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1.世界の中の韓国
1.世界の中の韓国
日付:一九七五年六月七日
場所:韓国、ソウル、汝矣島広場
行事:救国世界大会
敬愛する同胞の皆様。この場に参加された内外の貴賓、そして六十ヵ国から集まってこられた世界の統一教会信徒の皆様。この五一六広場(汝矣島広場)は歴史的な場所です。この歴史的な広場で、きょうまた一つの歴史がつくられる救国世界大会に御参加されました皆様に、厚く感謝申し上げます。
きょう、一九七五年六月七日は、私にとっても、また神様にとっても、歴史的な宣布の日となります。これまで、一つになるこの広場では、インドシナ事変に乗じて、虎視眈々と再び南侵を狙う北朝鮮の金日成主席を糾弾する大会が行われ、人々の喊声は既に天に達し、全天地を揺れ動かしました。安保総力のための決起大会も幾度かありました。
しかし、この救国世界大会は、二つの意味から唯一無二の歴史的な大会となるのです。その一つは、きょうのこの集まりが、国民の名と人類の名だけではなく、神様の名によって、北朝鮮の金日成主席を糾弾する大会なのです。そして二つ目は、この大会が、大韓民国の人だけが集い、韓国の自由と韓国主権の守護を決意するものではなく、人種、血統、言語、風習が異なる世界万邦を代表して、六十ヵ国から集まった一千人以上の代表たちが、ここに席を共にして、自由の韓国と全世界の守護を決意する世界的大会なのです。
この救国世界大会は、全世界が決起して韓国の自由守護のための決意を満天下に誇示する世界的祭典です。この世界大会の目的は、カンボジアとベトナムの赤化によって引き起こされた祖国の緊迫した情勢の前に、内的には、祖国安保の次元の高い実力を誇示して祖国を死守しようとする五千万韓国国民を総団結させ、外的には、世界の人々の行くべき方向と座標を立てようとするところにあるのです。
そしてその結果として、北朝鮮の金日成主席に対し、軽挙妄動して六二五動乱のような誤算と悲劇を再び招かないよう糾弾し、自粛するよう警告するところに、その意義があります。
皆様。共産主義とは何でしょうか。私たちは、共産主義が一九一七年、ボルシェビキ革命から始まり、過去半世紀の間に世界の半分を襲いながら、人類に対して犯してきた残虐無道な蛮行と罪悪の様相をあまりにもよく知っています。共産主義は恐ろしい悪魔の哲学であり、その実践は恐怖に満ちた犯罪と破壊力をもっています。
そして私たち韓国人は、世界中の誰よりも、彼らが敢行した犯罪の被害者として、彼らの悪辣さを体験したため、骨身にしみて知っているのです。私たちは、共産主義のゆえに誰よりも大きな犠牲を払った民族です。そしてこの瞬間にも、あの北方では千四百万の同胞たちが、悪の頭、共産主義の供え物となっているのです。しかし共産主義の犯罪は、これに尽きるものではありません。
きょう、私たちは共産主義を糾弾し、地上からその罪悪を一掃しなければならない、もう一つの重大な新たな理由を発見しました。それは共産主義が人類の敵である以前に、神様の敵だということです。共産主義は、政治や経済の思想体系である以前に、無神論に立脚した一つの宗教形態なのです。なぜならば、共産主義は人間の考えや哲学や行動を完全に支配するからです。それはただ宗教のみがもつことのできる力です。ところが、この共産主義は「神はいない」と語る宗教です。そして「神はいない」と言うだけではなく、その主義自体が、人間の思考や哲学や行動の中に、神様の代わりに登場し、人間を奴隷や機械のように扱っています。ですから、共産主義は、神様に挑戦する、許すことのできない怨讐です。神様をこの地上から抹殺してしまおうとする悪魔の宗教なのです。共産主義がこの地球上を完全に支配するということは、神様がこの地球上から完全に追放されるということであり、それは民主主義や自由世界の敗北である以前に、神様の敗北を意味するのです。ですから、共産主義は人類の怨讐である以前に神様の怨讐となるのです。
しかし、全知全能の神様は敗北者にはなり得ません。また、共産主義の地上制覇を傍観される神様でもありません。ですから、きょうこの大会で私たちは、「神はいない」と主張する悪の宗教、共産主義に対して、「神はいる」と主張する統一教会をはじめとする多くの善の宗教によって勝利することを、はっきりと覚醒しなければなりません。神様を殺そうとする不倶戴天の怨讐、共産主義は、神様を父と呼ぶ統一教会員とすべての宗教人たちが孝と誠と信念をもって撃退しなければならないことを、厳粛に宣言する次第です。
ですから、私たちすベての信仰者はもちろん、統一教会員たちは、勝共戦線の最前線に召された神様の闘士であり、神様とサタンの闘いにおいて先頭に立った大将であり、旗手であることをはっきりと知らなければなりません。武力にばかり頼っていては、決して共産主義に勝つことはできません。人間の固い信念は、武力や原子爆弾では到底打ち壊すことができないからです。
偽りに勝つ力は、真の真理と信念と理想です。誤った共産主義の妄想に勝つことのできる力は、ただ真に立脚した次元の高い、いま一つの精神的信念と思想なのです。
今日、私たちは国力を養わなければなりません。防備し得る武力も備えなければなりません。堅固な陣を張らなければなりません。しかし、それよりも重要なことは、真理で武装することであり、固い信念と思想で精神武装することです。私たちは、「神はいる」という思想で武装しなければならず、天のお父様のみ旨を行うために命も惜しまないという信念と決意で精神武装されなければなりません。共産主義者たちの誤った信念と思想は、より強い真の信念と思想によってのみ勝利できるのです。
「神はいない」とする真っ赤なうその思想は、神様が厳然として存在されることを示すことのできる真の思想だけが滅ぼすことができるのであり、偽りの上に立った共産主義思想は、その偽りが白日のもとに暴露されるとき、完全に砕かれてしまうのです。これが、私たち統一教会員とすべての宗教人と全世界の人々が果たすべき至上課題です。そして、これが共産主義の根を絶やし、共産主義に完全に勝利する方法なのです。
今日、この世界では「神はいる」という思想と「神はいない」という思想が対決しています。一つは物質を中心とする世界であり、もう一つは精神を主とする世界です。「神はいる」という世界は神側であり、「神はいない」という世界はサタン側です。この二つの世界が衝突するとき、その結果は神様の存亡を決定するのです。ですから、共産主義を倒すこの闘いは、すなわち神様の闘いとなるのです。
この二つの世界の力の対決が、今韓国において熾烈に起きています。韓国は、世界の相反する二つの理念が衝突しようとする決戦の場なのです。韓国の自由守護は、韓国だけのためではなく、自由民主陣営の永遠の自由を守護するものであり、さらには、神様に勝利をもたらすものです。これが正に、自由を守護するためにこのように世界の人々、自由愛護の烈士たちが決起しなければならない理由となるのです。
自由世界の人々にとって、韓国の安保は他人事ではありません。これが自由世界の存亡に直結するものであり、自由世界の安保はすなわち神様の安保となるからです。ですから、韓国の自由守護のために六二五動乱の時も、神様は十六ヵ国の人々を送られ、血を流してまでもこの地を守らせたのですが、今回もしも北朝鮮が再び南侵してくるならば、十六ヵ国でなく、六十ヵ国の熱血青年たちが血を流してでもこの地を死守しようとするのです。
きょう、世界六十ヵ国から集まってきた統一教会の信徒たちは、正にこのような決意のもとでその使命を果たすために、この意義深い広場で、神様と全世界の人々の名によって決起し、結束するのです。
統一教会は、このように「共産主義はほかでもない神様の不倶戴天の怨讐である」という信念で、自由世界の先鋒に立って、共産主義と闘う旗手、橋頭堡の役割を果たしてきました。神様のことを明らかに示す宗教、このような宗教は、共産主義に勝つことのできる真理と信念と思想を明確に悟らせるのです。
韓国において、すべての宗教人たちが解決すべき目標は平壌でなければなりません。共産主義の奴隷になった北朝鮮の同胞たちは、神様による解放を待っています。金日成主席の徒党は、南侵を目標にトンネルを掘ったのです。私たち宗教人たちは、より次元の高い自由統一のトンネルを平壌の真下まで掘り、愛と事情が通じる解放の日を必ずつくるのだという気概にあふれなければなりません。
あの平壌の真ん中に、神様の愛と真理の爆弾を爆発させるために、祈るだけでなく、闘わなければなりません。北朝鮮同胞千四百万は、今、神様の救いの手を切に待ち望んでいます。ですから、私たちのこの手が、正に神様の救いの手にならなければなりません。
旧約聖書を見ると、九尺の長身で槍と剣を持って立ちはだかる巨人ゴリアテに対して、少年ダビデはただ素手に石を持って闘う場面があります。きょう、私たちはそのダビデの叫び声を聞かなければなりません。
ダビデは「怨讐よ、私の石を受けてみよ」とは言いませんでした。「私はたとえ体が小さくとも力持ちだ。目に物見せてやる!」とも言いませんでした。ダビデは大きく叫んで、「わたしは万軍の主の名、すなわち、おまえがいどんだ、イスラエルの軍の神の名によって、おまえに立ち向かう」(サムエル記上一七四五)と言いました。そして、主の力によって、将軍ゴリアテを見事に倒してしまったのです。
私たちは金日成主席に立ち向かうときも、毛沢東主席を打ち破るときも、ソ連を打倒するときも、すべて神様の名によってしなければなりません。勝利は信念からのみ、もたらされるものです。私たちは、強く大胆な信念の陣を張りましょう!そして、神様の聖なる闘いのために命を懸けて最後まで闘いましょう!勝利は必ず私たちのものです。神様は私たちの味方であられます。
皆様。また、私たちはきょう、共産主義の戦略をはっきりと知らなければなりません。ここに立った私は、誰よりも共産主義のことをよく知っていると言えるでしょう。私は解放後、北で布教している間、何度も共産党に命を奪われそうになりました。私は共産党に反動の罪を着せられ、一九四八年に興南の監獄に閉じ込められたのですが、その強制労働収容所というのは、政治犯や思想犯をじわじわと抹殺していく死刑場だったのです。
その鉄格子の中で三年近くの長い歳月を送り、一九五〇年に神様が派遣された国連軍によって解放されるまで、私は共産主義の真相を真底から知り尽くしてきたのです。私は彼らの戦略と策謀をあまりにもよく知っています。
一九三一年、ソ連共産党中央委員会の重要幹部だったドミトリーマヌイリスキーが、レーニン政治戦略学校の核心党員たちに、次のように共産主義の基本戦略を説いたのです。「共産主義と資本主義との共存はあり得ない。今は、我々が攻撃するにはまだ早い。我々のチャンスは二十年ないし三十年後に来るであろう。勝利は必ず奇襲によってもたらされる。資本主義世界を何としても飽食させ、眠らせるのだ。そのための一番良い方法は、いまだかつてない平和攻勢を敷くことである。彼らは、何も知らずに太平聖代を謳歌し、話し合おうと言えば、どんなことにでもすぐに飛びついてくるであろう。このように資本主義国家は自ら墓穴を掘って協力してくれるであろう。我々は友のように偽装し、時間を稼ぐのである。そうするうちに彼らが油断している時に、我々は鉄拳で一撃を加え、一度に打ち倒すであろう」。
これが正に、レーニンが使ったソ連の赤化戦略であり、毛沢東主席の中国制覇の戦略であり、北べトナムがベトナムを制覇した戦略だったのです。彼らはみな成功しました。そして、これは虎視眈々と南侵を狙う北朝鮮の金日成主席の戦略なのです。しかし私たちは、この戦略に二度とだまされないでしょう。また、私たちは絶対に金日成主席に対して再び誤算を繰り返さないでしょう。私たちはきょう、金日成主席に私たちの実力を見せつけましょう!
祖国を愛する五千万の同胞たちは、命を懸けて祖国の領土を守るでしょう。私たちは絶対に一寸の土地も彼らに譲歩しないでしょう。そしてまた、私たちには強力な友邦がいます。アメリカが正にそのような友邦国であり、日本がまたそのような友邦国です。「天は自ら助くる者を助く」と言われるように、私たちが神様の名によって金日成主席を糾弾し、神様の名によってこの地を守るとき、私たちは第二のベトナムになることは絶対にないのです。
それだけではありません。北朝鮮の金日成主席が知らなければならないもう一つの力が、きょうこの五一六広場の救国世界大会において示されています。韓国と韓国国民が知らなければならない、そして信じられるいま一つの大きな友がいます。それは韓国を自分たちの信仰の祖国として信じている世界の統一教会の信徒たちです。
彼らは徹頭徹尾、勝共主義者たちであり、絶対的に韓国を愛する若者たちです。彼らは果たしてどの程度韓国を愛するでしょうか。彼らが韓国を愛することは宗教的な信念によるものなので、韓国は彼らにとって信仰の祖国、聖域となるのです。
篤実な信仰者にとって、自分の聖域が侵されるということは、取りも直さず自分の体と自分の家が侵されることと同じ痛みを感じるのです。これは正に世界の統一信徒たちは、韓国を自分の体のように愛するということなのです。ですから、信仰の祖国である韓国を守ることは、世界の統一信徒たちの信条です。ですから、もし韓国が北朝鮮から侵略を受けたときに、信仰の祖国、聖域である韓国を共産主義の魔の手から守ることは、世界の統一信徒たちの神聖な義務なのです。
皆様。きょうここに参加した六十ヵ国の代表者千人の人たちは、このように命懸けで韓国を守ってくれる、韓国に最も近い、そして固い信念で結ばれた救国同志たちです。彼ら世界代表たちはこの歴史的な広場で、有事の際、すなわち北朝鮮が大韓民国に対して武力侵略を敢行するときには、信仰の祖国である韓国を死守することが神様のみ旨であると信じ、世界統一十字軍を編成し、義勇軍として参戦し、韓国と自由世界を守護することを決意するでしょう。
「東海の水が乾き、白頭山が擦り減るまで、神が守り給う我が国、万歳」。私たちは解放以来ずっとこの「愛国歌」を歌ってきました。実にこの「愛国歌」は我が民族に下された神様の啓示だったのです。「大韓民国万歳」は、ただ神様がお守りになってこそ成し遂げられるものとして啓示されたのです。
神様は大韓民国を最も愛しておられます。檀君聖祖以来、あらゆる風霜を経ながら他の国を一度も侵略したことがなく、強大国の間にはさまれながらも、単一民族のその正しい気風と伝統を守るようにしてくださった神様!国を奪われた私たちに、感激の八一五解放をもたらしてくださった神様!六・二五動乱の際、ベトナムのように滅びるほかなかった韓国を、十六ヵ国を動員して守ってくださった神様!
一九六一年、国民の和合が揺れ動き、またもやこの国が共産侵略の危機の中にあったとき、強力で献身的な新しい指導者として現大統領を立てられ、この国の綱紀を立ててくださった神様!アジアで責任を果たすことができずに、ベトナムとカンボジアから後退するアメリカを覚醒させて韓国を再び守らせ給う神様!
今度はこの地に統一教会の名により、新しい真理運動と精神運動を立てられ、早くから世界に跳躍させ、今我が祖国がもう一度危機に瀕すると、六十ヵ国の統一教会の熱血青年たちを動員してこの地に送られ、有事の際には水火も辞さずにこの地を死守させようとされる神様!韓国において世界的な決戦のために、第一次世界大戦や第二次世界大戦の時のように、北朝鮮、中共、ソ連と韓国、日本、アメリカを対決させ、神様とサタンの最後の決戦を私たちの側に勝利させようとされる神様!その神様の特別な恵みと保護のもとで、私たちはきょう勇気を出して、総決起しなければなりません。
神様は韓国を愛されて、この地に全世界を代表する「総和文明」の結実体を成し遂げようとされているのです。人類文明は神様の摂理的なみ旨に従って、その次元を高めながら世界を一周し、ついにその結実を見ることになるのです。
人類の古代文明は大陸で発生しました。エジプトのナイル川河畔で胎動した文明は、半島文明へと変遷し、ギリシャ、イタリア半島で地中海文明圏を築きました。その半島文明は、再び島嶼文明に移り、島国イギリスを中心として大西洋文明圏を形成しました。ついにイギリスの島嶼文明は大西洋を渡り、アメリカ大陸において現代文明の奇跡を起こして太平洋文明圏を形成したのです。
しかし、歴史の流れはそこで終わりません。この文明圏は、太平洋を渡ってイギリスに相当する島国の日本で新しい島嶼文明の花を咲かせ、イタリア半島に該当するこの韓半島で、昔のローマ文明に相当する総和文明を成し遂げて、アジア大陸に連なる一つの世界を成し遂げ、新しい統一文明圏を形成しようとするのが神様のみ旨であることを私はよく知っています。
韓国は新しい時代の寵児であり、韓民族は神様がお選びになった民族です。韓国は神様が願われる新しい文明の揺籃です。ですから、世界文明の結実体として、神様の摂理を決定する国なのです。これは神様の愛する韓国人の誇りでなければなりません。
偉大な子女を生むときには、まず陣痛が来るのは不可避なことです。韓国は今その陣痛期にあるのです。私たちが今受けている試練が正にそれです。神様はこの試練を通して私たちの底力と闘志と資格をテストし、陣痛を克服したのちの栄光の子女の出産を期待しておられるのです。
ですから、サタン側の強大国は、神側の韓国を欲し、狙っているのです。私たちはこのような試練に、神様を愛する信仰と希望で勝利しなければなりません。私たちが危機に瀕しても、その最も困難な逆境を克服して、共産主義に徹頭徹尾勝利するということは、今後、いずれ神様のみ旨である勝共による統一世界の構築において、韓国がその主導権を握るということです。それはまた韓国が世界の旗手になるということです。
そのためには、それにふさわしい思想と理念が絶対になければなりません。これが統一教会の主張です。韓国が生んだ宗教統一の「原理」が正にこれなのです。「勝共理念」が正にこれです。「統一思想」が正にこれなのです。
神様を父として侍るすべての宗教は、「神はいない」という不倶戴天の怨讐である共産主義に立ち向かうのです。統一の結束のもとに、愛と真理によって彼らに勝利し、誤りを悟らせ、最後は彼らを兄弟として受け入れなければなりません。このような「原理」に立脚した「勝共理念」は、共産主義を分析、批判し、それを克服できる確実な代案を提示しています。また「統一思想」は、今日の世界の様相をつくったすベての間違った哲学や主義思想を暴き、神様を中心として一致団結できる統一された思想体系です。
このような原理と理念と思想が韓国で生まれたのです。これがすなわち「神主義」です。神様を中心とし、神様に問い尋ねながら国を治めるのですから、与野の区別があってはいけません。すべての宗教人たちと良心のある人士たちは、誰彼を問わず政府と一体となり、「神主義」で悪魔の共産主義を退かせ、祖国の地と我が民族を統一する時が訪れたのです。その時が正に今この瞬間なのです!
苦労のあとに楽が訪れ、逆境の中から新たな道が開かれるものです。私たちはこの時に一度、天に侍る倍達民族(韓民族のこと)の底力を、遺憾なく満天下に発揮しましょう!あまりにも有名なインドの詩聖タゴールは、預言的な詩を次のように歌いました。
心には恐れがなく
頭は空高く上げられる所
知識は自由であり
狭い塀で分けられていない所
真理の深い所からみ言が湧いてくる所
絶え間ない努力が完成に向かい
両手を広げる所
知性の清い流れが
固まつた習慣の砂原においても道を失っていない所
無限に広がりゆく想いと行動で私の心が導かれる所
そのような自由の天国へと
我が父よ、我が国を目覚めさせたまえ
また、タゴールは日本統治下の韓国に対して次のような詩も詠んでいます。
かつてアジアの黄金時代に
灯火の一つだったコリア
その灯火が再び明かりを照らす日に
あなたは東方の明るい光となるであろう。
愛する同胞の皆様。韓国は遠からずして東方の光となって満天下を照らすでしょう。全世界の万民が天のお父様の治められる輝く大韓民国を祖国として侍る日が必ず来るでしょう。いや、既に来ているのです。
皆様。韓国を信仰の祖国として、世界万邦に伸びゆく百二十ヵ国の統一信徒たちは、ただ、父なる神様の名のもとに、人種と国境と言語を超えた兄弟姉妹として一致団結し、神様の怨讐金日成主席と、天人共に許し難い悪魔的な共産主義打倒に全員、総進軍しましょう!
愛する自由韓国の兄弟姉妹の皆様!きょうの課題は何よりも、「共産主義」は人類の敵である以前に神様の不倶戴天の怨讐であることを悟ることです。ですから、きょう私たちは神様の名によって金日成主席を糾弾するのです。
神様は金日成主席の南侵を絶対に見逃さないことをはっきりと宣言いたします。そして、自由世界と韓国の名をもって、金日成主席と共産主義国家を打ち倒すために命懸けで闘いましょう!勝利するまで闘いましょう!
神様が共におられて永遠に守られる我が大韓民国の愛する同胞の皆様!私たちには天下に恐れるものがありません。強く大胆に、神様の名によって総和団結、勇敢に前進しましょう!
神様の地であるあの北朝鮮を再び取り戻す時まで、血肉を分け合った私たちの兄弟たちを再び取り戻す時まで、死を決する覚悟で闘いましょう!
神側の全世界の自由主義諸国は、サタン側の共産主義諸国を完全に解放させ、平和な統一世界を神様の名によって必ず成し遂げましょう!
神様は私たちの味方として闘われますので、勝利は必ず私たちのものです。
神様の名によって固く団結して総決起しましょう!
総進軍しましょう!総進撃しましょう!
ありがとうございました。
2.祖国よ、輝け
平和経 第八篇 韓半島統一と世界平和
2.祖国よ、輝け
日付:一九七八年十月十九日
場所:韓国、ソウル、朝鮮ホテル
行事:韓国地域社会開発研究院招請朝餐講演会
尊敬する各界の指導者の皆様。きょうの朝、この意義深い集会に私をお呼びくださり、国家中興の大課業において中枢的役割を担当していらっしゃる皆様に、お話し申し上げる機会を与えてくださり、心から感謝申し上げます。
私は海外において、様々な逆境の中でも、ひたすら神様の国の具現のために宣教事業に没頭し、二年半ぶりに再び懐かしい祖国の土を踏みました。普通ならば、その間に何度か帰ってこなければならなかった祖国ですが、今回は、執拗に捕らえて放さないフレーザー委員との熾烈な対決において、最終的決着をつけようとしているうちに、懐かしい祖国への帰りが二年半も遅れてしまいました。
フレーザー議員は、去る九月十二日、民主党の予選でついに落選しました。人間的に見ると彼は大変かわいそうな人です。私は、「怨讐も愛さなければならないので、彼のために祈りなさい」と信徒たちに勧めました。彼は今回、負けられない闘いで負けました。その理由は何でしょうか。彼は天意に背反したことによって、敗北したのです。聖賢の言葉に、「天に順う者は存し、天に逆らう者は亡ぶ」とあります。いわば彼は、神様の審判を受けたのです。
韓国を第二のベトナムに仕立てようとする彼の努力は、韓国を選んで天の大きな摂理を全うしようとする神様のみ旨とは正反対の努力でした。そのような神様の摂理を知ってみれば、韓国は重要な国なのです。韓国は、今後世界が共産化されるのを防ぐ、決定的役割を果たす国です。神様は、共産主義の究極的目標である世界制覇を許すことはできません。それは、神様御自身の敗北を意味するからです。そして、この歴史的な有神と無神、二つの理念の最終対決において、韓国は神様の選手として選ばれたのです。
ですから、韓国を破壊しようとするフレーザー議員の陰謀は、とても容認し難いことでした。私は、神様の審判が彼に下ることを明確に予知できました。彼は天に逆らう者の立場に立っているので、いかに彼の威勢が盛んだったとしても、彼の末路が悲惨なことを知っていました。誰でも、天理に背反しては生き残る者がいないのです。今回のフレーザー議員の敗北は、神様の審判であると言わざるを得ません。
このように、こよなく韓国を愛される神様を骨髄にしみて実感しながら帰ってきた、今回の帰国の道でした。何度も降り立った金浦空港ですが、今回はいつになく私を喜んで迎えてくれているようであり、故国同胞の温かい歓迎は、私の霊魂を揺さぶりました。帰るやいなや私は、祖国の地、錦繍江山(クムスガンサン)(=韓国の別称)千五百里を、南北にわたって走ってみました。韓国の山河は、とりわけ青々と美しく、世界に類例を見ない秀麗な山河でした。民族中興に向かって突き進む祖国の復興の姿は、十分に満足して余りあるものでした。
故国にいらっしゃる皆様。本当にお疲れ様でした。私たちは、ただ先進国家につき従っていくことに満足する国となってはいけません。私たちの祖国大韓民国を通して、神様は偉大な課業を成し遂げようとされておられます。二千年前、人知れぬ小さな村、ユダヤの国ベツレヘムの地に、偉大な思想が出現しました。それがすなわち、イエス様の思想でした。神様は、その救世思想を中心として二千年間、救世運動を推し進めてこられました。今、もう一度、共産主義の魔の手から世界を救い出し、地上に天国を建設する新しい救世理念の誕生地として、神様は、東方の小さな国、韓国を訪ねてこられるのです。私たちは、神様が与えてくださるこの任務を甘受しなければなりません。これは正に、私たちの祖国大韓民国が、永遠に栄える道であり、いつまでも光り輝く道です。
きょう、私は皆様をお迎えし、私のこのような所信の一端を披瀝しようと思います。世界のすべての宗教は、宇宙の根本原因を、創造主または神様という方として認定するところから出発します。その神様は善であり、永遠不変であり、唯一であり、絶対的な方でなければなりません。その神様がこの世をお造りになったとするならば、そこには必ず創造目的が先行したはずです。そして、その創造目的も、やはり永遠、不変、唯一、絶対的なものでなければなりません。
神様の創造目的は「喜び」です。喜びを得ようとして、人間と世界を造られたのです。その喜びというのは、一人では感じることができません。喜びを感じるためには必ず対象、または相手が必要です。主体と対象が互いに相対基準を結んで与え合うとき、喜びを感じることができるのです。そして最高の喜びは、愛を与え、受けるときに感じることができます。そのように、神様が私たち人間を対象として造られ、その対象とともに無限の愛を与え合い、永遠に喜びを得ようとされたのです。それが、すなわち創造目的だったのです。
このような創造目的を果たすために、人間始祖として一男一女を造られたのですが、聖書では彼らを「アダム」、「エバ」と呼びます。そのアダムとエバが、神様の完全な喜びの対象となり、愛を与え合いながら、善の子女を繁殖していれば、その家庭が拡大して社会となり、その社会が発展して国家となり、その国家は世界に発展して、この地球は、このアダムの一族で満ちあふれ、この地上には神様の善と愛を完成した喜びの世界が築かれていたのです。その世界を、すなわち天国と称し、その天国は明らかにこの地上にできたはずだったのですが、その世界は、すなわち地上天国と言わざるを得ないのです。
この地上天国は、神様を中心とした一つの家庭であり、人類はすべて一つの兄弟です。そこには一つの伝統と一つの文化がある一つの統一世界にほかなりません。そこには人種差別はあり得ず、言語の衝突もなく、国家の分裂も、理念の対決も、殺戮して相争う戦争もあり得ません。このような神様の理想世界を描きながら、今日の現実を眺めてみるとき、私たちは、神様の理想とは正反対の世界に住んでいることを痛感させられます。まず私たちの一つの体の中に、心と体の分裂を見ることができるのです。
今日の私たちの世界は、分裂の世界です。国家の分裂、言語の分裂、文化、伝統、人種、理念、愛の分裂など、このような分裂の中で、人類歴史は殺戮の闘争と戦争の連続でした。これはどう見ても、天国と言うことはできません。私たちは地上地獄に住んでいるのです。これは、人間始祖アダムとエバの堕落によってもたらされた結果です。堕落したということは、神様に逆らったということであり、神様から離れたということです。それによって、神様が臨在できない歴史が始まりました。人類歴史は、神様に逆らう歴史の連続によって今日に至りました。
私は先ほど、神様の創造目的が、永遠、不変、唯一、絶対的であると言いました。たとえ人類始祖の反逆によって堕落世界ができたとしても、神様の根本理念とみ旨は変わることはありません。神様は必ず初志を貫徹される方です。神様は必ず、神様本然の創造理想を果たさなければなりません。人間の堕落以後、神様は無為無策だったわけではありません。人間の堕落以後の神様のみ旨は、堕落した人間を救援する「救援の歴史」でした。
「救援」とは何でしょうか。病にかかった人を病気以前の状態に治すことが救援です。病にかかったこの堕落世界を、堕落以前の本然の世界に戻すことが、すなわち救援です。ですから、救援というのは、本然に帰ること、すなわち復帰なのです。ですから神様は、この堕落世界を清算し、堕落以前に神様が計画された本然の理想世界へと復帰するみ業をされて、歴史を歩んでこられているのです。
今から二千年前、神様は、イエスキリストを救世主、メシヤとして、この地上に遣わされました。彼を遣わした目的は、正に堕落人間の救援です。救援は、すなわち復帰のことをいいます。メシヤがこの世を救援されるということはすなわちこの世を天国へと回復するということです。ところが、二千年前、メシヤは明らかにこの地上に来られましたが、いまだにこの地上には、天国が建設されていません。これは重大な問題です。イエス様は、「天国は近づいた」と天国の到来を宣言されましたが、その天国の到来が成就した痕跡はありません。むしろイエス様は、罪を着せられ、十字架に打ちつけられるという悲運を招きました。これはつまり、神様がメシヤを遺わされたみ旨が、二千年前に完全には成就されなかったことを立証しているのです。
その理由は何でしょうか。その理由は、イスラエル選民の無知と不信にあったのです。神様がメシヤを遣わされる以前の四千年間、イスラエルという選民を集めて摂理されてきたのは、メシヤが来られるとき、そのメシヤを迎えて、神様のみ旨を成就することを願ったからでした。しかし、イスラエル選民は、いざメシヤが来られたとき、神様のみ旨を正確に知ることができませんでした。彼らは、メシヤが来れば、ロマの虐政下にいる自分たちの怨讐を討ってくれ、力でローマを征服し、一躍、選民イスラエルが君主の権勢をもって、世界に君臨することを夢みました。彼らが望んだメシヤは、権力のメシヤ、武力のメシヤでした。
しかし、メシヤの天国理念は、武力で成し遂げるものではありません。神様の天国理念は、真理と愛で果たされるのです。その上、メシヤは、イスラエルだけを解放して彼らに王権を与えようとして来られる方ではなく、むしろ、イスラエル選民を犠牲にさせてでも、世界の救援を計ろうとして来られることを、彼らは知りませんでした。政治的な勝利と利己的な権勢争奪を夢見たイスラエル民族の目に映った裸足のみすぼらしい無力なイエス様の姿は、メシヤとしては受け入れ難い姿でした。
それでイスラエル選民は、メシヤを十字架にかけてしまいました。これは、神様にとってこの上ない悲劇であり、人類にとってこの上ない不幸です。神様の天国実現のみ旨は、その時点では成し遂げられず、未来のある時点で、再びメシヤを地上に遣わさざるを得ない破局を招いたと言えるのです。神様が、メシヤ、すなわち救世主を再び遣わされる日を、私たちは「再臨の日」と呼びます。神様のみ旨は、イエス様の時に完結することができず、再臨の日まで延長されてきました。イエス様が十字架につけられたその日から、神様は、再臨の日を準備することに余念がありませんでした。それから歴史は約二千年が流れました。今は、正に終末であると叫ぶ声が高まり、メシヤの再臨を待望する声は四海に満ちています。
それでは、神様は過去二千年間、どのような歴史をつくってこられたのでしょうか。そして、新しい歴史の糸口はどのように解けるのでしょうか。神様が第二のメシヤを遣わす前にまずされることは、もう一つの選民を起こすことです。基礎がなくては家を建てることができないのと同様に、選民という基盤なしに、メシヤを遺わすことはできません。ですから、イエスキリストの降臨の前に、神様はイスラエルという選民を準備されたのです。
結論的に申し上げるなら、新たに来られるメシヤを迎えるために世界的選民として築いた土台が、すなわち今日、世界的版図をもつキリスト教です。ベツレヘムの馬屋で生まれたイエス様の教えは、これまで二千年の歳月が流れる中で、世界的な宗教となりました。これはどこまでも、再臨という一時を望みながら世界的な選民を造成しようとされる神様の摂理から来た結果なのです。
今日のキリスト教徒の使命は、神様がメシヤを再び遣わされるとき、そのメシヤを歓迎して、彼に侍ることです。二千年前のイスラエル選民たちのように、絶対に彼を再び十字架につけてはならないのです。今日、キリスト教は名実共に第二イスラエルの位置に立ちました。
それのみならず、神様には、メシヤを再び遣わす前に必ず成就しなければならない、二つの重要な宿題がありました。その一つは、高度な物質文明の発達です。神様のみ旨が成就するということは、すなわち地上天国が成就するということですが、それは霊的な天国だけを意味するのではなく、肉的天国、または物質的楽園をも意味するのです。ですから、メシヤの降臨とともに成就される高度な精神文明を入れる器、いわば高度な物質文明の世界を準備する必要がありました。さらに、神様の理想では、世界が一つの国なので、その世界が科学の発達によって、交通と通信手段が高度に発達し、全人類が一日生活圏内に暮らすということは、地上天国の建設においてこの上なく重要な要素です。これは統一世界文化の創造に必要不可欠な条件です。ですから、イギリスで起こった産業革命を始発点として、わずか数世紀の間に高度な物質文明を成し遂げたことは、神様の設計図の中に計画されていたことなのです。最近、アポロ十一号の月面着陸を全世界の人類が同時にテレビを通して見たこと自体が、今日、人類が共同生活圏内に住んでおり、神様の時が満ちたことを意味するのです。
神様が準備されたもう一つのことは、メシヤが降臨できる環境を造成することです。これはどんなことでしょうか。それは、みだりに人を捕らえて命を奪うことができない法治制度の創建のことをいうのです。イエス様の時代では、人の命は権力者の前でははえの命のようなものでした。イエス様は、為政者や権力者たちが願えば、いつでもはえを取るように捕まえて命を奪ことができた、無法天地の制度下に生まれました。根本的な人間革命を叫んだ革新的なイエス様のみ言は、その社会制度のもとでは容認されませんでした。イエス様が十字架につけられたことは、当時の制度下においては避けられない事情だったと言えます。これをよく御存じであられる神様は、メシヤが再び来る再臨の時に何よりも必要なことは、人々をみだりに捕まえて命を奪うことができない法治制度であることを知っておられたのです。
このために、二千年間、汗水流して準備された制度が今日の民主主義です。民主主義は人権を尊重する制度です。民主主義というのは、少数派も多数派の中に混じって生き残ることができる制度です。民主主義は自由を保障する制度です。その自由とは、すなわち言論、宗教、結社、出版、集会の自由です。
その民主主義の代表と見ることのできるアメリカの憲法を見れば、自由の中で最も絶対視する自由が宗教の自由であり、アメリカ議会と政府は、宗教を規制するいかなる法もつくることができないようになっています。この制度は、たとえ神様の息子が再び現れて革命的な布教をしたとしても、彼がそのことによって再び十字架にかからずに生き残ることができるようにするための制度なのです。これは神様が再臨の日のために努めて準備された制度です。ですから、身近な例を挙げれば、革命的な新しい真理を伝える統一教会が、いくらアメリカ人たちの気分を多少害するとしても、今日のアメリカのもつ法と制度によっては、これを十字架にかけることができないのです。
そして、いざ再臨の時が近づいてくれば、神様は第二イスラエルの世界的版図の中から、神様が中心となるキリスト教国家をお選びになる必要があります。これは、どういうことでしょうか。神様が成し遂げようとされる究極の地上天国の理念は、この地上に実際に成就する理想なので、ある中心点から出発して、漸次世界へと波及しなければなりません。いわば標本となる国家がなければならないということです。そしてさらに、言うまでもなく、終末にその中心的な神様の摂理を十分に担うことのできる国として、かなり以前から予定され、その予定に従って選ばれた国が、すなわちアメリカなのです。
今しばらく、アメリカの国家の形成過程を探ってみることにしましょう。アメリカ大陸は、あのように途方もない大陸でありながらも、一五〇〇年代までは発見されないまま放置されていた大陸です。これは「終わりの日」に、神様が特別に使おうと密かに隠しておいたものと解釈することができます。またアメリカは、その国家形成が移民によってできた国です。言い換えれば、アメリカは主人のいない国でした。原住民であるインディアンがいましたが、インディアンは主人の役割を果たせませんでした。結局、主人がいないということは、神様が主人なのです。ですから、神様がお選びになった特別な人々だけが行き、住むようになった国です。
ヨーロッパ大陸ではアメリカを新天地と呼び、最初に新天地に望みを抱いて移民した人々は、すなわち、信仰の自由を求め、神様に侍るためにやって来た人々でした。旧時代の圧政下において完全に望みを失ってしまい、「仮に大西洋の海で命を失ったとしても、ただひたすらに神様に心ゆくまで侍ることのできる所に行こう」と言って、悲壮な心で出発し、メイフラワー号という帆船に乗り、五十七日間の難航海の末に、アメリカのニューイングランド地方に上陸したのが、すなわちアメリカの先祖である清教徒たちでした。
彼らは航海中に多くの犠牲者を出し、上陸して初めの冬を越すときに、またその半分が犠牲となりました。彼らは、神様と信仰を、命よりも大切にした人々でした。彼らが間もなくアメリカの先祖となり、彼らの精神がアメリカの建国精神になったことは、偶然だとは絶対に言うことができないのです。
神様に侍る唯一の国、すなわち「神様のもとの一つの国家」というモットーが、アメリカの建国精神になったことは、この国を建てて、メシヤを再び迎える世界キリスト教国家の中心にしようとした神様のみ旨を、明確に立証するものです。そして、神様が隠しておいたこの肥沃な大陸に、神様を信奉する五色人種(すべての人種)が集まり、超民族的キリスト教国家をつくったのですが、これは、将来つくられる地上天国のモデルなのです。
今やアメリカは、神様のみ旨を中心として世界救援の旗手となり、教会と国家が一つに団結し、神様の歴史的な願いである世界救援のみ旨を達成し、神様の世界家族、そして統一文化を成し遂げなければならない重大な使命を背負うようになったのです。また、終末に起こる人類歴史最後の悪の勢力である共産主義に備えるために、神様はわずか二百年の間に、この荒地から生まれた新生国家アメリカを、世界の最強国家にされたのです。
今、アメリカ国民が悟らなければならないことは、今日、アメリカが享有している神様の祝福が、アメリカのためだけの祝福ではないということです。この祝福は世界のためのものであり、神様のみ旨を成し遂げるための祝福なのです。今日、アメリカ国民は、キリスト教精神で完全に武装し、世界人類救援のために、いかなる犠牲と十字架をもはばからないという決意に燃えていなければなりません。そして神様のみ前において、アメリカがもつ最も重大な使命は、共産主義の魔の手から自由世界を保護し、究極に至っては、共産主義さえも解放できる原動力にならなければならないということです。
ところが、そのアメリカは、一九四五年の第二次世界大戦の勝利から今日に至るまで、神様の本然のみ旨を離脱していく不吉な徴候が見えており、これは甚だ恐ろしいことであると言わざるを得ません。私はアメリカを愛するがゆえに、このことを語るのです。次の話は、アメリカの国会議員たちが集まった講演会において語ったことです。誰かがアメリカを悟らせなければならないので、この話をしました。
第一に、二度の世界大戦を勝利に導いたのは神様であり、またアメリカをして世界国家型である国連を編成させたのも、神様のみ旨でした。神様のみ旨から見れば、本来、国連はキリスト教精神を中心とした世界の国々が結束する本営にならなければなりませんでした。共産主義国家を含む国連は、絶対に神様のみ旨ではありませんでした。
またアメリカは、戦勝後、戦後処理を誤りました。第二次世界大戦に勝利した連合国と敗戦した同盟国家が統治した国々まで正しく保護し、天のものとして管理する責任がアメリカにありました。万一、アメリカが神様のみ旨をはっきりと知っていたら、サタン側国家であるソ連を堂々と制圧して、世界万邦の自由国家を集めて民主世界に結束させ、神様のみ旨の中で全世界を復帰できる良い機会だったのです。しかし、アメリカは、アジア諸国と東欧衛星国家を共産側に渡してしまい、韓国とドイツを両断させる悲劇を招いてしまったのです。
第二次世界大戦の勝利は、神様が、自由世界の版図を広げて共産主義を制圧できるよう祝福されたものだったのですが、結果的にアメリカは、若者たちの血の犠牲を無駄にして、神様を否定する不俱戴天の怨讐である共産主義世界を有利にしただけでした。若者たちの怨恨と血の訴えが、今もやんでいません。のみならずアメリカは、自由陣営を守護しなければならない聖職から後退することによって、ベトナムのようにアメリカの保護下にあった国々を、一朝にして共産圏に供え物として渡してしまったのです。これによってアメリカの国際的威信は地に落ち、恨みの声は日に日に高まっていきます。
今日国連は、その本然の機能を喪失したまま、共産主義国家の宣伝の舞台となっています。アメリカでは、様々な尋常でないことが日ごとに増えています。白人と黒人の人種問題が正にそれであり、若者たちを腐敗させる麻薬問題がそれです。青少年の淪落と家庭の破錠、そして日ごとに激増する暴力犯罪など、それらのどれ一つをとってみても、深刻でないものはありません。その中で浸透してくる共産主義の問題は、最も致命的な打撃です。極度の個人的な人生観と価値観によって肉的享楽に飛び込んでいくアメリカの現社会において、このままでは神様は間違いなく離れ、アメリカが神様の願いと希望と計画を失敗に導くことは、火を見るより明らかです。
この時点で、神様はどうされるでしょうか。神様は、このアメリカの現実を如実に見ておられます。ですから、神様はアメリカがこのようになることを予想されていた、と言っても過言ではありません。物質文明を中心とする西欧文明が、今日のアメリカのような事態を引き起こすことは、必然的な結果であると言えます。物質文明は、どこまでも体であって、心ではありません。今日のアメリカが神様の造られた体とすれば、この体に注入する心は、本来、東洋から起こすことを計画された神様です。そして、東洋の心と西洋の体が合わさって一つになるとき、初めて世界は欠点のない人の役目を果たせるように設計されました。今、西欧文明は一大心情革命、あるいは精神革命を待っています。しかし、この精神的革命は、西欧社会では期待できない立場です。これは必ず、東洋から起こらなければなりません。
ここでしばらく、イギリスの碩学アーノルドトインビー博士の予言について触れてみることにします。彼は有名な歴史家であると同時に哲学者です。彼の透徹した歴史観はあまりに鋭く未来を見通すため、彼は歴史家の領域を脱し、一人の預言者とまでみなされ、尊敬を受けた人です。トインビー博士は、驚くべき予言をしました。「キリスト教を中心とする西欧文明は、今、その滅亡の直前にさしかかった」と、西欧文明の没落を予言したのです。そして彼はまた、次のように言いました。「歴史の目的は文明の発達にあるのではなく、文明の興亡は、実は高等宗教の出現のための手段である」と。言い換えれば、トインビー博士は、「歴史の流れにおいて、歴史の目的は文明を発展させることにあるのではなく、文明はあくまでも手段であり、むしろ宗教の進歩発展こそが歴史の真の目的である」と言ったのです。そして彼は、「没落する西欧文明を救い出す新しい高等宗教は、東洋から湧きいずる」と言いました。「光は東方より!」この言葉は、トインビー博士の有名な予言です。
きょうの朝、革命的な発言になるかもしれませんが、私は、トィンビー博士が言われるその「光」、すなわち世界を生かすことのできる新しい宗教理念は、韓国から出現すると躊躇なく宣言する次第です。その精神革命の烽火は既に韓国から上がり、世界に向かって赤々と燃えています。既に西欧文明の中に飛び火して、超国家、超民族的次元で、数十万の若者たちの胸に火がともりました。彼らには、新しい価値観と新しい人生観が打ち込まれました。徹底した道徳革命が起こっています。世界人類救援のための犠牲的な奉仕が実践されています。その精神革命の烽火が、すなわち統一教会運動なのです。
この精神革命がしっかりとアメリカの物質文明と接ぎ木されれば、心と体が出会うことになります。その瞬間から、アメリカは心と出会うので望みがあり、韓国は体と出会うので望みがあります。さらに韓国とアメリカが一体となって世界救援運動に携わるとき、世界には望みがあるのです。この精神革命の力は、共産主羲に打ち勝つことのできる力です。この精神革命の衝撃がいかに大きいか、次のような実例を挙げて申し上げましょう。
アメリカで多くの物議を醸した私に対する非難の焦点は、アメリカの若者たちを洗脳するということでした。私たちの精神運動の衝撃があまりにも大きいので、賢いアメリカ人たちは私に、「自分たちを洗脳している」と言うのではないでしょうか。私は一九七五年十二月十八日、アメリカの下院議員たちの前で講演したとき、このように言いました。「賢明な議員の皆様に一言質問いたします。アメリカ人たちは韓国から来たこの人、いつも通訳をおいて説教するこのレバレンドムーンに洗脳されるほど、愚かな人たちですか」。私のこの言葉に、議員たちは名答を得たということでした。
アメリカの統一教会内に密かに侵入した一人の新聞記者は、統一教会の棚の隅々をくまなく探し、レバレンドムーンが洗脳工作に使う薬の瓶を探すのに血眼になったそうです。何か薬を飲ませて洗脳しているものと思ったようです。そのうち、彼は一和の高麗人蔘茶の瓶を見つけたのです。「ああ、これだ!」と言って持っていったのですが、いくら飲んでみても、何の精神的な変化も起こらず、気分だけが良かったそうです。
アメリカの青年たちは、私が持っていった何かの薬を飲んで洗脳されたわけではなく、神様が私に下さったみ言を聞いて、人格革命が起こるのです。韓国の地を通して神様が下さった新しいみ言は、一度聞けば人格革命が起こります。極めて利己主義的なアメリカ人たちが、世界のために犠牲になろうと立ち上がります。麻薬の奴隷から解放されます。淫乱の過去から解放されます。父母には孝行、国には忠誠、神様には生命を捧げて奉仕しようとする、高潔な人格者となっていくのです。のみならず、彼らは、共産主義を神様の怨讐として認め、共産主義と闘おうという信念が、この世のどの信念よりも強く燃えるようになります。
なぜ神様は、この世を救援しようとする最終理念を、私たちの祖国大韓民国を通して現すのでしょうか。「終わりの日」にこのような選ばれた国になったのは、韓国にいかなる資格があるからなのでしょうか。一言で言えば、韓民族は神様の事情を知り得る民族だからです。歴史上において、神様が喜びの方ではなく、悲しみの帝王であられることを、知る人がいませんでした。神様は、創世の時から子女を失った父母でした。いかに帝王であろうとも、子女を失った父母は悲惨でかわいそうです。歴史の中におられる神様は、かわいそうな父でした。そのかわいそうな父にとって、最大の孝行息子は、その父の痛みと悲しみを身代わりする息子です。韓民族は正にそのような立場で選ばれたのです。
韓国の五千年の歴史は、苦難と試練の歴史でした。韓国は長い間、貧しく、外国勢力から苦しめられる中で涙の味を知り、悲しみの味を知る民族でした。苦難の歴史の中で試練に遭ってきた韓国の事情は、堕落した人類、すなわち、死んだ子女を見て嘆息される神様の事情と同じでした。韓国人は涙の味を知っています。ですから、涙の神様を理解できるのです。韓国人は古くから悲劇を好みました。それが、堕落という悲劇を体験した神様に同情できる資格なのです。諺に、「やもめの心情はやもめが知る」という言葉があります。私たちは、喜びと栄光の中に権勢を享有される神様であると思っていましたが、その神様は、実は子女を失って涙を流される、悲痛で孤独な父だったのです。その神様の心情を慰労する真の孝子となることを信じ、神様は私たちを捜し求めてこられたのです。
韓国人は古くから、忠孝の志操が強い民族です。国軍の日を迎え、五一六広場に招待され、国軍の威容を見て心温まる思いがしました。その国軍の勇士たちが査閲台の前を過ぎるときに叫ぶ「忠孝」という掛け声は、本当に印象的でした。神様に選ばれた民族として叫ぶこの掛け声は、あまりにも啓示的でした。世界のいかなる国でも、このような掛け声を叫ぶ軍人はいないでしょう。
韓国は最終的に、神様に忠誠を尽くし、孝の道を尽くす民族であるがゆえに、その忠孝精神が今日、国家の中心思想になったのです。沈清(シムチョン)の親に尽くす哀切な孝、春香(チュニャン)の夫のための志操、鄭夢周(チョンモンヂュ)の王に仕える忠誠、柳寛順の殉国精神といった忠孝の志操は、古今東西、どこにも類例を見ない韓民族の魂です。このような忠孝精神と不変の志操は、今後成し遂げられる地上天国の中枢的な思想と精神になるのです。天国は神様の国なので、その国のために永遠に忠誠を尽くさなければならず、神様は人類の父なので、その父に永遠に孝の道を歩まなければなりません。世界の数多くの民族をいかに試験してみても、韓国のように、その忠孝の熱と志操の強い国はないので、神様は韓国をお選びなって訪ねてこられたのです。
また韓国は、平和を愛好する白衣民族です。私たちは一度も侵犯したことのない人々です。このような平和愛好の民族が、五千年の固有の歴史を抱いて耐え忍んできたこと自体が、奇跡であると言わざるを得ません。これは、ただ神様の保護のもとにのみ可能だったのです。俗に言えば、私たちは神様を背景にもつ民族なのです。
五千年の歴史において、様々な強大国が、何度も私たちをのみ込みましたが、そのたびに消化不良を起こさなかった国はありませんでした。食べたら、必ず吐き出さなければなりませんでした。
これは誰の力でしょうか。神様の力でした。八月十五日の解放は、誰がもたらしてくださったのでしょうか。神様の力でした。六二五動乱のとき、共産軍の南侵を防いでくれたのは誰の力でしょうか。神様の力でした。六・二五動乱当時、アメリカのトルーマン大統領の決心が三日遅かっただけでも、私たちは釜山の海に追い込まれて飛び込んでいたでしょう。
韓国動乱のとき、国連軍の派兵は、国連安全保障理事会においてソ連の拒否権があるので、絶対不可能なことでした。ところが、韓国派兵問題を討議するときに、ソ連代表は欠席したのです。その隙に派兵案は、一瀉(いっしゃ)千里で可決されました。国連外交史では、その時なぜソ連代表が欠席したのか、今なお誰にも分かりません。それは、誰がそのようにしたのでしょうか。神様の力だったのです。
韓国は、神様の特別な保護がある限り、誰が攻めてこようと指一本触れることもできません。韓国を害そうとする勢力は、神様の力によって一つ一つ敗れ去っていきます。今回、アメリカの議会で韓国を潰そうとするフレーザー議員の敗北は、その良い例です。
皆様。我が祖国韓国は、新しい時代の先駆者であり、神様の寵児です。私たちは、長い間の苦労の末に、新しい時代の王者として登場する時が来ました。このとき、私たちは悟らなければなりません。神様が韓民族を召命されたのは、韓国のみを良くするためではありません。世界を救援するために召命されたのです。韓国は、世界の救援摂理のために召命された国であることを悟らなければなりません。私たちは神様に召命されたので、神様の世界の救援摂理のために、誰よりも一番先に、自分を犠牲にできる愛の王者にならなければなりません。私たちが、神様のみ旨のために死ぬことは、すなわち生きることであり、苦労することは、すなわち栄光の位置に登る道です。イエス様が「自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失ものは、保つのである」(ルカ一七三三)と言われた意味が、正にこのことだったのです。
韓国のセマウル運動は、歴史に輝く民族の自立、更生の金字塔です。これは檀君以来、その類例を見ない課業であり、世界のどの国の歴史にも、これに匹敵する記録がありません。我が国の工業発展は、戦後の日本やドイツの復興をも凌駕する記録です。加えて、このような急速な成長を、虎視眈々と南侵を狙う北朝鮮の金日成主席の目前において成し遂げたということは、大きな意義があります。
アメリカ人たちは、私に対して、朴正熙大統領と何か密接な関係がないかと罪を着せようとしていますが、それはばかげたことです。私は、朴大統領と一度も会ったことのない人間です。しかし、成功しているのを見て、よくやっていると言うことができないのであれば、それは義人の道理ではありません。朴大統領は、この重要な時期に天が遣わされた指導者であると私は確信します。この方でなければ、我が祖国の復興は言うまでもなく、金日成主席の赤化野望から、もちこたえることさえ難しかったと私は思います。
天がこの歴史的な時点に、このような指導者を立てて、我が祖国を急速に復興させたのには理由があります。今や、韓国が新しい精神文明の発祥地となり、世界を指導して、世界に雄飛する時が来たので、その韓国が今後は、もうこれ以上苦難の中に貧しく苦しんでいてはいけないからです。いわば神様は、韓国をこれから全権特命大使として世界に送ろうとされるのですが、その大使を、ぼろぼろの雑巾のような服を着せて送り出すことはできないのです。礼服を着せて、世界の前に立たせようというのが神様のみ旨です。韓国は名実共に、世界の指導者像を備えなければなりません。これから韓国は、どの面から見ても世界各国において模範となり、羡望の的となり、彼らから尊敬を受けなければなりません。
韓国のセマウル(新しい村)運動は、「我々も一度良い暮らしをしてみよう!」という段階で止まってはいけません。韓国のセマウル運動は、世界を良い暮らしができるようにする運動に昇華されなければなりません。そのようなセマウル運動が、セマウム(新しい心)運動へと前進したことは、あまりにも神様のみ旨にかなったことです。セマウル運動が自分の体をよく生かす運動だとするなら、セマウム運動は自分の霊魂をよく活かす運動だからです。そして、このセマウム運動は、忠孝精神を中枢としたものなので、セマウム運動が世界に伸びていくとき、世界は私たちから真の忠孝精神を学ぶでしょう。このセマウム運動も、さらに一段階、前進しなければなりません。
私たちが究極的に始めようとする運動は、セサラン(新しい愛)運動です。セサラン運動は、神様を父として愛し、隣人を自分の体のように愛する運動です。新しい愛の極致は犠牲です。神様と世界と国と同胞のために犠牲となる運動に昇華されなければなりません。イエスキリストの究極的な教えがこれでした。しかし、キリスト教の歴史は、このセサラン運動をするところでいつも失敗しました。自分だけ生き、自分だけのためにする運動は必ず滅びます。自分を犠牲にして相手を生かす運動こそが、永遠に残るのです。イスラエル選民たちには、正にこのような悟りがなかったので、イエスキリストを十字架にかけてしまいました。キリスト教の全盛期を享有したローマは、自分を中心とした利己主義に翻弄されるとき、その帝国も内部から崩壊してしまったのです。
ある時期、神様はイギリスを祝福されました。その当時イギリスは、その領土に「日の沈むことがない」と言われるほど、その威勢が全世界に広がっていました。しかし、彼らが神様の真の祝福のみ旨を忘れ、世界植民地政策が自己中心になったとき、イギリスは秋の落葉のように衰退しました。彼らも、セサラン運動ができなかったことで衰退したのです。
今日、アメリカも、ローマ帝国などを羡むことがないほどの権勢と祝福を享有しています。彼らも二百年間、セマウル運動もよくやり、セマウム運動もよくやりました。しかし、「終わりの日」に、世界のために犠牲となるこのセサラン運動ができなければ、アメリカの将来は暗澹たるものでしょう。韓国も、この神様の原理から逃れることはできません。私たちが究極的に出ていく道は、セサラン運動です。自分を犠牲にし、自分の国を犠牲にしてでも共産主義を防いで、良い暮らしができる世界にしようとする犠牲的な愛に燃えなければ、私たちもまた、一度は良い暮らしをしたとしても、今の先進国が滅んでいくその落とし穴に共に陥ることになるでしょう。
統一教会は今、そのセサラン運動を五大洋六大州、百二十ヵ国に広げているのです。そしてこの運動は、神様が共にされる運動となるでしょう。この運動によって、名実共に五色人種が一つの兄弟となる理想が実践されています。そして、統一教会が導くセサラン運動の故郷は、我が祖国、大韓民国なのです。
「私の愛する祖国よ、輝け!お前はついに神様の召命を受けたのだ!世界を生かすセサラン運動の本郷になったのだ!」。これが本日の朝、皆様に申し上げる私の証言のすべてです。
私たち韓民族の急務は、自覚です。悟ることです。私たちは悟らなければなりません。私たちは神様から召命を受けたことを悟らなければなりません。私たちが選民であることを悟らなければなりません。自分だけが良い暮らしをするための選民ではなく、世界が良い暮らしができるようにする選民であることを悟らなければなりません。この使命を悟り、一致団結してこのことを実践するとき、神様の祝福は永遠に私たちの祖国と共にあり、私たちは神様の王子となる立場で新しい時代の先駆者となり、祖国の栄光も永遠無窮となるでしょう。最後に皆様の御家庭と社会生活に、そして大韓民国と指導者の皆様に、万福が臨むことを祈りながら、きょうの朝のお話を終わりにしようと思います。ありがとうございました。
3.世界と韓国の決意
平和経 第八篇 韓半島統一と世界平和
3.世界と韓国の決意
日付:一九八三年十二月十四日
場所:韓国、慶尚南道、馬山室内体育館
行事:全国八大都市勝共決起大会
万場の愛国市民の皆様、勝共会員、そして内外の貴賓の皆様。久し振りに、再び皆様にお目にかかれて、実にうれしく思います。
去る九月と十月のKAL(大韓航空)機撃墜事件とラングーン暗殺爆破事件のとき、どれほど驚愕と悲痛が大きかったでしょうか。私もその時、外地でその衝撃的な消息を知り、故国の皆様と共に驚きと悲痛を禁じることができず、憤怒もまた大きかったのです。
しかし国民の皆様は、その途方もない衝撃にも挫折することなく、その試練によく耐え抜かれました。その時私は、数多くの国難に不死鳥のごとく耐え抜いてきた伝統的な民族の魂を、故国の皆様に再発見し、心強さを感じたのです。きょう、私がこの場で皆様にお伝えしようとする講演の題目は、「世界と韓民族の決意」です。
まず、今日の危機状況についてお話ししようと思います。今日の世界は一言で表現すれば、大混乱の世界であると言えます。東洋や西洋を問わず、世界の南北を問わず、また先進国と発展途上国との区別なしに、今日の社会はみな病にかかっており、不正、腐敗、殺人、強盗、搾取、抑圧、暴力などが絶える日がありません。そして日増しにより一層増大しています。
また、国際的には国と国との間に、民族と民族との間に、宗教と宗教との間に、紛争、衝突、反乱、戦争などが至る所で起きており、最近ではKAL機事件、ラングーン爆破事件、ベイルート爆破事件などの大量虐殺の蛮行まで続出しています。
一方、先進国の国民が豊かな生活を楽しんでいる反面、アフリカのような発展途上国の多くの国々においては、数多くの人々が飢餓線上で苦しんでおり、飢えで死んでいく群れが増えつつあるのです。このような混乱と惨状の中でも、特に嘆かわしいことは、宗教が本来の役割を果たせず、互いに闘っているという事実です。
北アイルランドにおける新教と旧教との闘い、イスラエルのユダヤ教とアラブのイスラームとの闘い、イラクとイランのイスラーム内の教派相互間の闘い、プロテスタント内部の教派争いなどがそれです。人類の精神を先導して闘いを中止させ、和解させなければならない宗教が、かえって闘いに明け暮れているのです。
こうして世界は今、無法天地と化してしまい、人類は様々な暴力と殺戮、破壊と蛮行の海の中へ落ちていきつつあります。さらに共産主義の野蛮な策動によって、混乱はより一層深化されています。こうして人類文化は今、絶望的な危機状況に置かれてしまいました。
それでは、このような世界的な大混乱の根本原因は、果たして何でしょうか。それは従来の価値観が総体的に崩壊してしまったからです。どのように生きるのが正しい生き方なのか、その基準を喪失してしまったからです。何が善であり、何が真であり、何が正義であるのか判断が難しくなったからです。
価値の基準が国ごとに違い、団体ごとに違い、甚だしくは個人ごとに違います。さらに、共産主義が現れ、従来のすべての道徳観念を破壊しています。これは何を意味するのでしょうか。これは民主主義も共産主義も、そして宗教も哲学も、今や世界のすべての問題を解決し得なくなったことを意味するのです。
民主主義は、人間の権利の平等と多数決主義によって、すべての難問題を解決することを目標として出現したのですが、今日に至って、民主主義の社会であればあるほど、価値観の崩壊が一層深まりつつあり、これは民主主義が社会や世界の問題解決において、自信を失ってしまったことを意味するのです。
一方、共産主義は、革命によって社会主義社会を実現し、資本主義社会の構造的矛盾を一掃して労働者と農民を解放し、すべての社会悪を除去するという名分をもって出現しました。それにもかかわらず、今日、ソ連をはじめとするすべての共産国家は資本主義よりも、より深い構造的矛盾を露呈しており、より甚だしい社会悪をほしいままに行っています。そして、宗教は宗教なりに、人類の精神指導には全く関心をもたず、争いに明け暮れているのみならず、宗教内部にも不正、腐敗が蔓延しつつあります。また、哲学は哲学で観念化されてしまい、現実から遊離して、現実問題の解決には何ら助けにもなっていないのです。
このように見るとき、民主主義も共産主義も、宗教も哲学も、社会や世界の問題解決において、完全に限界性を露呈してしまったのです。今や人類は、世界の混乱を収拾するに当たり、そのいかなる主義や宗教や哲学にも、期待をかけることができなくなりました。これはこのまま行けば、人類文化が滅亡せざるを得ない状況になることを意味するのです。
それでは、果たしてこの世界的な大混乱を収拾する真の解決方案はないのでしょうか。人類は今やすべてを諦めて、滅亡の日のみをただ待っていなければならないのでしょうか。決してそうではありません。問題の根本的な解決方案はあるのです。その解決方案とは、絶対神(神様)の実在を前提とした解決方案です。それは、絶対神が、この地上に実現しようとした世界が、正に混乱のない平和の世界だったからです。
ですから、神様の実在と神様の創造を認めなければ、今日の世界の問題の解決は不可能なのです。これを言い換えれば、人間が、このような神様の実在と創造目的を知らなかったがゆえに、今日、大混乱の世界をもたらしてしまったのです。
神様が地上に実現しようとした世界は、真のユートピアであり、それは自由と平和と幸福に満ちあふれた世界です。このようなユートピアの理想を胸に抱いて、神様は今日まで切ない心で、地上の人々を訪ねてこられたのであり、人間は人間なりに混乱の中で苦痛を受けながらも、ユートピアを求めてさまよってきたのです。与えようとして切ない心で来られた神様の理想と探し求めてさまよう人間の理想は同じなので、神様と人間が出会いさえすればユートピアは直ちに実現されるようになっているのです。それにもかかわらず、全体的な分野において、その神様と人間の出会いがなかったので、人間は長い間苦痛を受けてきたのです。
私は早くから、悲劇と苦痛の中で呻吟する人類を救出する方案を模索することに、長い間心血を注いできました。それは瞑想と苦悩と探求の道であり、凄絶な精神的闘いの茨の道でした。
千辛万苦の努力の果てに、ついに実在される神様に出会うことができたのです。神様に出会ってみると、神様は栄光の神様ではなく、ユートピアを地上に実現するために、焦り、もどかしく思われる父母としての神様であられ、またその神様は、天道を明らかにして万物を抱く真理と愛の光でした。
神様の限りなき真理と愛に接したときに悟ったのは、神様と人間と宇宙の関係を人間にはっきりと知らせるために、神様が深く抱いてこられた深奥な思想でした。この思想によって世界のすべての問題は完璧に解かれ、ユートピアが実現されることが証明されたのです。この思想が正に「統一思想」であり、私が今、世界的に展開している統一運動の基本的理念になっているのです。
神様と出会って以来、私は今日まで、神様の思想をもって神様と人類の夢であるユートピアの実現のために、生涯にわたって統一運動を展開してきたのであり、その間の経験を通じてこの「統一思想」が問題解決の鍵であり、混乱収拾の鍵であることを、より一層確認することができたのです。人生問題、社会問題、宗教問題、歴史問題など、各種の難問題のために苦悶した末に、疲れ果てた多くの青年男女たちと壮年たちが、この思想に接してからは、あたかも旱魃(かんばつ)で干からびた草木が、甘雨(かんう)によって蘇生するように、彼らは希望と喜びと活気を取り戻して立ち上がったのです。
統一運動は、いまだ既成世代によって故意の迫害を受けているにもかかわらず、彼らは世界問題の根本的な解決の道は、統一運動だけであることを確信して私のあとに従っており、この数は急速に増大しているのです。
最近では、全世界から多くの著名な碩学たちまでが、この運動に参加し始めました。このようにして、民主主義も共産主義も、そして宗教も哲学も解決し得なかった各種の難問題の正しい解決方案は、ただ「統一思想」のみであることが、漸次、一般の人たちにも認識されつつあります。
統一運動が世界的に拡散していくのに、最も障害となるのが共産主義です。共産主義は弁証法的唯物論、唯物史観などの独特な哲学をもっていますが、民主主義はそれに対応する哲学をもっていません。その代わり、民主主義は「統一思想」を受け入れることができます。しかし、共産主義は、その党派性と階級性ゆえに、これを全く拒否しています。
こうして共産主義は、私の統一運動に対して、様々な手段を用いて妨害し、迫害したのです。虚偽宣伝と悪辣な謀略、各種の印刷物と集会を通じて、共産主義は、私と私のグループに対して中傷と迫害を加えてきたのです。政治家、言論人、学生、宗教人、文化芸術人、ひいては婦人たちまでも動員して統一運動を悪宣伝しました。統一運動に対する日本共産党の中傷と迫害に関する詳細な調査資料は、間もなく本として出版される予定です。
そして、彼らの迫害の方法も多様であり、襲撃、誘拐、拉致、不法監禁、暴力行為、強制的改宗の企て、洗脳、強迫、精神病院への強制収容と外部との完全な遮断、睡眠薬の投与による精神麻酔などがその例です。こうして今日に至っては、私と統一運動に反対し、迫害するいかなる団体も、いかなる個人も、その背後には必ず共産党があって、これらを直接間接的に操っていることが綿密な調査によって明らかにされたのです。それでは、共産主義は、何の理由で私の統一運動をそれほどまでにしつこく反対するのでしょうか。それは「統一思想」が、神様を彼らにはっきりと知らせるのみならず、体恤させることによって、無神論的共産主義の虚構性が白日のもとに暴露されるからです。
悪魔が太陽の光を避けて夜にだけ暴れるように、共産主義は神様を避けて、今日まで闇の世界でのみ権勢を振るってきました。「統一思想」によって、神様の真理の光を照らすとき、悪魔の正体が暴露されるので、彼らは必死で統一運動に反対しているのです。実際に共産主義者のうちには、「統一思想」に接して共産主義が虚偽であることを悟り、転向して統一運動に加担した例が少なくありません。
しかし、共産主義の反対と迫害にもかかわらず、統一運動は弱化するどころか、かえって驚異的な速度で成長し、全世界的に拡大されてきました。なぜでしょうか。それは神様が保護してくださり、助けてくださったからです。「統一思想」は正に神様の愛であり、統一運動は正に神様の願われた運動だからです。神様はこの運動を通じてすベての矛盾と社会悪を除去し、統一された一つの真のユートピアを実現しようとしておられます。ユートピアとは、宗教的用語では地上天国のことをいうのです。
それでは次に、私が展開している統一運動の最終目的を具体的に明らかにしようと思います。既にお話ししたとおり、神様の真理と愛の理念である「統一思想」によって、第一に社会的、世界的なすべての問題を解決し、共産主義をこの地球上から完全に一掃し、真の自由と平和と繁栄の世界を実現することであり、第二に、新しい価値観と新しい倫理、道徳による大家族主義の世界を実現することであり、第三に、すべての抑圧と搾取と差別と社会悪が消え去った、共生共栄共義主義の大統一世界を実現することが、最終目標なのです。
一言で言えば、真のユートピアを実現することです。そして、このような社会を実現する方法も、共産主義式の暴力や闘争の方法ではなく、真理と愛による平和的、理想的精神運動によるのです。このすべては神様のみ旨であり、神様が成就しようとされる最終目的となるのです。
韓半島において、大韓民国は共産主義と闘って勝たなければならない宿命的な立場に置かれています。大韓民国は、共産主義と闘って勝利すれば、世界に雄飛するのですが、共産主義に負けるときには、跡形もなく消えてしまうのです。敗北の悲惨な運命は、ベトナムの例がよく示しています。
大韓民国は北朝鮮だけに勝つのではなく、全世界の共産主義に勝たなければなりません。北朝鮮は悪の側で、世界共産主義を代表して北の地を占有しており、大韓民国は善の側で、世界民主主義を代表した立場で北朝鮮と対峙しています。こうして休戦ラインを間において、北朝鮮と大韓民国は各々共産世界と民主世界の先端に立ち、両世界を代表して生死を懸けた運命的な歴史的対決をしているのです。
北朝鮮は悪側を代表し、大韓民国は善側を代表しています。北朝鮮はサタンが背後にあり、大韓民国は神様が共にいてくださるのです。こうして韓半島は、世界において善と悪が最も鋭く向かい合っている、世界史的な地域となっており、この地域で善が悪を打ち破って勝利したとき、世界のすべての悪は滅びるようになるのです。神様は全摂理史をかけて、このような韓国国民と全世界の自由人が一つとなって、全体的な勝利を収めることを、待ち望んでおられるのです。
最後に韓民族の決意についてお話ししようと思います。休戦ラインを中心とする南北の対決は、総力体制の対決なので、国力において大韓民国が北朝鮮を凌駕しなければならないことはもちろん、思想的な面においても北朝鮮を凌駕しなければなりません。総力戦において、最後の勝敗は思想戦にかかっています。ベトナム戦争がこれをよく示してくれています。アメリカは最強の軍事力をもってしても、思想戦に敗れたために、結局ベトナム戦争で敗退してしまったのです。
思想戦という点から見ると、大韓民国は現在、非常に不利な立場にあります。共産主義が巧妙な偽装戦術によって、宗教界と大学街に浸透しており、農村と都市には共産スパイの地下組織が根を下ろしつつあります。全国民は団結しなければなりません。教授たちは大学街を、宗教人たちは宗教界を、官僚たちは国民を、責任をもって思想教育を急がなければなりません。そして、共産主義の理論を論破する「勝共理論」によって早く武装し、共産主義の偽装浸透とスパイの地下組織網を摘発、粉砕したとき、初めて思想戦に勝利できるのです。このときになって、初めて北朝鮮の南侵を実質的に阻止できるのです。
ここにおいて留意しなければならないことは、北朝鮮は全共産世界を代表しているので、北朝鮮の背後にはソ連をはじめとする多くの共産国家がつながっているという事実です。北朝鮮とつながったこれらの国家は、世界制覇という思想的な連帯関係をもっているために、有事の際、北朝鮮は、これらの国家、特にソ連と中国から軍事的、経済的な支援を受けることができますが、大韓民国はそうではありません。
今後、有事の際、六・二五動乱のように自由の友邦が私たちを助けてくれると期待してはいけません。なぜならば、民主世界には世界統一という思想的な内容がないからです。六二五動乱の時とは事情が全く異なってしまいました。これは、自由の友邦が世界のための思想で一致しているわけではなく、自国の利益を追求するだけではなく、選挙による主権者の変動が可能であり、だんだんと自由化されつつあるからです。
私は、自由陣営のこのような脆弱(ぜいじゃく)点を早くから知っていたので、これまで、日本、アメリカ、ヨーロッパ、中南米などを往来しながら、世界の青年、学者、言論人、政界人などを糾合して、超国家的な「勝共思想」で彼らを覚醒し、彼らの国家に民間的な勝共基盤を造成して、歴史的、摂理的、世界的な全体共産主義との対立地である大韓民国を守護するために全力を傾けたのです。特に、アメリカと中南米には、カウサ(CAUSA:南北米統一連合)運動を通じて「勝共思想」を国民に定着させることに成功し、日本では強力な民間の勝共基盤を構築しました。
アメリカと日本において、この基盤は今後、一層急速に拡大されるでしょう。韓国もこれまで私が勝共連合に指示して、全国の里、統単位の指導者を選定し、全国民的基盤を立てるようにしました。このようにして、少なくとも、韓国と日本とアメリカにおいて、為政者のレベルではなく、民間のレベルで、思想的に強力な連帯関係を形成するようになったのであり、有事の際、迅速に支援を得られる土台がつくられたのです。
これから世界を代表するこの三国の勝共国民会員は、姉妹結縁と相互交流、教育などを通じて、団結をより強くするように指導しようと思います。北朝鮮の直接的な脅威のもとに置かれている韓国には、まだまだ勝共国民要員が大幅に足りません。一つの里、統内に、少なくとも百人以上の勝共国民会員がいなければなりません。そうすれば、約七百万の勝共国民会員となり、勝共の主体国として国際的威信をもつようになるでしょう。
したがって、一つの里、統内で、できる限り父も母も、勝共国民の働き手にならなければならず、兄も弟も姉も妹も、そして夫も妻も勝共国民会員にならなければなりません。そうなるとき、町内会は勝共国民町内会となり、民防衛隊は勝共国民民防衛隊となり、セマウル運動は、勝共国民セマウル運動となるのです。そうして初めてこの国に強力な勝共国民基盤が造成されるようになり、確固たる安保国民基盤が構築されるようになります。国の為政者がたとえ代わったとしても、この国民基盤造成は決して中断されてはいけません。
しかし、これで満足してはいけません。この国民基盤を、再び外国の勝共国民基盤と連結しなければなりません。そうして強力な国際的勝共国民連合戦線を形成しなければならないのです。国際的な勝共国民連合戦線によって、北朝鮮を含む全世界の共産主義と闘って勝利するとき、初めて北朝鮮を打倒し、北朝鮮の地を解放するのです。
私が今回、韓国に帰ってきたのは、正にこのような仕事をするためです。各国の勝共国民基盤を韓国と連結させ、強力な国際的な国民連合戦線を形成するために帰ってきたのです。
今日、ここで勝共大会を開くのも、国民の皆様に国を生かすために、早く「勝共思想」で武装してくれることを訴え、併せて国際的な勝共国民戦線を形成するためです。
私がここまで来るのに、多くの迫害を受けてきました。国家を越えて世界的に迫害を受けてきたのです。今や、国民の皆様がこれまで積み上げた実績を通じて悟る時になりました。韓国が生んだ偉大な神様の思想を受け入れなければなりません。この思想は私の思想ではなく、神様の思想であると同時に、皆様と人類の思想です。
この場には七十ヵ国の「世界平和宗教授アカデミー」の議長団七十人の方々も来られています。この方たちは、著名な世界的碩学者で、私の統一運動と勝共運動に賛同した方々であり、本大会を支援し、韓国と各国の勝共国民の紐帯強化を図るため、今回訪韓したのです。
こうして、この地球上から共産主義を完全に一掃するとき、初めてこの地上に、長い間、神様の希望であり、人類の夢だったユートピアの世界が建てられるようになり、我が民族の念願である祖国統一が達成されるのです。
その日のために、私たち全国民は、一致団結して共産主義と闘うことを固く決意し、全世界の国民と心を合わせて一体となり、共産主義の打倒のために総決起し、総進軍しましょう!
大韓民国と皆様の御家庭に神様の加護と祝福があることを願ってやみません。ありがとうございました。
4.世界のために祖国が行くべき道
平和経 第八篇 韓半島統一と世界平和
4.世界のために祖国が行くべき道
日付:一九八五年十二月十一日
場所:韓国、ソウル、ヒルトンホテル
行事:真のお父様勝利帰国歓迎晩餐会
各国からお集まりの貴賓、そして紳士淑女の皆様。今晩、私をこのように盛大に歓迎し、心情的に祝ってくださることに対し、心から感謝申し上げます。とりわけこの日のために、様々な御事情を差し置いて、私の帰国の道を輝かしいものとするために世界各地から来席された、各国の最高指導者の方々、ならびに著名な宗教界、学界、言論界、財界などの指導者の皆様に深い謝意を表します。
昨日の朝に帰国し、慣れ親しんだ故国の山野と空を眺め、また今夜、皆様の前に立つことになった私の心は、いかなる時よりも感慨深いものがあります。皆様が、きょうこのように私を歓迎してくださるのは、レバレンドムーン個人に対してではなく、神様のみ旨と公義のために徹して生きてきたレバレンドムーンを歓迎しておられるのだと思います。思えば、きょうこの集まりは重大な歴史的事件です。私一人の進退に世界の関心が注がれており、世界の最高指導者たちが遠路はるばる韓国に駆けつけて、私の帰国を祝うというこの事実が、どうして簡単なことでしょうか。神様のみ旨を中心に、一生涯をために生きてきた私の理想と実践を見守り、感化、感動されたからではないかと思います。
宇宙の存在秩序は、ために生きることを根本としています。真の理想、真の愛、真の平和世界は、神様の創造理想であると同時に人間の希望です。ですから、理想と幸福と愛の起源は、相対のために生きるところにあるのです。宇宙を見れば、いかなる存在物も自分だけのために存在するものは一つもありません。動物界は植物界のために、鉱物界と植物界は動物界のために、またこれらすべてを合わせた万物は人間のために存在しています。それでは、人間は誰のために存在するのでしょうか。人間は神様のために存在するのです。その神様はまた万物のために、万物を存在たらしめ、成長、発展するようにされるのです。
このように、ために生きることは存在世界の基本秩序なので、いかなるものも、ために生きる存在として生まれたのであって、自分だけのために生まれたのではありません。男性が生まれたのは男性のためではなく、女性のために生まれたのです。女性の場合も同様です。いくら美しい女性でも、女性が生まれた本来の意味は、女性のためではなく、男性のためなのです。男性と女性がもつ素性と感情もすベて相対のためのものであって、自分のためのものではありません。夫婦の場合も、結婚して「ああ!私が生まれたのはあなたのため、生きるのもあなたのため、死ぬのもあなたのため」と言うようになれば、これを理想的な夫婦、幸福な夫婦というのですが、存在世界の基本秩序から見て、これは極めて当然のことだと言えるでしょう。
そこから真の愛は始まるのです。このように、真のものは、ために生きるところから起源を求めなければなりません。真の父母の愛も、真の子女の孝の道も、真の夫婦の愛も、相対のために生きるところから起源を見つけるのです。この公式を適用すれば、真の父母は子女のために存在するのであり、真の孝子は父母のために、真の国民は国のために、真の主権者は国民のために存在するのです。このすべてに真があり、幸福があります。宇宙の存在秩序がこのようになっているように、神様のいらっしゃる本然の世界、すなわち天国や楽園もために生き、ために死んでいった真の人々が入っていく所です。すべての宗教が犠牲や奉仕を教え、ために生きる愛の実践を強調する理由はここにあります。ために生きる所は自然に中心となり、尊敬される場になるのです。例えば、兄弟の中で、幼い弟がために生きる愛をもてば、家族の慈しみと羨望を独り占めにするようになるのです。
ために生きる生活は、個人的な基準の秩序で終わるのではありません。家庭的な基準において、その構成員がために生きるとき、初めて家族の真の和合と幸福の理想が実現する家庭天国が築かれるのです。さらに国家的基準で、全国民がために生きるところに国家天国が築かれ、世界的な基準で全人類がために生きるときに、全人類の真の和合と幸福の理想が実現し、世界天国が築かれるのです。
理想世界とは、永遠、不変、絶対的な神様を父母として侍り、全人類が兄弟姉妹としてために生きながら仲むつまじく暮らす大家族の世界です。このような世界を築くために、神様の摂理を全体的に指導する方を救世主、あるいはメシヤと呼びます。真の愛の回路が塞がった世界で、ために生きる生活によって手本を示してくださるこの方は、人類の理想の動機であり、目標です。
メシヤとして来られたイエス様は、ユダヤ教とイスラエルを基盤に世界を救援するために、彼らが世界のために生きるように目覚めさせようとしましたが、その過程において、不信され、十字架にかけられるようになりました。イエス様のみ旨は「世界のためのユダヤ教とイスラエル」になることを願ったのですが、彼らは、自分たちだけのための神様や救世主であることを求めたからです。そうして復活されたイエス様は、世界のキリスト教圏を霊的に導いてこられました。
アメリカは、神様のみ旨を中心に世界救援の旗手にならなければならない、世界キリスト教の代表として選ばれた国です。アメリカは、キリスト教精神を通じて、神様のみ旨を世界的に結集させなければならない重大な使命をもつようになったのです。アメリカに下さった神様の祝福は、アメリカだけのための祝福ではなく、世界のための祝福であり、またアメリカだけのためのアメリカではなく、世界人類のためのアメリカでなければなりません。このような神様の心情と摂理を知った私は、アメリカに行かざるを得ませんでした。そして過去十三年間、アメリカを目覚めさせるために気も狂わんばかりに働いてきたのです。
アメリカは第二次世界大戦以後、その戦後問題の処理過程において、世界のために生きる使命を忘れたことがたくさんありました。世界を優先的に心配しなければならない神様の期待に背き、アメリカだけのことを心配したので、アメリカは自由世界の多くの国家を失ってしまいました。アメリカがキリスト教精神に徹することができなかったとき、国内に多くの諸問題が生じたのです。人種問題、麻薬問題、青少年の淪落と家庭の破綻、暴力と犯罪、共産主義の浸透などがそれです。様々な原因が考えられますが、これらのすべてはアメリカの精神的な枯渇によってもたらされたものです。神様はアメリカから、世界のために生きる代表的な個人が現れることを期待され、また、世界のために生きる代表的家庭が現れることを期待され、また、アメリカが世界のために生きる代表的な国家となることを期待されたのです。ところが、アメリカの現実からは、神様の願われる個人や家庭は探し出すことができず、アメリカという国も、信仰の基盤がことごとく揺れています。ですから、神様は私に、その使命を全うするように激励されたのです。
東洋の韓国からアメリカに渡った私が、神様のみ言を中心に積極的にアメリカを覚醒させようとしたとき、既に信仰的基盤が崩れていたために、悔い改めて従ってくるどころか、誹謗と謀略で反発する抵抗がどれほど激しかったでしょうか。私が受けた天命は、準備された基盤をもって人々を覚醒させる教育をし、できなければ、途中で勝手に放棄できる、そのような性質のものではありません。
過去十三年間、激しく迫害され、冷遇される中でも、私は、神様が理想とされる、世界を代表するために生きる個人、そのような家庭、そのような氏族の代わりにならなければなりませんでした。そして、アメリカの若者に、私が実践して手本を示すことによって、神様に従って世界を代表する、ために生きる家庭と氏族を編成しました。アメリカと全キリスト教に代わって、世界のために生きる新しい天民を育成していく作業でした。
私は天命に従って孤独な道を開拓してきました。神様の願いは、人々が神様を漠然と信じることにとどまるのではなく、自己の責任分担として実践し、成就することであることをはっきりと知る私は、そのために生涯を捧げてきました。
過去三十年間、私は第一に、神様を中心とした理想の普遍化と教育のために、全世界の学者を動員して、たゆまず努力してきた結果、既に百ヵ国以上に確固たる思想的基盤を構築しました。第二に、地上天国の理想は、霊的な要求だけで成し遂げられるのではないため、技術と真の先端科学分野の発展のための投資と努力を続け、驚異的な成果を収めました。第三に、神様のみ旨を地上に実現するための世界的な経済基盤を確保し、各種の経済活動と未来の金融秩序のための国際協力方案を模索し、研究しています。第四に、正しい言論によって社会を教導するために、世界的な言論機関を育成してきました。このほかにも多方面で創意的な活動を積極的に展開していますが、これらのすべては神様のみ旨を地上に実現するという課題と直接関係のあるものです。
皆様も御存じのように、私はアメリカで獄中の苦しみを体験したあと、この八月に出監しました。彼らは私を罪人に仕立て上げて投獄しましたが、私は獄中での十三カ月間、胸を痛めながら神様に祈りを捧げ、アメリカと世界の運命のために、一日たりとも心配しなかった日はありませんでした。「アメリカの罪を赦し、私の使命を全うさせてください」と祈りながら、霊的、信仰的基盤を再び覚醒させるために、数多くの行事を陣頭指揮してきました。アメリカでキリスト教の基盤を中心とした奉仕活動を展開するために、大型トラックを数百台購入して支援しました。また、ソ連帝国の滅亡を宣言する国際学術会議、宗教連合運動、新しい週刊誌「インサイト」と新しい月刊誌「ワールドアンドアイ」の創刊など、新たに数十ものプロジェクトを獄中から指導し、着手しました。
私は歴史的な反対を受ける場にあっても、投獄される悔しさの中においても、神様のみ旨を中心に、アメリカのいかなる個人や団体、教団以上に、アメリカのために生き、アメリカを愛しました。それだけでなく、天命を遂行する過程で、いかなる公人が歩んだもの以上に息の詰まる、血と涙ににじんだ供え物の道を、個人的に、家庭的に、教団的に歩みました。骨身を削る痛みであっても、アメリカを生かし、世界のための道であるならと考え、感謝しつつ克服しました。
天の召命を受けて立った私の道は、茨の道でした。日帝時代に、学生だった私は、独立運動をして投獄され、北朝鮮で宣教した時には、社会紊乱(びんらん)の罪を着せられ、興南の監獄で死の峠を越えました。韓国では草創期に、異端として追われ西大門の監獄で苦しみを味わいました。そして先回、アメリカでは人種の偏見と宗教迫害がきっかけとなり、獄中の苦しみを味わってきたのです。このように私の道は苦難の連続でした。しかし、私は死なずに生き残り、このように皆様の前に立っています。
反対の竜巻が起ころうと迫害の波がいかに激しくとも、敗者とならず、ために生きる天道に従って勝利の祭物をもったまま、このように帰ってきました。この勝利は私個人だけのものではなく、神様と共に成し遂げた勝利です。人々に理解されず、さらに迫害のまっただ中で、このような驚くべき基盤を築けたことは、容易なことでしょうか。皆様に、自らこのような基盤のことを話すのは、私自身を誇るためではありません。一つ一つ私を導き、役事され、守ってくださった、生きておられる神様を証し、栄光を帰すためです。
人間の力だけでは想像もできない奇跡が、私たちの前で現実に展開しているこの瞬間、皆様全員が奇跡の目撃者になりました。歴史上、空前絶後の勝利を祝う世界的な式典に参席されたこと自体が、永遠に誇りとなるでしょう。願わくは、皆様も、きょうのこの場が奇跡に駕嘆する場にとどまるのではなく、摂理的な意義に対する確認とともに、奇跡の実体と確固とした関係を結ぶことによって、生涯の跳躍の契機とされるようお願いします。
これは個人のためにも、民族と国家のためにも、勧告せざるを得ません。韓民族が、私が歩んできた歴史的な勝利の基台に立つならば、韓国はやがては世界に飛躍するようになるでしょう。
尊敬する貴賓の皆様。神様のみ旨を中心として見るとき、韓民族は神様が選んだ民族であり、韓国は神様の願われるために生きる生活の手本を示すべき摂理の中心国家です。歴史上の数多くの事情と曲折がもつれ合った韓国は、ここに結集されている無数の摂理史の霊的条件と歴史の功罪を受け持ち、整理して清算しなければならない摂理的な使命があります。優れた天稟と文化をもった民族でありながらも、世界で類例を見ない苦難の道を歩んできたことは、このような点から理解されなければなりません。
この民族の試練はこの民族自体だけのものではなく、摂理的なものであり、神様はこの民族がこれを克服することを待ち望んでいます。世界史の総合的な遺産と呼ぶことのできる東と西、南と北の出会い、精神と物質、唯心と唯物の対決と混沌が集約された韓国で渦が巻き起こるのも、ちょうど新しい時代をはらんだ産婦の産みの苦しみのようなものです。
韓民族の民族的、国家的な苦難は、神様のみ旨と摂理を離れては解決できず、韓国単独としてではなく、世界との関連の中でのみ解決が可能であると思います。韓民族は今や天のみ旨を悟り、神様が世界の精神界を指導する目的をもって送られた方に従って、苦難を越えていかなければなりません。
私と統一教会の基盤は、徹底して天のみ旨に従って、ために生きながら築いてきた基盤です。ユダヤ教とキリスト教の迫害を貫き、東と西の無理解を跳び越えて勝利した基盤なのです。私の世界的な勝利の基盤の上で、韓民族と韓国が世界の、ために生きる生活をするようになるならば、神様はアメリカに与えた歴史的な祝福以上の祝福を韓国に下さるだろうと思います。そのようになれば、韓国は苦難を克服するだけではなく、世界の前に真と愛と平和の中心となるでしょう。神様が韓国を愛されるのは、韓国だけのためではありません。韓民族が世界のために生きるとき、初めて神様が韓国に与えてくださった祝福は結実するのです。
尊敬する内外の貴賓の皆様。私がアメリカで法廷闘争を続けているとき、私の無罪と潔白を裁判所に嘆願し、声援を送ってくださった各界の指導者の皆様に、この場をお借りして厚くお礼を申し上げます。神様の祝福が皆様の御家庭と私たちの祖国の上に永遠であることを祈りながら、私の挨拶に代えさせていただきます。ありがとうございました。
5.神様のみ旨と韓国
平和経 第八篇 韓半島統一と世界平和
5.神様のみ旨と韓国
日付:一九八五年十二月十六日
場所:韓国、ソウル、蚕室室内体育館
行事:国際勝共安保決意大会
満場の国内外の貴賓、紳士淑女、および勝共同志の皆様。一年中で最もお忙しい時であるにもかかわらず、このように多くの方々が参席してくださり、深く感謝を申し上げます。
きょう私が勝共会員の皆様がお集まりになったこの場をお借りして、皆様にお伝えしたいメッセージについて考えるとき、「神はいない」という共産主義に勝利するには、神様に対する確信と体験がなければいけませんので、そのような観点から題目を「神様のみ旨と韓国」に決めました。韓国は神様の摂理の焦点になっていることと、今日の世界問題の解決の鍵は韓半島にあることを明らかにしようと思います。
今日の世界情勢を様々な面から見つめると、誰もが失望を感じざるを得ません。人類の切なる願いが自由と平和と安全であるにもかかわらず、世界的混乱は日ごとに悪化し、人類の将来は今や絶望状態に至りました。
世界の指導者たちの絶え間ない努力にもかかわらず、世界の問題はより複雑になり、より難しくなりつつあります。民主主義や共産主義も、宗教や哲学も、世界の問題の解決において、全く無力であることが明らかになってしまいました。それは、神様のみ旨が分からないからなのです。人類歴史は神様の摂理歴史なので、神様の摂理のみ旨が分からなくては、世界の問題の解決は不可能な段階に至ったのです。
神様は分断された韓半島に焦点を置いて世界を摂理していらっしゃいます。ですから、神様のみ旨を知るためには、韓半島の分断の意義を理解しなければなりません。韓半島の休戦ラインは、共産独裁体制と自由民主体制が対立しており、左翼と右翼が対立しており、唯物論と唯心論、無神論と有神論が衝突している対峙線です。
今日、世界を思想と体制の面から見たとき、アメリカとソ連を両極として民主陣営と共産陣営に分かれていることが私たちには分かります。ですから、韓半島は世界の縮小型であり、世界は韓半島の拡大型です。ここに神様の深奥な経綸の意義があるのです。それは縮小型である韓半島の統一をまず成し遂げ、同じ方式を拡大型である世界に適用して、世界の思想的、体制的統一を達成しようとする摂理なのです。
休戦ラインとヘブライズムヘレニズムの対峙
韓半島の休戦ラインの、もう一つの摂理的意義は、旧約時代のヘブライズムの流れを引き継いだキリスト教文明とヘレニズムの流れを継承した共産主義文明が、この休戦ラインで対峙しているという事実です。へブライズム文明とヘレニズム文明は、ローマを中心としてイエス様によって統一されることになっていましたが、イエス様の十字架の刑によって統一の起点がなくなってしまい、それが今日まで平行線を描いてきました。
時には一方が優勢になったかと思えば、時には他方が優勢になりながら、今日に至り、ヘブライズムの流れはキリスト教文明に連結し、ヘレニズム文明は共産主義文明に受け継がれて、韓半島の休戦ラインを間において対峙しているのです。韓半島においてこの二つの流れの文明が統一されることが神様のみ旨であることを考えるとき、そのような点から休戦ラインは摂理的な意義が大きいと言わざるを得ません。
韓国は、地政学的に四大強国に囲まれていて不利な点もありますが、摂理の焦点が韓国なので、韓半島の成功を世界に広めるには、強大国を通じれば速いという点において有利な立場にあるのです。
それでは神様は韓半島の統一をどのように達成しようとされるのでしょうか。それは一人の人を摂理的中心に立て、彼を通じて神様の愛を実践するように摂理するのです。その愛とは、自分の隣人や自分の国のためだけの愛ではなく、国家を超えて全世界までも愛し、ひいては世界的な怨讐までも愛する愛です。
敵のために祈り、敵のために必要であるならば命までも捧げる愛が神様の愛です。二千年前にメシヤとして来られたイエス様が、正にその愛の主人公でした。イエス様は十字架にかけられてまでも怨讐を愛しました。
ここでしばらく、イエス様の十字架の刑について触れてみようと思います。皆様はイエス様と共に二人の強盗が十字架にかけられたことは御存じのことと思います。ここにも神様のみ旨があったのです。右の強盗はイエス様を証して善の側になったのであり、左の強盗はイエス様を誹謗することによって悪の側になりました。特に右の強盗は左の強盗に比べ、イエス様を擁護しながら、左の強盗を最後までたしなめました。このようにして十字架は、神様とサタンの対決の決戦場にあり、すべての問題の解決の焦点となるようになったのです。
道であり真理であり命であられるイエス様が、十字架にかけられ、その苦痛の中でも怨讐を愛しながら、両側に善と悪をそれぞれ引き連れたことには、非常に深い摂理の意義があります。そこには神様の愛を中心にした和解の原理、統一の原則が内包されているのです。
それは、善の側と悪の側の対立をはじめとして、すべての種類の対立、闘争、衝突は、犠牲的な愛によってのみ和解し、統一されることを示しているのであり、いかなる困難な状況下においても神様の愛を実践できてこそ、罪人を悔い改めさせ得ることを示してくれているのです。
そして、十字架を中心とした左右の強盗は、遠い将来の歴史的終未点において現実的な善悪の対立として結実する、その種子の立場だという事実を理解しなければなりません。「右翼」と「左翼」の名称が今世紀に現れたのも、イエス様の十字架に起因するものです。
今日の善の側の自由陣営と悪の側の共産陣営の出現は、既に二千年前に十字架を中心として見せてくださったのであり、のみならずこの左右の強盗の対立は、その後の数多くの対立、闘争の原型にもなったのです。今日の左翼と右翼という名称の歴史的起源は実に十字架の左右の強盗にあったのです。
特に、命を懸けて左の強盗に対抗しながらイエス様を証した右の強盗が、死んでから復活して楽園に行ったように、今日、右の強盗と同じ立場にあるアメリカが、左の強盗に該当するソ連に対して、最後まで強力な対決を堅持していったならば、必ず神様の公認を受けて地上天国に入ることができるのです。そのことを示しているのです。
十字架上の善の側と悪の側の対立として象徴される、現実のすべての対立と闘争の状況は、韓半島の休戦ラインがそのまま集約的に表現しています。ですから、南北に分断された休戦ラインは、世界の分断の摂理的な代贖のための民族的十字架なのです。ここで韓半島は、十字架上のイエス様に該当し、再臨の基地でもあります。
神様はなぜこのような摂理をされるのでしょうか。神様がこの民族に十字架を負わせたには、この民族を召命するためです。この民族は長い間、天を敬い、道義精神と平和精神をもって長い試練に打ち勝った受難の民族であり、善の民族であるがゆえに、召命されるに至ったのです。
そして終末に、人類を救うための摂理史的な祭物になったのです。数千年間、苦難の歴史を過ごしてきた韓国は、最後に人類救援の祭物となって、分断という世界史的な十字架を負い、あらゆる試練に打ち勝ちつつあるのです。
祭物として召命された民族であるがゆえに、摂理の焦点が韓国に置かれているのです。これは韓民族として、栄光であると同時に恩賜であり、恐ろしい重荷であることを理解しなければなりません。祭物である民族としての責任を果たすときは、最も光栄な祝福を受けるのですが、責任分担を果たせないときは、最も過酷な不幸に襲われるからです。二千年前のユダヤ民族は責任分担を果たせず、歴史を通じて大きな不運にさらされてきたことを私たちは知っています。
民族に担わされた摂理史的な祭物の使命を果たすためには、愛の実践とともに神様の真理を知らなければなりません。イエス様は愛を中心とした実体として、御自身を、道であり真理であり命であるとおっしゃいました。イエス様は愛と真理の実体として十字架にかけられたのです。
これは、善の側と悪の側を和解させ、怨讐を悔い改めさせるには、愛とともに真理が必要であることを意味しているのです。真理とは、世俗的な真理ではなく、神様の愛に関するみ言をいいます。神様の真理は一定の摂理的人物を通じて、啓示として地上に伝達されます。神様の真理は絶対的真理です。絶対的真理は万能の鍵のようなものであって、この真理を適用すれば、いかなる難問題も解けるようになるのです。
私は、長きにわたる祈りと瞑想の生活の末、ついに実在する神様と出会い、絶対真理を伝授されました。それは、宇宙と人生と歴史の背後に隠されたあらゆる秘密を明らかにする驚くべき内容でした。この内容を社会に適用すれば社会の問題が解決され、世界に適用すれば世界の問題が解決されます。
それだけでなく、宗教の未解決問題や哲学の未解決問題も解決されるのです。特にこれを共産主義理論の批判に適用したとき、共産主義のすべての虚構が白日のもとにさらされると同時に、共産主義に対する代案も立てられるものだったのです。
これは、かつてなかった新しい世界観であり、新しい宇宙観であり、新しい人生観であり、新しい摂理観であり、新しい歴史観です。また、あらゆる宗教の教理や哲学の特性を生かしながら、全体を一つに包容できる統合の原理でもあるのです。私はこれを「統一原理」または「神主義」と名づけ、世界的に統一運動と勝共運動を展開しています。この運動は現在、燎原の火のごとく広がっています。すべての対決の和解と統一のためには、神様の愛の実践と真理が必要だということを明らかにしました。
休戦ラインを境にして善の側と悪の側に分かれた韓民族は、善の側の真理をもって悪の側の思想の過ちを論しながら、愛で抱いていくならば、統一は必ず成し遂げられるでしょう。
ここで私は、愛についてもう少し具体的にお話をしたいと思います。愛とは相対があるところに成立します。愛は相対から来るのであり、ために生きるところに真の愛が成立します。相対がなければ愛は存在できません。自己のために生きるのではなく、先に相対のために生きるのが愛です。すべての被造物はために生きるように創造されたのであり、ために存在するのです。人間のみならず、動物、植物、鉱物も、ために存在します。原子の世界も、ために存在し、太陽と月と星の運動もすベて、ために生きる運動なのです。
また、人間の男性は肉身の構造から見て女性のために存在し、女性もまた身体構造から見て男性のために存在します。同様に、父母は子女のために存在し、子女は父母のために存在します。ために生きることの原則は、学校、職場、国家においても同様です。しかし、そのために生きる愛は、国家の枠内でとどまってはいけません。国民は国境を超えて世界を愛し、さらに進んで世界的怨讐までも愛さなければなりません。
全宇宙のすべての個体は、ために生きながら存在し運動しています。ですから、ために生きる愛の道理は天道であり、天理なのです。いくら困難な中にあっても愛の道理を実践すれば、宇宙的な力が彼を助けて、彼は決して滅びることがありません。しかし、いくら快適な中で生活しても、ために生きる道理を守らなければ、いずれは衰退していくのです。「天に順う者は存し、天に逆らう者は亡ぶ」という言葉は、この天理のことをいうのです。
このように見るとき、民族的十字架を背負つた韓民族は、統一の達成が難しくとも、真理の中心と一つになった中で、天道に逆らうことなく、ために生きる生活を、個人、家庭、社会、国家で営み、国際的に拡大していくならば、間違いなく韓半島の統一はもちろん、全世界の救援の道も早められるでしょう。
それは、韓国に焦点を置かれた神様の摂理のみ旨と一致するからです。南北統一が早められるばかりでなく、この方式が一つの公式となって、全世界も同じ公式に従っていくでしょう。そうしてこの愛と真理の運動のもとに、世界のすべての難問題は解決し、人類は長い間の不幸と混乱の悪夢から解放され、初めて永遠の幸福と平和が訪れてくるのです。歴史を通じて学んできた祖国は、神様に頼る以外に方法がありません。
私と統一教会と勝共の同志たちは、これまで外国の地で世界的な勝利基盤の造成に全力を捧げてきたのであり、その固められた勝利の基盤を韓国に連結させ、韓国をして世界に跳躍させる契機となることを望んで、このたび帰国しました。
特に韓国の勝共指導者の皆様は、世界の勝共運動の先頭に立ってくださるようにお願いします。どうか連結された国際的基盤を強固にし、大韓民国と共に世界の手本となってくださることを願ってやみません。終わりに、皆様の御家庭と私たちの祖国と世界に、神様の祝福が共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。
6.「南北統一運動国民連合」創設のメッセージ
平和経 第八篇
韓半島統一と世界平和
6.「南北統一運動国民連合」創設のメッセージ
日付:一九八七年五月十五日
場所:韓国、ソウル、リトルエンジェルス芸術会館
行事:「南北統一運動国民連合」創設大会
統一を熱望する愛国同胞の皆様。きょう、私たちは「南北統一運動国民連合」の結成のために、この場に集まりました。
南北統一は我が韓民族の念願であり、宿願です。私たちは倍達の同胞であり、五千年の悠久なる歴史において、燦爛(さんらん)たる文化と美しい風俗、優れた言語を駆使する平和愛好の単一民族です。このような一つの血統を引き継いだ倍達民族であり、一幅の絵のごとき三千里錦繍(クムス)江山(カンサン)!私たちは、宿命的に断ち切ろうにも断ち切ることのできない同一運命体だったのです。
しかし、人も山河も願わなかった南北分断の歴史が、既に四十二年目を迎えました。愛国の独立志士たちの血と精誠によって勝ち取られた独立の喜びも一瞬にして消え失せ、民族が南北に分断されて嗚咽して以来、四十年余りが過ぎました。この民族の悲劇はいつまで続くのでしょうか。いくら見回しても、南北統一の明るい兆しがないからといって、民族の出会いと祖国統一の希望を全く放棄すべきなのでしょうか。
皆様。私はきょうこの席で、私たちの祖国の南北統一は、必ず成就されることを宣言する次第です。また、その時が近づいています。私たちはきょう、その南北統一の機運醸成のために、ここに「南北統一運動国民連合」を創設するのです。
一九四五年の私たちの祖国光復は、いかにして成し遂げられたのでしょうか。祖国光復と私たちの独立は、二つの要因によって成就されたのです。その第一の要因として、三十六年間の日本帝国主義の弾圧にも屈しない自主精神をもって、多くの憂国の志士たちが国内外で血を流しつつ戦った独立運動の成果でした。第二の要因は、第二次世界大戦の終結と日本帝国主義の敗北という世界的運勢がもたらした結果です。正にこの二つの要因によって、私たちの祖国に解放がもたらされたのです。南北統一もまた、同じ原理によって訪れるのです。
七十年の歴史をもつ国際共産主義は、実質的にその終末期に処しており、ソ連を中心とした全共産世界の崩壊が目前に迫っています。彼らは今や、七十年間の虚構と欺瞞と失敗の歴史を、もうこれ以上隠蔽しようにもできない状況に至りました。共産主義理念の衰退は、すなわち北朝鮮の金日成主席の運命とも直結しており、これはまた、世界的に南北統一の機運を醸成する要因なのです。
このような国際情勢の推移によって、今後の私たちに必要なことは、国内外で国民の皆様が互いに力を合わせて南北統一を信仰化する運動なのです。統一を熱望する心に火をつけなければなりません。「意のある所に道あり」という言葉があります。また「誠を尽くせば天も感動する」という言葉もあります。北朝鮮の天と地が感動するほどの私たちの熱い統一への意志と情熱なくして、どうして統一を願うことができるのでしょうか。これが正に、私たちがきょう「南北統一運動国民連合」を結成する理由なのです。
今日、韓国と北朝鮮を断ち切っている怨恨の三十八度線は、ただ地理的な三十八度線でもなく、血縁的な三十八度線でもありません。相反する思想の三十八度線であり、価値観の三十八度線であることを、まず私たちは知らなければなりません。六・二五動乱のとき、私たちが互いに命を奪い合う同族の争いの原因は、血統が違うからでもなく、互いが同じ民族であることを知らなかったわけでもありません。それは譲歩できない価値観の違いから起こった戦いであり、その価値観の違いが民族を断ち切り、血縁を断ち切り、さらには父子の縁までも断ち切る恐るべき壁になってしまったのです。
それでは、その相反する価値観の基本的な違いとは何でしょうか。三十八度線でぶつかり合う最も基本的な価値観の対決とは、有神論と無神論の対決です。共産主義の思想は徹頭徹尾、神様を否認するところから出発しています。神様は存在しないと主張するので、絶対価値はあり得ず、絶対価値がないので、善悪の基準もありません。そこから「目的が手段を正当化する」という、共産革命の原理が出てくるのです。
共産主義は、科学を標榜しながら神様を否定しました。共産主義のみが科学的であるとし、科学の発達は、神様と宗教とあらゆる神話を、迷信にすぎないとして失墜させるものと信じました。そして、宗教は民衆のアヘンであると宣言したのです。
それでは、二十世紀の科学は、果たして共産主義が予言したとおりに、神様と宗教と神話をこの地球上から追い出すことができたでしょうか。できませんでした。二十世紀の科学は、それとは正反対に、科学的であることを誇っていた共産主義を十九世紀の迷信として墜落させ、かえって神様を証すものとなっていきつつあります。その一つの例を挙げてみましょう。十九世紀までの宇宙観は、「この宇宙は分けようにも分けることのできない絶対個体(究極粒子)でできている」というものでした。このような十九世紀の科学に基づいて、共産主義はその基本哲学として「宇宙の根本は物質である」という唯物論を主張したのです。
ところが、二十世紀の原子物理学は、この十九世紀の宇宙観を完全に覆すものでした。なぜならば、物質はほかならぬ無形のエネルギーからできていることが証明され、エネルギーと物質は相互変形的であり、相互交流的なものであることが、否認できない真理として明らかになったからです。さらに、二十世紀の先端を行く原子物理学においては、宇宙の形成は宇宙の中に何らかの意志がなければ成立しないことに意見が一致しつつあります。科学の因果関係の法則によって、宇宙の森羅万象が偶然の所産であるはずはなく、宇宙の中に太初から存在する第一原因の実在が次第に明白になりつつあります。
科学が究明していくところの、宇宙と人間を存在せしめる第一原因を、宗教においては「神様」と言います。その神様は、知情意を備えもつ人格的神であり、人間の創造は神様の自己表現だったのです。神様は御自分に似せて造った人間を通して、愛を与えたり受けたりしながら喜びを享受しようとしたのです。それが創造の目的です。
ですから、今日私たちが「神はいない」と言えば、まるで子女が「親はいない」と言うのと同じことです。あらゆる人間社会の価値観は、正にこの創造主を認め、その創造主との関係を正常化するところから出発するのです。その神様を地球上から抹殺しようとした共産主義は、彼らが固く信じた二十世紀の科学によって虚偽であることが明らかにされてしまい、「共産主義こそ、この地球上から消滅すべき間違った価値観である」ということが、はっきりと暴かれてしまったのです。
共産主義は、人間を単なる高等動物や、動く物質、すなわち機械のように扱います。神様を否認する共産主義としては、あまりにも当然の結論です。共産主義は、人間の起源を猿が進化したものとみなしており、猿は労働を通して道具を使用することによって言語を使い始め、言語から理性が発達して人間になったと定義しています。ですから労働は神であり、人間は高等動物であると主張しているのです。
共産主義の人間観には、根本的に問題があり、このような間違った人間観から人類に対する恐るべき犯罪が引き起こされるのです。人間が単なる高等動物であるとすれば、人間が人権を主張する何の理由もなくなるのであり、人間が単なる機械であるとすれば、その人間には、自由や愛や創造力をもち得る何の土台もなくなります。
共産主義の人間観は、ただ暴力革命の一手段にすぎないのです。彼らの主張によると人間が共産主義の目的に一致する時にだけ、人間として扱われるのであり、それ以外の人間は無価値的な存在であるとされるのは、あまりにも当然のことなのです。共産世界で人間がはえの命のように軽視される理由はここにあります。ソ連共産革命以後六十年の間に、一億五千万人の罪なき人命が、共産主義という美名のもとに虐殺されたという事実は、共産主義の人間観を知るならば、あまりにも自明な結果です。
人間の尊厳性は、人間が創造主神様の子女だというところに起因するものです。人間が神様と同じように神性をもっているという点から、人間の高貴な価値が生まれるのです。人間を害することは神様を害することであり、人間を愛することはすなわち神様を愛することになるのです。人間一人一人は神様がお造りになった個性真理体であり、人間一人一人は神様御自身を現す実体であり、人間は、神様が永遠であられるのと同じように永生するのです。
共産主義が人類に対して犯した最大の罪悪は、その思想が神様を否定するだけでなく、人間を動物視するところからくるものです。共産主義は人間を単なる高等動物や、動く物質、すなわち機械とみなします。ですから、共産主義を信奉する国々では、人権の尊厳性は、驚くべきことに体制自体によって根源的に否定されているのです。
この相反する二つの価値観の対決は、韓半島のみならず、今や世界の至る所で起こっています。今は、世界的な価値観の南北戦争の時代なのです。この価値観の対決を世界的な次元において解決しなければ、共産主義の問題は解決できず、私たちの南北統一も妄想にすぎません。ですから、世界の問題の解決なしに南北統一はあり得ず、韓国の問題の解決なしに世界の問題の解決はあり得ません。同じ方法で、世界の問題も韓国の問題も解決されるからです。
皆様。私がこの世界的な価値観の混沌を解決する鍵として提唱してきた思想が、「神主義」であり、「統一思想」です。「神主義」とは、神様の実在を明白にして、その神様から賦与される神聖不可侵の人権を明らかにして、共産世界を思想的に解放し、もう一方では、今日没落していく西欧文明を、世俗的な人本主義と退廃的な物質万能主義から解放しようとするものです。この思想をもって、私たちは北朝鮮を解放し救出できるのです。ですから、南北統一運動は、まず価値観の確立と提示から出発するという理由がここにあります。
このように、相反する価値観の対決を考える時に、私たちがまず肝に銘じるべきことは、自由統一のみが私たちの願う真の統一だということです。私たちの統一は、神様と自由と民主主義を基礎とする統一でなければなりません。その他のいかなる形態の統一であっても、それは真の統一ではありません。
自由とは、神様がすべての人間に賦与した神聖不可侵の権利です。これは私の権利であり、皆様の権利であり、北朝鮮の同胞たちの権利です。北朝鮮の同胞たちは、その権利を四十二年の間、剥奪されてきました。彼らも、私たちと同じように自由を享有できるそのような統一になってこそ、真の統一なのです。
私たちは、あのベトナムの例から大切なことを学ばなければなりません。ベトナムは統一されたのではなく、ソ連の奴隷になったのです。それは真の統一ではありません。ベトナムの赤化十二年の間に、自由を求めて脱出した数十万の人々がボートピーブルとなって海上で息絶え、数百万の人々が粛清されました。いわゆる統一されたという共産国ベトナムは、国民所得が百ドルにも満たない世界最悪の貧困国に転落してしまいました。誰もこれを「統一」と呼ぶ人はいないでしょう。北朝鮮の同胞に必要なのは解放です。彼らが待ち望む解放は、私たちが先頭に立って、世界の運勢を集めてくる時にのみ可能になるのです。これは、過去四十年間以上、より自由で幸福な生活を享受してきた私たちの、北朝鮮同胞に対する神聖な義務なのです。
北朝鮮の共産党は、過去四十年間、赤化統一政策を堅持し、その機会を虎視耽々と狙い続けてきました。彼らの南朝鮮解放の究極の目標とは、「韓国をアメリカ帝国主義の支配から解放することにより、祖国を統一し、韓国国民を北朝鮮人民と同じように主体思想化させること」と規定しています。韓国国民を主体思想化するということは、いわゆる「金日成唯一思想」によって武装させるということであり、それは正に金日成親子の絶対的な支配に屈するということなのです。すなわち、金日成主席のもとで奴隷化されることを意味します。
このような狂信の中で、一日も休むことなく南侵を準備し続けて四十年余り。彼らが六二五動乱の時に失敗した苦い経験を生かして、三十年以上さらに準備してきたのですから、今や、いわゆる「呻吟する韓国人民を解放するための革命的南侵の機運」は、その絶頂に達しているのです。このような南北対峙の緊張が高まっている状態の中でも、大韓民国はこれまで経済成長と国際的地位の向上において、目覚しい発展を成し遂げてきました。
韓国と北朝鮮の国民総生産(GNP)の対照は、一九八五年末に五五対一という格差を示しています。韓国はGNPにおいて世界の中で二十位を記録するようになり、世界で十二番目の通商国にまで発展しました。したがって、一九八八年のソウルオリンピック以後、韓国は経済的にも軍事的にも、絶対的有利な立場に置かれることは火を見るよりも明らかな事実です。そのようになれば、北朝鮮が信仰的に信奉してきた武力赤化統一の機会が永遠に消え去ってしまうことを見通した北朝鮮は、手遅れになる前にこれを阻止する目的で、あらゆる策略をしかけてくるに違いありません。
韓国を混乱に陥れるためのありとあらゆる宣伝と策略!
韓国の政治的混乱を契機に、ソウルオリンピックの開催を阻止するために、韓半島の不安と緊張を高めると同時に、最後の渾身の死力を尽くして軍事的冒険を選択する可能性も少なくないため、今後の十二年が決定的な時期であることを断言します。このような重大な時点に、私たちが「南北統一運動国民連合」を結成するようになったということは、実に歴史的なことなのです。
私たちの「南北統一運動国民連合」は、この時点において何をするべきでしょうか。まず初めに、私たちは民族の和解と一致に向かう真の価値観を確立し、その価値観を中心として思想武装をしなければなりません。アメリカをはじめとした自由世界の弱点は、思想の空白が存在するという点です。物質の豊饒(ほうじょう)と自由の澎湃(ほうはい)(物事が盛んな勢いでわき起こるさま)が、価値観の混沌と世俗的な人本主義の台頭をもたらしたという事実です。自由世界は、思想的な面において繰り返し後退してきました。これは滅びゆく共産世界が、最後まで世界赤化の野望を放棄しない理由なのです。
第三次世界大戦は思想戦です。共産主義を軍事的にのみ敗北させることはできません。共産主義思想を凌駕する、より優れた思想でなければ、共産主義を敗北させることはできないのです。その思想というのは、正に真理に立脚した思想をいうのです。偽りは真によってのみ征服できるのです。その思想がほかならぬ「神主義」です。今後、自由世界は、「神主義」、すなわち「統一思想」で武装して理念的攻勢に転換しない限り、共産主義に打ち勝つことはできません。
「南北統一運動国民連合」は、汎国民的思想武装運動において先鋒に立たなければなりません。「神主義」は北朝鮮の同胞を解放するばかりでなく、全世界の共産主義を解放して余りあるものです。またこの理念は、放縦と不道徳によって腐敗していく西欧世界において、精神大覚醒運動を起こしています。
それで私は、一九七六年にアメリカの首都ワシントンDCで歴史的な「神主義」を宣布する大会を行ったのち、「次の大会はモスクワで開く」ことを宣布したのです。「神主義」は共産主義の世界を解放できるという信念があったからです。共産主義が速やかに衰退しない原因は、私たちにはっきりとした代案がなかったからです。また、より優れた思想によって武装されていなかったからです。これからは大韓民国から思想運動を起こし、共産主義克服のための汎世界的な運動を展開しましょう。私たちが思想的攻勢を取って、虚偽と欺瞞で飾られた金日成唯一主体思想を圧倒できずして、どうして統一を願うことができるのでしょうか。
また、私たちの「統一思想」、「神主義」は「頭翼思想」であることを明らかにしたいと思います。右翼でもなく左翼でもない「頭翼」です。人類の真の平和は、右翼によっても、左翼によっても成し遂げられません。その理由は、右翼も左翼も、その根本的な動機が利己主義を脱することができないからです。己を中心とし、自国の利益を中心とするとき、そこには永遠になくなることのない利害の衝突があり、そこには統一もあり得ず、平和もあり得ません。
利己主義を打破する新しい世界観が現れなければなりません。自分よりも他のために生きるという利他主義は、ただ神様の理想からしか生まれてきません。それは神様が愛の本体であられ、愛の本質は、自己を犠牲にして他を生かす利他主義だからです。したがって、「神主義」の本質は愛であり、その思想は、人の四肢五体を動かす頭に相当する中心思想です。それで「頭翼思想」というのです。
右手も左手も実は同じ体についているものです。頭がなければ、それらは互いに他人同士のように闘いますが、頭が中心に定着して入れば、右手も左手も共に頭の命令に従って、体全体のために働く一つの共同体になるのです。
ですから、南北統一も「頭翼思想」によって成し遂げなければなりません。それは北朝鮮が韓国を赤化することでもなく、韓国が北朝鮮を侵略することでもありません。共生、共栄、共義の「頭翼思想」で南と北の価値観を統一することによって、南北統一を成就するのです。
第二に、私たちは、統一を熱望する心をもたなければなりません。熱望のないところに実践は伴いません。私たち国民連合は今後、南北統一を信仰化する運動を繰り広げていかなければなりません。統一は我が民族の宿願であるのみならず、必然であり信仰です。統一を目指す私たちの湧き上がる真心があるとき、神様はこれを成し遂げてくださるでしょう。この点において、私たちは北朝鮮に負けていると言っても過言ではありません。彼らは、強制によるよらないはともかくとして、韓国の解放を熱望する心をもっています。そして、これを成し遂げるためにすべてを投入し、犠牲になろうとする姿勢をもっています。
今や、私たちの統一への熱望、自分が犠牲になってでも必ず哀れな北朝鮮の同胞たちを解放してみせるという熱望なくしては、南北統一は幻にすぎないのです。そこで私は、この国民連合の宿願事業として、休戦ラインの近くに「統一祈願殿」と「統一訓練院」を建て、私たち四千万の熱い統一への熱気を北に送る事業を計画しています。
第三に、私たちは実力を養わなければなりません。私たちの統一の方案は、平和的な統一方案であり、そのためには各方面で実力を育成しなければなりません。私たちは、金日成主席の赤化野望を放棄させ、その閉鎖された社会を開放し、究極的には彼の南侵の意図を放棄させなければなりません。金日成主席の主体思想を放棄させるためには、彼をあらゆる面において凌駕する実力がなければならず、その実力で溶かすことができなければなりません。その実力で、彼がやむなく承服し、おとなしく従うように導かなければなりません。
ここで、第一に重要な実力は価値観の確立であり、思想武装であることは既にお話しいたしました。次には我が国の国力伸張であり、国際的な地位の向上です。さらにこの実力の中で重要なものの一つは、我が祖国の先進的民主社会の建設です。真の民主主義のみが独裁に打ち勝つことができる要素なのです。個人崇拝の独裁集団に対しては、健全な民主政治の発展によって、それを無力化させることができます。「人民の、人民による、人民のための政府が、この地上から消え去ることのないようにしなければならない」と宣言したエィブラハムリンカーンの言葉は真理です。ですから、我が祖国の民主化は、歴史の命題であり、国民良心の至上命令なのです。
最後に、私たちの南北統一のために養うべき実力の中で最も重要なものは、国際的に我が祖国統一の機運を醸成することです。言い換えると、世界的に思想武装を急がなければならず、アメリカを中心とした世界情勢、日本と中国を中心とした韓半島周辺の情勢を通して、統一の機運を盛り上げる積極的な方向に導いていかなければなりません。ソ連までも動員して、閉鎖された北朝鮮を開放させ、究極においては北朝鮮が閉鎖された現体制では存立できないことを自覚させなければなりません。
彼らをして、国際的な圧力と運勢に耐えられずに脱共産主義を宣言させ、民族大同団結の次元から考えざるを得ないという運勢を集めてこなければならないのです。虚構の基盤の上に立つ金日成体制は、一面、非常に強いもののようでありながらも、一旦崩壊し始めれば、絶壁を転がり落ちる物体のようなものです。
早くから私がアメリカに世界宣教本部を設け、自由世界の思想教育に努力してきたことは、皆様も御存じのとおりです。「ワシントンタイムズ」をはじめ、各種の言論機関を世界の各所に設け、世界の言論人を教育し、世界の各大学の教授に方向性を提示し、世界各国の学生運動を主導し、退役将校をはじめとした在郷軍人を糾合し、南米諸国を統合する運動を起こし、世界宗教一致運動を以前から直接遂行してきました。
このように、私はこれまであらゆる力を尽くして、アメリカと日本に影響を及ぼし、ヨーロッパと南米の各国にも基盤を築き、ついには中国にまで影響を及ぼして、北朝鮮解放の国際的条件の造成に全力投球してきました。
韓国は、地政学的に極めて微妙な位置にあります。韓国を巡る四大強国、すなわちアメリカ、日本、ソ連、中国は、韓半島においてそれぞれ重要な関心と利害関係をもっています。私たちはこの四大強国に影響を及ぼして、私たちの統一の課業に有利な方向に導いていかなければなりません。そのようにしなければ、私たちの祖国統一は到来しません。そのような影響力と実力を、私は国際舞台における思想教育運動を通して、そしてその他様々な分野での成功を通して成し遂げてきたのです。
このような基台の上で出帆する「南北統一運動国民連合」は、韓国だけの単独的な団体であってはならず、アジア各国、ひいては世界各国との紐帯をもつ国際連合運動にならなければなりません。ですから、私たち国民連合は、今後「アジア国民連合」へと発展し、さらにまた「世界国民連合」へと発展していくでしょう。これが全世界人類の念願であり、また神様の念願でもあります。
皆様。私たちは今、ここで民族的であり、世界的なこの課業を受け入れなければなりません。歴史的な統一の課業は、皆様のような義人の支援を待っています。皆様は、このような歴史の召命を受けて、「南北統一運動国民連合」を結成するこの場に集まったのです。
檀君国祖の開国精神は、「敬天愛人」の思想です。今日、私たちのその崇高な開国思想が昇華されて、世界を価値観の混沌から救援する万民救世の思想、すなわち「神主義」として、この地に発祥したのです。
私は先ほど、韓国の問題は世界の問題の縮小体であり、世界の問題の解決は韓国の問題の解決と不可分の関係であると説明しました。このことは言い換えると、私たちの韓国から、世界の問題を解決する処方が生まれるという意味にもなるのです。私たちが南北統一の処方として使える「神主義」は、世界を共産主義から、さらには世俗的な人本主義から解放する処方ともなるのです。
愛国同胞の皆様。私たちは共に私たちの価値観を確立し、国民の思想武装に総決起しましょう。私たちは共に南北統一を熱望する心をもち、これを信仰化して、鉄壁も貫いていく情熱を燃やしましょう。私たちは大役事の行進の最前列に立っているのであり、「永遠の民族史の中で最も雄壮な南北統一の場を、神意によって私たちの手で成し遂げる」という自負と決意をもって、この国民連合を通じて、世界的な実践の基盤をつくりましょう。
皆様。きょうこの場所は、皆様が共に統一の働き手として召命され、任命状を受ける神聖な場所であることを心に刻み、両手のこぶしを固く握り締めて統一の誓いを立てましょう。私たちの願いである南北統一が成し遂げられる時まで、一つとなって総進軍しましょう。皆様個人と皆様の御家庭の上に、神様の祝福が共にあることを祈りながら、「南北統一運動国民連合」創設のメッセージといたします。
7.私たちの時代の真の平和
韓国の統一と東西協力
平和経 第八篇
韓半島統一と世界平和
7.私たちの時代の真の平和
韓国の統一と東西協力
日付:一九九〇年二月二日
場所:韓国、ソウル、ロッテホテル
行事:第二回「世界平和のための頂上会議」および第八回「中南米統合機構」総会
親愛なる議長、そして尊敬する元国家元首、首相、国会議員、大使とその他の紳士淑女の皆様。この重要な会議のために韓国にお越しくださった皆様に、歓迎の辞を述べることができますことを喜ばしく思い、また光栄に思います。
私たちは、第二回「世界平和のための頂上会議」に共に参席し、「韓国の統一と東西協力」という主題について論議できることを、心から喜ばしく思います。
また、本頂上会議の開催と同時に、過去七年間にわたってラテンアメリカの和合と団結という面で多大な業績を収めてきた団体として、いわゆる「AULA(アウラ)」と呼ばれる「中南米統合機構」の第八回総会を開催できますことを、一層喜ばしく思う次第です。
私は、本会議が開催されるこの時点のもつ意義は、極めて重要であると思います。この時点は、一九九〇年の始まりであり、新しく開かれる一九九〇年代の出発だからです。あと十年で私たちは西暦二〇〇〇年を迎えることになります。私たちは自分の生涯の中で、新しい世紀の出発を目撃するようになるのです。
このように重要な時期を生きながら、人間生活の劇的な変化を目撃するのみならず、人間生活を変化させる事件の数々を実際につくっていくという事実の重要性を、私たちは感じなければなりません。「新しい世紀は、真の平和の世紀」になればいいというのが、私たちの共通の念願です。これを実現するためには、今後十年間、多くの挑戦を克服し、努力も傾けなければならないでしょう。
きょうこの場で開催される「世界平和のための頂上会議」と「AULA」は、今後十年間、極めて重要な役割を担当しなければなりません。今まで平和達成のために尽くしてこられた皆様の労苦と業績に深い称賛の言葉を申し上げながら、同時に皆様に対して、一九九〇年代も続けて平和の闘士となっていかれることを督励する次第です。
第二次世界大戦の終結時から四十年余りの期間は、互いに正反対に対立するイデオロギーを崇敬する二大陣営の対決の時代だったと見ることができます。世界の所々で、人々の間の紛争および国家間の紛争が数え切れないほど起き、軍備の支出も競い合うように増加し続けてきました。この時期に、人々が心の中で平和を感じることができた瞬間は、実際にはありませんでした。
ところが一九八五年から、ゴルバチョフ氏がソ連の政権を取り、一連の変化を見せ始めました。彼は、ソ連内により多くの表現の自由を保障し、ソ連経済の構造的な改編を断行しましたが、それよりも重要なことは、彼がブレジネフドクトリン(制限主権論)*を否認したことです。そうしたことで、この短い期間内に、ソ連陣営では劇的な政治的変化が連日のように起きました。
去る数カ月間に、私たちは、ポーランド、ハンガリー、東ドイツ、チェコスロバキア、ブルガリア、そしてついにはルーマニアまでもが民主化されるのを目撃しました。これらの事件に続いて、東西対決の象徴であるべルリンの壁が崩壊しました。その後、和解の新しい時代が開かれつつあります。
私たちをして新しい協力の時代を迎えることができるよう、このような建設的な変化を主導できた勇気と指導力を備えもつゴルバチョフ書記長に、私は心から称賛の言葉を伝えたいと思います。私は、個人の人権を尊重し、経済改革、そしてもっと重要な信仰の自由を実現しようとするソ連の真の努力を支持することをお約束いたします。
皆様も既に御存じのとおり、私は中華人民共和国と共に仕事をすると約束したことがあります。その巨大な国家は、世界の四分の一に当たる人口を有しています。ですから、この十三億の中国人を抜きにしては、世界の平和を論ずることはできないと思います。必要な雇用創出、技術提供、および所得向上を援助するために、私は今、中国に世界最大規模の自動車組み立て工場を建設しています。これは、私たちの世界平和を成し遂げるための努力の一環なのです。
さらに皆様も御存じのように、一九八一年に私は、国際平和高速道路プロジェクトに着手しました。この高速道路が完工すれば、乗用車で東京からロンドンまで行くことができるようになります。私は今、日本、韓国、そして中国政府とこのプロジェクトについて真剣に論議しており、ソ連もこのプロジェクトを歓迎してくれることを願っています。
もちろん、これは極めて高次元の夢です。しかし、すべての偉大な事業は夢から始まります。少し前までは人が月面を歩くということは、誰一人として夢にも見ることができませんでした。しかし、将来を見通したビジョンと勤勉な努力の結果として、それが現実として迫ってきたのです。同様に国際平和高速道路も、夢ではなく現実になるでしょう。
*注:「社会主義陣営全体の利益の為には、そのうち一国の主権を制限しても構わない」という考え方(wikipedia, weblioより)
ここまでは、私の未来に対する楽天的な大きな希望を皆様にお話ししましたが、これからは、一部の人たちが平和の到来を性急に考えている危険な動向についてお話ししようと思います。
たとえベルリンの壁は崩れたとはいえ、両陣営はいまだに途方もない困難を抱えています。自由世界の主導国家群は、膨大な物質的富を享有しながらも、道徳的な堕落の問題に直面しています。彼らは、湧き上がる物質主義の犠牲者であり、自由も時として濫用されています。特に西欧での無神論的な世俗主義の蔓延は、道徳的基準の没落をもたらしました。
その結果、西欧社会は、家庭の破綻、麻薬の常習的な服用、性犯罪および性病の蔓延、政府の無能力化といった深刻な社会悪に染まっています。端的に言って、東西が直面している問題は、究極的には同じ源泉、つまり価値観の混乱から来るものです。
共産主義は、マルクス主義の価値観が虚偽であることが立証されたために失敗しました。私が生涯をかけて常に、共産主義に対して熱烈に反対してきたことは既によく知られています。私が共産主義に反対した理由は、神様を否認し、闘争を通して進歩が達成されると信じることでは、決して理想社会を成功裏に建設できないことをよく知っていたからです。
直接的な生活経験を通じて私は、神様は真の方であられ、人生で最も大切なものは真の愛であることを確信するようになりました。そして人類の進歩は、人類が神様に仕え、愛を最も大切にするときに可能なのです。はっきりと申し上げれば、現在、共産主義や自由世界は共に、平和の二十一世紀へと人類を導く準備ができていません。
一九九〇年代を迎えて早急に必要なことは、自由世界と共産世界の価値観の崩壊によって発生した価値観の真空状態を満たすのは、真の価値観の確立です。この新しい価値観は、神様を中心とする世界観である「神主義」に基礎を置かなければなりません。全生涯を通じて私は、この神様を中心とした世界観に対する理解の幅を広げるために、すべての宗教、宗派の人たちと共に努力してきました。このような方法で、絶対的な価値観の探求と真の平和の樹立を目標とする広い基盤をもった多くの学術団体、および宗教団体を創設することができました。
私はまた、芸術機関はもちろん、教育機関と言論機関も設立しました。世界的な私たちの財団は、皆様のように真の世界平和を成し遂げようと努力する人たちを援助する準備が常にできています。真の世界平和は、万人が共有できるはっきりとした価値観なくしては達成できません。価値観が明確になるとき、人類はこれ以上暗黒の中にとどまることはなくなります。
「神主義」は、各個人をして自らの人生の意味と価値を明確に見つめることができるようにしてくれます。したがって、各個人は責任ある人生を送り、他人に奉仕し、自分の心霊的な喜びを追求できるようになります。正にこれが苦難の中の世界を救う究極的な解決策なのです。
言い換えれば、私たちの世界が救援されるために今日、必要なことは、劇的な霊的覚醒です。世界は、神様の実体の中に覚醒して入ってこなければならず、神様を肯定する原理に立脚した世界観をもたなければなりません。この世界観こそ、両陣営の価値観の混乱状態を除去してくれるものです。国家間の関係の本質も、このようなより崇高な価値観の覚醒に立脚して変わらなければなりません。
今まで経済発展の原動力は、利益を得ようとする欲求でした。これを原動力として、人間の途方もない潜在能力が啓発、発揮されたのであり、輝かしい世界発展が遂げられてきました。しかし、利益を得ようとする欲求は、すべての人々が神様の子女だという根本的な理解と均衡を取らなければなりません。
私たちは兄弟姉妹です。地球上での私たちの人生の目的は、物質的な財貨を蓄積することではありません。私たちがこの世に生きているのは、私たちの永遠の霊性を啓発し、完成させるためです。そのための唯一の方法は、真の愛を実践すること、すなわち他のために生きることです。
真の愛は、国家間の関係を含んだすべての次元の生活において実践されなければなりません。先進諸国は、自国を通して他の国を助けることができるように神様が祝福してくださったことを自覚しなければなりません。彼らは、発展途上国のために喜んで自分たちを犠牲にしなければなりません。もしこれらの富裕な国家が、利益追求欲よりも高尚な次元で考えることができないならば、自らの繁栄を維持しようといくら努力したとしても、それは無駄なことになるでしょう。
韓国は、中国、日本、ソ連とアメリカなど、主要国家の利害が交錯する場所にあります。韓国動乱当時、韓半島の未来を決定するために、多くの国家の国民が、偉大な犠牲を払いました。きょう私たちは、その時と同じ精神をもってこの場に集まりました。全世界の政治指導者たちが、韓国の統一問題を論議するためにここに来られたということは、その意義がとても大きいのです。歴史的に見てもお分かりのように、韓半島の統一は、一国の問題ではありません。これは、国際社会全体の問題なのです。
皆様が韓国の統一問題を論議される時の参考にしてくださることを願いながら、いくつか方向性についてお話ししようと思います。第一に、北朝鮮は、韓国を武力で征服しようとする計画を捨てなければなりません。第二に、北朝鮮は、開放政策を実施して、住民たちに信仰の自由を与え、北朝鮮指導者を神格化することを中断しなければなりません。そのようになった時に、初めて北朝鮮は効果的な経済改革を行う準備を整えるようになるのです。北朝鮮が韓国およびその他の国々と協力し始めることによって、北朝鮮の住民たちがより良い生活のための現実的な夢をもつことができ、また彼らにこのような誘引策を使わない限り、生産性の,向上はほとんど不可能であることを徐々に、より確実に悟るようになるでしょう。
そしてまた、韓国においても変化が起きなければならないという点を強調したいと思います。韓国は、前例のない繁栄の波に乗っています。このような繁栄を神様の祝福と思って、その繁栄を他と共に分かち合わなければなりません。今後韓国は、北朝鮮にいる兄弟姉妹を包容し、彼らの苦痛を減らしてあげる準備と覚悟をしなければなりません。
同様に自由世界は、東欧、ソ連と中国で発生した自由に向けた計画を全面的に支持しなければなりません。聖書には、ヤコブとエサウの兄弟に関する話が記録されています。この兄弟は共に神様の摂理に従って重要な役割を担当するように定められていましたが、彼らの間には大きな葛藤がありました。ヤコブは、父をだましてその祝福を受けました。エサウはこれを知って、ヤコブの命を奪おうとしました。それでヤコブは逃げていきました。
互いに離れて二十年余りを生活したのちに初めて、ヤコブはエサウに対する深い愛と多くの贈り物をもって戻ってきました。長い期間を離れて生活したあとで、兄弟が互いに出会ったとき、ヤコブはエサウに近づいて、「あなたが喜んでわたしを迎えてくださるので、あなたの顔を見て、神の顔を見るように思います」(創世記三三一〇)と言いました。エサウはヤコブを赦し、互いに涙を流して抱き合いました。エサウは、もうヤコブの命を奪おうとはせず、かえってヤコブと共に暮らそうとし、ヤコブから何でも学ぼうとしました。
今日、自由世界はヤコブの立場にあります。共産世界はエサウの立場にあります。キューバと北朝鮮のような共産国家は、自由世界がヤコブのように彼らの祝福を盗んでいったと教わってきたのです。彼らはエサウと同じく、過去に自由世界の国家を破壊しようとしました。自由世界はヤコブと同じく、何年もの間、賢明にも強力な武力を維持し、共産世界によって破壊されるような位置に落ちないように努力してきました。
今からは、自由世界は共産世界と和解しなければならない時が到来したと思います。長い期間、共産主義制度のもとで苦痛を受けてきた兄弟姉妹たちを見るとき、私たちは彼らの顔から神様の顔を見なければなりません。私たちは、彼らを助けてあげ、慰めてあげ、信頼感を吹き込んであげ、彼らが民主国家の国際社会の中へ入ってくることができるようにしてあげなければなりません。
紳士淑女の皆様。このあと二日間の皆様の討議が実り豊かなものとなり、価値あるものとなることを願います。皆様のこのような努力があるがゆえに、韓国は一九九〇年代が終わる前に統一国家になると私は希望いたします。韓国と北朝鮮の六千万同胞に代わり、ここにお越しくださった皆様に感謝申し上げます。皆様の努力が実を結ぶことを願いながら、神様の恩寵が共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。
8.真の愛と統一世界
平和経 第八篇
韓半島統一と世界平和
8.真の愛と統一世界
日付:一九九〇年四月三十日
場所:韓国、水安堡(スアンボ)、ワイキキ・ホテル
行事:モスクワ大会勝利帰国真の父母歓迎大会
きょうのお話の題目を決めるとすれば、「真の愛と統一世界」です。「統一」という言葉は、高い人、低い人、善の人、悪の人、誰もが願い、永遠に人類が存続する限り残る言葉です。また、統一は、人間はもちろん、万物と神様までも望まれることです。人間世界での「真」の基準は変わるものであり、誰もが不可能に近い欲望をもっています。東洋や西洋を問わず、それはどこも同じです。また人間は誰しも最高の位置に行こうとする欲望の方向があることは否定できないのが現実です。
それでは、このようになりやすく、大きな欲望をもっている人間が探し求める本当の「真」とは何でしょうか。男性の前に本当の「真」は女性であり、女性の前に本当の「真」は男性です。親の前には子女が本当の「真」であり、子女にとっては親が本当の「真」です。そして、神様のみ前に本当の「真」は人間であり、人間の前に本当の「真」は神様です。以上の話は、本然の世界での話です。なぜなら、真の男女を通してのみ、統一的な真の愛を見つけることができるのであり、神様と人間も真の愛を中心としてその統一が成立するのです。真の愛を中心として見ると、男性と女性の絶対はここにあり、生命を捨ててまでも服従しようとするのです。絶対的神様も、真の愛を絶対価値の中心として最高の貴い位置に立てておくのです。したがって、神様も真の愛に絶対服従しながら生きたいと思うのです。したがって、人間の結婚というものは、男女の絶対価値である真の愛を横的にして絶対服従して生きることによって、神様の縦的絶対価値である真の愛を占領しようとするものなのです。
ここに、人生には、なぜ生まれたのか、なぜ生きるのかという原因と目的があり、神様の創造理想があるのです。人類歴史について見ると、人生観、宇宙観、神観など、すべての問題の解決は、真の男性と真の女性と神様が真の愛を中心として絶対に統一されるところにあります。これが絶対価値の根源地なのです。この世界で、人間の欲望の限界線を否定できる、そのような存在が何であるかを探してみたところ、真の愛以外にはありません。愛の中のどのような愛でしょうか。真の愛です。
文総裁を中心とした統一教会の教えは、真の愛を実践する救世の真理です。人類が永遠に必要とする真の愛である生命のみ言です。真の愛のためなら、困難も問題になりません。自分の生命をなげうってでも行くことができる力が、真の愛にはあるのです。
ところが、今までの人類歴史を見ると、「真の愛と統一世界」を成就した人はいません。なぜなら堕落したからです。統一を願うすべての人々が、その動機がどこにあるのか分からずにいるのです。それを知らなければなりません。真の統一の動機は、自分の妻と夫、息子と娘、親戚、国家、天と地など、相手側にあるのではありません。自分自身にあるのです。
私は、自分の基盤を連結し、多方面に世界的基盤を築いてきました。特に、この国と世界のために科学技術が必要であることを知り、韓国の「統一産業」とドイツの最先端機械工業、日本の先端電子技術を連結しなければならないことを知って準備してきました。このように、国家と民族のために第二次世界大戦後、四十年以上もの間、多角的に準備してきたにもかかわらず、この国、この民族は関心をもちませんでした。
しかし、これからは韓国も私に期待をかけざるを得ない時になりました。歴史を通して見ると神様の戦略戦術とサタンの戦略戦術は正反対です。神様は打たれて損害賠償まで請求して取り戻してくる作戦であるのに対して、サタンは先に打っても奪われるのです。第一次、第二次、第三次世界大戦を見てください。第三次世界大戦は思想戦ですが、すべて先に打ったほうが滅びました。
私たちのような人は、公的な人として、公的な立場に立って打たれてきたのです。しかし、歴史を見ると孔子も「喪中の家の犬」と言われました。その当代に聖人になった人がいるでしょうか。またイエス様はどのような方でしょうか。ローマ帝国に反乱罪に問われて死んだ方です。このように彼らは、その当代にはみな悲惨に死にましたが、歴史時代を経ながら次第に上がっていくのです。迫害を受けるというのは、怨讐の所有権を相続する一つの方法なのです。ですから、宗教世界では迫害を受けるときに発展します。神様が本当に愛する人は、いつも天運の保護を受けるのです。
皆様。真の愛というものは、目には見えませんが最も貴い宝です。それでは、私たち人間の中で宝のような存在は誰かと考えてみると、それは正に聖人たちです。聖人たちの教えは、気まぐれに変わるようなものではありません。ある聖人が地上で一つになることを教えたならば、霊界に行っても彼の教えは天上の法にも通じる不変のものでなければなりません。
今日のキリスト教徒たちは、神の道理が何であるのか、水がどのように流れ、起源がどのようになっているのか、天理大道がどのようなものなのかということを知りません。目はくらみ、大口をたたいたところで誰が聞きますか。ふらふらしていると、そのうち事故に遭うのです。このような無知を悟らせるために、文総裁は全生涯を捧げてこの道を開拓してきました。何のためにそのように苦労したのでしょうか。真の愛を探し出すためでした。すなわち、神様の真の愛を最高の絶対中心として立てておいたので、そこに一致するためだったのです。
神様が父であり、私たちが子女であるならば、父が先にやってみてもいないのに子女に「やりなさい」と言うことができるのでしょうか。これは論理的に不条理なことです。ですから、神様が私たちに絶対服従を命令するためには、神様御自身もその貴いものに絶対服従してから命令しなければならないのです。
このように、神様までも絶対服従しながら生きたいと思う真の愛こそが、地獄までも占領できる基盤になります。皆様が真の愛を所有するようになれば、すべての悲しみと苦痛も、その真の愛の中で消化され、喜びとなるのです。それでは、真の愛はどこから来たのでしょうか。根本となる神様の真の愛から来ました。神様もそのような愛を望んでいるので、そこに由来しているのです。
結婚しようとしている男性と女性に聞いてみてください。新婦は心の中で「男性は私よりも立派であってほしい」と思い、新郎も「新婦が自分よりも立派であってほしい」と願います。また、親は誰しも自分の子女たちが自分たちよりも立派になってほしいと期待しながら生きるのです。そのような心は神様から来たものであり、真の愛を中心として言っているのです。神様の根本がこのようなものであることを、帰納的に結論を下すならば、神様も、真の愛の対象が御自身よりも立派であることを願う心をもっているというのが本性の起源になるのです。それで、神様は投入し、また投入しようとされるのです。神様が真の愛の相対として造られたのが人間です。
「万物之衆唯人最貴」(マンムルチチュンユインチェキ)(万物の中で人が最も貴い)という言葉は理にかなった言葉です。神様も愛の相対的パートナーが必要で造られたのが人間です。ですから、中心である人間をかたどり、和合し吸収されるように、すべての万物を創造したのも、愛の理想のためです。
被造世界を見てみると、鉱物世界を見ても、プラス・イオンとマイナス・イオンが作用しています。元素と元素同士も、くっつけたからといって必ずしも結合するわけではありません。相対的要因が合わなければ、神様も思いどおりにできないのです。たとえレベルは低くても、このように鉱物世界の作用も、愛の創造理想型モデルの核に反応することができ、そこに通ずることができるように造ったのです。
したがって、真の愛の本質を中心とした場合、堕落していない人間は、神様の心情からすべての万物、動物世界まで通じるようになっているのです。その位置に入るようになれば、岩とも通じるのです。皆様がそのような位置に入ってみることができなかったことが事件です。私たちは、深い神秘境に入るようになれば、森羅万象がすべて友になるのです。喜悦に満ちた愛の境地に入り、私が笑えばすべての万物と神様までも和動します。
皆様。愛する夫、愛する妻がいるでしょう。どれだけ愛していらっしゃいますか。実は、男性は女性のために生まれ、女性は男性のために生まれたのです。すべてために生きようとする真の愛のためです。男性と女性をして調和によって愛の理想を成し遂げさせるために、神様がそのように創造されたのです。
それでは、ペアシステムになっている天地の被造物の中で、神様御自身にとって最大の愛の相対であり、主人の位置に立てた傑作の存在とは果たして誰でしょうか。人間です。「女性」という言葉は男性が先にいて出てきた言葉です。また「男性」という言葉は女性を先有条件として出てきた言葉です。「上」という言葉は下を考え、「右」という言葉は左を先に認めて語る言葉です。したがって、「横」という言葉は縦を確定して語る言葉です。このように、先有条件を認めるということは、ために存在する相対圏を認めることであり、ために生きることを目的として成立したのが真の愛による創造だったというのです。
神様の真の愛は、投入し、与え、また投入して、また与えても忘れる愛です。与えたという記憶が残っている限り、愛は無限に回ることはできないのです。愛は無限に運動するものなので、与えたという記憶に留まっていてはいけないのです。与えて、また与え続けても記憶に残らないので、流れるのです。
神様は、この無限の価値をもった愛を父の立場で与えても忘れ、仮にその愛を受けた息子、娘たちが天に背いたとしてもまた与えられるので、そのような限りない神様の愛のゆえに、きょう皆様もこの場に来て座っていられるのです。したがって、真の愛の行く道は、受けるための道ではなく、与えるための道だという結論が出るのは当然のことです。それで、神様御自身も愛の相対を創造されるときは、神様御自身が与える立場に立ち、御自身のもっておられるすべてのものを一〇〇パーセント投入し、また投入したいと思うのです。
そのような心をもっている本然の中心存在が、天地を創造された神様です。それで真の愛は、ために生きることにおいても一〇〇パーセント、一〇〇〇パーセント与えて真空状態になるのです。空気で言えば、絶対低気圧が生じるようになれば、高気圧は自動的に循環運動が起きるようになるのと同じ理屈です。ですから、絶対にために生きようとするところには、無限の力が連結されるのです。神様は正に、このようにさらに与えようとする本性の作用が絶えず続くことによって永存されるのです。したがって、真の愛の道には、永生の論理が介在するのです。
皆様。私たちは何を中心として、きょうも生き、あすも生き、十年、百年、千年、万年を生きたいと思うのでしょうか。お金ではありません。この世の国ではありません。統一の絶対的起源となる神様の真の愛です。このように、神様の真の愛はために生きようとするところに根を下ろしているのに反して、今日の人間世界の愛は自分のために生きてくれることを願うところに根を下ろしているのです。堕落したために生じた結果です。自分だけのために生きてほしいという、そのような論理の中には統一がありません。これは、相対圏が犠牲となって破壊をもたらします。ですから、全宇宙が独裁者を支援することはないのです。理想的な相対を破壊するもの、それが悪魔です。それで、統一教会が医者となって治癒しなければならない召命を受け、実践しているのです。
それならば、このように救世的責任をもつべき統一教会が主張する教理も、理論に合わなければなりません。真の愛を中心として、統一的理論の根拠をどこに立てるのでしょうか。神様がいて、それからアダムとエバがいますが、男性であるアダムは大きく、女性であるエバは小さいですが、神様さえ占領すれば万事OKなので、アダムが前を行き、エバはついていって神様を発見したというとき、その神様を誰が先につかまえるのでしょうか。
自分を主張するところには、統一はありません。しかし、神様と共にために生きるという立場で考えるとき、アダムが「私が先に神様をつかまえようとするのは、あなたのためです」と言えば、小さなエバが、「早くつかまえてください!」と言うのです。
また女性が「私が神様を先につかまえようとするのは、あなたのためです」と言うとき、夫も喜ぶようになります。ここで統一が成し遂げられるのです。このように、神様のために生きようとする天地の真の愛の世界から統一の理論を発見できたために統一教会が現れたのです。
私は、怨讐の側にいる衛星国はもちろん、ソ連の主要都市に統一教会の宣教師たちを配置して、救援のための準備をしたのですが、彼らが極限的な迫害の中で死刑宣告を受け、国境を越え、また越えて、一度も出会ったことのない師に従い、最後に東方の韓国に向かって「私は逝きます」と両手を合わせて祈り、最期の道を行った彼らを、引き止めることができず、生かしてあげることのできなかった文総裁の心情を皆様はお分かりになるでしょうか。
悪魔からの苦難を受け、苦痛を受けて、捕虜兵となっている彼らを不憫に思う天の心を知りながらも、昼も夜も前進を決意せざるを得ませんでした。私はまた、共産主義は七十三年を超えることができないことを、天理を通して知ったので、待ち続けました。そうしたところ、なぜかソ連は、私たち統一教会の真理を調べ、これこそが偉大な真理であり、ソ連に新しい希望を植えつける真の真理であることを知るようになったのです。しかし、このような大きな国と天宙の和合も問題ですが、私自身の和合がより先決問題なのです。
皆様。私たち人間は、人生を生きる間、自分に最も近く、天下を与えても変えることのできない主人がいるにもかかわらず、知らずに罪に捕らわれて生きる哀れな群れだということを知らなければなりません。その主人は、正に自分の良心です。この良心がどれほど皆様のために忠告し、疲れることを知らずに昼も夜も、悪い考えをすれば「おい、こいつ!」と言って引っ張り、峠を越え、川を渡るために、どれほど気をもんだことでしょうか。
真の主人の姿をもって私を保護しようとする心を裏切ったこの体、一つしかない宇宙から貴い師として与えられた先生であるにもかかわらず、その先生を容赦なくぞんざいに扱ったこの体、また私の本然の愛の心を引き継ぐことができるよう、父母の代わりに送ってくれた良心を容赦なく蹂躙したこの体、このように心の怨讐になったこの体を、皆様は愛するのですか。それではいけません!
私を守ろうとし、私の主人と師と父母の位置に立って、私を正しい人にし、天地の大父母であられる神様、天地の大師匠であられる神様、天地の大主人であられる神様のみ前に一致させるために努力する第二の主人である良心を蹂躙し、無視し、冷遇したこの体を保護すべきでしょうか、占領すべきでしょうか。体をつかんで心のようにために生きる自分になったときに、幸福が訪れるのです。そこに神様が臨在されるのです。それで、「家和万事成」という言葉があります。私の家、私個人が安らかであるためには心と体が一つにならなければなりません。
皆様。今日の人間世界での愛は、自己を中心とした愛ですが、それがどこと関係があるかといえば、心ではなく体です。この体が悪魔の錨綱(いかりづな)を掛ける杭となっているのです。心が天に代わるプラスの位置にいるのですが、体がもう一つのプラスとなって、心を弄(もてあそ)んでいるのです。これを改めなければならない道が、私たち人間の生涯の義務なのです。これを御存じであられる神様が修理工場としてつくったのが宗教です。したがって、天は「心を中心として、より悪の体があるので、その体を強制的に屈服させなさい」と通告するのです。それで、「断食せよ、犠牲になって奉仕せよ」と言うのです。
体の欲望を弱め、心の言うとおりに従う習慣性を、三年から五年以上かけて伝授してもらうのです。それが宗教生活です。その次には、「絶えず祈りなさい」と言いました。それで、心は環境に引っ張られていきやすいので、中道の位置で精誠を尽くして、三倍、四倍の強い力を受けて体を引っ張っていきながら、習慣化させなければなりません。その二つの方法しか修理する道は絶対にありません。そのような修養の宗教の門を通過しなければ、本然の人間の道を求めていくことができないのです。哲学の道、知識の道、習慣的な良心の道だけではできません。
心と体が一つにならなければなりません。心は縦的であり、体は横的です。しかし、人間が堕落していなければ、最初から心と体は一つになっていたはずですが、神様の本然の理想と一つになることができなくなった事実をつくったのが怨讐です。それが正に堕落した天使長なのです。その悪魔サタンが人間を堕落させたのですが、善悪の実を取って食べて堕落したといわれています。その善悪の実を取って食べたアダムとエバはどこを隠しましたか。口を隠しましたか、手を隠しましたか。下半身を隠しました。これが悪を撒いた種になったのです。
青少年時代、成熟していないときに堕落しました。そのようにして植えられた悪の種によって、人間世界に悪の血統が及ぶようになったので、終末になると全世界的に青少年たちがアダムとエバのように愛の倫理を破壊し、退廃的な風潮に流れれば、サタンの全権時代が地上に到来したと思ってよいのです。このようになるとき、神様の鉄槌と審判が訪れるのです。
今日、アメリカ、ヨーロッパ、日本など、世界の先進諸国を見てください。東西、四方から押し寄せるフリーセックスと淫乱の波を誰が防ぐことができるのでしょうか。刹那的な刺激を求めていく享楽主義、紊乱な愛では飽き足らず、麻薬や覚醒剤を求める無頼漢の世界になりつつあるのです。それらは、体が死亡へと引っ張っていく道です。決して心の道ではないのです。
心は手を挙げて痛哭しています。天理大道において、人間を本然の始発地である神様の懐へと導いていくべき良心の使命と召命は、すべて失敗してしまいました。誰かが人類をこのような環境から救いの道に導くことができなければなりません。それが統一教会です。世界には希望がありません。
統一教会は、真の愛の理想によって神人と心身を統一する所です。神様が、真の愛、真の生命、真の血統を所有していらっしゃり、私たちはそこから出てきたので、私たちにも、真の愛があり、真の生命があり、真の血統がなければなりません。人間は、神様の真の愛を中心として、父子一身の関係をもって生まれることにより、神様の心と体が真の愛によって自然に統一されているように、私たち人間の心と体も真の愛によって自然に統一されていなければなりませんでした。
ところが、サタンの愛、サタンの生命、サタンの血統を受け継いだ堕落人間となり、体と心がサタンと神様の第一線となって、闘い続けているのです。ですから、唯一このような内容をよく知っている文総裁は叫ばざるを得ないのです。
誰もが文総裁の言うとおりにさえすれば、体を屈服させて、心と一〇〇パーセント一つになるようにできるのです。そのようにして、心と体が一つになった皆様は、神様御自身の愛のパートナーとして永遠の対象となるのです。
愛には相続権、同居権、同参(一緒に参加すること)権という偉大な三大属性があるので、神様の絶対的な真の愛、不変的な真の愛と一致した立場に立つようになれば、いつでも同居できる権限をもつようになります。そうなれば、皆様は目を閉じなくても神様を見るようになり、神様の悲痛な心情を体恤した人は、道を歩いていても立ち止まって痛哭する、そのような体恤世界があるのです。堕落した世界でも、母の愛は、息子がよその地で不慮の事故に遭えば、直感で分かる場合が多々あるではないですか。寝ていても名前を呼び、大声を上げて目覚めるのです。
愛にはそのような力があるので、その愛と一つになれば、二つの世界は共存し、通じるようになるのです。言い換えれば、神様の本質的な真の愛、千年、万年ために生きても、さらにために生きようという、そのような真の愛を私の心と体に一〇〇パーセント吸収できる属性をもつようになるとき、心には真の愛の根が生じ、神様が感じるすべてのことが通じるようになり、体は自動的にそこに共鳴するようになるのです。
真の愛を中心として、心の世界の共鳴体となることができるように創造されたのが体なので、心と体の統一世界を備えるためには、神様の本質的な真の愛を回復しなければならないという課題が残っていることを知らなければなりません
このような真の愛に共鳴する論理を中心として見るとき、私たち人間がそこに一致して同一圏に入れば、神様の愛が私の愛であり、神様の生命が私の生命であり、神様の血統が私の血統であり、神様の所有である被造世界が私の被造世界であると言うことができるのです。そのような、天下を抱く父と母の心をもってこそ、天国に入籍するようになっているのです。
そのようなことを知っている文総裁が、峠を越え、川を渡り、五色人種を自分の親よりも、兄弟よりも愛するという心をもって生きていくと、今日、統一教会を世界最高の位置にまで引き上げることができました。天運が助けてくれるのです。真の愛の宿る所には天運がついてきて、神様の愛が永住するのです。
ですから、統一教会の教会員は、老若男女を問わず文総裁のことが好きです。本当に先生の生涯が哀れであることを知り、我知らずしきりに涙を流すようになれば、夢うつつに教えを受けるようになります。どれだけ霊的に明るくなるか分かりません。統一教会を信じればそのような世界が間違いなくあるのです。
皆様。御覧ください。先進国の代表といえるアメリカの青年男女、大学を出て修士号や博士号を取った人たちを数万人集めて何をしているでしょうか。アフリカ人も南米の人も東洋人も西洋人も、五色人種をすべて一つ所に集めて結婚させてあげるのです。
皆様。結婚問題はどれだけ重要な問題でしょうか。それをすべて文総裁に任せるというのですから、歴史上に新たな革命的事件が起こっているのです。
アダムとエバが堕落せずに成熟していたなら、神様の愛の対象、愛の配偶者となっていたはずです。あすには夫婦の契りを交わし、結婚式を挙げようとしているところに、盗賊が入ってきて新婦を強奪し、一緒に逃げていって暮らし、のちになって忘れられずにその女性が訪ねてきたとすれば、その男性が平然と「ああ、よく来た!」と言えるでしょうか。違います。憎しみで気が狂うというのです。
それでは、私たちの先祖であられる神様はどうされるでしょうか。同じです。神様はこの世界に手を触れたくても触れることができません。悪が植えられたために、胸痛む心情を抑えながら、悪の水が満ちて滅びるまで待っていらっしゃるのです。影の下で淫乱で蒔かれた種が、秋になり、全世界の村々に拡大した青少年の淪落として現れるのです。今が正にその時なのです。
人間は本来、神様の息子、娘となるべきだったにもかかわらず、怨讐の息子、娘となって抜け出すに抜け出せない塗炭の苦しみを味わっているのです。そのような人類を御覧になられる神様がどれほど悲痛であられるかを、はっきりと知っているキリスト教徒たちはどれほどいるでしょうか。
皆様。真の愛が求めていく道は直短距離を通るようになります。神様とアダムとエバを連結する真の愛の道も直短距離で形成された垂直しかなく、東西に連結する夫婦間の真の愛の道も直短距離で一つになる点として、九十度の一点しかありません。
人間も成熟し、男性と女性が真の愛を中心として縦的、横的な直短距離で行って出会えば、縦的な垂直線と横的な水平線とも出会い、自動的に九〇度になるのです。この点が、正に垂直と水平の出会う点であり、絶対的な価値をもった位置として、ただ一つしかない真の愛を結んでくれる中心点であり、モデルとなる点なのです。
ところが、アダムとエバが成熟する前に、天使長によって、この角度が狂ってしまったのですが、これが正に堕落です。人間は堕落を通して悪魔の血統を受けたのです。自分のことだけを考える主義と自覚性、そして自主性をもって行うのが悪魔の行動なので、堕落した人間は、自己第一主義ですべてを考えるようになったのです。
神様は全体第一主義です。神様に似た善の人は、全体のために生きるのであり、サタンに似た悪の人は自分のために生きるのです。ここで天地が分かれ、天国と地獄が分かれ、善の人と悪の人、公人と私人が分かれるのです。
今日、自分の肉身を満足させようとする愛の道を走る退廃した者たちは、この地球星からすべて一掃しなければならないのです。だからといって、すべて抹殺するというわけではありません。サタン側の人類を例えて言えば、野生のオリーブです。神様が分立して探し出した人類は、宗教圏の野生のオリーブで、神様の所有権の中にいます。ですから、神様が自由にできるのです。再臨主が来られれば、一度に切って接ぎ木しやすいよう、準備してきたのです。
そのようにして、真のオリーブとなって本然の状態へと返ります。ですから、宗教を信じる人も真の父を探さなければなりません。彼らも真の父の生命の種を受けられずに生まれたからです。本来の真の愛を中心として、神様の血統と連結された真の息子、娘としての理想を果たすことができなかったのです。それでメシヤが来なければならないのです。
皆様。メシヤとは何か御存じでしょうか。偽りの父母から生まれ、偽りの根を植えたものを引き抜いてしまい、真の父母として来られ、本然の形態を復帰してサタンを追放し、すべての人が歓迎できる自由解放の天国世界を創建する重大な責任をもって来られる方です。しかし、今日のキリスト教は、果たしてそのようなことを考えているでしょうか。
それでは、神様はどのような方でしょうか。神様は縦的な真の愛の父です。どれだけ近い方でしょうか。それで、堕落していない本然の真の父母、すなわち再臨主が来られれば、神様の垂直と人間の水平が九〇度で合うことができるようになるのです。九〇度の角度で合わせることのできる教育をするのです。真の愛の共鳴圏に入れば、天と地がはっきりと見えるようになります。
釈迦が「天上天下唯我独尊」と言ったその言葉も、その共鳴圏の核心に入ってみると、天下がすべて自分の手中に入っており、神様が自分の中におられ、天理が自分と共に連結されているので、そのような言葉を言うことができたのです。真の愛の共鳴圏に入るようになれば、信仰も必要なく、救世主も必要ありません。解放です。すべて終わるのです。
このように、神様が人間を創造された理由は、第一に真の愛の対象を得るためであり、第二に体をまとわれるためです。体が貴いのです。天上天国に体をまとって生きていた息子、娘たちが来るようになるので、神様も形体を備えた父として臨在されなければなりません。
その体が何の形態かと言うと、本然のアダムとエバの内的な形態です。それでは、神様と本然のアダムとエバは、どこで出会うのかが問題です。神様の愛と真の父母の愛、神様の生命と真の父母の生命、神様の血統と真の父母の血統が結合する所は、垂直と水平を連結した九〇度の角度しかありません。この点が、真の愛を成立させる公式点なのです。
神様は縦的な真の愛の父母であられ、完成したアダムとエバは、横的な真の愛を中心とした父母です。このような二つの親の愛と生命と血統を受け継いで生まれた私の心は、縦的な私となり、体は横的な私となって、この縦的な私と横的な私が統一されるとき、人間は永遠の神様の真の愛の対象となるのです。
それでは、人間において、真の愛の起源と真の生命の起源、そして真の血統の起源は、果たしてどこでしょうか。驚かないでください。生殖器です。ところが、この生殖器が天理を破壊した凶悪な宮殿となってしまいました。悪の本源地となりました。そこが天地の一番の悪になったので、下品なものになったのです。皆様、夫と妻も、それを中心として生きているではないですか。父と母、祖父と祖母も、それによって生きるのに、なぜ下品でなければならないのでしょうか。天理を破壊したものだからです。
したがって、神様のみ前に淫乱な都市や淫乱な国は滅びるのです。ソドムとゴモラが硫黄の火によって焼かれたように、ローマが滅びたのも、何もほかの理由で滅びたのではありません。節操を守れなかったために、淫乱に陥って滅びたのです。
アメリカがなぜ滅びつつあるのか分かりますか。私は早くから警告しました。近親相姦の関係がどれほど多いか御存じでしょうか。祖父が孫娘を連れて暮らし、母がいるにもかかわらず、父が娘を連れて暮らすのです。終末的な滅びの兆候が満ちたので、天から審判される時代に入る、この恐ろしい事実を知らないのが先進諸国です。ですから、審判されないために私と統一教会が必要なのです。
アメリカのキリスト教も、プロテスタント、カトリックを問わず、私の言葉さえ聞けば統一することができます。なぜならば、統一できる内容をもっているからです。しかし、キリスト教徒たちの態度はどうでしょうか。誰よりも彼らを心配し、生かしてあげようとしても、かえって私を怨讐扱いしてきました。聖書にも、「飢えた者にあなたのパンを施し、苦しむ者の願いを満ち足らせるならば、あなたの光は暗きに輝き、あなたのやみは真昼のようになる」(イザヤ書五八一〇)とあり、神様も、戦争に負けて白旗を振る人を打てば、神様の怨讐になると言いましたが、果たしてキリスト教はそのようにしているでしょうか。
皆様。はっきりと知らなければなりません。皆様が、神様の愛と神様の生命と神様の血統、真の父母の愛と真の父母の生命と真の父母の血統を相続した真の息子と娘になれば、神様のように、皆様にも心と体が闘わない統一天下の根になる起源が生じるのです。このように、ために生きる真の愛と合一してこそ、家庭の統一も可能になるのであり、黙々と十年、百年、子女のために愛を与える親の愛が光るのです。神様はそのようなお方です。
それでは、文総裁が今日、全世界の統一教会員たちを率いて指示していることとは何でしょうか。創造の原則に従って、ために生きては、またために生きなさいという真理です。理想的愛の対象を探し出すためのものが失敗したために、正義の血統を根付かせることのできなかったこの世界に、皆様が新たな生命の種をもって浸透しなければならないと教えています。
皆様。共に父母の心情で僕の体を使い、汗は地のために、涙は人類のために、血は天のために流しながら、天地創造の大主人である私たちの天の父母の恨を解いてさしあげる歴史的な十字架を背負ったことを忘れず、救世の道へと前進しましょう。
皆様。真の統一の群れが国境を越えて全世界へと広がり、五色人種が地球星に向かってために生きてはまたために生き、投入してはまた投入する、それが子々孫々に及んでいき、歓喜の叫び声と共に私たちの旗が十旗、百旗と増えて翻るようになるとき、どのようになるでしょうか。その世界は地上天国となるのです。宗教が必要ありません。国境が必要ありません。警察官も必要なくなります。統一教会員になれば、罪を犯しなさいといっても犯すことはできません。生理的に既に分かるようになるのです。
ですから、このような運動から真の愛の統一は始まるのであり、真の統一世界は不可避的に顕現するのです。このようなみ旨を中心として、天運と神様が直接主管し保護できる永生の真の道に向かって前進しましょう!皆様は一人ではありません。皆様の一家と一族が合同し、この驚くべき道に向かって前進することを決意する方々は、この時間、文総裁と共に両手を挙げて歓迎しましょう。神様の祝福があることを、そして「真の愛と統一世界」の主人公となられることを願いながら、私のお話を終えたいと思います。ありがとうございました。
9.天は韓国を呼んでいる
平和経 第八篇
韓半島統一と世界平和
9.天は韓国を呼んでいる
日付:一九九〇年七月六日
場所:韓国、ソウル、ヒルトンホテル
行事:対ソ、韓日経済使節団派遣説明会
今夜、私の招請でこの場に参加されました韓国の経済界の指導者の皆様。この場をお借りして、私が生涯を捧げて神様のみ旨を地上に具現するために尽力してきた内容とその目的について、お話しできることを喜ばしく思います。大変動が予想される今日の韓半島を中心とした世界の経済界が、今後どのように発展しなければならないかということについて、平素、私が抱いてきた根本的な考えの一端を披瀝したいと思います。
「天は韓国を呼んでいる」という題目でお話をさせていただきます。祖国の繁栄と統一のため、また人類と世界の福祉のために御苦労される皆様のお役に立つことがあれば幸いです。
人類は歴史を通し、「真」の根源を探し求めてきました。神様の存在の有無に対する問題もまだ解決できていません。哲学は、歴史を通して神様を探し出そうとしましたが失敗し、宗教の教祖である聖人たちは、神様のような基準で生活をしながら人類を教え導きましたが、現在の世界を見ると「神さえも死んだ」と言われる終末となってしまいました。
歴史的に重要な問題も神様に対する解決であり、人類の重要な問題も神様に対する解決なのです。神様をはっきりと知るようになれば、すべての問題が解決し、解放されるのです。人間に対する問題、万物に対する問題、世界と宇宙に対する問題なども、自ずと明らかになるのです。
そこで私は、神様を発見しようと千辛万苦の努力の末に、神様が存在することをはっきりと知るようになりました。その神様は、永遠、不変、唯一の方です。その方はまた、絶対的存在なので、その方を通してのみ、絶対的価値を見いだすことができるのです。
それでは、神様にとって絶対に必要な絶対的存在は果たして何でしょうか。物質、知識、権力でしょうか。それらは、願いさえすればいつでも創造できるものであり、神様御自身が自由に調節できるものです。しかし、真の愛だけは神様も自由にできません。
すなわち、真の愛は、相対圏を通してのみ探し出すことができ、顕現し、成立するものなので、一人ではその刺激を感じることができないのです。相対的創造世界が必要なのです。したがって、神様が被造世界を創造されたのは、真の愛の理想のためです。
被造世界の構造を観察してみると、鉱物世界、植物世界、動物世界は愛を中心として相応できるように、すべてペアシステムになっており、レベルによって低いレベルは高いレベルに吸収されるように創造されています。そして、結局は被造世界最高の存在である、神様の対象格である人間に到達するようになっているのです。
人間だけが神様の真の愛の相対となるように造られたというのです。それで人間について、「万物之衆唯人最貴(万物の中で人が最も貴い)」と言ったのです。その言葉は、理にかなった言葉です。人間がいなければ神様の真の愛も成立させることができません。絶対的な神様も、絶対的真の愛の前には絶対的に服従したいと思うのです。これは貴い言葉です。この言葉が成立しなければ、神様に喜怒哀楽という概念は見いだすことができないのです。神様はこのように最高の価値の位置に真の愛を立てておかれました。神様は、御自身が先に絶対服従して、初めて「人間と万物もその真の愛に絶対服従しなければならない」という命令ができるのです。
それでは、神様の真の愛の相対である人間をどれほど貴くお造りになったかを見てみましょう。若い男性と女性が結婚するとき、相手が自分よりも素晴らしく立派であってほしいと願わない人がいるでしょうか。また、子女をもった親なら、自分の子が自分よりも劣った人になることを願う人がいるでしょうか。絶対にいません。そのような心はどこから来たのでしょうか。すべて神様に由来しているのです。
それは言い換えれば、神様も、御自身の真の愛の対象である人間が、御自分よりも立派であることを願っておられるということになるのです。このように、人間の価値は神様の高貴な傑作です。皆様、そのようなことを考えたことがありますか。人間は神様の傑作なのです。
創造当時、神様は一〇〇パーセント、御自身を完全投入され、無限に投入されて忘れる、そのようなところで循環運動を始められることによって、永生の起源を備えてくださったのです。投入して、また投入するところから、循環運動が続くのです。ここで、永生の論理を見いだすことができます。真の愛は、このように与えても記憶しないところから始まるのです。真の愛とはいったい何かというとき、正にそうだというのです。すなわち、神様の創造理想は、ために生きる愛から始まり、ために生きては、またために生きる愛から真の愛が成立するのです。
宇宙創造の目的は、神様を縦的父母として侍り、堕落していない人類始祖を横的父母として、ために生きては、またために生きる真の愛の存在として、永遠の生命を存続させる真の愛の圏内でのみ成就されるのです。真の愛でのみ完全一体と統一が成立し、また相続権と同居権、同参権を得ることが可能になるのです。
それでこそ、人間にとっては神様の愛が私の愛となり、神様の生命が私の生命となり、神様の血統が私の血統となり、神様のみ旨が私のみ旨となるのです。すなわち、神様の理想が私の理想となり、私たちは永存される神様の子女として永生する理想家庭と理想世界を築くのです。
しかし、今日の世界を見ると神様が理想とされた本然の世界ではなく、罪悪が氾濫し、戦争の歴史を繰り返しながら、疾病と苦痛に満ちた地獄世界となってしまいました。人間を除いた自然界は何の罪もないのに、人間世界のために害を被っているという事実を考えるとき、人間世界が病んでいることは否定できません。
このように、病んで故障した人間世界のことを、宗教的には「堕落世界」と表現するのです。神様は、このような世界を原状に戻そうと救援摂理をされるようになったのです。救援摂理は復帰摂理です。救援摂理は再び帰る復帰の摂理です。それで、復帰摂理は再創造摂理だというのです。故障したので、元の青写真を中心として、再び制作しなければならないということです。すなわち、本然の世界で、ために生きる真の愛を中心として、永生の世界で利他主義を実現して生きるようになっている人間が、偽りの愛の中で死亡の世界に向かう、自分を中心とした堕落世界に転換されてしまったというのです。本然の世界の主人である神様と堕落した世界の主人であるサタンが対立するようになった理由も、闘争の歴史を経てくるようになった理由も、ここにあるのです。
また、人類歴史は善悪の闘争史です。共産党のいう唯物史観的闘争史ではありません。神様は、真の愛を中心とした真の父母、真の子女、真の家庭、真の国家、真の世界、そして真の宇宙を立てて、真の愛の理想で主管しようとされたのですが、サタンが偽りの愛を中心として、偽りの父母、偽りの子女、偽りの家庭、偽りの国家、偽りの世界、そして偽りの天宙を立てて主管してきたのです。
これを取り戻すために、人類歴史は善悪の闘争史として反復してきたのです。すなわち、個人から永遠の世界に至るまで、サタンは神様の原理的歴史発展に従いながら、原理的世界を真似て、真のものが来る前に、あたかも真のものであるかように振る舞い、先手を打って原理の世界を破壊しようとするので、善悪の闘争が不可避になるのです。
したがって、私たちが知らなければならないことは、神様が利他主義の立場に立って再創造摂理をされながら、ために生き、またために生きながら、打たれて取り戻してくる作戦を取られる反面、サタンは自分を中心とした立場に立って、先に打って損害賠償までする道を歩んできているのです。神様の作戦は打たれて取り戻してくる作戦であり、サタンは打って滅びるのです。このように善の側は、打たれ、迫害と犠牲を払いながら発展していくのですが、サタンはその反対なのです。
世界の戦争史を見てみましょう。第一次世界大戦もサタン側から先に打って滅び、第二次世界大戦も悪の側から先制攻撃をしましたが、かえって敗北してしまい、第三次世界大戦である思想戦でも、共産主義が民主主義を先に打ってきましたが、ソ連は滅びてしまったではないですか。このように、善の天の側は、迫害を受けながら発展してきました。したがって、迫害は、サタン側、あるいは怨讐側のものを相続させてくれる一つの方法になるのです。迫害されるのはただ苦痛を受けることではありません。迫害は、怨讐世界の所有権を相続する一つの手段なのです。
善の神様は先に打つことができません。神様は先に打つことができないので、打たれて取り戻してくるのです。このような神様の作戦法を通して見るとき、神様の側に立った善の主流は宗教にならざるを得ないのです。そのような主流宗教として歴史路程を通し、血を流しながら成長してきたのがユダヤ教でした。選民思想をもった民族だという理由で、追われ、追い込まれながら、犠牲の血を流し、その代わりに打たれる蕩減条件を立ててきたのです。
旧約時代には、供え物を通して子女たちが行く道を築いてきました。そして、四千年後、メシヤであるイエス様を送られ、子女たちが信じて侍るようにし、サタン世界であるローマを復帰し、サタンを追い出して、神様だけが主管する世界にしようとされました。
このように、善主権を復帰するのがイエス様の使命であり、イスラエルを中心としたユダヤ教の使命だったのです。ユダヤ教とイスラエルが一つとなり、全世界のために投入し、また投入する原理を実践していたなら、イスラエルが世界へと出ていく道が開かれたはずでした。しかし反対にイスラエルとユダヤ教は、かえって世界のほうが彼らのために生きなければならないという思想で、「怨讐を愛せよ」と言われたイエス様までも十字架にかけました。それで、キリスト教は血を流す二千年間の受難の歴史を通して、父母であられる再臨主の時を待ってきたのです。
迫害の歴史を経ながら、キリスト教が第二イスラエルの立場に立ち、イエス様が果たし得なかったみ旨を果たすために、世界的天側のローマ型であるプロテスタント独立国家アメリカを中心として、第二次世界大戦後、世界統一圏として国連を立てて自由世界に復帰しようと限りなく血を流してきたのです。
アメリカを中心として再臨主であられる真の父母が現れ、神様の統一圏が形成されれば、全世界は統一世界へと前進したのであり、キリスト教を中心とした世界の文化圏が形成されたのです。すなわち、真の父母思想を中心とした成約時代を完成できたはずでした。
しかし、キリスト教とアメリカ、さらには自由世界が、自らを投入して他のために生きる生き方を実践することができず、アメリカはアメリカ自体を中心として世界を主管しようとする立場に立つことにより、統一教会は迫害と苦難の道を歩まざるを得なくなりました。韓国を中心とした統一教会は、血を流す迫害の道を歩んできましたが、これからは世界の頂上の位置にまで上がるようになったのであり、「頭翼思想」で左翼と右翼を共に収拾できる時代に来ているのです。
真の父母様は、血を流す道を通して、地上に神様をお迎えする使命を遂行しているのです。真の父母様が十字架を背負うのは、神様を地上にお迎えするためです。旧約時代に万物を犠牲にしたのは、子女を迎えるためであり、新約時代に子女たちが血を流したのは、父母が来る道を準備するためです。そして、父母が来て血を流すのは、神様をお迎えするためなのです。歴史はそのような過程を通して発展するのです。
今や「頭翼思想」は民主と共産、左翼と右翼を横的な立場で収拾し、「神主義」を通して縦的に霊界まで統一して、天地父母時代である統一時代を迎えるようになりました。そうして、サタンの反対がない本然の世界、神様と真の父母様の真の愛を中心としてために生きる世界から、私だけのために生きてほしいという、そのような利己主義的世界を越え、天上天国、地上天国世界へと前進するのです。その世界は、真の愛を中心とした利他主義世界となるので、謀略、中傷、不信の風潮などが蔓延する、死亡の世界とは関係がない世界になるのです。こうして、全世界的に真の父母を中心として、真の家庭の基盤の上に人類を接ぎ木する理念を通して、新しい復帰家庭と新しい秩序を確立し、神様を中心とした永遠の理想世界になっていかなければなりません。
韓国は、統一教会を中心とした第三イスラエル選民国となり、サタンに勝利した勝利国家となるのです。第一イスラエル、第二イスラエル、第三イスラエルを勝利圏に立て、神様のみ前に奉献しなければならないのです。第一イスラエルはユダヤ教、第二イスラエルはキリスト教、第三イスラエルは統一教会ですが、統一教会がこの全体の歴史を蕩減し、この宇宙を神様のみ前にお捧げする使命を果たさなければならないということです。
文総裁と韓国は、天の作戦を中心として見ると、歴史的な善を代表する人と国です。それで、文総裁は悪の側から世界史上、個人的な立場で最も多くの迫害を受けた代表です。そして、家庭、氏族、民族、国家、世界的にも、そのように迫害を受けた代表です。さらには、霊界から最も多くの迫害を受けた代表ですが、打たれながらも、すべての面で勝利的結果を獲得し、世界的に発展したのは、神様が保護してくださったからなのです。これが、文総裁の築いた世界的基盤です。
しかし、これからは迫害から解放され、誰一人として行く道を遮る者がいない時代に入ったので、すべての勝利的世界の時代へ進出することだけが残っているのです。韓国の歴史において数多くの忠臣、烈女たちが、あれほど多くの血を流した悲痛な歴史を残したのも、天の作戦によるものであり、单一民族として「東方礼儀之国」の面目を守りながら、歴史上類例を見ない九百回以上の侵略を受けながらも、その血統を守らせてきたのも、福を与えるための天の作戦だったのです。
また、白衣民族として、純潔で高尚な敬天思想を固守してきたのも、天の選民へと向かう道のためだったことを知らなければなりません。六二五動乱のときも神様がお守りになり、人類の祖国回復のために国連の旗幟(きし)のもと、世界十六ヵ国の若者たちが韓国の地で血を流しました。祖国光復のためにです。
皆様。このようなことは、天理を知らなければ分からないことです。それが事実だとすれば、韓国はどのようになるのかということが問題です。韓国は、善悪の闘争史を清算しなければならない最終的対決の地です。北朝鮮はサタン側に代わる最悪の地なので、金日成主席のことを「父母なる首領」と呼んでおり、四十年以上の間、金日成主席が全権を行使しているではありませんか。四十年前に韓国とキリスト教が、神様に侍り、文総裁と統一教会を天の側の父母の位置に立てていたなら、今日の韓国は世界的父の国となっていたはずです。
しかし、キリスト教と韓国の反対にぶつかり、真の父母の立場を世界的に立てることができないまま追い出され、金日成主席は偽りの父母の位置を占有し、天の側に反対しながら、共産圏の先頭走者として悪の父母となって振る舞ってきたのです。それは、蕩減法によってそのようになったのです。今や最後です。真の父母というものがサタン世界に立ったのは初めてです。
しかし、文総裁と統一教会は、全世界の反対を受けながら最悪の立場から、天の作戦によって、打たれながらも世界的基盤を築き、世界共産圏を屈服させる勝利的な立場を確立したのであり、中国とソ連を越えて怨讐格であるゴルバチョフ大統領に会い、歓迎されることによって、摂理的新起源の世界が始まったのです。これは、旧約時代のエサウとヤコブの出会いのようなものです。
ヤコブの立場にあるアメリカ、日本、韓国を代表した文総裁が、エサウの立場にあるソ連、中国、北朝鮮を代表したゴルバチョフ大統領に会い、彼の心の中に天の真の愛を植えてあげたということは、サタンを自然屈伏させるヤコブの還故郷となるのです。これから、エサウには兄弟と一つとなり、天の父母に侍る道だけが残っているのです。兄弟である自由世界と一つとなり、天の父母に侍ることだけが、共産圏が生きる道なのです。
これは、有史以来、最大の事件であり、天の側の勝利をもたらす新起源となるのです。ですから、文総裁は、直ちに帰国し、大韓民国の国民と民族に真の父母歓迎大会を通して真の父母を宣布したのです。そうして初めて天は、金日成主席の基盤、悪のサタンが退くように陣を張るのです。今後どのようになるか、今後の道を見ていてください。
真の父母歓迎大会を全国でしましたが、真の父母歓迎大会を通して真の父母を宣布することによって、北朝鮮と金日成主席の集団に対峙できる天の側の基盤を確立したのです。金日成主席を中心としたサタンを愛し、救ってあげなければならないのです。金日成を中心としたサタンを愛し、救ってあげようと、天の側の立場にいる文総裁と統一教会は走っているのです。
金日成主席は「神はいない」というサタン側の共産主義世界の代表者である反面、文総裁は「絶対的に神は存在する」という民主世界の代表です。韓国を中心として北朝鮮を消化し、吸収することによって、一つの父母である真の父母の心情をもち、歴史的な善悪闘争を越えて平和世界を創建しなければならない宿命的な課題の前に、今回「世界平和連合」を創設し、摂理史的なみ旨に合わせようとするのです。これから「世界平和連合」という言葉が出てくるでしょう。
結論的に、これからは文総裁と統一教会と韓国が一つとなり、北朝鮮を消化する時代へと入るのです。私たちがソ連と中国と北朝鮮を中心として平壌で大会を開催しようとするのも、摂理史的な意義をもっているのです。
天の側であるアメリカ、日本、韓国は、力を合わせ、物質万能のユートピアを慕いながら物質的地獄世界に落ちた共産世界を救うために、放蕩息子を歓迎して迎える兄弟の立場に立たなければなりません。この道こそが、サタンを自然屈伏させる道となるのです。神様は悪を打って屈伏させてはいけません。自然屈伏させなければなりません。
このようになれば、サタンも天の側に屈服し、天上と地上に闘うことのできる基盤がなくなるので、自動的に世界平和は成就されるのです。そうして韓国は、神様を中心とした祖国となり、神様の創造以後、初めて理想の基盤を築くようになるのです。創世以後から始まったサタンとの闘いが、ついに終わります。六二五動乱とともに始まった世界的冷戦時代は、八八年のソウルオリンピック大会を起点として、その幕を降ろすようになり、これからは文総裁の思想を精神的な支柱として、韓国は新しい太平洋時代の中心国として世界を領導していく道が大きく開かれるようになったのです。
この先、太平洋時代が来ることが、世界の学者たちの研究結果であることは、皆様も御存じのはずです。それがどのようになるのかということが問題です。神様がこのように文総裁と韓国を祝福してくださったのです。
皆様。これから私たちは、経済人でも誰でも、すべての人たちが、心を合わせて、北朝鮮を解放し、世界の統一に向かって進んでいかなければなりません。地球家庭時代を迎え、「天の真の父母様に侍って千年、万年暮らしたい」と言うことのできる基盤を築かなければなりません。この文総裁と統一教会は、摂理史的使命を完遂する中心である心的な立場に立っており、体的な立場には、物質的なものを追求する経済的分野が立っているのです。
皆様。ここで一つお話ししたいと思います。どうして統一運動が経済行為をするのでしょうか。心と体が分かれています。天と人間、真の中心と偽りが対峙しているので、これを統一しなければなりません。ですから、このような心の中心である天の完成のみ旨を中心として、体の中心が相対にならなければなりません。これが反発してはいけないのです。ですから、統一運動は経済的行為をするのです。また、共産主義と闘争せずにはいられません。そのようなすべての摂理史的内容をもって始めるのです。
物質的立場を追求する経済的分野は、体の立場に立っています。本来は、心と体が一つにならなければならなかったその理想が、今ここでも成就されなければならないのです。心のような天のみ旨に、体のような経済界が従わなければなりません。一体となって、地球家庭を形成し、平和世界をこの地に創建するためにも、北朝鮮をはじめとする共産世界を支援しなければならない義務があるのです。
それで、韓国、日本、アメリカが共に努力し、兄弟を助ける、そのような真の愛の精神で団結しようという崇高な志をもって、きょうこのように皆様をこの場所にお招きした次第です。天意に従い、この文総裁と共に世界を中心とした経済観をもって進んでいくならば、天が助け、万事が意のままになるでしょう。ぜひ世界の選民の経済観をもって、祝福を受ける韓国と世界に向かって進んでいきましょう。神様の祝福が共にあることを祈りながら、私のお話を終わらせていただきます。ありがとうございました。
10.真の父母様北朝鮮訪問晩餐の辞
平和経 第八篇
韓半島統一と世界平和
10.真の父母様北朝鮮訪問晩餐の辞
日付:一九九一年十一月三十日、十二月六日
場所:北朝鮮、平壌、牡丹館(モランクァン)招待所、ソジェゴル招待所
行事:真の父母様北朝鮮訪問歓迎および歓送晩餐会
<歓迎晩餐辞>
私は四十年ぶりに平壌にやって来ました。そして、平壌が世界的都市として美しくつくられているのを見て、とても驚きました。あの清くて青い大同江(テドンガン)の水が、「今までどこに行っていたのか」と私を歓迎してくれているかのようでした。私は北朝鮮の約二千万人の同胞を本当に愛しています。「血は水よりも濃い」と言います。私たちは同じ血統を引いた歴史的兄弟姉妹です。
親愛なる北の兄弟姉妹の皆様。家族たちと会った瞬間、私は喜びと同時に胸が引き裂かれるような痛みを感じざるを得ませんでした。愛する人たちが南と北に別れ、きょうも出会いの喜びを分かち合うことのできない一千万人の同胞たちがおり、多くの人たちは、永遠に再会の機会を得ることがないまま、死に別れるしかないということを考えるとき、民族分断の悲劇は一日も早く終結しなければならないことを、きょうほど痛切に感じたことはありません。
我が民族は単一民族として悠久なる歴史において輝かしい文化を誇ってきました。しかし不幸なことに、我が民族は外部の意思によって強要された分断四十六年を生きてこなければなりませんでした。
これからは、二度と外部の勢力によって民族の運命が左右されることがあってはいけません。しかし、神様が守ってくださり、今では統一の時が近づいています。統一は民族の宿命であり、私たちの時代の課題です。私たちの時代に祖国の統一を実現できないならば、私たちは、先祖や子孫に永遠に頭を上げることができないでしょう。
七千万同胞が対話と和解で大同団結し、今回の出会いを契機として万難を克服し、統一のその日に向かって躍進していかなければなりません。そのために私たちは協力しなければなりません。祖国の経済復興も共に成し遂げなければなりません。私は祖国統一のために身命を捧げる覚悟ができている人間です。私が、ここの同胞たちのために何をするかは、金日成主席と金正日秘書の構想を聞いて決定しようと思います。
このたびの私の北朝鮮訪問が還故郷の意義深いものであることは言うまでもありませんが、この歴史的な機会に金主席にお会いし、直接感謝の言葉をお伝えし、民族の団結と祖国統一の聖業に関して深く話し合う機会があることを切に願う次第です。
最後に、祖国統一に向かって私たちが共に総進軍することを誓い、祝杯を挙げましょう。ありがとうございました。
<歓送晩餐辞>
尊敬する尹基福(ユンギボク)委員長、そして尊敬する金達玄(キムダルヒョン)副総理、また今夜この場にお越しになった北朝鮮同胞の皆様。私は去る十一月三十日、夢にまで思い描いた故郷の地、北朝鮮にやってまいりました。これはもっぱら金日成主席の温かい御配慮があったからこそ可能だったと思います。私は北朝鮮に滞在中、歴史も深い、美しく建設された平壌はもちろん、名実共に世界一の名山である金剛山も生まれて初めて鑑賞し、四十八年ぶりに私の故郷、定州も訪れる機会をもつことができました。
故郷を訪ねてみると、私の生まれ育った家が七十二年も過ぎた今日まで、そのまま保存されており、家族や親戚たちが四十二人も集まり、私たち一行を歓迎してくれました。年を取れば取るほど、遠く離れていれば離れているほど、行ってみたくなる所、会ってみたくなる人たちのいる所が故郷です。私はその故郷に来たのです。しかし私は、家族と会った瞬間、喜びと同時に胸が引き裂かれるような痛みを覚えました。それは、今日、私と同じように幸福になれないでいる一千万人の離散家族たちのことを思ったからです。
私も、もはや七十歳を超えていますが、私のような高齢者たちは、愛する人たちと会うこともできず、近いうちにこの世を去らなければならなくなるでしょう。このような悲劇がどこにあるでしょうか。
ところが、思いがけず、金日成主席の温かい人道主義的な御配慮によって、悲惨な離散家族たちが再会できる希望が生まれました。来年から離散家族が再会できる制度を設けることを約束したのです。
皆様。私にとって南に持って帰る贈り物で、これ以上良いものはありません。離散家族再会のこの知らせは、南の約四千万人の血を沸き立てるでしょう。南では、にわかに金日成主席の徳望に感謝して敬うようになるでしょう。
私はきょう、金日成主席と長時間にわたって会談する機会を得たことを、光栄の至りと存じます。もちろん、人それぞれ意見や見解の差はあるのは事実ですが、寛大で温かく、徹頭徹尾民族を愛されるその愛国精神は、私に大きな感銘を与えてくれました。私は今回、金主席にお会いし、直接感謝の気持ちを伝える機会をもつことができ、私にとってこれ以上の幸せはありません。
皆様。私は今回、八日間の故郷訪問中、国賓として手厚いおもてなしを受けました。尹基福委員長、そして金達玄副総理、その他私たち一行のために御苦労された方々に、熱い感謝を捧げます。皆様は真心をもって私をもてなしてくれました。私も心から北朝鮮同胞の皆様を愛しております。
私は今まで、統一の原動力は真の愛であると強調してきました。私は今回、北と南の間に真の愛の絆が結ばれたことを経験しました。
私は、最初にここに来たとき、「血は水よりも濃い」ということを強調しました。今、この地を離れるに当たり、民族をつなぐ愛が永遠であることをお祈りいたします。そして、ここを発つに当たって一言申し上げたいのは「愛は血よりも濃い」ということです。
皆様。昨日、尹基福委員長と私は共同声明を発表いたしました。そこにおいて私たちの祖国統一は、外勢の介入や干渉なく、自主的に対話と交渉を通して、平和的に実現しなければならないことで意見が一致しました。
また私たちは、我が民族が二度と戦争の惨禍を被ることがないように、南と北が相互不可侵に合意し、核エネルギーは、ただ平和的目的にのみ利用し、韓半島においては、核兵器の製造や配置があってはならないと主張しました。このような北朝鮮の平和的な真意を曲解する人がどこにいるでしょうか。また私たちは、北朝鮮に向けた海外同胞たちの経済的投資を歓迎し、私は北朝鮮当局が推進している経済事業に、様々な形で投入していく用意があることを披瀝しました。
私は、北朝鮮の豊かな資源と訓練された労働力と賢明な知恵、それに世界的な技術と資本が合わされば、二十一世紀の経済的奇跡は、正にここ北朝鮮の地で起こるという事実に微塵の疑いもありません。これはまた、統一に向かう偉大な建設なのです。
皆様。結論として、私は、北朝鮮訪問を通して受けた、熱い感激を胸に抱いてここを発ちます。統一への熱望はより一層熱くなり、統一の可能性は目に見え始めました。私たちは共に和解し、理解し、愛し合い、そして一致団結して、私たちの宿願である祖国統一の日を一日でも早めていきましょう。最後に、尊敬する金日成主席と金正日秘書の御安泰をお祈りしつつ、祝杯を挙げましょう。ありがとうございました。
11.真の父母様北京到着の談話文
平和経 第八篇
韓半島統一と世界平和
11.真の父母様北京到着の談話文
日付:一九九一年十二月七日
場所:中国、北京空港
行事:北朝鮮訪問後の北京到着談話文
私は今回、妻と共に北朝鮮政府の招請を受けて、平壌を訪問することになりました。これは、私が北朝鮮を最後に離れた一九五〇年十二月から、満四十年と十一カ月ぶりに実現した歴史的機会でした。
私は、北朝鮮に対して恨が多いと言えば誰よりも多い人間です。私は、宗教指導者であることと一貫した反共の信念のため、北朝鮮政権から到底語ることのできない迫害を受けた者です。また、到底形容できない拷問を受けながら、三年近く興南で監獄生活をする中で、多くの罪なき囚人たちが死んでいくのを見ました。私が今日、健在なのは一つの驚くべき奇跡であり、ただ神様の特別な加護と恩賜によるものであると思います。しかし今回、私は統一教会の創始者として、真の愛の精神で北朝鮮に行ってきました。真の愛というのは「愛することができないものまでも愛する精神」です。ですから、イエス様も「汝の敵を愛せよ」とおっしゃったのではないかと思います。
平壌に入っていく私の心情は、秋の空のように晴れ渡ったものでした。怨讐の家に行くのではなく、私の故郷、私の兄弟の家に行くようでした。「許せ、愛せ、団結せよ!」という私の終生の信条をもって北朝鮮の地を踏みました。
また、私が過去四十年の東西冷戦時代に、世界の誰よりも徹底した反共主義者であり、「国際勝共連合」の創始者として一生を勝共闘争に捧げてきたことは、世界中の知るところです。しかし、私の勝共思想は共産主義者を葬る思想ではなく、彼らを生かす思想、すなわち人類救援の思想です。私はベルリンの壁の崩壊以後、共産国家が崩れると、すぐに彼らに新しい価値観を教育し、それらの国を生かしていくことに全力を尽くしてきました。特にソ連と東欧のみならず、新生民主主義国家の政治家、知識人、教授、大学生たち数千人が、私の招待でアメリカと日本に来て、真の民主主義を学び、「神主義」と「頭翼思想」に感銘を受けて帰り、進んで自分の国を活かす運動の先頭に立っていることは、既に広く知られている事実です。冷戦時代の終焉とともに到来した平和の運勢を世界的に拡散させるために、私は「世界平和連合」を創設し、国際的な平和運動を主導しているのも、私の信念の所産なのです。
私は北朝鮮で、離れていた家族と会った瞬間、喜びと同時に胸が張り裂けるような痛みを感じました。それは、愛する人たちが南と北に別れて、きょうも再会の喜びをもつことができずにいる数多くの同胞たちを思い起こしたからです。そのうちの多くの人は、永遠にその機会をもてずに死別してしまうしかないことを考えたとき、我が民族の分断と離散の悲劇を一日も早く終結させなければならないと骨身にしみて自覚させられました。そして、このたび金日成主席との会談で、私は南北離散家族相互訪問問題を前向きに解決していく努力をしてくれるよう要請しました。しかし、共産主義問題を解決し、世界平和を実現することは、ただ理念的な対立の解決や教育だけでは達成できないと考えます。世界を生かすには経済的支援も非常に重要なことだからです。ですから、私は既に中国に二億五千万ドルを投入して、「パンダ自動車工業都市」を建設しているのです。
私が北朝鮮を見る視点も同じです。一つ違うことは、北朝鮮は他人の国ではなく、私の同族の国であり、私と血統を同じくする兄弟姉妹だという点です。「血は水よりも濃い」と言います。私は北朝鮮の二千万同胞を私の兄弟姉妹として愛しています。熱い心で彼らを愛しています。しかし、我が民族の宿願である祖国統一は、政治的、経済的、軍事的方法だけでは成し遂げられません。それよりも先行しなければならない基本要件があります。真の愛を原動力とした政治、経済、軍事問題の関係改善が統一の土台にならなければならないという点です。真の愛というのは、父母の愛のような無条件の愛です。そして、隣人のために自分の生命をちりのように捨てることのできる犠牲精神がすなわち真の愛です。そのような意味で、私は北朝鮮との経済協力および交流を広げ、経済開発事業に積極的に参与する意思があることを表明しました。
私は今回、「平和の使徒」として平壌に入城しました。私は、どんなことがあっても、この韓半島に再び同族同士の戦争を自ら招くことがあってはならないという固い信念をもっています。その意味で最近、アメリカの朝野で持ち上がっている北朝鮮の核施設空襲論は極めて危険な発想です。北朝鮮はイラクではありません。これは、全面戦争を引き起こすことは明らかであり、その恐るべき結果は誰も予測できません。アメリカは、韓国国民の生存権を脅かすことに対して、何よりも慎重に判断することを願います。
北朝鮮との核問題については、平和的に解決できると私は考えます。相互に尊重する真の対話を通して、必ず平和的に解決しなければなりません。私はその対話の道を開こうと平壌に行ったのです。そして、対話を通して平和的に解決しようとする使命感でその道を大きく開いて帰ってきました。私は、今回の北朝鮮訪問の成果が、大韓民国政府と北朝鮮当局者間の発展的な対話と交流を増進させていく良き契機となることを心から願う気持ちで、北朝鮮を訪問したのであり、今やそれが成功裏に成し遂げられるという確信をもつに至りました。
今日、私たちの課題は祖国統一です。これは私たちの宿命であり、私たちが生涯をかけて成し遂げなければならない終生の聖業です。私は、今まで神様のみ旨に従って統一の聖業を成し遂げる一念で生き、残りの人生もひたすら神様のみ旨を成し遂げる一念で生きていくつもりです。統一を念願する韓国と北朝鮮七千万同胞のすべてが、これから葛藤と闘争を終息させ、和解と愛で、民族の同質性を回復する事に、民族を挙げて取り組んでくださることを願う次第です。「銃や刀を溶かして、すきとくわを作る」時が今であると考え、統一祖国の明るい新世紀を迎える準備を急がなければなりません。
12.韓国統一と世界平和
平和経 第八篇
韓半島統一と世界平和
12.韓国統一と世界平和
日付:一九九二年八月二十二日
場所:韓国、ソウル、ロッテホテル
行事:第五回「世界平和のための頂上会議」
尊敬する元現職の大統領、国家元首と首相の皆様、ならびに各界からお集まりの世界の指導者の皆様。きょう私は、「世界文化体育大典」の一環として開催される第五回「世界平和のための頂上会議」の開幕を心からお祝い申し上げます。
また「韓国統一と世界平和」を大きな主題とする今回の会議に参加するために、世界各国から私の祖国を訪ねてこられた、たくさんの指導者の皆様に熱い感謝を捧げます。
今日の世界問題は、あらゆる多様な分野が相互複合的に連結されていることがその特徴です。したがって今回、「世界文化体育大典」という名のもとに、思想や政治分野をはじめとする学術、宗教、言論、科学、芸術など、すべての文化的分野の世界問題を幅広く一つ所で扱うようになったことは、世界平和の真の道を模索する上で画期的な貢献となるだろうと思います。
さらに今回の会議は、体育オリンピックと共に開催され、人間社会の精神的な面と肉体的な面を、均衡を保ちつつ発展させる方向性を提示する意義をもっています。
特に世界百三十ヵ国から、国籍と人種を超越して三万組の善男善女たちが集まる中で挙行される、歴史上最大規模の合同祝福結婚式は、二十一世紀とともに新しい歴史時代を迎える世界人類が、神様を中心に互いに和合することによって世界平和を実現する、平和の大道を見せてくれる壮挙になるでしょう。
過ぎ去った人類の歴史を振り返ってみると、一瞬たりともこの地上に真の自由と平和と幸福が実現された日はありませんでした。実際に、経済的平等という理念のもと、「人類を搾取から解放する」と言った共産主義は、むしろ闘争と貧困の凄惨な結果ばかりをもたらしました。
そればかりでなく、自由の理想を前面に立てて共産主義と対決してきた自由民主主義も、結局は、甚だしい利己主義と道徳的価値観の崩壊の中で呻吟しているという事実を、私たちは目撃しているのです。戦争の砲煙がこの地球上から消えるどころか、かえって一層激烈な葛藤と混沌ばかりが横行し、未来の世界を暗くしています。
しかし人類は、自ら経験してきた数多くの試練や苦痛に対して、誰も恨むことはできません。なぜならば、人間自らが、歴史の背後から人類を摂理してこられた神様の理想と目的を完全に排除したまま、人間のみを中心とした思想体系を立ててきたからです。
たとえ神学的な思考が時折考慮されたことはあったとしても、神様の根本的なみ旨と理念をはっきりと知らないまま、歴史の究極的な方向に対して、皮相的な観察ばかりが行われてきたからです。
したがって、未来の新しい理念は、人間に対する神様のみ旨と理想をはっきりと究明するだけではなく、神様と人間の関係を明確にできなければなりません。
本来人間の心と体は、神様の真の愛を中心として、完全な一つの統一体を形成すようになっています。そして、このように神様の真の愛で心と体が一つになった男性と女性が、神様の真の愛を中心として出会い、夫と妻として一つの家庭を完成するようになれば、その家庭は、神様の真の愛を中心として一体となることによって、真の自由と平和と幸福の根源地になるのです。
神様の真の愛は、相対のために無限に与えようとするものです。愛の心をもつ父母は、自分の子が自分たちよりも立派になってくれることを願うので、子女のために多くのものを与えては、またもっと多くのものを与えようとするのです。愛する夫と妻もまた、相手が自分よりも優れた人になることを願うので、相手のために投入してはまた投入して、それを忘れるのです。
このように真の愛の特性は、相手のために投入してはまた投入しようとするところから、その作用が誘発され始めるのです。神様は、このように人間のために与える真の愛の主体的な立場にいらっしゃり、与えてはまた与える愛の本性がその作用を継続させることによって永存されるのです。人間は、神様のみ前に永遠の愛の対象として立ち、神様と共に永遠に愛を受けては返す、愛の一体関係をつくることが、神様のみ旨であり、人間の理想でした。
このように、神様と人間が真の愛を中心として、その理想の統一点を共有するようになるとき、初めて人間は、真の自由と平和と幸福を享受するようになるのです。このような原理は、一人の個人だけでなく、家庭と社会と国家、そして世界に至るまで共通の平和の原理として適用されるのです。このように人類は、神様の真の愛を中心として、神様と統一体の理想を成し遂げていかなければなりませんでした。それが人類歴史の根本的な方向だったのです。
しかし人類歴史は、このような神様の方向と一致した道を歩んでくることができませんでした。それは正に人間の堕落のゆえです。人類歴史を通して、誰一人として、神様の真の愛を中心とした一体になった夫と妻になれなかったのであり、したがって、神様の真の愛に基づく真の父母の理想を成し遂げることができなかったのです。
反対に人類は、悪魔を中心とした結婚生活を通して、偽りの愛と生命と血統を受け継いできたので、これを清算して、神様の本然の愛と生命と血統を再び取り戻すために、真の父母として来られるメシヤを待ち望み、準備してこざるを得なかったのです。人類歴史が初めからこのような神様の理想的方向と一致していたならば、人類は、幾重にも分かれて互いに争い、葛藤と搾取と抑圧によって屈折した、そのような姿を見せることはなかったはずです。真の愛を中心とした真の父母、真の家庭、そして真の社会と国家と世界の統一的歴史をつくってきたはずなのです。
分断された韓国と北朝鮮を一つに統一する根本原則は、神様の真の愛を通して心と体が一つになった真の個人と真の家庭を完成するときに初めて可能なのです。さらにこの原則は、取りも直さず、世界が真の自由と平和と幸福を実現するための平和の原則にも拡大できるのです。
ですから、韓半島の統一は、未来の統一された一つの世界、さらに神様と人間までも一つにできる重要な契機をつくるものなのです。
きょう「韓国統一と世界平和」について議論する、ここ韓半島は、人類歴史を通じて葛藤してきた神本主義であるヘブライズムと人本主義であるヘレニズムの二つの思潮が、自由民主主義と共産主義という名のもとに鋭く対峙する、理念的対立の歴史的現場です。ですから、韓半島での理念的な分断克服は、すなわち統一された一つの世界を指向する理念的指標になるでしょう。
一九五〇年に勃発した韓国動乱は、第二次世界大戦後、全世界が米ソ両国を中心とする冷戦時代に突入する最も具体的な始発点でもありましたが、実に韓国動乱は、世界の民主陣営と共産陣営が鋭く対立する縮小版として、歴史の二つの系統となってきた神様の勢力と悪魔の勢力が対決する最前線だったのです。
このような観点から考えてみるとき、韓国動乱は、世界の善側を代表して悪魔の勢力と戦った聖戦とならざるを得なかったのです。今、冷戦時代の始発地域である韓半島が統一されなければ、本当の冷戦時代の終息は期待できません。
去る一九八八年にソウルで開催された第二十四回オリンピックがもつ意味は、大変大きなものです。十二年間も米ソ両陣営が互いにボィコットしたオリンピックに、初めて東西の両陣営が共に参加し、東西和合の始発点がつくられました。また類例なく世界から百六十ヵ国の国々が参加し、全世界の和合の象徴になったりもしました。
そしてこのオリンピックは、世界を健全なものにするには、肉体的な面だけではなく、精神文化的な面での発展がより一層重要だという認識をもたらす契機にもなりました。
そうして私は、八八年のソウルオリンピックの幕が下りると同時に、全人類の精神と肉体の両面を、均衡を保ちつつ啓発させることのできる、新しい次元の人類の大祝典「世界文化体育大典」を開催するための準備に着手し始めたのです。
韓半島の葛藤は、先進国と発展途上国との間の葛藤だけではなく、東西文化の葛藤までもよく現しています。ですから、韓半島の統一は、世界平和と不可分の関係にあるだけでなく、未来の世界問題の解決に対し、重要な方向性を提示する指標になるのです。今日の世界は、霊的な大覚醒が必要な時を迎えています。
個人や国家や世界のすべてが、神様の実在に対する新たな理解だけではなく、神様と人間が再び出会い、切っても切れない本然の関係を再び取り戻さなければなりません。このために私が提唱したのが、真の愛を中心とする「神主義」なのです。この「神主義」は、左翼でもなく、右翼でもない「頭翼思想」と呼ばれています。
私は、真の父母の使命を引き継いだのち、この「神主義」を通して世界平和を実現するために、あらゆる受難と試練を経験してきました。この「神主義」は人々に、人類歴史を通して人本主義に押し出され、物本主義によって忘れ去られた神様を再び探し出させ、神様と人間が共に出会う一致点を教えています。
無神論の本山として知られている旧ソ連でも、既に数万人の政治指導者、学者、宗教人などが、四泊五日の修練会を通して、「神主義」を悟り、新しい霊的ルネサンス運動に拍車を掛けています。
神様と人間が出会って一つになる場は、正に真の愛の場です。真の愛の中で、人間は神様に会い、永生を追求できるようになることによって、すべての世界問題を克服できるのです。すなわち、自分を犠牲にして、他のために生きる真の愛を通して、人種間の対決や、暴力、貧富の葛藤、環境破壊などに関する解決点を見いだすことができるのです。そして、真の愛を中心として一つになった家庭は、永遠と連結されるので、倫理、道徳の腐敗や青少年の堕落を防止できるのです。
二十一世紀の新しい歴史は、神様と人間が真の愛を中心として再び一体化するところから、その出発の起点を探し出さなければなりません。個人や家庭、社会、国家、世界のすべてが、真の愛の中で一つになるとき、人類は明るい未来が約束されるのです。
尊敬する世界の指導者の皆様。今日の時代は、既に政治、経済、文化などすベての面で国境を越えた超国家主義時代に差し掛かっています。これまで皆様が責任を負い、奉仕してきた国家単位の時代は過ぎ去り、これからは世界が一つに協力しなければならない新しい世界の舞台が開かれつつあるのです。
今日のこの世界はわずか何人にもならない小数の指導者たちによって、影響を受けて導かれています。この場にお集まりの皆様すべてが団結して、世界の人類を導く小数の指導者を教育し結束させるために先頭に立つ人になるならば、世界の未来は、皆様の手に委ねられるでしょう。
平和世界の達成は、すぐ目の前に見えています。二泊三日の皆様の会議が成功裏に行われ、人類の未来に新しい里程標がつくられることを願います。皆様のすべてに神様の加護が共にあることをお祈りします。ありがとうございました。
13.世界と南北の統一は真の愛で
平和経 第八篇
韓半島統一と世界平和
13.世界と南北の統一は真の愛で
日付:二〇〇〇年二月十日
場所:韓国、ソウル、オリンピック公園体操競技場
行事:「二〇〇〇世界文化体育大典」開会式および真の父母様御聖誕八十周年記念式
世界と南北の統一を熱望する内外の貴賓、そして紳士淑女の皆様。今、正に始まった新千年紀は、分裂と葛藤の前世紀の遺物が清算され、和解と統一の地球村、一つの家族の理想が実現される時です。皆様の各家庭に、新千年紀の祝福が共にあることをお祈りいたします。
初めに、私の八十歳の誕生日を祝賀してくださるために、世界と全国の各地からお越しくださった皆様に心から感謝申し上げます。何よりも、この日まで見守ってくださり、共にあってくださった神様に、このすベての栄光をお返しいたします。私の過去の生涯を振り返ってみるとき、一時も平坦な時期はありませんでした。韓半島を取りまく列強の狭間で、あらゆる苦難の道を歩んできた民族の受難史とともに歩んできました。私は、十六歳(数え)の少年時代に、祈祷をしている最中、突如として天のみ旨に接し、それから生涯を通して神様のみ旨を成就するために、全身全霊を尽くしてきました。その中で、人間の不幸の根本原因は、人類始祖が堕落することによって霊的無知に陥り、神様との関係が断絶された結果だったということを知りました。それによって私たち人間は、神様と人生、そして宇宙の根本問題などについて無知に陥ってしまったのです。
これまで私は、世界各地の公式の場で、一万回以上にわたり、み言を通して「神主義」に立脚した真の人生観、世界観、歴史観を提示してきました。これは、世界十二ヵ国の言語に翻訳され、既に三百巻以上の書籍として出版されています。これは、文献による総合的な研究や、学問的な探求の結果として解明されたものではなく、有形と無形の世界を自由に行き来しながら、原理的で根本的な答えを説き明かしてきたものです。きょう私は、この意義深い場を感謝しながら、我が民族の宿願であり、世界の冷戦の最後の決算と言える韓半島の統一問題を念頭に置いて、その方案に対する根本的な解答として「世界と南北の統一は真の愛で」という題目で、お話ししようと思います。
我が国の統一は、単に国土の統一だけでなく、これは、堕落によって分かれた人間の心と体の統一問題から始まり、東西の二大世界に分かれた全世界の統一のためのモデル的路程です。したがって、この問題は、神様の救援摂理史的な側面から理解しなければならない事案であり、したがって、摂理的な次元で解いていかなければならないのです。人類歴史は、人間始祖が堕落によって失ってしまった本然の世界を、再び取り戻すための蕩減復帰の摂理歴史です。ですから、歴史は、神様の創造理想の実現を目標とした、サタン側と天側との間で起こる善悪闘争の歴史なのです。
歴史の背後ではいつも、善の側には善霊が協助し、悪の側には悪霊が協助してきました。人間の堕落によって始まった分裂の歴史は、家庭、氏族、民族、国家、世界へと範囲を拡大しながら、結果的に人本主義と神本主義の根幹となった無神論と有神論の対決として現れたのです。
二千年前、ユダヤ民族がイエス様を受け入れていれば、イエス様はユダヤ教を基盤として、ユダヤの氏族と民族を統一し、十二支派の子孫たちが住んでいたアラブ圏を統一していたでしょう。さらに、イエス様の思想が中東地域とインド地域を経て極東にまで伝播され、一方では、ローマ帝国と全ヨーロッパを掌握し、イエス様の時代に統一された一つの世界が成し遂げられていたでしょう。最終的には、イエス様を中心として一つの新しい宗教文化圏を形成し、万王の王にならなければならなかったのです。しかし、イエス様が十字架にかけられたのち、外的な肉身を中心とした文化圏である人本主義のへレニズムが先に発達し、ローマの中心文化を形成しました。
一方、内的な心の文化圏である神本主義のヘブライズムを代表するキリスト教は、四百年の間、ローマからあらゆる迫害を受けたのです。
人間始祖の堕落によって分かれた善と悪の闘争歴史の背後で、サタンは今、何を狙っているのでしょうか。神様をはっきりと狙っています。永遠、不変、絶対、唯一であられる神様が、太初に理想とされた基準も、永遠、不変、絶対、唯一でなければなりません。サタンはそのような神様の絶対的なみ旨を破壊しようとするのです。
神様にお尋ねしてみれば、神様は、その事実を認められるでしょう。サタンが神様に、「神様!最初に、私を天使長として立てられたときには、一時的な愛で立てられましたか。それとも、永遠の愛のために立てられましたか」と質問するならば、神様はどのように答えられるでしょうか。神様は、「永遠に愛するために立てた」と語られるでしょう。一時的な愛で立てたとするならば、一時的な愛の神様となります。永遠に愛するという基準をもたなければ、いつかは、サタンの前に神様の権限を行使できなくなるのです。ですから、神様は、サタンがどんなに反対しても、彼を愛したという条件を立てざるを得ないというのです。
それで、神様は悪に対しては「無抵抗主義者」なのです。それはどうしてでしょうか。神様は、この地球上に天国理想の世界を成就する時まで、いかなる環境の中でも、堕落してサタンになった天使長を愛さなければなりません。神様は、サタンがいくら暴れ回ったとしても、罰したり、打ったりすることができないのです。いかなる状況でも愛したという条件と基準を立て、サタン自身が「ああ、本当に神様は神様であられます。降服します」と告白しない限りは、神様は、完全な勝利を果たすことができません。それが問題なのです。神様がそのようにサタンを愛することによって屈服させることが、復帰原理的な道であるならば、神様の子女である私たちも、その道を歩まなければなりません。世界的に迫害を受けても、世界的な怨讐圏に立っても、彼らを愛したという条件を立てなければなりません。このような側面から、悪を自然屈伏させようとする神様の戦法は「怨讐を愛せよ!」というものでした。言葉は簡単ですが、今までこれが神様とサタンの間で勝敗を分ける境界線となってきたことを誰も知りませんでした。
神様がサタンを敵や怨讐とみなし、彼に対して復讐しようという思想をもったとすれば、絶対に勝利の絶頂を占有することはできません。反対に神様は、「怨讐を愛せよ!」と言って、愛の作戦を展開してきました。神様のひとり子であるイエス様は、サタンが役事(働き)して自分の命を奪おうとする怨讐に対して、「彼らを赦し給え」と祈ったことは偉大なことです。もしイエス様が十字架で死んでいかれながら、怨讐に対して敵愾心を抱いたならば、摂理は逆転していたでしょう。福を祈る、愛する心をもって死を克服したので、サタンが自然屈伏したのです。
永遠に、神様の子女として残ることができる資格が、そこで生じたのです。サタンもこれを是認し、「あなたは、本当に神様の息子である」とサインするのです。ですから皆様も、神様のみ前で、「サタンよ、私は神様の息子であることに間違いないだろう」と問えば、「はい、間違いありません」と答え、それだけではなく、「神様の息子として相対圏を拡大していくであろう。個人から家庭、氏族、民族、国家、世界圏に拡大するのに異議はないだろう」と言えば、「はい、それは原理と原則なので、仕方がありません」と答えるように行動しなければならないのです。
神様は、このような条件に従って、キリスト教文化圏を中心として摂理を推進してきました。犠牲の道、殉教の場、血まみれの境地においても、神様を愛し、怨讐までも愛する運動を展開してきたのです。私たちは、家庭、社会、国家、世界においても、この運動を展開しなければなりません。キリスト教の愛の精神によって、激しく迫害を加えてきたローマ帝国が屈服しました。キリスト教は、そのようにして世界的な宗教になりました。これまで、クリスチャンは、個人的な怨讐だけを考えてきたのですが、そうではありません。怨讐国家や、さらには怨讐世界も愛さなければなりません。
怨讐国家の中心に天国の出発点があるので、そこに真の愛の伝統基盤をつくって出発しなければ、地上天国は成し遂げられません。このようにして、伝統が立てられれば、これ以上の思想、これ以上の消化すべき主義は生じません。韓国が日本帝国主義治下にあったとき、韓国を含めた日本、ドイツ、アメリカの主要摂理四大国家は、互いが怨讐の関係でした。その当時の状況では、日本と韓国が怨讐同士であり、日本とアメリカが怨讐同士であり、アメリカとドイツが怨讐同士だったのです。
私は、このような怨讐関係にあった日本人とドイツ人をアメリカに連れていき、「アメリカが神様を無視して失ってしまえば、滅びて死んでしまうので、アメリカを活かさなければならない」と言って、真の愛の道理を実践しました。日本人やドイツ人に、「敵対関係のアメリカを、自分の祖国を愛する以上に愛する伝統を立てなければ、天の願う新しい世界理念を立てることができない」と強調し、真の愛の伝統を教えたのです。
怨讐の関係である国家を、自分の祖国以上に愛する基盤と伝統を築かない限り、この地上に天国は顕現できません。このような歴史的伝統の樹立は、神様の真の愛の中でのみ可能なのです。
私は、アメリカ連邦政府から屈辱を受けながら、罪なく法廷に立ったとき、アメリカの未来を心配しながら保守紙「ワシントンタイムズ」を発行したり、放送局を設立させたりするなど、むしろアメリカのために、あらゆる努力を尽くしたのです。近来では、共産主義の没落以降、ロシアと中国の未来を心配し、数十種類に及ぶ各種の教材を出版して、青少年を中心とした倫理教育に多くの支援をしています。
皆様。日帝治下において反日地下運動をした私にとって、日本民族は怨讐でした。民族的にはもちろんのこと、個人的にも怨讐でした。しかし、日本が敗戦したのち、私は日本人を愛しました。地下独立運動をしたかどで私を引っ張っていき、激しい拷問をした日本の警察官たちは、私の一言で処刑される運命だったのですが、反対に追われている彼らを安全に日本に送ってあげたのです。今日、日本の多くの若者たちが、なぜ私に命を懸けて忠誠を尽くしているのか分かりますか。因果の法則に従って、報いなければならない原則があるからです。それは、国家を超越し、神様の心情的なみ旨に従って、世界に向かって真の愛を植えたからです。国家的な怨讐を愛しながら生きる道に導く心情的な基盤を植えたので、彼らは我知らず天命に従っているのです。
私は、日帝治下において、当時の日本にも恨みがありました。しかし、日本は既に敗者でした。天は、滅びた者をさらに打つことはしません。自分の罪を自白して、謝罪する人に対しては、哀れみをもって対するのです。そのような天であるので、敗者に向かって再度打つならば、打った者の子孫が滅びるのです。アメリカもまた、私を敵対視していた国家です。しかし私は、道徳的に塗炭の苦しみに陥ったアメリカを救うため、父母、兄弟をあとにして、祖国を振り返ることなく、カイン世界を救うために、私に属しているすべてのものを捨てました。
また、キリスト教会が統一教会をどれほど憎んだことでしょうか。しかし、怨讐のように闘ってはいけません。互いに愛で和合しなければならないのです。二つが和合し、大韓民国を天のみ旨の前に立てて、北朝鮮を消化しなければなりません。解放直後に、既成教会と統一教会が一つになっていたならば、すべてが解決されていたのです。しかし、そのようにならなかったので、私たちが行く道の前には、個人的、家庭的、氏族的、民族的、国家的な怨讐などと対峙してきながらも、闘わない条件を立てるために、限りない犠牲を払いながら、受難の道を克服してきたのです。
内外の貴賓の皆様。既に北朝鮮の人たちは、全国民が金日成主席の主体思想で武装をしています。私たちは、彼らを消化できる神様の真の愛を中心とした思想で武装しなければなりません。
北朝鮮は、ソビエト連邦から来た冷たい風が吹きつける北方文明です。私たちは、温帯圏の文明で、彼ら自身を溶かすことができるような作戦を取らなければ、互いが滅びるのです。ですから、私たちは、徹頭徹尾、真の愛の思想武装をしなければなりません。私たちの思想は、個人の欲望のためのものではなく、世界人類を救うためのものです。自分を中心としたものではありません。より大きなもののために生きようという思想です。しかし、共産主義者たちは、共産党員の何人かの幹部を中心として物事を進めようとします。それで彼らは、自分の敵が現れれば、除去してしまうのです。
私たちは、そうではありません。「相対的環境と和合し、一つとなって、より高い次元の相対的基準を結ぼう。すなわち、カインとアベルが一つとなって、より高い父母を迎えよう!」という思想です。言い換えれば、生活的に感服させ、人生観や人格的な基準を中心として、共産主義の思想で武装した彼らを凌駕できる私たちにならなければなりません。
私たちが彼らに影響を与える環境をもたなければ、カイン国家を復帰することができません。カイン国家を復帰できなければ、天の国を中心とした世界的な国になる復帰の国家が成立しないのです。したがって、韓国と北朝鮮は分断されましたが、北朝鮮と闘わずして解放しようというのです。お互いが利益となる愛を探し求めなければならないのです。皆様。現在、南と北の方向が食い違っています。方向が異なった立場で、一方は南に、もう一方は北に行こうとする、二つの分かれ道があるのですが、その目的が異なっているのです。どのように統一されるかという問題について見るとき深刻です。その主体的な使命は誰がしなければならないでしょうか。
それを韓国が主導するようになれば、北朝鮮が反対し、北朝鮮が主導するようになれば、韓国が反対するでしょう。互いが「自分のいうとおりにしよう!」と言うときには、統一されないのです。自分自体に固執する立場からは、必ずまた決裂するでしょう。これをどのように克服するのかということが問題です。問題は、韓国を愛する以上に北朝鮮を愛する人が韓国に現れなければならないということです。同様に、北朝鮮を愛する以上に韓国を愛する人が北朝鮮に現れればよいのです。それ以外に、模索方案、解決方案がありません。韓国の誰よりも相手の国を愛する人、北朝鮮の誰よりも相手の国を愛する人、そのように一つの道を行く人がいるというとき、そこから超国家的な統一方案が出てくるのです。どんなに考えても、それ以外に道があるでしょうか。
それでは、これをどのように実践するかが問題です。それは、北朝鮮の人よりも苦労し、韓国の人よりも苦労することです。このような苦労の中で立てられた超民族的な愛国心が南北を生かす近道であり、解決の方案なのです。
悪の世界と善の世界を統一するのも、やはり同じです。これまで、私たちの先祖が立てた忠臣の道理以上の忠節を主張できる人が現れてこそ、決裂した歴史を収拾できるのです。そのような意味から見るとき、イエス様は偉大でした。ユダヤ民族が不信し、十字架の道を行かざるを得ない状況に立たされたとき、神様のため、イスラエル民族のための道は、神様のために死に、イスラエル民族のために死ぬ以外にはないと考えたのです。それが十字架の道理です。
人類を愛することにおいて、有史以来、誰よりも人類を愛し、神様を愛することにおいて、有史以来、誰よりも愛したので、滅びる歴史がそこから新しい方向を取り、より次元の高い善の目的の世界へと進むようになったのです。それがキリスト教文化圏です。それは歴史的な事実です。
ですから、南北を統一できる方案は、南と北のために死ぬことができる群れになる道しかありません。それ以外に、統一できる道はありません。心から一緒に暮らしたいという心がなければならないのです。人間はどのように生きるのか、あるいは私たちの人生航路はどのように行くべきか、ということを念頭において見るとき、その骨子を要約すれば、孝子が行く道、忠臣が行く道、聖人が行く道、聖子が行く道の根本があるはずです。一つになって永遠に一緒にいたいと思い、一緒に暮らしたいと思う心です。上下を問わず、一緒にいたいと思い、前後左右、昼夜を超越し、生涯を越えて、一緒に暮らしたいという思いに徹した人生のことではないでしょうか。このような結論が出てくるのです。
「一緒に暮らしたい!」という、その内幕の共通分母は何でしょうか。それは権力ではありません。権力は、歴史を超越できません。それは一時のものです。知識もやはり同じです。知識世界は発展するものです。知識の世界で、この学問と永遠に「一緒に暮らしたい」という思いがあるでしょうか。明らかに、私たちが共に暮らすことができるのは、知識でもなく、金銭でもありません。
このように見るとき、上下、前後、左右の区別なく、過去、現在、未来の時間性を超越した立場から、共通して認定できる一つの分母とは何でしょうか。これがすなわち、神様を中心とした真の愛です。ですから、孝子は、家庭で父母を限りなく愛して生きる人です。また愛国者は、国をこの上なく愛して生きる人であり、聖人は世界万人をこの上なく愛する人であり、聖子は人類と神様をこの上なく愛しながら生きていく人なのです。したがって、愛国者の心のように、民族と共に暮らしたいと思い、民族が困難なときには、その困難がすなわち自分のことであり、自分の痛みであり、喜びがあるとすれば、それが過ぎ去る喜びではなく、私たちすベての永遠の喜びとして残るものでなければならないと誓う、真の心情基盤が問題なのです。真の愛と心情の関係をもった人は、統一圏に同参できる特権があります。
皆様。学歴のない女性でも、博士と結婚して愛の関係を結べば、一日にして博士夫人になるでしょう。このように、共に暮らそうという情の関係をたくさんもった人は、今日、統一圏に堂々と参席できる特権があるのです。神様御自身がそのようなお方なので、一つになることができる生活内容をもてば、同参できる資格が自動的に付与されるのです。
それでは、南北統一はどこから、何をもって成し遂げるのでしょうか。力で屈服させれば、相手側の力がもっと大きくなるとき、また闘いが起こるようになります。そのやり方では、統一を成し遂げることはできません。たとえ韓国の地で暮らしていても、北朝鮮で暮らす彼らと一緒に暮らしたいという心、一つにならなければならないという心があってこそ、統一の道は開かれるのです。北朝鮮を思いながら、胸が詰まり、哀れに暮らす私たちの同胞のために涙を流し、「あなたたちの困難と共に私は生きている。解放の一日を準備し、あなたたちの前に現れるであろう」と誓いつつ、統一のための真の愛の実践運動がここに起こるならば、統一の日は遠くありません。
皆様。その最初の段階として、郷土とともにどのように生きるのかを考えてみなければなりません。自分の父母と共に暮らしたいと思わず、郷土とともに慕らしたいと思わない人が国を愛するというのは偽りです。国とともに生きてこそ、世界とともに生きるようになっています。そして、世界とともに生きてこそ、神様と生きるようになっています。ですから、郷土を愛し、その地域社会を愛してこそ、愛国も可能なのです。
政治の指導者たちは国をどれほど愛しているでしょうか。彼らに、国民と真心から一緒に暮らそうという心がないときには、そのような政治家は流れ去ってしまうのです。どんなに優れていても、水の泡のように流れ去ってしまうのです。分かれた南と北がそのまま一つになることはできません。愛国の同志たちが闘争するその過程では、夜寝ることもせず、時間を超越して、困難な環境を克服できる心の決意と実践が必要なのです。「本当に一緒に暮らしたい。死んでも共に死に、生きても共に生きたい!」という、そのような心を互いがもつようになるときに、南北統一運動が始まるのです。
南北統一を成し遂げれば、民主世界と共産世界の統一も、ここから起こるのです。ですから、韓国の問題を心配する場合は、世界を代表した立場に立って、六十億人類を代表し、三十億のアジア人を代表し、民族の将来と世界の将来を見通さなくてはいけません。
そして、「私は、あなたたちと一緒に暮らす運動を本当に展開する」と誓わなければなりません。それが聖人の道理に通じれば、聖人に似るのであり、聖子の忠節をもって神様に対して実践すれば、「神様の愛の相続者」、あるいは「み旨の後継者」になるということを、私は生涯を通して確認したので、きょう皆様にこのようなみ言を伝えているのです。
内外の貴賓の皆様。神様の真の愛を中心として互いに縁を結べば、必ず主管権と所有権、そして相続権をもつことができる特権が賦与されます。力学では、入力より出力が小さいですが、真の愛の世界では、入力よりも出力のほうが大きいのです。真の愛とは、ために生きる愛であり、与えてはそれを忘れてしまうものです。与えたことも記憶しないのです。また、どんなに注いでも、疲れることがありません。九十歳を超えた父母が、七十歳になった息子に、「息子よ、車に気をつけなさい!」と言っても、不自然ではなく、何十年間、その言葉を繰り返したとしても、嫌気が差したり、疲れたりすることがありません。
堕落した世界の父母もそうであれば、ましてや本質世界において父母なる神様の愛を与えたり受けたりするとき、疲れることがあるでしょうか。人生で、神様の真の対象圏を確定し、真の愛の栄光が不変であることを、初めて知るようになるとき、永生の論理を妥当化させることができるのです。
私が、去る一九八四年に何の罪もなくアメリカの監獄に入り、獄中のベッドに一人で横になっているとき、神様が訪ねてこられ、「信じられる人はあなたしかいないので、ニカラグアの事態を解決しなさい」と命令されました。神様が訪ねてこられる人間が、どうして私しかいないのでしょうか。先進国を代表すると言われるアメリカには、二億四千万という国民と数限りない大勢の宗教家がいるのですが、彼らを訪ねていくことができず、私を訪ねてこられた神様は、どれほど哀れであられるか、推し量ることができるはずです。神様は、強い引力の愛を訪ねようとされるので、昼夜、世界のために心配する私を訪ねてこられたのです。そのとき、私が「ワシントンタイムズ」を前面に立てて援助する仕事を展開していなければ、南米は思想的に既に廃墟になっていたでしょう。
紳士淑女の皆様。我が民族の念願である南北統一は、この時代の神様の願いでもあります。北朝鮮と韓国を統一させ、神様が安息できる基盤を、皆様の家庭と私たちの教会、そして国に築くことを天は願っているのです。
それでは、何をもって神様に侍るのでしょうか。何をもって、これをすべてきれいに洗い流さなければならないのでしょうか。何をもって洗い流せば、神様はきれいだとおっしゃるのでしょうか。ほかでもありません。自分の父と母を愛する以上、夫や妻を愛する以上、子女を愛する以上の真の愛を中心として、その環境を築き、祭物的な祭壇を築こうというその立場から、初めて理想的な南北統一が出てくるのです。理想的な東西文化の統合が起こるのです。分離した地上世界と天上世界の理想的な統一が起こるのです。地獄と天国の解放圏が開かれます。それで、真の愛の鍵が必要なのです。
私の心と体の愛による統一は、家庭的な愛の統一と常に互いに通じることができます。家庭が和合した愛の夫婦は、家族だけでなく、その氏族と国家と世界にも通じることができます。愛し合う夫婦が一つになれば、誰がそしり、踏みにじることができるでしょうか。和合した家庭、民族、国家、世界、天宙、和合した真の人間が愛を中心として神様と一体になった世界が、真の愛のユートピアではないでしょうか。すべての植物が、太陽の光を生命の要素として吸収するように、人間にとっては、愛が生命の要素となるのです。私たちの願いは、永遠に真の愛とともに、慕いながら生きることのできる地上天国や天上天国が建設されることです。しかし、この世の中に、すべてのものの主人格として登場できる驚くべき人生の価値とその特権的な権限をもった真の愛の主体者、あるいは対象者が、果たしてどれだけ存在するでしょうか。
きょう、この場に参席された皆様は、どうかこのことを忘れずに、心と体が一つになるように努力することによって、自らの夫婦同士で、より高くために生きる愛で愛し合い、家庭と民族と国家と世界を愛する真の人と家庭となることを願います。
もし、そのようになれば、南北統一は既に成就したのと同じです。どんなに強い主体思想であっても、神様の愛の中では、力なく収拾され、消滅してしまうでしょう。本当に愛する心をもつようになれば、南北統一は問題になりません。それだけでなく、東西問題や、世界的南北の貧富の格差の問題も、この神様の真の愛をもって完全に解決することができます。このような神様の理想を中心として、世界の理想を消化し、そこから国家理想を消化し、国家理想から民族、家庭、個人にまで連結できる理想が成し遂げられることによって、この地上には、真の愛の平和世界が建設されることは間違いありません。
内外の貴賓の皆様。私は、四十年以上前から、ここでお話ししたように、統一の根本原則を宣言し、国内外で「神主義」を中心とした理念運動を土台として、周辺四大強国に、統一の国際的な基盤を造成してきました。韓国と日本、そしてアメリカなどに、それぞれ数百万人を超える会員たちが、「国際勝共連合」と「カウサ(CAUSA:南北米統一連合)」の活動などを通して、民間基盤を構築してきたのです。これまで、私が主唱してきた「神主義」は、唯物論や無神論の相反する価値観の統一はもちろんのこと、世俗的人本主義を解放できる唯一の思想として、世界各国の指導者たちと思想界で検証されたものです。
南北統一を熱望する愛国同胞の皆様。私たちは共に、真の愛の「神主義」によって私たちの価値観を確立し、国民思想武装に総決起しましょう。私たち自身と韓民族、そして世界平和のために、南北統一を信仰化しましょう。そしてこの時代に、歴史と天の召命を受けて立ち上がり、南北統一運動に私たちすべてが先頭に立つ義人と指導者になりましょう。真心から一緒に暮らしたいと思う真の愛、怨讐までも愛する心で、真の愛の温風を北方の地の同胞たちに送りましょう。特に、人類歴史の始まりに、エバの失敗によって歴史が誤ったので、「終わりの日」には、女性たちが先頭に立って、真の愛の母性愛で、青少年の和解と統一の新しい歴史を創造していきましょう。
女性の使命は、子女格の青年男女および学生たちを、真の教育を通して真の子女として復帰していくことです。さらには、母と子女が一つとなって手本を示し、夫までも教育を通して真の天の息子として復帰し、真の父母に従い、神様を中心として侍り、地上天国の理想を復帰しなければなりません。いま一度、きょうのお話が、韓国と北朝鮮が共に真の愛で出会うその日を早める全国民運動となることを願いながら、お話を終えようと思います。神様の祝福が皆様と皆様の御家庭に共にあることをお祈りします。ありがとうございました。
14.神様の王子、王女が行くべき生涯路程
平和経 第八篇
韓半島統一と世界平和
14.神様の王子、王女が行くべき生涯路程
日付:二〇〇〇年三月八日
場所:韓国、全羅南道、木浦室内体育館
行事:真の父母様御聖誕八十周年祝賀南北統一前進大会
南北統一を熱望する内外の貴賓、そして紳士淑女の皆様。今正に始まった新千年紀は、分裂と葛藤の前世紀の遺物が清算され、和解と統一の地球村、一つの家族の理想が実現される時です。皆様の各家庭に、新千年紀の祝福が共にあることをお祈りいたします。
初めに、私の八十歳の誕生日を祝賀してくださるために、世界と全国の各地からお越しくださった皆様に心から感謝申し上げます。何よりも、この日まで見守ってくださり、共にいてくださった神様に、このすベての栄光をお返しいたします。
私の過去の生涯を振り返ってみるとき、一時も平坦な時期がありませんでした。韓半島を取り巻く列強の狭間で、あらゆる苦難の道を歩んできた民族の受難史とともに歩んできました。私は、十六歳(数え)の少年時代に、祈祷をしている最中、突如として天のみ旨に接し、それからのち、生涯を通して神様のみ旨を成就するために、全身全霊を尽くしてきました。その中で、人間の不幸の根本原因は、人類始祖が堕落することにより、霊的無知に陥り、神様との関係が断絶された結果だったことを知りました。それによって私たち人間は、神様と人生、そして宇宙の根本問題などについて無知に陥ってしまったのです。
これまで私は、世界各地の公の場で、一万回以上のみ言を通して、「神主義」に立脚した真の人生観、世界観、歴史観を提示してきました。これは、世界十二ヵ国の言語に翻訳され、既に三百巻以上の書籍として出版されています。これは、文献による総合的な研究や、学問的な探求の結果として解明されたものではなく、有形と無形の世界を自由に行き来しながら、原理的で根本的な答えを説き明かしてきたものです。
きょう私は、この意義深い場を感謝しながら、我が民族の宿願であり、世界の冷戦の最後の決算と言える韓半島の統一問題を念頭に置いて、その方案に対する根本的な解答として「神様の王子、王女が行くべき生涯路程」という題目で、お話ししようと思います。
内外の貴賓の皆様。皆様はどの国の国民ですか。ほとんどが韓国の国民であると思います。韓国が皆様の祖国です。それでは、神様の祖国はどこになるのでしょうか。神様の祖国は、今はありません。この世界のすべての国家の起源はどこでしょうか。神様が起源になっているのでしょうか、それとも、他のところが起源になっているのでしょうか。このような国家の歴史的な起源が問題になっているのです。
この世の国々は、闘いによって分かれて生じました。ですから、ある二つの国があるとき、その二つの国の境界線は、深い恨みのこもった境界線になっている場合が多いのです。第三国、第四国との境界線よりも、隣接した境界線を中心として、より熾烈な闘いを繰り広げ、より多くの血を流した歴史的な事実があることを私たちはよく知っています。このように二つの国家間、二つの民族間の障壁が最も高いのです。
闘いは常に、何万里も離れた所に行ってするのではありません。昔から、隣接する二つの国家の境界線を中心として闘いが展開してきました。ですから皆様も、最も近い隣人と闘うようになっているのです。なぜなら、人間が堕落したからです。隣人との間で闘いが起きるのは、堕落による結果なのです。
堕落とは何でしょうか。神様と人間との間に葛藤が生じるようになったことであり、神様とサタンとの闘争が起きるようになったことであり、人間とサタンとの闘争が起きるようになったことです。人類歴史において、この地球上に数多くの国があったということは、数多くの闘争があったことを証明するものであると結論を下すことができるのです。そのようにして生じた国々はどこに行くのでしょうか。すべての国が平和の世界を追求するのですが、平和の世界に行くことができるのでしょうか。このような問題が、今、人類共通の課題として残されているのです。
平和の世界というのは結果の世界ですが、誤った出発、すなわち誤った原因から平和の世界に到達するということは、論理的な矛盾と言わざるを得ません。ですから、このような戦争の起源を克服して越えていく運動を展開することにおいてのみ、理想世界に向かう出発点を探し出すことができるのです。原因が完全なので結果が完全であり、平和で始まったので平和の過程をたどることができ、平和の目的に到達できるということは、理論的に妥当なのです。
このように見るとき、自分の国と隣接している国が歴史的な怨讐国家だからといって、憎み続けようとすれば、永遠に平和の世界には到達できないのです。それでは、いくら理想郷を慕い、理想郷に向かって前進したとしても、その目的達成は不可能です。このような闘いが始まったその動機を否定し、誤った歴史を消し去るためには、その反対方向の内容をもって主張する運動が必要なのです。
内外の貴賓の皆様。皆様は、国のない民と同様です。それでは、過去には国があったでしょうか。歴史上に、「私の国だ」と言うことができる形態の国があったでしょうか。そのような国の形態も、もつことができなかったのです。それは、その国を探し出すために苦労する人がいなかったからでしょうか。
そういうわけではありません。その国は、過去の歴史時代の人が考えた位置では、探し出すことができないために迎えることができなかったのです。その時代圏内において、内外を備えた基準を中心としてその国を探し出すことができなかったので、その国を迎えることができなかったのです。私たちが探し出さなければならない祖国というのは、今日、この地上に存在する、歴史と伝統をもった国ではありません。そのような国とは本質的に次元が違うのです。
私たちは、次元の違うその国を受け継ごうとするならば、そのようにできる思想的な主体性をもった国民にならなければなりません。しかし、その主体的な思想は、絶対的な創造主がいるとすれば、その創造主の思想と一致する思想でなければなりません。絶対者が願う国をつくろとするならば、その国の主権を中心として国民が一致できる国になることを願わなければなりません。そのような国民性を備え、国家の形態を備えなければなりません。
一つの国が形成されるためには、主権がなければならず、国民がいなければならず、国土がなければなりません。天の国もやはり同じです。主権に代わるものが父母であり、国民に代わるものが息子、娘であり、国土に代わるものが国なのです。このうちどれ一つとして欠くことはできません。これは鉄則です。最も重要なことは何でしょうか。世界と国のために生きることです。そのようにさえすれば滅びません。
国のために生きる基準で、実際に行動をしている中で死んでいった人々は、死んでもその国の国民になるのです。その国がなくなる時まで残されるのです。国が形成されるためには、国土がなければならず、国民がいなければならず、主権がなければならないのですが、主権とは何でしょうか。根源的な神様と関係を結ぶことです。国を統治する人は、国民が深く寝入った後に、神様と関係を結んで政治を行わなければなりません。そして、主権者は、国民と一つにならなければなりません。国民と一つになり、自分にあるすベてのものは自分のためのものではなく、国のためのものであると考えなければなりません。そのようになれば、その国は繁栄するのです。
そのような観点から、地上に天国を実現するという問題を考えてみるとき、天国の主人は誰でしょうか。主権者は誰でしょうか。間違いなく神様が主権者です。そして、国民は万民です。国土は地球星です。
地上天国は誰に似たのでしょうか。「私」に似たのです。一つの国を見れば、主権、国民、国土があります。これは人間と同じです。地上天国は「私」に似ていて、「私」という個人が集まって国になるので、「私」に心があるように、国にも主権がなければならず、人格体なので国民がいなければならず、人間に万物があるように、国土がなければならないのです。このような原則から、国土は人に統治され、国民は主権に統治されるのです。この国土、国民、主権が、国家形成の三大要素です。そのようになっています。
人を見ると、心は体を統治し、体は万物を統治するのが原則です。この原則があるために、全世界を見れば「天、地、人」であるという決定的な結論が出るのです。「天」は何でしょうか。人間の心と同じなので主権と同じです。「人」は国民であり、「地」は万物です。結局、国は誰に似ているのでしょうか。「私」に似ているのです。
いくら大きい社会、いくら大きい国家だとしても、人に似なければならないのです。それは、神様が御自身の形状に似たものを好まれるからです。それでは、人が最も好むものは何でしょうか。自らの形状に似たものです。ですから、理想的な国家とは、何に似なければならないのでしょうか。人に似なければなりません。「天地人」に似なければならないのです。
統一教会の用語で「祖国」というのは、大韓民国という一つの国ではなく、世界的な国のことをいうのです。「世界的」という言葉は、堕落した世の中でも使われるので気分が良くありません。このような「祖国」を探し求めていく主義を統一教会では「天宙主義」というのです。その祖国は、大韓民国ではありません。神様が願われる祖国は大韓民国でもなく、アメリカでもなく、共産国家でもありません。その祖国は神様が願う祖国です。ですから、私たちは、新しいその祖国の文化を成し遂げなければならず、その祖国の歴史を成し遂げなければなりません。
私たちは、新しい理想的な祖国を立てるために、新しい基準を定めて私たちの生活を変えなければなりません。その世界は、今のこの世界と全く違います。言葉も違うのです。「原理結果主管圏」や「相対基準」、「相対基台」、「復帰基台摂理」といった重要な言葉を、世の中の人々は知りません。ですから、違うのです。
統一教会が願う国が建設されれば、統一教会の看板を外さなければなりません。そして、統一教会が願う世界が形成されれば、統一教会が立てた国はなくさなければなりません。大韓民国の韓民族を中心とした文化と人格だけのための宗教は捨てなければなりません。世界のための宗教であってこそ、これからも残る宗教になるのです。
満場の内外の貴賓、紳士淑女の皆様。神様のみ旨を受け継ごうとする人がいるならば、その人はいかなる主張をしなければならないと思いますか。この世の人々が好む、そのような方向に行きなさいという主張は絶対にできません。むしろその反対の道に行きなさいと主張しなければなりません。それに該当する代表的な標語が「愛の心をもって怨讐を愛しなさい!」というものです。「怨讐を愛せ!」というこのみ言は、誤った歴史を元に戻すことができるものとして、台風に押し流される船の錨のようなものであり、錨綱のようなものです。しかし、復帰摂理歴史を通じて「怨讐を愛せ!」というみ言を実践してきた人はいませんでした。もし、怨讐を愛する人々がいるならば、そのような人々によって一つの組織的な形態を備え、世界的な版図を確保しなければなりません。このような結論が出るので、そのような運動を神様が提示されなければならないのですが、神様によって提示されたその運動の反映体が、歴史に現れた宗教運動なのです。
今まで、神様が最も愛する人は誰でしょうか。イエス様です。イエス様は、争っているこの世界に新しい方向を提示してくれました。ローマやイスラエルのように、抑圧国家と被抑圧国家との間には、互いに怨讐視し合う高い障壁があるのですが、イエス様の哲学は、それを壊してしまわなければならないというものでした。イエス様は「ローマよ、お前は力で私を征服しようとするが、私はその反対に愛をもってお前を征服する」と考えたのです。それで、十字架にかかりながらも、怨讐のために福を祈ってあげたのです。そのような思想は、ローマの兵士たちのために「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカ二三三四)という驚くべき祈りとして現れているのです。イエス様がそのようにされることによって、世界のすべての国が互いを怨讐視することを乗り越えることができ、二つの国家間の国境を乗り越えることのできる一つの原型、または模範となりました。
イエス様は、個人的な怨讐がすべてではないことを知っていました。家庭的な怨讐があり、氏族的な怨讐があり、民族的な怨讐があり、国家的な怨讐があり、世界的な怨讐が四方から縛りつけていることを知っていたのです。これは、私に従い、私が行く道を行こうとする人には、数多くの怨讐が待ち受けているということなのです。そして、家庭的に行けば家庭的な怨讐が待っており、氏族的に行けば氏族の怨讐が待っていて、熾烈な闘いが予想されるのですが、そのたびに怨讐を愛しなさいという言葉なのです。このような精神をもっていれば、いつかは勝利できるのです。
それでは、神様の理想国家の実現、すなわち祖国光復はどこから実現されるのでしょうか。怨讐を愛するという思想をもった個人から出発するのです。ですから、神様がいらっしゃる限り、愛で国境を崩し、すべての環境と文化的な垣根を越えて、怨讐までも抱こうという運動を提示したキリスト教は、世界的な宗教にならざるを得ないのです。大豆を植えれば大豆ができ、小豆を植えれば小豆ができ、真っ赤な花の種からは真っ赤な花が咲きます。同じように、恨みを晴らす悪魔サタンの種を蒔けば、恨みを晴らす悪の木が育つのですが、怨讐を愛する善の種を蒔けば、怨讐を愛する善の木が育つのです。これは自然の道理なのです。
神様の祖国は、どこから、どのような道を通して訪ねてくると言ったでしょうか。それは、怨讐を愛する道、個人の怨讐を愛し、家庭の怨讐を愛し、氏族の怨讐を愛し、国家と世界の怨讐を愛する伝統を残す道を通して訪ねてくるのです。そのような道でなければ、神様の祖国は現れることができないことを、皆様は知らなければなりません。
考えてみてください。アメリカが反対し、国務省が反対し、国会が反対したので、私は、国会で勝利したという賞状を受け、国務省から勝利したという賞状を受け、アメリカで勝利したという賞状を受けることができる時が来るはずです。それで、反対する国務省の中にも友人ができ、国会の中にも友人がたくさんできています。勝利は、私に返ってくるようになっています。私は、そのような友人が一人もいなかったとしても、あらゆる反対を克服して勝利に導くことができるという確信があります。反対されれば反対されるほど、怨讐を愛するこちらの気持ちがより大きくなるので、たとえ反対が大きいからといって落胆する必要はありません。
自然の道理は、一方が低気圧ならば、もう片方は高気圧になるようになっています。一方が高気圧になれば、もう片方は低気圧になるのです。アメリカの国務省が高い所から反対するとき、私が低気庄圏を形成していれば、高気圧が低気圧に吸収されるように、アメリカの国務省は私に屈服してしまうでしょう。私は、非難されながらも闘わずに彼らを愛していったところ、彼らは私の友人になり、友人の家庭ができ、友人の氏族ができ、友人の国ができたのです。
怨讐を愛する精神をもった人々によって構成された国が現れれば、その国は、神様が願う理想郷となることができ、人類が入っていく理想郷になることができることを知らなければなりません。私、文総裁は、みすぼらしい男です。皆様は「そうではない」と言いますが、世の中の人たちは、私を愚かな人と思っています。しかし、神様は、私のことが一番お好きです。世の中が私を愚か者扱いしたとしても、神様が認めてくださるので、世の中に対して堂々とした立場で攻撃できるのです。
怨讐を愛する心をもてば、語れない言葉がありません。なぜでしょうか。神様が送った男性を美男子というならばそのような人が美男子であり、すてきな人というならばそのような人がすてきな人であり、堂々として勇ましい人というならばそのような人が堂々として勇ましい人であると考えるので、私は、それを光栄に思い、世の中に対して自信をもって攻勢をかけるのです。
私一人がその境地に浸って活動すれば、何が起こるか御存じですか。このようにすることによって、神様が喜ぶ青年男女が生まれ、神様が喜ぶ五色人種の家庭が生まれ、神様が喜ぶ民族が編成され、神様の祖国光復が可能になるのです。「怨讐を愛しなさい」とあるので、最も憎むべき人でも愛さなければなりません。一番の美男子に一番の醜女を結んであげたとしても、怨讐を愛する以上に愛さなければなりません。そのような人は、この世の怨讐を愛することにおいて、最高の王子の旗を掲げて前進する候補者です。事実そのような人がいるならば、どれほど素晴らしいか考えてみてください、そのような人は、民族の国境を越えることができるのです。愛する心さえもって暮らす日には、すべての障壁が崩れていき、復帰摂理歴史が短縮され、天国が近づいてくることを知らなければなりません。
私の哲学は簡単です。より大きなもののために犠牲となり、奉仕をすることです。私は、やってみなかったものがありません。農民にも、労働者にもなってみました。やれることはすべてやってみました。漁夫になってまぐろも釣りました。そのようにして生涯を送ってみると、一人だと思っていたのに、あとからイギリス人もついてきて、アメリカ人もついてきて、世界の数多くの人々がついてきています。ついてきてはいけないと蹴飛ばしても、またついてきて、後ろに行ったと思っても、またついてきます。
内外の貴賓、そして紳士淑女の皆様。今から行くべき道は何でしょうか。いくら氏族を編成したとしても、サタンの国の主権が残っている限り、皆様は国のない人々です。ここが皆様の国でしょうか。皆様には国がないのです。たとえ氏族があったとしても、その主権が天を中心とした主権でない場合は、主権が民族を排除してしまうこともできるのです。
ですから、天が歓迎できるその国を探し求めていかなければなりません。今日、この地上における第一イスラエル圏というものは、天全体が歓迎でき、個人も歓迎し、家庭も歓迎し、氏族も歓迎し、民族も、教会も歓迎できる、そのような地になるべきなのですが、今日の統一教会を中心として見ても、既成教会を中心として見ても、大韓民国を中心として見ても、全体が歓迎する立場に立っていません。そのようになることができませんでした。方向が違います。大韓民国が進んでいるのは外的です。神様を中心としたものではなく、世の中を中心として外的に進んでいるのです。この国の主流的な思想がありません。したがって、この国の主流的な思想を中心として天と連結させ、新しい立体的、あるいは平面的内容を備えた新しい国家観を形成し、その形成された国家観を、今日の国家以上の内容をもって実現しなければ、祖国光復を迎えることはできません。
今日の解放というのは第一の解放です。今、統一教会においては、第二の解放が必要です。大韓民国も第二の解放が必要です。ここで大韓民国が第二の解放を迎えれば、国家と民族は、そのことによって願いを成就できるかもしれませんが、統一教会は第三の解放を必要とするのです。そのようになるのです。大韓民国は第一の解放により、初めて内外において今の国家形態を備えましたが、第二の解放が必要な時が来ました。南北が統一されなければならないのです。その国はどのような国でしょうか。その国は、歴史過程において、民族が悲惨な路程をたどらなければならず、蕩減復帰原則に一致する国民性をもたなければならず、歴史的な伝統を引き継いできた国でなければなりません。その国はどのようにならなければならないのでしょうか。完全に統一された国にならなければなりません。
今日の大韓民国がそのような国になろうとすれば、どのようにしなければならないでしょうか。その国の基準に上がっていくためには、南北を統一しなければなりません。北朝イスラエルと南朝ユダのように分かれた韓国と北朝鮮を一つに統一しなければなりません。カイン国家とアベル国家に分かれたように、南北に分かれたのですが、これを統一しなければ、一つの勝利的なイスラエル国家が現れないのです。
それでは、大韓民国を中心として、北朝鮮と韓国は、どのように統一されなければならないのでしょうか。それは、新しい世界主義的な思想をもたなければ統一できません。この時に備えて、「新しい思想をもって進んでいこう」というものが、今日の統一教会が主張する「統一思想」です。
今後、私たちは、二つのことをしなければなりません。世界において、いかなる国家もついてくることのできない団結した民族を形成しなければならず、そして、いかなる宗教もついてくることのできない鉄のような信仰で団結した宗教国家をつくらなければならないのです。このような思想を中心として、南北が統一された国家を成し遂げなければなりません。そうでなければ、神様の国、世界に誇る天国の主権は誕生しないのです。これが、今日の私たちの行くべき地上の第一目的地であることを知らなければなりません。
祖国を得ることができなければ、サタン世界の国家を凌駕できる、天を中心とした一つの国をもつことができません。その国をもつことができなければ、世界のサタン国家を打つことはできません。押し出せないのです。統一教会ではできません。統一教会の思想を中心として、国が方向を定めて進んでいかなければならないのです。
そのような問題が残されていることを知らなければなりません。このような点から見るとき、イスラエル国家の精神的な支柱がユダヤ教だったように、今日の韓国において統一教会がユダヤ教のような立場であるならば、統一教会の思想が韓国の主流的な思想になるのです。今後は、国教にまでなるべき時が来なければなりません。ある人たちは、そのように言うのです。国会議員たちもそのように言います。統一教会の思想を国教にすれば、共産党は問題ありません。
紳士淑女の皆様。今日、天のために行く人々は、サタン世界に派遣された密使です。個々人において、大きい小さい、広い狭い、高い低いという差はあるかもしれませんが、各自が置かれている生活自体においては、密使の生活を離れてはいけません。ここには、いつも生死の脅威が介在しています。まかり間違えば、永遠の生命の問題が左右される立場に立つようになるのです。
ですから、永遠の生命を支えることができ、永遠の生命を保護してくれる私たちの祖国を探し出すという観念が、その環境より何百倍も強くなければ、密使の生活はできません。その祖国の栄光を願う心をもって祖国の恨を解いたとき、すべての万民が喜ぶということを考えて、新しい歴史を創建し、祖国光復の一日を迎えるその時に、自らの功労が表れることを思いながら、現在の立場にとらわれないようにしなければなりません。そのような心が先立たなければ、密使の使命を遂行することはできないのです。
言い換えれば、祖国光復のための希望が現実の希望より千倍、万倍強くなってこそ、今の生命と引き換えるようなことがあったとしても、それを克服して密使の使命を遂行できるのです。もしそのように責任を果たそうとして、不意の事故で犠牲になったとしても、その位置には新たな密使を再び派遣できるのです。既にその人が死んでしまったとしても、その人の友人になることができ、その人の味方に立つ人々が現れるはずです。彼が模範となる立場で生きてきたので、たとえ彼が犠牲になったとしても、そこには彼の味方に立つ人々が残るのです。
そのような人々が残っている限り、神様はその基台の上に代わりの人を送ることができるのです。しかし、そうでない立場で死んだ場合には、そこで彼がいくら苦労したとしても、それで終わってしまうのです。
このような立場で、皆様は、今や新しい時代を迎え、いかなる姿勢を取らなければならないのでしょうか。祖国光復のための信念が、何よりも強烈に胸の中で燃えていなければなりません。言い換えれば、六千年間、神様が待ち望まれた祖国を建設する旗手となり、先鋒に立った精鋭部隊の一員として開拓者になるという、この途方もない使命に責任をもっているという自負心を感じなければなりません。過去に生きた数多くの人々がもつことを望みましたが、もとうとしても、もつことができなかった特権、一つしかなく、この一時にしかない特権的な使命を担ったという厳粛な責任感をもたなければなりません。
したがって、食べること、寝ること、行くこと、来ること、すべての生活が祖国創建のためのものでなければなりません。神様から特別に派遣された密使として、凜々しく「見事にこの使命を遂行するのだ」と言って立ち上がってくれることを、神様がどれほど待ち望んでいらっしゃるでしょうか。今までは、激しく追い込まれ、追い回されました。国家の基台を備え、全体の内容を提示して一度も広げてみることができなかった天のそのみ旨、祖国を立てることができる、そのみ旨を立てなければなりません。今までそのみ旨を、一度も立てることができなかったのです。
今からはそのような祖国を立てることができます。その祖国には主権があり、国土があり、国民がいます。また、そこには、単一民族の血統の関係が結ばれており、他の民族がもつことのできない歴史があります。このような祖国のために、私たちは密使の使命を遂行しなければなりません。そのような使命を自分自ら早いうちに完遂すればするほど、祖国光復の基台が自分によってどんどんと近づくのです。きょう、苦労の代価を払うことが祖国光復の一日を早く迎えることのできる基台になるのです。このような事実を思いながら、皆様は生きて密使の使命を完遂するという決意をもって進んでいかなければなりません。そうでなければ、これから神様が私たちに与えてくださる世界史的な祝福と天運を、私たちのものとして迎えることができません。私たちは、天国を地上に建設しなければなりません。地上でその国を探し出し、その国の中心と一つになって、天が願った希望の基準を備えて帰ってこそ、お父様の前に面目を立てることができるのではないでしょうか。
皆様に国がありますか。ないことを考えると死ぬに死ねません。死んだら、どこへ行くのでしょうか。行って、その面目のない立場と恥をどのように免れるのでしょうか。私の生命の寿命は制限されているので、その期間内にしようとするのですから、どれほど忙しいでしょうか。そのうえ、悪のサタンの環境が私たちに反対し、怨讐たちが私たちの道を妨げるのではないでしょうか。これを切り開いていこうとするのですから、いつも密使のような行脚の路程を避けることはできないのです。私が行くことも、来ることも、その国を探し出すため、祖国光復の建国の功臣になるためです。そのような使命を果たすために、天の密使として指令を受け、今日の悪の世界に来てこのことを行っているという事実を思いながら生きていかなければなりません。そのようにしなければ、皆様は、今後訪れる国の国民としてその威信と体面を立てることができないことを知らなければなりません。
皆様は個人的に影響を与えたいですか。家庭的に影響を与えたいですか。国家的ですか、世界的ですか。どのように影響を与えたいですか。世界的に影響を与えたいでしょう。しかし、世界的な舞台に上がっていこうとすれば、一人ではできません。国がなければなりません。しかし、皆様の国がありますか。
ですから、私たちは、夜も昼もその国のために食べて、寝て、生きているのです。そのことゆえに生まれたことを知らなければならず、天地を中心として誓う生活をしなければなりません。寝るときにも、世界の数多くの人々のベッドを集めて、その頂上で寝ていると考えなければなりません。食膳を見てもそのように考え、どこにいても自分一人で座るのではなく、世界の数多くの人種を集めた頂上に座っているという心をもたなければなりません。天の息子はそうでなければならないのです。
サタン世界の権限を凌駕する位置、栄光の位置を占有して生きなければならないのが天の息子、娘の生活であることを、皆様は知らなければなりません。神様が息子と娘を愛そうとするなら、そのような息子と娘を愛するべきであって、サタンにも劣る息子、娘を愛すれば、父としての威信が立ちません。皆様は、そのような信念をもって、今後、全世界と手を結んで日々の生活を送ろうと、新たに決心しなければなりません。そこにおいて、統一戦線基盤は確固たるものになると思うのです。
「私は、たとえサタン世界の圏内にいたとしても、天の密使である。天の大使である」と考えなければなりません。密使には、その国の国王と直接連絡できる道があるのです。そのような密使の使命と威信のために生きているという信念をもっていかなければなりません。これを皆様は、はっきりと知らなければなりません。国の国王も密使の報告を待っているのです。同じように私たちがこの地上で、そのような使命を果たそうとするならば、神様も私たちの報告と私たちの要望を待っておられるようになるのです。
したがって、私が密使の立場で「至急に願うものを送ってください」と言えば、あらゆる冒険を克服しながらでも送ってあげようとするのではないでしょうか。それと同じように、皆様がそのような信念をもって神様の特権的な栄光の息子、娘であることを認識しながら、「私はこれを願うので、成し遂げてください!」と言えば、成し遂げてくれるのです。そのようにすれば、生きていらっしゃる神様を発見でき、生きていらっしゃる神様が働かれることを見ることができるのです。そのようになってこそ、指導者になることができ、病気の人がいれば病気を治すことができ、困難な時には、神様が直接助けてくださるようになるのです。そのような生活を通じて多くのことを学ばなければなりません。それでこそ自信が生まれ、それでこそ信念をもって、すべてのことを打開していくことができるのです。
尊敬する内外の貴賓の皆様。私たちが行くべき所はどこでしょうか。個人を訪ねていくことが、私たちの行くべき目的ではありません。また、家庭を訪ねていくことが現在の私たちの目的ではありません。私たちがいくべき道は、国を訪ねていくことなのです。父も、母も、子女も区別なく、これを探し出さなければならないのです。ところが、今日の統一教会の教会員たち、祝福を受けた家庭、氏族圏内にいる人々は、「ああ、国だとか、教会だとか、私とは関係ない」と言います。そのようになれば、すべて落第です。原理的にそうなのです。
死ぬ時まで国を探し求め、あらん限りの精誠を尽くし、それこそ天国の光復のために勝利の凱歌を上げることのできるその時が来なければなりません。イエス様の言葉ならば何であっても、それがすべてだと思うようでなければなりません。方向を提示するときは、二つではなく一つです。その方向に行こうと言えば行かなければなりません。そのようになっています。それでは、夫を捨てて、子女を捨てて、家庭を捨てて行こうと言えば、どうしなければならないでしょうか。それでも行かなければならないでしょうか、行ってはならないでしょうか。統一教会のためにそのようにするのではありません。国のためにそのようなことができなければならないのです。
今、北朝鮮では、家庭の戸籍をすべて作り直しています。それはどういうことだと思いますか。サタン世界が先に行っているのです。国のためには、自分の夫や妻、父母、子女を問わず、すべて捨てて進み出ることができなければなりません。そうでなければ、希望の国を探し出すことができません。その国を探し出したとき、その国と共に父母を得ることができるのです。国を探し出すことができなければ、血を流す父母を見なければならず、血を流す妻を見なければならず、血を流す子女を見なければなりません。それ以上に悲痛なことがどこにあるでしょうか。
ですから、国を探し出す前には、妻を愛することができないのであり、父母を愛することができないのであり、子女を愛することができないのです。これがキリスト教の行く道であり、統一教会の行く道なのです。皆様は、自分を否定して「神の国」と「神の義」のために生きる人にならなければなりません。いかなる困難な環境にぶつかったとしても、皆様は、自分に対するお父様の希望があることを思いながら、その環境と闘って勝利する人にならなければなりません。そのような皆様になって初めて、神様の真の息子、娘だと言うことができるのです。
それでは、「神の国」を建設できる人とはどのような人でしょうか。自らの一身を否定し、切ない心で天のために生きる人です。自分を否定して社会と民族、国家、世界のために生きる人が、正に「神の国」を建設できる人なのです。さらには、国家と世界を否定しても、天のために生きる人が天国を建設できる人です。また、いかなるつらい環境にぶつかったとしても、自分一身のゆえに悲しむのではなく、社会と国家、世界、さらには天のために悲しむ人であってこそ、「神の国」を建設できるのです。
それだけでなく、皆様は、「神の国」と「神の義」を探し立てるその過程において、サタンとの闘いに敗北せずに勝利して、個人から家庭、社会、民族、国家、世界を一つに連結させることができなければなりません。すなわち、皆様がいかなる立場に立ったとしても、そこでサタンと闘って勝利する人にならなければならないのです。社会に出れば、その社会のいかなる環境の中にあっても、サタンと闘って勝利すべきであり、国家に出れば、その国家の最も難しい問題に責任をもち、サタンと闘って勝利しなければならないのです。
六千年間神様を縛りつけてきたサタンが、そのまま素直に「ああ、私は降参します」と言って目を伏せて帰っていくと思いますか。皆様は、雑巾であっても、捨てようとすればもったいないと思うでしょう。雜巾でも、ひっくり返して臭いを嗅いでみてから捨てるのです。ですから、サタンはそのまま退いてはいきません。がむしゃらな闘いをしてくるのです。したがって、中心に合わせなければなりません。統一教会の文総裁も、中心から外れるようになる時には負けてしまうのです。方向が合わなければ発展しません。「神の国」を探し出すことは、世界を探し出すためであり、世界を探し出すことは霊界のためなのです。
そうして何をするのでしょうか。神様を地上にお迎えし、そして定着し、万国が神様を中心に侍り、その神様のみ前に勝利の栄光をお返しして差し上げるために行くのです。そのような闘いをすることが統一教会の使命であることを知らなければなりません。私たちは、裸足で乗り出していき、祖国を創建しなければなりません。食ベ残したもので、この国を生かすことができるでしょうか。食べること、着ること、乗って行き来することに、いつ神経を使っていられるでしょうか。裸足と素手で開拓していかなければなりません。そのようなことを行う所が統一教会なのです。
皆様は祖国を探し出さなければならない勇士ですか、それとも祖国を滅ぼす亡士ですか。勇士とは国を代表し、他の人ができない仕事をできる人のことをいうのです。誰もができる仕事をする人は勇士とは言いません。そのような人は兵士です。同僚たちができずに後退するとき、その仕事をやり遂げることができる人ならば、その人は勇士です。勇士の「勇」の字は「すばしこい」という意味があります。誰よりも速く走り、鉄砲の玉もよけられるほどにならなければなりません。誰もができる仕事をする人は勇士とは言えないのです。
「神の国」を建国するに当たり、開拓の勇士となるべき、先鋒に立つ将軍は誰でしょうか。「神の国」を成し遂げることができる土台はどこでしょうか。一つの国を成し遂げようとすれば、主権がなければならず、国土がなければならず、国民がいなければなりません。それでは、天の国を中心として見るとき、国土となる土台は何でしょうか。それは、教会の財産しかないのです。それから、天の国の国民とは誰でしょうか。教会員です。また、主権者は誰でしょうか。皆様です。皆様が里長の代身者であり、面長の代身者であり、郡長の代身者であり、道知事の代身者です。
皆様。主体者になりましたか。サタン世界から爆弾を載せて攻繫しようとしたら、最初に飛び出して準備していかなければなりません。そのような心がありますか。そして、お金が一銭でもあれば、教会を広げるために使うのです。その国の版図を広め、国民を結集させることに使うのです。教会の責任者は主権者の代身です。里長を身代わりし、父母を身代わりするのです。このような伝統的思想を残さなければなりません。
しかし、私たちには何もありません。この韓国に立てられる国はどのような国でしょうか。互いが流通し、交流するようになる時は、共産国が立てられるでしょうか、それとも今日の大韓民国としてそのままになるでしょうか、それとも、どちらでもない、新しい国を追求するのでしょうか。このような問題について考えると、私たちの時もだんだんと近づいてきていることを感じるようになります。皆様がこれをきちんと処理し、責任を負うべき統一の群れであるならば、それに対する責任感をどのくらいもち、またどの程度の犠牲の代価を払う決意ができているでしょうか。休戦ラインを越えて北朝鮮に入り、北朝鮮の五つの道の市、郡を中心として、私たちの基地を準備しなければなりません。
人員が不足なこの時に、誰が北朝鮮の地、定州ならば定州の責任者になるのかを考えなければなりません。定州の郡ならば、定州の郡を中心として私が責任者にならなければならないと考え、十年、二十年準備し、それでもできなければ、子孫に「お前は、一生懸命に勉強し、一生懸命に準備をして、その日を迎えたら、定州の地において、天との関係を代表する責任者になりなさい!」と遺言して死ぬことができる、そのような精誠を尽くす皆様になってみましたか。私は、今まで、そのように考えながら準備しています。そのようなことを考えると、若い人たちは、地方に帰って自分の子女と妻を連れて、笑いながら暮らすようになっているでしょうか。そのように暮らすようになっているでしょうか、いないでしょうか。死んでも国を残してから行かなければなりません。死んでも、子女たちに国は残してあげなければなりません。ですから、新たな決心をしなければならないのです。
「私は、あのソ連と満州に隣接する地方に行って、共産党と額を突き合わせ、朝夕に銃声を聞きながら、国境地帯の見張り役をする責任者にならなければならない。国が理解してくれず、誰も理解してくれなかったとしても、生命と引き換えても、神の国を愛する忠節の心は変わらない」という決心をしなければなりません。それでこそ満点なのです。世の中は理解してくれなくてもかまいません。霊界に行けば、すべてが明らかになるようになっているからです。
このようなことを考えるとき、人手が足りないことを皆様は知らなければなりません。人が不足しているので、かかしのような男性であっても、ラッパを担がせ、あるいはロボットをつくって北朝鮮の地を歩き回らせ、ラッパを吹かせたいというのが、私の心情であり、神様の心情です。口があり、感情をもった男性として生まれ、それも二十歳、三十歳の若い心と体をもっていながら、原理のみ言を語ることができないというのでは話になりません。夜は眠らずに勉強をしなければなりません。おなかがすいて骨と皮だけになったとしても、準備をしなければなりません。そのようにしてやせこけた体が、天の愛をことごとく受ける体になるのです。神様は、そのか細い一人の男性ならば男性に、すべての期待をかけることができるのではないでしょうか。
イエス様も、国を建てるために来られました。祖国がなければ、かわいそうなのです。祖国がないので、宗教人たちは悲惨でした。審判しようとするならば、個人と家庭、氏族、民族、国家、世界が不変の基準に立ってこそ、その基準を土台として審判するのです。祖国は最後の希望です。祖国の中には、民族も、氏族も、家庭も、個人もすベて含まれています。この三千里半島(韓半島)が祖国になったでしょうか。そのようになっていないのですから、清算しなければなりません。神様が望まれ、イエス様と聖霊が望まれる祖国を創建するために、私たちは一片丹心で努力しなければなりません。善とは何でしょうか。家庭のために個人が犠牲になり、氏族のために家庭が犠牲になり、祖国光復のために氏族が犠牲になることが善です。祖国光復のためにすべてが犠牲になって、祖国光復が成し遂げられれば、すべての人が愛国の忠臣となるのです。国家的基準の前に忠誠を尽くして国家基準を立てれば、家庭と氏族の基盤を築いたという公認を受けるようになります。道の基準は、神様のために絶対的に忠誠を尽くすことです。そのようにすれば、その過程のすべては認められるのです。
私たちはいかにすべきでしょうか。イエス様は「わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」(マタイ二六・三九)と言われました。ここにおいて、「わたしの思い」とは世の中の思いであり、「みこころ」とは神様のみ旨のことです。統一教会員である皆様は何をしましたか。忠臣の道理を立て、またその実績をもってきましたか。孝子の道理を果たして、その実績をもってきて、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界的な闘争をする覚悟ができていなければなりません。
イエス様は祭物の使命を果たして逝かれました。皆様は世界的な闘争をしていきながら、民族的な基盤を築いていかなければなりません。メシヤとの相対的な価値を備えなければならないのです。指導者が世界を開拓するところにおいて、指導を受ける皆様は、民族的な道を築かなければなりません。数多くの人々が光復の道を願いながら死んでいきました。いつになるとしても「必ず成し遂げられる」という信念をもって死んでいったのです。
統一教会員は、個人から民族と国家基準まで築いてきました。今からは、全世界の人類とすべての国家を動員しなければなりません。私たちは、祖国光復、自由、平等、幸福の日を探し求めていかなければなりません。その道が困難であっても行かなければなりません。それが、私の見つめる観点であり、神様が願われる甚準です。イエス様はこの基準を望みつつ、歩まれている途中で亡くなりました。私たちは祖国光復の過程において、苦労しながら行かなければならないのです。
韓国は、私たちが責任をもたなければなりません。あすも変わることのない祖国創建という覚悟と信念をもって、イエス様の祖国、聖霊の祖国、預言者と烈士の祖国、神様の祖国を建てられなかった恨を解かなければなりません。そうでなければ、面目が立たないのです。私たちは、祖国を探し出さなければなりません。祖国を探し出そうとするならば、祖国のために生きなければなりません。祖国のために生きることができない人は祖国を探し出すことはできません。それでは、どのように生きることが祖国のために生きることなのでしょうか。世界を自分の祖国と思って、世界のために生きなければなりません。そのような人は、祖国を創建することができます。食べること、寝ること、歩いていくこと、すべての生活と行動が祖国創建のためのものにならなければなりません。
ですから、私たちは、たとえ共産党から刃物で刺されることがあったとしても、行くという覚悟をもって闘っているのです。この民族ができないときは、私たちがしなければなりません。この民族が行くことができなければ、私たちが行かなければならないのです。そのためには、誰よりも祖国を愛さなければなりません。御飯を食べるのも祖国のために食べ、結婚するにしても祖国のために結婚するのです。私たちの祖国のためにです。
今は、私が話せば、聞くことのできる群れが生じ、私が方向を提示すれば、動くことのできる群れが生じましたが、それで幸福を感じるような男ではありません。統一教会を犠牲にしてでも、祖国光復を約束できる、そのような土台を広めていくつもりです。六千年摂理の中心的なみ旨として立てた家庭を信奉できる教団と民族、そして国家がなければなりません。神様を信奉できる土台を準備し、それが一時に連結することを願って送られたのですが、それが粉々に壊れたので、再び収拾しなければならない運命が残るようになったのです。これを収拾するためには、先頭に立って走らなければなりません。
夜になって寝床に入る時間にも、その希望の国とともに寝なければなりません。今は国がありませんが、その国の国民の一員として、その国のために眠るのであり、目覚めるときもその国を建国するための一員として眠りから覚めなければなりません。見て、聞いて、感じるすべての感覚も、祖国という命題を思うことなくしては感じてはならないのです。その日が来るまでは、死んではなりません。その日が来るまでは忙しいのです。そのことを成し遂げるためには、激しい受難と逆境を克服しなければなりません。やるべき仕事があれば、寝るのが遅くなったとしても解決しなければならないのです。祖国の光復というものは、時間を中心とした犠牲の量を加重させてこそ得られると思うとき、自分の涙と精誠の量を、きょうこの時間を通じて、少しでも加えるべき責任があるのにもかかわらず、安らかに寝て、伸びをしながら起きられるでしょうか。
起きては腰を曲げて、「お父様!あなたが訪ねていかれるあすの安息の住みかであり、あなたが行使することを願われた世界を統治する勝利的国家の土台に向かっていく、寂しく孤独な男の行く道が、このように悲惨であることを感じます。私自身がそうなのですから、天が探し求めてこられる道はもっと悲惨なのではありませんか」と祈らなければなりません。
疲れたからといって思いのままに横になることはできないのです。死んでも国のために死ななければなりません。ですから、年を取って疲労を感じる、そのような立場、自分がもし死の場に行くとすれば、その場で残すことができる一つの願いが何かというとき、それは「天のためにできることはすべて果たした。その国のためにできることはすべて果たした」という言葉を残すことです。イエス様は、「だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義とを求めなさい」(マタイ六・三一・三三)と言われました。このように聖書の主流思想は「神の国」です。「神の国」を求める思想なのです。自分の幸福を求める思想ではありません。国の民として生まれ、夫をもったとしたら、その夫は国を代表した夫です。ですから、国を愛した後に夫を愛さなければなりません。妻も国を代表した妻なので、国を愛したのちに妻を愛さなければならないのです。
死ぬにしても、自分のもつ力をすべて使い果たし、自分はこれ以上できないというその立場で「死なせてください」と言えなければなりません。「これをやっておけばよかった」という言葉を残して死んではなりません。ですから、どんな仕事も、やってもやっても忙しいのです。行っても、また行かなければならないのです。ほかの人が休む時間に、私たちは一歩でもさらに進まなければなりません。「サタン世界よ、休んでいろ!サタン世界よ、お前は何もせずに遊び暮らしていろ。我々は神の国のために歩むのだ」と思わなければならないのです。
南北統一を熱望する愛国同胞の皆様。特に女性の使命は、子女格である青年男女および学生たちを、真の教育を通じて真の子女として復帰しなければなりません。さらに、母と子女が一つになって模範を示し、教育を通じて夫までも真の天の息子として復帰し、真の父母に従い、神様を中心に侍り、地上天国の理想を復帰しなければなりません。
きょうのみ言が、韓国と北朝鮮が共に真の愛で出会う、その日を早める国民運動になることを願いつつ、私の話を終わりたいと思います。神様の祝福が皆様と皆様の御家庭に共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。
15.神様の平和王国は祝福家庭の真の祖国
平和経 第八篇
韓半島統一と世界平和
15.神様の平和王国は祝福家庭の真の祖国
日付:二〇〇五年六月二十五日
場所:アメリカ、ニューヨーク、ジェイコブジャビッツコンベンションセンター
行事:アメリカ四大都市巡回講演
尊敬する全世界の各界の指導者の皆様。公私共にお忙しい中であるにもかかわらず、このように満場の盛況を博してくださり、心から感謝申し上げます。私が、四十七年前の一九五八年以降に、天のみ前に深刻な心情で捧げた祈祷文の一部を、きょう皆様に読んでさしあげることによって、本大会の基調講演を始めようと思います。
愛するお父様、天が屈辱を受けるその恥ずかしさを恐れながら、幼い時から今まで闘ってきた私を守ってくださったお父様の恩賜に感謝申し上げます。この地に何が良いといっても、お父様が運行される本然の心情につながったもの以上に貴い基準がないことを思うとき、人間はその立場を無限に恋しく思わなければなりません。お父様のその真の愛に接する人は、世の中の万事をすべて忘れても、未練の残らない立場に立っていることを知らなければなりません。
愛するお父様、今、私たちは、お父様の愛に浸って暮らす理想世界、すなわち私たちの本郷を訪ねていかなければなりません。第三の生の自由権をもって解放児として出生するその日を、今日この地上世界で準備しなければなりません。赤ん坊が胎中にいるとき健康であってこそ、地上界に生まれてからも、その一生が健全であり得るのと同様に、私たちの地上生活が健全であってこそ、天国での生活が健全であることを悟らなければなりません。
天と地が協助し、万宇宙の動的な運勢に拍子を合わせることができる立場に立つためには、今日、私たちが身を置いているこの世は相克的であり、悪が主管する世の中なので、私たちは死を覚悟しなければ勝利できないという事実を悟らなければなりません。私たちの子孫たちは、今日の私たちと同じ立場に立てられてはいけないことを肝に銘じなければなりません。
愛するお父様、今まで歴史を通して、私たちに新しい春の環境を開拓してくださるために、絶えず苦労されたお父様でいらっしゃることを知っております。したがって、私たちが新しい春を迎えるためには、私たちの生命がお父様と完全に同化できる関係を備え、またそこに吸収されなければならないことを知らなければなりません。そうしてこそ、春を迎え、美しい花を咲かせることができることをはっきりと知らなければなりません。
一輪の花が咲いて実を結ぶためには、夏と秋を経なければならないように、私たちの人生行路も、実を結ぶためには、当然通過しなければならない過程があることを悟らせてください。
いくら歳月が過ぎていき、暴風雨が激しく吹き荒れても、内的な生命力は、そのような環境の侵犯を受けずに絶えず発展の路程を継続してこそ、春を迎えて再び沃土に蒔かれる、第二の生命の母体、すなわち完熟した種になることを知らなければなりません。
同様に、私たちの外的な姿は、たとえみすぼらしく、哀れに見えたとしても、内的な姿は、無限の生命力を集約できる母体かつ結実体として、無限の世界に植えられる人であることを忘れてはいけません。その外的な姿が悲惨になればなるほど、内的な価値はより満たされ、充実することが分かるようにしてくださることを切にお願い申し上げます。
愛するお父様、お父様に侍り、謙遜に敬礼を捧げたい心のない人は、永遠のあの世で、お父様と関係を結べないことを知らなければなりません。今、私たちが、心の門を開いてお父様の心情を感じさせてくださり、きょう、私たちの心から聞こえてくるあなたの声を聞き、失った自分の体を探すことができ、お父様が私一人を探すために、歴史の背後においてどれほど多くの艱難と苦労の路程を経てきたかを感じて、自ら頭を下げる私たちとなるようにしてください。
尊敬する指導者の皆様。真理の第一の属性とは何でしょうか。永遠で不変だということです。レバレンド・ムーンが本当にこの地上に天の真理を伝え、人類を堕落の世界から救ってあげるために、天の印を受けて顕現した救世主であり、メシヤであり、再臨主であり、真の父母であるならば、その教えは、二十年前も、四十年前も、きょう現在も、一点一画の加減もない不変の真理でなければなりません。
皆様がお聞きになったように、私は、かつて十六歳(数え)の青年の年に天の召命を受け、神様のみ旨をこの地上に成し遂げてさしあげ、人類を救援するために八十年以上の生涯を捧げてきました。
私の教えは、私の知識や哲学から出たみ言ではありません。五十年前にもそうであり、今この瞬間も、そして今後も変わりなく、私の口を通して伝えられるみ言は、天が下される真理のみ言であり、人類が永遠に信奉して実践しなければならない天理です。たとえ六十億の人類全体が反対するということが起きたとしても、私が伝える真理のみ言は、永遠で不変の真理そのものです。一点一画も加減できる余地がありません。
したがって皆様は、きょう私の四十七年前の祈祷文でも聞いたように、心の門を大きく開いて天のお父様の心情を感じることができなければならず、皆様の心の奥深いところから響いてくる天のみ言を聞くことができなければなりません。アメリカを離れた私の足を、再びここまで導かれた天の大いなるみ旨と愛を、皆様は決して忘れてはいけません。
皆様。私たちの人生行路を大別してみれば、人間は愛から生まれ、愛の中で成長し、愛に浸って暮らし、愛の中で死ぬようになっています。したがって私たちは、生まれることも感謝しなければならず、生きることも死ぬことも、すべて感謝しなければなりません。皆様は、生まれるその瞬間から父母の人生を共有する位置に入ります。愛の同参者になるという意味です。
父母の愛によって生まれたので、皆様には父母の愛の旗が掲げられています。一生の間、この愛の旗を守って生きるのです。父母や兄弟たちのために、一生の問、この愛の旗を振ってあげながら生きなさいというのです。
瞬間を無視する人は貴いものをもつことができません。勝利圏が決定するのも瞬間です。歴史的な勝利圏や天宙的な勝利圏も瞬間に決定します。したがって、一瞬一瞬を輝かせることのできる無限の価値を感じて生きる人は偉大な人です。そのような人は、聖人の隊列にも上がることができ、聖子の道も決して例外ではありません。
このような観点から見るとき、私たちの人生は、神様を中心として一日の生活圏内で、あるいは一時間圏内で、どのようにみ旨と関係を結んで生きるのかということが、重要な問題にならざるを得ません。み旨が成就されてみ旨の国が訪れることを願う前に、自分自身がみ旨とどれくらい一致して生きているかがより重要だということです。
復帰摂理歴史を見れば、アダムの家庭からノアの家庭、アブラハムの家庭、モーセの家庭、イエス様の時まで四千年の歴史が流れてきましたが、彼らが失敗するようになったのは、十年あるいは数十年の期間をおいて失敗したのではないことを知ることができます。彼らの失敗は一瞬の間に起きたのであり、その一瞬の失敗が数千年を経てきながら、彼らをして蕩減の道を歩ませ、数多くの民族と国家が滅亡の窮地に陥っていくようになったという事実を私たちは知っています。
このような事実を見るとき、私たちの人生の一瞬一瞬がどれほど恐ろしく、途方もない瞬間かということを知らなければなりません。永遠の天国も、一瞬を離れては存在できません。永遠の出発は、私が死んで始まるのではなく、私が天のみ旨を知ったその瞬間から始まるのです。ほんの一瞬でも、飛躍があったり、穴が開いたりすれば、永遠性は消滅してしまうのです。
したがって信仰者は、永遠を夢見ながら進んでいくのも重要ですが、それよりも重要なことは、現実生活でどのように悪を清算し、善を実践するかというところにあります。言い換えれば、今日の信仰者が恐れるべきことは、「終わりの日」に訪れてくる審判ではなく、一日一日の生活圏内に訪れてくる時間と瞬間を、どのように天のみ旨と一致させて生きるのか、すなわちどのようにみ旨と交差する道をつくっていくのかというところにあるのです。
今日私たちが生きている家庭、社会、国家、世界は、すべて私のみ旨に符合する環境を提供できていないので、私たちは、あらゆる苦真の中で善悪の分岐点を行き来しながら苦しんでいます。一日の生活をすべて勝利するためにも、周囲の環境との闘争を甘受しなければなりません。
一日の日課だけを見ても、朝に計画したことを、自信をもって一〇〇パーセントやり遂げることができないときが多いことを経験します。さらに、その環境の範囲が大きければ大きいほど、自分の一日の生活を勝利として結実させるためには、その範囲の大きさに比例して、より大きな決意と推進力をもたなければなりません。そのような一日一日が積み重なって一カ月になり、一年になり、ついには私たちの一生になるのです。
皆様。今日この地に生きている人々は、時間の制約から抜け出すことができません。人類歴史を見ても同じことです。個人、家庭、氏族、民族、国家、世界も、同じ時間圏内で動いています。人が生きていくところには、必ず達成しなければならない目的があります。その目的を中心として、十年、二十年、あるいは一生を走っていくのです。目的が大きければ大きいほど、内的な覚悟と決心が大きくなければなりません。時間という過程を通して、その目的を凌駕できる内的な決意を確固たるものにしない限り、その目的を成し遂げることはできないのです。
皆様は霊界のことが分かりませんが、レバレンドムーンは神様の特別な恩寵圏にいるために、この未知の世界についてはっきりと知っています。その世界の根本をのぞいて見ると原則は簡単であることが分かりました。そこは、神様の天理原則に従って「ために生きる人生」を生きた人たちは、自動的に天国に入るようになっていますが、利己的で自分だけを中心に生きた人たちは、地獄行きを免れることができない世界です。
ここで言う天国とは、神様が太初に願われた創造理想を完成した平和王国のことをいいます。そこが正に私たち人間が訪ねていかなければならない本郷です。今日の私たちは、堕落によって本郷から追放された私たちの先祖アダムとエバの後裔なので、本郷の地に向かって再び戻っていく運命に置かれていることを知らなければなりません。
しかし、その故郷は、人間の力だけでは帰ることができません。神様が、歴史過程を通して堕落人間が帰る道を設定してくださってこそ可能なのです。それで神様は、歴史を通じて、それぞれその民族の文化と伝統に応じて異なる宗教を立てて人類を収拾してこられたのです。宗教は、人間が本郷に帰る資格をもつ存在になれるよう錬磨させる訓練所にすぎません。東西、四方の文化背景によって、より高い次元に前進できる一つの統一された宗教世界に導いていく過程的路程なのです。
そのような本郷の所に導かなければならない使命があるので、宗教は利他的な人生を教えてきたのです。真の愛の真髄である「ために生きる人生」を実践するために、人間は柔和、謙遜を最優先に実践してきました。多くの人を敬い、全体のために生きる位置に立ちなさいということです。犠牲になって奉仕しなさいということです。
人生の究極的目的は何でしょうか。神様の愛を占領することが人生の行くべき最高の終着点です。男性も女性も、すべての人が行くべき道です。十回、百回死の峠を経て、死んでも行くべき道が、神様を求めていく人生行路だというのです。
人間の欲望の終わりはどこでしょうか。神様の愛を占領することだと言いました。しかし、神様を占領したとしても、神様の内的核である真の愛を占領できなければ、神様は自分の神様ではありません。ところが、神様の真の愛さえ占領すれば、神様はいらっしゃらなくてもよいというのです。神様のものが私のものであり、私のものが神様のものになるとき、初めて内外が一つになるのです。
そのような愛で満ちた所が理想天国だというのです。そのような位置に上がるようになれば、天下のすべての存在物で美しく見えないものはなく、自分自身のためでないものはないのです。
皆様。人類先祖の堕落によって、人間は誰彼を問わずサタンの偽りの愛を受け、偽りの父母であるサタンを父母として生まれました。皆様の父と母を通して、皆様にもサタンの血統はそのまま伝授されたのです。これが今日の皆様の姿です。
出発から偽りの父母に拉致されて間違ったので、再び原点に返って真の父母の血統によって再出発しなければなりません。私たちの人生はこのように深刻です。
皆様は、神様の愛、神様の生命、神様の血統を相続しなければなりません。祝福結婚を通してこそ、これが可能なのです。祝福結婚式は統一教会の宗教儀式ではないというのです。この式を通して、サタンの毒針を打たれて死んでいた皆様を、解毒して回生させる役事をするのです。
神様は、なぜ人間を創造されたのでしょうか。第一に、無形でいらっしゃる神様は、実体をもった人間の父母になられるために実体の人間を創造されたのです。実体がなければ、実体世界の中心の位置に立つことはできないからです。言い換えれば、神様は形態が必要だったのです。父母としての姿が必要だったということです。アダムとエバを通して、人類の実体の父母の役割をしなければならなかったのです。
第二に、無形に存在する神様御自身は、完成した子女を生産できません。縦的垂直線は一点に留まります。霊的な無形の世界では繁殖がないのです。垂直次元からそれを横的に展開して三六〇度を形成し、球形を形成してはじめて空間ができ、繁殖が可能になるのです。
したがって神様は、天国市民を生産する生産工場が必要だったのであり、その結果、横的なこの地上界を創造されるに至ったのです。男性と女性が出会って夫婦になれば、彼らは授受作用を通して球形を形成し、天国市民の生産工場になります。
御自身が理想とされた理想天国をいっぱいに満たして余りある天国人を、大量生産したいと思う神様であられたのです。結婚した夫婦は、子女を最大限にたくさん生んで育てなければならない理由が、正にここにあるのです。
第三に、愛の相対圏の永遠性を維持するためでした。このように神様は、御自身の愛の相対圏を永続的に保全しようと考えて人間を創造されたのです。
皆様。アダムとエバは、神様を「お父様」と呼びます。だとすれば、彼らの子女は神様を「おじい様」と呼ばなければならないのでしょうか。「お父様」と呼ぶのです。神様の愛を横的に広げて、繁殖させて生産されるその相対は、時間と空間を超越して、誰彼を問わず平等な価値をもつようになるのです。すなわち、完成した愛の価値は平等だという意味です。
神様の創造過程を調べれば、神様は万物を先に創造された基台の上に、最終的に人間を造られました。神様を中心としてすべてのものが始まりました。人間の創造を終えることによって、神様と人間、そして万物が平衡の取れた立場で統一するのを願われたのです。上には神様をはじめとして霊界があり、下では肉界を代表した万物を治める立場が人間の位置です。人間は、このように霊界と肉界を接続させる媒介体の使命をもっています。
今日私たちが生きている被造世界を見てください。そこには二種類の軸があります。それは見える軸と見えない軸のことをいいます。地球が太陽の周囲を公転しながらも、自転を継続するのと同じように、一つの主体を中心として回っている対象も自転しているのです。心と体の関係を考えてみれば、たやすく理解することができます。体が心の命令に従って動く公転をしながら、体自体も、自ら存在して作用するための自転運動をしているのです。すべての存在物は、このような原則によって存在します。同じように、今日の堕落人間を救う復帰の道においても、この原則は例外なく適用されるのです。
人間には心と体があり、心の上には霊があり、霊の上には神様がいらっしゃいます。したがって人間は、神様と完全に一つになってこそ、完全な人になるのです。
このように完全な人は、たとえ小さな個体の姿でも、全体の歴史を代表した存在であり、また未来のすべての関係を代表した存在なので、天宙的な価値を備えています。このような天宙的な価値を知れば、私たちは、生涯を生きていきながら、心を前に迎えてついていく生活をしなければなりません。これが天道です。心の命令、すなわち良心の命令に逆らう人は、天が放っておかない時が来ました。
皆様。今、皆様は後天時代を生きています。後天時代は、皆様の精誠と汗が実を結ぶ時です。霊界の四大聖人はもちろん、数千億の善の先祖たちが地上界に再臨して、子孫の摂理歴史に同参しています。
不安と恐怖と混沌の世界から脱出し、真の父母様の教えに従い、この地上に平和王国を創建しなければならない時です。民主世界の一等国の国民である皆様ができなければ、天は共産国家の無神論者たちを教育してでも、このみ旨を必ず成し遂げられるでしょう。
皆様。共鳴圏はどのような時に形成されるのでしょうか。自然界を調べてみると、共鳴というのは、振動するときに周波数が同じであることをいいます。音波が同じであれば共鳴圏が形成されます。そして、共鳴圏が形成されれば、回転運動が発生します。回るときには、ただ漠然と回るのではなく、核を中心として回るようになります。同じように、人間は、霊人体と肉身が神様の真の愛を中心として共に調和して回るようになるとき、霊的細胞と肉的細胞が共に作動するようになります。
人間の目を見ても、目が霊的、肉的の両面で完全に作動すれば、皆様の目は、肉界の実状はもちろん、霊界のすべての実状までも見ることができるようになるのです。同じ論理で、もし真の愛の力によって皆様の霊人体と肉身が一体となり、爆発する境地に達するようになれば、天上世界はもちろん、地上世界、そして神様とも共鳴する生活を送るようになるのです。さらに、私たちの心と体を一〇〇パーセント共鳴圏内に追い込んでくれるのは、神様の知恵でもなく、能力でもなく、力でもありません。ただ真の愛です。
人間個人を見ても、私たちは心と体の二重構造になっています。男女を問わず、心の人と体の人でできています。ですから、男性と女性を合わせれば四人になるといえます。しかし、神様の真の愛を中心とすれば、この四人が完全に一つになるのです。共鳴圏が形成されれば、自動的に一つになるのです。
皆様。いかなる存在でも、一つの核心があれば、それを中心として相対的存在が必ず存在します。それが宇宙の法則です。陽子を中心として電子が取り囲んでいるのと同じ原理の中で、神様と人間の関係も成立します。電子のような人間の心が、陽子のような神様の心の核心と関係を結んで作用しているので、神様は人間に対して復帰摂理をすることができるのです。
真理のみ言を尋ね求めていけば、神様の生命力と愛が和動するのを感じることができます。使徒パウロが言ったように、私たちが世の光になることができるのも、神様の真の愛のためです。
真理は永遠不変です。だとすれば、この悪の世の中で、果たしてどのように善と悪を分別しながら真理の道を行くことができるのでしょうか。自分を中心とする生活を脱皮して、より低い位置に下りていきなさいということです。聖書にも、「だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」(マタイ二三・一二)とあります。
人間の本質は霊的なものです。ですから、死んで霊界に行けば、人間の本質が人のために生きるようになっていることをより一層実感するようになります。人類がいまだに利己的な個人主義的人生のくびきから抜け出すことができずにいるのは、サタンと血統的関係をもっているからです。
今から皆様は、霊的な御飯を食べなければなりません。霊的な御飯と肉的な御飯のうち、どちらがよりおいしくなければならないでしょうか。皆様が生き残り、また神側に立つためには、霊的な御飯の味のほうが肉的な御飯の味よりも良くなければなりません。霊的な力を中心として生きる味のほうが、肉的な力をもって生きる生活の味よりも良くなければならないのです。
人間を「万物の霊長」と言うときも、結果的存在である人間自体だけを見て語る言葉ではありません。心のためです。万物は変わります。風化作用の前では耐えることができません。しかし、人間の心だけは、永遠に変わらない可能性をもって創造されたのです。したがって「万物の霊長」と言えば、お金や知識、あるいは権力を中心として語る言葉ではなく、神様の愛である真の愛を中心として語る言葉だということを知らなければなりません。
皆様。本然的な人間の関係とは何でしょうか。神様の絶対的な愛の圏内で、お互いが完成した真の愛を中心として楽しむことができ、称賛と尊敬の価値を現すことが本然の関係だと言うことができるでしょう。また天の関係と地の関係がそっくりそのまま和合し、一つに調和して現れたのが人間です。ですから、人間には見えない心と見える体があります。本来、神様が賦与された心と体の関係をそのまま保全していたならば、たとえ機能的には心と体が互いに分かれているとしても、全体的な面では永遠に一つだったでしょう。
皆様の生活を一度調べてみてください。内なる人と外なる人が闘っていることは否定できません。あとどのくらいこの闘いを継続されるのですか。十年ですか。百年ですか。それとも死ぬ時までですか。宇宙のすべての存在には厳然とした秩序があります。神様は、私たち人間をそのように不完全な状態に創造されたのではありません。
皆様がしなければならないことは、今から体を放り投げて心を取り戻すことです。そこには天運が共にあるでしょう。人間の霊人体と肉身の関係を見ても、より重要なのは肉身ではなく霊人体です。肉身は百年くらいたてば逝ってしまいますが、霊は時間と空間圏を超越して永生するのです。
いくら地上界で贅沢三昧をしながら裕福に暮らす人でも、結局のところは死ぬのです。皆様は、霊的な基準と肉的な基準をよく調和させ、霊肉が一つになった実体を完成して暮らしてから行かなければなりません。
ワールドピースキングブリッジ・トンネルの提案
尊敬する世界の各界指導者の皆様。皆様は今、良い時代を迎えています。神様の創造理想である地上天国、すなわち平和王国が皆様の目前で創建されつつあります。八十年以上の生涯を、血と汗と涙で綴られた一本道、ひたすら天の道だけを歩んできた私の人生が、今では六十億人類のための勝利的結実を収めているのです。
世界百八十ヵ国以上で、天のみ旨と伝統を相続した数千数万の平和大使たちが、真の愛と真の家庭の価値を叫びながら昼夜を問わず走っています。この地に平和世界を創建しようと総進撃をしています。世界の火薬庫といわれる中東でも、レバレンドムーンの平和思想に力を得て、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム(イスラム教)が新しい次元の平和的対話を行っています。
東西間の冷戦に終止符を打つために決定的な役割を果たしたのも、レバレンド・ムーンの「統一思想」でした。私の祖国、韓半島統一のための実質的背後作業も、今レバレンドムーンの主導のもとに進行しています。
皆様。しかし、私は、決してここで満足することはできません。天命を受けて出発した私の生涯です。天が印を与え、人類の真の父母として顕現した私が天と結んだ約束は、必ず成し遂げなければなりません。
私は、きょうこの貴い檀上をお借りして、全人類に実に重大なことを一つ宣布しようと思います。サタンによって歴史的に東と西、南と北に分けられ、地理的には、北アメリカ大陸とロシア大陸を分けているべーリング海峡に、橋梁を建設するか、海底トンネルを掘るのです。そうして、アフリカの喜望峰からチリのサンディアゴまで、イギリスのロンドンからアメリカのニューヨークまで、自動車で全世界を巡回、疾走できるようになる世界超高速道路を連結する「ワールドピースキングブリッジトンネル」を架け、世界を一日生活圏にしようというものです。
これ以上、分断と分裂は容認できないというのが天の警告です。全世界を一日生活圏として結び、人種、文化、宗教、国家の壁を崩し、神様が何よりも願ってこられた平和世界をこの地球星に創建しようというものです。アメリカとロシア、ヨーロッパ、中国、インド、日本、ブラジルなど、世界のすべての国家と宗教が共に力を合わせ、この歴史的なプロジェクトを成功させなければなりません。この事業の成功によって、人類はこれ以上戦争と分断が必要ない平和王国の創建に向かって、もう一歩さらに近づいていくことができるでしょう。
天運を動かすレバレンドムーンと歩調を合わせよう
皆様。人類は今、レバレンドムーンの教えである「真の愛、真の生命、真の血統の平和思想」を受け入れなければならない行き詰まった道に入りました。天の権勢が追い込めば、いくら強大に見える国家や民族だとしても、おとなしく従わざるを得なくなるでしょう。
今から選択は皆様のものです。私が先ほどの祈祷文で明らかにした天道の教えは、今日の二十一世紀を生きていく皆様にお伝えするこのメッセージと一言も違うところがありません。天運に従って栄え、勝利していくレバレンドムーンと歩調を合わせ、この地に真の家庭、真の社会、真の国家、真の世界を創建する主役になりますか。それとも、サタンが好む旧態依然の宗教の壁、文化の壁、民族の壁、人種の壁の虜となり、余生を呻吟と後悔の中で終えますか。
天は、この邪悪な世界をひっくり返して、この地に新天新地を創建する勇将たちを呼び求めています。ぜひ、きょう私がお伝えした天のメッセージを胸深く刻み、皆様の人生に新しい座標を立てる賢い指導者となることを願いながら、これで終わりにしたいと思います。神様の祝福が皆様と皆様の御家庭、そして皆様の国の上に満ちあふれることをお祈りいたします。ありがとうございました。