1. 統一教会の創立意義と背景
1.統一教会の創立意義と背景
日付:一九七〇年七月十五日
場所:韓国、ソウル、龍山区、統一教会本部
行事:韓国宗教協議会七宗教団体指導者訪問
超宗派的、かつ超教派的な韓国宗教協議会を組織したことに対し、心から称賛申し上げる次第です。この宗教協議会を中心として、すべての宗教が新たに心を合わせ、この民族の前に多くの精神的な基盤となってくださるようお願いします。併せて、宗教協議会を創設された皆様が互いに協調するという意味で、世界基督教統一神霊協会を宗教協議会に加えてくださったことに対しても感謝申し上げ、御多忙中にもかかわらず、周囲の難しい環境を退けて、当協会を訪問してくださったことに対して、心から感謝申し上げます。ぜひ宗教協議会を中心として超宗派的な活動を積極的に展開し、現韓国社会において新しい中心の役割を果たせる求心体となり、新しい福地化運動の先鋒に立って、多くの貢献をしてくださることを心からお願いするものです。
今、私が、御来賓の皆様に一つ申し上げたいことは、なぜ統一教会を創設することになったのかということです。この問題を中心として、簡潔に申し上げたいと思います。私がこの教会を創設するようになった動機は、人意、すなわち人による意志よりも、神意、すなわち神様のみ旨によって出発したということです。
今日のこの社会や歴史は、人意だけで形成されていないことは、皆様がよく御存じのことと思います。ここには必ず、神意を中心とした、ある大きな意志を中心として、一つの目的を指向しているのです。そのような意味で、人の意志だけで教会が創立されては、歴史の流れや今後の新しい世界に貢献できないと考え、神意に立脚して新しい宗教を創設したのです。人意と神意が合わさることができる一つの組織体が宗教であり、宗教は必ず神意を中心として、人類全体が願う人意的なすべてのものを結束しなければなりません。
それでは、神意とは何でしょうか。神様のみ旨というのは、ある特定の社会を中心としたものではなく、超民族的であり、超宗派的であり、超国家的な性格を帯びているものです。そのような目的を中心としなければ、神様が願うみ旨を完結できないことを、私たちは歴史を見ることによって知ることができます。そのような意味で、人意もやはり、ある個人の意志やある団体の意志を中心としたものではなく、神様のみ旨と一致できる世界的な内容を備えたものにならなければなりません。これを内外で統合することに宗教の使命があると思います。
それでは、神意と人意を一致させるためには何がなければなりませんか。神様の愛と人間の愛が合わさることができる内容がなければなりません。神様が人間と一つになれる愛は、ある特定の個人や特定の民族、特定の国家を中心としたものではなく、超国家的な立場で、人類と世界を愛する心情的な紐帯を備えなければならないのです。ですから、神意と人意の一致点を明確にしなければならない宗教は、人意を中心とするのではなく、神意を基盤として、神様を中心とした愛に人間の意志をどのように結束させるかということが問題とならざるを得ません。
そのような意味で、神様のみ旨と人間の意志は宗教という形態を備えて結束させなければなりませんが、その中心は必ず愛でなければならないのです。その愛は、ある特定の民族や特定の国家だけでなく、世界を越え、すベてのものを超越した愛でなければなりません。そうでなければ、真の宗教の基盤を世界的に形成できないというのです。
それで、今までの歴史は聖賢たちを中心として動いてきました。彼らは、人意的な立場だけでなく、天意を介在させた立場で主張した人々です。彼らが目的とするところは、ある特定の民族だけでなく、世界的な限界線を越えていました。それを教えてくれるのが、聖賢たちの道理です。その道理を中心として、天意と人意が一致できる内容を連結させてきたのが宗教です。それで、聖賢は、天倫を基盤として人倫を結束させる基準を立ててきたのです。ところが、これは、あくまでも世界的な限界線を越えることのできる道理であってこそ、聖賢の道理になるのです。そのような聖賢の道理を中心として、今日の人間は道義的な分野で人倫、道徳を立ててきたのです。
このような点から見るとき、神様と人間が一つになろうとすれば、その中心位置はどのような位置になるべきか、ということが問題になります。それでは、神様が願う愛と人間が願う理想的な愛が結合できる決定的なその中心はどこかという問題を考えてみるとき、神様がいるとすれば、神様と最も近い位置とならざるを得ません。その神様の愛に接触する基盤は、個人を中心とした愛の基盤ではないので、あくまでも世界と連結される愛の基盤にならなければ、神様の愛と人間の愛が結合できないのです。
そのような意味で、神様の愛と人間の愛が結束できる最も近い位置とはどこでしょうか。神様を中心として人意が従っていく位置、言い換えれば、神様の愛を中心として人間の愛が順応する位置です。そのような神様の愛を中心とした、最も近い位置を追求してみるとき、その位置は、神様の真の息子になる位置にならざるを得ないのです。
そのような神様の真の息子がいるとすれば、その息子を中心として神様の真の娘が必要なはずです。その息子、娘を中心として神様が愛することができる真の家庭、神様が愛することができる真の氏族、神様が愛することができる真の民族、神様が愛することができる真の国家、神様が愛することができる真の世界を追求していかなければならないと考えたので、神様と人間の間に世界的な基準の愛の関係をどのように結束させるかという問題を中心として、今日の統一教会が発足するようになったのです。神様の愛は、必ず歴史過程を経てこそ成し遂げられるのですが、その過程は必ず聖賢たちが主導してきたことを私たちはよく知っています。ですから、聖賢たちは天倫を中心とする神様の教えをもって、今まで人類を導いてきているのです。
それでは、今まで歴史上に生まれては逝った聖賢たちの中で、より偉大な聖賢とは誰でしょうか。もちろん、その経典の教えも重要ですが、それよりもっと重要なことは、神様と人間が最も近くなる道を教えてくれる宗教が必要だというのです。そのような点から見るとき、それを教える宗教はどのような宗教でしょうか。歴史過程において今まで残されてきた宗教を中心として見るとき、他の宗教よりもキリスト教が高次元的な立場で紹介されたのではないかと判断したので、キリスト教を中心とする統一教会を発足させることになったのです。
イエス様を中心として見ても、彼は神様を求めるとき、漠然とした神様よりも、具体的であると同時に生活の中で近くに接することができる神様を求めてきたのです。それで、イエス様は神様に対して「私の父」と言いました。心情的な関係において、父以上の位置はありません。ですから、イエス様は、神様と人間の関係を父子の位置にまで導いて結束させる心情的な基盤を築いたのです。これはすなわち、神様が願う愛で結束した世界を成し遂げるためには、必ず心情的基盤がなければならないことを意味しているのです。その位置は、父子関係以上の位置でなければならないのです。
ですから、イエス様は、「神様は私の父である。私は必ず来なければならないひとり子である。万宇宙の中で神様の愛を最初に受けることができる人は私だけである」という主張をしたのです。このように見るとき、キリスト教がどの宗教よりも神様の心情を中心として具体的な内容を備え、神様と最も近い位置で説破しているというのです。イエス様は「私は花婿であり、あなた方は花嫁である」という立場で語られました。これは、神様との関係を結束させるときに、どの宗教よりも最も近くなる基点を説破したものです。また、信じて従った信徒たちに、「互いに兄弟である」と言いました。この言葉は、万民は一つの兄弟だという新しい宗教理念なのです。
神様が願う愛の世界は、必ずこのような基準を通らなければならないのです。神様が愛することができる個人、その個人で構成された家庭、その家庭で構成された氏族、その氏族で構成された民族、その民族で構成された国家、そしてその国家を通じて構成されるべき最後の目的地である世界の範囲まで連結させるためには、そのような心情的な基盤を土台としなければ結束させることができないのです。これは、歴史過程に必ず現れなければなりません。
歴史は聖賢や義人たちを通じて導かれてきたので、人類歴史と世界を代表して主張してきた聖賢たちの教えが、今日人類歴史とどのように適合するかということが問題です。もし神様がいるとすれば、その神様は出発と同時に一つの方向を備え、過程を経て、一つの世界を成し遂げてくるはずです。その背後に天倫の摂理があるとすれば、その摂理に従っていくべき人類歴史路程も、その方向とどのように一致させるかという問題を考えざるを得ないのです。
ですから、神様と人間の本然の関係をどのように復帰すべきか、また、どのようにして神様の愛を中心とする人類歴史にすべきか。個人や家庭、あるいは特定の民族、ある特定の文化的背景など、人類歴史に関係する全般的な内容をどのようにして神意による世界観と一致させるかということが問題になったので、今日の統一教会を創設するようになったのです。これが、統一教会を創設した根本の動機です。それでは、そこに私たちが関連するだけでなく、神様を父として自覚できるそのような境地が可能なのでしょうか。また、そのような愛を受けることができる位置で、思想を中心として世界を一つに統一させる内在力をもつことができるのかということが問題とならざるを得ません。
家庭には必ず、父母がいて、妻子がいなければなりません。そうであってこそ、その家庭が幸福の基台になるのです。神様が人類を探し求めてきた目的も、神様御自身の幸福を実現するためだったに違いありません。ですから、神様御自身が幸福の基台を求めようとしても、人間を離れたところにはそのような理想はあり得ないのです。人間と関係を結んでこそ、一致点をもたらすことができるのです。私たちが、家庭において情緒的な内容をすべて備えた立場で幸福を感じるのと同じように、神様もやはりそのような立場で幸福を感じようとなさるのです。
このような点で見るとき、イエス様は再臨という命題を残して逝きました。今まで二千年、キリスト教の歴史は再臨理想に従って、イエス様が再び来られる一時を求めてきました。その一時の中心は何でしょうか。それはキリスト教で言う「小羊の婚宴」であると見ることができます。それでは、「小羊の婚宴」とは何でしょうか。漠然としています。それは、神様と人間の一致した愛が出発することです。人間で見れば、男性と女性が一つになることです。この二つが一つに結束し、理想的な世界に向かって神様の愛をたどっていくことができる基礎を準備しなければ、神様の愛を中心とする世界的な目的を果たすことができないのです。
ですから、来られるイエス様は、必ず神様が願う家庭を立てなければならないのですが、その家庭は真の家庭でなければなりません。今まで人類は、真の愛を追求してきました。いずれにしても、偽りの愛の形態が家庭や社会にあってはいけません。したがって、万民が共有できる神様の愛を中心とし、人類全体が願う最大の愛を中心とする一つの真の家庭が出現しなければならないのです。そのような家庭が出てこなければ、氏族を編成できないのであり、そのような氏族が出てこなければ民族を編成できないのであり、そのような民族が出てこなければ国家や世界を形成できないのです。ですから、神様が人類に提示した救援摂理において、人間が相対できる最高の基準と神様として願う最高の理想的基準点は、家庭にあると見るのです。ですから、統一教会には「祝福」や「合同結婚式」といった言葉があるのです。皆様も、そのような言葉を何度も聞いていらっしゃると思います。
それでは、その家庭は、どのような原則のもとに結束しなければなりませんか。神様を中心とする本然の真の男性と女性が一つにならなければなりません。そのような具体的な内容を、統一教会では教えています。その家庭は、自分個人を中心とするのではなく、世界を代表できる圏内で広がっていかなければなりません。
そのような内容を生活圏内で自覚して実践できる家庭を、この地球上に形成しておかなければなりません。そのようにしなければ、新しい民族、国家、世界を形成できないので、神様の愛と人間の愛が世界を中心として新たに出発できる基点を模索するために、今日様々なうわさのある教会として知られる統一教会が出発したのです。
これまで、悪いうわさも多くありました。ところが、私自身が皆様の前に一つはっきりと申し上げたいことは、統一教会は滅びないという事実です。人意的なものは滅びます。しかし、天意による天倫の内容と神様の愛を保障する宗教であれば滅びないというのです。真というのは、理想的な内容が備わっていなければなりません。すなわち真の属性をもった内容と関係を結ばなければ真の価値が現れないというのです。
今までの宗教は、あくまでも個人救援を目的とし、個人を悪から救う内容を教えてきました。しかし今、世界が必要とする宗教は、個人を中心とする宗教ではなく、家庭を構築する一つの基盤を準備できる宗教です。天意によって保障され、人意によって公認され、天情と人情が一つになった位置で、いかなる試練にも耐える家庭救援の出発が歴史上に新たに現れれば、そのような宗教運動は世界的に広がるでしょう。それは、ある一カ所、例えば韓国という特定の民族を中心とするのではなく、超国家的、超民族的な基準で、家庭の理念を中心として行う運動です。そのような運動をする宗教があるとすれば、それは今後において絶対必要な宗教ではないかというのです。
皆様も御存じのように、今までアメリカが、民主主義を中心として歴史時代の主導的な役割を果たしてきました。アメリカが天意によって立てられて民主主義を主導できる国として復興したとすれば、アメリカだけを第一としてはいけません。世界の中にアメリカがあるのです。神様は、ある特定の民族が世界を主導する民主主義の形態を許諾することはできません。
アメリカが、民主世界において宗教的な責任を負い、政治、経済、文化において弱小民族を救援する立場に立って今日まで来ていれば、世界的な限界線まで行くことができたはずです。アメリカの国民を犠牲にしてでも世界を救う立場に立っていれば、アメリカは必ず世界を主導できていたはずです。ところが、皆様も御存じのとおり、アメリカは「ニクソンドクトリン」を掲げて、アジアの問題はアジアに任せるという立場で後退する政策を施行しました。これは民主主義の限界を超えていこうという立場ではなく、後退する立場なので、アメリカは今後、世界が警戒する運命を避けられないというのです。
共産主義もやはり同じです。共産主義は、世界を制覇するという途方もない思想体系をもってきました。この思想は、スラブ民族を中心として、ソ連を中心として世界を制覇するというものです。このような立場で見れば、この共産主義は悪の立場に立ちましたが、世界を一つにするというその思想体系は民主主義を追い越す主義になるのです。したがって、世界の人々を中心とする共産主義以上の主義が出てこなければならないというのです。それでは、天の道理と人間が願う最高の道理とは何でしょうか。それはすなわち、超国家的、超民族的な新しい世界観をもった一つの教団が出てくれば、その教えを中心として、私たち個人の生活から絶対的な次元に至るまで天倫と一致できる生活の鉄則が必要だというのです。
ですから、大韓民国なら大韓民国を中心とする世界的使命があるはずです。世界のために生きることができる大韓民国にならなければなりません。それでは、今、世界が私たちの生活圏内に入ってくる現時点において、大韓民国やアメリカや世界各国が必要とするものは何でしょうか。ある限界点以下にある国家や、特定の主義を中心とする主張では、この途方もない時代的な流れを消化することはできません。必ず天倫と通じる主義が必要です。そこには数多くの国家と数多くの宗教、数多くの民族、数多くの氏族、数多くの家庭、数多くの個人が、すベてその圏内に吸収されるべきです。そのようなことができる内容を備えた新しい運動が必要な時が近づいていることを私は感じました。
それでは、これが可能なのか、これで結束できるのかというのです。このような問題は、今後、皆様が統一教会について研究してみれば、ある程度分かるようになるでしょう。この世界を救うためには、どこに問題があるのでしょうか。この社会が問題ではありません。「私」自身が問題です。私の心と体が闘うので、世界的にも、それと同じ形態で唯物論と唯心論が出てこざるを得ないのです。これが世界的に止揚統一される時期になったのです。このような時を終わりの日というのです。
このような時点で平和か、新しい統一かという新しい一つの何かを創案しなければなりません。ですから、今後訪れるその世界においても、問題は私自身です。私自身が問題だというのです。私の心と体に平和の心情的基準が歴史の流れと通じることにより、社会のすべての逆境を克服できる余裕満々な心情的基準を、どのようにして私の心情の中に確立するか、これを私たちがどのように活用するかということが問題だというのです。
皆様が毎日ぶつかる問題は、心と体の闘いです。私個人でこの闘いが終わっていないので、家庭でもやはり同じことが起きるのです。私一個人を見れば、心と体が二つに分かれていて、家庭を見れば、妻や夫も同じなので、四人がいるのと同じです。十人なら十人がそのようになるとき、分裂するようになっています。これを一つに結束させることができ、天倫と人倫を結束させることができるものが愛です。これを、原理を中心として実証的に体得できるかできないかということを長年にわたって分析し、実践しながら今まで闘ってきたのです。
今後、世界に残る主義とは、どのような主義でしょうか。自分の民族のために働く主義ですか。違います。きょうこの場にも宗教協議会の役員が集まっていますが、自分の宗派のための宗教協議会をつくろうと言えば、宗教協議会は滅びます。自分の宗教団体を尊重するよりは、国と世界に連結され、数多くの宗教を包容できる、より大きな愛に出会わなければならないのです。
神様がいらっしゃるとすれば、神様は直ちに大韓民国を救うことと世界を救うこと二つの内のどちらを先にされるでしょうか。大韓民国と世界について考えてみるとき、大韓民国と世界を共に必要とする立場なら、大韓民国を救うことも必要だと思いますが、大韓民国を捨てて世界を救おうというのが神意だというのです。このような観点で、人倫、道徳を中心とする善や主義も同じです。自分を中心として引き寄せてはいけません。自分を捨てなければなりません。民族のために生きる立場に立つときは、忠臣になるのです。世界のために生きる、精神的な面と生活的な面の両面でために生きることができる人は、聖人になるのです。
そのような意味で、大韓民国が迫りくる太平洋時代に新しい旗手になろうとしていますが、大韓民国を第一とする政策を行えば滅びるというのです。アジアを中心とする大韓民国の政策を展開しなければなりません。そのような政策を土台として、世界を中心とする大韓民国の政策を展開しなければなりません。そのように一つの国家なら国家の政治や文化、宗教がみな、そのような精神で進んでいかなければならないのです。
統一教会が発展する理由も、個人が幸福になるためには、まず世界が幸福でなければならないという精神をもっているからです。これが既成の宗教と違うのです。個人が救われるためには、まず世界が救われるようにしなければなりません。宗教的な信念を中心として体得したものがあれば、それを自分のものとして体系化するよりも、どのようにすれば世界的な内容を中心として神意の心情的分野まで関係を結んで実践できるか、ということが問題です。
今まで皆様は、統一教会に対して多くのうわさを聞いてこられたことと思います。しかし、そのうわさが問題ではありません。今日この大韓民国の三千万民族が、あるいは数多くの宗派が、統一教会の文先生一人を打って栄えることができるなら、打ちなさいというのです。私が願うのは、大韓民国のための救援ではありません。世界のための救援です。神様のみ旨が世界を救うことであれば、世界を救うための大韓民国になり、大韓民国を救うための統一教会にならなければならないのです。そうであってこそ、統一教会も良くなり、大韓民国も良くなるのです。
悪とは何でしょうか。自分を中心として引き込むことです。善とは何でしょうか。自分を捨てて無限に与えることです。そのような人であってこそ、聖賢の隊列に立つことができます。歴史を見れば、国家を中心とする偉人はたくさんいました。韓国を中心として見ても、李舜臣将軍のような方も偉人の隊列に入る堂々たる権威を備えています。ところが、あくまでも大韓民国という特定の国家を中心として見るときの偉人であって、聖人にはなることができないのです。聖人は、神様を基盤にして教えた道理を中心としなければ、聖人になることができません。
皆様も御存じのとおり、宗教的な指導者たちが聖人の道理をもてばもつほど、その人は超民族的であり、超国家的であり、超世界的です。それが聖人の教えです。一日の生活もそのような観点で、一生もそのような観点で実現させていくのです。そうすれば滅びないという観点で統一教会を発足させました。
統一教会の歴史を見れば、これまで三つの政権の迫害を受けてきました。自由党、民主党、そして革命政府からも圧迫を受けてきました。また、皆様も御存じのように、既成の教団から弾圧を受けてきました。ここに来られた宗教団体の指導者たちも、今まで統一教会を異端視してきました。それでは、どうして異端の輩として社会に物議を醸し出しているのかというのです。「統一教会を指導する文という人は独裁をしている」、あるいは「文先生は独裁主義者だ」といううわさが立っています。そして「統一教会の発展のために何かをしている」と言っています。勝共連合を結成して対国家的、対社会的な活動をしていることに対しても問題になっています。一般世論が誹謗中傷する内容を見れば、「統一教会でしていることは、自分の教派の宣伝であり、統一教会が国家的なある野心をもってやっているのは間違いない」と言うのです。そのような観点で統一教会を見ているので問題になっているのです。
最終的には、大韓民国と世界を救うことができる宗教にならなければ滅びてしまうでしょう。人々に「その宗教団体は信じられない」という認識が入れば滅びるというのです。宗教の和合運動を通じて新しい理想的な家庭から氏族、民族、国家、世界をどのように形成するかということが、今後において必要な問題であることを理解してくださるようお願いします。
今まで申し上げたこのような意味で、統一教会を創設したのです。新興宗教で未熟な点が多く、また社会から指弾を受けていることを私はよく知っています。しかし、文という人は、皆様が理解しているような人ではありません。今は、皆様が批判できる内容は、既にすベて批判し尽くしたと思います。今まで、問題の一団体として出発し、時が過ぎ去ることによって今日に至ったのです。
最後に宗教協議会の皆様に一つ申し上げたいことは、統一教会は、宗教協議会の世話になる教団ではないということです。大韓民国の世話になる統一教会でもありません。世界の世話になる統一教会でもありません。世界と大韓民国が世話になるようにし、宗教協議会が私たちの世話になるようにする宗教団体として残ろうというのが、私の所信であると同時に、私たちの志を中心として活動する全員の立場です。
このような点で、自分の主張を中心として相手に誤解を受けることも多かったと思います。今、この時間以降、そのようなことがあれば、皆様が兄弟の立場で接してくださり、この団体が良い意味で国と世界に貢献できるよう協助してくださることを願ってやみません。このように時間を割いてくださったことに対して感謝申し上げつつ、これで挨拶を終わらせていただきます。
2. 宇宙の公道を学ぶ会合となることを
2.宇宙の公道を学ぶ会合となることを
日付:一九九〇年二月一日
場所:韓国、ソウル、オリンピック・フェンシング競技場
行事:真のお父様古稀慶祝記念式
尊敬する内外の貴賓の皆様。世界百三十数ヵ国の代表者、国内の各界指導者、そして紳士淑女の皆様。公私にわたり忙しい日程にもかかわらず、きょう私の七十歳の誕生日を祝うために、このような盛大な席を準備してくださったことを感謝しつつ、特に天意に動機を置いた私の生涯を祝賀する皆様のお心に感謝申し上げます。
先立って、多くの代表の方々が多くの賛辞で私の過去の業績を褒めたたえてくださいました。しかし、きょうのこの記念式が過去の功績だけを賛美する場であれば、大きな意義はないと思います。私の行跡が未来に、ある希望的な動機を付与するのか、人類の将来を明らかにすることにどんな意義があるのか、さらには宇宙を経綸される神様の摂理とどのような関連があるのかを中心として、祝賀の内容が決まらなければならないと思います。
天命に従って、前人未到の孤独な開拓の道を駆けてきた私の生涯が、多くの人々の無理解と反対の中で、外的に波瀾万丈だったことは周知の事実ですが、私の心の世界では、どのようにすれば神様が願われるとおりに生きることができるのか、どのようにすれば神様のみ旨を果たしてさしあげられるのかに焦点を合わせ、そのために一刻を争う緊張が連続していました。神様を除いては説明することができない私の生涯だったのです。
国家の運命はもちろん、さらには世界の運命と直結された私の行路において、神様と深い内情で通じながら過ごしてきた事情と神様と共に体感した最も深い場での悲しみも、最も大きな痛みも、最高の喜びも、鮮やかな記憶として回想され、特別な情感で神様に深く感謝申し上げつつ、この日のすべての栄光を、生きていらっしゃる私の父、神様に捧げようと思います。
これまで、私が世界的に築いた基盤に対して「驚異的な業績である」と語るのは率直な表現でしょう。しかし、私は外形的で可視的な基盤そのものよりも、その中のどれ一つも私自身を中心としていなかったという点と、現在よりは未来を、個人より全体を、小さなことよりはもっと大きな目的のために築いたものとして、天と地と歴史が公認する基盤であるという点に誇りをもちます。徹底して神様が動機となり、厳しい風霜と曲折の中でも神様が守ってくださったからこそ、成し遂げることができた基盤であるという点が貴いのです。
私の過去七十年の星霜は、決してたやすい道ではありませんでした。世の中に友もなく、師もいない、本当に一人だけの孤独な道でした。私が数多くの逆境と生死の境をかき分けてきながらも、勇気を失わずにいられたのは、神様との深い心情的交流があったからでした。誰もその深い境地を知ることができないなかで、密かに助言を常に与えてくださった神様は、私の生きる動機そのものであり、生命力の源泉でした。
私は他人の言葉に耳を傾ける余裕がありませんでした。わき目も振ることができず、世論に気を遣うこともできず、日々神様の願いを思いつつ、細胞がしびれる一体感で、その方の創造理想を成し遂げてさしあげようと、その目的に向かって、一心不乱に駆けてきました。
満場の皆様。私にかけられた神様の願いとは何でしょうか。本来堕落がなければ、神様は無形の真の父母であり、人間は子女になっていたはずです。人間は、真の愛の縦的な父母である神様と真の愛の横的な父母であるアダムとエバから、真の愛と生命と血統を受け継いだ真の生命体として、愛の過程を通じて生命の種を子孫に連結するようになっていたはずです。
そして、堕落とは、人間始祖が神様の縦的な真の愛のもとで、横的に真の愛を完結することができず、天使長に侵犯され、偽りの横的な愛を生み出したことです。この堕落の結果として、神様は愛する子女を失ってしまったのであり、人間は心と体が矛盾し、葛藤する故障した命として生まれざるを得なくなったのであり、悪魔は偽りの横的な愛を条件に、個人から世界に至るまで人間を不当に管掌してきています。
神様は、このすベてのものを原状に復帰する救援摂理をしていらっしゃいます。それで、原理に従って悪魔を自然屈伏させながら、メシヤ、救世主である真の父母に人類を接ぎ木して復帰するのです。
本来神様は真の愛の完全投入で創造をされたように、再創造過程である復帰摂理でも、ために生きて完全投入してこられることを知ったので、私も天命に従って生涯を捧げてこの原則を実践してきました。神様のみ旨の前で、徹底的に他のために生きながら投入し、完全投入してみたところ、今日の基盤が成し遂げられました。
現代科学技術の発達は地球星に大きな変化をもたらし、今後さらに大きな変化を予告しており、これに対して人類は英知を集めて対処すべき緊迫した状況に置かれています。一言で言えば、現代文明は重大な危機を迎えるかどうかの分かれ道に置かれているのです。この問題に対して人類は、まず超国家と超人種、そして超宗派的に、すなわち汎世界的なアプローチで共同の努力をしなければなりません。公害問題、人口問題、自然保護問題など、直面している問題がすべて汎地球星の問題だからです。
その次に、現代社会の病弊、特に倫理、道徳と人間性の退廃の問題、人種戦争や宗教戦争の危険性などは、すベて人間の本質の中に内在した病弊なので、その主体である人間の意識革命、人間改造の次元からアプローチして解決しなければなりません。決して、体制や制度上の問題だけではないのです。
満場の紳士淑女の皆様。私が始めた世界的な活動は、すべて国境を越え、人種の塀を崩し、そして超宗教的なものなので、汎世界的な運動の典型です。世界の統一教会員は、神様の真の愛を中心とする意識改革により、新しい世界観をもって一つの家族として生活しています。
アメリカの中で、白人と黒人の両者に摩擦と壁がない唯一の場所が統一教会です。アメリカがキリスト教思想を土台として人権と平等を叫びながら努力したにもかかわらず、解決できなかった白人と黒人の紛糾を、私たちが解決したのです。また、日本とアメリカ、そしてドイツ出身の宣教師たちが、過去の恨みと葛藤の歴史的事情を乗り越えて見知らぬ国に到着し、互いに面識もない中で三人一組の共同献身生活をしながら宣教をすることによって、「世界一家族思想」を実践しました。
そればかりでなく、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム、仏教など各宗教団体の和合のために、私が毎年巨額の支援をしながら宗教一致会議を開催することで、世界各地の宗教団体の長たちから称賛を受けていることは既に知られた事実です。そして、国際祝福行事で名門大学出身の日本女性を新婦に迎えた韓国の農村青年が、村の祝宴を通じて祝賀を受けました。このように血族として結ばれる関係の中で、日韓の民族的感情が問題になるでしょうか。
統一教会が開催する集まりには、いつ、どこであろうと人種間の葛藤や民族的な差別意識や宗教的な偏狭性がありません。洋の東西を問わず、統一教会員は私の思想に従って人格が変化し、利己的な自己中心の姿勢を清算し、他のために生きて与える生活をすることで、未来の理想世界市民の標本になることを目指しています。
統一運動は、まだ十分ではありませんが、今日の実績がもつ意義は宇宙史的です。有史以来、多くの聖賢の教えがこのような実績を目標にしてきました。また、この地球上の多くの良心的な人々が、正しく生きるためにその道しるべを探してきました。そして、どれほど多くの志のある若者たちが、新しい可能性を求めて明るい未来を夢見ながらさまよっているでしょうか。しかし、それを探している中で失望し、挫折した若者たちもどれほど多いでしょうか。
実際に足を運んで見てください!偏見なしに見てください。人が動機とならずに天運が共にある基盤を研究してください。そして、明るいあすを設計し、明確な価値観を立ててください。
そして、皆様が見ているように、世界の統一教会員たちは、老若男女を問わず献身の道を行きながらも、どれほど喜びに満ちているでしょうか。特に若者たちが、混濁した世の中の荒波の中でも最上の倫理、道徳の基準をもち、自負心をもって活動するのを見てください。
私は、世界の統一教会の若者たちを人類の希望、神様の希望として見つめています。狭い教派や宗派の観念を越えて地球人という大きな次元で考えてみましょう。
もし私が唱導した思想によって人格が変化し、他のために生きることができるようになれば、国の将来はどのようになり、私たちにとって南北統一は難しい課題となるでしょうか。また、全世界の人類がこのみ旨を受け入れれば、平和で繁栄した世界が保障されるのではないでしょうか。
より大きなもののために生きる私の哲学は、統一教会自体を発展させようとするものではありません。神様と世界が教会のためにあるのではありません。教会が神様と世界のために奉仕しなければなりません。私は今、継続して奉仕する道を探しており、この歩みの連続で生涯を終えるでしょう。
もう一度、皆様の祝賀に感謝しながら、きょうこの記念式が、単に私の古稀を祝賀する場を越えて、他のために生きながら存在すべき宇宙の公道を学ぶ会合となることを願います。
皆様の仕事と家庭に神様の祝福が共にあることを願います。ありがとうございました。
3. 宇宙の根本を求めて
3.宇宙の根本を求めて
日付:一九九六年九月十五日
場所:韓国、ソウル、オリンピックフェンシング競技場
行事:「世界平和家庭連合」百八十五ヵ国結成韓国大会
尊敬する内外の貴賓、世界平和連合の会員、紳士淑女の皆様。冷戦の終息とともに平和と社会正義に対する新しい希望が急速度に全地球星に拡大しています。新しい世界の現実を無視し、直視できない指導者たちは、津波のように押し寄せる変化に流されてしまいます。今、私たちは新しい世紀の分岐点に立って、私たちの伝統的な考え方を再検討し、新しい機会と価値観を迎えることに、果敢に進んでいくべき時だと信じます。私はきょう皆様に、世界平和の実現と真の家庭の価値についてお伝えできることを光栄なことと存じます。
この世の中には、男性と女性の二種類の人が暮らしています。彼らは互いに立場を変えることはできません。皆様も自分が願ってそのように生まれたのですか。あるいは、私たちは願わないのに、そのように生まれたのですか、それとも、願いもしなかったのに、そのように生まれたのですか。私が思いもせず、願いもしなかったのに、そして、原因はもちろん、結果も過程も分からないのに、そのように生まれたのです。
人がいくら偉大だとしても、原因的な存在ではなく、結果的な存在であることを否定できません。したがって、第一原因である存在がいなければなりません。そのお方は誰でしょうか。男性でしょうか、女性でしょうか。その第一原因的な存在を神様と呼んでも、どのような名で呼んでもいいですが、その原因的な存在がいなければならないのです。きょう、ここには、我こそはという著名な方々がお集まりになっていますが、「神様がどこにいるのか。見せてくれれば私は信じよう!」とおっしゃるかもしれません。しかし、少なくとも、その原因的な存在を否定してはならないことを、まず警告しておきたいと思います。
きょう、私は「宇宙の根本を求めて」というテーマでお話しいたします。私たちが宇宙の根本を求めていけば神様に帰着しますが、そのお方は男性格と女性格の二つの性禀を所有しておられることを知らなければなりません。それでは、宇宙の出発の原因はどのようになっているのでしょうか。神様に対してはまだ分からないとしても、私たち人間は男性と女性、そして主体と対象から成り立っています。鉱物界の分子を見れば、陽イオンと陰イオンから構成されており、植物界は雄しベと雌しベ、動物界は雄と雌、そして人間は男性と女性から成り立っていることを見ることができます。
存在界を調べれば、鉱物界、植物界、動物界、どの世界を問わず、次元のより高い陽性と陰性が、より低い陽性と陰性を吸収して、存在、発展していることを知ることができます。なぜこのような現象が生じるのでしょうか。このすベての存在世界は、万物の霊長である人間を完成させる責任があるからです。鉱物界を見ても陽性と陰性、すなわち主体と対象が愛という概念のもとに、互いに一体となって存在しており、植物界も同様に、すべて雄しベと雌しベ、すなわち主体と対象が愛を中心として、一つに結合して存続するのです。最近、医学界では病原菌にまでも陽性と陰性があると言っています。
主体と対象、すなわち陽性と陰性が一つになるとき、何を中心として一つになるのでしょうか。キスすることによってでしょうか。愛は概念であって、実在ではありません。愛が定着できる実在は何でしょうか。男性が男性に、女性が女性になるようにするものが何であるかを知りませんでした。それが正に生殖器です。それを嫌う人がいますか。好きであれば、どのくらい好きですか。今まではそれが善くないものと考えたとしても、今からは貴く思わなければなりません。
未来の世界は、どのような世界でしょうか。生殖器を絶対的に貴く思う世界になるとすれば、その世界は善い世界でしょうか、悪い世界でしょうか。栄える世界でしょうか、滅びる世界でしょうか。冗談ではありません。神様が人間を創造されるとき、最も重要視して、精魂を込めてお造りになった箇所とはどこでしょうか。目ですか、鼻ですか。心臓でしょうか。でなければ頭脳でしょうか。
それでは、世界平和統一のための家庭連合の目的は何ですか。道徳と宗教など、すべての分野を完全に超越し、夫婦が完全に一つとなって、神様までも拍手で歓迎できる人が暮らす世界なのですが、そのような世界では、夫と妻の生殖器の主人は誰でしょうか。夫の生殖器の主人は妻であり、妻のものの主人は夫です。生殖器の主人が互いに取り替えられていることを知りませんでした。簡単な真理です。これを否定できないというのです。
千年、万年、歴史がいくら流れても、この真理は変わりません。あらゆる男性たちはそれを自分のものだと考え、またあらゆる女性たちもそれを自分の所有だと考えたために、世の中がこのように滅びつつあるのです。互いに主人を間違えているという話です。すべての人たちは、愛は絶対的であり、永遠のものだと考えていますが、その永遠の愛の主人がひっくり返っていることをはっきりと知るなら、世の中がこのようになっていなかったはずです。
博士や学者は数多くいますが、このこと一つ考え抜いた人はいません。皆様はこれを否定できますか。皆様の父母、祖父母、曾祖父母、そして人類の先祖とさらには宇宙の根本であられる神様に尋ねても、すべて同意するようになっているのです。これが鉄則です。この真理こそ、宇宙が億万年過ぎても原理原則として残るので鉄則です。そして、神様のみ前に出ていけば、この鉄則によって正しい人と間違った人の判定を受けるようになるのは当然のことです。アダムとエバの堕落も、正にこの鉄則に背いたことに由来しているのです。
アダムやエバは、自分たちの生殖器を自分たちの所有だと錯覚したのです。考えてみてください。善悪を知る木の実を取って食べたからといって、アダムとエバを追い出しますか。根本的な問題を誤って、宇宙のどこからも公認を受けられなくなったために、追放されてしまったのです。鉱物界や植物界や、動物界の雄と雌もすベて、愛の相対のために自分の生殖器を保管していることを、アダムとエバが知らなかったというのです。それでは、生殖器は何のために存在するのでしょうか。愛のためです。愛を探すために男性と女性として生まれたというのです。
神様の属性は何でしょうか。神様は絶対的であり、唯一の方であり、永遠不変のお方です。そうだとすれば、愛の主人は誰でしょうか。男性でもなく、女性でもありません。そのお方が正に神様であられます。愛を中心として、愛を通してのみ神様と人間が一つになるのです。なぜなら、神様にも人間にも愛が絶対に必要だからです。
神様が必要とする愛は、果たしてどのような愛でしょうか。絶対的な愛を願われます。皆様はどうでしょうか。私たちも同じです。神様が絶対的な愛、唯一の愛、不変の愛、永遠の愛を必要とするように、私たち人間も絶対、唯一、不変、永遠の愛を必要とするのです。すべて神様に似なければならないのです。
神様御自身が男性格と女性格、陽性と陰性をもっていらっしゃるお方なので、そこから分立された実体対象として創造された人間も、男性と女性として創造されたのであり、彼らが結婚すれば、実体として神様に代わる陽性と陰性になるのです。このように、結婚を通して縦的な神様の愛が横的に完全統一されるのが神様のみ旨だったのです。
人間の体はこの地を代表した横的なものです。すなわち肉身です。それと反対に良心はいつも縦的なものを愛し、縦的に高いものを求めるのです。したがって、人間は神様の縦的な基準と一つになる点を求めていかなければなりません。その点は中心点でなければならず、正にこの点で男性と女性が共に出会わなければなりません。そうして、この中心点から出生した人間は、愛と共に幼児の成長過程を経て、兄弟姉妹の愛、そして夫婦の愛を経験しながら成長するのです。この時、肉身は地を代表して成長するようになり、心は神様を中心として成熟し、ついに心と体が縦的、横的に一つになって、幸福の基地を築くようになるのです。そのようなところであってこそ、絶対的な愛を中心として絶対的存在である神様も喜び、その愛の対象体である夫婦も幸福になるのです。
このように、上下関係である父子の関係、左右関係である夫婦の関係、前後関係である兄弟姉妹の関係が一点を中心として完全に一つになるとき、理想的な球形をつくるようになります。このような理由から、父子の関係を東洋では一つの体と表現します。さらには夫婦の関係も一つの体であり、兄弟姉妹も一つの体として考えています。何を中心として、このように言うことができるのでしょうか。真の愛を中心として四方に球形をつくるとき、このすベてのことが可能になるのです。一点で出会って、球形をつくらなければならないのです。その点は一つです。一つなので、統一が可能なのです。神様と人間も父子の関係なので、一つにならなければなりません。それは真の愛を中心として一つになるのです。
人間の欲望はどれほど強いでしょうか。皆様の心の欲望は、神様よりも上に行くことを願うこともあります。いくら劣った人でも、神様より優れた世界の代表者になろうという欲望はもつことができるのです。
もし、皆様が神様の愛する息子なら、「お父様、いらしてください!」という時、神様は来られないでしょうか。皆様の妻がいくら劣っているとしても、本当に愛するなら、妻が呼ぶ時、夫は従うのです。このように真の愛で一つになれば、妻が夫を呼んでもついていき、兄が呼べば弟がついていき、弟が呼べば兄がついていき、皆が絶対に離れたくないと思うのです。神様も独りでいれば寂しいのです。どうすればそれが分かるでしょうか。
皆様。愛をもっていますか。生命をもっていますか。皆様の血統をつなぐことができる精子と卵子をすべてもっているでしょう。良心ももっていますか。それでは、愛を見たことがありますか。生命、血統、良心を見ましたか。触ってみたことがあるかというのです。その存在の現象は知っていますが、触ることも見ることもできないことを知らなければなりません。ただ心で感じてのみ知ることができるのです。同じ論理として、神様がいるか、いないかというとき、神様を見たことがないからといって、神様はいないとは言えないのです。
何が重要なのでしょうか。見えるものが貴いですか、見えないものが貴いですか。見えないものがもっと貴いことを知らなければなりません。お金、地位、名誉は見ること、または触ることができますが、愛、生命、血統、良心は見ることも触ることもできないのです。みなもっているのに、なぜ見ることができないのでしょうか。一つになっているからです。心と体が絶対的にバランスを維持していれば感じないのです。
皆様。目がまばたきするのを感じながら暮らしていますか。三時間だけ数え続けてみてください。また、呼吸を数えながら暮らしていますか。数えてみれば、途中で忘れてしまいます。右手を挙げて、左側の胸の上に当ててみてください。どういう音がしますか。鼓動の音、心臓の鼓動の音を感じます。その鼓動の音を一日に何度くらい聞いていますか。聴診器で聞いてみれば、爆弾が爆発するような音が聞こえるのに、私たちは一週間、一ヵ月ではなく、忙しい時は何ヵ月間もそれを感じないで暮らしています。考えてみてください。小さいはえが一匹だけ頭の上にとまっても、すぐに感じる私たちが、何百倍も大きな鼓動の音がしても、なぜ感じられないのかというのです。一つになっているからです。
壇上からこのような話をすれば、失礼だと思われるかもしれませんが、実感の出る話なので、いくつか例を挙げてみましょう。皆様。毎日、朝起きてトィレに行くでしょう。大便をするとき、マスクを使って大便をしますか。もし、ほかの人がそばで大便をして、そのような臭いを漂わせれば、すぐに鼻をふさいで何万里でも逃げ出すはずなのに、なぜ自分の大便の臭いはそのまま嗅いで座っていて平気なのでしょうか。自分の体と一つになっているので、自分の大便を汚く感じないのです。
皆様。幼い時、鼻をほじくってなめてみたことがありますか。その味が甘かったでしょうか、塩辛かったでしょうか。なぜそれが汚く感じられなかったのでしょうか。それが正に私たちの体の一部分だったからです。皆様。咳をして、痰が出れば、飲み込んでしまったりもするでしょう。ここに参席された皆様はいかがでしょうか。そのような経験はありませんか。なぜ、汚く感じないのでしょうか。みな一つになっているからです。私たちはみな、朝、昼、晩、毎日三食ずつ食べていますが、口から三十センチだけ下りれば、肥料工場があります。毎日、三食ずつ食べて、その肥料工場に原料を供給しているのです。それを知っても、箸とスプーンが口に入りますか。おなかの中に肥料工場があることを知りながらも、感じないで私たちは生活しています。なぜ、感じられませんか。一つになっているからです。
愛、生命、血統、良心があっても一つになっていて、完全にバランスを取れば、感じられないのです。私たち人間がそうであるように、神様も愛、生命、血統、良心、みなもっていますが、独りではそれを感じられません。完全にバランスを取っているので、感じることができないのです。ですから、神様も相対が必要なのです。相対の必要性をここから見つけることができるのです。男性でも女性でも、独りの時は愛を感じられませんが、男性の前に女性が現れ、女性の前に男性が現れる時は、相対的に刺激的な愛と血統が雷鳴と稲妻のように衝撃を受けて問題を起こすことを知らなければなりません。ですから、しっかりと目を覚ましていなければならないのです。このような真理を知らずに生きてきました。神様も絶対的に愛の相対が必要だという論理を、人間が悟ることができなかったというのです。
それでは、神様の愛の相対は誰でしょうか。猿でしょうか。人間が結果的存在であるならば、猿がその原因的存在、すなわち私たちの先祖になれるでしょうか。夢のような話は最初からしてはいけないというのです。アメーパから始まった生命体が人間に至るまでには、数千の段階の愛の門を通過しなければならないのです。ただ無条件に上がっていきますか。とんでもないことです。あらゆる動物もみな、同じです。種の区別は厳格です。誰も占領できません。唯物論を信奉する共産主義者たちが猿を先祖と信じ、猿と人間を交配させたとして、新しい生命体(人間)が出てくると思いますか。百年、千年やってみても徒労に終わります。これは、生命秩序の尊厳性を考えてみるべき問題です。
そうだとすれば、神様も何を必要とするのでしょうか。どの部分をより必要とするのでしょうか。目でしょうか、手でしょうか。私たちが考える五官ではありません。神様は男性格と女性格の二つの性稟をすベて所有していらっしゃいますが、父としていらっしゃるためには男性格主体として存在されるお方です。
このような基準で見るとき、神様も愛のパートナーが必要なのではないでしょうか。被造世界の誰が、果たして神様の愛のパートナーになるでしょうか。男性独りでなるのでしょうか。女性独りだけでパートナーになれますか。神様はどんなパートナーを願われるでしょうか。お金のパートナーですか。知識のパートナーですか。権力のパートナーですか。違います。神様は愛のパートナーを願われるので、夫と妻が生殖器を通して一つになるその場を中心として顕現なさり、人間と出会うのです。
なぜその場が神様を中心として一つになる場なのでしょうか。愛は絶対的であり、男性と女性が絶対的に一つになることを願う所が正にその場だからです。横的に見れば、陽性である男性がその中心に向かって近づき、陰性である女性がまた近づき、神様も男性の性稟である陽性と女性の性稟である陰性が合わさり、大きな陽性の立場で大きな陰性と合わさって一つになるのです。いつそのようになるかということが問題です。
結婚とは何でしょうか。なぜ結婚が重要なのですか。結婚は愛を求めていく道だからです。愛する道、生命を創造する道です。男性と女性の生命が一体になる道です。男性と女性の血統が混ざる所です。結婚を通して歴史が生じ、ここから国が生じ、理想世界が始まるのです。これがなければ個人の存在も意味がなく、国もなく、理想世界もありません。これが公式になっています。男性と女性は絶対的に一つにならなければならず、父母と子女たちは絶対的に神様と一つになり、神様を愛し、神様と共に生きてから、死んでそのまま霊界に行けば、そこが天国です。しかし、そのような人、そのような家庭、国家、世界、そのような理想的な人がいないので、神様が理想とする天国は空いているのです。今まで死んでいった人類はすべて地獄に落ちています。天国に入れませんでした。
このような観点から、イエス様も人類を救うための救世主として来られましたが、昇天したのち、天国には行けず、楽園に行っておられることを知らなければなりません。天国に行くためには、家庭を築いて入らなければならないので、イエス様も再臨することを願われるのです。イエス様も結婚して家庭を築き、その家庭と共に神様に侍って暮らしてから、共に天国に入れるのであって、独りでは天国に入れないので、聖書でも「あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」(マタイ一六一九)と書かれているのです。地上で解決しなければなりません。地上で病気になったので、その病気になった場所で治さなければなりません。
今日、人類は堕落した子孫となって、堕落圏の下に落ちているので、この圏を突破して上がらない限りは、天国に入れないのです。堕落圏内にいる人間は、いかなる困難があっても、その圏を突破しなければならないのです。ですから、イエス様も「自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである」(ルカ一七三三)と言いました。この道を行くためには、全生命を懸けて、突破して上がらなければならないのです。
皆様の家庭は、堕落圏内の家庭です。氏族、国家も同様です。闘って勝たなければなりません。アダム家庭で覆されました。アダムとエバが赤ん坊を生んだのちに追い出されましたか、追い出されたのちに赤ん坊を生みましたか。彼らは追い出されたのち、神様と無関係の立場で子女を生んだのです。このようなことも知らずに天国に行くというのですか。とんでもないことです。無知からは理想も生まれず、完成もありません。目を覚ますことを勧告します。
レバレンドムーンの話が正しいか、正しくないか祈ってみてください。私がこの道を探し出すためにどれほどの受難の道を歩んできたか、誰も知りません。罪もなく監獄に六回も入るほどの苦難に遭い、探し出してきた道です。ところが、他人の大切な息子、娘たちを連れてきて、このような真理を教え、短時間に方向転換させるので、多くの人が洗脳したと言うのです。無神論者は、神様がいないことを科学的に、理論的体系を立てて証明しようとして、自ら崩壊していきました。同様に、キリスト教徒たちは自分たちが信じている教理と違うといって、異端だと責め立てながら、私たちを取り除こうと大騒ぎしているのです。しかし、彼らが唱える異端こそが正統です。反対になるのです。サタンが嫌うものは神側であり、神様が嫌うものはサタン側だということを知らなければなりません。
思想的空白期に置かれている旧ソ連の若い青年たちも、レバレンドムーンの思想を中心として出版された中学校、高校、大学の教材を通して、さらには、刑務所の罪人までもその教材を通して、思想武装をしています。旧ソ連の三千六百余の学校でレバレンドムーンの思想の教材を使っているのです。彼らは、「私たちがアメリカに勝らなければならない。レバレンドムーンに反対するアメリカに勝らなければならない」と叫んでいます。西洋の腐敗した退廃風潮である同性愛やフリーセックスなどを収拾する道は、レバレンドムーンの思想だけだと彼らは信じ、急いでいるのです。アメリカより先にレバレンドムーンに従っていこうと叫んでいます。
皆様。神様がお好きですか。レバレンドムーンがこのようなことを展開しているのを御覧になる神様は喜ぶでしょうか。教皇庁の教えと今度の大会に参席したロバートシユーラー牧師の教えが同じでしょうか。もちろん、統一教会の教えも大きく違います。そうだとすれば、誰の教えが正しいか神様に尋ねてみてください。
イエス様と聖母マリヤに対する皆様の理解が間違ったものだといくら教えてあげても、それ自体が統一教会の利益になることがあるでしょうか。しかし、皆様が間違いなく知らなければならない一つの事実は、「地上で解かなければ、天でも解くことができない」ということです。それを早くから知ったレバレンドムーンは、生涯を捧げてこの道を歩んできたのです。
皆様。イエス様は結婚しなければなりませんでした。イエス様は女性ですか、男性ですか。聖女がいたなら、イエス様も彼女と結婚したくなかったでしょうか。神様はエデンの園にアダムとエバを創造され、彼らに生殖器をもつことを共に許されましたが、何のためにそのようにされたのでしょうか。彼らが成長すれば、神様が彼らを結婚させてくれるでしょうか、させてくれないでしょうか。問題は彼らの堕落にありました。堕落ゆえに血統が変わったのです。
ですから、神様は彼らをエデンの園から追い出されたのです。本来、神様の体となるべきアダムと神様の夫人格として立つべきエバが堕落することによって、神様御自身の体と理想が本然の状態を失って、怨讐になったのですから、それを御覧になった神様の心情がどれほどつらかったでしょうか。堕落は自らを埋葬する墓です。人のものを奪い取っていく行動です。言い換えれば、堕落はフリーセックスの根になり、個人主義の先祖になりました。
今日のアメリカはどのような国ですか。極度の個人主義、過分な私生活の追求、フリーセックスのようなものを神様が好まれるでしょうか。行き過ぎた個人主義が追求するものは何でしょうか。彼らの言うとおりなら、天と地、世界、国家、社会、家庭、甚だしきに至っては祖父、祖母までもすベて、放り投げてしまい、父母と兄弟も失ったまま、ジブシーやヒッピーになってさまよい、雨が降り、雪が降れば、行くところがないので、自殺して、一生を終えようという話ではないでしょうか。
しかし、人間の本心は極度の個人主義や、過分な私生活の保障を願ってはいません。宇宙と国家、町や村、そして父母の愛を受けて暮らしたいと思うのが、私たちの本心が願うところです。それができない反対の道を行くうちに、良心が燃え尽き、本心との相反を感じるようになって、むしろ薬でも飲んで自殺するのが良いと判断し、自ら命を絶つ現象がだんだんと増えていくのです。「自分のまいたものを、刈り取る」(ガラテヤ六七)という聖句が的中するのを目撃するわけです。
アダムとエバがエデンの園にどんな種を蒔きましたか。節制のない性関係の種を蒔きました。それを否定できますか。ですから、彼らが下半身を覆ったのです。子供たちも、父母が隠しておいた大切なお菓子を盗み食いして、見つかれば隠すのが本性の作用ではないですか。もし、善悪の実を取って食べたなら、その取って食べた手や口を覆うべきなのに、なぜ下半身を覆ったのかというのです。堕落は淫乱によって引き起こされたことを否定できません。堕落して落ちたアダムとエバを救ってあげるためには、堕落した方向と一八〇度逆の経路を通してこそ、救ってあげられるということは、この上なく理論的です。堕落によって地獄行きの血統を受け継いだので、メシヤが来なければならないのです。
メシヤは、堕落前、神様が創造したエデンの園の場で、家庭を築くことのできる主人として来られるお方です。メシヤはまず、神様に侍る家庭を築き、その家庭を通して国家を立てなければなりません。このように、家庭が問題です。メシヤの家庭を中心として、接ぎ木する摂理をしなければなりません。この死亡の世界で、誰が自分を救ってくれるかが問題です。
旧約時代を見てください。その時は、「目には目、歯には歯」(出エジプト記二一・二四)という原則のもとに蕩減してきました。イサクの妻だったリベカは、長子のエサウと夫までもだまし、次子のヤコブに奪い取った祝福を与えた女性ではないですか。そのような女性を神様はなぜ愛したのでしょうか。そのような神様をどうして信じることができるというのですか。今まで、このような疑問を誰も解明できませんでした。レバレンドムーンが初めて解いてあげたのです。レバレンドムーンだけが神様の秘密をすべて知っているからです。
それでは、天国と地獄はどこで分かれるか調べてみましょう。空中ですか。どこでしょうか。正に皆様の生殖器です。深刻なことです。これが天地をひっくり返しました。誰が否定できますか。レバレンド・ムーンが発表した原理の本の堕落論に説明されています。疑問に思えば神様に尋ねてみてください。皆様には、夢にも想像できない内容と理論をもって体系化しておいたレバレンドムーンの原理の本に反対することはできないのです。
レバレンドムーンが天国に行くか、行かないか気になるなら、死んでみてください。死んで霊界に行ってみれば分かります。レバレンドムーンがこの道を探すために、死の道を何百回も超えてきたことを、皆様は知らなければなりません。神様を数百回も泣かせた人がレバレンドムーンです。歴史始まって以来、誰もレバレンドムーンほど神様を愛した人がいません。ですから、いくら世の中がレバレンドムーンを滅ぼそうとしても、私は絶対に滅びません。神様が保護してくださるからです。皆様もレバレンドムーンが教える真理圏内に入ってくれば、神様が共に保護してくださいます。
生殖器を、目の見えない盲人のように、方向を失ったまま使用すれば地獄行きであり、反対にこれを神様の絶対愛に基準を合わせて使えば天国の高い所に行くのです。明白な結論です。今、青少年の問題が深刻な問題です。エデンの園でアダムとエバが、青少年期に日陰で淫乱によって堕落し、フリーセックスを蒔いたので、収穫の時期である終わりの日には、必ず世界的に青少年たちのフリーセックスの風潮が蔓延する現象が現れるのです。
終わりの日には、再臨主が神様の真の愛を中心として、堕落圏内に陥った人類を絶対愛圏内に引っ張り上げて救うという戦略を、サタンは知っています。サタンはどこにも愛の基準を置くことができないので、アダムとエバを堕落させるときに天使長がそうしたように、全人類をフリーセックスに追いやって全世界を裸にし、すべて死んでいく方向に引っ張っていくのです。人類がすべて天使長の後裔としての末路に直面するようになるのです。
エデンの園からサタンの支配圏内に陥ったアダムとエバの子孫が、今日の人類なので、サタンは堂々と神様のみ前でも、この世界のすべての男性と女性を引っ張っていき、自分のやりたいとおりにできる権限を主張するのです。神様はサタンが何を願うかを御存じです。サタンはフリーセックスを通して、ただの一人も神様のみ前に帰れないように、言い換えれば、全人類を完全に堕落させて地上地獄をつくろうとするのです。今日、私たちが生きているこの世界が、地上地獄となっていく世界でなくて何でしょうか。したがって、このように地上地獄になったこの世界と一八〇度異なる、正反対の道を求めていけば、天国に行く道があるのです。再臨主が来て、この世の中を救ってくれるのも、正にこのような一八〇度反対の道を教えて、天国に導くことなのです。
それでは、フリーセックスの道と一八〇度異なった正反対の道とはどのような道でしょうか。偽りの父母が現れて作った道がフリーセックスの道なので、真の父母が現れて、この間違った道を正してあげなければならないのです。神様は干渉することができません。この地のいかなる主権や軍事力、経済力、政治力でも手をつけることのできない問題です。偽りの父母によって引き起こされたことなので、真の父母がメスをもって手術しなければ、決して人類は救われる道はないのです。罪を犯した者がその罪を蕩減しなければなりません。家庭で結婚を誤って、血統が一八〇度ねじれてしまったので、真の父母が来て結婚させ、一八〇度原状に戻すことによって、天国に行く道を開いてあげるようになるのです。
神様がアダムとエバに期待したことは何だったでしょうか。絶対愛を期待したのです。絶対「性」が存在するところには絶対純潔の夫婦が誕生するようになり、自動的にフリーセックス、ホモ、レズビアンという言葉は消えるようになるのです。このような絶対純潔の愛を求める運動を世界的に広げるために、レバレンドムーンは一生を捧げて受難の道を克服してきたのであり、今は、勝利の祝歌を響かせながら、世界に号令をかけるときになったので、天に感謝しているのです。
世界平和に向かっていく礎石を置くのも家庭であり、世界平和への道を破壊するのも家庭です。人類の希望と幸福の土台が破壊されたところがアダム家庭でした。したがって、きょう、このように「世界平和家庭連合」を創設し、皆様の家庭も、今からはサタン世界と一八〇度異なる方向に行くことができる道が開かれたことを、天に感謝せざるを得ません。この道でなければ自由も幸福も理想もありません。
皆様は今、絶対的な純潔の生殖器、唯一の生殖器、不変の生殖器、永遠の生殖器を中心として、これを基盤として神様を求めるようお願いします。この基盤が真の愛の基盤、真の生命の基盤、真の血統の基盤、良心の基盤にならなければならず、ここから正に地上天国と天上天国が生じることを理解されなければなりません。
すべての男女が、自分たちの生殖器が実は自分のものではなく、自分の相対が主人だということを認めるようになれば、頭を下げて謙虚な姿勢で愛を受け入れるようになるでしょう。愛は相対なしには訪れません。愛は相対から訪れるので、ために生きないところには、愛があり得ないのです。絶対的にために生きるところで絶対愛を見いだすことができることを肝に銘じてください。
どこに行かれても、テレビやその他、言論機関を通してレバレンドムーンの話を伝えてみてください。絶対に滅びません。地獄になったこの世界を、果たしてどんな力で変えることができるでしょうか。神様の愛、すなわち絶対、唯一、不変、永遠であられる神様の真の愛を中心として、私たちの生殖器も絶対、唯一、不変、永遠の基準に立てて生きていかなければ不可能なのです。私たちの生殖器の本来の主人は神様であられます。
今、私たち全員が共にこの目的のために前進しましょう。神様の真の愛を実践する前衛隊になりましょう。今から家にお帰りになられたら、夫婦で自分たちの生殖器が絶対、唯一、不変、永遠の器官であることを互いに確認し、それが正に自分のものではなく、あなたのものであり、あなたが今までよく保管してきたものが自分のものだと宣言し、互いのために生き、永遠に奉仕し、感謝しながら生きようと誓ってください。そのような家庭であってこそ、永遠に神様がとどまるようになり、そのような家庭を中心として世界的な家庭編成が行われるのです。そうして、皆様全員が共に次回の三百六十万双の祝福結婚式に参席され、地上天国に入籍する真の家庭になるようお願いいたします。ありがとうございました。
4. 天宙は私の故郷と祖国
4.天宙は私の故郷と祖国
日付:二〇〇〇年二月二日
場所:アメリカ、ワシントンDC、国会議事堂
行事:第二回アメリカンセンチュリーアワード授賞式
尊敬するアメリカの上下両院の議員、外交使節、今日のアメリカが神様の最大の祝福を受けることに貢献したアメリカンセンチユリーアワードの受賞者、そして親愛なる内外の貴賓の皆様。きょう、自由と信仰と家庭の重要性を高めるためのこの歴史的な席に、アメリカの各界各層を代表する最高指導者の皆様にお越しいただいたことを、心から感謝いたします。同時に、ワシントンタイムズ財団の創設者として、去る一世紀を通じて、今日のアメリカが世界で最も優れた国になるようにと力を尽くした栄誉ある受賞者の皆様に、心からお祝い申し上げたいと思います。
また、きょう私の八十回目の誕生日を祝ってくださり、私が生涯にわたって成し遂げたすべての業績を高く評価し祝賀してくださった皆様に、重ねて心から感謝申し上げます。特にこの場で私は、今日まで共にいてくださり守ってくださった神様に、このすベての栄光と感謝を捧げたいと思います。
私は、生涯を通じ、神様の創造理想を実現するという一念で、ひたすら諸般の難問題解決のために苦心し、努力してきました。私は一九七一年、アメリカに来た時、アメリカが世界的な危機に直面していることを目撃しました。そこで、第一次五十州巡回講演を始めながら、「アメリカは、神様が抱えている三つの大きな悩みに責任をもたなければならない」と説破しました。その一番目は、共産主義からの脅威であり、二番目は、キリスト教の没落であり、三番目は、淪落の道に入っている青少年の問題でした。この意義深い日に私たちが心に刻まなければならないことは、すべての人が神様と完全に一つになることであり、自由と信仰、そして家庭に対する神様のみ旨を成就することです。私は、神様がアメリカを愛していらっしゃることを知ったので、このあらゆる兆候に対処できるアメリカにおいて、「ワシントンタイムズ」の創刊を含む多くの活動をしてきました。
きょう私は、これまでアメリカのために奉仕できる機会を許諾された神様に、重ねて感謝を申し上げます。なぜなら、韓国戦争当時、アメリカは国連軍として私の祖国を救援したばかりでなく、神様のみ言を伝える中で共産圏の監獄に投獄された私に、自由をもたらしてくれたからです。
私は、十六歳(数え)の少年の頃に天命を受け、神様のみ旨の究明とともに、人類救援のための復帰摂理歴史を完結するために、孤軍奮闘してきました。私が知った神様は、栄光と尊敬の玉座にいらっしゃるお方ではなく、堕落し地獄に落ちた子女たちを救うために苦労してこられた、悲しみと嘆息と苦痛の神様であられました。人間は堕落によって霊的無知に陥ることにより、神様の実在および人間と宇宙に対する根本的な無知に陥りました。したがって、肉身をもってこの世をどのように生きるべきか、死後の霊界の実在とその準備として地上生活をどのように過ごすかということを知らないまま生きてきました。
神様のみ旨と心情を知って生きてきた私の生涯は、一言で言えば、昼夜を忘れ、季節も環境も超越して、ただみ旨を成就するためにこの身を捧げ捧げて全力を尽くす道でした。私の八十年の生涯を振り返ってみるとき、これまでの多くの苦難と迫害にもかかわらず、この場できょう、皆様と共に過ごすことができたのは、ただただ神様が助けてくださったからだということが分かります。
私はこれまで、世界の至る所の公席で一万回以上語り、これが既に三百巻以上の書籍として発刊されました。きょう、アメリカの最高指導者の皆様を迎えたこの意義深い場で、これまで私が考え、教えてきた内容の一端を「天宙は私の故郷と祖国」という主題でお話ししようと思います。
本来、天宙は人間が主人となって暮らすように造られた巨大な家です。そしてこの天宙の中心となった人間は、上下、左右、前後の関係性、すなわち父子関係、夫婦関係、兄弟関係の中で球形として存在します。神様は、この上下、左右、前後の一、二、三、四、五、六の中心である第七の位置にいらっしゃいます。それで、神様は、私たちの日常生活を指導されながら、見えない中心の位置にいらっしゃいます。
人間は堕落し、落ちたサタン圏から、神様の救済により自由と解放を受け、真の息子、娘として成長したのちに、相対に出会って真の夫婦となり、さらに子女を生み、真の父母となることが正常な人生路程です。
したがって、私たちは、真の子女を否定することができず、真の夫婦を否定することができず、真の父母を否定することができません。これを否定すれば、宇宙の原則に逆行し、自らの存在を破壊することになります。ですから、人間は、真の父母と真の夫婦と真の息子、娘で構成された真の家庭を成し遂げなければならず、これが正に理想的な存在のモデルです。人間は、家庭で真の父母の愛を完全に受けなければならず、真の夫婦の愛を完全に受けなければならず、それから真の息子、娘の愛を完全に受けなければなりません。このようなすべての人間関係を完成させるものは何でしょうか。それは、お金でもなく、知識や権力、あるいは物質的な力でもなく、均衡の取れた神様の真の愛しかありません。
真の愛は、投入する力です。与える力であって、受けることのみの力ではありません。すべてを与え、零点の位置に入っていくのです。完全に空いた場になるので、零点の位置には、何が入ってきてもOKです。それで、与える力が永続するので、戻ってくる力が加重されて永続することによって、永遠の均衡が形成されるのです。
ですから、真の愛を中心に、ために生きる世界は授受作用を通して完成されるのです。天地のすべてのものが相対的関係で存在しているのも、このように与え合う作用を通して、真の愛の世界を成就するためなのです。相対関係において、すべての授ける力に対して、戻ってくる力が運動することによって、その中心点は永遠に定着できるのです。
すなわち、幸運の数である七のような真の愛の中心位置に神様がいらっしゃり、全宇宙が均衡を取って運行しているのです。天運というのは、このように受けて返す巨大な天宙的な流れです。その中で、愛も流れ、空気も流れ、水も流れ、光も流れます。しかし、その流れは、巡り巡って再び元の形に戻っていくのです。
紳士淑女の皆様。善なる人とは、どのような人ですか。様々に定義することができるかもしれませんが、一つは、受けたものを踏み倒す人は悪なる人であり、受けたものに対して、プラスして恩返しする人は善なる人であるというのです。ですから、子女が自分よりも劣ることを望む父母はいません。立派になることを望みます。また、夫は妻を、そして、妻は夫が自分よりも素晴らしくなることを願います。また、兄は弟を、弟は兄がもっと立派になることを願うのです。したがって、受けたものよりも、もっと大きなものを返そうとするのが父母の願いであり、夫の願いであり、子女の願いであり、万物の願いであり、結局、宇宙の願いなのです。さらには、大きな心で「天宙が私の故郷であり、私の祖国である」という考えをもった人こそが、自由と解放を受け、天宙的な歓迎を受けます。個人的に歓迎され、家庭、国家、世界、天宙的に歓迎されてこそ、結局、神様の真の息子、娘になることができるという結論が出てくるのです。
それでは、皆様はどこで暮らしたいですか。自分が生まれた本然の故郷で暮らしたいはずです。本然の故郷は、広い意味で考えるとき、天宙の中でも地球星であり、祖国は先祖の代わりに私たちの神様がいらっしゃる所です。この地球星で堕落していない本然の父母、兄弟、息子、娘が共に暮らすならば、そこがすなわち、私の本郷です。
そこには、黒人、黄色人種、そして白人が共に調和して暮らしています。このすベての人種は誰の息子、娘ですか。父母は一人の方であられます。したがって、宇宙で、東西南北のどこに行こうと共にいらっしゃる神様が人類の父であることは間違いないのです。
ですから、アメリカの主人が白人である、黒人である、黄色人種であるという考えは誤りです。アメリカの主人は神様であられます。皮膚の色が違うのは、住んでいる地域によって気候と環境が異なるので、それに合わせるためなのです。それで、雪の多い地域には白人が多いのです。反対に太陽の光が強いアフリカのような所には、黒人がたくさんいるのです。しかし、人は根本的に同じです。例えば、血の色や、筋肉や骨の形はすべて同じです。そして、互いに愛し合うことも同じです。したがって、人種の差別はあり得ません。
それで、統一教会では国際合同結婚式を通して、人類平等を実現してきました。自然の道理と原則を尊重してみると五色人種(すべての人種)が互いに結婚するようになったのです。黒人と白人が結婚することは、極と極が一つになることと同じです。あるいは、黄色人種と黒人が結婚すれば、お互いの長所を受け継ぐようになり、より優れた子孫を生むと考えるのです。
愛があるところには、葛藤がありません。たとえ、皆様の生まれた故郷と祖国は異なるとしても、一つ間違いないことは、信仰の本郷地であり、平和と統一の本郷地は、真の愛を中心とした祖国と故郷であるということです。
人間世界で、最も重要なのは真の愛、真の生命、そして真の血統です。真の愛には真の生命があり、真の血統が連結されます。真の血統が連結されなければ、真の愛が連結されません。
また、真の生命が連結しない愛は、偽りの愛です。真の生命は、真の愛と真の血統の関係の中で懐妊されるのです。このように、真の愛と真の生命と真の血統を通して、永生の道が開かれるのです。真の人となり、真の愛と真の生命と真の血統を後代に残すことが神様の創造理想なのです。
永遠の真の愛、永遠の真の生命、永遠の真の血統の主人であられる理想的な神様に似た人が、天の国の完全な真の息子、娘になります。どうして結婚をするかというと、正にこのような真の血統的伝統を過去、現在、未来に連結するためです。
堕落する前、アダムとエバは神様に直接、自由に対することができたのですが、堕落したのちには、以前のように神様と対することができなくなってしまったのです。さらには、堕落したアダムの子女であるカインとアベルは、神様の血統を受けることができず、サタンの血統を受け継ぎました。
したがって、イエス様は、ヨハネによる福音書第三章三節で、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」と言われました。人間は、血統的に誤った愛によって、誤った生命をもっている自分自身であることを自覚しなければなりません。人間は、自分たちが愛の怨讐であり、生命の怨讐であり、血統の怨讐の位置にいるという事実を、この上なく恥ずかしく思わなければなりません。
神様は、今日の世界でフリーセックスやホモセックスが乱舞していることを御覧になって、言葉にできない悲しみと苦痛を感じていらっしゃいます。しかし、怨讐の息子、娘を自分の息子、娘よりも、もっと愛さなければならないというのが神様の立場です。投入して忘れ、また投入して忘れながら、失ってしまった息子、娘を再び取り戻そうとするのが、神様の救援摂理です。
堕落した人間を救い出すためには、それよりももっと強い生命力を投入しなければなりません。堕落し、偽りの種で腹中に妊娠した子女を見ながら、悲しみ心を痛める神様がどれほど哀れでしょうか。そのような子女が繁殖し、今日の六十億の堕落した人類となったのです。
人間は本来、三時代を通過するようになっています。母の腹中時代は水中時代であり、地上世界は土と水と空気の時代であり、死後の世界は愛の時代です。胎児が母の胎で栄養をもらって育つのと同じように、人間の肉身は、地球星で万物を食べながら成長するのです。それで、人間は、地を母のように愛さなければならないのです。
霊界は、太陽の光のような光が、いつも光り輝いている所です。太陽は常に昼です。霊界もこれと同じです。
霊界での愛の光は、変わることがありません。朝でも夜でも、北極でも南極でも、愛は変わることがありません。そのような真の愛に満ちあふれた世界が霊界です。霊界は、春夏秋冬の季節を通して実った収穫物を貯藏する倉庫と同じなので、地上世界の人生が結実する所です。
復帰歴史路程で、これまで神様の直接的な真の血統が連結され、真の生命をもって出生した人は、イエス様しかいません。これまで堕落した人類の中で、地上や霊界で、神様の直接主管圏に入っていった人は一人もいませんでした。それで神様は、これまで一人、孤独な悲しみの歳月を過ごしてこられたのです。したがって、人間も悲しく、万物も悲しい世界となってしまったのです。
それで神様は、信じることができる一人の人、すなわち、血統を浄化させ、真の生命に重生させ、神様の真の愛を受け継ぎ、解放の主人になることができる一人の男性、メシヤを求めてこられたのです。皆様も御存じのように、アダム以降、旧約時代の歴史は、メシヤを迎えるための選民の歴史でした。準備された選民、イスラエルを通して、イエス様がメシヤとして来られ、万民をイエス様の家庭と接ぎ木し、真の血統を世界化しようとされたのが神様のみ旨だったのです。しかし当時のユダヤ民族の不信により、イエス様が十字架にかかって亡くなることによって、その歴史は再臨理想として残されました。
したがって、再び来られる再臨主は、人類の真の父母の立場で、再び真の愛の家庭を取り戻し、天地父母の位置を経て、人類救援摂理を完成しなければなりません。メシヤが出発する起点は、アダムとエバが堕落せずに完成した家庭よりも、もっと神様に栄えある立場で素晴らしく侍ることができる孝子、孝女の家庭でなければなりません。
メシヤは、真の愛を中心とした父の立場で、真の生命と真の血統を連結し、新たに出発しなければならない人類の理想的な核となる家庭の主人です。ここから、祝福結婚した家庭を連結し、地上天国と天上天国が完成するのです。
したがって、メシヤは人類の真の父母として来なければなりません。来られるメシヤは、サタン世界の愛とサタン世界の血統を否定し、神様の真の愛で連結した、完成した個人、家庭、氏族、民族、国家、世界と天宙を形成しなければなりません。すなわち、真の父母の愛によって、全人類が新たな祝福結婚をすることによって、新しい血統的家庭の相続を受けなければならないのです。そしてこれは、真の愛でなければ道がないという事実を知らなければなりません。こうして、サタン世界の地獄圏を解放しなければなりません。
したがって、すべての人類は、八段階の復帰過程を経て、神様の子女の立場を取り戻さなければなりません。本来なら、腹中時代を経て、幼児時代、兄弟時代、婚約時代、夫婦時代、父母時代、祖父母時代を経て、王と女王の時代までの八段階を経なければなりません。結局、人間は、神様の子女として、王、王妃として、天地の大主人になるという目的で生まれたことを知らなければなりません。
皆様。このように、私たち人間は本来、成長し、男性は女性に出会って王となり、女性は男性に出会って王妃となり、天の国の王子、王女として、天の国のすべてのものを相続される相続者の位置にまで行かなければなりません。このためには、地獄の底から、八段階の蕩減条件過程を通過して、天国まで一体化させなければならないのですが、これは、メシヤとして来られる真の父母の祝福を通してのみ可能です。
このような祝福家庭は、世の中の助けとなる主体的な家庭にならなければなりません。このように、完全に生まれ変わって新しい人になるためには、神様を中心として、絶対信仰、絶対愛、絶対服従を実践しなければなりません。私もやはり、生涯を通じてこれを実践してきました。
神様は、宇宙を創造されるとき、絶対信仰をもって造られました。さらに、神様は私たち人間を愛の絶対的パートナーとして造られました。絶対従順とは、自分自身までもすベてなくして、完全投入することを意味します。
このように投入して忘れ、投入して忘れて、最終的に自分という概念さえすべてなくなる零点に進入するのです。神様は、信仰もすベて注いだので、残ったものは零点であり、愛もすベて注いだので零点であり、純情もすベて注いだので零点です。
しかし神様の真の愛は投入するほど大きくなるのです。私たちはこのような神様に似なければなりません。愛を否定されても、さらに愛し、投入しても、もっと投入してこそ、怨讐を真の愛で自然屈伏させる位置まで進むようになるのです。神様がそのような道を歩んできたのであり、天地父母がそのような道を歩んできたのです。
投入して忘れてしまい、投入して忘れてしまうことを続ける人が中心者となり、全体の相続者となり、孝子の中の孝子となります。家庭の中でも、祖父、祖母をはじめとして十人の家族が暮らすとしても、最もために生きる人が家庭の中心となるのです。
愛国者も同様です。投入して忘れてしまうほど、忠臣、聖人、さらに進んで聖子として決定されるのです。神様は、人類歴史始まって以来、いかなる存在よりも、真の愛を中心として、より一層ために投入して忘れてきたのであり、また、永遠に継続して投入できるので、ために生きる人の王となり、先祖となることができます。
私が導いてきた統一教会が、短い期間に世界的な宗教団体として成長したのも、正しくこのような原理原則で努力してきたからです。自分の生涯を振り返ってみるとき、私が人類救援の道を行くとき、今日に至るまで、有形、無形世界の億万のサタン勢力が反対し、多くの宗教指導者たちが反対し、各国の政権が反対しましたが、私は堂々と彼らのために生きてきたので、いつの間にか、彼らの中心の位置に立つようになったのです。真実を理解できず反対する彼らのために生き、反対する彼らの子女たちのために投入し、反対する政権のために生きていくと、いつの間にかレバレンドムーンを尊敬するようになったのです。
私たちはここで、天の戦法とサタンの戦法がどのようなものであるかを学ぶことになります。すなわち、天の戦略は打たれて取り戻すのであり、サタンの戦略は打って失ってしまうのです。
このような原則のもとで、レバレンドムーンは、人類救援のために、五大洋六大州に広がっている五色人種を一つにし、一人の方、神様のもとの一つの世界を実現するために、国際合同結婚式を挙行し、数千、数万双の若者たちを祝福結婚させてきました。東洋と西洋が結婚を通して一つになるとき、世界で最も大きな文化的葛藤はなくなるはずです。
アメリカ人とドイツ人が結婚し、夫婦が真の愛で一つになれば、怨讐だった二つの国が神様の真の愛によって一つになるのです。さらに、レバレンドムーンは、霊界にいる霊人たちまで、真の愛によって祝福してきました。
地上と天上に天国が形成されるためには、霊界にいる霊人たちまでも祝福を通して解放しなければならないのですが、それは、実体の真の父母を通してのみ可能なのです。人類の先祖が偽りの父母として、罪悪の種を蒔いたので、メシヤは、人類の真の父母として来て、地上と霊界のすべての人類を解放してあげなければならないのです。
血統で誤った問題に対する解決は、全知全能であられる神様でさえも、一人では成し遂げることができないのです。もし、神様ができるのであれば、既にずっと以前に解決されていたはずであり、また堕落もさせなかったはずです。しかし、人間に賦与された自己の責任分担に対しては、原理法度の神様は、一切干渉することができないのです。したがって、再び来られるメシヤは、人類の真の父母として来られ、血統を汚した原罪をもつ人間を真の愛によって重生してあげなければなりません。
このような点から、私が主導してきた国際合同結婚式の意味は、単に男性と女性が配偶者として出会うことのみにあるのではありません。本然の神様の生命の種を与えられ、真の神様の子女として生まれ変わるための、神聖で偉大な重生の儀式なのです。このように、蕩減原則を通して、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙的蕩減時代を経て、最終的には、霊界解放と地上解放時代を迎えたのです。
世界が、数千、数万の民族に分かれ、父母、夫婦、子女まで分裂し、宗教圏も、キリスト教、イスラーム、儒教、仏教など四大文化圏に分かれてきましたが、今私たちは、大統一の家庭化時代を迎えました。新約時代を経て、完成時代である成約時代を経て、堕落がなかった本然の第四次アダム圏時代に入ってくるようになったのです。
言い換えれば、今は、国家主義時代が過ぎ、世界主義時代を超えて、天宙が一つの神様のもとで、一つになる時代に進入したのです。さらに地球星が全祝福家庭たちの故郷となり、神様がいらっしゃる天上世界は祖国になり、それが一つになることによって、永遠の祖国光復である地上・天上天国が始まるのです。
内外の貴賓の皆様。私は、新千年が始まる午前零時に、全世界に送るメッセージを通して「真の愛の天宙化は新千年天国の完成」というみ言を宣布しました。「真の愛の天宙化」という言葉は、天と地を真の愛の家にするという意味であり、新しい千年を迎え、全体世界を通して天国を完成するのです。
天宙は、神様から出発したので、その対象的立場にある愛の家が完成するためには、家庭や氏族、民族、国家、世界が同じ公式的な原理に基づく家を求めて、一つにならなければなりません。国は、家庭が入ることができる愛の家であり、世界は、国が入ることができる愛の家であり、さらに天宙は、世界が入ることができる愛の家です。
その中でも、真の愛の家庭というものは、巨大な天の国の家である天宙の出発点であり、核になります。家庭で夫は、妻の真の愛を中心とする家であり、妻は、夫の真の愛を中心とする家であり、父母は、子女の真の愛を中心とする家であり、子女は、父母の真の愛を中心とする家です。
神様の国は、真の自由と信仰、そして理想が実を結んだ花であり、真の愛と真の生命、そして真の血統が定着した真の家庭がとどまる所です。さらには、永遠の真の愛と幸福が満ちあふれた千年王国時代が始まる所です。
天地安息圏の中心が、神様が共にいらっしゃる真の男女が結合した家庭なので、私はこれまで真の家庭の価値を説き明かしてきました。したがって、私たちは、聖書で言うエデンの園をこの地球上に具現させなければならないのです。
今、新たに迎えた新千年は、六千年間の救援摂理が完結され、創造理想を中心とした本然の天の国が建設される時です。旧約と新約の約束が成就される、成約の時代です。
二度と涙がなく、死亡がなく、哀痛の声が聞こえない、新しい天と新しい地を意味します。水晶のような澄んだ生命水を代価なく分け与えられる、条件のない真の愛の時代を言うのです。霊界と地上が一つに通じ、天上と地上に神様の国が成就される時代です。生きていらっしゃる神様の直接主管圏が、復帰された長子権、父母権、王権を通して、全体、全般、全権、全能の新時代を開く時です。
以上のように、地球星は人類の故郷であり、霊界は人類が完成、到達しなければならない永遠の祖国を意味するのです。最後に「一人の神様のもとの一つの国」を越え「一人の神様のもとの一つの天宙」として、天の父母を中心とした地球星大家族主義の世界が形成される時です。したがって、私たちは、神様と人間の根本関係である父子の関係を心に刻み、「天宙」すなわち霊界と地上を「私たちの故郷と祖国」として創建するために、積極的に先頭に立ってくださるようお願いいたします。
重ねて、この場を訪ねてくださったアメリカの指導者の皆様に感謝し、四海同胞がお互いに真の兄弟姉妹となり、平和と自由、そして正義があふれる新しい千年王国が始まることを願いながら、み言を終えようと思います。私は、新しい時代を迎えて、神様が、アメリカにとってこの世界を導くように万全の準備をしておかれたことを確信します。皆様の国と家庭に神様の祝福が共にあることを祈ります。
5. 真の王の基
5.真の王の基
日付:二〇〇二年二月十七日
場所:韓国、ソウル、オリンピック公園・フェンシング競技場
行事:真の父母様御聖誕慶祝行事
世界各国から来られた著名な指導者の皆様、そして国内外貴賓の皆様。きょう、このように私たち夫婦が生まれた日を祝ってくださるためにお越しくださったことを心から感謝いたします。この意義深い日を迎えて、私は「真の王の基」という題目で、神様が本来、宇宙万象と人間を創造した理想を中心に、私たちの本然の人生はどのような姿でなければならないかを、神様のみ旨に立脚して皆様にお話ししようと思います。
宇宙の存在秩序は「ために生きる人生」を根本にしています。神様は知恵の王なので、宇宙万象が、相対のために存在するという原則をもって生きるように創造されました。これを天理の原則であり創造の秘訣として立てたというのです。真の理想、真の愛、真の幸福、真の平和の世界は、神様の創造理想であると同時に人間の願いでもあります。このような理想を成し遂げる道は別のところにあるのではありません。ために生きるところだけに真の愛が起こるのであり、真の幸福、真の理想、真の平和が実現するのです。
したがって、理想の起源、平和の起源、幸福と愛の起源は、相対のために生きるところにあるのです。「私」は私のために存在するという立場では、互いに一つになれないのです。互いに一つにならなければ、平和も、幸福も、理想も、愛も成就することができません。家庭でも、家族全員が互いにために生きる姿勢で生きるとき、その家庭には平和と幸福が訪れるのです。まず、夫婦間の姿を調べてみましょう。
真の夫とは、どのような夫ですか。生まれるのも妻のために生まれ、生きるのも妻のために生き、死ぬのも妻のために死のうとする夫がいるとすれば、そのような夫こそ真の夫でしょう。真の妻も、このような原則に従い、ただひたすら夫のために生きる妻であるはずです。
このようにために生きる生涯を送ろうとする真の男性と真の女性が夫婦になったとすれば、そのような夫婦こそ理想的な夫婦でしょう。そのような夫婦を通して真の平和の基準を求めることができます。そのような夫婦は、本当に幸福な夫婦になるのです。そのような夫婦こそ、永遠で普遍な真の愛の主体者になることができます。さらには、神様の愛を直接受けることができるようになり、神様の平和の対象になることができ、神様の理想の実体対象になることができるのです。
父母の人生はどうですか。父母は子女たちのために存在し、子女たちのために生き、子女たちのために死のうという犠牲と奉仕の精神で子女たちを養育し、教育すべきだというのが天理です。
このような父母こそ、真の父母になるのは当然のことです。そして、子女たちはこのような模範的な父母の姿を手本として真の子女の道理、すなわち真の孝子の道を歩むようになるのです。それでは、真の孝子とはどのような子女ですか。生まれるのも父母のために生まれ、生きるのも父母のために生き、父母のために生きるなら命までも捧げることができる子女が、真の孝子です。
同じように、相手のために生きていこうという原則を信じて実践する人生を生きるようになれば、家庭では、平和の家庭、自由の家庭、幸福の家庭、愛の家庭を形成するようになるはずであり、社会でも、平和の社会、自由の社会、幸福な社会、愛の社会、本然的理想の社会が成し遂げられるでしょう。国家と世界でも同じです。
いつ、どこで、どのようなことをしても、この原則さえ固守すれば、自由と平和と幸福と愛を自動的に得るようになるのが天理です。私たちは、ために生きる人生を生きていくときにも、主体と対象の関係についてその優先順位を考えてみなければなりません。神様の創造を調べてみれば、神様御自身が主体の立場ですべてを先に投入し、ために生きる立場で創造されました。知恵の王である神様も、平和と幸福、理想と愛の本然の基準を、このように人のために投入して存在することにおかれ、宇宙創造の大原則として立てておかれたのです。主体がまず対象のためにすベてのものを与え、ために生きる生き方を見せてあげるとき、対象は自動的に主体のために命までも捧げるようになるという原理です。愛は、対象から来るのです。対象がなくては、幸福や平和というものはあり得ません。
これは必ず対象を通じて来るのです。自分の生命よりもっと貴い愛と理想が対象を通して来るので、その貴いものを受けるためには謙遜に準備しなければなりません。ために生きるにも、謙遜に頭を下げてために生きなさいというのです。
ために生きる人生には永遠があり、繁栄があり、ために生きる位置が中心となる天理が運行しています。今日、どんなに多くの宗教の経典があるとしても「他のために存在しなさい!」という一言が、すべての経典の教えの上に高くそびえ立つようになるのです。新旧約聖書六十六巻も、結局「他のために存在しなさい!」というこの一言で総括的な結論を下せるのです。それで、イエス様も、「だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」(マタイ二三一二)とおっしゃったのです。「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」(ヨハネ一五・一三)とおっしゃいました。これはすべて、ために生きる人生の価値を説明したみ言です。このような人生を通じて天国が顕現し、神様が顕現され、神様の愛が顕現し、神様を中心とする平和と幸福と理想が顕現するようになることを語られたのです。男性と女性の関係においても、男性も女性も、本来、自分のために生まれたのではありません。
互いに相対のために生まれ、相対のために存在し、相対のために生きていき、相対のために死ぬことができるように生まれたのです。男性が男性だけのために生き、女性は女性だけのために生きる世界を想像してみてください。男性が女性をぞんざいに扱って無視する世界を、どうして自由の世界であり平和の世界であると呼ぶことができますか。女性が男性を排斥して子も生まないという世界を、どうして幸福な世界と呼ぶことができますか。
夫と妻は、どのような状況でも互いのために生き、愛してあげる真の愛の人生を共に分かち合いながら生きなければならないのです。これが、神様が男性と女性を創造した理想であり目的です。自分だけを絶対的に主張する独裁者からは、自由と平和を探し出すことができません。一人の独裁者が立てられるために、どれほど多くの人々が犠牲になりますか。相対を犠牲にして自分を立てようとする、すなわち、ために生きる真の愛の人生とは正反対の道が独裁者の道です。それで独裁者は、すべての人が嫌うのです。歴史的に独裁者はすべて、不幸で始まり、不幸に終わるのです。これが宇宙の根本真理だというのです。
尊敬する内外の貴賓の皆様。私たちは「他のために存在しなさい!」という天理に従わなければなりません。私たち個人を中心として、前後左右をよく見てください。家庭生活でも、いくら年が若く、格位が低い人でも、その人がすべての家族のために家庭の誰よりもために生き、献身する生き方を見せてあげれば、その人は自動的にその家庭の中心になるのです。
困難で大変なことが発生すれば、家族全員がその人に話し、相談しながら支援を要請するはずです。よりために生きる人が中心存在になるのであり、責任者になるというのが天理です。社会や国家の経営についても同じです。誰でも、自分以上にその団体や国のために献身し、奉仕する人がいるとすれば、その人に主のように侍り、神様のように侍ることができる、謙遜な生を実践しなさいというのです。
皆様が霊界へ行くようになれば、神様は天地の中心存在としていらっしゃるので、その方には千年、万年支配されてももっと支配されたいと思い、支配されること自体が最上の幸福になるのです。
私の話が信じられなければ、すぐにでも死んでみてください。今日、人類はこのことを知りません。自分のために本当に面倒を見てくれて、主管してくれる人をもつとき、真の幸福と平和を享受できることを知らずに生きているのです。
私たちの父であり全知全能であられる神様が、「私のために存在する」と感じてみてください。最高の愛である神様の真の愛が「私のためにある」と信じてみてください。そこで初めて皆様は安息を見いだすようになるでしょう。互いにために生きるべきである、というこの公式的な原則を拡大し、国家と民族を超越して世界基準まで到達すれば、その世界が正に人類の願うユートピア的愛の世界であり、理想の世界であり、平和の世界であり、幸福の世界に間違いありません。地上天国は、正しくこのような世界です。
紳士淑女の皆様。ために生きる人は天が保護し、中心存在になると言いました。この場に立っている私の人生が、その良い証拠になっています。世界万民から真の父母と呼ばれている私たち夫婦ですが、この立場にまで来る道は決して順調な道のりではありませんでした。
私は、生涯を天と人類のために捧げてきました。父母が反対し、一族が反対し、教会が反対し、国家が反対し、世界が反対する場でも、私は絶対に絶望したり、天の教えである「ために生きる人生」の実践を中断したりしませんでした。真の父母の道は、このように極と極を貫く孤独な道でした。その結果、今は私の生きてきた姿である「真の愛の運動」が全世界的に燎原の火のように広がりつつあります。ために生きる人生の実践を通して数百万の家庭が生まれ変わり、平和と幸福の真の家庭になっています。
そして、私たちの夫婦を真の父母として侍って生きようとする家庭が、全世界の至る所から集まってきています。今は、個人から天宙圏まで八段階の理想圏を完成し、神様の解放圏まで完成したので、正に人類の願いであるユートピア、すなわち地上天国が皆様の目の前に開かれています。
きょう、この貴い席に共にされた皆様も、天がこの時代、人類に下さった天理である「ために生きる人生」の真の愛を実践して、天が祝福した中心者、責任者となられ、永遠の平和と永遠の自由、そして永遠の幸福を成就されることを願います。ありがとうございました。
6. 神様の真の愛と「天地人関係」の回復
6.神様の真の愛と「天地人関係」の回復
日付:二〇〇三年二月六日
場所:韓国、ソウル、蚕室室内体育館
行事:真の父母様御聖誕記念式
尊敬する前職、現職の国家元首、世界から集まってこられた宗教界、政界、学界指導者、百八十九ヵ国の代表、国内外の高名な各界代表と平和大使、各宗親代表、そして紳士淑女の皆様。私の満八十三歳の誕生日と韓鶴子総裁の還暦を祝賀するために集まってくださった皆様に心から感謝申し上げます。何よりもまず、この日まで私を守ってくださり、共にいてくださった神様に、このすベての栄光をお返しいたします。
神様を抜きにしては説明することのできない私の生涯であるがゆえに、この意義深い場を感謝しながら、「神様の真の愛と『天地人関係』の回復」という題目でみ言をお伝えしようと思います。
人類は歴史的に、神様や絶対者について多くのことを語ってきました。様々な賛美や頌栄を捧げ、また一方ではむやみに批評したりもしてきました。「神様はいない」、「神様は死んだ」と極言したりもしました。それにもかかわらず、神様は、ただの一度も「私はここにこのように生きている」と直接的に現れることをされませんでした。
また、「科学と技術の発達が高度化すれば、神様を信じる人はいなくなるだろう」と予言した人も大勢いました。
しかし、現代社会においても、信仰者は依然として減っていません。神様は、生きていらっしゃる万有の根源者であられ、創造主であられ、人類の真の父母であられます。
私が発表し教えてきた神様は、漠然とした神様ではありません。いち早く、少年時代から人生と宇宙について苦悶してきた私は、十六歳(数え)の時に神様を体感し、その時から今まで、生活の中で交流してきました。
生死の境界線を行き来する険しい私の生涯を支えてくれた原動力は、正に生きていらっしゃる神様との約束と絶対信仰です。私は、霊界の隅々を渉猟し、そこにいる五大聖人と数多くの賢哲と会い、私の天的な使命に対して彼らの公認を受けました。
皆様。このように神様は厳存され、人類の真の父母であられるのです。神様は、私たちすベての生命の根源者であられ、すべての人が関係を結ばなければならないお方です。そして、私たちが訪ねていく霊界も、既に存在している世界だということをはっきりと知らなければなりません。私は、歴史に例のない「神様会議」を数度にわたって主導してきました。
一九八〇年代、各宗教団体の代表者と最高位の神学者、宗教学者を参席させた三度にわたる会議は、宗教界に大きな反響を巻き起こしました。これらの会議を通して私が指導しようとした要旨は、第一に、各宗教は、それぞれの特殊性をもちながらも、それよりもはるかに多くの共通の底辺をもっていること、第二に、宗教人相互間の葛藤と不和は、信仰者たちの偏狭が主な原因であって、決して絶対者のみ旨ではないこと、第三に、神様は、信仰や儀式よりも、愛の実践をより願っていらっしゃるお方だということ、この三点です。
この時に発表された論文と会議の記録は、現在、各宗教団体の最高神学教育課程の教科書として活用されています。高い垣根が築かれていた宗教団体間の対話と協力の気運が、この時から本格的に開かれ始めたのです。それ以降にも、毎年多くの予算を投入しながら、各種の宗教連合運動と超宗教平和運動を全世界的に展開してきました。
二〇〇二年十二月二十六日から三日間、アメリカのワシントンDCにおいて、私は新たな次元の神様会議を開催しました。「神様と平和世界」を主題として開かれたこの場に、世界各地から宗教指導者だけではなく、世界各地から、政界、学界、言論界、財界、文化芸術界、NGO代表等、三百十二人が集まりました。
神様は、信じる人だけの神様ではありません。万民の神様です。また、今この時は、漠然とした神様ではなく、より明確な威容と主管権をもって万民の前に立っていらっしゃる神様を悟らなければならない大転換期です。神様を無視しては決して解決できない個人的、家庭的、国家的、世界的問題の渦の中に埋もれている現代人だということを自覚する時です。
この会議には、三百十二人の世界的指導者が集まり、第一に、真の父母、真の師、真の主人であられる神様と実体の真の父母を、個人、家庭、国家、世界の縦的な絶対価値の軸として立てること、第二に、神様のみ旨を完成することを、霊界において五大聖人と賢哲たちが決意し、一致団結して地上を協助するため、それに歩調を合わせて協力すること、第三に、平和理想の実現のために、真の愛の実践運動や国連刷新運動等、真の父母様が計画することに積極的に参与し、教育し、推進すること等を内容とする決意宣布文を発表しました。
宗教を信じる目的は、本来の神様と本然の国を取り戻すためです。宗教という言葉は、人間だけを中心とした言葉ではありません。神様を母体とした最高の教えが宗教です。神様と関係を結び、神意に従って生きる生き方を身につける過程があるのです。したがって、聖人は、天意に従わなければならず、天情を紹介しなければなりません。真の宗教は、神様について教えてあげなければなりません。真の宗教は、漠然とした神様を紹介するのではなく、神様に対する認識をはっきりと強固に植えつけてあげることができなければなりません。世の中と妥協する宗教は、高次的な宗教だと言うことはできません。そのような宗教は、結局は衰退してしまうようになります。真の宗教は、人が神様を正しく求め、神人が一体となる本然の世界に帰っていくことを教えなければなりません。宗教を信じるのは、罪のない世界、神様と本然の関係を結んだ理想世界を求めていくためです。
神様が求めていらっしゃるのは、宗教界ではなく理想世界です。宗教の目的は、宗教自体の教えを通した世界ではなく、神様の理想を通した世界です。ここにおいて問題となるのが創造理想です。神様が創造されたので、創造理想を明確にすることはとても重要なことです。
それでは、神様のみ旨とは何でしょうか。創造理想を完成することです。神様がエデンの園で人間始祖アダムとエバを通して成し遂げようとされた創造理想とはどのようなものだったのでしょうか。真の愛の本体であられる神様は、愛のパートナーを必要として創造をされました。人間は、神様の真の息子、娘としてつくられました。神様の真の愛の理想を成し遂げるためです。彼らは、真の男性と真の女性として成長し、真の夫婦となって真の家庭をつくり、理想的な国と世界を形成するのです。
別の言い方をすれば、神様の真の愛を中心として、理想的な家庭、さらには理想的な世界を完成するのです。しかし、人間始祖の堕落によって、この創造理想は崩れてしまいました。したがって、宗教の目的とは、一人の真の人を取り戻すことであり、真の家庭と真の国家と真の世界を取り戻して、万民が平和に生きていくことです。これが正しく、神様が地に対して摂理される目的なのです。
宗教は、このように善の世界を追求してきました。しかし、その善の世界は、善の国が現れなければ成し遂げることができません。善の国は善の民族が、また善の民族は善の氏族が、そして善の氏族は善の家庭が先になければなりません。ですから、善の家庭を築こうとすれば、先に善の男性と善の女性がいなければなりません。アダムの堕落以後、イエス様の時までの四千年間、イスラエルの歴史は、外的には、世界を取り戻す歴史でしたが、内的には、真の息子、アダム一人を取り戻す歴史でした。堕落によって、神様の愛を中心とした生命と血統を受け継いだ息子、娘がいないことが神様の恨です。
神様が、愛と生命と血統の主人として再び造られ、この世の中に送られるお方が救世主です。観点によって、救世主、メシヤ、再臨主、真の父母と様々に表現されることもあります。この世のすべての人々を貧困と苦痛、戦争と罪悪から救ってくださるという観点では救世主として、また絶対者の救援のみ旨を中心として、すべての宗教人を生命の道に連結させる仲保者という観点ではメシヤとして、また第一イスラエル、第二イスラエルと続いてきた神様の主流復帰摂理という観点からは再臨主と呼ばれてきました。救世主、メシヤ、再臨主、これらの名称は、主に救援と復帰過程に焦点を合わせて呼ばれてきたものです。
偽りの父母、偽りの先祖と因縁を結んで生まれ、罪悪と葛藤の中で生きてきた堕落人間は、堕落直前の段階にまで復帰されることによって、すべての所願を成し遂げることができるのではありません。
神様のみ旨も、人間の本性の所願も、創造理想を完成した本然の理想的な人間となり、理想世界を成し遂げることです。それは、神様の愛の理想を完成した個人として生まれ変わったのち、真の愛の夫婦となって真の父母になることです。
そのために、神様の真の愛、真の生命、真の血統の始原である真の父母が絶対的に求められるのです。このように、神様の救援摂理完成のためには、男性として一人で現れる救世主、メシヤ、再臨主ではなく、神様の真の愛を完成した典型としての真の父母のお二人をお迎えしなければならないのです。
神様が、先に造られたアダムのあばら骨で、その永遠の相対であるエバを造られたように、神様の息子、復帰されたアダムが先に来てエバを復帰、再創造することによって、真の愛の理想を実現し、真の父母の位置を完成しなければならないのです。人間の真の愛と真の生命の源流がその中にあり、理想的な男性像、女性像の標本がその中にあり、理想的な真の夫婦と真の父母の標本が、その真の父母様の中にすべてあるのです。
人類の罪悪と苦難が、堕落した先祖の偽りの愛によって実を結んだ偽りの父母、偽りの先祖に由来しています。したがって、堕落の因縁から解放され、理想を完成することは、来られる真の父母様を通してのみ可能です。人類が宗教を通して求めてきたものも、世界が待ち望んでいるものも、神様の愛の理想を完成する真の父母です。
宗教は、人間を「改造」する道だと言うことができます。堕落がなければ、宗教は必要ありません。堕落によって心と体が闘っている人間を、永遠に闘わない平和な存在に、また神様の実体対象に改造しようとするのが宗教です。すなわち、神様に似た本然の人格に変えるのです。
私たちの心と体を見たとき、体は悪神サタンの基地になっており、良心は神様の基地になっています。一般的に、体が心を引っ張り回すのです。宗教は、心を引っ張り回す体を打って、弱めさせようとするものです。宗教の教えは、体が最も嫌うものを提示します。「断食しなさい。奉仕しなさい。犠牲になりなさい。祭物になりなさい」と言って、義のために苦行の道を歩み、生命を捧げることまで要求します。
聖書において、「自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである」(ルカ一七三三)という逆説的な論理で教えていることも、肉身が要求するとおりに生きれば、死亡世界である地獄に行くのであり、肉身を抑えて良心の解放圏をもてば、永生の天国に行くということです。
心と体が統一されずに闘う人は、統一された神様の愛の理想世界に適応することができません。一般的に、宗教をもつことによって天国や極楽に行くといいます。しかし、天国は、神様の真の愛を中心として、心と体が一つになった子女が入っていくようになっています。
堕落した世界の愛は、主に自分自身を中心とした愛ですが、それは、心ではなく体に関係しています。堕落した体は悪魔の舞踏場になっています。本心は、神様に代わる主体、すなわちプラスの位置にいるのですが、体は、もう一つのプラスとなって本心を籠絡(ろうらく)しているのです。これを正さなければなりません。この目的のために神様がつくられた修理工場が宗教です。心と体が永遠に一つになった人、完全な人格に正す修理工場なのです。
ですから、宗教においては、休まずに祈祷し精誠を捧げることを教えています。悪魔は、体を横的な舞台として、二十四時間休まずに活動しています。神様は、縦的な基準に立っていらっしゃるので、縦的な心を通してのみ役事(働き)されます。心が、横的な体の強い作用に引っ張られていかないようにするためには、心自体が垂直の位置で精誠を捧げることによって、神様から三倍も四倍も力を受ける必要があります。このような精誠の生活を三年から五年行えば、心が体の環境的、習慣的影響力から自由になることができるのです。
尊敬する指導者、そして紳士淑女の皆様。宗教生活は、してもよく、しなくてもよいという選択の問題ではありません。堕落人間は、サタンを中心とした偽りの愛と偽りの父母の因縁から生まれてきたので、誰もが例外なく修理工場である宗教を経て、必ず真の父母様と出会い、真の愛と真の生命の関係を結ばなければなりません。
ここで、一つ重要な事実を知らなければなりません。修理工場に訪ねていくのは、そこに永遠にとどまろうということではなく、再生して出てくるためだという事実です。宗教生活は堕落人間の必須課程ではありますが、宗教生活自体が人生の根本的、総体的な目的ではないというのです。人生の究極的な目的は、宗教生活を正しく履修し、模範生として卒業して、創造本然の人間として生活することです。
堕落ゆえに生じた宗教ですが、その宗教の中に埋もれて生きることだけが人生のすべてでしょうか。堕落していなければ、本然の人間はどのように生きていたのでしょうか。本来人間は、神様の子女として、真の愛の理想のもとで真の家庭をつくり、一つの世界を形成して、自由、平和、統一、幸福の天国生活をするようになっています。
神様は、宗教を通じて修理され再生された子女に出会うために、人間を創造したのではありません。罪を悔い改めながら葛藤の中で苦悩している子女を見ることを願う父母がどこにいるでしょうか。まして、創造主であられ、全知全能であられる天のお父様が、御自身の子女を、苦痛の中で罪を犯して生きるようにさせることが本来のみ旨でしょうか。堕落世界は、神様が計画された本来のみ旨ではありません。人間始祖が神様に背くことよって、本然の構想が成し遂げられなくなったのです。絶対的な神様であられるので、そのみ旨も絶対的です。神様は、再びそのみ旨を成就されます。それで、神様の救援摂理は、復帰摂理であり再創造摂理です。
宗教は復婦摂理のための機構です。人間は、真の父母様と出会って宗教生活の過程を履修するだけではなく、神様の子女となって、生活の中で父子の関係をもって神様に侍って生きる生活信仰の世界に飛躍しなければなりません。長い歴史の中で、人間は誰もが宗教生活を卒業しなければならないという、この貴い真理を明らかにした人はいませんでした。早くから神様のみ旨を知った私は、教派や宗派を創設しませんでした。
神様の摂理の中心宗教であるキリスト教が、私の教えである天道を受け入れなかったことによって、私が初めてつくった組織が「世界基督教統一神霊協会」でした。教派でも、宗派でもなく、「協会」です。宗教界が継続して不信し、計略を巡らせて迫害しながら、無条件に異端だと規定して顔を背けたにもかかわらず、私たちの集まりが大きくなっていったため、世の中が私たちの長い公式名称の代わりに「統一教会」と呼ぶようになり、そのために「統一教会」になってしまいました。
しかし、私は、数十年前から私たちの教会の看板を下ろす日を望みながら、その事実を予告してきました。一九九六年に教会の看板を下ろし、「世界平和統一家庭連合」として出発しました。
これは、人類史における重大事件です。偽りの父母から受け継いだ罪のくびきをかけ、苦難と葛藤の中で、悔い改めと祈祷の信仰生活を通してのみ神様を求めてきた人類が、真の父母から祝福を受けて重生し、真の愛の生活の中で神様に報告して生きる世界に変わる、天地開闢が始まったのです。
これまで私が、天命に従って真の父母の使命を果たしながら、地上だけではなく霊界の垣根も崩し、地上と天上に祝福の恩賜を自由に下してあげる時までの過程は、誰も知ることができません。歴史の中で、偽りの主人として振る舞いながら、人間を管掌し、神様に逆らってきたサタンを屈服させることが簡単なことでしょうか。サタンが公認しない立場では、真の父母の位相を立てることはできないのです。
サタン主管下の死亡圏にいる万人に、真の父母が管掌するとおりに祝福の特権が及び、霊界にいる霊たちや地上人が真の愛の生命圏に転換される奇跡の時代が開かれたのです。
満場の紳士淑女の皆様。今訪れてきた天運と共に、人類は、宗教生活を履修し、真の愛の祝福を受けて真の家庭をつくりながら、神様の真の子女として生活しなければなりません。地上で祝福を受け、このような真の愛の生活をした人だけが、永遠の本郷である天上の理想世界、すなわち神様の国に入っていくことができるのです。
霊界に行く時に、何をもって行きますか。お金ですか。権力ですか。知識や名誉ですか。これらは、この世のものなので、超越した世界に行く時は、すべて置いていかなければなりません。これらは、永遠な本質の世界であるその世界では何の役にも立たず、もっていくこともできません。
霊界は愛の世界であるがゆえに、地上で体恤した真の愛、特に天地父母から許諾された真の愛の生活内容が最も貴く認定される世界です。どうぞ霊界をより深く学び、祝福家庭としての生活を通して、真の愛を完成する神様の子女となってくださることをお願いいたします。
私の教えは、人から学んだことを根拠とするものではありません。また、私は、一般教訓的な次元の教育や慣例的な教育はしません。神様と天道に根源をおいた生命のみ言を直説的に訓導しているのです。
私の真の父母の使命が神様の下さった使命だとすれば、きょうこの時間、皆様が私と結ぶ関係がとても意味深く、貴重な関係になることを知って、心の深い所に刻んでおかれるのが良いと思います。神様の祝福が皆様と皆様の家庭、そして皆様の公道の上に共にあることを祈りながら、この場を終えたいと思います。ありがとうございました。
7. 平和世界実現のために
7.平和世界実現のために
日付:二〇〇三年二月六日
場所:韓国、ソウル、ロッテホテル
行事:真の父母様御聖誕祝賀晩餐会
尊敬する前現職国家元首、世界から集まってこられた宗教界、政界、学界の指導者の皆様、そして外交官と国内の高名な指導者の皆様。皆様が収められた世界平和のための首脳会議の実績をまず祝賀し、きょう私と韓鶴子総裁の生まれた誕生日を各方面から祝ってくださったことに対して、深く感謝申し上げます。このすベての栄光を、この日まで私を守ってくださった神様にお捧げします。
この意義深い席で、平和世界実現のための私の所信を皆様と分かち合おうと思います。世界平和を願う前に、宗教団体間の理解と宗教人相互間の和解が、今日のように切実な時はありませんでした、宗教の貴重な教えは、人類歴史を明らかにしてきた知恵の根本です。ところが、宗教人たちは三つの弱点をもっています。
第一に、彼らはとても来世的であり非現実的です。第二に、彼らは偏狭的であり党派的です。第三に、彼らは狂信的になりやすいのです。宗教指導者たちは、開かれた心で万人を包容しなければなりません。すべての宗教人の真の責務は、人間の多くの境界線、さらには宗教自体の障壁までも乗り越えることです。
宗教は、宗教自体の勝利や信徒たちだけの救援のために存在するのではなく、神様のみ旨を果たすために存在するものです。決して偏狭的であったり自己満足的であったりしてはいけません。愛する心をもって生きていくときには、すべての障壁が崩れていきます。偉大な宗教の創始者たちはこの点を理解し、このような理想を実現しようとしました。
神様は真の愛の本体です。真の愛は無条件的にために生きようとするその属性上、必ず相対を求めます。神様が創造した動機についても、また創造した目的についても、ここで正しい理解が求められるのです。このように神様は、御自身の真の愛の相対として被造世界を創造されたというのです。その中でも人類は神様に最も近い愛の相対、すなわち子女として造られました。最初の人アダムは、個人だけでなく、真の愛の家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙の始原なのです。
神様の創造理想は、一つの真の愛の主管圏内で相対のために生きる和合統一の理想でした。人間の先祖はこの真の愛の理想を完成する前の成長期間に神様に背き、偽りの愛によって堕落してしまいました。そして、神様と人間の間に葛藤が起こるようになりました。神様とサタン、人間とサタン、そして人間相互間に対立と闘争が起こるようになったのです。この地球上に数多くの国があったということは、数多くの闘争があったことを証明することでもあります。
このような闘争の起源を乗り越えていける運動を展開するところにおいてのみ、理想世界に向かう出発点を探し出すことができます。葛藤と闘争を解決する方法は、利他的で犠牲的な愛、すなわち「他のために生きる人生」です。神様の理想国家の実現は、怨讐を愛する思想をもった個人から出発します。怨讐に勝つ秘訣は、腕力を通じてではありません。怨讐まで抱く真の愛の力を通じてのみ可能です。
豆を植えれば豆ができ、小豆を植えれば小豆ができ、赤い花の種を植えれば赤い花が咲きます。同じように、怨讐を討つ悪魔サタンの種を蒔けば、怨讐を討つ悪の木が育ちますが、怨讐を愛する善の種を蒔けば、怨讐を愛する善の木が育つのです。怨讐を愛する精神をもった人々で構成された国が出てくれば、その国が神様の願う理想郷になり、人類が入ることができる理想的なモデルになることができます。
去る三十年以上の間、私は休むことなく家庭崩壊、性的な非道徳性、青少年の退廃、道徳的堕落、そしてキリスト教の衰退などのアメリカの問題を解決するために至誠を尽くして働いてきました。私のこのような努力にもかかわらず、キリスト教徒を含む多くのアメリカ人は、私がする仕事を誤解し、迫害し、投獄までしました。私に対して虚偽的な誹謗と否定的な態度を貫いてきました。しかし、私は憎悪や怨恨の感情にとらわれることを拒否し、迫害者のために変わることなく与える愛の人生を生きてきています。
私は、どのような事情のもとでも、神様の愛とみ旨を心情の深いところで最も大切に守ってきました。このような理由のため、時間がたつとともにアメリカ人、特にキリスト教徒たちで、私の教えと生活の価値を新たに悟る人が多くなり、彼らの心境に変化が訪れていることを見るようになりました。
私は公式的な演説で、「キリスト教徒が、彼らの真の根である神様のみ旨を果たすための使命に応えなければならない!」と直接的に語ってきました。キリスト教徒は、彼らの生活方式と態度を変えなければなりません。キリスト教の創始者は「怨讐を愛しなさい!」という原理を教えました。もしキリスト教徒がこのような根本原理を実践することに失敗すれば、彼らには衰退する道しかないのです。そのようになれば、彼らはイエス様の教えと自由の神聖な法則から離れるようになるからです。
一方、イスラームと他の宗教の指導者たちも、道徳的な面で、そして他のために生きて愛するときに高次元の愛を実践できれば、彼らの怨讐も、外的な力によってではなく、それよりさらに偉大な真の愛の力によって屈服するはずです。私は、西欧社会の指導者たちに、世界に散在している十三億のイスラームの信徒、また三十四億のアジア人と宗教人、それ以外の他の宗教人を無視したり見過ごしたりしてはいけないと常に語ってきました。
もしアメリカがこの巨大な人類家族構成員の存在意味を理解することに失敗すれば、どうしてアメリカが私たちの子孫のために、より良い未来を構築し、平和世界を成就できると期待できるでしょうか。同じ理由から、イスラム世界や他の宗教人たちもまた、どうして西欧社会とキリスト教文化を見下したり、その大切さを見過ごしたりすることができますか。私たちが互いを無視したり拒否したりすれば、私たちには、いかなる希望もないのです。すべての宗教指導者は、他の宗教と社会を包容する高い愛を実践する汎世界的な運動を引っ張っていかなければなりません。これが正に、すべての宗教創始者の崇高な教えです。
神様のみ旨と歴史の要求する方向はどこですか。神様の究極的な理想は、宗教と人種と国家を超越して、真の愛で平和統一された世界、すなわち「人類一家族」を形成することです。神様の目標は、ある一つの宗教や一つの理念の勝利ではなく、全人類が平和と統一と幸福の中で生きていく愛の世界を実現することです。
現代社会が技術的、物質的発展によって統一化されていく外的な趨勢の前で、人類が内的な和合統一を成し遂げるように導くのが宗教の役割です。宗教がこのことの先頭に立って模範を示さなければなりません。宗教界の和合と協力を成し遂げることは、遅らせられない歴史の要請であり、神様の神聖なみ旨です。それができなければ、宗教は衰退します。
私は生涯、私が体恤して経験した神様の心情と願われるみ旨を教育してきました。私の教えは決して思弁的な理論ではありません。神様は生きて役事していらっしゃいます。ただ人間は、堕落によって本然の位相を失ってしまい、神様を完全に感知できないまま罪悪と紛争の中で生きてきました。
全能で完全な神様であっても、その前にふさわしい相対がいなければ、御自身の全能性を示現させることができないのです。人間始祖が神様に背いて以後、神様は御自身が相対する善の基台を失ってしまい、したがって善の絶対的な能力が現れることがないまま歴史が進行してきたのです。
神様は、人間を原状回復させることによって、御自身の位相と天意を回復する摂理をされるのです。神様は人間始祖が成し遂げられなかった真の愛、真の父母、真の家庭の理想を回復するための使命者として、第二アダム、第三アダムを立てながら摂理されるのです。私がかつて神様の召命を受け、真の父母の使命を果たしてきた背後には、このような摂理的な事情が連結されています。
尊敬する指導者の皆様。今、私の預言的な宣布に深い関心をもってくださるようお願いします。人類は歴史的な転機を迎えています。今までは見えず、無力で存在しなかったかのよう思えた神様の権能が、人類の生活の中に示現する時になりました。万象と宇宙に厳存する神聖な秩序と合法の主人である神様の絶対権を、人間が自分の日課の中で体得する驚くべきことが起きる時になったというのです。歴史に通じる神様と真の父母様、そして義人たちの犠牲と無条件的な愛の実践基盤の上で成し遂げられた神様の善の相対基台が、堅固に造成されたために可能となった、奇跡のようなことです。
そして、人類は今後、次第に神様を感知し、霊界と霊人たちの役事を知るようになります。人々が自分たちの内なる人である霊人体を自覚し、霊性が啓発されるのです。このようにして、人間は自然に宇宙の公法を体得し、確かな人格変化を起こし、真の人になることができます。これを通じて人類は、宇宙の存在秩序と人間の関係が、利己的、自己中心的になっているのではなく、利他的に他のために生きるようになっていることを学ぶでしょう。
神様の創造本然の平和理想は統一理想です。相対理想となっている存在世界自体が調和統一を前提としているのです。相対を度外視したり、不幸にさせたりして成し遂げられる平和理想はありません。上下、前後、左右の関係や霊界と地上世界がすべて相対のために生きる真の愛の理想で調和統一を成し遂げるとき、完全な平和が実現します。したがって神様の喜びと幸福も、その相対である人間の喜びと幸福を同伴しながら成就するようになっています。
また、すべての存在の個体目的は、より大きな全体目的、すなわち公的目的のもとで成就するようになっています。すべての宇宙秩序は、このように二重目的の連体として大きな調和統一を成し遂げるようになっています。ところが、堕落により神様に背いて無知に落ちた人間は、堕落性である利己的欲望の主管下で本然の存在秩序に逆らって生きてきたのです。
公的なことよりは私的なこと、全体目的よりは個体目的を先に立てて生きてきました。その帰結は明らかです。永続的な自由と平和と幸福が保障されることはありません。外的な力と物質と自己中心の享楽を追い求めながら葛藤と対立の中で駆けてきた人間は、今、悲惨な不幸の泥沼をさまよっています。今こそ人類が自己省察をして天から来る声に耳を傾けなければならない時です。
摂理的な恩恵により、生きていらっしゃる神様が私たちのすぐ近くに来ていらっしゃいます。今からは人類がかつて経験してみることができなかった霊的な経験、すなわち超越の世界と交流を多くするようになるでしょう。
頻繁に起きる霊的役事によって人類は直接間接的に大きな影響を受けるようになるでしょう。
特に神様と善霊の役事による感化を経験した人間は、神様を中心として霊性の啓発とともに決定的な人格変化を起こすようになるでしょう。このように、天道にふさわしい人格に変わった人が、すなわち神様が願われた真の人です。
私たちは、怨讐を愛する真の愛を実践し、霊界を正しく知る真の人となり、真の父母となって、真の家庭をつくらなければなりません。平和世界の基点はここにあります。神様が願われる理想国家の基点がここにあるのです。
自分を真の愛の実体として立て、和睦する理想的な家庭生活を経験できなかった人に、幸福と平和を謳歌しながら生きる理想的な国家や理想的な世界はありません。神様が願われる理想的な祖国は、怨讐を愛する道、すなわち個人の怨讐を愛し、家庭の怨讐を愛し、氏族の怨讐を愛し、国家と世界の怨讐を愛する伝統を残しておく道を通して訪れてくるのです。
多くの人々は、国連が世界の問題を解決し、平和を実現してくれることを希望しています。しかし、国連はこれまで、制約もありましたが、その活動で宗教と霊性の重要性を見過ごすことにより、さらに影響力が弱化せざるを得ない道を自ら招きました。
国連が現実問題を分析し、また解決を試みるとき、一方にだけ偏ってきた結果です。これが続けば、国連は本来の創設目標を決して果たすことができなくなり、その存在を認めてもらえなくなるでしょう。平和世界実現の理想に包括的、根本的な面から接近するために、国連に超教的代表者たちの議会を併設することを再度提唱します。
この時、代表たちは、その宗教の創始者たちが実現しようとした最も貴い理想を実践すべきですが、模範となる真の愛の人格と知恵をもってしなければなりません。多くの指導者は、この点を深刻に考慮して、国連内に上院のような協議体を構成する努力を継続してくださるようお願いします。
私は、神様の真の愛のみ旨である、天上と地上に一つの国を形成するために生涯を忙しく駆けてきました。これまで、宗教界だけでなく、政界、思想界、学界、財界、言論界、およびNGO(非政府機構)の指導者たちに、「他のために生きる人生」を生きるべきであると指導してきました。
理念的な教えだけでなく、私が先に立って模範を見せる実践を通して指導してきました。このような私の世界的な基盤の上に「世界平和超宗教超国家連合」を創設し、世界的に「平和大使」を任命しました。利他的な真の愛の実践生活の手本を見せながら、対立し葛藤する境界線を越えて、調和統一の世界を成し遂げていく指導者を養成するためです。また、世界各国で平和運動と奉仕運動を展開する拠点として、また超宗教連合が主張するビジョンと普遍秩序を指導し実践する教育の場として「平和大使館」を建立しています。
指導者の皆様が、皆様の家庭と国を真の愛で新たに創建してくださるようお願いします。さらには、真実で永続的な平和世界、神様が願われる国境のない地球星を成し遂げるために努力する、「世界平和超宗教超国家連合」のビジョンを支持してくださり、共に働いてくださることを希望します。今回の会議で皆様の経験が生産的で自らを鼓舞するものとなり、平和世界の実現が早まることを祈りながら、お話を終わらせていただきます。ありがとうございました。
8. 神様の祖国と平和王国
8.神様の祖国と平和王国
日付:二〇〇四年一月二十七日
場所:韓国、ソウル、蚕室室内体育館
行事:真の父母様御聖誕祝賀記念式
尊敬する前現職の国家元首、世界各国から来られた指導者の皆様。そして、国内外の貴賓の皆様。私の八十四回目の誕生日と韓鶴子総裁の誕生日を祝賀するために来臨くださったことを心から感謝申し上げます。何よりもまず、きょうまで私たち夫婦を守り、共にいてくださった天のお父様に、このすベての栄光をお捧げいたします。
私たち夫婦は、かつて神様からの召命を受け、生涯を神様のみ旨を成就してさしあげることに捧げてきましたので、神様を抜きにしては私たちの誕生日の祝いも受けることができません。したがって私はきょう、「神様の祖国と平和王国」という題目のみ言を私の挨拶の言葉に代えさせていただきたいと思います。
皆様、人間始祖のアダムとエバが堕落していなければ、どのような世界になっていたと思いますか。アダムは、その家庭の長になっていたはずであり、その民族の族長になっていたはずであり、その国家の王になっていたはずです。その世界は、アダム主義で始まり、アダムの伝統、アダムの文化、アダムの生活様式だけが存在するアダム世界になっていたはずです。その世界は、正にアダムの祖国であり、神様の祖国になっていたはずです。
しかし、人類歴史は、不幸にも堕落した先祖から始まりました。神様とは無関係なサタン主管の世界に転落してしまったのです。神様を父母として侍り、永遠無窮の平和王国を築いて生きていくべきだった人類が、悪の本体であるサタンの奴隷となり、罪悪と苦痛の世界で、神様の胸の中に恨を植えて生きてきたのです。
皆様お一人お一人の生活について一度考えてみてください。創造主の意向とは反対に、私たちの心と体は、絶えず葛藤と闘争を繰り返しています。歴史上、心と体の完全統一を達成した人がいたでしょうか。また、皆様は、六十億を超える今日の世界において、果たして体を心に一〇〇パーセント屈服させ、心の道のみに従って生きている人がいると思われますか。
そして、今日の社会と国家はどうでしょうか。個人の心と体の間に根を下ろした葛藤と利己心の壁は、社会と国家の間にも難攻不落の要塞のように強固に立っています。お互いに兄弟姉妹となって暮らさなければならない人種間の紛争は、今も世界平和を脅かす深刻な問題として残っています。
人間の霊性を回復させて重生救済のみ旨を達成し、人類を神様に復帰させなければならない宗教までも、その本分を忘れたまま、偏見と葛藤の沼から抜け出すことができず、今では、その度を超して殺戮と戦争の要因になっているという現実を、私たちは目撃しています。
人間の本心が指向するところはどこでしょうか。数えきれないほど多様化した様々な壁と国境の中に閉じ込められ、思いどおりに息もできずに暮らすのが私たちの望みでしょうか。違います。私たちが願うその世界は、東西南北、四方のどこを見渡しても境界線がなく、垣根のない自由の世界であり、平和の世界です。
私たちは、このような本然の祖国を願っています。神様が数千年間お待ちになった祖国であり、人類が歴史を通して願ってきた祖国です。祖国と言えば、もちろんある特定の国家的な基準を前提に語ることもできますが、その本然の祖国は、私たちが簡単に考えるそのような国ではありません。
一つの国を建てるためには、主権と国民と国土が必要です。人類歴史を調べてみれば、数多くの国が興亡盛衰を繰り返し、数多くの主権が交代しながら、多くの命を犠牲にしてきたという事実を発見するようになります。その多くの殉教者たちは、ある一時に現れる本然の祖国を希望として死んでいったのです。
そうかといって、アメリカや韓国のようなある特定の国家だけが、彼らの願う祖国になることはできません。そこは、共産主義も民主主義もない所でなければなりません。
その祖国には、どのような宗教も必要なくなるでしょう。皮膚の色の違いで人間の価値を判断しようとする愚かな過ちを犯す世界ではありません。私たちの心と体を分けて苦痛の中に押し込んだ人間一人一人の壁はもちろん、いかなる形態の境界線も、いかなる規模の国境も承諾されない所でなければなりません。
皆様。私たちがきょうも身を置いているこの地球星全体が、正に人類が何よりも願ってきた祖国であり、神様が数千、数万年の間、願ってこられた祖国だというのです。
今人類には、天が願う基準の世界国家を建て、今まで天のみ前に怨讐の行為ばかりを繰り返してきたサタンを審判し、悪を除去して善のみを中心とする平和の天国をこの地上に成し遂げておく責任があるのです。
これが正に神様の願いであり、イエス様の願いであり、今まで摂理路程において殉教の道を歩んでまで貢献してきた先祖の願いだったことを、私たちは忘れてはいけません。
しかし、そのような理想の世界は、自動的に訪れるのではありません。願ったからといって、誰もが自力で成就できるものではないのです。堕落の後裔である私たちは、祝福結婚を通して新しい血統を伝授され、真の愛の道を実践躬行しなければ不可能なことです。真の愛の生活とはどのようなものでしょうか。
それを一言で言うならば、「ために生きる人生」です。人が自分のために生きてくれることを願う前に、先に人のために生きる人生です。ために生きてあげたことを忘れてしまう人生です。
ために生きてあげたからといって、何かを期待する人生ではありません。そして、ために生きてあげても、もっとために生きてあげることができずにもどかしく思う人生です。ために生きるにおいても、謙遜に頭を下げてために生きる人生です。
それで、イエス様も、「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」(ヨハネ一五・一三)と言い、「だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」(マタイ二三・一二)と言われたのです。全知全能であられる創造主の神様だとしても、御自身が立てられた創造原理を無視して、願うとおりに無条件に創造と破壊を繰り返すことはできないのです。
レバレンドムーンが、過去数十年間、祝福結婚の摂理を継続してきた理由が、正にここにあるのです。堕落した先祖から偽りの生命、偽りの愛、そして偽りの血統を相続した人間は、選択の余地もなく偽りの人生を生きてきたのです。
したがって、天から真の父母の使命を受けて出発した私たち夫婦は、生涯を捧げて、祝福結婚を通して偽りの父母の元凶であるサタンを除去し、真の父母として真の生命、真の愛、真の血統を人類に伝授してあげるために、天命を実践するという一筋の道を歩んできました。そして、私たち夫婦は、偽りの父母が植えつけものが偽りの血統だったために神様もどうすることもできないということを知ったのです。
私たち夫婦は、すべての蕩減条件を立てて勝利した実体の真の父母の資格で、野生のオリーブの木になってしまった人類の血統を断ち切り、真のオリーブの木を接ぎ木して、真の血統を繁殖させてきたのです。野生のオリーブの木は、千年たっても野生のオリーブの木です。このように接ぎ木を通してのみ、血統転換が可能なのです。
皆様。今、明るい天の時代が到来しました。希望をもってレバレンドムーンのメッセージを受けてください。一九六〇年度にたった三双から始まった祝福結婚の歴史が、今では四億双に至っています。
さらには、霊界には千二百億双を超える祝福家庭が暮らしています。真のオリーブの木の畑が野生のオリーブの木の畑を圧倒しています。この真のオリーブの木であるすベての祝福家庭たちが、真の血統によって一致団結して実践する「ために生きる人生」が、今全世界に燎原の火のように広がっています。この地上に、垣根や国境のない自由と平等の国、喜びと幸福の国、神様の祖国、平和王国がこのように成し遂げられるのです。
この目的のために、レバレンドムーンは、二〇〇三年十月三日、アメリカのニューヨークで「平和国連」を創設したのです。今この「平和国連」は、天地を揺るがす革命的な摂理的働きをしています。
六十億の人類を一人も残さずに教育して祝福結婚を受けるように導き、地球星の至る所が私たちの家であり、私の家となる創造本然の神様の祖国、すなわち私たちの祖国を創建しているのです。
私たちの目標は、既に設定されました。平和国連の旗幟(きし)は、既に高々とはためいています。勝利の喊声が世界各地で上がっています。
アメリカで、ヨーロッパで、エルサレムで、パレスチナで、韓国で勝利を重ねています。神様が私たちと共にいらっしゃり、霊界の聖賢たちをはじめとする大勢の義人、烈士たちが私たちと共に走っているのですから、不可能なことがどこにあるでしょうか。
信じる人に福があると言います。きょう、この意義深い日にこの場を借りて皆様にお伝えするこのメッセージを、胸の奥深くに刻んでくださることを願います。すべての方が、ぜひ祝福結婚の恩賜に同参(一緒に参加すること)され、血統転換の大革命を成し遂げてください。そして、皆様も、この地球星に神様の祖国を創建し、永遠無窮に平和王国を繁栄させる摂理の一線に立った堂々たる天の勇士となることを願ってやみません。ありがとうございました。
9. 神様の祖国と平和王国の成就のための摂理の道五十年
9.神様の祖国と平和王国の成就のための摂理の道五十年
日付:二〇〇四年四月三十日
場所:韓国、ソウル、マリオットホテル
行事:「世界基督教統一神霊協会」創立五十周年記念晩餐会
尊敬する国内外の貴賓、百九十一ヵ国の代表、紳士淑女、そして食口の皆様。きょうは、私が天意に従う道において、五十年前、すなわち一九五四年五月一日、初めて統一運動のための公式機構をつくって出発した意義深い日です。過去半世紀間にわたって開拓してきたこの道は、誰も理解できない、神様だけが動機となられた一本道であり、血と汗と涙に染まった迫害と苦難の道でした。
私が唱導したこの統一運動は、神様の願いが摂理史的な関係によって連結されているため、私は、過去五十年間、雪が降ろうと雨が降ろうと、一瞬も時代的使命と未来に対する責任を忘れたことがありませんでした。
きょうこの意義深い席で、私は、このように「統一運動」の動機となられた神様の根本趣旨が何であり、さらには、統一運動の帰結と目標が何かを明らかにしようと思います。
私は、教派や宗派をつくりませんでした。それが神様の願いではないことをよく知っているからです。五十年前、統一運動は、「世界基督教統一神霊協会」、すなわち統一のための協会として始まりました。世界のキリスト教の統一、さらには、宗教統一と霊界統一を標榜したこの名前自体が、実際にはとても大きな冒険でした。
キリスト教の伝統の定着とその文化圏の形成は、歴史的に模範となるキリスト教徒と指導者、そして学者の信仰と犠牲、情熱と研究によって成し遂げられました。それにもかかわらず、キリスト教は、現在数多くの教派に分裂して葛藤しています。このような状況下において、キリスト教の統一が簡単なことでしょうか。ましてや宗教統一、さらには霊界統一がどれほど大きな難題でしょうか。
私が主張してきた統一は、単に外的で形式的な概念の統一ではありません。神様の理想である根本的で完全な調和統一を意味するのです。第一に、これは神霊の役事によって成就される統一です。宗教と霊界の統一は、力や権力や、ある外的条件によって達成することはできないのです。神様が運行される基盤が地上に造成され、聖人が望んできた条件が成立すれば、神霊の役事が起きます。神霊を誘発できる力は神様と霊界にあります。
本来、人間の内なる人である霊人体は神霊の感応体です。しかし、堕落人間は、故障した霊人体をもったので、霊人と霊界の存在さえ分からずに生きてきました。これを修理して浄化すれば、万人が自然に神霊の役事を経験することができます。したがって人間は、霊界を必ず知らなければならず、そのような時が来つつあるのです。
私は、全生涯を通して、神様と霊界が支援する統一運動を展開してきました。神様を中心とする神霊の役事によって、心身統一、人間と人間の統一、霊界と肉界の統一、神様と人間の統一を成し遂げることができるのです。
第二に、真理と愛で統一を成し遂げます。これまで私は、神様と人間の関係が真の愛の父母と子女の関係であることを明らかにしました。そして、人生と宇宙、原罪と復帰の問題、霊界と摂理歴史全般に関する宇宙の普遍原理を天下に明らかにしただけではなく、真の愛を直接実践して教育してきました。
真の愛は、相対のために投入することです。真の愛は、相対が自分よりも優れていることを願うからです。投入してまた投入すれば、相対は自分自身よりもっと大きくなります。
しかし、真の愛は、その投入したことを忘れてまた投入するのです。これは、自分の利益と自分の位置をすべてなくす犠牲を意味します。ここで真の統一が成し遂げられます。したがって、利己心は、統一を成し遂げていくにおいて最も大きな障害要因になるのです。
過去五十年間、私は、完全に投入してきました。個人的にすべてのものを投入し、家庭的にすべて投入し、氏族的、民族的にすべて投入し、統一教団をすべて投入し、今でも世界と全人類のために絶え間なく投入しています。これらすべては、真の愛で完全な調和統一を成し遂げようとされる神様の創造理想を成就するためです。
正に神人愛一体理想が、人間に対する神様の願いなのです。人間が渇望してきた自由と平和、理想と幸福も真の愛の中で調和統一される時にこそ可能です。したがって、統一運動とは、すなわち真の愛世界化運動なのです。
無形の真の父母であられる神様は、真の愛の相対的存在を立てるために人間と万物を創造されました。特に、御自身の子女としてつくられた人間は、絶対愛の主体であられる天の真の父母にとって最も貴い相対です。したがって、人間の先祖は、無形の神様の体であり、聖殿であり、真の愛の実体対象なのです。
本来、アダムとエバは、神様の真の愛を中心として真の愛の人格体として成長したのち、真の夫婦となって真の子女を繁殖することによって、真の父母になるようになっていました。そのようになっていれば、彼らは、神様の真の愛、真の生命、真の血統の実体として完成していたはずです。
神様を中心にお迎えし、アダムとエバ、そして子女、このように真の愛の四位基台を完成していれば、神様は、真の愛の血統を継ぐ子孫をもつようになり、人間の理想家庭が定着するようになっていたはずです。
真の愛の属性は、自分より相対のために投入することだと言いました。したがって、神様には、御自身の対象としてつくられた人間が、罪を犯して地獄で苦痛を受けるようになるという概念はあり得ません。これは、すべて人間の先祖が真の愛の理想に逆らって堕落することによって、後天的に生じた結果なのです。本然の世界から追放された人間の先祖は、神様の真の愛の祝福の下で真の生命、真の血統の子女をもつことができませんでした。人類は、神様の真の愛、真の生命、真の血統とは関係のない存在として生まれるようになったのです。したがって、人間は、生まれる時から宿命的に救い主と救援が必要な存在になりました。救援は原状回復、すなわち復帰です。人間が堕落する前の原状に戻り、失ってしまった神様との関係を回復するのです。堕落人間は、必然的に蕩減復帰の道を行かなければなりません。したがって、神様は、時代と場所に合わせて宗教を立て、人類を復帰する発展的な道に導いてこられたのです。
宗教は、故障した人間を修理して原状に戻すための訓練所であり、修練教育院です。宗教の教えは、宗教自体のためのものではありません。人間を御自身の子女として教育し、再創造しようという神様のみ旨を成就してさしあげる道だからです。宗教がつくった制限された教理と儀式の中に、決して神様が入っていくことはできません。信仰を通じた教育と修養により、実生活の中で神様に侍ることのできる人格を養成することが宗教の使命なのです。
私たちが学校に入学すれば、所定の過程を履修することによって卒業しなければなりません。このように、教団が、伝道と宣教を通して信仰の道への入門を強調する以上に、個々人を教育、修練し、人格完成を通して生活信仰者として育成し卒業させることを、より一層重要視しなければなりません。
本来人間は、宗教と信仰生活を通して神様と関係を結ぶようにつくられた存在ではありません。本然の園には宗教はなかったのです。本然の神人関係は、信仰儀式の手順が必要なく、実生活において真の愛の幸福に酔いながら、理想的家庭を中心として暮らすことのできる真の父母と真の子女の関係です。
私は、初めからこのような天道と原理を、既存の宗教、特に神様が準備されたキリスト教の基盤を通じて教育、指導しようとしました。不幸にも無知と独善と教派主義によって神様の中心摂理は発展できず、むしろ迫害を受けました。そのような状況のもとで、私は、「世界基督教統一神霊協会」を立てて出発するしかありませんでした。教団の創設が目的ではなかったので、草創期から開かれた活動として、超教派的、超宗派的な運動をしてきました。世の中で私たちを指して、長い「協会」の名前の代わりに「統一教会」と呼び、通称「統一教会」になったのです。
以前から、私は、統一教会の看板を下ろす日を待ち望んでいると話してきました。神様の理想を地上に回復して再現することが統一教会の使命だからです。
神様が理想とする天国、創造本然の世界は、神様に背いた人類始祖の過誤を完全に清算し、超宗教超国家的な解放圏、釈放圏を完成して、本然の愛圏、四位基台理想を結実して初めて成就されます。それには、協会や教団自体の使命を超越し、真の愛の家庭理想を完成しなければなりません。しかし、従来の教会や宗教は、個人救援を目標とみなしてきました。今まで家庭救援に力点をおいた宗教はありませんでした。
家庭救援のためには、神様の真の愛の祝福を受けてこれを守っていかなければならない祝福結婚式が絶対的です。堕落した人間の先祖が成し遂げることができなかった真の父母の理想は、堕落した子孫が自ら成し遂げることはできません。神様が送ってくださる救世主を通してのみ可能なのです。
その方は、堕落した人間の先祖に代わって真の父母、真の先祖として来られるからです。人類の先祖が神様と無関係な偽りの血統によって繁殖させた堕落人間たちは、野生のオリーブの木の畑をつくったのと同じです。したがって、真のオリーブの木として来られる真の父母によって接ぎ木され、復帰されなければならないのですが、その儀式が「祝福結婚」です。
私は、純潔教育と真の家庭運動を世界的に実践した基盤の上に、一九九六年七月三十日、アメリカの首都ワシントンDCにおいて、多くの国家元首と世界最高位の宗教指導者を含む四千人以上が同参する中で、「世界平和統一家庭連合」を創設しました。そして、この日を期して、公式的に「世界基督教統一神霊協会」の看板を下ろしました。家庭連合の創設を通して、超宗教的、超国家的、超人種的に家庭救援摂理時代が開かれるようになったのです。旧約時代と新約時代は、理想家庭時代ではありません。個人救援だけが主な関心事である個人救援摂理時代です。
しかし、家庭救援時代は成約時代です。家庭が連合すれば、氏族救援摂理、さらには国家救援摂理時代に越えていくのです。実際に、堕落人間の宿命的課題である誤った血統を清算して所有権を転換し、心情を転換する祝福儀式の恩賜以上に大きな祝福がどこにあるでしょうか。天国は、特定の宗教の看板のもとで成し遂げられる所ではありません。宗教を超越された神様のみ前に、真の愛の父子関係を回復した人が、神様に侍り、真の愛に酔いながら暮らす所です。天国は、祝福を受け、真の愛の家庭を築いて神様に侍った人が、その一族と国と一緒に入っていく所です。
歴史を通じて、人間は、自分たちの解放と救援を求めて叫んできたのですが、それでは、神様の状況はどうでしょうか。神様は、解放が必要なく、常に喜びに酔っていらっしゃる方ですか。歴史的に罪と苦痛の中で呻吟する人間の姿を見つめてこられた父母として、神様の心情が解放の喜びを享受できたでしょうか。決してそのようにはできません。地上と天上に理想家庭と理想天国が成し遂げられる、その程度によって神様の心情も解放され釈放されるのです。そのようになって、初めて人間も真の愛の家庭生活を通して解放、釈放されるようになり、万物もまた、そのような人間を通じて解放、釈放され、さらには霊界も解放されるのです。
天国は、真の愛の本体であられ、生きていらっしゃる神様を中心として、子女である人間が喜びを共有しながら、情で感応し、呼応する真の愛の宮殿だと言うことができます。「世界平和統一家庭連合」が真の家庭祝福運動を世界的に展開してきたのは、このような超国家、超宗教、超人種的天国を実体的に成し遂げるためです。
尊敬する指導者と愛する食口の皆様。人類は、歴史を通じて理想世界、天国の夢を育ててきました。ところが、現実はどうでしょうか。現代社会は、家庭の崩壊と価値観の混沌の中で、フリーセックスと個人主義の王国になりつつあります。このような環境の中で、堕落した人間が中心になっては、正しい人生観と価値観を立てることはできず、さらには、正しい世界観と宇宙観も確立できません。したがって、個人と全体が完成して調和を形成するということに対しては、何の希望も期待できないのです。
二十世紀、多くの人々は、「共産」と「平等」によるユートピア運動に希望をかけました。この運動が世界を煽動し、揺るがしましたが、実際、共産圏の人々は、不平等と搾取、不幸と恐怖を経験しただけであり、この運動は失敗に終わってしまいました。
また一方では、「民主」と「自由」が最上の価値であり理想だとして、その体制を構築して夢を育ててきました。結果はどうでしょうか。これまた、人間の享楽的、利己的欲望をより一層刺激して、堕落と腐敗、不均衡と混乱の結果を生み、その未来が不透明になりました。
また、世俗的な「人本主義」や「主体思想」による理想世界の建設を叫ぶ運動もありますが、これもまた人間をして非人間化、動物化へと追い込んでいます。それだけではなく、「世界化」を主張してはいますが、これもまた自己中心に流れ、神様が願う縦的な絶対価値を確定することができず、横的な相対的価値観の混沌と葛藤の中で身もだえしています。したがって、人類は、共に幸福になることができる世界大家族への道とは無関係の立場で、自縄自縛の道ばかりを進んでいるのです。これらのことは、すべて人類が長い歴史を通じて、真の父母であられる神様を遠ざけてきた業報と言わざるを得ません。したがって、不幸と苦難から出口を見いだすことができずにさまよっている現代人の急務は、神様を正しく知って取り戻すことです。また、原罪を正しく知り、霊界を正しく知らなければなりません。
個人は、一人でその理想を成し遂げて幸福になることはできません。家庭と氏族、民族と国家、世界と天宙、さらには、神様と正しい関係を確立する時にのみ可能です。これが正に、共に完成できる神様の真の愛の理想なのです。
未来の新しい時代の世界は、人間を中心とする主義の世界ではありません。神様を王として侍る神主義、天父主義の世界です。したがって、真の父母、真の愛主義時代が到来しています。国家主義時代は過ぎていきます。どんなに超強大国でも、一国では存続することはできません。したがって、一国主義時代は過ぎていきます。国境を撤廃して、超国家、超宗教、超人種的にお互いに協助して暮らすことのできる新しい時代が訪れるからです。
その到来する世界秩序の核心は真の愛です。すなわち、相手のために投入することです。このような天道に逆行して、利己的、自国第一の保護主義政策をとる国は、だんだんと影響力が弱くなり、結局は滅びます。未来の世界は、何よりも先に宗教が看板を下ろし、真の愛と慈悲を実践する生活を政治圏や世の中よりも先に率先垂範しなければなりません。閉鎖的な宗教ほど、早く衰亡の道を歩むようになります。あらゆる教団は、超宗教的に和解協力して、超国家的、超人種的和解一体を牽引しなければなりません。天父の心情を抱いて真の愛を実践し、手本にならなければなりません。
私は、「世界平和統一家庭連合」を立てて真の家庭運動を世界的に展開する一方、戦争を防止し、平和世界を具現するために、すべての資源と人材を惜しみなく投入してきました。このための統合推進機構として、一九九九年二月には、「世界平和超宗教超国家連合」を創立しました。
これまで教団間の和解のために数十年間努力してきた基盤をより一層拡大し、政治、経済、教育、社会、文化、NGOなど、各分野の指導者たちも同参するようにしました。世界百九十一ヵ国に五万人以上の平和大使を任命し、国連が真の世界平和のために献身する機構になるよう国連刷新運動も進行しています。
また、二〇〇三年十月には、「平和国連」と呼ぶことができる「超宗教超国家平和議会」を創設し、平和世界実現の中心機構として活動を拡大しています。それだけではなく、到来した天運に合わせて、天上世界と地上世界の精誠と勝利的な基台の上に、二〇〇一年一月には、神様の王権を奉献してさしあげました。永存される王であり、王の王であられる神様を解怨してさしあげた歴史的な行事でした。これを通じて、神様の善の主管圏が、世界万国に実体的に版図を広げるようになりました。「統一運動」が公式的な機構として出発してから、いつしか五十年です!統一運動の第一段階は、宗教圏を主とした個人救援次元の活動期間でした。
次の第二段階は、天国の基本単位となる真の家庭を探し立てる運動でした。この運動は、地上と天上の万民がすべて祝福を受ける時まで、氏族復帰と統班撃破運動などを通じて継続されるでしょう。一方、第三段階である平和の理想世界創建運動も、既に本格化しています。昨年一年間で、中東平和のための大小の集会を十六度も主導しながら、あらゆる精誠を尽くして努力しています。それ以外にも、南北平和統一運動、国連刷新ないし新しい平和国連運動、全世界五万人の平和大使たちの平和運動などを世界が注視しています。
尊敬する各界指導者の皆様。この時は歴史の大転換期です。私たちは、今世紀に驚くべき変化を経験するようになりますが、特に三つの分野において大覚醒が大きく浮かび上がってくるでしょう。
第一に、現代の風潮は、過度に物本主義的、人間的、無神論的ですが、霊的現象に対する関心と認識が急激に増大し、歴史を変化させる驚くべき霊的経験をするでしょう。
第二に、人類は、発展する霊的体恤とともに、最も貴い真の愛の基礎学校として、家庭の神聖な価値と社会的意味をより一層悟るようになるでしょう。世界的に家庭が崩壊し、異常に変形してしまった、過去数十年のつらい経験から得られた覚醒でもあります。
第三に、私たちの霊性が開発された基台の上で、平和に対する希望と努力が著しく大きくなるでしょう。人間関係が国家と人種と宗教の壁を越え、すべての人が、ために生きながら一緒に暮らしていくべき温かい隣人であり、人類一兄弟だと感じる驚くべき変化が訪れるでしょう。
これらのことは、すべて生きていらっしゃる神様の摂理の進行です。神様は、人間の霊性を啓発し、その基台の上に真の愛の家庭を確立し、また、この家庭の基台の上に真実で永続的な平和理想世界を成し遂げようとされる摂理をしていらっしゃいます。実に、人類の本性が願ってきた理想世界、すなわち真の愛の神様を絶対価値の王として侍る神様の祖国、平和王国を創建していかなければならない時が訪れたのです。
このように途方もない天運の時を迎えたので、皆様が、この天道によって平和王国を創建していく役軍になることを願ってやみません。神様の祝福が皆様と皆様の家庭、そして皆様の国に共にあることを願います。ありがとうございました。
10. 神様の祖国と平和王国は解放と釈放圏の上で
10.神様の祖国と平和王国は解放と釈放圏の上で
日付:二〇〇四年五月一日
場所:韓国、忠清南道、牙山、鮮文大学校
行事:「世界基督教統一神霊協会」創立五十周年記念式
尊敬する前現職の首班、世界各国から来られた貴賓と大韓民国の内外の指導者の皆様。きょう、公私共に多忙でいらっしゃるにもかかわらず、この式典に御出席され、このように満場の盛況を呈してくださったことに対して、心から感謝申し上げます。
私が一九五四年五月一日、ソウル市北鶴洞(プッカクトン)のみすぼらしい「三つの門の家」で、幾人にもならない弟子たちと共に、「世界基督教統一神霊協会」という看板を掲げて天のみ前に深刻な祈りを捧げたことが、きのうのことのようです。
しかし、今日、世界百九十一ヵ国に宣教部を置き、日進月歩の飛躍的な発展を繰り返す「世界平和統一家庭連合」に成長したという事実を前にして、これを「天の奇跡ではない」と言う人がどこにいるでしょうか。
私がかつて、十六歳(数え)の胸を躍らす青年期に天の召命を受け、悲壮な覚悟で出発したのが、この天の道でした。この道は、実に言い表せない苦痛と受難の道でもありました。
蕩減の峠を越えるたびに、血と汗と涙を流す犠牲の道でした。立てた息子の悲惨な姿を見守られ、胸を痛める神様の心情を慰労してさしあげるために、血の涙を心の中だけに抑えて生きてきた孤独な男の道でした。
それでも、過ぎし八十有余年を、天から受けた真理を教えることに捧げて生きてきたのが私の人生です。その内容を総整理するという意味で、「神様の祖国と平和王国は解放と釈放圏の上で」という題目でお話ししようと思います。
貴賓の皆様。私が生涯をかけて教えてきた内容の中で、最も重要だと強調してきたことがあります。それは、神様と霊界についてはっきりと知らなければならないということです。言い換えれば、漠然と頭だけで知り、数学の公式を覚えるようにして理解する神様ではなく、私たちの心臓に、そして骨髄の中にまで神様の存在を刻みなさいというのです。
神様が私たちとどのような関係をもっている方であり、どのような属性をもっておられる方なのかということです。そして、神様が太初に願われた理想世界とはどのような世界であり、いつそのような世界が成し遂げられるのかということです。霊界についても同じです。人間の選択権外に厳然として存在する死後の世界を正確に知っていてこそ、現世において私たちの人生の中で徹底的に準備することができるのです。
皆様、胸に手をおいて静かに一度考えてみてください。皆様が、本当に神様がいらっしゃることを知り、その神様に常に侍って暮らせば、世の中のすべての諸問題の中で、解決できない問題がどこにあるでしょうか。
きょう私は、皆様に単刀直入に宣布します。神様は、明らかに存在され、私たち全員の人生の中で生きて役事される私たちの父母でいらっしゃるのです。その方は、無形の存在であられます。大きいとすれば無限大に大きい方であり、小さいとすれば無限に小さな存在であられます。人間なら誰でも心をもっていますが、その心がどこに位置しているのかを、自信をもってはっきりと語ってくれる人がいるでしょうか。
世の中には、エネルギーが明らかに存在し、私たちの生を営為させていますが、そのエネルギーを私たちが見ることができないのと同じように、神様も絶対的に存在され、永遠、不変、唯一の属性をもっておられる方ですが、私たちの肉身の一部である人間の目では見ることができないのです。神様は、エネルギーの本体なので、霊界に行っても見ることができません。
それで、神様は全知全能で遍在される方だと言うのです。無形の存在なので、存在世界を思いどおりに出入りしても、全く支障がありません。
神様が皆様の体を通過していっても、皆様は何も感じることができないというのです。うとうと居眠りしている皆様の頭を、踏んでいっても分かりません。ですから、どれほど便利でしょうか。もし神様が、皆様の一挙手ー投足に対して、一つ一つ顕現して指摘し干渉されるとすれば、どのようにして生きていくのでしょうか。皆様の目で神様を直接見ながら生きていきなさいと言えば、生きていけると思いますか。恐らく神経が衰弱して、一日も生きていくことができないでしょう。
皆様が今この場に座っていながら、ものすごい量の空気が体の中を出入りしても、それを見ることができないのに、ましてや無形の存在であられる神様が皆様を通過して役事されるのを、どうして見ることができるでしょうか。皆様は、「神様を見せてくれれば信じる」という愚かな主張をするのではなく、神様が私たちの目に見えないことをむしろ有り難く思うべきです。
世界の指導者の皆様。皆様は愛をもっていますか。生命をもっていますか。血統と良心ももっていますか。そうだとすれば、愛を見たことがありますか。生命、血統、良心を見たと言うことができますか。それらが明らかに存在することははっきりと知っていますが、これらを触ることも、見ることもできないという事実を認めざるを得ません。心で感じて初めて知ることができるのです。同じ論理で、神様がいるかいないかと言うとき、あるいは、神様を見たのか見なかったのかと尋ねるとき、いないということも、見なかったということも言うことができないでしょう。
心の中に神様が入ってきていらっしゃれば、心が感じます。全知全能の神様が共にいらっしゃれば、何千年前に死んだ聖人たちを呼んでくることもでき、厚い壁の向こう側に誰が座っているのかもはっきりと見ることができます。永遠であられる神様が心の中に入ってくれば、そのようなことが可能なのです。永遠を時間で捉えることはできません。永遠の中に時間があるからです。
そして、私たちがいるこの宇宙は、神秘に包まれています。その大きさが数百億光年にもなる大宇宙です。地球の周囲を一秒間に七周半も回る光が、一年間で進む距離が一光年なのですから、この大宇宙を創造して主管する主人とはどのような方かを考えてみてください。
大きければどれほど大きく、重ければどれほど重いでしょうか。知恵の大王であられる神様は、御自身を無形で存在するようにされ、あっという間に全宇宙を運行なさることもでき、小さな針の穴でも思いどおりに運行なさることができるのです。
最高の宝物である神様をどこにお迎えするのかを自問するとき、私たちの心しかないという結論が自動的に出てくるはずです。私たちの心より安全で、安らかにお迎えできる所はないというのです。神様の対象の位置に立ち、球形運動をしながら永続できるのが心なので、人間は永生できるのです。
人類が堕落せずに本性の善の父母を通して生まれていれば、「神様がいるかいないか」という論争は必要なかったはずです。赤ん坊がおなかの中でお乳を飲む方法を学んで出てくるのではないのと同じように、人間の先祖の堕落がなかったならば、人間は誰でも自動的に神様を父として侍って暮らすようになっていたのです。
人間の先祖としてつくられたアダムとエバを、神様御自身の実体として立てるために、神様の男性性稟はアダムの心の中に、そして女性性稟はエバの心の中に定着して永生するようになっていたのです。だからといって神様が二つに分かれるのではなく、アダムとエバの心の中に臨在しながら、二性性相の中和的存在として、愛を中心とする統一的存在として永存なさるのです。
しかし、堕落によって人類は、すべてのものを失ってしまいました。忘却の世界へ落ちて、神様がいるかいないかさえも分からない青盲の人になったのです。人類史上、これより悲惨な事件がどこにあるでしょうか。
もし神様に似た人間の先祖アダムとエバが堕落せずに成長し、完成して人類の父母の位置を確保していたならば、人類は、彼らの姿を通して生きていらっしゃる神様の実在をいつでも認知できたはずです。そして、「神様はいる」、「神様はいない」という論争は考えることもできなかったはずです。神様は、人類の真の父母として、永遠に私たちと苦楽を共にされたことでしょう。神様は、私たちの生の中心であり、根になっていたはずです。
私たちが生活の中で、五官を通して直接神様を感じ、神様の実在を知るようになって、初めて本当に神様を知っているということになるのです。言い換えれば、神様の実在を体恤しなければならないということです。
このように、神様の実在を私たちの生活の中で直接体恤して生きるようになれば、私たちは、自動的に神様のみ旨とは何かをその一瞬一瞬で感じ、自ら進んですべてのことに臨むようになり、罪を犯そうとしても犯せない完成した人間の姿になるはずです。そのようになっていれば、無形でいらっしゃる神様は、人間の実体をもって主人的人格と形体を備え、有形世界である地上界の万物万象はもちろん、霊界までも主管されるようになっているのです。このように、神様をはっきりと知ることは、人間の生涯において最も優先的で重要なことなのです。
皆様。人間の生涯について一度考えてみてください。私たちは全員、母親の腹中で最初の生を送ります。腹中を胎児の状態で過ごす十ヵ月間は、羊水に囲まれたままで過ごす水中生活です。話すことができず、思いどおりに動くことができないからといって、腹中の生活を「生活ではない」と言うことができますか。厳然と天が下さった生命をもって、次の地上界の生活を準備する段階としての生を営むのです。
鼻で息をしないからといって生命力がないのではありません。腹中の胎児としての人間は、次の段階の生活である地上界での生活は想像もできないはずです。母親の腹中を抜け出した世界は、夢にも見ることができないでしょう。へその緒を通して母体からすべての栄養素を供給されて暮らす生活以外には、何も想像できないはずです。
しかし、人間は、時になれば誰でも母親の腹中での生活を清算して、地上界での生活を始めるようになっているのです。自分が願おうと願うまいと宇宙の法則がそのように運行しています。想像もできず、夢にも見ることができなかった広大無辺の新しい世界が広がり、水中生活の一生涯が終わって地上生活の一生涯が展開するのです。腹中生活の十ヵ月が地上生活の百年に変化して発展するのです。そして人間は、色とりどりの変化無双な生涯を生きていきながら、最終段階である霊界、すなわち死後の世界のために準備する生活を送るようになります。腹中生活の期間中では、地上界の生涯は想像もできなかったように、肉身をもって暮らす人間としては想像もできない永遠無窮な別の世界が私たちを待っています。
限定された地上界においての百年の生涯が、時間と空間を超越した永遠の世界へと変貌するのです。腹中ではへその緒を通して母体から栄養を供給されて生き、地上生活の期間は、宇宙の水と空気、そして光の三大基本要素と栄養素を中心として生を営むのですが、一旦霊界に入っていけば、物質的栄養素はそれ以上必要とせずに愛を呼吸しながら永生します。
このように人間は、誰彼を問わず、水中生活十ヵ月、地上生活百年、そして霊界においての永生、このように三段階の生涯を生きるようになっているのです。これは、私たちが選択したことではなく、天が私たちに下さった祝福であり恩賜です。これより大きな祝福と恩賜がどこにあるでしょうか。
したがって、霊界をよく知らなければならないというのは、霊界の実在だけを漠然と信じて生きなさいという意味ではなく、好きでも嫌いでも、永遠に生きなければならない霊界での生涯のために、私たちが地上界でどのような準備をしなければならないかを知って、徹底的に準備をしなさいということです。
腹中で問題が起きた子女は、生まれても、生涯を不自由な身で生きなければならないように、私たちが短い地上界での生涯の中で、天のみ旨を正しく知らずに罪を犯し、悪を行えば、結局因果応報の宇宙法則により、霊界に行ってその代価を払うようになるのです。言い換えれば、霊界に入っていった霊人体が、言い表せない苦痛と蕩減を払わなければならないという意味です。
一度肉身を脱げばもう遅いのです。肉身は、死ねば一握りの土に戻ってしまいますが、私たちの生命、私たちの心、私たちの心情、そして私たちの希望までも埋められてしまうのでしょうか。絶対にそうではありません。私たちの百年の一生は、神様が設置しておいた「霊人体」というスーパーコンピューターに、間違いなく記録され、撮影されて、自動的に評価されるのです。
それで、誰でも地上界で生を営む間、立ち止まって揺れ動く心と傾く心情を鼓舞し、「あなたはどこに向かうのか」と数えきれないほど自問自答してみるのです。このような諸問題を解決するために、生涯を苦悩して闘っていかれた方たちが、聖人や賢人であり、宗教指導者です。
しかし、その誰一人として明快な解答を提示できずに旅立ちました。彼らの教えが足跡として残り、宗教も生じ、経典も出版され、多くの衆生(しゅじょう)たちの道案内になっているのも事実ですが、いまだに人類は一つの心も治めることができずに苦しんでいるというのもまた事実です。
私は、これまで世界を巡回しながら、数百回以上公開講演を通して天の真理を宣布し、教育してきました。世界のどこに行っても、どのような聴衆の前に立っても、私が必ず彼らに問い掛ける質問があります。それは、「皆様の中で、心と体が闘わない人がいれば、手を挙げてみてください!」という挑戦状のような質問です。しかし、どこの誰も手を挙げる人はいませんでした。
これは何を意味するのでしょうか。いまだに人類は、私たちの先祖であるアダムとエバから伝授された堕落性の奴隷になっており、その束縛から抜け出すことができずにいるという意味です。生涯を断食と禁欲、そして途方もない犠牲の苦難の道を貫いて旅立った聖人、賢人たちの告白がそれを証しています。肉身の欲望を完全に根絶できずに旅立たざるを得なかった彼らの告白は、いまだに地上界で同じ道を踏襲している弟子たちと信徒たちに向かって哀切に訴えているのです。
聖人、賢人の隊列に入る自分たちが、ついぞ悟ることができなかった真の愛の真理を、レバレンドムーンが初めて天からもって降りてきたので、その方の教えを絶対的に信じて実践しなければならないと、異口同音に叫び宣布しています。
地上界でレバレンドムーンに会い、その方を救世主として、メシヤとして、再臨主として、真の父母様として侍って生きることができなかったことを嘆くメッセージが、数限りなく殺到しています。彼らの霊界決議文が世界の随所に響き渡っています。
今から遠からず、すべての宗教人は、彼らの宗主から直接啓示と導きを受けて、レバレンドムーンを真の父母として侍って暮らすための民族大移動が行われるはずです。レバレンドムーンから心と体を統一する真の愛の真理を学び、愛する父母と子女たちと共に、永遠の幸福を謳歌できる霊界においての生涯を準備するために、真の家庭の道を学ぼうと雲霞のように押し寄せてくるはずです。
神様はいないと主張して、物本主義の祭物として消えていった世界的共産主義者たち、言論人として一つの世代を思いどおりに動かした世界的な知識人たち、そして絶対者の剣を振り回して数え切れないほど無数の生命を犠牲にさせた独裁者や帝王たちまでも、霊界のメッセージと決議文を通して、今レバレンドムーンに懺悔の涙で赦しを求めています。
皆様の中で、いまだに霊界の実相をはっきりと信じることができない方たちは、このようにはっきりと伝えてくれる霊界のメッセージまでも半信半疑かもしれません。そのような人たちには、「信じられなければ、今すぐにでも死んでみなさい!」と忠告します。
地を打って痛哭しても二度と戻ってくることができない道であり、百年、千年身もだえしても、地上界で犯した罪は一人ではどうすることもできないので、皆様の先祖も、機会さえあれば、皆様の生涯を協助して自分たちの罪を蕩減しようと涙で皆様の生涯を見守っています。数千、数万の先祖の瞳が、皆様の一挙手一投足を、時には悲しんで泣きながら、時には喜んで注視しているという事実を、このようにはっきりと教えてあげているのに、霊界の実相を信じることができない人がどこにいるというのですか。
貴賓の皆様。このように、神様を明確に知り、生活の中で侍って暮らし、霊界の実在はもちろん、実相までも信じて知れば、私たちの生涯は、高速道路を走る自動車のように簡単で、何の心配もなくなるはずです。運転手が高速道路の法規を守ってハンドルを握り、居眠りさえしなければ、無事に目的地に到達できるように、私たちは、天が下さった良心の指向に従って、一生懸命に生きさえすればよいのです。
ここで私たちの心と体も一つになるのであり、ここで人間完成の花が咲いて実が実るのです。深い山中に入っていったからといって個性完成ができるのではなく、図書館に整然と並んでいる聖書や哲学書を習得したからといって心と体の統一が成就できるのではありません。
神様は、知恵の大王でいらっしゃいます。人間が完成に達する道を遠い所には置きませんでした。私たちと最も近い所、最も秘密で安全な所、正に皆様の良心の中にその道を準備しておいてくださったのです。
皆様。良心は皆様の主人です。皆様の師です。皆様の父母の代わりです。良心は、皆様のすべてのことに対して誰よりも先に知っています。皆様の考えまでも、隅から隅まで知っているのが皆様の良心です。師より、父母より、神様よりも先に知っています。このような良心が、皆様のために一生の間どれほど多くの忠告をしてくれるでしょうか。
昼も夜も、悪いことを考えただけで、「こいつ!」と叱りながら、疲れもせずに皆様を引っ張っていき、川を越え、峠を越えようとどれほど苦労したでしょうか。良心は、いつも真の主人の姿で皆様を保護して助けようとしたのに、いつも裏切った皆様だったのではないでしょうか。天から譲り受けた一つしかない貴い師であるにもかかわらず、この師を徹底して冷遇した皆様の体をどうするつもりですか。
皆様の本然的愛を引き継がせてくれた父母の代わりに送ってくれた良心を、無慈悲に蹂躙した肉身ばかりにしがみつき、その肉身の欲望に捕らわれて無為に歳月を過ごして一生の幕を降ろしますか。それでレバレンドムーンも、「宇宙主管を願う前に自己主管の完成!」という標語を立てて修養の道を開拓したのです。そして、心と体の葛藤を解決できる唯一の道は、「真の愛の道」であることを探し出しました。
心が体のために犠牲を繰り返しながら神様の代わりの立場に立ち、「ために生きる真の愛」を実践するときに、初めて心と体の統一が成就されるのです。
このように、良心が指向する道に従えば、宇宙が皆様の心の中に抱かれてきます。その場では心と対話するようになります。何かをしようと思っただけで、すぐに良心がその答えを見せます。神様が皆様の心の中に臨在された証を見るようになるのです。
このような位置に進んでいった人は、神様と一心、一体、一念の境地に入っていき、一元、一和の世界を成就して生きるようになるのです。その世界が、正に神様が太初にアダムとエバを創造して願われた理想世界であり、地上天国です。
尊敬する貴賓の皆様。私がこのような途方もない天の秘密を探し出し、人類救済の道を歩み始めて以来、既に八十有余年です。歴史上、空前絶後の苦難と逆境をかき分けてきたかわいそうな男の姿でした。遍在される神様の実在性を証明し、教えてきた道でした。
青盲の人になって一寸先も見ることができなくなった人類の歴史は、哲学者や神学者でさえも、天の真理に対して明確にすることができないまま、神様の胸に恨を植えつけてきたのです。
神様に、ために生きる心、かわいそうに思う心、すなわち真の愛がなければ、復帰摂理歴史は当初から出発することもできなかったはずです。私は、このような神様の内情的心情の世界を知ってから、どれほど多くの日を涙と痛哭で夜を明かしたか分かりません。
御自身の子女として創造し、永遠の真の愛の対象の位置に立てようとした人間の先祖が堕落の道に落ちたのち、数千、数万年の蕩減復帰路程を摂理してこられた神様の恨に満ちた姿を、誰が想像できたでしょうか。哀れで無念な神様であり、爆発するような憤りと恨に満ちていたのが神様の路程でした。
栄光のお父様であり、大王として来られた神様が、その王座と父母の位置を怨讐サタンに奪われました。厳然と生きて役事していらっしゃるのに、「死んだ」と嘲弄され冷遇されても、忍苦の道を歩んでくださり、人間が自ら悟るその日だけを待ち望まれた神様であられます。
ために生きる真の愛を土台として、永遠を前提として創造の摂理をされた神様であられるので、子女が堕落の奈落に落ちるのを目撃しながらも、宇宙を爆発させて最初からやり直すことはできない神様であられたことを、皆様は知らなければなりません。
全知全能の権限で全世界とサタンまでも一度に審判し、粉砕してしまうことができる神様であられ、そのような能力をもっておられる方であられるのに、今まで神様は、孤独単身であらゆる侮辱と讒訴を甘受されながら、自ら進んで監獄生活をしてこられた私たちのお父様でいらっしゃいます。
皆様。このような天のお父様の前で、一日でも真の同情と懺悔の涙を流してみたことがありますか。悪魔の血統を受けてサタンの走狗になっている人類を前にして、舌をかんで耐えてくださり、解放と釈放の一日だけを待ち望んでいらっしゃる神様のみ前で、見えないふりをして目を閉じることができますか。
したがってレバレンドムーンの生涯は、歴史上誰よりも深刻な命の歴史でした。サタンを罪ある者として審判できる審判主としての個人完成の道を歩まなければならなかったのであり、愛する子女を四人も幼い年齢で霊界に送らなければならず、残った子女さえも荒野に放り投げたまま歩まなければならない、宿命的蕩減復帰の路程でした。
私は、神様を解放、釈放させてさしあげ、その土台の上に人類を解放、釈放させてあげるための救世主であり、真の父母の天命を受けて皆様の前に立ったのです。お金、権勢、名誉や富貴を必要としてきた人ではありません。
雪の降る極寒期に、雪と雨に打たれて三度の食事に飢えながらも、八十年以上の生涯を、朝夕、昼夜を忘れてひたすら一本道、天の道を走ってきた男の生涯でした。肉が裂け、血を吐く拷問室でも、「救ってください」という祈祷をしたのではなく、むしろ、子女の悲惨さを見て嗚咽される神様の心情を、慰労してさしあげるために血の涙を流し、孝子、忠臣、聖人、聖子の道を歩んできた私の人生でした。
父母と故郷山河を捨てたまま、「ために生きる真の愛」で人類救援をすることで貫いた生涯であり、天命に従って命を懸けて天の道を歩まなければならなかった男としての一本道であり、決して妥協を知らず、少しも卑怯なことをせずに生きてきた私の生涯は、この世的な目で見れば、限りなく哀れでもの悲しい一生に見えるかもしれません。
しかし、世の中のいかなる拷問も刑罰も、私に天の道を挫折させることはできませんでした。今まで六回にわたる監獄生活も、子女を探し求める真の父母の道を妨げることはできませんでした。
冷たい監房に座って、軒先から落ちる雨の滴を眺めながら、「あの水滴が、いつしか岩に穴を開けるように、私の目から落ちるこの熱い涙が、必ず恨で凍りついた神様の心を溶かして解放、釈放するその日が来る!」と決意して誓って生きた男の生涯でした。怨讐を実子以上に愛する生涯で六十億の人類を教え導いてきた犠牲的路程でした。
そのような次元で、私は、一九七〇年代初めにいち早くアメリカに入っていき、「私は火を消す消防士として、そして病気を治す医者としてここに来たのである!」と宣言しました。それから三十年以上の月日が流れた今日、人類は、今新しい時代を迎えているという事実を知らなければなりません。ついに天運が地球星に臨んでいます。
人類救援のために八十年以上の間、私が流した血と汗と涙の蕩減復帰路程が、今その結実を結び始めたのです。
二十一世紀の冒頭である二〇〇一年には、「神様王権即位式」を奉呈することによって、ついに神様の解放と釈放の日を迎えるようにしてさしあげたのです。神様の直接主管の時代が開かれ始めたのです。その基台の上に、今年(二〇〇四年)の三月二十三日には、アメリカの首都ワシントンDCの国会上院ビルにおいて、「世界平和王戴冠式」が挙行されました。ユダヤ教、キリスト教、イスラームの世界的な指導者たちとアメリカの国会議員が集まり、満場一致でレバレンドムーンを「世界平和王」に推戴する登極式を行ったのです。これをどうして人間業と言うことができるでしょうか。
あの有名なフランスの予言者ノストラダムスが予言し、東洋一の予言書「格菴遺録(キョガムイロク)」にはっきりと記録されているように、レバレンドムーンは、天命を受け、宿命的責任を完遂した人類の真の父母であり、平和の王として顕現したのです。そのため、世界随所から、レバレンドムーンに従ってこの地上に平和王国を創建する隊列に参加しようとする各界各層の指導者が、波のように押し寄せています。
そして、世界で唯一、民主と共産の対決によって罪のない民族と国土が分断された韓半島はもちろんのこと、今日世界平和を脅かす最も深刻な流血の紛争地になってしまった中東地域でも、今はレバレンドムーンの助けがなければ平和は期待できないと告白してきているのです。
今年、二〇〇四年の四月十日を期して、私は、「天使世界の釈放」、「カインアベルの釈放」、さらには「天宙天地天地人父母釈放の日」を宣布しました。そしてきょう、五月一日を期して、「神様の祖国と平和王国は解放と釈放圏の上で」を宣布することによって、神様が全体、全般、全権、全能の権限を実体的に行使できる様々な段階の霊的条件を立てました。
神様の解放、釈放とともに、今はこの地上に、名実共に自由と平和と統一と幸福の世界が広がっています。このような意味で、私が設立した「世界基督教統一神霊協会」の創立五十周年を迎えたきょうは特別な日です。
この席に参加した皆様全員には、天運が共にあります。短い時間ですが、きょうレバレンドムーンが教えたとおり、第一に、神様の実在を皮膚で感じて生きること、第二に、霊界の実相をはっきりと知り、地上界での生涯を永遠の霊界での生涯のために徹底的に準備して生きること、第三に、良心を師と思い、神様のように、父母のように侍って暮らせば、皆様は既に天国人になっているということです。
真の愛の炎は、今二十一世紀の春風に乗って地球星全体に燎原の火のように広まっています。怨讐の国の人たちとの交叉祝福結婚が、若者たちの間に新しい信仰として定着していっています。水、空気、光は、隙間さえあれば無条件に入り込んでいくように、今真の愛運動は、全地球星を覆っています。神様の愛、神様の生命、神様の血統を伝授され、この地上に平和の王国を定着させる若い知性ある人たちが眠りから覚めています。
高名でいらっしゃる世界指導者の皆様。皆様も「神の国と神の義」を探し立てなければならない天一国主人の隊列に加わり、与えれば与えるほど大きくなる真理を自ら実践する、真の愛の革命軍となることをお願いします。ありがとうございました。
11. 摂理史的終末期と私たちの使命
11.摂理史的終末期と私たちの使命
日付:二〇〇四年十二月十三日
場所:アメリカ、ワシントンDC、マリオット・ワードマンパークホテル
行事:真の父母様世界平和の王戴冠式
世界各国から来られた超宗教超国家圏を代表する指導者の皆様。きょう、私たちは、まず全員の心を合わせ、万有の真の父母でいらっしゃり、真の愛の主人でいらっしゃる神様に、心からの感謝と栄光をお捧げしましょう。そして、きょうをアメリカの歴史に新しい礎石を置く最も貴い記念日となるようにしましょう。
半世紀にわたり、人類を焦燥と不安の中に閉じ込め、様々な権謀と術数を動員して天と人間を欺瞞してきた冷戦時代が終わり、今新しい世紀を生きている皆様。果たして、どのくらい安定し幸福な生を営為していらっしゃるでしょうか。
皆様の周囲を一度見渡してみてください。冷戦の桎格から抜け出た世界の若者たちは、自由を満喫するにとどまらず、無節制な放縦の沼に向かって走っています。神様の創造理想を根本から排斥し、極度の利己的個人主義の傘の下で、フリーセックスの奴隷となって各種の社会悪をつくり出しています。
いわゆる、ゲイムーブメントという旗印を掲げ、同性愛者たちは「同性間の結婚」という到底許し難い蛮行を犯しています。彼らの主張が貫徹した世の中を一度想像してみてください。人類は、二代を越えることができずに絶滅するでしょう。
また、天のみ旨から顔をそむけ、淫乱と不道徳の中に墓を掘っている、この時代の邪悪な群れに下された天罰の表象がエイズという難病です。今この時間にも、一日に数千人ずつ、無辜の生命がこの呪いの天疫(天の疫病)に感染し、死亡の道へと落ちていっているではないですか。
「離婚」という疫病、これもまた崇高な家庭の価値を破壊する主犯となり、人類を新しい次元の危機と苦境に陥れています。突然父母と離別し、継父や継母のもとで、甚だしきは孤児院で、幼い心に消すことのできない傷を抱えて生きていく、かわいそうな子女たちに何の罪があるのですか。彼らが奪われた父母の愛は、誰が取り戻してあげることができるのですか。
さらには、宗教間の葛藤によって始まった中東地域の紛争は、各種のテロと殺傷により世界を恐怖のるつぼに追い込んでいます。不幸にも、私の祖国韓半島も、やはりいまだに世界で唯一、国土が両断されたまま、首を長くして統一されるその日を待っているのです。このように、道徳が地に落ち、家庭の価値が完全喪失となった今日の世界を、果たしてどのような方法で救い出すことができるのでしょうか。
指導者の皆様。私は、きょうこの席で、天がこの時代を生きていく人類に下さった、新しい戒律的啓示のみ言を伝えようと思います。「摂理史的終末期と私たちの使命」という題目のみ言です。
人類の最初の先祖であるアダムとエバの堕落は、人類を偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統の束縛から抜け出すことができない、呪いと恨の歴史の中に閉じ込めてしまいました。そして、数千、数万年の長い歴史の中で、誰一人として例外なく、サタンの偽りの血統を相続させられ、偽りと罪悪が点綴(てんてつ)する生を営為せざるを得ない人生行路へと転落してしまいました。堕落の後裔である人間の努力だけでは避けることのできない、宿命的路程のようになってしまったのです。
ですから、人類は、誰かがサタンの血統とは無関係の天の血統をもって顕現し、罪悪と偽りの中で苦しむこの堕落世界を救ってくれることを待っています。汚れた醜悪なサタンの血統から解放してくれる真の父母を待ち続けてきたのです。
不幸にも私たち人間は、サタンを父母として生きる野生のオリーブの木の身の上に転落してしまったので、人類の救世主であり、メシヤの使命をもって顕現される真の父母は、数千、数万年放置された野生のオリーブの木を無慈悲に切ってしまい、真のオリーブの木に接ぎ木して人類を真の血統に転換してあげる、超宗教、超国家的次元の革命的な大役事を完成するようになるのです。
だからといって、真の父母は、時と場所を選ばずに、願ったからといってどこにでも顕現するのではありません。長い歳月をかけて展開してこられた天の復帰摂理が、最後の結実を結ぶようになる摂理的終末期になって、初めて顕現されるのです。言い換えれば、天運と共に本然の真の父母時代が到来しなければならないという意味です。
皆様は、天が経綸される摂理の時を知ることができません。天の真の愛と真の生命と真の血統をもって来られた真の父母だけが摂理的な時を知り、そこに合わせて人類救援の摂理を完結されるのです。真の父母だけが全霊界を治められ、四大聖賢たちと善の祖先たちを総動員させ、皆様の永生問題にまで責任をもつことができる権能をもってこられるのです。
指導者の皆様。皆様が知らない間に、人類は、既に天運到来の新しい恩賜圏に進入しています。天の印を受け、人類の真の父母の使命を委任された私は、天と地を懸けて堂々と宣布します。
人類歴史の終末摂理時代を迎え、双合十勝圏の後天開闢時代を広げていく祝福(血統転換)の時代を迎えました。善悪の分別が難しく、悪い者がむしろ豊かに暮らしていくような先天時代の病弊は、これ以上天が看過しないはずです。
したがって、皆様は今、希望をもって天道に従って生きなければなりません。絶対、唯一、不変、永遠を属性としてもっていらっしゃる神様に似て、真の愛を実践する生活を通して人格革命を完遂しなければなりません。
この道こそが、私たちが共にこの地上で願い、さらには天が何よりも念願し望んでこられた地上天国、すなわち平和王国をこの地球星の上に創建できる道なのです。
皆様には、祖国光復という言葉が聞き慣れないかもしれません。祖国を失ってみたことがないので、祖国を再び取り戻す必要がないと思われますか。しかし、きょうここで語る「祖国」は、皆様が通常考えているそのような「祖国」ではありません。人間始祖のアダムとエバの堕落によって失ってしまった創造本然の「祖国」、すなわち地上天国を意味するのです。
元来、アダムとエバの堕落がなかったならば、どのような世界になっていたと思いますか。彼らは、神様の祝福結婚を受け、罪のない真の子女を生み、真の父母になっていたでしょう。そして、その家庭は、地上天国を創建する基本核になっていたでしょう。その家庭の子女たちは、神様を中心として三代圏を形成し、この地上に永遠の平和王国を創建する主役になっていたはずです。
さらには、アダムとエバは、三時代圏を代表するアダム氏族、アダム民族、アダム国家の王と王妃になっていたはずです。彼からアダム王国は永遠に存続していたはずであり、その国が正に人類の永遠の祖国、すなわち平和王国になっていたはずです。
しかし、不幸にも人類歴史は、そのように平穏な出発をすることができませんでした。アダムとエバの堕落は、数千、数万年の間、人類を真の父母のいない孤児の身の上に転落させたのであり、祖国を失ってしまったまま、乞食になって流浪する民にしてしまったのです。
神様を縦的な真の父母として侍り、世界万民が一つの家族圏を形成し、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の道理を果たしながら生きていくべきだった人類は、あきれたことに、サタンが植えておいた各種の境界線と国境線の出現によって、ばらばらに分かれてしまいました。
それでは、私たちの真の祖国光復とは何であり、どこから実現されなければならないのでしょうか。祖国光復は祖国創建です。それは、既存の世界から祖国を探し立てるのではありません。堕落と無関係な本然の次元で、国境のない新しい神様の祖国を創建する真の愛の再創造役事です。
したがって、祖国光復は、怨讐までも赦して抱く真の愛の生から始まります。豆を植えれば豆が出て、小豆を植えれば小豆が出ます。復讐するサタンの種を蒔けば、血を見る悪の実が結ばれます。
しかし、怨讐までも赦し抱く真の愛の種を蒔いた所には、善の木が育つのです。これは、少しの誤差もない宇宙の法則です。このように、人類の祖国、すなわち神様の真の祖国は、怨讐を愛する道から訪れてきます。個人、家庭、氏族、民族、国家、世界的次元で怨讐を愛する真の愛、真の生命、真の血統の伝統を立てた道から神様の祖国は訪れてくるのです。
世界の指導者でいらっしゃる皆様の使命は何だと思われますか。サタンの主権が世の中を支配している限り、皆様には国がありません。この地上に約二百の国家がありますが、果たしてどの国が神様のみ旨を成就した、神様と人類の真の祖国になりましたか。人類は、選択の余地なくすベて偽りの血統を受けて生まれたサタンの後裔なのです。
皆様がアメリカの国民であれ日本の国民であれ、あるいはどの国の国民であれ、例外なく皆様の体には、サタンの愛、サタンの生命、サタンの汚れた血がもつれて流れているという事実を知らなければなりません。この汚れた堕落の遺産を皆様の体から除去しない限り、祖国光復の夢は成し遂げることができません。したがって、皆様は、すべて新しい人格革命、すなわち真の愛の革命を完遂しなければならないのです。
それでは、神様に似るための人格革命を完遂する道はどこから探し出すことができるのでしょうか。人類は、堕落性を受け継いで生まれた堕落の後裔なので、皆様には、真の愛の三大革命を完遂して人格完成を成就しなければならない課題が残っています。それは、蕩減革命、良心革命、心情革命です。
蕩減革命とは、皆様のすべての内的、外的所有権を取り戻し、完全に蕩減されて勝利するばかりでなく、その蕩減圏を超越する基準を立てなさいという意味です。過去、サタン支配圏時代だった先天時代に習得した、個人、家庭、国家時代圏のすべての習慣と思考までも果敢に捨て去る革命を、皆様の生活の中で完遂しなさいという意味です。
その土台の上に新しい後天時代の生活の座標である絶対価値観的真の愛の理想家庭を実践して完成し、永遠に神様の真の幸福の子女として生きなさいということです。神様の理想家庭での絶対価値観とは、父母、夫婦、子女の三代圏を中心として完成されます。
父母が真の愛の主人の立場に立つことができる道は、子女の出生によって完成されるのであり、夫が真の愛の主人になるのも、結婚して妻を迎えるときに初めて可能になるのです。同じように、兄弟間の関係において、兄を真の愛の主人にしてくれるのは弟なのです。
したがって、主体である人は、自分を真の愛の主人の位置に立たせてくれる相対に対して、ために生き、投入し、その投入したことを忘れ、より大きな目的のために犠牲になる生活をしなければなりません。正にここから永遠不変の絶対的価値観が創出されるのです。このように、家庭の父母、夫婦、子女は、三代圏を形成し、お互いが真の愛の主人を完成させてくれるので、永遠の一体圏を定着させ、神様と共に永遠に共生共存する絶対価値観的生活を営為するようになるのです。
さらに、皆様のすべての財産や外的所有権も、一旦未練なく天のものとして帰属させ、サタン世界と絶縁させて聖別した後に、再び天の祝福によって伝授されなければならない革命的実践過程を通さなければなりません。すなわち、サタンが二度と所有権を主張できない聖別された財産として天の富を積んでいきなさいということです。
良心革命は何を意味するのですか。良心の声に絶対服従しなければならない内的革命です。そして、皆様の中では、いまだに善を指向する良心の命令と肉身の欲望を追い求める肉心の誘惑が、絶えず葛藤を続けているという事実を否定することはできないのです。このような恥ずかしい内面の闘いを終息させるためには、良心の位置と作用を明確に知らなければなりません。
そして、良心は、皆様の一挙手一投足を、さらには皆様の考えまでも、一点一画すベて把握しています。皆様の先生より先に知っています。皆様の父母よりも先に知っています。神様よりも先に知っています。
このような良心の命令に逆らえば、どのような結果を招くでしょうか。皆様御自身が呵責を受けるのです。皆様の霊魂にほこりがつき、垢がついて傷が生じるというのです。この傷は、永遠に消すことができずに、そのまま霊界に抱えていかなければならない恐ろしい重荷です。したがって、革命的な次元で御自身の肉心を抑え、良心の案内を受けて神様のみ前に出ていくその日まで、天意に一体となる生、すなわち汚れなく明るく純粋な霊魂を保つことが至上命令なのです。
皆様、心情革命の意味は何でしょうか。神様は人間を御自身の子女として創造したと既にお話ししました。そうだとすれば、神様と皆様をつないでくれる綱はどのような綱でしょうか。父母と子女間の真の愛であり、真の心情です。父子の間に真の心情が通じなければ、どうして父母と子女が真の愛と真の尊敬の関係を維持できるでしょうか。
数千年間、堕落圏の影響の中で生きてきた人類は、今も偽りの父母、偽りの愛、偽りの血統の心情的奴隷となっています。この束縛から抜け出すためには、サタンが最も嫌う、赦して、与えて、犠牲になる真の愛の生活を絶えず継続しなければなりません。そうして、神様の心情的所有権に帰着できなければなりません。
皆様の心情の綱が、いまだにサタン世界の虚栄を追い求める利己的個人主義に結ばれているならば、皆様の将来は暗く、暗澹たる絶望と嘆息の道となるでしょう。しかし、ために生きる生活、すなわち他のために先に譲歩し、与える生産的な生活を送れば、皆様の心情の綱は神様の心情と永遠に一つになるのです。言い換えれば、偽りの父母との心情的因縁を完全に断ち切り、無形の神様の実体として顕現された真の父母様から祝福結婚を受けて接ぎ木され、天の真の愛と真の血統を確保しなさいという意味です。
密使の使命
尊敬する指導者の皆様。今まで皆様は、平凡な生活を生きてこられました。しかし今から皆様は、天の密使の使命を果たさなければなりません。個人個人を見れば、大きい小さい、広い狭い、高い低いの差はあるかもしれませんが、今から皆様は、神様から特別に派遣された天の密使として堂々と天の善の血統を固守し、祖国光復の呼び掛けに、天的権威をもって奮然と立ち上がる愛国者にならなければなりません。
密使は、どのような使命を果たす人ですか。祖国創建への望みが現実の望みよりも千倍、万倍強い心をもち、命を捧げても必ずそのみ旨を成し遂げるという悲壮な覚悟で行かなければ、密使の資格はないのです。食べて、寝て、行って、来るすべての生活が祖国創建のためのものでなければなりません。
聖書にも、「まず神の国と神の義とを求めなさい」(マタイ六三三)とあります。皆様は、「たとえ私の体はサタン世界の圏内に属していたとしても、私は真の血統を受け、祖国光復のために新たに生まれた天の密使だ!」という確信をもっていかなければなりません。
神様は、突然子女を失った父母になり、激しく追われ冷遇される立場で、一度として御自身のみ旨を思う存分繰り広げることができなかった方です。皆様は、このような神様の悲しい心情を推し量ることができる孝子、孝女にならなければなりません。真理を知って、その真理を実践しなければ、どうして指導者と言うことができるでしょうか。
世界の指導者の皆様。皆様は、今日この場になぜ来られたのかをもう一度深く考えてみてください。主催者側の招待を受け、興味半分でクリスマスパーティーでも楽しむためですか。自分の意思であれ、他人の意思であれ、皆様は今、天の召命を受けました。
この場に立ったレバレンドムーンが、十六歳の青年の身で突然天命を受け、神様を解放、釈放してさしあげ、人類をサタンの支配下から救い出すために、八十年の生涯を血と汗と涙の路程で歩んできたように、皆様も、今からは超宗教的で超国家的な次元で、人類の和合と平和を安着させる崇高なみ旨、すなわち祖国創建の聖業を完遂させなければなりません。そして、絶対信仰、絶対愛、絶対服従を共通分母として、皆様とレバレンドムーンは一つです。したがって、皆様も真の父母となり平和の王にならなければなりません。
今こそ、私たち全員の祖国、さらには天の祖国を建てることができる天運が、私たちと共にあります。その祖国には主権がなければならず、その祖国には国土が必要であり、その祖国には民が満ちあふれていなければなりません。そして、その祖国には、天の善の血統が力強く広がっていなければなりません。ほかのどこにも見いだすことができない摂理史の鼓動が脈打っていなければなりません。
このような祖国を創建するのに、躊躇する皆様になるのですか。必ず生きて天の密使としての使命を完遂してください。永生を約束される先覚者の生を営為してください。
皆様。私は、最近「蒙古斑同族圏世界平和連合」を創設し、全世界に広がっている蒙古斑同族を糾合する運動を出発させました。決して新しい民族主義運動を始めようということではありません。歴史的にアダム家庭での失敗を蕩減復帰した立場であるアダムとノア家庭の長子の血統、すなわちカインとセム族の後裔として、摂理の結実期を迎えて人類の長子たる使命を呼び起こす総体的平和運動です。
そして、堕落によってアダム家庭でアベルを失い、百三十年目にセツを再び探し立てた神様の悲痛な心情を、慰労してさしあげることができる長子圏を立てるための運動です。言い換えれば、一つの兄弟、一つの家族となり、お互いに心の壁を崩し、国家間の国境を除去し、共に暮らそうという共生共栄共義社会の実現運動です。神様の祖国創建を早める摂理的召命です。
このように、途方もない摂理的時を悟らせてくださり、天的王権を立てるための栄光の密使の使命まで賦与してくださった神様と真の父母様に、私たちは感謝と栄光をお返ししなければなりません。歴史上、空前絶後の後天開闢の時代を開いてくださり、真の解放、釈放圏を定着させてくださった真の父母様に、感謝と称賛と栄光を永遠に捧げる平和の王戴冠式を奉呈してさしあげなければなりません。
今、あの東方の天に燦々(さんさん)と昇ってくる太陽と共に、天運が全世界を照らしています。数千、数万年の間、覆われていた闇の幕が取り除かれつつあります。皆様の胸の中には、既に天意を完成させようという天命が根を下ろしています。避けられない宿命の道です。勇気を出して立ち上がってください。「自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである」(ルカ一七三三)と語られたイエス様の教えが何を意味するのか、はっきりと体験できる後天時代が私たちと共にあります。
レバレンドムーンも皆様も、例外なくいつかは霊界に入っていくでしょう。生命を捧げて祖国光復の聖業を達成し、神様の創造理想である平和王国をこの地球星の上に必ず創建しなければならないという悲壮な覚悟をしなければなりません。
きょう受けた天命を胸の中に深く刻印され、今からは、神様から相続された祖国の主人として、どうか後悔を残さない美しく生き申斐のある生活を送ることを誓ってくださることを望みます。これが今日、私が皆様にお伝えする新しい時代の神様のメッセージです。神様の祝福が皆様と皆様の家庭、そして皆様の密使的使命の上に永遠に共にあることを願います。ありかとうございました。
12. 本然の創造理想圏とカインアベル圏復帰完成完結
12.本然の創造理想圏とカインアベル圏復帰完成完結
日付:二〇〇五年二月十四日
場所:韓国、京畿道、加平郡、天宙清平修錬苑
行事:天地人真の父母様御聖誕記念式および天宙統一平和の王戴冠式
世界各地からいらっしゃった尊敬する内外の貴賓、そして紳士淑女の皆様。歴史の大転換期である天一国五年の明るい太陽は、この時間にも、私たち人間はもちろん、森羅万象の生命と愛を花咲かせてくれています。すべてが神様の恩寵であり祝福です。
皆様。私は、過去八十年以上の生涯を神様のみ旨に仕え、人類救援の生で貫いてきました。一万回以上の大衆講演を行い、真理のみ言の伝播を私の生の目的として生きてきました。私たちが歴史を観察して理解するためには、歴史的人物と事件を観察して分析する一般的な方法である横的な方法と、摂理的な視角から光を当てる縦的な方法があります。
きょう皆様は、歴史上空前絶後の「天宙統一戴冠式」に参席しました。歴史は、きょうを永遠に記憶することでしょう。この貴い日を記念する意味で、そして、二〇〇五年から二〇〇八年まで続く、天一国摂理の第二次四年路程を出発する恩賜圏内に生きている私たちが、この時代に必ず理解して実践躬行すべき天理を皆様にお伝えしようと思います。「本然の創造理想圏とカインアベル圏復帰完成完結」という題目です。
皆様。本来、人間始祖のアダムとエバが堕落せずに完成、完結し、神様と心情一体圏を形成していたならば、彼らは、神様だけに相対して生きる絶対対象的子女の立場に立つようになっていました。しかし、彼らは、堕落を通してサタンと血縁関係が結ばれることによって、サタンにも相対しなければならない立場に転落してしまったのです。すなわち、堕落直後、いまだ原罪だけがあり、ほかのいかなる善行も悪行もしていなかったアダムとエバは、神様にも相対することができ、サタンにも相対することができる中間位置に立つようになったのです。したがって、神様は、このような中間位置に立っているアダム家庭をサタンから分立される作業を、堕落したアダムの子女たちとその子孫たちを中心として展開されたのです。アダムの三人の息子のうち、長子のカインは堕落した順序にしたがってサタン側に立て、次子のアベルを天の側に立てて蕩減復帰を通じた救援摂理を進められたのです。
サタンが血統的な因縁をもって堕落したアダムとエバに相対していたので、このように分立させて、彼らが自ら蕩減条件を立てるようにしなければ、天の側に復帰させることができなかったからです。またサタンも、本来人間の創造主は神様でいらっしゃることを知っていたので、堕落人間自身に再びサタンが侵犯できる何らかの条件が成立しない限り、彼らを勝手に扱うことはできない立場でした。
このように、神様とサタンの間には、真の愛の血統復帰を懸けて見えない条件的闘争が起き、正にアダム家庭からカインアベルを中心として歴史を通して実体的に展開されたのです。しかし、聖書を見れば、不幸にも、長子カインが次子アベルに自然屈伏する代わりに、彼を殺害するという結果に終わってしまいました。御自身が天理原則として立てた本然の真の愛の心情を中心として創造された子女たちを、サタンに奪われてしまった神様の心情が、どれほど悲痛で胸痛むものだったかを、皆様は想像することもできないでしょう。子々孫々、永遠に伝授されるべき天の血統が崩れていった瞬間だったのです。
神様は、アダムとエバを御自身の子女として創造され、彼らが完成すれば、真の愛の道理を立てるための祝福結婚をしてあげ、御自身だけが対し愛することができる家庭を待ち望んでいらっしゃったのです。しかし、二代のアダムとエバはもちろん、三代の孫と孫娘を真の愛で抱いてみることができなかったことが、歴史的な神様の恨として残されてきました。アダム家庭が神様を中心として三代圏を完成していたならば、人間の堕落や、数千、数万年間、人類歴史を踏みにじって籠絡してきたサタンの存在さえも現れなかったでしょう。
人類は、神様を中心として、三代を形成して暮らす一つの家庭の姿になっていたはずです。しかし、創造原則に基づいて、天が責任分担として下さった条件的で限定的な責任を、結局アダム家庭において、二代から三代にわたって失敗してしまったのです。人類歴史の悲劇の始原が正にここにあったのです。だからといって、神様は、御自身の創造理想を放棄することはできませんでした。原理と原則と法度の主人でいらっしゃる神様は、サタンが奪っていった子女たちを何としてでも再び取り戻してくるために、蕩減復帰摂理歴史を展開してこられたのです。アダム家庭で失ってしまった三代圏をそのまま放棄すれば、御自身の創造摂理を放棄してしまう立場に立つので、神様は、カインがアベルを殺害したのちに百三十年お待ちになり、再びアダムの三番目の息子のセツを中心人物として立てられたのです。
したがって、セツは、長子権を取り戻さなければならなかったアベルの責任はもちろん、その血統までも復帰して立てなければなりませんでした。このように天は、セツの血統の子孫たちをしてふさわしい蕩減条件を立てるようにされながら、サタン分立の復帰摂理を展開してこられました。このように、最初から神様の創造理想を踏みにじり、人類の真の父母であり、真の師であり、真の主人として絶対的権限をもって天宙を統治すべき神様を、歴史の裏道へと追いやってしまったアダム家庭のカインアベルを中心とする善悪分立の役事は、摂理的に人類歴史にどのような影響を及ぼし、今日、天一国五年を出発している私たちにはどのような意味をもっているのかを知らなければなりません。
神様は、真の愛の主人としてすベての創造物の表題である絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準の上で、人間を御自身の子女として創造されました。絶対肯定の立場で絶対投入をされたのが神様の創造歴史です。対象である人間が主体である天のみ前に絶対信仰、絶対愛、絶対服従を捧げなければならない論理が、正にここから創出されるのです。悪の側を代表するカインと善の側を代表するアベルの関係も同様です。対象の立場であるカインは、絶対的基準でアベルを通して天のみ前に出ていかなければならないのが天理です。アベルを、父であり、主人であり、師として侍らなければなりません。
一方、アベルの立場は、神様のように絶対信仰、絶対愛、絶対服従を通して、カインを子女のように抱き、愛し、人格的に信じて尊敬される位置で、カインをして自然屈伏させるようにしなければなりません。摂理歴史の中に現れた数多くのカインアベルの関係において、このような天理の法度を守ることができないときには、葛藤と戦争の中で血を流す歴史が継続したのであり、そのたびに摂理は延長せざるを得ない受難を経てきたのです。数千年の人類歴史を通して見せてくれた生きた証です。
摂理史に現れた事件の一つ一つをすべて列挙することはできませんが、アダム家庭においてセツを立て、血統復帰を通して長子権復帰を完成しようとした摂理は、再び千六百年という長い年月を経てノアを中心人物として立て、彼の家庭を通してアダム家庭の失敗を蕩減復帰しようとする摂理が展開しました。しかし、アベルの立場に立っていた二番目の息子ハムの失敗によって、ノア家庭を中心とする蕩減復帰摂理もやはり失敗に終わってしまったのです。その後、天は再び四百年を待ち、サタン世界の象徴である偶像商テラの長子アブラハムを呼び立て、長子権復帰と血統復帰の条件的役事を展開されました。アダム家庭、ノア家庭、アブラハム家庭の横的な三代圏を、再び縦的にアブラハム、イサク、ヤコブの三代にわたって展開した復帰摂理歴史が、ジブシーのような荒野路程でサタン分立圏を勝利したヤコブによって、ついに長子権復帰と血統復帰の条件が立てられました。
その勝利的基盤の上に、ヤコブは天使との闘いに勝利し、ついに「イスラエル」という天の祝福まで受けるようになったのです。エサウとヤコブの関係はカインとアベルの立場だったのであり、ヤコブの絶対信仰、絶対愛、絶対服従の原則的道理と母子協助の勝利的条件を通して、ついに父イサクはもちろん、兄のエサウを自然屈伏させ、長子権を奪還したのです。
イエス様を中心として展開された復帰摂理歴史を見ても、この点は明確です。ヤコブ家庭において、ヤコブの天の側の妻ラケルの実子であるヨセフが先にエジプトに入っていって蕩減路程を勝利し、カイン的立場である十一人の兄弟を自然屈伏させ、アベルの勝利的位置を確保しました。その時、もしエジプトの総理大臣だったヨセフが、ヤコブの家族と共にエサウの家族まですべてエジプトに移住させていたならば、イスラエル民族は、モーセに従って歩んでいかなければならなかった四十年の荒野路程はもちろん、歴史的なカインアベルの闘争にも終止符を打つことができました。
ヤコブ家庭の勝利的基盤の血統を受け継いで、ついにイエス様が顕現されました。アダムとエバの堕落後、数千年を準備して探し立てた北朝十支派の北イスラエルと南朝二支派の南ユダが、再び内外でカインとアベルの関係でした。実体のメシヤを迎えるための環境創造の一環として、政治圏を代表するカイン的立場にイスラエルを立てられたのであり、宗教圏を代表するアべル的立場にユダヤ教を立てられました。
洗礼ヨハネとイエス様の関係もまたカインアベルの関係でした。四千年復帰摂理の道しるべとして下さった旧約の教えを明確に悟ってさえいれば、イスラエルとユダヤ教は内的外的に一つになり、洗礼ヨハネを先頭に立ててイエス様を王の王、真の父母としてお迎えし、神様の創造理想である地上天国をイエス様の当代に創建していたでしょう。さらには、洗礼ヨハネがカインの立場を明確に理解して、カインとしての責任をすべて果たしていれば、イエス様がどうして十字架の露として消えることがあったでしょうか。天が直接啓示を与え、幻で見せてあげ、イエス様が自分の主人であり、アベルであることを悟らせてくださったにもかかわらず、洗礼ヨハネは、とうとう絶対信仰、絶対愛、絶対服従の峠を越えることができませんでした。
神様から祝福結婚を受けて真の家庭をつくり、永遠に天の真の血統、すなわち純潔、純血、純愛、純和の血統を伝授する真の人類の先祖が、後のアダムとして来られたイエス様の家庭を中心として出発していなければならなかったのです。しかし、ここでも神様は再び悲痛で惨憺(さんたん)たる立場に落ちてしまいました。失ってしまったアダムの位置に、御自身のひとり子であるイエス様を後のアダムの印を押して送られ、彼を通して四千年復帰摂理歴史を完結しようとされた神様のみ旨が、再び挫折する瞬間だったのです。歴史の中心軸として立てたその中心が、再び根こそぎ抜かれていったのです。
この時点において、天の復帰摂理は、加速度がつき始めました。だからといって、御自身が創造原則として立てられた原理原則の軌道を外れた変則摂理を運行することはできないのです。したがって、人類の永遠のアベルとなっているべきイエス様を失った神様は、再び二千年という長い歴史路程を経てこられながら、これ以上失敗があり得ない環境条件を準備され、その基盤の上に、ついに再臨主の印を押してレバレンドムーンを送られたのです。かといって、私の生涯は決して平坦なコースではありませんでした。全知全能であられる神様の心情まで蹂躙するほどに、凶悪で悪賢いサタンです。過去八十年以上の私の生涯は、文字どおり波瀾万丈な生の連続でした。アダム家庭から始まったカインアベルの葛藤と闘争はついに世界的次元の共産と民主の闘争へと飛び火した二十世紀の転換期を、私は、摂理的に必要なすべての段階の蕩減条件を立てて勝利しました。
その基盤の上で、ついにアベル支配圏の真の愛時代である天一国時代が宣布されたのであり、去る二〇〇一年には、神様の王権を即位させてさしあげました。その勝利的基盤の上に、二〇〇三年には、エルサレムで第一イスラエル圏を代表する平和の王としてイエス様を即位させてさしあげました。そして、二〇〇四年に入ると人類の真の父母の資格で、私が第二イスラエル格であるアメリカと第三イスラエル格である韓国で、そして、世界的次元の超宗教、超国家の平和の王として登極する戴冠式と即位式をもちました。
このような一連の摂理的な勝利基盤の上に、六十億の人類は、二〇〇五年から天一国創建の長成級である第二段階に差し掛かり、入籍摂理を完結するための血統転換、所有権転換、そして心情圏相続の三大目標完成のために総進軍命令を受けました。主人が剣を首に当てるその瞬間までもおとなしく従う羊のように、私たちは、絶対服従を通して私たちの永遠のアベルであり、実体の平和の王であられる真の父母様に命を捧げ、全体カイン圏を代表する責任と道理を果たさなければなりません。
皆様は、摂理歴史上、今日皆様が立っている位置が果たしてどのような位置なのか、とても気になっていらっしゃるでしょう。人間的な目では見ることができない大転換期の一時です。特に、二〇〇〇年代に入り、天の摂理は、とてつもない速度で完結摂理に向かって突き進んでいます。
これまで、多くの組織と団体が摂理を促進させる機関として創設されました。その中でも、私が近来に創設した「世界平和超宗教超国家連合」と「平和国連」は、サタン圏を包容してアベル的立場に立ち、カイン格である「蒙古斑同族世界平和連合」とサタン圏を解放させて統一世界を形成し、人類歴史にこれ以上カインアベル間の葛藤と闘争が点綴することがないように、責任を果たさなければならない位置に立っています。世界宗教圏を代表するアメリカはアベルの立場に立って、カイン的な国連を愛して一つになり、人類救援の責任を果たす国家にならなければなりません。
皆様。私たちの究極的なアベルは真の父母であられます。アベルの位置は、天が定めてくださる位置であり、したがって死んでも離れることができない宿命の位置です。自分は死ぬとしても、真の愛の種を植えてから逝かなければならない位置です。天のみ前に絶対信仰、絶対愛、絶対服従の道を行かなければならない位置です。その道が、逆にカインを自然屈伏させる道になっていたからです。無形の神様の実体として顕現された真の父母様を縦的な軸、すなわち永遠のアベルとして侍って暮らす生が、私たち人間が歩むべき宿命的路程です。真の父母は、人類の救世主であり、メシヤであり、再臨主であり、地上天上天国の平和の王であられます。したがって、神様が太初から創造理想として願ってこられた理想天国は、すなわち私たちが願う真の父母を中心とする地上天上天国であり、平和の中心的王国であり、二〇〇五年とともに人類に開いてくださった後天世界の完成です。数千、数万年間、人類を様々な理由と名分をつけて分けていたすべての垣根と国境線を撤廃し、超宗教超国家次元で全人類を一つの家族として結び、真の父母様を真の師、真の王として侍って暮らす解放と釈放の世界です。
このような途方もない天の祝福圏内に暮らす皆様は、今から何よりも自身の生を徹底して整備し、準備しなければなりません。まずは個々人を中心として、心と体の絶対的一致圏を探し立て、汚れなく明るくきれいに輝く個性真理体を完成しなければなりません。これ以上蕩減が必要ない生、すなわち蕩減革命を完遂しなければなりません。永遠にわたって、良心の前に一点の恥ずかしさもない生、すなわち良心革命を勝利しなければなりません。ために生きる真の愛の生を実践躬行し、真の父母様と全人類に心情的な負債を負わずに暮らす生、すなわち心情革命を完成しなければなりません。
その次には、皆様の家庭で天国を築いて暮らさなければなりません。家庭は愛の王宮です。その家庭において、四大心情圏と三大王権を完成しなければなりません。孝子、忠臣、聖人、聖子の家庭も、その家庭が基礎となって輩出されます。神様の心情を体恤できる最高の場が、正に家庭です。夫婦間の幸福と未来を約束してくれる所もやはり家庭です。皆様の先祖が再臨し、皆様を天の道へと導いてくれる所もまた家庭です。家庭は真の愛の花です。その花に実を結ばせてくれる所です。
皆様。今からの皆様の人生は、単純な人生ではありません。いつ、どこで、何をしても、皆様には数百数千の先祖たちが共にあるのです。地上で真の父母に侍ってみることができなかったことが恨となっている彼らは、地上の子孫たちを兄弟の立場でアベルとして侍り、協助し、皆様を通して実体的に真の父母に侍る生活を、今後四年間するようになります。このような条件を通して、彼らも皆様と共に天国に入城しようとするのです。したがって、六十億の人類はだませても、皆様の先祖たちはだますことができません。善悪の基準において、皆様の人生は徹底して分析され、賞罰が決定されるでしょう。炎のような瞳で皆様の一挙手一投足を見守り、皆様と喜怒哀楽を共にする皆様の善の先祖たちを、これ以上悲しませないでください。今年から四年間は、皆様の善の先祖たちはもちろん、四大聖人、そして霊界のすべての善霊たちが総動員再臨完成し、地上天国、すなわち天一国の完成のために総力を注ぐようになる深刻な時です。
私たちの人生の中で、上下、前後、左右で、神様を中心として創造前からの表題だった絶対信仰、絶対愛、絶対服従的なカインとアベルの責任を果たして一つになり、包容と許しと愛の道理を果たせば、後天時代は、文字どおり真の父母様をお迎えした太平聖代の平和王国となるでしょう。
私たちはみな、今からこの貴い天のメッセージの種蒔きをするために出発しなければなりません。真の生命と真の愛の種を蒔くために出発する新しい創造主と、その家庭の代身者としての道を出発しなければなりません。世の中の虚栄と不道徳に便乗し、風の吹く虚空に種を蒔く愚かな人にならず、最も謙遜で低い所を訪ね、つまり、堆肥が埋まってよく肥えた地の奥深い所に種を埋めるために出発しなければなりません。
人種の壁を崩し、国境を撤廃し、超宗教超国家的次元の交叉結婚の実を収穫し、神様の真の血統を永遠に保存させる大役事を起こしましょう。蒙古斑同族圏は、交叉祝福結婚の摂理を通して、永遠な神様の真の愛の蒙古斑血統圏を中心とする血族に昇華させなければなりません。
ソドムの城を離れたロトの妻は、天の命令を無視して後ろを振り返った瞬間、塩の柱になってしまいました。皆様は、きょう天命を受けました。昔も今も天命は、祝福と審判という二つの側面をもつ諸刃の剣です。選択は皆様のものです。明確なことは、きょう私が皆様全員にこの途方もない天の秘密を明らかにしてあげたということであり、皆様がうけた天命は、二度と後戻りできない弓から放たれた矢だという点です。これ以上折衷や妥協はありません。ただ摂理の完成完結だけが決勝点で待っています。
太初にアダム家庭において失ってしまった神様の家族三代を、私たちの手で取り戻しましょう。これ以上カインアベルの闘争がなく、真の愛で満ちた新天新地の世界、私たち全員が一つの家族を形成して暮らす平和王国を、私たちの時代にこの地上に完成し、真の父母様に侍って暮らす永遠の平和王国の生を誓いましょう。ありがとうございました。
13. 真の神様の祖国光復
13.真の神様の祖国光復
日付:二〇〇五年三月四日
場所:韓国、京畿道、加平郡、天宙清平修錬苑
行事:天一国定着実現のための前進大会
愛する祝福家庭の皆様。今日皆様は、二〇〇五年の意義深い摂理的時代を迎え、「天宙統一平和の王戴冠即位式」を勝利された天地人真の父母様に直接侍り、新天新地の世界を開いています。そして、全霊界の協助を受け、神様の創造理想世界である地上天上天国、すなわち平和世界創建のための役軍として召命され、この場に駆けつけてきました。
私は、きょうこの意義深い二〇〇五年三月を迎え、平和王国の本殿聖地であるここ天城旺臨宮殿において、神様が何よりも願ってこられた「真の神様の祖国光復」という題目で、この時代に皆様が必ず知って実践すべき天のメッセージを伝えようと思います。訪れてきた新春とともに、皆様もきょう心の門を大きく開き、後天時代の春を迎える意義深い日としてくださることをお願いいたします。
皆様。今日この地上に生きている人間たちは、神様が予告された神の国と神の義を求めることができずにいます。それで、神の国と神の義を求めることが今日の私たち人類の希望であり、今まで数千年の歴史過程を生きていった人間たちにとっても希望だったことを、皆様は知らなければなりません。
それでは、このような希望の神の国、希望の神の義が、どうして私たちの最後の目標として残るようになったのでしょうか。それは人間が堕落したからです。人間始祖の堕落によって、神の国と神の義の中心となることができる神様と人間が、何の関係も結ぶことができない立場に置かれるようになりました。堕落によって天の血統を喪失し、代わりにサタンの血統を受けたサタンの子女となってしまったからです。
すなわち、神の国と神の義の中心である真の父と真の家庭、そしてその真の国家に対して無知な人間に転落してしまったので、神様は、このような無知な民と人類を目覚めさせ、その真の父と真の家庭と真の国家がどのようなものかを教えてあげるために、今まで歴史路程において苦労してこられました。それで、神の国と神の義を探し立てることが、今でも私たちの希望であり、目標として残るようになったのです。
皆様。この世界には、現在約二百の国家が存在しています。しかし、その多くの国々の中で、神様から「私の祖国」だと本当に愛を受ける国は一つもないのです。ですから、このような堕落世界を徹底して否認し、新しい神の国を再び創造しなければならないというのが、今まで六千年間神様が摂理してこられた目的です。
それで、神様は、歴史を通して御自身の国を取り戻す摂理をしてこられたというのです。その国が協助しなければ、神様の人類復帰に対するみ旨は成し遂げられないからです。真の宗教を中心とする真の国家が存在しなければなりません。したがって、神様は、ある一時を迎えて御自身の特定の国を取り戻されるのです。それが選民イスラエルの国とユダヤ教を中心とする摂理歴史でした。
皆様が願う神の国はどのような国ですか。神の国は、今日皆様が暮らしているこのような国ではありません。このような国は、いずれ別れを告げなければならない国です。私たちには、まだ神の国がありません。国のない人には本籍地がないのです。
国がなければ国籍をもつことができません。国がなければ、入籍できる基盤がないのです。ですから、私たちがすべきことは、神の国を取り戻すことです。
国があってこそ、私たちの千秋万代の子孫にそつくりそのまま残してあげられる伝統も残り、私たちが血と汗を流したすべての努力も残り、天の苦労を祝賀できる記念塔がこの地上にでき、すべての栄光の痕跡がこの地上に残るのであって、国を探し立てることができなければ、すべてが徒労に終わるのです。
ですから、神の国を探し立てることが最も重要な問題だということを知らなければなりません。「私たちの家庭は、真の父母様の愛を受けることができる国を守る家庭だ。したがって、私が真の父母様の前に孝子になり、国家の前に忠臣の道理を果たさなければならない」という信念を常にもって暮らさなければなりません。
私たちが訪ねていくべき道は本当に行きたいと思う道であり、私たちが成し遂げるべき国は、永遠に、永遠に暮らしたいと思う国です。私たちがもつべき財物は、天宙的なものであると同時に私のものであり、この時代のものであると同時に過去のものであり、同時に未来のものだと保証できるものでなければなりません。心で理想郷を描き、生活で義の法度を立てながら、神の国と神の義のために生きなさいというのです。
皆様にそのような国がありますか。ないので、その国を探し立てなければならないではないですか。その国はどのような国だと言いましたか。理想の国、統一の国、平和の国です。六十億の人類が一つの家族となって共に暮らす国です。それは、天宙統一平和の王を私たちの真の主人、真の師、真の王として侍り、永遠の太平聖代を謳歌する平和の王国を意味するのです。
ここには、家庭も協助し、氏族も、民族も、世界もすベて協助するでしょう。霊界までも総動員され、五大聖賢はもちろん、皆様の善の先祖たちも皆様の一挙手一投足を見守りながら協助するでしょう。そして、心と体の統一を土台として、一人の個人を統一することができ、さらには家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙まで統一することができるのです。
神様は、摂理のみ旨を必ずこの地上で成し遂げなければならないのです。それでは、み旨が成し遂げられた結果とはどのようなことでしょうか。それは、この世界万民が救われ、彼らを神様がすべて子女として主管できるようになることです。そのようになることを願うのが摂理のみ旨だということは間違いありません。
もし、地上で国家を復帰することを自分の生涯で果たすことができずに死ぬ場合、皆様は霊界に行っても、天の国に属した真の人としての価値をもつことができなくなります。地上において、神様の主管圏内で統治された実績をもって霊界に行かなければならないのです。それが本来の神様の創造基準だからです。
皆様。私は今まで一生の間、世上のことには関心がない生活をしてきました。「神様が保護できるその国で死ななければならないではないか。私がそのように生きて逝くことができなければ、私の生涯は悲惨な生涯ではないか。したがって、死ぬ前に神の国を取り戻し、たった一日だけでもそこで暮らしてから逝かなければならない」というのが、私の生涯の願いとなりました。
そのような一日のためには、数千日の犠牲を投入しようという心で歩んでいます。皆様は休んでも、私は歩んでいます。皆様ができなければ、外国人を動員してでもやらなければならず、この国ができなければ、外国を通して包囲作戦をしてでも行くべき道です。
このように天一国時代を結実させていく天の道には、失敗はあり得ません。これ以上サタンの妨害による折衝や延期、延長もあり得ません。完全完結の摂理は、文字どおり私の生涯において摂理の総体的完結を見せ、神様の創造理想である平和王国を完成しなければならない大団円の摂理です。
したがって、国のない者はいつでも攻撃を受けるようになります。かわいそうな立場に立つようになります。あっけなく倒される場合がいくらでもあります。ですから、神様が願う国がどこにあるのか、すなわち神様が足場にできる国をどこで見いだすのかということが問題です。
私たちがこの国この民族のために血と汗を流すのは、結局永遠の天の国を成し遂げるためであり、千秋万代の子孫たちが永遠に称賛できる福祉国家を成し遂げるためです。その国は、神様を中心とする直系血統の子女たちが、天命に従い、すなわち神様を身代わりする命令と王権をもって治めるそのような国であることは間違いありません。
そこには、民主主義や共産主義はあり得ません。一度形成されれば、永遠の国家体制として残るのです。このようなことを考えるとき、皆様自身がそのような国の民になれなかったという事実が無念なことではないかというのです。そのような一つの国をもてなかったことを嘆息しなければなりません。皆様自身がそのような国で暮らすことができないことを嘆かなければなりません。そのような一つの不変の主権を探し立てられなかったことを、私たちは悔い改めなければならないのです。
そのような主権と国と国土を立てるために、神様は、人類歴史を通して主権国家を立ててきました。その過程において数多くの人が死に、数多くの民が犠牲となり、数多くの国が滅び、数多くの主権が交代してきた事実を私たちは知っています。
そのように犠牲になった数多くの人々の中で、天の側にいる人たち、あるいは天のみ旨のために犠牲になったすべての恨多き霊人たちは、いつかそのような一つの国、そのような世界が立てられることを願っているというのは間違いないことです。人類始祖が堕落したのち、歴史は神様が主管されたのではなく、サタンが主管するようになったことを私たちは知っています。しかし、本来神様がこの世の主人にならなければなりませんでした。
神様と愛の関係を結んだ直系血統の子女、その子女によって構成された真の家庭を中心として、氏族と国家と世界が成し遂げられていたならば、それこそ神様が主管できる世界、神様が主管できる国、神様が主管できる家庭、神様が主管できる個人になっていたはずです。
ところが、人間が堕落することによって、個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、このように全体が神様と反対の立場に立つようになったのです。これが堕落の歴史であり、堕落の世界だということを知らなければなりません。
したがって、この世界をこのまま放置しておけば、神様が創建しようとされた創造理想の永遠な真の愛の世界を成し遂げることができず、そして、絶対者でいらっしゃる神様は、本来意図された創造理想を実現させてこそ本来の権威を取り戻すことができるので、その位置を標準として悪の世界を収拾し、本来理想とされた本然の真の世界へ導いてこられるのです。これが堕落した世界に対する神様の摂理です。
ところが、この地には今、約二百の堕落主権の国が散在し、あたかも国家展示館をほうふつさせていますが、神様が願われた神の国は一つもありません。神様は、御自身のみ旨を成し遂げることができる神の国を立てるために、人間が知らないところで歴史を通して時代を摂理してこられました。一つの個体を通して家庭と社会と国家と世界を主管することを希望としてアダムを造り、また完成に向けて育てていきました。
しかし、アダム一人の堕落によって歴史は四分五裂してしまいました。これを収拾し連結させていくのが救援摂理歴史です。アダムはすべての人間の先祖なので、アダム一人を失ってしまうことは全体を失ってしまうことと同じです。
したがって、これを再び立てなければならないのであり、再び立てられるその一人の方は、サタン世界の氏族と民族と国にまでもとらわれることのない人でなければなりません。神様のみ旨のためには、命までも差し出す真の人でなければなりません。
皆様。すべての宗教は、究極的に神様のみ旨を成し遂げようとする共通の目的をもっています。その代表として、皆様もよく御存じのキリスト教の歴史を一度例に挙げて見てみましょう。
ノアは、民族的な環境に身を置いていても、そこに属することを願わなかったのであり、国に属していましたが、その国にとらわれず、自分の希望の国を訪ねていきました。希望の国を探し立てるために、彼はあらゆる試練と逆境を経ていかなければなりませんでした。
ノアには親戚もいて、民族もいましたが、それよりも神様のみ旨の国を追求してきました。ノアに願った神様の希望は、神の国と神の義を求めて個人的環境を屈服させていくことでした。彼が、春夏秋冬の一日も休まず百二十年の試練過程を越える、その苦衷はどれほどのものだったでしょうか。
家族までも彼を捨てましたが、ノアはあらゆる反対の矢も受け止めて百二十年を耐え抜きました。神の国と神の義を求めることよりも食べたり飲んだりすることを優先すれば、あとですベての蕩減を受けなければならないという原則をノアは、あまりにもよく知っていたのです。
アブラハムは、カルデアのウルを出てハランに住んでいましたが、神様の啓示を無条件に信じて服従する心をもってそこに向かっていきました。サラもまた、パロ王に引っ張られていっても決してアブラハムを恨んだり、背信したりしませんでした。このように、希望の国に向かっていく彼らの心は、いくら激しい迫害が押し寄せてきても変わることがありませんでした。
ヤコブを見てください。彼は自分に与えられた祝福には希望の国と民族が約束されているという信念があったので、誰も彼の強い信念を曲げることができなかったのです。このようにみ旨は、個人、家庭、氏族へと広げられ、私たちの先覚者たちは、次第に世界的な希望を掲げて進んでいったのです。
イエス様の生涯はどうだったでしょうか。彼はユダヤ民族の不信とイスラエルの迫害によって流浪する境遇になり、結局、十字架の祭物として消えることによって、霊肉ともの希望を成し遂げることができませんでした。
しかし、メシヤは天と地のすべての障壁を崩し、一つに統一された国を探し立てなければならない使命をもってこられる方です。この堕落した地を中心として構成された理念国家は減んでも、天倫が求める理念国家は必ず立てられなければならないというのが神様のみ旨なのです。
アダムを中心として願われた神様の希望は、アダムの個体にだけとどまるのではなく、アダムを中心とする家庭と氏族と民族と国家と世界を成し遂げることでした。メシヤが何よりも成し遂げようとし、目的としていた国が、イスラエルの不信によって崩れたとき、イスラエルは滅びました。したがって、再び来られる再臨主には、アダムを完成させ、メシヤの使命を完成させる責任があります。その方には、アダムを完成させ、アダムを中心とする家庭、氏族、民族、国家、世界を完成させる責任があるというのです。
神様が歴史を通し、時に合わせて中心人物を地上に送り、絶対的な一つの国家を立てることを進めてきましたが、いつも彼らは失敗しました。そのたびに再び義人を探し立て、そのことを営為させ、推進させ、成就させるために苦労してきたのが、今までの復帰摂理歴史だったのです。
したがって私たちは、神様が私個人を犠牲にしたとしても感謝しなければならず、また私の家庭と氏族、民族、国を犠牲にしたとしても感謝できなければなりません。そのような私とそのような国が現れてこそ、新しい世界は収拾されるのです。しかし、個人がいくら犠牲になったとしても、その国が立てられなければ、個人の犠牲はもちろん、家庭、氏族、民族、国家、世界の犠牲まで、再び継続するのです。
皆様。今日皆様がこの地に生まれた目的はどこにあるのでしょうか。国と世界を愛するためです。神様が今まで摂理されてきた目的も、その国と世界を愛するためです。主権のない国の民は悲惨です。
それで、イエス様が心配して話されたことは、「だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義とを求めなさい」(マタイ六・三一三三)とおっしゃったのです。
神様は、堕落した人間の前に、神様を身代わりする一つの実体として、天の血統を代表できる方として、イエス様をこの地上に送られました。すなわち、イエス様は、この地上に初めて神様の歴史的希望を成就してさしあげるためにこられた方だったのです。四千年目に初めてそのような立場に立てられた息子として、ユダヤ教を中心としてヨセフ家庭を通して現れた真の種としてこの地上に立てられたその方が、正にイエス様でした。しかし、このときサタン側は、既に国家を立てて天の側を攻撃していたので、天の側でも完全な足場となる国家的な基準がなければなりませんでした。それで神様は、悪の世界で一つの国を編成するために四千年間苦労されたのです。
皆様。イエス様は、国を求めてこの地上に来られました。一つの国を求めて来られたというのです。しかし、イエス様は、天が長い間苦労して準備したイスラエルとユダヤ民族の不信によって、神の国を霊肉共に取り戻すことができず、霊的にだけ取り戻されたのです。ですから、今日のキリスト教は、今もこの地上に実体の国がないのです。
これは、神様がこの地上のどの国、どの民族に対しても、「愛する私の祖国、私の愛する民族」と呼べないことを意味します。まだ神の国の基盤がこの地に立てられていないことを示しています。
それで、今までキリスト教徒たちは、国がなく主権のない民のような立場に落ち、どこに行っても殺されたのです。殉教の血を流すことによって発展したのです。そのように植えたキリスト教なので、そのように殉教の血を流して刈り入れなければ発展できなかったからです。
しかし、もう血を流して迫害されていた時期は終わりました。それがそのまま死んでなくなるのではなく、キリスト教の霊的基準を中心として、失ってしまった実体の国を世界的に成し遂げるために、その国を欽慕し、主を待ち望んできたのが正に再臨思想です。
愛する祝福家庭の皆様。今では、人類も後天時代に差し掛かり、新しい天運を受けています。その多くの不信と背信の渦の中で苦しんできたこの地球星にも、今、新天新地が開かれています。二〇〇五年の暖かい春が近づいてきているのです。すべての祝福家庭が奮然と立ち上がるべき時が来ました。
天一国創建のための縦的アベルの位置に「世界平和超宗教超国家連合」を立て、世界人口の七〇パーセント以上を含む蒙古斑同族を、祝福結婚を通して蒙古斑血族として連結し、横的カイン圏として立てることによって、六十億の人類を一つの家族にする摂理的責任を、私たち祝福家庭が完遂すべき時が来ました。人種間の垣根、宗教間の壁、そして国家間の国境線もきれいに崩してしまわなければなりません。
神様は、今、救世主、メシヤ、再臨主、王の中の王、すなわち平和の王であり、人類の真の父母である私に全権を伝授してくださいました。人種と国家、そして宗教を超越し、人類を一つの大家族として連結する唯一の方法は、交叉祝福結婚の道しかありません。きのうの怨讐がきょうの親戚となり、伝統と文化が異なる異邦民族同土で一つの大家族になる道、この方法以外にどのような方法があるでしょうか。
皆様、何よりもまず、皆様の家族と氏族を祝福してあげ、彼らを中心とする氏族訓読教会を設立してください。家庭連合運動の勝敗はもちろん、大韓民国の統一、さらには人類大家族化の摂理的勝敗がここにかかっています。
先天時代の慣習と思考の枠から一日も早く脱皮してください。「正午定着」的生活の実践を通して、絶対信仰、絶対愛、絶対服従を天と真の父母様に奉献してください。皆様は、天一国の国民として、永遠の平和と自由を享受するようになるでしょう。皆様の子孫は、未来永劫、皆様の業績を褒めたたえ、誇るようになるでしょう。霊界に行っても、真の父母様に侍って、永遠に共に暮らすようになることでしょう。
どうか、きょう天が下さったメッセージを骨に刻み、新しい天と新しい地を開いていく天一国の精兵となった覚悟で出発してください。皆様の胸の中に燃え上がる真の愛の炎が皆様を導いてくれるでしょう。天の勇気を抱き、真の主人、真の師、真の父母の道へ邁進してください。
神様の祝福が皆様の家庭の上に満ちあふれることを願います。ありがとうございました。
14. 本然の真の愛理想の王権を、私から天宙まで
14.本然の真の愛理想の王権を、私から天宙まで
日付:二〇〇五年五月一日
場所:韓国、全羅南道、麗水、清海ガーデン
行事:「世界基督教統一神霊協会」創立五十一周年記念式
世界各国からいらっしゃった尊敬する蒙古斑血族連合の指導者、内外の貴賓、そして愛する統一家の祝福家庭の指導者の皆様。きょうは、今から五十一年前の一九五四年五月一日、私が大韓民国の地において「世界基督教統一神霊協会」を創設した意義深い日です。
韓国動乱が終わった直後の一九五四年、三年余りの戦争によって灰の山となったこの韓国の地で、世界の基督教を統一し、究極的には世界のすべての宗教と思想を一つに結び、全人類を神様に復帰させようという遠大な志を込めた「神霊協会」を創設しましたが、その目的の達成は到底不可能なことに見えたかもしれません。
しかし、十六歳(数え)の時、いち早く天命を受けて出発した私の道は、世上の視線や誤解を問題とすることはありませんでした。ただ天の命令に従って、摂理を成し遂げる道に邁進してきたのが私の全生涯でした。
皆様。人類歴史は、サタンの背信からもつれ始めた歴史でした。人間の真の父母であられる神様が、人類の始祖であるアダムとエバを創造され、彼らが責任分担を全うし、成長して完成し、御自身の真の子女となることを願われたのです。
しかし、サタンは、アダムとエバを堕落させ、人間が天から賦与された最も高貴な真の愛の道を台無しにしてしまいました。アダムとエバの堕落は、サタンの誘惑に落ち、淫乱によって引き起こされた人間の最初で最大の悲劇だったのです。
今日、全世界に燎原の火のごとく広がっている退廃の風潮を一度考えてみてください。聖書で指摘されたように、サタンは淫乱の王であり淫乱の神です。このようなサタンの奴隷となってしまった人類が、方向感覚を完全に喪失したまま、もがきつつ生きてきたのが六千年の人類歴史でした。
今では、フリーセックスの毒きのこが、スワッピングという仮面をかぶって皆様の居間にまで押し寄せてきています。神聖な人間の権限であり義務でもある子女を生むことを拒否し、ホモとなって極度の利己主義的生活を追求している数千、数万の若い生命を、どのようにされるのですか。天が下さった高貴な家庭の階級秩序まで破壊したまま、祖父と孫娘が、父と娘が、互いにもつれて引き起こしている近親相姦という到底許し難い罪の代価を、どのようにしてすべて支払うことができるというのでしょうか。
天が賜った真の愛、真の生命、真の血統を保全して完成し、真の家庭を成就するべき崇高な義務を、私たちは、きょう襟を正してもう一度確認しなければなりません。崩れるだけ崩れた人類の位相を再び探し立てる運動は、今から若い二世たちをまっすぐに天のみ旨を中心として教育する道です。フリーセックスやホモの沼で極度の利己主義的生活に走っている彼らに、純潔、純血、純愛、純性の教育を徹底してしなければなりません。
皆様。二世を失えば、人類の未来は約束することができません。そうかといって、このような教育運動が人間の理論や意志でのみ成し遂げられるのではありません。歴史を調べてみれば、六十億を超える人類を、今日この位置まで導いてきたのは、背後で摂理してこられた天があったからです。御自身の最初の息子であり、最初の娘だったアダムとエバを失ってしまった神様は、歴史の背後で言い表すことのできない涙と恨の路程を経てこられました。背信と失敗を繰り返す摂理的中心人物たちを見守りながら、最後まで放棄されず、人類の復帰歴史を進行させてこられたのが天です。
アダム家庭からカインとアベルに分けて分立歴史をしてこられた天が、今では世界的次元で、より悪の側を代表するカイン圏とより善の天の側を代表するアベル圏を一つに結び、統一させる血統の歴史を進行していらっしゃいます。
私が以前に宣布した「プリチャッキ(ルーツ探訪)連合運動」とは何でしょうか。天の真の愛、真の生命、真の血統を探し立てようというものです。人間の根本の根がそこにあるからです。数千、数万年を偽りのオリーブの木として生きてきた人類が、今真のオリーブの木として来られた真の父母様の祝福結婚を通して接ぎ木され、真のオリーブの木の根を伝授してもらおうという摂理的次元の革命を意味するのです。
そのような脈絡から、世界人口の七〇パーセント以上を占めている蒙古斑同族圏をカイン圏として立て、「世界平和超宗教超国家連合」をアベル圏として立てて和解と統一の道を模索しようというのです。そうして、究極的には、真の父母様の祝福結婚を通して、人類を「蒙古斑血族圏」、すなわち「祝福血族家庭圏」として再創造しようという新天新地創造運動です。
皆様。私が「世界基督教統一神霊協会」の看板を掲げてから、既に半世紀を超えました。この間、私が天の印を受けて地上界に顕現した横的真の父母として、天のみ旨を成し遂げてさしあげるために、どれほど多くの血と汗と涙を流したかということは、天だけが御存じでしょう。
今は新しい天と新しい地が開かれています。神様を中心とする平和の王権が出発しています。歴史の始まりから、背信と偽りの王として君臨してきたサタンまでも天に自然屈伏し、復帰の恩賜圏内に入ってくる天地開闢の時代が、今日の私たちが身を置いているこの時代だということを知らなければなりません。
争う所には平和はありません。和解と赦しは、平和と理想世界の前提条件です。今私たちが心を合わせて追求すべきことは、すべての障壁と国境を撤廃することです。まず皆様の心と体の間を分けている葛藤の壁をきれいに除去するのです。
儒教で言う修身も、このような脈絡から見なければなりません。それは、体が心に徹底して服従し、永遠に良心の呵責を感じない本然の状態を意味します。個人を越え、家庭、社会、人種、国家、宗教など、人間生活のすベての分野でも、私たちは、サタンの残骸である垣根を崩し、神様の創造理想である地上天上平和の王国、すなわち天一国を創建しなければなりません。
私は、正確に一年前のきょう、この場で「先天時代が過ぎ、新しい後天時代が到来したこと」を天上天下に宣布しました。それから一年、世界は急速度で変化しています。世界の至る所で私が主唱する「真の愛を中心とする平和運動」に呼応していく指導者たちが、数え切れないほど現れるようになりました。
二世圏を代表する若い中高生たちと大学生たちを中心とする真の愛運動が、純潔運動、すなわち「ラスティングラブムーブメント(Lasting Love Movement:永遠の愛運動)」という名称で全世界に拡散しています。悪の勢力のサタンが屈服したので、今からはもうこれ以上この運動を阻止する人がいません。霊界の数千億の先祖たちも総動員され、協力しています。この地上に永遠の平和王国を創建することは、もう時間の問題です。皆様は、全員希望をもって力強い前進の一歩を踏み出さなければなりません。
皆様が努力すればするほど、その日は早まるでしょう。聖書のマタイによる福音書第十六章二十五節にも、「自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう」とあります。神様の直系眷属である祝福血族家庭の拡散に、皆様全員が総力を傾注しなければなりません。
悲壮な覚悟で平和の大平原に向かって、新しい半世紀を力強く走りましょう。天が皆様を必ず守ってくださるでしょう。皆様は必ず勝利されるでしょう!
きょう皆様は、私を通して貴い天命を受けられました。今からは、皆様がいつ、どこで、何をされても、私たちは全員、神様と真の父母様を中心軸として集まった一家族であり、真の家庭だということを肝に銘じてくださることをお願いします。天は、皆様の良心を通して役事され、ために生きる真の愛の生活をする基準によって皆様の善の先祖たちが動員されることを、必ず記憶してくださることをお願いします。
神様の祝福が皆様と皆様が新しく創建する真の家庭の上に、永遠に共にあることを願います。ありがとうございました。
15. 「家庭盟誓」の価値とその意義
15.「家庭盟誓」の価値とその意義
日付:二〇〇七年六月十三日
場所:韓国、京畿道、加平郡、天正宮博物館
行事:天正宮博物館入宮戴冠式一周年記念式
愛する祝福家庭の皆様。きょうこの意義深い日を期して、天が人類に下さった最も貴く幸福な人生の里程標である「家庭盟誓」の摂理的価値とその意義に関して、御説明しようと思います。
「家庭盟誓」は、一九九四年五月一日、「世界平和統一家庭連合」の創設とともに、天が人類に下さった祝福の中の祝福です。旧約時代と新約時代を完成、完結する成約時代を宣布し、先天時代の暗闇を貫いて、明るい後天時代の新天新地、すなわち天宙平和統一王国が天地開闢の時代を開いていく道案内として下さった里程標です。
一九五四年に「世界基督教統一神霊協会」を創設して以来、四十年の長い蕩減路程を、真の父母が直接闘って勝利し、越えた基台の上に、今では、個人的な次元の「私の誓い」ではなく、天国入城の基本単位となる真の家庭が共に唱え、実践しなければならないのが「家庭盟誓」です。涙なくしては唱えられない、天と真の父母様の恨が宿っている誓いです。腐敗した宗教の仮面を剥がせ、解放された場で、千年、万年唱えることができる人類の表題です。家庭が天国に入城する基本単位になるからです。
皆様。世の中で「家庭盟誓」という言葉を聞いたことがありますか。歴史上、初めて出てきた言葉です。太初に神様が御自身の子女であり、人類の最初の先祖として創造された男性と女性が、堕落によって真の家庭を失ってしまいました。したがって神様は、御自身の創造理想を絶対的基準で成し遂げなければならない摂理的召命のために、「家庭盟誓」を設定、宣布されたのです。人間がこの地上で、本然の理想家庭である真の家庭の母体を完成し、神様に永遠の喜びをさしあげることができ、さらには、皆様の家庭で直接神様に侍って暮らせる地上、天上天国を創建する必然的な道具として下さった祝福です。
したがって、「家庭盟誓」を朗唱する前提条件は、何よりもまず皆様の心と体が完全一体となり、一心、一体、一念、一和の境地まで行かなければならないということです。皆様の主人であり、父母であり、師として下さった良心の命令に従い、体が一〇〇パーセント従順屈服し、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の人格完成基準が前提とならなければならないという意味です。
さらには、皆様の家族全員が、天のみ旨を中心として一つになる、心身統一、父母統一、夫婦統一、父子統一、兄弟統一の基本形、すなわち真の愛の一体圏が完成してこそ、「家庭盟誓」を唱えることができます。したがって、「家庭盟誓」は、成約時代を越え、天宙平和統一王国を成し遂げる絶対基準であり、憲法と同じです。これからは、出世するときも、個人ではなく家庭がするでしょう。万人が認め尊敬する真のモデル家庭であってこそ、世界を指導する指導者的家庭の位置に立つようになるという意味です。このように家庭は、天の最大、最高の祝福であり、恐ろしい現実です。天一国を創建する礎石になるのです。真の家庭を成し遂げることが、天一国の市民権を獲得する近道になるということです。
愛する祝福家庭の皆様。祈りの中で最高の祈りが「家庭盟誓」です。「家庭盟誓」は、真の父母様の戦勝記録です。侍義時代である成約時代の教えを授ける法度です。「家庭盟誓」は、真の愛を骨とし、真の家庭を心臓として立て、皆様の人生を神様と連結させてくれる橋です。神様を占領する「真の愛の核爆弾」です。「家庭盟誓」は、縦と横、南と北、前と後を連結する中心に真の愛を迎え、永遠の球形運動を出発させるエネルギーであり、知恵です。「家庭盟誓」は、天国の門を開く鍵です。天国の門は、金や銀で作った鍵で開ける門ではなく、真の愛で完成した真の家庭の鍵で初めて開かれる門です。それで、「家庭盟誓」は一節から八節まで、すべて「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として」で始まるのです。
皆様。侍義時代とは、神様に侍って暮らす時代です。聖書でいう第一の戒めも「神様を愛しなさい」というみ言ではないですか。後天時代には、神様御自身が真の父母の姿で万人の前に顕現します。したがって、真の父母に侍る統一教会の位相は、世の中のどのような力や勢力とも比較できない天の権勢として現れるようになるのです。
生きていらっしゃる神様を皆様が直接目で確認し、感覚で体恤できる圏内において、侍る生活をする皆様を、誰が妨げることができるというのでしょうか。人類先祖の堕落以来、初めて真の父母によって歴史が統治され、真の父母によって新しい世界へ移っていける起源が生じ、真の父母によってサタンを屈服させることができる内的な関係が決定し、真の父母によって神様を解怨成就してさしあげられる中心が決定したのです。したがって、真の父母と共に生き、真の父母から直接命令を受けて生きていくことができる、この驚くべき恩賜の前に、皆様はまず感謝しなければならないでしょう。皆様が真の父母と完全に一つになるとき、皆様の国家があり、氏族もあり、民族もあり、家庭もあるのです。天地のすべての栄光の価値を総合した実体的な基準が真の父母です。皆様がこのような価値をはっきりと知れば、たとえ世の中のすべてのお金をあげると言われても、真の父母と取り替えられますか。皆様の生命と引き替えても得ることができない価値をもっているのが真の父母です。
「家庭盟誓」の一節は、「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、本郷の地を求め、本然の創造理想である地上天国と天上天国を創建することをお誓い致します」です。「家庭盟誓」を唱えることが、歴史上どれほど福音の中の福音かを知らなければなりません。
ここで言う創造理想とは、神様を中心とする創造理想を意味します。地上天国と天上天国をつくるのが神様の創造理想でした。ところが、堕落によってそれをつくることができなかったので、復帰しなければならないのです。本郷の地を中心として、創造理想である地上天国と天上天国を創建しなければならないという意味です。
堕落のために家庭を失ってしまったので、家庭をつくらなければならないということです。私個人ではなく、天一国の主人である私たちの家庭が真の愛を中心として本郷の地を求め、そこに本然の神様の創造理想である地上天国と天上天国を創建しようということです。本郷の地です。家庭を中心とする本郷の地です。皆様全員が、故郷に戻って地上天国と天上天国を成し遂げなければなりません。今、故郷さえ取り戻せば、国と世界、すべてが自然に一つになるのです。心配する必要はありません。
地上天国と天上天国が一つになり、そこで神様の真の愛を中心として一つとなった家庭生活をしながら地上で生きた人が、天上天国の家庭に移動して越えていくのです。個人救援時代ではありません。キリスト教では「個人救援だ」と言いますが、それは違います。家庭救援が神様のみ旨です。堕落が家庭で起きたので、復帰も家庭でしなければなりません。そのような時が来ました。今まで、地上にこのような歴史時代がありませんでした。初めて、家庭が新しく定着する時代に入ってきたのです。
本然の創造理想である地上天国と天上天国を、私がつくらなければなりません。家庭を失ってしまったので、私たちの家庭がつくらなければなりません。本郷の地は、家庭を中心とする本郷の地を意味します。国ではありません。それで、故郷に帰らなければならないということです。皆様にそのような家庭があれば、故郷の地に帰って、地上天国と天上天国を成し遂げなければなりません。
今、故郷さえ取り戻せば、自然に国と世界が一つになるのです。地上天国と天上天国が自然に成し遂げられるのです。それが真の家庭を中心として展開します。「本然の創造理想である地上天国と天上天国を創建することをお誓い致します」とありますが、ここに「創建」という言葉を使いました。なぜ「創建」という言葉を使ったのでしょうか。これは、私たちが再びつくらなければならないという意味です。ただそのままでできるのではありません。再創造しなければなりません。世の中は既に地上地獄になっており、天上地獄まで連結されているので、これを私たちが再び創造して、一八〇度変えなければならないという意味です。
本郷の地を求めて本然の創造理想である地上天国と天上天国を創建することは、祝福家庭がしなければならないことです。皆様個人だけではなく、皆様の家庭を中心として地上天国と天上天国を完成しなければならないのです。これが祝福家庭になった皆様の最初の誓いであり、使命です。
二節は、「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、神様と真の父母様に侍り、天宙の代表的家庭となり、中心的家庭となって、家庭では孝子、国家では忠臣、世界では聖人、天宙では聖子の家庭の道理を完成することをお誓い致します」です。
「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として」とありますが、真の愛は、心と体が一つになり、夫婦が一つになり、子女と一つになった基準の上で広がる愛です。このような基準の真の愛を実践できずに皆様が霊界に行くようになれば、間違いなく引っ掛かります。「家庭盟誓」は、そのように恐ろしいものです。常に「家庭盟誓」に従って生きなければなりません。
もし皆様の家庭で、父親が「家庭盟誓」のどれか一つにでも引っ掛かるようになれば、母親も共同で責任を負うようになり、子女たちの共同責任にもなり、家族全員が共同で責任を負わざるを得なくなるのです。エバが堕落することによってアダム家庭全体が堕落したという結果を招いた、そのような意味をもつということです。
「神様と真の父母様に侍り」となっています。本来人間は、神様と真の父母様に侍らなければならないのに、追い出してしまったというのです。しかし、人間は、神様と真の父母に侍らなければ、その存在価値さえなくなるのです。神様と真の父母、すなわち縦的な真の父母と横的な真の父母の二つの真の父母が一つになって、初めて私が出てくるのです。
言い換えれば、神様は縦的な真の父母であり、完成したアダムとエバは横的な真の父母になり、その二つの父母が一つになった基台の上に私の心身統一が成し遂げられ、天国と神様が連結されるということです。したがって、神様と真の父母に侍らなければ何もできないという結論を下すことができます。
それでは、天宙の代表的家庭とは、どのような家庭ですか。堕落する前、アダムとエバが神様と共に理想としていた家庭です。ですから、天宙の代表的家庭と中心的家庭とは、天上においては代表であり、地に降りてくれば、八段階の円錐の垂直に位置する家庭です。垂直的な立場で天上の代表と中心が一つになった位置だということです。
そのような家庭の中心で孝子、孝女にならなければならず、そのような国家では忠臣にならなければならず、そのような世界では聖人、そのような天宙では聖子にならなければなりません。「聖子の家庭の道理を完成することをお誓い致します」とあるのは、個人的には家族全員が聖子の位置まで行くことができなければならず、そのような聖子の家族全員が集まって聖子の家庭を築くようになるという意味です。これを誓うのです。
神様と真の父母に侍り、代表的な家庭になり、中心家庭になって、家庭では孝子、孝女、国では忠臣、烈女、世界では聖人、天宙では聖子の家庭の道理など、天が望むすべてのものを私たちの家庭で完成しようということです。父母は子女の教育、国家では民の教育、世界では聖人教育、天地ではその天国の一族、すなわち聖子の家庭の家族として合格者になれるようにしようということです。
それで、「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、神様と真の父母様に侍り、天宙の代表的家庭となり、中心的家庭となって、家庭では孝子、国家では忠臣、世界では聖人、天宙では聖子の家庭の道理を完成することをお誓い致します」とあるのです。
三節は、「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、四大心情圏と三大王権と皇族圏を完成することをお誓い致します」です。
四大心情圏と三大王権は、堕落する前のアダムとエバの完成を意味します。皇族圏を除いて、これらのすべては、堕落する前のアダムとエバが、四大心情圏と三大王権を成し遂げ、皇族になることでした。それで、この節は、堕落した人類を復帰して、皇族をつくっていくことを意味するのです。私たち祝福家庭が、この使命を完遂しなければなりません。
女性が男性の愛を受け、男性が女性の愛を受けるためには、この位置に立たなければなりません。そうでなければ愛せないようになっています。夫婦関係で愛するのは、四大心情圏と三大王権の位置で愛するようになっています。愛がなければ、四大心情圏と三大王権はあり得ません。ですから、女性には男性が絶対に必要であり、男性には女性が絶対に必要なのです。祝福家庭は、これを標準として毎日のように努力しなければなりません。「神様がこのように完成されるから、私たちもこのようにすればよいだろう」という、このような観念的な信仰だけでは完成できません。これは実際問題です。皆様の目前に来ているというのです。
四節は、「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、神様の創造理想である天宙大家族を形成し、自由と平和と統一と幸福の世界を完成することをお誓い致します」です。
神様の理想は、すべての世界が一つの家庭になることです。一つの家庭です。四大心情圏と三大王権を完成した人たちが唱えるものが「家庭盟誓」ならば、神様を中心とする一つの家庭になるのであって、二つの家庭にはなりません。創造理想の天宙大家族を形成し、「神様のもとの一つの家族」です。空気で言えば、低気圧圏に空気がなくなれば、高気圧圏の空気が流れて満たしてくれます。水は、高い所にあるとき、下にくぼみがあれば、自動的に流れて埋めてくれます。バランスを取ることが理想です。
今日、世界には、先進国と発展途上国があります。先進国は、たくさんの物が余って捨てますが、発展途上国はすべての物が不足し、飢えて死んでいっています。一年に二千万人が飢餓で死んでいます。これが神様のみ旨ですか。宇宙の自然な運動圏を害しているのが先進国家の形態です。このまま行けば、先進国は天罰を免れることができないでしょう。天が、そのままにしておかないということです。既に、このような審判の兆候があちこちで現れています。その一例がエイズと麻薬です。フリーセックスやホモのような、本然の価値を失った人間たちの狂乱です。これらが正に、神様が最も憎み、反対にサタンが最も好むことです。正反対です。
レバレンドムーンは、消費の天国であるアメリカのような先進国を飢えさせるようなことがあっても、一日で数万人ずつ飢えて死んでいく発展途上国を生かしてあげようという運動を展開するのです。自然界は、すべてバランスを取っています。「天宙大家族を形成し、自由と平和と統一と幸福の世界を完成することをお誓い致します」というときの「自由」は、個人の自由ではなく、全世界の大家庭にいる人たちの自由であり、大家庭の平和であり、大家庭の統一であり、大家庭の幸福です。
全人類がすべて幸福である、そのような状態を意味します。ですから、全世界の津々浦々に統一運動を発展させなければなりません。どこであっても、豊かな所では分配できる組織をつくらなければならないというのです。大家族世界は、私たち祝福家族の世界です。
皆様。霊界に行けば、全世界の人たちが一度にすベて集まって暮らしても、国境がありません。五色人種(すベての人種)が集まっています。しかし、その中で誰が過去、現在、未来まで、すべてを一つにできる家庭的理念をもって準備しているのかが問題です。そのような人が、霊界でも中心指導者になるのです。ですから、地上界で訓練しなければなりません。心と体が一つになった上で、そのような訓練をしなければならないのです。
世の中では、良心をだましながら、あらゆる詐欺、謀略、中傷をしてお金を集める者たちが大勢いますが、そのようにしてお金を集めれば、かえってお金が彼らを打つのです。審判の棍棒(こんぼう)になるのです。霊界でも同じです。いくら勉強をよくしたとしても、知識が全体のためにならず、自分だけのためならば、その知識が私を打ってしまいます。地獄に放り込むのです。神様のみ旨である世界一家族の理念を中心として、世界のために生きることができる個人となるべきなのに、世界を無視して個人だけのために生きれば、世界が審判するのです。
先生が「家庭盟誓」を制定したのは、「統一教会は先生の家庭を中心として誓いなさい!」ということではありません。皆様は、皆様の家庭を中心として誓のです。平等です。先生は、先生の家庭です。全体を代表するのです。ですから、「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、神様の創造理想である天宙大家族を形成し、自由と平和と統一と幸福の世界を完成することをお誓い致します」です。
「家庭盟誓」の五節は、「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かい、前進的発展を促進化することをお誓い致します」です。皆様はまず、主体的天上世界を考えなければなりません。人類の分布を考えてみるとき、霊界にいる人が多いでしょうか、現在のこの世界にいる人が多いでしょうか。どのように思いますか。地上界の人口とは比較にもならないほど、多くの人々が霊界で生きているのです。したがって、どこが主体でありプラスかといえば、霊界です。心が体に対して主体的立場であり、プラスであるのと同じです。体は地上界を代表し、心は霊界を代表します。心はプラスと同じであり、体はマイナスと同じです。
ですから、主体的な心を忘れる生活、心の世界を忘れる生活をすれば、地獄に行くようになっているのです。体が心を打っていた人生から、今からは心が体を打って屈服させる人生を営まなければならない時だというのです。
私たちは、生活の中で毎日、天上世界が主体になっているという観念をもって生きなければなりません。皆様の日常生活が、主体的天国に対して、その相対的な地上での完成形態を備えなければ、天上世界に行って完成基盤を形成できません。直接的関係です。その直接的関係が、毎日、毎年、一生を通して関係を結んでこそ、あの世に行って自分の第二活動舞台となり、居住地になるのです。
言い換えれば、「毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一」とは、主体世界と対象世界が統一されなければならないということです。「統一に向かって前進的発展」とは、前進していく発展です。「促進化することをお誓い致します」とは、促進化、すなわち早く、早く、もっと早くするということです。停止してはいけません。停止すれば、すぐに落ちるのです。地獄と通じ、死亡と通じます。停止は下って地獄と通じ、促進は発展と通じるのです。
寝てばかりいて怠け、食べて楽しむ、そのようなことは容認されません。一生は短いので忙しいのです。休まずに走りなさいというのです。先生のように、寝ることもせずに走りなさいというのです。そうしてこそ、自分が望んだその世界と関係を結べるのであって、どうして考えもしない世界と関係を結べるでしょうか。そうしてこそ統一が成し遂げられます。霊界と地上界を一緒に考えてあげなければなりません。相対的に考えてあげなければならないのです。
六節は、「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、神様と真の父母様の代身家庭として、天運を動かす家庭となり、天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成することをお誓い致します」です。
「神様と真の父母の代身家庭として」とあるので、皆様の家庭が、神様の家庭と真の父母の家庭の代身家庭です。神様と真の父母の代身家庭は、天運を動かす家庭です。「天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成することをお誓い致します」とは、私だけが祝福されて幸せに生きようというのではありません。結局は、王族となり、すべての人たちを天一国の民にしなければならないということです。
言い換えれば、天のすべての祝福を万民に平等に分けてあげる、家庭的な祝福の基になるという意味です。神様と真の父母の家庭は、一つの家庭です。一つの家庭ですが、たくさんの祝福家庭がいるので、全世界に広がり、神様の家庭と真の父母の家庭を身代わりして福を受ける基となり、分けてあげる家庭にならなければならないということです。それで、みな等しく福を受けるようにしてあげようという意味です。
七節は、「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、本然の血統と連結された為に生きる生活を通して、心情文化世界を完成することをお誓い致します」です。
皆様。信仰の道において最も重要なことは、どのようなことがあっても本然の血統を汚してはいけないということです。それは何かというと、皆様の子孫が、アダムとエバが堕落したのと同じように、再び血統を汚すことがあってはならないということです。「本然の血統と連結された為に生きる生活を通して、心情文化世界を完成することをお誓い致します」です。
神様の心の世界も、天上世界も、地上世界も、真の父母の心の世界もすベて一つです。それで、「心情文化世界を完成することをお誓い致します」です。これが私たちの理想です。文化は二つではありません。一つです。堕落した世界は、文化が複雑で雑多です。心情文化世界を通してこそ、個人天国、家庭天国、氏族天国、民族天国、国家天国、世界天国、永遠の世界の天国に連結されるのです。その心情でなければ、個人、家庭、氏族を連結できません。心情文化世界でなければ、個人から天宙まで連結できません。ところが、今までの世の中は、ジグザグに上がったり下がったりしていたので、数千年をかけても終着点に到達できていません。しかし、心情文化世界では一瞬のうちに行きます。ただ真の愛によってのみ可能です。
八節は、「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として、成約時代を迎え、絶対信仰、絶対愛、絶対服従によって、神人愛一体理想を成し、地上天国と天上天国の解放圏と釈放圏を完成することをお誓い致します」です。家庭において心と体が一つになった夫婦となり、王家ができなければなりません。これが神様の創造理想であり、成約時代の完成であり、新しい家庭の出発だということを知らなければなりません。男女が真の愛で一つになった家庭は、王権に属するのです。本来、アダム家庭は王家を意味します。そこから氏族王、民族王、国家王が出てくるのです。そうすれば、自動的に永遠の霊界まで進んでいきます。地上で、その国に永遠に連結されるのです。それが成約時代です。
成約時代は、新しい時代に進入することを意味します。家庭から氏族、民族、国家、世界まで、一つの平和世界を成し遂げられる、統一された世界になる時をいうのです。したがって、これは全体を代表するのです。家庭単位に限定させるのではありません。世界を越え、全体を越えてこそ、成約時代に行くのです。四大心情圏と三大王権を完成した新しい家庭を通して、世界の版図を越え、成約時代の型を備えるようになるとき、一つの世界、すなわち平和の理想天国の世界になるのです。
皆様。絶対信仰、絶対愛、絶対服従、これが神様の創造理想です。神様は、絶対信仰の上で万物をつくり始めました。絶対愛の対象のために、創造を始められました。絶対服従の基準で、神様御自身の意識観念がない状態で宇宙万象を創造されたのです。完全にゼロです。完全に無の境地です。無に帰ることによって、自動的な循環運動が起きるのです。すべて完全に与えて何もないので、私のもとに戻ってくるのです。これが宇宙運動の起源になっています。完全に投入したのちには、完全に戻ってくるのが原理です。
したがって、自己主張をしてはいけません。そのようにすれば悪魔的な存在になるのです。皆様の五官を通るすべてのものが、サタンの利用物になってはいけません。神様の目の代身、神様の鼻の代身、神様の口の代身、神様の足の代身、神様の手の代身として、絶対信仰を中心として絶対愛で愛し、絶対服従する基準を立てて生きてみてください。そのような人には、いつでも神様が同情して協助されるのです。自分がないところには、神様が共にいらっしゃるのです。
皆様。神様は、御自身を絶対投入して愛の絶対対象をつくられました。愛の実体対象が必要なのでつくられたのです。地上世界はもちろん、天上世界でも、実体がなければ実体の子女に相対できないので、形状として体をまとわなければならないということです。これが完成した真の父母の形態です。そして、神様は、地を中心として愛する愛の対象が必要だったために創造の摂理をされたのです。その基台の上に神様は、御自身の絶対対象として造られた人間をして、永存できるようにするために、繁殖の機能を許諾されたことを知らなければなりません。これが神様の三大創造要素です。
神様は、愛の根であり、生命の根であり、血統の根であり、地上天国と天上天国の根です。堕落がなかったならば、アダムとエバが結婚する時、神様は、アダムとエバの心の中に入っていって、彼らと一体的な愛を成し遂げていたはずです。神様は縦的な真の父母であり、アダムとエバは横的な真の父母になっていたことでしょう。そのような二つの父母の血肉を受けて生まれた人間の心は縦的な自分になり、体は横的な自分となって、一心、一体、一念、一和の人生を営むことができていたでしょう。
このように、神人愛の一体圏を形成することによって、心身一体を完成した子女は、神様の息子、娘になるのです。神様の王子、王女になれば、神様と父子の関係となり、神様の全体を相続できるようになります。このような子女が、真の愛を中心とした夫婦一体を完成すれば、神様に侍って暮らす家庭になり、その家庭は、平和と理想の基地になるのです。半分の男性と女性が一体になり、完全な神様の相対として、神様の理想的愛を完成させる基地になるということです。
言い換えれば、真の愛を中心として、神様は、人間を無限の価値の存在として完成させることによって、神様も真の愛を完成し、永遠の理想の愛が宿る創造理想世界を完成されるようになるという意味です。
神様とアダム家庭を中心として見れば、神様は一代の祖、アダムは二代の祖、アダムの子女は三代の祖の位置を形成するようになっていました。神様は祖父母の位置であり、アダムは父母の位置であり、子女は息子、娘の位置だというのです。同じように、皆様の家庭でも三代が一つの家庭に安着すれば、祖父母は、天上天国の神様の位置であり、本然の地上世界と天上世界の王と女王の位置であり、父母は、現在の地上天国を代表する中心の王と女王の位置であり、子女は未来を代表する地上天国と天上天国を相続する王子、王女の位置なのです。
このように、アダムの一族は、神様を中心とする王族となって暮らし、天国に移動して永遠の世界に移されるのです。これが、人間が成就しなければならない目的です。祖父と祖母は天を代表するので、神様に侍るように祖父母に侍り、父母には現在の世界の王のように侍り、子女に対しては未来の王子、王女のように愛し、そのように暮らしてから行く所が天国だというのです。そこにおいてのみ、人間の欲望と希望、そして幸福が完成するようになります。
「家庭盟誓」の八節は、地上天国に入る方法を提示しています。絶対信仰、絶対愛、絶対服従の人生を通してこそ可能な道です。創造当時、神様もエデンの園で絶対信仰と絶対愛で絶対投入し、絶対服従された基準があったからです。
皆様。良心は、父母に優り、師に優り、神様に優ります。多くの人々がそのような価値を知らずにいます。体が良心を思いどおりにしています。堕落した世界である享楽の世界では、そうです。お金にばかり頼って暮らせば、享楽に流れていってしまいます。男女間の乱雑な愛の関係をつくり出していくのです。それで、減んでいきます。絶対信仰、絶対愛、絶対服従をして神人愛一体圏の愛が形成され、堕落していない時の神様と人間が完成して一体圏が形成されなければならなかったのですが、それをすべて失ってしまいました。
ですから、その一体圏、すなわち地上・天上天国を建設しなければなりません。解怨しなければなりません。恨を解かなければ解怨ができません。それを先生が内外ですベて解決してきました。それを復帰の完成と言うのです。復帰を完了したのです。今、それを宣布しています。終わりをきちんと締めくくらなければならないからです。
愛する祝福家庭の皆様。皆様はこれから、神様から受けた純粋な真の血統を、どのように保全するかということが問題です。汚染されていないエデンの園でも堕落があったのに、この邪悪で汚れた罪悪世界で純粋な血統を保全するということは、決して容易なことではないでしょう。罪悪世界に根をおいて生まれた一世の父母たちは苦労したとしても、祝福を受けて生まれた二世の子女たちには、汚染されることのない、清くて純粋な環境をつくってあげなければならないのが皆様の責任です。
したがって、皆様の家庭は、因習に染まった、習慣的で世俗的な家庭であってはいけません。どのように暮らすことが、未来のために正しく暮らすことなのでしょうか。子孫を徹底的に教育しなければなりません。子孫に残してあげられる、手本となる生活を送らなければなりません。いくら難しい荒野路程を歩むようになったとしても、イスラエル民族がカナン七族と闘って勝ったように、闘って必ず勝利しなければなりません。父母は、死ぬとしても、天道を植えつけてから逝かなければならないという意味です。皆様の人生が、天のために生き、真の父母様のために生きる人生になれば、皆様の子女は、天運を受けて自動的に天の伝統を相続されるようになるでしょう。イスラエル民族がカナンを復帰したのちに滅亡してしまったのは、彼らが既存の環境に同化して習慣化してしまったためです。彼らは、より良く生き、より良く食べて、贅沢をする生活に幻惑されました。彼らは、権力を貪り、知識優先主義に流れました。異邦人でも、お金持ちの家ならば結婚しました。結局、彼らは、選民の精神を売り渡すようになり、天の伝統まで失ってしまったのです。
「家庭盟誓」が教えてくれる教訓は、天宙主義です。個人主義ではありません。現実の様々な困難を避けていては、生きていけないでしょう。現実を果敢に撃破して、勝利を勝ち取らなければなりません。その武器が、正に「家庭盟誓」の伝統で武装された皆様の家庭です。皆様一代だけを中心とする家庭ではありません。少なくとも三代圏を成し遂げて、確固不動たる天の伝統を立てなければなりません。子々孫々、選民の真の血統が流れる一族を定着させなければならない使命があるという意味です。
祝福家庭の皆様は、真の愛の基台を広げて万民の心情を集め、ろうそくの明かりをともして香を焚きながら祈りを捧げ、天と地、そして万民と共に、真の愛の関係を結んで暮らしてから死のう、という家庭にならなければなりません。そのような家庭になれば、どのような患難が襲ってきても、神様がその家庭を保護してくださるでしょう。天が種として残したい家庭が、そのような家庭だからです。
皆様全員が、「家庭盟誓」に立脚した真で善なる家庭の伝統を立て、必ず勝利してください。後天開闢の時代を生きていく皆様の人生は、勝利者の歩みにならなければなりません。環太平洋圏時代の明るい太陽が、皆様の歩みを照らしてくれています。この祖国の地、大韓半島に真の生命と真の愛、そして真の血統の根源である神様が共にお住みになり、神様が永遠の価値の祝福を下さった真の父母様が、皆様を導いています。今、皆様の前途には不可能がないことを、はっきりと知ってください。神様の祝福が、皆様と皆様の家庭に永遠に共にあることを願います。
16. 中断のない前進
16.中断のない前進
日付:二〇一二年九月十七日
場所:韓国、京畿道、加平郡、清心平和ワールドセンター
行事:基元節勝利のための統一教会世界指導者特別集会(真のお母様)
尊敬する内外の貴賓、そして全世界の祝福家庭の皆様。今日私たちは、実に重要な神様の摂理的経綸の中において、空前絶後の歴史的で、革命的な大転換期を迎えています。人類の善なる血統の根として来られた再臨主、メシヤ、救世主、そして真の父母様であられる私の夫、文鮮明総裁が霊界に旅立たれました。したがって私たちは、真の父母様の勝利圏を相続し、「一人の神様のもとの一つの家族」の平和理想王国を創建すべき摂理的出発点に立つようになりました。
真のお父様の聖和は、全生涯を共に歩んできた私や、私たち全員にとって、量り知れない苦痛と悲しみです。人類の永遠の愛の本体であられ、真の父母であられる神様の心情も、到底量り知ることはできません。しかし他の側面から見れば、太初の天地創造から神様が立てた天法に従って、この地上で人類歴史以来、誰一人として成就できなかった摂理的課題を完成、完結、完了され、霊肉界を主管されるために、今や霊界へと生を移されて、新しい次元の摂理を開くようにされる、希望の時でもあります。人間が知るどのような言葉や文章をもってしても表現できない万感迫る中で、今日の摂理的転換期を迎えています。
皆様も御存じのとおり、私は清く純粋な少女時代に、天の導きを受けて真のお父様にお会いし、天が準備してこられた摂理に従い、十七歳という花のような年齢で、天宙史的な「真の父母様の御聖婚」の恩賜を受けるようになりました。摂理の道において、私は、真のお父様の伴侶となって、全生涯をその方に侍り、天倫の摂理の道を共に乗り越えてきました。
私は幼くはありましたが、この摂理の道を出発してから、大きくは二つの使命を完遂するために全力投球してきました。第一に、私の当代において、恨の積もった神様の蕩減復帰摂理を終結することであり、第二に、神様のみ旨である理想世界の具現を真のお父様に侍って、当代で完成してさしあげることでした。
人類の先祖、アダムとエバの堕落以後、神様の救援摂理歴史は絶えず進められてきましたが、今まで誰一人として蕩減復帰の摂理路程を完成できないまま、真の父母様の顕現を待ち望んできたのです。サタンが霊肉界における主権をもち、全権をもって君臨する、凄絶な摂理的状況の中で、真の父母の路程は出発しました。
六千年間主権を握ってきたサタンが悪の先祖として最も恐れるのは、善の先祖となる「真の父母」が出現することだったので、どれほど激烈な反対と悪逆の限りを尽くしてきたことでしょうか。真のお父様は、一九六〇年、私との聖婚を通して「真の父母」の位相が確立されるまで、量り知れない蕩減の摂理路程を通過してこられました。人類にとって真の父母は、たった一度しか迎えることができないのであり、その一度の真の父母が永遠に真の父母様であられます。
一九四五年、第二次世界大戦の終息とともに、真のお父様は公的生涯の摂理路程を出発されるようになりました。天が準備してきたキリスト教の二千年の精誠の基台の上に、神霊運動を中心とした韓国のキリスト教が、「摂理的新婦」の使命をもって天が送られた再臨のメシヤを新郎として侍り奉り、「実体的新婦」をお迎えする摂理を展開しなければなりませんでしたが、キリスト教はその摂理的責任を果たすことができませんでした。
二千年のキリスト教の霊的基盤と連合国軍の勝利を通した実体的な摂理的基盤を全て失ったので、真のお父様は、千辛万苦の摂理的事情の中で独り、興南監獄という地獄の底から、再び蕩減復帰の摂理路程を展開され、ついにサタンの激烈な攻撃に忍耐して打ち勝たれ、サタン分立の勝利的基盤を打ち立てられました。その基盤の上に、キリスト教に代わる「摂理的新婦」の使命をもって、一九五四年に「世界基督教統一神霊協会」を設立され、その基台の上に「実体的新婦」として私を迎え、歴史的な聖婚式を挙行することにより、ついに一九六〇年、真の父母の路程が出発するようになったのです。
尊敬する貴賓の皆様。愛する祝福家庭の皆様。真のお父様が捜し出された天のお父様は、どのようなお方でしょうか。栄光と尊敬の玉座にいらっしゃる創造主ではなく、罪悪によって死の境地に陥ってしまった子女を捜して、千万里を駆けてきた真の愛と心情の「真の父母」であられます。真のお父様は生前、とても大事にされたみ言「天地人真の父母定着実体み言宣布」の講演文の中で、神様の実在に対して、このようにお話しされています。
「皆様!億劫(一劫の億倍、極めて長い時間のこと)の時間と精誠を注ぎ、御自身の子女として創造した人間が、堕落によってサタンの血統を受け、暗闇の中に隠れてしまったその瞬間から、神様が受けられたその苦痛がどれほど大きいか御存じですか。骨がきしみ、身が震える凄絶な苦痛の中で数千、数万年を耐え、待ってこられた皆様の父が、どれほど長く険難な蕩減のトンネルを経てこられたか、考えてみましたか。このようなかわいそうな父のために、一瞬でも涙を流してみたことがあるのかというのです」。
そうです。真のお父様は、このように苦痛を受けておられる神様を全身で感じられる実体となられ、血と汗と涙で真の父母の路程の四十年間を勝利され、ついに二〇〇一年、「神様王権即位式」を奉献されました。
内外の貴賓の皆様。「神様王権即位式」が奉献されるまで、真の父母様の四十年摂理路程は、誰も想像することのできない凄絶な峠を越えていく道でした。悪主権のサタン勢力圏との生命を懸けた「七顚八起」(七転び八起きのこと)の闘争が続き、一瞬たりとも緊張を緩めることのできない死生決断、全力投球の路程でした。特に六千年摂理歴史の完結と人類救援のための荒野時代を締めくくるため、真のお父様が自ら進んで選ばれた地獄の底、ダンベリー刑務所で受けられた苦難と血のにじんだ蕩減路程等のすべてを、どのようにして筆舌に表すことができるでしょうか。
人類が望んでいた救世主であるにもかかわらず、日本の圧制や北朝鮮の共産党の権力、そして韓国の自由党政権によって囹圄(獄舎)の身となられ、ひたすら蕩減の人生を貫いて歩んでこられた真のお父様が、アメリカの牢獄に向かいながら語ってくださったみ言を、私は今も鮮明に記憶しています。「心配しなくていい。牢獄の向こうに新しい希望の世界が待っているだろう!」
しかし、一番近くでその崇高な御生涯を直接見つめ、共に歩んできた私としては途方もない悲しみでした。特に共産主義者たちが真の父母様の生命までも狙う、そのような切迫した状況の中で、サタンの巣窟である牢獄におられる真のお父様のことを考えるとき、胸が詰まる心情でお父様の身辺と健康を案じて、天のみ前に切実に祈り求めました。そのような蕩減復帰の摂理的事情を、天だけは覚えてくださるでしょう。
一九八五年八月ついに真の子女を代表して、次男の興進君の犠牲と真のお父様のダンべリー苦難の勝利的基台の上に荒野時代が終結し、「一勝日」を期して新しい摂理が始まりました。そしてサタン主管圏の中心人物だった共産主義の首脳、ゴルバチョフ大統領と金日成主席に会い、天の愛によって屈服させました。その基盤の上に再び「摂理的新婦」格として「世界平和女性連合」を創設し、私は人類歴史上、最初で最後の再臨のメシヤに侍る実体新婦の立場で、再臨主、メシヤ、救世主、真の父母を満天下に宣布するようになりました。
このような基台の上で私は、摂理の中心である真のお父様に侍り、「母子協助」の摂理を七年間展開して勝利圏を奉献し、ようやく天一国時代を開くようになったのです。
一九九九年(天暦)五月一日、「真の万物の日」に真のお父様は私に大きな祝福を下さいました。人類歴史上二度とない、母子協助時代の勝利を祝賀する授賞式をされながら、私をしっかりと抱いて「オンマ、御苦労だったね。摂理的に大きな山を越えたよ」とささやかれたとき、私は万感の思いで涙を流しました。韓国の大学街で左翼学生たちの反対をくぐり抜けて、カインとアべルを抱かなければならなかった危機的な瞬間、世界百八十五ヵ国を七年の間巡回し、数百回講演しながら、あらゆる危険と緊張感に耐え忍んだ記憶が走馬灯のように駆け巡る中、真のお父様の慰労と祝福を受けました。
尊敬する平和指導者、そして誇らしい食口の皆様。振り返れば本当に険難な蕩減復帰の路程でしたが、真の父母様はこれら全てのものをきれいに締めくくって勝利され、神様の王権時代、神様直接主管圏の時代が定着する天一国時代を開かれました。
「私の誓い」を「家庭盟誓」に格上げさせ、「真の父母様の名」で祈る時代から「祝福中心家庭の名」で直接報告する時代になる、過去からは想像することもできなかった変化の中で、新しい摂理の時代、天一国時代を開いてくださいました。
神様の王権のもと、善主権の秩序は、真の父母を中心とする中で、心情文化の実体化として縦的、横的に拡大されました。私の六十歳(二〇〇三年)の還暦を期して、「天地父母様天一国開門祝福聖婚式」と「天宙・天地真の父母様平和統一祝福家庭王即位式」を通して天の主権が縦的に根づき、また百二十の氏族と百二十ヵ国における平和の王即位式を通じて、全世界に定着するようになりました。「天宙平和連合」を通じたアベル国連の創設とともに「天地人真の父母天正宮入宮戴冠式」を奉献し、初めて創造理想の実体化が確固たる基盤を構築するようになり、ついに真の父母様の五十年路程の勝利により、摂理的禧年を迎えながら、「天暦時代」、天基元年が去る二〇一〇年に宣布されたのです。
真のお父様がこの三年間、一瞬たりとも手離されなかったみ言、非常に大切にされ、機会さえあれば訓読されながら説明してくださった「天地人真の父母定着実体み言宣布大会」のみ言と「神様の祖国と故郷は韓国」のみ言から「人類のための遺言」の小項目の内容を見ると、次のようなみ言があります。
「この教本は、皆様が霊界に行っても読み、学ばなければならない本です。決して人間の頭脳から出てきた言葉や教えではありません。天がかわいそうな人類を救援するために下さった天道を教える教材、教本だからです。皆様。正午定着の人生は影をつくらない人生だと言いました。私たち全員が発光体となって光を与える人生を生きれば、影が生じる隙間がありません。受ける者は借りをつくる者です。皆様はみな、過ぎし日の借りを返すために、これから、かわいそうな貧しい人の涙を拭ってあげ、暗い所を明るくしてあげる永遠の真の愛の発光体となる人生を生きるように願います。E既に真の父母様御夫妻は最終一体をなして、完成、完結、完了の基準の上に立って、全体、全般、全権、全能の時代を奉献宣布されたのです」。
尊敬する平和の指導者、愛する祝福家庭の皆様。これから新しい摂理的転換期、新しい時代を開きながら、私は何よりも真のお父様の摂理的位置が確固たるものとなることを願います。全生涯をひたすら神様のみ旨のために全力投球で一分一秒を惜しまれながら、五大洋六大州、そして霊界まで絶え間なく渉猟されながら、血と汗と涙で積み上げられ、勝利された天宙史的な摂理的業績が、人類に永遠の基準となり、見本となることを願います。
第一に、真のお父様は人類の善の先祖、真の父母様であられます。人類の先祖アダムとエバは、堕落して悪の先祖になりました。イエス様が証言されたように、偽りの先祖です。神様は、アダムとエバの堕落によって創造本然の人間、すなわち御自身の形状を失われてしまったのです。
このため神様は復帰摂理を展開され、最後の再臨のメシヤとして真のお父様を送ってくださり、真のお父様は自らの責任分担として真理のみ言を究明され、蕩減復帰摂理を完成されました。祝福と聖和式を通して、堕落人間が行くべき肉界と霊界の重生、復活、永生の道を開いてくださいました。したがって創造本然の真の愛、真の生命、真の血統は、ただ善の先祖であられる真の父母様を通してのみ相続を受けることができるのであり、その関門は正に祝福結婚です。
第二に、真のお父様は永遠の真理、すなわちみ言の主人であられます。神様はみ言によって被造万物世界を創造されました。すなわちみ言は真理であり実体です。神様の愛と心情は、み言を通して有形として現れます。人類の偽りの先祖アダムとエバは、神様のみ言に背いて堕落し、み言の実体化を成し遂げることができませんでした。したがってメシヤは、出発のための摂理として、天の真理のみ言を取り戻さなければならないのです。
真のお父様はこのような摂理的要請に従って、自ら千辛万苦の精誠とサタン分立の勝利、神様の認証を通してみ言を究明され、全生涯を通してみ言によって摂理の陣頭指揮を執ってこられ、み言によって生命力を吹き入れ、愛で育み、再創造の摂理を完成してこられました。その結果、真の父母様の路程の禧年を迎え、八大教材教本を完成され、訓読会の伝統を打ち立てられて、万民が家庭でみ言と愛によって天一国を定着させることができる道を開いてくださいました。したがって八大教材教本のみ言の権威は、ただ真の父母様だけにあるのであり、これはそっくりそのまま、子孫万代まで永遠の伝統として守られなければならないのです。
第三に、真のお父様は神様の救援摂理の完成者であられます。『原理講論』で規定しているように、人類歴史は救援摂理、すなわち復帰摂理歴史です。人類の先祖アダムとエバが堕落して、偽りの先祖を中心とした悪主権の世界が生じました。
人間の不幸、苦悩、罪悪、疎外、そして総体的葛藤と反目によって引き起こされた戦争は全て、人類先祖の堕落に起因しています。このような罪悪世界を創造本然の理想世界、すなわち幸福と犠牲と奉仕と愛があふれる平和な世界に復帰するための摂理が始められ、それは人類歴史の中で一瞬たりとも休むことなく続けられてきました。
しかし蕩減と復帰の繰り返しの中で進められてきた救援摂理は、中心人物や集団の責任分担が完成されずに延長を繰り返してきました。二千年前、神様のひとり子、イエス様がメシヤとして来られましたが、当時のユダヤ民族の不信によって十字架にかかって亡くなり、再臨を約束されました。
予定された約束のとおり、二千年が過ぎて再臨のメシヤとして真のお父様が来られ、全生涯を通して全歴史を蕩減する摂理的路程の中で、勝利を成就されました。真の父母の生涯路程を一言で表現すれば、「緊張と苦痛」であると言っても過言ではありません。その理由は、蕩減復帰摂理におけるサタンとの生死を懸けた闘いだったためです。したがって、メシヤ路程四十年、真の父母路程四十年、そして平和の王、万王の王としての十年の路程を通して摂理を完成、完結、完了されました。
第四に、真のお父様は平和の王、万王の王であられます。神様のみ旨は平和理想世界の完成、すなわち神様のもとの人類大家族世界の完成にあります。個体的に見れば、心と体が統一された個人完成、そして夫婦、父母、兄弟、子女の統一を通した家庭完成、さらに拡大して社会、国家、世界が一つになって、愛と平和のあふれる世の中を築こうということです。
しかし堕落以後、個体から全体に至るまで、善と悪の葛藤は絶えず繰り返されてきたのであり、結局、人種、国境、宗教の壁は、人類に量り知れない苦痛を抱かせてきました。真の父母様は、神様の解放と人類救援、そして平和理想世界の完成という生涯の摂理的目標をお立てになり、全生涯を全力投球してこられました。霊性回復のための宗教活動を中心として、政治、経済、社会、文化、芸術、教育、言論、スポーツを通じて人類平和運動を展開してこられ、特に天国の最小単位を「真の家庭」に置き、真の家庭の祝福と怨讐間の祝福結婚の門を開いてくださいました。
すべての葛藤を解消する国際交叉祝福結婚を通して、名実共に人類大家族理想を現実のものにされました。その結果、百二十の氏族と百二十余ヵ国で平和の王、万王の王に推戴されて戴冠式を挙行し、人類の夢は現実となっています。
第五に、真の父母様は「天地人真の父母」として、神様の位相を確立され、この地上で初めて創造本然の完成を成就されました。真のお父様は僕の僕の立場から蕩減復帰摂理を展開され、その勝利的結果に従い、サタンの主権は徐々に縮小していき、神様の位相は次第に創造本然の位相に格上げされたのです。
二千年前、イエス様が神様を「父」として啓示しましたが、そのことによって、ユダヤ人たちから神様を冒瀆したと言われ、十字架の苦難を受けるようになったことを皆様も御存じでしょう。しかし真の父母様は、この地上において実体的に蕩減復帰を完成され、神様に本然の創造主、すなわち天と地と人間を主管される真の父母としての尊さと栄光を取り戻してさしあげたのです。
このように真の父母様の摂理的位相は、摂理の基準に従って変化してきたのであり、その基台の上に神様の解放と釈放圏が成し遂げられました。メシヤから真の父母、天地父母、天地人父母、祝福家庭王、平和の王、万王の王を超えて、二〇一〇年に「天地人真の父母定着」を宣布されました。すなわち神様は「無形の天地人真の父母」であられ、真の父母様は「有形の天地人真の父母」として定着し、創造主、神様の本質的アイデンティティーを実体で完成、顕現されたのです。
愛する食口の皆様。天も干渉できない蕩減復帰の摂理路程で、真のお父様と私が経験してきた苦痛は想像を超越するものです。私たちは、真の家庭の子女たちを摂理の祭物として捧げることまでしました。その険難な蕩減復帰の路程を、誰が量り知ることができるというのでしょうか。私は全生涯を捧げて真のお父様の伴侶として、苦楽を共にし、万難を克服してきました。その勝利的基盤の上に、真の父母様は天が下さった摂理的次元の同参権、同居権、同位権をもつようになったのです。
尊敬する内外の貴賓、そして愛する全世界の祝福家庭の皆様。これから真のお父様は、天法に従って霊界を拠点として、自由自在に霊肉界を往来されながら、天一国の拡張のために摂理されるでしょう。真のお父様は夜の神様の実体として肉界に再臨協助され、昼の神様の実体として地上摂理を継続する真のお母様と一心、一体、一和、一念の境地で、摂理を経綸されるようになるでしょう。
そして、真のお父様は、基元節の勝利を通して本然のエデンの園をこの地上に創建するために、皆様と共にいらっしゃるでしょう。天の摂理は中断することができないためです。これから私は、このような歴史的摂理の新しい転換期を迎え、真のお父様の勝利的基盤を相続して、この地上を中心とする摂理を主導し、先頭に立つことを明らかにしながら、皆様に次の幾つかのお願いをしたいと思います。
第一に、私たちは真の父母様が立ててくださった伝統を、絶対生命視しなければならず、子孫万代まで相続し、伝承させなければなりません。真の父母様は愛と心情の伝統、み言と規定、規則と儀礼の伝統、心情文化の伝統を立ててくださいました。特に真の父母様の蕩減復帰摂理路程の結晶体であるみ言を訓読する訓読会の伝統は、各家庭ではもちろん、教会や天を中心とする集会で、最も中心的内容となるようにしなければなりません。それとともに、私たちはこの地上で新しい秩序を立てていかなければなりません。ですから、組職の秩序と伝統も、真の父母様を中心とする真の家庭とアベルを中心とする中で、一糸乱れず統一体を築いていかなければならないことを肝に銘じてくださるようお願いします。
第二に、天が祝福された祝福家庭の理想を完成しなければなりません。家庭は真の愛、真の生命、真の血統の揺りかごであり、神様の創造目的を実現する基盤です。「家庭盟誓」の八大項目を中心とする中で、善なる血統の伝統を絶対信仰によって守らなければなりません。私たちの平和のビジョンは「純潔な愛、幸福な家庭、平和な世界」です。夫婦が絶対愛で天に侍って一体となる伝統の中で、子女を愛とみ言によって養育しなければなりません。家庭において訓読会を通して天一国の秩序がしっかりと定着するようにしなければならず、正午定着の基準で縦的、横的に心情的伝統が定着していく祝福の理想を完成しなければなりません。
第三に、皆様全員は氏族的メシヤの祝福を受けたので、この地上に天一国が完成されるときまで、その使命と責任を果たさなければなりません。氏族的メシヤは真の父母が下さる祝福の中で最も大きな祝福です。蕩減復帰摂理の勝利的基台でなければ、堕落人間を氏族のメシヤとして立てることはできないためです。ですから、真の父母様の全生涯の摂理的経綸の中には、いつも氏族的メシヤの使命が強調されてきたのです。
この地上における天一国の天宙的完成は、氏族的メシヤたちがその使命を果たして、各氏族にみ言と祝福とために生きる生活を相続させ、善の主権を立てて、平和な世界、人類大家族の実現を通してこそ可能になるのです。各氏族において勝利的基盤が形成されるようになれば、その基台の上にアベル国連が自動的に安着し、善主権は完成するようになるのです。
第四に、私たち全員は真の父母様と真の家庭を中心として、和合と統一の心情文化共同体を築いていかなければなりません。皆様全員は、例外なく天の選択と先祖の功績、そして自らの後天的天稟によってみ旨の道と関係を結び、数多くの迫害を顧みず真の父母様のみ跡に従い、今日の勝利圏を迎えるようになりました。ですから、私たち全員は、一つの父母を中心とする一家族心情共同体です。世の中はいまだに分裂と葛藤に満ちていますが、私たち統一家は、人種、国境、およびいかなる障壁も軽く越えて、一つの兄弟姉妹になることができます。ために与えて生きる人生の見本を見せれば、確実に達成できる夢です。特に、このような摂理の大転換期には、私たち全員が真の父母様と一つにならなければならないことを、肝に銘じてください。
尊敬する平和の指導者、愛する統一家の食口の皆様。真のお父様は今、霊界で私たちといつも共にいらっしゃいます。ただ無形でいらっしゃるだけであり、一瞬たりとも私たちの傍らを離れることはないでしょう。今私たちに何を望んでいらっしゃるでしょうか。正に中断のない前進です。
神様の摂理は、全世界に真の父母を中心とする中で愛と平和が満ちあふれ、心情文化が定着し、新しい秩序が定着するときまで続けられなければなりません。その上に基元節の勝利を土台として、より一路邁進し、天と真の父母様の前に大きな栄光をお捧げし、世界と歴史の前に大きな希望を抱かせてあげなければならないでしょう。
愛する食口の皆様。私はこのような摂理の勝利圏のために最に最善を尽くしながら、全生涯を見せてくださり、指導してくださった真のお父様の生涯と伝統に忠実であり続けるでしょう。
皆様にきょうお伝えするこの願いは、霊界に行かれる真のお父様の遺言です。全員が胸深く刻み、勝利者になられることを切に願います。皆様の家庭と国家の上に、神様の祝福と愛がいつも共にあることをお祈りいたします。ありがとうございます。