6.摂理史観から見た価値観的和合と超宗教E/span>超国家圏の解放と安着
6.摂理史観から見た価値観的和合と超宗教E/span>超国家圏の解放と安着
日付:一九九二年七月七日
場所:韓国、釜山、社環体育館
行事:「世界平和女性連合」指導者大会
韓鶴子総裁、御来賓、そして満場の女性指導者の皆様。きょう私は、韓総裁の話を通じて大いに慰労を受けました。天命に従い一筋の道を走ってきた私の生涯は、波瀾万丈の苦難の道でした。
天道を立てる道は、妥協のないまっすぐな道です。人間的な面目や人間的な威信を主張できない道であり、ひたすら神様のみ旨だけのために歩む孤独な道でした。個人に運というものがあるように、家庭や国家にも家運と国運があり、さらには世界の運があります。そして天地全体には天運というものがあります。しかし、どんなに良い運勢をもって生まれた人であっても、気運が傾く時は苦難を受けるのです。良い個人運や家庭運に生まれついた人であっても、より大きな国運が傾く時は、共に没落せざるを得ません。
さらには、国家や世界の方向も、すべてを包括し、あらゆるものの上にある天運の方向と進行によって決まるのです。ですから、この世で天道を立てるということは、すなわち個人や国家の行く道を天運に合わせるようにすることなのです。
今日、韓国の国家的病弊や世界の問題を考えてみてください。経済不況、環境汚染、政治的な不条理、人種と宗教の紛争、倫理と道徳の退廃、価値観の崩壊など、様々な病弊や問題に対して、いったい誰が根本的に解決できるのでしょうか。人間の知恵や努力だけではできません。お金の力や権力を総動員しても解決できません。むしろ、人類の病弊はますます深まる一方なのです。
今や人間は、謙虚に天の声に耳を傾け、神様が提示される解決の道を探さなければなりません。この国と人類は、私の教えを受け入れなければなりません。これは自分自らを誇ろうとしているのではなく、神様のみ旨がそのようになっているからです。神様は私を通して天道を明かしてこられ、また人類の根本問題に対する解答を与えてくださいました。
これまで、私に対する歴代政権による無理解と迫害は、私に無念の牢獄生活を強いてきました。また一部のキリスト教徒たちの偏見と悪意に満ちた反対は、様々なうわさをつくりあげ、私の行く道を実に困難なものにしました。しかし、神様の守りがあり、私は世界的に奇跡的な勝利の基盤を築き上げてきました。これは、歴史始まって以来、前例のない驚くべき基盤なのです。特に、全世界のキリスト教を代表した国として準備されたアメリカでは、かつて有色人種の誰もがもち得なかった記録的な基盤を私はもっています。もちろん私はアメリカにおいて、人種差別や宗教的な偏見によって多くの苦難を受け、無念の監獄生活までも耐え抜かなければなりませんでした。
しかし、私は、根底から揺れるキリスト教の基盤を再建し、麻薬や不倫で重病を患っている青少年たちを「アメリカの希望」になるよう教育し、訓練しました。アメリカにおいて、私の基盤は誰も無視できなくなりました。日本やヨーロッパにおいても同様です。既に、世界百六十ヵ国の宣教部は、それぞれの国において、信仰運動とともに、倫理と道徳の再建運動の表象となって発展しています。
私は一九八〇年代の初めから、「ソ連帝国の滅亡」をテーマとして、世界的な学術会議を開くように提案してきました。一九八五年に発行された学術研究誌は、ソ連共産帝国の滅亡を最初に予言した世界的な資料となりました。そのような基盤の上で、ソ連を訪問してゴルバチョフ大統領と会いましたが、今はソ連の十五共和国のうち三共和国が統一教会を国教にしようという動きを見せています。既に数万人の大学生たちが私の思想を学び、七百以上の大学で原理研究会という統一教会の大学生の集まりが組織されました。また、高校の教師と生徒の数万人が、今年に入って修練を受けています。
このようなことは、人間の力だけでできた結果でしょうか。これこそが、生きて働かれる神様のみ業が共にあった生きた証なのです。徹底した無神論者たちが、四泊五日の修練教育を通して、神様を中心とした人生観と宇宙観をもつ人格者へと変わっていく奇跡が起こっているのです。
中国においても大きな基盤を築きました。パンダ工業都市の建設など、重要な事業が数十年前から準備されてきており、私たちのたくさんの地下宣教師たちが苦労してきました。また、昨年(一九九一年)十一月三十日、平壌を訪問し、金日成主席と会ったのも、すべて天命によるものなのです。
今まで南北統一のために尽くした私の精誠は、神様のみが御存じであられます。南北統一は、可視的な韓国と北朝鮮の統一だけではなく、神様が中心となられた摂理的な統一です。南北統一は私の基盤を通さずしては成就されません。摂理が要求する統一は、統一自体が目的ではなく、その統一の基盤の上に永遠の自由と平和と幸福と理想を花咲かせるためなのです。
ですから、力による統一や相手を不幸にする統一であってはいけません。相手のために与えては、また与える真の愛による統一でなければなりません。祖国統一は、一個人や一政党、あるいは政権の利益のために利用されてはなりません。私たちすベての愛の心と実践が、北の地の同胞たちの心に届く時に、真の統一が訪れるでしょう。
女性指導者の皆様。私はために生きる神様の真の愛を中心として、今日まで超教派、超宗派の和合運動を世界的に展開してきました。宗教団体間の和解や交流なくして、どうして世界平和が訪れるというのでしょうか。今も中東、アイルランド、インドなどの地では、凄惨極まりない宗教紛争が繰り広げられているではありませんか。
私は昨年八月二十七日、世界のあらゆる宗教の最高指導者たちを集めて「世界平和宗教連合」を創設し、宗教者たちが和合と協力によって世界平和を実現することに合意しました。実に貴い組織です。宗教は、それぞれの個別性も重要ですが、それに劣らず、互いに共通点も多く、絶対者を追求する同じ目的をもっています。すべての宗教は、神様がその全体摂理の目的のもとにお立てになったということが重要なのです。ですから、お互いに和合しなければなりません。
韓総裁がその基調講演でも触れたように、キリスト教では「人間が善悪を知る木の実を取って食べて堕落した。すなわち不信の罪を犯して堕落した」と教えています。人間始祖は、堕落していなければ、神様の貴い息子、娘、すなわち神様の王子、王女として、神様の血統を受け継いでいたのです。また、彼らは父なる神様の所有、つまり万有も相続するようになっていたのです。そして、彼らは成長して、理想的な愛の夫婦となり、完成するようになっていました。しかし、彼らは堕落することによって、神様の血統を喪失し、神様の所有を奪われ、神様の心情を失ってしまいました。
神様の救いの摂理は、原状へと回復する復帰摂理なので、人間は血統復帰、所有権復帰、心情圏復帰の使命を担当しなければなりません。結果的に、堕落することによってサタンと一体になったアダムとエバが、サタンに従って地獄に行くようになったのです。エバのあとには長子カインが、そのあとには次子アベルがついて行くのです。
神様の復帰摂理は、あとに出発した善側の象徴である次子を立てて、先に出発した悪側の象徴である長子を屈服させることにより、サタンを分立する条件を立てながら進めてきました。復帰摂理の根本は、血統と所有と心情を転換する、復帰されたアダム、すなわちメシヤを送るところにあります。しかし、本然の息子の心情的な立場を一遍に復帰することはできません。
僕の僕の立場から出発して、一つ一つ復帰していかなければなりません。サタンが権勢を握っているこの世においては、善側のアベルが、僕の僕の立場から真の愛でカインのために生きることにより、サタンが讒訴することができず、かえって称賛し、公認せざるを得なくなるようにする、そのような使命を果たさなければなりませんでした。
そのようにして、僕の使命、養子の使命、庶子の使命、直系子女の使命を果たして、愛と情の秩序に従って復帰されて上がっていくのです。あらゆる段階ごとに、サタンが讒訴できないように、真の愛でカインのために生きてこそ復帰が可能なのです。
直系の子女の立場でアベルがカインを屈服させて一つになれば、その基台の上に母のエバが立つことができ、そのエバが責任を果たせば、アダムが立つことができるのです。この時初めて神様がその基台の上に臨在できるのです。そこに、縦的で必然的な復帰摂理の八段階の過程があるのです。別の面から、復帰の段階を横的に見ると、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、そして神様に至るまで八段階があります。
イエス様は第二のアダムであるメシヤとして来られたのですが、不幸にも、選民イスラエルがイエス様のことが分からず、十字架上で亡くなるようにしてしまったのです。再び来られる再臨主は、聖書の文字どおりに空中から雲に乗って来られるのではありません。今年(一九九二年)の十月二十八日に、信じる者は空中に引き上げられるなどと宣伝する人たちもいますかそのようなことは起きません。私の言うことを信じてくたさい。絶対にそのようなことは起きません。十字架で行かれた主なので、十字架を通してこそ再び来られるのです。
イエス様が十字架で亡くなられる際に、十字架を中心として三種類の人々がいました。罪人ですが罪を悔い改めてイエス様のことを証した右の強盗がその一番目です。二番目は、罪人でありながらその罪を悔い改めずにイエス様を誹謗した左の強盗です。そして三番目がバラバです。彼は当然十字架につけられて死ぬべき罪人だったにもかかわらず、ユダヤ人たちがイエス様を十字架につけて処刑したことによって、代わりに恩赦の恵沢にあずかった罪人です。
再臨の時には、この三種類の人類が世界的に拡大して現れるのです。西欧のキリスト教圏は、一番目の右の強盗の立場です。原罪はあるものの、主を信じる善なる立場です。無神唯物思想の共産圏は、二番目の左の強盗の立場です。中東のイスラーム圏は、三番目のバラバの立場です。バラバは、イスラエル民族がイエス様を十字架で殺害することにより、代わりに命拾いをした立場で中東地域を占有するようになったのです。
イエス様が十字架で亡くなることによって生じたこの三種類の世界的な結実を、イエス様が復活した立場で来られる再臨主は、すべてを収拾しなければなりません。西欧キリスト教の収拾のために新しい宗教改革運動を起こし、その一方では共産主義の無神論思想を克服して、共産圏の全体を神様の側に取り戻さなければなりません。そのように左翼と右翼を克服し、統一調和させる思想が、すなわち私の提唱した「頭翼思想」と「神主義」なのです。
先ほどお話ししたように、既に「頭翼思想」によって左翼と右翼の世界を収拾しているのです。また、閉鎖的で熱狂的なイスラームとも、歴史始まって以来初めて和解し、協力し合えるようになり、去る四月には、中東の八ヵ国の代表が統一教会の合同結婚式にも参加するという奇跡が起きたのです。堕落人間の罪悪を清算する祝福式を主催し、左右両陣営を収拾して、歴史的な葛藤を解消し、さらにイスラーム圏とも和解する奇跡を遂げたのです。
これは人間の能力や計画だけでできるものではありません。神様が私をメシヤとして立てられ、これまで救世の摂理をしてこられました。私は再臨主、救世主、真の父母として、その使命を果たしてきたのです。時が来たので、このことをこの場で宣言する次第です。
聞く者は幸いです。この民族が私の言うことを聞けば、この国はどんなに幸いな立場になるでしょうか。為政者たちが私の話を聞けば、どれほどよいでしょうか。聞くか聞かないかは各自の責任ですが、結局は、万民が私の言うことを聞くようになる時が来るのです。多くの人々は、救世主は審判の権能をもっている栄光の主であると思っています。しかし、それは間違いです。神様はこの罪悪世界を御覧になりたいとは思いません。一瞬で審判してしまいたいとも思われるのです。しかし、真の愛の神様は、人間の永遠の生命を常に御心配されます。皆様は、このように長い間耐え忍びながら、真の愛によって自然屈伏させる神様の心情を知らなければなりません。
堕落した人間からすれば救世主ですが、神様からすれば、太初に失ってしまった真の愛の創造理想を成就する真の息子であり、真の父母です。救世主は、堕落によってもたらされた神様の恨を晴らしてさしあげるために、生涯を捧げて犠牲の道を開拓してこられた方です。栄光の中にのみいらっしゃる方ではありません。常に神様の心情と共に痛哭し、サタンを屈服させるために心を痛められる方です。神様の創造目的を成し遂げるために心血を注ぎ、気をもんでいらっしゃいます。救世主は、失った子女を尋ね求めて、サタン世界をさまよいつつ、僕の僕の姿で泣き叫ばれる神様のことを誰よりもよく知っているので、神様の心情が完全に解怨されない限り、栄光を受けることができないのです。
「世界平和女性連合」の指導者の皆様。皆様は、連日の大会で疲れもあり、「十日ほどしかたっていないのにまた大会をするのか」と口から不平も出るでしょう。しかし、私と共に毎日精誠を尽くせば、神様の善なるみ旨が成し遂げられるのです。
私は皆様を利用するつもりはありません。むしろ皆様にとって私が必要でしょう。韓総裁と一体になり、その分身のようになって、皆様の家庭から子女を正しく教育し、夫を正しく導かなければなりません。そうして、皆様一人一人が真の愛の理想のもとに、神様の祝福を受けることを願います。私の最大の関心事は、皆様の各家庭が真の愛で一つになって真の家庭理想を完成することです。
「世界平和女性連合」の市、郡、面、里、そして洞、統の指導者である皆様によって、道義が再建され、真の愛の実践運動が展開されるならば、それ以上の愛国運動がどこにあるというのでしょうか。麻薬追放、禁酒禁煙運動、売春街の撤廃、指導者たちの不道徳の一掃、青少年の脱線防止、正しい道義を展開する運動など、私たちのやるべきことは山ほどあります。
韓国の社会が、女性指導者の皆様によって浄化され、真の愛により和平を成し遂げた時に、初めて南北統一の民族的宿願も成就するのです。そればかりでなく、私たちの民族が世界を指導する平和な世界が形成されるでしょう。
女性指導者の皆様。私は今日まで、自分が実践していないことを弟子たちに指示したことはありません。ですから、皆様は、私が精誠を尽くした分の百分の一でも真の愛を実践して、救国の大きな運動を起こしてくださるようにお願いします。最も効果的な女性連合運動の単位は面と洞、そして里と統です。このような基本単位から、真の愛の運動が班を越えて家庭にまで定着するようになるのです。このようにして、本来の堕落しなかった本郷に帰ってきて、神様と分立された家庭を取り戻し、永遠に定着するようになるのです。
今日まで神様は多くの御苦労をしてこられました。完成したアダムを育てるために、ありとあらゆる御苦労をしてこられました。そのようにして真の父が生まれ、真の天の男性が生まれたのです。サタン世界は、この男性が真の新郎、主人、地上E/span>天上天国の王として来られる方であることを知っています。ですから、全世界の男性たちは、世界を代表した個人、家庭、国家、世界、天宙を合わせて、その方を滅ぼそうとするのです。
しかし、その方は、サタンが浴びせる迫害と謀略、中傷を歴史的に受ける立場から、世界的個人、家庭、国家、世界、天宙的勝利を収めて神様と一体になり、歴史上初めての勝利者となって、サタン世界の個人、家庭、国家、世界、天宙を取り戻してくるようになったのです。
真の父のあとに従ってくる立場にいた真の母が、歴史上初めて対等な立場に立てられて、全世界に女性解放を宣布しました。それによって、真の父と真の母が子女を率いて神様のみ前に出て、天の全体、全権、全能を相続して本然の家庭を出発し、氏族と民族、国家、世界天宙を取り戻して、み旨が完成した世界を再編成するのです。すべての男性は天使長の立場にいるので、すべての女性を返さなければならない立場に立つようになったのです。完成したエバである真の母の分身の立場に立った女性は、分身的エバの立場で真の母と一体になった条件で真の父と一体になった条件を得ることによって、真の父母の思想で息子、娘を教育しなければなりません。
このような教育を通して、息子、娘が真の息子、娘格の立場で母と子が一体になり、世の中の父を再教育し、再び真の父母の祝福を受けて接ぎ木する立場で、真の父母の家庭的道理を体得するようになるのです。アダムとエバが家庭において堕落したので、復帰も家庭でしなければなりません。
里、統、班を越えて家庭に定着しなければならないので、家庭で真の父母様と出会わなければなりません。真の父母様は個人の峠、国家の峠、世界の峠、天宙の峠を勝利して越え、再び私たちの家庭を救うために、天宙から世界、国家、家庭へと訪ねてこられるのです。そのために準備したのが今回の大会です。去る四月十日の大会は、真の父母様の世界大会であり、国家単位である道、市、郡大会を経て、面、里、統、班大会を経て、家庭にまで至らなければならないという目的があります。
「世界平和女性連合」の組織の責任者は、真の父母様の家庭と一体になることで、家庭復帰が可能となり、勝利者となるのです。そうして、氏族を連結させなければなりません。既に真の父母が全国と世界に氏族的メシヤを配置したので、彼らによって教育を受けて一体になれば、国家復帰も自然に成就するのです。
このようにして、南北統一はもちろん、世界統一と地上と天上の統一を完成し、神様も解放されて、初めて神様を中心とした太平聖代を迎えるようになるのです。真の母と全世界の女性が一つになって新婦の立場に立ち、新郎として来られた真の父と共に創造理想的な家庭を復帰しましょう。ぜひ「世界平和家庭連合」の会員となり、祝福を受ける家庭となることをお祈りいたします。ありがとうございました。
日付:一九九三年七月二十八日
場所:アメリカ、国会議事堂
行事:アメリカ議会招請講演(真のお母様)
敬愛する上下院議員、ならびに尊敬する紳士淑女の皆様。きょう、このようにお越しくださったことに、深い感謝の意を表す次第です。皆様はこの偉大な国家の指導者として、アメリカと世界を、やがて来る千年王国へと導く責任を担っています。平和と繁栄の未来に対する約束は、きょう私たちがいかなる行動を取るかにかかっています。
御存じのように、今日のこの世界は、平和で幸福な世界ではなく、葛藤と絶望に満ちた世界です。私たちは、家庭破壊や社会における道徳的退廃の問題などに直面しています。私たちは、このような問題に関して、幾度となく論議してきましたが、その解決策はいまだに見つかっていません。それはなぜでしょうか。本当の問題の解決策は、神様から出てこなければならないのであり、現象的な面だけを扱うのではなく、問題の根本から明らかにしてこそ解決できる問題だからです。その根本を明らかにするためには、神様の創造目的を理解し、私たちが神様の摂理史で最も重要な転換点に処している事実を知らなければなりません。
神様は、真の愛を体恤するために、この世をお造りになりました。神様は、アダムとエバとして知られている人類始祖を創造されました。彼らは、真の愛によって自分自身が完成し、真の父母として真の愛、真の生命、真の血統をもつ完全な家庭を築かなければなりませんでした。アダムの家庭で神様の真の愛の理想が実現されていれば、メシヤが必要ない世界になっていたはずでした。初めて完成した彼らの家庭が、すべての家庭の標本となり、その家庭が氏族、国家、世界へと拡大したのです。そうなれば、その世界は真の愛の世界、すなわち地上天国となっていたでしょう。
ところが、不幸なことに、このような神様の理想は実現されませんでした。聖書の教えによれば、人間の堕落によって、アダムの家庭全体を失ってしまいました。第一に、アダムとエバが、サタンを中心とした自己中心的な偽りの愛で偽りの父母になることによって、真の父母の位置を喪失しました。第二に、カインがアベルを殺害することによって、真の子女の位置を喪失しました。
その最初の家庭が自己を中心として愛することにより、彼らは善よりも悪を繁殖するようになったのであり、偽りの生命と血統を子孫に相続して、偽りの世界をつくり上げました。ですから、神様の救援摂理歴史が始まったのです。神様は、御自身の真の愛を中心とした真の父母を復帰するために、アダムとエバに代わる一人の男性と一人の女性が必要でした。そうしてこそ、神様の本来の計画に従って真の家庭が形成されるのです。
本然の家庭を復帰するために、神様は、カインとアベルが一つになるようにして、真の子女の位置を先に取り戻し、それから、真の母と真の父の位置を取り戻すというように、人間が堕落するようになった経路とは反対の経路で役事(働き)されます。真の父母を復帰するための基台として、カインとアベルを和解させることが復帰歴史の全路程を通して続いてきた神様の公式でした。堕落によってもたらされた憎悪を取り除こうと、神様は人間始祖の堕落後、二人の兄弟を、サタンを象徴するカイン側と神様を象徴するアベル側とに分けて立たせる役事をしてこられました。
神様の戦略は、カインに打たれたアベルがそれを耐え忍ぶことによって、カインを抱き、失った祝福を取り戻すことでした。そうすることによって、神側はサタン側に勝利し、神様の位置を復帰してきました。この公式に従って、神側の男性と女性は、大きな苦痛を受けてきたのであり、神様の摂理上、前面に立った宗教は、サタン側から最も過酷な迫害を受けてきたのです。
紳士淑女の皆様。このように自己中心的な不貞の愛のために、人類初の家庭は侵犯を受けるようになり、利己主義と貪欲の歴史が続いてきたのです。神様の復帰歴史は、個人次元から始まります。サタンもまた、それを知っているので、個人次元からその努力を集中して反対します。これこそが、この「終わりの日」に、自己中心的個人主義が人々の生き方を支配する理由です。
人々は、周囲の人から次第に疎遠になるのを感じるようになり、国家や社会、さらには家族に対する責任感さえも、さほど感じなくなっていきます。増加する離婚率の統計は、結婚に対しても責任感をほとんど感じていないことを意味しています。すなわち、父母は自分の子女に対して責任をもとうとせず、人間の尊厳性に対する感覚を全くもち合わせていない人たちは、自分自身に対する責任さえも取ろうとしません。
一九六〇年代、理想主義的な若者たちは、愛と平和を追求するために、周辺に蔓延する物質主義を排斥しました。しかし、その過程で、彼らは道徳性と責任感まで捨ててしまいました。その結果として今日の社会は、麻薬と不倫、犯罪、そして自殺などにより苦痛を受けています。これらの中で、神様が最も胸を痛められているのは、フリーセックスによる性的な愛の誤用です。
愛とは、純粋な感情の刺激から誘発されます。しかし、フリーセックスは、純潔や真の情緒を破壊します。私たちは、不倫や離婚という犯罪にどれだけ多く接してきたでしょうか。一夜のかりそめの愛、そのどこに神様が臨在されるのでしょうか。性的に虐待を受ける幼い子女たちは、どんな悪夢にうなされているでしょうか。
エイズの犠牲となった死亡者数が日ごとに増加していく中、学校では妊娠の危険性のない安全な性生活を教え、婚前性交は避けられないと言って学生たちにコンドームを配っているのが現状です。乱婚に寛大な社会は、神様のみ旨とは絶対的に相反する所です。
一方、神様のみ旨に従って生きる人たちは、先ほどお話しした例とは一八〇度異なった人生を生きます。歴史を通して、自己犠牲的で神聖な道を歩んできた人たちは、反対側の世界の人々から、激しい反対と迫害を受けてきました。その一つの例として、統一教会を挙げることができます。統一教会の信徒たちは、純粋で、自己犠牲的に生きようと努力してきました。統一教会は、戦争で引き裂かれ、暗鬱だった韓国で生まれ、世界的なひどい迫害にもかかわらず、わずか三十八年で世界的レベルの宗教運動へと発展し、神様が教え導き、助け続けていらっしゃることを証するに至りました。
紳士淑女の皆様。宗教では、過ったことは、復帰過程を経て回復できると教えています。「統一原理」では、蕩減を払うことによって、過ったものを取り戻す方法について説いています。堕落したエバは、自らの過った行為を正すために、自らに課せられたすべての責任を負わなければなりませんでした。それは、エバが真の父母を復帰するための基台として、まず、子女であるカインとアベルが一つになるようにすることを意味します。
カインは、アベルが神様の代身者として選ばれた人だという事実を悟って、弟と一つにならなければなりません。しかし、カインがアベルを殺害することによって、アダムの家庭を復帰する機会を失ってしまいました。そこで、神様は、堕落したエバの位置を取り戻すことのできる別の女性を待たなければなりませんでした。聖書に出てくる女性の中で重要な一人が、イサクの妻リベカです。ヤコブとエサウの母として、リベカはエバがアダムの家庭で立っていたのと同じ位置にいました。
しかし、リベカは、エバとは違って神様の摂理を理解し、次子ヤコブを協助して、長子エサウが受けるべき祝福を次子が代わりに受けるようにしました。カインがアベルの命を奪ったように、長子エサウはヤコブが祝福を受けたことを知って、弟ヤコブの命を奪おうとしました。しかし、リベカの協助によって、結局この二人の兄弟は抱き合って和解しました。
この和解は、摂理上、重要な勝利となりました。しかし、それは神様の血統を象徴的に純潔にする意味にすぎませんでした。すなわち、神様の血統の実質的な純粋性は、腹中で取り戻さなければならなかったのです。これが正にタマルに関する逆説的な物語です。リベカのようにタマルもまた、堕落したエバの立場にいたことを理解すると、イスラエル選民の血統の中からイエス様がお生まれになった理由を理解することができます。タマルは舅であるユダをだまして、ペレズとゼラを身ごもりました。聖書には、二人の息子が母の腹中から互いに先に生まれようとして闘ったことが記録されています。
タマルが出産で苦しんでいるとき、ゼラの手が母の腹から先に出て、産婆がその手首に赤い糸を結びました。するとゼラの手は再び母の腹中に引っ込み、もともと弟となるはずだったペレズが先に生まれました。このようにして次子が長子の位置を、生まれる前の腹中で復帰したのです。伝統的な道徳観から見れば、リベカとタマルに関する物語は多くの疑問が提起される内容です。今、私たちが知っているように、神様はイエス様を誕生させるために、サタンから神様の血統を取り戻す役割を果たすように、彼女たちを祝福されたのです。
こうして二千年が過ぎたのちに、聖母マリヤがタマルの勝利圏を相続する立場で現れました。彼女はしかるべき蕩減を払い、アベルを長子の位置に復帰することによって、家庭、氏族、そして国家的次元へと拡大されたカインとアベル的存在を一つにする責任を担っていました。その当時は、正式な結婚以外の方法で子を身ごもった女性は、石で打ち殺すのがならわしとなっていました。マリヤは命の危険を顧みず、神様の召命に応じてイエス様を懐妊しました。
マリヤの信仰とリベカとタマルの役事で、サタンはマリヤの腹中にいるイエス様に対する主管権を主張できませんでした。ですから、イエス様は、神様の完全な直系の血統をもった真の息子の位置でお生まれになったのです。イエス様が神様の最初の息子として、聖人の中の聖人であられ、神様の真の血統の先祖となられる理由がここにあります。イエス様の誕生は、国家的次元の旧約時代を終結させ、世界的次元の新約時代を開門する意味があります。
また、マリヤには、アベルの位置に立っていたイエス様とカインの位置に立っていた、イエス様の従兄である洗礼ヨハネを一つにする責任がありました。多くの人々が洗礼ヨハネに付き従い、彼は多くの人々に尊敬されていました。そのような洗礼ヨハネがイエス様と一つになることは、イスラエルの民がイエス様をメシヤとして認めるときに、重要な要因でした。彼らが一つになっていれば、「小羊の婚宴」のための基台が造成されていたのです。そうすれば、イエス様は人類の真の父としての位置を確立し、新婦は人類の真の母となっていたはずでした。さらには、地上天国が建設されていたでしょう。
洗礼ヨハネは、イエス様に洗礼を与えるとき、明らかに啓示を受けたにもかかわらず、イエス様と一つになることができませんでした。洗礼ヨハネの協助なしにユダヤ民族がイエス様を信じ、付き従うことは不可能なことでした。結局、イエス様は独りで、御自身が誰であるかということを宣布する困難な道を歩まれました。イスラエル民族の不信に直面したイエス様は、人類のための霊的救いの道だけでも成就するために、御自身の生命を捧げることを決意されました。しかし、イエス様は、霊的救いと同様に、地上で肉的救いの道を開くために、救世主が再び来られなければならないことを知っていました。
私たちの心はイエス様を通して神様に近づくことができますが、体はいまだに悪の誘惑を受け続けているのです。それで、使徒パウロさえも、肉身の欲求と霊の欲求の葛藤で煩悶しました。キリスト教の多くの偉大な聖職者たちも、そのような葛藤ゆえに苦しんできました。成約時代が開かれながら直面した主要な課題は、いかにして霊的救いと肉的救いを共に成就するかということです。それで再臨主が必要なのです。
神様は、再臨を準備するために、カインとアベルが世界的次元で和合できる基台が必要でした。その基台は、第二次世界大戦を中心として造成されました。キリスト教的連合国はアベル圏であり、国粋的軍国主義の影響下にあった枢軸国はカイン圏です。連合国が勝利した直後、アベル圏の国家は敗戦国を包容し、キリスト教を中心として統一された平和世界を創建するための基台の潮流が形成されました。神様は再臨主を迎える基盤を造成することができたのです。
ところが、このようにすべての準備が整ったにもかかわらず、神様の救援摂理は、その当時に完成されませんでした。神様の代身者が神様のみ言を携えてきましたが、二千年前のイエス様のように、その方は激しい迫害と全世界的とも言える誤解を受けるようになりました。イエス様のときに、イスラエルの民が、天から火の車に乗って降りてくるエリヤの再臨を待ち望んでいたように、キリスト教徒たちは、イエス様が雲に乗って天から降りてこられることを期待しながら再臨主を待ち望んでいたのです。
第二次世界大戦以後、その重要な時期に、神様は私の夫に、韓国のキリスト教徒たちに新しい真理のみ言を伝えるように指示されました。ところが、キリスト教の指導者たちは、このみすぼらしい青年が新しいみ言を伝える機会を剥奪しました。この宗教指導者たちは、私の夫と一つになるどころか、逆に夫に付き従う人が増えるのを妬みました。彼らは私の夫の話を聞こうともせず、盲目的に反対しました。甚だしくは夫に関するうそや虚偽を広めました。彼らは夫の人格を抹殺しようと、夫の教えとは正反対の淫教であるとか貪欲だとのうわさを広めたのです。悲劇的にも、世の中は神様が選ばれた代表を拒み、その方を荒野へと追い出してしまいました。
第二次世界大戦後、キリスト教が私の夫と一つになることができなかったので、キリスト教の道徳的権威は、驚くほどに失墜しました。アメリカや、キリスト教に基盤を置くその他の国々もまた、文化的、社会的に深刻な危機を迎えていました。そうして冷戦が始まりました。第二次世界大戦の期間中、二つの側に分かれていたように、世界は再びカイン圏とアべル圏とに分かれました。イエス様の左にかかった強盗のように、神様を否定する共産主義はカイン側です。右の強盗のように神様の存在を認める民主主義はアベル側です。
冷戦時代における最初の戦闘は韓国動乱でしたが、その戦争に国連の旗のもとに自由世界十六ヵ国が参加しました。一九八八年のソウルE/span>オリンピック前までは、互いに敵対的だった百六十ヵ国は、平和的に一つの所に集まることができませんでした。結局、一九九一年に世界的次元のカイン側とアベル側を代表する韓国と北朝鮮が国連に同時に加盟することによって、それぞれ百六十番目と百六十一番目の加盟国となったのです。韓国は、神様が真の父母を送った国なので、韓国からこのような多くの調和と和合が達成されるようになるのです。
過去四十年の冷戦の期間中、私の夫は、失ったメシヤを迎えるための基台を再び探し立てるために、すべての障壁を崩す闘争をしました。その期間、人々は私の夫を完全に誤解しました。夫は、神様のみ旨のために、北朝鮮の共産主義下で送った三年の収容所生活をはじめとして、無辜の投獄生活を六度もしました。そればかりかマスメデイアは、「私利私欲のために若者たちを洗脳する残忍な怪物のような存在である」と言って、夫を罵倒してきました。
文鮮明牧師こそ世界で最も多く迫害を受けた宗教指導者だということに異議を唱える人がいるでしょうか。私の夫が受けてきた苦労を思うと私の胸は張り裂けそうです。しかし、夫はいつも、「神様は、御自身の摂理のために迫害を受けてきた人たちを慰労しておられる」と言って、私を安心させてきました。夫と私は、過去の失敗を復帰するために、蕩減の道を歩んでいます。過去二十年間、私の夫は、二千年前のイスラエルの国とユダヤ教の立場に代わる、韓国と統一教会を中心として、旧約時代を蕩減するために苦労をしてきました。その基台の上に私たちは、一九六〇年に国家的な次元で真の父母の聖婚式を挙行しました。
その後、一九七一年に、夫と私はアメリカに来ました。この国は、キリスト教、ユダヤ教、そしてイスラエルの国と密接な関係にあるため、摂理史において非常に重要な役割を担っています。ですから、その後二十年間、私たちは新約時代を完成し、成約時代を出発するための蕩減路程を歩みました。旧約、新約、成約時代のすべての摂理は真の父母を中心として完結されなければならないことを考えたとき、イスラエルとアメリカと韓国は、神様に選ばれた国だという共通の運命をもっています。ですから、民主世界と自由世界を代表するアメリカは、無神論的共産主義国家である北朝鮮と民主主義とキリスト教が栄えている韓国の統一のために活動しなければなりません。
紳士淑女の皆様。神様が、アメリカ自体のためではなく、世界を救うためにアメリカを祝福されたことを知らなければなりません。アメリカの初期における清教徒たちは、富を求めてアメリカに来たわけではありませんでした。彼らは、この地で神様に侍り、より誠実にキリスト教の信仰を続けるためにアメリカに来ました。アメリカが祝福を受けた目的を想起できなければ、アメリカに対する神様の祝福は中断されるでしょう。
神様は、摂理歴史を導いてきた力が何であるかを、夫と私に悟らせてくださいました。神様が私の夫に啓示してくださった真理は、「統一原理」の中に含まれています。「統一原理」は、摂理史的観点から人類歴史と聖書の内容を考察し、数千年間解けなかった疑問に対する答えを提示しています。
その内容を真剣に研究した人たちは、これこそが、神様の下さった真の贈り物であり、今日、私たちの社会が直面する問題に対する唯一の解決策を提示していることを発見しています。さらには、共産治下の旧ソ連でも、政府指導者と数千人の若者たちが、私たちの教えを学ぶことで、新たな人生を見つけました。結局のところ、彼らは共産主義思想の抑圧から解放され、彼らの国を救う霊的な真理を渇望していたのです。
敬愛する皆様。第二次世界大戦後、キリスト教の基盤が失われたことによって、神様の摂理は一九九二年まで四十年間延長されました。それで、一九九二年四月、夫と私は「世界平和女性連合」を創設しました。去年、私は真の母の心情で、第二次世界大戦中に、世界的カイン側を代表する国家だったドイツ、日本、イタリアと、世界的アベル側を代表する国家だったアメリカとイギリス、そしてフランスを含む世界の十二ヵ国を巡回しました。
これらの国で、ロシアと中国のときと同じように、私は百万人を超える女性指導者たちに、「共に真の父母を迎える基台を築きましょう」と力説しました。このような基盤の上に、今、夫と私は、最初の真の父母として成約時代の到来を宣布することができました。この場に来られたすべての方が、私たちの導きによって真の父母となることを願います。
各家庭が立ち上がり、全世界の救援摂理を完遂するメシヤ的使命を果たすべき時が来ました。皆様の家庭を復帰したのちには、皆様の社会と氏族と国家を復帰しなければなりません。私たちは、このような使命を果たす人を「氏族的メシヤ」と呼びます。成約時代には、母の役割が非常に重要になるでしょう。母は、子女と夫を一つにし、家族を真の父母に連結させなければなりません。私たちは既に、数千人の氏族的メシヤを全世界に派遣しました。遠からず、本然の家庭理想が全世界的に成し遂げられるでしょう。
すべての完成した家庭で、祖父母は神様と善なる先祖に代わって、王と女王の位置に立つようになるでしょう。父母は現在の人類を代表する王と女王の位置に立つようになります。そして子女は、すべての未来の子孫を代表し、王子と王女の位置に立つようになるのです。これら三代が一つになるとき、過去、現在、未来の三世代が一つの所で調和して暮らすようになるのです。このような理解の基台の上で、最初の真の家庭の出現を皆様にお伝えすることができ、大変光栄に存じます。十三人の子女と二十人の孫をもつ私たち夫婦は、神様と人類のために、私たちの人生を完全に捧げています。この三代は、祖父母が聖書でいう生命の木の中心の根となり、父母はその中心の幹となり、子女はその枝となります。
皆様も、真の家庭と理想国家、そして理想世界を建設するための私たちの努力に協力し、この生命の木に接ぎ木されることを心から願います。成約時代が到来することで、アダムとエバを創造し、再び神様と共に暮らそうとされた、神様の本然の目的を、私たちが完遂するようになるでしょう。このようなことを知って、私たちは、個人的に心と体が一つになり、家庭においては夫と妻が一つになり、父母と子女が一つにならなければなりません。そうすれば、私たちは神様の愛を中心とした理想家庭を完成することができるのです。
一九九二年、私たちは韓国で、神様のため、互いのため、世界のため、自らの人生を捧げることを誓う三万組の合同祝福結婚式の主礼をしました。今日、多くの家庭は、父母が子女を効果的に指導できずにいます。特に、愛や結婚などの私的な問題において、そのようになっています。しかし、私たち夫婦は、世界百三十一ヵ国から若者たちを呼び集め、歴史的な方法で、彼らの尊い愛の夢を実現させてあげました。そのように、神様を中心とした家庭が集まって、理想国家と理想世界を構築するようになるのです。
そのような家庭を形成していけば、社会の没落現象はなくなります。確実に神様の子女となった人たちは、これ以上アルコールや麻薬の誘惑の奴隷となることはないでしょう。さらには、夫婦間の愛の神聖さを理解することで、不倫と乱婚に対抗し、強く立ち向かう道徳的な力をもつようになります。最終的にその力が合わされば、戦争、人種の偏見、世界的飢餓を根絶できるのです。このような基盤の上に、私たちは真の幸福と自由と平和を享受する世界を建設できるはずです。
敬愛する皆様。この国の指導者として、皆様は、深い心情で心の扉を大きく開き、このメッセージの意味を御理解してくださることを願います。神様の理想を完遂することによって、すべての人が神様の祝福の場に至ることを心からお祈りします。アメリカに神様の祝福が共にあることを願います!どうもありがとうございました。
3.天地父母統一安着宣布
3.天地父母統一安着宣布
日付:二〇〇二年六月二十一日
場所:韓国、ソウル、蚕室室内体育館
行事:天地父母統一安着宣布大会
この意義深い「天地父母統一安着宣布大会」に御参加された高名な紳士淑女の皆様。愛する祖国の兄弟姉妹の皆様。そして、この歴史的な大会を見守ってくださっている全世界七千万の皆様に心から感謝申し上げます。
私たちはついに、実に歴史的で摂理的な大宣布の時代を迎えました。六千年間、天と地が何よりも待ち望んできた平和の世界を実現するために不断の努力を注いできました。しかし、最後には神様の摂理的な内容と神様の心情を完全に知るところから、すべてが解決されるのです。
今日、人類が平和の世界を語り、一つの世界を語っていますが、まずは私個人から一つになり、平和をつくることが問題です。ですから、そのような実情を知る神様がおられ、心ある人間、偉人がいるとすれば、自分個人を一つにする作業をしようと考えざるを得ないのです。
皆様はよく、「互いに愛し合い、互いに奉仕し、互いに犠牲になりなさい、そうすればうまくいく」と言います。「愛しなさい」というのは、「与えよ」ということです。「自分から相手に働きかけよ」ということです。「互いに愛を受けよう」、「愛してほしい」ということではありません。互いに奉仕するようになれば、その環境には平和の基地が生まれ、互いに犠牲になれば、そこには蘇生の炎が燃え上がります。また、愛するようになれば、そこには花が咲き、香りが広がります。マイナスの立場の磁石が必ずプラスに向かうように、良心の力によって神様を知ることがてきます。
良心の力によって神様に接近すればするほど、何を悟るかといえば、心の平和、心の幸福、心の満足を感じることができ、平和の母体となる神様の愛によって、自分の五臓六腑全体が刺激を受け、衝動的な感銘を感じることができる人間になるのです。
「自分は今までこのように生きてきたが、余生だけでも輝かしく自信をもって終えなければならない」と考え、気力が足りなければ、ひざまずき、骨が固まって死ぬことがあっても、「私の生涯で責任を果たせなかった忠誠をこの期間に尽くさなければならない」と夜を徹して祈祷しなければなりません。国土を守り、人類が至るべき幸福の基盤を見つめながら生きながらえ、「私が死んだとしても、世界を生かしてほしい」と祈れば、その老人の墓は雑草に覆われたりはしないでしょう。
いくら醜くしわがよっていても、それは私たちの平和の条件を象徴するしわとして現れ、歩く姿が憔悴していても、その道が希望の灯台として輝く座標になると分かるとき、自分の生涯において、悪の友となり、悪の足場を広げてきたこの恨を踏み越えて、「私の生涯に、もう一度だけ善の基盤を加重させて行かなければならない」と切実に願うようになるのです。そのような運命の道があることを知り、休まず急いで行かなければなりません。
そのため、私も今まで生きてきた生涯で、そのような趣旨から六度も投獄の苦難の十字架を背負ったのであり、海外を行き来しながら皮膚の色が違う民族の前で、異端者だと指弾される時も、反対される時もありました。しかし、私の行く精誠の道理が、皮膚の色が違う民族を通して正統の主流思想であることを知り、天のみ前にひざまずき、天を慕うことに歩調を合わせる道であるならば、私はどこにでも駆けつけるという思いで、一生の間生きてきました。
私たちが天の精兵となって勝利してこそ、神様が永遠に喜ぶと同時に、イエス様と聖霊も永遠に喜び、聖賢たちまで喜ぶ平和の時代が、この地上に到来することを心に銘じなければなりません。それで、個人の闘いが家庭の闘い、家庭の闘いが氏族の闘い、氏族の闘いが社会の闘い、社会の闘いが国家の闘い、国家の闘いが世界の闘いを経て、霊界とこの地上との闘いまで経るようになるのです。また、神様とサタン世界の無数の悪霊との闘いが終わってこそ、この宇宙に平和の時代が訪れるのです。そのような原則的な過程を通して摂理してこられた神様の事情を、皆様は悟らなければなりません。
神様がサタンと闘ってすベての問題を解決してこそ、宇宙的な平和の時代がやって来るのです。神様の悲しい心情の中心を一掃し、解怨する時がやって来ない限り、人類の平和も実現されず、天的な一つの理念もこの地上で結実の時を迎えられないことを、皆様は知らなければなりません。
もし真の人間がいて、人の世のすべての恨みと天の恨みを解放し、天と地の上に平和の国を建設する一つの主義と思想をもって現れるとすれば、その人は個人の恨みに満ちた逆境から、人類と天の恨みの峠とその切ない心情をすべて経て行かなければならないのです。それができないとすれば、人の世には恨のない平和の世界、幸福の世界、自由の園の建設は不可能なのです。
皆様が宇宙的な天国の理念を代表する存在となり、神様の真の愛と真の生命と真の血統と真理の運動を展開するならば、平和の世界がこの地に建設されるのです。ですから、自分の父母だけが父母ではなく、自分の兄弟だけが兄弟ではなく、自分の子女だけが子女ではないのです。
皆様が、すべての人を自分の父母、兄弟、子女と思える人格を備えた人になれば、死亡の世界で苦しむ多くの民を見つめるとき、涙なくしては向き合うことができないはずであり、兄弟や幼い人々を見つめる時も、彼らを救おうという責任感をもって涙を流しながら努力するようになるのです。そのように本当に神様のような皆様になるならば、皆様を中心としてこの地に天国が建設されるでしょう。
神様は、サタンから先に打たれても、尽くし、愛してあげてから取り戻してくる作戦を取られます。サタン世界から強制的に奪ってくるのではなく、先に愛し、打たれ、犠牲になり、命を奪われながら取り戻してくるのです。そのような作戦を取らなければ、世界平和の起源を天宙に残すことができないのです。
皆様は家庭を率い、国と世界のために進まなければなりません。大韓民国において、個人的な時代、家庭的な時代、氏族的な時代、民族的な時代、国家的な時代を通して、その経験を土台にして世界の民族と国家に方向を提示できる案内役を担わなければなりません。案内役を果たし、互いに離れられない立場で神様に侍ることができてこそ、霊界と肉界は統一された平和の世界となるのです。
そうしてこそ、その案内者は天国創建時代の永遠の指導者としての地位を固め、天の世界の栄光の表彰を受けるようになるのです。自由の天国である新しい平和の王国を創建するための闘争過程で、誰よりも多くの血を流して闘ったとするならば、その人は滅びません。その人が流した血は、死亡の血ではなく、生命の源泉の力となるからです。そのようにして創建されたその場所こそが、私たちが行かなければならず、とどまらなければならず、残さなければならない基盤なのです。
そして、皆様が天のみ前に「天よ!あなたが創造理想を中心として誇りたいと思われていたすベての願いが結実しました。人間を立てて永遠にすべての世界に誇ろうとしたあなたの内的心情と一致いたしました」と祈祷するとき、神様が「おお、そうか!」と言える立場で、神様の喜ばれる自由と平和の天国に向かって行進するその日を慕わしく思わなければなりません。
皆様。大韓民国の主人は誰でしょうか。大韓民国を誰よりも愛し、大切にする人です。ですから、皆様が誰よりも大韓民国を大切にし、愛するようになれば、主人になるまいとしても、この民族の主人になるのです。そうしてこそ、神様が願う平和の時代がやって来るのです。私たちは神様の恨を解いて、神様を解放してあげなければなりません。
そして、神様が自由に万国を統治するに当たって、少しでも差し障りのある障害物があるならば、自分が責任をもってすべてを取り除き、自由の権限をもって万国を自由と平和の天国として主管する堂々たる絶対者として侍るという信念をもった若者がいるならば、その人は実に偉大な若者です。そのような若者によって、これからの世界は新しい方向に進むようになるのです。
皆様が、実際にこのような若者になったとすれば、いくらみすぼらしい姿をしていても、それは醜い姿ではありません。そこには、限りない希望が宿っているのであり、その姿は神様の希望と幸福の土台になるのです。取り入れられる立場、取り入れられた穀物の立場にある私たちが、互いに直面し、感じるすべてのことを、幸福の要因として消化できる人間にならなければなりません。そのような基盤を広げて国民化させ、世界化させる時まで、その主体的な精神が一元化された形態を離脱することがなければ、そのような基盤を通して、世界に平和の天国が連結されるのではないでしょうか。
東西南北を中心として、四方に広がって立てれば、そこには異議がなく、結束の動機が整えられるのです。復帰天国はどこから実現されなければならないでしょうか。牢獄からつくられなければなりません。牢獄に入って、イエス様のように主管性を復帰した基準と本性的基準の自律的な平和の心情をもって、感謝の歌を歌ったことがありますか。それが問題になるのです。
神様はかつて、使徒たちがそのような立場にいるとき、それを天国化するために牢獄の門を開け、自由に行動できる権限まで賦与したのではないでしょうか。神様は、皆様がかつてのその使徒たち以上に希望と期待をもつ資格を備えることを願っています。終末には、新しい創建の方向を、現世と反対にしなければ生きる道がありません。何としても私たちは新しい歴史的な方向を提示しなければなりません。それが新しい統一の歴史的な方向性です。第三者を犠牲にしてきた世界の終末が到来したので、今までのようにしては絶対に世界に平和は訪れないのです。
私たちは、いかにして十字路を越えるのでしょうか。自分の妻をつかんだら、自分だけを考えるのでなく、国家を考えなければならず、国家をつかんだら世界を考えなければならず、世界をつかんだら天地を考えなければなりません。それを段階的に、正常に何ら妨げるものがなく行路を通過していくならば、すべての怨讐が待ち受けている十字路は消えてなくなり、平坦な大路に入って、解放の自由化が形成されるようになり、天地に平和の王国、神様の願われる理想世界が実現されるのです。
この世界でも、神様を中心とした新しいモデルを探さなければなりません。家庭での父母が子女を愛する道理が、今日、人倫と道徳の原則になるのではないでしょうか。父母、夫婦、子女の関係を中心とした、統一教会で言う「四位基台」の原則に立脚した理想的な本然の形態の基準を、いかにして決定するかということです。
世界を掲げて統一と平和を夢見るには、そのような基本問題が残っているので、これを決定しなければ統一世界の到来は不可能です。個人的な男性の形態と女性の形態を中心として、家庭的な形態を形成するところから、統一と平和の世界は実現されることを皆様は知らなければなりません。自分が犠牲になり、自分の家庭や国が犠牲になったとしても、国家や世界が良くなる新しい価値観をもって出発できる、そのような思想的な体系があるならば、その思想的な体系を通して新しい創建の開門が間違いなく起こるのです。
一つが上がれば、別の一つは下がるのであり、一つが下がれば、別の一つは上がるという法則のように、この世は罪悪の世界なので、罪悪から脱出できる一つの方向性を備えて勝利の天国を創建する時がやって来るのです。包囲されたサタンの城壁を打開する秘法として、「怨讐を愛しなさい」と語られました。
これまでサタン世界には平等圏がありませんでした。その平等圏をつくる作戦とは何でしょうか。サタン世界で他のために犠牲になり、愛し、幸福を祈ってあげ、打たれながら、打った人々を屈服させ、恩恵を与えることによって完全な平等圏が生じるのです。怨讐の対決圏を解消する舞台を、このように築いてきたので、ここに初めて平和の建国理念が成立するのです。世界統一、すなわち世界平和の理想型がここから始まります。
天国に向かう道を短縮させようと、ここにメシヤや、ある特定の民族、特定の個人にこのみ旨の道の責任を負わせ、犠牲を払わせてきたのです。ですから、多くの聖人たちがやって来て、その部分を死で塊めていきました。多くの国々が栄えては滅んでいったのは、その谷を埋めるためでした。そのようにして、高めたり低めたりしながら今のような平等をつくりました。平等とは、平和だということです。
本来、神様の真の愛を中心として完成したアダムと完成したエバが一つになることによって、神様が中心の位置に立つことができるようになるのです。これが統一教会で言う「四位基台」です。この四位基台を完成する基盤を失ったので、いかなる歴史時代を経たとしても、これを設定しない限り、人類の平和やユートピア、理想世界というものを描いてみたところで、何の役にも立たないのです。原則を否定し、原則を離れては、理想郷はあり得ません。
二千年間、ローマ帝国の迫害時代に、形容し難い迫害の渦中でも発展したのがキリスト教です。ローマをのみ込んで余りあったキリスト教が、今日、自由主義のアメリカでは、第二次世界大戦以後の数十年間で、どうしてあんなにも衰えてしまったのか、それが謎です。ユダヤ教が神様を信じ、愛しているのに、なぜヒトラーが六百万人を虐殺したのでしょうか。理解のできない謎です。それは、宗教が進むべき本然の道を進めなかったからです。「終わりの日」に、民族を中心として、神様の本然の真の愛と接触点をもたなくなる時は、サタンの餌食として完全に砕けていくのです。
それでは、何を中心としてこの世界を収拾するのでしょうか。今日、新しい創建に力を尽くす人々も語り、現代の知識人たちも語っていますが、世界を指導する人間が必要だというのです。それでは、何を指導するのでしょうか。経済力と政治力を中心として指導する能力のある人はいくらでもいます。お金がなく、政治体制がなくて、それができないのではありません。神様の理想に通じる真の愛の秩序がないのです。本然の真の愛の秩序が世界的な基盤の上で成長できる真理を模索できるならば、そこから初めて平和の起源と私たちの本心が安息できる理想郷が出発するのです。
真の愛というのは、始まりと終わりが同じでなければなりません。天地において、神様の心情に通じる真の愛であれば十分です。平和も真の愛の心情から出てくるのです。真の喜びの心として現れるとき、大宇宙は私の友となるのであり、そのような真の心情に徹して天下に現れるようになる時は、天下は私の心の中で踊り出すのです。今後、人間世界に理想世界がどのように訪れるか分かりますか。真の愛の器官を正しく扱う道理を明らかにしてあげない限り、この世は滅びます。平和の世界は見いだせないのです。
ローマを見てください。アメリカを見てください。アメリカはお金がなくて滅びるのではありません。真の愛の器官の主人が誰なのか、何に由来して創造されたのかを今まで知らなかったのです。サタンのゆえに知らなかったのです。それを明らかにするために、天地のすべての邪悪でよこしまな性の問題で、サタンがめちゃくちゃにしたすべてを一掃するために、真の父母の名をもって文総裁が旗を掲げて立ち上がったのです。
寒帯地方からの風が温帯地方に吹きつけることによって、温帯圏内のすべての木の葉は枯れ落ちるのです。それで冬になって、実まですべて落ちるようになります。しかし、そのような中でも生命をもつ種は、いくら北風や冷たい雪が吹き付けても制圧されないのです。それがいくら強くても、それを突き抜けて新しい人類の平和の春の園を迎えます。
解放と希望の春の園が訪れるので、人類の新しい時代を迎えるその時代において、真の生命の種をこの天地に蒔けば、二度と冬を迎えることのない解放の温帯圏に進出するようになるのです。統一教会の思想とぴったり一致します。
自分自身を是正するためには、困難な道を歩まなければなりません。南北を統一するほうが簡単でしょうか、自分の一身を統一するほうが簡単でしょうか。南北統一は外的にはいくらでもできます。しかし、内的な自分自身の統一はできません。外的に世界平和は実現できても、私自身は内的に平和を実現することができません。世界が今後、過去、現在、未来を通して進む方向が内外的に一致すれば、統一の見込みはいつでも、どこでも見いだすことができるのです。
過去と現在を照らし合わせてみると、結果は必ず一つの目的に向かって進むのです。一つの目的とは統一であり、平和です。一つの平和なのです。二つではありません。しかし、私自体は統一をいつ実現するのでしょうか。私が統一できないのに、統一された世界を管理できるでしょうか。それは理論的に通じません。ですから、根本問題に入ってみれば、統一という問題は深刻です。宇宙史的な問題なのです。
アダムの時には国がありませんでした。自分の家庭さえ収拾すればいいのです。家庭さえ正しく立てればいいのです。結局は、良心と肉身の一体と家庭の一体です。夫婦、男女が一つになることが、世界的な問題です。これが一つになれば、世界はすべて平和の地に入ります。真の愛で解くならば、世界問題は難しくありません。心身一体、父子一体、夫婦一体、子女一体を完成すればよいのです。
この世は堕落した悪の世界なので闘うのです。それは心身が闘うからです。男性と女性は二人で闘うようになっています。ですから、世界平和の基地はどこでしょうか。韓国でもなく、日本でもなく、アメリカや世界でもなく、天国でもありません。ほかならぬ私自身です。心身が紛争するその拠点を平和にしなければ、世界平和は永遠に存在しません。
それでは、どうすれば平和の世界が訪れるのでしょうか。第一の条件は何でしょうか。一つになる起源を見いださなければなりません。それを見いだせなくなるとき、統一の世界とは永久にお別れです。それでは、家の中が一つになる前に、私自身が一つになったのかと問うとき、一つになった私を発見できないのです。心と体が闘うでしょう。男性と女性が闘う時、幸福ではあり得ず、平和ではあり得ず、希望はあり得ないのです。
「終わりの日」になればなるほど、心の分野と体の分野とに分かれ、夫婦は四つに分かれてしまうのです。心と体が二つずつなので、四つになるのです。こうして互いに闘うのです。
統一教会では、神様の内的に統一された真の愛の動機を解き、神様のように真の愛で、よりために生きる論理的な形態を備えているので、思想界や宗教界が追随できない体系として、「終わりの日」において混乱した世界の平和の基地、個人的、夫婦的、家庭的、氏族的、民族的、国家的、世界的、天宙的な基地になるのです。
神様の、ために生きる真の愛によって神人一体になり、天地の統一的な平和世界に向けて理想的な神人合徳(和合)を成し遂げ、幸福で、希望ある平和の世界を実現していこうというのが、真の父母の理想です。この理念に反対して存続できる人はいません。ですから、みな歓迎するようになっているのです。
それでは今後、世界はどのようになるのでしょうか。今、世界に住んでいる万民は、老若男女を問わず、一つの世界を願っています。その一つの世界は、戦争する一つの世界ではなく、平和で自由な立場での一つの世界です。そこには民族の分裂、あるいは人種間の紛争や文化の違いからくる習慣的な相違による壁のようなものがないのです。
それで世界の万民は、一つの真の愛の文化圏と対応して、自由で平和な一つの国を願っているのです。平和の世界は一つの世界です。平和を目的とした世界に向かう道は、二つあるのではありません。老若男女が願う希望の世界、平和の世界は一つの世界です。しかし、民族を見ても、その中に様々な団体があり、その団体ごとに主義主張が違います。大韓民国の政治風土を見ても、野党と与党、そしてありとあらゆる党が現れて、各自が自分たちの道を行こうとするのです。ですから、方向がどれだけたくさんあるでしょうか。そこで問題が生じるのです。
歴史が始まってから現在に至るまで、世界的な舞台でこのように平和の世界を追求しながら活動してきた数多くの人々がいました。ところが、終わりの日に至っては、希望をもってあすにはより次元の高い一つの世界に向かって進む立場で指導できる人がだんだんと少なくなっているのです。
すべての学問を超越し、社会の構成と体制、あるいは慣習を超越して決定しなければならないことは、始まりがどこからかということです。始まりは、真の神様でなければなりません。その神様自体が始まりから過程を経て、神様が人間を創造したとすれば、創造主の理想実現というその目的地まで到達する道を再発見しなければ、平和の世界は実現できないのです。なぜかと言えば、平和の世界は一つの世界だからです。人間が進む方向と神様が進む方向との二つの方向があるとすれば、一つの平和の世界は現れないので、不可避的に結論は、一つの方向にならなければならないのです。
ですから、人間を中心とした世界を打破し、真の神様第一主義の世界を確定しなければ、一つの平和の世界に向かう道を発見できないのです。ですから、心と体の世界において、平和の基準をどこに立てるかという問題が、私たちの人生において最も大切な問題です。
心と体が闘っています。そのため、このような問題を考えてみると、平和の基準がどこにあるのでしょうか。世界でもなく、国でもなく、宗教でもありません。私自身において、心と体が絶対的に統一された平和の基準を確立することが、宗教指導者の目的であり、そのようにならしめることが、あらゆる教育、あらゆる修練、あらゆる人道主義の目的なのです。ですから、皆様がいくら宗教を信じ、偉大な宗教指導者になり、この世界を統治する偉大な聖人になったとしても、堕落圏内においては、永遠の神様のような心と体の統一は果たすことができないのです。
個人基準の心情圏が真の愛の平和の起源を確立して定着させ、平和の起源を私から設定しなければ、理想的な宗教や天国といったものは、すべて夢にすぎないのです。神様を中心として真の神様の子女一体圏を見いだすところに統一の起源があるのです。神様は心と体が闘いません。
それでは、人間はどうして心と体が闘うのでしょうか。心身が一つになって、平和の大王である父と息子が一つにならなければなりません。神様の真の愛、真の生命、真の血統が一体になる父子の関係から、平和の起源を発見するようになるのです。父子が一つになるところで、真の愛、真の生命、真の血統が一つにならなければならないのです。堕落した私たちは、本然の神様と天の国の理想的な環境圏をはっきりと知らなければなりません。
神様自体とみ旨から見た天国と一体になろうと懸命に努力するところから、父なる神様のようになる道を見いだすことができるのです。そこにおいてのみ、平和の個人、天国と一体になって暮らす、父と子の喜びの平和世界ができるのです。
ですから、今から再臨主である真の父母がこのすベての天上世界のことを明らかにし、地上世界が一体になるようにすることによって、地上E/span>天上天国を完成するのです。霊界に行った聖人、賢人たちを中心としたすべての人々が、この道を共に願っているのですが、この道は、地上の真の父母を通して真の愛、真の生命、真の血統の一致圏を教えてあげることによって、地上E/span>天上世界が統一された世界を形成するようになるのです。
愛する祖国の同胞、そしてこの大会を見守る世界の皆様。人類の真の父母となるメシヤが再臨するこの時代、韓半島の南北が、銃剣ではなく愛と真理によって統一されるこの時代、世界のすべての宗教が真の父母の教えのもとに一つになるこの時代、霊界のすべての聖賢と先祖たちが降臨し、直接私たちと通じ合って暮らすようになる、歴史的で摂理的なこの時代を迎えた皆様は、本当に幸せな人たちです。
今こそ全人類は、人種と理念、そして国境を超越して、平和の世界を創建するために召命された責任を果たしてくださることを願いながら、イエス様以下の聖賢たちが霊界から送ったメッセージを紹介しますので、参考にしてくださり、全体的な内容は配布された冊子を通して研究してくださるようお願いします。
天も地も、共に永遠の世界で天地父母様に侍り、大家族を形成した天上と地上の天国世界で、真の愛で兄弟となって平和と幸福の中で暮らせるようお祈りいたします。神様の限りない祝福が、皆様の家庭と国家と世界に満ちあふれることを願う次第です。ありかとうございました。
4.再創造の主人
4.再創造の主人
日付:二〇〇三年八月十五日
場所:韓国、ソウル、リトルE/span>エンジェルス芸術会館
行事:「二〇〇三世界平和のための頂上会議」
尊敬する元E/span>現職の国家元首、イスラエル圏の指導者および青年学生の指導者、そして紳士淑女の皆様。暗く暗鬱だった先の世紀を跳び越え、新しい夢と希望によって新しい千年紀を祝福してくださった神様に、まず感謝を捧げる次第です。今この瞬間にも、民主と共産の先鋭な対決が続いている、地球上で唯一の国家である大韓民国に皆様を招請し、このような大会を開催したのは、個人的に見れば、この国が私の祖国だからでもありますが、神様の摂理から見れば、この小さな韓半島が人類平和を創出しなければならない二十一世紀の中心国家だからです。
私は、きょう「再創造の主人」と題して、神様の摂理に対する皆様の理解を助け、またこれから平和世界を創建しなければならない私たちの使命と責任が、どこにあるのかを明らかにしようと思います。
尊敬する貴賓の皆様。今私たちが身を置いているこの時代は、摂理的大革命時代です。すべての国家と宗教は、これまでのような生活様式を越えて、今から新しい摂理観のとおりに生きなければならない実践的な生活の内容があることを知らなければなりません。この地上界だけではなく、霊界、すなわち私たちが肉身を脱いだのちに入っていって暮らさなければならない死後の世界も同じです。
私が新たに任命した平和大使の数は、全世界的に既に数万人に達しています。新しく任命された平和大使たちは、時折、「私たちはどのように生きなければならないのか」と尋ねます。統一教会が歴史を通して経てきたそのすベての道を公式的に歩むことによって、現在の霊界の実相と地上世界の統一的な内容が、すべて現実生活の中心的内容になっていることを理解して、その内容に合わせて生きてこそ、霊界と一体になることを確信しなければなりません。今からは、自分がその中で生きているという自信をもたなければならないのです。
レバレンドE/span>ムーンの語る内容は、過去も現在も変わっていません。新しい世界のみ旨のために、その内容のために生きるか生きられないかということが、理想天国実現の主役になれるかなれないかを決める原則なので、その原則に従って生きなければなりません。そのように理解して、今まで観念的な生活をしてきたとすれば、実際的な生活として、天国と霊界と肉界と一体化できる生活を、私たちの生活環境を越えて国家圏内にまで一致させてこそ、地上天国と天上天国が実現されるのです。
ある国の国民ならば、国民が生きてきたあらゆる伝統的な思想や観念を中心として考えてきたものを克服し、新しい次元で一体化できる基準を、今全世界的に新しく立てなければならないのが、天一国主人の立場だということを知らなければなりません。
レバレンド・ムーンが再創造摂理をしていくのに、神様の創造した世界をすべて失ってしまい、神様まで失ってしまった人類なので、堕落していないアダムの位置に責任をもち、神様が創造して失ってしまった世界を再びつくらなければなりません。恨の神様を幸福の神様へと解放してさしあげなければなりません。ですから、統一教会は、「神様王権即位式」と「天宙天地真の父母様真の愛平和統一家庭王即位式」まで奉献して捧げたのです。
今日まで神様は、手をつけることができなかった創造された全体世界に対する蕩減復帰を、真の父母様を通して完成しなければなりません。再創造の主人は神様ではなく、蕩減する主人も神様ではありません。それは、アダムの責任だったという事実を知らなければなりません。アダム一代で整備しなければならないのです。そのようにしなければ、神様が本来の理想を中心として出発したその本然の位置に立つ道がないので、全知全能であられる神様が、長い歴史を通して無能な神様の立場で苦労してこられたという無念な事実を、皆様は知らなければなりません。
神様の国と神様の生活圏が発展してきた個人時代、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙時代まで越えていくことができ、天上世界と地上世界を自由自在に往来できる解放された自分だということを自ら悟る皆様となり、神様までもお迎えしてさしあげなければなりません。そうして、神様の王宮から神様の国を創造して奉献しなければ、完成したアダムの使命は終わらないのです。天上世界のすべての聖人、賢人たち、地上世界のすべての聖人、賢人たちは、栄光の中で生きているのではありません。堕落以後、今に至るまで、その目標を中心として完成するために継続して努力しているだけではなく、解放された地上E/span>天上が一体となった真の愛の理想圏が実現される時まで、それが継続することを知らなければなりません。
皆様が地上でこの使命を完結できなければ、あの世に行っても、その完結できない限界内において、越えていくべき峰を前にして、修練過程を経なければならないのです。地上世界でこのような時を迎えるようになったことを天下の何よりも貴く思い、自分の国よりも、自分が現在生きている世界よりも、自分の愛と生命よりも貴い道を、私たちがすべて相続して転換するために、そのようなことをしていることを知らなければならず、現在の私たちの生活がどれほど貴重かということを知らなければなりません。
そのような天理を立てて神様を解放し、神様が創造して完成できなかったものを完成させなければならない責任が、神様にあるのではないことを知らなければなりません。その責任が神様にあるならば、アダムとエバを堕落するような状況に置くこともしなかったのです。堕落の責任がアダムとエバにあったということは、途方もない事実です。今まで人類歴史の中で、そのような内容を知った人が一人もいませんでした。
再創造の主人は、神様ではなく、皆様の家庭です。ですから、本然の国、天一国の主人である「私たちの家庭」が重要なのです。レバレンド・ムーンが若い青年の時に、このようなことをすべて悟り、そのような結論の上に統一教会という看板を掲げて現れたという事実を知らなければなりません。したがって、皆様もその本然の位置から新しく出発しなげればなりません。
尊敬する貴賓の皆様。レバレンドE/span>ムーンが家庭堂の創堂式で宣布したみ言の主要な内容は何か御存じでしょうか。婚姻届と出生届に関するみ言です。レバレンドE/span>ムーンの婚姻届ではなく、神様の婚姻届、神様の出生届のことを言っているのです。神様は、アダムと共に結婚式をすることができませんでした。婚姻式をすることができなかったのです。神様御自身が宇宙創造の主人として、アダムと共に出生届をすることができませんでした。誰のせいでできなかったのでしょうか。堕落したアダムのせいです。
それで、真の父母は、「神様王権即位式」を泰献してさしあげた土台の上で、神様を解放してさしあげなければなりません。自主的な立場で天地の微小なものから大きなものまで思いどおりに創造された神様が、堕落のゆえに、自由自在に自己主張できる天一国主人として出発できなかったという、その無念な事実を皆様は知らなければなりません。神様を解放できる再創造の解放圏を、アダムとエバとその家庭が滅ぼしてしまったので、アダムとエバの完成家庭は、神様の再創造の権限を、堕落がなかった本然の世界に返しさえすれば、一度にこの宇宙を新しくできるのです。ですから、皆様は、今から神様のみ旨の方向に従って、新しい家庭の信念をもって決心できるならば、万事が思いどおりに運ぶでしょう。
なぜ私にユダヤ教が必要で、なぜイスラームやキリスト教が必要で、なぜ統一教会が必要でしょうか。それは、怨恨の宿る堕落の結実体を一掃してしまい、真の父母であるレバレンドE/span>ムーンの手によって、解放された神様の本然の王宮圏から、天下のすべてが天国の王権の所有圏に復帰できるようにしているという事実を知らなければなりません。そのような内容を確実に知ったならば、皆様もきょうを新しい出発の日として定め、自信をもって責任を果たす、そのような信念をもった神様の息子、娘にならなければなりません。その次には、神様を中心とした家庭にならなければなりません。
皆様も天の側の政党の側に立って、今まで天を苦労させ、宗教圏を受難の中に追い込んだサタン側の政党に属した様々な国々を整理していこうと決心しなければなりません。私が暮らしたい本郷の地、故郷の地を建設するための主人にならなければなりません。万物にまでも真の愛を施す皆様にならなければならないのです。
万物、すなわち植物も動物も、再創造しなければなりません。彼らは、堕落ゆえに真の愛の相対圏を失ってしまいました。アダムとエバが十六歳になる時までは存在しましたが、それ以降は分割されてしまったのです。自分が失敗して世界全体を滅ぼしてしまったと考え、自分が責任をもって復帰しようというそのような祝福家庭であってこそ、天一国主人になるのです。
全人類が、地獄圏と天国圏、すなわち天上世界と地上世界の双子のように、同時に生まれた立場に立ったことを考えなければなりません。ですから、兄弟です。父と母が愛する兄と弟、そのような同位圏の家庭に入っていって体恤できる心情を感じることができなければ、皆様は、あの世に行って、王宮を中心に家庭完成をして生きることができず、その周辺ばかりを回り続けるそのような生活を、千年、万年繰り返すようになるのです。
皆様は、祝福を受けた新しい家庭の先祖として、純潔、純血、純愛の血統を残すために、すべての精誠を尽くさなければなりません。その峠を越えるために百回、千回死んだとしても、皆様には、死ぬ前に完結しなければならない家庭的責任があるのです。ですから、常に一心、一体、一念の精神でその道を行かなければなりません。神様が深刻な立場に立ち、統一教会を立てたレバレンドE/span>ムーンも深刻な立場に立ってその原則の道理と軌道をつくっておいたので、否が応でも、皆様も最善を尽くして走っていってこそ、目的地に到達できるのです。
新しい天国理念時代が訪れたので、つまり国家形態を皆様と皆様の祝福家庭の上に立てることのできる新しい時代が来たので、徹底して整備し警戒する心をもたなければなりません。天の創造理想的目的を成し遂げるのに不足のない天の王子、王女の家庭にならなければなりません。そうして、勝利の基盤を相続して神様に侍って暮らしながら、地上と天上で万年太平聖代の国、一つの文化、一つの世界、一つの兄弟、一つの家庭を拡大した家庭圏として帰らなければならないのが、統一教会の行くべき全体目的であることをはっきりと知らなければなりません。
イエス様は、蕩減復帰を終え、結婚して家庭を築き、イスラエル民族を一度に天国に従属させる祝福結婚をしてあげ、ローマまで祝福結婚をしてあげていたならば、四十代までに地上E/span>天上天国をすべて成し遂げていたのです。イエス様の命を奪った以降もイスラエルとパレスチナが継続して闘っているのです。兄弟が一つになれませんでした。そこにおいて一つの宗教、一つの文化圏、一つの国、一つの心情圏になっていなければならなかったのですが、その場に、ユダヤ教ばかりでなく、キリスト教が生じ、イスラームが生じたという恨めしい内容を知らなければなりません。
最近アメリカでは、十字架を除去する運動が展開されていますが、それが問題ではありません。イエス様の命を奪ったのです。真の父母の命を奪った罪は、人類が滅亡しても、イスラエルが千代、万代犠牲になっても、赦しを受けることができないのです。イスラエル民族は、罪の代価をすべて満たしたわけではありません。そうでなければ、どうしてヒトラーが、イスラエル民族をあれほど好きなように殺戮することができるでしょうか。罪の代価を蕩減する量が満ちていなかったので、天の承諾を受けてそのようなことが起きたのです。同じように、今日もそのような歴史的同時性の時代に入ってきています。
歴史的にユダヤ教とイスラームとキリスト教が分かれましたが、今や統一教会を中心として、ユダヤ教、イスラーム、そしてキリスト教が全世界的に一つになる同時性の時代が来たのです。蕩減復帰は、同時性圏によって完成されます。この時代は、世界的な同時性圏時代ではなく、天宙的な同時性圏時代です。ですから、再臨主は、メシヤであり救世主でなければならないのです。また救世主は、世界を平和の天国にしなければならず、その世界には、宗教的不和があり得ません。
再臨主というのは、最初に来た主人が定着できずに去っていったので、再び来る主人のことです。再び来て真の父母になり、地上世界と天上世界の解放圏を完成しなければならない歴史的な事実が、摂理史とともに綴られていることを人類は知らなかったのです。今はもうそのことを知ったので、皆様もそのまま実践躬行し、その峠を越えて神様の御殿に進み、天下を治める解放的理想圏に入っていくことができなければなりません。
天の国の大勢の高官から称賛を受け、すべての人が新しい国である天一国に入籍し、新しい国民として入っていかなければならない宿命的な課題が厳然として残っている事実を知らなければなりません。このような使命を完遂できずに死んで霊界に行けば、それが引っ掛かるのです。ですから、生きている間にすベてのことを清算するために、あらゆる至誠を尽くさなければなりません。
皆様の五官のすべてを百回、千回燃やしても越えていけないその道に、誤謬を残した自分の一生であり、摂理史だったという事実に、誰が責任をもつことができるのでしょうか。神様が責任をもつことができるでしょうか。神様は責任をもつことができないのです。神様が責任をもつことができるのであれば、アダムとエバを最初から堕落するように放ってはおかなかったのです。
再創造の主人は誰でしょうか。神様ではありません。皆様自身であり、皆様の家庭です。ですから、「天一国主人、私たちの家庭」というのです。神様がつくられた至極小さな動物から天上世界、大宇宙、すなわち太陽系の一千億倍を越える宇宙全体が、神様の愛の圏内において秩序的な存在としてペアE/span>システムになっています。これらすべてを、サタンが血を汚すことによって分けてしまいました。
したがって、真の父母が再びより分けて再創造しなければなりません。皆様も、神様の真の愛で植物を愛し、動物を愛し、地を愛して、真の主人になれなかった恨を解かなければならない解怨の責任があるのです。ですから、新しい人生観、新しい宇宙観、新しい天宙観が確立されるのです。本来は、家庭堂は必要ありません。神様を父母として侍って暮らす家庭が必要なのです。それができていないので、蕩減する過程において、どのようなことがあっても、それを成就しなければなりません。それで家庭堂を立てて、そのことを遂行しているのです。
神様が行きたいと思っていらっしゃるのですが、私たちが代わりに祭物になり、越えていける道を開拓する王子の中の王子であり、王女の中の王女であり、天地の孝子、忠臣、聖人、聖子の家庭に間違いないという自覚をもって行かなければなりません。そうして、神様の愛を受けることができ、神様の心情圏内に千年、万年とどまりながら、恨に満ちた神様と向き合うとき、面目がないと涙を流し、一身全体が血と汗で燃やされても足りないことを感じなければなりません。そのようにして行くのが天を訪ねていく王子、王女の道であり、責任を果たせなかった家庭が、その失敗の責任を免れるただ一つの道であることを知らなければなりません。
皆様自身を中心として、神様までも私が創造し、私が自らの手によって破壊したので、天の国と天の宮殿までも自らの手で再び建設し、その上で解放された神様と千年、万年暮らし、堕落していなかった家庭より、千倍、万倍の孝子、忠臣、聖人、聖子の家庭になると思えば、そこに地獄があり得るでしょうか。それ自体が天の国の王宮の中心部となって、神様が地上のどこにでもついて来て、王宮のようにお住まいになることができるのです。
レバレンド・ムーンも、この統一教会を立てて導いてきながら多くの苦労をしましたが、今までの苦労は、苦労ではありません。深く、広く、高く恵みを体恤し、それを感謝できる心情圏を体得する、そのような立場まで経てきたので、そのように感じることができたのです。その立場に立ってみたことのない人には分かりません。神様はレバレンドE/span>ムーンに誇るものがありません。神様の出発過程を解放し、神様が息子として愛する立場に立つことができなかったのです。それを取り戻し、神様を神様の位置に立て、すなわち神様を父の位置に立ててさしあげ、子女として愛を受けることができなければならなかったのです。ところが、子女が堕落することによって、そのようになることはできなかったので、それが人類の行くべき恨の歴史だったというのです。神様の婚姻届、神様の出生届をしなければ国がありません。
真の父母様の生涯も、やはり恨の路程でした。真の父母は、神様と同じ価値基準で歴史性を帯びて摂理してきたので、今後世界がその内容を知れば、毎日のように痛哭するようなことが起きるでしょう。ちょうどイスラエル民族が嘆きの壁で涙の悔い改めをしているのと同じように、痛哭するというのです。この道を越える恨の解放圏を備えなければなりません。
ついに神様が天地をすべて解放し、結婚式ができる時代圏に入ってきました。神様が婚姻届をしたので、その息子、娘たちも出生届ができるのです。神様が、第一イスラエル、第二イスラエル、第三イスラエルの三代圏を越えて、それができるようになることによって、神様が本然の位置に戻られるのです。
今や皆様は、天地父母であられる真の父母様の勝利圏の上で、結婚届と出生届ができる二つの権限を、完全に相続できるようになりました。そのように暮らすことを決意して、寝ても覚めても忘れずに一心、一体、一念、一和の生活をする天一国の民となれば、天の国の皇族になることは間違いないという事実を信じて実践してくださることをお願いします。
選民圏を代表した第一イスラエルの「エルサレム宣言」、第二イスラエルの「ワシントン宣言」、そして第三イスラエルの「ソウル宣言」の発祥の地となる鮮文大学の現場において開催された「ラステイングE/span>ラブE/span>コンファレンス」に参加した二世圏の指導者の皆様、そして、「ソウル宣言」に参加するため、きょうこのリトルE/span>エンジェルス芸術会館の大劇場に席を共にしてくださった一世圏の世界の指導者の皆様に、深く感謝申し上げる次第です。
皆様は今後、天の選民圏を受け継ぐ一世と二世の指導者です。ぜひとも、皆様全員が一体になり、国連の刷新とともに、新しい「アベル国連」の再創造のための歴史的な聖業に召命されて、きょうこの「ソウル宣言」の現場に立っていらっしゃることを、心に刻んでくださるようお願いいたします。このすべてを神様に感謝しながら、参席者の皆様の家庭と皆様の国に、神様の大きな祝福が共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。
5.メシヤと真の父母
5.メシヤと真の父母
日付:二〇〇四年一月二十七日
場所:韓国、ソウル、新羅ホテル
行事:「超宗教超国家平和協議会」創設記念および真の父母様御聖誕祝賀晩餐会
世界各国からお越しの高名な指導者、尊敬する国内外の貴賓、そして紳士淑女の皆様。この場は、きょうで八十四回目を迎えた私と、韓鶴子総裁の誕生日を祝賀するために設けられた晩餐会場です。しかし、私たち夫婦は、今晩自分たちがお祝いを受けるよりも、ここに席を共にしてくださった霊界の聖賢たちと霊界の祝福家庭、そして「世界平和のための頂上会議」に参加された皆様にこの晩餐をもてなしたいと思います。
皆様は、ここ数日間、「世界的危機に対する地球村次元の統治」というテーマのもとで、多くの討論と会議をされたことと思います。皆様の汗と情熱が結集され、日増しに危機へと向かう今日の世界に、新しい希望と夢を植えつける契機になると思います。もう一度、このように私たち夫婦の故郷韓国に来られ、大望の天一国四年を共に開いてくださったことに対して、深甚なる感謝をお捧げします。
今晩私は、八十有余年の生涯をかけて、天のみ旨のみを伝えて生きてきた伝統に従い、「メシヤと真の父母」という題目の天のメッセージを伝えることによって、挨拶の言葉に代えさせていただこうと思います。人間は本来、神様の子女として創造され、神様の子女として成長し、神様から祝福結婚を受けた家庭となり、子孫万代、罪のない善の血統の子孫たちを繁殖させなければならない運命をもって生まれました。人類の始祖アダムとエバは、神様を縦的真の父母として侍り、真の父母であられる神様を軸として横的実体の真の父母にならなければなりませんでした。その世界は、メシヤという言葉が存在する必要のない世界になっていたでしょう。その家庭は、創造本然の理想家庭になっていたのであり、その世界は、神様の創造理想が完成した地上天国になっていたでしょう。そのような世界で暮らして肉身の生を終えれば、人間は誰もが自動的に天上天国に入籍し、永遠無窮に自由と平和と幸福の世界で暮らすようになっていたのです。
しかし、不幸にも、人間始祖の堕落によって、人類は、抜け出すことのできない絶望の奈落に落ちてしまったのです。霊的五官を通して神様と直接通じながら暮らし、肉的五官を通して万物を自由自在に主管し、それと同時に霊界と肉界を代表した真の主人、真の父母、真の王にならなければならなかったのです。
しかし、彼らは、堕落によって霊的五官が完全に麻痺してしまい、目は開いていても見えない、そのような立場に転落してしまいました。肉的五官にのみ頼って生きなければならない片側だけの人間になってしまったのです。父母である神様を見ることも、その声を聞くことも、感じることもできなくなったので、どうして父母の愛を知ることができ、その事情を知ることができるでしょうか。
本来、神様が占有する真の父母の位置に、サタンが押し入ってきて、偽りの父母の振る舞いをしながら人類を徹底的に拘束し、奴隷にしてしまったのです。したがって、今日私たちがもっている愛、生命、血統はすべて、サタンがアダムとエバに蒔いた偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統を受け継いだものにならざるを得ないのです。このように直系の子女として生まれた人類が、サタンの偽りの血統を受け、僕の僕の位置に転落してしまったという事実を御覧になった神様の苦痛は、どれほど大きかったでしょうか。
しかし、原理原則の神様は、御自身の立てられた創造原理と創造理想を自ら破ることはできないので、数千、数万年の復帰摂理を通して、救世主メシヤを待ち続けてこられたのです。宗教によって、それぞれ異なる名前で呼ばれていますが、その名前が弥勒仏であろうと真人であろうと救世主であろうと、人類が必要とし、神様が求めてきた方は、真の父母であられるメシヤお一人だったのです。そうだとすれば、メシヤは誰であり、どのような人でしょうか。個人はもちろん、家庭、氏族、民族、国家、世界と天宙まで歩み、信仰と希望と愛の実体として立つことができる主人です。そのような方をメシヤとして侍ることができる時に、はじめて人類歴史上に残っている信仰が結実されるのであり、希望が結実されるのであり、愛も結実されるのです。
その結実体には、人類歴史が息づいており、私たちの過去、現在、未来が連結されています。人間はもちろん、天とも連結されています。メシヤは、堕落によって父母を失い、天涯の孤児になってしまった人類のために来られた、実体の真の父母、真の主人、真の師、真の王になる方です。偽りの父母のもとで苦痛を受け、呻吟していた偽りの子女たちを、真の子女として取り戻して立てるために来られた真の愛、真の生命、真の血統の実体であられるのです。
皆様。二千年前、天はイエス様をメシヤとしてこの地に送られました。父母を失った子女たちを再び抱き、天のみ前に復帰させるために来られた方が、正に真の父母であられるイエス様でした。アダムとエバは、堕落によって真の父母の位置を失ってしまい、真の夫婦にもなることができず、真の子女をもつことができなかったので、神様に三代圏の血統、すなわち孫と孫娘を抱かせてさしあげることができなかったのです。
したがって、神様は、再び数千年間準備し、選民として立てたイスラエル民族を通して、救世主でありメシヤであるイエス様を送られたのです。歴史上、初めて一つの国の主権と国土と民を立て、その基盤の上に、全世界をサタンの偽りの血統から復帰させ、真の善の血統へと復帰するための闘いの総司令官として来られた方がイエス様だったのです。
しかし、立てられたユダヤ教とイスラエル民族の不信によって、イエス様は、無念にも十字架によってその一生を終えてしまったのです。真の父母となって真の子女をもち、王の王として即位されなければならなかったメシヤが、神様の祝福を通じた真の夫婦の位置まで行けなかったことによって、真の父母になることができなかったことはもちろん、真の子女を繁殖することもできずに、十字架で亡くなってしまったのです。
ヨハネの黙示録にある「小羊の婚宴」は、正にメシヤが新婦を迎えて真の夫婦になる儀式を意味するのです。その当時、もしイスラエルとユダヤ教がイエス様を敬い侍っていたならば、神様が望まれた創造本然の世界、すなわち平和の天国は、その時に既にイエス様の血族を通してこの地上に成し遂げられていたのです。
このように、二番目のアダムとして来られたイエス様の真の父母の摂理は、選ばれた人たちの不信によって途中で挫折し、人類は、再び再臨のメシヤを待たなければならなくなってしまったのです。
真の父母の使命を受けたレバレンドE/span>ムーン
皆様。しかし、天は、真の父母の愛によって、かわいそうな人類に再び恩寵を施してくださいました。二千年間のキリスト教の歴史を通して、イエス様を中心とする霊的復帰摂理を展開してきた基台の上に、再臨のメシヤの顕現を祝福されたのです。再臨されるメシヤは、真の父母の使命を完成しなければならないという途方もない重荷を背負って来られます。その方は、何よりも先にサタン圏に勝利し、その次には、霊界圏までも勝利しなければならない使命をもってこられました。肉身の五官では感知できないサタン界と霊界圏を相手に、生死をかけた闘いに勝利し、最後には、悪魔サタンを屈服させることはもちろん、霊界の数多くの道主と教主までも屈服させなければならないのです。かといって、強制してできるものではありません。神様の人格と真の愛を中心として、宗教と宇宙の根本を明らかにし、彼らを納得させ、自然屈伏させるのです。
このような途方もない真の父母の使命を受けてこの世界に現れた人が、正にこの場に立っているレバレンド・ムーンです。「真の父母」という単語は、世の中のいかなる百科事典にもありません。レバレンドE/span>ムーンが作り上げた言葉でもなく、世の中の誰かがつけてくれる名前でもありません。神様が私たち夫婦に下さった天命であり、祝福なのです。
真の父母の位置は、救世主、メシヤ、再臨主の総体的な使命を負わなければならない、歴史上空前絶後の責任をもつ位置です。したがって、いまだに堕落圏に属している人類には、真の父母に侍り、天のみ旨を成就するにおいて必要ないくつかの条件があります。
第一に、蕩減革命を完成しなければなりません。すべてのものを捨てて真の父母に侍り、従っていかなければならないという意味です。友を捨て、師を捨て、さらに自分の父母までも捨てて、真の父母に従わなければなりません。総生畜献納の基準を立てた時にこそ、天は再び私たちに祝福と恩寵を許してくださるのです。サタン世界とのすベての因縁と関係を、少しの人情ももたずに無慈悲に除去し、完全に零点に戻って天地開闢の新しい出発をしなさいという意味です。
第二に、良心革命を完成しなければなりません。すなわち、この世の中のいかなる主権や理念を前にしても、一点一画も加減することなく、神様が賦与してくださった本心の指向性に従い、真の愛、真の生命、真の血統の伝統を守りなさいという意味です。天のみ前でも、万物の前でも、一点の恥ずかしさもない「正午定着」的な生を生きなければならないということです。
私たちの生が、一心、一体、一念、一核の境地に到達し、純潔、純血、純愛の「性」を永遠不変の伝統として安着させ、一和統一時代を花咲かせるとき、初めて良心革命は完成するのです。
第三に、心情革命を完成しなければなりません。神様が訪ねてこられて、すべてのことを共に相談し、共に暮らしたいと思われる真の愛の世界を完成しなければならないのです。言い換えれば、心情革命は真の愛革命です。「ために存在する」という万古不変の真の愛の実践を意味するのです。私たちが他のために生きることを考えてみてください。真の愛の根源であられる神様が、正に私たちの中にお住まいになり、私たちのために生きられるようになるのです。私たちにとって、これ以上の喜びと栄光がどこにあるでしょうか。心情革命が完成したところでは、家庭破綻、人種間の紛糾、国境紛争、そして宗教的摩擦のようなサタン世界の残滓は、見いだすことができなくなるのです。永遠の平和王国が建てられるというのです。
尊敬する貴賓の皆様。私たち夫婦は、平和世界をこの地上に創建しなければならないという天命を完遂するために、去る一九九六年、統一教会の看板を下ろし、「世界平和統一家庭連合」として新しい出発をしました。天のみ旨は、真の家庭を根本とする人類平和にあるのであって、ある特定の教会や宗教の定着にあるのではないからです。
私たちは、過去数十年間、超宗教超国家的次元で多くの活動をしてきました。そのような土台の上に、二〇〇三年十月三日には、アメリカのニューヨークにおいて「平和国連」を創設し、世界平和の具現に向かって力強く飛躍し始めました。世界の至る所で、レバレンドE/span>ムーンの宣布に従い、教会の十字架を外す運動が燎原の火のように広がっています。数千人の聖職者たちが、中東紛争の震源地エルサレムに雲霞のごとく集まり、超宗教超国家的次元の平和大行進を行っています。
二〇〇三年十二月二十二日には、大勢のユダヤ教、キリスト教、そしてイスラームの聖職者が、手に手を取って平和を謳歌し、イエス様を王の王として推戴する戴冠式を執り行いました。二万人以上が結集するエルサレムの独立公園において起きた奇跡です。イエス様の恨が解かれる日であり、真の父母様の勝利が天上天下に宣布される日でした。
皆様。私たち夫婦に賦与された真の父母の使命が天命だとすれば、今から私たちと手をつなぎ、この地球村に平和の天国を創建しなければならない皆様の使命もまた天命なのです。今や、天の時が訪れました。燃える希望を心の中に抱いてお帰りになり、皆様各自がメシヤとして、また真の父母として世界平和を具現する働き手となられることをお祈りいたします。ありがとうございました。
6.摂理史観から見た価値観的和合と超宗教E/span>超国家圏の解放と安着
6.摂理史観から見た価値観的和合と超宗教E/span>超国家圏の解放と安着
日付:二〇〇四年十月二十六日
場所:アメリカ、ニューヨーク、ライE/span>ブルックE/span>ヒルトンE/span>ホテル
行事:アメリカ四大都市特別巡回講演
尊敬するアメリカと全世界の宗教界、政治界、言論界、そして学界の指導者の皆様。私は、きょう万感の思いでこの場に立ちました。かつて、摂理の国であるアメリカのキリスト教を覚醒させ、他宗教を糾合して世界救援の足場とする天命に従ってこの国を訪れたのですが、既に三十四年の歳月が流れました。
皆様の中には、私のアメリカ到着時の最初の警告メッセージを、今でも記憶している方がいらっしゃることと思います。「レバレンドE/span>ムーンは、この病めるアメリカを手術するために、そしてアメリカの火事を消すために、この国に訪ねてきた」と堂々と天上天下に宣布しました。
一九七〇年代初頭、摂理の国であるアメリカの二十一主要都市で「希望の日」の巡回講演を通して、私は二億七千万のアメリカ国民に大覚醒を促しました。アメリカから神様が離れていらっしゃることを警告したのです。白昼に横行する殺人と強姦、白人と黒人の人種間の紛争、青少年の堕落、極度の利己的な個人主義の拡散、共産党問題、宗教間の対立と葛藤など、これらの問題を清算し、新たに生まれ変わらなければ、この国に希望はないことを、はっきりと警告しました。
そして、このような問題の解決策は、政府や学校で見つけ出せるのではなく、まず心ある宗教指導者たちが一つになり、超宗教E/span>超国家的に力を合わせなければならないということを叫びました。それから三十有余年が過ぎた今日のアメリカは、どのような姿になっているでしょうか。私がこれまで、アメリカをつかみ、世界平和を実現するために、どれほど多くの汗と涙を注いだかということは、神様だけが御存じです。
きょう、この場に参席された皆様が、正に私の汗と涙の結実として選ばれた方々です。しかし、アメリカには、まだ険しい道が残されています。レバレンドE/span>ムーンは、アメリカ人ではありません。私は、既に天の指示を受け、祖国復帰のために、韓国に場所を移して天の摂理を進めています。
今、この国の将来は、皆様のような良心的な指導者の手にかかっています。どこの誰が皆様の国を救ってくれるのでしょうか。アメリカの将来に対して、夜眠ることもできずに心配し、犠牲までも甘受しようと立ち上がる政治家や思想家に、どこで出会うことができるでしょうか。ここにお集まりになった皆様以外にはいません。皆様が奮い立ち、二億七千万のアメリカ国民を導く機関車にならなければならないのです。
そのような意味で、私はきょう、「摂理史観から見た価値観的和合と超宗教E/span>超国家圏の解放と安着」という題目で、天がこの時代に下さった新しいみ言の一端をお伝えしようと思います。どうぞ、このメッセージを胸深く刻み、今からは、この国アメリカと人類のために、皆様が行くべき方向と目的を設定する価値観として考えてくださるようにお願いします。このメッセージは、単に皆様とアメリカだけのものではなく、六十億人類、そして全霊界にまで宣布する「召命的天命」であり、選択の余地のない絶対的真理の新しいみ言です。
皆様。神様が人間を創造された目的は何でしょうか。全知全能であられ、遍在される神様も、独りでいることを願われなかったので、まず天宙を人間のための環境創造の一環として創造され、その基盤の上に、御自身の絶対愛の対象として創造されたのが、正に人間です。神様は、その対象である人間が神様御自身よりも立派で偉大な存在になることを願われたので、人間を御自身の子女として造られたのです。世の中でも、父母は、子女たちが自分たちよりも成功し、立派になることを願うではありませんか。これはすべて、神様が祝福として下さった父母の伝統的愛なのです。子女として造られた人間が成長して完成し、神様から祝福結婚を受け、真の愛、真の生命、真の血統の結実となる真の子女を繁殖して、真の家庭において、真の永遠の理想天国を成し遂げて生きる姿を見て喜びを感じることが、神様の創造目的だったのです。
真の愛の主人になる道は、まず相対のために自分を徹底的に犠牲にし、投入して忘れる真の愛の実践を通して開かれるようになります。神様が人間を創造される時も、先に御自身が絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準を立て、その上で一〇〇パーセント投入されたのです。絶対相対圏を絶対価値圏として立てるのです。真の愛の主人は、独りで成就するのではありません。必ず対象を通して成就されるのです。
そして、この絶対的価値圏の真の愛の原理の前では、神様も同じなのです。子女がいなければ、永遠に父母が真の愛の主人になることができないように、神様御自身が絶対愛の主人の位置に立つためには、その相対圏である人間を御自身の真の子女として、絶対愛の価値圏に立てなければならなかったのです。そうして、絶対主体と絶対対象の価値観が生じて、完成するのです。
宇宙の秩序を見ると、大きいからといって無条件に小さいものを犠牲にして取り込むようにはなっていません。そのような点から見るとへレニズムに基づいた弱肉強食による「適者生存」の理論は、根本的に間違っています。ために存在し、真の愛で投入して忘れる、絶対服従の対象として、主体的な真の愛の主人として完成させようとする絶対価値観を、彼らは見落としているのです。
また、真の愛を排除すれば、闘争概念だけが残るようになります。しかし、神様の「創造原理」は、闘争による生存と発展ではありません。主体と対象の関係の中で、相互授受作用をしながら、絶対価値観に向かって調和統一を追求する「原理」です。小が大のために犠牲になったとしても、それを闘争と見てはいけないということです。相互発展のための投入と見なければなりません。
個人は家庭のために、家庭は国家のために、そして国家は世界のために生き、犠牲を甘受することが、どうして闘争と言えるでしょうか。このように絶対的価値圏は、先に互いが相手を真の愛の主人格として立ててあげる、そのような真の愛の完成を成就させるためのものなのです。
したがって、私たちの生活の中で、利己的で個人主義的な思考や行為は、徹底してその根を絶やさなければなりません。これは、堕落性の根のようなものであり、あらゆる悪の原因を提供しています。個人的次元の利己主義的行動や集団個人主義的行為も同様です。それは、真の愛の絶対価値観の精神とは正反対の道です。他のために犠牲になって与える代わりに、自分のために人を犠牲にし、自分の利益ばかりを追求することは、破廉恥な行為です。それは、堕落によって引き起こされた人間の心と体の闘いの中に、巧妙に入り込んだサタンが人類に植えつけた毒きのこなのです。
一身の栄達と慰安のために、「目には美しい」からといって、一度、自由行動を取ってしまえば中毒にかかり、一生、苦労しても抜け出すことが困難な悪の計略であり、罠です。私たちの体を見ても、自由に「自分のもの」であると主張できる部分は一つもありません。
父母の愛によって生まれた私たちは、九九E/span>九九九パーセントが母親の血と肉と骨です。残りの〇.〇〇一パーセントは、父親の精子と見なければなりません。そこで私たちが、どうして「自分のもの」と主張することができ、利己的な個人主義に対する名分を見いだすことができるでしょうか。私たちの四肢五体は、すべてが母親の延長だという事実を認めなければなりません。すなわち、私たちの体のあらゆる要素は、既に父母の精子と卵子に包含されていたのです。誰彼を問わず、例外がありません。
「前」と「後」について考えてみてください。「前」という言葉自体が、既に「後」を先有条件として認めているものであり、また「上」という言葉も、「下」を先に認めてこそ成立する言葉であり、「左」と言うときは、「右」を前提として語る言葉なのです。同じ論理で、「男性」という言葉も、「女性」という存在が先にあって成立するものです。
すなわち、男性は女性ゆえに生まれたのであり、女性は男性ゆえに生まれたのです。男性がいなければ女性は必要ありません。同じ脈絡で、女性がいなければ、男性は存在価値がないのです。結局、自分のためにのみ生まれたものは一つもないということです。あらゆる存在物は、相対のために存在し作用するのです。相対的関係によって理想郷に向かうように創造されたという意味です。
また、人間の五官について考えてみてください。皆様の目が、目そのものを見るために生じましたか。目、鼻、耳、口、手、すべてが相対のために生まれました。そうだとすれば、この五官を総動員して生命を維持し、活動を継続させるその力とは何でしょうか。それは、真の愛の価値観を完成させようとする力です。私たちの五官は、真の愛の実践のために生じた必要な道具にすぎません。このように、自分のためにのみ生まれたものは一つもありません。
ですから、ために生きて徳を施し、愛で犠牲になり、服従で愛の主人を完成させる人生こそが、神様の創造理想にかなう生き方なのです。私たち人間は、相対のために創造されたので、当然、相対のために生きてあげるのが天理です。ここから真の愛の絶対価値が創出されるのです。
神様は、エデンの園に人類の始祖であるアダムとエバを創造されながら、彼らに生殖器を共に許諾されました。何のためだったのでしょうか。彼らが成長して完成すれば、彼らを結婚させ、罪のない真の子女を繁殖するようにして、御自身の創造理想である地上天国を、アダムの代でこの地上に完成しようとされたみ旨があったのです。
しかし、問題は、アダムとエバの堕落にありました。彼らの堕落によって、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統が生じてしまいました。神様の愛と生命と血統を保全して伝授すべき彼らが、反対にサタンの血統を受け、サタンの血統を伝授する存在に転落してしまったのです。したがって神様は、無価値的な存在となった彼らを、エデンの園から追い出さざるを得なくなりました。
本来、地上世界で、アダムは神様の体となり、エバは新婦にならなければならなかったのですが、堕落によって自分たちの心と体と理想が病に冒されるようになり、怨讐になってしまったのですから、そのような悲惨な状況を見つめられる神様の心情は、どれほど悲痛だったでしょうか。堕落は、自らを地獄へ葬り去る行為です。人のものをも奪っていく盗賊行為です。堕落は、フリーセックスの根となり、利己的な個人主義の祖になりました。
今日、皆様が身を置いている周囲を一度、見回してみてください。極度の利己的な個人主義、度を越えた私生活の追求、そして、青少年たちにフリーセックスの風潮が蔓延しています。洋の東西を問わず、家庭の尊厳性と価値を弊履のごとく投げ捨てて、肉身の享楽を追い求め、挙げ句の果てに、麻薬中毒者やエイズ患者になって、悲惨な姿で人生を終えているではありませんか。人間の本心は、極度の個人主義や肉身の快楽だけを追い求めるという、とんでもない放蕩の道は願いません。「宇宙と国家、町や近隣、そして家庭において、父母と兄弟の愛を受けながら暮らしたい」と思うのが、天が与えた本心の指向する人生です。
しかし、それとは正反対の道を突き進んでいるので、良心は燃え尽きてしまい、本心との相克を感じるようになり、かえって薬を飲んで自殺する道を選ぶ事件が日に日に増えているのが、今日の現実ではないですか。「自分のまいたものを、刈り取る」という歴史的教訓が、ぴったり一致していることを目撃するのです。
アダムとエバがエデンの園で何の種を蒔いたのでしょうか。フリーセックスの種、すなわち不倫の性関係による種を蒔きました。それで彼らは、堕落直後に下半身を覆ったのです。したがって、秋の収穫期である「終わりの日」には、青少年たちの間にフリーセックスの風潮が世界的に蔓延する現象が必ず現れるのです。サタンは、無秩序な性関係を通して、誰一人として神様のみ前に帰ることができないようにしようと発悪するようになるのです。全人類をめちゃくちゃにして、地上地獄をつくることがサタンの目的だからです。
皆様。幼い子女たちも、親がしまっておいたお菓子をつまみ食いしているところを見つかれば、手を隠し、口を隠すのが本能の作用です。もし、アダムとエバが善悪の実を取って食べたとすれば、罪を犯した手や口を隠さなければならないのに、なぜ下半身を隠したのかということです。これだけを見ても、堕落は淫乱によって行われたことを否定できないのです。血統関係による問題だけに、神様もどうすることもできない悲劇でした。
皆様。天国と地獄は、どこで分かれるのか御存じでしょうか。空中でしょうか、礼拝堂でしょうか、国家でしょうか。違います。正に皆様の生殖器が、天国と地獄を分ける境界線になったのです。それが、天地をひっくり返す、人類歴史上、最大の悲劇を引き起こしてしまいました。
目の見えない人のように方向を失ったまま、むやみに生殖器を使えば地獄行きであり、反対に、これを神様の絶対愛の価値基準に合わせて使うようになれば、自動的に天国に行くのです。どこの誰がこの事実を否定できるでしょうか。
疑問が生じたのであれば、私が天理を記した『原理講論』を熟読し、それでも疑問が解けなければ、天にすがって祈祷してみてください。必ずその答えを得ることができるでしょう。レバレンドE/span>ムーンの教えを受け、今では、世界の数千、数万の若者たちが、フリーセックスを撤廃して、絶対「性」、すなわち絶対愛を主唱する純潔運動が燎原の火のように広がっています。フリーセックスが、自己の欲望とサタンを中心とする偽りの愛である反面、絶対愛は、神様を中心とする真の愛なのです。
今までは、多くの文学作品や言論媒体が、歴史的にフリーセックスを刺激し、あおる傾向にありました。しかし、これからは、政治家、経済人、文人、言論人、宗教人、哲学者など、あらゆる分野の指導者たちが、一斉に先頭に立ち、人類の亡国の病、フリーセックスを追い出さなければなりません。
世界平和のための礎石を据えるのも、真の愛の絶対価値観を創出するアダムの家庭であり、世界平和への道を破壊するのもアダムの家庭です。ですから、始祖となるアダムの家庭が重要だということを銘記しなければなりません。私が「世界基督教統一神霊協会」の看板を下ろし、「世界平和統一家庭連合」の看板を掲げたことも、今や時が訪れたからです。
地獄となってしまったこの世界を、果たしてどのような方法で変えることができるでしょうか。真の愛を中心とした和合統一の実践だけが絶対価値観を取り戻す唯一の道です。真の愛の主人である神様の属性は、永遠、不変、唯一、絶対的な基準に立っているので、私たちもこれに見習って生きなければなりません。
皆様。家庭はなぜ良いのでしょうか。それは、父母の真の愛を中心として、本然の自由活動の基地になっているからです。見た目にはどんなにみすぼらしくても、輝く真の愛の核をもつ心情で結ばれた人たちによってつくられた本然の家庭になったとき、人間はもちろん、神様までも自由を感じられるのです。真の愛が欠如した自由は、決して真の自由ではありません。
私たちがある家に客として行ったとき、不自由さを感じるのは、まだその家と深い真の愛の関係を結ぶことができていないからです。すなわち、真の愛の関係が四方性を備えていないので、ぎこちなく、不自由さを感じるのです。そうだとすれば、本然の家庭で最高最上の価値とは何でしょうか。本然の父母です。本然の父母はなぜ良いのでしょうか。永遠の真の愛の主体だからです。
真の愛を中心に、一生の間、関係を結ぶことができる最も近い位置にいらっしゃる方が、正に本然の父母です。私たち人間が生まれて、最初に喜びを与え合う相対が本然の父母です。したがって、本然の父母は、私たちの喜びの主体であり、また対象でもあるのです。私たちがうれしいとき、一番先に喜んでくださり、私たちが悲しいときも、誰よりも先に悲しみの涙を流される方が、本然の父母です。ですから、世の中では、父母のいない子を孤児と呼び、孤児はかわいそうな人として扱われるのです。
そして、二番目は、愛する夫と妻が、本然の家庭において最も貴い価値のある存在になるのです。夫と妻は、条件的な愛ではなく、無条件的な本然の真の愛を与え合う夫婦でなければなりません。
たとえ初めから、天が与えた絶対的で永遠の次元の真の愛の関係をもって始まった愛ではないとしても、夫婦という絶対的次元の関係を土台とした相対関係で結ばれた本然の真の愛になれば、その真の愛こそが、家庭に幸福と喜びをもたらす根幹になるのです。
しかし、このような理想的本然の夫婦関係が、夫婦関係それ自体だけで終わるならば、絶対的価値を内包した永遠な幸福と喜びになることはできません。夫婦には、必ず本然の子女がいなければならないという意味です。「夫婦二人だけで幸福に暮らそう」と考えて子女を生まなければ、人類は、二代を越えることができずに絶滅してしまうでしょう。本然の子女から戻ってくる真の愛を受けて生きることができてこそ、真の夫婦として、本然の父母の位置まで上がっていくようになるのです。
ですから、その次に貴く重要なものが、本然の父母のための子女の真の愛なのです。絶望ではなく、あすの希望として芽生える理想的な環境を慕いながら、明るく肯定的な姿勢で、子女が本然の父母のために犠牲になり、真に愛すれば、その愛は、家庭の幸福のための純粋で真実な価値としての本然の真の愛になるのです。
このように、本然の家庭において三代圏を形成し、本然の父母による子女のための犠牲的な本然の真の愛と本然の夫婦間の真の愛、そして本然の子女による本然の父母のための真の愛が完璧に具備された本然の家庭があるならば、その本然の家庭は、人間世界で最も理想的な真の家庭になるのです。
世の中では、どのような人を幸福な人だと言うでしょうか。何をもって幸福の基準とするのかということです。外的にほかの人がもつことのできない能力や権勢をもっているからといって、幸福な人でしょうか。皆が羨むほど、たくさんのお金をもっていれば、幸福なのでしょうか。世界的な碩学となり、万人が羨む位置に上がったからといって幸福なのでしょうか。
絶対に違います。いかなる外的な条件も、人間の幸福を永遠に保障することはできないのです。幸福を求めていく条件にはなるかもしれませんが、幸福それ自体になることはできないということです。結局、真の愛で一つになった本然の父母がいて、真の愛で結ばれた本然の夫婦がいて、父母に孝行する本然の真の子女がいるとき、その家庭において真の幸福は始まるのです。
皆様。天国はどのような所でしょうか。神様の「創造原理」によれば、天国は、先にこの地上世界で完成されなければなりません。本来、人間は、肉身をもって地上で天国生活をし、その肉身を脱げば、自然に霊界の天国に移動して永生するように創造されたのです。
そうだとすれば、私たちが創建すべき地上天国は、どのような姿でなければならないのでしょうか。その答えは遠くにあるのではありません。本然の家庭と天国は、その形が同じなのです。基本的に、家庭には本然の父母がいて、本然の夫婦がいて、本然の子女がいて、本然の兄弟姉妹がいます。その家庭が真の愛を中心として一つになれば、和合と統一は自動的に訪れるのです。その基台の上に、真の愛と真の生命と真の血統が連結され、理想の目的も可能になるのです。
本然の祖父母は、本然の父母に真の愛の伝統を相続させてあげることができなければならず、本然の父母は、本然の子女に同じ真の愛の生を譲ってあげることができてこそ、真の本然の家庭であると言うことができるのです。
本然の兄弟姉妹の間においても、祖父母と父母に似て、お互いにために生きる生活を実践する真の愛の本然的関係が形成されるとき、その家庭は天国家庭になります。その中でどれか一つが欠けても、本然の家庭単位の天国は不可能です。夫婦の間で、互いを愛する以上に父母を愛することができなければならず、父母を愛する以上に祖父母を愛することによって、真の愛の価値観を中心とした伝統が立つのです。
本然の家庭が天国の典型であると述べました。したがって、本然の父母は、国家の主人のような立場に立つようになり、本然の子女は、国民のような位置に立つようになり、万物は、国土に代わる位置に立つのです。
このように、天国の起点は、個人ではなく、国家や世界でもなく、正に家庭なのです。私たちの愛する家庭がそうであるように、天国は、一度行ったら二度とそこから出たくないと思い、数百回、数千回会っても、また会ってみたいと思うようになる、愛する人々が暮らしている所です。万人が共通して行きたいと思う本然の故郷です。
しかし、そのような天国は、一度にできるのではありません。時代が変わって天運が共にあるからといって、棚からぼた餅式に天国が私たちの目の前に現れるわけではないのです。私たちは、まず天国家庭をつくることができる人格者にならなければなりません。言い換えれば、個人完成を成し遂げなければならないのです。個人完成を通して真の人格者になるためには、心と体の調和統一を完成しなければなりません。
本来、人間は、心と体が一体になり、何の相克も不和もなく生きるように創造されました。主体である心に対象である体が絶対服従し、渾然一体となって生きるように造られたのです。しかし、人類の始祖アダムとエバの堕落によって、すべての人間は堕落の後裔として生まれ、堕落性を受け継いだので、仕方なく心と体の相克の中でもがいて生きているのです。
歴史上、誰一人として心と体の一体を完成して生きた人はいません。人類を救おうとされる神様の救援摂理は、休むことなく継続されてきましたが、個人完成を成し遂げ、心と体の闘いから解放された人がいなかったのです。数えきれないほど多くの人々が、深い山中に穴蔵をつくり、一生をかけて祈祷と苦行で死闘をしても、その闘いから自由になった人はいなかったというのです。
その理由は簡単です。歴史上、今まで誰もその方法を知らなかったからです。いかなる道人や哲学者も、この心と体の闘いだけは止めることができませんでした。個人的に志を立てて、修行の道を歩んだからといって、得られる答えではないからです。天の摂理を理解して召命を受け、神様が数千年間、進めてきた復帰摂理を完成させることができる段階にまで進み、天と地が共に認める立場で勝利しなければ、考えることもできないのです。このような使命を完遂するために、救世主として、そしてメシヤと真の父母の資格をもってこの地に降臨された方が、正に二千年前に来られたイエス様でした。
しかし、天の摂理を完成してさしあげるために、神様のひとり子として来られたメシヤであるイエス様も、最後にはユダヤ教とイスラエルの不信によって十字架上の露と消えてしまいました。機会があるたびに「怨讐を愛せよ」と訴えるように叫ばれたイエス様の教えも、私たちの心と体の闘争を終息させてはくれませんでした。
天倫の秘密を明らかにしたレバレンドE/span>ムーン
天は、もうこれ以上待つことができなくなりました。今や、レバレンドE/span>ムーンの勝利的基盤の上に、あらゆる天倫の秘密を明らかにしていらっしゃるのです。人類救援の最終段階の摂理を締めくくる再臨のメシヤとして、救世主として、そして人類の真の父母としての使命を勝利的に完遂したレバレンドE/span>ムーンを通して、人類が個性完成を成就し、人格革命を完成し、この地上に理想天国を創建できる真の愛の絶対価値観的な真理を明らかにしているのです。
皆様。私たちの心と体を和合統一させる唯一の道は、ために生き、真の愛で投入して忘れてしまい、対象の位置で絶対服従を通して主体的愛の主人を完成させる絶対価値観の実践以外にはありません。堕落性の根のような利己主義を脱ぎ捨て、徹底して人のために徳を施す絶対価値観的な人生、大のために小を犠牲にする共生共栄共義的な人生を守り通すことができなければ、心と体の和合統一は不可能なのです。
結局、心と体の和合統一を成し遂げた個人完成者たちが集まって形成された本然の真の家庭が現れない限り、地上天国の実現は不可能だということです。したがって、人間は、誰でも心の根のような三大主体思想、すなわち父母、師、主人よりも先にある良心の声に絶対服従する生活を送らなければなりません。心の作用を通して伝えられる良心の声を聞き、いつでもどこでも軌道修正できる、水晶のように澄んだ心を維持しなさいということです。
いくら体の欲望が強くても、「原理」の教えに従って、意図的に良心のほうにより大きな力を与えるようになれば、肉身も従ってこざるを得ないのです。それができなければ、断食や禁欲などを通して体を打たなければなりません。泥水になってしまった池にも、継続して澄んだ水が流れるようにすれば、結局、澄んだ池になるのです。
これ以上、皆様の心を悲しませてはいけません。良心の忠告に逆らって心を悲しませれば、皆様の父母はもちろん、師と神様までも悲しませてしまうのです。良心と一緒に楽しむ時間をたくさんもたなければなりません。
世間的な目で見れば、孤独で寂しい立場になっても、良心と不可分の関係を結び、最も親しい友人になりなさいということです。自分の心と体の和合統一はもちろん、新しい天下が目の前に広がる、そのような世界を発見するようになるでしょう。
心身一体の境地に達すれば、良心と肉身が共鳴圏に立つようになるのです。釈迦牟尼の「天上天下唯我独尊」という叫びも、このような次元の心の世界において、初めて理解できるのです。心に尋ねると神様が自分の心の中に入ってきていらっしゃるのかどうかを教えてくれます。心を通して万物万象と自由に対話をし、和動する境地に到達するのです。さらに、霊界とも自由自在に通じ、皆様の永生問題について、徹底した準備ができる生活を送るようになるでしょう。
それでは、堕落の後裔となった人類が、果たしてどのような方法で、堕落性を脱ぎ、相対を通して絶対価値観を探し立て、個人、家庭、国家、世界的次元で、神様が願われた平和天国をこの地上に創建できるのでしょうか。
第一に、神様に似なければなりません。神様が宇宙万象を創造されるとき、どのようにされたのでしょうか。神様御自身が打ち立てられた創造の原則と秩序を絶対的基準で信じて、服従されたのではないでしょうか。その上に、また絶対的基準の真の愛を植えつけてくださいました。
皆様の人生も、これからこの絶対信仰、絶対愛、絶対服従の三大原則に従って実践すれば、天上の五大聖人はもちろん、皆様の善の先祖たちが総動員されて、皆様の幸福を保障してくれるのです。皆様が父母のために、夫婦間が互いのために、兄弟姉妹たちが互いのために、このような絶対的基準の信仰と愛と服従を施してみてください。そこに、どうして利己的な個人主義や、享楽ばかりを追い求める非原理的な根が伸びるでしょうか。皆様が絶対的基準にさえ立つならば、天も絶対的基準で皆様を保護し、守ってくださるのです。
第二に、人類は選択の余地なく堕落性を受け継いで生まれた堕落の後裔であるがゆえに、皆様の個人の人生において、三大革命を完遂するという課題が残っています。蕩減革命と良心革命、心情革命のことです。「蕩減革命」とは、皆様のすべての内的E/span>外的所有権を完全に蕩減して勝利し、その蕩減圏を超越する基準を立てるようにしなさいということです。過去において、サタンの支配圏時代だった「先天時代」に習得したすべての習慣と思考までも、果敢に振り払う革命を、皆様の生活の中で完遂しなさいということです。
その基盤の上に、新しい「後天時代」を生きる座標である絶対価値観的な真の愛を実践し、永遠に神様の真の子女として生きなさいということです。さらには、皆様のすべてのもてる物や外的な所有権も、一旦天のものに帰属させ、サタン世界と絶縁させて聖別したあと、再び天の祝福として相続する革命的な実践過程を経なければならないのです。すなわち、二度とサタンが所有権を主張できない聖別された財産として、天の富を積んでいきなさいという意味です。
「良心革命」とは、何を意味するのでしょうか。良心の声に絶対服従するという内的な革命です。皆様の中で、今も善を指向する良心の命令と肉身の欲望を追い求める肉心の誘惑とが、絶えず葛藤を続けているという事実は否定できません。そのような恥ずかしい内面の闘いを終息させるためには、良心の位置と作用をはっきりと知らなければなりません。
また良心は、皆様の一挙手一投足を、さらに皆様の思いまでも、一点一画の加減なく把握しています。皆様の師よりも先に知っています。皆様の父母よりも先に知っています。神様よりも先に知っています。
このような良心の命令に逆らえば、どのような結果を招くでしょうか。皆様自身が呵責を受けます。皆様の霊人体にほこりがかかり、垢がつき、傷がつくのです。その傷は、永遠に消すことができず、そのまま霊界に抱えていかなければならない、恐ろしい荷物です。したがって、革命的な次元で、自身の肉心を抑え、良心の案内を受けて、神様のみ前に進むその日まで、傷がなく、澄んで、きれいな霊人体を大切にしなさいという至上命令なのです。
「心情革命」の意味は何でしょうか。神様は、人間を御自身の子女として創造されたと述べました。そうであれば、神様と皆様をつなぐひもは、何のひもでしょうか。父母と子女の間の愛であり、心情です。父子の間で心情が通じなければ、どうして父母と子女が、愛と尊敬の関係を維持できるでしょうか。
数千年間、堕落圏の影響の中で生きてきた人類は、今も偽りの父母、偽りの愛、偽りの血統の心情的奴隷になっています。このような束縛から抜け出すためには、赦し、与える真の愛の生活を、粘り強く継続していかなければなりません。そのようにして、神様の心情的な所有圏内に帰着できなければならないのです。
皆様の心情のひもが、今もサタン世界の虚栄を追い求める利己的な個人主義に縛られているならば、皆様の将来は、非常に暗澹たる絶望と嘆息の道になるのです。しかし、ために生きる人生、すなわち人のために先に譲歩し、与える、生産的な生き方をするならば、皆様の心情のひもは、神様の心情と永遠に一つになるのです。
言い換えると、偽りの父母との心情的な因縁を完全に切って、無形の神様の実体として顕現された真の父母様から祝福結婚を受け、天の真の血統を確保しなさいという意味です。
第三に、皆様は毎日、瞬間ごとに皆様の生を点検しながら生きなければなりません。皆様は学生時代、試験問題を前にして、その答えが「〇」なのか「X」なのか分からず、慌てた経験があるでしょう。皆様の一生も同じです。推し量ることができないほど変化無双に展開される日常生活の中で、瞬間ごとに、皆様自ら御自身の生を「〇」と「X」の概念で分析し、点検して、採点する生活をしなければならないという意味です。その形や性格から見て、「〇」は「X」を包容し、消化することができます。しかし、「X」は「〇」を包容することができません。
皆様の答えが「〇」の時は、皆様の生は肯定的で、希望的であり、縦的に天に軸を立て、影のない「正午定着」的な生を送っている時です。ために生きる真の愛の精神で、怨讐までも赦して包容する、深く広い生です。
しかし、皆様の答えが「X」の時は、不安と焦燥、恨みや猜疑心などの否定的な要素で心がいっぱいに満ちた、恥ずかしい姿なのです。心や考えが狭く、閉鎖的で、周囲の誰も目に入らない、利己的で個人主義的な生の姿です。
したがって、皆様の選択は火を見るよりも明らかです。毎時、瞬間ごとに、「〇」をもらう生活を営まなければなりません。一カ所もゆがんだり、角ができたりしない、完全無欠の「〇」をもらわなければなりません。いつ、どこに投げても、中心と九〇度の直角を形成する「〇」の姿にならなければならないのです。
明るく燃える太陽を見上げても恥ずかしくなく、広大無辺の宇宙に対しても堂々としており、森羅万象を前にしても一点の隠すものがない、真の「〇」を探し立てる人生を送ってください。「〇」は、和合と統一と平和の象徴です。「X」が死亡を象徴するならば、「〇」は愛と生命を意味します。体と心が完全に一体になったとき、皆様の姿は「〇」として顕現するのであり、体と心が葛藤により混乱を引き起こすとき、皆様の姿は、「X」として現れるのです。
皆様。今や人類は、神様と真の父母様に感謝と栄光をお返しすべき時を迎えました。歴史上、空前絶後の後天開闢の時代を開いてくださり、真の解放E/span>釈放圏を定着させてくださった真の父母様に、永遠に感謝と賛美をお捧げしなければなりません。太初に、アダムとエバの失敗によって、罪悪と血で染まった堕落のエデンの園を果敢に脱出して、天の貴い召命の前に、悲壮な覚悟で立ち上がる時が来ました。
皆様はきょう、この場になぜ来られることになったのかを、もう一度、深く考えてみてください。主催側の招請を受けて、晩餐に参加するためですか。自分の意思であろうと他人の意思であろうと皆様は、既に天の召命を受けました。この場に立ったレバレンドE/span>ムーンが、十六歳(数え)の青年の身で、突然天命を受け、神様を解放E/span>釈放してさしあげ、人類をサタンの束縛から救い出すための八十年の生涯を、血と汗と涙の路程で歩んできたように、皆様もこれからは、「超宗教超国家圏の解放と安着」の崇高なみ旨を成就するため、生命を捧げる覚悟で立ち上がらなければならないのです。
皆様。あの東の空に輝かしく昇る太陽のように、今、天運が全世界を照らしています。数千、数万年間覆っていた暗闇のとばりが、ついに晴れつつあるのです。皆様の心の中には、既に天命が根を下ろしています。避けることのできない宿命の道です。
勇気を出して立ち上がってください。「自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである」(ルカ一七・三三)と語られたイエス様の教えが何を意味するのか、はっきりと体験できる時が来ました。レバレンドE/span>ムーンも皆様も例外なく、いつかは霊界に行くことになります。きょうお聞きになった天のみ言を深く胸に刻んでくださり、今からは、ぜひとも後悔のない人生を生きなければなりません。これが、私がアメリカを離れつつ最後に皆様にお伝えする天のメッセージです。神様の祝福が皆様と皆様の家庭、そしてこの摂理の国、アメリカに永遠に共にあることをお祈りします。ありがとうございました。
7.真の父母は神様と人類の希望
7.真の父母は神様と人類の希望
日付:二〇〇四年十二月二日
場所:韓国、江原道、龍平リゾー卜
行事:第二回「蒙古斑同族世界平和連合」世界大会
尊敬する内外の貴賓、そして紳士淑女の皆様。「蒙古斑同族世界平和連合」運動に参加するために、この場までお越しいただいた皆様に心から感謝申し上げます。
私が創設したこの連合運動は、また一つの世俗的な国家をつくろうというものではありません。新しい民族主義運動の出発でもありません。蒙古斑同族圏の糾合運動を通して、すべての塀と国境を撤廃し、六十億の人類を一つの家族に結び合わせようという和合と統一の運動です。
したがって、私はきょう、いまだに暗闇の中で一寸先を見ることもできないまま生きている人類に、天が特別に下さった真理のみ言をお伝えしようと思います。心の扉を開き、天が下さる真理を受けて、この乱れた時代において選ばれた人となれるようお願いします。「真の父母は神様と人類の希望」という題目でお話しいたします。
皆様。本来、神様は人間にとって、師の中の師であり、主人の中の主人であり、王の中の王であり、父母の中の父母、すなわち真の父母であられます。しかし、人類の先祖であるアダムとエバの堕落によって人間は、神様を失って孤児になってしまった自分たちの立場さえも悟ることができないまま、数千年を生きてきました。教えを下さる真の師を失い、従い仕えて生きなければならない真の主人を失い、忠誠を捧げなければならない真の王を失い、永遠の真の血統を伝授してくれる真の父母を失った嘆きの歴史でした。
ですから、堕落人間の願いは、神様の真の息子に出会うことです。堕落とは無関係な方であり、サタンの讒訴圏を抜け出た方です。天の真の愛、真の生命、真の血統をもって本然のアダムとして来られる方です。国家的基準で息子圏を代表したメシヤとして顕現される方です。これがまさしくメシヤの降臨です。
来られるそのメシヤは、完成したアダムの資格で来られるので、まず神様が絶対的基準で愛する真の新婦を迎え、真の夫婦の位置まで進まなければなりません。
神様の創造理想を完成しなければならない本然の夫婦理想を完成する位置です。その土台の上に、純粋な天の血統を受け継いだ真の子女を生むようになるのです。その子女は、二度と堕落の前轍を踏まない、永遠の善の血統を初めて受け継ぐ子女なのです。
しかし、メシヤの使命はここで終わるのではありません。真の父母の位置まで進み、絶対的な真の家庭を探し立てなければなりません。この真の家庭を中心として、神様の創造理想を完成した地上天国と天上天国を創建できるのです。この目的のために、堕落の後裔である六十億の人類は、誰もが例外なくメシヤの真の家庭に接ぎ木されなければなりません。心情的な接ぎ木はもちろん、伝統的な接ぎ木をしなければなりません。
それでは、どのようにして接ぎ木されるのでしょうか。皆様は、堕落性を受け継いで生まれた野生のオリーブの木です。野生のオリーブの木は、百年、千年待っても、真のオリーブの木に変わる突然変異は起きません。永遠に野生のオリーブの木として残るだけです。その血統が変わらない限り、野生のオリーブの木であるという境遇から抜け出すことはできないのです。したがって、六千年育ってきたこの野生のオリーブの木を幹まで無慈悲に切り捨て、その位置に真のオリーブの木の芽を接ぎ木しなければならないのです。その芽が成長して木になれば、そこには真のオリーブの木の実が実るのです。
同じように、堕落した人類は、罪悪のサタン世界と完全に絶縁して、真のオリーブの木であられる真の父母を通して真のオリーブの木の芽を接ぎ木する祝福結婚を受け、真の血統を出発させなければならないのです。
そのようにして出発した真の血統は、真のオリーブの実である真の子女を得るようにさせるのです。堕落人間にとっては、この道だけが、真の父母の愛を通して生まれ変わり、真の愛、真の生命、真の血統を相続できる唯一の道なのです。
このように、真の子女が生まれて真の父母が生じれば、自動的にそこには真の家庭が定着するのです。ここから正に真の家庭主義が創出されます。真の家庭主義は、神様の真の愛主義です。
国境を超越し、すべての平面的な世界を超越して、主体と対象の間において互いに与え合う生活です。与えても、与えたことを忘れて、絶え間なく与える愛です。受けた人は受けたもの以上にさらに加えて返す発展的な愛です。このような犠牲的で崇高な真の愛の関係が継続されて拡大されれば、その世界が正に真の氏族、真の民族、真の国家、真の世界として発展するのです。さらに進んで真の霊肉界、すなわち真の天宙が安着するのです。
真の愛の力は、このように途方もなく、推し量ることのできない宇宙創造の力です。結局、真の愛の力だけが神様の創造理想世界、すなわち地上天国と天上天国を創建できるのです。また理想世界は、誰かが大きな権力を握って号令する世界ではありません。その世界は自動的に私たちの心が動いて、神様の愛に呼応して和動する万民兄弟主義世界です。私たち全員が望む世界は、いったい何なのでしょうか。
皆様。神様も成長過程を経て完成しました。人間が成長過程を必要とするのも、神様に似ているからです。真の家庭主義を、より具体的に人間の成長の温床となる家庭の枠の中で見てみましょう。エデンの園におけるアダムの家庭は、神様が理想とされていた真の家庭の典型でした。無形であられる神様の存在を実体として現すための四位基台の創造でした。
創造主である神様は、御自身を主体の位置、人間を対象の位置として創造され、神様の心の中にだけ存在した無形の子女、無形の兄弟、無形の夫婦、無形の父母を、アダムとエバの創造を通して実体として完成しようとされたのです。アダムの家庭を中心に実体の子女としての真の愛の完成、実体兄弟としての真の愛の完成、実体の夫婦としての真の愛の完成、そして実体の父母としての真の愛の理想を完成し、無限の喜びを感じようとしたのです。
したがって、真の家庭主義の核心は、人間関係の一番の根源になり、真の家庭を完成するために絶対必要条件となる四大心情圏の完成と三大王権の完成です。四大心情圏とは、子女の心情圏、兄弟の心情圏、夫婦の心情圏、父母の心情圏をいいます。人間はこの地に誰かの子女として生まれ、兄弟姉妹の関係を結びながら成長し、結婚して夫婦となり、子女を生むことによって父母となる過程を経ていくようになっています。したがって、四大心情圏と三大王権の完成は、家庭の枠の中で成し遂げることができるように創造されているのです。
それでは、まず子女の心情圏の完成とは何を意味するのでしょうか。人間は、誰もが選択の余地がない状態で、誰かを父母とする子女として生まれます。大統領の息子として生まれることや、世界最高の美人の娘として生まれることなど、それは私たちの選択権ではありません。しかし、生まれたその瞬間から、私たちは宿命的に父母の保護を受けて成長するようになります。
父母に仕えて、一緒に暮らしていきます。この中で私たちは、父母のために命までも捧げようという、子女としての父母に対する愛と孝の道の心情を習得して育っていくのです。
父母が直接教えてくれるのでもなく、学校で習うのでもありません。子女のために献身的に真の愛の生活をしている父母の姿を見て、体恤して悟るのが子女の心情です。成長して分別がついていく中で、この子女の心情は完成されるのです。父母のためにすべてを捧げ、永遠に捧げる生活の基準を完成するのです。父母が口を開く前に父母の心を読み取り、父母の願いどおりに侍って仕える生活をするのです。父母の目を見ただけで、その心情を推し量り、真の子女としての道理を尽くす生活の姿です。横的な真の父母であられる肉親の父母にだけでなく、縦的な真の父母であられる神様にも同じ絶対的基準の子女の心情を捧げる生活です。子女の心情圏の完成は、このようにして成し遂げられていくのです。
次に、兄弟の心情圏の完成もまた、一つの家庭で兄弟姉妹同士が調和して暮らしながら、父母の生活の姿から体恤し、学んで完成する真の愛の心情圏です。父や母に似ていく心情圏です。人間関係でいえば前後の関係です。兄が主体なら、弟は対象の立場です。
しかし、兄を絶対的価値の主体の立場に立ててあげるのは、対象である弟です。兄を父のように仕えて敬い、姉を母のように信じて頼る、そのような美しい兄弟の心情圏が完成するのです。兄は弟に対して、あたかも父母が子女を愛する心情で面倒を見てために生きる生活であり、弟は兄や姉に対して、父や毋に仕えて侍るように敬って侍る真の愛の実践です。
互いに足りない点を補い合い、良い点は育て、学び合う真の兄弟愛が完成するのです。誰も引き離すことのできない血を分けた兄弟姉妹間の愛であり、心情圏です。このように、真の家庭圏で真の子女の心情圏と兄弟圏を完成した子女たちは、世の中に出ていっても、清くて明るい太陽のように輝く生活をするようになります。大人たちに会えば、自分の父母に侍るような同じ心情で敬って仕えるのであり、青少年たちには、自分の兄や弟のために与えるように、真の愛を分けてあげながら暮らす子女、万人から愛される子女となるのです。
いつどこで誰に会っても、人よりもう一つ多く与え、いかなる仕事をしても、人よりも一時間多く仕事をし、いかなる状況でも、自分のことよりも、人の立場や境遇をまず考慮して譲歩する真の愛と心情の所有者として尊敬を受けるのです。たとえ年齢は幼い姿だったとしても、老若男女を問わず、誰もが信じて頼る中心人物になります。このように一つの家庭の垣根の中で体恤した兄弟の心情圏の完成は、人間の永生における絶対的な価値を育てていくようになるのです。
次に、夫婦の心情圏の完成はどのようにして成し遂げられるのでしょうか。親子や兄弟の関係とは異なり、夫婦の関係は、初めから血縁で結ばれた絶対的関係ではありません。育ってきた環境や境遇が異なる一人の男性と一人の女性が互いに出会い、新しい生を一緒に創造していく、実に革命的な決断と決心で結ばれた関係です。
しかし、夫婦の関係は、真の愛で一心一体になれば、血縁よりも強い、絶対的な関係に変わるのです。夫婦関係の中には無窮無尽な宝物が隠されています。一度天を中心として夫婦の関係を結んだなら、永遠に別れることができない絶対関係になるのです。
アダムの家庭を見ると、アダムとエバは共に同じ神様の息子と娘ですが、エバはアダムの妹の立場で出発しました。アダムはエバの兄の立場でした。しかし、彼らは成長して夫婦になったのです。同じように、夫婦間の関係は一つの血を分けた兄弟姉妹の次元で始まらなければならないのです。
共に神様を真の父母として生まれ、永遠に侍って生きなければならない宿命をもっているのです。ここになぜ離婚という魔の手が伸びてくるのでしょうか。天が見守っており、良心が監視して待ち構えているのに、どうして畏れ多くも自分の永遠の喜びの伴侶を捨てることができるでしょうか。神様の愛が、絶対、唯一、永遠、不変であるように、夫婦間の愛も、絶対であり、唯一、永遠、不変なものです。神様の創造原則、すなわち天理がそうなっているのです。
心身一体で夫婦の心情圏を完成した夫婦は、神様の喜びであり、宇宙の願いです。真の父母の心情圏を完成させる絶対的な必要条件です。神人愛一体を完成させる絶対価値的基準の真の家庭の土台です。したがって、夫婦の位置は、神様と子女が一つになった位置であり、兄弟が一つになった位置であり、父母が一つになった位置なのです。四大心情圏の絶対的主体の位置であり、対象的位置でもあります。妻にとって夫というのは、理想的な天の息子を迎えさせてくれる位置であり、天の兄を迎えさせてくれる位置であり、天の夫、天の父を迎えさせてくれる絶対的な位置です。夫にとっての妻も、同様に絶対的存在です。
しかし、人間始祖の堕落によって、この神聖な人間関係の枠は粉々になってしまったのです。ですから、原理原則の根源であられる神様は、原理と原則から外れない範囲内で、堕落した御自身の子女たちを再び復帰しなければならない、悲しい恨の心情をもっていらっしゃることを知らなければなりません。
ですから、神様の真の愛を中心として、人類の救世主、メシヤとして顕現された真の父母から祝福結婚を受けて真の夫婦が誕生する結婚式は、六千年間積もった神様の恨を解いてさしあげる解放E/span>釈放の瞬間であり、その家庭の幸福が約束される新しい出発の瞬間になるのです。
それでは、父母の心情圏の完成は何であり、またどのように成し遂げられるのでしょうか。どんなに貴く立派な夫婦だとしても、子女を生まなければ永遠に父母になれません。父母の位置は、初めての子女が誕生して、産声を上げたその瞬間に決定されるのです。神様は人間を喜びの対象として創造されたと述べました。同じように、夫婦が子女を生んで育てるのは、子女たちを通して神様と同じ永遠の喜びを感じるための創造の役事なのです。
父母は子女を生み、実体の神様の立場で、天の子女として養育しなければなりません。そのようにすることで、無形の神様がアダムとエバを養育した、その真の父母の心情圏を体験して相続できるのです。見えない神様の創造の役事を、自分たち夫婦を中心として、息子、娘を養育しながら体験するのです。
神様の代わりの第二創造主となる栄光を受けるようになるというのです。ところで、神様は、アダムとエバを創造することによって、第二代の創造主の基準は立ててくださいましたが、第三代の創造主の位置に立てられる孫と孫娘を見ることができなかったことが、歴史的な恨みとして残されてしまいました。堕落によって血統がひっくり返ってしまったサタンの子女たちを、御自身の真の血統として立てることができなかったのです。
したがって、野生のオリーブの木として生まれた人間が、メシヤとして来られた真の父母の恩恵によって、真のオリーブの木に接ぎ木されて血統転換をする、祝福結婚を通して善の子女を生むことは、神様に三代、すなわち孫と孫娘を抱かせてあげる摂理観的な次元の孝の道になることを知らなければなりません。第三の創造主の歴史的出現を意味するのです。
このように、一つの家庭を中心として、神様が創造理想として願われたその理想が完成されるのです。そして、この完成された真の家庭が拡大して、真の氏族、真の民族、真の国家、真の世界、すなわち地上天国と天上天国を実現するのです。
父母は天に代わる立場なので、家庭の中心です。その一方で、子女は地に代わる立場にいます。天は主体の位置であり、地は対象の立場です。したがって、主体となる父母には、子女を天のみ旨に合うように養育し、結婚させなければならない義務があります。二度とサタンが讒訴できない純粋で善の血統を保全して、子々孫々天の血統を伝授できる土台を築かなければならない責任があります。堕落によって失った本然の父母の位置を再び探し立て、父母の心情圏を完成する唯一の道が、正にこの道なのです。
皆様。三大王権とは何のことをいうのでしょうか。一言で言うと、四大心情圏が真の夫婦の愛の一体を中心として完成するならば、三大王権は、アダムとエバが罪のない善の子女を生み育てることによって完成します。
神様が一代であれば、アダムは二代、そしてアダムの子女たちは三代目になります。皆様の家庭を見ると、祖父母は神様の代わりの立場として一代になり、父母は二代になり、子女は三代になるのです。祖父母が過去を代表する王と王妃なら、父母は現在の世界を代表する王と王妃であり、子女は未来世界を代表する王と王妃であり、このような三時代圏は、皆様の家庭においてすベて探し立てることができるのです。
このように一つの家庭圏で「正分合」の創造過程が展開されるのです。祖父母が「正」であるなら、父母は「分」になり、再び「合」となる位置は子女が立つのです。したがって、祖父母を愛し、彼らに侍ることによって、私たちは過去を学んで相続します。父母を愛し、彼らに侍りながら、子女たちは現在を学んでいくのです。また、祖父母と父母は、孫と孫娘と子女を愛することで未来を感じ、望みをもつようになるのです。
本来、アダムとエバが完成していたなら、アダムは完成した天国の父になると同時に王になったのであり、エバは完成した母になると同時に王妃になったのです。また、彼らは家庭の主人になったのであり、家庭的王権、民族的王権、国家的王権、世界的王権が生まれていたのです。神様は天上天国の王であり、アダムは神様の実体として地上天国の王になったのです。
したがって、皆様の家庭を見るとき、祖父母は神様が送った天の全権大使であると言えます。祖父母に対して神様のように侍り、敬わなければならない理由はここにあるのです。そして天に侍る父母は、人類を一つの家庭として抱く、家庭の王と王妃です。未来に責任をもつ子女たちは天の伝統を固守し、王である父母に孝と忠誠を捧げ、善の王統を受け継がなければなりません。
さらに進んで、天の三代圏完成を平面的に一代の家庭で総体的に成し遂げることが、真の家庭主義の始まりです。このように、本然の家庭は、神様が創造目的としてお立てになった地上天国と天上天国の典型になるのです。言い換えれば、四大心惰圏と三大王権を完成した家庭こそが、人類が願う平和王国をこの地上に創建できる土台になるのです。
ですから、家庭は天の国の王宮です。その構成員である家族はみな天の王族です。しかし、祖父母、父母、子女のいずれかを問わず、真の愛の一体圏を完成できなければ、三大王権の完成も見ることができず、四大心情圏の完成も不可能なのです。
尊敬する指導者の皆様。聖書を見ると「新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである」(マタイ九E/span>