レバレンドE/span>ムーンが展開してきた超宗派E/span>超国家活動
真の愛の回復のために生涯を生きてきたレバレンドE/span>ムーン
建国精神を失ったアメリカを生かすために努力してきたレバレンドE/span>ムーン
1.ウォーターゲート宣言文
日付:一九七三年十一月三十日
内容:米紙「ニューヨークタイムズ」全面広告
私は十六歳(数え)の時以来、絶えず神様の啓示を体験してきました。そのため、私は今まで世界に対し数多くの奥妙な神様の啓示を宣布するようになりました。
一九七二年一月一日、神様は、私の祈っているときに再び現れて、「アメリカに渡り、アメリカの人々に希望と団結をテーマに叫びなさい」という厳粛な啓示を与えてくださいました。神様の召命に従って、私は、「希望の日」講演会を全米で開催することになりました。そして現在、進行中であるアメリカの全国巡回講演は、「希望と団結」というテーマのもとに、一九七三年十月一日、ニューヨークのカーネギーホールを皮切りに、二十一ヵ都市を巡回する予定です。
ニューヨークでの講演に続き、ボルティモア、フィラデルフィア、ボストン、ワシントンDC、ニューオリンズ、ダラス、タンパ、ならびにアトランタなど、合わせて九ヵ都市で既に講演を終えました。これらのアメリカの各都市では、とても温かくて親切な歓迎を受け、私は深く感動しております。とりわけ、ボルティモア、ワシントンDC、ニューオリンズ、ダラス、タンパ、アトランタの市長、そしてジョージア州知事の方々が、私のささやかな努力に大いに賛同し、「希望と団結の日」を宣布してくださったことに対して、心から感謝申し上げます。
私は今回のアメリカ巡回ツアーの中で、深刻な悩みの中で呻吟するアメリカを発見しました。アメリカの道徳的、精神的没落は、実に悲しく衝撃的なことでした。アメリカ国民は、精神的にも、心霊的にも、致命的な傷を負っており、ウォーターゲート事件によって、抜け出すことのできない悲劇の中で身もだえしている姿をはっきりと見せつけられました。恐らくこれはアメリカ史上、空前の危機と言っても過言ではないでしょう。今日、アメリカが直面しているこのような事態は深刻なものです。それは政治的、経済的、社会的な問題だけではなく、人間の心の危機なのです。この悩みはホワイトハウスの一人に限定された悩みではなく、私たち全体の悩みであり危機であると私は思います。
一九七三年十一月十日、私は四カ月間の「希望の日」の巡回講演の途中、二週間を割いて、韓国に一時帰国し、深刻な祈りと瞑想の中で、アメリカの難局をいかに打開し、どこから新たな希望を見いだせるか、ということについて身もだえする時を過ごしました。今日私たちは、アメリカの煩悶について、あまりに多くの声を聞いています。何が間違っているのか、誰が悪いのか、これはこうしなければならない、それはそのようにはできないなど、人それぞれが叫ぶ世論の声を聞きます。悪辣な非難は、今やアメリカ人の茶飯事となりつつあり、痛烈な憎悪は、アメリカ人の霊魂を枯らしつつあります。
「大統領を弾劾せよ」という多くの人たちの怒りのこもった声が次第に高まりつつあります。世論は無数に分裂し、人々の心は荒れすさぶばかりです。アメリカの大統領をその職にそのままとどまらせるべきか、それとも辞職させるべきか、という深刻な問題は、暗澹たる現実的問題となっているのです。
私たちは一九六三年に、アメリカのケネディ大統領が、同じアメリカ人の凶弾に倒れたのを目撃しています。しかし、今日、アメリカ国民は、知らず知らずの間に、もう一人の大統領を徐々に死へと追いやりつつあるという恐るべき事実を、どれだけ認識しているでしょうか。ケネディ大統領を貫いた弾丸!その弾丸は、たとえ悲劇を招いたものだとしても、アメリカ国民の思いを悲しみと懺悔によって一つに団結せしめたのです。しかし、今日、もう一人の大統領を死に追いやりつつある悪という弾丸は、大統領を破壊させるばかりではなく、その巻き添えに国までも破壊する恐るべき弾丸なのです。
悪と不信の争いに、勝者はいません。心あるアメリカの人々は今、アメリカの将来について深刻に心配していることと思います。アメリカは、今やこの致命的な一撃を被ったために、再起不能になってしまうのでしょうか。
アメリカのこの真っ暗で暗澹たる歴史的瞬間に、どうしたことか、誰一人としてその解答を神様に求める声が聞こえてきません。アメリカのこの受難の時期に、「果たして神様のみ旨は何か」と問う人の声を聞くことができないのです。アメリカが本当に「神様のもとでの一つの国家」であるならば、この難局に対する解答は、必ず神様からやって来るというのが鉄則ではないでしょうか。
私は、アメリカの脈拍に耳を傾け、鼓動の音を聞いているのです。しかし、みな大変なことになったと言いながらも、神様にその進路を尋ねる人がいません。アメリカが引き続き混沌の中で、あれこれとあげつらい、騷々しく騒ぎ立てている間に、国は一歩一歩と奥深く火の中に陥りつつあるのです。
今こそアメリカは、「我々は神を信ず」という精神を発揮する時ではないでしょうか。その精神こそがアメリカの建国精神でした。正にその精神ゆえに、神様はこの国を祝福されたのです。その上、アメリカは神様の世界摂理史において、今その重大な使命を遂行しているのです。
神様にとって、今日のアメリカはとても重要です。アメリカの危機は、取りも直さず神様の危機なのです。ですから、アメリカの問題に対する解答は、神様から来なければなりません。神様だけがその解答を知っておられるのです。それで私は神様に祈ってみました。神様がその解答を下さるよう、神様に談判する祈りの時間をもったのです。やはり神様は答えを下さいました。神様が語られた最初の言葉は「赦しなさい」というものでした。
アメリカは赦さなければなりません。誤りがいかなるものであれ、過ちがいかばかり大きなものであれ、アメリカは赦しの美徳を行わなければなりません。ウォーターゲート事件は大きな過ちです。しかし、それは、ある特定の一人の人の過ちではなく、アメリカ全体の過ちであり、アメリカ国民全体の過ちなのです。これはアメリカが共同で責任を負わなければならないことなのです。
主の祈りにはこうあります。「我らに負債のある者を我らがゆるしたるごとく我らの負債をもゆるしたまえ」と。今日、アメリカが、神様に赦してもらうことを望むならば、まずは私たちが互いの罪を赦し合わなければなりません。ウォーターゲートは、アメリカ大統領一人の試練ではありません。アメリカ人全体の信仰の強さの試練なのです。
この国は果たして致命的な危機に直面しても、神様に対する信仰を堅持していくことができるのか。この国は果たして、二百年前の建国当時の美しいキリスト教の精神と伝統を今も維持していくことができるのか。この国は果たして、寛大さと互いに赦し合う愛の精神を発揮できるのか。
これはまさしくアメリカ国民全体の試練なのです。昔、ニューイングランドに上陸したアメリカの最初の移住民たちも、その当時、多くの致命的な過ちを犯しました。しかし、彼らは、神様に対する一つの共通した信仰と精神ゆえに、彼ら自らの過ちを克服しただけではなく、この国を繁栄へと導いてきたのです。
聖書を見ると、律法学者やパリサイ人が、姦淫の女性をイエス様のところに連れてきて、イエス様を試みた話があります。律法によれば、姦淫の女性は石で打たれなければなりませんでした。しかし、イエス様が、この女性を通して教えてくださった教訓は「赦し」でした。「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げるがよい」とイエス様は叫ばれたのです。
その言葉を聞いた群衆は、年寄りから始まって、一人一人静かに去っていきました。ついに群れのすべての人がいなくなって、イエス様と女性だけが残りました。イエス様はその女性に「女よ、みんなはどこにいるか。あなたを罰する者はなかったのか」(ヨハネ八一〇)とお尋ねになるとその女性は「主よ、だれもございません」(ヨハネ八一一)と答えました。
するとイエス様はその女性を起こして、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」(ヨハネ八一一)とおっしゃいました。誰もあえてその女性に石を投げる者がいなかったのです。今は、誰一人として罰する石を投げる時ではありません。今は皆様がお互いに罪を審判する石を投げ合っている時ではありません。本当にやむを得ず石を投げなければならないのなら、自ら自分を審判する石を投げてください。そうすれば神様は赦してくださるでしょう。イエス様はその女性をそのまま帰らせたように、ウォーターゲートをそのまま帰らせてください。そして二度とウォーターゲートを繰り返さなければよいのです。
私はまた、ニクソン大統領のために多くの祈りを捧げました。私は、「ニクソン氏という人に対して、私たちはどうしたらよいのでしょうか」と率直に神様に尋ねてみました。すると神様は、「愛しなさい!あなたの義務は愛することである」と答えてくださいました。私たちは、リチャードニクソン大統領を愛さなければなりません。イエスキリストは自分の敵さえも愛しました。皆様は、自分の大統領を愛することができないのでしょうか。皆様の家族の中で一人が事故を起こしたら、皆様はどうしますか。彼をけなし、非難し、突いて投げ出しますか。もちろん、そうはしないでしょう。皆様はその家族を助けるでしょう。愛するでしょう。無条件に慰め、愛するのです。皆様は、ニクソン氏を皆様の兄弟の一人として愛さなければなりません。皆様は、アメリカの家長を愛さなければなりません。皆様は、自分たちの大統領を愛さなければならないのです。この国は神様の国です。ですから、アメリカ大統領は、天が与えてくださった聖職です。神様は民意を通じてアメリカの大統領を任命されるのです。
アメリカの大統領は、手を聖書の上に置き、神様のみ前に誓いを立てて、初めて大統領になります。歴史の現時点においては、神様はニクソン氏を選び、アメリカの大統領にお立てになったのです。ですから、ただ神様だけが彼を解任する権限をもっておられるのです。私たちの唯一の義務は、ひたすら大統領の聖職を支援することだけです。もし神様が自らお選びになった人が不適切であると認定されるのであれば、神様はニクソン大統領の良心を通して、そのみ旨を彼に現されるでしょう。私はそのような能力をもっていらっしゃる神様を信じます。
最後に、神様から受けた戒めは、「団結せよ!アメリカは団結しなければならない」というみ言でした。アメリカは赦しの精神で団結しなければなりません。アメリカは愛の精神で団結しなければなりません。愛は団結の原動力です。アメリカは過去において団結するすべを知る国民だったのであり、団結することによって偉大な国を地上に建設した伝統があります。アメリカは五色人種と数多くの国籍の人々と数多くの宗教が合わさって調和を形成した美しい国です。その調和の原動力は、神様を中心とした信仰であり、相互信頼の精神なのです。
アメリカの今日の危機は克服することができます。私たちは今正に、神様に対する信仰を回復し、愛で団結することによって危機を克服しなければなりません。アメリカの運命は世界の運命と直結しています。アメリカが成功するか失敗するかが、神様の計画に影響を与えるのです。神様の現代の摂理において、アメリカは選ばれた勇士です。アメリカの建国二百周年記念を数年後に控え、神様はアメリカをウォーターゲート事件によって試しておられるのです。アメリカは当然、赦しと愛によってこの試験に合格しなければなりません。
信仰を復活させましょう。神様に対する信仰は、アメリカの繁栄の原動力ではなかったでしょうか。アメリカは現代のダビデとして、悪なる現代のゴリアテに勝利すべき宿命的な使命があると私は思います。アメリカは神様のみ旨に従わなければなりません。それ以外に、アメリカの生きる道はありません。
アメリカの人々にこのような話をする私は誰でしょうか。私はアメリカ市民ではありません。私は韓国人であり、アメリカに来た客です。しかし、私は誰よりもアメリカを愛するからこそ、このような話をするのです。私はアメリカを自分の国のように愛しております。神様はアメリカを愛していらっしゃいます。また私は神様を愛していますし、神様は私の父であられます。父の国はすなわち息子の国ではないでしょうか。アメリカは、アメリカを最も愛する人のものです。私は、アメリカの出来事が、自分のことのように心配になります。正にこのような思いから、私はあえてウォーターゲート問題に対し、僭越ながら言及する勇気をもつに至ったのです。その上、私は長い間、待ちました。長い間、待ちに待っておりました。私でなくても、誰か偉大なアメリカの精神的指導者たちが、アメリカを精神的に引っ張り、この暗澹たる状態から、ウォーターゲートを越え、神様に対する信仰によってアメリカを一つにする運動を始めることを心待ちにしておりました。
しかし、残念なことに、誰一人としてアメリカの精神的指導者たちが勇気をもって立ち上がり、赦しと団結を叫ぶその声を聞くことができませんでした。荒野のように荒れ果てて、荒涼とした今日のアメリカを団結へと導いていく「荒野で呼ばわる者の声」を耳にすることはできませんでした。そうこうしている中で、神様は再び私に現れて、「恐れるな!ニネベの町を悔い改めさせたヨナを思い起こせ。信ずるところを叫べ!」とおっしゃいました。私は神様の命ずるままに動いたにすぎません。
世界の統一教会の創立者である私は、ここに、十二月一日から、私たち教会員によって千日断食祈祷を実施することを厳粛に宣言いたします。このことを通じて私たちは、アメリカの伝統的キリスト教の信仰に立脚した愛と赦しの精神で、ウォーターゲート事件によって引き起こされた危機を克服する一大覚醒運動を起こすのです。私たちは「希望と団結の日」のための一大精神革新運動を、挙国的な次元で出発するのです。
今は本当にアメリカにとって、道徳的危機であり、意気消沈の日です。しかし、この日はまた、アメリカ人たちがこの国の偉大さと信仰と勇気を誇示できる、いまだかつてない機会でもあります。歴史を通して、偉大な国民は、その国民性の偉大さを、平時においてではなく、危機の状況のもとで常に証明してきました。今は正に神様を信じる偉大な国民であるアメリカ人たちが、偉大な国民らしく行動すべき時です。そうなれば、この日は新しい希望の日となり、団結の日となるでしょう。「我々は神を信ず」というこの言葉に、アメリカの興亡の鍵があります。アメリカは神様のみ旨を目指さなければなりません。そして、アメリカの歴史におけるこの時点において、アメリカに対する神様の啓示は、「赦せ、愛せ、団結せよ」という三つの言葉なのです。
2.アメリカを中心とした神様の計画
平和経 第九篇 国境線撤廃と世界平和
日付:一九七五年十二月十八日
場所:アメリカ、ワシントンDC、国会議事堂コーカスルーム
行事:第二回アメリカ国会上下院議員招請講演会
親愛なるアイコード議員、国会議員の皆様、そして紳士淑女の皆様。まず私はアイコード議員の親切な御紹介の言葉に対し、衷心より感謝の意を表し、また御多忙中にもかかわらず、このように参加してくださった皆様に感謝申し上げます。
きょう私は、美しいアメリカ国会のこの殿堂で、皆様にお話しすることができ、光栄に存じます。優秀であられるアメリカの国会議員各位をお迎えして、お話しできるこの機会は、私にとって二度目です。その最初の機会は一九七四年十月八日でした。それから約十四カ月が過ぎたきょう、私は再びこの殿堂に立ちました。
これまで十四カ月が経過する間、私は次第にアメリカのマスコミにおいて論難の的になりました。全国の各新聞は、私に対する記事を大書特筆し、いくつかの雑誌は私の写真を表紙に載せ、カバーストーリーとして扱いました。ある写真は、本人よりも見栄えよく写っているように感じられるものもありました。広告代を一銭も払っていないのに、私のことをこのように有名にしてくれたアメリカの言論機関の各位に、どう感謝の言葉を申し上げたらよいか分かりません。
アメリカの言論機関が物議の焦点としているのは、私がアメリカの青年たちを洗脳していると思っていることです。それでは、賢明なアメリカ人の皆様に、一言お聞きいたします。いったいアメリカの人々は、このレバレンドムーンによって洗脳されるほど愚かな人々でしょうか。いいえ、違います。私の答えも同じです。私は、アメリカの人々を尊敬しています。それにもかかわらず尊敬するアメリカの人々がこのような非難をすることが理解し難いのです。暴力を使ってまで非難するのは理解できないことです。
しかし、きょうは、弁明するためにここに来たのではありません。私は神様が伝えるようにと言われたみ言を証すために来たのです。その他は歴史が証明するでしょう。今から私がお話ししようとする題目は「アメリカを中心とする神様の計画」です。
私たちが神様の計画を知ろうとすれば、まず神様のみ旨が何であるかを知らなければなりません。神様は、永遠、不変、唯一、絶対的な方です。したがって、神様のみ旨も、永遠、不変、絶対的なものにならざるを得ません。神様が人間を創造される際に、その目的と理想があったのですが、その目的が成し遂げられていれば、その世界は、愛によって統一された世界となり、神様を父母として侍り、全人類が兄弟姉妹として仲むつまじく暮らす単一世界となり、人類大家族の世界となっていたでしょう。
言うなれば、その世界は、み旨の中で一つに統一された世界なのです。この統一という課題が、今日人間にとって最も重要なものであり、そのために極めて難しいものとして残されているのです。個人においては心と体が一つになり、家庭と家庭が一つになり、民族と民族、国家と国家、東洋と西洋、神様と人間が一つに統一された世界なのです。言い換えれば、神様の創造目的が完成した世界が、統一の世界です。
しかし、今日の現実はこのような理想世界からは、あまりにかけ離れたものであり、何かが根本的に間違っていることは明らかです。それは何でしょうか。人間の先祖アダムとエバの堕落によって、神様のみ旨が成就しなかったのです。ですから、個人の心と体が分かれ、家庭と家庭、民族と民族、国家と国家、東洋と西洋、神様と人間のそれらすべてが分かれ、分裂と不調和の中で生きているのです。このように分裂した人間自体は、本然の機能を失ってしまった病気の状態にあるのです。神様の人類救援の目的は、この病に伏した人間を診察、処方して治療する医者を送り、病気になる以前の状態に原状復帰させようとすることであり、この救援の摂理は、すなわち復帰摂理と言えるのです。ここにおいて医者として来られる方がすなわちメシヤなのです。
それでは、メシヤの降臨に先立ち、神様は何をどうされたのか、そしてメシヤは来て何をしようとしたのかが問題です。神様はみ旨を成就させるために必要な中心宗教を立て、それを基盤として神様の選民である中心国家を立て、その中心宗教と中心国家を通じて世界全体を救援し、復帰しようと摂理してこられたことをはっきりと知ることができます。その中心宗教がすなわちユダヤ教であり、その中心国家がイスラエル選民国家でした。その宗教とその国家の使命は、メシヤを迎えて、全世界を救援するみ旨を完成することです。神様のみ旨成就に先立ち、たとえ困難に直面し、犠牲の十字架を背負うようなことがあったとしても、全世界を救わなければならないのが、その中心宗教の使命であり、またその中心国家の使命なのです。
このような明らかな公式的み旨があって、神様はメシヤを送る前に、ユダヤ教を立て、彼らを通してイスラエル民族を訓練し、メシヤを迎える準備をさせてきたのです。そうして、神様のみ旨であり、民族のみ旨である人類救援の摂理は、メシヤによって完結され、統一された理想世界が成し遂げられるはずでした。
しかし、二千年前に、メシヤが来られたとき、どうなったでしょうか。ユダヤ教とイスラエル民族は、世界万邦が自分たちの足もとで制覇され、イスラエル民族だけが栄光の座に着くことを夢見ていたのです。彼らは、世界の救援という至上課題を先に考えるべきだったにもかかわらず、自分の国を先に考えたのです。そこから、世界のことを先に考え摂理される神様やメシヤと彼らとの間に、大きなずれが生ずるようになったのです。
そのような中で、メシヤとして来られたイエス様は、ユダヤ教とイスラエルを基盤として世界を救援するために、教会と民族に対して世界に向かう革新的な言動を取っているうちに、既存の立場を固守するユダヤ教とイスラエル国家の反対に追われ、ついに十字架に架けられて亡くなってしまったのです。その後、み旨成就に失敗したユダヤ民族は悲運の道を歩むようになり、イエス様を中心としたキリスト教は、国家の基盤を喪失したまま、信徒たちは迫害の中で多くの殉教の代価を払いながら、ローマ帝国でみ言を広め始めました。
ここで知らなければならないことは、選ばれた者がその使命を果たせなかった場合に、神様は、み旨を成し遂げるにふさわしい宗教を再び立て、そこにふさわしい中心国家を再び立てるということです。そこでキリスト教がその中心宗教として、み旨のためのより高い立場でユダヤ教の使命を受け継ぎ、当時世界的な国家だったローマ帝国にとどまるようになったのです。
そのようにして準備したユダヤ教とイスラエルの国は失われてしまったのですが、キリスト教は、ユダヤ教とイスラエルの国の失敗を清算するための四百年間の迫害の末、ローマに国教として受け入れられるほどの基盤を築くようになりました。
当時、教皇庁が中心に立ち、ローマ帝国と完全に一つになって、全世界の救援を目指して前進しなければなりませんでした。もしもローマ教皇庁が、そのようなみ旨をはっきりと知って、国家と一つになり、いかなる犠牲の十字架を負ったとしても屈せずに前進していたならば、世界を救って余りあったでしょう。しかし、教皇庁は、神様のみ旨に背き、自分たちを中心として国家を動かし、そのもとに隸属させる機関と化してしまったのです。
このように神様のみ旨とは反対の道を行くので、神様は教皇庁から離れるようになり、中世暗黒時代が到来するようになりました。その後、教皇庁の威信は人本主義の思潮に襲われ、地に落ちてしまいました。ですから、神様はプロテスタント運動を起こし、世界救援の道を再び整えなければならなくなったのです。このような風潮に乗じて、自分の離婚を正当化しようとしたイギリスのヘンリー八世は、カトリックに対して反旗を翻し、議会を動かし、首長令を発することによって、ついにイギリス国教会を打ち立てました。
その時のイギリスは、プロテスタントと和合できる良い機会をもっており、ヘンリー八世は自ら悔い改め、次元の高い教会と国家を目指して前進できる立場に立っていました。神様のみ旨は、ローマ帝国を離れてイギリスに移り、世界救援の道を整えていたので、イギリスという小さな島国が、数百年の間にその版図を広げ、「五大洋六大州に日の沈むところがない」といわれる世界的な強大国になりました。
神様がこのように、イギリスに文明の極致を享受させ、輝かしい祝福を与えたのは、イギリスだけのためではなく、世界を救おうとされる神様のみ旨を成就させるためでした。
当時、神様のみ旨を成就しようと理想的国家を夢見て立ち上がった清教徒運動者とプロテスタント運動者が合致して、イギリス全体が一つになっていたとすれば、超国家的な立場で、神様のみ旨の中で一つになり、名実ともの「ユナイテッドキングダム(United Kindgom:連合王国)」という世界的な国家形態を築いたのです。
しかし、イギリスは、この重大な使命を悟り得ず、神様の祝福をイギリスだけのためのものとして享受し、一方、清教徒を迫害し、植民地から搾取する立場に陥ってしまったので、そこで神様のみ旨は再び移らざるを得なくなったのです。
当時、清教徒が、反対と迫害に耐えかね、苦難を打開し、信仰の自由を求めて、教会と国を捨てて立ち上がったカナンの地のような所がアメリカ大陸でした。天のみ旨を携えて、命を懸けて大西洋を渡ってきた代表的な群れが、皆様の先祖「ピルグリムファーザーズ」だったのです。彼らと共に天の祝福はアメリカ大陸に移りました。そのようにしてここに集まった超民族的清教徒の群れは、信仰の自由のために神様のみ旨の中で強く団結し、独立軍を起こしてイギリスと戦った結果、神様の加護のもとに勝利しました。このようにしてプロテスタントを中心とした超民族的な国家が形成されたのですが、これが正にアメリカの建国の歴史です。
そのようにしてアメリカは、神様のみ旨を中心として世界救援の旗手となり、教会と国家が一つに団結し、神様の歴史的な願いである全世界救援のみ旨を果たす重大な使命を負うようになったのです。アメリカの建国理念が「神様のもとに一つの国」だったことは、何も偶然なことではなく、すべて神様のみ旨の中でそのようになったのです。
このように、神様は六千年の摂理歴史を勝利で完結させる目的のために、イスラエルの失敗以後の二千年歴史を、第一イスラエルの国とユダヤ教に代わる立場で相続、継承したのがアメリカとキリスト教でした。
イエス様以降二千年間に失敗した内外の条件を、二百年の歴史を通じて清算し、アメリカは精神文明と物質文明を兼ね備えて、神様のみ旨の中で世界を救うために再び来られるメシヤを迎える条件を具備した国になったのです。そうしてキリスト教とアメリカが一つになって、神様のみ旨を世界的に完結すべき、第二イスラエル型の世界的国家となったことを、皆様は知らなければなりません。
今や、アメリカ国民は、今日のアメリカを築いた神様の祝福が、決してアメリカだけのための祝福と思ってはいけません。この祝福は世界のための祝福であり、またアメリカ自体も、アメリカだけのための国ではなく、世界人類のためのアメリカであることを深く悟り、全世界人類の救援のために、いかなる犧牲や十字架も避けてはいけません。
イスラエルとローマ帝国とイギリスが、神様のみ旨を受けたにもかかわらず、その使命完遂に失敗した内容を知って、アメリカは必ず神様のみ旨を成し遂げる国にならなければなりません。アメリカは、超民族的に構成された国という意味で、世界を救うことのできる最もよい条件を具備しています。このように五色人種が合わさって暮らす国は、かつて歴史上になかったのであり、神様の加護がなかったとすれば、既に分裂し、争いながら滅んでいくしかなかったはずですが、むしろ祝福を受けて栄えることができたのは、驚くべき神様のみ旨があったからです。アメリカの国民は、今や神様の祝福の意味を知って、深く覚醒しなければなりません。
アメリカは、精神文明と物質文明の極致を築き上げた、神様のみ旨の中に準備された代表国家として、第一イスラエルがメシヤを渇望したように、再び来られる主を待ち望み、迎えて、創造理想を完結した統一世界を成就する国にならなければなりません。
第一次、第二次世界大戦を勝利に導いたのも神様であり、アメリカをして国連を編成させたのも神様のみ旨でした。本来国連は、キリスト教を中心とした世界の国々が結束する本営にならなければなりませんでした。共産主義国家の加盟は、絶対に神様のみ旨ではなかったのです。
またアメリカは、戦後の処理を間違えました。第二次世界大戦に勝利した連合国と三国同盟国(日独伊)がもっていた国までも適切に保護し、管理する責任が、アメリカにありました。もしアメリカが神様のみ旨を知っていたならば、サタン側の国家であるソ連を堂々と制圧し、世界万邦の自由国家を集め、民主世界に結束させて、神様のみ旨の中で全世界を復帰しなければなりませんでした。その時こそ、それができる良い機会でした。しかし、アメリカは、当時アジア諸国と東欧衛星国家を実質上共産圏に与えてしまい、韓国とドイツを分断させてしまいました。
第二次世界大戦の勝利は、神様の版図を広めて、世界へと進出させようとした神様の祝福の結果でした。しかし、アメリカは、結果的に若者たちの血の犠牲を無駄にしてしまい、神様を否定する不倶戴天の怨讐、共産主義世界を有利にしてしまったのです。その時、犠牲となった若者たちの怨恨の血の叫びが、いまだ絶えずにあることを、アメリカは知らなければなりません。
さらにアメリカは、自由陣営を守護すべき聖職から後退することによって、ベトナムのようにその保護下にいた国を一夜にして悲運の供え物としてしまったがゆえに、アメリカの国際的信義は地に落ちてしまい、怨みの声が日々高まっています。国連はその機能を喪失したまま、共産主義国家の独り舞台となり、イスラエルとアメリカと韓国は片隅に追われる恥辱を受けています。そればかりでしょうか。アメリカにおいては、様々な尋常ではない国内問題が日増しに深刻になっています。人種問題はもちろん、麻薬問題、青少年の淪落と家庭破錠、犯罪問題などです。どれ一つ取ってみても深刻でないものはありませんが、中でも共産主義問題は致命的です。
神様に侍るとい宗教会が、これらの問題を解決する主役を担わなければならないのですが、教会は日に日に若者を失い、ある所は養老院化しつつある状況です。家庭と国家と世界を見つめながら全体のために生きるという神様のみ旨に背き、極度の個人主義的な人生観と価値観によって生きるアメリカ人は、神様の審判を免れることができないことを恐れなければなりません。このままでは、神様は離れていかれ、そうなればアメリカは祝福を奪われて悲惨になるのです。既にそのようになりつつある現実を直視しながら、誰よりも国会議員の皆様をはじめとする為政者の皆様が覚醒し、頑張っていただきたいと願います。
皆様の心の中には神様はいらっしゃいますか。皆様の家庭に、皆様の町に、皆様の社会に、皆様の国家に神様はいらっしゃいますか。またホワイトハウスに神様はいらっしゃいますか。もっと重要なことは、教会に神様がいらっしゃるかということです。今では、それさえも疑問です。
神様はすべてを一つにさせる力なので、神様が共にあってこそ、個人の心と体もう一つになり、夫婦と家庭が一つになり、民族が一つになり、国家が一つになり、東洋と西洋が一つになり、世界が一つになり、天と地もう一つになり、神様と人間が一つとなった統一の世界が来るのです。そのような世界になれば、共産主義は影すらもなくなるでしょう。神様さえいらっしゃれば万事が解決されるのですが、神様を失う日にはすべてを失ってしまうのです。
そのようなことを知ったからには、すべてを犠牲にし、アメリカ全体を犠牲にしてでも、探さなければならないのが神様であり、全世界の人類であることをはっきりと知らなければなりません。アメリカが覚醒し、国民が団結して、神様を中心として再び結束する運動を起こさなければならないのです。キリスト教を団結させ、すべての宗教を糾合して、次元の高いみ旨の世界に向かうアメリカとなれるように、精神的革新運動が起こらなければなりません。
しかし、今のキリスト教のままでは、それはできません。汎国民的に教育して、徹頭徹尾精神武装させる新しい指導理念が絶対に必要です。それは現在の民主主義理念だけではできません。共産党を追放し、神様を中心とした愛と真理で、新しい社会秩序を樹立する運動が起こらなければなりません。そのような目的に向かって青年たちを結束、団結させ、アメリカを覚醒させて、世界的使命を担当しようと準備、訓練しているのが正に統一教会運動なのです。
統一教会は、それを成し遂げる内容と理念と実践力をもっています。アメリカを中心とする神様のみ旨とその計画を理論的に明らかに教えてあげ、アメリカをはじめとする西洋の物質文明と東洋諸国の精神文明をつなげて、全世界に統一文化圏を築き上げることによって、神様のみ旨である創造目的を完成した理想世界をこの地球上に建設しようとしているのです。韓国は、西洋文明と東洋文明が連結するアジアの高きやぐらであり、最後に残された基点となるのです。
そのような意味で、アメリカが韓国を保護せざるを得ないのは、神様のみ旨によるものであることを知らなければなりません。そのように東西を連結するという驚くべき歴史的使命を悟れず、自国だけで定着しようとするアメリカを再び覚醒させ、その使命を果たさせるために、神様はレバレンドムーンをアメリカに送られ、活動するように命令されたのです。
神様のみ旨の中で、アメリカの果たすべき至上課題は、イスラエルとローマ帝国、イギリスのような国々の前轍を踏まずに、その建国精神に立ち返って、徹頭徹尾神様に侍る国として、み旨の公式どおりに教会と国家が一つになり、アメリカを犠牲にしてでも全世界を救おうとする立場で、神様と共に力を尽くして地上天国を築く時まで先頭を走る旗手としての使命を果たすことです。そうすれば、アメリカは永遠であられる神様のみ旨を完成させ、永遠に祝福を受ける国となるでしょう。
きょうこの会場、この時間が、将来訪れる統一された理想世界、すなわち地上天国の礎を据える契機となることを願います。皆様と皆様の御家庭、皆様の仕事場、皆様の国に、万福が宿ることを願いながら、私のお話を終わらせていたたきます。ありがとうこざいました。
3.アメリカは神様の希望
平和経 第九篇 国境線撤廃と世界平和
日付:一九七六年六月一日
場所:アメリカ、ニューヨーク、ヤンキー・スタジアム
行事:アメリカ合衆国建国二百周年記念講演会
親愛なるアメリカ市民の皆様。そして世界からいらした尊敬する代表者の皆様。私はきょう、「アメリカは神様の希望」と題してお話ししたいと思います。
きょう私たちは、壮大なヤンキー・スタジアムでアメリカ独立二百周年を祝う歴史的な祭典に集まりました。ヤンキースタジアムでのきょうの集会は、次のような意味で唯一無二のものであると言えます。その第一に、私たちが開くこの祝祭が徹頭徹尾神様の名によって行われたことです。
今日、私たちは、「世界における自分の国」を考えながら暮らさなければならない、新しい次元の時代に差しかかっています。私たちが暮らしているこの地上には、二種類の人たちがいますが、その一つは自分だけを中心として生きる人であり、もう一つは個人と家庭を越え、国家と世界のために生きる人です。古今東西を問わず、主導的役割を果たしてきた人たちは、より公的な生活をした人たちでした。個人よりも家庭のため、家庭よりも国家のため、国家よりも世界のため、世界を越えて神様のために生きる人が、より公的な人と言えるでしょう。義人や聖人は、全人類と神様のために生きた人たちですが、イエス様は正にその代表的な人物です。そして、神様こそが最高の公的な方であられます。堕落して御自身に背いた人類を見捨てずに、一途な心で人類を罪悪と塗炭の苦しみから救おうとされるのです。
救援摂理の目的は、ひとり子イエス様を送り、最悪の場合には彼を犠牲にしてまでも、世界を救うことでした。選民イスラエルを立てたのも、彼らを通して世界を救うためであり、キリスト教を立てたのも、それを通して全世界を救おうとされたからです。
ですから、ヨハネによる福音書三章十六節には、「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」とあるのです。ひとり子を犠牲にしてまでも世界を救おうとされた神様は、今も中心宗教であるキリスト教を犠牲にしても、世界を救うことを願っておられるという事実を、すべてのキリスト教徒たちは、夢にも思わずにいるのです。神様が願われる家庭と教会と国家は、人種を超越しなければならず、国籍を超越しなければなりません。すなわち、五色人種が仲良く混じって暮らす統一した混合民族型、それこそが神様の喜ばれるみ旨なのです。
それでは、アメリカを見てみましょう。アメリカは果たして神様がお建てになった国でしょうか、それとも人間の意志によって建てられた国でしょうか。このことをはっきりと知らなければなりません。皆様、アメリカはあくまでも神様がお建てになった国なのです。
アメリカの先祖である移民者の中には、二種類の人がいたのですが、一つは自分を中心として一獲千金を夢見て来た人と、神様を中心として自由理想の国をつくろうと、より公的な夢を抱いて来た人です。前者が中心になっていれば、国籍の違う異色民族同士の分裂と闘争が絶える日がなく、不義と罪悪にあふれた国になっていたはずです。しかし、神様が関与されたお陰で、天を中心としたヨーロッパのキリスト教徒たちの移民によって、色の違う民族がみ旨の中で一つになって、家族となり、教会となり、国家となったのです。それがほかでもない、皆様の先祖が建てたアメリカの誇り高い伝統なのです。
皆様の家庭を御覧ください。国籍を超越した異色の民族が混合した世界統一型の家庭です。皆様の血統の中には、五色人種の血が流れています。先祖の時代から互いに怨讐同士だった様々な氏族の血が一つに混ざり合って調和した一つの家庭なのです。そのような家庭が教会を形成し、国を形成するとき、超民族型の家庭から超民族型の教会、そして超世界的家庭が成立するのです。そのようにして神様の理想国家が成立するのです。このような国は歴史上にアメリカしかありません。それは明らかに神様によって成し遂げられたことを知らなければなりません。
アメリカの人々は、世界万邦からやって来ました。ここでは人種を問わず、信仰による差別はなく、文化の背景を問題としません。この地上のどこから来ようと、「私の家」と言える国、それが正にアメリカです。したがって、アメリカは世界の縮小体であり、人種と国籍を超越した理想のモデルとして、長い間隠されてきた新大陸の上に神様が直接お建てになった国です。復帰摂理の中で、特別に油を注いで立てられ、保護し、育成しながら、わずか二百年の間に豊かな祝福を与えてくださった国であることを、はっきりと知らなければなりません。祝福は決して独りでにやって来るものではありません。そこには必ず責任が伴います。それを投げ出すならば、神様を投げ出す恩知らずとなり、天の祝福は余すところなく奪われ、最も悲惨な絶望の国となるでしょう。既にそのような兆候が見えているではないですか。
愛するアメリカの市民の皆様。神様の怒りを恐れ、深く悔い改めなければならない時が来ました。神様を中心とした真の超人種主義者であり、超国家主義者であり、超世界主義者であり、そしてそのような家庭と教会と国家をもつことを誇りと考える人であってこそ、真のアメリカ人と言えるでしょう。神様の目には黒人も、白人も、黄色人種もありません。このような「神主義」的観点から人間を見て、世界を見ることができなければなりません。
皆様の先祖たちが血と汗を流して成し得た建国精神に立ち返りましょう。「神主義」思想に立ち返りましょう。アメリカの建国は、神様が動機であり、原因であり、根本です。常に神様が中心となるならば、一つになって繁栄しますが、神様を無視する日には、人間の力だけでは到底一つになることはできません。
皆様。アメリカには本当に神様はいらっしゃいますか。皆様の教会に本当に神様はいらっしゃいますか。皆様の社会に、国家に、本当に神様はいらっしゃいますか。神様がいらっしゃるならば、コンクリートのように強く団結できますが、神様が離れた場合には、洪水の時に砂の一粒一粒が散らばるように、一度に跡形もなく流れていってしまうでしょう。神様と一つになることによってのみ、アメリカは、誇り高き最高の先進国家として祝福を失うことなく、世界的権威と指導力を維持できるのです。もしもそれができず、神様が間違いなく離れていかれる日には、この国がサタンの手に渡ってしまうのであり、そうなればアメリカは今後、世界において最も悲惨な生き地獄と化すのです。神様の与えてくださった祝福が大きいだけに、試練もそれに比例して大きいことを知らなければなりません。
一九六〇年代当時は、世界の希望はアメリカであり、アメリカの希望はこのニューヨークでした。しかし、今、アメリカの国際的信望は地に落ちてしまい、ニューヨークは罪悪の都城、悪魔の都市へと変わりつつあります。シカゴやロサンゼルスもそうです。このようにサタンがアメリカの全域において主人となるならば、神様は顔を背けるしかなく、挙げ句の果てにアメリカを離れざるを得なくなるでしょう。今がそのような時であることをはっきりと知らなければなりません。異色民族の団結の力となっていた神様が離れるので、家庭は破綻し、教会は分裂し、この国は細胞が腐っていく人体のように、体中が致命的な病にかかっているのです。その隙に乗じて、共産主義の火の手が、この国を丸ごとのみ込んでしまおうとしています。じっとしている時ではありません。誰かが何とかしなければならない切迫した状況なのです。
アメリカ建国二百周年の祝祭に、レバレンドムーンがなぜ大騒ぎするのかと反対する人もいますが、皆様、考えてみてください!家中が病気にかかれば、医者は外部から来なければならないではないですか。火事が起きた場合にも、消防隊を外部から呼ばなければならないではないですか。このような使命で神様の召命を受けて、この文という人が外部から来たのです。体に効く薬は口には苦く、病気に対して手術をしようとすれば、痛みが伴うものです。救おうとする手が痛いところに触れたからといって、その手を払いのけるべきでしょうか。
私は三年間、千辛万苦してアメリカの青年たちを教え導いてきました。彼らは、天を中心とした家庭と教会と国家の設計を明確に知っています。病にかかって完全に死ぬ前に、火がついてすっかり燃え尽きてしまう前に、このアメリカを救わなければならない緊迫した天の事情をあまりによく知っているので、彼らは夢中になって、熱狂的に命を懸け、深刻な努力を必死にしているのです。皆様の立派で愛らしい息子、娘たちが、神様のみ旨に従って悪と対決する最前線で、天の十字軍となって勇敢に戦っています。悪の勢力を完全に打ち破り、神様の国をこの地球上に建設することが万民の神聖な義務なのです。すなわち、まず神様がかくも愛し、準備されたこのアメリカの地に、地上天国のモデルを立てようとするのです。
皆様。嘆息と涙のない世界を築くために、ここにため息をつき、涙を流しながら立ち上がった青年の群れがいることを覚えておいてください。苦難と闘いを知らない世界を建設するために、きょうも苦労して闘っていることを知ってくださることを願います。私たちの闘いは神様対サタンの闘いです。神様のみ名にかけて闘うとき、いずれ私たちは、いかなる犠牲をおったとしても、絶対に後退することなく必ず勝利するでしょう。
この文という人に反対し、迫害することが問題ではなく、そのことが、神様のみ旨に反対し、神様を迫害することになるのではないかと恐れなければなりません。神様のみ旨でなければ、そのまま放っておいても遠からず自然と減んでいきますが、神様のみ旨である場合は、いくら迫害しても滅びません。文という人は何ゆえにアメリカに来て、このように受難の道を歩んでいるのでしょうか。名誉のためでしょうか。違います。お金のためでしょうか。それはあり得ないことです。権力のためでしょうか。断じて違います。このアメリカという国は、私の愛する神様が非常に愛しておられる国です。ですから、この国の国民たちが神様に背いたとしても、神様は到底見捨てることはできず心を痛めておられるので、そのような神様を父として侍る私としては、苦労を顧みずに命令に従ってきたのです。
御自身がお選びになった国、このアメリカを先に救い出したのちに、アメリカをして全世界を救わせようとされる大きなみ旨があることを、私はあまりによく知っているからです。それを知らずにサタンと組んでいては必ず滅びるのであり、神様をお連れすれば必ず勝利するのです。
皆様。二百年前、建国当時に皆様の先祖たちが独立軍を起こし、神様のみ名によって闘うときに、ジョージ・ワシントンは、フォージ渓谷でひざまずいて神様に祈りました。ついに世界が震えたイギリス軍との闘いで堂々と勝利したのは、神様が義と認め、共にいてくださったからです。その時に神様は、世界の中心となる国家の土台を築いてくださったのです。それから百年後、神様のみ旨に背いた、甚だしい人種差別を御覧になった神様は、エィブラハムリンカーン大統領を立てて奴隷を解放させ、南北戦争に勝利させることによって、世界の中心となる超民族的土台を築いてくださいました。この時はアメリカとアメリカの国民にとって、外的な試練の時でした。しかし、建国二百周年を迎える今日のアメリカは、現在、大きい内的な試練の時期にぶつかっているのです。それは宗教の試練期であり、世界史的思想の試練期なのです。
一方、神様を否認する悪魔の思想、共産主義が世界的に総攻撃を始めています。神様が、特別お選びになって立てられたこの国アメリカこそが、彼らの最高の目標となっています。今、正にアメリカが、神様のみ前に立つか倒れるかの試練を受けているのです。その内的思想の闘いにおいても、み言と思想の根本であられる神様に侍らなければ、決して勝利することはできません。神様に侍るアメリカが中心となって、唯心民主主義世界と唯物共産主義世界との対決において、共産主義無神論の世界を完全に克服し、超民族的であり、超国家的でありながら、世界的な次元で神側が勝利を収めなければなりません。そうなれば、神様はこの国に、新しい次元の世界的な思想の土台を築いてくださるでしょう。
第三世紀へと向かう今日のアメリカは、建国当時、宗教的迫害に耐えられず、各国から集まってきたプロテスタントの信徒たちを結束し、神様のみ名によって一つの国、すなわち「神様のもとの一つの国家」を建てました。同様に今は、思想的迫害に耐えられず、共産圏から自由世界に越えてきた新たな国民たちを結束して、超キリスト教的であり、超世界的な神様のみ名を中心として、ついには共産世界にまで勝利して、神様のみ名によって一つの世界、すなわち「神様のもとの一つの世界」を必ず成し遂げるでしょう。
そのためには、今日のキリスト教は一つにならなければなりません。今のままでは絶対にいけません。新たな宗教改革が起きなければならないのです。キリスト教は各教派を超越して、より高い次元で超キリスト教的、超思想的革新運動を起こし、世界の宗教を統合する方向に前進しなければなりません。
キリスト教はこの西欧的なキリスト教だけでは絶対にいけません。アジアを連結し、東西の文化と思想を統合して、神様のみ前に結束できる世界的思想の土台を整えなければなりません。そのような膨大な内容を備えた新宗教運動が必ず起きなければならないのですが、そのような意味で統一教会が出発したのです。アメリカでそのような運動が成就してこそ、即座に世界へと波及していくことができるのです。
私たちは、キリスト教に立脚した「神主義」の思想でアメリカを覚醒させ、この地に神様の理想国家のモデルを建設するために立ち上がらなければなりません。それが成就する日、全世界はアメリカを模範として、人種と国境を超越した地上天国の建設に加担するようになるので、神様を父母として迎える兄弟姉妹として、互いに愛し合い、仲良く幸せに暮らす人類大家族理念の世界、言うなれば、神様がはるか昔の太初から計画された永遠の理想世界、地上天国を私たちの手で築き上げなければなりません。
それが私たちの至上課題であり、神様が私たちに与えてくださった神聖な義務です。神様は今、私たちを通して声高に叫ばれるので、その声に呼応し、その号令に足並みをそろえて、理想世界へと邁進しましょう!統一の群れが万難をものともせず、先頭に立つでしょう。
親愛なる市民の皆様。きょう私たちは、この場で聖なる神様のみ前に、この神聖な義務に従って成し遂げてさしあげることを共に誓いましょう!満場の皆様。神様のみ名のもとに結束、団結して、地上天国建設へと総進軍しましょう。
私たちは固く団結し、神様に限りない感謝と栄光をお返しし、ここに世界万民の名によって、偉大なアメリカの建国二百周年を祝い、三百年代のアメリカの将来に、より一層大きな神様の祝福があることを祈りながら、私の話を終えようと思います。皆様とアメリカに永遠の神様の祝福が共にあることを願います。ありがとうございました。
4.神様のみ旨とアメリカ
平和経 第九篇 国境線撤廃と世界平和
日付:一九七六年九月十八日
場所:アメリカ、ワシントンDC、ワシントンモニュメント広場
行事:アメリカ合衆国建国二百周年記念講演会
尊敬するアメリカ市民の皆様、そして世界の代表の皆様。きょう、神様のみ名によって、アメリカの独立二百周年を祝賀する歴史的なワシントン大会に、このように満場の盛況を博すようにしてくださったことを、心から感謝を捧げる次第です。
私はきょう、「神様のみ旨とアメリカ」と題してお話ししたいと思います。神様は、永遠、不変、唯一の絶対者であられるので、神様の創造目的も、永遠、不変、絶対的なものであり、一つの目的のもとに統一された単一理想世界を築くことでした。しかし、今日の現実は、統一ではなく、分裂と不調和の世界、すなわち個人において、心と体が分かれ、家庭、氏族、民族、国家、世界のすべてが分かれ、分裂と闘争で綴られた混乱の様相を呈していますが、ここには根本的に、ある大きな過ちが介在しています。その原因を、宗教では人間始祖が神様に背いて堕落したところにあると見ています。
このような人間を救おうとされる神様は、人間を堕落前の立場に原状復帰するために、救世主、メシヤを送られるのです。したがって、救援摂理はすなわち復帰摂理です。堕落とは、人間が神様に背き、そのみ言を不信することによって、神様に似た人格と愛を具現した個人と世界を完成することができず、かえってサタンと組み、サタンの言葉に主管されることによって、サタン的人格とサタン的愛による悪の世界を形成したことなのです。
したがって、原状に復帰するためには、反対にサタンを排斥し、失った神様を探して、神様のみ言に従順に従うことによって、天的な人格と愛を完成しなければならないのです。神様は最も公的な方であられ、サタンは、徹頭徹尾自己を中心とした私的な存在です。したがって、神様のもとに帰るための復帰の公式は、最終的に神様に似ることなので、徹頭徹尾私的なことを犠牲にし、公的なことを立てて、自己を中心とした利己主義から人のために生きる利他主義へと帰り、奉仕生活をしなければならないのです。公的な人は神様に似ているので必ず栄え、私的な人は神様に背いたので結局は滅びるのが天理なのです。
人類歴史は、これまで闘争の歴史だったので、神様とサタンが人を奪い合う闘いでした。堕落によって悪の歴史が先に出発したので、闘いはいつも悪の側が先に攻撃して善の側を打ち、善は打たれながら守勢にまわりましたが、神様が善の側であられるので、いつも勝利を収めるようになり、結局は打たれて取り戻してくるようになったのです。第一次、第二次世界大戦の時にも、私たちが知っているように、先に打ったほうが結局は滅び、第三次世界大戦を云々している今日も、サタン側である共産国家が至る所で闘いを仕掛けていますが、結局は神側が勝利するようになるのです。
復帰摂理のもう一つの公式は、メシヤを送られる前に、中心宗教と中心国家を立てて役事されることです。神様は先にイスラエル民族とユダヤ教を立てられ、その準備された基盤の上にメシヤであるイエス様を送られ、すベての人間が次第に彼と一つになるようにして善の版図を広げていき、世界復帰、すなわち天国の理念を具現しようとされたのです。
アダムから四千年もかけて準備されたイスラエル民族とユダヤ教が、イエス様を迎えて一体となり、犠牲精神をもって神様のみ旨に従っていたなら、その当時すぐに中東圏とアジアを統合して西洋を連結し、全世界の地の果てまで急進的にみ旨を伝播することによって、神様の主権によって統一された地上天国を建設していたはずでした。しかし、イスラエル民族とユダヤ教が、このような使命を悟ることができず、責任を果たすことができなかったがゆえに、イエス様は十字架を背負うようになり、それによって地上天国の理念は実現されず、霊的にのみ救援を可能とする第二イスラエル型のキリスト教圏を形成するようになったのです。
キリスト教の信徒たちがローマで四百年間、迫害と殉教の代価を払い、四千年の歴史を清算して勝利し、キリスト教を国教として立てるようになると、ローマが第二イスラエル型として神様の祝福を受け継いだのです。当時、教皇庁とローマは、いかなる犠牲も辞さずに、イスラエル民族とユダヤ教が果たせなかった復帰の使命を完遂し、神様を中心として全世界を結束させ、統一理想世界を建設しなければなりませんでした。
しかし、教皇庁は、そのような重大な使命を悟ることができず、教権を乱用して腐敗が氾濫するようになり、教皇庁の威信は地に落ち、神様のみ旨から再び離脱してしまいました。これに反対して立ち上がった人本主義の台頭によって、宗教改革とプロテスタント運動が始まると、これに対する迫害と弾圧は日に日に激しくなっていきました。当時のイギリス国王ヘンリー八世がカトリックに反旗を翻し、議会に新しい法を通過させてイギリス国教会を立てましたが、これがヨーロッパ全域のプロテスタント運動を糾合する絶好の機会になりました。
当時、イギリスが、「大英帝国の領土には日が沈むことがない」と言われたほどに大きく祝福されたことが世界のための祝福だったことを悟り、清教徒、プロテスタント運動をする人たちと一つになり、犠牲の先頭に立って復帰摂理を成し遂げてさしあげていたなら、その時に既に準備されていた基盤の上に超民族的な国家として、名実共の「ユナイテッドキングダム」が形成されていたはずでした。しかし、イギリスが責任を果たすことができずに彼らを迫害したので、彼らは国籍を超越し、神様のみ前に固く団結して、激しい迫害を避けてアメリカ大陸へと渡り、定着してプロテスタント独立国家を形成したのです。これが正に今日のアメリカが誕生するようになった摂理的背景です。
今、キリスト教とアメリカは一致団結し、復帰の聖業を成し遂げてさしあげなければなりません。アメリカはここで結実した西洋文明を抱いて東洋文明と和合し、その上に中東を連結することによって一大統一文化圏を形成して、地上天国を完成しなければならないのです。
み旨の主役であるアメリカは、まず神様の摂理の第一中心宗教だったユダヤ教と、ユダヤ教を引き継いだキリスト教と一つになり、新しい啓示を中心として「終わりの日」に神様のみ旨によって現れた統一教会と手をつないで、世界の宗教統一に立ち上がらなければなりません。ユダヤ教は旧約を中心としたみ旨の先祖なので第一世型の長男であり、キリスト教は新約を中心とした第二世型の次男であるとすれば、統一教会は約束を成就する「成約」の内容をもつ第三世型の末の弟です。この三つの宗教は、み旨の三兄弟なので、それらの母体であるイスラエルとアメリカと韓国は、み旨の三兄弟国となるのです。国連でサタン側の共産圏からこれら三国が同じように追われているのは、み旨の観点から見て、共同運命に置かれているからです。この三国が一体化して手をつなぎ、国連本来の使命と機能を回復し、内的には宗教を統一し、外的には世界統一を成し遂げなければなりません。「神様のもとの一つの世界」は、神様の永遠、不変、絶対の願いであり、目的なので、必ず成就されるのですが、まず宗教統一をしてこそ可能なのです。一人の父であられる神様に侍り、一人のメシヤのもとで「神主義」によって固く結束すれば、神様が共におられるので、世界復帰、すなわち地上天国の具現は時間の問題なのです。
既に超民族的に結束したアメリカは統一世界のモデルなので、アメリカに与えてくださった神様の祝福は、アメリカだけのための祝福ではなく、同じ神様の子女である全世界の兄弟姉妹たちに分け与えるべき祝福であることをはっきりと知って、世界的に築かれたキリスト教の基盤の上に世界の主導国家としての責任を果たし、選ばれた国家としての使命を完遂しなければなりません。
イスラエルも神様の期待に応えることができませんでした。ローマもそうであり、イギリスもそうでした。これからアメリカはどこへ行きますか。以前に摂理を担ったそれらの国の前轍を踏まず、いかなる犠牲も辞さずに、世界復帰の先頭に立って、統一理想世界、すなわち「一人の神様のもとの一つの世界」を成就する主役の使命を果たすよう悟らせるために、神様はレバレンドムーンをこの地に送られ、み旨を代弁させ、特にアメリカの明日に責任をもつべき主人公である青年たちを指導するようにと命令されたのです。
アメリカは今、人種問題、青少年の淪落問題、キリスト教の没落と共産主義の問題など、様々な深刻な問題を抱えていますが、何よりも無神論に立脚した共産主義の脅威は最も深刻であり、この時間にも世界の各地で浸食してきているのです。これは、単にアメリカだけの問題ではなく、神様にとって、そしてすベての宗教人と自由世界のすべての人々にとって、深刻かつ切迫した問題です。
皆様。今この時に、神様は悲痛に叫ばれています。神様が二千年間準備されたアメリカは、大きく覚醒し、神様が仰せになった重大な世界的使命を果たさなければなりません。そのためには、最終的にアメリカが徹頭徹尾、「神主義」に帰り、共産主義を克服し、共産世界を解放し、地上天国建設の旗手にならなければなりません。アメリカはきょう、覚醒しなければなりません。あすでは遅いのです。
私は、アメリカを尊敬しているだけではなく、本当に愛しています。神様が愛で祝福され、み旨成就の主役として準備された偉大な国、アメリカが第三世紀へと向かう大きな歴史の入り口にいるので、私たちは共に、全能の神様のみ前に、絶対に失望させず、神様の本然の願いをかなえてさしあげることを固く誓いましょう。
きょう、この神聖な場で、みな共に地上天国の礎石を据えましょう。神様の摂理の同参者、また天国の開拓者として立ち上がりましょう!統一を願う働き手たちよ、きょう、この場とこの歴史的瞬間は、私たちにとって献身の場であり、決意の時間です。私たちの汗と血と命を捧げて神様の召命に応えようとするなら、正にこの場、この瞬間に、天と地と人類の前に誓い、地上天国を私たちの手で成し遂げることをもう一度表明しましょう!
神様の祝福が皆様と皆様の御家庭とこの美しいアメリカに永遠に臨むことを願いながら、私のお話を終えようと思います。多くの御家庭が参加してくださったようです。皆様、ささやかではありますが、今夜、花火を皆様の御家族と共に楽しんでくださることを願ってやみません。皆様の御健康をお祈りいたします。ありがとうございました。
5.神様が私の盾であり証言者
平和経 第九篇 国境線撤廃と世界平和
日付:一九八一年十月二十一日
場所:アメリカ、ニューヨーク、フォーリースクエアプラザ
行事:アメリカ政府の起訴に抗議するデモ集会
敬愛する同志、そして愛する統一信徒の皆様。私はきょう、皆様の熱狂的支援に深い感銘を受けました。私はソウルでこの知らせを聞くやいなや、即座にすべてを差し置き、自ら進んでニューヨークに戻り、きょうこの歴史的な裁判に臨むことになりました。
皆様。私は無罪です。何の過ちも犯したことはなく、何も隠しているものはありません。私の生涯は公的な路程でした。私は、裁判を恐れるどころか、むしろ歓迎します。なぜならば、この司法手続きを通じて、正義は勝つのであり、真実は明らかにされ、さらには、このアメリカ政府の不当な迫害ゆえに苦労している数百万人の世界の信徒たちに、勝利の日をもたらすことができるからです。
私は、アメリカの司法制度に対し、深い尊敬と信頼をもっています。さらにまた、この事件を扱う判事と陪審員たちを信頼しています。アメリカは世界において、正義を具現するのに最も良い国です。私は、私を告訴した人たちと正面から対決するつもりですし、私には良心の呵責がありません。神様が私の盾であり、私の証言者であられます。しかし、神様が、罪を犯したのは私ではなく、私を糾弾する怨讐たちであることを発見されるなら、私は彼らを赦すつもりです。
私はアメリカの言論の自由に対し、尊敬と信頼をもっています。アメリカの言論は、公正な真実を世界に伝えるでしょう。アメリカの言論をだます者は誰もいません。アメリカの言論は、きょうこの起訴がどれほど根拠のないものであるかを発見するでしょう。
皆様。私は、アメリカを私の祖国のように愛しています。以前、韓国にいるときから、アメリカが神様から任された摂理的使命を果たすことができるようにと祈った人です。数年前、初めてアメリカに来たとき、華やかに賑わうニューヨークの五番街に立ち、熱い涙を流したことがあります。そして私は、昔この国の建国の先祖たちが死地をさまよいながら大西洋を渡ってこの国に上陸し、この地を神様に捧げたアメリカの建国精神を考えてみました。私は、その偉大な建国精神を忘れ、退廃の風潮の中で枯れていくアメリカを見て、涙を流したのです。正にその日、私は、この堕落していくアメリカを何としてでも立て直すことを心の底で固く決心しました。神様は、あまりにもよく御存じです。あれから十年!私は寝ても覚めても、私の血と汗と魂を、この偉大なアメリカの精神復興のために注いできました。
私は全世界の統一教会の信徒たちに、このアメリカのために数千万ドルを寄付するように呼びかけました。一九七二年、私たちはアメリカ全域にわたり、多くのものを投入してアメリカの精神復興運動を展開し、ついに一九七六年九月十八日には、ワシントンモニュメント広場で三十万人以上が雲霞のごとく集まった歴史的大会を開くに至りました。統一教会の運動はほかとは異なり、アメリカからもらっていく運動ではありませんでした。アメリカは、むしろ援助を受ける立場でした。統一教会の世界の信徒たちは、万難を克服し、自ら犠牲となって、アメリカの精神運動を支援しました。その理由は、彼らはアメリカを愛しているからであり、神様の摂理を中心として見たときこの国こそが選ばれた選民であることを私が教えたからです。
しかし、きょう私は、アメリカの告訴を受けて法廷に出頭しました。私はアメリカに自らのすべてを捧げた人であり、アメリカから何も持ち出してはいません。ただの一銭も誤って使ったことがありません。キリストの伝統を受け継ぎ、ために生きる犠牲的な生き方を教えてきました。もしも、これが罪であるならば、私は罪に定められることを拒みません。それこそが、イエスキリストが行かれた道です。イエス様はイスラエル選民を愛され、世界を愛され、神様を本当に愛されました。しかし、そのことによって罪に定められ、ついに十字架にかけられました。私がこのアメリカを愛し、世界の人類を愛した、そのことが罪であるならば、私も喜んで十字架を負うつもりです。
きょう私は、自らの栄誉のためだけにアメリカに来たのではありません。私は、政府の迫害を受けるすべての人、人種差別を受けるすべての人、そして宗教的偏見の供え物となったすべての人々の代表としてアメリカに来ました。きょう私は、アメリカ政府の迫害と人種差別と宗教的偏見という恐るべき敵を前に、闘争を宣布するために来たのです。私は、宗教の自由と少数民族の権利と抑圧される民衆の権利を取り戻すために、最後の瞬間まで關うことを宣言する次第です。
私たちは団結しましょう。団結して勝たなければなりません。そうして、私たちの子孫が真の自由平等の地で暮らせるようになることを保障しなければなりません。それこそが、マーティンルーサーキング牧師の唱えた「約束の地」です。
私がもし白人として生まれ、私の宗教が既存の宗教だったならば、きょうここに立ってはいなかったはずです。私が黄色人種であり、私の宗教が改革を叫ぶ統一教会であるがゆえに、私がここで指弾を受けて立っているのです。美しいアメリカの中に最も醜いものがあるとするなら、それは宗教的偏見であり人種差別です。神様は顔の色を問われません。白色人種と黒色人種と黄色人種は、神様の美しい三兄弟です。今日、世界のすべての宗教は、私たちの父であられる神様を、それぞれ違った角度から映して見た鏡に過ぎません。
今日、統一教会は、宗教の目的で使われる財産にまで税金を課されている、アメリカの中で唯一の教会であることを、皆様は御存じでしょうか。私たちがニューヨーク州に納めている財産税だけでも八百万ドルを超えます。このような政府の不当な横暴は、私たちの教会に過酷な出血を強いています。一方、他の教会は財産税を一銭も出していません。なぜ統一教会だけが不当な扱いを受けなければならないのでしょうか。それは単に、私たちの教会の名前が統一教会であり、その創始者がアメリカの市民でない韓国人であり、黄色人種だからです。
レーガン大統領は、その有名な演説の中で「ある宗教団体の基本的人権が蹂躙された場合、それは一宗教団体の苦難と痛みにとどまらず、すぐにアメリカ全体が受ける苦痛と痛みになる」と言いました。もし、この言葉が事実であるなら、今日の統一教会に対するアメリカの不当な宗教迫害と人種差別は、アメリカ全体の恥であり、アメリカ人の屈辱にならざるを得ません。
同志、そして信徒たちよ。この新たな挑戦に勇敢に立ち向かいましょう。この日を大同団結の日としましょう。この日を、私たちの献身の日として定めましょう。世界のすべての悪と不義に対し、妥協なく闘うことを誓いましょう。この闘いにおいて、私たちは孤独ではありません。全能であられる神様が私たちと共におられ、数千万の世界の人類が私たちの味方になってくれるからです。統一教会は、今、アメリカの中で指弾を受ける少数団体です。しかし、神様が私たちと共にいらっしゃる限り、私たちは少数ではなく、絶対多数となるのです。
きょうは、弱小民族の新しい日、新しい闘争の出発の日となるのです。私はきょう、悲しみもなく、不幸だとも思わず、疲れさえも感じません。私はこの日から、少数民族連合会を創設します。
神様。感動、感化なさり、私の闘志と私たちの信念が、新世界の灯台とならしめてください!全能の神様が私に、この巨大な闘いをする機会を下さったことに対し、心から感謝申し上げます。不義と闘う神様の闘士とならしめてくださり、感謝しております。
「天にまします我らの父よ、願わくはみ名をあがめさせたまえ。み国を来たらせたまえ。み心の天に成る如く地にもなさせたまえ。我らの日用の糧を今日も与えたまえ。我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦したまえ。我らを試みに遭わせず悪より救い出したまえ。国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり。アーメン
6.世界平和のための挑戦と可能性
平和経 第九篇 国境線撤廃と世界平和
日付:一九八七年六月一日
場所:韓国、ソウル、ロッテホテル
行事:第一回「世界平和のための頂上会議」
尊敬する議長、元大統領、政府首脳、内閣首相、王族、貴族、内外の来賓および紳士淑女の皆様。平和を追求する一念により、この場にお集まりいただきました世界の指導者の皆様に、このようにしてお話しできますことは、私の無量の喜びとするところです。
歴史を通して見るとき、人間は常に平和を渇望し、その達成のためにあらゆる面において努力を重ねてきました。人類は、平和を得るために他を征服したり、時には平和のために降伏したりすることもありましたが、今世紀に入ってからは、戦争以外の方法により国際間の対立を解決しようと試みた、二つの貴重な事例があります。それが正に「国際連盟」と「国際連合」です。しかし、このようなあらゆる努力にもかかわらず、人類は平和を成就することができず、歴史は紛争を繰り返しており、破壊と暴力が頻発しています。
それでは、なぜ今日に至るまで平和を成就できなかったのでしょうか。その理由は、実に個々人の内部における闘争が解決されないまま、果てしなく続いてきたからです。世界の紛争は、このような個人の内面における闘争の発露なのです。人間の理想と現実の間には矛盾があり、その矛盾の焦点は、正に個人の霊肉間の闘争にあるのです。
人間の精神は、高い理想を追求します。人間の精神は、すぐに神様にまで到達するようになります。肉身は、私たちのその理想を具現する道具なのです。しかし、そこには、努力と鍛錬と自己犠牲が要求されます。人間の精神が追求することと肉身が追求することとの間には絶えず緊張が生じます。
人間の歴史には二つの平行する思潮が生まれました。その一つは、理性的で外面的な肉身の優位を強調するものです。例えば、肉体的な満足や、肉体的な美、そして科学に重点を置くものなどですが、これらすべては身体的感覚を土台にした実証を重視するものです。もう一つの思潮は、宗教的伝統であり、これは人間の肉身を超越する価値を重視するものです。それは精神的法則や価値、また神様の啓示など、科学の実証対象とはなり得ないものです。人間の生活において見ることのできるこれら二つの思潮が、正に今日の世界で見る二つの対立したイデオロギーの根源なのです。
民主世界、すなわち自由世界は宗教的伝統から出発し、発展しました。民主主義の現代的概念は、正に「神は自分のかたちに人を創造された」(創世記一・二七)という聖書のみ言に見いだすことができます。人間が神様の子女であるがゆえに、民主世界においては人間を尊重するということです。ですから、人間に対して選択の自由を最大限に許容するのです。なぜならば、自由なくして人間の行動は価値をもつことができないからです。
一方、共産主義は、人類歴史において、より外面的で世俗的な思潮が結実したものです。啓蒙思潮とフランス革命を経たのち、マルクスは暴力と社会工学的技法を応用して、神様に対する信仰を退け、暴力による社会秩序の構築を主張しました。マルクス主義の社会工学的技法は、神様を否定する人間観を根拠にしています。
しかし、その結果はどうでしょうか。たとえマルクスの見解や主張を擁護する人たちがいたとしても、マルクスの理論を実験し、実践してきた七十年の歴史をもつソ連などにおける結果は、一言で言って、ただ悲劇的な失敗であるとしか言えません。共産主義の勢力を堅固にするために、一億五千万の罪なき人命が犠牲となってきましたが、マルクスが約束したような正義と繁栄の世界は、どこにもその実体を見いだすことができません。今日、これら二大イデオロギーとそれを信奉する国々は、地球上でお互いが正面切って対決し、かつて想像することもできなかった巨大な破壊力をもって、全世界を脅かしているのです。
私は、このような観点から、世界平和の問題に対する解決方案として、次の根源的な三つの段階を厳粛に言明しようと思います。この提案は、最も根本的なものなので、大変理想主義的にも見えます。しかし、いかなる建物であっても、粗末な基礎を直さない限り、建物としての役割を果たせないように、私の平和のためのこの提案は、根源的な基礎から出発しています。まず、究極の世界平和とは、神様と人間との平和、次に人間相互間の平和、そして世界の平和という、この三段階を経なければなりません。
私は、全生涯を捧げて修養の道を歩んできました。さらに、宇宙の根本と神様の実在という問題について、誰よりも苦悶してきました。血と涙の出る修道の過程を経て、私は生きた神様の実在を明白に知ることができました。そして私は、生きておられる神様と直接対面する体験までもつに至ったのです。そこで、宇宙の根本であられる神様との平和を得ることができなければ、この地球上において真の平和を論ずることはできないことを悟ったのです。
神様は、宇宙の第一原因であられ、森羅万象の創造主です。そして私たちの愛する父であられます。神様は、特別なみ旨を成就するために万物を創造されたのですが、その目的は、正に愛の具現にありました。神様は真の愛の根源であられますが、いかに全能の神様であっても、お一人では決して愛の喜びを感じることはできません。神様は愛の対象が必要であり、その対象から自発的な愛が返ってくることを願っておられるのです。その対象としての最高の被造物が、すなわち私たち人間なのです。このような理由から、人間には目的があるのです。人生の目的は、成熟して神様と永遠の真の愛の関係を実現することにあります。正に、これが神様と人間との間に、平和を築くことのできる根本原理なのです。
神様と人間との平和関係を樹立したのちに、私たち人間相互間の平和を成就できるのです。人間相互間の平和のために、根本的に必要な関係とは何でしょうか。それもやはり、愛の関係以外にはあり得ないのです。ユダヤ教、キリスト教、イスラーム、そして他のすべての世界宗教は、私たちが全能の創造主、すなわち神様の子女であることを教えています。
これはすなわち、私たちは兄弟姉妹であるという意味です。ですから、私たちは神様のかたちどおりに創造された者であることを理解することによって、互いが兄弟姉妹であることを悟らなければなりません。神様の子女を愛することが、神様に栄光を帰す最善の道となるのです。私たちがこのことを正しく理解することによって、人間相互間の真の平和の関係を設定する根拠を得ることができるのです。
世界平和の達成こそは、人類の長い間の念願でした。ところが、その達成もまた、本質的には、先ほどお話しした、人間個々人の平和を成就するのと同じ方法によるのです。世界は今、現実的には二大体制が対立しています。しかし、それは単に自|||世界と共産世界の葛藤だけではありません。それはより根本的に対立する価値観の葛藤なのです。
一方は、神様を肯定する価値体系であり、もう一方は神様を否定する価値体系です。共産主義の出現は、ある面から見れば、そもそも人間が神様の道徳律を実践できなくなったところから始まったのです。共産主義は、ある一面非難のイデオロギーです。それは神様を信奉する人たちが神様の理想を具現できなかったことに対する非難なのです。彼らが非難を受けても当然の内容があったので、共産主義は膨脹することができたのです。
しかし、実際に神様の創造本然の理想世界が具現する時には、共産主義は立場を失ってしまうのです。ですから、世界の問題は、根本的には精神の問題です。世界の問題の解決は、神様の実在を肯定するところから始まるのです。
今日、世界の救いのために必要なことは、正に次元の高い精神的覚醒です。世界は神様の実在を悟り、有神論的原理に基礎をおく世界観によって再武装しなければなりません。この神様中心の世界観のみが、今日の価値の混乱を克服できるのです。
もちろん、このような精神的価値観の運動は、外的には政治、経済、軍事面における結果的現実として現れます。しかし、精神的覚醒の根本は、縦的には神様に対する信仰と横的には人間相互間の真の愛で成就されるものでなければなりません。
このように、高次元的な価値で覚醒した土台の上で、国家間の関係が変化していかなければなりません。これまでは、経済発展の背後における原動力は、利潤に対する欲求でした。それによって人間の潜在能力が大いに発揮され、巨大な世界的発展を成し遂げ、先進経済大国をつくってきたのです。
しかし、このような先進国が利潤追求の動機を超えなければならない時代を迎えました。利他的愛が国際関係の次元に適用されなければなりません。先進国はむしろ、他のために奉仕するその目的のゆえに、神様の祝福を受けていることを悟って、世界の発展途上国のために犠牲を甘受できなければなりません。そのようにして、悲惨な発展途上国の惨状を解消するために、先進国が先頭に立たなければなりません。
皆様。もし豊かな国がそのような態度をもったとすれば、その国は委縮したり、急激に衰退したりするようになると思いますか。決してそういうことはありません。かえって、その反対になります。しかし、もし先進国が利潤追求以上の高貴な理念をもち得ないならば、彼らがいくら努力したとしても、その繁栄は、衰退に転じ、歯止めが掛からないでしょう。隣人が飢餓、疾病、または無知のゆえに犠牲となって死んでいくときに、どうして世界が平和であり得るでしょうか。すべての先進国が結束しさえすれば、飢餓、疾病、無知の三大悪を退ける、世界平和のための前線を構築できるのです。
最後に、国家間の利害を超越する関係を土台として、実際に神様をお迎えした世界共同体が出現しなければなりません。二十世紀の後半に入った今日、世界が日増しに沈滞していく現状に、私たちは気づかざるを得ません。いかなる国も、今や離れ小島ではいられません。また、いかなる人であっても、他の人との相互依存的関係なくして、繁栄を期待することはできません。
したがって、相互理解と信頼を増進するために、国々の共同繁栄を追求する共同体が建設されなければならないのです。世界は今や地球村と言われるほどに、急速に狭まってきています。すべての人々の生存と繁栄が、正にこの協同精神にかかっています。人類は、神様のもとの一つの大家族であることを悟らなければなりません。この協同を通してのみ、私たちは環境を保護することができ、またすベての人々の文化水準の向上と自由、正義および尊厳性の確保を期待し約束できるのです。このような協同精神の土台となるのは何でしょうか。それは、世界共同体のすべての国々は、ただ神様のみに根源をおく共通の価値体系と永遠不変の原理を尊重することです。
私たちは共通の夢をもっていますが、それは、理想世界実現という念願です。かつて預言者たちは、これを「地上天国」と呼んできました。これは今まではるか遠い目標のように思われてきましたが、今や実現可能であり、なおかつ必ず成就すべき目標なのです。なぜならば、正にこれが創造主の本来の理想だったからです。「世界平和のための頂上会議」の重要な意義が、正にここにあるのです。
私たちがあすを展望するとき、ある面においては暗澹たるものがあります。しかし、私は失望しません。なぜならば、神様が本来の理想をこの地上に実現されるという聖書のみ言、すなわち「わたしはこの事を語ったゆえ、必ずこさせる。わたしはこの事をはかったゆえ、必ず行う」(イザヤ書四六・一一)という約束の中に、神様の決断を見ることができるからです。ですから私は、世界の平和は必ず訪れるという確信をもっています。
私たちのこの「世界平和のための頂上会議」は、世界平和を論議する最も次元の高い集まりとなるでしょう。この会議は神様の霊感を受けて召集されたものであると私は感じています。私たちは世界平和のために、神聖かつ荘厳な召命を受けてこの場に集まったのです。これから私たちが達成する課業は、私たちの子孫と全人類に残す貴重な遣産となるでしょう。
世界平和の主導的役割を担当するために、皆様が遠い旅路を経て、地球の片隅にある韓国に来られましたことを、心から感謝し、祝賀申し上げます。私は皆様の経験と智恵と卓越した政治的指導力を大いに信頼するとともに、私たちのこの課業を通して、二十一世紀には新しい平和の時代がこの地上に到来することを信じています。皆様が慎重かつ思慮深く始められるこの「世界平和のための頂上会議」の上に、神様の栄光と祝福が共にありますことをお祈りいたします。ありがとうございました。
7.アジア太平洋時代の主役になろう
平和経 第九篇 国境線撤廃と世界平和
日付:一九八九年十月十二日
場所:韓国、ソウル、新羅ホテル
行事:中国パンダ自動車工業都市造成説明会
今晩、公私共にお忙しい中であるにもかかわらず、このように会場を埋め尽くしてくださった内外の貴賓の皆様に深い謝意を表し、中国の大規模自動車工業都市造成に関する説明に先立ち、これまで私が抱いてきた所信の一端をお話ししようと思います。
皆様もよく御存じのように、今日、世界はアメリカとソ連を両極として維持されてきた東西冷戦時代は、これ以上存続できない状況となってきています。ソ連の開放政策、中国の改革と民主化の葛藤、そしてハンガリー、ポーランドをはじめとする東ヨーロッパ圏に起きている一大改革など、「革命」という言葉で表現されるにふさわしいもろもろの変化は、共産主義とその体制の限界と合わせ、従来の両極のイデオロギー対立の構造が崩れつつあることを証明しています。
国際経済の面でも、ヨーロッパ共同体が一九九二年まで単一市場として統合されるなど、世界経済は多元化、ブロック化の趨勢へと移行される転換期的状況を示しています。
このような変化と転換の時代に、韓国はいかに対処し、どの方向へと進んでいくべきでしょうか。韓国は、地政学的に非常に微妙な位置にあり、昔から強大国の勢力拡大のための要地となって、歴史的な犠牲を払ってきました。東西両極時代に代表的な苦難を経た我が祖国は、多元化と和解の時代を迎えたからといって、国益が保障され、民族的な問題が解決されたわけではありません。韓国を中心とした四つの強大国、すなわちアメリカ、日本、ソ連、中国は、韓半島にそれぞれ重要な関心と利害関係をもって互いに絡み合っています。
私は、このような韓国の状況を、神様の摂理的観点から世界と歴史の縮小体として見つめています。ですから、すべての歴史的関係と世界的問題が、直接的、間接的に、ここ韓半島に連結しており、したがって韓国は世界問題の縮小体であり、世界問題の解決は韓国問題の解決と不可分の関係にあります。
満場の貴賓の皆様。私は早くから天の召命を受け、神様のみ旨を地上に実現するために生涯を捧げてきました。韓民族が神様の摂理の中心民族であることをよく知っている私は、歴史を通じたこの民族の受難の意味を人とは異なる解釈をしながら、分断韓国を統一祖国へと転換させることが、正に平和世界の実現と直結することを確信しています。共産主義とその体制が黄昏(たそがれ)時を迎えたからといって、現今の自由世界が、その思想的な代案を提示できると思いますか。
自由民主主義を信奉する西欧社会の矛盾性を、何によって克服していくのでしょうか。私は「八一五光復」と「六・二五動乱」を通した分断民族の悲惨な運命を直視しながら、南北統一時代に備えた思想を確立し、国際的基盤を築くことに私の生涯をかけると天に誓約し、これまで四十年間以上、努力してきました。
韓半島の周辺、特にアメリカ、日本、ソ連、中国に対して、私たちが主体的な力量を発揮しながら彼らを動かし、南北統一の支援勢力として動員し、確固たる自由民主の思想的基盤の上に平和統一を成し遂げることが簡単なことでしょうか。もし、ソ連と中国が北朝鮮を支援しないよう積極的な対策が練られるとすれば、どれほど幸運なことでしょうか。
この説明会の場は、一つの企業体の中国進出について説明する単純な集会ではありません。財力に基づく利潤追求を目的としたプロジェクトでもありません。私は、神様の平和理想を中心として、中国大陸のために三十年以上も前から特別祈祷の精誠を捧げてきました。一次的には、彼らの開放を助け、技術支援を通じて近代化を助けながら、私たちと善隣の関係を結ばなければなりません。
私は一九八一年、第十回「科学の統一に関する国際会議」において国際平和高速道路計画を発表し、その事実を世界百二十ヵ国の元首に公文で知らせたことがあります。日本の東京から日韓の海峡をトンネルで連結し、ソウルと平壌を経て中国の北京に至り、モスクワ方面と中東方面との二つに分かれ、ヨーロッパの各所、そしてロンドンに至る記録的な大土木工事となる国際高速道路計画です。
一九八二年から、日本で千五百人余りの学者と実業家たちがトンネルに関する研究会を組織し、政治、経済、技術、地質調奄など四つの環境分科に分かれ、活発な研究と予備探査を終え、佐賀県の名護屋で、既にパイロットトンネルが掘られています。中国政府も非常な関心をもち、既に安東北京間の約千キロに対する路線を決定するために、専門家との協議が進行中です。
私は、中国との交流が困難だったころから、何度も人を送り、彼らへの近代化援助を協議するとともに、延辺(えんべん)大学に工科大学を建ててあげ、毎年五十万ドル相当の実験機器を支援し、交換教授、留学生の派遣などを助けています。
私が設立した国際救護親善財団を通して様々な支援をする一方、アメリカのコーチたちを派遣し、体育の発展を助けています。そして、中国の学者たちに「統一思想」を研究できる機会を設け、彼らが思想的な混乱を克服できるよう支援しています。
尊敬する貴賓の皆様。中国はいまだに共産主義に固執している国です。六四天安門事件が起こったとき、ほとんどの自由世界の経済人たちは中国から撤収してしまいました。
そのような中で、私は自動車工業を推進している実務者に、少しも動揺せず、より一層積極的に推進するよう指示し、六月二十七日、広東省恵州の現地で大々的な起工式を行いました。
困難な事情に追い込まれた中国の指導者たちに、大きな恵沢を与えることによって、深い心情的関係を結び、共に大局について議論し、太平洋時代に共助できるようにするためです。先にも述べましたが、中国に進出する私の動機は、目前の利益を追求するためのものではなく、天のみ旨に従うところにあるのです。
私は、早くから技術の平準化を主張してきました。技術は、その恵沢が人類全体に及ぶようにするための神様の祝福です。先進国が技術力を独占し、それを手段として開発途上国に不利益を与えることは、もう一つの搾取であり、罪悪であると言えます。
このような傾向は、紛争と不和の火種となり、世界平和を脅かすことになるので、私は世界を助けるための技術力を蓄積することに多くの財力をかけて準備してきました。例を挙げれば、ドイツにおいて世界トツプクラスの四大会社を引き継いで育成を続けているのが、自動車のライン生産を含めた機械製作会社です。
また、電子技術力確保のために、日本で先端電子開発会社を育成し続けています。ドイツと日本以外にも、いくつかの先進国で技術基盤を広げていますが、このような背景と実力の基盤がなかったとしたら、私が中国と容易に提携することはできなかったでしょう。
単純な企業の運営を越えて、今回のこの自動車工業都市造成のための投資も、北京の最高指導者たちを啓蒙し、新しいアジア太平洋時代の同伴者としてしっかりと連結し、その結果が北朝鮮の金日成主席に影響を与えるようにするためのものです。
私は、この中国のプロジェクトを、私たちの安保と救国の次元から離れて考えたことはありません。一方、私は、一九七六年、アメリカのワシントンDCでの大集会で、将来モスクワで大きな集会を開くことを宣布しました。世界の碩学たちと宗教指導者、言論界の著名人士、芸術界の代表たちを通し、既にその基盤を築いているのです。
今、ソウルには私の招請でソ連のノーボスチ通信社のヤコブレバ編集局長をはじめとする五人の中堅言論人が訪問しています。彼らは韓国の発展した姿に驚嘆しており、帰路には日本共産党の様子を視察し、中国を経て、彼らが行きたくないと思っている平壌に必ず寄ってほしいと言いました。
韓国の発展した姿と鮮明な印象を北朝鮮の指導者たちにしっかりと伝えさせることによって、北朝鮮の指導者たちの誤解を防ぐのに一助とならしめるためです。彼らの一行には、韓国を紹介する一時間の記録映画を製作するチームがあり、ソ連に帰れば全国に放映することになっています。
そして、今度の十一月二十六日には、ソ連国営放送の会長、ノーボスチ通信社の会長など六人の代表的な言論人が、同じく私の招請でアメリカを訪問することになっています。今月の初めには、世界トップクラスのキーロフバレエ団のオレグヴィノグラードフ団長がソウルを訪問し、私が設立したワシントンDCのユニバーサルバレエアカデミーの学長を兼任することを確約しただけではなく、ソ連内で神様のみ旨のために多大な援助をすることを約束して帰っていきました。
また、十月二十七日から、ロシア正教本部と私が創設した国際宗教財団の共同主催によりモスクワで開催される、教会一致のための会議に、二十人の宗教学者と代表たちを派遣するつもりです。そして、遠からずモスクワで「世界言論人大会」を開催し、ソ連の改革と開放を側面から支援する予定です。
今回、始めた中国恵州の工業都市造成は、これから引き続き造成していく、アジア太平洋時代に備えた多目的工業都市四地区中の第一地区にすぎません。中国の大連安東(丹東)地区、ソ連のハバロフスクと中国のハルビンを連結する地区、そしてソ連のウラジオストク地区が、残りの三地区です。
大連安東地区は、新義州を通して北朝鮮にその恵沢が及ぶようにし、ウラジオストク地区は、北朝鮮の雄基(ウンキ)(羅先-ラソン)側と中国の延辺側にも恵沢が及ぶようにする計画です。
このような一連の事業と活動を通し、中国の指導部とソ連の指導部が韓国を正しく理解し、北朝鮮に直接的にも間接的にも大きな影響を及ぼすようにしてこそ、私たちの望む自由と民主の統一理想が実現するのです。
満場の貴賓の皆様。私たちは、この先十年後には、新しい世紀を迎えます。分断と対決で綴られた二十世紀を終え、高い道徳と価値が尊ばれる和解の時代を迎えなければなりません。ソ連とアメリカの二つの軸が世界を管掌していた西欧中心の時代は過ぎ去っていくのです。
今、アジア太平洋時代が開かれつつあります。私が先ほど皆様にお話ししたように、この時代に備えた四つの工業地区の造成がいくら重要だとしても、政府主導や一国の主管だけで簡単に成就できるような事業ではありません。この事業は、世界的な基盤と多国的企業の特性を生かすことができます。また、基本的に平和世界のための愛の実践という宗教理念に基づいて世界の力を結集することは、私だけができることであると思います。
そこに犠牲や損失があったとしても、私は継続して推進していくつもりです。各界の指導者である皆様が、一つの教会やグルーブの次元ではないこの計画に対して、韓国が主体的な立場を守っていくことができるよう、挙国的な声援と参加をしてくださり、その成果が南北統一と世界平和として結実し、韓国が太平洋時代の主役となるよう助けてくださることをお願いします。
そして、これらの事業は、どの強大国の指導者も、韓半島やアジアの重要性と役割から見て、簡単に無視することができず、部分的にでも同参(一緒に参加すること)、あるいは支援をせざるを得ない、平和の基地造成事業となるでしょう。したがって私は、このような歴史意識によって、太平洋圏に推進してきた多角的な計画とともに、既にアメリカ、中国、ソ連の基盤を通して、東西首脳会談を推進しています。
ソウルの漢南洞国際研修院で、東西四ヵ国の首脳会談を開催することによって、世界に平和のムードを醸成し、その基盤と余韻をもって、金日成主席が真の平和の道へと乗り出せるようにするのです。
満場の内外の貴賓の皆様。私たち人類は、思想的な葛藤を克服し、道徳性を回復した基台の上に、国際協力を通した愛の地球村家族の理想を実現しなければならない課題を抱えています。長い歴史を通し、人類の精神文化を創出してきたアジアから、新しい時代を指導する理念が現れなければなりませんが、それこそが正に私が主唱し、世界的に教育している「神主義」です。
そして、迫りくるアジア太平洋時代は、一つの隣同士のように近くなった地球村で、全人類が皮膚の色と文化の背景を超えて、共に調和して暮らしていかざるを得ない世界です。今、世界は、個々人の自己の存立のためにも、怨讐を想定できない和合の時代へと向かうように天運が追い立てています。
私たち韓民族は、神様を中心とした堅固な思想的基盤と正しい価値観のもとで生活することによって、新時代の導き手にならなければなりません。私たちは、小さな利害関係を超えて、国際関係に対する冷徹な認識のもとで、全民族的に団結した力を発揮して、アジア太平洋時代の主役にならなければなりません。
改めて、参席してくださった内外の貴賓の皆様に感謝を申し上げ、皆様の御家庭と皆様の携わる仕事に神様の祝福があることを祈りながら、これをもって御挨拶とさせていただきます。ありがとうございました。
8.世界平和に向かう道
平和経 第九篇 国境線撤廃と世界平和
日付:一九九-年八月二十八日
場所:韓国、ソウル、リトルエンジェルス芸術会館
行事:「世界平和連合」創設大会
尊敬する元現職国家元首、各国から参加された世界の指導者の皆様、敬愛する学者、世界の宗教指導者の皆様、そして紳士淑女の皆様。きょう私は、「世界平和連合」を創設する歴史的なこの式典に、尊敬する世界の指導者の皆様がこのように大挙して参席してくださり、満場の盛況を博してくださったことに、心からの謝意を表する次第です。
人類歴史が始まって以来、平和を切望しなかった時代がなく、平和を望み求めなかった人は一人もいませんでした。しかし、人類歴史は、人類の希望とは正反対に、常に絶え間ない戦争と罪なき血で染められてきました。これはなぜでしょうか。
近代史に至っては、世界は二回にわたって世界大戦を起こしました。一九一四年、サラエボでオーストリアの皇太子が暗殺される一発の銃声によって点火された第一次世界大戦は、たちまちのうちにヨーロッパ全域を火の海にし、十六ヵ国が参戦した中で三千万人の死傷者を出す凄惨な戦争となりました。
このヨーロッパの惨状を見た世界の指導者たちは、いかなる代価を払ってでも、もう再び戦争を起こしてはならないという痛切な覚醒から、アメリカのウィルソン大統領の提唱により「国際連盟」を結成しました。しかし、「国際連盟」は四十種余りの国際紛糾を処理したものの、強大国間の紛糾の処理に失敗し、ウィルソン大統領の偉大な夢は跡形もなく消え去り、アメリカ上院の批准も得られないまま、「国際連盟」は結局、失敗で幕を下ろしてしまったのです。ここに、戦争を防ごうとする人類の渇望は挫折しました。
そして、それから二十年もたたずして、再び世界は第二次世界大戦の惨禍の中に巻き込まれていきました。第二次世界大戦は大西洋のみならず、太平洋までも火の海にしました。数千万の人類が殺傷され、ついに二発の原子爆弾の投下とともに辛うじてその終結を迎えました。世界が再びこのような生き地獄になるのを防ぐために、今度は一九四五年四月二十五日、サンフランシスコで「国際連合」、すなわち国連を創設するに至りました。「国際連合」の歴史は一九九一年現在まで、四十六年になります。
それでは、過去四十六年間、人類は戦争を知らずに平和に生きてきたでしょうか。そうではありませんでした。戦争は再び数限りなく起こりました。韓国動乱、ベトナム戦争、湾岸戦争をはじめとして、実に六十回以上も人間同士が殺し合う歴史が繰り返されたのです。
なぜ、このように平和というのは難しいのでしょうか。きょう私たちは、「世界平和連合」の創設に先立ち、平和が成し遂げられないその理由を先に究明しなければなりません。そうでなければ、今後も前轍を踏むのは火を見るより明らかだからです。
紳士淑女の皆様。これまで人間は、平和を叫んでいただけであって、その真の平和の意味を知ることができませんでした。平和の真の哲学をもてなかったのです。ですから、真の平和を成し遂げる方法が現れなかったのです。貴賓の皆様、その理由は、分かってみると簡単なことです。人間は神様を見失うことによって、平和をも失ってしまいました。また人間は、神様を差し置いて、人間同士で平和を見いだそうとしたのです。それは根本的な誤りであり、それが真の平和を得られない根本的理由なのです。
全知全能であられる神様は、愛の神様であられ、平和の神様であられます。その神様が、互いに争い、命を奪い合う世界をつくられたはずは絶対にありません。神様は、人間を神様の形状どおりに造られ、人間は正しく神様の聖なる霊が住まわれる家のような聖殿として造られたのです。
人間一人一人が神様の聖殿として、神様をお連れして暮らす家として完成したならば、どうして人間同士の闘争と殺戮があり得るでしょうか。創造本然の世界において、人間が争うということは、右腕が左腕と争うのと同じことであり、自分が自分の手で自分の目を抜いてしまうのと同じことなのです。そのような本然の世界では、戦争は起きようにも起こり得ませんし、互いに愛し合い、仲睦まじく暮らす世界であり、いかにして神様にもっと栄光を捧げるかという善意の競争だけがある世界です。
そこには葛藤があり得ず、誤解もあり得ず、美しい協調と相互協助でただただ和睦団結して、美、真、善を追求する平和の世界のみが永続するのです。その世界は神様に似た世界であり、神様の理想と本質のために生きる世界なのです。
私たちはこのような世界の基本理念を「神主義」、または「頭翼思想」と称します。ために生きる愛、互いにために生きるところに平和があるのは当然のことであり、そのような世界を宗教的に表現すれば、「地上天国」といいます。少なくとも全知全能であられる神様の作品であるならば、このような平和と幸福の世界をつくられたはずであり、そうでないとすれば、そのような神様はいらっしゃらないのです。これが創造本然の真の平和の理想だったのです。
ところが、このように神様の美しい理想世界を実現しようとする人類歴史の最初に、エデンの園で、人類の始祖は神様を失ってしまいました。言い換えると、人類の始祖である一男一女が神様のみ前に罪を犯し、神様の国から追放されたのです。その瞬間、人間は神様の聖殿になれず、悪魔の巣窟となってしまったのです。そして、その悪魔は利己主義の本山です。
人類の始祖からこのようになったので、その子孫、すなわち今日の人類は、神様が自分たちの父であられることや自分たちが真の兄弟姉妹であることを忘れてしまったのです。そして、人間は怨讐同士の関係になってしまいました。本来は他人の命を奪えば、それは取りも直さず自分の命を奪うことになるのですが、霊性が鈍くなった人間は、兄弟の命を奪っても心の痛みが感じられなくなっているのです。
そこにおける人間は、自分だけがいて全体がないので、利己主義が個人から家庭、社会、国家、世界に広がるようになりました。そうなれば、自分と利益がぶつかる場合には、互いに争い合うようになります。戦争を起こします。それが戦争の起きる原因なのです。
それでは、創造主であられる神様は、この堕落した世界をどのようにしようとされるのでしょうか。神様は厳然として生きていらっしゃいます。神様は、今も全知全能であられます。また、その神様は、愛の神様であるといいます。その神様は真の平和の世界を再び見いだそうとするのです。言い換えると創造本然の世界を復帰、または再創造しようとしていらっしゃいます。ここから私たち人類は、真の平和に対する希望をもつことができるのです。神様は、人間一人一人から邪心を追い出し、御自身が住まわれる聖殿に復帰させようとされるのです。
ですから世界平和は、一個人の完成から始まるのです。個人個人が神様の聖殿として完成した人間にならなければ、世界平和は芽生えません。世界平和の出発点は、正しく皆様一人一人なのです。
皆様。皆様は、私たち一人一人の体の中で、常に戦争が続いていることを御存じでしょうか。それは、個々人の体の中における心と体の熾烈な闘いです。本来、心と体は切り離そうにも切り離すことのできない、一つのものでした。人間の心は神様の心であり、人間の体はその心を入れる器でした。ところが、人間の堕落は人間の体を悪魔に引き渡したのです。その時から人間の体は悪魔の僕になりました。
人間の良心は、神様を代表する心です。良心は自分のために存在しません。天の義のために存在します。良心は常に善に向かって走ろうとします。それに対して体は反抗します。体は自分だけが安らかであろうとし、利己的であり、本能的欲求に従って肉欲のままに行おうとします。良心はこの体を叱責し、心に従わせようとします。ここに常に血の出るような葛藤と闘争が、一つの体の内で起こるようになるのです。
ですから、昔から歴史を通じて、すべての宗教は自分の体を打つ道を教えてきました。宗教とは、肉欲を制御し、体を心に屈服させる道場なのです。人間を創造本然の人間へと引っ張っていく道場です。
しかし、神様を自分の内に迎えることができなければ、誰一人として自分の体を征服できる人はいません。ひたすら神様の真の愛と真理の力を中心としてこそ、主体である心は対象である体を従わせ、神様と一体理想を完成するようになっているのです。これが、宗教が語る完成した人間なのです。
このように神様を中心として体を屈服させ、完成した男性と女性、すなわち、善男善女が神様の祝福を受け、夫と妻として結ばれるとき、地上に天が計画された理想的な一つの家庭が出発するのです。そしてその理想家庭は、理想的社会、国家、世界の基礎になるのです。
「家和万事成」という言葉があります。一つの家庭が平和であるならば、万事がうまくいくという言葉です。完成した家庭は平和の家庭であり、それは天国の基礎となります。家庭の原動力は真の愛です。自分よりも神様、あるいは対象を命のように愛する、純粋で美しい犠牲的な愛、それが真の愛なのです。神様はこの宇宙に、真の愛の力よりも大きい力を創造されませんでした。真の愛は神様の愛なのです。
神様は万物と人間の創造のために、すべての力を投入されました。すべてを投入し、また投入されました。他のものは投入すれば、すべて消耗しますが、真の愛だけは投入すれば投入するほど、もっと盛んになり生み出されます。真の愛は、百を投入すると百二十が返ってきます。ですから、真の愛を実践する人は、滅びるように見えても、滅びることなく永遠に栄えながら永生するのです。
このように真の愛で築かれた家庭が基礎となって社会が形成され、国家が形成され、世界が形成されます。そのような社会、国家、世界は、真の愛が原動力となる相互奉仕の社会であり、国家であり、世界です。そこには葛藤の代わりに和睦が、誤解の代わりに理解が、分裂の代わりに団結が、自分の利益の追求の代わりに全体の利益の追求がある、犠牲と奉仕が美徳になる社会、国家、世界なのです。そのような神様の理想実現が、すなわち真の世界平和の理想なのです。
聖書にある「神は自分のかたちに人を創造された」(創世記一二七)という聖句は、見ることのできない無形の神様が、人間として実体化されたことを意味します。人間の始祖アダムとエバが神様の理想を実践していたならば、彼らによって歴史の中で最初の家庭が完成されたのであり、そこから繁殖される完成した子孫たちが、正しく理想社会、国家、世界を形成したのです。
ですから、無形の神様は、真の愛を中心とした縦的な真の父母であられ、人間始祖アダムとエバは、真の愛を中心とした横的な真の父母として、永遠に人間の歴史上に君臨したのです。
完成したアダムとエバは人類の真の父母であり、人類はこの真の父母を中心として人類大家族、同胞として兄弟主義を完成したのです。ところが人類は、この真の父母を失うことによって孤児となってしまい、兄弟がすなわち怨讐になり、国と国は反目し、敵対視する関係になってしまいました。
ですから、人類歴史の新しい出発に先立ち、神様が必ず成し遂げなければならないことは、失ってしまった人類の真の父母を探し立てられ、人間たちを孤児の状態から解放されることです。ですから、人類の真の父母の顕現は、神様の摂理の中心役事なのです。
皆様。今、創設される「世界平和連合」は、過去の「国際連盟」や「国際連合」とは異なり、真の本然の平和理想と真の父母の理想をもって、最終的に世界平和を達成しようと雄大な新しい出発をしました。人間同士だけで平和を謳歌しようとするのではなく、神様の中で、神様と共に平和を謳歌しなければならないという斬新な覚醒がなければなりません。世界平和の中心は神様であられ、その原動力は真の愛なのです。
世界平和を熱望する貴賓の皆様。きょうこの殿堂には世界各国の政界、学界、各宗教の代表者たちが一つの屋根の下に集まりました。そして、特に最近まで東西に分かれて冷戦を続けていたその両陣営の代表者たちが、東西という障壁の意識をもつことなく、ただただ和解と協調の精神で参席しました。
一九八九年十一月九日に、ベルリンの壁が崩れた時から、世界は正に改革と変遷、和解と親善へと駆け上がっています。世界平和の道が、今や大きく開かれました。
今、私たちは、きょう宣布される平和獲得の大原則に立脚して、真の平和を成し遂げる時であり、発展途上国の貧困を解放し、強大国は犠牲を払ってでも、発展途上にある新しい民主主義国家を手助けしなければなりません。各国家における政策が利己主義を克服する、それ自体が大革命です。その方法は、私たちすべてが父母の位置に上がっていって見つめることです。そうすれば、すべての国家が兄弟にならざるを得ません。一組の父母のもとに一つの兄弟、社会、国家を形成することのできる歴史的な機会に直面しています。
来たる九月の国連総会に、韓国と北朝鮮が共同で加盟することになっています。これは、私たちが平和世界を指向するまた一つの画期的発展です。そうなれば、「国際連合」の総加盟国は、今や百六十三ヵ国になります。それでは、今百六十三ヵ国がすべきこととは何でしょうか。無慈悲な植民地政策によって、弱小国を搾取する時代は過ぎ去りました。
今や弱肉強食は旧時代の残骸になりました。超強大国が武力競争で、世界を恐怖の中に追い込んだ時代も過ぎ去りました。人類は、今、核兵器の恐怖から解放されなければなりません。今は正に聖書にあるように、「そのつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、国は国にむかって、つるぎをあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない」(イザヤ書二四)時です。
相互信頼と道義の時代が明けてきつつあります。「国際連合」のすベての加盟国は、今、互いに尊敬し、愛し合いながら、私たち人類の共同の敵に宣戦布告をしなければなりません。私たち人類の共同の敵は、貧困と無知と疾病と罪悪です。今や人類は、貧困と無知と疾病と罪悪から解放されるべき時が来ました。これからは「私の国」という定義は発展的でなければなりません。もちろん私が生まれて暮らしている国が、まず「私の国」であることに違いありませんが、より大きな見地から見るならば、私の父であられる神様がつくられた世界は、すべて「私の国」なのです。
このように見たとき、先進国が先端技術を独占し、発展途上国に先端技術を分け与えないことは、大きな罪と言わざるを得ません。国家間に良いものがあるならば、早く分け合わなければなりません。新しいものを発見すれば、直ちにその恵沢を互いに分け合わなければなりません。人類に手助けになることであるならば、ためらわずに国境を越え、これを実践しなければなりません。私は世界の技術の平準化のために、長い間全力投球してきた人です。
皆様。皆様は、神様によって平和の働き手として選ばれ、この場に送られた方々です。今後、九年で西暦二〇〇〇年が訪れます。二〇〇〇年というこの峠が、私たちの生きている時に偶然に訪れるのではありません。これは、歴史の新しい転換点です。新しい歴史が胎動しているのです。平和の二十一世紀が近づいてきています。しかし、その平和はただで来るのではなく、神様と人間が協力し、与えられた責任分担を果たす時にのみ可能なのです。そうであるならば、私たちは残り九年間に、平和を阻害するすべての要素を除去する作業を終えなければなりません。
新しい時代、二十一世紀は共義の時代です。新しい時代、二十一世紀は物質が支配することのない、精神と霊性の時代です。新しい時代、二十一世紀は、神人一体になって生きる時代です。新しい時代、二十一世紀は、他のために生きることが、自分のために生きるよりも永遠の価値があることを悟って生きる時代です。利己主義は色あせ、共生共栄共義の利他主義がついに凱歌をあげる時代、それが正しく明けてくる二十一世紀なのです。
それは平和の時代です。それを名実共に「天国」と言うのです。このような希望と光明の二十一世紀には、私たちがきょう創設する「世界平和連合」がその理念を提供し、世界人類を教育し、摂理に従って今後訪れる平和世界の牽引車の役割を果たさなければなりません。同連合は、また世界の道徳性を明るくする灯台にならなければならないのです。
平和の使徒、貴賓皆様。光明な新しい日が私たちを待っています。きょう、私たちは、使命感に燃えなければなりません。今、私たちの最後の一滴の汗と涙と血までも注いで、人類共同の目的を果たさなければならない歴史的使命が、私たちを呼び求めています。その最初の仕事が、神様を私たち個人、家庭、社会、国家、世界に迎えてさしあげることです。天が共にいらっしゃるとき、これに敵対する人がいるでしょうか。
尊敬する同志であり、兄弟であられる皆様。人類の前に置かれた最後の崇高な課業、恒久的世界平和定着の使命の前に立ち上がり、光明な世界に向かって共に前進いたしましょう。神様をお迎えして、世界の真の平和を成し遂げましょう!ありがとうございました。
9.二十一世紀における島嶼国家の役割
平和経 第九篇 国境線撤廃と世界平和
日付:一九九六年六月十六日
場所:日本、東京、京王プラザインターコンチネンタルホテル
行事:「世界平和島嶼国家連合」創設大会(代読)
きょう、この意義深い会議に、世界からお集まりくださった尊敬する貴賓の皆様。私は世界平和の実現のために尽くされた皆様の努力を高く評価し、心から感謝の意を表します。そして、今回の会議が世界平和のための、より一層の知恵と努力を結集し、近づく二十一世紀を輝かしい平和の時代として迎えることができるよう、友誼(ゆうぎ)と理解を深める良い機会となることを祈ります。
また、この会議によって、世界平和の実現に対する私たちの責任と使命を互いに分かち合い、揺らぎのない決意を互いに強固なものにできるならば、それ以上の喜びはありません。
それでは、私が「島嶼国家連合」という組織を皆様に提唱し創設するに至った経緯と背景を、先に説明することから始めようと思います。人類歴史において文明発展の流れを見ると河川流域から発生した古代文明は、ギリシャ、ローマ、そしてイベリア半島を含む地中海文明に移動しました。そしてこの文明は、ドイツ、フランスなどのヨーロッパ大陸を通って、島嶼国家であるイギリスを中心とした大西洋文明として結実しました。さらに文明は、アメリカ大陸を通って西の方に移動し、現在は、イギリスと同じ島嶼国家である日本を含めた太平洋時代を迎えています。
このような文明史の推移を、神様の摂理として理解すれば、今日、天運の中心的な立場に置かれている島嶼国家は、正に日本であると考えざるを得ません。日本は神様の摂理を通して、人類歴史の舞台に立ったのです。日本の繁栄は、神様の摂理との関係において説明できるのであり、それ以外の理由だけでは説得力がありません。日本が神様の摂理の中心に立っているとすれば、私たちの関心は、日本のもつ摂理的使命に傾かざるを得ません。なぜならば、神様の摂理の目的は、世界平和の実現にあるからです。世界平和は万民共通の希望なのです。
全世界の島嶼国家が、ここに連合して、平和世界に対する日本の使命を自国の使命のように考えることによって、島嶼国家の世界的連合による平和創建のための国家連合を完成すれば、人類社会にとってこれ以上の希望はないでしょう。このような希望に立脚して、私は「世界平和島嶼国家連合」の創設を提唱しました。私がこのように語るのは、今まで日本が受けてきた天運を、全世界の島嶼国家が相続し、世界平和創建のための国家群となることによって、一日も早く世界平和の実現が可能になるように祈らなければならないからです。
それでは、島嶼国家の特徴とは何でしょうか。地球は、陸地と海でできています。今日の科学は「海を舞台として最も単純な最初の生命が誕生して広がった」と説明しています。これは、海が生命を身ごもる母の役割を果たしてきたことを物語っています。このような理由から、海を女性の象徴として考えるならば、陸地は当然、男性を象徴するものと考えることができます。
したがって、海洋に位置した島嶼国家は女性を表す国家であり、大陸国家および大陸に連なっている半島国家は男性を表す国家であると言えます。島嶼国家が女性型の国家であるとすれば、女性の特徴である対象性、依存性などの特徴をもっていると見ることができます。他方で、男性的な大陸国家は、男性の特徴である主体性、創造性などの特徴をもっていると見ることができます。
島嶼国家が遂行すべき役割は、人類社会において女性が遂行してきた役割とある程度同じであると言うことができます。女性は、結婚して心から夫を愛し、夫に侍り、また夫の愛を受けることによって美しく輝く存在です。そして子女を生み、子女に愛を注ぎ、素晴らしい家庭を築いていくことによって、喜びを感じるのです。女性の中心的な使命は、このように夫と子女に注がれる限りない愛にその特徴があると言うことができます。特に母は、子女にお乳を与えて養育し、教育する重要な責任を負っています。島嶼国家の役割もまた、このような母の役割と同じ内容をもっていると言えます。
神様の人類救援摂理歴史を見ると、そこには必ず神様の摂理を担当する中心民族と中心宗教があります。歴史を導いてきたユダヤ教とキリスト教の核心は、第一に、唯一絶対の神様がおられること、第二に、人間始祖の堕落と罪、そしてその罪からの救いのためにメシヤが必要であると主張すること、第三に、人類の罪悪史には必ず終末があり、その時に「神の国」が到来することを主張することです。そのような救援摂理観によって、旧約時代にはメシヤの降臨を中心として歴史が形成されてきたように、新約のキリスト教時代には、再臨のメシヤを待望し、彼を真の父として迎え、罪を清算し、「神の国」を完成するという希望と信仰を中心として形成されてきました。このような救援摂理の歴史的な背景は、神様の心情と事情に立脚しているのです。したがって、神様の摂理を読み取るためには、時代の兆候を見抜く目が必要です。
第二次世界大戦が終わったとき、世界のキリスト教は、神様の救援摂理史において非常に重要な時点を迎えていました。その中心にいたのが、イギリス、アメリカ、フランスでした。第一次、第二次世界大戦において、イギリス、アメリカ、フランスの三大キリスト教国家は、連合国の中枢として民主主義の勝利のために戦い、二回とも勝利を収めました。
これは正しく神様の摂理だったのです。したがって一九四五年、第二次世界大戦が終わった時を契機として、イギリス、アメリカ、フランスの三大キリスト教国家が、自国中心主義に陥らず、世界平和の実現のために力を合わせて神様の真の愛を実践し、そして犠牲と奉仕の精神で人類の平和のために全身全霊を傾けたとすれば、国際連合を中心として、人類の恒久平和が達成されたはずでした。しかし、実際の歴史的事実は、世界平和の実現ではなく、共産主義の拡散とそれに伴う数多くの紛争、キリスト教国家の霊的衰退および道徳的堕落でした。戦後四十年以上もの間、米ソ対立の冷戦時代を経てきた人類は、霊的な荒野をさまよってきたのです。
最近、私は、神様の啓示に基づいた世界平和のビジョンを実現するために、世界の人々に神様の理想と摂理を明らかにしてきました。それとともに、世界平和の実現に必要であると考えられる多くの組織と機関を設立し続けてきました。このような平和運動は現在、完成段階に達していると言ってもよいでしょう。それでは、神様の摂理とは何でしょうか。神様の創造摂理はもちろん、平和な世界であることは言うまでもありません。平和な世界は、そこに分裂や争いがあってはいけません。統一と調和と喜びに満ちた社会でなければなりません。それを可能にせしめ、最大最高のものをつくるのは、正に真の愛なのです。真の愛は、統一の要因であり、喜びと幸福の源泉です。ですから、平和の前提は、真の愛であると言えるのです。
神様の真の愛は、どこに根を下ろすのでしょうか。真の愛の定着地は家庭です。アダムとエバが完成し、神様を中心とした夫婦として理想家庭を築いたならば、そこに真の愛が定着するのです。真の愛の家庭こそが、真の平和を生み出す基地となるのです。人類がいまだに真の平和を成し遂げられないのは、真の家庭を知らずにいるからです。その答えは聖書に記録されているように、人類が神様とは関係のない立場に落ちてしまったからです。人類の始祖アダムとエバが堕落して以来、この世界には平和が消え失せてしまいました。代わりに分裂と闘争が人類を支配するようになりました。個人においては心身の葛藤、家庭では夫婦の対立、そして社会では人間同士の闘争が絶え間なく起きています。結論的に言うならば、真の愛の喪失という根本的な原因によって、すべての問題が起きていると言うことができます。人間の堕落は、真の愛の喪失を意味します。したがって、アダムとエバが失ってしまった愛を復帰するために、イエス様は真の愛の王として降臨されたのであり、また再臨のメシヤも、真の愛を立てるために来られたというのが、救援摂理から見た論理の帰着です。
世界平和のための今までの私の歩みは、いかにすれば人類が真の愛を回復できるか、という一点に集約されます。今日、道徳的に退廃した世界を見るとき、神様の悲しみがどれほど大きいかということを、私はいつも痛哭する心情で見つめてきました。ソドムとゴモラのような姦淫の弊害が世界を襲い、未来を背負うべき若者たちがフリーセックスに陥っていく姿は、神様の最大の悲しみであり、それは正に人類を滅亡へと導く道なのです。しかし、今日、世界で一つの希望と喜びを発見できるとすれば、それは、世界が偽りの愛によって破滅しつつあるこの状況を防ぐための女性たちの活動が、世界的に拡散していることです。これは大きな希望です。既にこの日本から女性たちが世界百六十ヵ国に派遣され、ために生きる精神を実践していることは、限りなく喜ばしいことと言わざるを得ません。危機を救うのは女性です。今、私たちは、女性たちの力を尊重しなければならない時が来ました。国家で言うならば、島嶼国家が正に女性の立場に立っているのです。
各国の代表、貴賓の皆様。皆様の国は島嶼国家です。島嶼国家は女性、あるいは母としての特徴を共通して持ち合わせているので、共に連合し、力を結集して、人類に対して母としての使命を成功裏に遂行していくよう互いに協力しなければなりません。私が「島嶼国家連合」を提唱し、創設したのも、このような理由に基づいているのです。
人類歴史を見ると女性は、良い意味であれ悪い意味であれ、重要な役割を果たしてきました。聖書によれば、人類の歴史は、アダムとエバの堕落による悲劇的な事件から出発しました。人間堕落の結果に対して、私たちは責任をもってこれを解決していかなければならないのは当然のことです。しかし、エバが最初に堕落して罪悪の歴史を出発させたという聖書の記述を見るとき、人類歴史は、エバの堕落を女性たちが先頭に立って蕩減する時代が来ることを摂理的に要求しています。二十世紀における男女平等の思想的風潮、また女性の真の解放を求める運動などは、女性が世界平和のために立ち上がって世界的に大きく活動する環境が造成されたことを意味しているのです。
このような神様の摂理をよく知っている私は、一九九二年四月に、私の妻と共に「世界平和女性連合」を創設しました。この連合の運動は、近い将来に世界万民が参加する「世界平和女性連合」の運動へと発展させ、真の愛を家庭の中で定着させることによって、理想世界、すなわち地上天国を建設するのです。今、女性の時代は、一九九〇年代の世界的な趨勢であり、女性の愛と協調、和解、調和の精神が、世界平和のために歴史的な貢献を果たす時代であると言うことができます。
この世界的な女性時代は、そのまま女性の特徴をもつ「島嶼国家連合」にも該当するのです。そのように女性時代と島嶼国家の時代は深く結び付いています。女性が世界平和のために立ち上がる時は、島嶼国家もまた世界平和のために立ち上がる時なのです。すべての島嶼国家が、世界平和の実現という光明な歴史的使命を果たす時は、正しく今なのです。これ以上に誇り得る使命がどこにあるというのでしょうか。
それでは、ここでしばらく、女性たちが歩んできた人類の歴史を振り返ってみましょう。神様に向かう強い信仰心によって偉大な証の書を残した立派な女性たちがいます。アブラハムの妻サラ、イサクの妻リベカ、ヤコブの妻ラケルの三人の女性がいなければ、イスラエルの歴史はなかったと言っても過言ではありません。また、神様の祝福を受けた血統を命懸けで残そうとしたタマルの絶対的な信仰がなければ、旧約聖書に記録されているメシヤの血統は確立しなかったでしょう。タマルと同様に、イエス様の母マリヤもまた、神様の聖なる血統を継ぐ子孫を生むために、絶対的な信仰を天のみ前に示してくれた女性でした。
エバの堕落は人類に霊的な死をもたらしたのであり、その結果、人類は偽りの愛と偽りの生命と偽りの血統の中で呻吟するようになったのです。マリヤとタマルの歩んだ道は、エバの堕落を蕩減するための道でした。また、か弱い十六歳のジャンヌダルクが立ち上がったとき、存亡の危機に立たされていたフランスが救われたのです。十六歳の彼女が一国を救えるほどの力を発揮したのです。このような女性たちの歴史的足跡をたどってみると、覚醒した女性たちがどれほど立派な活動をしてきたかを知ることができます。女性のもつ奉仕と献身の美徳によって人類愛に燃える「島嶼国家連合」が誕生するとき、人類の前途には、希望の光が明るく照らされるでしょう。島嶼国家は最終的には大陸を求めなければなりません。それは女性が男性を求めなければならないのと同じ原理です。島嶼国家存立の条件と言ってもよいでしょう。
したがって、島嶼国家から始まった世界平和のための諸活動は、大陸国家に良い影響を与えるでしょう。このようにして世界平和実現のための善の影響力が島嶼国家から大陸国家に及ぶとき、世界平和の実現の可能性は、より一層高まるでしょう。目前に近づきつつある二十一世紀は、人類が長い間願ってきた地上天国の輝かしい幕が上がる新世紀となることを私は確信しています。
私が世界平和のために創設した「世界平和連合」、「世界平和女性連合」、「世界平和青年連合」、「世界平和学生連合」と共に、今回創設される「世界平和島嶼国家連合」は、世界平和のために重要な役割を果たすことを確信しています。そして最終的に、これらすベての組織は、「世界平和家庭連合」として結実しなければなりません。なぜならば、平和の最後の砦は家庭であり、家庭の再建以外に世界平和に至る道はないからです。
「世界平和家庭連合」の目的は、超民族的、超国家的、超宗教的理念に基づき、青少年たちを立派に教育することによって、理想国家を完成し、五色人種が永生を謳歌する人類一家族世界の歴史的聖業を成就することです。皆様の「島嶼国家連合」と「世界平和家庭連合」の偉大な目的に対して大きな賛辞を送り、立派に世界平和の大業を完遂することを信じて疑いません。神様の真の愛による人類一家族世界の夢が「島嶼国家連合」の創設によって、より一層実現可能なものとなったことに対して、皆様に感謝を申し上げながら、私のメッセジを終わりにしようと思います。
皆様と皆様の御家庭に神様の導きと祝福が共にあることを祈ります。御静聴いただきありがとうございました。
10.二十一世紀における半島国家の役割
平和経 第九篇 国境線撤廃と世界平和
10.二十一世紀における半島国家の役割
日付:一九九六年八月二十日
場所:韓国、ソウル、シェラトンウオーカーヒルホテル
行事:「世界平和半島国家連合」創設大会
尊敬する議長、全世界からお越しの貴賓、韓国各界の代表、ならびに紳士淑女の皆様。人類の福祉と平和世界の実現のための皆様の労苦に称賛の意を表します。また、私の祖国である韓国の地を訪ねてくださった皆様を歓迎いたします。二十一世紀まで四年を残した現時点において開催される今回の会議が、人類に平和世界に対する確実な希望を与えてくれる意義深い討論の場となることを願いながら、人類の究極的な理想と世界平和実現に対する私の考えを表明することにいたします。
私は、世界の主要強大諸国が、理念と資源をめぐる戦争を起こすことによって、多大な苦痛を受けた韓半島で育ちました。私は幼いときから人生と宇宙の根本的な疑問に対する答えを探そうと尽力してきました。生きておられる神様を体恤によって知り、また、その神様が歴史の中で人類と共に歩んでこられた真の愛の主人であられることを知りました。罪と矛盾と闘争に満ちあふれたこのような世界を、神様が計画し、創造したとは、私には信じられませんでした。
今ここで青少年期の経験を長々とお話しする時間はありません。ただ、私の青少年時代は、真理の探究のために没頭し、身もだえする生活だったことを申し上げておきたいと思います。私が究明した、統一教会の教理解説書である『原理講論』は、平凡に得られたものではありません。「原理」の根本は、胸の痛む祈祷の中で、イエス様をはじめとする霊界の聖賢たちとの交流はもちろんのこと、神様との深い交流によって探し出したものです。妨害するサタンとの血闘戦で得た勝利の結実です。私は、この「原理」の教育と実践によって人類を指導するために、緊張の中で生涯の一瞬一瞬を捧げています。「原理」は世界百八十四ヵ国に伝播され、人をして、生きた神様と生命ある関係を結ばせ、その人生を変化させています。
私たち人間は、神様によって創造されたので、神様と関連した夢と理想世界に向かうことを熱望する心をもって生まれました。いかなる悲惨な環境の中でも、人間は理想的な平和世界に向かう希望を捨てません。「理想世界」というときの「理想」とは、原因者であられる神様に由来したものです。神様は、権力や栄光、または富のために世界をお造りになったのではありません。神様には、権力、栄光、富に対する欲望はありません。絶対、唯一、不変、永遠であられ、万有の原因者であられる神様は、これらすべてを、既にもっておられるからです。
しかし、神様がいかなる欲望ももっておられないと考えるのは正しくありません。神様は真の愛の本体としていらっしゃいます。神様も愛を体恤されるためには相対が必要です。愛とは、主体と対象の関係、すなわち相対と関係を結んでこそ可能な経験であり、喜びだからです。いかなる存在も、一人孤立して愛を感じることはできないのです。神様も例外ではありません。神様の創造の動機は、真の愛とその対象である真の人です。神様は、御自身と自由に愛を与え合うことのできる存在として人間を創造されました。人間は神様の完全な愛の対象体として造られたのです。人間は、神様の息子と娘です。創造主である神様は、人間の真の父母であられます。
神様は、アダムとエバが真の愛を中心として純粋に成長し、真の人になることを願われました。神様は、彼らの外的で生物的な成長のための足場として、美しく繊細に準備した環境である万物世界を創造されました。このような環境の中で、人間は成長して大人になり、発展します。
神様は、人間の内的性稟と愛の人格に、より深い関心をもっていました。彼らは、真の愛の経験を通して神様の真の愛に似て完成するのです。愛の力は、内的で非物質的な力の中で最も強力なものとして創造されました。人間はそのような愛の力を、神様の愛と神様の法度の中で体恤することによって、父母であられる神様に似るのです。
人間が無限な真の愛の主人になるためには、責任性を遵守しなければなりません。人間は、真の愛によって神様と一体となって神様に似るとき、初めて愛の完成体、完全な人格を所有するようになるのです。神様の愛が、人間の幸福と生命と理想の源泉となる理由もここにあります。アダムとエバは、神様の真の愛の中で真の男性と真の女性となったのちに、互いが真の愛によって真の夫婦となり、その次に子女をもって真の父母となるようになっていました。
人間は、成長期間を通じて神様の真の愛を段階的に体得していきます。人間は生活の中で父母の愛を通して子女の心情を感じ、兄弟の愛を通して兄弟の心情を感じ、夫や妻の愛を通して夫婦の心情を感じ、子女を通して父母の心情を体恤するようになっているのです。この四つの愛と心情がとどまる基台が家庭です。
ですから、家庭は人間の愛と幸福と生命と血統の基地になるのです。家庭以外には、いかなる所でも四つの愛と心情を学び、体恤することはできません。愛は経験を通して感じ、知るものだからです。人間個々人や家庭、社会、国家や環境の完成は、家庭の中における真の愛の具現を根拠としています。
世界の現実はどうでしょうか。人類は、技術の発展によって生活が便利になったにもかかわらず、人間性を喪失するなど深刻な危機を迎えています。戦争と葛藤、暴力と犯罪、そして麻薬など、ありとあらゆる病弊が人類を不安にさせています。さらに深刻なことは、若者たちの性道徳が急激に崩れ、離婚率が急増し、幼い未婚の母の問題と家庭破壊が人類社会の根底を崩しています。
人々は、様々な面において平和と幸福を追求し続けてきましたが、満足できる成果を得ることはできませんでした。第一次、第二次世界大戦が終わり、戦争を防止するために創設された国際連盟と国際連合の二大機構が、全世界的な活動を展開してきたにもかかわらず、いまだに平和世界は訪れていません。
宗教団体の努力でも幸福な世界は実現しませんでした。また、国際共産主義の理想やファシズムの夢でも理想世界の実現は失敗しました。高度の技術も、政治的な努力も、人類に平和と幸福をもたらすことはできませんでした。これは、人間の不幸と苦痛の根源が、神様に背いた堕落に由来しているのに、その根源から問題を解こうとしなかったからです。
アダムとエバは、性関係を結ぶことによって神様の原理から離れるようになり、真の愛の中で自ら成長する前に子女をもつようになりました。アダムとエバは、神様を不信し、結果的にサタンに従って偽りの夫婦、偽りの父母となることによって、人類歴史が出発したのです。彼らの子孫が、神様の創造理想とは関係のない、罪と戦争と苦痛の中で生きることになるという結果を招来したのです。神様の心情は、どれほど悲しみに打ちひしがれたことでしょうか。
神様は何としても、本来計画された真の愛と平和の理想を回復されなければなりません。神様の救援摂理は、原状復帰の摂理、すなわち復帰摂理です。このような復帰摂理のために宗教を立てられ、善の版図を広げてこられました。
神様が送られるメシヤは、この復帰摂理を完結させる全責任を負って来られる方です。したがって、メシヤは真の父母として来られ、根本から正して回復しなければなりません。メシヤとして来られたイエス様は、真の父母の使命をもってこられました。彼は地上において、人類を真の愛で重生させ、真の人、真の夫婦として回復させ、真の父母となるようにするために来られたのです。不幸にも、彼は地上の不信によってみ旨を完全には果たすことができずに、逝かれながら再臨を約束されました。真の父母として再び来られ、神様の創造理想を完全に回復しなければならないからです。
イエス様はユダヤの地にお生まれになりましたが、ユダヤだけのためのイエス様ではありませんでした。メシヤであり、真の父母の立場で来られたイエス様のみ旨は、地上に神様の理想、すなわち真の愛の平和世界を実現することでした。当時、ユダヤはローマ帝国の属国でした。イエス様のみ旨がユダヤを基盤として成就され、さらにローマを経て世界まで成就されることを願われる神様の摂理があったのです。
私たちは、海に囲まれた半島国家が歴史的に貴重な文明を花開かせたことを知っています。偉大な宗教理念や思想の多くが半島国家で発生し、人類の精神世界を指導してきました。バルカン半島で発生したギリシャ哲学、イタリア半島で花開いたキリスト教文化、インドのヒンドゥー教文化と哲学、アラビア半島のイスラーム文化、東南アジア半島で結実した仏教文化、イベリア半島での航海術、スカンジナビア半島でのノルマン文化などがそうです。このように、半島国家は世界文化史に最も大きな影響を及ぼしました。
人類歴史において文明が発展していく流れを見ると、河川流域から発生した古代大陸文明は、ギリシャ、ローマ、イベリアなどの半島文明に移動していきました。その半島文明は、イギリスを中心とした島嶼文明に移り、その島嶼文明は再びアメリカを中心とした大陸文明を経て、日本の島嶼文明に戻ってきました。今この文明の巡礼は、韓国において半島文明として結実しなければならないと見るのが摂理観です。
別の方面から見ると、ナイル川とチグリス川など河川沿岸の古代文明が、ギリシャ、ローマ、スペインなどの地中海を中心とした文明へと移りました。その文明は再び、イギリスとアメリカに続く大西洋文明へと移り、この文明はまた、アメリカ、日本、韓国をつなぐ太平洋文明として結実するようになります。イタリア半島で結実して世界化されることがメシヤのみ旨だったので、イエス様の再臨、すなわち真の父母の再臨によって摂理の中心にならなければならない所は、半島国家である韓国であるとみるのです。
地球は陸地と海洋から成り立っています。海は、最も単純な生命が誕生して以来、母の役割を果たしてきました。このように、海は、養育し、抱いてくれるので、女性を象徴し、陸地は男性を象徴すると考えることができます。したがって、海洋に位置する島嶼国家は女性を表す国家であり、大陸国家および大陸に連なっている半島国家は男性を表す国家だと言うことができます。
特に半島国家の国民には、大陸と海の両面からの敵に備える生活から生まれた強靭さと勇猛さがあります。また、開拓し、探険する進取の気質に富んでいるので、きらびやかな文化を花咲かせ、またそれを世界に伝播するようになったのです。新たに千年を迎えなければならない時点において、半島国家は、摂理的に貴重な使命を果たさなければならない国々です。これらの国は、これまで世界文化に寄与した功労と共通した経験を半島国家連合として結集し、平和世界を実現するために先導的役割を果たさなければなりません。
尊敬する指導者の皆様。今まで私は、人類が平和世界で幸せに暮らすことのできる道を教えてきただけではありません。困難な開拓を行い、平和世界を実現するための様々な組織を創設しながら、多大な支援によって育成しています。「世界平和連合」、「世界平和宗教連合」、「世界平和女性連合」、「世界平和青年連合」、「世界平和学生連合」、「世界平和教授アカデミー」、「世界平和島嶼国家連合」などは、すべてこのような目的のために創設された組織です。今回、「世界平和半島国家連合」を創設するのも同じ目的です。
人類の幸福と平和理想を実現するには、多くの障害があります。政治的、経済的利害関係の衝突をはじめ、様々な否定的要因が数多くあります。その要因の中で最も根本的なものは、人間が自己の中で心と体が衝突を起こし矛盾していることです。長い人類歴史を通して、この心と体の葛藤は、完全に解決されたことはありませんでした。人間始祖の堕落の結果が、このように深刻で悲惨なのです。
自らの内に矛盾と葛藤をもった人たちが家庭を形成しているので、その家庭が完全に和合一体を完成することができるでしょうか。特に、真の愛による心情の完成的な体恤もなしに、愛の責任性も忘却したまま、倫理、道徳の完全な基準を立てられないとき、家庭は揺れ、破壊されるのです。家庭が壊れるのに、平和な社会、国家、世界を期待できるでしょうか。
私は、去る七月三十日から八月一日まで、アメリカの首都ワシントンDCで「世界平和家庭連合」創設大会を開きました。ジェラルドフォード、ジョージブッシュの二人の元アメリカ大統領をはじめ、四十ヵ国の元現職国家元首および首相と世界の百二十ヵ国以上の代表が一堂に会し、歴史的な世界大会を開催したのです。これは、これまで私が、真の愛の平和世界実現のために生涯を捧げて築いた世界的な組織と基盤の上に創設した、最も貴い機構です。
今日、人類は、神様の真の愛の中で心と体の調和、一体を完成することによって、本然の人間性を回復しなければなりません。人類は純潔運動と真の家庭実践運動を通じて、永遠の幸福の基盤を築かなければなりません。そのためにこの機構をつくったのです。
神様の経綸と歴史の帰趨を見ると人類は、国境と人種を超越し、神様を真の父母として侍って生きていく巨大な一つの家族です。一つの世界家族として、一つの囲いの中で調和して協力すべき運命共同体なのです。これ以上、隣人と他国の困難が私と無関係ではあり得ない時代が来ました。
私たちは、人類が戦争と犯罪、麻薬と暴力、環境汚染と生態系の破壊、倫理の退廃とエイズなどに巻き込まれ、落ちていくのを傍観することはできません。これから私たちは、神様と歴史の前に応えなければなりません。大きく和合して一つにならなければならない人類が、何をもって、どのように現実を克服し、迫りくる新千年紀を希望の中で迎えることができるでしょうか。
そして、個体や自国の利益を超えてために生き、信頼しながら生きる平和世界を形成し、またこれを支える新しい価値観をどのようにして確立するのでしょうか。科学技術の燦爛たる楼閣の上で、人本主義の眼鏡をかけて偶像崇拝に誘惑されるのではなく、本心の扉を開けて謙虚に答えを探さなければならないのです。地上で見いだせなければ、天から来る声を通して解決しなければなりません。
今回の皆様の討議が、平和世界の夢を実現するために、大変有益で意義のある会議となることを願います。皆様と皆様の御家庭に神様の御加護がいつも共にあることを祈ります。
11.二十一世紀における大陸国家の役割
平和経 第九篇 国境線撤廃と世界平和
11.二十一世紀における大陸国家の役割
日付:一九九六年八月三十日
場所:アメリカ、ニュージャージー州、シコーカスヒルトンホテル
行事:「世界平和大陸国家連合」創設大会
尊敬する北アメリカの代表であられる参加者の皆様、そして紳士淑女の皆様。人類の福祉増進と平和世界の実現のための皆様の労苦に、心からの感謝をお捧げいたします。
私は、二十世紀も残すこと四年余りという現時点において、この会議が、平和世界のための私たちの希望を明快にして拡大させる、有益な討論となることを願います。私はまず、世界平和実現と究極的な人類の理想に対する私の見解を皆様と共有したいと思います。
私は韓半島で育ちました。韓国民族は、理念と資源の問題を中心とした世界の列強たちの角逐(かくちく)により、多くの苦痛を受けました。幼年期以後、私は人生と宇宙の根本問題に対する答えを探すため、必死の努力を続けてきました。そして、神様に対する私の経験を通し、生きておられる神様を知りました。
また、神様が歴史の中で人類と共に摂理される真の愛の主人であることを知るようになりました。私は、神様が罪悪と対立、戦争がはびこる世界を計画し、創造したとは信じられませんでした。青年時代の経験について長々とお話しする時間がありませんので、きょうは簡潔に、その当時の真理追究に対する私のあふれんばかりの情熱についてお話ししたいと思います。
私は、「統一原理」として知られている統一教会の教えをこの地上に提示しました。しかし、このような教えは簡単に得られたものではありません。言うまでもなく、私は神様と霊界にいるイエス様、そして多くの聖賢たちと祈祷による十分な交流を通して原理の真髄を伝授されました。その啓示は、サタンとの決死の闘争を通して得られたものです。
私は、このような「統一原理」を教え、実践することに、自らの全生涯の一瞬一瞬を捧げてきました。そうして、「統一原理」に触れ、「統一原理」を通して生きている人たちが、今や百八十四ヵ国に広がっています。「統一原理」は、これに触れた人たちに、生きて働かれる神様と新しい関係を設定させることによって、人々の人生を変化させています。
神様によって創造された私たち人間は、私たちの夢を成就し、神様との関係性の中で理想世界を実現する内的な希望をもって生まれました。それだけでなく、最も困難な条件下にあっても、人間は絶対に理想世界と平和世界のための希望を捨てません。私たちが理想世界について語るとき、私たちは、神様こそがその理想という概念の根本であることを知らなければなりません。
神様は、富と権力、名誉のために世界を創造されたのではありません。絶対、永遠、不変であられ、すべての存在の根源であられる神様は、既にそれ自体で満ち足りている存在なので、このようなものは必要ではないのです。しかし、神様は御自身の望みすべてが、既に満たされていると言うことはできません。
神様は、真の愛の本体として存在しているので、私たち人間と同様に、愛を与えたり、受けたりする対象が必要です。愛は、もっぱら主体と対象の関係があるところで経験することができます。いかなる存在も、孤立しては愛を感じることができません。
神様は、自由に愛を与え合うことのできる存在として人間を創造されました。人間は、神様の真の愛の対象となるように創造されたのです。神様は人間を御自身の息子と娘として創造したというのです。ですから、神様は私たち人間の真の父母です。神様が最初の男性であるアダムと最初の女性であるエバが、真の愛を中心として純潔なままで成長することを願われました。神様は、アダムとエバが真の人となることを望まれました。神様はこのように美しく奥妙な自然世界を、すべての生命が成長できる環境として創造されました。そして人間は、このような環境の中で成長したのです。
しかし、神様の主な関心は、人間の内的な人格の成長にありました。真の愛を経験することにおいて、神様は私たち人間が、神様の真の愛を体恤し、完全な存在に成長するよう計画されたのです。そして、神様は愛の力をいかなる力よりも強く創造されました。天の愛と法度の領域の中で、人間をして真の愛の力を経験させることによって、私たち人間が父母であられる神様にだんだんと似ていくのです。無限な真の愛を所有するために、私たちはまず責任意識を学ばなければなりません。
人間が真の愛を通して神様と一つとなったとき、人間は、神様に似た完全な人格体として、真の愛の完全な実体となることができるのです。そのような意味から、神様は人間の幸福の本質と生命であり、理想であると言うことができます。アダムとエバは、神様の愛の中で成長し、真の個人となり、真の夫と真の妻となって子女を養育することで真の父母になるようになっていました。人生の成長段階を通し、人間は徐々に神様の愛を経験します。
個人は、父母の愛を通して子女の心情を知り、兄弟姉妹の愛を通して兄弟姉妹の心情を、配偶者を通して夫と妻の心情を、そして子女に対する愛を通して父母の心情を知るようになります。
家庭は、このような四大愛と心情圏を確立する基盤になるのです。家庭は、愛と幸福、生命、そして血統の基盤です。私たちは家庭以外のいかなる所においても、このような四大愛と心情圏を経験することはできません。私たち人間は、実際的な経験を通してのみ愛を知るようになります。個人、家庭、社会、そして環境の真の完成は、家庭の中における真の愛の実現に基づいています。
今日の世界の現実はどうでしょうか。科学と技術の進歩、そして現代生活の便利さにもかかわらず、世界は人間性の喪失という深刻な危機に直面しています。無秩序とありとあらゆる種類の暴力と犯罪、麻薬の乱用、戦争などが人類を蝕んでいます。そして、離婚率の増加、若い世代の性倫理の崩壊と十代の未婚の母問題などを含めた家庭崩壊現象が、私たちの社会基盤自体を破壊しています。
私たちは多方面にわたって平和と幸福を探し求めてきましたが、私たちの中で誰一人として、自らの人生において成就した結果に対して満足できる人はいません。第一次、第二次世界大戦後に国際連盟と国際連合が、未来に発生する葛藤を解決するために創設されましたが、このような機構の国際的な努力や活動も、平和な世界を実現することはできませんでした。
各種宗教団体の努力もまた、幸福な世界を実現することに成功していません。共産主義の理念やファシストの幻想も、一つの世界を建設することには失敗しました。高度に進歩した技術や巧みな外交術もまた、私たち人類に平和と幸福の世界をもたらすことはできませんでした。これは、人類の不幸と苦痛の原因が、正に人間の堕落と神様に対する不従順に起因しているからです。ですから、このような根本原因を除去することによって、問題は解決されるのです。
アダムとエバは、彼らの成長期間の時に真の愛を蹂躙しました。彼らは、真の愛の理想の中で成熟段階に到達する前に、不倫の性関係を結び、子女たちを繁殖することによって、神様の原理から逸脱しました。アダムとエバが、彼らの愛する父母である神様を信じず、サタンに屈伏し、堕落したことによって、人類歴史は始まりました。このような行為によって、彼らは偽りの夫と妻となり、偽りの父母となりました。最初の家庭から始まり、このように相続されたものは、堕落の負の遺産であって、葛藤と苦痛を含んでいます。このような遺産は神様の創造理想とは無関係です。それをご覧になる神様はどれほどやるせない心情だったか、想像することもできません。
しかし、神様はいかなる代価を払っても、本然の真の愛と平和の理想を復帰しなければなりません。ですから、神様の救援摂理は復帰摂理なのです。このような復帰を果たすために、神様は宗教を創始し、善の版図を広げてこられました。
神様によって送られた救世主は、正にこのような復帰摂理を完成する責任をもって来られる方です。メシヤは真の父母として来られなければならず、問題の根源から始まったすべてを聖別しなければなりません。
イエス様は、真の父母の因縁をもって来られたメシヤです。イエス様は、この地の人類を復活させるために来られました。イエス様は、人類全体を真の人間として復帰し、この人類が互いに真の夫と妻となり、真の父母となることができるようにするためでした。
ところが、不幸にもイエス様は、この地の人間たちの不信によって、このような目的を完全に果たすことができなかったのです。しかし、イエス様は昇天する前に、この地上に再び来るという約束をされました。ですからイエス様は、神様の創造理想を完全に復帰するために、再び来られなければならないのです。
イエス様はイスラエルで誕生しましたが、ユダヤ人のためだけに生まれたのではありません。イエス様は、救世主と真の父母の立場でこの地に来られ、神様の理想、すなわち真の愛と平和の世界を実現しようとされました。その当時、イスラエルはローマの植民統治下にいました。もしもイエス様がパレスチナ人の中で、その目的を成就していれば、その民族を通して神様のみ言が全世界に伝播されていたでしょう。
事実、アジアとアフリカ、そしてヨーロッパという三大陸の交差点に位置するパレスチナ地方は、キリスト教の歴史において初めの一世紀の間、イエス様の教えを伝播する役割を担当しました。言い換えれば、キリスト教は、南にはアフリカ、東にはアジア、そして西にはヨーロッパへと伝播されたのです。
最終的に、キリスト教は、ヨーロッパと西アジア、そしてアメリカ大陸で、その重要な位置を獲得しました。
キリスト教を通して、これらの広大な大陸は、それぞれ相対的な統一性を形成することができました。そのように統一された大陸の力は、最後には世界を支配するようになりました。
文明は、まずエジプト、メソポタミア、そして中国などの大陸で始まりました。西洋文明の中心は、ギリシャ、ローマ、そしてイベリア半島へと伝播されました。
このような半島文明は、イギリスを中心とした島嶼文明に、その輝かしい地位を明け渡したのち、再び、文明の中心は北アメリカ大陸文明へと移動し、太平洋を渡って、日本を中心とした島嶼文明へと移動しました。そして、その島嶼文明は、再び半島文明へと移動しています。ですから、文明の発展は、韓国において半島文明として結実するというのが摂理的見解です。
半島文化は、主要な文明として成長しました。偉大な宗教や哲学、思想などが、人類の精神の領域を導くために半島文化から現れました。バルカン半島から現れたギリシャ哲学、イタリア半島で開花したキリスト教文化、インド半島のヒンドゥー教哲学と文化、アラビア半島で起こったイスラーム文化、東南アジア半島で隆盛した仏教文化、イベリア半島の航海術、そしてスカンジナビア半島のノルマン文化などを含んでいます。このような半島文化は、大陸に根を下ろすようになりました。ギリシャ、ローマとイべリア文化はヨーロッパとアメリカで隆盛し、イスラーム文化はアフリカとアジアに伝播されました。
また、別の観点から見るとナイル川と黄河、ユーフラテスとチグリス川のような主要な河畔を中心として発達した文明は、地中海沿岸とギリシャ、ローマと北ヨーロッパ地域を中心とした文明にそのバトンを渡しました。その中心は、北アメリカ、フランス、イギリスなどの国家を中心とした大西洋文明へと再び移動しました。究極的に文明は、北アメリカと日本、そして韓国を中心とした太平洋文明として結実するでしょう。モーセ、ゾロアスター、釈迦、老子、孔子、イエス様を含めた歴史的に主要な宗教の創始者たちは、大陸に現れました。イエス様を通して啓示された神様のみ旨は、アジア大陸にあるイスラエルで確立され、半島国家であるローマの影響力を通してアメリカとギリシャ、そしてアジアなど、世界に達することができました。
今日、世界的な力の核心は、北アメリカとアジアにあります。イエス様の再臨に対する神様のみ旨は、これらの大陸国家が、イエス様が再臨する所、真の父母が来られる、正にその場所である韓国を基盤とし、全世界のために完全に投入するとき、初めて成し遂げられるのです。
地球の表面は、陸地と海で構成されています。私は、海が母の役割をするものであると考えます。海において、生命の最も簡単な形態が現れました。海が生命と養育の要素、そして包容性を与えることから女性の特性を象徴しているとすれば、陸地は男性の特徴を象徴していると言うことができます。このことから、海に囲まれた島嶼国家は女性を象徴し、半島国家を伴っている大陸国家は男性を象徴していると言えます。
特に、半島国家の人々は、大陸と海から押し寄せてくる敵たちに対抗することで、強靭さと勇気を培ってきました。このような先駆的で冒険的な精神のもとに、彼らの輝かしい文化が開花し、成長、発展しました。一方、大陸国家の人々は、忍耐力を培ってきました。彼らは、広大な自然環境を開拓してきました。そして、世界の様々な文化から孤立し、多くの世代を経てきた大陸の人々は、地に対する永久的で不変的な価値を付与してきました。そのような意味から、島嶼、半島、大陸の国家の人々が、互いに正しい関係を確立することが、世界平和の実現に貢献できる道なのです。
新しい千年を迎え、大陸国家は摂理的に重要な使命を完遂するために召命されました。大陸国家は、共通した経験とともに、世界のために貢献する大陸国家の力を「世界平和大陸国家連合」に結合させることによって、大陸国家が平和世界の実現において、中枢的な役割を果たすことができるようにしなければなりません