平和経 第四篇人類を救う真の家庭運動

天国を開く門真の家

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このみ言は八大教材教本の一つであり、私たち人間が生きていくうえで必要なみ言を、真の父母様がまとめてくださったものです

第一章家庭は天国の中心モデ

家庭はすべての存在の中心モデ

人は空間の世界に立てば、必ず上下が必要であり、左右が必要であり、前後が必要です。それでこそ、自分の存在位置が確定するのです。皆様は上下を正しく備えているか、左右、前後を正しく備えているかによって、様々な形を備えるのです

皆様の上下、左右、前後の関係、そして家庭の問題や国の問題、世界の問題を扱うにおいて、公式は一つです。個人を中心として上下、左右、前後があるように、家庭においても父母と子女がいなければならず、夫と妻がいなければならず、兄弟姉妹がいなければなりません

これと同じように、国においても国の主人を中心として、すべての家庭が東西の文明、南北の文明をすべてかき抱き、その次に、世界の万民を兄弟姉妹のようにかき抱いて、結局、一つの家庭モデルを築くのです

モデルは全く同じです。そして、自分自身がそのモデルの中心です。自分がいて、その次には自分の家庭がなければならず、国と世界と天地、そして神様まで行かなければならないというのと同じです。皆様は、宇宙の中心になりたいという気持ちがあるというだけではなく、そのようにもなれるのです。このように、宇宙においてその核のようなものが家庭の概念です。天を父母と見れば、地は子女です。東西を見れば、東は男性を象徴し、西は女性を象徴するので、女性は結婚することにより、どこでも夫の位置に従っていくのです。西が太陽の光を浴びて輝くとき、東と同じ価値をもつのと同じです

兄弟関係も同じです。長子である兄を中心として仕事をするとき、弟たちが協助するようになるのです。ですから、人間は父子関係をもたなければならず、夫婦関係、そして兄弟関係をもたなければなりません。すなわち、この三つの関係が一点になければなりません。その中心点は一つです。上下、左右、前後の中心が違ってはいけないというのです

この中心点が狂えば、上下、左右、前後の関係の均衡がすべて崩れるのです。ですから結局、上、下、左、右、前、後、そして一つの中心点まですべて合わせて七数を形成するようになるのです。このように七数を形成するということはすなわち、神様を中心として完全な真の愛で一つになり、これらすべてが完全に球形となって、調和と統一を成し遂げる家庭になるということです

真の愛が永遠に変わらない限り、この中心核も変わらないで永遠に回るようになり、真の家庭理想が成就されるようになります。また、すべてのものが核から連結されるので、この中心核から一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、すべて同等な価値になるのです。祖父が願えば孫は反対せず、息子、娘もそれを願うようになり、三代がみな、一緒に願うのです。祖父、祖母、夫婦、息子、娘、すべて中心に合わせるようになります

この愛を中心として見るとき、父子関係も一つなので一体であると言い、夫婦関係も一体であると言い、兄弟関係も一体であると言うのです。一つの体です。何を中心としてこのような関係を一体であるかと言えば、愛の中心である神様の真の愛を中心として言うのです

家庭は宇宙の愛に接することができる愛の教

宇宙とは何でしょうか。被造世界のすべてのものは、神様が愛する息子、娘が愛の理想を探し求めていけるように、教材としてつくっておいたものです。それで、すべてが相対的構造です。鉱物も主体と対象の関係として作用します。原子もそうです。陽子と電子も、主体と対象の関係として作用します。作用しなければ存続できません。運動をしなければ、、永続、存続できないというのです。ですから、宇宙は人間を中心として、その中点に到達できるように創造された世界だというのです

宇宙は、家庭を拡大したものです。愛を完全に完成した家庭を見れば、上中下(父母、夫婦、子女)があり、左右があり、前後があります。これが原則です。それで、上下と言うときは父母と子女のことを言い、左右と言うときは夫と妻のことを言い、前後と言うときは兄弟のことを言うのです。このような全体が、何によって一つになれるのでしょうか。力や知識やお金でもできません。それでは、どのようなものでできるのでしょうか。真の愛です。これは間違いない真理です。そうでなければ、球形にならないのです

上中下の関係は、私たちの家庭において愛の教材です。宇宙の愛に接することのできる愛の教材です。そのようなことを、社会に出て実践しなさいというのです。どのように愛するべきでしょうか。イエス様も「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」(マタイ二二三九)と言いましたが、どのようにすればよいのでしょうか。漠然としています。世の中に出ていって、老人に接するときは、皆様の祖父、祖母のように侍りなさいというのです。自分の母と父、息子のように接しなさいというのです。世の中に出れば、そのようにしなければなりません。上中下と前後、左右の関係に当たる人たちが、世界という展示場に展示されているのです。人の博覧会が世界だというのです。皆様がそのような愛をもってすべてのものを愛することができれば、その中に神様が共にいらっしゃるのです

天国とは何でしょうか。自分の家庭のように、世界の人を愛せる所が天国であり、そのような人が天国の民です。祖父母、父母、自分たち夫婦、子女、この四代は何でしょうか。天の国の民として、宇宙の真の愛を体験するための教材が家庭です。教材として私に教えてくれる基盤が家庭だというのです

私たちは、宇宙の愛を学ばなければ生きていけません。神様は教本や経典のようなものをつくり、「あなたの祖母、祖父を愛しなさい。地上にいる祖母と祖父は、霊界の祖母と祖父を代表して送ったので、その祖母と祖父を愛せば、全体を愛することにしてあげよう」と公約するのです。その次には、「あなたが母と父をこの上なく愛することを、この世界の数多くの母と父を代表する教本のように愛するモデルとしたので、全体を愛したという条件にしてあげよう。また、男性として女性を愛したことは、世界の男性が世界の女性を代表して束ねて愛したものとして認めてあげよう」と言うのです。またその次は、「あなたの息子、娘を愛したことで、全体の息子、娘を愛したことにしてあげよう」と言うのです。ですから家庭は、その訓練を受ける訓練所です。経典による世界愛の訓練過程なのですが、その訓練を受けた人に、「今から世の中に一度出て、あなたの祖父と祖母のように、世の中の祖母と祖父を愛せるか」と尋ねたとき、「はい」と言えば、その人は世界を救えるのです

愛の王国に入籍するための愛の修練

愛の王国を築くことが、神様のみ旨です。愛の理想世界を発展させ、世界化させようというのが神様のみ旨だというとき、小学校の卒業から大学、修士、博士卒業までパスできる実験場がどこかと言えば、家庭です。家庭を拡大すれば世界です。世界をよく見れば、祖父と祖母が住む世界、その次に、叔父と叔母が住む世界、兄と姉のような人たちが住む世界、青少年が住む世界、子女たちが住む世界があります。ですから、老年から壮年、中年、青年、少年が集まって住むこの場は、形が大きく、数が多いだけであって、家庭を拡大したものなのです

家庭は天国に入っていける最小単位の修練所であり、教材です。人類を自分の兄弟姉妹のように愛し、父母のように愛し、息子、娘のようにために生きられる家庭だけが、天国を相続できるのです。これは驚くべき事実です。神様が造られた天と地のすべての権勢を相続できる特権がここにあります

家庭は、霊界に行く時に天の国の平和の王宮に入籍する権利を得るための愛の教科書です。家庭が愛の修練場だというのです。自分の家庭を愛するように、その家庭を中心として神様を愛するように、全世界の人を愛せば、それが天国に続くまっすぐな道となるのです。したがって、「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」(マタイ二二・三七)というのが第一の戒めです。第二は、「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」(マタイ二二三九)というものです。神様を愛して人類を愛せば、すべて終わるのです。それができなければ、いくら修養してもすべて無駄です

宗教者がいくら修業を積んだとしても、神様を愛することを知らず、人類を愛することを知らず、宇宙を愛することを知らなければ、すべて落第だというのです。家庭において、全体宇宙を縮小させた修練所のような公式過程の愛を体験して拡散させ、世界を愛さなければなりません。そのようにできる訓練場として引き継いだのが、皆様が成長した、母と父が住む家庭だというのです

ですから、自分の妻を愛する以上に父母を愛し、息子、娘を愛し、人類を愛し、神様を愛せば、すべてOKです。だからといって、自分の妻を捨てなさいというのではありません。そのようにすベての人を愛せば、その愛を受けたすべての人々が、自分の妻を愛するようになるのです。それ以上、栄光の場がどこにあるでしょうか。自分の妻を愛そうとするならば、そのようにしなさいというのです

家庭は天国のモデルであり教科

子女の立場にいる人は、どのような運勢を受けなければならないのでしょうか。祖父母と父母の運勢を引き継がなければなりません。祖父母はなぜ必要なのでしょうか。過去を代表するからです。祖父母は、過去の生きた歴史を代表します。その次に、父母は現在を代表します。そして、子女は未来を象徴します。そこには東西も入っており、南北も入っています。そして、全体の中心です。祖父母の中心、父母の中心、子女の中心、神様の中心、このすベてのものが真の愛を中心としたものなのです。ですから、祖父を愛し、祖母を尊敬するのは、過去をすベて引き継ぎ、過去の世の中を学ぶためです。父からは現在を学ぶのであり、子女を愛するのは未来を学んでいくことです。祖父と祖母、母と父を通して、何を引き継ぐのでしょうか。真の愛を引き継ぐのです。「祖父と祖母は年を取っているが、二人が真の愛と一つになっていて、母と父が一つになっているから、私たちもあの方々のようになって、未来に引き継ごう」というのです。ですから、真の家庭にならなければ、絶対に未来に引き継ぐことができないのです

家庭のこの三代を見れば、それは宇宙を見るのと同じです。宇宙の愛は、現在と未来を代表した真の家庭にあります。動物世界を見ても、雌を愛し、雄を愛しますが、これは宇宙の愛を学べる教科書です。祖母がいなければ不安定です。祖父がいなくても不安定であり、どちらがいなくても不安定です。二人が一緒にいてこそ、そのまま天の国に移っていくのです。祖父母、父母、子女がいてこそ、そのまま天国に行くのです。真の祖父母を愛し、真の父母を愛し、真の子女、真の家庭、真の国家、真の宇宙を愛した人が天国に入っていけるのです。天国のモデルであり教科書が、真の家庭です

家庭は、天国を築くための教材です。天がつくっておいた教材です。世界のどこに行っても、祖父の年齢の人を自分の祖父のように愛せば、その人は天国に行くようになっています。自分の父母のような年齢の人を自分の父母のように愛する人は、どこに行っても通じます。万国共通です。霊界に行っても境界線が生じないのです。万国の若者を自分の息子、娘だと思う心をもてば、その人は、十二の真珠門があり、十二の方向があっても、天国のどこにでも通じるというのです。ですから、家庭は天国と関係を結ばせるための教材です。それを国に適用すれば愛国者になるのであり、世界に適用すれば聖人になるのであり、天地を中心として適用すれば神様の息子、娘、すなわち聖子になるのです。人間は皆、そのような欲望をもっています

皆様は五色人種の息子、娘を抱き、その孫と孫娘を抱くことができなければなりません。そうして、神様の真の愛をもって、真の父母として世界の人を愛する家庭の主人になったという立場に立たなければなりません。神様の愛を中心とした本然の父母の関係の中で、真の愛の家庭基準を代表できる立場に立つことにより、初めて天国に入っていけるのです

家庭は三時代の愛が結集した核心

歴史を抱き、現代を抱き、未来を抱くことができるのが家庭です。ですから、神様が今まで六千年を経ながら探し求めてきた最後の基点が、正に家庭です。その家庭は、愛が連結された、愛によって結束した家庭です。存在するすべてのものは皆、真の愛の主管を受けるのです。根源的な愛、絶対的な愛の関係を離れることはできません。このような家庭をつくるのが、神様が創造当時にアダムとエバに与えた本来の使命でした

神様は、男性のアダムと女性のエバとしてだけで終わるのではなく、互いに結合して築く新しい家庭を夢見られたのです。これが、神様が男性と女性を立てられた第一次的な出発の起源です。ですから、真の家庭を探し求め、その家庭圏内で神様の愛を中心として、この世で充足を感じられる境地に入って生きてこそ、天国も無事に通過するのです。そのようになってこそ、この世界も越えられるのです

愛の家庭圏を形成するためには、絶対的でなければなりません。自分が一つの時代において一人の相対を愛するのは、神様が世界に対するのと同じです。ここにおいて父母と夫婦と子女が一体となり、天宙を代表して「私たちの愛を見習いなさい」と言うことができ、子孫に対して「私たちに従いなさい」と言うことができ、内外共に主張できる心の本郷、天情が通じるその場所は、天地に記憶されるでしょう

今まで神様は、何を探してこられたのでしょうか。主体を探してこられたのではありません。理想的な対象を探してこられたのです。神様を手本とし、御自身が造った世界の内外の内容を備えているものを探してこられたのです。このような結果的な一つの基点は何でしょうか。家庭です。家庭より宇宙を代表できるものはありません。父母と一つになるのは、歴史と現実が出会うことです。ここで私は、父母を愛することによって過去を愛することができ、相対を愛することによって現実を愛することができ、子女を愛することによって未来を愛することができるのです。ですから、私は三時代の愛を体験できるのです。この三つの愛が結集した核心体が、正に家庭です

それでは、天国生活はどこからでしょうか。家庭からです。他の所から始まるのではありません。天国は、家庭を立体的に拡大させただけであって、家庭圏から外れたものではないというのです。ですから、皆様が自分の妻や夫を抱くときは、世界のすべての男性と女性を代表した二人が一つになるのだと考えなければなりません。このように、世界人類を愛したという条件を立てられる場所が、正に家庭です。皆様は、そのように生きていく道を訪ねていかなければなりません。父母を愛するのは歴史と現在を連結させることであり、神様が訪ねてこられる道を整えることです。ですから、父母を愛さなければなりません。歴史的な存在と時代的な私を連結させること、すなわち過去と現在を一つにすることが、父母を愛することです。また、自分を中心として子女を愛することは、現実と未来を連結させることです。そして、このような愛を、千年、万年たたえるようにしようという思想が「統一思想」です

家庭は心情的な訓練

私たちは、心情を離れては生きられません。自分が大統領だとしても、あるいは世界的なすべての権威をもっていたとしても、心情的な喜びを表せる所がなければ、生きられないのです。自分が率いる人々や閣僚、もしくは追従する人々に対しては、心情的な満足を感じられません。それは家庭で感じなければなりません。家庭に帰ってきて、夫婦が互いを通じて喜びを感じ、また子女を通じて喜びを感じなければなりません。そうして、その喜びを他の人に誇れなければならないのです。その喜びは、一次的な喜びであって、二次的な喜びではありません。神様も同じです。この世界をすべて復帰したとしても、家庭のない神様は喜べないというのです。結局、家庭がなければならないのです

家庭では父母を中心としなければならず、社会を代表する教育機関では師を中心としなければなりません。父母は自分にお乳を飲ませて育て、すなわち生理的な発展を助け、このようにして情緒的な面を助けてくれるのです。それでは、学校とは何でしょうか。社会的な生活、将来の生活舞台を中心として訓練させる所です。家庭が情緒的な訓練場であれば、学校は社会生活のための実験的な訓練場です。だからといって、社会で終わるのではありません。それがどこに行って帰結するのかと言えば、国に帰結するのです

国には国王がいます。人々がみな、大統領を慕い、大統領の近くにいようとする理由は何でしょうか。家庭から社会まで、すべてのことを知ってから、その次にどこに行くのかと言えば、より大きな所に行くのです。大統領と言えば、蘇生と長成の段階を越えて、三つ目の完成段階の結実です。種は根から始まって、循環作用をして分かれます。分かれてから再び合わさり、花が咲いて実を結ぶのです。そのため、学校は国のための貴重な棟梁、すなわち人材を養成し、国に必要な人を育てなければならないのです。学校でする勉強は、訓練です。ですから、学校は訓練場であり実験場です。訓練は、実戦ではなく準備段階です。準備を誤ってはいけません

家庭とは何でしょうか。心情的な訓練場です。愛を中心として心情的に訓練する場所です。ですから、愛情をもって兄弟のように学校で生きなければならず、愛情をもって国でも兄弟のように生きなければならないのです。父母のそのような教育は、学校のための教育であり、社会のための教育であり、国のための教育になるというのです。父母は、情緒的なすべてのものを子女たちに伝授してあげなければなりません。父母が生きたのと同じように、家庭ではこのように生きるべきであり、社会ではこのように生きるべきであり、国のためにはこのように生きるべきであるという情緒的基盤をつくってあげなければならないのです

皆様が家庭を見るとき、家が良く、その周りの環境が良いからといって、良いのではありません。反対に、いくら環境が悪く、家がみすぼらしくても、それを安息所として、そこに自分の生涯と生活のすべての基準を関係づけようとする家庭が、良い家庭なのです。そこには、父母と子女の間に、互いにために生きようとする心情があります。これが思い出の本郷であり、すべての生活の動機になるので、私たちの生活において幸福を左右する基礎になるのです

人間の永遠の本郷は家

家庭は良い所です。なぜ良いのでしょうか。母と父がいるから良い所であり、姉や兄がいるから良い所であり、弟や妹がいるから良い所であり、親戚がいるから良い所です。ですから、人間なら誰でも本郷の地、すなわち故郷を懐かしく思う郷愁の心情をもっています。国よりも故郷にもっと思いを馳せるのです。大韓民国が好きでありながら、大韓民国に住みたいと思いながら、また大韓民国で暮らしながらも、懐かしく思う所は故郷です。故郷は、自分の心情を四方に、立体的にすべて引き上げる所です

その心情は、愛によって結びつけられています。上には母と父が結びつけられており、左右には夫婦の関係が結びつけられており、下には息子、娘、親戚が立体的な愛によって固く結びつけられているところが本郷です。人は、真の愛を中心として幸福の基点を最高に求めるので、本郷を慕わざるを得ないのです

それでは、神様の本郷はどこでしょうか。この地球星において、神様の本郷の地はどこなのでしょうか。愛の神様であれば、この地上で生きていける基点を必ず準備されたはずですが、その基点はどこかというのです。それを知るためには、神様がその基点を整えるために、どのように準備してこられたのかを知らなければなりません。神様の家庭を整えられる、本郷の基点になる所は、他の所ではありません。神様を本当の父だと知っている息子がいる所です。すなわち、神様の愛を独占できる息子、ひとり子がいる所です。また、そのような娘がいる所です。その息子、娘が結婚して、完全な家庭を築く所です

それでは、その本郷の地には、誰がいなければならないのでしょうか。会いたい人々がいなければなりません。父母がいらっしゃらなければならず、兄弟がいなければなりません。そして、会いたい人がいなければなりません。また、そこで一緒に暮らしたいのですが、ー瞬だけではなく、永遠に一緒に暮らしても嫌にはなりません。そのような所を訪ねていかなければなりません。そこが、宗教で目指す天国です

私たちが本郷の地を慕うのは、その本郷にどこの誰よりも近い父母がいて、兄弟がいて、親戚がいて、いつも私を導いてくれ、また私がいつどのようなときに訪ねていっても、私を昔のように迎えてくれ、私が困難に遭えば、その大変な事情に同情しながら慰労してくれ、私を喜んで迎えてくれるからです。もしそうでなければ、本郷が懐かしく、喜んで訪ねていっても、切実に慕っていた当時の心情は消え、かえって嘆息の思いをもって帰ってくるというのです。本郷の地には、必ず迎えてくれる人がいなければなりません

家庭は天宙主義を完結させる最終基

すべてのものは、一つから多くのものに分かれ、結局、一つの大きなものに統合されます。すなわち、一つから様々に分かれ、一つに統合されるのです。ここからまた分かれて、より大きなものになる反復運動です。そこには家庭がありますが、形態は統合される前と同じです。家庭は夫婦になった所であり、その夫婦を一つにする所です。氏族は家庭を一つにする所であり、民族は氏族を一つにする所です。民族が合わさって一つの国家にすベて入ります。しかし、どこまでも家庭が中心になります。この家庭を展開すれば、横的な世界になるのです

ですから、どのような社会だったとしても、家庭を除くことはできないのです。家庭を復帰できなければ、世界を復帰できません。その次には、その家庭を中心に天宙主義を完成しなければなりません。天宙は、天地を総合したものです。天と地は、人間において体と心と同じです。この体と心が一つにならなければなりません。一つの主体があれば、一つの相対が必要なように、一人の男性には一人の女性が必要だというのです。男性と女性が一つになった所が家庭です。この一つの家庭を中心としなければ、神様の愛の基盤が定まらないのです

天宙主義というのは、体と心を合わせたのちに、神様の愛の本体になる家庭を築き、その理念を霊界と肉界に連結させる主義です。天宙の「宙」の字は、家を意味します。それで、天宙主義という言葉を使うのです。天宙は無形世界と実体世界を合わせたものです。これが私たちとどのような関係があるのでしょうか。私たちには家庭が必要だというのです

皆様が家庭において一つになれなければ、天宙主義と関係ありません。家庭こそは天宙主義を完結させる最終基準になるのです。ここで平和の歌を歌えず、幸福を賛美できない人は、この地上においても霊界に行っても、不幸な人になるのです

天国は、どこからできるのでしょうか。私たちの家庭からできるのです。それでは、私たちは何主義でしょうか。家庭主義です。私たちが標榜する天宙主義は、「天」という字に家を意味する「宙」という字、すなわち天の家主義です。このようになってこそ、天宙という意味がはっきりするのです。ですから聖書六十六巻は、すべて理想的な家庭を願ったみ言です。また、万民が願うものは何でしょうか。理想的な妻を迎えることです。また女性として生まれて最も願うことは、理想的な夫に出会うことです

女性がいくら博士になって世界に対して大きなことを言ったとしても、その女性の願いは理想的な男性に出会うことです。愛することのできる理想的な男性に出会い、かわいい息子、娘を生むことです。これが幸福の根です。統一教会の理想は、他の所にあるのではありません。出発も家庭であり、結論も家庭です

それでは、天宙主義とはどのような主義でしょうか。真の父母主義です。結局、この二つの主義は、父母の主義です。これは、私たちの家主義であり、私たちの国主義であり、皆さん個人の主義です。人間が堕落しなかったならば、世界はアダム主義になっていたでしょう。そのアダム主義が、正に真の父母主義です。父母主義だというのです。これ以上の主義はあり得ないのです。そのため、統一教会は心情的な問題を、この本然の理想的な家庭の範疇の中において、真の父母という理念を中心として、天の主義と結びつけなければなりません。このような理念で制度化された家庭の関係が残っている限り、統一教会は滅びません