙のすべての勝利圏を越えた位置で収拾するのです。

 

 

 

10今、多くの宣布式を行っています。「天地父母天宙安息圏」や、「世界平和統一家庭連合の定着と蕩減解消宣布式」など、多くの式を行ってきました。峠を崩して平坦にしながら本来の世界の基準にしようとすれば、やむを得ません。そのような過去の実績をもった人でなければ、真の父母になれません。メシヤになれません。再臨主になれないのです。

 

 

勝利圏を相続する道

 

11成約時代の安着とは、真の父母の家庭を中心として大きな家庭になり、プラスになったということです。人類は、すべてマイナスです。すべての家庭が、プラス家庭の相対家庭になるのです。父母様の家庭と、完全にマイナスの立場で一つにさえなれば、すべて同じ位置に上がっていくのです。これが宇宙の公式です。そのようになるためには、三大条件が必要です。第一に、血統転換をしなければなりません。第二に、所有権を転換しなければなりません。次は、心情圏を転換しなければなりません。心情圏は、個人、家庭、氏族、三段階です。これが一つの範疇になっています。分けることができません。ですから、氏族的メシヤは、三段階を一つの範疇に連結するのです。そして、皆さんがこれを経て国に行くことができるのです。

 

 

 

12神様の創造理想的愛の主流である絶対の愛、唯一の愛、不変の愛、永遠の愛を中心として、真の愛、真の生命が完全に正しい位置の純情、純潔、その次に純血、血統です。その次に純愛です。家庭定着をして、孝子の家庭、忠臣の家庭、聖人の家庭、聖子の家庭で、平面的に天下が統一された一つの位置に立ち、すべての勝利の覇権を代表できる花のような、香りのような位置で相続を受けなければなりません。

 

 

 

13長子になって長子権を相続しようとすれば、サタンより優れていなければなりません。すべての分野で神様を身代わりし、原理原則に従って「私が責任をもつ立場に立ちます」と言わなければなりません。神様をより愛する人が、表彰されるのです。それがあるがゆえに、復帰摂理をすることができます。愛を中心として相続するようになっているので、この原則によって長子の特権を取り戻すことができます。天の側の息子、娘は、サタン世界の息子、娘が父母に孝行するよりも、もっと孝行しなければならず、天の側の人々は、サタン世界の人々が家庭を愛し、国と世界と人類を愛するよりも、もっと愛さなければなりません。すべての面で先に立たなければなりません。これは強制ではなく、自分の意思でしなければなりません。

 

 

第四節 真の父母の伝統相続

 

 

天一国経典「天聖経」目次

天聖経:第二篇 真の父母 

第五章 天地人真の父母と勝利圏相続

第四節          真の父母の伝統相続

 

1 エデンの園で、堕落によって兄が弟の命を奪うという事件が起きたので、そのような現象が世界的に起き、堕落の実を収める収穫期が来るのです。今が、そのような時です。この世の中が、このまま流れていってはいけないので、それを収めるための刈り入れの時期、すなわち収穫期に入ってきたのです。堕落した父母の因縁により神様から離脱した伝統を受け継ぎ、この世界がこのような姿になりました。ですから、真の父母が来て、新しい主義を立てなければなりません。それが世界主義でしょうか、天宙主義でしょうか。真の家庭主義です。真の家庭主義が出てこなければ、世界主義は出てくることができません。

 

この真の家庭主義の代表者は、神様の真の息子にならなければなりません。彼は、神様の心情的なすべてのものを相続する内情的な相続者であり、外形的な相続者であり、そして万物の所有権の相続者にならなければなりません。言い換えれば、神様の心を相続できる方であり、体を相続できる方であり、万物を相続できる方でなければなりません。そのような息子であってこそ、神様の代身者になることができます。その息子が来て、初めて天国が成就されるようになります。

 

 

真の父母の伝統

 

2今後の歴史は、どのようになるのでしょうか。真の父母の伝統が出てくるようになれば、真の父母を中心として生きた生活圏は、歴史時代の現実的な伝統の基準として永遠に残されるのです。今から千年を歩んでいくようになれば、人間は、希望の未来を見つめながらそれを追求するのではなく、逆に千年前のこの時を模範としていくようになります。今まで、堕落した人間は一つの世界を模索してきましたが、一つの世界の中心として決定される真の父母が出てくるようになれば、万民は、その真の父母の伝統を完全に模範として、その中心に従っていくのです。したがって、行けば行くほど、中心を中心とする版図が広くなります。ですから、未来の伝統的歴史、希望的歴史の全体を代表でき、未来の時代的な中心の歴史全体の身代わりをすることができる基盤が、真の父母の家庭です。神様の六千年の歴史は、真の父母の家庭を残すためです。今日、人類は何のために身もだえしているのでしょうか。真の父母の家庭に出会うためです。

 

 

 

3真の父母の愛とは何でしょうか。これはエデンの園で真の先祖ができなかったので、ある一時にメシヤが来て、真の父母の代身の立場でこのような愛の伝統を、個人から家庭、氏族、民族、国家、世界まで立てておくことができなければなりません。それが超民族的基準で成し遂げられてこそ、今日、この地上に天国が、この地上に神様の博物館が造られるのです。このような愛の伝統が、すべての個人、家庭を中心として全体的に連結されなかったので、今日、家庭を中心として神様と結び、愛することができる伝統を立てようというのです。このような驚くべき基盤を築こうというのが、真の父母の使命であり、そのみ旨を受けて成し遂げるのが、統一教会の使命です。

 

 

 

4心情は、父母の心情で、体は、僕の体で行動してこそ、主人になります。これが神様の遺業です。これは、父の心情をもって涙と汗を流し、血を流してこそ、得ることができます。真の指導者になろうとすれば、真の指導を受けなければなりません。天の道を行く真の父母の涙、真の父母の汗、真の父母の血を受げ継がなければなりません。伝統として残す、涙と汗と血を流さなければなりません。

 

 

 

5神様と真の父母様の伝統とは何でしょうか。第一は、ために生きること、第二は、投入して、また投入して忘れてしまうこと、第三は、完成に向かって祈りと精誠を尽くすことです。これをするためには、皆さん一人ではいけません。なぜ祈らなければならないのでしょうか。主体である天の協助を受けて、天が「私」に、共に同調しなければならないからです。その次に、なぜ精誠を尽くさなければならないのでしょうか。環境的に与えられた条件をすべて受け入れることができる道を築かなければならないからです。祈りは、天との主体的な関係を結ぶためのものであり、精誠は、横的な関係を拡大するためのものです。

 

 

 

6真の父母の家庭とは、どのような家庭でしょうか。真の父母の家庭は、歴史的な結実であり、時代的な中心であり、未来的な起源です。ですから、私たち人類が暮らしているこの世の中が、今後、希望の天国になるとき、真の父母様が生きて逝かれたその生活全体が伝統になるのです。国家の思想的な母体は何かというとき、これがその思想的な母体です。また、世界を創建できる起源は何かというとき、これが世界を創建できる起源です。いつでも真の父母と共に、真の父母の子女となったことを中心として、三代圏を形成しなければなりません。神様、父母、そして皆さん、このように三代です。横的に見れば、先生、先生の子女たち、その次に皆さん、このように三代です。この三代圏を備えて完成しなければ、天地は統一されないのです。

 

 

 

7伝統と教育と実践は、真の父母を中心とする伝統、真の父母を中心とするみ言の教育です。真の父母が闘って勝ったすべてのものを、そっくりそのまま継承して教育するのです。万物や息子、娘を区別して祭壇を捧げることがあってはいけません。そして、父母に対するサタンの侵犯がない立場で、真の父母がありったけの愛をもって旧約時代、新約時代、成約時代を区別せずに神様のみ前にお捧げし、国連と世界が一つになってお捧げしたあとに相続することによって、所有権が始まります。

 

 

 

8神様の六千年の歴史は、真の父母の家庭を残すための歴史です。今日、人類は何のために身もだえしているのでしょうか。真の父母の家庭に出会うためです。未来の私たちの子孫は、真の父母の子孫を残すためにあるのです。真の父母の国を残すためではありません。真の父母の世界を残すためではありません。真の父母の国と世界は、真の父母が出てくれば、自然に現れるようになります。真の父母の子孫を残すためだというのです。国を必要とするのではなく、父母を中心とする生活を必要とする時が、正に私たちの理想の時代だというのです。その時は、既に天と地が、父母の権限によって統治されるようになります。その時には、ただ名もなく過ぎ去ってしまうのではありません。真の父母を中心としてつくられたその伝統は、歴史的な伝統として、億千万世に残ります。これよりも良い伝統はありません。

 

 

 

 

 

9本来、アダムとエバが堕落していなければ、人類歴史は、父母から始まっていたはずです。父母の言葉がその子孫の言葉になるのであり、その父母の生きていく生活様式が、その子孫たちの生活様式になるのであり、父母が感じた環境的な要件をその子孫たちが感じながら生きていくようになるのです。歴史は、父母から始まるのです。

 

 

真の父母の伝統を受け継がなければならない

 

10父と母は、愛する息子、娘に、自分のすべてを相続しようとします。宇宙の相続は、愛の伝統の上で、同等な愛の価値のある位置を見いだすときに、そのすべてのものを心置きなく一〇〇パーセント相続するようになっています。ですから、父母は孝子を望むのです。孝子とは何でしょうか。父母の永遠の愛の同参者として、愛の相続を受け継ぐ人です。

 

 

 

11皆さんは、皆さんの家庭の主人を誰にしたいですか。父も祖母も、家族全員がどのような人を相続者にしたいでしょうか。より愛する人です。祖父が誰よりもその家全体を愛するならば、家族は、父ではなく祖父にすべて報告するのです。それはどうすることもできません。ですから、ある家の主人になることができる人は、愛の心をもってために生きる人です。愛の心をもって、よりために生きる人が、その愛の家庭の伝統を受け継ぐのです。より愛をもってために生きる人が、永遠の相続の系列に参与することを知らなければなりません。

 

 

 

12私たちが神様の摂理全体を相続するためには、その伝統に忠実でなければなりません。伝統に忠実になって、責任をもたなければなりません。責任をもったのちには、革命を起こさなければなりません。もしその伝統がお父様の前に正しくないというときは、それを正さなければならないのです。そして、その正した伝統を全体に相続させるためには、社会環境の矛盾をすべて打開するために闘わなければなりません。そのようにしなければ発展がないというのです。

 

 

 

13皆さんが歴史的な関係を相続し、時代的な開拓者の責任を果たすためには、神様の復帰摂理に対する歴史的で純粋な伝統を受け継ぎ、現在の生活環境においてそのような責任を担い、未来の新たな理念の礎を築くために闘争していかなければなりません。

 

 

 

14天国は、ために生きる人が行くところです。自分を世界に投入しつつ、世界と連結し、世界を抱いて世界以上の位置を求め、神様に侍るための愛を求めてさまよう人が、天国の主人となるのです。このようなことを誇らなければなりません。父と母を誇り、妻と夫を誇り、息子と娘を誇り、兄弟を誇らなければなりません。このような伝統を中心として、これを国に拡大して適用し、その公式を世界に適用し、天宙に適用しなければなりません。このような人は、どこに行っても同参権、同位権、相続権をもつことができます。

 

 

 

15先生が皆さんに相続してあげるのは家庭的勝利圏です。その家庭はいかなる家庭でしょうか。世界を代表する家庭です。メシヤ的使命を果たす家庭は、世界を代表した家庭として、すべてのものをかき抱いて引き受けることができ、世界万民を代表して往来させることができる家庭です。そのような家庭になりなさいというのです。五色人種(あらゆる人種)がその家庭に深く入り込もうとし、その家庭と関係を結ぼうとするとき、それを阻み、「この人だけは良い」というようなことをしてはいけないのです。すべての力と作用が間違いなく中心点を通じなければならないのと同じように、心情的中心として、すべての万民の心情がその中心点を通って四方へ伸びていくのが原則です。家庭が中心です。ですから、天国も、真の核心的家庭がない限り、成し遂げられません。

 

 

 

16祖国と故郷を訪ねて定着できる基地が、家庭です。その家庭で、どのようにして暮らさなければならないのでしょうか。父に出会って、涙とともに酔いしれて暮らさなければなりません。皆さんの国、皆さんの家庭のためです。私の家庭を取り戻し、涙の伝統、血の伝統、汗の伝統、鼻水の伝統、四肢五体の伝統を新たにっかみ、皆さんの二世、三世、千々万代の血族が、変わらない純潔、純血、純愛、純性を残さなければなりません。上下、前後、左右が清くなければなりません。そうであってこそ、清い血統の純血、純愛になるのです。真の愛、真の生命、真の血統の純愛を中心として、純性の門を通って純種を植えなければなりません。

 

 

 

17よりみ旨のために苦労しなければなりません。そのようにすれば、すべての人々が、そのあとに従っていきます。誰が教会のために犠牲になり、誰が教会のために自分の一家を犠牲にし、誰がより苦労し、より心情的伝統に近いかが大切なことです。末端にいる人が、み旨のために、夜も昼も祈って、血と汗を流しながら愛の精神を具現しようとすれば、その人が女性であろうと男性であろうと、天は、その人を通して新しい歴史を連結していくのです。統一教会は、既にそのような伝統が立っています。先生の息子、娘の中で、誰が先生の後継者になるのかという問題も、誰がみ旨に対してより多く犠牲になり、誰が孝行の道理を尽くすかにかかっています。すべて同じです。家庭でもそうであり、教会でもそうであり、すべてそのような伝統に従っていかなければなりません。

 

 

第五節 真の父母のみ言相続

 

 

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天聖経:第二篇 真の父母 

第五章 天地人真の父母と勝利圏相続

第五節 真の父母のみ言相続

 

1      皆さんの個体をどのように統一させるかということが問題です。皆さんの個体内で、心と体が分かれて毎日闘っているのですが、それは、神様のみ言で収拾しなければなりません。神様の人格と心情で収拾しなければなりません。私が私を愛することを神様が好まれ、私を立てておいて神様が認めなければなりません。私が語ることを、神様がそのとおりだと認めなければならないのです。そのような実体になるためには、生活圏内で私をどのように統一させるのか、私自体内でどのように統一戦線を構築するかということが、最も急がれるのです。私がそのような実体になれるかということを知るために、出ていって精誠を尽くし、み言を伝播してみるのです。そのようにしてみれば、み言を中心として、神様が常に共にいらっしゃることを知るようになるでしょう。

 

 

原理とみ言の価値

 

2      み言を通して、神様と連結されるのです。み言でなければ、神様と連結されません。み言なしには、連結性を見いだすことができません。み言を宣布する実体がなければ、何にもなりません。神様と人閲が連結されるのは、神様の愛に連結されることが目的です。人間を神様と連結させることができるみ言を宣布する人は、地上にいる人ですが、その人の伝えるみ言は、神様のみ言なので、そのみ言で新しい人がつくられるのです。

 

 

 

3      堕落というのは、神様のみ言を立てられなかったことによってもたらされたので、み言を中心として訪ねてくるこの道の中で、私たちは、神様のみ言を絶対に立てようとする群れです。

 

それでは、神様のみ言を中心とする人は、どのような人なのでしょうか。最大の公的な人であり、世界と人類のために生きる人であり、神様のために生きる人です。神側から見るとき、神様の現在の立場に立とうということではなく、神様の理想の位置に立とうということであり、現在の人類の位置に立とうということではなく、現在の人類の位置を越えて、人類が求めていく理想の位置に立とうということです。神様の理想に生き、神様のあすに生き、人類のあすに生きようという人です。ですから、どれほど苦労が多いでしょうか。ここで、未来の世界を建設しようという群れになろうというのです。そのようになれば、神様があすを思うときは、先生と統一教会を思い、人類があすを思うときは、統一教会を思い、先生を思うという結果が出てくるのです。

 

 

 

4      神様は、み言をもって私たちを呼び求めていらっしゃるので、私たちはそのみ言どおりに行かなければなりません。真の父母と真の子女が相まみえることができる道とは何でしょうか。真のみ言に通じることです。そのみ言は父のみ言です。父のみ言を知らずしては、子女になることができません。父のみ言が絶対的であり、真のみ言であるとするならば、同じみ言を千年、万年聞いても飽きません。終わりがないのです。そのようなみ言を求めていかなければなりません。

 

そのみ言は、ある論理的な条件にぴったりと合うからといって、それで終わるものではありません。大原則でありながら、聞いて、聞いて、また聞いて、永遠に聞いても生命となるみ言です。

 

 

 

5      愛する父母のみ言は永遠です。時間と空間を超越しているのです。ですから、神様のみ言は歴史を超越します。時代を超越します。主義を超越します。思想を超越します。どこの誰の言葉よりも貴いのです。そのみ言は、夜聞いても、昼聞いても、夜見ても、昼見ても、皆さんの心に無限に流れ込んでいくのです。

 

 

 

6      イエス様がユダヤの民に対しておっしゃったみ言と、彼が現したすべてのものは、自分一身のみ旨ではありませんでした。天のみ旨でした。イエス様は、神様の摂理のみ旨を身代わりしていたのです。しかし、イエス様を通して神様のみ旨と向き合わなければならない堕落圏内の民とイエス様の間に、相反する論争が起こりました。堕落した世の中に、神様のみ言が現れるとき、このみ言が個人に現れれば、個人を革命でき、民族に現れれば、民族を革命でき、世界の中に現れれば、世界を革命でき、また天と地を新たに革命できるみ言として現れることを、その時のユダヤの民たちは知ることができませんでした。

 

 

 

7      み言の主人は、先生です。み言どおりに生きたので、み言の主人になりました。み言の主人になれなかった人間は真の父母になれなかったので、真の父母になってみ言の実体となり、神様のみ前にその実を捧げてこそ、創造目的の理想が解放、釈放の時代に越えていくのです。

 

 

 

8      先生のみ言を消してしまう人はいません。五十年前に先生が語ったことを、私自身が再び聞いても敬拝します。その時、先生がどれほど深刻な立場で語ったでしょうか。天の価値あるみ言を、先生が死んでもきれいにそのまま残そうという深刻な立場で語りました。実際、そのみ言は、先生が死んでも世界を治めることができる内容です。皆さんはみ言の本を読んで、そのような感動を受けなければなりません。霊的体験をしなければなりません。遊んで踊ったりすることも貴いかもしれませんが、そのみ言に酔いしれて霊的に育つことが、天上世界でも、地上の子孫たちにとっても、福の中の福であり、貴いのです。

 

 

 

9      どんなに多い新聞の内容も、コンピューターに保存しておけば、千年後、万年後でも見ることができます。先生の語った内容が多かったとしても、CDにしておけば、コンピユーターを通して億万世界の億万の場所でも使うことができます。そのような時代になったのです。ですから、偽りを隠すことはできません。隠す所がありません。天のみ言、天の愛のみ言が世界的に光を発するので、暗い勢力は自滅するのです。次第に遠い所に行かなければなりません。光が照らし始めれば、光が照らすことができる限界圏内では、光以外の暗闇が支配することはできません。

 

 

 

10    千年後に、統一教会の先生のみ言がなくなるでしょうか、なくならないでしょうか。これを考えると、問題が大きいのです。皆さんの懐だけに残らず、み言が流れ流れて、生水ではなく薬水となり、千年後にすべての人が飲んで万能薬だと誇ることができる生命のみ言として残ることを願いながら、精誠を尽くしているのです。

 

 

 

11    統一教会の真理は、統一教会の歴史の中で闘いの路程によって明らかになった真理ではありません。これは、創世以前から、真の父母との絆を中心として、真の家庭、真の氏族、真の民族、真の国家、真の世界を創建しようとされた神様の創造理想の中にあった真理です。また、神様の復帰摂理の理想までも内包した歴史的な絆をもっている真理です。

 

 

 

12    絶対信仰の先祖となり、絶対愛の先祖となり、絶対知恵の先祖となる方が、真の父母です。それで、原理のみ言を絶対信仰の中で、絶対愛の中で、絶対知恵を備えて探し出したので、天に対しても、サタンに対しても、人類歴史に対しても、この原則を否定せずに肯定することができる、覇権をもつことができる一つの盾なのです。

 

 

 

13    「統一原理」は、自然的法則によってすべてのものが連結しているので、原理であると言うのです。天的な原理です。永遠に変わらない原理なのです。原理は、教理ではありません。統一教会の教理ではなく、真の父母が教えてあげる教理ではありません。教理とは、堕落した人々が天を求めていくためのものですが、天と共に生きる人に、何の教理が必要でしょうか。天的な法が必要なのです。

 

 

 

14    先生のみ言は、皆さんが聞いても、すぐには理解できないでしょう。しかし、本になっているものを何度も読めば、間違いなく理解するようになります。先生は、そのように広大な世界を総括して分別し、比較し、対照して、配列していく頭をもっているので、この世界のすべての知識世界を収拾し、原理という伝統的な基準を中心として、理論的な体系を完壁にしたのです。数千、数万人の学者たちも、その価値を認めざるを得ません。統一教会は、そのような恐るべき「武器」をもっています。

 

 

 

15    先生のみ言は、統一教会が歴史からなくなったとしても、主流思想として、いつでも頂上に残る思想です。皆さんができなければ、ある時にすべて成就されるようになっています。数多くの国が競争して行う時が来るのです。そうすれば、皆さんは逆になります。

 

先の者があとになり、あとの者が先になるのです。ひっくり返るのです。時を失ってしまった人は、歴史に残ることができません。

 

 

 

16    皆さんは、真の父母を求めていくときに、真の父母のみ言、永遠の価値と関係を結んでくれる真のみ言の価値を感じてみましたか。感じてみることができなかったならば、真の価値のみ言を語られる父が来られても、分からないのです。このような真のみ言の価値をはっきりと知るためには、祈らなければなりません。この地上の人間は、真の父のみ言、真のみ言を求めていかなければなりません。そのみ言は、イエス様の心情が動くみ言であり、六千年間摂理してこられた神様の心情が動くみ言です。また、そのみ言がこの地上に出てくるようになれば、六千年の曲折の歴史を明らかにしてくれるのであり、神様の悔しさと神様の無念さと神様の恨を明らかにしてくれるのです。したがって、神様の心情が動かざるを得ないのです。

 

 

 

17    神様のみ言は、ある原則を立てるのではなく、神様の生命と理念をつくるためのものです。今日、この地には、真理を標榜する多くの宗教の教理や主義がありますが、そのまま実践して、私たちの心と体が安らかになり、永遠にそこに染まり得るものはありません。宇宙の生命の源泉である神様の愛が、私たちの心と体を動かしてきたとすれば、神様の真のみ言が出てくれば、すべての主義、主張を根本的に解決することができるでしょう。

 

 

 

18    皆さんは、み言に対する伝統を立てなければなりません。そして、み言とともに一体となることができる人格を備えなければなりません。終わりの日の審判には、三大審判があります。その一番目はみ言の審判、二番目は人格審判、三番目は心情審判です。これが絶対的な基準になっています。人が、神様のみ言と一致した位置に立つことができなかったのが堕落です。取って食べてはならないというみ言を絶対視して、伝統を立てなければなりませんでした。そのようにすることができずに堕落したので、復帰の路程を歩んでいく人々は、最後に現れる一つの真理のみ言と一つになれる伝統を立てなければなりません。天には、そのような伝統が立てられているのですが、地上に住んでいる人々には、そのような伝統ができていません。もしこの伝統が立てられなければ、統一教会も、キリスト教のように数多くの教派に分裂する可能性があります。

 

 

 

19 み言を中心として、一体となる伝統をどのようにして立てるのかということが、絶対的な問題です。み言はみ言、私たちは私たちというように、かけ離れていてはいけません。み言を中心として、自分を育てていくことができる人にならなければなりません。絶対的な基準のみ言を中心として、伝統を立てなければなりません。み言を立てる時の先生の心の基準に、皆さんも接しなければならないのです。皆さんがみ言を学ぶとしても、み言を中心として学んだその基準で信じるためのものであって、完全なものではありません。そのみ言の背後に伝統的な基準が隠れているので、その基準を体得しなければなりません。ですから、より一層、み言に対する伝統を立てていかなければなりません。

 

 

み言集は宝物の倉庫

 

20    み言集は、どれほどたくさんありますか。今まで皆さんは、み言集に対して関心がありませんでした。どんなに図書館に本がたくさんあっても、そのようなものは神側から見るとき、必要ありません。先生の深遠で膨大なみ言集を考えてみてください。その中にあるみ言は、この世界の息子、娘を救うためのものです。

 

み言集が原本です。皆さんがそれを買っておけば、代々に誇ることができるでしょう。神様の立場から考えてみれば、最も貴いものがそのみ言集です。真の父母という方は、永遠に唯一であり、絶対的に唯一です。お父様がいかなる方なのかを学ばなければなりません。どれほど深く、高く、広い方なのかを知らないでしょう。お父様の人格を、み言集を通して知ることができます。それは、暗い夜に輝く灯台のようなものです。

 

 

 

21    多くのみ言集が出版されました。先生は、毎朝訓読しています。今からは、集会のようなことをする必要はありません。既に、すべて教えてあげました。氏族的メシヤまで、詳しくみ言を語ってあげました。先生が発展しながらそのようなことを構想してきたのではありません。綿密にプログラムを作成し、そのプログラムの基盤の上で教えてあげています。それが偉大なのです。すべて空想のようなみ言を語りましたが、先生は既にすべて成し遂げました。み言集をもつようになれば、説教のようなものは問題ありません。膨大な宝物です。お金で買うことはできません。

 

 

 

22    先生は普通、三時半になると寝床から起きます。起きて、今まで先生が語ったことを訓読します。途方もなく素晴らしい内容です。先生が話してすべて知っている内容なのに、それを訓読するようになれば、思わず涙が出ます。このような貴いみ言を聞いて流れていく人々は、赦される道がありません。皆さんの家よりも貴く、皆さんの土地よりも貴いものです。

 

 

 

23    先生のみ言集を、皆さんは何巻くらい読みましたか。深刻なことです。回数を繰り返すほど、さらに光り輝きます。価値が高くなります。それをすべて知らなければなりません。国を立派にし、世界と真理を知っている王がいるとすれば、彼にとって、先生のみ言集は宝物です。今も、先生はそれを訓読しています。死ぬ前に、それを整備しておかなければなりません。間違ったところがあれば、訂正しておかなければなりません。それが間違えば、問題になるのです。

 

 

 

24 先生のみ言集は、今までで何巻になりますか。その感動的なみ言をどこかに行って話すようになれば、涙がぽろぽろと出てくるような場面が本当にたくさんあるのです。先生は、最近でも、毎日二時間ずつ訓読しています。訓読してみると、既に数十年前に祈った祈りに、今日の成約時代の完成が語られていて、私の骨髄に響くほどの刺激を受けました。どうしてそのように祈りが素晴らしいか分かりません。自分の自慢をしているのではありません。今、振り返ってみても、刺激的な印象でいっぱいになっています。そのふろしき包みは、素晴らしいふろしき包みなのです。

 

 

 

25    今は、説教は必要ありません。説教するのではなく、先生が語った題目を抜き出し、適切な時期に、適切な環境に合わせて使えばよいのです。題目を選び、その題目ごとに、そこにどのような内容があるかということを、三行ずつくらいに整理して単行本をつくるのです。そうして、自分が説教する題目を決め、そこに該当する部分を探せば、すべて出てくるようになります。何かの説教をしなければならないという場合には、それを中心としてみ言集を読んで説教をし、祈りも、先生が祈った内容をもってしなさいというのです。天が、それ以上好むものはありません。いつでも、そのように説教しなさいというのです。

み言を伝えて実践しなければならない

 

26    先生のみ言は、永遠に通じることができる内容でなければならず、私たちの生活環境を越えることができるものでなければなりません。悪の生活環境が、真のみ言をのみ込んでしまうことはできません。真のみ言は、悪の世の中のいかなるものも制裁することができません。み言をもって悪の環一境を越え、また越えていくことができる心を誘発させなければなりませんが、そのようにできないので、今日、全世界のキリスト教が混乱状態に入っているのです。

 

それで、愛の心をもって来られる父が、愛する子女に対して真のみ言を語られる場所が、必ずあるはずです。そこを探さなければなりません。そのような場所を探してみ言を聞くならば、何度聞いても新しく感じられるでしょう。真の善の価値として、永遠に通じることができる内容であるはずです。皆さんが、そのようなみ言を探すことができなければ、真の子女になれません。

 

 

 

27    お父様のみ言は、千年の間、繰り返し聞いても、ひたすら味わいがあります。同じみ言でも、悲しいときに聞けば慰労となり、うれしいときに聞けば祝賀となるのです。皆さんの心の状態、生活感情の違いによって、それに該当する素晴らしい対象の価値として作用するのです。

 

 

 

28    原理のみ言を伝えたことに比例して食口が増えます。原理のみ言をどれほど忠実にするかが問題です。ほかの道はありません。み言で造られた人間がみ言を失ってしまったので、み言で再創造しなければなりません。神様の愛のみ言、神様の生命のみ言、神様の血統のみ言、これが三大要素です。愛と生命と血統です。愛が激しく動かなければならず、生命が激しく動かなければならず、血統が激しく動かなければなりません。蘇生、長成、完成、三つの皮をむいてこそ、人が生まれます。

 

 

 

29    全世界に先生が語ったことを伝授しなければなりません。ですから、成約時代とともにみ言を伝授するのです。新しい成約時代の宣布とともに、先生のみ言、成約の聖書を全世界に分け与えました。それで、訓読しなさいというのです。皆さんも、み言を中心として一つにならなければならないのです。先生と一つになる前に、み言を中心として一つにならなければなりません。

 

 

 

30    み言をみ言どおりに理解できない人は、み言の審判を受けるでしょう。私たちは、この地上で死んでも、このみ言を千秋万代にわたって、後代に残していかなければなりません。復帰の運勢が残っており、神様の摂理が未完成のままで残っている限り、このみ言に通じなければなりません。この貴いみ言を整えなければなりません。神様は、このみ言の前に万民がひざまずく日を待ち望まれたのです。真の真理のみ言の前に万民をひざまずかせようと、千辛万苦、受難の歴史を今までかき分けてきたというのです。

 

 

 

31    神様は、サタン世界に愛のみ言を与えてくださるのです。その中から、神様のみ言を絶対信仰する人が出てこなければなりません。言い換えれば、アダムよりも、神様のみ言をもっと絶対的に信じる群れが必要です。神様のみ言を不信させた天使以上に、信任できることをしなければなりません。神様のみ言を聞いて、サタン世界にある体を抜き取ってこなければなりません。体を取り戻してこなければならないのです。

 

 

 

32    皆さんが統一教会に入ってきて原理を通して学んだ真理のみ言を、頭だけで理解してはいけません。皆さんは、そのみ言を頭で知ると同時に、心で知らなければなりません。このように、み言を頭で知って、心で知るようになるとき、皆さんは、そのみ言の目的を達成するために、動くまいとしても動かざるを得ず、サタンと闘うまいとしても闘わざるを得なくなります。また、自分の口を開いてお父様の悪口を言い、自分の考えを変えて天を裏切る位置に出ようとしても、出ていくことができないのです。

 

 

 

33    御飯は、毎日食べてもおいしいのです。真理に通じる糧は、毎日食べれば、味がおいしくなります。生命のみ言は、毎日食べてもおいしいのです。原理のみ言を死ぬまで聞いても好きな人は、絶対に地獄行きになりません。「すべて知っている!」と言うかもしれませんが、それは、頭だけで知り、心情圏とは何の関係もありません。それを聞けば開くほど、天の生命圏が訪ねてくるのです。

 

 

 

34    生命を育ててあげる内容はみ言です。二十一日修練を受け、四十日修練を受けたからといって、統一教会の教会員であると考えたら大きな誤りです。原理の本を中心として勉強しなければなりません。自分が感じたことを、原理の本とともに胸にしまっておくようにすれば、いつでも自分の証をすることができます。原理の本で恩恵を受けたことを伝えるのです。

 

 

 

35    第三イスラエルの先祖となるべき終わりの日に身を置いた皆さんは、最後のみ言は、天の愛のみ言だということを知らなければなりません。ですから、皆さんは、神様のみ言はみ言なりにあり、皆さんは皆さんなりにある、それではいけません。神様のみ言の、見える実体にならなければなりません。神様の内的心情が皆さんの内的心情にならなければなりません。すなわち、本心の実体にならなければなりません。皆さんは、神様のみ言を繁殖させる第二創造主の使命を果たさなければならないのです。すなわち、み言の繁殖体になり、生命の繁殖体になり、実体の繁殖体にならなければなりません。そして、愛を中心として一つになってこそ、神様に永遠に侍ることができるのです。このような基準が第三イスラエルの基準です。このようにしてこそ、み言を植えつけることができ、実体を植えつけることができ、生命を植えつけることができます。

 

 

 

36    み言に盲目的に従っていくだけの人になってはいけません。まずみ言を通して主体性を備えた実体、すなわちみ言の主体となって、創造することができる人格を備えなければなりません。ところが、今まで統一教会で原理のみ言を勉強する人々を見ると、心情的基準や人格的基準を見いだすことができず、み言だけで働き、動く人々がたくさんいるのです。これではいけません。み言を学べば、そのみ言を自分のみ言として語ることができなければなりません。

 

原理を語るとき、その原理がどこかの師が教えてくれた原理としてではなく、自分の骨と肉を通して生命を得た立場で語らなければなりません。そのような本然の主体性をもってみ言を語ることができる人にならなければ、そのみ言で関係を結んだ人々が、自分とは何の関係もなくなるのです。ですから、み言を中心とする実体的な人格を完成しなければなりません。