1. 統一教会の創立意義と背景
1.統一教会の創立意義と背景
日付:一九七〇年七月十五日
場所:韓国、ソウル、龍山区、統一教会本部
行事:韓国宗教協議会七宗教団体指導者訪問
超宗派的、かつ超教派的な韓国宗教協議会を組織したことに対し、心から称賛申し上げる次第です。この宗教協議会を中心として、すべての宗教が新たに心を合わせ、この民族の前に多くの精神的な基盤となってくださるようお願いします。併せて、宗教協議会を創設された皆様が互いに協調するという意味で、世界基督教統一神霊協会を宗教協議会に加えてくださったことに対しても感謝申し上げ、御多忙中にもかかわらず、周囲の難しい環境を退けて、当協会を訪問してくださったことに対して、心から感謝申し上げます。ぜひ宗教協議会を中心として超宗派的な活動を積極的に展開し、現韓国社会において新しい中心の役割を果たせる求心体となり、新しい福地化運動の先鋒に立って、多くの貢献をしてくださることを心からお願いするものです。
今、私が、御来賓の皆様に一つ申し上げたいことは、なぜ統一教会を創設することになったのかということです。この問題を中心として、簡潔に申し上げたいと思います。私がこの教会を創設するようになった動機は、人意、すなわち人による意志よりも、神意、すなわち神様のみ旨によって出発したということです。
今日のこの社会や歴史は、人意だけで形成されていないことは、皆様がよく御存じのことと思います。ここには必ず、神意を中心とした、ある大きな意志を中心として、一つの目的を指向しているのです。そのような意味で、人の意志だけで教会が創立されては、歴史の流れや今後の新しい世界に貢献できないと考え、神意に立脚して新しい宗教を創設したのです。人意と神意が合わさることができる一つの組織体が宗教であり、宗教は必ず神意を中心として、人類全体が願う人意的なすべてのものを結束しなければなりません。
それでは、神意とは何でしょうか。神様のみ旨というのは、ある特定の社会を中心としたものではなく、超民族的であり、超宗派的であり、超国家的な性格を帯びているものです。そのような目的を中心としなければ、神様が願うみ旨を完結できないことを、私たちは歴史を見ることによって知ることができます。そのような意味で、人意もやはり、ある個人の意志やある団体の意志を中心としたものではなく、神様のみ旨と一致できる世界的な内容を備えたものにならなければなりません。これを内外で統合することに宗教の使命があると思います。
それでは、神意と人意を一致させるためには何がなければなりませんか。神様の愛と人間の愛が合わさることができる内容がなければなりません。神様が人間と一つになれる愛は、ある特定の個人や特定の民族、特定の国家を中心としたものではなく、超国家的な立場で、人類と世界を愛する心情的な紐帯を備えなければならないのです。ですから、神意と人意の一致点を明確にしなければならない宗教は、人意を中心とするのではなく、神意を基盤として、神様を中心とした愛に人間の意志をどのように結束させるかということが問題とならざるを得ません。
そのような意味で、神様のみ旨と人間の意志は宗教という形態を備えて結束させなければなりませんが、その中心は必ず愛でなければならないのです。その愛は、ある特定の民族や特定の国家だけでなく、世界を越え、すベてのものを超越した愛でなければなりません。そうでなければ、真の宗教の基盤を世界的に形成できないというのです。
それで、今までの歴史は聖賢たちを中心として動いてきました。彼らは、人意的な立場だけでなく、天意を介在させた立場で主張した人々です。彼らが目的とするところは、ある特定の民族だけでなく、世界的な限界線を越えていました。それを教えてくれるのが、聖賢たちの道理です。その道理を中心として、天意と人意が一致できる内容を連結させてきたのが宗教です。それで、聖賢は、天倫を基盤として人倫を結束させる基準を立ててきたのです。ところが、これは、あくまでも世界的な限界線を越えることのできる道理であってこそ、聖賢の道理になるのです。そのような聖賢の道理を中心として、今日の人間は道義的な分野で人倫、道徳を立ててきたのです。
このような点から見るとき、神様と人間が一つになろうとすれば、その中心位置はどのような位置になるべきか、ということが問題になります。それでは、神様が願う愛と人間が願う理想的な愛が結合できる決定的なその中心はどこかという問題を考えてみるとき、神様がいるとすれば、神様と最も近い位置とならざるを得ません。その神様の愛に接触する基盤は、個人を中心とした愛の基盤ではないので、あくまでも世界と連結される愛の基盤にならなければ、神様の愛と人間の愛が結合できないのです。
そのような意味で、神様の愛と人間の愛が結束できる最も近い位置とはどこでしょうか。神様を中心として人意が従っていく位置、言い換えれば、神様の愛を中心として人間の愛が順応する位置です。そのような神様の愛を中心とした、最も近い位置を追求してみるとき、その位置は、神様の真の息子になる位置にならざるを得ないのです。
そのような神様の真の息子がいるとすれば、その息子を中心として神様の真の娘が必要なはずです。その息子、娘を中心として神様が愛することができる真の家庭、神様が愛することができる真の氏族、神様が愛することができる真の民族、神様が愛することができる真の国家、神様が愛することができる真の世界を追求していかなければならないと考えたので、神様と人間の間に世界的な基準の愛の関係をどのように結束させるかという問題を中心として、今日の統一教会が発足するようになったのです。神様の愛は、必ず歴史過程を経てこそ成し遂げられるのですが、その過程は必ず聖賢たちが主導してきたことを私たちはよく知っています。ですから、聖賢たちは天倫を中心とする神様の教えをもって、今まで人類を導いてきているのです。
それでは、今まで歴史上に生まれては逝った聖賢たちの中で、より偉大な聖賢とは誰でしょうか。もちろん、その経典の教えも重要ですが、それよりもっと重要なことは、神様と人間が最も近くなる道を教えてくれる宗教が必要だというのです。そのような点から見るとき、それを教える宗教はどのような宗教でしょうか。歴史過程において今まで残されてきた宗教を中心として見るとき、他の宗教よりもキリスト教が高次元的な立場で紹介されたのではないかと判断したので、キリスト教を中心とする統一教会を発足させることになったのです。
イエス様を中心として見ても、彼は神様を求めるとき、漠然とした神様よりも、具体的であると同時に生活の中で近くに接することができる神様を求めてきたのです。それで、イエス様は神様に対して「私の父」と言いました。心情的な関係において、父以上の位置はありません。ですから、イエス様は、神様と人間の関係を父子の位置にまで導いて結束させる心情的な基盤を築いたのです。これはすなわち、神様が願う愛で結束した世界を成し遂げるためには、必ず心情的基盤がなければならないことを意味しているのです。その位置は、父子関係以上の位置でなければならないのです。
ですから、イエス様は、「神様は私の父である。私は必ず来なければならないひとり子である。万宇宙の中で神様の愛を最初に受けることができる人は私だけである」という主張をしたのです。このように見るとき、キリスト教がどの宗教よりも神様の心情を中心として具体的な内容を備え、神様と最も近い位置で説破しているというのです。イエス様は「私は花婿であり、あなた方は花嫁である」という立場で語られました。これは、神様との関係を結束させるときに、どの宗教よりも最も近くなる基点を説破したものです。また、信じて従った信徒たちに、「互いに兄弟である」と言いました。この言葉は、万民は一つの兄弟だという新しい宗教理念なのです。
神様が願う愛の世界は、必ずこのような基準を通らなければならないのです。神様が愛することができる個人、その個人で構成された家庭、その家庭で構成された氏族、その氏族で構成された民族、その民族で構成された国家、そしてその国家を通じて構成されるべき最後の目的地である世界の範囲まで連結させるためには、そのような心情的な基盤を土台としなければ結束させることができないのです。これは、歴史過程に必ず現れなければなりません。
歴史は聖賢や義人たちを通じて導かれてきたので、人類歴史と世界を代表して主張してきた聖賢たちの教えが、今日人類歴史とどのように適合するかということが問題です。もし神様がいるとすれば、その神様は出発と同時に一つの方向を備え、過程を経て、一つの世界を成し遂げてくるはずです。その背後に天倫の摂理があるとすれば、その摂理に従っていくべき人類歴史路程も、その方向とどのように一致させるかという問題を考えざるを得ないのです。
ですから、神様と人間の本然の関係をどのように復帰すべきか、また、どのようにして神様の愛を中心とする人類歴史にすべきか。個人や家庭、あるいは特定の民族、ある特定の文化的背景など、人類歴史に関係する全般的な内容をどのようにして神意による世界観と一致させるかということが問題になったので、今日の統一教会を創設するようになったのです。これが、統一教会を創設した根本の動機です。それでは、そこに私たちが関連するだけでなく、神様を父として自覚できるそのような境地が可能なのでしょうか。また、そのような愛を受けることができる位置で、思想を中心として世界を一つに統一させる内在力をもつことができるのかということが問題とならざるを得ません。
家庭には必ず、父母がいて、妻子がいなければなりません。そうであってこそ、その家庭が幸福の基台になるのです。神様が人類を探し求めてきた目的も、神様御自身の幸福を実現するためだったに違いありません。ですから、神様御自身が幸福の基台を求めようとしても、人間を離れたところにはそのような理想はあり得ないのです。人間と関係を結んでこそ、一致点をもたらすことができるのです。私たちが、家庭において情緒的な内容をすべて備えた立場で幸福を感じるのと同じように、神様もやはりそのような立場で幸福を感じようとなさるのです。
このような点で見るとき、イエス様は再臨という命題を残して逝きました。今まで二千年、キリスト教の歴史は再臨理想に従って、イエス様が再び来られる一時を求めてきました。その一時の中心は何でしょうか。それはキリスト教で言う「小羊の婚宴」であると見ることができます。それでは、「小羊の婚宴」とは何でしょうか。漠然としています。それは、神様と人間の一致した愛が出発することです。人間で見れば、男性と女性が一つになることです。この二つが一つに結束し、理想的な世界に向かって神様の愛をたどっていくことができる基礎を準備しなければ、神様の愛を中心とする世界的な目的を果たすことができないのです。
ですから、来られるイエス様は、必ず神様が願う家庭を立てなければならないのですが、その家庭は真の家庭でなければなりません。今まで人類は、真の愛を追求してきました。いずれにしても、偽りの愛の形態が家庭や社会にあってはいけません。したがって、万民が共有できる神様の愛を中心とし、人類全体が願う最大の愛を中心とする一つの真の家庭が出現しなければならないのです。そのような家庭が出てこなければ、氏族を編成できないのであり、そのような氏族が出てこなければ民族を編成できないのであり、そのような民族が出てこなければ国家や世界を形成できないのです。ですから、神様が人類に提示した救援摂理において、人間が相対できる最高の基準と神様として願う最高の理想的基準点は、家庭にあると見るのです。ですから、統一教会には「祝福」や「合同結婚式」といった言葉があるのです。皆様も、そのような言葉を何度も聞いていらっしゃると思います。
それでは、その家庭は、どのような原則のもとに結束しなければなりませんか。神様を中心とする本然の真の男性と女性が一つにならなければなりません。そのような具体的な内容を、統一教会では教えています。その家庭は、自分個人を中心とするのではなく、世界を代表できる圏内で広がっていかなければなりません。
そのような内容を生活圏内で自覚して実践できる家庭を、この地球上に形成しておかなければなりません。そのようにしなければ、新しい民族、国家、世界を形成できないので、神様の愛と人間の愛が世界を中心として新たに出発できる基点を模索するために、今日様々なうわさのある教会として知られる統一教会が出発したのです。
これまで、悪いうわさも多くありました。ところが、私自身が皆様の前に一つはっきりと申し上げたいことは、統一教会は滅びないという事実です。人意的なものは滅びます。しかし、天意による天倫の内容と神様の愛を保障する宗教であれば滅びないというのです。真というのは、理想的な内容が備わっていなければなりません。すなわち真の属性をもった内容と関係を結ばなければ真の価値が現れないというのです。
今までの宗教は、あくまでも個人救援を目的とし、個人を悪から救う内容を教えてきました。しかし今、世界が必要とする宗教は、個人を中心とする宗教ではなく、家庭を構築する一つの基盤を準備できる宗教です。天意によって保障され、人意によって公認され、天情と人情が一つになった位置で、いかなる試練にも耐える家庭救援の出発が歴史上に新たに現れれば、そのような宗教運動は世界的に広がるでしょう。それは、ある一カ所、例えば韓国という特定の民族を中心とするのではなく、超国家的、超民族的な基準で、家庭の理念を中心として行う運動です。そのような運動をする宗教があるとすれば、それは今後において絶対必要な宗教ではないかというのです。
皆様も御存じのように、今までアメリカが、民主主義を中心として歴史時代の主導的な役割を果たしてきました。アメリカが天意によって立てられて民主主義を主導できる国として復興したとすれば、アメリカだけを第一としてはいけません。世界の中にアメリカがあるのです。神様は、ある特定の民族が世界を主導する民主主義の形態を許諾することはできません。
アメリカが、民主世界において宗教的な責任を負い、政治、経済、文化において弱小民族を救援する立場に立って今日まで来ていれば、世界的な限界線まで行くことができたはずです。アメリカの国民を犠牲にしてでも世界を救う立場に立っていれば、アメリカは必ず世界を主導できていたはずです。ところが、皆様も御存じのとおり、アメリカは「ニクソンドクトリン」を掲げて、アジアの問題はアジアに任せるという立場で後退する政策を施行しました。これは民主主義の限界を超えていこうという立場ではなく、後退する立場なので、アメリカは今後、世界が警戒する運命を避けられないというのです。
共産主義もやはり同じです。共産主義は、世界を制覇するという途方もない思想体系をもってきました。この思想は、スラブ民族を中心として、ソ連を中心として世界を制覇するというものです。このような立場で見れば、この共産主義は悪の立場に立ちましたが、世界を一つにするというその思想体系は民主主義を追い越す主義になるのです。したがって、世界の人々を中心とする共産主義以上の主義が出てこなければならないというのです。それでは、天の道理と人間が願う最高の道理とは何でしょうか。それはすなわち、超国家的、超民族的な新しい世界観をもった一つの教団が出てくれば、その教えを中心として、私たち個人の生活から絶対的な次元に至るまで天倫と一致できる生活の鉄則が必要だというのです。
ですから、大韓民国なら大韓民国を中心とする世界的使命があるはずです。世界のために生きることができる大韓民国にならなければなりません。それでは、今、世界が私たちの生活圏内に入ってくる現時点において、大韓民国やアメリカや世界各国が必要とするものは何でしょうか。ある限界点以下にある国家や、特定の主義を中心とする主張では、この途方もない時代的な流れを消化することはできません。必ず天倫と通じる主義が必要です。そこには数多くの国家と数多くの宗教、数多くの民族、数多くの氏族、数多くの家庭、数多くの個人が、すベてその圏内に吸収されるべきです。そのようなことができる内容を備えた新しい運動が必要な時が近づいていることを私は感じました。
それでは、これが可能なのか、これで結束できるのかというのです。このような問題は、今後、皆様が統一教会について研究してみれば、ある程度分かるようになるでしょう。この世界を救うためには、どこに問題があるのでしょうか。この社会が問題ではありません。「私」自身が問題です。私の心と体が闘うので、世界的にも、それと同じ形態で唯物論と唯心論が出てこざるを得ないのです。これが世界的に止揚統一される時期になったのです。このような時を終わりの日というのです。
このような時点で平和か、新しい統一かという新しい一つの何かを創案しなければなりません。ですから、今後訪れるその世界においても、問題は私自身です。私自身が問題だというのです。私の心と体に平和の心情的基準が歴史の流れと通じることにより、社会のすべての逆境を克服できる余裕満々な心情的基準を、どのようにして私の心情の中に確立するか、これを私たちがどのように活用するかということが問題だというのです。
皆様が毎日ぶつかる問題は、心と体の闘いです。私個人でこの闘いが終わっていないので、家庭でもやはり同じことが起きるのです。私一個人を見れば、心と体が二つに分かれていて、家庭を見れば、妻や夫も同じなので、四人がいるのと同じです。十人なら十人がそのようになるとき、分裂するようになっています。これを一つに結束させることができ、天倫と人倫を結束させることができるものが愛です。これを、原理を中心として実証的に体得できるかできないかということを長年にわたって分析し、実践しながら今まで闘ってきたのです。
今後、世界に残る主義とは、どのような主義でしょうか。自分の民族のために働く主義ですか。違います。きょうこの場にも宗教協議会の役員が集まっていますが、自分の宗派のための宗教協議会をつくろうと言えば、宗教協議会は滅びます。自分の宗教団体を尊重するよりは、国と世界に連結され、数多くの宗教を包容できる、より大きな愛に出会わなければならないのです。
神様がいらっしゃるとすれば、神様は直ちに大韓民国を救うことと世界を救うこと二つの内のどちらを先にされるでしょうか。大韓民国と世界について考えてみるとき、大韓民国と世界を共に必要とする立場なら、大韓民国を救うことも必要だと思いますが、大韓民国を捨てて世界を救おうというのが神意だというのです。このような観点で、人倫、道徳を中心とする善や主義も同じです。自分を中心として引き寄せてはいけません。自分を捨てなければなりません。民族のために生きる立場に立つときは、忠臣になるのです。世界のために生きる、精神的な面と生活的な面の両面でために生きることができる人は、聖人になるのです。
そのような意味で、大韓民国が迫りくる太平洋時代に新しい旗手になろうとしていますが、大韓民国を第一とする政策を行えば滅びるというのです。アジアを中心とする大韓民国の政策を展開しなければなりません。そのような政策を土台として、世界を中心とする大韓民国の政策を展開しなければなりません。そのように一つの国家なら国家の政治や文化、宗教がみな、そのような精神で進んでいかなければならないのです。
統一教会が発展する理由も、個人が幸福になるためには、まず世界が幸福でなければならないという精神をもっているからです。これが既成の宗教と違うのです。個人が救われるためには、まず世界が救われるようにしなければなりません。宗教的な信念を中心として体得したものがあれば、それを自分のものとして体系化するよりも、どのようにすれば世界的な内容を中心として神意の心情的分野まで関係を結んで実践できるか、ということが問題です。
今まで皆様は、統一教会に対して多くのうわさを聞いてこられたことと思います。しかし、そのうわさが問題ではありません。今日この大韓民国の三千万民族が、あるいは数多くの宗派が、統一教会の文先生一人を打って栄えることができるなら、打ちなさいというのです。私が願うのは、大韓民国のための救援ではありません。世界のための救援です。神様のみ旨が世界を救うことであれば、世界を救うための大韓民国になり、大韓民国を救うための統一教会にならなければならないのです。そうであってこそ、統一教会も良くなり、大韓民国も良くなるのです。
悪とは何でしょうか。自分を中心として引き込むことです。善とは何でしょうか。自分を捨てて無限に与えることです。そのような人であってこそ、聖賢の隊列に立つことができます。歴史を見れば、国家を中心とする偉人はたくさんいました。韓国を中心として見ても、李舜臣将軍のような方も偉人の隊列に入る堂々たる権威を備えています。ところが、あくまでも大韓民国という特定の国家を中心として見るときの偉人であって、聖人にはなることができないのです。聖人は、神様を基盤にして教えた道理を中心としなければ、聖人になることができません。
皆様も御存じのとおり、宗教的な指導者たちが聖人の道理をもてばもつほど、その人は超民族的であり、超国家的であり、超世界的です。それが聖人の教えです。一日の生活もそのような観点で、一生もそのような観点で実現させていくのです。そうすれば滅びないという観点で統一教会を発足させました。
統一教会の歴史を見れば、これまで三つの政権の迫害を受けてきました。自由党、民主党、そして革命政府からも圧迫を受けてきました。また、皆様も御存じのように、既成の教団から弾圧を受けてきました。ここに来られた宗教団体の指導者たちも、今まで統一教会を異端視してきました。それでは、どうして異端の輩として社会に物議を醸し出しているのかというのです。「統一教会を指導する文という人は独裁をしている」、あるいは「文先生は独裁主義者だ」といううわさが立っています。そして「統一教会の発展のために何かをしている」と言っています。勝共連合を結成して対国家的、対社会的な活動をしていることに対しても問題になっています。一般世論が誹謗中傷する内容を見れば、「統一教会でしていることは、自分の教派の宣伝であり、統一教会が国家的なある野心をもってやっているのは間違いない」と言うのです。そのような観点で統一教会を見ているので問題になっているのです。
最終的には、大韓民国と世界を救うことができる宗教にならなければ滅びてしまうでしょう。人々に「その宗教団体は信じられない」という認識が入れば滅びるというのです。宗教の和合運動を通じて新しい理想的な家庭から氏族、民族、国家、世界をどのように形成するかということが、今後において必要な問題であることを理解してくださるようお願いします。
今まで申し上げたこのような意味で、統一教会を創設したのです。新興宗教で未熟な点が多く、また社会から指弾を受けていることを私はよく知っています。しかし、文という人は、皆様が理解しているような人ではありません。今は、皆様が批判できる内容は、既にすベて批判し尽くしたと思います。今まで、問題の一団体として出発し、時が過ぎ去ることによって今日に至ったのです。
最後に宗教協議会の皆様に一つ申し上げたいことは、統一教会は、宗教協議会の世話になる教団ではないということです。大韓民国の世話になる統一教会でもありません。世界の世話になる統一教会でもありません。世界と大韓民国が世話になるようにし、宗教協議会が私たちの世話になるようにする宗教団体として残ろうというのが、私の所信であると同時に、私たちの志を中心として活動する全員の立場です。
このような点で、自分の主張を中心として相手に誤解を受けることも多かったと思います。今、この時間以降、そのようなことがあれば、皆様が兄弟の立場で接してくださり、この団体が良い意味で国と世界に貢献できるよう協助してくださることを願ってやみません。このように時間を割いてくださったことに対して感謝申し上げつつ、これで挨拶を終わらせていただきます。
2. 宇宙の公道を学ぶ会合となることを
2.宇宙の公道を学ぶ会合となることを
日付:一九九〇年二月一日
場所:韓国、ソウル、オリンピック・フェンシング競技場
行事:真のお父様古稀慶祝記念式
尊敬する内外の貴賓の皆様。世界百三十数ヵ国の代表者、国内の各界指導者、そして紳士淑女の皆様。公私にわたり忙しい日程にもかかわらず、きょう私の七十歳の誕生日を祝うために、このような盛大な席を準備してくださったことを感謝しつつ、特に天意に動機を置いた私の生涯を祝賀する皆様のお心に感謝申し上げます。
先立って、多くの代表の方々が多くの賛辞で私の過去の業績を褒めたたえてくださいました。しかし、きょうのこの記念式が過去の功績だけを賛美する場であれば、大きな意義はないと思います。私の行跡が未来に、ある希望的な動機を付与するのか、人類の将来を明らかにすることにどんな意義があるのか、さらには宇宙を経綸される神様の摂理とどのような関連があるのかを中心として、祝賀の内容が決まらなければならないと思います。
天命に従って、前人未到の孤独な開拓の道を駆けてきた私の生涯が、多くの人々の無理解と反対の中で、外的に波瀾万丈だったことは周知の事実ですが、私の心の世界では、どのようにすれば神様が願われるとおりに生きることができるのか、どのようにすれば神様のみ旨を果たしてさしあげられるのかに焦点を合わせ、そのために一刻を争う緊張が連続していました。神様を除いては説明することができない私の生涯だったのです。
国家の運命はもちろん、さらには世界の運命と直結された私の行路において、神様と深い内情で通じながら過ごしてきた事情と神様と共に体感した最も深い場での悲しみも、最も大きな痛みも、最高の喜びも、鮮やかな記憶として回想され、特別な情感で神様に深く感謝申し上げつつ、この日のすべての栄光を、生きていらっしゃる私の父、神様に捧げようと思います。
これまで、私が世界的に築いた基盤に対して「驚異的な業績である」と語るのは率直な表現でしょう。しかし、私は外形的で可視的な基盤そのものよりも、その中のどれ一つも私自身を中心としていなかったという点と、現在よりは未来を、個人より全体を、小さなことよりはもっと大きな目的のために築いたものとして、天と地と歴史が公認する基盤であるという点に誇りをもちます。徹底して神様が動機となり、厳しい風霜と曲折の中でも神様が守ってくださったからこそ、成し遂げることができた基盤であるという点が貴いのです。
私の過去七十年の星霜は、決してたやすい道ではありませんでした。世の中に友もなく、師もいない、本当に一人だけの孤独な道でした。私が数多くの逆境と生死の境をかき分けてきながらも、勇気を失わずにいられたのは、神様との深い心情的交流があったからでした。誰もその深い境地を知ることができないなかで、密かに助言を常に与えてくださった神様は、私の生きる動機そのものであり、生命力の源泉でした。
私は他人の言葉に耳を傾ける余裕がありませんでした。わき目も振ることができず、世論に気を遣うこともできず、日々神様の願いを思いつつ、細胞がしびれる一体感で、その方の創造理想を成し遂げてさしあげようと、その目的に向かって、一心不乱に駆けてきました。
満場の皆様。私にかけられた神様の願いとは何でしょうか。本来堕落がなければ、神様は無形の真の父母であり、人間は子女になっていたはずです。人間は、真の愛の縦的な父母である神様と真の愛の横的な父母であるアダムとエバから、真の愛と生命と血統を受け継いだ真の生命体として、愛の過程を通じて生命の種を子孫に連結するようになっていたはずです。
そして、堕落とは、人間始祖が神様の縦的な真の愛のもとで、横的に真の愛を完結することができず、天使長に侵犯され、偽りの横的な愛を生み出したことです。この堕落の結果として、神様は愛する子女を失ってしまったのであり、人間は心と体が矛盾し、葛藤する故障した命として生まれざるを得なくなったのであり、悪魔は偽りの横的な愛を条件に、個人から世界に至るまで人間を不当に管掌してきています。
神様は、このすベてのものを原状に復帰する救援摂理をしていらっしゃいます。それで、原理に従って悪魔を自然屈伏させながら、メシヤ、救世主である真の父母に人類を接ぎ木して復帰するのです。
本来神様は真の愛の完全投入で創造をされたように、再創造過程である復帰摂理でも、ために生きて完全投入してこられることを知ったので、私も天命に従って生涯を捧げてこの原則を実践してきました。神様のみ旨の前で、徹底的に他のために生きながら投入し、完全投入してみたところ、今日の基盤が成し遂げられました。
現代科学技術の発達は地球星に大きな変化をもたらし、今後さらに大きな変化を予告しており、これに対して人類は英知を集めて対処すべき緊迫した状況に置かれています。一言で言えば、現代文明は重大な危機を迎えるかどうかの分かれ道に置かれているのです。この問題に対して人類は、まず超国家と超人種、そして超宗派的に、すなわち汎世界的なアプローチで共同の努力をしなければなりません。公害問題、人口問題、自然保護問題など、直面している問題がすべて汎地球星の問題だからです。
その次に、現代社会の病弊、特に倫理、道徳と人間性の退廃の問題、人種戦争や宗教戦争の危険性などは、すベて人間の本質の中に内在した病弊なので、その主体である人間の意識革命、人間改造の次元からアプローチして解決しなければなりません。決して、体制や制度上の問題だけではないのです。
満場の紳士淑女の皆様。私が始めた世界的な活動は、すべて国境を越え、人種の塀を崩し、そして超宗教的なものなので、汎世界的な運動の典型です。世界の統一教会員は、神様の真の愛を中心とする意識改革により、新しい世界観をもって一つの家族として生活しています。
アメリカの中で、白人と黒人の両者に摩擦と壁がない唯一の場所が統一教会です。アメリカがキリスト教思想を土台として人権と平等を叫びながら努力したにもかかわらず、解決できなかった白人と黒人の紛糾を、私たちが解決したのです。また、日本とアメリカ、そしてドイツ出身の宣教師たちが、過去の恨みと葛藤の歴史的事情を乗り越えて見知らぬ国に到着し、互いに面識もない中で三人一組の共同献身生活をしながら宣教をすることによって、「世界一家族思想」を実践しました。
そればかりでなく、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム、仏教など各宗教団体の和合のために、私が毎年巨額の支援をしながら宗教一致会議を開催することで、世界各地の宗教団体の長たちから称賛を受けていることは既に知られた事実です。そして、国際祝福行事で名門大学出身の日本女性を新婦に迎えた韓国の農村青年が、村の祝宴を通じて祝賀を受けました。このように血族として結ばれる関係の中で、日韓の民族的感情が問題になるでしょうか。
統一教会が開催する集まりには、いつ、どこであろうと人種間の葛藤や民族的な差別意識や宗教的な偏狭性がありません。洋の東西を問わず、統一教会員は私の思想に従って人格が変化し、利己的な自己中心の姿勢を清算し、他のために生きて与える生活をすることで、未来の理想世界市民の標本になることを目指しています。
統一運動は、まだ十分ではありませんが、今日の実績がもつ意義は宇宙史的です。有史以来、多くの聖賢の教えがこのような実績を目標にしてきました。また、この地球上の多くの良心的な人々が、正しく生きるためにその道しるべを探してきました。そして、どれほど多くの志のある若者たちが、新しい可能性を求めて明るい未来を夢見ながらさまよっているでしょうか。しかし、それを探している中で失望し、挫折した若者たちもどれほど多いでしょうか。
実際に足を運んで見てください!偏見なしに見てください。人が動機とならずに天運が共にある基盤を研究してください。そして、明るいあすを設計し、明確な価値観を立ててください。
そして、皆様が見ているように、世界の統一教会員たちは、老若男女を問わず献身の道を行きながらも、どれほど喜びに満ちているでしょうか。特に若者たちが、混濁した世の中の荒波の中でも最上の倫理、道徳の基準をもち、自負心をもって活動するのを見てください。
私は、世界の統一教会の若者たちを人類の希望、神様の希望として見つめています。狭い教派や宗派の観念を越えて地球人という大きな次元で考えてみましょう。
もし私が唱導した思想によって人格が変化し、他のために生きることができるようになれば、国の将来はどのようになり、私たちにとって南北統一は難しい課題となるでしょうか。また、全世界の人類がこのみ旨を受け入れれば、平和で繁栄した世界が保障されるのではないでしょうか。
より大きなもののために生きる私の哲学は、統一教会自体を発展させようとするものではありません。神様と世界が教会のためにあるのではありません。教会が神様と世界のために奉仕しなければなりません。私は今、継続して奉仕する道を探しており、この歩みの連続で生涯を終えるでしょう。
もう一度、皆様の祝賀に感謝しながら、きょうこの記念式が、単に私の古稀を祝賀する場を越えて、他のために生きながら存在すべき宇宙の公道を学ぶ会合となることを願います。
皆様の仕事と家庭に神様の祝福が共にあることを願います。ありがとうございました。
3. 宇宙の根本を求めて
3.宇宙の根本を求めて
日付:一九九六年九月十五日
場所:韓国、ソウル、オリンピックフェンシング競技場
行事:「世界平和家庭連合」百八十五ヵ国結成韓国大会
尊敬する内外の貴賓、世界平和連合の会員、紳士淑女の皆様。冷戦の終息とともに平和と社会正義に対する新しい希望が急速度に全地球星に拡大しています。新しい世界の現実を無視し、直視できない指導者たちは、津波のように押し寄せる変化に流されてしまいます。今、私たちは新しい世紀の分岐点に立って、私たちの伝統的な考え方を再検討し、新しい機会と価値観を迎えることに、果敢に進んでいくべき時だと信じます。私はきょう皆様に、世界平和の実現と真の家庭の価値についてお伝えできることを光栄なことと存じます。
この世の中には、男性と女性の二種類の人が暮らしています。彼らは互いに立場を変えることはできません。皆様も自分が願ってそのように生まれたのですか。あるいは、私たちは願わないのに、そのように生まれたのですか、それとも、願いもしなかったのに、そのように生まれたのですか。私が思いもせず、願いもしなかったのに、そして、原因はもちろん、結果も過程も分からないのに、そのように生まれたのです。
人がいくら偉大だとしても、原因的な存在ではなく、結果的な存在であることを否定できません。したがって、第一原因である存在がいなければなりません。そのお方は誰でしょうか。男性でしょうか、女性でしょうか。その第一原因的な存在を神様と呼んでも、どのような名で呼んでもいいですが、その原因的な存在がいなければならないのです。きょう、ここには、我こそはという著名な方々がお集まりになっていますが、「神様がどこにいるのか。見せてくれれば私は信じよう!」とおっしゃるかもしれません。しかし、少なくとも、その原因的な存在を否定してはならないことを、まず警告しておきたいと思います。
きょう、私は「宇宙の根本を求めて」というテーマでお話しいたします。私たちが宇宙の根本を求めていけば神様に帰着しますが、そのお方は男性格と女性格の二つの性禀を所有しておられることを知らなければなりません。それでは、宇宙の出発の原因はどのようになっているのでしょうか。神様に対してはまだ分からないとしても、私たち人間は男性と女性、そして主体と対象から成り立っています。鉱物界の分子を見れば、陽イオンと陰イオンから構成されており、植物界は雄しベと雌しベ、動物界は雄と雌、そして人間は男性と女性から成り立っていることを見ることができます。
存在界を調べれば、鉱物界、植物界、動物界、どの世界を問わず、次元のより高い陽性と陰性が、より低い陽性と陰性を吸収して、存在、発展していることを知ることができます。なぜこのような現象が生じるのでしょうか。このすベての存在世界は、万物の霊長である人間を完成させる責任があるからです。鉱物界を見ても陽性と陰性、すなわち主体と対象が愛という概念のもとに、互いに一体となって存在しており、植物界も同様に、すべて雄しベと雌しベ、すなわち主体と対象が愛を中心として、一つに結合して存続するのです。最近、医学界では病原菌にまでも陽性と陰性があると言っています。
主体と対象、すなわち陽性と陰性が一つになるとき、何を中心として一つになるのでしょうか。キスすることによってでしょうか。愛は概念であって、実在ではありません。愛が定着できる実在は何でしょうか。男性が男性に、女性が女性になるようにするものが何であるかを知りませんでした。それが正に生殖器です。それを嫌う人がいますか。好きであれば、どのくらい好きですか。今まではそれが善くないものと考えたとしても、今からは貴く思わなければなりません。
未来の世界は、どのような世界でしょうか。生殖器を絶対的に貴く思う世界になるとすれば、その世界は善い世界でしょうか、悪い世界でしょうか。栄える世界でしょうか、滅びる世界でしょうか。冗談ではありません。神様が人間を創造されるとき、最も重要視して、精魂を込めてお造りになった箇所とはどこでしょうか。目ですか、鼻ですか。心臓でしょうか。でなければ頭脳でしょうか。
それでは、世界平和統一のための家庭連合の目的は何ですか。道徳と宗教など、すべての分野を完全に超越し、夫婦が完全に一つとなって、神様までも拍手で歓迎できる人が暮らす世界なのですが、そのような世界では、夫と妻の生殖器の主人は誰でしょうか。夫の生殖器の主人は妻であり、妻のものの主人は夫です。生殖器の主人が互いに取り替えられていることを知りませんでした。簡単な真理です。これを否定できないというのです。
千年、万年、歴史がいくら流れても、この真理は変わりません。あらゆる男性たちはそれを自分のものだと考え、またあらゆる女性たちもそれを自分の所有だと考えたために、世の中がこのように滅びつつあるのです。互いに主人を間違えているという話です。すべての人たちは、愛は絶対的であり、永遠のものだと考えていますが、その永遠の愛の主人がひっくり返っていることをはっきりと知るなら、世の中がこのようになっていなかったはずです。
博士や学者は数多くいますが、このこと一つ考え抜いた人はいません。皆様はこれを否定できますか。皆様の父母、祖父母、曾祖父母、そして人類の先祖とさらには宇宙の根本であられる神様に尋ねても、すべて同意するようになっているのです。これが鉄則です。この真理こそ、宇宙が億万年過ぎても原理原則として残るので鉄則です。そして、神様のみ前に出ていけば、この鉄則によって正しい人と間違った人の判定を受けるようになるのは当然のことです。アダムとエバの堕落も、正にこの鉄則に背いたことに由来しているのです。
アダムやエバは、自分たちの生殖器を自分たちの所有だと錯覚したのです。考えてみてください。善悪を知る木の実を取って食べたからといって、アダムとエバを追い出しますか。根本的な問題を誤って、宇宙のどこからも公認を受けられなくなったために、追放されてしまったのです。鉱物界や植物界や、動物界の雄と雌もすベて、愛の相対のために自分の生殖器を保管していることを、アダムとエバが知らなかったというのです。それでは、生殖器は何のために存在するのでしょうか。愛のためです。愛を探すために男性と女性として生まれたというのです。
神様の属性は何でしょうか。神様は絶対的であり、唯一の方であり、永遠不変のお方です。そうだとすれば、愛の主人は誰でしょうか。男性でもなく、女性でもありません。そのお方が正に神様であられます。愛を中心として、愛を通してのみ神様と人間が一つになるのです。なぜなら、神様にも人間にも愛が絶対に必要だからです。
神様が必要とする愛は、果たしてどのような愛でしょうか。絶対的な愛を願われます。皆様はどうでしょうか。私たちも同じです。神様が絶対的な愛、唯一の愛、不変の愛、永遠の愛を必要とするように、私たち人間も絶対、唯一、不変、永遠の愛を必要とするのです。すべて神様に似なければならないのです。
神様御自身が男性格と女性格、陽性と陰性をもっていらっしゃるお方なので、そこから分立された実体対象として創造された人間も、男性と女性として創造されたのであり、彼らが結婚すれば、実体として神様に代わる陽性と陰性になるのです。このように、結婚を通して縦的な神様の愛が横的に完全統一されるのが神様のみ旨だったのです。
人間の体はこの地を代表した横的なものです。すなわち肉身です。それと反対に良心はいつも縦的なものを愛し、縦的に高いものを求めるのです。したがって、人間は神様の縦的な基準と一つになる点を求めていかなければなりません。その点は中心点でなければならず、正にこの点で男性と女性が共に出会わなければなりません。そうして、この中心点から出生した人間は、愛と共に幼児の成長過程を経て、兄弟姉妹の愛、そして夫婦の愛を経験しながら成長するのです。この時、肉身は地を代表して成長するようになり、心は神様を中心として成熟し、ついに心と体が縦的、横的に一つになって、幸福の基地を築くようになるのです。そのようなところであってこそ、絶対的な愛を中心として絶対的存在である神様も喜び、その愛の対象体である夫婦も幸福になるのです。
このように、上下関係である父子の関係、左右関係である夫婦の関係、前後関係である兄弟姉妹の関係が一点を中心として完全に一つになるとき、理想的な球形をつくるようになります。このような理由から、父子の関係を東洋では一つの体と表現します。さらには夫婦の関係も一つの体であり、兄弟姉妹も一つの体として考えています。何を中心として、このように言うことができるのでしょうか。真の愛を中心として四方に球形をつくるとき、このすベてのことが可能になるのです。一点で出会って、球形をつくらなければならないのです。その点は一つです。一つなので、統一が可能なのです。神様と人間も父子の関係なので、一つにならなければなりません。それは真の愛を中心として一つになるのです。
人間の欲望はどれほど強いでしょうか。皆様の心の欲望は、神様よりも上に行くことを願うこともあります。いくら劣った人でも、神様より優れた世界の代表者になろうという欲望はもつことができるのです。
もし、皆様が神様の愛する息子なら、「お父様、いらしてください!」という時、神様は来られないでしょうか。皆様の妻がいくら劣っているとしても、本当に愛するなら、妻が呼ぶ時、夫は従うのです。このように真の愛で一つになれば、妻が夫を呼んでもついていき、兄が呼べば弟がついていき、弟が呼べば兄がついていき、皆が絶対に離れたくないと思うのです。神様も独りでいれば寂しいのです。どうすればそれが分かるでしょうか。
皆様。愛をもっていますか。生命をもっていますか。皆様の血統をつなぐことができる精子と卵子をすべてもっているでしょう。良心ももっていますか。それでは、愛を見たことがありますか。生命、血統、良心を見ましたか。触ってみたことがあるかというのです。その存在の現象は知っていますが、触ることも見ることもできないことを知らなければなりません。ただ心で感じてのみ知ることができるのです。同じ論理として、神様がいるか、いないかというとき、神様を見たことがないからといって、神様はいないとは言えないのです。
何が重要なのでしょうか。見えるものが貴いですか、見えないものが貴いですか。見えないものがもっと貴いことを知らなければなりません。お金、地位、名誉は見ること、または触ることができますが、愛、生命、血統、良心は見ることも触ることもできないのです。みなもっているのに、なぜ見ることができないのでしょうか。一つになっているからです。心と体が絶対的にバランスを維持していれば感じないのです。
皆様。目がまばたきするのを感じながら暮らしていますか。三時間だけ数え続けてみてください。また、呼吸を数えながら暮らしていますか。数えてみれば、途中で忘れてしまいます。右手を挙げて、左側の胸の上に当ててみてください。どういう音がしますか。鼓動の音、心臓の鼓動の音を感じます。その鼓動の音を一日に何度くらい聞いていますか。聴診器で聞いてみれば、爆弾が爆発するような音が聞こえるのに、私たちは一週間、一ヵ月ではなく、忙しい時は何ヵ月間もそれを感じないで暮らしています。考えてみてください。小さいはえが一匹だけ頭の上にとまっても、すぐに感じる私たちが、何百倍も大きな鼓動の音がしても、なぜ感じられないのかというのです。一つになっているからです。
壇上からこのような話をすれば、失礼だと思われるかもしれませんが、実感の出る話なので、いくつか例を挙げてみましょう。皆様。毎日、朝起きてトィレに行くでしょう。大便をするとき、マスクを使って大便をしますか。もし、ほかの人がそばで大便をして、そのような臭いを漂わせれば、すぐに鼻をふさいで何万里でも逃げ出すはずなのに、なぜ自分の大便の臭いはそのまま嗅いで座っていて平気なのでしょうか。自分の体と一つになっているので、自分の大便を汚く感じないのです。
皆様。幼い時、鼻をほじくってなめてみたことがありますか。その味が甘かったでしょうか、塩辛かったでしょうか。なぜそれが汚く感じられなかったのでしょうか。それが正に私たちの体の一部分だったからです。皆様。咳をして、痰が出れば、飲み込んでしまったりもするでしょう。ここに参席された皆様はいかがでしょうか。そのような経験はありませんか。なぜ、汚く感じないのでしょうか。みな一つになっているからです。私たちはみな、朝、昼、晩、毎日三食ずつ食べていますが、口から三十センチだけ下りれば、肥料工場があります。毎日、三食ずつ食べて、その肥料工場に原料を供給しているのです。それを知っても、箸とスプーンが口に入りますか。おなかの中に肥料工場があることを知りながらも、感じないで私たちは生活しています。なぜ、感じられませんか。一つになっているからです。
愛、生命、血統、良心があっても一つになっていて、完全にバランスを取れば、感じられないのです。私たち人間がそうであるように、神様も愛、生命、血統、良心、みなもっていますが、独りではそれを感じられません。完全にバランスを取っているので、感じることができないのです。ですから、神様も相対が必要なのです。相対の必要性をここから見つけることができるのです。男性でも女性でも、独りの時は愛を感じられませんが、男性の前に女性が現れ、女性の前に男性が現れる時は、相対的に刺激的な愛と血統が雷鳴と稲妻のように衝撃を受けて問題を起こすことを知らなければなりません。ですから、しっかりと目を覚ましていなければならないのです。このような真理を知らずに生きてきました。神様も絶対的に愛の相対が必要だという論理を、人間が悟ることができなかったというのです。
それでは、神様の愛の相対は誰でしょうか。猿でしょうか。人間が結果的存在であるならば、猿がその原因的存在、すなわち私たちの先祖になれるでしょうか。夢のような話は最初からしてはいけないというのです。アメーパから始まった生命体が人間に至るまでには、数千の段階の愛の門を通過しなければならないのです。ただ無条件に上がっていきますか。とんでもないことです。あらゆる動物もみな、同じです。種の区別は厳格です。誰も占領できません。唯物論を信奉する共産主義者たちが猿を先祖と信じ、猿と人間を交配させたとして、新しい生命体(人間)が出てくると思いますか。百年、千年やってみても徒労に終わります。これは、生命秩序の尊厳性を考えてみるべき問題です。
そうだとすれば、神様も何を必要とするのでしょうか。どの部分をより必要とするのでしょうか。目でしょうか、手でしょうか。私たちが考える五官ではありません。神様は男性格と女性格の二つの性稟をすベて所有していらっしゃいますが、父としていらっしゃるためには男性格主体として存在されるお方です。
このような基準で見るとき、神様も愛のパートナーが必要なのではないでしょうか。被造世界の誰が、果たして神様の愛のパートナーになるでしょうか。男性独りでなるのでしょうか。女性独りだけでパートナーになれますか。神様はどんなパートナーを願われるでしょうか。お金のパートナーですか。知識のパートナーですか。権力のパートナーですか。違います。神様は愛のパートナーを願われるので、夫と妻が生殖器を通して一つになるその場を中心として顕現なさり、人間と出会うのです。
なぜその場が神様を中心として一つになる場なのでしょうか。愛は絶対的であり、男性と女性が絶対的に一つになることを願う所が正にその場だからです。横的に見れば、陽性である男性がその中心に向かって近づき、陰性である女性がまた近づき、神様も男性の性稟である陽性と女性の性稟である陰性が合わさり、大きな陽性の立場で大きな陰性と合わさって一つになるのです。いつそのようになるかということが問題です。
結婚とは何でしょうか。なぜ結婚が重要なのですか。結婚は愛を求めていく道だからです。愛する道、生命を創造する道です。男性と女性の生命が一体になる道です。男性と女性の血統が混ざる所です。結婚を通して歴史が生じ、ここから国が生じ、理想世界が始まるのです。これがなければ個人の存在も意味がなく、国もなく、理想世界もありません。これが公式になっています。男性と女性は絶対的に一つにならなければならず、父母と子女たちは絶対的に神様と一つになり、神様を愛し、神様と共に生きてから、死んでそのまま霊界に行けば、そこが天国です。しかし、そのような人、そのような家庭、国家、世界、そのような理想的な人がいないので、神様が理想とする天国は空いているのです。今まで死んでいった人類はすべて地獄に落ちています。天国に入れませんでした。
このような観点から、イエス様も人類を救うための救世主として来られましたが、昇天したのち、天国には行けず、楽園に行っておられることを知らなければなりません。天国に行くためには、家庭を築いて入らなければならないので、イエス様も再臨することを願われるのです。イエス様も結婚して家庭を築き、その家庭と共に神様に侍って暮らしてから、共に天国に入れるのであって、独りでは天国に入れないので、聖書でも「あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」(マタイ一六一九)と書かれているのです。地上で解決しなければなりません。地上で病気になったので、その病気になった場所で治さなければなりません。
今日、人類は堕落した子孫となって、堕落圏の下に落ちているので、この圏を突破して上がらない限りは、天国に入れないのです。堕落圏内にいる人間は、いかなる困難があっても、その圏を突破しなければならないのです。ですから、イエス様も「自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである」(ルカ一七三三)と言いました。この道を行くためには、全生命を懸けて、突破して上がらなければならないのです。
皆様の家庭は、堕落圏内の家庭です。氏族、国家も同様です。闘って勝たなければなりません。アダム家庭で覆されました。アダムとエバが赤ん坊を生んだのちに追い出されましたか、追い出されたのちに赤ん坊を生みましたか。彼らは追い出されたのち、神様と無関係の立場で子女を生んだのです。このようなことも知らずに天国に行くというのですか。とんでもないことです。無知からは理想も生まれず、完成もありません。目を覚ますことを勧告します。
レバレンドムーンの話が正しいか、正しくないか祈ってみてください。私がこの道を探し出すためにどれほどの受難の道を歩んできたか、誰も知りません。罪もなく監獄に六回も入るほどの苦難に遭い、探し出してきた道です。ところが、他人の大切な息子、娘たちを連れてきて、このような真理を教え、短時間に方向転換させるので、多くの人が洗脳したと言うのです。無神論者は、神様がいないことを科学的に、理論的体系を立てて証明しようとして、自ら崩壊していきました。同様に、キリスト教徒たちは自分たちが信じている教理と違うといって、異端だと責め立てながら、私たちを取り除こうと大騒ぎしているのです。しかし、彼らが唱える異端こそが正統です。反対になるのです。サタンが嫌うものは神側であり、神様が嫌うものはサタン側だということを知らなければなりません。
思想的空白期に置かれている旧ソ連の若い青年たちも、レバレンドムーンの思想を中心として出版された中学校、高校、大学の教材を通して、さらには、刑務所の罪人までもその教材を通して、思想武装をしています。旧ソ連の三千六百余の学校でレバレンドムーンの思想の教材を使っているのです。彼らは、「私たちがアメリカに勝らなければならない。レバレンドムーンに反対するアメリカに勝らなければならない」と叫んでいます。西洋の腐敗した退廃風潮である同性愛やフリーセックスなどを収拾する道は、レバレンドムーンの思想だけだと彼らは信じ、急いでいるのです。アメリカより先にレバレンドムーンに従っていこうと叫んでいます。
皆様。神様がお好きですか。レバレンドムーンがこのようなことを展開しているのを御覧になる神様は喜ぶでしょうか。教皇庁の教えと今度の大会に参席したロバートシユーラー牧師の教えが同じでしょうか。もちろん、統一教会の教えも大きく違います。そうだとすれば、誰の教えが正しいか神様に尋ねてみてください。
イエス様と聖母マリヤに対する皆様の理解が間違ったものだといくら教えてあげても、それ自体が統一教会の利益になることがあるでしょうか。しかし、皆様が間違いなく知らなければならない一つの事実は、「地上で解かなければ、天でも解くことができない」ということです。それを早くから知ったレバレンドムーンは、生涯を捧げてこの道を歩んできたのです。
皆様。イエス様は結婚しなければなりませんでした。イエス様は女性ですか、男性ですか。聖女がいたなら、イエス様も彼女と結婚したくなかったでしょうか。神様はエデンの園にアダムとエバを創造され、彼らに生殖器をもつことを共に許されましたが、何のためにそのようにされたのでしょうか。彼らが成長すれば、神様が彼らを結婚させてくれるでしょうか、させてくれないでしょうか。問題は彼らの堕落にありました。堕落ゆえに血統が変わったのです。
ですから、神様は彼らをエデンの園から追い出されたのです。本来、神様の体となるべきアダムと神様の夫人格として立つべきエバが堕落することによって、神様御自身の体と理想が本然の状態を失って、怨讐になったのですから、それを御覧になった神様の心情がどれほどつらかったでしょうか。堕落は自らを埋葬する墓です。人のものを奪い取っていく行動です。言い換えれば、堕落はフリーセックスの根になり、個人主義の先祖になりました。
今日のアメリカはどのような国ですか。極度の個人主義、過分な私生活の追求、フリーセックスのようなものを神様が好まれるでしょうか。行き過ぎた個人主義が追求するものは何でしょうか。彼らの言うとおりなら、天と地、世界、国家、社会、家庭、甚だしきに至っては祖父、祖母までもすベて、放り投げてしまい、父母と兄弟も失ったまま、ジブシーやヒッピーになってさまよい、雨が降り、雪が降れば、行くところがないので、自殺して、一生を終えようという話ではないでしょうか。
しかし、人間の本心は極度の個人主義や、過分な私生活の保障を願ってはいません。宇宙と国家、町や村、そして父母の愛を受けて暮らしたいと思うのが、私たちの本心が願うところです。それができない反対の道を行くうちに、良心が燃え尽き、本心との相反を感じるようになって、むしろ薬でも飲んで自殺するのが良いと判断し、自ら命を絶つ現象がだんだんと増えていくのです。「自分のまいたものを、刈り取る」(ガラテヤ六七)という聖句が的中するのを目撃するわけです。
アダムとエバがエデンの園にどんな種を蒔きましたか。節制のない性関係の種を蒔きました。それを否定できますか。ですから、彼らが下半身を覆ったのです。子供たちも、父母が隠しておいた大切なお菓子を盗み食いして、見つかれば隠すのが本性の作用ではないですか。もし、善悪の実を取って食べたなら、その取って食べた手や口を覆うべきなのに、なぜ下半身を覆ったのかというのです。堕落は淫乱によって引き起こされたことを否定できません。堕落して落ちたアダムとエバを救ってあげるためには、堕落した方向と一八〇度逆の経路を通してこそ、救ってあげられるということは、この上なく理論的です。堕落によって地獄行きの血統を受け継いだので、メシヤが来なければならないのです。
メシヤは、堕落前、神様が創造したエデンの園の場で、家庭を築くことのできる主人として来られるお方です。メシヤはまず、神様に侍る家庭を築き、その家庭を通して国家を立てなければなりません。このように、家庭が問題です。メシヤの家庭を中心として、接ぎ木する摂理をしなければなりません。この死亡の世界で、誰が自分を救ってくれるかが問題です。
旧約時代を見てください。その時は、「目には目、歯には歯」(出エジプト記二一・二四)という原則のもとに蕩減してきました。イサクの妻だったリベカは、長子のエサウと夫までもだまし、次子のヤコブに奪い取った祝福を与えた女性ではないですか。そのような女性を神様はなぜ愛したのでしょうか。そのような神様をどうして信じることができるというのですか。今まで、このような疑問を誰も解明できませんでした。レバレンドムーンが初めて解いてあげたのです。レバレンドムーンだけが神様の秘密をすべて知っているからです。
それでは、天国と地獄はどこで分かれるか調べてみましょう。空中ですか。どこでしょうか。正に皆様の生殖器です。深刻なことです。これが天地をひっくり返しました。誰が否定できますか。レバレンド・ムーンが発表した原理の本の堕落論に説明されています。疑問に思えば神様に尋ねてみてください。皆様には、夢にも想像できない内容と理論をもって体系化しておいたレバレンドムーンの原理の本に反対することはできないのです。
レバレンドムーンが天国に行くか、行かないか気になるなら、死んでみてください。死んで霊界に行ってみれば分かります。レバレンドムーンがこの道を探すために、死の道を何百回も超えてきたことを、皆様は知らなければなりません。神様を数百回も泣かせた人がレバレンドムーンです。歴史始まって以来、誰もレバレンドムーンほど神様を愛した人がいません。ですから、いくら世の中がレバレンドムーンを滅ぼそうとしても、私は絶対に滅びません。神様が保護してくださるからです。皆様もレバレンドムーンが教える真理圏内に入ってくれば、神様が共に保護してくださいます。
生殖器を、目の見えない盲人のように、方向を失ったまま使用すれば地獄行きであり、反対にこれを神様の絶対愛に基準を合わせて使えば天国の高い所に行くのです。明白な結論です。今、青少年の問題が深刻な問題です。エデンの園でアダムとエバが、青少年期に日陰で淫乱によって堕落し、フリーセックスを蒔いたので、収穫の時期である終わりの日には、必ず世界的に青少年たちのフリーセックスの風潮が蔓延する現象が現れるのです。
終わりの日には、再臨主が神様の真の愛を中心として、堕落圏内に陥った人類を絶対愛圏内に引っ張り上げて救うという戦略を、サタンは知っています。サタンはどこにも愛の基準を置くことができないので、アダムとエバを堕落させるときに天使長がそうしたように、全人類をフリーセックスに追いやって全世界を裸にし、すべて死んでいく方向に引っ張っていくのです。人類がすべて天使長の後裔としての末路に直面するようになるのです。
エデンの園からサタンの支配圏内に陥ったアダムとエバの子孫が、今日の人類なので、サタンは堂々と神様のみ前でも、この世界のすべての男性と女性を引っ張っていき、自分のやりたいとおりにできる権限を主張するのです。神様はサタンが何を願うかを御存じです。サタンはフリーセックスを通して、ただの一人も神様のみ前に帰れないように、言い換えれば、全人類を完全に堕落させて地上地獄をつくろうとするのです。今日、私たちが生きているこの世界が、地上地獄となっていく世界でなくて何でしょうか。したがって、このように地上地獄になったこの世界と一八〇度異なる、正反対の道を求めていけば、天国に行く道があるのです。再臨主が来て、この世の中を救ってくれるのも、正にこのような一八〇度反対の道を教えて、天国に導くことなのです。
それでは、フリーセックスの道と一八〇度異なった正反対の道とはどのような道でしょうか。偽りの父母が現れて作った道がフリーセックスの道なので、真の父母が現れて、この間違った道を正してあげなければならないのです。神様は干渉することができません。この地のいかなる主権や軍事力、経済力、政治力でも手をつけることのできない問題です。偽りの父母によって引き起こされたことなので、真の父母がメスをもって手術しなければ、決して人類は救われる道はないのです。罪を犯した者がその罪を蕩減しなければなりません。家庭で結婚を誤って、血統が一八〇度ねじれてしまったので、真の父母が来て結婚させ、一八〇度原状に戻すことによって、天国に行く道を開いてあげるようになるのです。
神様がアダムとエバに期待したことは何だったでしょうか。絶対愛を期待したのです。絶対「性」が存在するところには絶対純潔の夫婦が誕生するようになり、自動的にフリーセックス、ホモ、レズビアンという言葉は消えるようになるのです。このような絶対純潔の愛を求める運動を世界的に広げるために、レバレンドムーンは一生を捧げて受難の道を克服してきたのであり、今は、勝利の祝歌を響かせながら、世界に号令をかけるときになったので、天に感謝しているのです。
世界平和に向かっていく礎石を置くのも家庭であり、世界平和への道を破壊するのも家庭です。人類の希望と幸福の土台が破壊されたところがアダム家庭でした。したがって、きょう、このように「世界平和家庭連合」を創設し、皆様の家庭も、今からはサタン世界と一八〇度異なる方向に行くことができる道が開かれたことを、天に感謝せざるを得ません。この道でなければ自由も幸福も理想もありません。
皆様は今、絶対的な純潔の生殖器、唯一の生殖器、不変の生殖器、永遠の生殖器を中心として、これを基盤として神様を求めるようお願いします。この基盤が真の愛の基盤、真の生命の基盤、真の血統の基盤、良心の基盤にならなければならず、ここから正に地上天国と天上天国が生じることを理解されなければなりません。
すべての男女が、自分たちの生殖器が実は自分のものではなく、自分の相対が主人だということを認めるようになれば、頭を下げて謙虚な姿勢で愛を受け入れるようになるでしょう。愛は相対なしには訪れません。愛は相対から訪れるので、ために生きないところには、愛があり得ないのです。絶対的にために生きるところで絶対愛を見いだすことができることを肝に銘じてください。
どこに行かれても、テレビやその他、言論機関を通してレバレンドムーンの話を伝えてみてください。絶対に滅びません。地獄になったこの世界を、果たしてどんな力で変えることができるでしょうか。神様の愛、すなわち絶対、唯一、不変、永遠であられる神様の真の愛を中心として、私たちの生殖器も絶対、唯一、不変、永遠の基準に立てて生きていかなければ不可能なのです。私たちの生殖器の本来の主人は神様であられます。
今、私たち全員が共にこの目的のために前進しましょう。神様の真の愛を実践する前衛隊になりましょう。今から家にお帰りになられたら、夫婦で自分たちの生殖器が絶対、唯一、不変、永遠の器官であることを互いに確認し、それが正に自分のものではなく、あなたのものであり、あなたが今までよく保管してきたものが自分のものだと宣言し、互いのために生き、永遠に奉仕し、感謝しながら生きようと誓ってください。そのような家庭であってこそ、永遠に神様がとどまるようになり、そのような家庭を中心として世界的な家庭編成が行われるのです。そうして、皆様全員が共に次回の三百六十万双の祝福結婚式に参席され、地上天国に入籍する真の家庭になるようお願いいたします。ありがとうございました。
4. 天宙は私の故郷と祖国
4.天宙は私の故郷と祖国
日付:二〇〇〇年二月二日
場所:アメリカ、ワシントンDC、国会議事堂
行事:第二回アメリカンセンチュリーアワード授賞式
尊敬するアメリカの上下両院の議員、外交使節、今日のアメリカが神様の最大の祝福を受けることに貢献したアメリカンセンチユリーアワードの受賞者、そして親愛なる内外の貴賓の皆様。きょう、自由と信仰と家庭の重要性を高めるためのこの歴史的な席に、アメリカの各界各層を代表する最高指導者の皆様にお越しいただいたことを、心から感謝いたします。同時に、ワシントンタイムズ財団の創設者として、去る一世紀を通じて、今日のアメリカが世界で最も優れた国になるようにと力を尽くした栄誉ある受賞者の皆様に、心からお祝い申し上げたいと思います。
また、きょう私の八十回目の誕生日を祝ってくださり、私が生涯にわたって成し遂げたすべての業績を高く評価し祝賀してくださった皆様に、重ねて心から感謝申し上げます。特にこの場で私は、今日まで共にいてくださり守ってくださった神様に、このすベての栄光と感謝を捧げたいと思います。
私は、生涯を通じ、神様の創造理想を実現するという一念で、ひたすら諸般の難問題解決のために苦心し、努力してきました。私は一九七一年、アメリカに来た時、アメリカが世界的な危機に直面していることを目撃しました。そこで、第一次五十州巡回講演を始めながら、「アメリカは、神様が抱えている三つの大きな悩みに責任をもたなければならない」と説破しました。その一番目は、共産主義からの脅威であり、二番目は、キリスト教の没落であり、三番目は、淪落の道に入っている青少年の問題でした。この意義深い日に私たちが心に刻まなければならないことは、すべての人が神様と完全に一つになることであり、自由と信仰、そして家庭に対する神様のみ旨を成就することです。私は、神様がアメリカを愛していらっしゃることを知ったので、このあらゆる兆候に対処できるアメリカにおいて、「ワシントンタイムズ」の創刊を含む多くの活動をしてきました。
きょう私は、これまでアメリカのために奉仕できる機会を許諾された神様に、重ねて感謝を申し上げます。なぜなら、韓国戦争当時、アメリカは国連軍として私の祖国を救援したばかりでなく、神様のみ言を伝える中で共産圏の監獄に投獄された私に、自由をもたらしてくれたからです。
私は、十六歳(数え)の少年の頃に天命を受け、神様のみ旨の究明とともに、人類救援のための復帰摂理歴史を完結するために、孤軍奮闘してきました。私が知った神様は、栄光と尊敬の玉座にいらっしゃるお方ではなく、堕落し地獄に落ちた子女たちを救うために苦労してこられた、悲しみと嘆息と苦痛の神様であられました。人間は堕落によって霊的無知に陥ることにより、神様の実在および人間と宇宙に対する根本的な無知に陥りました。したがって、肉身をもってこの世をどのように生きるべきか、死後の霊界の実在とその準備として地上生活をどのように過ごすかということを知らないまま生きてきました。
神様のみ旨と心情を知って生きてきた私の生涯は、一言で言えば、昼夜を忘れ、季節も環境も超越して、ただみ旨を成就するためにこの身を捧げ捧げて全力を尽くす道でした。私の八十年の生涯を振り返ってみるとき、これまでの多くの苦難と迫害にもかかわらず、この場できょう、皆様と共に過ごすことができたのは、ただただ神様が助けてくださったからだということが分かります。
私はこれまで、世界の至る所の公席で一万回以上語り、これが既に三百巻以上の書籍として発刊されました。きょう、アメリカの最高指導者の皆様を迎えたこの意義深い場で、これまで私が考え、教えてきた内容の一端を「天宙は私の故郷と祖国」という主題でお話ししようと思います。
本来、天宙は人間が主人となって暮らすように造られた巨大な家です。そしてこの天宙の中心となった人間は、上下、左右、前後の関係性、すなわち父子関係、夫婦関係、兄弟関係の中で球形として存在します。神様は、この上下、左右、前後の一、二、三、四、五、六の中心である第七の位置にいらっしゃいます。それで、神様は、私たちの日常生活を指導されながら、見えない中心の位置にいらっしゃいます。
人間は堕落し、落ちたサタン圏から、神様の救済により自由と解放を受け、真の息子、娘として成長したのちに、相対に出会って真の夫婦となり、さらに子女を生み、真の父母となることが正常な人生路程です。
したがって、私たちは、真の子女を否定することができず、真の夫婦を否定することができず、真の父母を否定することができません。これを否定すれば、宇宙の原則に逆行し、自らの存在を破壊することになります。ですから、人間は、真の父母と真の夫婦と真の息子、娘で構成された真の家庭を成し遂げなければならず、これが正に理想的な存在のモデルです。人間は、家庭で真の父母の愛を完全に受けなければならず、真の夫婦の愛を完全に受けなければならず、それから真の息子、娘の愛を完全に受けなければなりません。このようなすべての人間関係を完成させるものは何でしょうか。それは、お金でもなく、知識や権力、あるいは物質的な力でもなく、均衡の取れた神様の真の愛しかありません。
真の愛は、投入する力です。与える力であって、受けることのみの力ではありません。すべてを与え、零点の位置に入っていくのです。完全に空いた場になるので、零点の位置には、何が入ってきてもOKです。それで、与える力が永続するので、戻ってくる力が加重されて永続することによって、永遠の均衡が形成されるのです。
ですから、真の愛を中心に、ために生きる世界は授受作用を通して完成されるのです。天地のすべてのものが相対的関係で存在しているのも、このように与え合う作用を通して、真の愛の世界を成就するためなのです。相対関係において、すべての授ける力に対して、戻ってくる力が運動することによって、その中心点は永遠に定着できるのです。
すなわち、幸運の数である七のような真の愛の中心位置に神様がいらっしゃり、全宇宙が均衡を取って運行しているのです。天運というのは、このように受けて返す巨大な天宙的な流れです。その中で、愛も流れ、空気も流れ、水も流れ、光も流れます。しかし、その流れは、巡り巡って再び元の形に戻っていくのです。
紳士淑女の皆様。善なる人とは、どのような人ですか。様々に定義することができるかもしれませんが、一つは、受けたものを踏み倒す人は悪なる人であり、受けたものに対して、プラスして恩返しする人は善なる人であるというのです。ですから、子女が自分よりも劣ることを望む父母はいません。立派になることを望みます。また、夫は妻を、そして、妻は夫が自分よりも素晴らしくなることを願います。また、兄は弟を、弟は兄がもっと立派になることを願うのです。したがって、受けたものよりも、もっと大きなものを返そうとするのが父母の願いであり、夫の願いであり、子女の願いであり、万物の願いであり、結局、宇宙の願いなのです。さらには、大きな心で「天宙が私の故郷であり、私の祖国である」という考えをもった人こそが、自由と解放を受け、天宙的な歓迎を受けます。個人的に歓迎され、家庭、国家、世界、天宙的に歓迎されてこそ、結局、神様の真の息子、娘になることができるという結論が出てくるのです。
それでは、皆様はどこで暮らしたいですか。自分が生まれた本然の故郷で暮らしたいはずです。本然の故郷は、広い意味で考えるとき、天宙の中でも地球星であり、祖国は先祖の代わりに私たちの神様がいらっしゃる所です。この地球星で堕落していない本然の父母、兄弟、息子、娘が共に暮らすならば、そこがすなわち、私の本郷です。
そこには、黒人、黄色人種、そして白人が共に調和して暮らしています。このすベての人種は誰の息子、娘ですか。父母は一人の方であられます。したがって、宇宙で、東西南北のどこに行こうと共にいらっしゃる神様が人類の父であることは間違いないのです。
ですから、アメリカの主人が白人である、黒人である、黄色人種であるという考えは誤りです。アメリカの主人は神様であられます。皮膚の色が違うのは、住んでいる地域によって気候と環境が異なるので、それに合わせるためなのです。それで、雪の多い地域には白人が多いのです。反対に太陽の光が強いアフリカのような所には、黒人がたくさんいるのです。しかし、人は根本的に同じです。例えば、血の色や、筋肉や骨の形はすべて同じです。そして、互いに愛し合うことも同じです。したがって、人種の差別はあり得ません。
それで、統一教会では国際合同結婚式を通して、人類平等を実現してきました。自然の道理と原則を尊重してみると五色人種(すべての人種)が互いに結婚するようになったのです。黒人と白人が結婚することは、極と極が一つになることと同じです。あるいは、黄色人種と黒人が結婚すれば、お互いの長所を受け継ぐようになり、より優れた子孫を生むと考えるのです。
愛があるところには、葛藤がありません。たとえ、皆様の生まれた故郷と祖国は異なるとしても、一つ間違いないことは、信仰の本郷地であり、平和と統一の本郷地は、真の愛を中心とした祖国と故郷であるということです。
人間世界で、最も重要なのは真の愛、真の生命、そして真の血統です。真の愛には真の生命があり、真の血統が連結されます。真の血統が連結されなければ、真の愛が連結されません。
また、真の生命が連結しない愛は、偽りの愛です。真の生命は、真の愛と真の血統の関係の中で懐妊されるのです。このように、真の愛と真の生命と真の血統を通して、永生の道が開かれるのです。真の人となり、真の愛と真の生命と真の血統を後代に残すことが神様の創造理想なのです。
永遠の真の愛、永遠の真の生命、永遠の真の血統の主人であられる理想的な神様に似た人が、天の国の完全な真の息子、娘になります。どうして結婚をするかというと、正にこのような真の血統的伝統を過去、現在、未来に連結するためです。
堕落する前、アダムとエバは神様に直接、自由に対することができたのですが、堕落したのちには、以前のように神様と対することができなくなってしまったのです。さらには、堕落したアダムの子女であるカインとアベルは、神様の血統を受けることができず、サタンの血統を受け継ぎました。
したがって、イエス様は、ヨハネによる福音書第三章三節で、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」と言われました。人間は、血統的に誤った愛によって、誤った生命をもっている自分自身であることを自覚しなければなりません。人間は、自分たちが愛の怨讐であり、生命の怨讐であり、血統の怨讐の位置にいるという事実を、この上なく恥ずかしく思わなければなりません。
神様は、今日の世界でフリーセックスやホモセックスが乱舞していることを御覧になって、言葉にできない悲しみと苦痛を感じていらっしゃいます。しかし、怨讐の息子、娘を自分の息子、娘よりも、もっと愛さなければならないというのが神様の立場です。投入して忘れ、また投入して忘れながら、失ってしまった息子、娘を再び取り戻そうとするのが、神様の救援摂理です。
堕落した人間を救い出すためには、それよりももっと強い生命力を投入しなければなりません。堕落し、偽りの種で腹中に妊娠した子女を見ながら、悲しみ心を痛める神様がどれほど哀れでしょうか。そのような子女が繁殖し、今日の六十億の堕落した人類となったのです。
人間は本来、三時代を通過するようになっています。母の腹中時代は水中時代であり、地上世界は土と水と空気の時代であり、死後の世界は愛の時代です。胎児が母の胎で栄養をもらって育つのと同じように、人間の肉身は、地球星で万物を食べながら成長するのです。それで、人間は、地を母のように愛さなければならないのです。
霊界は、太陽の光のような光が、いつも光り輝いている所です。太陽は常に昼です。霊界もこれと同じです。
霊界での愛の光は、変わることがありません。朝でも夜でも、北極でも南極でも、愛は変わることがありません。そのような真の愛に満ちあふれた世界が霊界です。霊界は、春夏秋冬の季節を通して実った収穫物を貯藏する倉庫と同じなので、地上世界の人生が結実する所です。
復帰歴史路程で、これまで神様の直接的な真の血統が連結され、真の生命をもって出生した人は、イエス様しかいません。これまで堕落した人類の中で、地上や霊界で、神様の直接主管圏に入っていった人は一人もいませんでした。それで神様は、これまで一人、孤独な悲しみの歳月を過ごしてこられたのです。したがって、人間も悲しく、万物も悲しい世界となってしまったのです。
それで神様は、信じることができる一人の人、すなわち、血統を浄化させ、真の生命に重生させ、神様の真の愛を受け継ぎ、解放の主人になることができる一人の男性、メシヤを求めてこられたのです。皆様も御存じのように、アダム以降、旧約時代の歴史は、メシヤを迎えるための選民の歴史でした。準備された選民、イスラエルを通して、イエス様がメシヤとして来られ、万民をイエス様の家庭と接ぎ木し、真の血統を世界化しようとされたのが神様のみ旨だったのです。しかし当時のユダヤ民族の不信により、イエス様が十字架にかかって亡くなることによって、その歴史は再臨理想として残されました。
したがって、再び来られる再臨主は、人類の真の父母の立場で、再び真の愛の家庭を取り戻し、天地父母の位置を経て、人類救援摂理を完成しなければなりません。メシヤが出発する起点は、アダムとエバが堕落せずに完成した家庭よりも、もっと神様に栄えある立場で素晴らしく侍ることができる孝子、孝女の家庭でなければなりません。
メシヤは、真の愛を中心とした父の立場で、真の生命と真の血統を連結し、新たに出発しなければならない人類の理想的な核となる家庭の主人です。ここから、祝福結婚した家庭を連結し、地上天国と天上天国が完成するのです。
したがって、メシヤは人類の真の父母として来なければなりません。来られるメシヤは、サタン世界の愛とサタン世界の血統を否定し、神様の真の愛で連結した、完成した個人、家庭、氏族、民族、国家、世界と天宙を形成しなければなりません。すなわち、真の父母の愛によって、全人類が新たな祝福結婚をすることによって、新しい血統的家庭の相続を受けなければならないのです。そしてこれは、真の愛でなければ道がないという事実を知らなければなりません。こうして、サタン世界の地獄圏を解放しなければなりません。
したがって、すべての人類は、八段階の復帰過程を経て、神様の子女の立場を取り戻さなければなりません。本来なら、腹中時代を経て、幼児時代、兄弟時代、婚約時代、夫婦時代、父母時代、祖父母時代を経て、王と女王の時代までの八段階を経なければなりません。結局、人間は、神様の子女として、王、王妃として、天地の大主人になるという目的で生まれたことを知らなければなりません。
皆様。このように、私たち人間は本来、成長し、男性は女性に出会って王となり、女性は男性に出会って王妃となり、天の国の王子、王女として、天の国のすべてのものを相続される相続者の位置にまで行かなければなりません。このためには、地獄の底から、八段階の蕩減条件過程を通過して、天国まで一体化させなければならないのですが、これは、メシヤとして来られる真の父母の祝福を通してのみ可能です。
このような祝福家庭は、世の中の助けとなる主体的な家庭にならなければなりません。このように、完全に生まれ変わって新しい人になるためには、神様を中心として、絶対信仰、絶対愛、絶対服従を実践しなければなりません。私もやはり、生涯を通じてこれを実践してきました。
神様は、宇宙を創造されるとき、絶対信仰をもって造られました。さらに、神様は私たち人間を愛の絶対的パートナーとして造られました。絶対従順とは、自分自身までもすベてなくして、完全投入することを意味します。
このように投入して忘れ、投入して忘れて、最終的に自分という概念さえすべてなくなる零点に進入するのです。神様は、信仰もすベて注いだので、残ったものは零点であり、愛もすベて注いだので零点であり、純情もすベて注いだので零点です。
しかし神様の真の愛は投入するほど大きくなるのです。私たちはこのような神様に似なければなりません。愛を否定されても、さらに愛し、投入しても、もっと投入してこそ、怨讐を真の愛で自然屈伏させる位置まで進むようになるのです。神様がそのような道を歩んできたのであり、天地父母がそのような道を歩んできたのです。
投入して忘れてしまい、投入して忘れてしまうことを続ける人が中心者となり、全体の相続者となり、孝子の中の孝子となります。家庭の中でも、祖父、祖母をはじめとして十人の家族が暮らすとしても、最もために生きる人が家庭の中心となるのです。
愛国者も同様です。投入して忘れてしまうほど、忠臣、聖人、さらに進んで聖子として決定されるのです。神様は、人類歴史始まって以来、いかなる存在よりも、真の愛を中心として、より一層ために投入して忘れてきたのであり、また、永遠に継続して投入できるので、ために生きる人の王となり、先祖となることができます。
私が導いてきた統一教会が、短い期間に世界的な宗教団体として成長したのも、正しくこのような原理原則で努力してきたからです。自分の生涯を振り返ってみるとき、私が人類救援の道を行くとき、今日に至るまで、有形、無形世界の億万のサタン勢力が反対し、多くの宗教指導者たちが反対し、各国の政権が反対しましたが、私は堂々と彼らのために生きてきたので、いつの間にか、彼らの中心の位置に立つようになったのです。真実を理解できず反対する彼らのために生き、反対する彼らの子女たちのために投入し、反対する政権のために生きていくと、いつの間にかレバレンドムーンを尊敬するようになったのです。
私たちはここで、天の戦法とサタンの戦法がどのようなものであるかを学ぶことになります。すなわち、天の戦略は打たれて取り戻すのであり、サタンの戦略は打って失ってしまうのです。
このような原則のもとで、レバレンドムーンは、人類救援のために、五大洋六大州に広がっている五色人種を一つにし、一人の方、神様のもとの一つの世界を実現するために、国際合同結婚式を挙行し、数千、数万双の若者たちを祝福結婚させてきました。東洋と西洋が結婚を通して一つになるとき、世界で最も大きな文化的葛藤はなくなるはずです。
アメリカ人とドイツ人が結婚し、夫婦が真の愛で一つになれば、怨讐だった二つの国が神様の真の愛によって一つになるのです。さらに、レバレンドムーンは、霊界にいる霊人たちまで、真の愛によって祝福してきました。
地上と天上に天国が形成されるためには、霊界にいる霊人たちまでも祝福を通して解放しなければならないのですが、それは、実体の真の父母を通してのみ可能なのです。人類の先祖が偽りの父母として、罪悪の種を蒔いたので、メシヤは、人類の真の父母として来て、地上と霊界のすべての人類を解放してあげなければならないのです。
血統で誤った問題に対する解決は、全知全能であられる神様でさえも、一人では成し遂げることができないのです。もし、神様ができるのであれば、既にずっと以前に解決されていたはずであり、また堕落もさせなかったはずです。しかし、人間に賦与された自己の責任分担に対しては、原理法度の神様は、一切干渉することができないのです。したがって、再び来られるメシヤは、人類の真の父母として来られ、血統を汚した原罪をもつ人間を真の愛によって重生してあげなければなりません。
このような点から、私が主導してきた国際合同結婚式の意味は、単に男性と女性が配偶者として出会うことのみにあるのではありません。本然の神様の生命の種を与えられ、真の神様の子女として生まれ変わるための、神聖で偉大な重生の儀式なのです。このように、蕩減原則を通して、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙的蕩減時代を経て、最終的には、霊界解放と地上解放時代を迎えたのです。
世界が、数千、数万の民族に分かれ、父母、夫婦、子女まで分裂し、宗教圏も、キリスト教、イスラーム、儒教、仏教など四大文化圏に分かれてきましたが、今私たちは、大統一の家庭化時代を迎えました。新約時代を経て、完成時代である成約時代を経て、堕落がなかった本然の第四次アダム圏時代に入ってくるようになったのです。
言い換えれば、今は、国家主義時代が過ぎ、世界主義時代を超えて、天宙が一つの神様のもとで、一つになる時代に進入したのです。さらに地球星が全祝福家庭たちの故郷となり、神様がいらっしゃる天上世界は祖国になり、それが一つになることによって、永遠の祖国光復である地上・天上天国が始まるのです。
内外の貴賓の皆様。私は、新千年が始まる午前零時に、全世界に送るメッセージを通して「真の愛の天宙化は新千年天国の完成」というみ言を宣布しました。「真の愛の天宙化」という言葉は、天と地を真の愛の家にするという意味であり、新しい千年を迎え、全体世界を通して天国を完成するのです。
天宙は、神様から出発したので、その対象的立場にある愛の家が完成するためには、家庭や氏族、民族、国家、世界が同じ公式的な原理に基づく家を求めて、一つにならなければなりません。国は、家庭が入ることができる愛の家であり、世界は、国が入ることができる愛の家であり、さらに天宙は、世界が入ることができる愛の家です。
その中でも、真の愛の家庭というものは、巨大な天の国の家である天宙の出発点であり、核になります。家庭で夫は、妻の真の愛を中心とする家であり、妻は、夫の真の愛を中心とする家であり、父母は、子女の真の愛を中心とする家であり、子女は、父母の真の愛を中心とする家です。
神様の国は、真の自由と信仰、そして理想が実を結んだ花であり、真の愛と真の生命、そして真の血統が定着した真の家庭がとどまる所です。さらには、永遠の真の愛と幸福が満ちあふれた千年王国時代が始まる所です。
天地安息圏の中心が、神様が共にいらっしゃる真の男女が結合した家庭なので、私はこれまで真の家庭の価値を説き明かしてきました。したがって、私たちは、聖書で言うエデンの園をこの地球上に具現させなければならないのです。
今、新たに迎えた新千年は、六千年間の救援摂理が完結され、創造理想を中心とした本然の天の国が建設される時です。旧約と新約の約束が成就される、成約の時代です。
二度と涙がなく、死亡がなく、哀痛の声が聞こえない、新しい天と新しい地を意味します。水晶のような澄んだ生命水を代価なく分け与えられる、条件のない真の愛の時代を言うのです。霊界と地上が一つに通じ、天上と地上に神様の国が成就される時代です。生きていらっしゃる神様の直接主管圏が、復帰された長子権、父母権、王権を通して、全体、全般、全権、全能の新時代を開く時です。
以上のように、地球星は人類の故郷であり、霊界は人類が完成、到達しなければならない永遠の祖国を意味するのです。最後に「一人の神様のもとの一つの国」を越え「一人の神様のもとの一つの天宙」として、天の父母を中心とした地球星大家族主義の世界が形成される時です。したがって、私たちは、神様と人間の根本関係である父子の関係を心に刻み、「天宙」すなわち霊界と地上を「私たちの故郷と祖国」として創建するために、積極的に先頭に立ってくださるようお願いいたします。
重ねて、この場を訪ねてくださったアメリカの指導者の皆様に感謝し、四海同胞がお互いに真の兄弟姉妹となり、平和と自由、そして正義があふれる新しい千年王国が始まることを願いながら、み言を終えようと思います。私は、新しい時代を迎えて、神様が、アメリカにとってこの世界を導くように万全の準備をしておかれたことを確信します。皆様の国と家庭に神様の祝福が共にあることを祈ります。
5. 真の王の基
5.真の王の基
日付:二〇〇二年二月十七日
場所:韓国、ソウル、オリンピック公園・フェンシング競技場
行事:真の父母様御聖誕慶祝行事
世界各国から来られた著名な指導者の皆様、そして国内外貴賓の皆様。きょう、このように私たち夫婦が生まれた日を祝ってくださるためにお越しくださったことを心から感謝いたします。この意義深い日を迎えて、私は「真の王の基」という題目で、神様が本来、宇宙万象と人間を創造した理想を中心に、私たちの本然の人生はどのような姿でなければならないかを、神様のみ旨に立脚して皆様にお話ししようと思います。
宇宙の存在秩序は「ために生きる人生」を根本にしています。神様は知恵の王なので、宇宙万象が、相対のために存在するという原則をもって生きるように創造されました。これを天理の原則であり創造の秘訣として立てたというのです。真の理想、真の愛、真の幸福、真の平和の世界は、神様の創造理想であると同時に人間の願いでもあります。このような理想を成し遂げる道は別のところにあるのではありません。ために生きるところだけに真の愛が起こるのであり、真の幸福、真の理想、真の平和が実現するのです。
したがって、理想の起源、平和の起源、幸福と愛の起源は、相対のために生きるところにあるのです。「私」は私のために存在するという立場では、互いに一つになれないのです。互いに一つにならなければ、平和も、幸福も、理想も、愛も成就することができません。家庭でも、家族全員が互いにために生きる姿勢で生きるとき、その家庭には平和と幸福が訪れるのです。まず、夫婦間の姿を調べてみましょう。
真の夫とは、どのような夫ですか。生まれるのも妻のために生まれ、生きるのも妻のために生き、死ぬのも妻のために死のうとする夫がいるとすれば、そのような夫こそ真の夫でしょう。真の妻も、このような原則に従い、ただひたすら夫のために生きる妻であるはずです。
このようにために生きる生涯を送ろうとする真の男性と真の女性が夫婦になったとすれば、そのような夫婦こそ理想的な夫婦でしょう。そのような夫婦を通して真の平和の基準を求めることができます。そのような夫婦は、本当に幸福な夫婦になるのです。そのような夫婦こそ、永遠で普遍な真の愛の主体者になることができます。さらには、神様の愛を直接受けることができるようになり、神様の平和の対象になることができ、神様の理想の実体対象になることができるのです。
父母の人生はどうですか。父母は子女たちのために存在し、子女たちのために生き、子女たちのために死のうという犠牲と奉仕の精神で子女たちを養育し、教育すべきだというのが天理です。
このような父母こそ、真の父母になるのは当然のことです。そして、子女たちはこのような模範的な父母の姿を手本として真の子女の道理、すなわち真の孝子の道を歩むようになるのです。それでは、真の孝子とはどのような子女ですか。生まれるのも父母のために生まれ、生きるのも父母のために生き、父母のために生きるなら命までも捧げることができる子女が、真の孝子です。
同じように、相手のために生きていこうという原則を信じて実践する人生を生きるようになれば、家庭では、平和の家庭、自由の家庭、幸福の家庭、愛の家庭を形成するようになるはずであり、社会でも、平和の社会、自由の社会、幸福な社会、愛の社会、本然的理想の社会が成し遂げられるでしょう。国家と世界でも同じです。
いつ、どこで、どのようなことをしても、この原則さえ固守すれば、自由と平和と幸福と愛を自動的に得るようになるのが天理です。私たちは、ために生きる人生を生きていくときにも、主体と対象の関係についてその優先順位を考えてみなければなりません。神様の創造を調べてみれば、神様御自身が主体の立場ですべてを先に投入し、ために生きる立場で創造されました。知恵の王である神様も、平和と幸福、理想と愛の本然の基準を、このように人のために投入して存在することにおかれ、宇宙創造の大原則として立てておかれたのです。主体がまず対象のためにすベてのものを与え、ために生きる生き方を見せてあげるとき、対象は自動的に主体のために命までも捧げるようになるという原理です。愛は、対象から来るのです。対象がなくては、幸福や平和というものはあり得ません。
これは必ず対象を通じて来るのです。自分の生命よりもっと貴い愛と理想が対象を通して来るので、その貴いものを受けるためには謙遜に準備しなければなりません。ために生きるにも、謙遜に頭を下げてために生きなさいというのです。
ために生きる人生には永遠があり、繁栄があり、ために生きる位置が中心となる天理が運行しています。今日、どんなに多くの宗教の経典があるとしても「他のために存在しなさい!」という一言が、すべての経典の教えの上に高くそびえ立つようになるのです。新旧約聖書六十六巻も、結局「他のために存在しなさい!」というこの一言で総括的な結論を下せるのです。それで、イエス様も、「だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」(マタイ二三一二)とおっしゃったのです。「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」(ヨハネ一五・一三)とおっしゃいました。これはすべて、ために生きる人生の価値を説明したみ言です。このような人生を通じて天国が顕現し、神様が顕現され、神様の愛が顕現し、神様を中心とする平和と幸福と理想が顕現するようになることを語られたのです。男性と女性の関係においても、男性も女性も、本来、自分のために生まれたのではありません。
互いに相対のために生まれ、相対のために存在し、相対のために生きていき、相対のために死ぬことができるように生まれたのです。男性が男性だけのために生き、女性は女性だけのために生きる世界を想像してみてください。男性が女性をぞんざいに扱って無視する世界を、どうして自由の世界であり平和の世界であると呼ぶことができますか。女性が男性を排斥して子も生まないという世界を、どうして幸福な世界と呼ぶことができますか。
夫と妻は、どのような状況でも互いのために生き、愛してあげる真の愛の人生を共に分かち合いながら生きなければならないのです。これが、神様が男性と女性を創造した理想であり目的です。自分だけを絶対的に主張する独裁者からは、自由と平和を探し出すことができません。一人の独裁者が立てられるために、どれほど多くの人々が犠牲になりますか。相対を犠牲にして自分を立てようとする、すなわち、ために生きる真の愛の人生とは正反対の道が独裁者の道です。それで独裁者は、すべての人が嫌うのです。歴史的に独裁者はすべて、不幸で始まり、不幸に終わるのです。これが宇宙の根本真理だというのです。
尊敬する内外の貴賓の皆様。私たちは「他のために存在しなさい!」という天理に従わなければなりません。私たち個人を中心として、前後左右をよく見てください。家庭生活でも、いくら年が若く、格位が低い人でも、その人がすべての家族のために家庭の誰よりもために生き、献身する生き方を見せてあげれば、その人は自動的にその家庭の中心になるのです。
困難で大変なことが発生すれば、家族全員がその人に話し、相談しながら支援を要請するはずです。よりために生きる人が中心存在になるのであり、責任者になるというのが天理です。社会や国家の経営についても同じです。誰でも、自分以上にその団体や国のために献身し、奉仕する人がいるとすれば、その人に主のように侍り、神様のように侍ることができる、謙遜な生を実践しなさいというのです。
皆様が霊界へ行くようになれば、神様は天地の中心存在としていらっしゃるので、その方には千年、万年支配されてももっと支配されたいと思い、支配されること自体が最上の幸福になるのです。
私の話が信じられなければ、すぐにでも死んでみてください。今日、人類はこのことを知りません。自分のために本当に面倒を見てくれて、主管してくれる人をもつとき、真の幸福と平和を享受できることを知らずに生きているのです。
私たちの父であり全知全能であられる神様が、「私のために存在する」と感じてみてください。最高の愛である神様の真の愛が「私のためにある」と信じてみてください。そこで初めて皆様は安息を見いだすようになるでしょう。互いにために生きるべきである、というこの公式的な原則を拡大し、国家と民族を超越して世界基準まで到達すれば、その世界が正に人類の願うユートピア的愛の世界であり、理想の世界であり、平和の世界であり、幸福の世界に間違いありません。地上天国は、正しくこのような世界です。
紳士淑女の皆様。ために生きる人は天が保護し、中心存在になると言いました。この場に立っている私の人生が、その良い証拠になっています。世界万民から真の父母と呼ばれている私たち夫婦ですが、この立場にまで来る道は決して順調な道のりではありませんでした。
私は、生涯を天と人類のために捧げてきました。父母が反対し、一族が反対し、教会が反対し、国家が反対し、世界が反対する場でも、私は絶対に絶望したり、天の教えである「ために生きる人生」の実践を中断したりしませんでした。真の父母の道は、このように極と極を貫く孤独な道でした。その結果、今は私の生きてきた姿である「真の愛の運動」が全世界的に燎原の火のように広がりつつあります。ために生きる人生の実践を通して数百万の家庭が生まれ変わり、平和と幸福の真の家庭になっています。
そして、私たちの夫婦を真の父母として侍って生きようとする家庭が、全世界の至る所から集まってきています。今は、個人から天宙圏まで八段階の理想圏を完成し、神様の解放圏まで完成したので、正に人類の願いであるユートピア、すなわち地上天国が皆様の目の前に開かれています。
きょう、この貴い席に共にされた皆様も、天がこの時代、人類に下さった天理である「ために生きる人生」の真の愛を実践して、天が祝福した中心者、責任者となられ、永遠の平和と永遠の自由、そして永遠の幸福を成就されることを願います。ありがとうございました。
6. 神様の真の愛と「天地人関係」の回復
6.神様の真の愛と「天地人関係」の回復
日付:二〇〇三年二月六日
場所:韓国、ソウル、蚕室室内体育館
行事:真の父母様御聖誕記念式
尊敬する前職、現職の国家元首、世界から集まってこられた宗教界、政界、学界指導者、百八十九ヵ国の代表、国内外の高名な各界代表と平和大使、各宗親代表、そして紳士淑女の皆様。私の満八十三歳の誕生日と韓鶴子総裁の還暦を祝賀するために集まってくださった皆様に心から感謝申し上げます。何よりもまず、この日まで私を守ってくださり、共にいてくださった神様に、このすベての栄光をお返しいたします。
神様を抜きにしては説明することのできない私の生涯であるがゆえに、この意義深い場を感謝しながら、「神様の真の愛と『天地人関係』の回復」という題目でみ言をお伝えしようと思います。
人類は歴史的に、神様や絶対者について多くのことを語ってきました。様々な賛美や頌栄を捧げ、また一方ではむやみに批評したりもしてきました。「神様はいない」、「神様は死んだ」と極言したりもしました。それにもかかわらず、神様は、ただの一度も「私はここにこのように生きている」と直接的に現れることをされませんでした。
また、「科学と技術の発達が高度化すれば、神様を信じる人はいなくなるだろう」と予言した人も大勢いました。
しかし、現代社会においても、信仰者は依然として減っていません。神様は、生きていらっしゃる万有の根源者であられ、創造主であられ、人類の真の父母であられます。
私が発表し教えてきた神様は、漠然とした神様ではありません。いち早く、少年時代から人生と宇宙について苦悶してきた私は、十六歳(数え)の時に神様を体感し、その時から今まで、生活の中で交流してきました。
生死の境界線を行き来する険しい私の生涯を支えてくれた原動力は、正に生きていらっしゃる神様との約束と絶対信仰です。私は、霊界の隅々を渉猟し、そこにいる五大聖人と数多くの賢哲と会い、私の天的な使命に対して彼らの公認を受けました。
皆様。このように神様は厳存され、人類の真の父母であられるのです。神様は、私たちすベての生命の根源者であられ、すべての人が関係を結ばなければならないお方です。そして、私たちが訪ねていく霊界も、既に存在している世界だということをはっきりと知らなければなりません。私は、歴史に例のない「神様会議」を数度にわたって主導してきました。
一九八〇年代、各宗教団体の代表者と最高位の神学者、宗教学者を参席させた三度にわたる会議は、宗教界に大きな反響を巻き起こしました。これらの会議を通して私が指導しようとした要旨は、第一に、各宗教は、それぞれの特殊性をもちながらも、それよりもはるかに多くの共通の底辺をもっていること、第二に、宗教人相互間の葛藤と不和は、信仰者たちの偏狭が主な原因であって、決して絶対者のみ旨ではないこと、第三に、神様は、信仰や儀式よりも、愛の実践をより願っていらっしゃるお方だということ、この三点です。
この時に発表された論文と会議の記録は、現在、各宗教団体の最高神学教育課程の教科書として活用されています。高い垣根が築かれていた宗教団体間の対話と協力の気運が、この時から本格的に開かれ始めたのです。それ以降にも、毎年多くの予算を投入しながら、各種の宗教連合運動と超宗教平和運動を全世界的に展開してきました。
二〇〇二年十二月二十六日から三日間、アメリカのワシントンDCにおいて、私は新たな次元の神様会議を開催しました。「神様と平和世界」を主題として開かれたこの場に、世界各地から宗教指導者だけではなく、世界各地から、政界、学界、言論界、財界、文化芸術界、NGO代表等、三百十二人が集まりました。
神様は、信じる人だけの神様ではありません。万民の神様です。また、今この時は、漠然とした神様ではなく、より明確な威容と主管権をもって万民の前に立っていらっしゃる神様を悟らなければならない大転換期です。神様を無視しては決して解決できない個人的、家庭的、国家的、世界的問題の渦の中に埋もれている現代人だということを自覚する時です。
この会議には、三百十二人の世界的指導者が集まり、第一に、真の父母、真の師、真の主人であられる神様と実体の真の父母を、個人、家庭、国家、世界の縦的な絶対価値の軸として立てること、第二に、神様のみ旨を完成することを、霊界において五大聖人と賢哲たちが決意し、一致団結して地上を協助するため、それに歩調を合わせて協力すること、第三に、平和理想の実現のために、真の愛の実践運動や国連刷新運動等、真の父母様が計画することに積極的に参与し、教育し、推進すること等を内容とする決意宣布文を発表しました。
宗教を信じる目的は、本来の神様と本然の国を取り戻すためです。宗教という言葉は、人間だけを中心とした言葉ではありません。神様を母体とした最高の教えが宗教です。神様と関係を結び、神意に従って生きる生き方を身につける過程があるのです。したがって、聖人は、天意に従わなければならず、天情を紹介しなければなりません。真の宗教は、神様について教えてあげなければなりません。真の宗教は、漠然とした神様を紹介するのではなく、神様に対する認識をはっきりと強固に植えつけてあげることができなければなりません。世の中と妥協する宗教は、高次的な宗教だと言うことはできません。そのような宗教は、結局は衰退してしまうようになります。真の宗教は、人が神様を正しく求め、神人が一体となる本然の世界に帰っていくことを教えなければなりません。宗教を信じるのは、罪のない世界、神様と本然の関係を結んだ理想世界を求めていくためです。
神様が求めていらっしゃるのは、宗教界ではなく理想世界です。宗教の目的は、宗教自体の教えを通した世界ではなく、神様の理想を通した世界です。ここにおいて問題となるのが創造理想です。神様が創造されたので、創造理想を明確にすることはとても重要なことです。
それでは、神様のみ旨とは何でしょうか。創造理想を完成することです。神様がエデンの園で人間始祖アダムとエバを通して成し遂げようとされた創造理想とはどのようなものだったのでしょうか。真の愛の本体であられる神様は、愛のパートナーを必要として創造をされました。人間は、神様の真の息子、娘としてつくられました。神様の真の愛の理想を成し遂げるためです。彼らは、真の男性と真の女性として成長し、真の夫婦となって真の家庭をつくり、理想的な国と世界を形成するのです。
別の言い方をすれば、神様の真の愛を中心として、理想的な家庭、さらには理想的な世界を完成するのです。しかし、人間始祖の堕落によって、この創造理想は崩れてしまいました。したがって、宗教の目的とは、一人の真の人を取り戻すことであり、真の家庭と真の国家と真の世界を取り戻して、万民が平和に生きていくことです。これが正しく、神様が地に対して摂理される目的なのです。
宗教は、このように善の世界を追求してきました。しかし、その善の世界は、善の国が現れなければ成し遂げることができません。善の国は善の民族が、また善の民族は善の氏族が、そして善の氏族は善の家庭が先になければなりません。ですから、善の家庭を築こうとすれば、先に善の男性と善の女性がいなければなりません。アダムの堕落以後、イエス様の時までの四千年間、イスラエルの歴史は、外的には、世界を取り戻す歴史でしたが、内的には、真の息子、アダム一人を取り戻す歴史でした。堕落によって、神様の愛を中心とした生命と血統を受け継いだ息子、娘がいないことが神様の恨です。
神様が、愛と生命と血統の主人として再び造られ、この世の中に送られるお方が救世主です。観点によって、救世主、メシヤ、再臨主、真の父母と様々に表現されることもあります。この世のすべての人々を貧困と苦痛、戦争と罪悪から救ってくださるという観点では救世主として、また絶対者の救援のみ旨を中心として、すべての宗教人を生命の道に連結させる仲保者という観点ではメシヤとして、また第一イスラエル、第二イスラエルと続いてきた神様の主流復帰摂理という観点からは再臨主と呼ばれてきました。救世主、メシヤ、再臨主、これらの名称は、主に救援と復帰過程に焦点を合わせて呼ばれてきたものです。
偽りの父母、偽りの先祖と因縁を結んで生まれ、罪悪と葛藤の中で生きてきた堕落人間は、堕落直前の段階にまで復帰されることによって、すべての所願を成し遂げることができるのではありません。
神様のみ旨も、人間の本性の所願も、創造理想を完成した本然の理想的な人間となり、理想世界を成し遂げることです。それは、神様の愛の理想を完成した個人として生まれ変わったのち、真の愛の夫婦となって真の父母になることです。
そのために、神様の真の愛、真の生命、真の血統の始原である真の父母が絶対的に求められるのです。このように、神様の救援摂理完成のためには、男性として一人で現れる救世主、メシヤ、再臨主ではなく、神様の真の愛を完成した典型としての真の父母のお二人をお迎えしなければならないのです。
神様が、先に造られたアダムのあばら骨で、その永遠の相対であるエバを造られたように、神様の息子、復帰されたアダムが先に来てエバを復帰、再創造することによって、真の愛の理想を実現し、真の父母の位置を完成しなければならないのです。人間の真の愛と真の生命の源流がその中にあり、理想的な男性像、女性像の標本がその中にあり、理想的な真の夫婦と真の父母の標本が、その真の父母様の中にすべてあるのです。
人類の罪悪と苦難が、堕落した先祖の偽りの愛によって実を結んだ偽りの父母、偽りの先祖に由来しています。したがって、堕落の因縁から解放され、理想を完成することは、来られる真の父母様を通してのみ可能です。人類が宗教を通して求めてきたものも、世界が待ち望んでいるものも、神様の愛の理想を完成する真の父母です。
宗教は、人間を「改造」する道だと言うことができます。堕落がなければ、宗教は必要ありません。堕落によって心と体が闘っている人間を、永遠に闘わない平和な存在に、また神様の実体対象に改造しようとするのが宗教です。すなわち、神様に似た本然の人格に変えるのです。
私たちの心と体を見たとき、体は悪神サタンの基地になっており、良心は神様の基地になっています。一般的に、体が心を引っ張り回すのです。宗教は、心を引っ張り回す体を打って、弱めさせようとするものです。宗教の教えは、体が最も嫌うものを提示します。「断食しなさい。奉仕しなさい。犠牲になりなさい。祭物になりなさい」と言って、義のために苦行の道を歩み、生命を捧げることまで要求します。
聖書において、「自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである」(ルカ一七三三)という逆説的な論理で教えていることも、肉身が要求するとおりに生きれば、死亡世界である地獄に行くのであり、肉身を抑えて良心の解放圏をもてば、永生の天国に行くということです。
心と体が統一されずに闘う人は、統一された神様の愛の理想世界に適応することができません。一般的に、宗教をもつことによって天国や極楽に行くといいます。しかし、天国は、神様の真の愛を中心として、心と体が一つになった子女が入っていくようになっています。
堕落した世界の愛は、主に自分自身を中心とした愛ですが、それは、心ではなく体に関係しています。堕落した体は悪魔の舞踏場になっています。本心は、神様に代わる主体、すなわちプラスの位置にいるのですが、体は、もう一つのプラスとなって本心を籠絡(ろうらく)しているのです。これを正さなければなりません。この目的のために神様がつくられた修理工場が宗教です。心と体が永遠に一つになった人、完全な人格に正す修理工場なのです。
ですから、宗教においては、休まずに祈祷し精誠を捧げることを教えています。悪魔は、体を横的な舞台として、二十四時間休まずに活動しています。神様は、縦的な基準に立っていらっしゃるので、縦的な心を通してのみ役事(働き)されます。心が、横的な体の強い作用に引っ張られていかないようにするためには、心自体が垂直の位置で精誠を捧げることによって、神様から三倍も四倍も力を受ける必要があります。このような精誠の生活を三年から五年行えば、心が体の環境的、習慣的影響力から自由になることができるのです。
尊敬する指導者、そして紳士淑女の皆様。宗教生活は、してもよく、しなくてもよいという選択の問題ではありません。堕落人間は、サタンを中心とした偽りの愛と偽りの父母の因縁から生まれてきたので、誰もが例外なく修理工場である宗教を経て、必ず真の父母様と出会い、真の愛と真の生命の関係を結ばなければなりません。
ここで、一つ重要な事実を知らなければなりません。修理工場に訪ねていくのは、そこに永遠にとどまろうということではなく、再生して出てくるためだという事実です。宗教生活は堕落人間の必須課程ではありますが、宗教生活自体が人生の根本的、総体的な目的ではないというのです。人生の究極的な目的は、宗教生活を正しく履修し、模範生として卒業して、創造本然の人間として生活することです。
堕落ゆえに生じた宗教ですが、その宗教の中に埋もれて生きることだけが人生のすべてでしょうか。堕落していなければ、本然の人間はどのように生きていたのでしょうか。本来人間は、神様の子女として、真の愛の理想のもとで真の家庭をつくり、一つの世界を形成して、自由、平和、統一、幸福の天国生活をするようになっています。
神様は、宗教を通じて修理され再生された子女に出会うために、人間を創造したのではありません。罪を悔い改めながら葛藤の中で苦悩している子女を見ることを願う父母がどこにいるでしょうか。まして、創造主であられ、全知全能であられる天のお父様が、御自身の子女を、苦痛の中で罪を犯して生きるようにさせることが本来のみ旨でしょうか。堕落世界は、神様が計画された本来のみ旨ではありません。人間始祖が神様に背くことよって、本然の構想が成し遂げられなくなったのです。絶対的な神様であられるので、そのみ旨も絶対的です。神様は、再びそのみ旨を成就されます。それで、神様の救援摂理は、復帰摂理であり再創造摂理です。
宗教は復婦摂理のための機構です。人間は、真の父母様と出会って宗教生活の過程を履修するだけではなく、神様の子女となって、生活の中で父子の関係をもって神様に侍って生きる生活信仰の世界に飛躍しなければなりません。長い歴史の中で、人間は誰もが宗教生活を卒業しなければならないという、この貴い真理を明らかにした人はいませんでした。早くから神様のみ旨を知った私は、教派や宗派を創設しませんでした。
神様の摂理の中心宗教であるキリスト教が、私の教えである天道を受け入れなかったことによって、私が初めてつくった組織が「世界基督教統一神霊協会」でした。教派でも、宗派でもなく、「協会」です。宗教界が継続して不信し、計略を巡らせて迫害しながら、無条件に異端だと規定して顔を背けたにもかかわらず、私たちの集まりが大きくなっていったため、世の中が私たちの長い公式名称の代わりに「統一教会」と呼ぶようになり、そのために「統一教会」になってしまいました。
しかし、私は、数十年前から私たちの教会の看板を下ろす日を望みながら、その事実を予告してきました。一九九六年に教会の看板を下ろし、「世界平和統一家庭連合」として出発しました。
これは、人類史における重大事件です。偽りの父母から受け継いだ罪のくびきをかけ、苦難と葛藤の中で、悔い改めと祈祷の信仰生活を通してのみ神様を求めてきた人類が、真の父母から祝福を受けて重生し、真の愛の生活の中で神様に報告して生きる世界に変わる、天地開闢が始まったのです。
これまで私が、天命に従って真の父母の使命を果たしながら、地上だけではなく霊界の垣根も崩し、地上と天上に祝福の恩賜を自由に下してあげる時までの過程は、誰も知ることができません。歴史の中で、偽りの主人として振る舞いながら、人間を管掌し、神様に逆らってきたサタンを屈服させることが簡単なことでしょうか。サタンが公認しない立場では、真の父母の位相を立てることはできないのです。
サタン主管下の死亡圏にいる万人に、真の父母が管掌するとおりに祝福の特権が及び、霊界にいる霊たちや地上人が真の愛の生命圏に転換される奇跡の時代が開かれたのです。
満場の紳士淑女の皆様。今訪れてきた天運と共に、人類は、宗教生活を履修し、真の愛の祝福を受けて真の家庭をつくりながら、神様の真の子女として生活しなければなりません。地上で祝福を受け、このような真の愛の生活をした人だけが、永遠の本郷である天上の理想世界、すなわち神様の国に入っていくことができるのです。
霊界に行く時に、何をもって行きますか。お金ですか。権力ですか。知識や名誉ですか。これらは、この世のものなので、超越した世界に行く時は、すべて置いていかなければなりません。これらは、永遠な本質の世界であるその世界では何の役にも立たず、もっていくこともできません。
霊界は愛の世界であるがゆえに、地上で体恤した真の愛、特に天地父母から許諾された真の愛の生活内容が最も貴く認定される世界です。どうぞ霊界をより深く学び、祝福家庭としての生活を通して、真の愛を完成する神様の子女となってくださることをお願いいたします。
私の教えは、人から学んだことを根拠とするものではありません。また、私は、一般教訓的な次元の教育や慣例的な教育はしません。神様と天道に根源をおいた生命のみ言を直説的に訓導しているのです。
私の真の父母の使命が神様の下さった使命だとすれば、きょうこの時間、皆様が私と結ぶ関係がとても意味深く、貴重な関係になることを知って、心の深い所に刻んでおかれるのが良いと思います。神様の祝福が皆様と皆様の家庭、そして皆様の公道の上に共にあることを祈りながら、この場を終えたいと思います。ありがとうございました。
7. 平和世界実現のために
7.平和世界実現のために
日付:二〇〇三年二月六日
場所:韓国、ソウル、ロッテホテル
行事:真の父母様御聖誕祝賀晩餐会
尊敬する前現職国家元首、世界から集まってこられた宗教界、政界、学界の指導者の皆様、そして外交官と国内の高名な指導者の皆様。皆様が収められた世界平和のための首脳会議の実績をまず祝賀し、きょう私と韓鶴子総裁の生まれた誕生日を各方面から祝ってくださったことに対して、深く感謝申し上げます。このすベての栄光を、この日まで私を守ってくださった神様にお捧げします。
この意義深い席で、平和世界実現のための私の所信を皆様と分かち合おうと思います。世界平和を願う前に、宗教団体間の理解と宗教人相互間の和解が、今日のように切実な時はありませんでした、宗教の貴重な教えは、人類歴史を明らかにしてきた知恵の根本です。ところが、宗教人たちは三つの弱点をもっています。
第一に、彼らはとても来世的であり非現実的です。第二に、彼らは偏狭的であり党派的です。第三に、彼らは狂信的になりやすいのです。宗教指導者たちは、開かれた心で万人を包容しなければなりません。すべての宗教人の真の責務は、人間の多くの境界線、さらには宗教自体の障壁までも乗り越えることです。
宗教は、宗教自体の勝利や信徒たちだけの救援のために存在するのではなく、神様のみ旨を果たすために存在するものです。決して偏狭的であったり自己満足的であったりしてはいけません。愛する心をもって生きていくときには、すべての障壁が崩れていきます。偉大な宗教の創始者たちはこの点を理解し、このような理想を実現しようとしました。
神様は真の愛の本体です。真の愛は無条件的にために生きようとするその属性上、必ず相対を求めます。神様が創造した動機についても、また創造した目的についても、ここで正しい理解が求められるのです。このように神様は、御自身の真の愛の相対として被造世界を創造されたというのです。その中でも人類は神様に最も近い愛の相対、すなわち子女として造られました。最初の人アダムは、個人だけでなく、真の愛の家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙の始原なのです。
神様の創造理想は、一つの真の愛の主管圏内で相対のために生きる和合統一の理想でした。人間の先祖はこの真の愛の理想を完成する前の成長期間に神様に背き、偽りの愛によって堕落してしまいました。そして、神様と人間の間に葛藤が起こるようになりました。神様とサタン、人間とサタン、そして人間相互間に対立と闘争が起こるようになったのです。この地球上に数多くの国があったということは、数多くの闘争があったことを証明することでもあります。
このような闘争の起源を乗り越えていける運動を展開するところにおいてのみ、理想世界に向かう出発点を探し出すことができます。葛藤と闘争を解決する方法は、利他的で犠牲的な愛、すなわち「他のために生きる人生」です。神様の理想国家の実現は、怨讐を愛する思想をもった個人から出発します。怨讐に勝つ秘訣は、腕力を通じてではありません。怨讐まで抱く真の愛の力を通じてのみ可能です。
豆を植えれば豆ができ、小豆を植えれば小豆ができ、赤い花の種を植えれば赤い花が咲きます。同じように、怨讐を討つ悪魔サタンの種を蒔けば、怨讐を討つ悪の木が育ちますが、怨讐を愛する善の種を蒔けば、怨讐を愛する善の木が育つのです。怨讐を愛する精神をもった人々で構成された国が出てくれば、その国が神様の願う理想郷になり、人類が入ることができる理想的なモデルになることができます。
去る三十年以上の間、私は休むことなく家庭崩壊、性的な非道徳性、青少年の退廃、道徳的堕落、そしてキリスト教の衰退などのアメリカの問題を解決するために至誠を尽くして働いてきました。私のこのような努力にもかかわらず、キリスト教徒を含む多くのアメリカ人は、私がする仕事を誤解し、迫害し、投獄までしました。私に対して虚偽的な誹謗と否定的な態度を貫いてきました。しかし、私は憎悪や怨恨の感情にとらわれることを拒否し、迫害者のために変わることなく与える愛の人生を生きてきています。
私は、どのような事情のもとでも、神様の愛とみ旨を心情の深いところで最も大切に守ってきました。このような理由のため、時間がたつとともにアメリカ人、特にキリスト教徒たちで、私の教えと生活の価値を新たに悟る人が多くなり、彼らの心境に変化が訪れていることを見るようになりました。
私は公式的な演説で、「キリスト教徒が、彼らの真の根である神様のみ旨を果たすための使命に応えなければならない!」と直接的に語ってきました。キリスト教徒は、彼らの生活方式と態度を変えなければなりません。キリスト教の創始者は「怨讐を愛しなさい!」という原理を教えました。もしキリスト教徒がこのような根本原理を実践することに失敗すれば、彼らには衰退する道しかないのです。そのようになれば、彼らはイエス様の教えと自由の神聖な法則から離れるようになるからです。
一方、イスラームと他の宗教の指導者たちも、道徳的な面で、そして他のために生きて愛するときに高次元の愛を実践できれば、彼らの怨讐も、外的な力によってではなく、それよりさらに偉大な真の愛の力によって屈服するはずです。私は、西欧社会の指導者たちに、世界に散在している十三億のイスラームの信徒、また三十四億のアジア人と宗教人、それ以外の他の宗教人を無視したり見過ごしたりしてはいけないと常に語ってきました。
もしアメリカがこの巨大な人類家族構成員の存在意味を理解することに失敗すれば、どうしてアメリカが私たちの子孫のために、より良い未来を構築し、平和世界を成就できると期待できるでしょうか。同じ理由から、イスラム世界や他の宗教人たちもまた、どうして西欧社会とキリスト教文化を見下したり、その大切さを見過ごしたりすることができますか。私たちが互いを無視したり拒否したりすれば、私たちには、いかなる希望もないのです。すべての宗教指導者は、他の宗教と社会を包容する高い愛を実践する汎世界的な運動を引っ張っていかなければなりません。これが正に、すべての宗教創始者の崇高な教えです。
神様のみ旨と歴史の要求する方向はどこですか。神様の究極的な理想は、宗教と人種と国家を超越して、真の愛で平和統一された世界、すなわち「人類一家族」を形成することです。神様の目標は、ある一つの宗教や一つの理念の勝利ではなく、全人類が平和と統一と幸福の中で生きていく愛の世界を実現することです。
現代社会が技術的、物質的発展によって統一化されていく外的な趨勢の前で、人類が内的な和合統一を成し遂げるように導くのが宗教の役割です。宗教がこのことの先頭に立って模範を示さなければなりません。宗教界の和合と協力を成し遂げることは、遅らせられない歴史の要請であり、神様の神聖なみ旨です。それができなければ、宗教は衰退します。
私は生涯、私が体恤して経験した神様の心情と願われるみ旨を教育してきました。私の教えは決して思弁的な理論ではありません。神様は生きて役事していらっしゃいます。ただ人間は、堕落によって本然の位相を失ってしまい、神様を完全に感知できないまま罪悪と紛争の中で生きてきました。
全能で完全な神様であっても、その前にふさわしい相対がいなければ、御自身の全能性を示現させることができないのです。人間始祖が神様に背いて以後、神様は御自身が相対する善の基台を失ってしまい、したがって善の絶対的な能力が現れることがないまま歴史が進行してきたのです。
神様は、人間を原状回復させることによって、御自身の位相と天意を回復する摂理をされるのです。神様は人間始祖が成し遂げられなかった真の愛、真の父母、真の家庭の理想を回復するための使命者として、第二アダム、第三アダムを立てながら摂理されるのです。私がかつて神様の召命を受け、真の父母の使命を果たしてきた背後には、このような摂理的な事情が連結されています。
尊敬する指導者の皆様。今、私の預言的な宣布に深い関心をもってくださるようお願いします。人類は歴史的な転機を迎えています。今までは見えず、無力で存在しなかったかのよう思えた神様の権能が、人類の生活の中に示現する時になりました。万象と宇宙に厳存する神聖な秩序と合法の主人である神様の絶対権を、人間が自分の日課の中で体得する驚くべきことが起きる時になったというのです。歴史に通じる神様と真の父母様、そして義人たちの犠牲と無条件的な愛の実践基盤の上で成し遂げられた神様の善の相対基台が、堅固に造成されたために可能となった、奇跡のようなことです。
そして、人類は今後、次第に神様を感知し、霊界と霊人たちの役事を知るようになります。人々が自分たちの内なる人である霊人体を自覚し、霊性が啓発されるのです。このようにして、人間は自然に宇宙の公法を体得し、確かな人格変化を起こし、真の人になることができます。これを通じて人類は、宇宙の存在秩序と人間の関係が、利己的、自己中心的になっているのではなく、利他的に他のために生きるようになっていることを学ぶでしょう。
神様の創造本然の平和理想は統一理想です。相対理想となっている存在世界自体が調和統一を前提としているのです。相対を度外視したり、不幸にさせたりして成し遂げられる平和理想はありません。上下、前後、左右の関係や霊界と地上世界がすべて相対のために生きる真の愛の理想で調和統一を成し遂げるとき、完全な平和が実現します。したがって神様の喜びと幸福も、その相対である人間の喜びと幸福を同伴しながら成就するようになっています。
また、すべての存在の個体目的は、より大きな全体目的、すなわち公的目的のもとで成就するようになっています。すべての宇宙秩序は、このように二重目的の連体として大きな調和統一を成し遂げるようになっています。ところが、堕落により神様に背いて無知に落ちた人間は、堕落性である利己的欲望の主管下で本然の存在秩序に逆らって生きてきたのです。
公的なことよりは私的なこと、全体目的よりは個体目的を先に立てて生きてきました。その帰結は明らかです。永続的な自由と平和と幸福が保障されることはありません。外的な力と物質と自己中心の享楽を追い求めながら葛藤と対立の中で駆けてきた人間は、今、悲惨な不幸の泥沼をさまよっています。今こそ人類が自己省察をして天から来る声に耳を傾けなければならない時です。
摂理的な恩恵により、生きていらっしゃる神様が私たちのすぐ近くに来ていらっしゃいます。今からは人類がかつて経験してみることができなかった霊的な経験、すなわち超越の世界と交流を多くするようになるでしょう。
頻繁に起きる霊的役事によって人類は直接間接的に大きな影響を受けるようになるでしょう。
特に神様と善霊の役事による感化を経験した人間は、神様を中心として霊性の啓発とともに決定的な人格変化を起こすようになるでしょう。このように、天道にふさわしい人格に変わった人が、すなわち神様が願われた真の人です。
私たちは、怨讐を愛する真の愛を実践し、霊界を正しく知る真の人となり、真の父母となって、真の家庭をつくらなければなりません。平和世界の基点はここにあります。神様が願われる理想国家の基点がここにあるのです。
自分を真の愛の実体として立て、和睦する理想的な家庭生活を経験できなかった人に、幸福と平和を謳歌しながら生きる理想的な国家や理想的な世界はありません。神様が願われる理想的な祖国は、怨讐を愛する道、すなわち個人の怨讐を愛し、家庭の怨讐を愛し、氏族の怨讐を愛し、国家と世界の怨讐を愛する伝統を残しておく道を通して訪れてくるのです。
多くの人々は、国連が世界の問題を解決し、平和を実現してくれることを希望しています。しかし、国連はこれまで、制約もありましたが、その活動で宗教と霊性の重要性を見過ごすことにより、さらに影響力が弱化せざるを得ない道を自ら招きました。
国連が現実問題を分析し、また解決を試みるとき、一方にだけ偏ってきた結果です。これが続けば、国連は本来の創設目標を決して果たすことができなくなり、その存在を認めてもらえなくなるでしょう。平和世界実現の理想に包括的、根本的な面から接近するために、国連に超教的代表者たちの議会を併設することを再度提唱します。
この時、代表たちは、その宗教の創始者たちが実現しようとした最も貴い理想を実践すべきですが、模範となる真の愛の人格と知恵をもってしなければなりません。多くの指導者は、この点を深刻に考慮して、国連内に上院のような協議体を構成する努力を継続してくださるようお願いします。
私は、神様の真の愛のみ旨である、天上と地上に一つの国を形成するために生涯を忙しく駆けてきました。これまで、宗教界だけでなく、政界、思想界、学界、財界、言論界、およびNGO(非政府機構)の指導者たちに、「他のために生きる人生」を生きるべきであると指導してきました。
理念的な教えだけでなく、私が先に立って模範を見せる実践を通して指導してきました。このような私の世界的な基盤の上に「世界平和超宗教超国家連合」を創設し、世界的に「平和大使」を任命しました。利他的な真の愛の実践生活の手本を見せながら、対立し葛藤する境界線を越えて、調和統一の世界を成し遂げていく指導者を養成するためです。また、世界各国で平和運動と奉仕運動を展開する拠点として、また超宗教連合が主張するビジョンと普遍秩序を指導し実践する教育の場として「平和大使館」を建立しています。
指導者の皆様が、皆様の家庭と国を真の愛で新たに創建してくださるようお願いします。さらには、真実で永続的な平和世界、神様が願われる国境のない地球星を成し遂げるために努力する、「世界平和超宗教超国家連合」のビジョンを支持してくださり、共に働いてくださることを希望します。今回の会議で皆様の経験が生産的で自らを鼓舞するものとなり、平和世界の実現が早まることを祈りながら、お話を終わらせていただきます。ありがとうございました。
8. 神様の祖国と平和王国
8.神様の祖国と平和王国
日付:二〇〇四年一月二十七日
場所:韓国、ソウル、蚕室室内体育館
行事:真の父母様御聖誕祝賀記念式
尊敬する前現職の国家元首、世界各国から来られた指導者の皆様。そして、国内外の貴賓の皆様。私の八十四回目の誕生日と韓鶴子総裁の誕生日を祝賀するために来臨くださったことを心から感謝申し上げます。何よりもまず、きょうまで私たち夫婦を守り、共にいてくださった天のお父様に、このすベての栄光をお捧げいたします。
私たち夫婦は、かつて神様からの召命を受け、生涯を神様のみ旨を成就してさしあげることに捧げてきましたので、神様を抜きにしては私たちの誕生日の祝いも受けることができません。したがって私はきょう、「神様の祖国と平和王国」という題目のみ言を私の挨拶の言葉に代えさせていただきたいと思います。
皆様、人間始祖のアダムとエバが堕落していなければ、どのような世界になっていたと思いますか。アダムは、その家庭の長になっていたはずであり、その民族の族長になっていたはずであり、その国家の王になっていたはずです。その世界は、アダム主義で始まり、アダムの伝統、アダムの文化、アダムの生活様式だけが存在するアダム世界になっていたはずです。その世界は、正にアダムの祖国であり、神様の祖国になっていたはずです。
しかし、人類歴史は、不幸にも堕落した先祖から始まりました。神様とは無関係なサタン主管の世界に転落してしまったのです。神様を父母として侍り、永遠無窮の平和王国を築いて生きていくべきだった人類が、悪の本体であるサタンの奴隷となり、罪悪と苦痛の世界で、神様の胸の中に恨を植えて生きてきたのです。
皆様お一人お一人の生活について一度考えてみてください。創造主の意向とは反対に、私たちの心と体は、絶えず葛藤と闘争を繰り返しています。歴史上、心と体の完全統一を達成した人がいたでしょうか。また、皆様は、六十億を超える今日の世界において、果たして体を心に一〇〇パーセント屈服させ、心の道のみに従って生きている人がいると思われますか。
そして、今日の社会と国家はどうでしょうか。個人の心と体の間に根を下ろした葛藤と利己心の壁は、社会と国家の間にも難攻不落の要塞のように強固に立っています。お互いに兄弟姉妹となって暮らさなければならない人種間の紛争は、今も世界平和を脅かす深刻な問題として残っています。
人間の霊性を回復させて重生救済のみ旨を達成し、人類を神様に復帰させなければならない宗教までも、その本分を忘れたまま、偏見と葛藤の沼から抜け出すことができず、今では、その度を超して殺戮と戦争の要因になっているという現実を、私たちは目撃しています。
人間の本心が指向するところはどこでしょうか。数えきれないほど多様化した様々な壁と国境の中に閉じ込められ、思いどおりに息もできずに暮らすのが私たちの望みでしょうか。違います。私たちが願うその世界は、東西南北、四方のどこを見渡しても境界線がなく、垣根のない自由の世界であり、平和の世界です。
私たちは、このような本然の祖国を願っています。神様が数千年間お待ちになった祖国であり、人類が歴史を通して願ってきた祖国です。祖国と言えば、もちろんある特定の国家的な基準を前提に語ることもできますが、その本然の祖国は、私たちが簡単に考えるそのような国ではありません。
一つの国を建てるためには、主権と国民と国土が必要です。人類歴史を調べてみれば、数多くの国が興亡盛衰を繰り返し、数多くの主権が交代しながら、多くの命を犠牲にしてきたという事実を発見するようになります。その多くの殉教者たちは、ある一時に現れる本然の祖国を希望として死んでいったのです。
そうかといって、アメリカや韓国のようなある特定の国家だけが、彼らの願う祖国になることはできません。そこは、共産主義も民主主義もない所でなければなりません。
その祖国には、どのような宗教も必要なくなるでしょう。皮膚の色の違いで人間の価値を判断しようとする愚かな過ちを犯す世界ではありません。私たちの心と体を分けて苦痛の中に押し込んだ人間一人一人の壁はもちろん、いかなる形態の境界線も、いかなる規模の国境も承諾されない所でなければなりません。
皆様。私たちがきょうも身を置いているこの地球星全体が、正に人類が何よりも願ってきた祖国であり、神様が数千、数万年の間、願ってこられた祖国だというのです。
今人類には、天が願う基準の世界国家を建て、今まで天のみ前に怨讐の行為ばかりを繰り返してきたサタンを審判し、悪を除去して善のみを中心とする平和の天国をこの地上に成し遂げておく責任があるのです。
これが正に神様の願いであり、イエス様の願いであり、今まで摂理路程において殉教の道を歩んでまで貢献してきた先祖の願いだったことを、私たちは忘れてはいけません。
しかし、そのような理想の世界は、自動的に訪れるのではありません。願ったからといって、誰もが自力で成就できるものではないのです。堕落の後裔である私たちは、祝福結婚を通して新しい血統を伝授され、真の愛の道を実践躬行しなければ不可能なことです。真の愛の生活とはどのようなものでしょうか。
それを一言で言うならば、「ために生きる人生」です。人が自分のために生きてくれることを願う前に、先に人のために生きる人生です。ために生きてあげたことを忘れてしまう人生です。
ために生きてあげたからといって、何かを期待する人生ではありません。そして、ために生きてあげても、もっとために生きてあげることができずにもどかしく思う人生です。ために生きるにおいても、謙遜に頭を下げてために生きる人生です。
それで、イエス様も、「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」(ヨハネ一五・一三)と言い、「だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」(マタイ二三・一二)と言われたのです。全知全能であられる創造主の神様だとしても、御自身が立てられた創造原理を無視して、願うとおりに無条件に創造と破壊を繰り返すことはできないのです。
レバレンドムーンが、過去数十年間、祝福結婚の摂理を継続してきた理由が、正にここにあるのです。堕落した先祖から偽りの生命、偽りの愛、そして偽りの血統を相続した人間は、選択の余地もなく偽りの人生を生きてきたのです。
したがって、天から真の父母の使命を受けて出発した私たち夫婦は、生涯を捧げて、祝福結婚を通して偽りの父母の元凶であるサタンを除去し、真の父母として真の生命、真の愛、真の血統を人類に伝授してあげるために、天命を実践するという一筋の道を歩んできました。そして、私たち夫婦は、偽りの父母が植えつけものが偽りの血統だったために神様もどうすることもできないということを知ったのです。
私たち夫婦は、すべての蕩減条件を立てて勝利した実体の真の父母の資格で、野生のオリーブの木になってしまった人類の血統を断ち切り、真のオリーブの木を接ぎ木して、真の血統を繁殖させてきたのです。野生のオリーブの木は、千年たっても野生のオリーブの木です。このように接ぎ木を通してのみ、血統転換が可能なのです。
皆様。今、明るい天の時代が到来しました。希望をもってレバレンドムーンのメッセージを受けてください。一九六〇年度にたった三双から始まった祝福結婚の歴史が、今では四億双に至っています。
さらには、霊界には千二百億双を超える祝福家庭が暮らしています。真のオリーブの木の畑が野生のオリーブの木の畑を圧倒しています。この真のオリーブの木であるすベての祝福家庭たちが、真の血統によって一致団結して実践する「ために生きる人生」が、今全世界に燎原の火のように広がっています。この地上に、垣根や国境のない自由と平等の国、喜びと幸福の国、神様の祖国、平和王国がこのように成し遂げられるのです。
この目的のために、レバレンドムーンは、二〇〇三年十月三日、アメリカのニューヨークで「平和国連」を創設したのです。今この「平和国連」は、天地を揺るがす革命的な摂理的働きをしています。
六十億の人類を一人も残さずに教育して祝福結婚を受けるように導き、地球星の至る所が私たちの家であり、私の家となる創造本然の神様の祖国、すなわち私たちの祖国を創建しているのです。
私たちの目標は、既に設定されました。平和国連の旗幟(きし)は、既に高々とはためいています。勝利の喊声が世界各地で上がっています。
アメリカで、ヨーロッパで、エルサレムで、パレスチナで、韓国で勝利を重ねています。神様が私たちと共にいらっしゃり、霊界の聖賢たちをはじめとする大勢の義人、烈士たちが私たちと共に走っているのですから、不可能なことがどこにあるでしょうか。
信じる人に福があると言います。きょう、この意義深い日にこの場を借りて皆様にお伝えするこのメッセージを、胸の奥深くに刻んでくださることを願います。すべての方が、ぜひ祝福結婚の恩賜に同参(一緒に参加すること)され、血統転換の大革命を成し遂げてください。そして、皆様も、この地球星に神様の祖国を創建し、永遠無窮に平和王国を繁栄させる摂理の一線に立った堂々たる天の勇士となることを願ってやみません。ありがとうございました。
9. 神様の祖国と平和王国の成就のための摂理の道五十年
9.神様の祖国と平和王国の成就のための摂理の道五十年
日付:二〇〇四年四月三十日
場所:韓国、ソウル、マリオットホテル
行事:「世界基督教統一神霊協会」創立五十周年記念晩餐会
尊敬する国内外の貴賓、百九十一ヵ国の代表、紳士淑女、そして食口の皆様。きょうは、私が天意に従う道において、五十年前、すなわち一九五四年五月一日、初めて統一運動のための公式機構をつくって出発した意義深い日です。過去半世紀間にわたって開拓してきたこの道は、誰も理解できない、神様だけが動機となられた一本道であり、血と汗と涙に染まった迫害と苦難の道でした。
私が唱導したこの統一運動は、神様の願いが摂理史的な関係によって連結されているため、私は、過去五十年間、雪が降ろうと雨が降ろうと、一瞬も時代的使命と未来に対する責任を忘れたことがありませんでした。
きょうこの意義深い席で、私は、このように「統一運動」の動機となられた神様の根本趣旨が何であり、さらには、統一運動の帰結と目標が何かを明らかにしようと思います。
私は、教派や宗派をつくりませんでした。それが神様の願いではないことをよく知っているからです。五十年前、統一運動は、「世界基督教統一神霊協会」、すなわち統一のための協会として始まりました。世界のキリスト教の統一、さらには、宗教統一と霊界統一を標榜したこの名前自体が、実際にはとても大きな冒険でした。
キリスト教の伝統の定着とその文化圏の形成は、歴史的に模範となるキリスト教徒と指導者、そして学者の信仰と犠牲、情熱と研究によって成し遂げられました。それにもかかわらず、キリスト教は、現在数多くの教派に分裂して葛藤しています。このような状況下において、キリスト教の統一が簡単なことでしょうか。ましてや宗教統一、さらには霊界統一がどれほど大きな難題でしょうか。
私が主張してきた統一は、単に外的で形式的な概念の統一ではありません。神様の理想である根本的で完全な調和統一を意味するのです。第一に、これは神霊の役事によって成就される統一です。宗教と霊界の統一は、力や権力や、ある外的条件によって達成することはできないのです。神様が運行される基盤が地上に造成され、聖人が望んできた条件が成立すれば、神霊の役事が起きます。神霊を誘発できる力は神様と霊界にあります。
本来、人間の内なる人である霊人体は神霊の感応体です。しかし、堕落人間は、故障した霊人体をもったので、霊人と霊界の存在さえ分からずに生きてきました。これを修理して浄化すれば、万人が自然に神霊の役事を経験することができます。したがって人間は、霊界を必ず知らなければならず、そのような時が来つつあるのです。
私は、全生涯を通して、神様と霊界が支援する統一運動を展開してきました。神様を中心とする神霊の役事によって、心身統一、人間と人間の統一、霊界と肉界の統一、神様と人間の統一を成し遂げることができるのです。
第二に、真理と愛で統一を成し遂げます。これまで私は、神様と人間の関係が真の愛の父母と子女の関係であることを明らかにしました。そして、人生と宇宙、原罪と復帰の問題、霊界と摂理歴史全般に関する宇宙の普遍原理を天下に明らかにしただけではなく、真の愛を直接実践して教育してきました。
真の愛は、相対のために投入することです。真の愛は、相対が自分よりも優れていることを願うからです。投入してまた投入すれば、相対は自分自身よりもっと大きくなります。
しかし、真の愛は、その投入したことを忘れてまた投入するのです。これは、自分の利益と自分の位置をすべてなくす犠牲を意味します。ここで真の統一が成し遂げられます。したがって、利己心は、統一を成し遂げていくにおいて最も大きな障害要因になるのです。
過去五十年間、私は、完全に投入してきました。個人的にすべてのものを投入し、家庭的にすべて投入し、氏族的、民族的にすべて投入し、統一教団をすべて投入し、今でも世界と全人類のために絶え間なく投入しています。これらすべては、真の愛で完全な調和統一を成し遂げようとされる神様の創造理想を成就するためです。
正に神人愛一体理想が、人間に対する神様の願いなのです。人間が渇望してきた自由と平和、理想と幸福も真の愛の中で調和統一される時にこそ可能です。したがって、統一運動とは、すなわち真の愛世界化運動なのです。
無形の真の父母であられる神様は、真の愛の相対的存在を立てるために人間と万物を創造されました。特に、御自身の子女としてつくられた人間は、絶対愛の主体であられる天の真の父母にとって最も貴い相対です。したがって、人間の先祖は、無形の神様の体であり、聖殿であり、真の愛の実体対象なのです。
本来、アダムとエバは、神様の真の愛を中心として真の愛の人格体として成長したのち、真の夫婦となって真の子女を繁殖することによって、真の父母になるようになっていました。そのようになっていれば、彼らは、神様の真の愛、真の生命、真の血統の実体として完成していたはずです。
神様を中心にお迎えし、アダムとエバ、そして子女、このように真の愛の四位基台を完成していれば、神様は、真の愛の血統を継ぐ子孫をもつようになり、人間の理想家庭が定着するようになっていたはずです。
真の愛の属性は、自分より相対のために投入することだと言いました。したがって、神様には、御自身の対象としてつくられた人間が、罪を犯して地獄で苦痛を受けるようになるという概念はあり得ません。これは、すべて人間の先祖が真の愛の理想に逆らって堕落することによって、後天的に生じた結果なのです。本然の世界から追放された人間の先祖は、神様の真の愛の祝福の下で真の生命、真の血統の子女をもつことができませんでした。人類は、神様の真の愛、真の生命、真の血統とは関係のない存在として生まれるようになったのです。したがって、人間は、生まれる時から宿命的に救い主と救援が必要な存在になりました。救援は原状回復、すなわち復帰です。人間が堕落する前の原状に戻り、失ってしまった神様との関係を回復するのです。堕落人間は、必然的に蕩減復帰の道を行かなければなりません。したがって、神様は、時代と場所に合わせて宗教を立て、人類を復帰する発展的な道に導いてこられたのです。
宗教は、故障した人間を修理して原状に戻すための訓練所であり、修練教育院です。宗教の教えは、宗教自体のためのものではありません。人間を御自身の子女として教育し、再創造しようという神様のみ旨を成就してさしあげる道だからです。宗教がつくった制限された教理と儀式の中に、決して神様が入っていくことはできません。信仰を通じた教育と修養により、実生活の中で神様に侍ることのできる人格を養成することが宗教の使命なのです。
私たちが学校に入学すれば、所定の過程を履修することによって卒業しなければなりません。このように、教団が、伝道と宣教を通して信仰の道への入門を強調する以上に、個々人を教育、修練し、人格完成を通して生活信仰者として育成し卒業させることを、より一層重要視しなければなりません。
本来人間は、宗教と信仰生活を通して神様と関係を結ぶようにつくられた存在ではありません。本然の園には宗教はなかったのです。本然の神人関係は、信仰儀式の手順が必要なく、実生活において真の愛の幸福に酔いながら、理想的家庭を中心として暮らすことのできる真の父母と真の子女の関係です。
私は、初めからこのような天道と原理を、既存の宗教、特に神様が準備されたキリスト教の基盤を通じて教育、指導しようとしました。不幸にも無知と独善と教派主義によって神様の中心摂理は発展できず、むしろ迫害を受けました。そのような状況のもとで、私は、「世界基督教統一神霊協会」を立てて出発するしかありませんでした。教団の創設が目的ではなかったので、草創期から開かれた活動として、超教派的、超宗派的な運動をしてきました。世の中で私たちを指して、長い「協会」の名前の代わりに「統一教会」と呼び、通称「統一教会」になったのです。
以前から、私は、統一教会の看板を下ろす日を待ち望んでいると話してきました。神様の理想を地上に回復して再現することが統一教会の使命だからです。
神様が理想とする天国、創造本然の世界は、神様に背いた人類始祖の過誤を完全に清算し、超宗教超国家的な解放圏、釈放圏を完成して、本然の愛圏、四位基台理想を結実して初めて成就されます。それには、協会や教団自体の使命を超越し、真の愛の家庭理想を完成しなければなりません。しかし、従来の教会や宗教は、個人救援を目標とみなしてきました。今まで家庭救援に力点をおいた宗教はありませんでした。
家庭救援のためには、神様の真の愛の祝福を受けてこれを守っていかなければならない祝福結婚式が絶対的です。堕落した人間の先祖が成し遂げることができなかった真の父母の理想は、堕落した子孫が自ら成し遂げることはできません。神様が送ってくださる救世主を通してのみ可能なのです。
その方は、堕落した人間の先祖に代わって真の父母、真の先祖として来られるからです。人類の先祖が神様と無関係な偽りの血統によって繁殖させた堕落人間たちは、野生のオリーブの木の畑をつくったのと同じです。したがって、真のオリーブの木として来られる真の父母によって接ぎ木され、復帰されなければならないのですが、その儀式が「祝福結婚」です。
私は、純潔教育と真の家庭運動を世界的に実践した基盤の上に、一九九六年七月三十日、アメリカの首都ワシントンDCにおいて、多くの国家元首と世界最高位の宗教指導者を含む四千人以上が同参する中で、「世界平和統一家庭連合」を創設しました。そして、この日を期して、公式的に「世界基督教統一神霊協会」の看板を下ろしました。家庭連合の創設を通して、超宗教的、超国家的、超人種的に家庭救援摂理時代が開かれるようになったのです。旧約時代と新約時代は、理想家庭時代ではありません。個人救援だけが主な関心事である個人救援摂理時代です。
しかし、家庭救援時代は成約時代です。家庭が連合すれば、氏族救援摂理、さらには国家救援摂理時代に越えていくのです。実際に、堕落人間の宿命的課題である誤った血統を清算して所有権を転換し、心情を転換する祝福儀式の恩賜以上に大きな祝福がどこにあるでしょうか。天国は、特定の宗教の看板のもとで成し遂げられる所ではありません。宗教を超越された神様のみ前に、真の愛の父子関係を回復した人が、神様に侍り、真の愛に酔いながら暮らす所です。天国は、祝福を受け、真の愛の家庭を築いて神様に侍った人が、その一族と国と一緒に入っていく所です。
歴史を通じて、人間は、自分たちの解放と救援を求めて叫んできたのですが、それでは、神様の状況はどうでしょうか。神様は、解放が必要なく、常に喜びに酔っていらっしゃる方ですか。歴史的に罪と苦痛の中で呻吟する人間の姿を見つめてこられた父母として、神様の心情が解放の喜びを享受できたでしょうか。決してそのようにはできません。地上と天上に理想家庭と理想天国が成し遂げられる、その程度によって神様の心情も解放され釈放されるのです。そのようになって、初めて人間も真の愛の家庭生活を通して解放、釈放されるようになり、万物もまた、そのような人間を通じて解放、釈放され、さらには霊界も解放されるのです。
天国は、真の愛の本体であられ、生きていらっしゃる神様を中心として、子女である人間が喜びを共有しながら、情で感応し、呼応する真の愛の宮殿だと言うことができます。「世界平和統一家庭連合」が真の家庭祝福運動を世界的に展開してきたのは、このような超国家、超宗教、超人種的天国を実体的に成し遂げるためです。
尊敬する指導者と愛する食口の皆様。人類は、歴史を通じて理想世界、天国の夢を育ててきました。ところが、現実はどうでしょうか。現代社会は、家庭の崩壊と価値観の混沌の中で、フリーセックスと個人主義の王国になりつつあります。このような環境の中で、堕落した人間が中心になっては、正しい人生観と価値観を立てることはできず、さらには、正しい世界観と宇宙観も確立できません。したがって、個人と全体が完成して調和を形成するということに対しては、何の希望も期待できないのです。
二十世紀、多くの人々は、「共産」と「平等」によるユートピア運動に希望をかけました。この運動が世界を煽動し、揺るがしましたが、実際、共産圏の人々は、不平等と搾取、不幸と恐怖を経験しただけであり、この運動は失敗に終わってしまいました。
また一方では、「民主」と「自由」が最上の価値であり理想だとして、その体制を構築して夢を育ててきました。結果はどうでしょうか。これまた、人間の享楽的、利己的欲望をより一層刺激して、堕落と腐敗、不均衡と混乱の結果を生み、その未来が不透明になりました。
また、世俗的な「人本主義」や「主体思想」による理想世界の建設を叫ぶ運動もありますが、これもまた人間をして非人間化、動物化へと追い込んでいます。それだけではなく、「世界化」を主張してはいますが、これもまた自己中心に流れ、神様が願う縦的な絶対価値を確定することができず、横的な相対的価値観の混沌と葛藤の中で身もだえしています。したがって、人類は、共に幸福になることができる世界大家族への道とは無関係の立場で、自縄自縛の道ばかりを進んでいるのです。これらのことは、すべて人類が長い歴史を通じて、真の父母であられる神様を遠ざけてきた業報と言ӛ