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1.世界の中の韓国
1.世界の中の韓国
日付:一九七五年六月七日
場所:韓国、ソウル、汝矣島広場
行事:救国世界大会
敬愛する同胞の皆様。この場に参加された内外の貴賓、そして六十ヵ国から集まってこられた世界の統一教会信徒の皆様。この五一六広場(汝矣島広場)は歴史的な場所です。この歴史的な広場で、きょうまた一つの歴史がつくられる救国世界大会に御参加されました皆様に、厚く感謝申し上げます。
きょう、一九七五年六月七日は、私にとっても、また神様にとっても、歴史的な宣布の日となります。これまで、一つになるこの広場では、インドシナ事変に乗じて、虎視眈々と再び南侵を狙う北朝鮮の金日成主席を糾弾する大会が行われ、人々の喊声は既に天に達し、全天地を揺れ動かしました。安保総力のための決起大会も幾度かありました。
しかし、この救国世界大会は、二つの意味から唯一無二の歴史的な大会となるのです。その一つは、きょうのこの集まりが、国民の名と人類の名だけではなく、神様の名によって、北朝鮮の金日成主席を糾弾する大会なのです。そして二つ目は、この大会が、大韓民国の人だけが集い、韓国の自由と韓国主権の守護を決意するものではなく、人種、血統、言語、風習が異なる世界万邦を代表して、六十ヵ国から集まった一千人以上の代表たちが、ここに席を共にして、自由の韓国と全世界の守護を決意する世界的大会なのです。
この救国世界大会は、全世界が決起して韓国の自由守護のための決意を満天下に誇示する世界的祭典です。この世界大会の目的は、カンボジアとベトナムの赤化によって引き起こされた祖国の緊迫した情勢の前に、内的には、祖国安保の次元の高い実力を誇示して祖国を死守しようとする五千万韓国国民を総団結させ、外的には、世界の人々の行くべき方向と座標を立てようとするところにあるのです。
そしてその結果として、北朝鮮の金日成主席に対し、軽挙妄動して六二五動乱のような誤算と悲劇を再び招かないよう糾弾し、自粛するよう警告するところに、その意義があります。
皆様。共産主義とは何でしょうか。私たちは、共産主義が一九一七年、ボルシェビキ革命から始まり、過去半世紀の間に世界の半分を襲いながら、人類に対して犯してきた残虐無道な蛮行と罪悪の様相をあまりにもよく知っています。共産主義は恐ろしい悪魔の哲学であり、その実践は恐怖に満ちた犯罪と破壊力をもっています。
そして私たち韓国人は、世界中の誰よりも、彼らが敢行した犯罪の被害者として、彼らの悪辣さを体験したため、骨身にしみて知っているのです。私たちは、共産主義のゆえに誰よりも大きな犠牲を払った民族です。そしてこの瞬間にも、あの北方では千四百万の同胞たちが、悪の頭、共産主義の供え物となっているのです。しかし共産主義の犯罪は、これに尽きるものではありません。
きょう、私たちは共産主義を糾弾し、地上からその罪悪を一掃しなければならない、もう一つの重大な新たな理由を発見しました。それは共産主義が人類の敵である以前に、神様の敵だということです。共産主義は、政治や経済の思想体系である以前に、無神論に立脚した一つの宗教形態なのです。なぜならば、共産主義は人間の考えや哲学や行動を完全に支配するからです。それはただ宗教のみがもつことのできる力です。ところが、この共産主義は「神はいない」と語る宗教です。そして「神はいない」と言うだけではなく、その主義自体が、人間の思考や哲学や行動の中に、神様の代わりに登場し、人間を奴隷や機械のように扱っています。ですから、共産主義は、神様に挑戦する、許すことのできない怨讐です。神様をこの地上から抹殺してしまおうとする悪魔の宗教なのです。共産主義がこの地球上を完全に支配するということは、神様がこの地球上から完全に追放されるということであり、それは民主主義や自由世界の敗北である以前に、神様の敗北を意味するのです。ですから、共産主義は人類の怨讐である以前に神様の怨讐となるのです。
しかし、全知全能の神様は敗北者にはなり得ません。また、共産主義の地上制覇を傍観される神様でもありません。ですから、きょうこの大会で私たちは、「神はいない」と主張する悪の宗教、共産主義に対して、「神はいる」と主張する統一教会をはじめとする多くの善の宗教によって勝利することを、はっきりと覚醒しなければなりません。神様を殺そうとする不倶戴天の怨讐、共産主義は、神様を父と呼ぶ統一教会員とすべての宗教人たちが孝と誠と信念をもって撃退しなければならないことを、厳粛に宣言する次第です。
ですから、私たちすベての信仰者はもちろん、統一教会員たちは、勝共戦線の最前線に召された神様の闘士であり、神様とサタンの闘いにおいて先頭に立った大将であり、旗手であることをはっきりと知らなければなりません。武力にばかり頼っていては、決して共産主義に勝つことはできません。人間の固い信念は、武力や原子爆弾では到底打ち壊すことができないからです。
偽りに勝つ力は、真の真理と信念と理想です。誤った共産主義の妄想に勝つことのできる力は、ただ真に立脚した次元の高い、いま一つの精神的信念と思想なのです。
今日、私たちは国力を養わなければなりません。防備し得る武力も備えなければなりません。堅固な陣を張らなければなりません。しかし、それよりも重要なことは、真理で武装することであり、固い信念と思想で精神武装することです。私たちは、「神はいる」という思想で武装しなければならず、天のお父様のみ旨を行うために命も惜しまないという信念と決意で精神武装されなければなりません。共産主義者たちの誤った信念と思想は、より強い真の信念と思想によってのみ勝利できるのです。
「神はいない」とする真っ赤なうその思想は、神様が厳然として存在されることを示すことのできる真の思想だけが滅ぼすことができるのであり、偽りの上に立った共産主義思想は、その偽りが白日のもとに暴露されるとき、完全に砕かれてしまうのです。これが、私たち統一教会員とすべての宗教人と全世界の人々が果たすべき至上課題です。そして、これが共産主義の根を絶やし、共産主義に完全に勝利する方法なのです。
今日、この世界では「神はいる」という思想と「神はいない」という思想が対決しています。一つは物質を中心とする世界であり、もう一つは精神を主とする世界です。「神はいる」という世界は神側であり、「神はいない」という世界はサタン側です。この二つの世界が衝突するとき、その結果は神様の存亡を決定するのです。ですから、共産主義を倒すこの闘いは、すなわち神様の闘いとなるのです。
この二つの世界の力の対決が、今韓国において熾烈に起きています。韓国は、世界の相反する二つの理念が衝突しようとする決戦の場なのです。韓国の自由守護は、韓国だけのためではなく、自由民主陣営の永遠の自由を守護するものであり、さらには、神様に勝利をもたらすものです。これが正に、自由を守護するためにこのように世界の人々、自由愛護の烈士たちが決起しなければならない理由となるのです。
自由世界の人々にとって、韓国の安保は他人事ではありません。これが自由世界の存亡に直結するものであり、自由世界の安保はすなわち神様の安保となるからです。ですから、韓国の自由守護のために六二五動乱の時も、神様は十六ヵ国の人々を送られ、血を流してまでもこの地を守らせたのですが、今回もしも北朝鮮が再び南侵してくるならば、十六ヵ国でなく、六十ヵ国の熱血青年たちが血を流してでもこの地を死守しようとするのです。
きょう、世界六十ヵ国から集まってきた統一教会の信徒たちは、正にこのような決意のもとでその使命を果たすために、この意義深い広場で、神様と全世界の人々の名によって決起し、結束するのです。
統一教会は、このように「共産主義はほかでもない神様の不倶戴天の怨讐である」という信念で、自由世界の先鋒に立って、共産主義と闘う旗手、橋頭堡の役割を果たしてきました。神様のことを明らかに示す宗教、このような宗教は、共産主義に勝つことのできる真理と信念と思想を明確に悟らせるのです。
韓国において、すべての宗教人たちが解決すべき目標は平壌でなければなりません。共産主義の奴隷になった北朝鮮の同胞たちは、神様による解放を待っています。金日成主席の徒党は、南侵を目標にトンネルを掘ったのです。私たち宗教人たちは、より次元の高い自由統一のトンネルを平壌の真下まで掘り、愛と事情が通じる解放の日を必ずつくるのだという気概にあふれなければなりません。
あの平壌の真ん中に、神様の愛と真理の爆弾を爆発させるために、祈るだけでなく、闘わなければなりません。北朝鮮同胞千四百万は、今、神様の救いの手を切に待ち望んでいます。ですから、私たちのこの手が、正に神様の救いの手にならなければなりません。
旧約聖書を見ると、九尺の長身で槍と剣を持って立ちはだかる巨人ゴリアテに対して、少年ダビデはただ素手に石を持って闘う場面があります。きょう、私たちはそのダビデの叫び声を聞かなければなりません。
ダビデは「怨讐よ、私の石を受けてみよ」とは言いませんでした。「私はたとえ体が小さくとも力持ちだ。目に物見せてやる!」とも言いませんでした。ダビデは大きく叫んで、「わたしは万軍の主の名、すなわち、おまえがいどんだ、イスラエルの軍の神の名によって、おまえに立ち向かう」(サムエル記上一七四五)と言いました。そして、主の力によって、将軍ゴリアテを見事に倒してしまったのです。
私たちは金日成主席に立ち向かうときも、毛沢東主席を打ち破るときも、ソ連を打倒するときも、すべて神様の名によってしなければなりません。勝利は信念からのみ、もたらされるものです。私たちは、強く大胆な信念の陣を張りましょう!そして、神様の聖なる闘いのために命を懸けて最後まで闘いましょう!勝利は必ず私たちのものです。神様は私たちの味方であられます。
皆様。また、私たちはきょう、共産主義の戦略をはっきりと知らなければなりません。ここに立った私は、誰よりも共産主義のことをよく知っていると言えるでしょう。私は解放後、北で布教している間、何度も共産党に命を奪われそうになりました。私は共産党に反動の罪を着せられ、一九四八年に興南の監獄に閉じ込められたのですが、その強制労働収容所というのは、政治犯や思想犯をじわじわと抹殺していく死刑場だったのです。
その鉄格子の中で三年近くの長い歳月を送り、一九五〇年に神様が派遣された国連軍によって解放されるまで、私は共産主義の真相を真底から知り尽くしてきたのです。私は彼らの戦略と策謀をあまりにもよく知っています。
一九三一年、ソ連共産党中央委員会の重要幹部だったドミトリーマヌイリスキーが、レーニン政治戦略学校の核心党員たちに、次のように共産主義の基本戦略を説いたのです。「共産主義と資本主義との共存はあり得ない。今は、我々が攻撃するにはまだ早い。我々のチャンスは二十年ないし三十年後に来るであろう。勝利は必ず奇襲によってもたらされる。資本主義世界を何としても飽食させ、眠らせるのだ。そのための一番良い方法は、いまだかつてない平和攻勢を敷くことである。彼らは、何も知らずに太平聖代を謳歌し、話し合おうと言えば、どんなことにでもすぐに飛びついてくるであろう。このように資本主義国家は自ら墓穴を掘って協力してくれるであろう。我々は友のように偽装し、時間を稼ぐのである。そうするうちに彼らが油断している時に、我々は鉄拳で一撃を加え、一度に打ち倒すであろう」。
これが正に、レーニンが使ったソ連の赤化戦略であり、毛沢東主席の中国制覇の戦略であり、北べトナムがベトナムを制覇した戦略だったのです。彼らはみな成功しました。そして、これは虎視眈々と南侵を狙う北朝鮮の金日成主席の戦略なのです。しかし私たちは、この戦略に二度とだまされないでしょう。また、私たちは絶対に金日成主席に対して再び誤算を繰り返さないでしょう。私たちはきょう、金日成主席に私たちの実力を見せつけましょう!
祖国を愛する五千万の同胞たちは、命を懸けて祖国の領土を守るでしょう。私たちは絶対に一寸の土地も彼らに譲歩しないでしょう。そしてまた、私たちには強力な友邦がいます。アメリカが正にそのような友邦国であり、日本がまたそのような友邦国です。「天は自ら助くる者を助く」と言われるように、私たちが神様の名によって金日成主席を糾弾し、神様の名によってこの地を守るとき、私たちは第二のベトナムになることは絶対にないのです。
それだけではありません。北朝鮮の金日成主席が知らなければならないもう一つの力が、きょうこの五一六広場の救国世界大会において示されています。韓国と韓国国民が知らなければならない、そして信じられるいま一つの大きな友がいます。それは韓国を自分たちの信仰の祖国として信じている世界の統一教会の信徒たちです。
彼らは徹頭徹尾、勝共主義者たちであり、絶対的に韓国を愛する若者たちです。彼らは果たしてどの程度韓国を愛するでしょうか。彼らが韓国を愛することは宗教的な信念によるものなので、韓国は彼らにとって信仰の祖国、聖域となるのです。
篤実な信仰者にとって、自分の聖域が侵されるということは、取りも直さず自分の体と自分の家が侵されることと同じ痛みを感じるのです。これは正に世界の統一信徒たちは、韓国を自分の体のように愛するということなのです。ですから、信仰の祖国である韓国を守ることは、世界の統一信徒たちの信条です。ですから、もし韓国が北朝鮮から侵略を受けたときに、信仰の祖国、聖域である韓国を共産主義の魔の手から守ることは、世界の統一信徒たちの神聖な義務なのです。
皆様。きょうここに参加した六十ヵ国の代表者千人の人たちは、このように命懸けで韓国を守ってくれる、韓国に最も近い、そして固い信念で結ばれた救国同志たちです。彼ら世界代表たちはこの歴史的な広場で、有事の際、すなわち北朝鮮が大韓民国に対して武力侵略を敢行するときには、信仰の祖国である韓国を死守することが神様のみ旨であると信じ、世界統一十字軍を編成し、義勇軍として参戦し、韓国と自由世界を守護することを決意するでしょう。
「東海の水が乾き、白頭山が擦り減るまで、神が守り給う我が国、万歳」。私たちは解放以来ずっとこの「愛国歌」を歌ってきました。実にこの「愛国歌」は我が民族に下された神様の啓示だったのです。「大韓民国万歳」は、ただ神様がお守りになってこそ成し遂げられるものとして啓示されたのです。
神様は大韓民国を最も愛しておられます。檀君聖祖以来、あらゆる風霜を経ながら他の国を一度も侵略したことがなく、強大国の間にはさまれながらも、単一民族のその正しい気風と伝統を守るようにしてくださった神様!国を奪われた私たちに、感激の八一五解放をもたらしてくださった神様!六・二五動乱の際、ベトナムのように滅びるほかなかった韓国を、十六ヵ国を動員して守ってくださった神様!
一九六一年、国民の和合が揺れ動き、またもやこの国が共産侵略の危機の中にあったとき、強力で献身的な新しい指導者として現大統領を立てられ、この国の綱紀を立ててくださった神様!アジアで責任を果たすことができずに、ベトナムとカンボジアから後退するアメリカを覚醒させて韓国を再び守らせ給う神様!
今度はこの地に統一教会の名により、新しい真理運動と精神運動を立てられ、早くから世界に跳躍させ、今我が祖国がもう一度危機に瀕すると、六十ヵ国の統一教会の熱血青年たちを動員してこの地に送られ、有事の際には水火も辞さずにこの地を死守させようとされる神様!韓国において世界的な決戦のために、第一次世界大戦や第二次世界大戦の時のように、北朝鮮、中共、ソ連と韓国、日本、アメリカを対決させ、神様とサタンの最後の決戦を私たちの側に勝利させようとされる神様!その神様の特別な恵みと保護のもとで、私たちはきょう勇気を出して、総決起しなければなりません。
神様は韓国を愛されて、この地に全世界を代表する「総和文明」の結実体を成し遂げようとされているのです。人類文明は神様の摂理的なみ旨に従って、その次元を高めながら世界を一周し、ついにその結実を見ることになるのです。
人類の古代文明は大陸で発生しました。エジプトのナイル川河畔で胎動した文明は、半島文明へと変遷し、ギリシャ、イタリア半島で地中海文明圏を築きました。その半島文明は、再び島嶼文明に移り、島国イギリスを中心として大西洋文明圏を形成しました。ついにイギリスの島嶼文明は大西洋を渡り、アメリカ大陸において現代文明の奇跡を起こして太平洋文明圏を形成したのです。
しかし、歴史の流れはそこで終わりません。この文明圏は、太平洋を渡ってイギリスに相当する島国の日本で新しい島嶼文明の花を咲かせ、イタリア半島に該当するこの韓半島で、昔のローマ文明に相当する総和文明を成し遂げて、アジア大陸に連なる一つの世界を成し遂げ、新しい統一文明圏を形成しようとするのが神様のみ旨であることを私はよく知っています。
韓国は新しい時代の寵児であり、韓民族は神様がお選びになった民族です。韓国は神様が願われる新しい文明の揺籃です。ですから、世界文明の結実体として、神様の摂理を決定する国なのです。これは神様の愛する韓国人の誇りでなければなりません。
偉大な子女を生むときには、まず陣痛が来るのは不可避なことです。韓国は今その陣痛期にあるのです。私たちが今受けている試練が正にそれです。神様はこの試練を通して私たちの底力と闘志と資格をテストし、陣痛を克服したのちの栄光の子女の出産を期待しておられるのです。
ですから、サタン側の強大国は、神側の韓国を欲し、狙っているのです。私たちはこのような試練に、神様を愛する信仰と希望で勝利しなければなりません。私たちが危機に瀕しても、その最も困難な逆境を克服して、共産主義に徹頭徹尾勝利するということは、今後、いずれ神様のみ旨である勝共による統一世界の構築において、韓国がその主導権を握るということです。それはまた韓国が世界の旗手になるということです。
そのためには、それにふさわしい思想と理念が絶対になければなりません。これが統一教会の主張です。韓国が生んだ宗教統一の「原理」が正にこれなのです。「勝共理念」が正にこれです。「統一思想」が正にこれなのです。
神様を父として侍るすべての宗教は、「神はいない」という不倶戴天の怨讐である共産主義に立ち向かうのです。統一の結束のもとに、愛と真理によって彼らに勝利し、誤りを悟らせ、最後は彼らを兄弟として受け入れなければなりません。このような「原理」に立脚した「勝共理念」は、共産主義を分析、批判し、それを克服できる確実な代案を提示しています。また「統一思想」は、今日の世界の様相をつくったすベての間違った哲学や主義思想を暴き、神様を中心として一致団結できる統一された思想体系です。
このような原理と理念と思想が韓国で生まれたのです。これがすなわち「神主義」です。神様を中心とし、神様に問い尋ねながら国を治めるのですから、与野の区別があってはいけません。すべての宗教人たちと良心のある人士たちは、誰彼を問わず政府と一体となり、「神主義」で悪魔の共産主義を退かせ、祖国の地と我が民族を統一する時が訪れたのです。その時が正に今この瞬間なのです!
苦労のあとに楽が訪れ、逆境の中から新たな道が開かれるものです。私たちはこの時に一度、天に侍る倍達民族(韓民族のこと)の底力を、遺憾なく満天下に発揮しましょう!あまりにも有名なインドの詩聖タゴールは、預言的な詩を次のように歌いました。
心には恐れがなく
頭は空高く上げられる所
知識は自由であり
狭い塀で分けられていない所
真理の深い所からみ言が湧いてくる所
絶え間ない努力が完成に向かい
両手を広げる所
知性の清い流れが
固まつた習慣の砂原においても道を失っていない所
無限に広がりゆく想いと行動で私の心が導かれる所
そのような自由の天国へと
我が父よ、我が国を目覚めさせたまえ
また、タゴールは日本統治下の韓国に対して次のような詩も詠んでいます。
かつてアジアの黄金時代に
灯火の一つだったコリア
その灯火が再び明かりを照らす日に
あなたは東方の明るい光となるであろう。
愛する同胞の皆様。韓国は遠からずして東方の光となって満天下を照らすでしょう。全世界の万民が天のお父様の治められる輝く大韓民国を祖国として侍る日が必ず来るでしょう。いや、既に来ているのです。
皆様。韓国を信仰の祖国として、世界万邦に伸びゆく百二十ヵ国の統一信徒たちは、ただ、父なる神様の名のもとに、人種と国境と言語を超えた兄弟姉妹として一致団結し、神様の怨讐金日成主席と、天人共に許し難い悪魔的な共産主義打倒に全員、総進軍しましょう!
愛する自由韓国の兄弟姉妹の皆様!きょうの課題は何よりも、「共産主義」は人類の敵である以前に神様の不倶戴天の怨讐であることを悟ることです。ですから、きょう私たちは神様の名によって金日成主席を糾弾するのです。
神様は金日成主席の南侵を絶対に見逃さないことをはっきりと宣言いたします。そして、自由世界と韓国の名をもって、金日成主席と共産主義国家を打ち倒すために命懸けで闘いましょう!勝利するまで闘いましょう!
神様が共におられて永遠に守られる我が大韓民国の愛する同胞の皆様!私たちには天下に恐れるものがありません。強く大胆に、神様の名によって総和団結、勇敢に前進しましょう!
神様の地であるあの北朝鮮を再び取り戻す時まで、血肉を分け合った私たちの兄弟たちを再び取り戻す時まで、死を決する覚悟で闘いましょう!
神側の全世界の自由主義諸国は、サタン側の共産主義諸国を完全に解放させ、平和な統一世界を神様の名によって必ず成し遂げましょう!
神様は私たちの味方として闘われますので、勝利は必ず私たちのものです。
神様の名によって固く団結して総決起しましょう!
総進軍しましょう!総進撃しましょう!
ありがとうございました。
2.祖国よ、輝け
平和経 第八篇 韓半島統一と世界平和
2.祖国よ、輝け
日付:一九七八年十月十九日
場所:韓国、ソウル、朝鮮ホテル
行事:韓国地域社会開発研究院招請朝餐講演会
尊敬する各界の指導者の皆様。きょうの朝、この意義深い集会に私をお呼びくださり、国家中興の大課業において中枢的役割を担当していらっしゃる皆様に、お話し申し上げる機会を与えてくださり、心から感謝申し上げます。
私は海外において、様々な逆境の中でも、ひたすら神様の国の具現のために宣教事業に没頭し、二年半ぶりに再び懐かしい祖国の土を踏みました。普通ならば、その間に何度か帰ってこなければならなかった祖国ですが、今回は、執拗に捕らえて放さないフレーザー委員との熾烈な対決において、最終的決着をつけようとしているうちに、懐かしい祖国への帰りが二年半も遅れてしまいました。
フレーザー議員は、去る九月十二日、民主党の予選でついに落選しました。人間的に見ると彼は大変かわいそうな人です。私は、「怨讐も愛さなければならないので、彼のために祈りなさい」と信徒たちに勧めました。彼は今回、負けられない闘いで負けました。その理由は何でしょうか。彼は天意に背反したことによって、敗北したのです。聖賢の言葉に、「天に順う者は存し、天に逆らう者は亡ぶ」とあります。いわば彼は、神様の審判を受けたのです。
韓国を第二のベトナムに仕立てようとする彼の努力は、韓国を選んで天の大きな摂理を全うしようとする神様のみ旨とは正反対の努力でした。そのような神様の摂理を知ってみれば、韓国は重要な国なのです。韓国は、今後世界が共産化されるのを防ぐ、決定的役割を果たす国です。神様は、共産主義の究極的目標である世界制覇を許すことはできません。それは、神様御自身の敗北を意味するからです。そして、この歴史的な有神と無神、二つの理念の最終対決において、韓国は神様の選手として選ばれたのです。
ですから、韓国を破壊しようとするフレーザー議員の陰謀は、とても容認し難いことでした。私は、神様の審判が彼に下ることを明確に予知できました。彼は天に逆らう者の立場に立っているので、いかに彼の威勢が盛んだったとしても、彼の末路が悲惨なことを知っていました。誰でも、天理に背反しては生き残る者がいないのです。今回のフレーザー議員の敗北は、神様の審判であると言わざるを得ません。
このように、こよなく韓国を愛される神様を骨髄にしみて実感しながら帰ってきた、今回の帰国の道でした。何度も降り立った金浦空港ですが、今回はいつになく私を喜んで迎えてくれているようであり、故国同胞の温かい歓迎は、私の霊魂を揺さぶりました。帰るやいなや私は、祖国の地、錦繍江山(クムスガンサン)(=韓国の別称)千五百里を、南北にわたって走ってみました。韓国の山河は、とりわけ青々と美しく、世界に類例を見ない秀麗な山河でした。民族中興に向かって突き進む祖国の復興の姿は、十分に満足して余りあるものでした。
故国にいらっしゃる皆様。本当にお疲れ様でした。私たちは、ただ先進国家につき従っていくことに満足する国となってはいけません。私たちの祖国大韓民国を通して、神様は偉大な課業を成し遂げようとされておられます。二千年前、人知れぬ小さな村、ユダヤの国ベツレヘムの地に、偉大な思想が出現しました。それがすなわち、イエス様の思想でした。神様は、その救世思想を中心として二千年間、救世運動を推し進めてこられました。今、もう一度、共産主義の魔の手から世界を救い出し、地上に天国を建設する新しい救世理念の誕生地として、神様は、東方の小さな国、韓国を訪ねてこられるのです。私たちは、神様が与えてくださるこの任務を甘受しなければなりません。これは正に、私たちの祖国大韓民国が、永遠に栄える道であり、いつまでも光り輝く道です。
きょう、私は皆様をお迎えし、私のこのような所信の一端を披瀝しようと思います。世界のすべての宗教は、宇宙の根本原因を、創造主または神様という方として認定するところから出発します。その神様は善であり、永遠不変であり、唯一であり、絶対的な方でなければなりません。その神様がこの世をお造りになったとするならば、そこには必ず創造目的が先行したはずです。そして、その創造目的も、やはり永遠、不変、唯一、絶対的なものでなければなりません。
神様の創造目的は「喜び」です。喜びを得ようとして、人間と世界を造られたのです。その喜びというのは、一人では感じることができません。喜びを感じるためには必ず対象、または相手が必要です。主体と対象が互いに相対基準を結んで与え合うとき、喜びを感じることができるのです。そして最高の喜びは、愛を与え、受けるときに感じることができます。そのように、神様が私たち人間を対象として造られ、その対象とともに無限の愛を与え合い、永遠に喜びを得ようとされたのです。それが、すなわち創造目的だったのです。
このような創造目的を果たすために、人間始祖として一男一女を造られたのですが、聖書では彼らを「アダム」、「エバ」と呼びます。そのアダムとエバが、神様の完全な喜びの対象となり、愛を与え合いながら、善の子女を繁殖していれば、その家庭が拡大して社会となり、その社会が発展して国家となり、その国家は世界に発展して、この地球は、このアダムの一族で満ちあふれ、この地上には神様の善と愛を完成した喜びの世界が築かれていたのです。その世界を、すなわち天国と称し、その天国は明らかにこの地上にできたはずだったのですが、その世界は、すなわち地上天国と言わざるを得ないのです。
この地上天国は、神様を中心とした一つの家庭であり、人類はすべて一つの兄弟です。そこには一つの伝統と一つの文化がある一つの統一世界にほかなりません。そこには人種差別はあり得ず、言語の衝突もなく、国家の分裂も、理念の対決も、殺戮して相争う戦争もあり得ません。このような神様の理想世界を描きながら、今日の現実を眺めてみるとき、私たちは、神様の理想とは正反対の世界に住んでいることを痛感させられます。まず私たちの一つの体の中に、心と体の分裂を見ることができるのです。
今日の私たちの世界は、分裂の世界です。国家の分裂、言語の分裂、文化、伝統、人種、理念、愛の分裂など、このような分裂の中で、人類歴史は殺戮の闘争と戦争の連続でした。これはどう見ても、天国と言うことはできません。私たちは地上地獄に住んでいるのです。これは、人間始祖アダムとエバの堕落によってもたらされた結果です。堕落したということは、神様に逆らったということであり、神様から離れたということです。それによって、神様が臨在できない歴史が始まりました。人類歴史は、神様に逆らう歴史の連続によって今日に至りました。
私は先ほど、神様の創造目的が、永遠、不変、唯一、絶対的であると言いました。たとえ人類始祖の反逆によって堕落世界ができたとしても、神様の根本理念とみ旨は変わることはありません。神様は必ず初志を貫徹される方です。神様は必ず、神様本然の創造理想を果たさなければなりません。人間の堕落以後、神様は無為無策だったわけではありません。人間の堕落以後の神様のみ旨は、堕落した人間を救援する「救援の歴史」でした。
「救援」とは何でしょうか。病にかかった人を病気以前の状態に治すことが救援です。病にかかったこの堕落世界を、堕落以前の本然の世界に戻すことが、すなわち救援です。ですから、救援というのは、本然に帰ること、すなわち復帰なのです。ですから神様は、この堕落世界を清算し、堕落以前に神様が計画された本然の理想世界へと復帰するみ業をされて、歴史を歩んでこられているのです。
今から二千年前、神様は、イエスキリストを救世主、メシヤとして、この地上に遣わされました。彼を遣わした目的は、正に堕落人間の救援です。救援は、すなわち復帰のことをいいます。メシヤがこの世を救援されるということはすなわちこの世を天国へと回復するということです。ところが、二千年前、メシヤは明らかにこの地上に来られましたが、いまだにこの地上には、天国が建設されていません。これは重大な問題です。イエス様は、「天国は近づいた」と天国の到来を宣言されましたが、その天国の到来が成就した痕跡はありません。むしろイエス様は、罪を着せられ、十字架に打ちつけられるという悲運を招きました。これはつまり、神様がメシヤを遺わされたみ旨が、二千年前に完全には成就されなかったことを立証しているのです。
その理由は何でしょうか。その理由は、イスラエル選民の無知と不信にあったのです。神様がメシヤを遣わされる以前の四千年間、イスラエルという選民を集めて摂理されてきたのは、メシヤが来られるとき、そのメシヤを迎えて、神様のみ旨を成就することを願ったからでした。しかし、イスラエル選民は、いざメシヤが来られたとき、神様のみ旨を正確に知ることができませんでした。彼らは、メシヤが来れば、ロマの虐政下にいる自分たちの怨讐を討ってくれ、力でローマを征服し、一躍、選民イスラエルが君主の権勢をもって、世界に君臨することを夢みました。彼らが望んだメシヤは、権力のメシヤ、武力のメシヤでした。
しかし、メシヤの天国理念は、武力で成し遂げるものではありません。神様の天国理念は、真理と愛で果たされるのです。その上、メシヤは、イスラエルだけを解放して彼らに王権を与えようとして来られる方ではなく、むしろ、イスラエル選民を犠牲にさせてでも、世界の救援を計ろうとして来られることを、彼らは知りませんでした。政治的な勝利と利己的な権勢争奪を夢見たイスラエル民族の目に映った裸足のみすぼらしい無力なイエス様の姿は、メシヤとしては受け入れ難い姿でした。
それでイスラエル選民は、メシヤを十字架にかけてしまいました。これは、神様にとってこの上ない悲劇であり、人類にとってこの上ない不幸です。神様の天国実現のみ旨は、その時点では成し遂げられず、未来のある時点で、再びメシヤを地上に遣わさざるを得ない破局を招いたと言えるのです。神様が、メシヤ、すなわち救世主を再び遣わされる日を、私たちは「再臨の日」と呼びます。神様のみ旨は、イエス様の時に完結することができず、再臨の日まで延長されてきました。イエス様が十字架につけられたその日から、神様は、再臨の日を準備することに余念がありませんでした。それから歴史は約二千年が流れました。今は、正に終末であると叫ぶ声が高まり、メシヤの再臨を待望する声は四海に満ちています。
それでは、神様は過去二千年間、どのような歴史をつくってこられたのでしょうか。そして、新しい歴史の糸口はどのように解けるのでしょうか。神様が第二のメシヤを遣わす前にまずされることは、もう一つの選民を起こすことです。基礎がなくては家を建てることができないのと同様に、選民という基盤なしに、メシヤを遺わすことはできません。ですから、イエスキリストの降臨の前に、神様はイスラエルという選民を準備されたのです。
結論的に申し上げるなら、新たに来られるメシヤを迎えるために世界的選民として築いた土台が、すなわち今日、世界的版図をもつキリスト教です。ベツレヘムの馬屋で生まれたイエス様の教えは、これまで二千年の歳月が流れる中で、世界的な宗教となりました。これはどこまでも、再臨という一時を望みながら世界的な選民を造成しようとされる神様の摂理から来た結果なのです。
今日のキリスト教徒の使命は、神様がメシヤを再び遣わされるとき、そのメシヤを歓迎して、彼に侍ることです。二千年前のイスラエル選民たちのように、絶対に彼を再び十字架につけてはならないのです。今日、キリスト教は名実共に第二イスラエルの位置に立ちました。
それのみならず、神様には、メシヤを再び遣わす前に必ず成就しなければならない、二つの重要な宿題がありました。その一つは、高度な物質文明の発達です。神様のみ旨が成就するということは、すなわち地上天国が成就するということですが、それは霊的な天国だけを意味するのではなく、肉的天国、または物質的楽園をも意味するのです。ですから、メシヤの降臨とともに成就される高度な精神文明を入れる器、いわば高度な物質文明の世界を準備する必要がありました。さらに、神様の理想では、世界が一つの国なので、その世界が科学の発達によって、交通と通信手段が高度に発達し、全人類が一日生活圏内に暮らすということは、地上天国の建設においてこの上なく重要な要素です。これは統一世界文化の創造に必要不可欠な条件です。ですから、イギリスで起こった産業革命を始発点として、わずか数世紀の間に高度な物質文明を成し遂げたことは、神様の設計図の中に計画されていたことなのです。最近、アポロ十一号の月面着陸を全世界の人類が同時にテレビを通して見たこと自体が、今日、人類が共同生活圏内に住んでおり、神様の時が満ちたことを意味するのです。
神様が準備されたもう一つのことは、メシヤが降臨できる環境を造成することです。これはどんなことでしょうか。それは、みだりに人を捕らえて命を奪うことができない法治制度の創建のことをいうのです。イエス様の時代では、人の命は権力者の前でははえの命のようなものでした。イエス様は、為政者や権力者たちが願えば、いつでもはえを取るように捕まえて命を奪ことができた、無法天地の制度下に生まれました。根本的な人間革命を叫んだ革新的なイエス様のみ言は、その社会制度のもとでは容認されませんでした。イエス様が十字架につけられたことは、当時の制度下においては避けられない事情だったと言えます。これをよく御存じであられる神様は、メシヤが再び来る再臨の時に何よりも必要なことは、人々をみだりに捕まえて命を奪うことができない法治制度であることを知っておられたのです。
このために、二千年間、汗水流して準備された制度が今日の民主主義です。民主主義は人権を尊重する制度です。民主主義というのは、少数派も多数派の中に混じって生き残ることができる制度です。民主主義は自由を保障する制度です。その自由とは、すなわち言論、宗教、結社、出版、集会の自由です。
その民主主義の代表と見ることのできるアメリカの憲法を見れば、自由の中で最も絶対視する自由が宗教の自由であり、アメリカ議会と政府は、宗教を規制するいかなる法もつくることができないようになっています。この制度は、たとえ神様の息子が再び現れて革命的な布教をしたとしても、彼がそのことによって再び十字架にかからずに生き残ることができるようにするための制度なのです。これは神様が再臨の日のために努めて準備された制度です。ですから、身近な例を挙げれば、革命的な新しい真理を伝える統一教会が、いくらアメリカ人たちの気分を多少害するとしても、今日のアメリカのもつ法と制度によっては、これを十字架にかけることができないのです。
そして、いざ再臨の時が近づいてくれば、神様は第二イスラエルの世界的版図の中から、神様が中心となるキリスト教国家をお選びになる必要があります。これは、どういうことでしょうか。神様が成し遂げようとされる究極の地上天国の理念は、この地上に実際に成就する理想なので、ある中心点から出発して、漸次世界へと波及しなければなりません。いわば標本となる国家がなければならないということです。そしてさらに、言うまでもなく、終末にその中心的な神様の摂理を十分に担うことのできる国として、かなり以前から予定され、その予定に従って選ばれた国が、すなわちアメリカなのです。
今しばらく、アメリカの国家の形成過程を探ってみることにしましょう。アメリカ大陸は、あのように途方もない大陸でありながらも、一五〇〇年代までは発見されないまま放置されていた大陸です。これは「終わりの日」に、神様が特別に使おうと密かに隠しておいたものと解釈することができます。またアメリカは、その国家形成が移民によってできた国です。言い換えれば、アメリカは主人のいない国でした。原住民であるインディアンがいましたが、インディアンは主人の役割を果たせませんでした。結局、主人がいないということは、神様が主人なのです。ですから、神様がお選びになった特別な人々だけが行き、住むようになった国です。
ヨーロッパ大陸ではアメリカを新天地と呼び、最初に新天地に望みを抱いて移民した人々は、すなわち、信仰の自由を求め、神様に侍るためにやって来た人々でした。旧時代の圧政下において完全に望みを失ってしまい、「仮に大西洋の海で命を失ったとしても、ただひたすらに神様に心ゆくまで侍ることのできる所に行こう」と言って、悲壮な心で出発し、メイフラワー号という帆船に乗り、五十七日間の難航海の末に、アメリカのニューイングランド地方に上陸したのが、すなわちアメリカの先祖である清教徒たちでした。
彼らは航海中に多くの犠牲者を出し、上陸して初めの冬を越すときに、またその半分が犠牲となりました。彼らは、神様と信仰を、命よりも大切にした人々でした。彼らが間もなくアメリカの先祖となり、彼らの精神がアメリカの建国精神になったことは、偶然だとは絶対に言うことができないのです。
神様に侍る唯一の国、すなわち「神様のもとの一つの国家」というモットーが、アメリカの建国精神になったことは、この国を建てて、メシヤを再び迎える世界キリスト教国家の中心にしようとした神様のみ旨を、明確に立証するものです。そして、神様が隠しておいたこの肥沃な大陸に、神様を信奉する五色人種(すべての人種)が集まり、超民族的キリスト教国家をつくったのですが、これは、将来つくられる地上天国のモデルなのです。
今やアメリカは、神様のみ旨を中心として世界救援の旗手となり、教会と国家が一つに団結し、神様の歴史的な願いである世界救援のみ旨を達成し、神様の世界家族、そして統一文化を成し遂げなければならない重大な使命を背負うようになったのです。また、終末に起こる人類歴史最後の悪の勢力である共産主義に備えるために、神様はわずか二百年の間に、この荒地から生まれた新生国家アメリカを、世界の最強国家にされたのです。
今、アメリカ国民が悟らなければならないことは、今日、アメリカが享有している神様の祝福が、アメリカのためだけの祝福ではないということです。この祝福は世界のためのものであり、神様のみ旨を成し遂げるための祝福なのです。今日、アメリカ国民は、キリスト教精神で完全に武装し、世界人類救援のために、いかなる犠牲と十字架をもはばからないという決意に燃えていなければなりません。そして神様のみ前において、アメリカがもつ最も重大な使命は、共産主義の魔の手から自由世界を保護し、究極に至っては、共産主義さえも解放できる原動力にならなければならないということです。
ところが、そのアメリカは、一九四五年の第二次世界大戦の勝利から今日に至るまで、神様の本然のみ旨を離脱していく不吉な徴候が見えており、これは甚だ恐ろしいことであると言わざるを得ません。私はアメリカを愛するがゆえに、このことを語るのです。次の話は、アメリカの国会議員たちが集まった講演会において語ったことです。誰かがアメリカを悟らせなければならないので、この話をしました。
第一に、二度の世界大戦を勝利に導いたのは神様であり、またアメリカをして世界国家型である国連を編成させたのも、神様のみ旨でした。神様のみ旨から見れば、本来、国連はキリスト教精神を中心とした世界の国々が結束する本営にならなければなりませんでした。共産主義国家を含む国連は、絶対に神様のみ旨ではありませんでした。
またアメリカは、戦勝後、戦後処理を誤りました。第二次世界大戦に勝利した連合国と敗戦した同盟国家が統治した国々まで正しく保護し、天のものとして管理する責任がアメリカにありました。万一、アメリカが神様のみ旨をはっきりと知っていたら、サタン側国家であるソ連を堂々と制圧して、世界万邦の自由国家を集めて民主世界に結束させ、神様のみ旨の中で全世界を復帰できる良い機会だったのです。しかし、アメリカは、アジア諸国と東欧衛星国家を共産側に渡してしまい、韓国とドイツを両断させる悲劇を招いてしまったのです。
第二次世界大戦の勝利は、神様が、自由世界の版図を広げて共産主義を制圧できるよう祝福されたものだったのですが、結果的にアメリカは、若者たちの血の犠牲を無駄にして、神様を否定する不俱戴天の怨讐である共産主義世界を有利にしただけでした。若者たちの怨恨と血の訴えが、今もやんでいません。のみならずアメリカは、自由陣営を守護しなければならない聖職から後退することによって、ベトナムのようにアメリカの保護下にあった国々を、一朝にして共産圏に供え物として渡してしまったのです。これによってアメリカの国際的威信は地に落ち、恨みの声は日に日に高まっていきます。
今日国連は、その本然の機能を喪失したまま、共産主義国家の宣伝の舞台となっています。アメリカでは、様々な尋常でないことが日ごとに増えています。白人と黒人の人種問題が正にそれであり、若者たちを腐敗させる麻薬問題がそれです。青少年の淪落と家庭の破錠、そして日ごとに激増する暴力犯罪など、それらのどれ一つをとってみても、深刻でないものはありません。その中で浸透してくる共産主義の問題は、最も致命的な打撃です。極度の個人的な人生観と価値観によって肉的享楽に飛び込んでいくアメリカの現社会において、このままでは神様は間違いなく離れ、アメリカが神様の願いと希望と計画を失敗に導くことは、火を見るより明らかです。
この時点で、神様はどうされるでしょうか。神様は、このアメリカの現実を如実に見ておられます。ですから、神様はアメリカがこのようになることを予想されていた、と言っても過言ではありません。物質文明を中心とする西欧文明が、今日のアメリカのような事態を引き起こすことは、必然的な結果であると言えます。物質文明は、どこまでも体であって、心ではありません。今日のアメリカが神様の造られた体とすれば、この体に注入する心は、本来、東洋から起こすことを計画された神様です。そして、東洋の心と西洋の体が合わさって一つになるとき、初めて世界は欠点のない人の役目を果たせるように設計されました。今、西欧文明は一大心情革命、あるいは精神革命を待っています。しかし、この精神的革命は、西欧社会では期待できない立場です。これは必ず、東洋から起こらなければなりません。
ここでしばらく、イギリスの碩学アーノルドトインビー博士の予言について触れてみることにします。彼は有名な歴史家であると同時に哲学者です。彼の透徹した歴史観はあまりに鋭く未来を見通すため、彼は歴史家の領域を脱し、一人の預言者とまでみなされ、尊敬を受けた人です。トインビー博士は、驚くべき予言をしました。「キリスト教を中心とする西欧文明は、今、その滅亡の直前にさしかかった」と、西欧文明の没落を予言したのです。そして彼はまた、次のように言いました。「歴史の目的は文明の発達にあるのではなく、文明の興亡は、実は高等宗教の出現のための手段である」と。言い換えれば、トインビー博士は、「歴史の流れにおいて、歴史の目的は文明を発展させることにあるのではなく、文明はあくまでも手段であり、むしろ宗教の進歩発展こそが歴史の真の目的である」と言ったのです。そして彼は、「没落する西欧文明を救い出す新しい高等宗教は、東洋から湧きいずる」と言いました。「光は東方より!」この言葉は、トインビー博士の有名な予言です。
きょうの朝、革命的な発言になるかもしれませんが、私は、トィンビー博士が言われるその「光」、すなわち世界を生かすことのできる新しい宗教理念は、韓国から出現すると躊躇なく宣言する次第です。その精神革命の烽火は既に韓国から上がり、世界に向かって赤々と燃えています。既に西欧文明の中に飛び火して、超国家、超民族的次元で、数十万の若者たちの胸に火がともりました。彼らには、新しい価値観と新しい人生観が打ち込まれました。徹底した道徳革命が起こっています。世界人類救援のための犠牲的な奉仕が実践されています。その精神革命の烽火が、すなわち統一教会運動なのです。
この精神革命がしっかりとアメリカの物質文明と接ぎ木されれば、心と体が出会うことになります。その瞬間から、アメリカは心と出会うので望みがあり、韓国は体と出会うので望みがあります。さらに韓国とアメリカが一体となって世界救援運動に携わるとき、世界には望みがあるのです。この精神革命の力は、共産主羲に打ち勝つことのできる力です。この精神革命の衝撃がいかに大きいか、次のような実例を挙げて申し上げましょう。
アメリカで多くの物議を醸した私に対する非難の焦点は、アメリカの若者たちを洗脳するということでした。私たちの精神運動の衝撃があまりにも大きいので、賢いアメリカ人たちは私に、「自分たちを洗脳している」と言うのではないでしょうか。私は一九七五年十二月十八日、アメリカの下院議員たちの前で講演したとき、このように言いました。「賢明な議員の皆様に一言質問いたします。アメリカ人たちは韓国から来たこの人、いつも通訳をおいて説教するこのレバレンドムーンに洗脳されるほど、愚かな人たちですか」。私のこの言葉に、議員たちは名答を得たということでした。
アメリカの統一教会内に密かに侵入した一人の新聞記者は、統一教会の棚の隅々をくまなく探し、レバレンドムーンが洗脳工作に使う薬の瓶を探すのに血眼になったそうです。何か薬を飲ませて洗脳しているものと思ったようです。そのうち、彼は一和の高麗人蔘茶の瓶を見つけたのです。「ああ、これだ!」と言って持っていったのですが、いくら飲んでみても、何の精神的な変化も起こらず、気分だけが良かったそうです。
アメリカの青年たちは、私が持っていった何かの薬を飲んで洗脳されたわけではなく、神様が私に下さったみ言を聞いて、人格革命が起こるのです。韓国の地を通して神様が下さった新しいみ言は、一度聞けば人格革命が起こります。極めて利己主義的なアメリカ人たちが、世界のために犠牲になろうと立ち上がります。麻薬の奴隷から解放されます。淫乱の過去から解放されます。父母には孝行、国には忠誠、神様には生命を捧げて奉仕しようとする、高潔な人格者となっていくのです。のみならず、彼らは、共産主義を神様の怨讐として認め、共産主義と闘おうという信念が、この世のどの信念よりも強く燃えるようになります。
なぜ神様は、この世を救援しようとする最終理念を、私たちの祖国大韓民国を通して現すのでしょうか。「終わりの日」にこのような選ばれた国になったのは、韓国にいかなる資格があるからなのでしょうか。一言で言えば、韓民族は神様の事情を知り得る民族だからです。歴史上において、神様が喜びの方ではなく、悲しみの帝王であられることを、知る人がいませんでした。神様は、創世の時から子女を失った父母でした。いかに帝王であろうとも、子女を失った父母は悲惨でかわいそうです。歴史の中におられる神様は、かわいそうな父でした。そのかわいそうな父にとって、最大の孝行息子は、その父の痛みと悲しみを身代わりする息子です。韓民族は正にそのような立場で選ばれたのです。
韓国の五千年の歴史は、苦難と試練の歴史でした。韓国は長い間、貧しく、外国勢力から苦しめられる中で涙の味を知り、悲しみの味を知る民族でした。苦難の歴史の中で試練に遭ってきた韓国の事情は、堕落した人類、すなわち、死んだ子女を見て嘆息される神様の事情と同じでした。韓国人は涙の味を知っています。ですから、涙の神様を理解できるのです。韓国人は古くから悲劇を好みました。それが、堕落という悲劇を体験した神様に同情できる資格なのです。諺に、「やもめの心情はやもめが知る」という言葉があります。私たちは、喜びと栄光の中に権勢を享有される神様であると思っていましたが、その神様は、実は子女を失って涙を流される、悲痛で孤独な父だったのです。その神様の心情を慰労する真の孝子となることを信じ、神様は私たちを捜し求めてこられたのです。
韓国人は古くから、忠孝の志操が強い民族です。国軍の日を迎え、五一六広場に招待され、国軍の威容を見て心温まる思いがしました。その国軍の勇士たちが査閲台の前を過ぎるときに叫ぶ「忠孝」という掛け声は、本当に印象的でした。神様に選ばれた民族として叫ぶこの掛け声は、あまりにも啓示的でした。世界のいかなる国でも、このような掛け声を叫ぶ軍人はいないでしょう。
韓国は最終的に、神様に忠誠を尽くし、孝の道を尽くす民族であるがゆえに、その忠孝精神が今日、国家の中心思想になったのです。沈清(シムチョン)の親に尽くす哀切な孝、春香(チュニャン)の夫のための志操、鄭夢周(チョンモンヂュ)の王に仕える忠誠、柳寛順の殉国精神といった忠孝の志操は、古今東西、どこにも類例を見ない韓民族の魂です。このような忠孝精神と不変の志操は、今後成し遂げられる地上天国の中枢的な思想と精神になるのです。天国は神様の国なので、その国のために永遠に忠誠を尽くさなければならず、神様は人類の父なので、その父に永遠に孝の道を歩まなければなりません。世界の数多くの民族をいかに試験してみても、韓国のように、その忠孝の熱と志操の強い国はないので、神様は韓国をお選びなって訪ねてこられたのです。
また韓国は、平和を愛好する白衣民族です。私たちは一度も侵犯したことのない人々です。このような平和愛好の民族が、五千年の固有の歴史を抱いて耐え忍んできたこと自体が、奇跡であると言わざるを得ません。これは、ただ神様の保護のもとにのみ可能だったのです。俗に言えば、私たちは神様を背景にもつ民族なのです。
五千年の歴史において、様々な強大国が、何度も私たちをのみ込みましたが、そのたびに消化不良を起こさなかった国はありませんでした。食べたら、必ず吐き出さなければなりませんでした。
これは誰の力でしょうか。神様の力でした。八月十五日の解放は、誰がもたらしてくださったのでしょうか。神様の力でした。六二五動乱のとき、共産軍の南侵を防いでくれたのは誰の力でしょうか。神様の力でした。六・二五動乱当時、アメリカのトルーマン大統領の決心が三日遅かっただけでも、私たちは釜山の海に追い込まれて飛び込んでいたでしょう。
韓国動乱のとき、国連軍の派兵は、国連安全保障理事会においてソ連の拒否権があるので、絶対不可能なことでした。ところが、韓国派兵問題を討議するときに、ソ連代表は欠席したのです。その隙に派兵案は、一瀉(いっしゃ)千里で可決されました。国連外交史では、その時なぜソ連代表が欠席したのか、今なお誰にも分かりません。それは、誰がそのようにしたのでしょうか。神様の力だったのです。
韓国は、神様の特別な保護がある限り、誰が攻めてこようと指一本触れることもできません。韓国を害そうとする勢力は、神様の力によって一つ一つ敗れ去っていきます。今回、アメリカの議会で韓国を潰そうとするフレーザー議員の敗北は、その良い例です。
皆様。我が祖国韓国は、新しい時代の先駆者であり、神様の寵児です。私たちは、長い間の苦労の末に、新しい時代の王者として登場する時が来ました。このとき、私たちは悟らなければなりません。神様が韓民族を召命されたのは、韓国のみを良くするためではありません。世界を救援するために召命されたのです。韓国は、世界の救援摂理のために召命された国であることを悟らなければなりません。私たちは神様に召命されたので、神様の世界の救援摂理のために、誰よりも一番先に、自分を犠牲にできる愛の王者にならなければなりません。私たちが、神様のみ旨のために死ぬことは、すなわち生きることであり、苦労することは、すなわち栄光の位置に登る道です。イエス様が「自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失ものは、保つのである」(ルカ一七三三)と言われた意味が、正にこのことだったのです。
韓国のセマウル運動は、歴史に輝く民族の自立、更生の金字塔です。これは檀君以来、その類例を見ない課業であり、世界のどの国の歴史にも、これに匹敵する記録がありません。我が国の工業発展は、戦後の日本やドイツの復興をも凌駕する記録です。加えて、このような急速な成長を、虎視眈々と南侵を狙う北朝鮮の金日成主席の目前において成し遂げたということは、大きな意義があります。
アメリカ人たちは、私に対して、朴正熙大統領と何か密接な関係がないかと罪を着せようとしていますが、それはばかげたことです。私は、朴大統領と一度も会ったことのない人間です。しかし、成功しているのを見て、よくやっていると言うことができないのであれば、それは義人の道理ではありません。朴大統領は、この重要な時期に天が遣わされた指導者であると私は確信します。この方でなければ、我が祖国の復興は言うまでもなく、金日成主席の赤化野望から、もちこたえることさえ難しかったと私は思います。
天がこの歴史的な時点に、このような指導者を立てて、我が祖国を急速に復興させたのには理由があります。今や、韓国が新しい精神文明の発祥地となり、世界を指導して、世界に雄飛する時が来たので、その韓国が今後は、もうこれ以上苦難の中に貧しく苦しんでいてはいけないからです。いわば神様は、韓国をこれから全権特命大使として世界に送ろうとされるのですが、その大使を、ぼろぼろの雑巾のような服を着せて送り出すことはできないのです。礼服を着せて、世界の前に立たせようというのが神様のみ旨です。韓国は名実共に、世界の指導者像を備えなければなりません。これから韓国は、どの面から見ても世界各国において模範となり、羡望の的となり、彼らから尊敬を受けなければなりません。
韓国のセマウル(新しい村)運動は、「我々も一度良い暮らしをしてみよう!」という段階で止まってはいけません。韓国のセマウル運動は、世界を良い暮らしができるようにする運動に昇華されなければなりません。そのようなセマウル運動が、セマウム(新しい心)運動へと前進したことは、あまりにも神様のみ旨にかなったことです。セマウル運動が自分の体をよく生かす運動だとするなら、セマウム運動は自分の霊魂をよく活かす運動だからです。そして、このセマウム運動は、忠孝精神を中枢としたものなので、セマウム運動が世界に伸びていくとき、世界は私たちから真の忠孝精神を学ぶでしょう。このセマウム運動も、さらに一段階、前進しなければなりません。
私たちが究極的に始めようとする運動は、セサラン(新しい愛)運動です。セサラン運動は、神様を父として愛し、隣人を自分の体のように愛する運動です。新しい愛の極致は犠牲です。神様と世界と国と同胞のために犠牲となる運動に昇華されなければなりません。イエスキリストの究極的な教えがこれでした。しかし、キリスト教の歴史は、このセサラン運動をするところでいつも失敗しました。自分だけ生き、自分だけのためにする運動は必ず滅びます。自分を犠牲にして相手を生かす運動こそが、永遠に残るのです。イスラエル選民たちには、正にこのような悟りがなかったので、イエスキリストを十字架にかけてしまいました。キリスト教の全盛期を享有したローマは、自分を中心とした利己主義に翻弄されるとき、その帝国も内部から崩壊してしまったのです。
ある時期、神様はイギリスを祝福されました。その当時イギリスは、その領土に「日の沈むことがない」と言われるほど、その威勢が全世界に広がっていました。しかし、彼らが神様の真の祝福のみ旨を忘れ、世界植民地政策が自己中心になったとき、イギリスは秋の落葉のように衰退しました。彼らも、セサラン運動ができなかったことで衰退したのです。
今日、アメリカも、ローマ帝国などを羡むことがないほどの権勢と祝福を享有しています。彼らも二百年間、セマウル運動もよくやり、セマウム運動もよくやりました。しかし、「終わりの日」に、世界のために犠牲となるこのセサラン運動ができなければ、アメリカの将来は暗澹たるものでしょう。韓国も、この神様の原理から逃れることはできません。私たちが究極的に出ていく道は、セサラン運動です。自分を犠牲にし、自分の国を犠牲にしてでも共産主義を防いで、良い暮らしができる世界にしようとする犠牲的な愛に燃えなければ、私たちもまた、一度は良い暮らしをしたとしても、今の先進国が滅んでいくその落とし穴に共に陥ることになるでしょう。
統一教会は今、そのセサラン運動を五大洋六大州、百二十ヵ国に広げているのです。そしてこの運動は、神様が共にされる運動となるでしょう。この運動によって、名実共に五色人種が一つの兄弟となる理想が実践されています。そして、統一教会が導くセサラン運動の故郷は、我が祖国、大韓民国なのです。
「私の愛する祖国よ、輝け!お前はついに神様の召命を受けたのだ!世界を生かすセサラン運動の本郷になったのだ!」。これが本日の朝、皆様に申し上げる私の証言のすべてです。
私たち韓民族の急務は、自覚です。悟ることです。私たちは悟らなければなりません。私たちは神様から召命を受けたことを悟らなければなりません。私たちが選民であることを悟らなければなりません。自分だけが良い暮らしをするための選民ではなく、世界が良い暮らしができるようにする選民であることを悟らなければなりません。この使命を悟り、一致団結してこのことを実践するとき、神様の祝福は永遠に私たちの祖国と共にあり、私たちは神様の王子となる立場で新しい時代の先駆者となり、祖国の栄光も永遠無窮となるでしょう。最後に皆様の御家庭と社会生活に、そして大韓民国と指導者の皆様に、万福が臨むことを祈りながら、きょうの朝のお話を終わりにしようと思います。ありがとうございました。
3.世界と韓国の決意
平和経 第八篇 韓半島統一と世界平和
3.世界と韓国の決意
日付:一九八三年十二月十四日
場所:韓国、慶尚南道、馬山室内体育館
行事:全国八大都市勝共決起大会
万場の愛国市民の皆様、勝共会員、そして内外の貴賓の皆様。久し振りに、再び皆様にお目にかかれて、実にうれしく思います。
去る九月と十月のKAL(大韓航空)機撃墜事件とラングーン暗殺爆破事件のとき、どれほど驚愕と悲痛が大きかったでしょうか。私もその時、外地でその衝撃的な消息を知り、故国の皆様と共に驚きと悲痛を禁じることができず、憤怒もまた大きかったのです。
しかし国民の皆様は、その途方もない衝撃にも挫折することなく、その試練によく耐え抜かれました。その時私は、数多くの国難に不死鳥のごとく耐え抜いてきた伝統的な民族の魂を、故国の皆様に再発見し、心強さを感じたのです。きょう、私がこの場で皆様にお伝えしようとする講演の題目は、「世界と韓民族の決意」です。
まず、今日の危機状況についてお話ししようと思います。今日の世界は一言で表現すれば、大混乱の世界であると言えます。東洋や西洋を問わず、世界の南北を問わず、また先進国と発展途上国との区別なしに、今日の社会はみな病にかかっており、不正、腐敗、殺人、強盗、搾取、抑圧、暴力などが絶える日がありません。そして日増しにより一層増大しています。
また、国際的には国と国との間に、民族と民族との間に、宗教と宗教との間に、紛争、衝突、反乱、戦争などが至る所で起きており、最近ではKAL機事件、ラングーン爆破事件、ベイルート爆破事件などの大量虐殺の蛮行まで続出しています。
一方、先進国の国民が豊かな生活を楽しんでいる反面、アフリカのような発展途上国の多くの国々においては、数多くの人々が飢餓線上で苦しんでおり、飢えで死んでいく群れが増えつつあるのです。このような混乱と惨状の中でも、特に嘆かわしいことは、宗教が本来の役割を果たせず、互いに闘っているという事実です。
北アイルランドにおける新教と旧教との闘い、イスラエルのユダヤ教とアラブのイスラームとの闘い、イラクとイランのイスラーム内の教派相互間の闘い、プロテスタント内部の教派争いなどがそれです。人類の精神を先導して闘いを中止させ、和解させなければならない宗教が、かえって闘いに明け暮れているのです。
こうして世界は今、無法天地と化してしまい、人類は様々な暴力と殺戮、破壊と蛮行の海の中へ落ちていきつつあります。さらに共産主義の野蛮な策動によって、混乱はより一層深化されています。こうして人類文化は今、絶望的な危機状況に置かれてしまいました。
それでは、このような世界的な大混乱の根本原因は、果たして何でしょうか。それは従来の価値観が総体的に崩壊してしまったからです。どのように生きるのが正しい生き方なのか、その基準を喪失してしまったからです。何が善であり、何が真であり、何が正義であるのか判断が難しくなったからです。
価値の基準が国ごとに違い、団体ごとに違い、甚だしくは個人ごとに違います。さらに、共産主義が現れ、従来のすべての道徳観念を破壊しています。これは何を意味するのでしょうか。これは民主主義も共産主義も、そして宗教も哲学も、今や世界のすべての問題を解決し得なくなったことを意味するのです。
民主主義は、人間の権利の平等と多数決主義によって、すべての難問題を解決することを目標として出現したのですが、今日に至って、民主主義の社会であればあるほど、価値観の崩壊が一層深まりつつあり、これは民主主義が社会や世界の問題解決において、自信を失ってしまったことを意味するのです。
一方、共産主義は、革命によって社会主義社会を実現し、資本主義社会の構造的矛盾を一掃して労働者と農民を解放し、すべての社会悪を除去するという名分をもって出現しました。それにもかかわらず、今日、ソ連をはじめとするすべての共産国家は資本主義よりも、より深い構造的矛盾を露呈しており、より甚だしい社会悪をほしいままに行っています。そして、宗教は宗教なりに、人類の精神指導には全く関心をもたず、争いに明け暮れているのみならず、宗教内部にも不正、腐敗が蔓延しつつあります。また、哲学は哲学で観念化されてしまい、現実から遊離して、現実問題の解決には何ら助けにもなっていないのです。
このように見るとき、民主主義も共産主義も、宗教も哲学も、社会や世界の問題解決において、完全に限界性を露呈してしまったのです。今や人類は、世界の混乱を収拾するに当たり、そのいかなる主義や宗教や哲学にも、期待をかけることができなくなりました。これはこのまま行けば、人類文化が滅亡せざるを得ない状況になることを意味するのです。
それでは、果たしてこの世界的な大混乱を収拾する真の解決方案はないのでしょうか。人類は今やすべてを諦めて、滅亡の日のみをただ待っていなければならないのでしょうか。決してそうではありません。問題の根本的な解決方案はあるのです。その解決方案とは、絶対神(神様)の実在を前提とした解決方案です。それは、絶対神が、この地上に実現しようとした世界が、正に混乱のない平和の世界だったからです。
ですから、神様の実在と神様の創造を認めなければ、今日の世界の問題の解決は不可能なのです。これを言い換えれば、人間が、このような神様の実在と創造目的を知らなかったがゆえに、今日、大混乱の世界をもたらしてしまったのです。
神様が地上に実現しようとした世界は、真のユートピアであり、それは自由と平和と幸福に満ちあふれた世界です。このようなユートピアの理想を胸に抱いて、神様は今日まで切ない心で、地上の人々を訪ねてこられたのであり、人間は人間なりに混乱の中で苦痛を受けながらも、ユートピアを求めてさまよってきたのです。与えようとして切ない心で来られた神様の理想と探し求めてさまよう人間の理想は同じなので、神様と人間が出会いさえすればユートピアは直ちに実現されるようになっているのです。それにもかかわらず、全体的な分野において、その神様と人間の出会いがなかったので、人間は長い間苦痛を受けてきたのです。
私は早くから、悲劇と苦痛の中で呻吟する人類を救出する方案を模索することに、長い間心血を注いできました。それは瞑想と苦悩と探求の道であり、凄絶な精神的闘いの茨の道でした。
千辛万苦の努力の果てに、ついに実在される神様に出会うことができたのです。神様に出会ってみると、神様は栄光の神様ではなく、ユートピアを地上に実現するために、焦り、もどかしく思われる父母としての神様であられ、またその神様は、天道を明らかにして万物を抱く真理と愛の光でした。
神様の限りなき真理と愛に接したときに悟ったのは、神様と人間と宇宙の関係を人間にはっきりと知らせるために、神様が深く抱いてこられた深奥な思想でした。この思想によって世界のすべての問題は完璧に解かれ、ユートピアが実現されることが証明されたのです。この思想が正に「統一思想」であり、私が今、世界的に展開している統一運動の基本的理念になっているのです。
神様と出会って以来、私は今日まで、神様の思想をもって神様と人類の夢であるユートピアの実現のために、生涯にわたって統一運動を展開してきたのであり、その間の経験を通じてこの「統一思想」が問題解決の鍵であり、混乱収拾の鍵であることを、より一層確認することができたのです。人生問題、社会問題、宗教問題、歴史問題など、各種の難問題のために苦悶した末に、疲れ果てた多くの青年男女たちと壮年たちが、この思想に接してからは、あたかも旱魃(かんばつ)で干からびた草木が、甘雨(かんう)によって蘇生するように、彼らは希望と喜びと活気を取り戻して立ち上がったのです。
統一運動は、いまだ既成世代によって故意の迫害を受けているにもかかわらず、彼らは世界問題の根本的な解決の道は、統一運動だけであることを確信して私のあとに従っており、この数は急速に増大しているのです。
最近では、全世界から多くの著名な碩学たちまでが、この運動に参加し始めました。このようにして、民主主義も共産主義も、そして宗教も哲学も解決し得なかった各種の難問題の正しい解決方案は、ただ「統一思想」のみであることが、漸次、一般の人たちにも認識されつつあります。
統一運動が世界的に拡散していくのに、最も障害となるのが共産主義です。共産主義は弁証法的唯物論、唯物史観などの独特な哲学をもっていますが、民主主義はそれに対応する哲学をもっていません。その代わり、民主主義は「統一思想」を受け入れることができます。しかし、共産主義は、その党派性と階級性ゆえに、これを全く拒否しています。
こうして共産主義は、私の統一運動に対して、様々な手段を用いて妨害し、迫害したのです。虚偽宣伝と悪辣な謀略、各種の印刷物と集会を通じて、共産主義は、私と私のグループに対して中傷と迫害を加えてきたのです。政治家、言論人、学生、宗教人、文化芸術人、ひいては婦人たちまでも動員して統一運動を悪宣伝しました。統一運動に対する日本共産党の中傷と迫害に関する詳細な調査資料は、間もなく本として出版される予定です。
そして、彼らの迫害の方法も多様であり、襲撃、誘拐、拉致、不法監禁、暴力行為、強制的改宗の企て、洗脳、強迫、精神病院への強制収容と外部との完全な遮断、睡眠薬の投与による精神麻酔などがその例です。こうして今日に至っては、私と統一運動に反対し、迫害するいかなる団体も、いかなる個人も、その背後には必ず共産党があって、これらを直接間接的に操っていることが綿密な調査によって明らかにされたのです。それでは、共産主義は、何の理由で私の統一運動をそれほどまでにしつこく反対するのでしょうか。それは「統一思想」が、神様を彼らにはっきりと知らせるのみならず、体恤させることによって、無神論的共産主義の虚構性が白日のもとに暴露されるからです。
悪魔が太陽の光を避けて夜にだけ暴れるように、共産主義は神様を避けて、今日まで闇の世界でのみ権勢を振るってきました。「統一思想」によって、神様の真理の光を照らすとき、悪魔の正体が暴露されるので、彼らは必死で統一運動に反対しているのです。実際に共産主義者のうちには、「統一思想」に接して共産主義が虚偽であることを悟り、転向して統一運動に加担した例が少なくありません。
しかし、共産主義の反対と迫害にもかかわらず、統一運動は弱化するどころか、かえって驚異的な速度で成長し、全世界的に拡大されてきました。なぜでしょうか。それは神様が保護してくださり、助けてくださったからです。「統一思想」は正に神様の愛であり、統一運動は正に神様の願われた運動だからです。神様はこの運動を通じてすベての矛盾と社会悪を除去し、統一された一つの真のユートピアを実現しようとしておられます。ユートピアとは、宗教的用語では地上天国のことをいうのです。
それでは次に、私が展開している統一運動の最終目的を具体的に明らかにしようと思います。既にお話ししたとおり、神様の真理と愛の理念である「統一思想」によって、第一に社会的、世界的なすべての問題を解決し、共産主義をこの地球上から完全に一掃し、真の自由と平和と繁栄の世界を実現することであり、第二に、新しい価値観と新しい倫理、道徳による大家族主義の世界を実現することであり、第三に、すべての抑圧と搾取と差別と社会悪が消え去った、共生共栄共義主義の大統一世界を実現することが、最終目標なのです。
一言で言えば、真のユートピアを実現することです。そして、このような社会を実現する方法も、共産主義式の暴力や闘争の方法ではなく、真理と愛による平和的、理想的精神運動によるのです。このすべては神様のみ旨であり、神様が成就しようとされる最終目的となるのです。
韓半島において、大韓民国は共産主義と闘って勝たなければならない宿命的な立場に置かれています。大韓民国は、共産主義と闘って勝利すれば、世界に雄飛するのですが、共産主義に負けるときには、跡形もなく消えてしまうのです。敗北の悲惨な運命は、ベトナムの例がよく示しています。
大韓民国は北朝鮮だけに勝つのではなく、全世界の共産主義に勝たなければなりません。北朝鮮は悪の側で、世界共産主義を代表して北の地を占有しており、大韓民国は善の側で、世界民主主義を代表した立場で北朝鮮と対峙しています。こうして休戦ラインを間において、北朝鮮と大韓民国は各々共産世界と民主世界の先端に立ち、両世界を代表して生死を懸けた運命的な歴史的対決をしているのです。
北朝鮮は悪側を代表し、大韓民国は善側を代表しています。北朝鮮はサタンが背後にあり、大韓民国は神様が共にいてくださるのです。こうして韓半島は、世界において善と悪が最も鋭く向かい合っている、世界史的な地域となっており、この地域で善が悪を打ち破って勝利したとき、世界のすべての悪は滅びるようになるのです。神様は全摂理史をかけて、このような韓国国民と全世界の自由人が一つとなって、全体的な勝利を収めることを、待ち望んでおられるのです。
最後に韓民族の決意についてお話ししようと思います。休戦ラインを中心とする南北の対決は、総力体制の対決なので、国力において大韓民国が北朝鮮を凌駕しなければならないことはもちろん、思想的な面においても北朝鮮を凌駕しなければなりません。総力戦において、最後の勝敗は思想戦にかかっています。ベトナム戦争がこれをよく示してくれています。アメリカは最強の軍事力をもってしても、思想戦に敗れたために、結局ベトナム戦争で敗退してしまったのです。
思想戦という点から見ると、大韓民国は現在、非常に不利な立場にあります。共産主義が巧妙な偽装戦術によって、宗教界と大学街に浸透しており、農村と都市には共産スパイの地下組織が根を下ろしつつあります。全国民は団結しなければなりません。教授たちは大学街を、宗教人たちは宗教界を、官僚たちは国民を、責任をもって思想教育を急がなければなりません。そして、共産主義の理論を論破する「勝共理論」によって早く武装し、共産主義の偽装浸透とスパイの地下組織網を摘発、粉砕したとき、初めて思想戦に勝利できるのです。このときになって、初めて北朝鮮の南侵を実質的に阻止できるのです。
ここにおいて留意しなければならないことは、北朝鮮は全共産世界を代表しているので、北朝鮮の背後にはソ連をはじめとする多くの共産国家がつながっているという事実です。北朝鮮とつながったこれらの国家は、世界制覇という思想的な連帯関係をもっているために、有事の際、北朝鮮は、これらの国家、特にソ連と中国から軍事的、経済的な支援を受けることができますが、大韓民国はそうではありません。
今後、有事の際、六・二五動乱のように自由の友邦が私たちを助けてくれると期待してはいけません。なぜならば、民主世界には世界統一という思想的な内容がないからです。六二五動乱の時とは事情が全く異なってしまいました。これは、自由の友邦が世界のための思想で一致しているわけではなく、自国の利益を追求するだけではなく、選挙による主権者の変動が可能であり、だんだんと自由化されつつあるからです。
私は、自由陣営のこのような脆弱(ぜいじゃく)点を早くから知っていたので、これまで、日本、アメリカ、ヨーロッパ、中南米などを往来しながら、世界の青年、学者、言論人、政界人などを糾合して、超国家的な「勝共思想」で彼らを覚醒し、彼らの国家に民間的な勝共基盤を造成して、歴史的、摂理的、世界的な全体共産主義との対立地である大韓民国を守護するために全力を傾けたのです。特に、アメリカと中南米には、カウサ(CAUSA:南北米統一連合)運動を通じて「勝共思想」を国民に定着させることに成功し、日本では強力な民間の勝共基盤を構築しました。
アメリカと日本において、この基盤は今後、一層急速に拡大されるでしょう。韓国もこれまで私が勝共連合に指示して、全国の里、統単位の指導者を選定し、全国民的基盤を立てるようにしました。このようにして、少なくとも、韓国と日本とアメリカにおいて、為政者のレベルではなく、民間のレベルで、思想的に強力な連帯関係を形成するようになったのであり、有事の際、迅速に支援を得られる土台がつくられたのです。
これから世界を代表するこの三国の勝共国民会員は、姉妹結縁と相互交流、教育などを通じて、団結をより強くするように指導しようと思います。北朝鮮の直接的な脅威のもとに置かれている韓国には、まだまだ勝共国民要員が大幅に足りません。一つの里、統内に、少なくとも百人以上の勝共国民会員がいなければなりません。そうすれば、約七百万の勝共国民会員となり、勝共の主体国として国際的威信をもつようになるでしょう。
したがって、一つの里、統内で、できる限り父も母も、勝共国民の働き手にならなければならず、兄も弟も姉も妹も、そして夫も妻も勝共国民会員にならなければなりません。そうなるとき、町内会は勝共国民町内会となり、民防衛隊は勝共国民民防衛隊となり、セマウル運動は、勝共国民セマウル運動となるのです。そうして初めてこの国に強力な勝共国民基盤が造成されるようになり、確固たる安保国民基盤が構築されるようになります。国の為政者がたとえ代わったとしても、この国民基盤造成は決して中断されてはいけません。
しかし、これで満足してはいけません。この国民基盤を、再び外国の勝共国民基盤と連結しなければなりません。そうして強力な国際的勝共国民連合戦線を形成しなければならないのです。国際的な勝共国民連合戦線によって、北朝鮮を含む全世界の共産主義と闘って勝利するとき、初めて北朝鮮を打倒し、北朝鮮の地を解放するのです。
私が今回、韓国に帰ってきたのは、正にこのような仕事をするためです。各国の勝共国民基盤を韓国と連結させ、強力な国際的な国民連合戦線を形成するために帰ってきたのです。
今日、ここで勝共大会を開くのも、国民の皆様に国を生かすために、早く「勝共思想」で武装してくれることを訴え、併せて国際的な勝共国民戦線を形成するためです。
私がここまで来るのに、多くの迫害を受けてきました。国家を越えて世界的に迫害を受けてきたのです。今や、国民の皆様がこれまで積み上げた実績を通じて悟る時になりました。韓国が生んだ偉大な神様の思想を受け入れなければなりません。この思想は私の思想ではなく、神様の思想であると同時に、皆様と人類の思想です。
この場には七十ヵ国の「世界平和宗教授アカデミー」の議長団七十人の方々も来られています。この方たちは、著名な世界的碩学者で、私の統一運動と勝共運動に賛同した方々であり、本大会を支援し、韓国と各国の勝共国民の紐帯強化を図るため、今回訪韓したのです。
こうして、この地球上から共産主義を完全に一掃するとき、初めてこの地上に、長い間、神様の希望であり、人類の夢だったユートピアの世界が建てられるようになり、我が民族の念願である祖国統一が達成されるのです。
その日のために、私たち全国民は、一致団結して共産主義と闘うことを固く決意し、全世界の国民と心を合わせて一体となり、共産主義の打倒のために総決起し、総進軍しましょう!
大韓民国と皆様の御家庭に神様の加護と祝福があることを願ってやみません。ありがとうございました。
4.世界のために祖国が行くべき道
平和経 第八篇 韓半島統一と世界平和
4.世界のために祖国が行くべき道
日付:一九八五年十二月十一日
場所:韓国、ソウル、ヒルトンホテル
行事:真のお父様勝利帰国歓迎晩餐会
各国からお集まりの貴賓、そして紳士淑女の皆様。今晩、私をこのように盛大に歓迎し、心情的に祝ってくださることに対し、心から感謝申し上げます。とりわけこの日のために、様々な御事情を差し置いて、私の帰国の道を輝かしいものとするために世界各地から来席された、各国の最高指導者の方々、ならびに著名な宗教界、学界、言論界、財界などの指導者の皆様に深い謝意を表します。
昨日の朝に帰国し、慣れ親しんだ故国の山野と空を眺め、また今夜、皆様の前に立つことになった私の心は、いかなる時よりも感慨深いものがあります。皆様が、きょうこのように私を歓迎してくださるのは、レバレンドムーン個人に対してではなく、神様のみ旨と公義のために徹して生きてきたレバレンドムーンを歓迎しておられるのだと思います。思えば、きょうこの集まりは重大な歴史的事件です。私一人の進退に世界の関心が注がれており、世界の最高指導者たちが遠路はるばる韓国に駆けつけて、私の帰国を祝うというこの事実が、どうして簡単なことでしょうか。神様のみ旨を中心に、一生涯をために生きてきた私の理想と実践を見守り、感化、感動されたからではないかと思います。
宇宙の存在秩序は、ために生きることを根本としています。真の理想、真の愛、真の平和世界は、神様の創造理想であると同時に人間の希望です。ですから、理想と幸福と愛の起源は、相対のために生きるところにあるのです。宇宙を見れば、いかなる存在物も自分だけのために存在するものは一つもありません。動物界は植物界のために、鉱物界と植物界は動物界のために、またこれらすべてを合わせた万物は人間のために存在しています。それでは、人間は誰のために存在するのでしょうか。人間は神様のために存在するのです。その神様はまた万物のために、万物を存在たらしめ、成長、発展するようにされるのです。
このように、ために生きることは存在世界の基本秩序なので、いかなるものも、ために生きる存在として生まれたのであって、自分だけのために生まれたのではありません。男性が生まれたのは男性のためではなく、女性のために生まれたのです。女性の場合も同様です。いくら美しい女性でも、女性が生まれた本来の意味は、女性のためではなく、男性のためなのです。男性と女性がもつ素性と感情もすベて相対のためのものであって、自分のためのものではありません。夫婦の場合も、結婚して「ああ!私が生まれたのはあなたのため、生きるのもあなたのため、死ぬのもあなたのため」と言うようになれば、これを理想的な夫婦、幸福な夫婦というのですが、存在世界の基本秩序から見て、これは極めて当然のことだと言えるでしょう。
そこから真の愛は始まるのです。このように、真のものは、ために生きるところから起源を求めなければなりません。真の父母の愛も、真の子女の孝の道も、真の夫婦の愛も、相対のために生きるところから起源を見つけるのです。この公式を適用すれば、真の父母は子女のために存在するのであり、真の孝子は父母のために、真の国民は国のために、真の主権者は国民のために存在するのです。このすべてに真があり、幸福があります。宇宙の存在秩序がこのようになっているように、神様のいらっしゃる本然の世界、すなわち天国や楽園もために生き、ために死んでいった真の人々が入っていく所です。すべての宗教が犠牲や奉仕を教え、ために生きる愛の実践を強調する理由はここにあります。ために生きる所は自然に中心となり、尊敬される場になるのです。例えば、兄弟の中で、幼い弟がために生きる愛をもてば、家族の慈しみと羨望を独り占めにするようになるのです。
ために生きる生活は、個人的な基準の秩序で終わるのではありません。家庭的な基準において、その構成員がために生きるとき、初めて家族の真の和合と幸福の理想が実現する家庭天国が築かれるのです。さらに国家的基準で、全国民がために生きるところに国家天国が築かれ、世界的な基準で全人類がために生きるときに、全人類の真の和合と幸福の理想が実現し、世界天国が築かれるのです。
理想世界とは、永遠、不変、絶対的な神様を父母として侍り、全人類が兄弟姉妹としてために生きながら仲むつまじく暮らす大家族の世界です。このような世界を築くために、神様の摂理を全体的に指導する方を救世主、あるいはメシヤと呼びます。真の愛の回路が塞がった世界で、ために生きる生活によって手本を示してくださるこの方は、人類の理想の動機であり、目標です。
メシヤとして来られたイエス様は、ユダヤ教とイスラエルを基盤に世界を救援するために、彼らが世界のために生きるように目覚めさせようとしましたが、その過程において、不信され、十字架にかけられるようになりました。イエス様のみ旨は「世界のためのユダヤ教とイスラエル」になることを願ったのですが、彼らは、自分たちだけのための神様や救世主であることを求めたからです。そうして復活されたイエス様は、世界のキリスト教圏を霊的に導いてこられました。
アメリカは、神様のみ旨を中心に世界救援の旗手にならなければならない、世界キリスト教の代表として選ばれた国です。アメリカは、キリスト教精神を通じて、神様のみ旨を世界的に結集させなければならない重大な使命をもつようになったのです。アメリカに下さった神様の祝福は、アメリカだけのための祝福ではなく、世界のための祝福であり、またアメリカだけのためのアメリカではなく、世界人類のためのアメリカでなければなりません。このような神様の心情と摂理を知った私は、アメリカに行かざるを得ませんでした。そして過去十三年間、アメリカを目覚めさせるために気も狂わんばかりに働いてきたのです。
アメリカは第二次世界大戦以後、その戦後問題の処理過程において、世界のために生きる使命を忘れたことがたくさんありました。世界を優先的に心配しなければならない神様の期待に背き、アメリカだけのことを心配したので、アメリカは自由世界の多くの国家を失ってしまいました。アメリカがキリスト教精神に徹することができなかったとき、国内に多くの諸問題が生じたのです。人種問題、麻薬問題、青少年の淪落と家庭の破綻、暴力と犯罪、共産主義の浸透などがそれです。様々な原因が考えられますが、これらのすべてはアメリカの精神的な枯渇によってもたらされたものです。神様はアメリカから、世界のために生きる代表的な個人が現れることを期待され、また、世界のために生きる代表的家庭が現れることを期待され、また、アメリカが世界のために生きる代表的な国家となることを期待されたのです。ところが、アメリカの現実からは、神様の願われる個人や家庭は探し出すことができず、アメリカという国も、信仰の基盤がことごとく揺れています。ですから、神様は私に、その使命を全うするように激励されたのです。
東洋の韓国からアメリカに渡った私が、神様のみ言を中心に積極的にアメリカを覚醒させようとしたとき、既に信仰的基盤が崩れていたために、悔い改めて従ってくるどころか、誹謗と謀略で反発する抵抗がどれほど激しかったでしょうか。私が受けた天命は、準備された基盤をもって人々を覚醒させる教育をし、できなければ、途中で勝手に放棄できる、そのような性質のものではありません。
過去十三年間、激しく迫害され、冷遇される中でも、私は、神様が理想とされる、世界を代表するために生きる個人、そのような家庭、そのような氏族の代わりにならなければなりませんでした。そして、アメリカの若者に、私が実践して手本を示すことによって、神様に従って世界を代表する、ために生きる家庭と氏族を編成しました。アメリカと全キリスト教に代わって、世界のために生きる新しい天民を育成していく作業でした。
私は天命に従って孤独な道を開拓してきました。神様の願いは、人々が神様を漠然と信じることにとどまるのではなく、自己の責任分担として実践し、成就することであることをはっきりと知る私は、そのために生涯を捧げてきました。
過去三十年間、私は第一に、神様を中心とした理想の普遍化と教育のために、全世界の学者を動員して、たゆまず努力してきた結果、既に百ヵ国以上に確固たる思想的基盤を構築しました。第二に、地上天国の理想は、霊的な要求だけで成し遂げられるのではないため、技術と真の先端科学分野の発展のための投資と努力を続け、驚異的な成果を収めました。第三に、神様のみ旨を地上に実現するための世界的な経済基盤を確保し、各種の経済活動と未来の金融秩序のための国際協力方案を模索し、研究しています。第四に、正しい言論によって社会を教導するために、世界的な言論機関を育成してきました。このほかにも多方面で創意的な活動を積極的に展開していますが、これらのすべては神様のみ旨を地上に実現するという課題と直接関係のあるものです。
皆様も御存じのように、私はアメリカで獄中の苦しみを体験したあと、この八月に出監しました。彼らは私を罪人に仕立て上げて投獄しましたが、私は獄中での十三カ月間、胸を痛めながら神様に祈りを捧げ、アメリカと世界の運命のために、一日たりとも心配しなかった日はありませんでした。「アメリカの罪を赦し、私の使命を全うさせてください」と祈りながら、霊的、信仰的基盤を再び覚醒させるために、数多くの行事を陣頭指揮してきました。アメリカでキリスト教の基盤を中心とした奉仕活動を展開するために、大型トラックを数百台購入して支援しました。また、ソ連帝国の滅亡を宣言する国際学術会議、宗教連合運動、新しい週刊誌「インサイト」と新しい月刊誌「ワールドアンドアイ」の創刊など、新たに数十ものプロジェクトを獄中から指導し、着手しました。
私は歴史的な反対を受ける場にあっても、投獄される悔しさの中においても、神様のみ旨を中心に、アメリカのいかなる個人や団体、教団以上に、アメリカのために生き、アメリカを愛しました。それだけでなく、天命を遂行する過程で、いかなる公人が歩んだもの以上に息の詰まる、血と涙ににじんだ供え物の道を、個人的に、家庭的に、教団的に歩みました。骨身を削る痛みであっても、アメリカを生かし、世界のための道であるならと考え、感謝しつつ克服しました。
天の召命を受けて立った私の道は、茨の道でした。日帝時代に、学生だった私は、独立運動をして投獄され、北朝鮮で宣教した時には、社会紊乱(びんらん)の罪を着せられ、興南の監獄で死の峠を越えました。韓国では草創期に、異端として追われ西大門の監獄で苦しみを味わいました。そして先回、アメリカでは人種の偏見と宗教迫害がきっかけとなり、獄中の苦しみを味わってきたのです。このように私の道は苦難の連続でした。しかし、私は死なずに生き残り、このように皆様の前に立っています。
反対の竜巻が起ころうと迫害の波がいかに激しくとも、敗者とならず、ために生きる天道に従って勝利の祭物をもったまま、このように帰ってきました。この勝利は私個人だけのものではなく、神様と共に成し遂げた勝利です。人々に理解されず、さらに迫害のまっただ中で、このような驚くべき基盤を築けたことは、容易なことでしょうか。皆様に、自らこのような基盤のことを話すのは、私自身を誇るためではありません。一つ一つ私を導き、役事され、守ってくださった、生きておられる神様を証し、栄光を帰すためです。
人間の力だけでは想像もできない奇跡が、私たちの前で現実に展開しているこの瞬間、皆様全員が奇跡の目撃者になりました。歴史上、空前絶後の勝利を祝う世界的な式典に参席されたこと自体が、永遠に誇りとなるでしょう。願わくは、皆様も、きょうのこの場が奇跡に駕嘆する場にとどまるのではなく、摂理的な意義に対する確認とともに、奇跡の実体と確固とした関係を結ぶことによって、生涯の跳躍の契機とされるようお願いします。
これは個人のためにも、民族と国家のためにも、勧告せざるを得ません。韓民族が、私が歩んできた歴史的な勝利の基台に立つならば、韓国はやがては世界に飛躍するようになるでしょう。
尊敬する貴賓の皆様。神様のみ旨を中心として見るとき、韓民族は神様が選んだ民族であり、韓国は神様の願われるために生きる生活の手本を示すべき摂理の中心国家です。歴史上の数多くの事情と曲折がもつれ合った韓国は、ここに結集されている無数の摂理史の霊的条件と歴史の功罪を受け持ち、整理して清算しなければならない摂理的な使命があります。優れた天稟と文化をもった民族でありながらも、世界で類例を見ない苦難の道を歩んできたことは、このような点から理解されなければなりません。
この民族の試練はこの民族自体だけのものではなく、摂理的なものであり、神様はこの民族がこれを克服することを待ち望んでいます。世界史の総合的な遺産と呼ぶことのできる東と西、南と北の出会い、精神と物質、唯心と唯物の対決と混沌が集約された韓国で渦が巻き起こるのも、ちょうど新しい時代をはらんだ産婦の産みの苦しみのようなものです。
韓民族の民族的、国家的な苦難は、神様のみ旨と摂理を離れては解決できず、韓国単独としてではなく、世界との関連の中でのみ解決が可能であると思います。韓民族は今や天のみ旨を悟り、神様が世界の精神界を指導する目的をもって送られた方に従って、苦難を越えていかなければなりません。
私と統一教会の基盤は、徹底して天のみ旨に従って、ために生きながら築いてきた基盤です。ユダヤ教とキリスト教の迫害を貫き、東と西の無理解を跳び越えて勝利した基盤なのです。私の世界的な勝利の基盤の上で、韓民族と韓国が世界の、ために生きる生活をするようになるならば、神様はアメリカに与えた歴史的な祝福以上の祝福を韓国に下さるだろうと思います。そのようになれば、韓国は苦難を克服するだけではなく、世界の前に真と愛と平和の中心となるでしょう。神様が韓国を愛されるのは、韓国だけのためではありません。韓民族が世界のために生きるとき、初めて神様が韓国に与えてくださった祝福は結実するのです。
尊敬する内外の貴賓の皆様。私がアメリカで法廷闘争を続けているとき、私の無罪と潔白を裁判所に嘆願し、声援を送ってくださった各界の指導者の皆様に、この場をお借りして厚くお礼を申し上げます。神様の祝福が皆様の御家庭と私たちの祖国の上に永遠であることを祈りながら、私の挨拶に代えさせていただきます。ありがとうございました。
5.神様のみ旨と韓国
平和経 第八篇 韓半島統一と世界平和
5.神様のみ旨と韓国
日付:一九八五年十二月十六日
場所:韓国、ソウル、蚕室室内体育館
行事:国際勝共安保決意大会
満場の国内外の貴賓、紳士淑女、および勝共同志の皆様。一年中で最もお忙しい時であるにもかかわらず、このように多くの方々が参席してくださり、深く感謝を申し上げます。
きょう私が勝共会員の皆様がお集まりになったこの場をお借りして、皆様にお伝えしたいメッセージについて考えるとき、「神はいない」という共産主義に勝利するには、神様に対する確信と体験がなければいけませんので、そのような観点から題目を「神様のみ旨と韓国」に決めました。韓国は神様の摂理の焦点になっていることと、今日の世界問題の解決の鍵は韓半島にあることを明らかにしようと思います。
今日の世界情勢を様々な面から見つめると、誰もが失望を感じざるを得ません。人類の切なる願いが自由と平和と安全であるにもかかわらず、世界的混乱は日ごとに悪化し、人類の将来は今や絶望状態に至りました。
世界の指導者たちの絶え間ない努力にもかかわらず、世界の問題はより複雑になり、より難しくなりつつあります。民主主義や共産主義も、宗教や哲学も、世界の問題の解決において、全く無力であることが明らかになってしまいました。それは、神様のみ旨が分からないからなのです。人類歴史は神様の摂理歴史なので、神様の摂理のみ旨が分からなくては、世界の問題の解決は不可能な段階に至ったのです。
神様は分断された韓半島に焦点を置いて世界を摂理していらっしゃいます。ですから、神様のみ旨を知るためには、韓半島の分断の意義を理解しなければなりません。韓半島の休戦ラインは、共産独裁体制と自由民主体制が対立しており、左翼と右翼が対立しており、唯物論と唯心論、無神論と有神論が衝突している対峙線です。
今日、世界を思想と体制の面から見たとき、アメリカとソ連を両極として民主陣営と共産陣営に分かれていることが私たちには分かります。ですから、韓半島は世界の縮小型であり、世界は韓半島の拡大型です。ここに神様の深奥な経綸の意義があるのです。それは縮小型である韓半島の統一をまず成し遂げ、同じ方式を拡大型である世界に適用して、世界の思想的、体制的統一を達成しようとする摂理なのです。
休戦ラインとヘブライズムヘレニズムの対峙
韓半島の休戦ラインの、もう一つの摂理的意義は、旧約時代のヘブライズムの流れを引き継いだキリスト教文明とヘレニズムの流れを継承した共産主義文明が、この休戦ラインで対峙しているという事実です。へブライズム文明とヘレニズム文明は、ローマを中心としてイエス様によって統一されることになっていましたが、イエス様の十字架の刑によって統一の起点がなくなってしまい、それが今日まで平行線を描いてきました。
時には一方が優勢になったかと思えば、時には他方が優勢になりながら、今日に至り、ヘブライズムの流れはキリスト教文明に連結し、ヘレニズム文明は共産主義文明に受け継がれて、韓半島の休戦ラインを間において対峙しているのです。韓半島においてこの二つの流れの文明が統一されることが神様のみ旨であることを考えるとき、そのような点から休戦ラインは摂理的な意義が大きいと言わざるを得ません。
韓国は、地政学的に四大強国に囲まれていて不利な点もありますが、摂理の焦点が韓国なので、韓半島の成功を世界に広めるには、強大国を通じれば速いという点において有利な立場にあるのです。
それでは神様は韓半島の統一をどのように達成しようとされるのでしょうか。それは一人の人を摂理的中心に立て、彼を通じて神様の愛を実践するように摂理するのです。その愛とは、自分の隣人や自分の国のためだけの愛ではなく、国家を超えて全世界までも愛し、ひいては世界的な怨讐までも愛する愛です。
敵のために祈り、敵のために必要であるならば命までも捧げる愛が神様の愛です。二千年前にメシヤとして来られたイエス様が、正にその愛の主人公でした。イエス様は十字架にかけられてまでも怨讐を愛しました。
ここでしばらく、イエス様の十字架の刑について触れてみようと思います。皆様はイエス様と共に二人の強盗が十字架にかけられたことは御存じのことと思います。ここにも神様のみ旨があったのです。右の強盗はイエス様を証して善の側になったのであり、左の強盗はイエス様を誹謗することによって悪の側になりました。特に右の強盗は左の強盗に比べ、イエス様を擁護しながら、左の強盗を最後までたしなめました。このようにして十字架は、神様とサタンの対決の決戦場にあり、すべての問題の解決の焦点となるようになったのです。
道であり真理であり命であられるイエス様が、十字架にかけられ、その苦痛の中でも怨讐を愛しながら、両側に善と悪をそれぞれ引き連れたことには、非常に深い摂理の意義があります。そこには神様の愛を中心にした和解の原理、統一の原則が内包されているのです。
それは、善の側と悪の側の対立をはじめとして、すべての種類の対立、闘争、衝突は、犠牲的な愛によってのみ和解し、統一されることを示しているのであり、いかなる困難な状況下においても神様の愛を実践できてこそ、罪人を悔い改めさせ得ることを示してくれているのです。
そして、十字架を中心とした左右の強盗は、遠い将来の歴史的終未点において現実的な善悪の対立として結実する、その種子の立場だという事実を理解しなければなりません。「右翼」と「左翼」の名称が今世紀に現れたのも、イエス様の十字架に起因するものです。
今日の善の側の自由陣営と悪の側の共産陣営の出現は、既に二千年前に十字架を中心として見せてくださったのであり、のみならずこの左右の強盗の対立は、その後の数多くの対立、闘争の原型にもなったのです。今日の左翼と右翼という名称の歴史的起源は実に十字架の左右の強盗にあったのです。
特に、命を懸けて左の強盗に対抗しながらイエス様を証した右の強盗が、死んでから復活して楽園に行ったように、今日、右の強盗と同じ立場にあるアメリカが、左の強盗に該当するソ連に対して、最後まで強力な対決を堅持していったならば、必ず神様の公認を受けて地上天国に入ることができるのです。そのことを示しているのです。
十字架上の善の側と悪の側の対立として象徴される、現実のすべての対立と闘争の状況は、韓半島の休戦ラインがそのまま集約的に表現しています。ですから、南北に分断された休戦ラインは、世界の分断の摂理的な代贖のための民族的十字架なのです。ここで韓半島は、十字架上のイエス様に該当し、再臨の基地でもあります。
神様はなぜこのような摂理をされるのでしょうか。神様がこの民族に十字架を負わせたには、この民族を召命するためです。この民族は長い間、天を敬い、道義精神と平和精神をもって長い試練に打ち勝った受難の民族であり、善の民族であるがゆえに、召命されるに至ったのです。
そして終末に、人類を救うための摂理史的な祭物になったのです。数千年間、苦難の歴史を過ごしてきた韓国は、最後に人類救援の祭物となって、分断という世界史的な十字架を負い、あらゆる試練に打ち勝ちつつあるのです。
祭物として召命された民族であるがゆえに、摂理の焦点が韓国に置かれているのです。これは韓民族として、栄光であると同時に恩賜であり、恐ろしい重荷であることを理解しなければなりません。祭物である民族としての責任を果たすときは、最も光栄な祝福を受けるのですが、責任分担を果たせないときは、最も過酷な不幸に襲われるからです。二千年前のユダヤ民族は責任分担を果たせず、歴史を通じて大きな不運にさらされてきたことを私たちは知っています。
民族に担わされた摂理史的な祭物の使命を果たすためには、愛の実践とともに神様の真理を知らなければなりません。イエス様は愛を中心とした実体として、御自身を、道であり真理であり命であるとおっしゃいました。イエス様は愛と真理の実体として十字架にかけられたのです。
これは、善の側と悪の側を和解させ、怨讐を悔い改めさせるには、愛とともに真理が必要であることを意味しているのです。真理とは、世俗的な真理ではなく、神様の愛に関するみ言をいいます。神様の真理は一定の摂理的人物を通じて、啓示として地上に伝達されます。神様の真理は絶対的真理です。絶対的真理は万能の鍵のようなものであって、この真理を適用すれば、いかなる難問題も解けるようになるのです。
私は、長きにわたる祈りと瞑想の生活の末、ついに実在する神様と出会い、絶対真理を伝授されました。それは、宇宙と人生と歴史の背後に隠されたあらゆる秘密を明らかにする驚くべき内容でした。この内容を社会に適用すれば社会の問題が解決され、世界に適用すれば世界の問題が解決されます。
それだけでなく、宗教の未解決問題や哲学の未解決問題も解決されるのです。特にこれを共産主義理論の批判に適用したとき、共産主義のすべての虚構が白日のもとにさらされると同時に、共産主義に対する代案も立てられるものだったのです。
これは、かつてなかった新しい世界観であり、新しい宇宙観であり、新しい人生観であり、新しい摂理観であり、新しい歴史観です。また、あらゆる宗教の教理や哲学の特性を生かしながら、全体を一つに包容できる統合の原理でもあるのです。私はこれを「統一原理」または「神主義」と名づけ、世界的に統一運動と勝共運動を展開しています。この運動は現在、燎原の火のごとく広がっています。すべての対決の和解と統一のためには、神様の愛の実践と真理が必要だということを明らかにしました。
休戦ラインを境にして善の側と悪の側に分かれた韓民族は、善の側の真理をもって悪の側の思想の過ちを論しながら、愛で抱いていくならば、統一は必ず成し遂げられるでしょう。
ここで私は、愛についてもう少し具体的にお話をしたいと思います。愛とは相対があるところに成立します。愛は相対から来るのであり、ために生きるところに真の愛が成立します。相対がなければ愛は存在できません。自己のために生きるのではなく、先に相対のために生きるのが愛です。すべての被造物はために生きるように創造されたのであり、ために存在するのです。人間のみならず、動物、植物、鉱物も、ために存在します。原子の世界も、ために存在し、太陽と月と星の運動もすベて、ために生きる運動なのです。
また、人間の男性は肉身の構造から見て女性のために存在し、女性もまた身体構造から見て男性のために存在します。同様に、父母は子女のために存在し、子女は父母のために存在します。ために生きることの原則は、学校、職場、国家においても同様です。しかし、そのために生きる愛は、国家の枠内でとどまってはいけません。国民は国境を超えて世界を愛し、さらに進んで世界的怨讐までも愛さなければなりません。
全宇宙のすべての個体は、ために生きながら存在し運動しています。ですから、ために生きる愛の道理は天道であり、天理なのです。いくら困難な中にあっても愛の道理を実践すれば、宇宙的な力が彼を助けて、彼は決して滅びることがありません。しかし、いくら快適な中で生活しても、ために生きる道理を守らなければ、いずれは衰退していくのです。「天に順う者は存し、天に逆らう者は亡ぶ」という言葉は、この天理のことをいうのです。
このように見るとき、民族的十字架を背負つた韓民族は、統一の達成が難しくとも、真理の中心と一つになった中で、天道に逆らうことなく、ために生きる生活を、個人、家庭、社会、国家で営み、国際的に拡大していくならば、間違いなく韓半島の統一はもちろん、全世界の救援の道も早められるでしょう。
それは、韓国に焦点を置かれた神様の摂理のみ旨と一致するからです。南北統一が早められるばかりでなく、この方式が一つの公式となって、全世界も同じ公式に従っていくでしょう。そうしてこの愛と真理の運動のもとに、世界のすべての難問題は解決し、人類は長い間の不幸と混乱の悪夢から解放され、初めて永遠の幸福と平和が訪れてくるのです。歴史を通じて学んできた祖国は、神様に頼る以外に方法がありません。
私と統一教会と勝共の同志たちは、これまで外国の地で世界的な勝利基盤の造成に全力を捧げてきたのであり、その固められた勝利の基盤を韓国に連結させ、韓国をして世界に跳躍させる契機となることを望んで、このたび帰国しました。
特に韓国の勝共指導者の皆様は、世界の勝共運動の先頭に立ってくださるようにお願いします。どうか連結された国際的基盤を強固にし、大韓民国と共に世界の手本となってくださることを願ってやみません。終わりに、皆様の御家庭と私たちの祖国と世界に、神様の祝福が共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。
6.「南北統一運動国民連合」創設のメッセージ
平和経 第八篇
韓半島統一と世界平和
6.「南北統一運動国民連合」創設のメッセージ
日付:一九八七年五月十五日
場所:韓国、ソウル、リトルエンジェルス芸術会館
行事:「南北統一運動国民連合」創設大会
統一を熱望する愛国同胞の皆様。きょう、私たちは「南北統一運動国民連合」の結成のために、この場に集まりました。
南北統一は我が韓民族の念願であり、宿願です。私たちは倍達の同胞であり、五千年の悠久なる歴史において、燦爛(さんらん)たる文化と美しい風俗、優れた言語を駆使する平和愛好の単一民族です。このような一つの血統を引き継いだ倍達民族であり、一幅の絵のごとき三千里錦繍(クムス)江山(カンサン)!私たちは、宿命的に断ち切ろうにも断ち切ることのできない同一運命体だったのです。
しかし、人も山河も願わなかった南北分断の歴史が、既に四十二年目を迎えました。愛国の独立志士たちの血と精誠によって勝ち取られた独立の喜びも一瞬にして消え失せ、民族が南北に分断されて嗚咽して以来、四十年余りが過ぎました。この民族の悲劇はいつまで続くのでしょうか。いくら見回しても、南北統一の明るい兆しがないからといって、民族の出会いと祖国統一の希望を全く放棄すべきなのでしょうか。
皆様。私はきょうこの席で、私たちの祖国の南北統一は、必ず成就されることを宣言する次第です。また、その時が近づいています。私たちはきょう、その南北統一の機運醸成のために、ここに「南北統一運動国民連合」を創設するのです。
一九四五年の私たちの祖国光復は、いかにして成し遂げられたのでしょうか。祖国光復と私たちの独立は、二つの要因によって成就されたのです。その第一の要因として、三十六年間の日本帝国主義の弾圧にも屈しない自主精神をもって、多くの憂国の志士たちが国内外で血を流しつつ戦った独立運動の成果でした。第二の要因は、第二次世界大戦の終結と日本帝国主義の敗北という世界的運勢がもたらした結果です。正にこの二つの要因によって、私たちの祖国に解放がもたらされたのです。南北統一もまた、同じ原理によって訪れるのです。
七十年の歴史をもつ国際共産主義は、実質的にその終末期に処しており、ソ連を中心とした全共産世界の崩壊が目前に迫っています。彼らは今や、七十年間の虚構と欺瞞と失敗の歴史を、もうこれ以上隠蔽しようにもできない状況に至りました。共産主義理念の衰退は、すなわち北朝鮮の金日成主席の運命とも直結しており、これはまた、世界的に南北統一の機運を醸成する要因なのです。
このような国際情勢の推移によって、今後の私たちに必要なことは、国内外で国民の皆様が互いに力を合わせて南北統一を信仰化する運動なのです。統一を熱望する心に火をつけなければなりません。「意のある所に道あり」という言葉があります。また「誠を尽くせば天も感動する」という言葉もあります。北朝鮮の天と地が感動するほどの私たちの熱い統一への意志と情熱なくして、どうして統一を願うことができるのでしょうか。これが正に、私たちがきょう「南北統一運動国民連合」を結成する理由なのです。
今日、韓国と北朝鮮を断ち切っている怨恨の三十八度線は、ただ地理的な三十八度線でもなく、血縁的な三十八度線でもありません。相反する思想の三十八度線であり、価値観の三十八度線であることを、まず私たちは知らなければなりません。六・二五動乱のとき、私たちが互いに命を奪い合う同族の争いの原因は、血統が違うからでもなく、互いが同じ民族であることを知らなかったわけでもありません。それは譲歩できない価値観の違いから起こった戦いであり、その価値観の違いが民族を断ち切り、血縁を断ち切り、さらには父子の縁までも断ち切る恐るべき壁になってしまったのです。
それでは、その相反する価値観の基本的な違いとは何でしょうか。三十八度線でぶつかり合う最も基本的な価値観の対決とは、有神論と無神論の対決です。共産主義の思想は徹頭徹尾、神様を否認するところから出発しています。神様は存在しないと主張するので、絶対価値はあり得ず、絶対価値がないので、善悪の基準もありません。そこから「目的が手段を正当化する」という、共産革命の原理が出てくるのです。
共産主義は、科学を標榜しながら神様を否定しました。共産主義のみが科学的であるとし、科学の発達は、神様と宗教とあらゆる神話を、迷信にすぎないとして失墜させるものと信じました。そして、宗教は民衆のアヘンであると宣言したのです。
それでは、二十世紀の科学は、果たして共産主義が予言したとおりに、神様と宗教と神話をこの地球上から追い出すことができたでしょうか。できませんでした。二十世紀の科学は、それとは正反対に、科学的であることを誇っていた共産主義を十九世紀の迷信として墜落させ、かえって神様を証すものとなっていきつつあります。その一つの例を挙げてみましょう。十九世紀までの宇宙観は、「この宇宙は分けようにも分けることのできない絶対個体(究極粒子)でできている」というものでした。このような十九世紀の科学に基づいて、共産主義はその基本哲学として「宇宙の根本は物質である」という唯物論を主張したのです。
ところが、二十世紀の原子物理学は、この十九世紀の宇宙観を完全に覆すものでした。なぜならば、物質はほかならぬ無形のエネルギーからできていることが証明され、エネルギーと物質は相互変形的であり、相互交流的なものであることが、否認できない真理として明らかになったからです。さらに、二十世紀の先端を行く原子物理学においては、宇宙の形成は宇宙の中に何らかの意志がなければ成立しないことに意見が一致しつつあります。科学の因果関係の法則によって、宇宙の森羅万象が偶然の所産であるはずはなく、宇宙の中に太初から存在する第一原因の実在が次第に明白になりつつあります。
科学が究明していくところの、宇宙と人間を存在せしめる第一原因を、宗教においては「神様」と言います。その神様は、知情意を備えもつ人格的神であり、人間の創造は神様の自己表現だったのです。神様は御自分に似せて造った人間を通して、愛を与えたり受けたりしながら喜びを享受しようとしたのです。それが創造の目的です。
ですから、今日私たちが「神はいない」と言えば、まるで子女が「親はいない」と言うのと同じことです。あらゆる人間社会の価値観は、正にこの創造主を認め、その創造主との関係を正常化するところから出発するのです。その神様を地球上から抹殺しようとした共産主義は、彼らが固く信じた二十世紀の科学によって虚偽であることが明らかにされてしまい、「共産主義こそ、この地球上から消滅すべき間違った価値観である」ということが、はっきりと暴かれてしまったのです。
共産主義は、人間を単なる高等動物や、動く物質、すなわち機械のように扱います。神様を否認する共産主義としては、あまりにも当然の結論です。共産主義は、人間の起源を猿が進化したものとみなしており、猿は労働を通して道具を使用することによって言語を使い始め、言語から理性が発達して人間になったと定義しています。ですから労働は神であり、人間は高等動物であると主張しているのです。
共産主義の人間観には、根本的に問題があり、このような間違った人間観から人類に対する恐るべき犯罪が引き起こされるのです。人間が単なる高等動物であるとすれば、人間が人権を主張する何の理由もなくなるのであり、人間が単なる機械であるとすれば、その人間には、自由や愛や創造力をもち得る何の土台もなくなります。
共産主義の人間観は、ただ暴力革命の一手段にすぎないのです。彼らの主張によると人間が共産主義の目的に一致する時にだけ、人間として扱われるのであり、それ以外の人間は無価値的な存在であるとされるのは、あまりにも当然のことなのです。共産世界で人間がはえの命のように軽視される理由はここにあります。ソ連共産革命以後六十年の間に、一億五千万人の罪なき人命が、共産主義という美名のもとに虐殺されたという事実は、共産主義の人間観を知るならば、あまりにも自明な結果です。
人間の尊厳性は、人間が創造主神様の子女だというところに起因するものです。人間が神様と同じように神性をもっているという点から、人間の高貴な価値が生まれるのです。人間を害することは神様を害することであり、人間を愛することはすなわち神様を愛することになるのです。人間一人一人は神様がお造りになった個性真理体であり、人間一人一人は神様御自身を現す実体であり、人間は、神様が永遠であられるのと同じように永生するのです。
共産主義が人類に対して犯した最大の罪悪は、その思想が神様を否定するだけでなく、人間を動物視するところからくるものです。共産主義は人間を単なる高等動物や、動く物質、すなわち機械とみなします。ですから、共産主義を信奉する国々では、人権の尊厳性は、驚くべきことに体制自体によって根源的に否定されているのです。
この相反する二つの価値観の対決は、韓半島のみならず、今や世界の至る所で起こっています。今は、世界的な価値観の南北戦争の時代なのです。この価値観の対決を世界的な次元において解決しなければ、共産主義の問題は解決できず、私たちの南北統一も妄想にすぎません。ですから、世界の問題の解決なしに南北統一はあり得ず、韓国の問題の解決なしに世界の問題の解決はあり得ません。同じ方法で、世界の問題も韓国の問題も解決されるからです。
皆様。私がこの世界的な価値観の混沌を解決する鍵として提唱してきた思想が、「神主義」であり、「統一思想」です。「神主義」とは、神様の実在を明白にして、その神様から賦与される神聖不可侵の人権を明らかにして、共産世界を思想的に解放し、もう一方では、今日没落していく西欧文明を、世俗的な人本主義と退廃的な物質万能主義から解放しようとするものです。この思想をもって、私たちは北朝鮮を解放し救出できるのです。ですから、南北統一運動は、まず価値観の確立と提示から出発するという理由がここにあります。
このように、相反する価値観の対決を考える時に、私たちがまず肝に銘じるべきことは、自由統一のみが私たちの願う真の統一だということです。私たちの統一は、神様と自由と民主主義を基礎とする統一でなければなりません。その他のいかなる形態の統一であっても、それは真の統一ではありません。
自由とは、神様がすべての人間に賦与した神聖不可侵の権利です。これは私の権利であり、皆様の権利であり、北朝鮮の同胞たちの権利です。北朝鮮の同胞たちは、その権利を四十二年の間、剥奪されてきました。彼らも、私たちと同じように自由を享有できるそのような統一になってこそ、真の統一なのです。
私たちは、あのベトナムの例から大切なことを学ばなければなりません。ベトナムは統一されたのではなく、ソ連の奴隷になったのです。それは真の統一ではありません。ベトナムの赤化十二年の間に、自由を求めて脱出した数十万の人々がボートピーブルとなって海上で息絶え、数百万の人々が粛清されました。いわゆる統一されたという共産国ベトナムは、国民所得が百ドルにも満たない世界最悪の貧困国に転落してしまいました。誰もこれを「統一」と呼ぶ人はいないでしょう。北朝鮮の同胞に必要なのは解放です。彼らが待ち望む解放は、私たちが先頭に立って、世界の運勢を集めてくる時にのみ可能になるのです。これは、過去四十年間以上、より自由で幸福な生活を享受してきた私たちの、北朝鮮同胞に対する神聖な義務なのです。
北朝鮮の共産党は、過去四十年間、赤化統一政策を堅持し、その機会を虎視耽々と狙い続けてきました。彼らの南朝鮮解放の究極の目標とは、「韓国をアメリカ帝国主義の支配から解放することにより、祖国を統一し、韓国国民を北朝鮮人民と同じように主体思想化させること」と規定しています。韓国国民を主体思想化するということは、いわゆる「金日成唯一思想」によって武装させるということであり、それは正に金日成親子の絶対的な支配に屈するということなのです。すなわち、金日成主席のもとで奴隷化されることを意味します。
このような狂信の中で、一日も休むことなく南侵を準備し続けて四十年余り。彼らが六二五動乱の時に失敗した苦い経験を生かして、三十年以上さらに準備してきたのですから、今や、いわゆる「呻吟する韓国人民を解放するための革命的南侵の機運」は、その絶頂に達しているのです。このような南北対峙の緊張が高まっている状態の中でも、大韓民国はこれまで経済成長と国際的地位の向上において、目覚しい発展を成し遂げてきました。
韓国と北朝鮮の国民総生産(GNP)の対照は、一九八五年末に五五対一という格差を示しています。韓国はGNPにおいて世界の中で二十位を記録するようになり、世界で十二番目の通商国にまで発展しました。したがって、一九八八年のソウルオリンピック以後、韓国は経済的にも軍事的にも、絶対的有利な立場に置かれることは火を見るよりも明らかな事実です。そのようになれば、北朝鮮が信仰的に信奉してきた武力赤化統一の機会が永遠に消え去ってしまうことを見通した北朝鮮は、手遅れになる前にこれを阻止する目的で、あらゆる策略をしかけてくるに違いありません。
韓国を混乱に陥れるためのありとあらゆる宣伝と策略!
韓国の政治的混乱を契機に、ソウルオリンピックの開催を阻止するために、韓半島の不安と緊張を高めると同時に、最後の渾身の死力を尽くして軍事的冒険を選択する可能性も少なくないため、今後の十二年が決定的な時期であることを断言します。このような重大な時点に、私たちが「南北統一運動国民連合」を結成するようになったということは、実に歴史的なことなのです。
私たちの「南北統一運動国民連合」は、この時点において何をするべきでしょうか。まず初めに、私たちは民族の和解と一致に向かう真の価値観を確立し、その価値観を中心として思想武装をしなければなりません。アメリカをはじめとした自由世界の弱点は、思想の空白が存在するという点です。物質の豊饒(ほうじょう)と自由の澎湃(ほうはい)(物事が盛んな勢いでわき起こるさま)が、価値観の混沌と世俗的な人本主義の台頭をもたらしたという事実です。自由世界は、思想的な面において繰り返し後退してきました。これは滅びゆく共産世界が、最後まで世界赤化の野望を放棄しない理由なのです。
第三次世界大戦は思想戦です。共産主義を軍事的にのみ敗北させることはできません。共産主義思想を凌駕する、より優れた思想でなければ、共産主義を敗北させることはできないのです。その思想というのは、正に真理に立脚した思想をいうのです。偽りは真によってのみ征服できるのです。その思想がほかならぬ「神主義」です。今後、自由世界は、「神主義」、すなわち「統一思想」で武装して理念的攻勢に転換しない限り、共産主義に打ち勝つことはできません。
「南北統一運動国民連合」は、汎国民的思想武装運動において先鋒に立たなければなりません。「神主義」は北朝鮮の同胞を解放するばかりでなく、全世界の共産主義を解放して余りあるものです。またこの理念は、放縦と不道徳によって腐敗していく西欧世界において、精神大覚醒運動を起こしています。
それで私は、一九七六年にアメリカの首都ワシントンDCで歴史的な「神主義」を宣布する大会を行ったのち、「次の大会はモスクワで開く」ことを宣布したのです。「神主義」は共産主義の世界を解放できるという信念があったからです。共産主義が速やかに衰退しない原因は、私たちにはっきりとした代案がなかったからです。また、より優れた思想によって武装されていなかったからです。これからは大韓民国から思想運動を起こし、共産主義克服のための汎世界的な運動を展開しましょう。私たちが思想的攻勢を取って、虚偽と欺瞞で飾られた金日成唯一主体思想を圧倒できずして、どうして統一を願うことができるのでしょうか。
また、私たちの「統一思想」、「神主義」は「頭翼思想」であることを明らかにしたいと思います。右翼でもなく左翼でもない「頭翼」です。人類の真の平和は、右翼によっても、左翼によっても成し遂げられません。その理由は、右翼も左翼も、その根本的な動機が利己主義を脱することができないからです。己を中心とし、自国の利益を中心とするとき、そこには永遠になくなることのない利害の衝突があり、そこには統一もあり得ず、平和もあり得ません。
利己主義を打破する新しい世界観が現れなければなりません。自分よりも他のために生きるという利他主義は、ただ神様の理想からしか生まれてきません。それは神様が愛の本体であられ、愛の本質は、自己を犠牲にして他を生かす利他主義だからです。したがって、「神主義」の本質は愛であり、その思想は、人の四肢五体を動かす頭に相当する中心思想です。それで「頭翼思想」というのです。
右手も左手も実は同じ体についているものです。頭がなければ、それらは互いに他人同士のように闘いますが、頭が中心に定着して入れば、右手も左手も共に頭の命令に従って、体全体のために働く一つの共同体になるのです。
ですから、南北統一も「頭翼思想」によって成し遂げなければなりません。それは北朝鮮が韓国を赤化することでもなく、韓国が北朝鮮を侵略することでもありません。共生、共栄、共義の「頭翼思想」で南と北の価値観を統一することによって、南北統一を成就するのです。
第二に、私たちは、統一を熱望する心をもたなければなりません。熱望のないところに実践は伴いません。私たち国民連合は今後、南北統一を信仰化する運動を繰り広げていかなければなりません。統一は我が民族の宿願であるのみならず、必然であり信仰です。統一を目指す私たちの湧き上がる真心があるとき、神様はこれを成し遂げてくださるでしょう。この点において、私たちは北朝鮮に負けていると言っても過言ではありません。彼らは、強制によるよらないはともかくとして、韓国の解放を熱望する心をもっています。そして、これを成し遂げるためにすべてを投入し、犠牲になろうとする姿勢をもっています。
今や、私たちの統一への熱望、自分が犠牲になってでも必ず哀れな北朝鮮の同胞たちを解放してみせるという熱望なくしては、南北統一は幻にすぎないのです。そこで私は、この国民連合の宿願事業として、休戦ラインの近くに「統一祈願殿」と「統一訓練院」を建て、私たち四千万の熱い統一への熱気を北に送る事業を計画しています。
第三に、私たちは実力を養わなければなりません。私たちの統一の方案は、平和的な統一方案であり、そのためには各方面で実力を育成しなければなりません。私たちは、金日成主席の赤化野望を放棄させ、その閉鎖された社会を開放し、究極的には彼の南侵の意図を放棄させなければなりません。金日成主席の主体思想を放棄させるためには、彼をあらゆる面において凌駕する実力がなければならず、その実力で溶かすことができなければなりません。その実力で、彼がやむなく承服し、おとなしく従うように導かなければなりません。
ここで、第一に重要な実力は価値観の確立であり、思想武装であることは既にお話しいたしました。次には我が国の国力伸張であり、国際的な地位の向上です。さらにこの実力の中で重要なものの一つは、我が祖国の先進的民主社会の建設です。真の民主主義のみが独裁に打ち勝つことができる要素なのです。個人崇拝の独裁集団に対しては、健全な民主政治の発展によって、それを無力化させることができます。「人民の、人民による、人民のための政府が、この地上から消え去ることのないようにしなければならない」と宣言したエィブラハムリンカーンの言葉は真理です。ですから、我が祖国の民主化は、歴史の命題であり、国民良心の至上命令なのです。
最後に、私たちの南北統一のために養うべき実力の中で最も重要なものは、国際的に我が祖国統一の機運を醸成することです。言い換えると、世界的に思想武装を急がなければならず、アメリカを中心とした世界情勢、日本と中国を中心とした韓半島周辺の情勢を通して、統一の機運を盛り上げる積極的な方向に導いていかなければなりません。ソ連までも動員して、閉鎖された北朝鮮を開放させ、究極においては北朝鮮が閉鎖された現体制では存立できないことを自覚させなければなりません。
彼らをして、国際的な圧力と運勢に耐えられずに脱共産主義を宣言させ、民族大同団結の次元から考えざるを得ないという運勢を集めてこなければならないのです。虚構の基盤の上に立つ金日成体制は、一面、非常に強いもののようでありながらも、一旦崩壊し始めれば、絶壁を転がり落ちる物体のようなものです。
早くから私がアメリカに世界宣教本部を設け、自由世界の思想教育に努力してきたことは、皆様も御存じのとおりです。「ワシントンタイムズ」をはじめ、各種の言論機関を世界の各所に設け、世界の言論人を教育し、世界の各大学の教授に方向性を提示し、世界各国の学生運動を主導し、退役将校をはじめとした在郷軍人を糾合し、南米諸国を統合する運動を起こし、世界宗教一致運動を以前から直接遂行してきました。
このように、私はこれまであらゆる力を尽くして、アメリカと日本に影響を及ぼし、ヨーロッパと南米の各国にも基盤を築き、ついには中国にまで影響を及ぼして、北朝鮮解放の国際的条件の造成に全力投球してきました。
韓国は、地政学的に極めて微妙な位置にあります。韓国を巡る四大強国、すなわちアメリカ、日本、ソ連、中国は、韓半島においてそれぞれ重要な関心と利害関係をもっています。私たちはこの四大強国に影響を及ぼして、私たちの統一の課業に有利な方向に導いていかなければなりません。そのようにしなければ、私たちの祖国統一は到来しません。そのような影響力と実力を、私は国際舞台における思想教育運動を通して、そしてその他様々な分野での成功を通して成し遂げてきたのです。
このような基台の上で出帆する「南北統一運動国民連合」は、韓国だけの単独的な団体であってはならず、アジア各国、ひいては世界各国との紐帯をもつ国際連合運動にならなければなりません。ですから、私たち国民連合は、今後「アジア国民連合」へと発展し、さらにまた「世界国民連合」へと発展していくでしょう。これが全世界人類の念願であり、また神様の念願でもあります。
皆様。私たちは今、ここで民族的であり、世界的なこの課業を受け入れなければなりません。歴史的な統一の課業は、皆様のような義人の支援を待っています。皆様は、このような歴史の召命を受けて、「南北統一運動国民連合」を結成するこの場に集まったのです。
檀君国祖の開国精神は、「敬天愛人」の思想です。今日、私たちのその崇高な開国思想が昇華されて、世界を価値観の混沌から救援する万民救世の思想、すなわち「神主義」として、この地に発祥したのです。
私は先ほど、韓国の問題は世界の問題の縮小体であり、世界の問題の解決は韓国の問題の解決と不可分の関係であると説明しました。このことは言い換えると、私たちの韓国から、世界の問題を解決する処方が生まれるという意味にもなるのです。私たちが南北統一の処方として使える「神主義」は、世界を共産主義から、さらには世俗的な人本主義から解放する処方ともなるのです。
愛国同胞の皆様。私たちは共に私たちの価値観を確立し、国民の思想武装に総決起しましょう。私たちは共に南北統一を熱望する心をもち、これを信仰化して、鉄壁も貫いていく情熱を燃やしましょう。私たちは大役事の行進の最前列に立っているのであり、「永遠の民族史の中で最も雄壮な南北統一の場を、神意によって私たちの手で成し遂げる」という自負と決意をもって、この国民連合を通じて、世界的な実践の基盤をつくりましょう。
皆様。きょうこの場所は、皆様が共に統一の働き手として召命され、任命状を受ける神聖な場所であることを心に刻み、両手のこぶしを固く握り締めて統一の誓いを立てましょう。私たちの願いである南北統一が成し遂げられる時まで、一つとなって総進軍しましょう。皆様個人と皆様の御家庭の上に、神様の祝福が共にあることを祈りながら、「南北統一運動国民連合」創設のメッセージといたします。
7.私たちの時代の真の平和
韓国の統一と東西協力
平和経 第八篇
韓半島統一と世界平和
7.私たちの時代の真の平和
韓国の統一と東西協力
日付:一九九〇年二月二日
場所:韓国、ソウル、ロッテホテル
行事:第二回「世界平和のための頂上会議」および第八回「中南米統合機構」総会
親愛なる議長、そして尊敬する元国家元首、首相、国会議員、大使とその他の紳士淑女の皆様。この重要な会議のために韓国にお越しくださった皆様に、歓迎の辞を述べることができますことを喜ばしく思い、また光栄に思います。
私たちは、第二回「世界平和のための頂上会議」に共に参席し、「韓国の統一と東西協力」という主題について論議できることを、心から喜ばしく思います。
また、本頂上会議の開催と同時に、過去七年間にわたってラテンアメリカの和合と団結という面で多大な業績を収めてきた団体として、いわゆる「AULA(アウラ)」と呼ばれる「中南米統合機構」の第八回総会を開催できますことを、一層喜ばしく思う次第です。
私は、本会議が開催されるこの時点のもつ意義は、極めて重要であると思います。この時点は、一九九〇年の始まりであり、新しく開かれる一九九〇年代の出発だからです。あと十年で私たちは西暦二〇〇〇年を迎えることになります。私たちは自分の生涯の中で、新しい世紀の出発を目撃するようになるのです。
このように重要な時期を生きながら、人間生活の劇的な変化を目撃するのみならず、人間生活を変化させる事件の数々を実際につくっていくという事実の重要性を、私たちは感じなければなりません。「新しい世紀は、真の平和の世紀」になればいいというのが、私たちの共通の念願です。これを実現するためには、今後十年間、多くの挑戦を克服し、努力も傾けなければならないでしょう。
きょうこの場で開催される「世界平和のための頂上会議」と「AULA」は、今後十年間、極めて重要な役割を担当しなければなりません。今まで平和達成のために尽くしてこられた皆様の労苦と業績に深い称賛の言葉を申し上げながら、同時に皆様に対して、一九九〇年代も続けて平和の闘士となっていかれることを督励する次第です。
第二次世界大戦の終結時から四十年余りの期間は、互いに正反対に対立するイデオロギーを崇敬する二大陣営の対決の時代だったと見ることができます。世界の所々で、人々の間の紛争および国家間の紛争が数え切れないほど起き、軍備の支出も競い合うように増加し続けてきました。この時期に、人々が心の中で平和を感じることができた瞬間は、実際にはありませんでした。
ところが一九八五年から、ゴルバチョフ氏がソ連の政権を取り、一連の変化を見せ始めました。彼は、ソ連内により多くの表現の自由を保障し、ソ連経済の構造的な改編を断行しましたが、それよりも重要なことは、彼がブレジネフドクトリン(制限主権論)*を否認したことです。そうしたことで、この短い期間内に、ソ連陣営では劇的な政治的変化が連日のように起きました。
去る数カ月間に、私たちは、ポーランド、ハンガリー、東ドイツ、チェコスロバキア、ブルガリア、そしてついにはルーマニアまでもが民主化されるのを目撃しました。これらの事件に続いて、東西対決の象徴であるべルリンの壁が崩壊しました。その後、和解の新しい時代が開かれつつあります。
私たちをして新しい協力の時代を迎えることができるよう、このような建設的な変化を主導できた勇気と指導力を備えもつゴルバチョフ書記長に、私は心から称賛の言葉を伝えたいと思います。私は、個人の人権を尊重し、経済改革、そしてもっと重要な信仰の自由を実現しようとするソ連の真の努力を支持することをお約束いたします。
皆様も既に御存じのとおり、私は中華人民共和国と共に仕事をすると約束したことがあります。その巨大な国家は、世界の四分の一に当たる人口を有しています。ですから、この十三億の中国人を抜きにしては、世界の平和を論ずることはできないと思います。必要な雇用創出、技術提供、および所得向上を援助するために、私は今、中国に世界最大規模の自動車組み立て工場を建設しています。これは、私たちの世界平和を成し遂げるための努力の一環なのです。
さらに皆様も御存じのように、一九八一年に私は、国際平和高速道路プロジェクトに着手しました。この高速道路が完工すれば、乗用車で東京からロンドンまで行くことができるようになります。私は今、日本、韓国、そして中国政府とこのプロジェクトについて真剣に論議しており、ソ連もこのプロジェクトを歓迎してくれることを願っています。
もちろん、これは極めて高次元の夢です。しかし、すべての偉大な事業は夢から始まります。少し前までは人が月面を歩くということは、誰一人として夢にも見ることができませんでした。しかし、将来を見通したビジョンと勤勉な努力の結果として、それが現実として迫ってきたのです。同様に国際平和高速道路も、夢ではなく現実になるでしょう。
*注:「社会主義陣営全体の利益の為には、そのうち一国の主権を制限しても構わない」という考え方(wikipedia, weblioより)
ここまでは、私の未来に対する楽天的な大きな希望を皆様にお話ししましたが、これからは、一部の人たちが平和の到来を性急に考えている危険な動向についてお話ししようと思います。
たとえベルリンの壁は崩れたとはいえ、両陣営はいまだに途方もない困難を抱えています。自由世界の主導国家群は、膨大な物質的富を享有しながらも、道徳的な堕落の問題に直面しています。彼らは、湧き上がる物質主義の犠牲者であり、自由も時として濫用されています。特に西欧での無神論的な世俗主義の蔓延は、道徳的基準の没落をもたらしました。
その結果、西欧社会は、家庭の破綻、麻薬の常習的な服用、性犯罪および性病の蔓延、政府の無能力化といった深刻な社会悪に染まっています。端的に言って、東西が直面している問題は、究極的には同じ源泉、つまり価値観の混乱から来るものです。
共産主義は、マルクス主義の価値観が虚偽であることが立証されたために失敗しました。私が生涯をかけて常に、共産主義に対して熱烈に反対してきたことは既によく知られています。私が共産主義に反対した理由は、神様を否認し、闘争を通して進歩が達成されると信じることでは、決して理想社会を成功裏に建設できないことをよく知っていたからです。
直接的な生活経験を通じて私は、神様は真の方であられ、人生で最も大切なものは真の愛であることを確信するようになりました。そして人類の進歩は、人類が神様に仕え、愛を最も大切にするときに可能なのです。はっきりと申し上げれば、現在、共産主義や自由世界は共に、平和の二十一世紀へと人類を導く準備ができていません。
一九九〇年代を迎えて早急に必要なことは、自由世界と共産世界の価値観の崩壊によって発生した価値観の真空状態を満たすのは、真の価値観の確立です。この新しい価値観は、神様を中心とする世界観である「神主義」に基礎を置かなければなりません。全生涯を通じて私は、この神様を中心とした世界観に対する理解の幅を広げるために、すべての宗教、宗派の人たちと共に努力してきました。このような方法で、絶対的な価値観の探求と真の平和の樹立を目標とする広い基盤をもった多くの学術団体、および宗教団体を創設することができました。
私はまた、芸術機関はもちろん、教育機関と言論機関も設立しました。世界的な私たちの財団は、皆様のように真の世界平和を成し遂げようと努力する人たちを援助する準備が常にできています。真の世界平和は、万人が共有できるはっきりとした価値観なくしては達成できません。価値観が明確になるとき、人類はこれ以上暗黒の中にとどまることはなくなります。
「神主義」は、各個人をして自らの人生の意味と価値を明確に見つめることができるようにしてくれます。したがって、各個人は責任ある人生を送り、他人に奉仕し、自分の心霊的な喜びを追求できるようになります。正にこれが苦難の中の世界を救う究極的な解決策なのです。
言い換えれば、私たちの世界が救援されるために今日、必要なことは、劇的な霊的覚醒です。世界は、神様の実体の中に覚醒して入ってこなければならず、神様を肯定する原理に立脚した世界観をもたなければなりません。この世界観こそ、両陣営の価値観の混乱状態を除去してくれるものです。国家間の関係の本質も、このようなより崇高な価値観の覚醒に立脚して変わらなければなりません。
今まで経済発展の原動力は、利&