レバレンドE/span>ムーンが展開してきた超宗派E/span>超国家活動
真の愛の回復のために生涯を生きてきたレバレンドE/span>ムーン
建国精神を失ったアメリカを生かすために努力してきたレバレンドE/span>ムーン
1.ウォーターゲート宣言文
日付:一九七三年十一月三十日
内容:米紙「ニューヨークタイムズ」全面広告
私は十六歳(数え)の時以来、絶えず神様の啓示を体験してきました。そのため、私は今まで世界に対し数多くの奥妙な神様の啓示を宣布するようになりました。
一九七二年一月一日、神様は、私の祈っているときに再び現れて、「アメリカに渡り、アメリカの人々に希望と団結をテーマに叫びなさい」という厳粛な啓示を与えてくださいました。神様の召命に従って、私は、「希望の日」講演会を全米で開催することになりました。そして現在、進行中であるアメリカの全国巡回講演は、「希望と団結」というテーマのもとに、一九七三年十月一日、ニューヨークのカーネギーホールを皮切りに、二十一ヵ都市を巡回する予定です。
ニューヨークでの講演に続き、ボルティモア、フィラデルフィア、ボストン、ワシントンDC、ニューオリンズ、ダラス、タンパ、ならびにアトランタなど、合わせて九ヵ都市で既に講演を終えました。これらのアメリカの各都市では、とても温かくて親切な歓迎を受け、私は深く感動しております。とりわけ、ボルティモア、ワシントンDC、ニューオリンズ、ダラス、タンパ、アトランタの市長、そしてジョージア州知事の方々が、私のささやかな努力に大いに賛同し、「希望と団結の日」を宣布してくださったことに対して、心から感謝申し上げます。
私は今回のアメリカ巡回ツアーの中で、深刻な悩みの中で呻吟するアメリカを発見しました。アメリカの道徳的、精神的没落は、実に悲しく衝撃的なことでした。アメリカ国民は、精神的にも、心霊的にも、致命的な傷を負っており、ウォーターゲート事件によって、抜け出すことのできない悲劇の中で身もだえしている姿をはっきりと見せつけられました。恐らくこれはアメリカ史上、空前の危機と言っても過言ではないでしょう。今日、アメリカが直面しているこのような事態は深刻なものです。それは政治的、経済的、社会的な問題だけではなく、人間の心の危機なのです。この悩みはホワイトハウスの一人に限定された悩みではなく、私たち全体の悩みであり危機であると私は思います。
一九七三年十一月十日、私は四カ月間の「希望の日」の巡回講演の途中、二週間を割いて、韓国に一時帰国し、深刻な祈りと瞑想の中で、アメリカの難局をいかに打開し、どこから新たな希望を見いだせるか、ということについて身もだえする時を過ごしました。今日私たちは、アメリカの煩悶について、あまりに多くの声を聞いています。何が間違っているのか、誰が悪いのか、これはこうしなければならない、それはそのようにはできないなど、人それぞれが叫ぶ世論の声を聞きます。悪辣な非難は、今やアメリカ人の茶飯事となりつつあり、痛烈な憎悪は、アメリカ人の霊魂を枯らしつつあります。
「大統領を弾劾せよ」という多くの人たちの怒りのこもった声が次第に高まりつつあります。世論は無数に分裂し、人々の心は荒れすさぶばかりです。アメリカの大統領をその職にそのままとどまらせるべきか、それとも辞職させるべきか、という深刻な問題は、暗澹たる現実的問題となっているのです。
私たちは一九六三年に、アメリカのケネディ大統領が、同じアメリカ人の凶弾に倒れたのを目撃しています。しかし、今日、アメリカ国民は、知らず知らずの間に、もう一人の大統領を徐々に死へと追いやりつつあるという恐るべき事実を、どれだけ認識しているでしょうか。ケネディ大統領を貫いた弾丸!その弾丸は、たとえ悲劇を招いたものだとしても、アメリカ国民の思いを悲しみと懺悔によって一つに団結せしめたのです。しかし、今日、もう一人の大統領を死に追いやりつつある悪という弾丸は、大統領を破壊させるばかりではなく、その巻き添えに国までも破壊する恐るべき弾丸なのです。
悪と不信の争いに、勝者はいません。心あるアメリカの人々は今、アメリカの将来について深刻に心配していることと思います。アメリカは、今やこの致命的な一撃を被ったために、再起不能になってしまうのでしょうか。
アメリカのこの真っ暗で暗澹たる歴史的瞬間に、どうしたことか、誰一人としてその解答を神様に求める声が聞こえてきません。アメリカのこの受難の時期に、「果たして神様のみ旨は何か」と問う人の声を聞くことができないのです。アメリカが本当に「神様のもとでの一つの国家」であるならば、この難局に対する解答は、必ず神様からやって来るというのが鉄則ではないでしょうか。
私は、アメリカの脈拍に耳を傾け、鼓動の音を聞いているのです。しかし、みな大変なことになったと言いながらも、神様にその進路を尋ねる人がいません。アメリカが引き続き混沌の中で、あれこれとあげつらい、騷々しく騒ぎ立てている間に、国は一歩一歩と奥深く火の中に陥りつつあるのです。
今こそアメリカは、「我々は神を信ず」という精神を発揮する時ではないでしょうか。その精神こそがアメリカの建国精神でした。正にその精神ゆえに、神様はこの国を祝福されたのです。その上、アメリカは神様の世界摂理史において、今その重大な使命を遂行しているのです。
神様にとって、今日のアメリカはとても重要です。アメリカの危機は、取りも直さず神様の危機なのです。ですから、アメリカの問題に対する解答は、神様から来なければなりません。神様だけがその解答を知っておられるのです。それで私は神様に祈ってみました。神様がその解答を下さるよう、神様に談判する祈りの時間をもったのです。やはり神様は答えを下さいました。神様が語られた最初の言葉は「赦しなさい」というものでした。
アメリカは赦さなければなりません。誤りがいかなるものであれ、過ちがいかばかり大きなものであれ、アメリカは赦しの美徳を行わなければなりません。ウォーターゲート事件は大きな過ちです。しかし、それは、ある特定の一人の人の過ちではなく、アメリカ全体の過ちであり、アメリカ国民全体の過ちなのです。これはアメリカが共同で責任を負わなければならないことなのです。
主の祈りにはこうあります。「我らに負債のある者を我らがゆるしたるごとく我らの負債をもゆるしたまえ」と。今日、アメリカが、神様に赦してもらうことを望むならば、まずは私たちが互いの罪を赦し合わなければなりません。ウォーターゲートは、アメリカ大統領一人の試練ではありません。アメリカ人全体の信仰の強さの試練なのです。
この国は果たして致命的な危機に直面しても、神様に対する信仰を堅持していくことができるのか。この国は果たして、二百年前の建国当時の美しいキリスト教の精神と伝統を今も維持していくことができるのか。この国は果たして、寛大さと互いに赦し合う愛の精神を発揮できるのか。
これはまさしくアメリカ国民全体の試練なのです。昔、ニューイングランドに上陸したアメリカの最初の移住民たちも、その当時、多くの致命的な過ちを犯しました。しかし、彼らは、神様に対する一つの共通した信仰と精神ゆえに、彼ら自らの過ちを克服しただけではなく、この国を繁栄へと導いてきたのです。
聖書を見ると、律法学者やパリサイ人が、姦淫の女性をイエス様のところに連れてきて、イエス様を試みた話があります。律法によれば、姦淫の女性は石で打たれなければなりませんでした。しかし、イエス様が、この女性を通して教えてくださった教訓は「赦し」でした。「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げるがよい」とイエス様は叫ばれたのです。
その言葉を聞いた群衆は、年寄りから始まって、一人一人静かに去っていきました。ついに群れのすべての人がいなくなって、イエス様と女性だけが残りました。イエス様はその女性に「女よ、みんなはどこにいるか。あなたを罰する者はなかったのか」(ヨハネ八一〇)とお尋ねになるとその女性は「主よ、だれもございません」(ヨハネ八一一)と答えました。
するとイエス様はその女性を起こして、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」(ヨハネ八一一)とおっしゃいました。誰もあえてその女性に石を投げる者がいなかったのです。今は、誰一人として罰する石を投げる時ではありません。今は皆様がお互いに罪を審判する石を投げ合っている時ではありません。本当にやむを得ず石を投げなければならないのなら、自ら自分を審判する石を投げてください。そうすれば神様は赦してくださるでしょう。イエス様はその女性をそのまま帰らせたように、ウォーターゲートをそのまま帰らせてください。そして二度とウォーターゲートを繰り返さなければよいのです。
私はまた、ニクソン大統領のために多くの祈りを捧げました。私は、「ニクソン氏という人に対して、私たちはどうしたらよいのでしょうか」と率直に神様に尋ねてみました。すると神様は、「愛しなさい!あなたの義務は愛することである」と答えてくださいました。私たちは、リチャードニクソン大統領を愛さなければなりません。イエスキリストは自分の敵さえも愛しました。皆様は、自分の大統領を愛することができないのでしょうか。皆様の家族の中で一人が事故を起こしたら、皆様はどうしますか。彼をけなし、非難し、突いて投げ出しますか。もちろん、そうはしないでしょう。皆様はその家族を助けるでしょう。愛するでしょう。無条件に慰め、愛するのです。皆様は、ニクソン氏を皆様の兄弟の一人として愛さなければなりません。皆様は、アメリカの家長を愛さなければなりません。皆様は、自分たちの大統領を愛さなければならないのです。この国は神様の国です。ですから、アメリカ大統領は、天が与えてくださった聖職です。神様は民意を通じてアメリカの大統領を任命されるのです。
アメリカの大統領は、手を聖書の上に置き、神様のみ前に誓いを立てて、初めて大統領になります。歴史の現時点においては、神様はニクソン氏を選び、アメリカの大統領にお立てになったのです。ですから、ただ神様だけが彼を解任する権限をもっておられるのです。私たちの唯一の義務は、ひたすら大統領の聖職を支援することだけです。もし神様が自らお選びになった人が不適切であると認定されるのであれば、神様はニクソン大統領の良心を通して、そのみ旨を彼に現されるでしょう。私はそのような能力をもっていらっしゃる神様を信じます。
最後に、神様から受けた戒めは、「団結せよ!アメリカは団結しなければならない」というみ言でした。アメリカは赦しの精神で団結しなければなりません。アメリカは愛の精神で団結しなければなりません。愛は団結の原動力です。アメリカは過去において団結するすべを知る国民だったのであり、団結することによって偉大な国を地上に建設した伝統があります。アメリカは五色人種と数多くの国籍の人々と数多くの宗教が合わさって調和を形成した美しい国です。その調和の原動力は、神様を中心とした信仰であり、相互信頼の精神なのです。
アメリカの今日の危機は克服することができます。私たちは今正に、神様に対する信仰を回復し、愛で団結することによって危機を克服しなければなりません。アメリカの運命は世界の運命と直結しています。アメリカが成功するか失敗するかが、神様の計画に影響を与えるのです。神様の現代の摂理において、アメリカは選ばれた勇士です。アメリカの建国二百周年記念を数年後に控え、神様はアメリカをウォーターゲート事件によって試しておられるのです。アメリカは当然、赦しと愛によってこの試験に合格しなければなりません。
信仰を復活させましょう。神様に対する信仰は、アメリカの繁栄の原動力ではなかったでしょうか。アメリカは現代のダビデとして、悪なる現代のゴリアテに勝利すべき宿命的な使命があると私は思います。アメリカは神様のみ旨に従わなければなりません。それ以外に、アメリカの生きる道はありません。
アメリカの人々にこのような話をする私は誰でしょうか。私はアメリカ市民ではありません。私は韓国人であり、アメリカに来た客です。しかし、私は誰よりもアメリカを愛するからこそ、このような話をするのです。私はアメリカを自分の国のように愛しております。神様はアメリカを愛していらっしゃいます。また私は神様を愛していますし、神様は私の父であられます。父の国はすなわち息子の国ではないでしょうか。アメリカは、アメリカを最も愛する人のものです。私は、アメリカの出来事が、自分のことのように心配になります。正にこのような思いから、私はあえてウォーターゲート問題に対し、僭越ながら言及する勇気をもつに至ったのです。その上、私は長い間、待ちました。長い間、待ちに待っておりました。私でなくても、誰か偉大なアメリカの精神的指導者たちが、アメリカを精神的に引っ張り、この暗澹たる状態から、ウォーターゲートを越え、神様に対する信仰によってアメリカを一つにする運動を始めることを心待ちにしておりました。
しかし、残念なことに、誰一人としてアメリカの精神的指導者たちが勇気をもって立ち上がり、赦しと団結を叫ぶその声を聞くことができませんでした。荒野のように荒れ果てて、荒涼とした今日のアメリカを団結へと導いていく「荒野で呼ばわる者の声」を耳にすることはできませんでした。そうこうしている中で、神様は再び私に現れて、「恐れるな!ニネベの町を悔い改めさせたヨナを思い起こせ。信ずるところを叫べ!」とおっしゃいました。私は神様の命ずるままに動いたにすぎません。
世界の統一教会の創立者である私は、ここに、十二月一日から、私たち教会員によって千日断食祈祷を実施することを厳粛に宣言いたします。このことを通じて私たちは、アメリカの伝統的キリスト教の信仰に立脚した愛と赦しの精神で、ウォーターゲート事件によって引き起こされた危機を克服する一大覚醒運動を起こすのです。私たちは「希望と団結の日」のための一大精神革新運動を、挙国的な次元で出発するのです。
今は本当にアメリカにとって、道徳的危機であり、意気消沈の日です。しかし、この日はまた、アメリカ人たちがこの国の偉大さと信仰と勇気を誇示できる、いまだかつてない機会でもあります。歴史を通して、偉大な国民は、その国民性の偉大さを、平時においてではなく、危機の状況のもとで常に証明してきました。今は正に神様を信じる偉大な国民であるアメリカ人たちが、偉大な国民らしく行動すべき時です。そうなれば、この日は新しい希望の日となり、団結の日となるでしょう。「我々は神を信ず」というこの言葉に、アメリカの興亡の鍵があります。アメリカは神様のみ旨を目指さなければなりません。そして、アメリカの歴史におけるこの時点において、アメリカに対する神様の啓示は、「赦せ、愛せ、団結せよ」という三つの言葉なのです。
2.アメリカを中心とした神様の計画
平和経 第九篇 国境線撤廃と世界平和
日付:一九七五年十二月十八日
場所:アメリカ、ワシントンDC、国会議事堂コーカスルーム
行事:第二回アメリカ国会上下院議員招請講演会
親愛なるアイコード議員、国会議員の皆様、そして紳士淑女の皆様。まず私はアイコード議員の親切な御紹介の言葉に対し、衷心より感謝の意を表し、また御多忙中にもかかわらず、このように参加してくださった皆様に感謝申し上げます。
きょう私は、美しいアメリカ国会のこの殿堂で、皆様にお話しすることができ、光栄に存じます。優秀であられるアメリカの国会議員各位をお迎えして、お話しできるこの機会は、私にとって二度目です。その最初の機会は一九七四年十月八日でした。それから約十四カ月が過ぎたきょう、私は再びこの殿堂に立ちました。
これまで十四カ月が経過する間、私は次第にアメリカのマスコミにおいて論難の的になりました。全国の各新聞は、私に対する記事を大書特筆し、いくつかの雑誌は私の写真を表紙に載せ、カバーストーリーとして扱いました。ある写真は、本人よりも見栄えよく写っているように感じられるものもありました。広告代を一銭も払っていないのに、私のことをこのように有名にしてくれたアメリカの言論機関の各位に、どう感謝の言葉を申し上げたらよいか分かりません。
アメリカの言論機関が物議の焦点としているのは、私がアメリカの青年たちを洗脳していると思っていることです。それでは、賢明なアメリカ人の皆様に、一言お聞きいたします。いったいアメリカの人々は、このレバレンドムーンによって洗脳されるほど愚かな人々でしょうか。いいえ、違います。私の答えも同じです。私は、アメリカの人々を尊敬しています。それにもかかわらず尊敬するアメリカの人々がこのような非難をすることが理解し難いのです。暴力を使ってまで非難するのは理解できないことです。
しかし、きょうは、弁明するためにここに来たのではありません。私は神様が伝えるようにと言われたみ言を証すために来たのです。その他は歴史が証明するでしょう。今から私がお話ししようとする題目は「アメリカを中心とする神様の計画」です。
私たちが神様の計画を知ろうとすれば、まず神様のみ旨が何であるかを知らなければなりません。神様は、永遠、不変、唯一、絶対的な方です。したがって、神様のみ旨も、永遠、不変、絶対的なものにならざるを得ません。神様が人間を創造される際に、その目的と理想があったのですが、その目的が成し遂げられていれば、その世界は、愛によって統一された世界となり、神様を父母として侍り、全人類が兄弟姉妹として仲むつまじく暮らす単一世界となり、人類大家族の世界となっていたでしょう。
言うなれば、その世界は、み旨の中で一つに統一された世界なのです。この統一という課題が、今日人間にとって最も重要なものであり、そのために極めて難しいものとして残されているのです。個人においては心と体が一つになり、家庭と家庭が一つになり、民族と民族、国家と国家、東洋と西洋、神様と人間が一つに統一された世界なのです。言い換えれば、神様の創造目的が完成した世界が、統一の世界です。
しかし、今日の現実はこのような理想世界からは、あまりにかけ離れたものであり、何かが根本的に間違っていることは明らかです。それは何でしょうか。人間の先祖アダムとエバの堕落によって、神様のみ旨が成就しなかったのです。ですから、個人の心と体が分かれ、家庭と家庭、民族と民族、国家と国家、東洋と西洋、神様と人間のそれらすべてが分かれ、分裂と不調和の中で生きているのです。このように分裂した人間自体は、本然の機能を失ってしまった病気の状態にあるのです。神様の人類救援の目的は、この病に伏した人間を診察、処方して治療する医者を送り、病気になる以前の状態に原状復帰させようとすることであり、この救援の摂理は、すなわち復帰摂理と言えるのです。ここにおいて医者として来られる方がすなわちメシヤなのです。
それでは、メシヤの降臨に先立ち、神様は何をどうされたのか、そしてメシヤは来て何をしようとしたのかが問題です。神様はみ旨を成就させるために必要な中心宗教を立て、それを基盤として神様の選民である中心国家を立て、その中心宗教と中心国家を通じて世界全体を救援し、復帰しようと摂理してこられたことをはっきりと知ることができます。その中心宗教がすなわちユダヤ教であり、その中心国家がイスラエル選民国家でした。その宗教とその国家の使命は、メシヤを迎えて、全世界を救援するみ旨を完成することです。神様のみ旨成就に先立ち、たとえ困難に直面し、犠牲の十字架を背負うようなことがあったとしても、全世界を救わなければならないのが、その中心宗教の使命であり、またその中心国家の使命なのです。
このような明らかな公式的み旨があって、神様はメシヤを送る前に、ユダヤ教を立て、彼らを通してイスラエル民族を訓練し、メシヤを迎える準備をさせてきたのです。そうして、神様のみ旨であり、民族のみ旨である人類救援の摂理は、メシヤによって完結され、統一された理想世界が成し遂げられるはずでした。
しかし、二千年前に、メシヤが来られたとき、どうなったでしょうか。ユダヤ教とイスラエル民族は、世界万邦が自分たちの足もとで制覇され、イスラエル民族だけが栄光の座に着くことを夢見ていたのです。彼らは、世界の救援という至上課題を先に考えるべきだったにもかかわらず、自分の国を先に考えたのです。そこから、世界のことを先に考え摂理される神様やメシヤと彼らとの間に、大きなずれが生ずるようになったのです。
そのような中で、メシヤとして来られたイエス様は、ユダヤ教とイスラエルを基盤として世界を救援するために、教会と民族に対して世界に向かう革新的な言動を取っているうちに、既存の立場を固守するユダヤ教とイスラエル国家の反対に追われ、ついに十字架に架けられて亡くなってしまったのです。その後、み旨成就に失敗したユダヤ民族は悲運の道を歩むようになり、イエス様を中心としたキリスト教は、国家の基盤を喪失したまま、信徒たちは迫害の中で多くの殉教の代価を払いながら、ローマ帝国でみ言を広め始めました。
ここで知らなければならないことは、選ばれた者がその使命を果たせなかった場合に、神様は、み旨を成し遂げるにふさわしい宗教を再び立て、そこにふさわしい中心国家を再び立てるということです。そこでキリスト教がその中心宗教として、み旨のためのより高い立場でユダヤ教の使命を受け継ぎ、当時世界的な国家だったローマ帝国にとどまるようになったのです。
そのようにして準備したユダヤ教とイスラエルの国は失われてしまったのですが、キリスト教は、ユダヤ教とイスラエルの国の失敗を清算するための四百年間の迫害の末、ローマに国教として受け入れられるほどの基盤を築くようになりました。
当時、教皇庁が中心に立ち、ローマ帝国と完全に一つになって、全世界の救援を目指して前進しなければなりませんでした。もしもローマ教皇庁が、そのようなみ旨をはっきりと知って、国家と一つになり、いかなる犠牲の十字架を負ったとしても屈せずに前進していたならば、世界を救って余りあったでしょう。しかし、教皇庁は、神様のみ旨に背き、自分たちを中心として国家を動かし、そのもとに隸属させる機関と化してしまったのです。
このように神様のみ旨とは反対の道を行くので、神様は教皇庁から離れるようになり、中世暗黒時代が到来するようになりました。その後、教皇庁の威信は人本主義の思潮に襲われ、地に落ちてしまいました。ですから、神様はプロテスタント運動を起こし、世界救援の道を再び整えなければならなくなったのです。このような風潮に乗じて、自分の離婚を正当化しようとしたイギリスのヘンリー八世は、カトリックに対して反旗を翻し、議会を動かし、首長令を発することによって、ついにイギリス国教会を打ち立てました。
その時のイギリスは、プロテスタントと和合できる良い機会をもっており、ヘンリー八世は自ら悔い改め、次元の高い教会と国家を目指して前進できる立場に立っていました。神様のみ旨は、ローマ帝国を離れてイギリスに移り、世界救援の道を整えていたので、イギリスという小さな島国が、数百年の間にその版図を広げ、「五大洋六大州に日の沈むところがない」といわれる世界的な強大国になりました。
神様がこのように、イギリスに文明の極致を享受させ、輝かしい祝福を与えたのは、イギリスだけのためではなく、世界を救おうとされる神様のみ旨を成就させるためでした。
当時、神様のみ旨を成就しようと理想的国家を夢見て立ち上がった清教徒運動者とプロテスタント運動者が合致して、イギリス全体が一つになっていたとすれば、超国家的な立場で、神様のみ旨の中で一つになり、名実ともの「ユナイテッドキングダム(United Kindgom:連合王国)」という世界的な国家形態を築いたのです。
しかし、イギリスは、この重大な使命を悟り得ず、神様の祝福をイギリスだけのためのものとして享受し、一方、清教徒を迫害し、植民地から搾取する立場に陥ってしまったので、そこで神様のみ旨は再び移らざるを得なくなったのです。
当時、清教徒が、反対と迫害に耐えかね、苦難を打開し、信仰の自由を求めて、教会と国を捨てて立ち上がったカナンの地のような所がアメリカ大陸でした。天のみ旨を携えて、命を懸けて大西洋を渡ってきた代表的な群れが、皆様の先祖「ピルグリムファーザーズ」だったのです。彼らと共に天の祝福はアメリカ大陸に移りました。そのようにしてここに集まった超民族的清教徒の群れは、信仰の自由のために神様のみ旨の中で強く団結し、独立軍を起こしてイギリスと戦った結果、神様の加護のもとに勝利しました。このようにしてプロテスタントを中心とした超民族的な国家が形成されたのですが、これが正にアメリカの建国の歴史です。
そのようにしてアメリカは、神様のみ旨を中心として世界救援の旗手となり、教会と国家が一つに団結し、神様の歴史的な願いである全世界救援のみ旨を果たす重大な使命を負うようになったのです。アメリカの建国理念が「神様のもとに一つの国」だったことは、何も偶然なことではなく、すべて神様のみ旨の中でそのようになったのです。
このように、神様は六千年の摂理歴史を勝利で完結させる目的のために、イスラエルの失敗以後の二千年歴史を、第一イスラエルの国とユダヤ教に代わる立場で相続、継承したのがアメリカとキリスト教でした。
イエス様以降二千年間に失敗した内外の条件を、二百年の歴史を通じて清算し、アメリカは精神文明と物質文明を兼ね備えて、神様のみ旨の中で世界を救うために再び来られるメシヤを迎える条件を具備した国になったのです。そうしてキリスト教とアメリカが一つになって、神様のみ旨を世界的に完結すべき、第二イスラエル型の世界的国家となったことを、皆様は知らなければなりません。
今や、アメリカ国民は、今日のアメリカを築いた神様の祝福が、決してアメリカだけのための祝福と思ってはいけません。この祝福は世界のための祝福であり、またアメリカ自体も、アメリカだけのための国ではなく、世界人類のためのアメリカであることを深く悟り、全世界人類の救援のために、いかなる犧牲や十字架も避けてはいけません。
イスラエルとローマ帝国とイギリスが、神様のみ旨を受けたにもかかわらず、その使命完遂に失敗した内容を知って、アメリカは必ず神様のみ旨を成し遂げる国にならなければなりません。アメリカは、超民族的に構成された国という意味で、世界を救うことのできる最もよい条件を具備しています。このように五色人種が合わさって暮らす国は、かつて歴史上になかったのであり、神様の加護がなかったとすれば、既に分裂し、争いながら滅んでいくしかなかったはずですが、むしろ祝福を受けて栄えることができたのは、驚くべき神様のみ旨があったからです。アメリカの国民は、今や神様の祝福の意味を知って、深く覚醒しなければなりません。
アメリカは、精神文明と物質文明の極致を築き上げた、神様のみ旨の中に準備された代表国家として、第一イスラエルがメシヤを渇望したように、再び来られる主を待ち望み、迎えて、創造理想を完結した統一世界を成就する国にならなければなりません。
第一次、第二次世界大戦を勝利に導いたのも神様であり、アメリカをして国連を編成させたのも神様のみ旨でした。本来国連は、キリスト教を中心とした世界の国々が結束する本営にならなければなりませんでした。共産主義国家の加盟は、絶対に神様のみ旨ではなかったのです。
またアメリカは、戦後の処理を間違えました。第二次世界大戦に勝利した連合国と三国同盟国(日独伊)がもっていた国までも適切に保護し、管理する責任が、アメリカにありました。もしアメリカが神様のみ旨を知っていたならば、サタン側の国家であるソ連を堂々と制圧し、世界万邦の自由国家を集め、民主世界に結束させて、神様のみ旨の中で全世界を復帰しなければなりませんでした。その時こそ、それができる良い機会でした。しかし、アメリカは、当時アジア諸国と東欧衛星国家を実質上共産圏に与えてしまい、韓国とドイツを分断させてしまいました。
第二次世界大戦の勝利は、神様の版図を広めて、世界へと進出させようとした神様の祝福の結果でした。しかし、アメリカは、結果的に若者たちの血の犠牲を無駄にしてしまい、神様を否定する不倶戴天の怨讐、共産主義世界を有利にしてしまったのです。その時、犠牲となった若者たちの怨恨の血の叫びが、いまだ絶えずにあることを、アメリカは知らなければなりません。
さらにアメリカは、自由陣営を守護すべき聖職から後退することによって、ベトナムのようにその保護下にいた国を一夜にして悲運の供え物としてしまったがゆえに、アメリカの国際的信義は地に落ちてしまい、怨みの声が日々高まっています。国連はその機能を喪失したまま、共産主義国家の独り舞台となり、イスラエルとアメリカと韓国は片隅に追われる恥辱を受けています。そればかりでしょうか。アメリカにおいては、様々な尋常ではない国内問題が日増しに深刻になっています。人種問題はもちろん、麻薬問題、青少年の淪落と家庭破錠、犯罪問題などです。どれ一つ取ってみても深刻でないものはありませんが、中でも共産主義問題は致命的です。
神様に侍るとい宗教会が、これらの問題を解決する主役を担わなければならないのですが、教会は日に日に若者を失い、ある所は養老院化しつつある状況です。家庭と国家と世界を見つめながら全体のために生きるという神様のみ旨に背き、極度の個人主義的な人生観と価値観によって生きるアメリカ人は、神様の審判を免れることができないことを恐れなければなりません。このままでは、神様は離れていかれ、そうなればアメリカは祝福を奪われて悲惨になるのです。既にそのようになりつつある現実を直視しながら、誰よりも国会議員の皆様をはじめとする為政者の皆様が覚醒し、頑張っていただきたいと願います。
皆様の心の中には神様はいらっしゃいますか。皆様の家庭に、皆様の町に、皆様の社会に、皆様の国家に神様はいらっしゃいますか。またホワイトハウスに神様はいらっしゃいますか。もっと重要なことは、教会に神様がいらっしゃるかということです。今では、それさえも疑問です。
神様はすべてを一つにさせる力なので、神様が共にあってこそ、個人の心と体もう一つになり、夫婦と家庭が一つになり、民族が一つになり、国家が一つになり、東洋と西洋が一つになり、世界が一つになり、天と地もう一つになり、神様と人間が一つとなった統一の世界が来るのです。そのような世界になれば、共産主義は影すらもなくなるでしょう。神様さえいらっしゃれば万事が解決されるのですが、神様を失う日にはすべてを失ってしまうのです。
そのようなことを知ったからには、すべてを犠牲にし、アメリカ全体を犠牲にしてでも、探さなければならないのが神様であり、全世界の人類であることをはっきりと知らなければなりません。アメリカが覚醒し、国民が団結して、神様を中心として再び結束する運動を起こさなければならないのです。キリスト教を団結させ、すべての宗教を糾合して、次元の高いみ旨の世界に向かうアメリカとなれるように、精神的革新運動が起こらなければなりません。
しかし、今のキリスト教のままでは、それはできません。汎国民的に教育して、徹頭徹尾精神武装させる新しい指導理念が絶対に必要です。それは現在の民主主義理念だけではできません。共産党を追放し、神様を中心とした愛と真理で、新しい社会秩序を樹立する運動が起こらなければなりません。そのような目的に向かって青年たちを結束、団結させ、アメリカを覚醒させて、世界的使命を担当しようと準備、訓練しているのが正に統一教会運動なのです。
統一教会は、それを成し遂げる内容と理念と実践力をもっています。アメリカを中心とする神様のみ旨とその計画を理論的に明らかに教えてあげ、アメリカをはじめとする西洋の物質文明と東洋諸国の精神文明をつなげて、全世界に統一文化圏を築き上げることによって、神様のみ旨である創造目的を完成した理想世界をこの地球上に建設しようとしているのです。韓国は、西洋文明と東洋文明が連結するアジアの高きやぐらであり、最後に残された基点となるのです。
そのような意味で、アメリカが韓国を保護せざるを得ないのは、神様のみ旨によるものであることを知らなければなりません。そのように東西を連結するという驚くべき歴史的使命を悟れず、自国だけで定着しようとするアメリカを再び覚醒させ、その使命を果たさせるために、神様はレバレンドムーンをアメリカに送られ、活動するように命令されたのです。
神様のみ旨の中で、アメリカの果たすべき至上課題は、イスラエルとローマ帝国、イギリスのような国々の前轍を踏まずに、その建国精神に立ち返って、徹頭徹尾神様に侍る国として、み旨の公式どおりに教会と国家が一つになり、アメリカを犠牲にしてでも全世界を救おうとする立場で、神様と共に力を尽くして地上天国を築く時まで先頭を走る旗手としての使命を果たすことです。そうすれば、アメリカは永遠であられる神様のみ旨を完成させ、永遠に祝福を受ける国となるでしょう。
きょうこの会場、この時間が、将来訪れる統一された理想世界、すなわち地上天国の礎を据える契機となることを願います。皆様と皆様の御家庭、皆様の仕事場、皆様の国に、万福が宿ることを願いながら、私のお話を終わらせていたたきます。ありがとうこざいました。
3.アメリカは神様の希望
平和経 第九篇 国境線撤廃と世界平和
日付:一九七六年六月一日
場所:アメリカ、ニューヨーク、ヤンキー・スタジアム
行事:アメリカ合衆国建国二百周年記念講演会
親愛なるアメリカ市民の皆様。そして世界からいらした尊敬する代表者の皆様。私はきょう、「アメリカは神様の希望」と題してお話ししたいと思います。
きょう私たちは、壮大なヤンキー・スタジアムでアメリカ独立二百周年を祝う歴史的な祭典に集まりました。ヤンキースタジアムでのきょうの集会は、次のような意味で唯一無二のものであると言えます。その第一に、私たちが開くこの祝祭が徹頭徹尾神様の名によって行われたことです。
今日、私たちは、「世界における自分の国」を考えながら暮らさなければならない、新しい次元の時代に差しかかっています。私たちが暮らしているこの地上には、二種類の人たちがいますが、その一つは自分だけを中心として生きる人であり、もう一つは個人と家庭を越え、国家と世界のために生きる人です。古今東西を問わず、主導的役割を果たしてきた人たちは、より公的な生活をした人たちでした。個人よりも家庭のため、家庭よりも国家のため、国家よりも世界のため、世界を越えて神様のために生きる人が、より公的な人と言えるでしょう。義人や聖人は、全人類と神様のために生きた人たちですが、イエス様は正にその代表的な人物です。そして、神様こそが最高の公的な方であられます。堕落して御自身に背いた人類を見捨てずに、一途な心で人類を罪悪と塗炭の苦しみから救おうとされるのです。
救援摂理の目的は、ひとり子イエス様を送り、最悪の場合には彼を犠牲にしてまでも、世界を救うことでした。選民イスラエルを立てたのも、彼らを通して世界を救うためであり、キリスト教を立てたのも、それを通して全世界を救おうとされたからです。
ですから、ヨハネによる福音書三章十六節には、「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」とあるのです。ひとり子を犠牲にしてまでも世界を救おうとされた神様は、今も中心宗教であるキリスト教を犠牲にしても、世界を救うことを願っておられるという事実を、すべてのキリスト教徒たちは、夢にも思わずにいるのです。神様が願われる家庭と教会と国家は、人種を超越しなければならず、国籍を超越しなければなりません。すなわち、五色人種が仲良く混じって暮らす統一した混合民族型、それこそが神様の喜ばれるみ旨なのです。
それでは、アメリカを見てみましょう。アメリカは果たして神様がお建てになった国でしょうか、それとも人間の意志によって建てられた国でしょうか。このことをはっきりと知らなければなりません。皆様、アメリカはあくまでも神様がお建てになった国なのです。
アメリカの先祖である移民者の中には、二種類の人がいたのですが、一つは自分を中心として一獲千金を夢見て来た人と、神様を中心として自由理想の国をつくろうと、より公的な夢を抱いて来た人です。前者が中心になっていれば、国籍の違う異色民族同士の分裂と闘争が絶える日がなく、不義と罪悪にあふれた国になっていたはずです。しかし、神様が関与されたお陰で、天を中心としたヨーロッパのキリスト教徒たちの移民によって、色の違う民族がみ旨の中で一つになって、家族となり、教会となり、国家となったのです。それがほかでもない、皆様の先祖が建てたアメリカの誇り高い伝統なのです。
皆様の家庭を御覧ください。国籍を超越した異色の民族が混合した世界統一型の家庭です。皆様の血統の中には、五色人種の血が流れています。先祖の時代から互いに怨讐同士だった様々な氏族の血が一つに混ざり合って調和した一つの家庭なのです。そのような家庭が教会を形成し、国を形成するとき、超民族型の家庭から超民族型の教会、そして超世界的家庭が成立するのです。そのようにして神様の理想国家が成立するのです。このような国は歴史上にアメリカしかありません。それは明らかに神様によって成し遂げられたことを知らなければなりません。
アメリカの人々は、世界万邦からやって来ました。ここでは人種を問わず、信仰による差別はなく、文化の背景を問題としません。この地上のどこから来ようと、「私の家」と言える国、それが正にアメリカです。したがって、アメリカは世界の縮小体であり、人種と国籍を超越した理想のモデルとして、長い間隠されてきた新大陸の上に神様が直接お建てになった国です。復帰摂理の中で、特別に油を注いで立てられ、保護し、育成しながら、わずか二百年の間に豊かな祝福を与えてくださった国であることを、はっきりと知らなければなりません。祝福は決して独りでにやって来るものではありません。そこには必ず責任が伴います。それを投げ出すならば、神様を投げ出す恩知らずとなり、天の祝福は余すところなく奪われ、最も悲惨な絶望の国となるでしょう。既にそのような兆候が見えているではないですか。
愛するアメリカの市民の皆様。神様の怒りを恐れ、深く悔い改めなければならない時が来ました。神様を中心とした真の超人種主義者であり、超国家主義者であり、超世界主義者であり、そしてそのような家庭と教会と国家をもつことを誇りと考える人であってこそ、真のアメリカ人と言えるでしょう。神様の目には黒人も、白人も、黄色人種もありません。このような「神主義」的観点から人間を見て、世界を見ることができなければなりません。
皆様の先祖たちが血と汗を流して成し得た建国精神に立ち返りましょう。「神主義」思想に立ち返りましょう。アメリカの建国は、神様が動機であり、原因であり、根本です。常に神様が中心となるならば、一つになって繁栄しますが、神様を無視する日には、人間の力だけでは到底一つになることはできません。
皆様。アメリカには本当に神様はいらっしゃいますか。皆様の教会に本当に神様はいらっしゃいますか。皆様の社会に、国家に、本当に神様はいらっしゃいますか。神様がいらっしゃるならば、コンクリートのように強く団結できますが、神様が離れた場合には、洪水の時に砂の一粒一粒が散らばるように、一度に跡形もなく流れていってしまうでしょう。神様と一つになることによってのみ、アメリカは、誇り高き最高の先進国家として祝福を失うことなく、世界的権威と指導力を維持できるのです。もしもそれができず、神様が間違いなく離れていかれる日には、この国がサタンの手に渡ってしまうのであり、そうなればアメリカは今後、世界において最も悲惨な生き地獄と化すのです。神様の与えてくださった祝福が大きいだけに、試練もそれに比例して大きいことを知らなければなりません。
一九六〇年代当時は、世界の希望はアメリカであり、アメリカの希望はこのニューヨークでした。しかし、今、アメリカの国際的信望は地に落ちてしまい、ニューヨークは罪悪の都城、悪魔の都市へと変わりつつあります。シカゴやロサンゼルスもそうです。このようにサタンがアメリカの全域において主人となるならば、神様は顔を背けるしかなく、挙げ句の果てにアメリカを離れざるを得なくなるでしょう。今がそのような時であることをはっきりと知らなければなりません。異色民族の団結の力となっていた神様が離れるので、家庭は破綻し、教会は分裂し、この国は細胞が腐っていく人体のように、体中が致命的な病にかかっているのです。その隙に乗じて、共産主義の火の手が、この国を丸ごとのみ込んでしまおうとしています。じっとしている時ではありません。誰かが何とかしなければならない切迫した状況なのです。
アメリカ建国二百周年の祝祭に、レバレンドムーンがなぜ大騒ぎするのかと反対する人もいますが、皆様、考えてみてください!家中が病気にかかれば、医者は外部から来なければならないではないですか。火事が起きた場合にも、消防隊を外部から呼ばなければならないではないですか。このような使命で神様の召命を受けて、この文という人が外部から来たのです。体に効く薬は口には苦く、病気に対して手術をしようとすれば、痛みが伴うものです。救おうとする手が痛いところに触れたからといって、その手を払いのけるべきでしょうか。
私は三年間、千辛万苦してアメリカの青年たちを教え導いてきました。彼らは、天を中心とした家庭と教会と国家の設計を明確に知っています。病にかかって完全に死ぬ前に、火がついてすっかり燃え尽きてしまう前に、このアメリカを救わなければならない緊迫した天の事情をあまりによく知っているので、彼らは夢中になって、熱狂的に命を懸け、深刻な努力を必死にしているのです。皆様の立派で愛らしい息子、娘たちが、神様のみ旨に従って悪と対決する最前線で、天の十字軍となって勇敢に戦っています。悪の勢力を完全に打ち破り、神様の国をこの地球上に建設することが万民の神聖な義務なのです。すなわち、まず神様がかくも愛し、準備されたこのアメリカの地に、地上天国のモデルを立てようとするのです。
皆様。嘆息と涙のない世界を築くために、ここにため息をつき、涙を流しながら立ち上がった青年の群れがいることを覚えておいてください。苦難と闘いを知らない世界を建設するために、きょうも苦労して闘っていることを知ってくださることを願います。私たちの闘いは神様対サタンの闘いです。神様のみ名にかけて闘うとき、いずれ私たちは、いかなる犠牲をおったとしても、絶対に後退することなく必ず勝利するでしょう。
この文という人に反対し、迫害することが問題ではなく、そのことが、神様のみ旨に反対し、神様を迫害することになるのではないかと恐れなければなりません。神様のみ旨でなければ、そのまま放っておいても遠からず自然と減んでいきますが、神様のみ旨である場合は、いくら迫害しても滅びません。文という人は何ゆえにアメリカに来て、このように受難の道を歩んでいるのでしょうか。名誉のためでしょうか。違います。お金のためでしょうか。それはあり得ないことです。権力のためでしょうか。断じて違います。このアメリカという国は、私の愛する神様が非常に愛しておられる国です。ですから、この国の国民たちが神様に背いたとしても、神様は到底見捨てることはできず心を痛めておられるので、そのような神様を父として侍る私としては、苦労を顧みずに命令に従ってきたのです。
御自身がお選びになった国、このアメリカを先に救い出したのちに、アメリカをして全世界を救わせようとされる大きなみ旨があることを、私はあまりによく知っているからです。それを知らずにサタンと組んでいては必ず滅びるのであり、神様をお連れすれば必ず勝利するのです。
皆様。二百年前、建国当時に皆様の先祖たちが独立軍を起こし、神様のみ名によって闘うときに、ジョージ・ワシントンは、フォージ渓谷でひざまずいて神様に祈りました。ついに世界が震えたイギリス軍との闘いで堂々と勝利したのは、神様が義と認め、共にいてくださったからです。その時に神様は、世界の中心となる国家の土台を築いてくださったのです。それから百年後、神様のみ旨に背いた、甚だしい人種差別を御覧になった神様は、エィブラハムリンカーン大統領を立てて奴隷を解放させ、南北戦争に勝利させることによって、世界の中心となる超民族的土台を築いてくださいました。この時はアメリカとアメリカの国民にとって、外的な試練の時でした。しかし、建国二百周年を迎える今日のアメリカは、現在、大きい内的な試練の時期にぶつかっているのです。それは宗教の試練期であり、世界史的思想の試練期なのです。
一方、神様を否認する悪魔の思想、共産主義が世界的に総攻撃を始めています。神様が、特別お選びになって立てられたこの国アメリカこそが、彼らの最高の目標となっています。今、正にアメリカが、神様のみ前に立つか倒れるかの試練を受けているのです。その内的思想の闘いにおいても、み言と思想の根本であられる神様に侍らなければ、決して勝利することはできません。神様に侍るアメリカが中心となって、唯心民主主義世界と唯物共産主義世界との対決において、共産主義無神論の世界を完全に克服し、超民族的であり、超国家的でありながら、世界的な次元で神側が勝利を収めなければなりません。そうなれば、神様はこの国に、新しい次元の世界的な思想の土台を築いてくださるでしょう。
第三世紀へと向かう今日のアメリカは、建国当時、宗教的迫害に耐えられず、各国から集まってきたプロテスタントの信徒たちを結束し、神様のみ名によって一つの国、すなわち「神様のもとの一つの国家」を建てました。同様に今は、思想的迫害に耐えられず、共産圏から自由世界に越えてきた新たな国民たちを結束して、超キリスト教的であり、超世界的な神様のみ名を中心として、ついには共産世界にまで勝利して、神様のみ名によって一つの世界、すなわち「神様のもとの一つの世界」を必ず成し遂げるでしょう。
そのためには、今日のキリスト教は一つにならなければなりません。今のままでは絶対にいけません。新たな宗教改革が起きなければならないのです。キリスト教は各教派を超越して、より高い次元で超キリスト教的、超思想的革新運動を起こし、世界の宗教を統合する方向に前進しなければなりません。
キリスト教はこの西欧的なキリスト教だけでは絶対にいけません。アジアを連結し、東西の文化と思想を統合して、神様のみ前に結束できる世界的思想の土台を整えなければなりません。そのような膨大な内容を備えた新宗教運動が必ず起きなければならないのですが、そのような意味で統一教会が出発したのです。アメリカでそのような運動が成就してこそ、即座に世界へと波及していくことができるのです。
私たちは、キリスト教に立脚した「神主義」の思想でアメリカを覚醒させ、この地に神様の理想国家のモデルを建設するために立ち上がらなければなりません。それが成就する日、全世界はアメリカを模範として、人種と国境を超越した地上天国の建設に加担するようになるので、神様を父母として迎える兄弟姉妹として、互いに愛し合い、仲良く幸せに暮らす人類大家族理念の世界、言うなれば、神様がはるか昔の太初から計画された永遠の理想世界、地上天国を私たちの手で築き上げなければなりません。
それが私たちの至上課題であり、神様が私たちに与えてくださった神聖な義務です。神様は今、私たちを通して声高に叫ばれるので、その声に呼応し、その号令に足並みをそろえて、理想世界へと邁進しましょう!統一の群れが万難をものともせず、先頭に立つでしょう。
親愛なる市民の皆様。きょう私たちは、この場で聖なる神様のみ前に、この神聖な義務に従って成し遂げてさしあげることを共に誓いましょう!満場の皆様。神様のみ名のもとに結束、団結して、地上天国建設へと総進軍しましょう。
私たちは固く団結し、神様に限りない感謝と栄光をお返しし、ここに世界万民の名によって、偉大なアメリカの建国二百周年を祝い、三百年代のアメリカの将来に、より一層大きな神様の祝福があることを祈りながら、私の話を終えようと思います。皆様とアメリカに永遠の神様の祝福が共にあることを願います。ありがとうございました。
4.神様のみ旨とアメリカ
平和経 第九篇 国境線撤廃と世界平和
日付:一九七六年九月十八日
場所:アメリカ、ワシントンDC、ワシントンモニュメント広場
行事:アメリカ合衆国建国二百周年記念講演会
尊敬するアメリカ市民の皆様、そして世界の代表の皆様。きょう、神様のみ名によって、アメリカの独立二百周年を祝賀する歴史的なワシントン大会に、このように満場の盛況を博すようにしてくださったことを、心から感謝を捧げる次第です。
私はきょう、「神様のみ旨とアメリカ」と題してお話ししたいと思います。神様は、永遠、不変、唯一の絶対者であられるので、神様の創造目的も、永遠、不変、絶対的なものであり、一つの目的のもとに統一された単一理想世界を築くことでした。しかし、今日の現実は、統一ではなく、分裂と不調和の世界、すなわち個人において、心と体が分かれ、家庭、氏族、民族、国家、世界のすべてが分かれ、分裂と闘争で綴られた混乱の様相を呈していますが、ここには根本的に、ある大きな過ちが介在しています。その原因を、宗教では人間始祖が神様に背いて堕落したところにあると見ています。
このような人間を救おうとされる神様は、人間を堕落前の立場に原状復帰するために、救世主、メシヤを送られるのです。したがって、救援摂理はすなわち復帰摂理です。堕落とは、人間が神様に背き、そのみ言を不信することによって、神様に似た人格と愛を具現した個人と世界を完成することができず、かえってサタンと組み、サタンの言葉に主管されることによって、サタン的人格とサタン的愛による悪の世界を形成したことなのです。
したがって、原状に復帰するためには、反対にサタンを排斥し、失った神様を探して、神様のみ言に従順に従うことによって、天的な人格と愛を完成しなければならないのです。神様は最も公的な方であられ、サタンは、徹頭徹尾自己を中心とした私的な存在です。したがって、神様のもとに帰るための復帰の公式は、最終的に神様に似ることなので、徹頭徹尾私的なことを犠牲にし、公的なことを立てて、自己を中心とした利己主義から人のために生きる利他主義へと帰り、奉仕生活をしなければならないのです。公的な人は神様に似ているので必ず栄え、私的な人は神様に背いたので結局は滅びるのが天理なのです。
人類歴史は、これまで闘争の歴史だったので、神様とサタンが人を奪い合う闘いでした。堕落によって悪の歴史が先に出発したので、闘いはいつも悪の側が先に攻撃して善の側を打ち、善は打たれながら守勢にまわりましたが、神様が善の側であられるので、いつも勝利を収めるようになり、結局は打たれて取り戻してくるようになったのです。第一次、第二次世界大戦の時にも、私たちが知っているように、先に打ったほうが結局は滅び、第三次世界大戦を云々している今日も、サタン側である共産国家が至る所で闘いを仕掛けていますが、結局は神側が勝利するようになるのです。
復帰摂理のもう一つの公式は、メシヤを送られる前に、中心宗教と中心国家を立てて役事されることです。神様は先にイスラエル民族とユダヤ教を立てられ、その準備された基盤の上にメシヤであるイエス様を送られ、すベての人間が次第に彼と一つになるようにして善の版図を広げていき、世界復帰、すなわち天国の理念を具現しようとされたのです。
アダムから四千年もかけて準備されたイスラエル民族とユダヤ教が、イエス様を迎えて一体となり、犠牲精神をもって神様のみ旨に従っていたなら、その当時すぐに中東圏とアジアを統合して西洋を連結し、全世界の地の果てまで急進的にみ旨を伝播することによって、神様の主権によって統一された地上天国を建設していたはずでした。しかし、イスラエル民族とユダヤ教が、このような使命を悟ることができず、責任を果たすことができなかったがゆえに、イエス様は十字架を背負うようになり、それによって地上天国の理念は実現されず、霊的にのみ救援を可能とする第二イスラエル型のキリスト教圏を形成するようになったのです。
キリスト教の信徒たちがローマで四百年間、迫害と殉教の代価を払い、四千年の歴史を清算して勝利し、キリスト教を国教として立てるようになると、ローマが第二イスラエル型として神様の祝福を受け継いだのです。当時、教皇庁とローマは、いかなる犠牲も辞さずに、イスラエル民族とユダヤ教が果たせなかった復帰の使命を完遂し、神様を中心として全世界を結束させ、統一理想世界を建設しなければなりませんでした。
しかし、教皇庁は、そのような重大な使命を悟ることができず、教権を乱用して腐敗が氾濫するようになり、教皇庁の威信は地に落ち、神様のみ旨から再び離脱してしまいました。これに反対して立ち上がった人本主義の台頭によって、宗教改革とプロテスタント運動が始まると、これに対する迫害と弾圧は日に日に激しくなっていきました。当時のイギリス国王ヘンリー八世がカトリックに反旗を翻し、議会に新しい法を通過させてイギリス国教会を立てましたが、これがヨーロッパ全域のプロテスタント運動を糾合する絶好の機会になりました。
当時、イギリスが、「大英帝国の領土には日が沈むことがない」と言われたほどに大きく祝福されたことが世界のための祝福だったことを悟り、清教徒、プロテスタント運動をする人たちと一つになり、犠牲の先頭に立って復帰摂理を成し遂げてさしあげていたなら、その時に既に準備されていた基盤の上に超民族的な国家として、名実共の「ユナイテッドキングダム」が形成されていたはずでした。しかし、イギリスが責任を果たすことができずに彼らを迫害したので、彼らは国籍を超越し、神様のみ前に固く団結して、激しい迫害を避けてアメリカ大陸へと渡り、定着してプロテスタント独立国家を形成したのです。これが正に今日のアメリカが誕生するようになった摂理的背景です。
今、キリスト教とアメリカは一致団結し、復帰の聖業を成し遂げてさしあげなければなりません。アメリカはここで結実した西洋文明を抱いて東洋文明と和合し、その上に中東を連結することによって一大統一文化圏を形成して、地上天国を完成しなければならないのです。
み旨の主役であるアメリカは、まず神様の摂理の第一中心宗教だったユダヤ教と、ユダヤ教を引き継いだキリスト教と一つになり、新しい啓示を中心として「終わりの日」に神様のみ旨によって現れた統一教会と手をつないで、世界の宗教統一に立ち上がらなければなりません。ユダヤ教は旧約を中心としたみ旨の先祖なので第一世型の長男であり、キリスト教は新約を中心とした第二世型の次男であるとすれば、統一教会は約束を成就する「成約」の内容をもつ第三世型の末の弟です。この三つの宗教は、み旨の三兄弟なので、それらの母体であるイスラエルとアメリカと韓国は、み旨の三兄弟国となるのです。国連でサタン側の共産圏からこれら三国が同じように追われているのは、み旨の観点から見て、共同運命に置かれているからです。この三国が一体化して手をつなぎ、国連本来の使命と機能を回復し、内的には宗教を統一し、外的には世界統一を成し遂げなければなりません。「神様のもとの一つの世界」は、神様の永遠、不変、絶対の願いであり、目的なので、必ず成就されるのですが、まず宗教統一をしてこそ可能なのです。一人の父であられる神様に侍り、一人のメシヤのもとで「神主義」によって固く結束すれば、神様が共におられるので、世界復帰、すなわち地上天国の具現は時間の問題なのです。
既に超民族的に結束したアメリカは統一世界のモデルなので、アメリカに与えてくださった神様の祝福は、アメリカだけのための祝福ではなく、同じ神様の子女である全世界の兄弟姉妹たちに分け与えるべき祝福であることをはっきりと知って、世界的に築かれたキリスト教の基盤の上に世界の主導国家としての責任を果たし、選ばれた国家としての使命を完遂しなければなりません。
イスラエルも神様の期待に応えることができませんでした。ローマもそうであり、イギリスもそうでした。これからアメリカはどこへ行きますか。以前に摂理を担ったそれらの国の前轍を踏まず、いかなる犠牲も辞さずに、世界復帰の先頭に立って、統一理想世界、すなわち「一人の神様のもとの一つの世界」を成就する主役の使命を果たすよう悟らせるために、神様はレバレンドムーンをこの地に送られ、み旨を代弁させ、特にアメリカの明日に責任をもつべき主人公である青年たちを指導するようにと命令されたのです。
アメリカは今、人種問題、青少年の淪落問題、キリスト教の没落と共産主義の問題など、様々な深刻な問題を抱えていますが、何よりも無神論に立脚した共産主義の脅威は最も深刻であり、この時間にも世界の各地で浸食してきているのです。これは、単にアメリカだけの問題ではなく、神様にとって、そしてすベての宗教人と自由世界のすべての人々にとって、深刻かつ切迫した問題です。
皆様。今この時に、神様は悲痛に叫ばれています。神様が二千年間準備されたアメリカは、大きく覚醒し、神様が仰せになった重大な世界的使命を果たさなければなりません。そのためには、最終的にアメリカが徹頭徹尾、「神主義」に帰り、共産主義を克服し、共産世界を解放し、地上天国建設の旗手にならなければなりません。アメリカはきょう、覚醒しなければなりません。あすでは遅いのです。
私は、アメリカを尊敬しているだけではなく、本当に愛しています。神様が愛で祝福され、み旨成就の主役として準備された偉大な国、アメリカが第三世紀へと向かう大きな歴史の入り口にいるので、私たちは共に、全能の神様のみ前に、絶対に失望させず、神様の本然の願いをかなえてさしあげることを固く誓いましょう。
きょう、この神聖な場で、みな共に地上天国の礎石を据えましょう。神様の摂理の同参者、また天国の開拓者として立ち上がりましょう!統一を願う働き手たちよ、きょう、この場とこの歴史的瞬間は、私たちにとって献身の場であり、決意の時間です。私たちの汗と血と命を捧げて神様の召命に応えようとするなら、正にこの場、この瞬間に、天と地と人類の前に誓い、地上天国を私たちの手で成し遂げることをもう一度表明しましょう!
神様の祝福が皆様と皆様の御家庭とこの美しいアメリカに永遠に臨むことを願いながら、私のお話を終えようと思います。多くの御家庭が参加してくださったようです。皆様、ささやかではありますが、今夜、花火を皆様の御家族と共に楽しんでくださることを願ってやみません。皆様の御健康をお祈りいたします。ありがとうございました。
5.神様が私の盾であり証言者
平和経 第九篇 国境線撤廃と世界平和
日付:一九八一年十月二十一日
場所:アメリカ、ニューヨーク、フォーリースクエアプラザ
行事:アメリカ政府の起訴に抗議するデモ集会
敬愛する同志、そして愛する統一信徒の皆様。私はきょう、皆様の熱狂的支援に深い感銘を受けました。私はソウルでこの知らせを聞くやいなや、即座にすべてを差し置き、自ら進んでニューヨークに戻り、きょうこの歴史的な裁判に臨むことになりました。
皆様。私は無罪です。何の過ちも犯したことはなく、何も隠しているものはありません。私の生涯は公的な路程でした。私は、裁判を恐れるどころか、むしろ歓迎します。なぜならば、この司法手続きを通じて、正義は勝つのであり、真実は明らかにされ、さらには、このアメリカ政府の不当な迫害ゆえに苦労している数百万人の世界の信徒たちに、勝利の日をもたらすことができるからです。
私は、アメリカの司法制度に対し、深い尊敬と信頼をもっています。さらにまた、この事件を扱う判事と陪審員たちを信頼しています。アメリカは世界において、正義を具現するのに最も良い国です。私は、私を告訴した人たちと正面から対決するつもりですし、私には良心の呵責がありません。神様が私の盾であり、私の証言者であられます。しかし、神様が、罪を犯したのは私ではなく、私を糾弾する怨讐たちであることを発見されるなら、私は彼らを赦すつもりです。
私はアメリカの言論の自由に対し、尊敬と信頼をもっています。アメリカの言論は、公正な真実を世界に伝えるでしょう。アメリカの言論をだます者は誰もいません。アメリカの言論は、きょうこの起訴がどれほど根拠のないものであるかを発見するでしょう。
皆様。私は、アメリカを私の祖国のように愛しています。以前、韓国にいるときから、アメリカが神様から任された摂理的使命を果たすことができるようにと祈った人です。数年前、初めてアメリカに来たとき、華やかに賑わうニューヨークの五番街に立ち、熱い涙を流したことがあります。そして私は、昔この国の建国の先祖たちが死地をさまよいながら大西洋を渡ってこの国に上陸し、この地を神様に捧げたアメリカの建国精神を考えてみました。私は、その偉大な建国精神を忘れ、退廃の風潮の中で枯れていくアメリカを見て、涙を流したのです。正にその日、私は、この堕落していくアメリカを何としてでも立て直すことを心の底で固く決心しました。神様は、あまりにもよく御存じです。あれから十年!私は寝ても覚めても、私の血と汗と魂を、この偉大なアメリカの精神復興のために注いできました。
私は全世界の統一教会の信徒たちに、このアメリカのために数千万ドルを寄付するように呼びかけました。一九七二年、私たちはアメリカ全域にわたり、多くのものを投入してアメリカの精神復興運動を展開し、ついに一九七六年九月十八日には、ワシントンモニュメント広場で三十万人以上が雲霞のごとく集まった歴史的大会を開くに至りました。統一教会の運動はほかとは異なり、アメリカからもらっていく運動ではありませんでした。アメリカは、むしろ援助を受ける立場でした。統一教会の世界の信徒たちは、万難を克服し、自ら犠牲となって、アメリカの精神運動を支援しました。その理由は、彼らはアメリカを愛しているからであり、神様の摂理を中心として見たときこの国こそが選ばれた選民であることを私が教えたからです。
しかし、きょう私は、アメリカの告訴を受けて法廷に出頭しました。私はアメリカに自らのすべてを捧げた人であり、アメリカから何も持ち出してはいません。ただの一銭も誤って使ったことがありません。キリストの伝統を受け継ぎ、ために生きる犠牲的な生き方を教えてきました。もしも、これが罪であるならば、私は罪に定められることを拒みません。それこそが、イエスキリストが行かれた道です。イエス様はイスラエル選民を愛され、世界を愛され、神様を本当に愛されました。しかし、そのことによって罪に定められ、ついに十字架にかけられました。私がこのアメリカを愛し、世界の人類を愛した、そのことが罪であるならば、私も喜んで十字架を負うつもりです。
きょう私は、自らの栄誉のためだけにアメリカに来たのではありません。私は、政府の迫害を受けるすべての人、人種差別を受けるすべての人、そして宗教的偏見の供え物となったすべての人々の代表としてアメリカに来ました。きょう私は、アメリカ政府の迫害と人種差別と宗教的偏見という恐るべき敵を前に、闘争を宣布するために来たのです。私は、宗教の自由と少数民族の権利と抑圧される民衆の権利を取り戻すために、最後の瞬間まで關うことを宣言する次第です。
私たちは団結しましょう。団結して勝たなければなりません。そうして、私たちの子孫が真の自由平等の地で暮らせるようになることを保障しなければなりません。それこそが、マーティンルーサーキング牧師の唱えた「約束の地」です。
私がもし白人として生まれ、私の宗教が既存の宗教だったならば、きょうここに立ってはいなかったはずです。私が黄色人種であり、私の宗教が改革を叫ぶ統一教会であるがゆえに、私がここで指弾を受けて立っているのです。美しいアメリカの中に最も醜いものがあるとするなら、それは宗教的偏見であり人種差別です。神様は顔の色を問われません。白色人種と黒色人種と黄色人種は、神様の美しい三兄弟です。今日、世界のすべての宗教は、私たちの父であられる神様を、それぞれ違った角度から映して見た鏡に過ぎません。
今日、統一教会は、宗教の目的で使われる財産にまで税金を課されている、アメリカの中で唯一の教会であることを、皆様は御存じでしょうか。私たちがニューヨーク州に納めている財産税だけでも八百万ドルを超えます。このような政府の不当な横暴は、私たちの教会に過酷な出血を強いています。一方、他の教会は財産税を一銭も出していません。なぜ統一教会だけが不当な扱いを受けなければならないのでしょうか。それは単に、私たちの教会の名前が統一教会であり、その創始者がアメリカの市民でない韓国人であり、黄色人種だからです。
レーガン大統領は、その有名な演説の中で「ある宗教団体の基本的人権が蹂躙された場合、それは一宗教団体の苦難と痛みにとどまらず、すぐにアメリカ全体が受ける苦痛と痛みになる」と言いました。もし、この言葉が事実であるなら、今日の統一教会に対するアメリカの不当な宗教迫害と人種差別は、アメリカ全体の恥であり、アメリカ人の屈辱にならざるを得ません。
同志、そして信徒たちよ。この新たな挑戦に勇敢に立ち向かいましょう。この日を大同団結の日としましょう。この日を、私たちの献身の日として定めましょう。世界のすべての悪と不義に対し、妥協なく闘うことを誓いましょう。この闘いにおいて、私たちは孤独ではありません。全能であられる神様が私たちと共におられ、数千万の世界の人類が私たちの味方になってくれるからです。統一教会は、今、アメリカの中で指弾を受ける少数団体です。しかし、神様が私たちと共にいらっしゃる限り、私たちは少数ではなく、絶対多数となるのです。
きょうは、弱小民族の新しい日、新しい闘争の出発の日となるのです。私はきょう、悲しみもなく、不幸だとも思わず、疲れさえも感じません。私はこの日から、少数民族連合会を創設します。
神様。感動、感化なさり、私の闘志と私たちの信念が、新世界の灯台とならしめてください!全能の神様が私に、この巨大な闘いをする機会を下さったことに対し、心から感謝申し上げます。不義と闘う神様の闘士とならしめてくださり、感謝しております。
「天にまします我らの父よ、願わくはみ名をあがめさせたまえ。み国を来たらせたまえ。み心の天に成る如く地にもなさせたまえ。我らの日用の糧を今日も与えたまえ。我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦したまえ。我らを試みに遭わせず悪より救い出したまえ。国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり。アーメン
6.世界平和のための挑戦と可能性
平和経 第九篇 国境線撤廃と世界平和
日付:一九八七年六月一日
場所:韓国、ソウル、ロッテホテル
行事:第一回「世界平和のための頂上会議」
尊敬する議長、元大統領、政府首脳、内閣首相、王族、貴族、内外の来賓および紳士淑女の皆様。平和を追求する一念により、この場にお集まりいただきました世界の指導者の皆様に、このようにしてお話しできますことは、私の無量の喜びとするところです。
歴史を通して見るとき、人間は常に平和を渇望し、その達成のためにあらゆる面において努力を重ねてきました。人類は、平和を得るために他を征服したり、時には平和のために降伏したりすることもありましたが、今世紀に入ってからは、戦争以外の方法により国際間の対立を解決しようと試みた、二つの貴重な事例があります。それが正に「国際連盟」と「国際連合」です。しかし、このようなあらゆる努力にもかかわらず、人類は平和を成就することができず、歴史は紛争を繰り返しており、破壊と暴力が頻発しています。
それでは、なぜ今日に至るまで平和を成就できなかったのでしょうか。その理由は、実に個々人の内部における闘争が解決されないまま、果てしなく続いてきたからです。世界の紛争は、このような個人の内面における闘争の発露なのです。人間の理想と現実の間には矛盾があり、その矛盾の焦点は、正に個人の霊肉間の闘争にあるのです。
人間の精神は、高い理想を追求します。人間の精神は、すぐに神様にまで到達するようになります。肉身は、私たちのその理想を具現する道具なのです。しかし、そこには、努力と鍛錬と自己犠牲が要求されます。人間の精神が追求することと肉身が追求することとの間には絶えず緊張が生じます。
人間の歴史には二つの平行する思潮が生まれました。その一つは、理性的で外面的な肉身の優位を強調するものです。例えば、肉体的な満足や、肉体的な美、そして科学に重点を置くものなどですが、これらすべては身体的感覚を土台にした実証を重視するものです。もう一つの思潮は、宗教的伝統であり、これは人間の肉身を超越する価値を重視するものです。それは精神的法則や価値、また神様の啓示など、科学の実証対象とはなり得ないものです。人間の生活において見ることのできるこれら二つの思潮が、正に今日の世界で見る二つの対立したイデオロギーの根源なのです。
民主世界、すなわち自由世界は宗教的伝統から出発し、発展しました。民主主義の現代的概念は、正に「神は自分のかたちに人を創造された」(創世記一・二七)という聖書のみ言に見いだすことができます。人間が神様の子女であるがゆえに、民主世界においては人間を尊重するということです。ですから、人間に対して選択の自由を最大限に許容するのです。なぜならば、自由なくして人間の行動は価値をもつことができないからです。
一方、共産主義は、人類歴史において、より外面的で世俗的な思潮が結実したものです。啓蒙思潮とフランス革命を経たのち、マルクスは暴力と社会工学的技法を応用して、神様に対する信仰を退け、暴力による社会秩序の構築を主張しました。マルクス主義の社会工学的技法は、神様を否定する人間観を根拠にしています。
しかし、その結果はどうでしょうか。たとえマルクスの見解や主張を擁護する人たちがいたとしても、マルクスの理論を実験し、実践してきた七十年の歴史をもつソ連などにおける結果は、一言で言って、ただ悲劇的な失敗であるとしか言えません。共産主義の勢力を堅固にするために、一億五千万の罪なき人命が犠牲となってきましたが、マルクスが約束したような正義と繁栄の世界は、どこにもその実体を見いだすことができません。今日、これら二大イデオロギーとそれを信奉する国々は、地球上でお互いが正面切って対決し、かつて想像することもできなかった巨大な破壊力をもって、全世界を脅かしているのです。
私は、このような観点から、世界平和の問題に対する解決方案として、次の根源的な三つの段階を厳粛に言明しようと思います。この提案は、最も根本的なものなので、大変理想主義的にも見えます。しかし、いかなる建物であっても、粗末な基礎を直さない限り、建物としての役割を果たせないように、私の平和のためのこの提案は、根源的な基礎から出発しています。まず、究極の世界平和とは、神様と人間との平和、次に人間相互間の平和、そして世界の平和という、この三段階を経なければなりません。
私は、全生涯を捧げて修養の道を歩んできました。さらに、宇宙の根本と神様の実在という問題について、誰よりも苦悶してきました。血と涙の出る修道の過程を経て、私は生きた神様の実在を明白に知ることができました。そして私は、生きておられる神様と直接対面する体験までもつに至ったのです。そこで、宇宙の根本であられる神様との平和を得ることができなければ、この地球上において真の平和を論ずることはできないことを悟ったのです。
神様は、宇宙の第一原因であられ、森羅万象の創造主です。そして私たちの愛する父であられます。神様は、特別なみ旨を成就するために万物を創造されたのですが、その目的は、正に愛の具現にありました。神様は真の愛の根源であられますが、いかに全能の神様であっても、お一人では決して愛の喜びを感じることはできません。神様は愛の対象が必要であり、その対象から自発的な愛が返ってくることを願っておられるのです。その対象としての最高の被造物が、すなわち私たち人間なのです。このような理由から、人間には目的があるのです。人生の目的は、成熟して神様と永遠の真の愛の関係を実現することにあります。正に、これが神様と人間との間に、平和を築くことのできる根本原理なのです。
神様と人間との平和関係を樹立したのちに、私たち人間相互間の平和を成就できるのです。人間相互間の平和のために、根本的に必要な関係とは何でしょうか。それもやはり、愛の関係以外にはあり得ないのです。ユダヤ教、キリスト教、イスラーム、そして他のすべての世界宗教は、私たちが全能の創造主、すなわち神様の子女であることを教えています。
これはすなわち、私たちは兄弟姉妹であるという意味です。ですから、私たちは神様のかたちどおりに創造された者であることを理解することによって、互いが兄弟姉妹であることを悟らなければなりません。神様の子女を愛することが、神様に栄光を帰す最善の道となるのです。私たちがこのことを正しく理解することによって、人間相互間の真の平和の関係を設定する根拠を得ることができるのです。
世界平和の達成こそは、人類の長い間の念願でした。ところが、その達成もまた、本質的には、先ほどお話しした、人間個々人の平和を成就するのと同じ方法によるのです。世界は今、現実的には二大体制が対立しています。しかし、それは単に自|||世界と共産世界の葛藤だけではありません。それはより根本的に対立する価値観の葛藤なのです。
一方は、神様を肯定する価値体系であり、もう一方は神様を否定する価値体系です。共産主義の出現は、ある面から見れば、そもそも人間が神様の道徳律を実践できなくなったところから始まったのです。共産主義は、ある一面非難のイデオロギーです。それは神様を信奉する人たちが神様の理想を具現できなかったことに対する非難なのです。彼らが非難を受けても当然の内容があったので、共産主義は膨脹することができたのです。
しかし、実際に神様の創造本然の理想世界が具現する時には、共産主義は立場を失ってしまうのです。ですから、世界の問題は、根本的には精神の問題です。世界の問題の解決は、神様の実在を肯定するところから始まるのです。
今日、世界の救いのために必要なことは、正に次元の高い精神的覚醒です。世界は神様の実在を悟り、有神論的原理に基礎をおく世界観によって再武装しなければなりません。この神様中心の世界観のみが、今日の価値の混乱を克服できるのです。
もちろん、このような精神的価値観の運動は、外的には政治、経済、軍事面における結果的現実として現れます。しかし、精神的覚醒の根本は、縦的には神様に対する信仰と横的には人間相互間の真の愛で成就されるものでなければなりません。
このように、高次元的な価値で覚醒した土台の上で、国家間の関係が変化していかなければなりません。これまでは、経済発展の背後における原動力は、利潤に対する欲求でした。それによって人間の潜在能力が大いに発揮され、巨大な世界的発展を成し遂げ、先進経済大国をつくってきたのです。
しかし、このような先進国が利潤追求の動機を超えなければならない時代を迎えました。利他的愛が国際関係の次元に適用されなければなりません。先進国はむしろ、他のために奉仕するその目的のゆえに、神様の祝福を受けていることを悟って、世界の発展途上国のために犠牲を甘受できなければなりません。そのようにして、悲惨な発展途上国の惨状を解消するために、先進国が先頭に立たなければなりません。
皆様。もし豊かな国がそのような態度をもったとすれば、その国は委縮したり、急激に衰退したりするようになると思いますか。決してそういうことはありません。かえって、その反対になります。しかし、もし先進国が利潤追求以上の高貴な理念をもち得ないならば、彼らがいくら努力したとしても、その繁栄は、衰退に転じ、歯止めが掛からないでしょう。隣人が飢餓、疾病、または無知のゆえに犠牲となって死んでいくときに、どうして世界が平和であり得るでしょうか。すべての先進国が結束しさえすれば、飢餓、疾病、無知の三大悪を退ける、世界平和のための前線を構築できるのです。
最後に、国家間の利害を超越する関係を土台として、実際に神様をお迎えした世界共同体が出現しなければなりません。二十世紀の後半に入った今日、世界が日増しに沈滞していく現状に、私たちは気づかざるを得ません。いかなる国も、今や離れ小島ではいられません。また、いかなる人であっても、他の人との相互依存的関係なくして、繁栄を期待することはできません。
したがって、相互理解と信頼を増進するために、国々の共同繁栄を追求する共同体が建設されなければならないのです。世界は今や地球村と言われるほどに、急速に狭まってきています。すべての人々の生存と繁栄が、正にこの協同精神にかかっています。人類は、神様のもとの一つの大家族であることを悟らなければなりません。この協同を通してのみ、私たちは環境を保護することができ、またすベての人々の文化水準の向上と自由、正義および尊厳性の確保を期待し約束できるのです。このような協同精神の土台となるのは何でしょうか。それは、世界共同体のすべての国々は、ただ神様のみに根源をおく共通の価値体系と永遠不変の原理を尊重することです。
私たちは共通の夢をもっていますが、それは、理想世界実現という念願です。かつて預言者たちは、これを「地上天国」と呼んできました。これは今まではるか遠い目標のように思われてきましたが、今や実現可能であり、なおかつ必ず成就すべき目標なのです。なぜならば、正にこれが創造主の本来の理想だったからです。「世界平和のための頂上会議」の重要な意義が、正にここにあるのです。
私たちがあすを展望するとき、ある面においては暗澹たるものがあります。しかし、私は失望しません。なぜならば、神様が本来の理想をこの地上に実現されるという聖書のみ言、すなわち「わたしはこの事を語ったゆえ、必ずこさせる。わたしはこの事をはかったゆえ、必ず行う」(イザヤ書四六・一一)という約束の中に、神様の決断を見ることができるからです。ですから私は、世界の平和は必ず訪れるという確信をもっています。
私たちのこの「世界平和のための頂上会議」は、世界平和を論議する最も次元の高い集まりとなるでしょう。この会議は神様の霊感を受けて召集されたものであると私は感じています。私たちは世界平和のために、神聖かつ荘厳な召命を受けてこの場に集まったのです。これから私たちが達成する課業は、私たちの子孫と全人類に残す貴重な遣産となるでしょう。
世界平和の主導的役割を担当するために、皆様が遠い旅路を経て、地球の片隅にある韓国に来られましたことを、心から感謝し、祝賀申し上げます。私は皆様の経験と智恵と卓越した政治的指導力を大いに信頼するとともに、私たちのこの課業を通して、二十一世紀には新しい平和の時代がこの地上に到来することを信じています。皆様が慎重かつ思慮深く始められるこの「世界平和のための頂上会議」の上に、神様の栄光と祝福が共にありますことをお祈りいたします。ありがとうございました。
7.アジア太平洋時代の主役になろう
平和経 第九篇 国境線撤廃と世界平和
日付:一九八九年十月十二日
場所:韓国、ソウル、新羅ホテル
行事:中国パンダ自動車工業都市造成説明会
今晩、公私共にお忙しい中であるにもかかわらず、このように会場を埋め尽くしてくださった内外の貴賓の皆様に深い謝意を表し、中国の大規模自動車工業都市造成に関する説明に先立ち、これまで私が抱いてきた所信の一端をお話ししようと思います。
皆様もよく御存じのように、今日、世界はアメリカとソ連を両極として維持されてきた東西冷戦時代は、これ以上存続できない状況となってきています。ソ連の開放政策、中国の改革と民主化の葛藤、そしてハンガリー、ポーランドをはじめとする東ヨーロッパ圏に起きている一大改革など、「革命」という言葉で表現されるにふさわしいもろもろの変化は、共産主義とその体制の限界と合わせ、従来の両極のイデオロギー対立の構造が崩れつつあることを証明しています。
国際経済の面でも、ヨーロッパ共同体が一九九二年まで単一市場として統合されるなど、世界経済は多元化、ブロック化の趨勢へと移行される転換期的状況を示しています。
このような変化と転換の時代に、韓国はいかに対処し、どの方向へと進んでいくべきでしょうか。韓国は、地政学的に非常に微妙な位置にあり、昔から強大国の勢力拡大のための要地となって、歴史的な犠牲を払ってきました。東西両極時代に代表的な苦難を経た我が祖国は、多元化と和解の時代を迎えたからといって、国益が保障され、民族的な問題が解決されたわけではありません。韓国を中心とした四つの強大国、すなわちアメリカ、日本、ソ連、中国は、韓半島にそれぞれ重要な関心と利害関係をもって互いに絡み合っています。
私は、このような韓国の状況を、神様の摂理的観点から世界と歴史の縮小体として見つめています。ですから、すべての歴史的関係と世界的問題が、直接的、間接的に、ここ韓半島に連結しており、したがって韓国は世界問題の縮小体であり、世界問題の解決は韓国問題の解決と不可分の関係にあります。
満場の貴賓の皆様。私は早くから天の召命を受け、神様のみ旨を地上に実現するために生涯を捧げてきました。韓民族が神様の摂理の中心民族であることをよく知っている私は、歴史を通じたこの民族の受難の意味を人とは異なる解釈をしながら、分断韓国を統一祖国へと転換させることが、正に平和世界の実現と直結することを確信しています。共産主義とその体制が黄昏(たそがれ)時を迎えたからといって、現今の自由世界が、その思想的な代案を提示できると思いますか。
自由民主主義を信奉する西欧社会の矛盾性を、何によって克服していくのでしょうか。私は「八一五光復」と「六・二五動乱」を通した分断民族の悲惨な運命を直視しながら、南北統一時代に備えた思想を確立し、国際的基盤を築くことに私の生涯をかけると天に誓約し、これまで四十年間以上、努力してきました。
韓半島の周辺、特にアメリカ、日本、ソ連、中国に対して、私たちが主体的な力量を発揮しながら彼らを動かし、南北統一の支援勢力として動員し、確固たる自由民主の思想的基盤の上に平和統一を成し遂げることが簡単なことでしょうか。もし、ソ連と中国が北朝鮮を支援しないよう積極的な対策が練られるとすれば、どれほど幸運なことでしょうか。
この説明会の場は、一つの企業体の中国進出について説明する単純な集会ではありません。財力に基づく利潤追求を目的としたプロジェクトでもありません。私は、神様の平和理想を中心として、中国大陸のために三十年以上も前から特別祈祷の精誠を捧げてきました。一次的には、彼らの開放を助け、技術支援を通じて近代化を助けながら、私たちと善隣の関係を結ばなければなりません。
私は一九八一年、第十回「科学の統一に関する国際会議」において国際平和高速道路計画を発表し、その事実を世界百二十ヵ国の元首に公文で知らせたことがあります。日本の東京から日韓の海峡をトンネルで連結し、ソウルと平壌を経て中国の北京に至り、モスクワ方面と中東方面との二つに分かれ、ヨーロッパの各所、そしてロンドンに至る記録的な大土木工事となる国際高速道路計画です。
一九八二年から、日本で千五百人余りの学者と実業家たちがトンネルに関する研究会を組織し、政治、経済、技術、地質調奄など四つの環境分科に分かれ、活発な研究と予備探査を終え、佐賀県の名護屋で、既にパイロットトンネルが掘られています。中国政府も非常な関心をもち、既に安東北京間の約千キロに対する路線を決定するために、専門家との協議が進行中です。
私は、中国との交流が困難だったころから、何度も人を送り、彼らへの近代化援助を協議するとともに、延辺(えんべん)大学に工科大学を建ててあげ、毎年五十万ドル相当の実験機器を支援し、交換教授、留学生の派遣などを助けています。
私が設立した国際救護親善財団を通して様々な支援をする一方、アメリカのコーチたちを派遣し、体育の発展を助けています。そして、中国の学者たちに「統一思想」を研究できる機会を設け、彼らが思想的な混乱を克服できるよう支援しています。
尊敬する貴賓の皆様。中国はいまだに共産主義に固執している国です。六四天安門事件が起こったとき、ほとんどの自由世界の経済人たちは中国から撤収してしまいました。
そのような中で、私は自動車工業を推進している実務者に、少しも動揺せず、より一層積極的に推進するよう指示し、六月二十七日、広東省恵州の現地で大々的な起工式を行いました。
困難な事情に追い込まれた中国の指導者たちに、大きな恵沢を与えることによって、深い心情的関係を結び、共に大局について議論し、太平洋時代に共助できるようにするためです。先にも述べましたが、中国に進出する私の動機は、目前の利益を追求するためのものではなく、天のみ旨に従うところにあるのです。
私は、早くから技術の平準化を主張してきました。技術は、その恵沢が人類全体に及ぶようにするための神様の祝福です。先進国が技術力を独占し、それを手段として開発途上国に不利益を与えることは、もう一つの搾取であり、罪悪であると言えます。
このような傾向は、紛争と不和の火種となり、世界平和を脅かすことになるので、私は世界を助けるための技術力を蓄積することに多くの財力をかけて準備してきました。例を挙げれば、ドイツにおいて世界トツプクラスの四大会社を引き継いで育成を続けているのが、自動車のライン生産を含めた機械製作会社です。
また、電子技術力確保のために、日本で先端電子開発会社を育成し続けています。ドイツと日本以外にも、いくつかの先進国で技術基盤を広げていますが、このような背景と実力の基盤がなかったとしたら、私が中国と容易に提携することはできなかったでしょう。
単純な企業の運営を越えて、今回のこの自動車工業都市造成のための投資も、北京の最高指導者たちを啓蒙し、新しいアジア太平洋時代の同伴者としてしっかりと連結し、その結果が北朝鮮の金日成主席に影響を与えるようにするためのものです。
私は、この中国のプロジェクトを、私たちの安保と救国の次元から離れて考えたことはありません。一方、私は、一九七六年、アメリカのワシントンDCでの大集会で、将来モスクワで大きな集会を開くことを宣布しました。世界の碩学たちと宗教指導者、言論界の著名人士、芸術界の代表たちを通し、既にその基盤を築いているのです。
今、ソウルには私の招請でソ連のノーボスチ通信社のヤコブレバ編集局長をはじめとする五人の中堅言論人が訪問しています。彼らは韓国の発展した姿に驚嘆しており、帰路には日本共産党の様子を視察し、中国を経て、彼らが行きたくないと思っている平壌に必ず寄ってほしいと言いました。
韓国の発展した姿と鮮明な印象を北朝鮮の指導者たちにしっかりと伝えさせることによって、北朝鮮の指導者たちの誤解を防ぐのに一助とならしめるためです。彼らの一行には、韓国を紹介する一時間の記録映画を製作するチームがあり、ソ連に帰れば全国に放映することになっています。
そして、今度の十一月二十六日には、ソ連国営放送の会長、ノーボスチ通信社の会長など六人の代表的な言論人が、同じく私の招請でアメリカを訪問することになっています。今月の初めには、世界トップクラスのキーロフバレエ団のオレグヴィノグラードフ団長がソウルを訪問し、私が設立したワシントンDCのユニバーサルバレエアカデミーの学長を兼任することを確約しただけではなく、ソ連内で神様のみ旨のために多大な援助をすることを約束して帰っていきました。
また、十月二十七日から、ロシア正教本部と私が創設した国際宗教財団の共同主催によりモスクワで開催される、教会一致のための会議に、二十人の宗教学者と代表たちを派遣するつもりです。そして、遠からずモスクワで「世界言論人大会」を開催し、ソ連の改革と開放を側面から支援する予定です。
今回、始めた中国恵州の工業都市造成は、これから引き続き造成していく、アジア太平洋時代に備えた多目的工業都市四地区中の第一地区にすぎません。中国の大連安東(丹東)地区、ソ連のハバロフスクと中国のハルビンを連結する地区、そしてソ連のウラジオストク地区が、残りの三地区です。
大連安東地区は、新義州を通して北朝鮮にその恵沢が及ぶようにし、ウラジオストク地区は、北朝鮮の雄基(ウンキ)(羅先-ラソン)側と中国の延辺側にも恵沢が及ぶようにする計画です。
このような一連の事業と活動を通し、中国の指導部とソ連の指導部が韓国を正しく理解し、北朝鮮に直接的にも間接的にも大きな影響を及ぼすようにしてこそ、私たちの望む自由と民主の統一理想が実現するのです。
満場の貴賓の皆様。私たちは、この先十年後には、新しい世紀を迎えます。分断と対決で綴られた二十世紀を終え、高い道徳と価値が尊ばれる和解の時代を迎えなければなりません。ソ連とアメリカの二つの軸が世界を管掌していた西欧中心の時代は過ぎ去っていくのです。
今、アジア太平洋時代が開かれつつあります。私が先ほど皆様にお話ししたように、この時代に備えた四つの工業地区の造成がいくら重要だとしても、政府主導や一国の主管だけで簡単に成就できるような事業ではありません。この事業は、世界的な基盤と多国的企業の特性を生かすことができます。また、基本的に平和世界のための愛の実践という宗教理念に基づいて世界の力を結集することは、私だけができることであると思います。
そこに犠牲や損失があったとしても、私は継続して推進していくつもりです。各界の指導者である皆様が、一つの教会やグルーブの次元ではないこの計画に対して、韓国が主体的な立場を守っていくことができるよう、挙国的な声援と参加をしてくださり、その成果が南北統一と世界平和として結実し、韓国が太平洋時代の主役となるよう助けてくださることをお願いします。
そして、これらの事業は、どの強大国の指導者も、韓半島やアジアの重要性と役割から見て、簡単に無視することができず、部分的にでも同参(一緒に参加すること)、あるいは支援をせざるを得ない、平和の基地造成事業となるでしょう。したがって私は、このような歴史意識によって、太平洋圏に推進してきた多角的な計画とともに、既にアメリカ、中国、ソ連の基盤を通して、東西首脳会談を推進しています。
ソウルの漢南洞国際研修院で、東西四ヵ国の首脳会談を開催することによって、世界に平和のムードを醸成し、その基盤と余韻をもって、金日成主席が真の平和の道へと乗り出せるようにするのです。
満場の内外の貴賓の皆様。私たち人類は、思想的な葛藤を克服し、道徳性を回復した基台の上に、国際協力を通した愛の地球村家族の理想を実現しなければならない課題を抱えています。長い歴史を通し、人類の精神文化を創出してきたアジアから、新しい時代を指導する理念が現れなければなりませんが、それこそが正に私が主唱し、世界的に教育している「神主義」です。
そして、迫りくるアジア太平洋時代は、一つの隣同士のように近くなった地球村で、全人類が皮膚の色と文化の背景を超えて、共に調和して暮らしていかざるを得ない世界です。今、世界は、個々人の自己の存立のためにも、怨讐を想定できない和合の時代へと向かうように天運が追い立てています。
私たち韓民族は、神様を中心とした堅固な思想的基盤と正しい価値観のもとで生活することによって、新時代の導き手にならなければなりません。私たちは、小さな利害関係を超えて、国際関係に対する冷徹な認識のもとで、全民族的に団結した力を発揮して、アジア太平洋時代の主役にならなければなりません。
改めて、参席してくださった内外の貴賓の皆様に感謝を申し上げ、皆様の御家庭と皆様の携わる仕事に神様の祝福があることを祈りながら、これをもって御挨拶とさせていただきます。ありがとうございました。
8.世界平和に向かう道
平和経 第九篇 国境線撤廃と世界平和
日付:一九九-年八月二十八日
場所:韓国、ソウル、リトルエンジェルス芸術会館
行事:「世界平和連合」創設大会
尊敬する元現職国家元首、各国から参加された世界の指導者の皆様、敬愛する学者、世界の宗教指導者の皆様、そして紳士淑女の皆様。きょう私は、「世界平和連合」を創設する歴史的なこの式典に、尊敬する世界の指導者の皆様がこのように大挙して参席してくださり、満場の盛況を博してくださったことに、心からの謝意を表する次第です。
人類歴史が始まって以来、平和を切望しなかった時代がなく、平和を望み求めなかった人は一人もいませんでした。しかし、人類歴史は、人類の希望とは正反対に、常に絶え間ない戦争と罪なき血で染められてきました。これはなぜでしょうか。
近代史に至っては、世界は二回にわたって世界大戦を起こしました。一九一四年、サラエボでオーストリアの皇太子が暗殺される一発の銃声によって点火された第一次世界大戦は、たちまちのうちにヨーロッパ全域を火の海にし、十六ヵ国が参戦した中で三千万人の死傷者を出す凄惨な戦争となりました。
このヨーロッパの惨状を見た世界の指導者たちは、いかなる代価を払ってでも、もう再び戦争を起こしてはならないという痛切な覚醒から、アメリカのウィルソン大統領の提唱により「国際連盟」を結成しました。しかし、「国際連盟」は四十種余りの国際紛糾を処理したものの、強大国間の紛糾の処理に失敗し、ウィルソン大統領の偉大な夢は跡形もなく消え去り、アメリカ上院の批准も得られないまま、「国際連盟」は結局、失敗で幕を下ろしてしまったのです。ここに、戦争を防ごうとする人類の渇望は挫折しました。
そして、それから二十年もたたずして、再び世界は第二次世界大戦の惨禍の中に巻き込まれていきました。第二次世界大戦は大西洋のみならず、太平洋までも火の海にしました。数千万の人類が殺傷され、ついに二発の原子爆弾の投下とともに辛うじてその終結を迎えました。世界が再びこのような生き地獄になるのを防ぐために、今度は一九四五年四月二十五日、サンフランシスコで「国際連合」、すなわち国連を創設するに至りました。「国際連合」の歴史は一九九一年現在まで、四十六年になります。
それでは、過去四十六年間、人類は戦争を知らずに平和に生きてきたでしょうか。そうではありませんでした。戦争は再び数限りなく起こりました。韓国動乱、ベトナム戦争、湾岸戦争をはじめとして、実に六十回以上も人間同士が殺し合う歴史が繰り返されたのです。
なぜ、このように平和というのは難しいのでしょうか。きょう私たちは、「世界平和連合」の創設に先立ち、平和が成し遂げられないその理由を先に究明しなければなりません。そうでなければ、今後も前轍を踏むのは火を見るより明らかだからです。
紳士淑女の皆様。これまで人間は、平和を叫んでいただけであって、その真の平和の意味を知ることができませんでした。平和の真の哲学をもてなかったのです。ですから、真の平和を成し遂げる方法が現れなかったのです。貴賓の皆様、その理由は、分かってみると簡単なことです。人間は神様を見失うことによって、平和をも失ってしまいました。また人間は、神様を差し置いて、人間同士で平和を見いだそうとしたのです。それは根本的な誤りであり、それが真の平和を得られない根本的理由なのです。
全知全能であられる神様は、愛の神様であられ、平和の神様であられます。その神様が、互いに争い、命を奪い合う世界をつくられたはずは絶対にありません。神様は、人間を神様の形状どおりに造られ、人間は正しく神様の聖なる霊が住まわれる家のような聖殿として造られたのです。
人間一人一人が神様の聖殿として、神様をお連れして暮らす家として完成したならば、どうして人間同士の闘争と殺戮があり得るでしょうか。創造本然の世界において、人間が争うということは、右腕が左腕と争うのと同じことであり、自分が自分の手で自分の目を抜いてしまうのと同じことなのです。そのような本然の世界では、戦争は起きようにも起こり得ませんし、互いに愛し合い、仲睦まじく暮らす世界であり、いかにして神様にもっと栄光を捧げるかという善意の競争だけがある世界です。
そこには葛藤があり得ず、誤解もあり得ず、美しい協調と相互協助でただただ和睦団結して、美、真、善を追求する平和の世界のみが永続するのです。その世界は神様に似た世界であり、神様の理想と本質のために生きる世界なのです。
私たちはこのような世界の基本理念を「神主義」、または「頭翼思想」と称します。ために生きる愛、互いにために生きるところに平和があるのは当然のことであり、そのような世界を宗教的に表現すれば、「地上天国」といいます。少なくとも全知全能であられる神様の作品であるならば、このような平和と幸福の世界をつくられたはずであり、そうでないとすれば、そのような神様はいらっしゃらないのです。これが創造本然の真の平和の理想だったのです。
ところが、このように神様の美しい理想世界を実現しようとする人類歴史の最初に、エデンの園で、人類の始祖は神様を失ってしまいました。言い換えると、人類の始祖である一男一女が神様のみ前に罪を犯し、神様の国から追放されたのです。その瞬間、人間は神様の聖殿になれず、悪魔の巣窟となってしまったのです。そして、その悪魔は利己主義の本山です。
人類の始祖からこのようになったので、その子孫、すなわち今日の人類は、神様が自分たちの父であられることや自分たちが真の兄弟姉妹であることを忘れてしまったのです。そして、人間は怨讐同士の関係になってしまいました。本来は他人の命を奪えば、それは取りも直さず自分の命を奪うことになるのですが、霊性が鈍くなった人間は、兄弟の命を奪っても心の痛みが感じられなくなっているのです。
そこにおける人間は、自分だけがいて全体がないので、利己主義が個人から家庭、社会、国家、世界に広がるようになりました。そうなれば、自分と利益がぶつかる場合には、互いに争い合うようになります。戦争を起こします。それが戦争の起きる原因なのです。
それでは、創造主であられる神様は、この堕落した世界をどのようにしようとされるのでしょうか。神様は厳然として生きていらっしゃいます。神様は、今も全知全能であられます。また、その神様は、愛の神様であるといいます。その神様は真の平和の世界を再び見いだそうとするのです。言い換えると創造本然の世界を復帰、または再創造しようとしていらっしゃいます。ここから私たち人類は、真の平和に対する希望をもつことができるのです。神様は、人間一人一人から邪心を追い出し、御自身が住まわれる聖殿に復帰させようとされるのです。
ですから世界平和は、一個人の完成から始まるのです。個人個人が神様の聖殿として完成した人間にならなければ、世界平和は芽生えません。世界平和の出発点は、正しく皆様一人一人なのです。
皆様。皆様は、私たち一人一人の体の中で、常に戦争が続いていることを御存じでしょうか。それは、個々人の体の中における心と体の熾烈な闘いです。本来、心と体は切り離そうにも切り離すことのできない、一つのものでした。人間の心は神様の心であり、人間の体はその心を入れる器でした。ところが、人間の堕落は人間の体を悪魔に引き渡したのです。その時から人間の体は悪魔の僕になりました。
人間の良心は、神様を代表する心です。良心は自分のために存在しません。天の義のために存在します。良心は常に善に向かって走ろうとします。それに対して体は反抗します。体は自分だけが安らかであろうとし、利己的であり、本能的欲求に従って肉欲のままに行おうとします。良心はこの体を叱責し、心に従わせようとします。ここに常に血の出るような葛藤と闘争が、一つの体の内で起こるようになるのです。
ですから、昔から歴史を通じて、すべての宗教は自分の体を打つ道を教えてきました。宗教とは、肉欲を制御し、体を心に屈服させる道場なのです。人間を創造本然の人間へと引っ張っていく道場です。
しかし、神様を自分の内に迎えることができなければ、誰一人として自分の体を征服できる人はいません。ひたすら神様の真の愛と真理の力を中心としてこそ、主体である心は対象である体を従わせ、神様と一体理想を完成するようになっているのです。これが、宗教が語る完成した人間なのです。
このように神様を中心として体を屈服させ、完成した男性と女性、すなわち、善男善女が神様の祝福を受け、夫と妻として結ばれるとき、地上に天が計画された理想的な一つの家庭が出発するのです。そしてその理想家庭は、理想的社会、国家、世界の基礎になるのです。
「家和万事成」という言葉があります。一つの家庭が平和であるならば、万事がうまくいくという言葉です。完成した家庭は平和の家庭であり、それは天国の基礎となります。家庭の原動力は真の愛です。自分よりも神様、あるいは対象を命のように愛する、純粋で美しい犠牲的な愛、それが真の愛なのです。神様はこの宇宙に、真の愛の力よりも大きい力を創造されませんでした。真の愛は神様の愛なのです。
神様は万物と人間の創造のために、すべての力を投入されました。すべてを投入し、また投入されました。他のものは投入すれば、すべて消耗しますが、真の愛だけは投入すれば投入するほど、もっと盛んになり生み出されます。真の愛は、百を投入すると百二十が返ってきます。ですから、真の愛を実践する人は、滅びるように見えても、滅びることなく永遠に栄えながら永生するのです。
このように真の愛で築かれた家庭が基礎となって社会が形成され、国家が形成され、世界が形成されます。そのような社会、国家、世界は、真の愛が原動力となる相互奉仕の社会であり、国家であり、世界です。そこには葛藤の代わりに和睦が、誤解の代わりに理解が、分裂の代わりに団結が、自分の利益の追求の代わりに全体の利益の追求がある、犠牲と奉仕が美徳になる社会、国家、世界なのです。そのような神様の理想実現が、すなわち真の世界平和の理想なのです。
聖書にある「神は自分のかたちに人を創造された」(創世記一二七)という聖句は、見ることのできない無形の神様が、人間として実体化されたことを意味します。人間の始祖アダムとエバが神様の理想を実践していたならば、彼らによって歴史の中で最初の家庭が完成されたのであり、そこから繁殖される完成した子孫たちが、正しく理想社会、国家、世界を形成したのです。
ですから、無形の神様は、真の愛を中心とした縦的な真の父母であられ、人間始祖アダムとエバは、真の愛を中心とした横的な真の父母として、永遠に人間の歴史上に君臨したのです。
完成したアダムとエバは人類の真の父母であり、人類はこの真の父母を中心として人類大家族、同胞として兄弟主義を完成したのです。ところが人類は、この真の父母を失うことによって孤児となってしまい、兄弟がすなわち怨讐になり、国と国は反目し、敵対視する関係になってしまいました。
ですから、人類歴史の新しい出発に先立ち、神様が必ず成し遂げなければならないことは、失ってしまった人類の真の父母を探し立てられ、人間たちを孤児の状態から解放されることです。ですから、人類の真の父母の顕現は、神様の摂理の中心役事なのです。
皆様。今、創設される「世界平和連合」は、過去の「国際連盟」や「国際連合」とは異なり、真の本然の平和理想と真の父母の理想をもって、最終的に世界平和を達成しようと雄大な新しい出発をしました。人間同士だけで平和を謳歌しようとするのではなく、神様の中で、神様と共に平和を謳歌しなければならないという斬新な覚醒がなければなりません。世界平和の中心は神様であられ、その原動力は真の愛なのです。
世界平和を熱望する貴賓の皆様。きょうこの殿堂には世界各国の政界、学界、各宗教の代表者たちが一つの屋根の下に集まりました。そして、特に最近まで東西に分かれて冷戦を続けていたその両陣営の代表者たちが、東西という障壁の意識をもつことなく、ただただ和解と協調の精神で参席しました。
一九八九年十一月九日に、ベルリンの壁が崩れた時から、世界は正に改革と変遷、和解と親善へと駆け上がっています。世界平和の道が、今や大きく開かれました。
今、私たちは、きょう宣布される平和獲得の大原則に立脚して、真の平和を成し遂げる時であり、発展途上国の貧困を解放し、強大国は犠牲を払ってでも、発展途上にある新しい民主主義国家を手助けしなければなりません。各国家における政策が利己主義を克服する、それ自体が大革命です。その方法は、私たちすべてが父母の位置に上がっていって見つめることです。そうすれば、すべての国家が兄弟にならざるを得ません。一組の父母のもとに一つの兄弟、社会、国家を形成することのできる歴史的な機会に直面しています。
来たる九月の国連総会に、韓国と北朝鮮が共同で加盟することになっています。これは、私たちが平和世界を指向するまた一つの画期的発展です。そうなれば、「国際連合」の総加盟国は、今や百六十三ヵ国になります。それでは、今百六十三ヵ国がすべきこととは何でしょうか。無慈悲な植民地政策によって、弱小国を搾取する時代は過ぎ去りました。
今や弱肉強食は旧時代の残骸になりました。超強大国が武力競争で、世界を恐怖の中に追い込んだ時代も過ぎ去りました。人類は、今、核兵器の恐怖から解放されなければなりません。今は正に聖書にあるように、「そのつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、国は国にむかって、つるぎをあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない」(イザヤ書二四)時です。
相互信頼と道義の時代が明けてきつつあります。「国際連合」のすベての加盟国は、今、互いに尊敬し、愛し合いながら、私たち人類の共同の敵に宣戦布告をしなければなりません。私たち人類の共同の敵は、貧困と無知と疾病と罪悪です。今や人類は、貧困と無知と疾病と罪悪から解放されるべき時が来ました。これからは「私の国」という定義は発展的でなければなりません。もちろん私が生まれて暮らしている国が、まず「私の国」であることに違いありませんが、より大きな見地から見るならば、私の父であられる神様がつくられた世界は、すべて「私の国」なのです。
このように見たとき、先進国が先端技術を独占し、発展途上国に先端技術を分け与えないことは、大きな罪と言わざるを得ません。国家間に良いものがあるならば、早く分け合わなければなりません。新しいものを発見すれば、直ちにその恵沢を互いに分け合わなければなりません。人類に手助けになることであるならば、ためらわずに国境を越え、これを実践しなければなりません。私は世界の技術の平準化のために、長い間全力投球してきた人です。
皆様。皆様は、神様によって平和の働き手として選ばれ、この場に送られた方々です。今後、九年で西暦二〇〇〇年が訪れます。二〇〇〇年というこの峠が、私たちの生きている時に偶然に訪れるのではありません。これは、歴史の新しい転換点です。新しい歴史が胎動しているのです。平和の二十一世紀が近づいてきています。しかし、その平和はただで来るのではなく、神様と人間が協力し、与えられた責任分担を果たす時にのみ可能なのです。そうであるならば、私たちは残り九年間に、平和を阻害するすべての要素を除去する作業を終えなければなりません。
新しい時代、二十一世紀は共義の時代です。新しい時代、二十一世紀は物質が支配することのない、精神と霊性の時代です。新しい時代、二十一世紀は、神人一体になって生きる時代です。新しい時代、二十一世紀は、他のために生きることが、自分のために生きるよりも永遠の価値があることを悟って生きる時代です。利己主義は色あせ、共生共栄共義の利他主義がついに凱歌をあげる時代、それが正しく明けてくる二十一世紀なのです。
それは平和の時代です。それを名実共に「天国」と言うのです。このような希望と光明の二十一世紀には、私たちがきょう創設する「世界平和連合」がその理念を提供し、世界人類を教育し、摂理に従って今後訪れる平和世界の牽引車の役割を果たさなければなりません。同連合は、また世界の道徳性を明るくする灯台にならなければならないのです。
平和の使徒、貴賓皆様。光明な新しい日が私たちを待っています。きょう、私たちは、使命感に燃えなければなりません。今、私たちの最後の一滴の汗と涙と血までも注いで、人類共同の目的を果たさなければならない歴史的使命が、私たちを呼び求めています。その最初の仕事が、神様を私たち個人、家庭、社会、国家、世界に迎えてさしあげることです。天が共にいらっしゃるとき、これに敵対する人がいるでしょうか。
尊敬する同志であり、兄弟であられる皆様。人類の前に置かれた最後の崇高な課業、恒久的世界平和定着の使命の前に立ち上がり、光明な世界に向かって共に前進いたしましょう。神様をお迎えして、世界の真の平和を成し遂げましょう!ありがとうございました。
9.二十一世紀における島嶼国家の役割
平和経 第九篇 国境線撤廃と世界平和
日付:一九九六年六月十六日
場所:日本、東京、京王プラザインターコンチネンタルホテル
行事:「世界平和島嶼国家連合」創設大会(代読)
きょう、この意義深い会議に、世界からお集まりくださった尊敬する貴賓の皆様。私は世界平和の実現のために尽くされた皆様の努力を高く評価し、心から感謝の意を表します。そして、今回の会議が世界平和のための、より一層の知恵と努力を結集し、近づく二十一世紀を輝かしい平和の時代として迎えることができるよう、友誼(ゆうぎ)と理解を深める良い機会となることを祈ります。
また、この会議によって、世界平和の実現に対する私たちの責任と使命を互いに分かち合い、揺らぎのない決意を互いに強固なものにできるならば、それ以上の喜びはありません。
それでは、私が「島嶼国家連合」という組織を皆様に提唱し創設するに至った経緯と背景を、先に説明することから始めようと思います。人類歴史において文明発展の流れを見ると河川流域から発生した古代文明は、ギリシャ、ローマ、そしてイベリア半島を含む地中海文明に移動しました。そしてこの文明は、ドイツ、フランスなどのヨーロッパ大陸を通って、島嶼国家であるイギリスを中心とした大西洋文明として結実しました。さらに文明は、アメリカ大陸を通って西の方に移動し、現在は、イギリスと同じ島嶼国家である日本を含めた太平洋時代を迎えています。
このような文明史の推移を、神様の摂理として理解すれば、今日、天運の中心的な立場に置かれている島嶼国家は、正に日本であると考えざるを得ません。日本は神様の摂理を通して、人類歴史の舞台に立ったのです。日本の繁栄は、神様の摂理との関係において説明できるのであり、それ以外の理由だけでは説得力がありません。日本が神様の摂理の中心に立っているとすれば、私たちの関心は、日本のもつ摂理的使命に傾かざるを得ません。なぜならば、神様の摂理の目的は、世界平和の実現にあるからです。世界平和は万民共通の希望なのです。
全世界の島嶼国家が、ここに連合して、平和世界に対する日本の使命を自国の使命のように考えることによって、島嶼国家の世界的連合による平和創建のための国家連合を完成すれば、人類社会にとってこれ以上の希望はないでしょう。このような希望に立脚して、私は「世界平和島嶼国家連合」の創設を提唱しました。私がこのように語るのは、今まで日本が受けてきた天運を、全世界の島嶼国家が相続し、世界平和創建のための国家群となることによって、一日も早く世界平和の実現が可能になるように祈らなければならないからです。
それでは、島嶼国家の特徴とは何でしょうか。地球は、陸地と海でできています。今日の科学は「海を舞台として最も単純な最初の生命が誕生して広がった」と説明しています。これは、海が生命を身ごもる母の役割を果たしてきたことを物語っています。このような理由から、海を女性の象徴として考えるならば、陸地は当然、男性を象徴するものと考えることができます。
したがって、海洋に位置した島嶼国家は女性を表す国家であり、大陸国家および大陸に連なっている半島国家は男性を表す国家であると言えます。島嶼国家が女性型の国家であるとすれば、女性の特徴である対象性、依存性などの特徴をもっていると見ることができます。他方で、男性的な大陸国家は、男性の特徴である主体性、創造性などの特徴をもっていると見ることができます。
島嶼国家が遂行すべき役割は、人類社会において女性が遂行してきた役割とある程度同じであると言うことができます。女性は、結婚して心から夫を愛し、夫に侍り、また夫の愛を受けることによって美しく輝く存在です。そして子女を生み、子女に愛を注ぎ、素晴らしい家庭を築いていくことによって、喜びを感じるのです。女性の中心的な使命は、このように夫と子女に注がれる限りない愛にその特徴があると言うことができます。特に母は、子女にお乳を与えて養育し、教育する重要な責任を負っています。島嶼国家の役割もまた、このような母の役割と同じ内容をもっていると言えます。
神様の人類救援摂理歴史を見ると、そこには必ず神様の摂理を担当する中心民族と中心宗教があります。歴史を導いてきたユダヤ教とキリスト教の核心は、第一に、唯一絶対の神様がおられること、第二に、人間始祖の堕落と罪、そしてその罪からの救いのためにメシヤが必要であると主張すること、第三に、人類の罪悪史には必ず終末があり、その時に「神の国」が到来することを主張することです。そのような救援摂理観によって、旧約時代にはメシヤの降臨を中心として歴史が形成されてきたように、新約のキリスト教時代には、再臨のメシヤを待望し、彼を真の父として迎え、罪を清算し、「神の国」を完成するという希望と信仰を中心として形成されてきました。このような救援摂理の歴史的な背景は、神様の心情と事情に立脚しているのです。したがって、神様の摂理を読み取るためには、時代の兆候を見抜く目が必要です。
第二次世界大戦が終わったとき、世界のキリスト教は、神様の救援摂理史において非常に重要な時点を迎えていました。その中心にいたのが、イギリス、アメリカ、フランスでした。第一次、第二次世界大戦において、イギリス、アメリカ、フランスの三大キリスト教国家は、連合国の中枢として民主主義の勝利のために戦い、二回とも勝利を収めました。
これは正しく神様の摂理だったのです。したがって一九四五年、第二次世界大戦が終わった時を契機として、イギリス、アメリカ、フランスの三大キリスト教国家が、自国中心主義に陥らず、世界平和の実現のために力を合わせて神様の真の愛を実践し、そして犠牲と奉仕の精神で人類の平和のために全身全霊を傾けたとすれば、国際連合を中心として、人類の恒久平和が達成されたはずでした。しかし、実際の歴史的事実は、世界平和の実現ではなく、共産主義の拡散とそれに伴う数多くの紛争、キリスト教国家の霊的衰退および道徳的堕落でした。戦後四十年以上もの間、米ソ対立の冷戦時代を経てきた人類は、霊的な荒野をさまよってきたのです。
最近、私は、神様の啓示に基づいた世界平和のビジョンを実現するために、世界の人々に神様の理想と摂理を明らかにしてきました。それとともに、世界平和の実現に必要であると考えられる多くの組織と機関を設立し続けてきました。このような平和運動は現在、完成段階に達していると言ってもよいでしょう。それでは、神様の摂理とは何でしょうか。神様の創造摂理はもちろん、平和な世界であることは言うまでもありません。平和な世界は、そこに分裂や争いがあってはいけません。統一と調和と喜びに満ちた社会でなければなりません。それを可能にせしめ、最大最高のものをつくるのは、正に真の愛なのです。真の愛は、統一の要因であり、喜びと幸福の源泉です。ですから、平和の前提は、真の愛であると言えるのです。
神様の真の愛は、どこに根を下ろすのでしょうか。真の愛の定着地は家庭です。アダムとエバが完成し、神様を中心とした夫婦として理想家庭を築いたならば、そこに真の愛が定着するのです。真の愛の家庭こそが、真の平和を生み出す基地となるのです。人類がいまだに真の平和を成し遂げられないのは、真の家庭を知らずにいるからです。その答えは聖書に記録されているように、人類が神様とは関係のない立場に落ちてしまったからです。人類の始祖アダムとエバが堕落して以来、この世界には平和が消え失せてしまいました。代わりに分裂と闘争が人類を支配するようになりました。個人においては心身の葛藤、家庭では夫婦の対立、そして社会では人間同士の闘争が絶え間なく起きています。結論的に言うならば、真の愛の喪失という根本的な原因によって、すべての問題が起きていると言うことができます。人間の堕落は、真の愛の喪失を意味します。したがって、アダムとエバが失ってしまった愛を復帰するために、イエス様は真の愛の王として降臨されたのであり、また再臨のメシヤも、真の愛を立てるために来られたというのが、救援摂理から見た論理の帰着です。
世界平和のための今までの私の歩みは、いかにすれば人類が真の愛を回復できるか、という一点に集約されます。今日、道徳的に退廃した世界を見るとき、神様の悲しみがどれほど大きいかということを、私はいつも痛哭する心情で見つめてきました。ソドムとゴモラのような姦淫の弊害が世界を襲い、未来を背負うべき若者たちがフリーセックスに陥っていく姿は、神様の最大の悲しみであり、それは正に人類を滅亡へと導く道なのです。しかし、今日、世界で一つの希望と喜びを発見できるとすれば、それは、世界が偽りの愛によって破滅しつつあるこの状況を防ぐための女性たちの活動が、世界的に拡散していることです。これは大きな希望です。既にこの日本から女性たちが世界百六十ヵ国に派遣され、ために生きる精神を実践していることは、限りなく喜ばしいことと言わざるを得ません。危機を救うのは女性です。今、私たちは、女性たちの力を尊重しなければならない時が来ました。国家で言うならば、島嶼国家が正に女性の立場に立っているのです。
各国の代表、貴賓の皆様。皆様の国は島嶼国家です。島嶼国家は女性、あるいは母としての特徴を共通して持ち合わせているので、共に連合し、力を結集して、人類に対して母としての使命を成功裏に遂行していくよう互いに協力しなければなりません。私が「島嶼国家連合」を提唱し、創設したのも、このような理由に基づいているのです。
人類歴史を見ると女性は、良い意味であれ悪い意味であれ、重要な役割を果たしてきました。聖書によれば、人類の歴史は、アダムとエバの堕落による悲劇的な事件から出発しました。人間堕落の結果に対して、私たちは責任をもってこれを解決していかなければならないのは当然のことです。しかし、エバが最初に堕落して罪悪の歴史を出発させたという聖書の記述を見るとき、人類歴史は、エバの堕落を女性たちが先頭に立って蕩減する時代が来ることを摂理的に要求しています。二十世紀における男女平等の思想的風潮、また女性の真の解放を求める運動などは、女性が世界平和のために立ち上がって世界的に大きく活動する環境が造成されたことを意味しているのです。
このような神様の摂理をよく知っている私は、一九九二年四月に、私の妻と共に「世界平和女性連合」を創設しました。この連合の運動は、近い将来に世界万民が参加する「世界平和女性連合」の運動へと発展させ、真の愛を家庭の中で定着させることによって、理想世界、すなわち地上天国を建設するのです。今、女性の時代は、一九九〇年代の世界的な趨勢であり、女性の愛と協調、和解、調和の精神が、世界平和のために歴史的な貢献を果たす時代であると言うことができます。
この世界的な女性時代は、そのまま女性の特徴をもつ「島嶼国家連合」にも該当するのです。そのように女性時代と島嶼国家の時代は深く結び付いています。女性が世界平和のために立ち上がる時は、島嶼国家もまた世界平和のために立ち上がる時なのです。すべての島嶼国家が、世界平和の実現という光明な歴史的使命を果たす時は、正しく今なのです。これ以上に誇り得る使命がどこにあるというのでしょうか。
それでは、ここでしばらく、女性たちが歩んできた人類の歴史を振り返ってみましょう。神様に向かう強い信仰心によって偉大な証の書を残した立派な女性たちがいます。アブラハムの妻サラ、イサクの妻リベカ、ヤコブの妻ラケルの三人の女性がいなければ、イスラエルの歴史はなかったと言っても過言ではありません。また、神様の祝福を受けた血統を命懸けで残そうとしたタマルの絶対的な信仰がなければ、旧約聖書に記録されているメシヤの血統は確立しなかったでしょう。タマルと同様に、イエス様の母マリヤもまた、神様の聖なる血統を継ぐ子孫を生むために、絶対的な信仰を天のみ前に示してくれた女性でした。
エバの堕落は人類に霊的な死をもたらしたのであり、その結果、人類は偽りの愛と偽りの生命と偽りの血統の中で呻吟するようになったのです。マリヤとタマルの歩んだ道は、エバの堕落を蕩減するための道でした。また、か弱い十六歳のジャンヌダルクが立ち上がったとき、存亡の危機に立たされていたフランスが救われたのです。十六歳の彼女が一国を救えるほどの力を発揮したのです。このような女性たちの歴史的足跡をたどってみると、覚醒した女性たちがどれほど立派な活動をしてきたかを知ることができます。女性のもつ奉仕と献身の美徳によって人類愛に燃える「島嶼国家連合」が誕生するとき、人類の前途には、希望の光が明るく照らされるでしょう。島嶼国家は最終的には大陸を求めなければなりません。それは女性が男性を求めなければならないのと同じ原理です。島嶼国家存立の条件と言ってもよいでしょう。
したがって、島嶼国家から始まった世界平和のための諸活動は、大陸国家に良い影響を与えるでしょう。このようにして世界平和実現のための善の影響力が島嶼国家から大陸国家に及ぶとき、世界平和の実現の可能性は、より一層高まるでしょう。目前に近づきつつある二十一世紀は、人類が長い間願ってきた地上天国の輝かしい幕が上がる新世紀となることを私は確信しています。
私が世界平和のために創設した「世界平和連合」、「世界平和女性連合」、「世界平和青年連合」、「世界平和学生連合」と共に、今回創設される「世界平和島嶼国家連合」は、世界平和のために重要な役割を果たすことを確信しています。そして最終的に、これらすベての組織は、「世界平和家庭連合」として結実しなければなりません。なぜならば、平和の最後の砦は家庭であり、家庭の再建以外に世界平和に至る道はないからです。
「世界平和家庭連合」の目的は、超民族的、超国家的、超宗教的理念に基づき、青少年たちを立派に教育することによって、理想国家を完成し、五色人種が永生を謳歌する人類一家族世界の歴史的聖業を成就することです。皆様の「島嶼国家連合」と「世界平和家庭連合」の偉大な目的に対して大きな賛辞を送り、立派に世界平和の大業を完遂することを信じて疑いません。神様の真の愛による人類一家族世界の夢が「島嶼国家連合」の創設によって、より一層実現可能なものとなったことに対して、皆様に感謝を申し上げながら、私のメッセジを終わりにしようと思います。
皆様と皆様の御家庭に神様の導きと祝福が共にあることを祈ります。御静聴いただきありがとうございました。
10.二十一世紀における半島国家の役割
平和経 第九篇 国境線撤廃と世界平和
10.二十一世紀における半島国家の役割
日付:一九九六年八月二十日
場所:韓国、ソウル、シェラトンウオーカーヒルホテル
行事:「世界平和半島国家連合」創設大会
尊敬する議長、全世界からお越しの貴賓、韓国各界の代表、ならびに紳士淑女の皆様。人類の福祉と平和世界の実現のための皆様の労苦に称賛の意を表します。また、私の祖国である韓国の地を訪ねてくださった皆様を歓迎いたします。二十一世紀まで四年を残した現時点において開催される今回の会議が、人類に平和世界に対する確実な希望を与えてくれる意義深い討論の場となることを願いながら、人類の究極的な理想と世界平和実現に対する私の考えを表明することにいたします。
私は、世界の主要強大諸国が、理念と資源をめぐる戦争を起こすことによって、多大な苦痛を受けた韓半島で育ちました。私は幼いときから人生と宇宙の根本的な疑問に対する答えを探そうと尽力してきました。生きておられる神様を体恤によって知り、また、その神様が歴史の中で人類と共に歩んでこられた真の愛の主人であられることを知りました。罪と矛盾と闘争に満ちあふれたこのような世界を、神様が計画し、創造したとは、私には信じられませんでした。
今ここで青少年期の経験を長々とお話しする時間はありません。ただ、私の青少年時代は、真理の探究のために没頭し、身もだえする生活だったことを申し上げておきたいと思います。私が究明した、統一教会の教理解説書である『原理講論』は、平凡に得られたものではありません。「原理」の根本は、胸の痛む祈祷の中で、イエス様をはじめとする霊界の聖賢たちとの交流はもちろんのこと、神様との深い交流によって探し出したものです。妨害するサタンとの血闘戦で得た勝利の結実です。私は、この「原理」の教育と実践によって人類を指導するために、緊張の中で生涯の一瞬一瞬を捧げています。「原理」は世界百八十四ヵ国に伝播され、人をして、生きた神様と生命ある関係を結ばせ、その人生を変化させています。
私たち人間は、神様によって創造されたので、神様と関連した夢と理想世界に向かうことを熱望する心をもって生まれました。いかなる悲惨な環境の中でも、人間は理想的な平和世界に向かう希望を捨てません。「理想世界」というときの「理想」とは、原因者であられる神様に由来したものです。神様は、権力や栄光、または富のために世界をお造りになったのではありません。神様には、権力、栄光、富に対する欲望はありません。絶対、唯一、不変、永遠であられ、万有の原因者であられる神様は、これらすべてを、既にもっておられるからです。
しかし、神様がいかなる欲望ももっておられないと考えるのは正しくありません。神様は真の愛の本体としていらっしゃいます。神様も愛を体恤されるためには相対が必要です。愛とは、主体と対象の関係、すなわち相対と関係を結んでこそ可能な経験であり、喜びだからです。いかなる存在も、一人孤立して愛を感じることはできないのです。神様も例外ではありません。神様の創造の動機は、真の愛とその対象である真の人です。神様は、御自身と自由に愛を与え合うことのできる存在として人間を創造されました。人間は神様の完全な愛の対象体として造られたのです。人間は、神様の息子と娘です。創造主である神様は、人間の真の父母であられます。
神様は、アダムとエバが真の愛を中心として純粋に成長し、真の人になることを願われました。神様は、彼らの外的で生物的な成長のための足場として、美しく繊細に準備した環境である万物世界を創造されました。このような環境の中で、人間は成長して大人になり、発展します。
神様は、人間の内的性稟と愛の人格に、より深い関心をもっていました。彼らは、真の愛の経験を通して神様の真の愛に似て完成するのです。愛の力は、内的で非物質的な力の中で最も強力なものとして創造されました。人間はそのような愛の力を、神様の愛と神様の法度の中で体恤することによって、父母であられる神様に似るのです。
人間が無限な真の愛の主人になるためには、責任性を遵守しなければなりません。人間は、真の愛によって神様と一体となって神様に似るとき、初めて愛の完成体、完全な人格を所有するようになるのです。神様の愛が、人間の幸福と生命と理想の源泉となる理由もここにあります。アダムとエバは、神様の真の愛の中で真の男性と真の女性となったのちに、互いが真の愛によって真の夫婦となり、その次に子女をもって真の父母となるようになっていました。
人間は、成長期間を通じて神様の真の愛を段階的に体得していきます。人間は生活の中で父母の愛を通して子女の心情を感じ、兄弟の愛を通して兄弟の心情を感じ、夫や妻の愛を通して夫婦の心情を感じ、子女を通して父母の心情を体恤するようになっているのです。この四つの愛と心情がとどまる基台が家庭です。
ですから、家庭は人間の愛と幸福と生命と血統の基地になるのです。家庭以外には、いかなる所でも四つの愛と心情を学び、体恤することはできません。愛は経験を通して感じ、知るものだからです。人間個々人や家庭、社会、国家や環境の完成は、家庭の中における真の愛の具現を根拠としています。
世界の現実はどうでしょうか。人類は、技術の発展によって生活が便利になったにもかかわらず、人間性を喪失するなど深刻な危機を迎えています。戦争と葛藤、暴力と犯罪、そして麻薬など、ありとあらゆる病弊が人類を不安にさせています。さらに深刻なことは、若者たちの性道徳が急激に崩れ、離婚率が急増し、幼い未婚の母の問題と家庭破壊が人類社会の根底を崩しています。
人々は、様々な面において平和と幸福を追求し続けてきましたが、満足できる成果を得ることはできませんでした。第一次、第二次世界大戦が終わり、戦争を防止するために創設された国際連盟と国際連合の二大機構が、全世界的な活動を展開してきたにもかかわらず、いまだに平和世界は訪れていません。
宗教団体の努力でも幸福な世界は実現しませんでした。また、国際共産主義の理想やファシズムの夢でも理想世界の実現は失敗しました。高度の技術も、政治的な努力も、人類に平和と幸福をもたらすことはできませんでした。これは、人間の不幸と苦痛の根源が、神様に背いた堕落に由来しているのに、その根源から問題を解こうとしなかったからです。
アダムとエバは、性関係を結ぶことによって神様の原理から離れるようになり、真の愛の中で自ら成長する前に子女をもつようになりました。アダムとエバは、神様を不信し、結果的にサタンに従って偽りの夫婦、偽りの父母となることによって、人類歴史が出発したのです。彼らの子孫が、神様の創造理想とは関係のない、罪と戦争と苦痛の中で生きることになるという結果を招来したのです。神様の心情は、どれほど悲しみに打ちひしがれたことでしょうか。
神様は何としても、本来計画された真の愛と平和の理想を回復されなければなりません。神様の救援摂理は、原状復帰の摂理、すなわち復帰摂理です。このような復帰摂理のために宗教を立てられ、善の版図を広げてこられました。
神様が送られるメシヤは、この復帰摂理を完結させる全責任を負って来られる方です。したがって、メシヤは真の父母として来られ、根本から正して回復しなければなりません。メシヤとして来られたイエス様は、真の父母の使命をもってこられました。彼は地上において、人類を真の愛で重生させ、真の人、真の夫婦として回復させ、真の父母となるようにするために来られたのです。不幸にも、彼は地上の不信によってみ旨を完全には果たすことができずに、逝かれながら再臨を約束されました。真の父母として再び来られ、神様の創造理想を完全に回復しなければならないからです。
イエス様はユダヤの地にお生まれになりましたが、ユダヤだけのためのイエス様ではありませんでした。メシヤであり、真の父母の立場で来られたイエス様のみ旨は、地上に神様の理想、すなわち真の愛の平和世界を実現することでした。当時、ユダヤはローマ帝国の属国でした。イエス様のみ旨がユダヤを基盤として成就され、さらにローマを経て世界まで成就されることを願われる神様の摂理があったのです。
私たちは、海に囲まれた半島国家が歴史的に貴重な文明を花開かせたことを知っています。偉大な宗教理念や思想の多くが半島国家で発生し、人類の精神世界を指導してきました。バルカン半島で発生したギリシャ哲学、イタリア半島で花開いたキリスト教文化、インドのヒンドゥー教文化と哲学、アラビア半島のイスラーム文化、東南アジア半島で結実した仏教文化、イベリア半島での航海術、スカンジナビア半島でのノルマン文化などがそうです。このように、半島国家は世界文化史に最も大きな影響を及ぼしました。
人類歴史において文明が発展していく流れを見ると、河川流域から発生した古代大陸文明は、ギリシャ、ローマ、イベリアなどの半島文明に移動していきました。その半島文明は、イギリスを中心とした島嶼文明に移り、その島嶼文明は再びアメリカを中心とした大陸文明を経て、日本の島嶼文明に戻ってきました。今この文明の巡礼は、韓国において半島文明として結実しなければならないと見るのが摂理観です。
別の方面から見ると、ナイル川とチグリス川など河川沿岸の古代文明が、ギリシャ、ローマ、スペインなどの地中海を中心とした文明へと移りました。その文明は再び、イギリスとアメリカに続く大西洋文明へと移り、この文明はまた、アメリカ、日本、韓国をつなぐ太平洋文明として結実するようになります。イタリア半島で結実して世界化されることがメシヤのみ旨だったので、イエス様の再臨、すなわち真の父母の再臨によって摂理の中心にならなければならない所は、半島国家である韓国であるとみるのです。
地球は陸地と海洋から成り立っています。海は、最も単純な生命が誕生して以来、母の役割を果たしてきました。このように、海は、養育し、抱いてくれるので、女性を象徴し、陸地は男性を象徴すると考えることができます。したがって、海洋に位置する島嶼国家は女性を表す国家であり、大陸国家および大陸に連なっている半島国家は男性を表す国家だと言うことができます。
特に半島国家の国民には、大陸と海の両面からの敵に備える生活から生まれた強靭さと勇猛さがあります。また、開拓し、探険する進取の気質に富んでいるので、きらびやかな文化を花咲かせ、またそれを世界に伝播するようになったのです。新たに千年を迎えなければならない時点において、半島国家は、摂理的に貴重な使命を果たさなければならない国々です。これらの国は、これまで世界文化に寄与した功労と共通した経験を半島国家連合として結集し、平和世界を実現するために先導的役割を果たさなければなりません。
尊敬する指導者の皆様。今まで私は、人類が平和世界で幸せに暮らすことのできる道を教えてきただけではありません。困難な開拓を行い、平和世界を実現するための様々な組織を創設しながら、多大な支援によって育成しています。「世界平和連合」、「世界平和宗教連合」、「世界平和女性連合」、「世界平和青年連合」、「世界平和学生連合」、「世界平和教授アカデミー」、「世界平和島嶼国家連合」などは、すべてこのような目的のために創設された組織です。今回、「世界平和半島国家連合」を創設するのも同じ目的です。
人類の幸福と平和理想を実現するには、多くの障害があります。政治的、経済的利害関係の衝突をはじめ、様々な否定的要因が数多くあります。その要因の中で最も根本的なものは、人間が自己の中で心と体が衝突を起こし矛盾していることです。長い人類歴史を通して、この心と体の葛藤は、完全に解決されたことはありませんでした。人間始祖の堕落の結果が、このように深刻で悲惨なのです。
自らの内に矛盾と葛藤をもった人たちが家庭を形成しているので、その家庭が完全に和合一体を完成することができるでしょうか。特に、真の愛による心情の完成的な体恤もなしに、愛の責任性も忘却したまま、倫理、道徳の完全な基準を立てられないとき、家庭は揺れ、破壊されるのです。家庭が壊れるのに、平和な社会、国家、世界を期待できるでしょうか。
私は、去る七月三十日から八月一日まで、アメリカの首都ワシントンDCで「世界平和家庭連合」創設大会を開きました。ジェラルドフォード、ジョージブッシュの二人の元アメリカ大統領をはじめ、四十ヵ国の元現職国家元首および首相と世界の百二十ヵ国以上の代表が一堂に会し、歴史的な世界大会を開催したのです。これは、これまで私が、真の愛の平和世界実現のために生涯を捧げて築いた世界的な組織と基盤の上に創設した、最も貴い機構です。
今日、人類は、神様の真の愛の中で心と体の調和、一体を完成することによって、本然の人間性を回復しなければなりません。人類は純潔運動と真の家庭実践運動を通じて、永遠の幸福の基盤を築かなければなりません。そのためにこの機構をつくったのです。
神様の経綸と歴史の帰趨を見ると人類は、国境と人種を超越し、神様を真の父母として侍って生きていく巨大な一つの家族です。一つの世界家族として、一つの囲いの中で調和して協力すべき運命共同体なのです。これ以上、隣人と他国の困難が私と無関係ではあり得ない時代が来ました。
私たちは、人類が戦争と犯罪、麻薬と暴力、環境汚染と生態系の破壊、倫理の退廃とエイズなどに巻き込まれ、落ちていくのを傍観することはできません。これから私たちは、神様と歴史の前に応えなければなりません。大きく和合して一つにならなければならない人類が、何をもって、どのように現実を克服し、迫りくる新千年紀を希望の中で迎えることができるでしょうか。
そして、個体や自国の利益を超えてために生き、信頼しながら生きる平和世界を形成し、またこれを支える新しい価値観をどのようにして確立するのでしょうか。科学技術の燦爛たる楼閣の上で、人本主義の眼鏡をかけて偶像崇拝に誘惑されるのではなく、本心の扉を開けて謙虚に答えを探さなければならないのです。地上で見いだせなければ、天から来る声を通して解決しなければなりません。
今回の皆様の討議が、平和世界の夢を実現するために、大変有益で意義のある会議となることを願います。皆様と皆様の御家庭に神様の御加護がいつも共にあることを祈ります。
11.二十一世紀における大陸国家の役割
平和経 第九篇 国境線撤廃と世界平和
11.二十一世紀における大陸国家の役割
日付:一九九六年八月三十日
場所:アメリカ、ニュージャージー州、シコーカスヒルトンホテル
行事:「世界平和大陸国家連合」創設大会
尊敬する北アメリカの代表であられる参加者の皆様、そして紳士淑女の皆様。人類の福祉増進と平和世界の実現のための皆様の労苦に、心からの感謝をお捧げいたします。
私は、二十世紀も残すこと四年余りという現時点において、この会議が、平和世界のための私たちの希望を明快にして拡大させる、有益な討論となることを願います。私はまず、世界平和実現と究極的な人類の理想に対する私の見解を皆様と共有したいと思います。
私は韓半島で育ちました。韓国民族は、理念と資源の問題を中心とした世界の列強たちの角逐(かくちく)により、多くの苦痛を受けました。幼年期以後、私は人生と宇宙の根本問題に対する答えを探すため、必死の努力を続けてきました。そして、神様に対する私の経験を通し、生きておられる神様を知りました。
また、神様が歴史の中で人類と共に摂理される真の愛の主人であることを知るようになりました。私は、神様が罪悪と対立、戦争がはびこる世界を計画し、創造したとは信じられませんでした。青年時代の経験について長々とお話しする時間がありませんので、きょうは簡潔に、その当時の真理追究に対する私のあふれんばかりの情熱についてお話ししたいと思います。
私は、「統一原理」として知られている統一教会の教えをこの地上に提示しました。しかし、このような教えは簡単に得られたものではありません。言うまでもなく、私は神様と霊界にいるイエス様、そして多くの聖賢たちと祈祷による十分な交流を通して原理の真髄を伝授されました。その啓示は、サタンとの決死の闘争を通して得られたものです。
私は、このような「統一原理」を教え、実践することに、自らの全生涯の一瞬一瞬を捧げてきました。そうして、「統一原理」に触れ、「統一原理」を通して生きている人たちが、今や百八十四ヵ国に広がっています。「統一原理」は、これに触れた人たちに、生きて働かれる神様と新しい関係を設定させることによって、人々の人生を変化させています。
神様によって創造された私たち人間は、私たちの夢を成就し、神様との関係性の中で理想世界を実現する内的な希望をもって生まれました。それだけでなく、最も困難な条件下にあっても、人間は絶対に理想世界と平和世界のための希望を捨てません。私たちが理想世界について語るとき、私たちは、神様こそがその理想という概念の根本であることを知らなければなりません。
神様は、富と権力、名誉のために世界を創造されたのではありません。絶対、永遠、不変であられ、すべての存在の根源であられる神様は、既にそれ自体で満ち足りている存在なので、このようなものは必要ではないのです。しかし、神様は御自身の望みすべてが、既に満たされていると言うことはできません。
神様は、真の愛の本体として存在しているので、私たち人間と同様に、愛を与えたり、受けたりする対象が必要です。愛は、もっぱら主体と対象の関係があるところで経験することができます。いかなる存在も、孤立しては愛を感じることができません。
神様は、自由に愛を与え合うことのできる存在として人間を創造されました。人間は、神様の真の愛の対象となるように創造されたのです。神様は人間を御自身の息子と娘として創造したというのです。ですから、神様は私たち人間の真の父母です。神様が最初の男性であるアダムと最初の女性であるエバが、真の愛を中心として純潔なままで成長することを願われました。神様は、アダムとエバが真の人となることを望まれました。神様はこのように美しく奥妙な自然世界を、すべての生命が成長できる環境として創造されました。そして人間は、このような環境の中で成長したのです。
しかし、神様の主な関心は、人間の内的な人格の成長にありました。真の愛を経験することにおいて、神様は私たち人間が、神様の真の愛を体恤し、完全な存在に成長するよう計画されたのです。そして、神様は愛の力をいかなる力よりも強く創造されました。天の愛と法度の領域の中で、人間をして真の愛の力を経験させることによって、私たち人間が父母であられる神様にだんだんと似ていくのです。無限な真の愛を所有するために、私たちはまず責任意識を学ばなければなりません。
人間が真の愛を通して神様と一つとなったとき、人間は、神様に似た完全な人格体として、真の愛の完全な実体となることができるのです。そのような意味から、神様は人間の幸福の本質と生命であり、理想であると言うことができます。アダムとエバは、神様の愛の中で成長し、真の個人となり、真の夫と真の妻となって子女を養育することで真の父母になるようになっていました。人生の成長段階を通し、人間は徐々に神様の愛を経験します。
個人は、父母の愛を通して子女の心情を知り、兄弟姉妹の愛を通して兄弟姉妹の心情を、配偶者を通して夫と妻の心情を、そして子女に対する愛を通して父母の心情を知るようになります。
家庭は、このような四大愛と心情圏を確立する基盤になるのです。家庭は、愛と幸福、生命、そして血統の基盤です。私たちは家庭以外のいかなる所においても、このような四大愛と心情圏を経験することはできません。私たち人間は、実際的な経験を通してのみ愛を知るようになります。個人、家庭、社会、そして環境の真の完成は、家庭の中における真の愛の実現に基づいています。
今日の世界の現実はどうでしょうか。科学と技術の進歩、そして現代生活の便利さにもかかわらず、世界は人間性の喪失という深刻な危機に直面しています。無秩序とありとあらゆる種類の暴力と犯罪、麻薬の乱用、戦争などが人類を蝕んでいます。そして、離婚率の増加、若い世代の性倫理の崩壊と十代の未婚の母問題などを含めた家庭崩壊現象が、私たちの社会基盤自体を破壊しています。
私たちは多方面にわたって平和と幸福を探し求めてきましたが、私たちの中で誰一人として、自らの人生において成就した結果に対して満足できる人はいません。第一次、第二次世界大戦後に国際連盟と国際連合が、未来に発生する葛藤を解決するために創設されましたが、このような機構の国際的な努力や活動も、平和な世界を実現することはできませんでした。
各種宗教団体の努力もまた、幸福な世界を実現することに成功していません。共産主義の理念やファシストの幻想も、一つの世界を建設することには失敗しました。高度に進歩した技術や巧みな外交術もまた、私たち人類に平和と幸福の世界をもたらすことはできませんでした。これは、人類の不幸と苦痛の原因が、正に人間の堕落と神様に対する不従順に起因しているからです。ですから、このような根本原因を除去することによって、問題は解決されるのです。
アダムとエバは、彼らの成長期間の時に真の愛を蹂躙しました。彼らは、真の愛の理想の中で成熟段階に到達する前に、不倫の性関係を結び、子女たちを繁殖することによって、神様の原理から逸脱しました。アダムとエバが、彼らの愛する父母である神様を信じず、サタンに屈伏し、堕落したことによって、人類歴史は始まりました。このような行為によって、彼らは偽りの夫と妻となり、偽りの父母となりました。最初の家庭から始まり、このように相続されたものは、堕落の負の遺産であって、葛藤と苦痛を含んでいます。このような遺産は神様の創造理想とは無関係です。それをご覧になる神様はどれほどやるせない心情だったか、想像することもできません。
しかし、神様はいかなる代価を払っても、本然の真の愛と平和の理想を復帰しなければなりません。ですから、神様の救援摂理は復帰摂理なのです。このような復帰を果たすために、神様は宗教を創始し、善の版図を広げてこられました。
神様によって送られた救世主は、正にこのような復帰摂理を完成する責任をもって来られる方です。メシヤは真の父母として来られなければならず、問題の根源から始まったすべてを聖別しなければなりません。
イエス様は、真の父母の因縁をもって来られたメシヤです。イエス様は、この地の人類を復活させるために来られました。イエス様は、人類全体を真の人間として復帰し、この人類が互いに真の夫と妻となり、真の父母となることができるようにするためでした。
ところが、不幸にもイエス様は、この地の人間たちの不信によって、このような目的を完全に果たすことができなかったのです。しかし、イエス様は昇天する前に、この地上に再び来るという約束をされました。ですからイエス様は、神様の創造理想を完全に復帰するために、再び来られなければならないのです。
イエス様はイスラエルで誕生しましたが、ユダヤ人のためだけに生まれたのではありません。イエス様は、救世主と真の父母の立場でこの地に来られ、神様の理想、すなわち真の愛と平和の世界を実現しようとされました。その当時、イスラエルはローマの植民統治下にいました。もしもイエス様がパレスチナ人の中で、その目的を成就していれば、その民族を通して神様のみ言が全世界に伝播されていたでしょう。
事実、アジアとアフリカ、そしてヨーロッパという三大陸の交差点に位置するパレスチナ地方は、キリスト教の歴史において初めの一世紀の間、イエス様の教えを伝播する役割を担当しました。言い換えれば、キリスト教は、南にはアフリカ、東にはアジア、そして西にはヨーロッパへと伝播されたのです。
最終的に、キリスト教は、ヨーロッパと西アジア、そしてアメリカ大陸で、その重要な位置を獲得しました。
キリスト教を通して、これらの広大な大陸は、それぞれ相対的な統一性を形成することができました。そのように統一された大陸の力は、最後には世界を支配するようになりました。
文明は、まずエジプト、メソポタミア、そして中国などの大陸で始まりました。西洋文明の中心は、ギリシャ、ローマ、そしてイベリア半島へと伝播されました。
このような半島文明は、イギリスを中心とした島嶼文明に、その輝かしい地位を明け渡したのち、再び、文明の中心は北アメリカ大陸文明へと移動し、太平洋を渡って、日本を中心とした島嶼文明へと移動しました。そして、その島嶼文明は、再び半島文明へと移動しています。ですから、文明の発展は、韓国において半島文明として結実するというのが摂理的見解です。
半島文化は、主要な文明として成長しました。偉大な宗教や哲学、思想などが、人類の精神の領域を導くために半島文化から現れました。バルカン半島から現れたギリシャ哲学、イタリア半島で開花したキリスト教文化、インド半島のヒンドゥー教哲学と文化、アラビア半島で起こったイスラーム文化、東南アジア半島で隆盛した仏教文化、イベリア半島の航海術、そしてスカンジナビア半島のノルマン文化などを含んでいます。このような半島文化は、大陸に根を下ろすようになりました。ギリシャ、ローマとイべリア文化はヨーロッパとアメリカで隆盛し、イスラーム文化はアフリカとアジアに伝播されました。
また、別の観点から見るとナイル川と黄河、ユーフラテスとチグリス川のような主要な河畔を中心として発達した文明は、地中海沿岸とギリシャ、ローマと北ヨーロッパ地域を中心とした文明にそのバトンを渡しました。その中心は、北アメリカ、フランス、イギリスなどの国家を中心とした大西洋文明へと再び移動しました。究極的に文明は、北アメリカと日本、そして韓国を中心とした太平洋文明として結実するでしょう。モーセ、ゾロアスター、釈迦、老子、孔子、イエス様を含めた歴史的に主要な宗教の創始者たちは、大陸に現れました。イエス様を通して啓示された神様のみ旨は、アジア大陸にあるイスラエルで確立され、半島国家であるローマの影響力を通してアメリカとギリシャ、そしてアジアなど、世界に達することができました。
今日、世界的な力の核心は、北アメリカとアジアにあります。イエス様の再臨に対する神様のみ旨は、これらの大陸国家が、イエス様が再臨する所、真の父母が来られる、正にその場所である韓国を基盤とし、全世界のために完全に投入するとき、初めて成し遂げられるのです。
地球の表面は、陸地と海で構成されています。私は、海が母の役割をするものであると考えます。海において、生命の最も簡単な形態が現れました。海が生命と養育の要素、そして包容性を与えることから女性の特性を象徴しているとすれば、陸地は男性の特徴を象徴していると言うことができます。このことから、海に囲まれた島嶼国家は女性を象徴し、半島国家を伴っている大陸国家は男性を象徴していると言えます。
特に、半島国家の人々は、大陸と海から押し寄せてくる敵たちに対抗することで、強靭さと勇気を培ってきました。このような先駆的で冒険的な精神のもとに、彼らの輝かしい文化が開花し、成長、発展しました。一方、大陸国家の人々は、忍耐力を培ってきました。彼らは、広大な自然環境を開拓してきました。そして、世界の様々な文化から孤立し、多くの世代を経てきた大陸の人々は、地に対する永久的で不変的な価値を付与してきました。そのような意味から、島嶼、半島、大陸の国家の人々が、互いに正しい関係を確立することが、世界平和の実現に貢献できる道なのです。
新しい千年を迎え、大陸国家は摂理的に重要な使命を完遂するために召命されました。大陸国家は、共通した経験とともに、世界のために貢献する大陸国家の力を「世界平和大陸国家連合」に結合させることによって、大陸国家が平和世界の実現において、中枢的な役割を果たすことができるようにしなければなりません。
尊敬する指導者の皆様。しかし、私は、ただ人類が平和な世界で幸福に暮らすことについてお話しするだけでは満足していません。
私は、このような目的を実現するために、実体的な組織を創設しました。「世界平和連合」、「世界平和宗教連合」、「世界平和女性連合」、「世界平和青年連合」、「世界平和学生連合」、「世界平和教授アカデミー」、「世界平和島嶼国家連合」、そして「世界平和半島国家連合」などを創立するに当たって、非常に多くの霊的な支持を受けています。「世界平和大陸国家連合」は、このような目的に貢献するでしょう。
政治的、経済的葛藤を含めて、人間の幸福を実現するには多くの障害物があります。しかし、最も根本的な障害物は、私たち人間個々人の中にある、心と体の葛藤です。歴史を通して、心と体の葛藤が完全に解決されたことは一度もありませんでした。これは人類堕落の、深刻で悲惨な結果です。
このような側面で、内的な葛藤を抱えている人間たちは、適切な倫理と道徳的基準を立てる家庭を築くことができないので、真の愛に基づく心情世界を経験できないのです。
このような家庭が、完全な調和と統一を成し遂げることができるでしょうか。家庭単位で真の愛を実践する責任を捨てたので、今、家庭が揺れ、崩壊しつつあるのです。家庭が崩壊する中で、社会、国家、世界の平和実現の可能性はあるでしょうか。
私は、今年七月三十日、アメリカの首都ワシントンDCで「世界平和家庭連合」創設大会を主管しました。ジエラルドフォードとジョジブッシュの二人の元アメリカ大統領と四十ヵ国以上の国の元国家元首、そして世界百二十ヵ国の代表たちが、この歴史的な国際大会に参加しました。「世界平和家庭連合」は、真の愛の平和世界実現のために、私が今まで創設してきたすベての国際機構の基礎となる、最も重要な機構となるでしょう。
今日、各個人は、神様の真の愛の圏内で心と体を調和統一することによって、真の人間性を回復しなければなりません。人類は、「性」の純潔運動と真の家庭実現運動を通して、永遠の幸福の時代のために準備しなければなりません。家庭連合は、そのような使命に貢献するでしょう。
人類歴史の路程において、神様の摂理的立場から見たとき、人類は、国家と人種、そして宗教的な違いを超越し、真の父母であられる神様をお迎えして共に暮らす大家族です。
一つの単一共同体として、全人類が地球家族として、共に協力せざるを得ない運命で結ばれているにもかかわらず、私たちは、隣人と他の国々の問題に、全く関連のない時代に生きているかのような感覚をもっています。しかし、私たちは戦争、犯罪、麻薬の乱用、公害、生態系の破壊、倫理的堕落とエイズの拡散などによって苦痛を受けている人類の現実を無視することはできません。
今日、私たちをめぐる歴史の観点から、私たちは神様の声に応えなければなりません。どのようにすれば人類が完全な調和と統一を成し遂げ、不幸な現実を克服して、希望の新たな世紀を迎えることができるのでしょうか。私たちは、いかにして、個人的あるいは国家的な利害関係とは関係なしに、人を信じ、ために生きながら平和な世界を実現できるのでしょうか。このような理想を実現するための新しい価値体系とは何でしょうか。
私たちは、世俗的な人本主義に引っ張られる科学と技術に依存するよりも、私たちの本性の中で、謙遜にその答えを探さなければなりません。もし私たちが、この地でその答えを探すことができないのであれば、天の声に耳を傾けなければなりません。
私は、この大会での皆様の深思熟考が、平和世界の希望を実現する結実となることを願います。神様の御加護が皆様と皆様の御家庭に共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。
12.世界平和実現の時代を大きく開きましょう
平和経 第九篇 国境線撤廃と世界平和
12.世界平和実現の時代を大きく開きましょう
日付:一九九九年二月六日
場所:韓国、ソウル、ロッテホテル
行事「世界平和超宗教超国家連合」創設大会
全世界からお越しの各界の著名な指導者の皆様。きょうこの場で、私が発議した「世界平和超宗教超国家連合」の創設大会を挙行する運びとなったことを大変うれしく思います。
過去四十年間、私が展開してきた超教派、超宗派活動と組織の目的は、すべて神様と人間が共に願ってきた平和世界の実現でした。平和に対するビジョンは超宗派運動の核心です。
人類は、二十世紀に凄惨な世界大戦を二度も体験し、そして七十年間の無神論共産思想の横暴と冷戦時代を体験しつつ、先鋭な対決と葛藤を経験しました。冷戦時代が終息し、世界はしばし平和のための祝杯を挙げることができました。しかし、間もなく人類は、その冷戦の終わりが自動的に平和の時代へと連結されるわけではないことに気づきました。世界の至る所で、激烈な戦争が起こり続けています。今も、旧ユーゴスラビアと中東、またスーダンや南アジアなどの各地で殺戮戦が繰り広げられています。これらの紛争は、主要宗教間の根深い葛藤が背景になっていることは周知の事実です。宗派間の対話と和合がいかに重要であるかを悟らせてくれる事例です。
現代において宗教的な理想実現のための活動は、しばしば世俗権力と一定の距離を置いて行われてきました。今日の一般的な認識は、これを当然のものとして受け入れています。しかし、世界平和の理想に貢献する国際組織は、世界の偉大な宗教的伝統と自分たちとの関係を再検討すべき時になったと思います。
いかなる国際機関よりも、国際連合が良い例になるでしょう。多くの人々は、国連は世界平和のための人類の理想が制度化された組織であると思っており、これに期待をかけています。国連には、世界の問題を解決し、平和と人類繁栄を促進するために、共に働く、あらゆる国の代表者たちが集まっています。
しかし、国連で国家の代表者たちは世界平和を実現しようとする努力はしてきましたが、相当な障害を抱いています。国連を通じて得た実績や成果を否定してもいけないのですが、国連自体が改善されるべき点も多いと思われます。世界の政治家と宗教指導者が国連を中心として、互いに協力し、尊重する関係が切実に必要とされる時になりました。
本然の人間は、心と体が神様の真の愛に感応しながら一体となって生きるようになっています。心と体が闘わず、真の統一の起源を成し遂げるのは、人が神様の息子と娘だからです。神様は心と体が闘いません。絶対者である神様は、自体内に矛盾や葛藤がありません。心と体が統一体になるという人間の理想は、神様の真の愛を完全に所有するときに達成されます。「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう」(マタイ五九)という聖句も、神様を中心として心身一体の理想を成し遂げたことを前提とします。ところが、人間は堕落によって、心と体が統一調和の基準を失ってしまい、葛藤を起こしながら自己矛盾の中で生きてきました。それだけでなく、個人の中で生じる心と体の葛藤と闘争は、家庭、社会、国家と世界に拡大されてきました。兄のカインが弟のアベルを殺害した犯罪も、ここに由来しています。
歴史始まって以来、この地球上で起こったあらゆる対決と戦争は、本質的に、より悪なるカイン側とより善なるアベル側との間の闘いでした。このようなカイン側とアベル側との闘いは必ず終息し、原状に復帰されなければならず、心と体の対決も終わり、調和一体となって復帰されなければならないのです。
個人の心と体が統一されなければならない、その原理を、世界的な次元に適用、実践しなければなりません。この目的のために、私は、世界平和を具現する、心の世界を代表する「世界平和宗教連合」と体の世界を代表する「世界平和連合」などを創設しました。
人間社会で起こる諸般の問題は、単なる政治的な問題から生じるものではないので、社会的、政治的解決だけでは常に不十分です。人間社会のほとんどは政治的に統治されていますが、その一方で、大部分の国家的、文化的アイデンティティーの根底には宗教があります。実際、ほとんどの人々は、その心の中に、宗教的な忠節のほうが政治的な忠誠よりもはるかに重要であるという認識をもっています。今や宗教が、世の中でその真の指導力を発揮する時となりました。宗教人たちは、この時代の状況と様々な不正に対して責任を感じ、まずは深い自己省察をすべきであると思います。
宗教人たちは、愛の実践において模範となれませんでした。自分個人の救いや、宗派の利益にきゅうきゅうとするあまり、世の中のすべての救いに尽力できなかったことを悔い改めるべき時です。今こそ、信仰だけでなく愛の実践が要求される時です。神様は、私たち指導者、特に宗教指導者を召命していらっしゃいます。世の中の不義と罪悪に挑戦し、真の愛を施すことを願っていらっしゃいます。すべての宗教人が心を合わせて、神様の人類に対する熱望を代弁し、実行しなければなりません。
体と外的な世界を代表する政治家や外交家たちの経綸と実践だけではなく、心と内的な世界を代表する世界の宗教指導者たちの知恵と努力が合わさってこそ、平和世界が完全に達成されるのです。そのような点から、国連を再構成する問題まで深刻に考慮すべき時です。
両院制の形態をもった国連を頭に浮かべることもできるしよう。国家の代表たちで構成された既存の国連を、各国家の利益を代弁する下院と考えることができます。著名な宗教指導者と文化界、教育界など、精神世界の指導者たちで、宗教議会、あるいは国連の上院を構成することも考慮してみることができます。このとき、宗教議会は地域的な個々の国家の利害を超えて、地球星と人類全体の利益を代弁しなければなりません。両院が相互に尊重し協力し合うことによって、平和世界の実現に大きく寄与できるはずです。世界の指導者たちの政治的経綸は、世界の偉大な宗教指導者たちの知恵とビジョンにより効果的に補完できるでしょう。
私は、宗教指導者たちの道徳的ビジョンと模範となる生活が、天上世界、すなわち「あの世」にだけ向かうのではなく、「この世」で真の幸福と永続する和平の道を教育しながら、世の中の光にならなければならないと確信します。
宗教指導者たちは、もっている偉大な伝統と、神聖で貴重な知恵を相続し伝承するだけでなく、私心のない奉仕生活をする理想的な指導者にならなければなりません。宗教指導者であれ、政治指導者であれ、そうなれない最も大きな理由は利己主義です。
私は、「世界宗教議会」を継続して開催しながら、超宗教、超国家的に真の愛の教育に努めてきています。そして、昨年は、世界の宗教指導者たちが先頭に立ち、全宗教人が七数の単位の献金をして、世界平和基金をつくることに率先しようと提案しました。国家の経済事情や個人の事情によって差はあり得ますが、七ルーブルでも良く、七百万ドルでも献金することができます。全宗教人が、心を合わせて基金をつくり、この基金で平和の知恵とビジョンを教育し、また真の愛の理想と真の家庭の価値を促進するために、共に効果的に働くことができるのです。
尊敬する指導者の皆様。私たちは最高の宗教的知恵の表現が、世界の最も深刻で緊急な問題が扱われる委員会に上程される、そのようなシステムを実行するために、共に志を集めて働かなければなりません。このようなシステムは、国連機構の中に宗教指導者たちの委員会を創設することによって、つくることもできます。このような様々な目標を現実化するための最初の措置として、皆様がきょう、「世界平和超宗教超国家連合」を創設してくださることをお願いいたします。併せて、この高貴な理想を実現していくに当たって、皆様の経験と知恵、そして努力を傾注してくださることを心からお願いいたします。特に、宗教界は、ために生きる真の愛を教育することに力を注いでくださることをお願い申し上げます。
「世界平和超宗教超国家連合」が世界平和の実現に決定的に寄与することを確信しつつ、皆様と皆様の御家庭、そして、皆様の携わるお仕事の上に神様の祝福が共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。
13.世界と国連が行くべき道
平和経 第九篇 国境線撤廃と世界平和
13.世界と国連が行くべき道
日付:二〇〇〇年八月十八日
場所:アメリカ、ニューヨーク、国連本部
行事:「二〇〇〇世界平和超宗教超国家連合」総会(真のお母様)
満場の貴賓、そして高名な各界の指導者の皆様。私はきょう、このように美しく厳粛な国際連合会議場で、皆様と共に、「世界と国連の行くべき道」に対する私の情熱と所見の一端を紹介することができ、心からの感謝をお捧げいたします。
過去四十年余り、私が展開してきた超宗派、超国家の組織と活動の目的は、すべて神様と人間が共に望んできた平和世界の実現でした。平和世界に対するビジョンは、超宗派運動の核心でした。
人類は、二十世紀に凄惨な世界大戦を二度も体験し、そして七十年間の無神論共産思想の横暴と冷戦時代を体験しつつ、先鋭な対決と葛藤を経験しました。冷戦時代が終息し、世界はしばし平和のための祝杯を挙げることができました。
しかし、間もなく人類は、その冷戦の終わりが自動的に平和の時代へと連結されるわけではないことに気づきました。世界の至る所で、激烈な戦争が続いており、今も様々な所で殺戮戦が繰り広げられています。これらの紛争は、主要宗教間の根深い葛藤が背景になっていることは周知の事実です。宗派間の対話と和合がいかに重要であるかを悟らせてくれる事例です。
現代において宗教的な理想実現のための活動は、しばしば世俗権力と一定の距離を置いて行われてきました。今日の一般的な認識は、これを当然なものとして受け入れています。しかし、世界平和の理想に貢献する国際組織は、世界の偉大な宗教的伝統との関係を再検討すべき時になったと思います。
いかなる国際機関よりも、国連が良い例になるでしょう。多くの人々は、国連は世界平和のための人類の理想が制度化された組織であると思っており、これに期待をかけています。国連には、世界の問題を解決し、平和と人類繁栄を促進するために、共に働く、あらゆる国の代表者たちが集まっています。
しかし、国連で国家の代表者たちが世界平和を実現しようとする努力には、相当な障害があります。国連を通じて得た実績と成果を否定してもいけませんが、国連自体が改善されるべき点も多いと思われます。世界の政治家と宗教指導者が国連を中心として、互いに協力し、尊重する関係が切実に必要とされる時となりました。
本然の人間は、心と体が神様の真の愛に感応しながら一体となって生きるようになっています。心と体が闘わず、真の統一の起源を成し遂げるのは、人が神様に似たその息子と娘だからです。神様は心と体が闘いません。絶対者である神様は、自体内に矛盾や葛藤がありません。
レバレンドムーンが展開してきた超宗派超国家活動
心と体が統一体となるという人間の理想は、神様の真の愛を完全に所有するときに達成されます。「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう」(マタイ五九)という聖句も、神様を中心として心身一体の理想を成し遂げたことを前提とします。
ところが、人間は堕落によって、心と体が統一調和の基準を失ってしまい、葛藤を起こしながら自己矛盾の中で生きてきました。それだけでなく、個人の中で生じる心と体の葛藤と闘争は、家庭、社会、国家と世界に拡大されてきました。兄のカインが弟のアベルを殺害した犯罪も、ここに由来しています。
歴史始まって以来、この地球上で起こったあらゆる対決と戦争は、本質的に、より悪なるカイン側とより善なるアベル側との闘いでした。このようなカイン側とアベル側との闘いは必ず終息し、原状に復帰されなければならないだけでなく、心と体の対決も終わり、調和一体となって復帰されなければならないのです。
個人の心と体が統一されなければならない、その原理を、世界的な次元に適用、実践しなければなりません。この目的のために、私は、世界平和を具現するに当たって、心の世界を代表する「世界平和宗教連合」と体の世界を代表する「世界平和連合」と「世界平和島嶼半島大陸国家連合」を創設したのであり、また二つの世界の調和のための「世界平和超宗教超国家連合」などを創設しました。
人間社会の諸般の問題は、根源的に、単なる政治的な問題ではないため、社会的、政治的解決だけでは常に不十分です。人間社会のほとんどは政治的に統治されていますが、その一方で、大部分の国家的、文化的アイデンティティーの根底には宗教があります。実際、ほとんどの人々は、その心の中に、宗教的な忠節のほが政治的な忠誠よりもはるかに重要であるという認識をもっています。
今や宗教が、世の中でその真の指導力を発揮する時となりました。宗教人たちは、この時代の状況と様々な不正に対して責任を感じ、まずは深い自己省察をすべきであると思います。宗教人たちは、愛の実践において模範になれませんでした。自分個人の救いや、宗派の利益にきゅうきゅうとするあまり、世の中の救いに尽力できなかったことを悔い改めるべき時です。
今こそ、信仰生活だけでなく、愛の実践生活が求められる時です。神様は、私たち指導者、特に宗教指導者を召命していらっしゃいます。世の中の不義と罪悪に挑戦し、真の愛を施すことを願っていらっしゃいます。すべての宗教人が心を合わせて、神様の人類に対する熱望を代弁し、実行しなければなりません。
体と外的な世界を代表する政治家や外交家たちの経綸と実践だけではなく、心と内的な世界を代表する超宗教指導者たちの知恵と努力が合わさってこそ、平和世界が完全に達成されるのです。そのような点から、国連を再構成する問題まで深刻に考慮すべき時です。両院制の形態をもった国連を考慮することもできるしょう。
国家の代表たちで構成された既存の国連を、各国家の利益を代弁する下院と考えることができます。一方、著名な超宗教指導者など、精神世界の指導者たちで、宗教議会、あるいは国連の上院を構成することを、深刻に考慮していただくことをお願いします。このとき、超宗派的な宗教讓会は、地域的な個々の国家の利害を越えて、地球星と人類全体の利益を代弁しなければなりません。
そして両院が相互に尊重し協力し合うことによって、平和世界の実現に大きく寄与できるはずです。世界の指導者たちの政治的な経綸は、世界の偉大な超宗教指導者たちの知恵とビジョンにより効果的に補完できるでしょう。
世界は、今も国境線を中心とした衝突地域が増えつつあります。このような紛争地域によって、世界は途方もない人命被害を被っており、数十億ドルに達する戦争費用と平和維持費を注ぎ込んで、あまりにも多くの資源と努力を消耗しています。しかし、どれ一つとして満足に解決の進展を見せる所はありません。
私はこの場で、国家を代表する国連と超宗教の指導者たちが心を合わせ、すべての国境地帯に平和地区をつくることを提案する次第です。山や川、あるいは平原や海を問わず、国境線と紛争地域の付近一帯を緩衝地区、すなわち平和地区にするという案です。
その場所は、国連の直接的な統治と管轄下に置くようにし、全世界から平和定着のために集まってきた人々が暮らせるようにするのです。国連は、そこが国連の創立趣旨と引き継がれてきた平和宣言の内容に符合する、最も模範的な地域となるように指導しなければなりません。
このような平和地区は、平和と繁栄、そして和解のための安息所です。そして、人種や性の差別がなく、人権の侵害や戦争から解放された典型的な地域です。さらにそこは、生態学的にも環境的にも、万象にとって楽園のような場所にならなければなりません。
このような平和と自由、生態学的な調和を追求する地域を確定するためには、該当国家が国土の一部を提供しなければならないという問題があります。私は、この提案に対して陣害となる実質的な問題点を解決するために、少なからぬ努力を傾けてきました。
私は、「冷戦体制の犠牲となった韓半島の分断と戦争には、摂理的な意味がある」と教えてきました。朝鮮戦争は、平和守護のために世界十六ヵ国の若者たちが国連の旗のもとで血を流した、歴史上類例のない聖戦になりましたが、いまだに平和統一は、未解決の課題として残されています。私が、摂理観に立脚して、平和世界の実現のための国連の厳粛な使命を考えるのも、このためです。
去る六月から進展した韓国と北朝鮮の和解と協力のムードが、このまま続いていくことを切に願います。南北が対峙してきた、韓半島の百五十五マィルの軍事境界線周辺の緩衝地帯すべてを、国連の管轄下の平和地区とし、そこに、人類が教訓を得ることのできる展示館と博物館、教育の場と平和公園をつくることに、国連が先頭に立ってくださるようお願いします。
私は、現在、南米のメルコスール(南米共同市場)地域に、約百二十万へクタールに達する肥沃な土地を準備しつつあります。国連の平和地区設定によって喪失した国土の代わりに、これを補償するためです。韓半島の南北の指導者たちに、その一部を寄付すると通告もしました。
私は、このような内容を明らかにすると同時に、心ある世界の指導者たちが、私の提示した趣旨に同参してくださるよう訴えるものです。そして、私と共に、国連管轄区域となる平和地区の確保のために、自らの土地と基金を喜んで寄付してくださるよう願ってやみません。平和地区は、国連の指導下で、自然と人間が共存する理想的な道義社会として建設されるでしょう。
私は、既に二年前の一九九八年十二月に、「対話を超えて実践に向かう超宗教的理想の実現」という主題で開催された国際会議の席上で、世界の宗教指導者たちが集まる中、「世界平和基金」の創設を提案したことがあります。この時に参加したすべての宗教指導者たちは、世界の宗教者がまず世界平和のための基金の募金に率先する意味で、七数に該当する寄付金を出す運動を展開することを決議しました。
各個人と国家ごとに、各々経済的な状況が違うので、ある人は七ドルを出すのも精いっぱいかもしれませんが、七百万ドルを寄付する人もいるでしょう。
この世界に生きている、すべての宗教者が心情的に一つになるならば、基金の募金に積極的に同参するでしょう。そればかりでなく、このように集められた基金によって平和地区を造成し、平和に対する理想と知恵を教えることに用いることができるでしょう。
国連は、宗教者だけでなく、すべての国々に対して、毎年、自発的に平和基金を納付するように指導できるでしょう。富裕な博愛主義者や経済界の指導者、企業人をはじめとして、各界各層の指導者や団体、そして個人たちも、国連平和地区の建設に積極的に加担し、世界的な平和ムードの造成と募金運動をする上で、先頭に立たなければなりません。
私は、国連の上院の使命を果たす超宗教的な宗教議会の基盤とするために、「世界平和超宗教超国家連合」を創設しました。各国家から超宗教的な大使が、既存の大使と共に国連に派遣され、宗教議会、すなわち国連の上院を構成するのです。
超宗教的な理解と修練や、超国家的な平和理想を指導すべき国連の上院議員たちが担当する任務は、狭い視野で特定の国家の利益のみを代弁しようとすることとは正反対になるのです。彼らは、絶対者である神様のみ旨に従って、世界と人類全体の平和理想のための任務を遂行するようになるのです。
国連の上院議員となった超宗教大使は、一旦派遣されたら、それ以降は、国連の世界的なビジョンと議題を代弁できる、全地球星的な業務を遂行しなければなりません。そのような意味で、国連の国際大使とも言えます。
このような国連国際大使は、既存の国連大使と共に、世界のどこに赴いても、平和と福祉社会の具現のための共同運動を代表するようになるでしょう。また彼らは、地球上のあらゆる国で、正義、安全、平和の高い理想を守る、良心の守護者の役割を果たすようになるでしょう。
このような措置は、世界の市民たちと青少年たちに、希望とともに、愛と平和を追求する理想的家庭の安着を、直接確認する機会を提供するでしょう。選出された超宗派超国家的な大使は、各国の後援のもとに展開されている健康、教育、福祉厚生事業などの理想的なプロジェクトが、積極的に遂行されているかどうかも点検できるでしょう。
私は、様々な団体と組織を通じ、宗派と国籍を超越して、真の愛の教育を絶えず展開してきました。このように絶えず投入し、対話と和解の努力を展開した、過去数十年の歳月を通し、人類が一つになるための最も堅固な基礎は、正に真の家庭の理想から始まる、普遍的かつ核心的な愛であることが明確なものとなりました。
このような内容を土台として、私は、今から国連に属するすべての機構および組織の活動を促し、三つ目の提案をしようと思います。国連を率いている上位の政策を決定する人たちが、国連で定められた規定に従って、世界的な公認の日を制定することです。
私は、国連が「児童の年」、または「平和文化の年」のような多様な宣言的な日と十年周期の記念日を制定していることを知っています。私が勧めようとするのは、意義のある国連公認記念日を制定して、世界が毎年、その日を記憶し、記念するようにしようというものです。
すなわち、「真の父母の日」を制定し、世界的な祝祭の日として記念し、同時に、「真の家庭の日」を二つ目の世界的な記念日として制定することを提案する次第です。人種と宗教、文化を超越して、誰もが愛することができ、大切にできるこのような日を、みな一緒に祝うことによって、人間としての共通した真の根を確認し、真の家庭の大切さを確認できるようになるのです。併せて「国連軍の日」を制定し、国連の正義と平和維持軍の神聖な使命を宣揚するようになることを願います。
尊敬する指導者の皆様。私たちは今、一緒に心を合わせて努力し、宗教と世の知恵の中にある高貴な内容が、緊急で深刻な問題が存在する世界で援用され、適用されるよう、体制と組織を補完していかなければなりません。
このような体制は、超宗教指導者で構成された協議体が、国連の政治指導者および外交官たちと協力し、共同の歩調を取ることで成し遂げることができるのです。「世界平和超宗教超国家連合」は、絶対者と超越の世界(霊界)、そして永生と霊魂の問題に対する正しい指導とともに、このような目標のために献身していくでしょう。さらに、平和のための国連の努力に添って進み、神様を父母として迎える人類が一兄弟となって、宇宙一家庭を形成する、そのような永遠の愛と和楽の天国、神様の祖国を成し遂げていくでしょう。
専門識見と経験、そして知恵を備えた世界の指導者と国連関係者の方々は、私の提示したこのような理想をいかに補完していくべきかについて、よく御存じであると思います。
国連をはじめとする政府機構が、これを成し遂げられないときは、NGO(非政府機構)などの民間組織を通してでも、このことを必ず成し遂げるようになるでしょう。私たちが持続的な努力によって協力していくならば、必ずや地上に平和と幸福の理想が実現されるでしょう。
神様の祝福が、皆様の携わるお仕事と国連の上に、共にあることをお祈りいたします。ありがとうございました。
14.国境線撤廃と世界平和
平和経 第九篇
国境線撤廃と世界平和
14.国境線撤廃と世界平和
日付:二〇〇〇年八月十八日
場所:アメリカ、ニューヨーク、国連本部
行事:万国平和賞授賞慶祝晩餐会
尊敬する内外の貴賓の皆様。きょう、私は、世界平和の殿堂である国連において名誉ある「万国平和賞」を受け、この受賞の栄誉を皆様と共に分かち合う意義深い場をもつことができ、心から感謝申し上げます。私は、この場をお借りして、「国境線撤廃と世界平和」と題し、しばらくお話しし、それをもって挨拶の言葉に代えさせていただきたいと思います。
皆様。この世界にあるすベての国境線を撤廃すれば、平和の世界は自動的に到来するでしょう。しかし、私たちが記憶しなければならないことは、国境線の主人は誰かというと神様ではないという事実です。国境をつくり始めた主人は悪魔サタンなのです。
国境のあるところには、必ずサタンが潜んでいることを知らなければなりません。悪魔と悪魔の実体が潜んでいるのです。東洋と西洋も文明圏を中心として、互いに大きな国境線ができていますが、そこに誰が潜んでいるかというと悪魔が潜んでいるのです。
文化の背景、伝統の背景、人種差別といった、あらゆる種類の差別をつくり、国境線をつくったのは、神様ではありません。神様が願われるのは、統一の世界です。すなわち一つの世界です。そのような世界は国境のない世界です。神様には国境がないので「敵を討ちなさい!」という言葉は語ることができません。なぜならば、その言葉の中には国境が内在しているからです。
しかし、怨讐を愛して一つになれば、国境が崩れていくのです。ですから、神様の戦略戦術は「怨讐を愛しなさい!」ということなのです。「怨讐を愛しなさい」という言葉は、偉大な戦略戦術の内容だったということを、人類歴史は知らなかったのであり、現在生きている人間たちも知らずにいます。
しかし、このように歴史が知らず、現実が知らずにいる神様の戦略戦術を、今や統一教会の教会員たちは、歴史と現実を代表して知ることができ、またそれを相続し、実践できる人になったので、自動的に平和を成し遂げる主人公になったのです。
皆様は、どのように思われますか。国境は、皆様の心が好まないところにも生じ、体が好まないところにも生じ、自分の行動が好まないところにも生じ、自分の言葉が好まないところにも生じるのです。私たちが五官を通して心と体が一つになることができなければ、様々な国境が生じるということです。私たちは、どれほどたくさんの国境をもって暮らしているか、考えてみなければなりません。また「怨讐を退治しなさい。国境をつくるものを処断しなさい!」と言えば、目を抜いてしまわなければならない場合もあるでしょう。
目も二種類からなっています。「あれも良く、これも良く、何でも見えるものは歓迎だ」と言うならば、その目には巨大な国境ができるのです。皆様が聞くことも同様です。善なる良いみ言や真理のみ言を聞くことを好むかと思えば、世の中の邪悪な言葉を聞いてそこに同調するようになれば、皆様の耳にも国境が横たわるようになるのです。
統一教会では流行歌を歌うことは禁じていません。問題は、名曲を歌おうと流行歌を歌おうと、その歌の内容を消化できるかできないかにかかっているのです。その歌を歌って国境をつくるのか、それとも国境を撤廃するのか、ということが問題であるという意味です。国境をなくして神様が喜ぶ無制限の橋を架けることができると言える人は、流行歌を作ろうと、悪い言葉を語ろうと、何をしようと、問題にならないのです。
ですから、自分のすべての五官を通して感じる感覚や、あるいは歴史的な伝統を通して何かを残し、今生きているこの生活環境に国境があるときには、サタンの一族に属するのです。
その反対に、「どこにも国境はない!」というときには、神側になるのです。サタンが国境をたくさんつくる大王であるならば、神様は国境をなくす大王です。すなわち、神様は、国境が最も嫌いである大王陛下なのです。
皆様。それでは、大韓民国に休戦ラインがあるのを歓迎する人がいるとすれば、その人を神様が好まれる人でしょうか。それとは逆に、休戦ラインをなくそうという人がいるならば、その人が神様の最も好まれるチャンピオンになるのです。韓国のすべての人、すなわち七千万人が、「私は死んでも休戦ラインを残しては死なない!」という覚悟をして暮らすならば、韓国の統一は自動的にやって来るのです。
しかし、それは決して易しいことではありません。休戦ラインを好む人は、悪魔の側、サタン側であることを知らなければなりません。言い換えれば、休戦ラインがあるところにはサタンが主人となっており、休戦ラインをなくそうとするところには神様が主人となるのです。ですから、統一教会の教会員は、休戦ラインを消化し、なくしてしまい、国境線を撤廃させる改革運動を展開してきたのです。
皆様。怨讐の一族や怨讐の国民同士で「結婚させて婿、嫁にしたい」と言う人ばかりになれば、統一天下は自動的に形成されるのです。これが、私が今晩、皆様に差し上げる贈り物です。
国境があるところには、必ず悪魔の一族が暮らしているのであり、国境線がなく、互いに愛し合って和やかなところには、間違いなく神様の一族、神様の血統に生まれついた血族が暮らしているのです。
今日、統一教会の人々は、趣味産業という言葉にとても多大な興味をもっています。誰もが行って暮らしたいと思う所、そのような所が趣味として願う喜望峰だとすれば、そのような所は、今後、国連を中心とした新しい超国家連合ができれば、国境地帯でもどこでも、すべて超国家主義の国連の名のもとに従属させなければなりません。このために統一教会のレバレンドムーンは、統一教会の教会員たちに、共に総生畜献納物を捧げましょうと言いました。そして、全体を国連超国家連合に従属させるのです。
聖書を見れば、旧約時代までに、人間の代わりに万物を供え物として裂いて血を流すようにし、「左はサタン側であり、右は神側である」というように分けておき、二つの組が奪い合う闘いを続けてきました。
新約時代においてユダヤ民族が不信することによって、サタンと神様は、昔のように供え物を分けて取り合うのではなく、今度は息子を分けて取り合う闘いをするようになったのです。その結果、神様の長子であるイエス様がこの地に来られて血を流したのであり、結局、イエス様の肉身はサタンがもっていき、イエス様の霊人体は楽園に行くことになって、二つに分けられたのです。
しかし、霊界に行かれたイエス様は、その実体を再び取り戻さなければならないので、この地に再び来なければならないと言ったのです。このように、息子であるイエス様が分けられることによって、霊界と肉界がすべて分けられたので、大変なことになったというのです。男性と女性が分かれ、心と体が分かれたので、これらをすベて統一させるために、霊界の所有権を求めていかれたイエス様は、地上の所有権を合わせ、一つにするために地上に再び来なければなりません。
地上に再びやって来て、何をしようというのでしょうか。結婚して家庭を完成しようというのです。長子として来られたイエス様を中心として、その方の肉身を占領したサタンは、地上世界を占領し、天上世界は天が占領するようになりました。
イエス様は、霊界に行かれて二千年間、精誠の条件を立てながら、天上世界、すなわちすべての心の世界の方向が一つになるようにする一方で、地上でもキリスト教を立てて役事してきました。しかし、キリスト教は、再びカインとアベルに分かれ、カトリックとプロテスタントが闘ってきたのです。怨讐となってしまいました。サタン側と天の側に分かれて闘いました。
長子は、サタン側となり、次子はアベルとして天の側になったのですが、その裏面では、必ず国境的な内容、つまり闘争概念を抱いて闘いながら歴史は発展してきたのです。
したがって、これを解放しなければなりません。それで、再び来られる主は、天の国を統一し、地上のユダヤ教選民圏のようなキリスト教統一圏を中心として、ついに数千年間分かれて闘ってきた天と地、男性と女性を一つにする結婚式をするようになるのですが、これが正にキリスト教で言う「小羊の婚宴」だったのです。このように、天の国と地上のキリスト教の国が統一される時が、正に第二次世界大戦の直後でした。その時は、キリスト教文化圏が全世界を統一した立場だったのです。
それで、霊界の統一的主導権をもったイエス様が、霊界の勝利的覇権者となり、地上のキリスト教文化圏も統一される、その時が来たので、イエス様と聖霊が地上に来て、実体の夫と相対である聖霊の新婦が一つになり、結婚式をすることによって、心と体、そして男性と女性が分かれて闘ってきたすべてを解決して、天下を平和の王国にできる絶好の機会を迎えたのです。漠然とした話ではありません。
神様の創造理想について見るとき、誰から先に結婚式をしてあげるようになっているでしょうか。アダムとエバです。しかし、人類の国境線となっている壁は、エバの堕落によってつくられたので、その壁を崩して平地にしなければなりませんでした。それで、堕落する前のアダムとエバの立場を復帰して結婚させれば、私たちのすベての先祖はもちろんのこと、神様までも喜んで歓迎され、踊りを踊られるでしょう。そのような世界が成し遂げられれば、それが正に地上天国になるのです。しかし、人間の歴史にはそのような日がありませんでした。そのような日がなかったので、今まで無数の境界線が絡まって苦しみ、呻吟し、苦痛を受けてきたのです。したがって、この国境線の打破をどのようにするかという問題に対する答えさえ見つければ、それが平和の起源になることを人類は知らずにいたのです。
人類歴史上初めてレバレンドムーンが真の父母の資格をもってこの地に顕現し、その打破の方法を提示して、満天下の善男善女たちを神様のみ前で祝福結婚させてきたのです。もし国境線が百万あったとしても、私は問題なく撤廃することができます。どのようにして撤廃するのでしょうか。それは真の愛があるので可能なのです。そのような国境線を撤廃するためには、神様と同じように判断できなければなりません。神様を一〇〇パーセント知らなければならないということです。
皆様。霊界を見れば、地獄と天国があります。天国が昼ならば地獄は夜ですが、昼と夜を判断できない人が天国の境界線を主管できるでしょうか。それはあり得ないことです。判断できる人だけが自動的に主管できるのです。地獄の内容まで明らかに知っているので、暗闇を撤廃できるのです。
神様は全知全能であられるので、神様と同じように判断する人は撤廃できるのです。したがって、問題は神様を知らなければならないということです。それでは、皆様は神様を知っていますか。知っているとすれば、どのくらい知っていますか。お金を好まれる神様だと思いますか。それとも権力を好まれる神様でしょうか。それとも知識しか知らない神様でしょうか。そのような神様であると理解していては、人類の解放をもたらすことはできません。
私たちが神様を完全に知ってこそ、サタンを完全に追放できるのであり、完全に解消できるのです。神様を知ったとしても、神様の何をもって数千年もの間、放置されていた国境線を撤廃できるのでしょうか。それが重要なのです。神様がこの宇宙の主人であるならば、その主人が暮らす町があり、国がなければならないのではないですか。神様を知ろうとすれば、神様の相対圏の立場に立って、その環境となる国を探し求めなければなりません。
しかし、すべての環境圏が国境で塞がれているので、その国境を撤廃することによって神様が喜ぶ世界をつくるのです。そのようになれば、すべての被造万物が神様に主管されたいと思わないでしょうか。国境線のもとで悪魔と共に呻吟し、苦痛を受け、迫害を受ける、そのような支配から解放されたいと思うのです。
皆様。私たちは何よりも神様をはっきりと知り、また天の国をはっきりと知らなければなりません。そのようになれば、どこに行っても、またいかなる状況に置かれたとしても、その国の伝統とその国の文化の内容に対して、どのように対処して生きていくべきなのか、ということに対する答えが自然と出るのです。
天の国には明らかに神様がいらっしゃいます。しかし、今日の世界が千々万々の国境によって塞がっているのは、いかなる理由によるものでしょうか。神様を知り、天の国を知る人がなく、天の国の伝統的生活の内容を知っている人がいないので、このようになったのです。その内容さえはっきりと知れば、霊界にも、地上世界にも、解放圏が展開します。
「おい、サタンよ!」と言えば、サタンが身動きもできずに答える、そのような位置に立つことさえできれば、誰でも天の国と神様の心に一体となる文化背景と伝統的思想をもって暮らす方法が分かるようになるのです。そのような人が正に、ために生きる真の愛をもった真の人です。
自分だけの人生のための愛を求める人ではなく、相対を愛の主人として、愛を通して相対が踊りを踊ることができるようにしてあげようという人が、神様を知り、天の国を美しく装い、保護する生活ができる後継者になるので、そのような神様の後継者をサタンは妨害できなくなるのです。
死ぬことを見て憤りを感じるのではなく、それを越えて怨讐を愛すれば、怨讐の世界を治めることができるようになり、サタンが退くことによって、怨讐の世界がかえって皆様を尊敬するようになるのです。ために生きるときに、自分の父や母や誰よりも、町内の人をこの上なく愛すれば、サタンは逃げていき、代わりに神様が訪ねてこられて千倍、万倍にして返してくださるのです。
サタンが八方に逃げていかざるを得ない秘法とは何だと言いましたか。ために生き、ために死に、ために愛そうとすれば、サタンは間違いなく国境線を捨てて逃げていくのです。逃げていくとしても、そのまま立ち去ることはできません。国境線を崩してから行くようになっているのです。そうなれば、どのようになるでしょうか。サタンが離れていくことによって、死亡の地獄に直行していた生命が、天の国に上昇できるという永生の道理が訪ねてくるのです。そこから初めて永生が生じるのです。
神様を知り、天の国を知り、天の国の伝統的思想である、ために生きる真の愛を、千年、万年続けたいと切に思う群れになることによって、主体であられる神様をお父様と呼ぶことができ、そこにおいて永遠の血統を通して、永生の論理と永生の伝統が「私」と共に結実することは間違いのない真理なのです。
永生というのは、本質的な愛の属性です。神様も宇宙を創造されるとき、自ら絶対信仰、絶対愛、絶対服従を基準として立てて創造されたのです。永遠無窮に世の中が過ぎていったとしても、私の愛はもっと大きく投入できるという、そのような心をもって生きる方が神様なので、神様を絶対、永遠、不変の主人として侍る存在にならなければなりません。
永生不滅の位置で創造された息子、娘が、そのような位置に立つならば、神様の国が私の国になり、神様が私の神様になるのです。神様と天の国の伝統的な主人の生活方法と私が一致し、神様の息子、娘であることは間違いないので、永生不滅は自動的な結論です。ですから、「自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである」(ルカ一七三三)という逆説は真理なのです。
皆様。神様がいくら全能の方であるとしても、今まで愛の主人になったことがあったでしょうか。真の愛というものは、一人ではできません。男性の前には女性が絶対に必要なのです。女性がいることによって、男性は女性を愛する主人の資格をもつことができるからです。これは驚くべき話です。
女性がいなければ、いくら優秀な男性であっても、男やもめの境遇を免れることはできないのです。「男やもめ」とはどういう意味でしょうか。一人で暮らす父です。ですから、かわいそうな立場です。いくら優秀だったとしても、一人で暮らすその男性は、真の愛を得ることができないのです。
神様には、真の愛、真の生命、真の血統、そして真の良心があります。でこぼこの良心ではなく、水平を描く良心があります。このようにすべてもっていますが、それらをもっていると言える価値を現すものは、何でしょうか。一人では永遠に現すことができないのです。
なぜでしょうか。男性が優れていて総理になり、大統領になって、いくら大口をたたいたとしても、結局は半分の人間であることを免れることはできません。男性も女性も同じです。間違いなく、男性は片方でしかないのです。男性はなぜ半分なのでしょうか。男性には凸だけがあり、凹がありません。しかし、完全な愛をもっためには、凹と凸の両方が必要です。それで、男性にはない凹を合わせるために、もう片方の女性が必要なのであり、女性と一つになって初めて完全な真の愛を得るようになるのです。
しかし、人間始祖の堕落を見ると、心と体が神様の血統と一つになることができず、サタンの血統に連結されてしまい、神様は、御自身の血統の三代目である孫を見ることができなかったのです。
救援摂理を通して、三代を探し出し、神様の血統を連結させて繁殖した子孫は、間違いなく神様が願い、アダムが願う息子、娘の種となり、それをどこにでも植えれば、本然の息子、娘として、父母のお乳を飲んで育ち、自動的に天国へ行くことができるようになっているのですが、堕落によって私たちの体にはサタンの血統がうごめいているのです。ですから、血統を断ち切り、十回、十二回と血を抜き取って死んでも生き返る、そのようなことをしなければならないのです。
しかし、血統が汚染されたものは、簡単には変わりません。これは大変なことです。皆様の体が、そのようになっていることを考えたことがありますか。私たちは、億千万世の怨讐の血が自分の骨と肉を包んでうごめいているという事実、肉身が心を占領し、蹂躙している凄惨な自らであることを知らなかったというその事実に、戦慄させられるのです。
このように、南北に合わせるものを、東西に合わせてしまったのが堕落です。それでは、その間違って東西に合わせてしまったものを、いかにして再び南北に正しく合わせることができるのか、ということが問題です。ここに、再び切り離して付け合わせる治療方法が、統一教会の祝福であり、本然の血統と連結させてあげる祝福結婚式なのです。
本来、アダムとエバは、堕落しなければ、間違いなく神様の愛を中心とする血統が連結された外的父母となるはずでした。内的父である神様と一体となり、絶対的な神様の真の愛と共に生きる霊的、肉的な人類の先祖となって中心の焦点に立ち、愛で一体となることのできる時間が、アダムとエバが神様を中心として一つの体となる、結婚式の初夜に迎える初愛の時間だったのです。しかし、アダムとエバの堕落によって、そのすべてを失ってしまいました。神様の立場から見れば、人間に対して夫婦の愛を植えようとしたのですが、植えることのできる場をもつことができませんでした。それで失敗した神様になってしまったのです。
神様は一人で愛することができるでしょうか。いくら素晴らしい美人でも、器量がどうであれ男性という存在がいなければならないのです。女性の心の中に愛があり、生命があり、血統があり、良心があったとしても、男性が現れなければ発動しないのです。愛が発動せず、愛を中心として生命が発動せずしては、血統は現れません。
また、良心が相対に立たないのです。相対が現れることによって、すなわち女性が現れることによって、初めて男性の愛と生命と血統が現れるのです。アダムとエバが十八歳になるまで待っていれば、神様の祝福を受けて正式に夫婦となっていたでしょう。そして人類の真の祖先になっていました。しかし、彼らは十六歳の時に、分別のない戯れによって堕落してしまったのです。
皆様。神様がなぜかわいそうな方であるか、お分かりになりますか。真の愛の大王陛下であられるのに、人類始祖とともに一つの体となって真の愛で愛したいと思うその位置を失ってしまったからです。一人でいくら真の愛を欽慕したとしても、男やもめの愛、寡婦の愛になってしまったのです。ですから、真の愛の心をもった相対を失ってしまった神様となってしまったので、悲しい神様なのです。
神様の家庭において理想的な相対となり、真の愛の主人の位置を、烙印(らくいん)を押して解放させる責任がアダムとエバにあったのですが、彼らはその責任を果たせませんでした。ですから、彼らの一生の願望とは何かというと、神様を真の愛の主人の位置に立たせてさしあげることでした。
統一教会の祝福は、その最初の条件が何かというと、神様の新郎、新婦の位置で、失ってしまった真の愛で愛する伝統を、自分たち夫婦によって取り戻すことです。神様の真の愛を否定しなければ、私たちは千年、万年、神様の息子、娘と血族であることは間違いありません。
神様が男性と女性を愛する位置、血統的関係を結ぶ真の愛の主人の位置を誰がつくるのかというと、その息子、娘以外にはいません。
息子、娘は、神様の性相が分立されて生まれた立場なので、息子、娘の価値は同等であることを知らなければなりません。神様が腹中の赤ん坊を愛することができなかったので、私たちの家庭に生まれた赤ん坊を通して、愛する息子の主人、娘の主人の位置を復帰するのです。
そうして、幼児時代の主人を通り、子女時代の主人、兄弟時代の主人、夫婦時代の主人、父母時代の主人になるのです。初めて孫を見ることによって、神様は主人になることができるというのです。神様が一代であり、アダムとエバが二代なのですが、三代となる孫を悪魔が奪っていったので、その息子、娘を通して、神様の代わりに真の愛の主人の位置を蕩減復帰するのです。
そのようになれば、そこから神様が第二次的な父母として認定するのです。それは、アダムとエバを真の愛で愛していた位置と同じ父母の位置です。このように三代を経て初めて、子孫万代に完全な種として、神様の孫を祖父が真の愛で愛し、父が真の愛で愛するようになるのです。その孫は、二代の真の愛を受けるようになるというのです。祖父は霊的世界の代表であり、第二代のアダムは現実世界の王権の代表です。
このように、二つの国を代表した真の愛の血統を受けて生まれたので、その孫は未来における天の国の霊界と地上の王権が結実した価値をもつのです。それで初めて息子、娘の時代において地上天国を治めることができ、三世代から万世の結実となって広がっていきます。ですから、宗教が必要なく、父母の言うことだけを聞き、一つになって真の愛で愛していけば、すべての人が天国に行くようになっています。それが八段階の真の愛を中心とする創造理想的本然の形態だったのです。
これを再び取り戻してあげてこそ、天上世界の十二真珠門が開かれ、地上世界の国境を超越して統一された一族として収拾され、地上の解放世界と天上の解放世界、統一の王国である地上天上天国が開門するのです。腹中時代、幼児時代、思春期時代、結婚時代、子女時代、そして父母時代、祖父母時代、王時代の八段階です。神様は、その八段階の、鉄石のモデル的愛の伝統基盤をこの地に備えられなかったので恨が残ったのです。
それでは、この八段階の真の愛の主人になることができなかった悔しい恨をどのようにして解いてさしあげるのでしょうか。それは、真の父母がこのようなサタン世界の秘密と天の国の秘密をすべて知って教えてあげ、空白を満たしてあげることによって、多くの穴が開いた八段階を完成させてあげるのです。血統の門を通してのみ、天国に行けるのです。
腹中時代と幼児時代にも、神様の真の愛の相対となり、約婚時代にも神様の相対となり、夫婦時代と父母時代にも、祖父母時代にも、王時代においても、神様の真の愛の相対的実権をもって完成したとすれば、その見える実体圏である半分の家庭が、見えない神様の実体圏と合わさり、心と体が一つとなった真の愛の伝統の血統を受け継ぎ、天上地上の統一圏の世界に自動的に結束され、天国の民と天国の家庭にならざるを得ないのです。天国の解放的な息子、娘、解放的な主人になるということです。
ですから、男性と女性は、神様の形状的実体として、自負心をもって暮らさなければならないのです。そのような主人にならなければならない伝統的血統が連結されるのが夫と妻の道であり、子女の道です。そのような一族が連結され、国と天宙が連結される血統が重要であることを知らなければなりません。ですから、結婚をなぜするのかというと、半分の男性がもう片方の女性と出会うことによって、完全な真の愛を完成する一組になるためです。
神様は片方だけのものを取ることはできません。男性と女性が出会って完全に一つになるとき、神様も入り、真の愛の関係を結ぶことによって、縦的な真の愛の伝統を樹立するようになるのです。
ですから、先祖を尊重しなければなりません。その民を真の愛で愛さなければなりません。その王権を中心として国民と一つにならなければなりません。国民を忘れて暮らす王は詐欺師です。悪魔の後継者であり、国境をつくっているというのです。
今や人類は革命しなければなりません。天から真の愛の天運を受け、それを家庭に定着させ、その真の愛の絶対的な主人として神様を立てなければならないのです。
私たちは、あくまでも結果的な存在であり、その原因である神様に、絶対信仰と絶対愛と絶対服従で侍り、従っていく大革命をしなければなりません。その道を通してのみ完成があるのであって、自分が異議を提示するときには、二つの主体が生じ、破壊的な国境が生じることを知らなければなりません。
したがって、今から皆様は、愛の道において国境をつくるようなことをしてはいけません。「夫も私のことを愛しなさい。息子、娘も私だけを愛し、父を愛してはならない!」と言う人は死ななければなりません。女性は子女を抱き、本然の父の愛を受けなければならないのです。
さらに母親は、子女を育て、夫の生命の種である精子に対する真の愛の結実に報いてこそ、神様に属するようになるのです。女性ゆえに、神様の八段階の愛の門が破壊されたので、女性が何よりも精誠を尽くして男性たちを再創造し、息子、娘を再創造し、祝福を受けた家庭において、神様の八段階の愛の主人を神様のみ前に完成させなければなりません。
ですから、私たちの家庭を中心として、天下の天国の門、十二の真珠門のどこに行っても、地上天上天国の個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙まで歩いて回っても、誇って余りある真の愛の王座、王権を備えなければなりません。そのようにできる、神様の血統を完成させた息子、娘の資格をもつ人にならなければ、天上世界と天国の民になれないことをはっきりと知らなければなりません。
改めて申し上げますが、私たちが肝に銘じなければならない最も重要な内容は、国境撤廃です。国境撤廃にも、民族の国境撤廃、宗教の国境撤廃、人種の国境撤廃、天国と地獄の国境撤廃などがあります。また国境線を偽りの父母がつくったので、真の父母以外にはそれを撤廃する人がいないという事実です。神様もできず、サタンもできません。ただ人類の真の父母として来られたその方だけが、このことを成し遂げることができるのです。
皆様は、このような神様の真の愛で解放することを決心してお帰りになり、天の国の主人となってくださることを願います。ありがとうございました。
15.新千年紀における人類とアメリカが行くべき道
平和経 第九篇
国境線撤廃と世界平和
15.新千年紀における人類とアメリカが行くべき道
日付:二〇〇一年二月二十五日
場所:アメリカ、ニューヨーク、ブロンクス、ガーデンオブプレィヤー・カテドラルチャーチ
行事:アメリカ五十州巡回訓読大会
尊敬する内外の貴賓の皆様。きょう、私の話を聴くため、御多忙にもかかわらず参加してくださった、聖職者を中心とする各界各層の指導者の皆様に、心より感謝申し上げます。何よりも常に私と共にあられ、守ってくださった神様に、すべての栄光をお返し申し上げ、深い感謝を捧げます。
私は生涯を通じて、神様の創造理想を実現するという一念で、諸般の難問題の解決のために苦心してきました。神様は、栄光と尊貴な宝座にいらっしゃる方ではなく、堕落によって地獄に落ちた子女たちを捜し出して救うために全力を尽くしてこられた、悲しみと嘆きと苦痛の神様でした。そのような神様のみ旨と心情を知るようになった私の生涯は、一言で言えば、夜も昼も、季節も、環境も跳び越え、ひたすらみ旨を成就するために全身全霊を尽くしてきた日々でした。
過去八十年の歳月を振り返ってみるとき、あらゆる迫害があったにもかかわらず、私がきょうこの場に皆様と席を共にすることができたのは、神様が共にいてくださったお陰です。この意義深い日に、皆様と共に神様の摂理的な視点から歴史と世界を理解するために、「新千年紀における人類とアメリカの行くべき道」という題名でお話しいたします。
神様の救援摂理的歴史観の立場から見るとき、歴史の終末は、サタン主管の悪なる歴史の終末であり、同時に神様主管の善なる歴史の出発の起点となります。したがって、終末とは天の摂理の全般を完成させなければならない時です。すなわち個人完成を完結させなければならない「終わりの日」であり、家庭、民族、国家、世界、さらには天宙の完成を完結させなければならない「終わりの日」なのです。
神様は、摂理路程において終末期を迎えるたびに、神様中心の理念圏に人類を引っ張ってこられましたが、実際、人類は自ら責任分担を果たすことができず、悪なる歴史を整理して善なる立場に立つことを成し遂げられませんでした。しかし、神様は、絶対、唯一、不変、永遠の方なので、神様のみ旨に対する予定もまた絶対的です。ですから、神様は、堕落によって人類が失った真の個人、家庭、社会、国家、世界、そして真の主権の復帰を通して、天上と地上に神様が運行するその世界を探し出して成し遂げられるのです。
神様が探しておられる本然の世界は、どのような世界でしょうか。その世界は、真の父母を中心とした真の世界です。しかし、人類は堕落によって、歴史の過程ではなく、歴史の始まりの時点において、人類の真の父母と真の世界を失ってしまいました。その結果、堕落によって、私たちが住んでいる地も、人類が所有する理念も、どれ一つとして真の父母と直接関係をつないでくれるものはないのです。
ですから、人類は何よりもまず「真」を見つけなければなりません。そうして、真の父母、夫婦、子女、民、万物、主権、宇宙が、真の神様の心情を通じて共に動ずることができる、そのような日が、人間世界において悪なる世界の「終わりの日」となるのです。そのような理想が実現するその時が「終わりの日」であり、すなわち再臨の時期です。ですから、再臨の時期は、火の審判があり、地が割れ、信じる者たちだけが空中に引き上げられる、そのような天変地異の現象が文字どおり起こるわけではありません。その時期は、絡み合った曲折の悲運の歴史が蕩減され、個人から家庭、社会、国家を経て、世界が正しく立てられる時なのです。
縦的に失った個人、家庭、社会、民族、国家、世界を再び探し出し、横的に連結させて、歴史的な個人、家庭、社会、国家、世界を成し遂げる時です。人類が願って生きてきたその日が、人類の希望であり、人類歴史が行くべき終着地なのです。
ところが、個人も、家庭も、国家も行く道を失ってしまいました。世界では各種の公害問題、食糧問題、さらには宗教間の葛藤、人種間の対立などが至る所で起こっており、各種の紛争の主要原因になっています。誰がこの世界に責任をもつのでしょうか。深刻な問題です。過去に共産主義国家も自らの民族主義を越えることができませんでした。今日の強大国アメリカも汎米主義を越えることができずにいます。自国の利益だけを前面に立てる場合には、世界を指導することができません。自らを供え物としてでも世界人類を抱き、より次元の高い理想的な国に前進しようという理念によって団結した、ある民族、ある宗教が必要な時です。
このような側面から、私は、神様の命を受け、アメリカで青年たちを教育しながら、没落していくアメリカの道徳的な危機に対して強い警告を与えるとともに、地に落ちたキリスト教の再復興のために全力を尽くしてきました。
皆様は、レバレンドムーンの教えの核心が何か気になるのではないでしょうか。その答えは簡単です。第一は、「より大きなもののために犠牲となって生きよ」ということです。個人は家庭のため、家庭は氏族のため、氏族は民族のため、民族は国家のため、国家は世界のため、世界は神様のために生きよということです。そのようにすれば、神様は結局、「私」を訪ねてこられ、一緒に暮らしたいと思われるのです。家庭でも、父母は子女のため、子女は父母のため、夫は妻のため、妻は夫のために生きなければなりません。よりために生きる人が善の中心者になるのです。
第二は、怨讐を愛することです。神様は、人類を救うために、ひとり子イエス様を遣わして、犠牲の道を歩ませました。怨讐を、実の子よりも愛するところには、サタンも自然屈伏するのです。いつもサタンの戦略は打って奪われるのであり、天の戦略は打たれて取り戻してくるのが公式的なものとなっています。私が全生涯を通じて、数多くの迫害と苦難を受けてきたにもかかわらず、今日、全世界百八十五ヵ国に宣教の基盤を築くことができたのは、そのような天理に従って生きてきたからです。
キリスト教の宣教の歴史を見ても、イエス様を信じたキリスト教の信者たちの歩んだ道は、追われる道であり、迫害の道であり、殉教の道でした。そのように二千年の歴史を経ながら、殉教の血の跡が土壌となって、民主世界という巨大な体制を発展させてきたのですが、今日、そのような原動力となったキリスト教が危機に瀕しています。キリスト教の理念を中心とした国々が、神様を否定し、イエス様を否定し、さらに神様の摂理を否定しています。挙げ句の果てに「神はいない。神は死んだ」という神学まで主唱しているのを見るとき、今まで真の子女を探し求めて、あらゆる犠牲の道を歩んでこられた神様の心情はいかばかりでしょう。
内外の貴賓の皆様。今まで神様が投入し、犠牲となったものはすべて、誰のためのものでしょうか。それはアメリカのためでもなく、キリスト教自体のためでもありませんでした。結局は、堕落によって失った「私」一人を救うためだったということを知らなければなりません。堕落が一個人から始まったので、救いも一個人から始まらなければならないのです。
ですから、代表的な一人の人が現れて、「この時代の責任を果たします。神様に人間が負わせたすべての負債を清算し、堂々と善なるものをお返しできる私になります」と言って自覚しない限り、復帰の道はありません。漠然とした立場では絶対に蕩減復帰はできないのです。観念的であってはいけません。悲惨なことがあれば、神様に代わって、悲惨さを被っている当事者以上の心情をもつことなしに、神様の心情に到達することはできません。
皆様は、自分の子女が死んでいくというそのような深刻な心情で、世界の人類のために祈ってみたことがありますか。自分自身を犠牲にして、家庭を救い、氏族、民族、国家、世界を救うために、どれほど精誠を尽くしましたか。そのような点では、誰も自信をもって答えることができないのです。そのような絶対的な基準の代表者として来られる方が再臨主なのです。
人間始祖が堕落して以来、救いの摂理を展開してこられた神様は、二千年後にアブラハムを立てられ、その子孫の中から選民を立て、新しい家庭、氏族、民族を編成したのですが、それが正にイスラエル民族です。メシヤを迎えるための勝利的な基台の上に召命された選民がユダヤ民族だったので、将来メシヤを実体で迎えるための主流民族となったのです。その主流の骨髄を調べてみると本来、人間始祖アダムとエバが果たせなかった使命を再現するための基準と理念が必要だったのですが、それが正にメシヤ思想であり、キリスト教徒たちの立場からして見れば、新婦思想なのです。
主を新郎として迎えるために、新婦としての資格を準備することが、最も重要なキリスト教の使命なのです。そのような重大な使命があったにもかかわらず、ユダヤ民族は、イエス様を十字架にかけて殺害することによって流れてしまい、第二イスラエルであるキリスト教が、その使命を継承してきたのです。神様は、その一つの目的を中心として六千年間摂理してこられましたが、その摂理の終末が今のこの時代なのです。
それでは、メシヤ思想の核心とは何でしょうか。それは世界を救い、統一させる思想であり、本然の理想家庭を築くことのできる教えであり、人間始祖が堕落によって失ってしまった真の父母の位置を取り戻すということです。聖書の教えを見ても、メシヤは、父の権勢をもって来られ、聖霊の実体である女性に出会い、真の父母の位置を回復される存在です。ヨハネの黙示録に預言されている「小羊の婚宴」も、新郎と新婦が真の夫婦の段階を経て、真の父母になることを意味するのです。
サタンを中心とした偽りの父母によって、神様が理想とされたアダムの家庭が失われました。神様が望まれた真の家庭、真の氏族、真の国家のすべてを失ってしまったのです。ですから、今日、地上にメシヤを遣わし、その失われたものを取り戻そうとするのが摂理観なのです。
そのような使命のために来られた方、その方がイエス様でした。イエス様は、イスラエルの不信によって民族と国を失ってしまいましたが、神様の希望だった世界と天国のために命を捧げました。十字架にかけられたイエス様の苦難の行路は、神様と共に歩まれた苦難の道でした。イエス様は茨の道にあっても、「彼らの罪をお赦しください!」と切に求めました。死んでいく場でも、未来の勝利を期して、ローマと反対する群れを祝福したのです。ですから、イエス様の生涯は三十三歳で終わったわけではなく、神様の援助の中で、歴史とともに続いてきたのであり、彼の精神を継承したキリスト教は、世界的な宗教にならざるを得ないのです。
内外の貴賓の皆様。アメリカは今、世界で最も強大な国と言われていますが、神様の摂理の線上に正しく立たなければ、いつまでも強大国であり続けることはできないでしょう。人類の文化史を見ると古代文明の発祥は、主に熱帯圏で始まりました。
マヤ文明、インカ文明、エジプト文明、インド文明、中国の黄河文明など、古代文明の発祥地は、亜熱帯圏や熱帯圏でした。文明論から見れば、人間が堕落しなかったなら、春の季節に当たる温帯文明から文明が始まるベきでしたが、熱帯文明から始まり、秋の季節に当たる涼帯文明圏に入りました。それが自由世界を中心とした温帯文明圏であり、西洋文明がその中心です。赤道を中心として見ると、その文明圏は大体北緯二十三度圏に連結しており、アメリカ、イギリス、ドイツなど西方の先進諸国がこれに該当します。秋の季節に当たる涼帯文明が終わり、冬の季節に当たる寒帯文明がしばらく押し寄せてくるようになります。それが共産主義の出現でした。知識人たちの多くは、ソ連の解体後、戦後の冷戦体制は終わったものと考えましたが、いまだに唯物論と無神論は、無力化した民主と共産の二大思想の代替理念として世界の随所に蔓延しています。
本来、神様の創造理想は、春の季節の温帯文明から始まるべきだったのですが、堕落によって熱帯文明の原始的な状態から出発したのです。これからは、涼帯文明の危機と寒帯文明の脅威を貫いて、古代から人類が追求してきた真の春の文明である温帯文明が現れるでしょう。
それでは、誰が寒帯文明の冬の季節を溶かすことができるのでしょうか。権力や経済、科学や知識では不可能です。河川と海岸を中心とした文明の循環を調べてみても、文明は循環しています。ナイル川、チグリス川、ユーフラテス川を中心に発達した文明は、ギリシャ、ローマ、スペイン、ポルトガルを中心とした地中海文明に移り、その地中海文明は、イギリスとアメリカを中心とする大西洋文明を経て、最後にはアメリカ、日本、韓国をつなぐ太平洋文明圏で結実するようになるのです。
そのような文化史的な観点から見ると、韓半島の位置は極めて重要です。韓国は、北方にロシアと中国をつなぐ寒帯文明圏の極地点があり、南方にはアメリカと日本をつなぐ涼帯文明圏の極地点があります。したがって、ここに二大文明を消化できる世界史的な春の季節の温帯文明圏が誕生するというのが摂理観です。
そのような側面から、その二大文明の結実地である韓国から、人類の課題として残されている南北問題と東西問題を解決するために、生涯を捧げてきたレバレンドムーンが現れたというのは、神様の摂理的な帰結と言わざるを得ないのです。実際に、私が生涯を通して人種と理念と国境を越えて、「神様のもとの一つの世界」運動を展開してきたのは、そのような神様の摂理に沿った道だったのです。これは摂理史的な原則であって、私がつくりあげた特別な理論ではありません。
天のみ旨を悟った私は、理論だけではなく、以上のような神様の構想を実現するために、外的に五大洋六大州で私の手が及ばない所はありません。アラスカ、南極、南米の三十三ヵ国、旧ソ連の各国とアジア、アフリカ大陸の国々など、全方位的な宣教と事業基盤を通して、到来した新千年紀の時代に、人類が直面する公害や食糧問題などを解決できるよう準備してきました。近年には、ブラジルのパンタナールとアマゾン川を中心として、地球環境保全に対する実質的な基盤を整えてきました。一方、内的には、これまで「国際合同結婚式」と「真の家庭の価値誓約運動」を起こし、ここに約四億三千万組が参加し、神様が長い間、待ち望んでこられた理想家庭を土台とした地上天国の建設に拍車を掛けてきたのです。
内外の貴賓の皆様。これまで世界は、政治、経済、軍事などの分野で優越した力をもった国々が支配してきました。しかし、神様の摂理と一線上に立つことができないとき、永遠の国はありません。輝かしいギリシャローマ文明の滅亡が、その良い例です。今日、超強大国としてそびえ立ったアメリカは、過去のローマと同じ立場です。ローマの滅亡は、外からの侵犯というよりは、道徳的な堕落という内的な原因によって、天の運勢が離れたからでした。
一時期は労働者と農民たちを主体とみなす唯物論と唯物史観に立脚した政治勢力が、旧ソ連と中国を中心として世界の人口の三分の一、地球面積の三分の二を占有したこともありました。しかし、それも永遠には続きませんでした。今後は、神様のみ旨を代弁する宗教人たちが勢力を得る時が来るでしょう。ですから、全人類が希望をもつことができなければなりません。
宗教指導者は、神様のみ旨を地上に宣布し、人類に進むべき方向を提示してあげるべき預言者の中の預言者です。しかし、今のように四分五裂となって継続されてきた教派間の葛藤と宗派間の争いは、神様の摂理に対して障害となるばかりです。
ですから、私はかなり前から教会の全体予算のかなりの部分を超教派、超宗派運動に投入し、宗教間の葛藤を解決するために努力してきたのであり、「世界平和宗教連合」を創設し、宗教団体間の和解と一致によって、人類平和を増進する運動の先頭に立ってきました。
最近では、「世界平和超宗教超国家連合」を創設し、これまでワシントンDCで七回にわたって「国際訓読セミナー」を開いてきました。全人類は、人種と宗派を超越して、創造理想世界の実現に向けた神様の摂理を理解し、究極的には神様の心情と一致点をもたなければなりません。堕落によって失ってしまった神様との心情的な関係を回復して、本然の父母と子女の位置を取り戻さなければならないのです。
したがって、神様が約束された「終わりの日」は、真の父母が顕現する日です。言い換えると堕落によって父母を失った人類が、本然の父母を再び迎えることのできる希望の時です。したがって真の父母は、人類歴史の希望の結実体であり、望みの結実体であり、勝利の結実体なのです。
統一教会は、このような伝統を、国際合同結婚式を通じて世界化してきました。民族と人種、皮膚の色を跳び越え、黒人と白人、黄色人種の人々が兄弟姉妹として一つになり、夫婦となることは、地球村を一つにしようとする神様のみ旨の成就において、最も重要なことの一つです。
今日、そのように人類は、本然の兄弟姉妹、夫婦、親子の関係を回復し、究極的に、我が子を失って嘆いてこられた神様を解放してさしあげてこそ、真の幸福の道が開かれるのです。今まで民主主義は「人間の自由」と「人間の解放」を主張してきました。それに対して私たちは、「神様の自由」と「神様の解放」を主張しなければなりません。この問題を解決すれば、人間の解放はもちろん、人間の自由回復は自然と成就されるのです。
内外の貴賓の皆様。特別にきょう、アメリカの主要都市で、神様の摂理を語っているのは、大変深い意味があります。アメリカは様々な面において、神様の祝福によって準備された国です。
アメリカを建国した先祖たちは、命を懸けて信仰の自由を求めて国を探してきた清教徒たち(ピルグリムファーザーズ)でした。彼らは真の信仰の自由を求め、愛する親兄弟と故郷に別れを告げ、さらには国まで捨てる覚悟で命を懸けて大西洋を渡ってきました。メイフラワー号がニューイングランドのプリマスに到着したのは、一六二〇年十一月の晩秋のことでした。出発した百二人のうち、その年の冬を越えられずに寒さと飢えにより半分以上の人々が死にました。彼らが立派だったのは、子孫のために翌年に蒔く種を残して飢え死にしていったという事実です。
清教徒たちは、何をするにも神様のみ旨のために生きているという信仰が徹底していました。彼らは一年目の収穫を手に神様に感謝を捧げ、先に教会と学校を建ててから自分たちの住む家を建てました。清教徒たちが開拓していく路程で農業を営むときも、戦争するときも、いつも先立たせたのが祈祷でした。
独立戦争当時、かの有名な最後の激戦地であるフォージ渓谷で、ジョージワシントン将軍は、戦闘の決戦に臨んだその瞬間に、命を懸けた祈祷を捧げたでしょう。神様のみ旨を先立たせた戦闘において、神様はアメリカの手を挙げてくださいました。当時、世界的な強大国だったイギリスは、国王と国民が一つになって戦いましたが、アメリカは神様と神様の愛する息子、娘が共に戦ったのです。ですから、アメリカという自由信仰のプロテスタント国家が成立したのではないでしょうか。今もアメリカは、国会が開院するときに祈祷で始めます。大統領が就任の宣誓をするときも、聖書に手を置いて神様のみ前に誓いを立て、聖職者が祈祷をする国がアメリカです。さらには貨幣にも「我々は神を信じる(In God We Trust)」という言葉が刻まれている唯一の国です。このようにして、アメリカはプロテスタントを信奉する世界的な形態を整えた国家となったのです。
ところが、今のアメリカはどうでしょうか。公立学校では、公式的に祈祷を禁じています。創造論よりも進化論を教育しています。さらには五〇パーセントに達する離婚率は、家庭の神聖さを余すところなく破壊しています。
そのような現実を心配された神様の声を聞いた私は、いち早く一九七一年に祖国と家族をあとにしたままアメリカに渡ってきました。そして私は、数度にわたって全国を巡回しながら「火事の家に消防士として来たのであり、病気にかかったアメリカを治療する医師として来た」と叫びました。
既にそのとき、私は、神様がアメリカから離れつつあるのを発見しました。アメリカのあらゆる所に神様がいらっしゃらなければならないのに、反対に随所から神様が離れ始められたのです。人々の心から、家庭から、学校から、教会から、神様が離れつつあったのです。
振り返ってみるとニューヨーク、マンハッタンの五番街を歩きながら、アメリカを離れられる神様にすがって、とめどなく涙を流したのがきのうのことのようです。不幸にもアメリカは、私の予言したとおり、道徳的に衰亡の道を歩んでいます。
皆様。どうしてレバレンドムーンがアメリカで反対され、苦労し、このように叫んでいるのでしょうか。私は、神様がアメリカを訪ねてこられるまで流された血と汗と涙の御苦労を誰よりもよく知っているので、この三十年間、アメリカにいながら、一日として気を楽にして過ごしたことはありません。
アメリカの主人は誰でしょうか。白人でも、黒人でもありません。神様がアメリカを愛されるように、アメリカを愛する人が本当のアメリカの主人です。アメリカは、地上に「神の国」を立てるために選ばれた長男のような立場の長子権代表国なので、今もイエス様は主に、霊的にアメリカの地におられながら、神様のみ旨を成就してくれることを切実に願っていらっしゃいます。
一方、私は、神様のみ旨に従って、一九八二年に「ワシントンタイムズ」を創刊し、アメリカの行くべき正しい方向を提示する保守紙としてアメリカの世論をリードしてきました。そして、真の家庭の価値運動と青少年たちのための純潔運動を通じて強力な救国救世運動を展開してきました。それらすべては、アメリカが神様の摂理の前に正しく立つことができるようにと願う心から投入したのです。
私が一九六五年にワシントンDCを訪問した時に定めた、ホワイトハウス近くの聖地には、今も夜を徹してアメリカのために祈祷する人々が大勢います。皆様は、心の扉を開いて、あの清教徒をはじめとした歴代の愛国の烈士たちの切なる願いの声を聞くことができなければなりません。
内外の貴賓の皆様。今始まったばかりの新千年紀は、六千年間追求してこられた神様の救援摂理歴史が終わり、エデンの園で失った創造理想が天宙的に実現する時です。人間の堕落によって主人を失ってしまった万物の嘆きも解放される時であり、長い間分かれていた父母と子女が再会する、これ以上涙のない新しい天と新しい地がつくられる時であり、地上と霊界が一つに通じ、地上と天上に「神の国」が建設される時代なのです。
生きておられる神様の直接主管が全般、全能の勢力として現れる時代です。ひいては、東洋と西洋の全体が天地父母を中心として「唯一なる神様のもとの一つの宇宙」として、地球星大家族主義世界が実現する時です。それは、聖書に預言された旧約の約束と新約の約束が成就する成約時代の完成を意味します。
今や時が来ました。アメリカがもう一度、覚醒すべき時が来たのです。第二の建国運動を挙国的に展開し、神様を中心とした真の父母、真の家庭、真の国家、真の世界を探し出す時なのです。そのようにして、離れつつある神様を再びお連れしてこなければなりません。
六千年間準備して訪ねてこられた神様が、アメリカを離れられたら、どこに行かれるでしょうか。神様に正しく侍りさえすれば、家庭問題、倫理問題、青少年問題、人種問題は、自ずと解決します。五色人種が一つになって生きていくアメリカは、地上天国のモデルなのです。この時に私たちは、一致団結して人類の行くべき道を開かなければなりません。長子の国であるアメリカが先頭に立って、天の父母様に侍り、世界各国を神様のみ前に導く先導的な使命を完成しなければならない時です。その歴史的な課題、課業を完遂するために、みな共に参加してくださるようお願いします。
改めてこの場にお越しくださった皆様に深甚なる感謝を捧げ、天と地に平和と自由と正義があふれる新しい千年王国が始まることを願いながら、私のお話を終えようと思います。皆様の御家庭と国に神様の祝福が共にあることを願います。ありがとうこさいました。
16.摂理観から見た韓国、日本、アメリカの位相
平和経 第九篇
国境線撤廃と世界平和
16.摂理観から見た韓国、日本、アメリカの位相
日付:二〇〇二年五月二十一日
場所:アメリカ、ワシントンDC、シェラトンナショナルホテル
行事:韓国、日本、アメリカ三ヵ国指導者会議
高名な韓国、日本、アメリカの最高指導者、そして紳士淑女の皆様。皆様がアメリカの首都ワシントンDCにいらっしゃいましたことを心から歓迎いたします。韓国と日本とアメリカは、共に太平洋圏の国家です。そして、韓国と日本は、隣同士であるばかりでなく、両国ともアメリカと同盟関係を結んでいます。この三国とも、互いに内外に連結した共同目標をもっています。
私たちは今、二十一世紀に入っておりますが、この二十一世紀は太平洋時代だと言われております。言うまでもなく、太平洋時代は、この日韓米の三国によって主導されるでしょう。それだけでなく、世界は、この三国のモデルに従っていこうとするでしょう。しかし、指導的な立場というものは、自動的に成り立つものではありません。それは、関連国家の相互間における強力な連関性を土台として成り立つものであり、特にその指導者レべルにおいての相互連関を絶対に必要とするものです。
したがって、皆様がこの日韓米三ヵ国会議を通して、緊迫した当面の問題を論議すると同時に、お互いの友誼を誓うことによって、新しい二十一世紀を開拓する基盤を準備してくださることを願います。
三ヵ国の指導者の皆様。私は、この会議に参加するために、六千マイルにもなる遠い所からここまで訪ねてこられた代表者をはじめとした、すべての参加者の皆様に儀礼的な挨拶をしようと、この壇上に立ったのではありません。
神様と一心、一体、一念で生きてきた私の生きた経験によれば、神様は、歴史と現実の中で生きて役事される方です。このような摂理的観点から、韓国、日本、アメリカの位相を知るということは、とても重要なことです。
神様の創造理想は、アダムとエバが神様の真の愛によって真の人として完成し、真の父母となり、真の家庭を成し遂げることです。その真の父母と真の家庭を始原として、人類は、真の社会、真の国家、真の世界、さらには天宙へと繁栄しながら、地上天上天国を成し遂げるようになっていました。ところが、不幸にもアダムとエバは、未完成段階において、天使長の偽りの愛によって堕落してしまいました。また、真の父母ではなく偽りの父母となったアダムとエバが築いた最初の家庭において、兄カインが弟アベルを殺害することによって、罪悪が結実してしまったのです。
本然の創造目的を回復するために、神様は、第二アダムである救世主をこの地に送って摂理を進められました。その摂理のための最初の基盤がユダヤ教とイスラエルの国でした。その基盤の上に、イエス様が救世主として来られたのです。
イエス様は、このように真の父母と真の家庭の理想を、選民イスラエルの国において成就し、それを全世界に伝播するために来られたのです。しかし、ユダヤ教とイスラエルの国は、イエス様がメシヤであることを理解することができず、イエス様を不信したのです。その不信はとうとう極に達し、イエス様は、再臨を約束されながら十字架の道を行かれました。復活されたイエス様は、霊的に第二イスラエルであるキリスト教の基盤を立て、これを世界的に築いていかれました。世界のキリスト教によって摂理される神様のみ旨は、第三アダムとして来られる再臨主を迎える準備をすることです。
アメリカは、すべてのキリスト教を代表した国家、すなわち第二イスラエルの長子国家です。アメリカは、建国の始祖たちの信仰も、建国の精神も、すべてキリスト教に由来します。神様が準備された地において、アメリカが短い歴史の中で世界を指導する強盛な国になることができたのは、再臨主として来られる第三アダムのみ旨に従うという神様の摂理によるものなのです。第二次世界大戦のとき、アメリカ、イギリス、フランスを中心とした連合国が、日本、ドイツ、イタリアを中心とした枢軸国に勝ち、キリスト教の基盤を極大化したことや、韓半島に熱烈に受け入れられ結実するキリスト教を宣教した主な国がアメリカだったという点、第三イスラエルである韓国の防衛に、国連軍の旗のもとで十六ヵ国の派遣軍が一つになって犠牲的な支援をし、二つの国が特殊な関係を維持している点など、すべて神様の摂理の中で行われているのです。
準備されたキリスト教が、第二次世界大戦直後に、私を通して神様の教えを受けていたならば、七年以内に神様が望まれたみ旨が成し遂げられていたでしょう。アダム国家である韓国の統一も成し遂げられていたはずであり、共産圏の世界的な膨張もなかったでしょう。ところが、不幸にも、キリスト教が先頭に立って私に反対し迫害したのです。摂理の中心存在を拒絶したキリスト教は、衰退の道へと落ちていきました。第二次世界大戦直後と比較するとき、今日の教会は、信仰も、熱意も、純粋性も、生命力も、すべて失いつつあります。
世界のキリスト教が責任を果たせなくなることによって、エバ国家(母の国)になるべきイギリスの代わりに日本が選ばれました。実際、神様の中心摂理であるキリスト教圏とは関係の遠い日本は、天の特別な恩恵で選ばれたのです。このような点から、日本は神様の使命を果たしてくださることを願います。
それでは、神様が送られた摂理の中心である救世主は、なぜいつも不信されるのでしょうか。堕落によって築かれた悪主権の世界なので、善の実体を歓迎しないのです。これを憂慮された神様は、イスラエル選民とユダヤ教を立ててイエス様を迎えるようにされたのであり、世界的なキリスト教基盤を築いて再臨主を迎えるようにされました。しかし、選んで準備した第一イスラエルと第二イスラエルの、摂理に対する無知と自己中心的な思考のために救世主は苦難を受けられたのです。
メシヤが雲に乗ってやって来るものと思っているユダヤ教徒の前に、人として現れたのですから、信じられなかったわけです。旧約聖書を間違って解釈することによって、メシヤの命を奪ってしまったという事実を知らなければなりません。また聖書の預言は、両面で預言されていることを知らなければなりません。
なぜかというと堕落した人間は、気まぐれにああしたりこうしたりするからです。神様と一つになっていた人が、背を向けてサタンと組んで神様を滅ぼし、サタンと組んでいた人が、神様のところに戻ってきてサタンを滅ぼすということがあるのてす。
旧約聖書を見れば、イザヤ書第九章、第十一章、第六十章の三つの章を見ると、救世主が栄光の主として堂々と来ることが記述されていますが、第五十三章では苦難を受けることが預言されています。信じて迎えることができずに、イザヤ書第五十三章の預言が成就され、栄光の主の預言は延長して再臨のときに成就されるようになることを、皆様は知らなければなりません。
新約聖書も、旧約聖書と同じように、メシヤが来ることに対する預言は、蕩減復帰の原則によって両面で預言されています。ヨハネの黙示録第一章七節を見れば、再臨するメシヤは、間違いなく雲に乗ってやって来ることが記述されています。しかし、テサロニケ人への第一の手紙第五章二節を見れば、「主の日は盗人が夜くるように来る」と預言されています。雲に乗って来るのに、盗人が夜くるように来ることができるでしょうか。今日のキリスト教徒たちは、雲に乗って来ることは信じ、盗人のように来ることは信じていません。
ですから、私たちは、知恵深くなければなりません。旧約時代の実情から見て、主が雲に乗ってくることもあり、人として来ることもあることを私たちは知らなければならないのです。ユダヤ民族が何よりも待ち望んだメシヤを神様が送ってくださったにもかかわらず、どうして彼らは、来られたメシヤを殺害してしまったのでしょうか。
旧約聖書のマラキ書は、新約聖書の黙示録に該当します。マラキ書第四章五節以下を見れば、「見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす。彼は父の心をその子供たちに向けさせ、子供たちの心をその父に向けさせる」と堅く預言されているという事実を私たちは知らなければなりません。
エリヤは、イエス様が来られる九百年前の人であり、火の車に乗って昇天した人です。人々は、火の車に乗って行ったエリヤがそのままの姿で来ると信じていたところに、エリヤが来たという話もなく、突然イエス様がメシヤを宣布したのです。
すると人々がイエス様の弟子たちに、「あなたの先生がメシヤであるならば、エリヤはどこにいるのか」と質問するので、弟子たちがイエス様のところに来て尋ねる場面が、マタイによる福音書第十七章十節から十三節の内容です。
「弟子たちはイエスにお尋ねして言った、『いったい、律法学者たちは、なぜ、エリヤが先に来るはずだと言っているのですか』。答えて言われた、『確かに、エリヤがきて、万事を元どおりに改めるであろう。しかし、あなたがたに言っておく。エリヤはすでにきたのだ。しかし人々は彼を認めず、自分かってに彼をあしらった。人の子もまた、そのように彼らから苦しみを受けることになろう』。そのとき、弟子たちは、イエスがバプテスマのヨハネのことを言われたのだと悟った」。
するとユダヤ人たちの不信はより一層深まり、イエス様が洗礼ヨハネをエリヤだと言ったのは、自分がメシヤを装うためであると不信したのです。さらに、ユダヤ教とイスラエルの国を滅ぼす魁首だと言い、ベルゼブルの頭だと決めつけてしまいました。
このように、イスラエル民族が信じていた観点が、イエス様を送られた神様の摂理のみ旨とは異なっていたという事実を知らなければなりません。この地上に神様のみ旨を成し遂げるために、万民に神様から送られたメシヤは、ユダヤ教徒たちが従わなかったことによって、食い違いの事情を抱えたまま死んでいったという無念の歴史が、私たちの知らない中で起こっていたのです。
イエス様は、ユダヤ民族中心の救世主を待つ信仰の前に現れました。実際にイエス様を通した神様のみ旨は、ユダヤ教とイスラエルの国を越え、全世界を救おうとされるものでした。地で期待する希望と天で成し遂げようとするみ旨がずれてしまったのです。
再び来られる主の場合も同様です。再臨主のために準備された基盤は、せいぜいキリスト教徒だけの救援を願うというのが精いっぱいの信仰基盤でした。しかし、再臨主は、神様が願われる世界と万民の救援、さらには創造本然の理想世界を成し遂げようとして来られるのです。
その世界は、信じて救われるような宗教圏の世界ではありません。堕落とは無関係で、宗教が必要ない、宗教を卒業した真の愛と真の父母の世界を成し遂げようとして来られるのです。
創造主神様の根本は真の愛です。真の愛は、与えて、また与えて記憶しない利他的愛です。この真の愛によって天国を成し遂げようとされる神様のみ旨のために、私は、生涯を投入して与えながら生きてきました。
摂理の中心三ヵ国である韓国、日本、アメリカは、平和理想世界を形成する模範にならなければならない位置にいるのです。天道に従い、世界と全体のために生きて大きく与えるとき、無限な神様の祝福による繁栄を成し遂げるでしょう。もし、自国の利益だけを追求すれば、摂理の中において中心の位相を守ることができず、もっているものも失うことになるでしょう。
ユダヤ教とキリスト教の歴史的な実例まで挙げてお話しする、私の深い心を受け入れてくださることをお願いいたします。キリスト教の知識がさほどない指導者たちは、理解に支障があるのではないかと思います。しかし、今日の日本は、キリスト教圏を摂理してこられたその歴史的な神様が自ら主管される摂理の中心に置かれている、そのような立場であることを悟ってくださるようにお願いいたします。
神様の創造理想を地上と天上世界に成し遂げようというのが、より大きいもののために投入して生きてきた私の生涯なのです。このような摂理的な観点から、これまで私が力を注いできたいくつかのことをお話ししようと思います。
第一に、今晩、「ワシントンタイムズ」創刊二十周年を祝賀する祝賀宴を行うに当たり、なぜ「ワシントンタイムズ」を創刊したのかということです。私はこれまでの二十年間、途方もない財力を投入してきました。ここに何らかの政治的な目的は微塵もありません。神様の摂理の中心国家であるアメリカを正しく立て、救世救国の理念によって世界を指導する立場に立つことを願って創刊したのです。
アメリカが享受している政治、経済、軍事的な強国としての祝福は、アメリカだけのためのものではありません。「唯一なる神様のもとの一つの国」という理想がアメリカ建国のスローガンであるとすれば、今からは、「唯一なる神様のもとの一つの天宙」を指向しなければなりません。
第二に、宗教間の対話と和合が、平和世界実現の決定的な条件だということです。信仰儀式や教理が異なっているとしても、善を指向する根本的な教えは一つです。さらに、宗教の出発は、霊的無知を打開するための神様の摂理の一環として、文化圏の背景に適合するように出発したのです。今からは、「家庭理想を通じた平和理想世界の実現」をモットーとして共に出会わなければなりません。
私が創設した「世界平和超宗教超国家連合」、超NGO(非政府機構)であるWANGO(世界NGO連合)運動、そしてアメリカで真の家庭運動を主導しているアメリカ聖職者連合運動もその一環です。宗教間の対話と和合のために、去る四十年間、私が創設した統一教会自体の予算よりも多くを超教派超宗教運動に投入してきたのは、このような神様のみ旨を知っているからです。
第三に、人種間の葛藤を解消し、唯一なる神様のもとの一つの兄弟姉妹として、地球村大家族の世界を指向してきたことです。五色人種すベての人は、共に平等な神様の子女たちです。肌の色や歴史的な背景が優劣をもたらすことは微塵もありません。神様を中心とした祝福結婚を通して、超人種的に真の家庭の理想を実現することは、一つの世界を創建していく近道なのです。
これを看破した私は、一九六〇年代以降、人種や国境、文化を超越して国際交叉祝福結婚を主導してきたのです。特に、日韓米三ヵ国の女性たちを世界の男性たちが配偶者として迎えたいと考えるケースが多くなります。世界がだんだんと近くなるに従って、国際祝福の貴い価値は、より一層輝くようになるでしょう。
この機会に、三ヵ国の根本的な関係を摂理観的側面から探ってみようと思います。人類歴史は、神様の救援摂理歴史であり、救援摂理とは、失ってしまったものを取り戻す復帰摂理です。
したがって、エデンの園において堕落したアダムとエバと天使長との関係と堕落した家庭の最初の結実であるカインとアベルとの関係が世界的に拡張されたものが、今日の韓国と日本、そしてアメリカと世界の関係なのです。六千年の全体歴史を総蕩減する終末において広がった国際関係も、摂理的な理解から探ってみなければなりません。日本は、伝統的に女性神である天照大神を信奉する国です。
ですから、今回の会議に、日本からは、エバ国家、女性国家の代表として男性指導者たちが参加し、韓国とアメリカからは、主に女性たちが参加したのです。韓国は、摂理的にアダム国家であり、さらには父の国なので、その女性指導者たちは父の妹格となり、神様のみ旨のために共に思い悩み、精誠を尽くさなければなりません。
本来キリスト教は、来られる主の前に新婦の立場です。したがって、キリスト教の代表国家であるアメリカの女性は、再臨摂理の前に娘の使命、妹の使命、新婦の使命を果たさなければなりません。日本は、堕落したエバの立場を世界的に蕩減するために、今からは成熟した神側の母の国としての使命を果たさなければなりません。そのために日本が摂理的に歩んでいく道は、娘として、妻として、母として、女王として、世界の前に犠牲になってでも愛する、そのような道を行かなければなりません。
さらに、日韓米の三ヵ国が中心となって平和世界を成し遂げていくためには、理想的な愛の一家族にならなければなりません。怨讐関係だった過去の恨みを洗い流して一つになる道は、韓国と日本、日本とアメリカの若者たちが互いに交叉結婚をすることです。互いが親戚関係を結び、血縁関係が成立すれば、真の愛の理念に基づいて平和世界を成し遂げていくモデルが生まれるようになるのです。
このように、神様の立体的なみ旨を知っている私は、以前から怨讐国家同士だった韓国と日本、さらに日本とアメリカの若者たちを一つに結ぶ国際交叉祝福結婚を主導してきたのです。先ほどもお話ししましたが、アメリカは、第二イスラエルの使命国家、さらには長子国家として、天の父母に侍ることの先頭に立ち、世界の兄弟国家を助け、導いていく使命をもっています。ですから、アメリカの女性たちの使命は大きく貴いというのです。
私は、今回の会議を通して、人類の未来に影響を与える広範囲な主題に関して、皆様がより深く真摯な討議をされ、共通の合意点に到達されることを願います。併せて、皆様のここワシントンDCでの三日間共に過ごすことによって、心の奥深くからの友誼を増進させる機会となることを願います。
この集いは、三ヵ国の指導者たちが中心となり、二十一世紀を開く新しい基礎を固める契機となるでしょう。皆様の三ヵ国間において、多様な分野で継続して議論し、協力し合いながら、相互連帯を強化させることができるよう、新しい三国協同体が誕生することを期待します。
紳士淑女の皆様。このような日韓米三ヵ国の連帯のための新しい活動は、世界的次元の平和と奉仕の文化を創建する真摯な目標を掲げて持続されるのであり、すべての目標は、必ず成功の座に至るでしょう。この会議が、皆様と共に出発したことだけにとどまらず、今後、皆様によってアジアと世界を導く集いに成長することを願います。皆様に神様の御加護が共にあることを願います。
17.平和国連を通して平和天国を完成しよう
平和経 第九篇
国境線撤廃と世界平和
17.平和国連を通して平和天国を完成しよう
日付:二〇〇三年十月十五日
場所:韓国、ソウル、リトルエンジェルス芸術会館
行事:「超宗教超国家平和協議会」創設韓国本部大会
尊敬する内外の貴賓の皆様。今日の世界は、前後、左右、東西、南北のどこを見回しても、戦争と疾病、人種紛争と宗教的葛藤、そして不倫と腐敗が荒れ狂う絶望の世界です。
大小二百ヵ国以上の国々が五大洋六大州に広がって角逐戦を繰り広げているこの地球星において、果たしてどの国が、今日の人類が直面している様々な問題を解決してくれると思いますか。五十年ほど前、世界平和政府を標榜して出帆した国際連合の現住所はどこにあるのでしょうか。
国連は、自国の利益に血眼になり、政治的な力学関係の奴隷になっている極度の利己主義者ばかりが乱舞する舞踏場となり、一歩も踏み出せない人のような姿に転落してしまいました。世界平和の具現はいうまでもなく、一寸先も予見できない今日の世界情勢に対しても、何の解決策も希望も提示できずにいます。
皆様。きょう私は、実に感激と感動に満ちあふれた思いでこの場に立ちました。私たちは、まず神様に感謝を捧げましょう。今や人類に光明の新時代が明けてこようとしています。神様の恩寵と愛が全世界を照らす平和の天一国を創建する天地開闢の鬨の声が、地軸を揺り動かしています。きょう私は、「平和国連を通して平和天国を完成しよう」という題目で、天がこの時代に人類に下さったみ言の一端をお伝えしようと思います。
この世界には、六十億に及ぶ人類が暮らしていますが、人間の根源がどうなっているのか、ということについて、はっきりと知っている人は誰もいません。失敗したのか成功したのか分からない不明確な過程で歴史は出発し、その歴史が継続して今日まで続き、今は六十億という人類になったのです。
出発が不明確であり、過程も不明確なので、その終わりも不明確にならざるを得なくなったのです。ですから、今日の世界は、混沌と混乱の連続です。
最初から正しい道を見いだしていたならば、混乱や混沌はなく、そのまま地上、天上天国に向かう一方通行となっていたのです。しかし、人間の堕落によって、そのような一方通行の道を失ってしまった人類の運命は、善でもあり悪でもあり、時には上がっては、また下がったりしながら流れてきました。
それでは、善に向かっていた道が、どうして下がっていくようになったのでしょうか。下がっていきたいとは思わなかったのですが、下がっていってしまったのです。それが問題です。善を続けたかったにもかかわらず、仕方なく下がっていってしまったのです。それでは、なぜ善に向かっていたものが下がったのでしょうか。人間の生活が善の絶対的な原則に反するときには下がってしまうのです。それは何を意味するのでしょうか。善と悪の交差を意味するのです。
この世のどんな王や大統領でも、自分たちの主権がいつ上がりいつ下がるのかを知らずに生きています。主権者は、永遠に上がることを願うでしょう。しかし、いかなる主権者でも、真の善の基準に一致せず符合しないときには、必ず勢いがなくなって滅びるようになり、下がっていくのです。
それでは、善悪を主管するのは誰でしょうか。いくら強大な権力を行使する王朝があったとしても、その王朝の支配権によって善と悪が左右されることはないという事実を私たちは知っています。言い換えると、いかなる主権者も、自分の思うままにこれを調整することはできないのです。何か見えない背後の力によって調整されているという事実を私たちは否定できません。
一つの国を見ると国法があります。善を立てるために国法は存在するのです。あらゆる国の憲法が、このように善を擁護し守るために制定されたのであって、破壊する目的で制定された法はありません。したがって、国法を犯せば、誰でも監獄に行くのです。
ところが問題は、どのような国でも、主権者の資質次第で善の基準が誤って適用されることもあるということです。ですから、人類は今日まで、繁栄する道と滅びざるを得ない道の二股の道であえいでいるのです。
人間は二重構造になっています。良心はプラスで天の側に属し、肉欲に支配された体はマイナスでサタン側に属します。本来は、心と体は神様を中心に完全に一つになるべきだったのですが、人間始祖の堕落によってそのようになることができず、体がまた別の主体の立場に立とうとしたので、心と体の間に衝突が起こり、ついにはサタンが体を占領するようになったのです。
堕落を通じ、愛の綱を伝ってサタンの血統を連結させ、人類を繁殖させてきたのです。これが問題です。この心と体の争いは、癌やエイズよりも恐ろしい、慢性的争いになっています。したがって、いかなる犠牲を払ってでも、体を再びマイナスの位置に追い込まなければならないのです。宇宙の法則によって、同じ極同士は反発し合うようになっています。しかし、主体と対象が完全に一つになれば、天運を受けるようになり、宇宙が自動的に保護してくれるようになっているのです。
絶対的な主体があれば、絶対的な対象、すなわち相対は生まれるのです。レバレンドムーンの生涯を見ても、天命を受けて出発した絶対的な主体の生涯の前に、アメリカが反対し世界が反対しても、絶対的主体はなくならず、かえって絶対的な主体を打った側は自動的に対象圏となって吸収されるのです。それは、善なる側に立って反対を受ければ、周囲すなわち宇宙が保護してくれるからです。そのような原理的な観をはっきりと知っているので、レバレンドムーンは、個人的な闘争、国家的な闘争、そして世界的な闘争を経ながら闘って勝利してきました。
人類歴史を調べてみると、今まで神様は、原則的な方向、すなわち真の愛の目的に向かって進んできたのですが、悪魔は、それとは反対の破壊的な勢力によって敵対してきました。サタンが先に人間始祖を堕落させて先手を打ち、家庭、氏族、民族、国家、世界を占有しました。最初に地獄行きとなった人間は、人類の最初の先祖アダムとエバです。天国に入ることができなかったのです。このように、サタン圏によって被造世界が先に占領されたという事実を、皆様は知らなければなりません。
それでは、悪魔とは何でしょうか。神様の民を自分の民にして占有しようとする存在です。他人の子女を拉致して自分の子女にし、厚かましく所有権を主張する恥知らずな者です。ところが、そのような罪悪が露見してすベて奪われるのではないかと心配するあまり、創造の根本となる神様の良心が向かうべき未来の道に、逆に向かって座りこみ、神様と人類の解放を妨げているのです。
その手段として、あらゆる人類の体を占領し、神様が最も理想として重要視される愛をめちゃくちゃにしてしまったのです。今日、皆様が目撃するフリーセックスがその良い例です。愛の道を混乱の中に陥れ、良心が体を自由に主管できないようにするのです。この二つがサタンの戦略であり戦術です。
皆様。フリーセックスはサタンの罠です。世の中の裕福な人たちは、その財力でサタンが仕掛けた罠にはまり、享楽にふけりながら死んでいくのです。サタンは邪悪な人々に、より大きな財物の祝福を与え、彼らが絶対に退廃の沼から脱出できないように防御壁を張っておくのです。酒、たばこ、そして麻薬とフリーセックス、この四つがサタンの主な武器であることを、皆様は知らなければなりません。このような武器を通して、サタンは、人類が肉体的な満足に酔って苦しみ、そのまま地獄行きの列車に乗るように導くのです。
それで、レバレンドムーンは、「人類はこのような悲慘な地獄行きから抜け出し、良心の呵責を受けない真の人間となって真の愛の生活に戻らなければならない」と教えているのです。心と体を一つにして天国行きの列車に乗ることができる唯一の道がその道だからです。
言い表すことのできない反対と迫害の中でも、レバレンドムーンは、八十年余りの生涯を、ひたすら真の愛の回復による人類平和の具現に命を懸け、犠牲の道を歩んできました。決して一瞬たりとも倒れませんでした。命を狙って襲いかかってくるサタンの前でも、絶対的なプラスの立場を固守して、あらゆることを克服し、自動的に絶対的なマイナスを確保してきたのです。一言で言えば、本然の創造原則に従ってきた生涯でした。
レバレンドムーンは、宇宙の原則に従って生きてきました。いかなる苦難と逆境の中でも、絶対に妥協せずに天の道を歩む一本道を貫く男です。勝利者の位置まで進みさえすれば、神様をはじめとしてあらゆる被造万物が、万歳して歓迎する道がその道であることをはっきりと知って出発したからです。サタンは、いつも天とレバレンドムーンを嘲弄しながら、自分の勢力版図を誇ってきました。
「私の武器は永遠にさびつかない。いくら全知全能の創造主である神様も、このような戦いでは私に勝てない。見よ!体のほうが良心を完全に踏みにじっているだろう。今では愛も、完全に私の計略どおりに転落してしまった。祖父が孫娘と、息子が母親と連れ添って暮らすおもしろい世の中になっているではないか。このような悪の世界を、どのようにして再び神様の理想世界にひっくり返すというのか。どこの誰にそのようなことができるというのか」。
しかし、神様はこのように叫んでこられたのです。「待っていなさい、サタンよ!真の父母であるレバレンド・ムーンの活躍によって、地上界では既に真の愛の影響圏が次第に広がっていっているではないか。真の父母が真の愛の主人である。真の愛の王である。サタン、お前もこの真の愛の前では、なすすベがないではないか」。
皆様、それでは、真の愛はどのようにして復帰するのでしょうか。これは真の父母の責任です。いつも良心世界が勝利する本然の世界、すなわち人間にとって最も高貴なその絶対善の世界を探し立てなければならないのです。その秘密は簡単です。
真の父母、真の愛、真の生命、真の血統の前では、偽りの父母であるサタンは、いくらじたばたしてもなすすベがないのです。神様のみ旨に永遠に一致するためには、神様と人類が真の愛を中心として主体と対象の関係を永遠に結んでいくことです。そのような永遠の関係の中に、どうしてサタンが割り込むことができるでしょうか。
皆様が、神様の創造理想であるために生きる真の愛を中心とした生活さえするようになれば、祝福を受けて真の血統に連結され、永生まで保障されるのです。皆様の子孫を通して、真の愛、真の生命、真の血統が永遠に続いていくのです。
しかし、そこには真の父母が絶対に必要です。誰彼を問わず、人類は例外なく堕落の後裔です。堕落によって一寸先も予見できない盲人になっているのですから、誰が誰を救うことができるというのでしょうか。
神様が直接送られた誰かが、すなわち、人間の堕落とは無関係の立場に立って世界を診断し、人類を死亡の道から救い出せる、その誰かが現れなければならないのです。正にその立場でレバレンドムーンが来たのです。神様がレバレンドムーンを人類の救世主、メシヤ、再臨主、真の父母として、印を押して送られたというのです。
したがって人類は、今後真の父母の教えに従って、絶対良心圏を復帰すればよいのです。そこから初めて絶対的な所有権も得られるのです。絶対愛権と絶対生命権、そして絶対血統権も、正にそこから見つけ出すようになるのです。
したがって皆様は、まず、神様と一つになる道を見いださなければなりません。それは何を通して可能でしょうか。ために生きる愛の基盤はどこから出発するのでしょうか。皆様の愛の器官です。皆様の生殖器が、ほかならぬ皆様の愛の王宮であり、生命の王宮であり、血統の王宮なのです。そこを通して生命が結ばれ、そこを通して愛が成就し、そこを通して血統が連結される、この厳然たる真理を、人類は今日まで知らずに生きてきたのです。
知ってみれば、これよりも貴い真理はありません。数千、数万年間、人間を支配してきたサタンも、ほかならぬこの生殖器を通して支配してきました。一八〇度方向を変えて、人間の堕落を引き起こしたのです。
もし堕落がなかったならば、救世主、メシヤ、再臨主、真の父母などの単語は必要ありませんでした。しかし今、人類の真の父母がこの地に再臨したので、人類はサタンの束縛から解放されるようになったのです。堕落によって失ってしまったあらゆるものを再び回復できるようになったということです。また本心を通して、人間の本然の価値を取り戻せるようになりました。二度とサタンがのぞき込めない絶対的な善の世界圏を完成するようになったのです。
真の父母の勝利圏とは何を意味するのでしょうか。サタンとの闘いにおいて、すべて勝利したということです。個人的な圏内で勝利し、家庭的な次元で勝利し、氏族的、民族的、国家的、世界的な基準で完全勝利を得たのです。それは決してたやすくはない険しい路程でした。しかし、万難を克服して勝利を勝ち取り、ついに二〇〇一年一月十三日に「神様王権即位式」を奉献することによって、神様までも解放してさしあげる奇跡を成し遂げました。
世界的な次元で共産主義の根を抜き、アメリカのキリスト教を再び生かしてあげている人もレバレンドムーンです。それは、真の父母の任務なのです。それだけでなく、没落した共産主義諸国までも、真の父母は再び真の愛で赦してあげ、抱いていくのです。共産圏を解放させ、生かしてあげているのです。
皆様。レバレンドムーンは、既に十年以上前から、世界のすべての祝福家庭に「氏族的メシヤになりなさい」と宣言しました。自分たちの氏族の新しい先祖になりなさいというのです。皆様のあらゆる先祖が歴史を通して切実に抱いてきた願いが、ほかならぬ氏族的メシヤです。
人類のメシヤとしてあらゆることに勝利した真の父母様の基盤を相続させてあげるので、皆様も氏族的次元で勝利したメシヤになりなさいということです。レバレンドムーンから祝福を受けて祝福家庭の隊列に入った家庭は、今や世界を率先して導く指導者であり、氏族的メシヤとして人類を救う救世主になるのです。
数千、数万年待ち望んでこられた神様の恨を解いてさしあげる孝子となり、愛国者となるのです。あれほど悪辣だったサタンの反対と迫害に勝利し、あらゆるものを相続させてくださる真の父母の勝利圏を、あらゆる方面に展開する前衛隊となって、全世界を解放し、天のみ前に探し立てるのです。氏族的メシヤは、人類のメシヤから分かれた枝のようなメシヤ格です。この分枝メシヤから葉が出て、花が咲き、実を結ぶようになれば、その実は、大本のメシヤの価値をそのまま一〇〇パーセント所有するようになるのです。善なる霊たちが保護できる圏内に進入するようになるというのです。
皆様。人類は、再び故郷を訪ねていかなければならない運命に置かれています。ところが、故郷を一時離れた人はその故郷を再び訪ねていくことができますが、故郷を失った人は、思いどおりに帰っていくことができません。人類歴史の始まりとともに、人間は故郷を失ってしまい、追い出されて彷徨するジブシーとなって生きてきました。帰ろうとしても帰ることのできる立場に立つことができず、帰る道も知らないまま、故郷を失った旅人となって数千年さまよっているのです。
北朝鮮から独り避難してきて失郷民となって暮らしている方々は、その無念でつらい生活がよく理解できるはずです。友人もなく、兄弟もなく、父母もない立場です。
故郷があることは知っていますが、思いどおりに訪ねていくことができる故郷ではありません。訪ねていく道も知りません。極端な環境で生活しなければならない立場です。それこそ何の基盤もなく、ゼロから再び人生を開拓していかなければならない壮絶な立場なのです。たとえ運がよく、避難生活の中で裕福になり、出世したとしても、彼の心の深いところに根づいた故郷に向かう哀切な願いは、消し去ることはできないのです。
同じように、人間始祖の堕落によって天涯の孤児となってしまった人類は、今日まで故郷を失ってしまったかわいそうな立場に転落して生きてきたのです。故郷の主人であられる神様が厳然として待っておられるのに、人類は故郷に帰るという願いまでも忘却したまま生きてきました。天地の前に顔も上げられない恥ずかしい姿になってしまいました。
六十億に規模が拡大する時まで、人類は昼夜を区別できない悲惨な生活を送ってきたのです。そのような子女たちの姿を見つめておられる神様は、どれほど悲惨な心情でしょうか。子女の悲惨な姿を見て、父母以上に悲しく苦痛に思う人がどこにいるでしょうか。神様は人間を御自身の子女として創造されたのです。
そうだとすれば、神様の願いは何でしょうか。何としてでも、道に迷った子女たちが故郷を訪ねてこられるように解放してあげることです。その道を開くための作戦が宗教の出現です。宗教運動を通して、それぞれが置かれている環境、言語、文化、民族的背景、理念、体制、思想を超越して、共に故郷に帰っていくことができる基盤を築いてこられたのです。神様は、皆様が暮らしている環境圏を数限りなく訪ねながら、心を痛め、気をもみつつ、その日だけをお待ちになったのです。
各時代と文化に合う宗教運動を通して摂理してこられた人類の縦的真の父母が、ほかならぬ神様であることを、皆様は知らなければなりません。このすベてのものは、ある特定の宗教団体のためのものではなく、ある特別な国家のためでもありません。すべてが皆様自身の解放のための、神様の真の愛の発露だったのです。皆様が自由に故郷を訪ねていける橋を架ける作業だったのです。
したがって、皆様一人一人は、皆様の家族はもちろん、皆様の国家と人類全体を代表し、さらには霊界に行っている皆様の先祖たち、そして、将来生まれてくる皆様の子孫までも代表する立場に立っていることを銘記してくださるようにお願いします。そのような貴い解放された姿として、天と人類の前に責任を完遂する私たちにならなければなりません。
私たちが故郷を慕うのは、そこにために生きる愛があるからです。父母の愛、兄弟姉妹の愛、妻子と隣人、親族たちの愛が所々にしみ込んでいる地です。そのすベての縁と関係が、ために生きる愛によって結ばれており、すべて抱きかかえたいと思う情愛深い所です。解放された自分となって、そこに堂々と現れ、山川草木を抱き、一家親族を愛しながら歓喜の歌を歌いたいと思うのが、故郷を失った旅人の郷愁であり、願いなのです。
故郷を追われ、本郷の心情の根を失ってしまい、故郷に行きたくても行けなかった、永遠の孤独の敗亡者である人類が、流浪の旅人として生きたのちには地獄にしか行けなかった人類が、今や解放されて、夢にも忘れられなかった故郷を訪ねていくことのできる道が開かれたのです。人類にとって、これほど大きな祝福の日がいつまたあるというのでしょうか。アダムとエバが失ってしまった故郷を、皆様が見つけ出してあげるのです。
皆様が故郷を訪ねていく時は、アダム完成の立場で、イエス様完成の立場で、そして再臨主の代身者の立場で行くのです。その家庭には神様が臨在されます。祖父母、父母、子女、孫と孫娘が一緒に暮らす四代の家族となるのです。祖父を歴史的な先祖の根として侍って暮らさなければなりません。
そのような家庭に歴史の根が生きており、天国の根が伸びて入ってきているのです。地上天国の根が下りている所がそのような家庭です。永遠に続く王権の根もそこに定着するのです。過去、現在、未来の根がそれぞれ祖父母、父母、孫と孫娘で代表されるのですが、過去の根は霊界を代表し、現在の根はこの世界を代表する王宮であり、未来の根は孫と孫娘を王子と王女として立て、二つの世界、すなわち霊界と肉界を代表する平和の宮殿を建てて暮らすのです。
このように祖父母、父母、子女、孫と孫娘を中心として、四代が一つの家庭で、永存される神様に侍って暮らす天一国家庭を探し立てることが氏族的メシヤの使命であり、神様の願いなのです。神様も、どこかに外出してから、慕わしくて再び訪ねてくる家庭を探し立てなさいというのです。父母が子女の家を訪ねていくように、気楽に訪ねることができる家庭を準備しなさいというのです。それがほかならぬ神様に侍って暮らす生活なのです。
そのような家庭には、神様が縦的な良心の主体となり、その縦的主体に従って皆様は心と体を統一するのです。そこでは、父母の愛、夫婦の愛、子女の愛、兄弟の愛の四大愛圏、すなわち四大心情圏が完成するのです。そのような家庭であってこそ、上下、前後、左右が一つに連結され、球形運動を続けながら、永存するようになるのです。
皆様。結婚はなぜしなければならないのでしょうか。主人の位置を見いだすためです。男性も女性も、独りでは片側の人間にしかなりません。神様の創造はそのようになっています。それで神様は、愛の器官である生殖器の主人を互いに取り替えておいたのです。妻の生殖器の主人は夫であり、夫の生殖器の主人は妻なのです。互いにために生きる愛を中心としてこそ、相手の主人の位置に立てるのです。このような主人の位置を確保するために、人間は結婚するのです。
それでは、主人の位置を見いだしてからは何をしようというのでしょうか。その位置で神様を占領しようというのです。神様は三大愛の主体でいらっしゃいます。天宙の主人として、「真の愛の師」、「真の愛の主人」、「真の愛の父母」でいらっしゃいます。これが正に真の三大主体思想です。このようなすべての教えと真理が、真の家庭の生活を中心として創出されるのであり、これを拡大すれば、社会と国家、そして世界と天宙までも平和の王国に変えることができるのです。
還故郷する氏族的メシヤの姿勢は、堂々として毅然(きぜん)たるものでなければなりません。そこには不平はあり得ません。大声で痛哭しながらでも行かなければならない宿命の道です。数千数万年、子女を失った恨の心情を抱いてお待ちになった父なる神様の事情を知るならば、涙なくしては行くことのできない道であることを知らなければなりません。
また、愛の種を蒔くために行く皆様の足取りは、希望に満ちあふれていなければなりません。一度蒔いた真の愛の種は、誰一人として盗んでいくことができません。真の愛の心情の種だからです。その種から芽生えた家庭や国家は、永遠に神様の所有として残り、子々孫々神様の代身者を輩出する天の名門の家となり、一等国となるのです。
皆様。今、神様の人類救援のための摂理は、完結すべき切迫した摂理的時期に到達しました。子女を愛する父母の心情が、取りも直さず神様の人類に対する愛であり、心情なのです。このまま放置しておくことはできないこの世界の淪落と不道徳を正し、永遠に戦争と葛藤の壁を撤廃するために、神様はついにこの地にレバレンドムーンを派遣されました。神様御自身の実体として顕現した救世主、メシヤ、再臨主、真の父母の資格を賦与して送られたのです。
そして最近、神様は自ら書信を送られ、レバレンドムーンの一生を慰労し、激励するだけではなく、霊界の五大聖人と数多くの歴代の預言者と王たち、そして驚くことに、ヒトラーのような希代の殺人鬼だけでなく、スターリンやレーニンのような赦し難い共産主義者たちまでも、レバレンドムーンの教えを受けて悔い改め、感謝の手紙を送ってきています。
しかし、過去を顧みれば、当然、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の道理を果たして侍り、奉るべき真の父母であるレバレンド・ムーンに対し、人類は逆に、迫害と苦難で綴られた荒野路程八十有余年を歩ませてしまったのです。だからといって、挫折したり放棄したりするレバレンドムーンではありません。その程度の人間であるならば、神様は最初からレバレンドムーンを御自身の代身者として、この地に降臨させることはなかったはずです。
言葉で言い表せない受難と逆境を克服しながらも、レバレンドムーンは、一度たりとも神様を恨んだり、与えられた使命を避けたりすることなく、ついに神様のみ旨を完成させてきました。天の摂理を知らない皆様は、自分だけの志を立てて生きてきたかもしれません。しかし、レバレンドムーンの一生は、天のみ旨に従い、天宙の公人として一点一画の狂いもない真の父母の真の愛を実践する生活によって、人類救援のためにすベての蕩減を勝利してきた生涯でした。
尊敬する貴賓の皆様。今や人類は、希望をもって力強く前に向かって前進できる時代圏に入りました。既存の国連の不正と不条理を根絶し、人類の様々な問題をその根本から解決できる「アベル国連」が誕生したのです。去る十月三日、レバレンドムーンの志に従う千五百人余りの世界の指導者たちがアメリカのニューヨークに集まり、この歴史的で摂理的な「アベル国連」の創設を成し遂げたのです。
レバレンドムーンは、既に三十八年前、アイゼンハワーアメリカ元大統領と会って「アベル国連」の必要性を力説したことがあります。ところが、天の時を悟り得ない責任者たちの無知によって、きょうまで摂理が延長されてきたのです。しかし、天はこれ以上待つことができなくなりました。今年、摂理的な要請によって、レバレンドムーンに従う数多くの義人たちが、怨讐間の感情を拭い去って立ち上がりました。
同じ場に一緒に座ることも拒否してきた宗教指導者たち、すなわち第一イスラエル圏を代表するユダヤ教の聖職者たち、イスラーム圏を代表する中東の聖職者たち、そしてキリスト教を代表するアメリカの聖職者たちが、エルサレムに結集して、互いの手を握り「エルサレム宣言」を発表しました。続いて、第二イスラエル圏であるキリスト教を代表するアメリカの首都ワシントンDCにおいても、数多くの宗教指導者たちが教派を超えて集まりました。彼らは、霊界から送られた、五大聖人をはじめとする多くの指導者たちの決意文に呼応して、地上決意文を宣布しました。
このように、エルサレムとワシントンDCでの宣布の土台の上に、去る八月十五日には、韓国ソウルで第三次宣言である「ソウル平和宣言」を採択し、参加したユダヤ教、イスラーム、キリスト教などの聖職者全員の名前でこれを満天下に宣布しました。
「アベル国連」が創設されるまでには、このような摂理的な準備と段階があったことを覚えておいてください。「アベル国連」とは「平和国連」のことを言うのです。既存の国連がカイン的国連であり、紛争の国連であるのに対して、「アベル国連」は、世界平和を保障する国連だからです。これこそ神様の人間創造以来、最も革命的で驚異的な事件と言わざるを得ません。
これから世界は急速に変わっていきます。全霊界の千二百億組を越える善なる祝福家庭が総動員されており、地上界でも、今は数万人の平和大使たち、そして世界の至る所でこの「平和国連」の成功のために烽火を掲げた指導者たちの数が数哲万人に達しています。
人類は、今や「平和国連」を通して神様と人類が何よりも待ち望んだ「平和の天国」をこの地球上に創建すベき責任があります。神様を私たちの王として迎え、内的には天一国、外的には第四イスラエル国を中心として、この地上に霊界と肉界の二つの世界を代表する超宗教超国家的平和世界を創建して安着させる責任があるのです。
平和国連を通して地上天上天国創建
レバレンドムーンは、今まで八十年余りの間に血と汗と涙で築いてきたすベての基盤を、今喜んで「平和国連」の所属として帰属させることを満天下に闡明(せんめい)する次第です。また私が創設し、現在世界百九十一ヵ国に宣教部を設置している家庭連合をはじめとして、数十の各種団体と機関が最初に「平和国連」の所属になるのです。アメリカの「ワシントンタイムズ」とUPI通信社、中東の「ミドルイーストタイムズ」、南米の「ティエンボスデルムンド」、韓国と日本の「世界日報」などのすべての言論機関も、きょうからは「平和国連」の代弁言論となるのです。
さらに、韓国の鮮文大学、アメリカのブリッジポート大学、仙和芸術中高等学校、善正女子中高校などの様々な教育機関も、「平和国連」の崇高な目的のために指導者を養成する専門教育機関となります。スポーツ部門でも大韓民国最高の名門サッカーチームとなった一和天馬サッカーチームはもちろん、ブラジルの有名プロサッカーチームとして定着したソロカバとセネも、同一目的のために力を合わせるでしょう。
皆様。レバレンドムーンには、世俗的な未練は何もありません。十六歳(数え)という青年の年から天命に従って歩んできた八十年余りの生涯でした。残る生涯も、引き続き天命を実現するために、未練なく天のみ前に奉献していきます。「平和国連」を通して神様の恨を解いてさしあげ、真の愛を中心とした自由、平和、統一、幸福の地上、天上天国を必ずこの地上に創建してみせます。
貴賓の皆様。どうか今からでも心の扉を大きく開き、一心、一体、一念の精神で天の召命を受けられ、真の父母様の伝統に従って、真の師、真の主人、真の父母の生活を実践躬行してくださるようお願いします。その道が正に天と真の父母様の代身者となる道であり、相続者となる道なのです。そして、平和王国を創建する真の愛の道理であり、使命なのです。
貴賓の皆様。きょうこのように尊い天のみ言に接することになった御縁を大切に心の奥深くに刻み込むように願います。今から新しい次元の生活を開拓していく皆様の壮途に、天の大いなる祝福を祈願する意味で、私の報告祈祷文を代読させて本大会を天のみ前に奉献しようと思います。ありがとうございました。
18.平和王国時代における人類とアメリカが行くべき道
平和経 第九篇 国境線撤廃と世界平和
18.平和王国時代における人類とアメリカが行くべき道
日付:二〇〇四年四月十九日
場所:アメリカ、ニューヨーク、ニューヨーカーホテル
行事:第四十四回「真の父母の日」
尊敬する内外の貴賓の皆様。まずはきょう第四十四周年「真の父母の日」を祝うために全世界からお越しいただき、この場に参加してくださった各界各層の指導者の皆様に心より感謝申し上げます。特別に今回、きょうまで常に私と共にあられ、守ってくださった神様にすべての栄光をお返し申し上げ、深い感謝を捧げます。
私は生涯を通じて、神様の創造理想を実現するという一念で、諸般の難問題の解決のために苦心してきました。分かってみると神様は、栄光と尊貴な玉座にいらっしゃる方ではなく、堕落して地獄に落ちた子女たちを捜し出して救うために全力を尽くしてこられた、悲しみと嘆きと苦痛の神様でした。
そのような神様のみ旨と心情を知るようになった私の生涯は、一言で言えば、夜も昼も、季節も、環境も跳び越え、ひたすら神様のみ旨を成就するために全身全霊を尽くしてきた日々でした。今や摂理の進展は、天一国宣布四年目を迎えました。摂理の進展に従って、昨年五月四日の「創造理想主管圏大転換時代宣布」と七月十三日に宣布した「蕩減復帰摂理の撤回」を契機として、蕩減革命、良心革命、心情革命の烽火が燃え上がっているのです。
二〇〇三年八月二十日に宣布された第四次イスラエル国を実体化するための努力と第一イスラエル圏である中東の平和のための精誠によって、ついに二〇〇三年十二月二十二日、エルサレムでイエス様の王権即位式を奉呈しました。このような勝利的基台の上で、二〇〇四年三月二十三日、第二イスラエルであるアメリカの国会ビルで平和王権即位式が行われ、それを契機として、人類に真の解放、釈放の時代が近づいてきました。年頭に宣布した「神様の祖国と平和王国時代」が現実化され始めたのです。
私は去る一九七一年に、天の命令に従ってアメリカに渡ってきました。三十年以上もの間、あらゆる迫害を受けたにもかかわらず、私がきょうこの場に皆様と席を共にすることができたのは、神様が共にいてくださったお陰であると思います。
きょうのこの意義深い日に、皆様と共に神様の摂理的な視点から歴史と世界を理解するために「平和王国時代における人類とアメリカが行くべき道」という題名でお話しいたします。
神様の救援摂理的歴史観の立場から見るとき、歴史の終末は、サタン主管の悪なる歴史の終末であり、同時に神様主管の善なる歴史の出発の起点となります。したがって、終末とは天の摂理の全般を完成させなければならない時です。すなわち終末は、個人完成を完結させなければならない「終わりの日」であり、家庭、民族、国家、世界、さらには天宙の完成を完結させなければならない「終わりの日」なのです。
神様は、摂理路程において終末期を迎えるたびに、神様中心の理念圏に人類を引っ張ってこられましたが、実際、人類は自ら責任分担を果たすことができず、悪なる歴史を整備して善なる立場に立つということを成し遂げることができませんでした。しかし、神様は、絶対、唯一、不変、永遠の方なので、神様のみ旨に対する予定もまた絶対です。
ですから、神様は、堕落によって人類が失った真の個人、家庭、社会、国家、世界、そして真の主権の復帰を通して、天上と地上に神様が運行するその世界を探し出して成し遂げられるのです。神様が探しておられる本然の世界は、どのような世界でしょうか。その世界は、真の父母を中心とした真の世界です。
しかし、人類は堕落によって、歴史の過程ではなく、歴史の始まりの時点において、人類の真の父母と真の世界を失ってしまいました。その結果、堕落によって、私たちが住んでいる地も、人類が所有する理念も、どれ一つとして真の父母と直接関係をつないでくれるものはないのです。ですから、人類は何よりもまず「真」を見つけなければなりません。
そうして、真の父母、真の夫婦、子女、民、万物、主権、宇宙が、真の神様の心情を通じて共に動ずることができる、そのような日が、人間世界において悪なる世界の「終わりの日」になるのです。そのような理想が実現するその時が「終わりの日」であり、すなわち再臨の時期です。ですから、再臨の時期は、火の審判があり、地が割れ、信じる人が空中に引き上げられたりする、そのような天変地異の現象が起こるわけではありません。絡み合った曲折の悲運の歴史が蕩減され、個人から家庭、社会、国家を経て、世界が正しく立てられる時なのです。
縦的に失った個人、家庭、社会、民族、国家、世界を再び探し出し、横的に連結させて、歴史的な個人、家庭、社会、国家、世界を成し遂げる時です。人類が願って生きてきたその日が、人類の希望であり、人類歴史が行くべき終着地なのです。ところが、個人も、家庭も、国家も行く道を失ってしまいました。
危機の世界を救うためのレバレンドムーンの生涯
世界では各種の公害問題や食糧問題、さらには宗教間の葛藤、人種間の対立などが至る所で起こっており、各種の紛争の主要な原因になっています。誰がこの世界に責任をもつのでしょうか。深刻な問題です。
過去に共産主義国家も自らの民族主義を越えることができませんでした。今日の強大国アメリカも汎米主義理想を越えることができずにいます。自国の利益だけを前面に立てる場合には、世界を指導することができません。自らを供え物としてでも世界人類を抱き、より次元の高い理想的な国に前進しようという理念によって団結した、ある民族、ある宗教が必要な時です。
そのような側面から、私は神様の命を受け、ここアメリカに来て、青年たちを教育しながら、没落していくアメリカの道徳的な危機に対して強い警告を与えるとともに、地に落ちたキリスト教の再復興のために全力を尽くしてきました。皆様はレバレンドムーンの教えの核心が何か気になるのではないでしょうか。その答えは簡単です。
第一は、「より大きなもののために犠牲となって生きよ」ということです。個人は家庭のため、家庭は氏族のため、氏族は民族のため、民族は国家のため、国家は世界のため、世界は神様のために生きよということです。
そのようにすれば、その神様は結局、「私」を訪ねてこられるのです。家庭でも、父母は子女のために生き、子女は父母のために生き、夫は妻のために生き、妻は夫のために生きなければなりません。よりために生きる人が善の中心者になるのです。
第二は、怨讐を愛することです。神様は、堕落して悪魔サタンの子女となってしまった人類を救うために、ひとり子イエス様を遺わして、犠牲の道を歩ませました。怨讐を実の子よりも愛するところには、サタンも自然屈伏するのです。いつもサタンの戦略は打って奪われるのであり、天の戦略は打たれて取り戻してくるのが公式的なものとなっています。私が全生涯を通じて、数多くの迫害と苦難を受けてきたにもかかわらず、今日、全世界百八十五ヵ国に宣教基盤を築くことができたのは、そのような天理に従って生きてきたからです。
内外の貴賓の皆様。今まで神様が投入し、犠牲となったものはすべて、誰のためのものでしょうか。それはアメリカのためでもなく、キリスト教自体のためでもありませんでした。結局は、堕落によって失った「私」一人を救うためだったことを知らなければなりません。
堕落が一個人から始まったので、救いも一個人から始まらなければならないのです。ですから、代表的な一人の人が現れて、「この時代の責任を果たします。神様に人間が負わせたすべての負債を清算し、堂々と善なるものをお返しできる私になります」と自覚しない限り、復帰する道はありません。
漠然とした立場では絶対に蕩減復帰はできません。観念的であってはいけません。悲惨なことがあれば、神様に代わって、悲惨さを被っている当事者以上の心情をもつことなしに、神様の心情に到達することはできないのです。
皆様は、自分の子女が死んでいくというそのような深刻な心情で、世界の人類のために祈ってみたことがありますか。皆様は個人を犠牲にして家庭を救い、氏族、民族、国家、世界を救うために、どれほど精誠を尽くしましたか。そのような点では、誰も自信をもって答えることができないでしょう。そのような絶対的な基準の代表者として来られた方が再臨主なのです。
人間始祖が堕落して以来、救いの摂理を展開してこられた神様は、アダムの時から二千年後にアブラハムを立てられ、その子孫の中から選民を立て、新しい家庭、氏族、民族を編成したのですが、それが正にイスラエル民族です。メシヤを迎えるための勝利的な基台の上に召命された選民がユダヤ民族だったので、将来メシヤを実体で迎えるための主流民族となったのです。主流民族にならなければなりませんでした。
その主流の真髄を調べてみると、本来、人間始祖アダムとエバが果たせなかった使命を再現するための基準と理念が必要だったのですが、それが正にメシヤ思想であり、キリスト教徒たちの立場からして見れば、新婦思想なのです。主を新郎として迎えるために、新婦としての資格を準備することが、キリスト教の最も重要な使命なのです。
そのような重大な使命があったにもかかわらず、ユダヤ民族はイエス様を十字架で処刑することによって、第一イスラエルとして召命を受けたユダヤ民族は流れてしまい、第二イスラエルであるキリスト教が、その使命を継承してきたのです。神様は、その一つの目的を中心として六千年間摂理してこられましたが、その摂理の終末が今のこの時代なのです。
それでは、メシヤ思想の核心とは何でしょうか。それは世界を救い、統一する思想であり、本然の理想家庭を築くことのできる教えであり、人間始祖が堕落によって失ってしまった真の父母の位置を取り戻すということです。
聖書の教えを見ても、メシヤは、父の権勢をもって来られ、聖霊の実体の立場である新婦に出会い、真の父母の位置を回復される存在です。ヨハネの黙示録に預言されている「小羊の婚宴」の後に、新郎と新婦は真の夫婦の段階を経て、真の父母となるのです。
そのような使命のために来られた方がイエス様でした。イエス様は、イスラエルの不信によって民族と国を失ってしまいましたが、神様の希望だった世界と天国のために命を捧げました。十字架にかけられたイエス様の苦難の路程は、神様と共に歩まれた苦難の道でした。
イエス様は茨の道にあっても、「彼らの罪をお赦しください!」と切に求めました。死んでいく場でも、未来の勝利を期して、ローマと、反対する群れを祝福したのです。
ですから、イエス様の生涯は三十三年で終わったわけではなく、神様の援助の中で、歴史とともに続いてきたのであり、彼の精神を継承したキリスト教は、世界的な宗教にならざるを得なかったのです。
内外の貴賓の皆様。アメリカは今、世界で最高の強大国と言われていますが、神様の摂理の線上に正しく立たなければ、いつまでも強大国であり続けることはできないでしょう。人類史を文明論から見ると、古代文明の発祥は主に熱帯圏で始まりました。マヤ文明、インカ文明、エジプト文明、インド文明と中国の黄河文明など、古代文明の発祥地は、亜熱帯圏や熱帯圏でした。
人間が堕落しなかったならば、春の季節に当たる温帯文明から文明が始まるべきでしたが、熱帯文明から始まり、秋の季節に当たる冷帯文明圏に属するようになりました。それは自由世界を中心とした温帯文明圏であり、西洋文明がその中心です。赤道を中心として見ると、その文明圏は大体北緯二十三度圏に連結しており、アメリカ、イギリス、ドイツなど西方の先進諸国がこれに該当します。
秋の季節に当たる涼帯文明圏が終わり、冬の季節に当たる寒帯文明がしばらく押し寄せてくるようになります。それが共産主義の出現でした。知識人たちの多くは、ソ連の解体後に、戦後の冷戦体制は終わったと考えていますが、いまだに唯物論と無神論は、無力化した民主と共産の二大思想の代替理念として世界の随所に蔓延しています。
本来、神様の創造理想は、春の季節の温帯文明から始まるべきだったのですが、人間の堕落によって熱帯文明の原始的な状態から出発したのです。これからは、涼帯文明の危機と寒帯文明の脅威を越えて、古代から人類が追求してきた真の春の文明である温帯文明が現れるでしょう。
誰が寒帯文明の冬の季節を溶かすことができるのでしょうか。権力や経済、科学や知識では不可能です。河川と海岸を中心とした文明の循環を調べてみても、文明は循環しています。ナイル川、チグリス川、ユーフラテス川を中心に発達した文明は、ギリシャ、ローマ、スペイン、ポルトガルを中心とした地中海文明に移り、その地中海文明は、イギリスとアメリカを中心とする大西洋文明を経て、最後にはアメリカ、日本、韓国をつなぐ太平洋文明圏で結実するようになるのです。
そのような文明史的な観点から見ると、韓半島の位置は極めて重要です。韓国は、北方にロシアと中国をつなぐ寒帯文明圏の極地点があり、南方にはアメリカと日本をつなぐ涼帯文明圏の極地点があります。したがって、ここに二大文明を消化できる世界史的な春の季節の温帯文明圏が誕生するというのが摂理観です。
そのような側面から、その二大文明の結実地である韓国から、人類的課題として残されている世界の南北問題と東西問題を解決するために生涯を捧げてきたレバレンドムーンが現れたというのは、神様の摂理的な帰結と言わざるを得ないのです。
実際に、私が生涯を通して人種と理念と国家を越えて、「神様のもとの一つの世界」運動を展開してきたのは、そのような神様の摂理に沿った道だったというのです。これは摂理史的な原則であって、私がつくりあげた特別な理論ではありません。
天のみ旨を悟った私の活動は、理論だけではなく、以上のような神様の構想を実現するため、外的に五大洋六大州で私の手が及んでいない所がありません。アラスカ、南極、南米の三十三ヵ国、旧ソ連邦の各国とアジア、アフリカ大陸の国々など、全方位的な宣教と事業基盤を通して、到来した新千年紀の時代に、人類が直面する公害や食糧問題などを解決できるように準備をしてきたのです。近年にはブラジルのパンタナールとアマゾンを中心として、地球環境保全に対する実質的な基盤を整えてきました。
一方、内的には、これまで「国際合同結婚式」と「真の家庭の価値誓約運動」を通して、これまで四億組を目指して式典を挙行し、神様が長い間、待ち望んでこられた理想家庭を土台とした地上天国の建設に拍車を掛けてきたのです。
内外の貴賓の皆様。これまで世界は、政治、軍事、経済面において優越した力をもった国々が支配してきました。しかし、神様の摂理と一直線上に立たないとき、永遠の国はありません。輝かしいギリシャローマ文明の滅亡が、そのよい例です。今日、超強大国にそびえ立ったアメリカは、過去のロマと同じ立場です。ローマの滅亡は、外からの侵犯というよりは、道徳的な堕落という内的な原因によって天の運勢が離れたからでした。
一時期は労働者と農民を主体とみなす唯物論と唯物史観に立脚した政治勢力が、旧ソ連と中国を中心として世界の人口の三分の一、地球面積の三分の二を占有したこともありました。しかし、それも永遠には続きませんでした。今後は、神様のみ旨を代弁する宗教人たちが勢力を得る時が来るでしょう。
宗教指導者は、神様のみ旨を地上に宣布し、人類に進むべき方向を提示してあげる預言者です。しかし、今のように四分五裂となって継続されてきた教派間の葛藤と宗派間の争いは、神様の摂理に対して障害となるばかりです。
ですから、私はかなり前から教会の全体予算の半分以上を超教派、超宗派運動に投入し、宗教間の葛藤を解決するために努力してきたのであり、さらに「世界平和宗教連合」を創設し、宗教団体間の和解と一致によって、人類平和を増進する運動の先頭に立ってきました。全人類は、人種と宗派を超越して、創造理想世界の実現に向けた神様の摂理を理解し、究極的には神様の心情と一致点をもたなければなりません。
堕落によって失ってしまった神様との心情的関係を回復して、本然の父母と子女の位置を取り戻さなければならないのです。したがって、神様が約束された「終わりの日」は、真の父母が顕現する日です。言い換えると堕落によって父母を失った人類が、本然の父母を再び迎えることのできる希望の時なのです。
したがって真の父母は、人類歴史の希望の結実体であり、望みの結実体であり、勝利の結実体です。統一教会は、このような伝統を、国際合同結婚式を通じて世界化してきました。民族と人種、皮膚の色を跳び越え、黒人と白人、黄色人種の人々が同じ兄弟姉妹として一つになり、夫婦となることは、地球村を一つにしようとする神様のみ旨の成就において、最も重要なことの一つなのです。
今日、そのように人類は、失った本然の兄弟姉妹、夫婦、親子の関係を回復し、究極的に、我が子を失って嘆いてこられた神様を解放してさしあげてこそ、真の幸福の道が開かれるのです。今まで民主主義は「人間の自由」と「人間の解放」を主張してきました。それとは違い、これから私たちは、「神様の自由」と「神様の解放」を主張しなければなりません。この問題を解決すれば、人間の解放はもちろん、人間の自由回復は自然と成就されるのです。
アメリカは様々な面において、神様の祝福によって準備された国です。アメリカを建国した先祖たちは、命を懸けて信仰の自由を求めて国を探してきた清教徒たちです。
彼らは真の信仰の自由を求め、愛する親兄弟と故郷に別れを告げ、さらには国まで捨てる覚悟で命を懸けて大西洋を渡ってきました。
メイフラワー号がニューイングランドに到着したのは、一六二〇年十一月の晩秋のことでした。出発した百二人のうち、その年の冬を越えられずに寒さと飢えにより半分以上の人々が死にました。彼らが立派だったのは、子孫のために翌年に蒔く種を残して、自分たちは飢え死にしていったという事実です。
建国精神を失ったアメリカを生かすために努力してきたレバレンドムーン
清教徒たちは、何をするにも神様のみ旨のために生きているという信仰が徹底していました。彼らは一年目の収穫を手にして神様に感謝を捧げ、先に教会と学校を建ててから自分たちの住む家を建てました。清教徒たちが開拓していく路程で農業を営むときも、戦争するときも、いつも先立たせたのが祈祷でした。
独立戦争当時、かの有名な最後の激戦地であるフォージ渓谷で、ジョージワシントン将軍は、戦闘をしながら、決戦に臨むその瞬間に、命を懸けた祈祷を捧げたでしょう。神様のみ旨を先立たせた戦闘において、神様はアメリカの手を挙げてくださったのです。
当時、世界的な強大国だったイギリスは、国王と国民が一つになって戦いましたが、アメリカは神様と神様の愛する息子、娘が共に戦ったのです。ですから、アメリカという信仰の自由の国家が成立したのです。今もアメリカは、国会が開院するときに祈祷で始めます。大統領が就任の宣誓をするときも、聖書に手を置いて神様のみ前に誓いを立て、聖職者の祈祷を受ける国です。
さらには、貨幣にも「我々は神を信じる(In God We Trust)」という言葉が刻まれている唯一の国です。このようにして、アメリカは信仰の自由を確立し、プロテスタントを信奉する世界的な形態を整えた国家となったのです。
ところが、今のアメリカはどうでしょうか。公立学校では、公式的に祈祷を禁じています。創造論よりも進化論を教育しています。さらには五〇パーセントに達する離婚率は、家庭の神聖さを余すところなく破壊しています。
そのような現実を心配された神様の声を聞いた私は、いち早く一九七一年に祖国と家族を後にしたままアメリカに渡ってきました。そして私は、数度にわたって全国を巡回しながら「火事の家に消防士として来たのであり、病気にかかったアメリカを治療する医師として来た」と叫びました。
既にそのとき、私は、神様がアメリカから離れつつあることを発見しました。アメリカのあらゆる所に神様がいらっしゃらなければならないのですが、反対に随所から神様が離れ始められたのです。人々の心から、家庭から、学校から、神様が離れつつありました。振り返ってみると、ニューヨークのマンハッタン五番街を歩きながら、アメリカを離れられる神様にすがってとめどなく涙を流したことが、きのうのことのようです。不幸にもアメリカは、私の予言したとおり、道徳的に衰亡の道を歩んでいます。
皆様。どうしてレバレンドムーンがアメリカで反対され、苦労し、このように叫んでいるのでしょうか。私は神様がアメリカを訪ねてこられるまでに流された血と汗と涙の御苦労を誰よりもよく知っているので、この三十四年間、アメリカにいながら、一日として気を楽にして過ごしたことはありません。
アメリカの主人は誰でしょうか。白人でも、黒人でもありません。神様がアメリカを愛されるように、アメリカを愛する人が本当のアメリカの主人なのです。アメリカは地上に神の国を立てるために選ばれた長男のような立場の長子権代表国家なので、今もイエス様は霊的にアメリカの地に主におられながら、神様のみ旨を成就してくれることを切実に願っていらっしゃいます。
一方、私は、神様のみ旨に従って、一九八二年に「ワシントン・タイムズ」を創刊し、アメリカの行くべき正しい方向を提示する保守紙としてアメリカの世論をリードしてきました。そして、真の家庭の価値運動と青少年たちのための純潔運動を通じて強力な救国救世運動を展開してきました。それらすべては、アメリカが神様の摂理の前に正しく立つことができるようにと願う心から投入したのです。
私が一九六五年にワシントンDCを訪問した時に定めた、ホワイトハウス近くの聖地には、今も夜を徹してこの国アメリカのために祈祷する人々が大勢います。皆様は、心の扉を開いて、あの清教徒をはじめとした歴代の愛国の烈士たちの切なる願いを聞くことができ、そのような叫びを、そのような望みを聞くことができなければなりません。
内外の貴賓の皆様。歴史的な二〇〇四年は、六千年間追求してこられた神様の救援摂理歴史が終わり、エデンの園で失った創造理想が天宙的に実現する時です。人間の堕落によって主人を失ってしまった万物の嘆きも解放される時であり、長い間分かれていた父母と子女が再会する、これ以上涙のない新しい天と新しい地がつくられる時であり、地上と霊界が一つに通じ、地上と天上に「神の国」が建設される新しい時代が訪れました。
生きておられる神様の直接主管が、全体、全般、全権、全能の勢力として現れる時代です。東洋と西洋の全体が天地父母を中心として「唯一なる神様のもとの一つの宇宙」として、地球星大家族主義世界が実現する時です。それは聖書に預言された旧約の約束と新約の約束が成就する成約時代の完成を意味します。今や時が来ました。アメリカがもう一度、覚醒すべき時が来たのです。
第二の建国運動を挙国的に展開し、神様を中心とした真の父母、真の家庭、真の国家、真の世界を探し出すベき時なのです。そうして離れようとされる神様を再びお連れしてこなければなりません。六千年間も準備して訪ねてこられた神様は、アメリカを離れられたら、どこに行かれるでしょうか。
神様に正しく侍るならば、家庭問題、倫理問題、青少年問題、人種問題は、自ずと解決されます。五色人種が一つになって生きていくアメリカは、地上天国のモデルです。この時に私たちは、一致団結して人類の進むべき道を開かなければなりません。長子の国であるアメリカが先頭に立って、天の父母様に侍り、世界各国を神様のみ前に導く先導者的な使命を完遂しなければならない時です。その歴史的な課業を完遂するために、みな共に参加してくたさるようお願いします。
去る三月二十三日に、ワシントンDCに位置するアメリカ国会議事堂で、天宙天地天地人父母様に対する平和王即位式は、神様の王権を地上に実体的に安着させた偉大な宣言でした。さらにまた、当日、議事堂で行われた天宙平和統一理想天国の宣言は、国連国家祝福家庭連合時代を開いていく歴史的な起源となりました。
今や、天宙・天地天地人父母を中心として理想家庭が基盤となって、地上天国、天上天国が現実的に実現される天一国四年になりました。それで四月のこの期間において、「天使世界の解放、釈放」に続き、「カインアベルの釈放」、さらにきょう第四十四回「真の父母の日」を契機として、「父母様の釈放」の日となったのです。
ひいては、今度の五月一日は、「世界基督教統一神霊協会」創立五十周年を迎え、「国家の釈放」の一日を迎えるでしょう。解放、釈放の時代を迎え、今後、全体、全般、全権、全能の神様にすべてを任せ、直接導かれる神様の直接主管の時代が到来するのです。
改めてこの場にお越しくださった皆様に深甚なる感謝を捧げ、天と地に平和と自由と正義があふれる新しい千年王国が始まることを願いながら、私の話を終えようと思います。皆様の御家庭と国に神様の祝福が共にあることを願います。ありがとうございました。
19.後天開闢時代の平和大使の使命
平和経 第九篇 国境線撤廃と世界平和
19.後天開闢時代の平和大使の使命
日付:二〇〇六年十二月八日
場所:韓国、京畿道、一山、韓国国際展示場(キンテツクス)
行事:平和と統一のための平和大使全国大会
尊敬する平和大使の代表指導者の皆様。きょう皆様は、実に歴史的な歩みをされました。新千年紀を知らせる力強い鬨の声が、いまだに私たちの耳元に響いている今日、六十五億の人類の胸の中に、新しい希望と未来を約束してくれる後天開闢時代の双合十勝圏が宣布されてから、既に二年目を越えつつあります。実に一日が千年のようであり、千年が一日のような、天一国創建の多忙な日々が続いています。
このように貴い摂理的な時を迎え、私は、きょうこの場を借りて、選ばれた韓民族の誇らしい子孫として、弘益人間(広く人間世界に利益を与えること)の精神を受けて生まれた全国平和大使の代表指導者であられる皆様に、今後、人類が行くべき方向と使命について、天が下さった特別メッセージをお伝えしようと思います。「後天開闢時代の平和大使の使命」という題目のみ言です。
皆様。古今東西、老若男女を問わず、共通の夢があるとすれば、果たしてそれは何でしょうか。誰もが待ち望んできたものは、「平和理想世界の実現」でしょう。しかし、人類歴史上ただの一度も天が喜ぶ恒久的平和を実現させられなかったということが、歴史的な恨として残されてきました。
何が間違ったために、このようになったのでしょうか。一言で言えば、人間が神様の創造理想を知らないという無知に陥ったからです。数千、数万年待っても、無知からは完成を期待することはできません。
皆様。神様の創造は実に奥妙です。御自身の子女であり愛の対象として創造した人間の完成と幸福のために、森羅万象を先に創造され、環境を準備されました。
神様の創造物の中で傑作の一つである花について、一度考えてみてください。何げなくぽつんと野原に咲いている名もない花に至るまで、花には明らかに創造主の意志と目的が隠されていることを、簡単に発見することができます。花としての生を表現し、完成していく姿は、実に驚異的だと言わざるを得ません。
まず花は、万物の霊長である人間も真似できないほど、美しい色相と陰陽の調和を顕示しています。そして、絢爛な色相に魅了されて寄ってくる蜂や蝶たちの心をとりこにしてしまう、万能の香りも発しています。さらには、あまりにも強くてまぶしい、見つめることも大変な太陽の光を包み、生命を創造して守ってくれる自然の光に変える、和合と平和の光を発散しています。こまめに門前を出入りし、自分の種を繁殖してくれる蜂や蝶たちのためには、甘い蜜を提供することで報いるという道理も忘れていません。
皆様。神様の創造の神秘性は、私たちが言葉ですべてを描写することはできない、実に無限の境地です。したがって、人類最高の画家が描いた絵だとしても、生きた一輪の野性の花とも比較することができません。取るに足らない、たった一つの花を創造するにおいても、このように万物万象と調和し、共生、共栄できる道を開いておかれた創造主、神様であられるのです。ましてや、御自身の子女であり、永遠の愛の相対者であり、相続者として創造した人間の位置はどうでしょうか。
千万種類の花が満開になっても、厳然たる創造の原則のもと、それぞれが個性真理体としての位置を守り、調和した大自然を形成し、共生、共栄する順理(道理に従うこと)を見て、人間も調和と平和、そして自由と幸福を求めて永生しなさいという、天の祝福と恩寵が私たちと共にあります。言い換えれば、人間は、誰もが天が賦与された個性体としての人生の姿と特性があります。すなわち、人間は誰もが個性真理体としての特権を受けて生まれるのです。老若男女、地位の高低を問わず、人間は誰もが自分だけの、固有で個性のある人生の路程を歩まなければならない宿命的存在だという意味です。
皆様。六十五億の人類の中に、皆様と一〇〇パーセント似た人を探し出すことができますか。もう一度考えてみてください。皆様と同じ個性を所有した人がいると思われますか。同じ日、同じ時間に生まれ、同時に死ぬ双子だとしても、彼らの人生は同一でしょうか。世界最高の美男子であっても、最高の醜男がもっている独特な真理体としての個性をもつことはできないのです。知恵の王であられる神様は、正分合作用の変化、発展を通し、今も永遠の個性真理体の創造を継続していらっしゃいます。神様の創造原理がそのようになっています。
ここから私たちは、人間の人間としての絶対価値的基準を発見するようになります。花と蝶の相対的関係と調和のように、人間同士も、お互いにために生きる真の愛を分かち合って生きるようになっているのです。このような真の愛の人生の中で、調和した主体と対象の関係を花咲かせるとき、人間としての絶対価値の基準が設定されるという意味です。
皆様。花と蝶が相互間に主体と対象の関係を設定し、授受作用を通して存在し繁栄していくように、人間と万物、人間と人間、人間と天の間にも、厳然とした創造原理的関係が予知、予定されているのです。森羅万象の個性真理体が調和と統一の中で成し遂げた総合体である大自然は、人間に対して絶対対象の位置に立ち、主体である人間の絶対価値を実体化させる絶対役割を果たすようになります。
同様に、人間は、人間たちの間においても、家庭という基本枠の中で三代圏を形成して暮らしながら、上下、左右、前後の縦的、横的関係を学び、身につけるようになります。個々人全員、個性真理体としての絶対価値を実体化する主体と対象の関係による授受作用を通し、和合と愛の人生を追求するようになるという意味です。
人間と神様の間はどうでしょうか。創造主として、絶対、唯一、不変、永遠の位置をもっていらっしゃる神様も、知ってみれば、御自身が立てた創造原理圏内で被造万物と授受作用を継続しながら、主体的立場に立っていらっしゃるのです。いくら絶対者だとしても、対象と与え合う授受の関係を離れては、喜びを感じることはできないからです。
人類の最初の先祖であるアダムとエバが、もし堕落せずに、創造原理に従って人間完成、すなわち人格完成を成し遂げていたならば、人類は、絶対価値的存在の位置に立ち、上には神様を主体として迎えて絶対服従し、下には自然界の万物を対象として、永遠の平和王国を享受するようになっていたでしょう。地上界だけでなく、霊界でも永遠の天国市民として生きるようになっていたでしょう。
そうだとすれば、全知全能であられ、不可能はない神様の子女として創造された人間、なぜそのように無知の状態に落ちてしまったのでしょうか。人類の先祖アダムとエバが、天使長の偽りの愛に誘惑されて堕落の道へと陥ってしまったからです。この事件こそ、人類歴史上、最初の悲劇であり、最も恨めしく、悲しい恥辱となってしまったのです。
したがって、遠大な創造理想をもって御自身の子女であり、真の愛の絶対的相対として創造した人間を捨てることのできない神様は、長久の歴史の中で、悲壮、凄絶な恨の心情で耐えてこられました。誰も知ることのできない歴史の裏道で、囹圄(牢獄)暮らしをして耐えてこられた人類の永遠の真の父母であられるのです。
人間は今まで、歴史を通して、絶えず人間を中心とする平和運動ばかりを展開してきました。その良い例が民主と共産の対決です。個人の権益と自由をどれくらいより認定し、保障するのか、その程度の差だけであって、民主主義も共産主義も、すべて父母を失った子女たちがカインとアベルに分かれて争う、兄弟間の紛争の範疇を抜け出すことができませんでした。
人類は、誰彼を問わず、例外なくサタンの血統を受けて生まれたサタンの子女たちです。皆様自身のことを一度考えてみてください。日常生活の中でも、時々刻々、あらゆることにおいて善と悪が皆様の内部で主導権の争奪戦を展開しているではないですか。したがって、このような不完全な人間ばかりを中心として展開する平和運動は、歴史的に常にその限界にぶつかり、挫折してしまったのです。
世界平和実現の華やかな夢を抱いて出発した国連が、今日その生まれながらにしてもつ限界点にぶつかり、人類にこれ以上希望を与えることができずにいることも、正にこのような理由のためです。一言で言えば、天が直接運行し、歴史を摂理できる時を迎えられなかったということです。
皆様。しかし、今では、時が変わりました。過去八十年以上の歳月を捧げ、ただ天の道だけを歩んで勝利したレバレンドムーンの勝利的基台の上に、ついに後天開闢の時代が宣布されたのです。罪悪と足かせの沼で苦しんでいた人類を解放、釈放させ、自由と幸福の世界である創造本然の理想世界を創建する天運の時が、私たちと共にあるのです。天がレバレンドムーンに人類の真の父母としての印を押され、新時代を開いてくださったことには、いくつかの明確な理由があります。
第一に、ために生きる人生、すなわち真の愛の人生の価値を実践して勝利し、人類に伝授してあげたその勝利的基台のためです。人間は、誰もがために生きるように生まれました。しかし、堕落による無知のために、正反対の道である利己的個人主義に陥ってしまったのです。歴史上、初めてこのような天の秘密を明らかにし、人類を教育してきたレバレンド・ムーンの波瀾万丈の人生を、神様はよく御存じでいらっしゃいます。
第二に、私は、一生を捧げて万難を克服し、勝利的基台を立てたのであり、真の愛の実践教育を通して、神様と人間が父子間の関係を再び回復し、確立できるすべての条件を充足させたのです。愛の怨讐である姦夫サタンの子女となり、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統の奴隷となって生きていた人類に、真の愛の根源であられる神様の真の血統に復活、重生される道を開いてあげました。真の愛の人生を通して個人完成を実現し、真の家庭、真の氏族、真の民族、真の国家、真の世界を立てる道を完全に開いてあげたのです。
皆様。私たちが世の中を生きていってみれば、たくさんの縁と関係が、必然的に私たちの人生に影響を及ぼすようになることを発見します。ところが、大部分の関係は、人間の恣意による選択権の中で結ばれるようになります。皆様が置かれた環境条件の中で、必要によって結ばれる関係だというのです。このような関係は、後天的な関係であり、人間の努力いかんによって、いつでも変えたり、なくしたりできる人倫的次元の関係にすぎません。
しかし、生まれる時から天が賦与してくださった天倫は、私たちの選択権の外にある原初的関係であり、宿命的関係です。血縁だからです。父母や兄弟を、嫌いだからといって取り替え、選挙で選ぶことができないのも、それが血縁的関係だからです。一度、金氏の家門の子女として生まれれば、永遠に金氏の家門の血統をもって生きるようになるのです。
ところが、今も人類が罪悪の落とし穴から抜け出すことができずにいる理由は何でしょうか。最初からサタンの偽りの血統を受けて生まれたからなのです。摂理的なみ旨と目的を中心として天が授けてくださった本然的で、原理的な血縁ではなく、人間の失敗によって引き起こされた後天的で、非原理的な関係だという意味です。
言い換えれば、堕落して父母を失ってしまった孤児の立場になったとしても、天が下さった父母と子女の根本関係がなくなったわけではないのですが、堕落によって無知な植物人間となり、父母が厳然として生きていらっしゃるのに、気づくことができずに生きる、目の見えない人生になってしまったというのです。
したがって、堕落の血統を所有している人間は、誰彼を問わず、例外なく血統転換を経て再び生まれなければなりません。その道だけが、神様が下さった創造本然の血縁に還元する唯一の道だからです。
血統転換をして人類を再び神様の子女として探し立てる最上の方法は、交叉祝福結婚です。交叉祝福結婚は、人種、文化、国境、宗教の壁を跳び越え、すなわちすべての怨讐関係の鎖を断ち切り、新しい次元の天的血統を創造する革命的役事です。神様が、この現象世界を摂理されるために、実体をまとって顕現された平和の王、真の父母を通して再創造される神聖な血統転換の儀式なのです。
愛する平和大使の代表指導者の皆様。皆様も一度胸に手を置いて静かに考えてみてください。今日、私たちが身を置いているこの戦争と反目の世の中を、何か他の方法で救うことができるでしょうか。怨讐の家門、さらには怨讐の国とも、交叉祝福結婚を通して、憎みたくても憎めない一つの家族になること以外に確実な方法がどこにあるでしょうか。皆様は、後天時代を導いていく世界百二十万の平和大使を代表する指導者の位置に立っていらっしゃいます。今後、人類の平和と幸福に責任をもち、「平和王国警察」と「平和王国軍」の使命を完遂しなければならない天の密使なので、四大聖人はもちろん、数十、数百代にわたる皆様の先祖たちまでが総動員され、皆様の一挙手一投足を見守っています。
したがって、皆様の使命は、今、火を見るよりも明らかになりました。まずは、皆様の親族と知人たちに、後天開闢の時代、すなわち天一国創建の時が来たことを周知させなければなりません。天がこの時代に、真の父母様を中心として全世界的次元で展開していらっしゃる摂理的内容を、教育すべき責任が皆様にあるという意味です。
さらには、交叉祝福結婚こそ、この地に平和理想世界を実現する究極的方法であり、手段であることを、はっきりと教えてあげなければなりません。そして、皆様の家門と氏族、そしてこの韓民族が、みな共に交叉祝福結婚の神聖な隊列に進み出なければなりません。
皆様。歴史上、空前絶後のこの後天開闢の貴い時代を、肉身を土台とする五感にばかり頼って暮らしている皆様の目では直接感知できないことが、本当に残念に思います。一日も早く霊的な五感も開き、天の摂理が今この時代にどのように成し遂げられていっているのかを、はっきりと認知して生きていける皆様となることを願います。皆様の立場から見れば、代価なく受けたこの天運の時ですが、絶対的基準で設定した摂理的プログラムは、ただ皆様を待ってくれるばかりではないという点を肝に銘じてください。
倍達民族(韓民族のこと)の精神を保全し、白衣民族の気概を守ってきたこの韓民族の平和大使の代表でいらっしゃる皆様は、今一つに団結すべき時が来ました。これ以上無駄にする時間はありません。金氏ならどうで、朴氏ならどうだというのですか。慶尚道と全羅道が一つになれない理由がどこにあるのですか。民団と朝鮮総連も、みな同じ韓半島に根を置いています。韓国と北朝鮮はどうですか。同じ一つの血統を分かち合った兄弟姉妹の関係ではないですか。私たちは、白衣民族の子孫であり、弘益人間の崇高な志を立てて準備させた天孫であり、後天開闢時代に平和王国創建の先鋒に立てるために、天が選び立てた選民の血族であることを肝に銘じるべき時です。
私たち全員の究極的な目標は、神様を中心にお迎えして生きる「神の国」と「神の義」を探し立てることです。「神の国」とは、どのような国でしょうか。三代が調和し、お互いに信じ、尊敬し、頼り、愛で一つになって暮らす真の家庭と同じ姿の平和理想王国を意味するのです。すなわち神様主権の国が、正に「神の国」だというのです。
そうであれば、「神の義」は何に対して語られたみ言でしょうか。天道と天理を意味するのです。あらゆる権謀術数が支配しているこの邪悪な世界を、天的真の愛の権勢によって審判し、正義と真理に基づく解放、釈放の、真の愛と平和の理想世界を創建せよという至上命令です。人類は、いずれ一つの家族になります。現代科学の目覚ましい発展も、一つの地球村家族を編成していくことを大きく後押ししています。白人と黒人が、東洋と西洋が、みな一つの家族として交わって調和し、美しい平和理想王国をこの地球星に創建するようになります。
そのような次元で、私が創設した「天宙平和連合」と「蒙古斑同族連合」の役割が、より際立つようになります。「天宙平和連合」は、今既存の国連のアベル的位置に立ち、民族的で国粋的な国連代表部の角逐の場ではなく、汎世界的で超世界的な天宙的次元で、人類の平和と福祉のために崇高な革命を遂行していくでしょう。外的で、形式的なスローガンに縛られる国連ではなく、より根本的で実質的な次元で、人類のためのメシヤ的使命を果たすようになるでしょう。
平和を愛する平和大使の指導者の皆様。世界人口の七四パーセントを占めている蒙古斑同族は、世界で最も大きな単一同族体です。五十億に近いこれらの人々を糾合し、この地球星に真の愛の台風を起こさなければなりません。
皆様とレバレンドムーンは、同じ韓半島で生まれ、同じ文化圏を享有しています。皆様は、私の教えである真の愛、真の生命、真の血統を通じた真の家庭完成の真理を伝播し、教育する平和大使であり、天の密使です。平和大使となった皆様は、今から天の真理をもって、死の道も恐れない預言者的な信念と誇りで走らなければなりません。天の密使となって走られる皆様の永生は、天が必ず責任をもってくださるでしょう。
皆様。私たち全員が共有している蒙古斑は、単にモンゴリアンを表示するために生じた生理的な斑ではありません。後天開闢の時代が訪れるとき、真の父母様を中心として全人類を糾合し、統一する求心点とするために、いち早く天が下さった東夷族の印です。さらには、蒙古斑同族の中心軸の位置に立っている韓民族は、六十五億の人類の先頭に立ち、真の父母様の伝統を伝授する代身者としての使命を果たさなければならない選民です。神様が太初に人間を創造され、願われた創造本然の平和理想世界創建が、皆様の目前で、今実現されつつあることを忘れないでください。これが正に奇跡でなくて何でしょうか。
世界の至る所に、交叉祝福結婚家庭が天の真の愛の根を下ろしています。新しい天の血統が実を結んでいます。この美しい地球星を本然のエデンの園に育て、人類は今から永遠の平和と幸福を謳歌し、子々孫々、天一国のハレルヤを心ゆくまで叫ぶ日が近づいています。
皆様と皆様の家庭、そしてこの韓民族の上に、神様の大いなる祝福と恩寵が共にあることを願います。ありがとうございました。