Text Box: TP portrait 第二章 天国と真の家庭

一 神様の創造理想は四位基台と真の家庭


 本来、神様は、天地万物を創造され、すべてのものが人間を通じて完成するようになさることにより、神様の威信と人間の威信を立てようとされました。そのようになれば、人間の完成はもちろん、神様の創造理想の完成も自動的に完結するという結論に到達するのです。


 そのようになっていれば、神様は万宇宙の中心の権威を備えられ、人間はその息子、娘として一体となり、神様の理想的愛の世界がこの地上に実現していました。そして、神様の悲しみが始まるのではなく、神様の喜びが始まっていたのです。そのようになっていれば、神様は、喜びの中で、人間の権威を一〇〇パーセント褒めたたえていらっしゃったのです。


 神様が人間をそのように高く褒めたたえられることを見習い、人間も、同じように神様に対して高く褒めたたえていたのです。そのようになれば、共同運命に置かれるようになっていたというのです。


 神様は、人間始祖アダムとエバを中心として、万物を主管するだけではなく、愛の家庭を築こうとされました。私たち統一教会では、この基準を「四位基台の完成」と定義しています。結局、神様のみ旨とは創造理想を完成することですが、その創造理想を完成するということを具体的に言えば、それは四位基台の完成だというのです。


 それでは、四位基台とは何でしょうか。完成したアダムと完成したエバが、神様の愛の中で祝福を受け、そのお方の息子、娘になると同時に神様が願われる夫婦となり、その次に、神様が願われる家庭を築くためには子女がいなければならないので、子女を完成させることです。


 神様のみ旨は、創造理想を完成することによって成されます。それでは、神様の創造理想とは何でしょうか。もちろん万物をつくることが神様の創造理想でもありますが、アダムとエバを中心として創造理想を成そうとされたというのです。神様の創造理想の完成、み旨の完成とは何でしょうか。神様を中心として、神様の愛を中心として四位基台を完成することにより、創造理想も完成し、み旨も完成するのです。言い換えれば、「神様のみ旨の完成」という言葉は、常に神様の愛を中心として四位基台的愛の基盤を内包しているという事実を、皆さんははっきりと知らなければなりません。


 四位基台は、愛を中心として東西南北が備えられていくことです。愛を除けば何もありません。その愛は、アダムだけの愛ではありません。エバだけの愛ではありません。アダムとエバが統一された位置で、神様の愛を連結させなければならないのです。神様の愛を連結させたその位置には、アダムとエバの愛があると同時に、息子、娘の愛が介在します。


 私たちがしばしば言う「三対象理想」という言葉も、アダムを中心として見れば、天がいて、妻がいて、子女がいるという意味です。これは三掛ける四は十二、十二数の対象圏のことをいっているのです。またこれは、愛を中心とした人々の三つの位置についていっている言葉です。


 ところが、今まで信仰生活をしてきた人々は、神様の愛を中心として創造理想を完成するという、そのようなみ旨が分かりませんでした。それは、神様のみ旨の完成、創造理想の完成をいうのです。それが四位基台の完成です。四位基台を完成すればどのようになるのでしょうか。天と地が定着するようになります。天と地が初めて定着するようになるのです。


 天は上の軸と同じであり、地は下の軸と同じであって、これを中心として一つになるのです。ここで子女は、中央の軸に向かって一つになれる平面的な形態を備えなければなりません。そして、これが育つことにより、中央に上がっていって一つの円形を描き、さらには愛の理想である球形を成すのです。


 すべてのものは、中央線を通らなければなりません。なぜ人の鼻は、上から下に垂直に下りているのでしょうか。中央を失ってしまってはならないからです。顔を見れば、目は神様を象徴し、口は万物を象徴しています。それで、歯が三十二本です。四掛ける八は三十二、歯は三十二本です。これは全体数を表しています。四数は東西南北であり、八数は全体数を代理したものです。乗数なので、四掛ける八は三十二、全体を象徴しているのです。それは、万物を食べなさいという意味です。これは、外的なものを取り入れることです。一方で、話すということは、内的なものをはき出すことです。すべて四位基台になっています。授け受けする道理です。


 縦横に備えられた愛の圏が、四位基台の愛の圏です。そのようになった時に、初めて父母が父母として登場するのです。父母として登場するので、横的な面において初めて実体的な神様の代身者として登場するのです。神様がアダムとエバを造って感じられた喜びを感じさせるために、横的な子女を養育できる力を人間に許諾されたのです。これが神様の創造理想です。


 神様を中心としてアダムとエバが愛を感じたとすれば、その愛は神様の愛であり、その四位基台は神様を中心とした四位基台です。それから子女ですが、この子女関係は、神様を中心として相対的です。ところで、相対となっている子女を生み、ただそのままではどこにも使うことができません。教育をしなければなりません。大きくなっていかなければなりません。大きくなっていく中で、男性は右側、女性は左側に行かなければなりません。


 新しい時代の四位基台は、アダムとエバの息子、娘から始まります。ですから、アダムとエバが結婚して繁殖すれば、結局は四位基台圏を成すようになっているのです。


 本然の息子、娘に帰っていくには、どのように帰っていくのでしょうか。神様の本来の心情と、神様が願われた理想家庭を中心として、相対圈が新たに生じるのです。四位基台は三段階でしょう? 神様、アダムとエバ、息子、娘です。この場合が縦的です。これが横的に展開していかなければなりません。横的に着陸することにより、縦的な要素がこれを基盤として、無数に平行に広がっていくのです。これが一つのモデルとなります。


 アダムが理想とした四位基台が全世界的に発展していくためには、このような伝統的な家庭の内容を完成させなければなりません。これを完成させなければ、横的な連結を成すことができません。別々に分けて考えてはいけないというのです。アダムとエバが結婚して暮らせば、既に神様は右側に来ていらっしゃり、自分の息子、娘は左側に立つのです。これが一つです。この三つが一つになっていることを知らなければなりません。


 横的に見れば、アダムは長男です。次男はイエス様であり、完成したアダムは三男です。縦的原理から見れば、三男は三代目でしょう? ですから、おじいさんの立場が第一代であり、父の立場が第二代であり、第三代は息子であり、それは孫の立場です。このようになっていたものが反対を向けば、孫がおじいさんの立場になります。反対に、祖父、父、孫となるのです。それゆえに、先生に絶対服従していくことによって、神の国の四位基台、三代圏を完成し、神の国に入っていくことができるのです。ですから、蕩減復帰です。


 統一教会の主体思想は、神様を中心とした思想です。この主体思想の中で、秩序的段階について言えば、三段階がなければなりません。ですから、父母と夫婦と子女がいるのです。この中心が神様と因縁を結び、四位基台理想を拡大させ得る愛の理想圏なのです。これが、私たちの主体思想の内容です。


 愛は、拡大する力をもっています。それが集約されれば一つになります。それゆえに、拡大し得る理想と連結し、全人類を抱いて生きていこうとするので、拡大させなければなりません。これを拡大させたのが、私たち人間の繁殖です。アダムとエバの二人を、横的に拡大させたのです。


 それゆえに、主体思想の内容を要約すれば、神様が、愛を中心としては絶対的な主体です。その次には真の父母です。その次には自分たち夫婦です。自分たち夫婦が真の父母の代わりとなり、子女をもつのです。これが四位基台です。


 四位基台は、父母を中心とした真の愛の起源を表しています。その次には、父母と子女の完全な愛の一体を表しています。それは、一時的なものではなく、永遠です。永遠であると同時に、絶対的だというのです。その愛の起点とは、唯一であり、不変であり、絶対的です。そのような愛は、神様だけにあるのでもなく、父だけにあるのでもなく、母だけにあるのでもありません。家庭的基盤の上、真の家庭の基盤の上に成立するのです。


 愛が絶対的なので、その愛を中心とした家庭の信義は、絶対的です。愛は、すべての関係においても絶対的です。そこでは、一つが侵犯されるということは全体の破壊を意味するので、そのようなことは容認することができません。したがって、四位基台自体は、愛が侵犯され得る問題において、自らの生命を凌駕したとしても、これを擁護し、保護しなければなりません。ここで最も恐ろしいことは何かというと、この愛の基盤が破壊されることです。それが一つの核となって拡大したものが世界です。


 そのようにして、一つのアダム家庭からその息子の家庭が生まれ、父母の家庭と息子の家庭が一つにならなければなりません。それで、四位基台が生じれば、この四位基台は将来、霊界の四位基台へと移っていくのです。


 神様の創造理想の最後とは何でしょうか。原理でいえば、責任分担を完成し、愛を中心として四位基台の家庭理想を完成することです。なぜ四位基台が必要かというと、父子関係の家庭理想を成さなければならないからです。父母の愛を中心として一つになったその縦的伝統を受け継いだアダムとエバが、横的伝統を展開させていかなければならないのです。


 アダムを起点として十二部族が生まれ、その十二という数字を中心として三百六十日という日が拡張されたように、すべての民族の拡張のための摂理の基準を立てることが創造理想の完成だというのです。


 そのような面から見るとき、「み旨の道」におけるみ旨とは何でしょうか。創造理想の完成です。創造理想の完成とは、四位基台の完成をいうのです。父を中心とし、母を中心とし、息子を中心とし、娘を中心としたものではありません。真の愛を中心とした四位基台の完成です。


 真の愛を中心として、これが責任分担の完成です。責任分担の完成というのは、すべての愛の理想を基準として男性と女性が完全に一つになり、神様が創造なさったすべての基準に一致すれば、その地上において縦的な基準として受け継いだアダムとエバの伝統を、肉身を通して初めて横的に展開させていくことをいうのです。息子、娘を一人か二人だけ生むようにはなっていません。アダムとエバの時代が来れば、東西南北に息子、娘をたくさん生むようになっているのです。


 一人の男性は、必ず一人の女性と共に家庭を形成しなければなりません。そのようにしなくては、統一世界に行くことができません。過去の信仰者たちは、家庭を捨てていきましたが、捨てた家庭を高い次元において再び取り戻し、勝利の家庭として新しい基台の上に立てなければ、天国に行くことができません。一つの家庭が形成されたからといって、その家庭だけで天国に入っていけるのではありません。四位基台を形成して初めて行くことができるのです。


 どこで四位基台を成さなければならないのでしょうか。この地上で成さなければなりません。いつ成さなければならないのでしょうか。自分が死ぬ前に成さなければなりません。


 それを成さなくては、国家を迎え得る国民になることはできず、世界を迎え得る人類になることはできず、神様のみ旨が成されなければ天国世界を迎え得る天民になることはできないのです。


  

 皆さんは、妻をもって幸福だと思うかもしれませんが、私は、そのように思いません。女性も幸福なのではありません。幸福なのではなく、十字架を背負ったのです。主体である人は、相対を幸福にしてあげなければなりません。子女がいれば、その子女も幸福にしてあげなければなりません。三大十字架を背負わなければならないのです。


 ですから、四位基台の復帰が最も難しいのです。それは、世界を征服することに比喩することができます。


 皆さんの息子、娘は、神様が数千年の歴史を経ながら数多くの預言者、烈士を犠牲にさせて探し出された一つの家庭を通じて、願いのともし火のごとくに生まれた貴い息子、娘です。各家庭の息子、娘が四位基台の完成という神聖な目標の帰一点をもたらすことを考えるとき、その息子、娘に対しても、日がたてばたつほど、本当に感謝しなければなりません。父母がそのような心をもつようになれば、その息子、娘たちは絶対に飢え死にしません。


 今、皆さんは堕落圏内にいます。長成期完成級で祝福を受けた家庭は、上がっていく道があります。それは、先生に従っていくことができる道をいうのです。しかし、皆さんの父親や母親と、皆さんの四位基台が一つにならなくてはなりません。


 ノアじいさんが箱舟を造る時、その夫人がよく協助したと思いますか。息子、娘がどれほど批判したと思いますか。「神様が審判される」と言って、一日でもなく百二十年間、弁当を持って山に上がっていき船を造ったのですが、ノアの妻がよく協助したかを考えてみてください。ノアの妻が協助しないのですから、その息子、娘に至っては、協助しないのは当然でしょう。皆さんは、母と完全に一つにならなければなりません。


 立体的な四位基台を成さなければなりません。上下の位置、前後の位置で一体を成さなければなりません。そのようになれば、いくら転がしても、止まった時は垂直になるのです。


 サッカー・ボールを置いた時、中心は垂直です。一点しかありません。それゆえに、家庭において四位基台の立体理想が成されなければなりません。


 父母の前に孝子になるだけではいけません。夫婦がいなければなりません。ですから、四位基台を成さなければなりません。これは絶対原理です。このようなことを考えてみるとき、今日、個人的四位基台、家庭的四位基台、国家的四位基台はどのようになっていますか。家庭的四位基台形態を拡大したものが国家であり、国家的四位基台形態を拡大したものが世界であり、世界的四位基台形態を拡大したものが天宙なのですが、その根本は家庭です。


 そのように行く中で、サタンが一匹もついてくることができないように整備する、家庭四位基台の教育がジャルジン教育です。そこを通らなければ落ちるのです。国籍を失った家庭になるのです。登録をするためベツレヘムに行って、赤ん坊のイエス様を馬小屋で出産するという、それ以上に悲惨なことも起きるのです。その道を訪ねていかなければなりません。


 神様を愛すれば愛するほど、永遠の父母の愛を受けるようになるのです。孝子になればなるほど、その父母の愛を余すところなく受けるのです。忠臣になればなるほど、聖君の愛を余すところなく受けるのです。真の夫になればなるほど、妻の愛を余すところなく受けるのです。



 素晴らしい善の夫、善の妻とは、どのような人でしょうか。妻として、神様の代わりに、真の御父母様の代わりに絶対視する夫をもった者、夫としてそのような妻をもった者が真の夫婦です。神様を絶対視し、父母を絶対視し、夫婦を絶対視し、そのもとに生まれた子女を絶対視しなければなりません。これが統一教会でいう四位基台理想です。



二 天一国は本然の故郷


 人間は、誰かの子女にならなければなりません。その誰かの子女とは、神様の子女のことです。誰かの兄弟にならなければなりません。その誰かの兄弟とは、神様の家庭の兄弟です。誰かの夫や妻にならなければなりません。それは、神様の家庭の夫や妻のことです。


 内的な神様のすべてのものを実体的なものとして御覧になり、刺激をお受けになるために、神様はアダムとエバを創造されました。アダムとエバは、第二の実体の神様です。愛の相対を必要としてお造りになったからです。神様の愛の相対は、猿ではありません。人間以外にはいないのです。


 今まで神様は、所有権をもつことができませんでした。サタンがすべて所有したのです。サタンの国、サタンの民、サタンの物、すべてがサタンの所有です。サタンが神様の所有権を盗んでいったのです。真の父母も所有権をもったことがありません。いまだに真の子女、真の国、真の世界としての所有権をもったことがありません。真の人、真の男性と真の女性が生まれなかったのであり、所有し得る人が生まれなかったので、そのような所有権をもつことができなかったのです。


 今まで神様は、所有権者になることができませんでした。悪魔が主人になったのであり、神様の息子、娘が主人になることはできませんでした。主人に代わって悪魔と悪魔の息子、娘が、神様の創造された被造物に対して権勢を振るい、害を被らせてきたのです。これをすべて回収しなければなりません。万物は、すべて本然の父母のもとに帰らなければなりません。真の父母と真の子女、真の国、真の氏族のもとに帰らなければなりません。


 今、私たちは、誰々の息子、娘、誰々の兄弟という考えから抜け出さなければなりません。私は、神様の息子、娘であり、真の父母の息子、娘であり、世界と天宙を解脱させる相続権を受け継ぐことができる私自身だというのです。そのような私に、サタンの立場で一族が矢を投げつけましたが、私が何千年の歴史を経るのではなく、生きている間に私の備えるものをすべて備えてメシヤとなり、過去に反対した一族と父母を訪ねていって救ってあげられる平面的再臨の形態を備え得る、このような時代を迎えることにより、初めて地球星の天国化が可能なのです。


 このように見るとき、今日、祝福家庭が今まで暮らしてきた生活と行動は、すべて零点です。悪魔の巣窟の中にいたということを知って、自らの解放圏を迎えるために努力しなければなりません。そのようにせずに、昔と同じ習慣性をもって息子、娘を抱いてそのまま幸福になることを願えば、すべて滅びるのです。

 イエス様がエルサレムを回られる時、道端にあるいちじくの木を見て、実がないといって呪われました。すると、そのいちじくの木は、たちまち枯れてしまいました。実がなければ、そのような結果が訪れるのです。


 未来国家を建設するにおいて、あなた方が神様のために準備したものは何ですか。それは、実を意味し、中心核を意味し、事実を意味します。それは何でしょうか。神様の国の民です。神様の国の民は、りんごや桃の実ではないというのです。


 今まで神様は、天国の民をおもちになることができませんでした。ですから、今、その本然の民を救っているところなのです。完成した民をもつことができなかったのです。


 真の国を地上天国と呼びます。その国ができてこそ、神様が本然のアダムとエバに「完成した時に、あなた方は、万物を主管しなさい」と祝福されたそのみ旨を成し、人間は初めて、この地の真の主人として現れることができるのです。また、その時に初めて人類は、お互いに真の兄弟になることができるのです。その時に初めて私たちは、神様の真の息子、娘になるのです。天のお父様に対しては真の孝子、孝女になり、主人に対しては忠臣になり、この宇宙万物に対しては真の主人になるのです。そのようになれば、神様は、私たちに全権をゆだねられるのですが、外的な全権だけではなく、内的な全体の心情の中心まで移してくださるようになるのです。神様がすべてのものをゆだねられても安心することができる息子、娘になるのです。


 人類歴史は、暗い夜を過ぎ、夜明けを経て新しい光明の太陽を迎えるために進んでいます。それでは、太陽とは何を表しているのでしょうか。人類の太陽は「人類の父母」を表しています。この父母が現れるまでは、人類の故郷である本郷の地が現れることはできません。


 愛の故郷をもつことができるという事実は、氏族的メシヤの福音であり、朗報です。その次には、祝福を中心として血統が転換されるのです。今からは、故郷が私の故郷になるのです。私の血筋は、そこから流れ出てきました。その血筋を広め、万国の愛の流れがきれいな水になり、天国という大海に入っていくのですが、そこが霊界です。


 霊界は、この地上の愛の大海が連結された世界であり、そこが天上天国です。それゆえに、あの世では、愛の体恤心情をもたなければ生き残ることができないのです。


 愛の心情は、子女の心情、その次には兄弟の心情です。兄弟は拡張であり、夫婦は統合です。このように一つになって中央を占領するのです。


 結婚とは、本然的神様が愛という概念を中心として一つになることができるようにされたことです。彼らは、成熟して愛を中心に一つになることによって、この実体の位置で神様と一つになるのです。そこにおいて何が垂直かというと、愛が垂直です。それゆえに、縦的な神様を中心として、初めてここにおいて横的なアダムとエバが、縦的に運動する愛の実体の前にさっと入ってくるのです。そのようにして、初めて家庭的な定着地が生まれるのです。


 個人と家庭、氏族、民族、国家、世界がこの一点を中心として定着するのです。これが軸です。


 神様は男性格主体だと言ったでしょう? ですから、男性が中心です。なぜ男性が中心かというと、赤ん坊の種、生命の種をもっているからです。女性には赤ん坊の種がありません。それが核です。愛の種も、生命の核と接するためのものです。神様と一つになるためのものです。生命の種が神様でしょう? それゆえに、理論的で、核心的な定着点は、神様の愛と一致する所です。


 現在、堕落圏内にいる私たち人間が行かなければならない目的地は、天国です。別の言い方をすれば、還故郷しなければならない、故郷へ帰らなければならない、このように思うのです。故郷へ帰るにおいては、私一人では行くことができません。創造目的というものがあるので、創造目的を完成した立場で故郷へ帰っていかなければなりません。


 堕落していないアダムとエバの立場から見れば、たった二人で帰ったとしても、彼は天地を代表し、世界を代表し、国を代表し、家庭を代表した立場で帰っていくことができるのです。これが、本来神様によって息子、娘として造られたアダムとエバに賦与された責任でした。


 自分が生まれた故郷を中心として、いかにしてこれを天国の故郷に代置して拡大させるかということが問題です。それゆえに、氏族的メシヤを設定したのです。氏族的メシヤを設定することによって、母親はアダム家庭に代わり、それから自分はイエス様に代わり、先生は再臨主に代わるのです。三代、二代、一代が、歴史の根源地である自分の先祖と真の父母圏を横的に連結するのです。


 それゆえに、自分を生んだ母親がアダムとエバに代わり、皆さんはイエス様に代わり、先生は再臨主に代わるのです。これによって、皆さんの母親と皆さんの生まれた場所が天国の故郷になるのです。天の領土圏内にある故郷の位置を再び復帰してきたのです。


 皆さんの故郷は、故郷ではありません。国が故郷となり得る時が来たのです。それゆえに、皆さんがあの世に行くようになれば、今まであった境界線はなくなります。今は故郷に境界がありますが、このようなことをしておけば、霊界に行って国境なく連結することができるのです。どの故郷の地にも連結することができる地上天国の基盤ができるのです。


 ですから、これを連結すれば、すべての国家の戸籍に入籍したものが、そのまま天国に編入されるのです。ですから、堕落せずに繁殖した人間の故郷が天国の故郷に代わるようになったので、天国に生まれた立場に立ち、すべて接ぎ木されて天国に入っていくようになるのです。そのようにして、故郷復帰が成されるのです。


 そのような故郷、そのような国家が復帰されれば、天宙が復帰されるのです。そのような基盤の上で真の父母復帰が完成するのです。真の父母復帰、真の父母が立つことができる位置で、このようにすべての天国の条件、天宙復帰の基盤を完成してこそ、真の父母が使命を完成するのです。


 皆さんの故郷はどこかというと、真の父母が生まれた所であり天国です。ソウルが真の父母の生まれた所であり天国ですか。そのコンセプトをどのように克服するのですか。そのコンセプトをどのように越えていくのですか。「私は全羅道の人だ。私は京畿道の人だ。私は韓国人だ。私はアメリカ人だ!」というコンセプトを神様は願われません。エデンの園のアダムとエバに、そのようなコンセプトはなかったというのです。


 神様の遺業を相続するために最後に越えなければならない条件とは、神様をもち、真の父母をもち、真の兄弟をもち、真の民、真の国、真の世界をもたなければならないということです。「全人類が私の兄弟であり、あなたと私は永遠、不変だ」と言うことができ、分けることのできない兄弟の心情を通じて、天的家庭の家族として生きることができる人にならなければなりません。


 「この地は私たちのもの、天は私たちのもの、父は私たちの父だ」と言うことができる真の家庭を中心として、この地上に真の国を成し遂げ、神様の遺業を相続することができる皆さんにならなければなりません。


 今日、私たちの信仰生活と神様を信じるというキリスト教を注意深く見てみるとき、天国に残ることができる民は、どれくらいいるでしょうか。さらには、「神様の所有だ」と永遠に主張することができる民族はどこにいて、「神様の国だ」と主張することができる地はどこにあり、そのような物、そのような人はどこにいるのかというのです。これを皆さんは知らなければなりません。


 どれほど立派な夫をもらい、どれほど良い暮らしをしたとしても、神様が分からなければ、地獄に行くのです。神様の民として入籍しなければなりません。いくら有名なハーバード大学の総長だったとしても、神様の国の民として登録されなければ、地獄に行くのです。家庭、社会、国家、世界、人類の歓迎を受けたのちに天国に入っていくのです。


 天一国には、主権と国と国民が必要です。ですから、昨年(二〇〇一年)の神様王権即位式は主権復帰でした。それから、神様祖国定着大会は領土復帰であり、その次には天一国国民として入籍するのです。分かりますか。ですから、カードをもって初めて国民になるのです。国が形成されるためには、主権と領土と国民が完備されなければなりません。それが完備された上で、このような天一国の万世安着を宣布したという事実を信じ、神様のように自信をもち、文総裁、真の父母のように自信をもって一気に押せば、押すことのできないものはないというのです。


 神様の王権を樹立したのは神様ではありません。真の父母です。分かりますか。天一国をつくったのは神様ではありません。真の父母です。


 天一国という言葉は、天宙平和統一国です。「天」という字、これは二人です。二つの世界です。これは水平です。天国と地上の人です。天の人と地上の人の二重構造になっているのです。皆さんは心と体の二重構造になっているでしょう。心と体は、一つになっていますか、なっていませんか。闘っていますか、統一されていますか。闘っている人は、天一国の国民になることができません。


 神様王権即位式ののちには何をしたのでしょうか。韓国において先生が何をしましたか。神様祖国定着大会をしたのでしょう? それは、真の愛の血統を受け継ぎなさいということです。それを世界的に行いました。その次には何をしたのでしょうか。天一国を宣布しました。天宙平和統一国です。それが天一国です。それでは、天一国とは何でしょうか。二人が一つになる国です。分かりますか。天は二人でなければなりません。父母は二人でなければなりません。すべてペア・システムになっているのです。天一国とは何でしょうか。昆虫世界、動物世界から、すべてペア・システムになっています。それが一つにならなければなりません。二つの物、二人の人、二人の父母、二つの性格、主体と対象が一つになった所には本然の基台が生じ、神様がお立ちになることができるのです。


 聖書にも、「もしあなたがたのうちのふたりが、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら」(マタイ一八・一九)となっているでしょう? 神様まで合わせれば三人でしょう? 同じことです。二、三人の人が国の基盤になるのです。家庭の基盤になり、国の基盤になり、世界の基盤になるのです。そこから家庭が生まれ、氏族の出発がなされるのです。二人以上でそのようになるのです。

 きょうは、天一国二年十一月五日、第四十三回を迎える「真の子女の日」でございます。「神の日」と「子女の日」と「万物の日」を総合して、エデンの園において家庭で成し遂げることができなかったことを、天上世界にまで拡大した人類を中心として、エデンの家庭完成を総決算することができる天一国を中心とした平和統一平定時代を発表いたしました。神様が、天上地上平和統一解放聖火式の終わった各祝福家庭を訪問するにおいて、支障なく思いどおりに訪問され、苦楽を共にすることができる時代として、同じ生活圏において迎えることができるように、天上世界の願いは地上にあり、地上世界の願いは天上にあるので、天の願いどおり、地の願いどおりにお互いが一つになって平定された基準に立ち、解放された忠孝の道理を残し、天国中心の先祖たちとして地上に残ることができるように祝福してくださることを懇切にお願い申し上げます。


 きょう、天一国平和統一平定時代の到来を発表し、今や、霊界の恨を解き、地上に再臨して子孫たちを協助し、また教団の教主たちは宗教を中心として世界に協助し、不義によって苦衷の中に束縛された天のすべてのものを解怨成就し解放することができる時代、自発的に、自由に活動することができる時代、蘇生の天国を創建することができる時代を迎えましたので、許諾してください。


 きょう掲げた標語は何ですか。真の愛で? 私たちの家庭は天一国の孝子、忠臣、聖人、聖子の真の家庭を完成させます。ここには神様の創造理想のすべてが入っています。この真の家庭を中心とした孝子の伝統を受け継ぐのが忠臣であり、忠臣の伝統を受け継ぐのが聖人であり、聖人の伝統を受け継ぐのが聖子であり、聖子の伝統を受け継いで王権が樹立されるのです。


 ですから、相続とは、王権を手にしたその基盤において成されるのであり、自分のもっている所有意識であれ、国に属しているものはすべて否定されなければならないのです。それは、あってはならず、いずれにしろ決別しなければならない堕落した結果だというのです。神様が願われない怨讐の血筋で連結された汚れた世界です。神様は、そこに影を掛けることも願われないのです。


 それゆえに、神様は、今日この世の中のすべての悪の世界、戦争によって数多くの人々が死んで滅び、栄枯盛衰を経てきた今までのすべて世界に対しては管掌なさることができなかったのです。


 一度神様の前に一〇〇パーセント本物の孝子の家庭になってみたいと思いますか。そのようになってみたいと思うならば、何が惜しいでしょうか。それしかありません。そのようになろうと思えば、自分の七代先祖から燃やして祭物にしたとしてもしなければなりません。祖業田や国まで売ったとしてもしなければなりません。このようになっているにもかかわらず、「総生畜献納を教会に納付しなさい」と言っても躊躇し、食べて残ったものを……。アナニヤがペテロの前でそのようなことをして、夫婦ともその場で死んでしまい、地上から消えてしまったという聖書の話を知っていますか。それよりももっと恐ろしい時代が来たということを知らなければなりません。

三 天一国の民の態度と資格


 神様は、ただ外的に民族の形態だけを備えた民族を待ち望んでいらっしゃるのではなく、外的な形態だけを備えた国家を待ち望んでいらっしゃるのでもありません。民族がいれば、その民族を動かすことができ、国家と主権があれば、その国家の主権を動かすことができる、心情で連結された一つの主権と、一つの民族と、一つの民を待ち望んでいらっしゃるのです。


 選民ならば、彼らは、神様がいかなるお方かを知り、いかなる目的のために自分たちを立てられたのかを、はっきりと知らなければなりませんでした。そのようにして、いかなる苦難に直面しても、いかなる艱難が迫ってきたとしても、それを貫かなければならなかったのです。このようなことが、当時のイスラエル民族の取るべき態度であり、神様に対する心的基準でした。


 しかし、選民であることを誇ったイスラエル民族は、歴史路程において神様に多くの罪を犯しました。もちろん、その時代に対する犯罪よりも、その時代を動かしている神様の心情に対する犯罪のほうが大きかったということを、まず私たちは知らなければなりません。


 それでは、神様が人間を復帰するには、何から復帰しなければならないのでしょうか。願いも願いですが、事情、さらには心情を復帰しなければなりません。切っても切ることができず、分けても分けることができない心情の世界を復帰しなければなりません。ですから、今まで神様は、心情の基台を広めるために、その一日を見つめながら、歴史の峠ごとに背後で苦労してこられたのです。今日私たちは、このような事実を知らなければならないのであり、これを知らなかった先祖に対しては、公憤の心情を抱いて抗議しなければなりません。


 私たちが様々な事情に絡んだ生活環境で暮らしているとしても、それは結局、すべて過ぎ去ってしまうものです。いくら「地上で幸福な生涯を生きた」と言って自らの栄華を謳歌する者がいたとしても、それはすべて過ぎ去ってしまうのです。


 しかし、何かの使命をもって生涯を生きた人ならば、その人には残るものがあります。それは何でしょうか。事情ではなく、事情を支配し得る心情です。この心情が歴史を支配し、民族精神を鼓吹させ、思想を連結させていくのだという事実を、私たちは否定することができません。


 今まで神様が働いてこられたとすれば、それは、人間を救援し、御自身のみ旨を成すためです。神様のみ旨とは、神様の国を成し遂げることです。それゆえに、その国の民となることができ、その国の息子、娘となることができ、御自身の側にいることができる人を育ててこられるということは、間違いないというのです。


 神様は、どこに国を建てようとしていらっしゃるのでしょうか。霊界に建てようとしていらっしゃるのではありません。正にこの地に地上天国を建てようとしていらっしゃるのです。それでは、この地に立てられ、神様の国の民となることができる資格者とは誰でしょうか。それがまさしく皆さんです。皆さんは、天国を建国することができる中心です。


 皆さんは、「過去の人間は、こうだったのだなあ。今日の私は、どうであり、今後はどのようになろう。神様の事情はこうであり、神様のみ旨はこうであり、神様の心情はこうであり、お父様は悲しいお父様だったので、私はそのお父様の前にどのように進んでいかなければならないのか。お父様が血と汗と涙をもって祭物となってこられたので、その祭物を受けるためには、血と汗と涙を流さなければならない」。このようにして悲しい涙をもって、「お父様は、与えるために悲しんでこられ、与えるために血の汗を流してこられたが、私たち人間は、受けるために死に、受けるために涙を流し、受けるために苦痛を受けてきたので、授け受けすることができるその一日は、どれほどの喜びとなるだろうか。涙で出発し、喜びの涙が目の前を遮り、しみわたった恨が込み上げて爆発し、私の口で喜びと栄光と勝利の凱歌を歌うことができるその日をもたなければならない」。こうでなければなりません。


 そこにおいて初めて神様が、「お前は私の息子だ、お前は私の娘だ」とおっしゃることができ、天下万物のすべての福を前に置いて、心情と事情が通じ合う立体的な理念圏内において、神様が「お前は私の息子であり、私はお前の父だ」とおっしゃることのできる父子の因縁を復帰して印を受け、初めて天の家庭を築き、天の民族を築き、一つの世界、一つの主権、一つの天地をつくることが、人間である私が取り戻さなければならない因縁の中心だということを、皆さんははっきりと知らなければなりません。


 天国の民の段階に入っていかなければならない運命が、皆さんの前に置かれています。このような皆さんは、新たな歴史的な意識をもたなければなりません。私という一存在は、自分のために生きようとするのではなく、天国の民である同胞のために生きようという観念をもたなければなりません。それだけではなく、天国の兄弟のために、天国の夫婦のために、天国の父母のために努力しようという観念をもたなければなりません。それは、部分的な観念ではなく、宇宙的な観念です。


 ただイエス様を信仰する人として、むやみにイエス様を信奉するのではなく、内的にも外的にも天地の運勢と和合してイエス様を信仰する人にならなければなりません。神様は、宇宙的な摂理を中心として、天国復帰の理念を立てていらっしゃいます。私たちは、そこに立つことができる息子、娘、そして民にならなければなりません。そして、天国の同胞を愛することができなければなりません。


 皆さんの周囲に信じる民がいれば、皆さんは、彼らを兄弟と、また同胞と思うことができる人にならなければなりません。また、すべての人がそのようになるようにしなければなりません。このようなことを考えてみるとき、皆さんの責任は、この上なく大きいのです。


 六千年歴史を縦的に見れば、旧約時代には天の民を集め、新約時代には天の子女を集めました。このように歴史は逆に流れてきたのです。


 この地の誰もが異口同音に、今日を「終わりの日だ」と言っているこの時、すなわち歴史的な終結、科学的な終結、倫理と宗教的な終結を予告している世界的な終末時代に置かれている皆さんは、どのようにしなければならないのでしょうか。


 イエス様が叫ばれたみ言、すなわち「まず神の国と神の義とを求めなさい」のように、自らのことは考えずに、ただこの地上に神様の国と神様の義を立てるために不変の忠誠を尽くす人にならなければなりません。そのようにして、皆さんは、自らを万宇宙に誇ることができなければならず、神様の代身者の使命を完遂する人にならなければなりません。


 すなわち、その国の本質的な理念の内容を皆さん自体の生活に適用し、それが皆さんの生涯の実体的な価値を形成し、永遠の未来を約束する希望の一日を実現するようにしなければなりません。もしそのような皆さんになることができなければ、皆さんは、神様がアダムとエバの堕落以後四千年間苦労されたのちにイエス様を送られて役事させたみ旨と、イエス様以後今日まで、イエス様と聖霊を合わせた三位神が役事してきたそのみ旨とは、何の関係もなくなるというのです。


 このような観点から、今、皆さんは何を探し出さなければならないのでしょうか。皆さんは、その国とその義を立てることができないようにしている、すなわち天宙的な理念を立てることができないようにしている不義の条件を探し出さなければなりません。そのようにして皆さんは、一身の生活において闘争して勝利し、神様の息子であるイエス様に代わる存在にならなければなりません。すなわち、皆さん自身が、その国に処することができる人、その国の義の民になろうとすれば、食べること、着ることで争う愚かな人になってはいけません。食べる問題、飲む問題、着る問題を超えて生きる人にならなければならず、むしろそのような物が自分に少しでも付与されれば、ぼろを着て飢えている人にそれを分け与えることができなければなりません。一切れのパンがあれば、そのパンを一人で食べるのではなく、多くの人に分け与えたいと思っていらっしゃるのが神様の心情です。イエス様は、このような心情を身代わりしたのですが、イエス・キリストの前に現れた人間たちは、そうではありませんでした。


 それでは、今日、家庭において不和が生じる原因、争いが起きる原因はどこにあるのでしょうか。それは、家庭は自分だけのために存在すると考えているからです。食べ物があれば、それは自分だけが食べるためにあると考えるので、争いが起き、不和が生じるのです。正にこれが罪の矢であり、サタンだということを、皆さんは肝に銘じなければなりません。


 それゆえに、今日皆さんは、食べる問題を解決しなければならず、着る問題を解決しなければなりません。自分だけのために生きようとする心、すなわち家庭不和の条件を打破しなければならず、正にそのような歴史的な矛盾を踏み越えなければならないのです。このように、皆さんは、衣食住のすべての問題を超え、真の勝利者の姿をもって神様の前に現れなければならない立場に立っていることを忘れてはいけません。


 皆さんは、国と義のために生きる人にならなければなりません。いかなる難しい環境に直面したとしても、自分自身に対する父の願いがあることを思いながら、その環境と闘って勝利する人にならなければなりません。そのような皆さんになって初めて「神様の真の息子、娘だ」と言うことができるのです。


 それでは、神様の国を建設することができる人とはどのような人でしょうか。自分自身を否定し、切ない心で神様のために生きる人です。自らを否定し、社会と民族、国家、世界のために生きる人が、まさしく神様の国を建設することができる人だというのです。さらには、国家と世界を否定しても神様のために生きる人が、天国を建設することができる人だというのです。また何かの悲しい環境に直面しても、自分自身のために悲しむのではなく、社会と国家、世界、ひいては神様のために悲しむ人であってこそ、神様の国を建設することができるのです。


 今日、皆さんは、皆さん個人の何かの欲望を満たすために努力するのではなく、より大きな目的のために犠牲となり、奉仕する信仰生活をしなければなりません。そのようにして、ただ神様のみ旨と人類だけのために苦労されたイエス様の心情的基準まで行かなければならず、今まで苦労してこられた神様の切ない心情を慰労してさしあげる神様の真の子女の立場まで行かなければなりません。


 皆さんは、不義を見れば憤慨する心をもち、また与えたいと思われる神様の愛をもち、この世の果てにまで行って、神様の国と神様の義を探し立てるために苦労しなければならず、さらには、今まで人類を救援するために悲しみの中で苦労してこられた神様の心情を慰労することができなければなりません。


 それだけではなく、皆さんは、神様の国と神様の義を探し立てるその過程において、サタンとの闘いで敗北せずに勝利し、個人から家庭、社会、民族、国家、世界を一つに連結させることができなければなりません。すなわち皆さんは、いかなる立場に置かれたとしても、そこにおいてサタンと闘い、勝利する人にならなければなりません。


 社会に出ていけば、その社会のどのような環境の中でもサタンと闘い、勝利しなければならず、国家に出ていけば、その国家の最も難しい問題に責任をもって立ち上がり、サタンと闘い、勝利する人にならなければなりません。


 もしこのような人が現れれば、私たちがその人を見ると、今は滅びるように見えるのですが、あとから繁栄するようになるということを、皆さんは知らなければなりません。また、正にそのような人が、家庭や職場、団体、国家の主人です。家庭において父母のために自らの生命を捧げて孝の道理を尽くし、夫と妻が各々烈男烈女の道理を尽くし、国王のために忠臣の道理を尽くす人が、正にその家庭の主人であり、その国家の主人です。


 このような心が皆さんの心の中からわき出てきて、体と一つになり、サタンまでも皆さんを尊敬して従うようになる時、初めて皆さんは、その国とその義を探し立てる民として立つことができるのです。


 今日、数多くの人々は、「私はいかなる人間だ」、「私は国の民だ」と言って誇っています。今日、アメリカ人たちは、「大国の民だ」と言って誇っています。しかし、それは永遠ではありません。アメリカは、自分の国だけのために生きているのであって、他の国のために生きなければならないということを知らずにいます。昔、ギリシャ文明がローマのためにあったという事実を知らなかったのと同じです。ローマも、自分の国の文明がイギリスを経て現代文明のためにあったということを知りませんでした。それゆえに、今日、アメリカの国民は、自分の国のために働くのはもちろんですが、他の国のためにも働かなければならないことを知らなければなりません。しかし、大部分のアメリカ人は、これを知らずにいます。そのような中でも、自分たちだけのために生きるのではなく、天倫のために働かなければならないという理念が一部の人々に立っているということは、不幸中の幸いです。


 今日、統一教会に集まった皆さん、皆さんは小さな教会に座っていますが、これを広げれば世界に代わることができ、さらには天城に代わることができるという心情を感じたとすれば、問題は解決するでしょう。いかなることも解決することができるのです。皆さんは、神様のみ旨を身代わりした子女なので、神様をこの世界の主人として侍る天国の民にならなければなりません。そして、皆さんは、いつどこにおいても、父のみ旨から外れることができないということを肝に銘じなければなりません。


 歴史的な終末時代において、私たちは、華やかに着て、おなかいっぱいに食べて生きる民族ではなく、歴史に代わって耐え、奉仕する民族にならなければなりません。逆さまにならなければなりません。そうであってこそ公平です。主権をもって他の生命を奪ってきたいかなる理念にも、反対の立場に立たなければなりません。そのような時が来なければなりません。必然的に、このような過程を経なければならない歴史路程です。そうでなければ、道がふさがります。


 そうだとすれば、神様が行く道、神様の息子、娘が行く道、神様の民が行く道とは、どのような道でしょうか。耐えて、奉仕し、犠牲になりながら行く道です。皆さんは、耐えるにおいて盲目的であってはいけません。救い主のために、神様のために耐えなければなりません。神様のみ旨のために耐えなければなりません。一時があるので、その時のために耐えましょう。それゆえに、再臨思想がない高等宗教はありません。


 一時が来ると言いますが、その時とは、どのような時でしょうか。心の主体であられる神様が、心の目的を達成される時です。人間は、心の主体であられる神様のみ旨に従って闘い、その時のために探し求めていかなければならない歴史的な運命に置かれています。人間が神様に従い、神様の目標に向かっていくところでは闘いの路程がないはずがないので、このような曲折を記録しているのが歴史です。


 その闘いとは、どのような闘いでしょうか。耐える者が先に打たれる闘いであり、犠牲になる者が支配される闘いであり、新しい理念と新しい希望をもって立ち上がる人々が殺される闘いです。そのような闘いの歴史路程でした。それゆえに、この地上で善を叫んできた人は、誰もが苦痛の路程を耐えなければならなかったのであり、民族に代わって犠牲にならなければならなかったのであり、自分の信念を曲げないために死の場に出ていかなければならなかったのです。


 貧しく暮らしている人に対しては、助けてあげなければなりません。日本を中心としてアメリカを助け、アメリカを通して飢えて死んでいるアジアの人、かわいそうなインドのような所を助けなければなりません。この世界の人々は、一つの国の人々です。アメリカ人がアメリカの国民を愛するよりも、天の国の人が天の国を中心として愛するほうが、より強いというのです。


 今、韓国は悲惨な立場にありますが、ここで支援しているすべてのものをもって韓国を助けてあげれば、韓国民族が私を褒めたたえながら喜ぶことを知っています。しかし、私は、韓国を助けずに、アメリカに来て、このようなことをしているのです。なぜならば、アメリカには世界へ向かい得る、より高い次元の何かがあるからです。


 自分の生活文化の背景に歴史時代の痕跡が残っていては、本然の純粋な天国の民になることができません。サタン世界の文化背景を中心として習慣化した、そのような痕跡は、天国の本然の世界にはあり得ないというのです。生活的、習慣的な要素が残っていては天国に入っていくことができないのです。


 民さえ転換すれば、地は自然に転換するようになります。主権さえ立てられれば、民も転換し、国も転換するのです。ですから、レバレンド・ムーンは、世界的な主権を手にすることができる最も近い基地であるアメリカとソ連に対して関心をもつのです。今まで、ソ連はアメリカと両極化していましたが、彼らさえも世界の頂上で一つに統一されています。神様は、そのような頂上を導きたいと思っていらっしゃるのです。強いて比較するならば、そのようになった時、導いていく機関車のようなものがレバレンド・ムーンだというのです。


 このような一つの主権における一つの民、一つの地、一つの文化圏がエデンの園ですが、エデンの園には言語問題がないというのです。なぜならば、天国には天国の母国語(真の御父母様の言語)を使う人が入っていくようになっているからです。


 一つの国家を見ても、そこには代表者がいて、氏族には氏族の代表者がいて、家庭には家庭の代表者がいます。人間は、このようなすべての世界と関係をもっているので、宇宙的な父母、教団的な父母、家庭的な父母に侍っていってこそ天の民となることができるということを、皆さんは知らなければなりません。


 今日、全世界の人類が探し求めているものとは何でしょうか。宇宙的な父母です。特にキリスト教信者たちは、教団的な父母が現れることを願っています。その宇宙的な父母が現れる日が、正に再臨の日です。しかし、まだ教団的な父母と対面させることができる摂理が成されていません。


 神様は、六千年間摂理のみ旨を立ててこられましたが、教団を中心として大祭司長の責任を担ってこなければならないという再臨主の使命が残っているのを見るとき、新郎新婦という約束圏内の摂理は成されたのですが、新郎新婦が教団を中心として生活することができる真の父母の位置には、まだ行くことができていないことを知ることができます。


 真の父母の位置が決定するまでは、真の子女たちによって築かれる真の家庭は成立しません。一段階さらに進んで、宇宙的な父母の位置が決定するまでは、教団的な父母の位置が決定されないのです。


 二十四時間、常に明るい光を発し、常に熱い情熱を発する人が神様の国の人です。虫たちが、真っ暗な夜に光りのある所に寄り集まってくるのと同じです。


 それゆえに、神様の生命力と愛の力、明るく熱いものを永遠にもち続けることができる人ならば、その人は天国の人に間違いありません。


 真の父の国、真の母の国、真の長子の国があります。そこに連結されて天国の民が生まれるのです。ですから、私が天国の民であり、天国の息子、娘であり、天国の主人だ、そのような結論が出てくるというのです。家庭から出発して、天国の主人になるのであり、皇族圏に入っていくのです。家庭の主人は孝子、国の主人は愛国者ですが、これが一つにずっと連結されなければなりません。一つの道を行かなければなりません。孝子から愛国者、愛国者から聖人、聖人から聖子になるのが一つの方向です。あとに戻ることはありません。


 神様は、一つの道を行くことを願われます。最初は孝子にならなければなりません。「あなたが絶対的に必要だ。苦難の場であろうと幸福な場であろうと一緒にいたい」とおっしゃることができる私にならなければなりません。生涯、「永遠に一緒にいたい」とおっしゃることができる私にならなければなりません。誰かがいくら否定し、迫害したとしても、皆さんはその道を行かなければなりません。天国の民になれば、そこには蕩減がありません。一度成し遂げた結果は、永遠に存続するのです。


 皆さんは、この国が認めなければならない真の家庭になるのです。この国の民が認めなければなりません。この国の氏族が認め、この国の家庭が認め、この国の個人が認め、皆さんの家庭が個人、家庭、氏族、民族、国家の認定圏を超えてこそ、世界へ入っていくことができるのです。


 ここで認められなければ、皆さんの行く道はふさがるのです。認められることによって、歴史始まって以来、初めて皆さんは天国の民として入っていくことができることを知らなければなりません。

 皆さんの婚約者が気に入らなくても、耐えて犠牲となり、耐えて奉仕しながら行かなければなりません。「あの人と出会わなければ、私は学ぶことができなかったはずであり、私を天国に行かせるためにあの人を私に与えられ、もっと苦労し、奉仕し、犠牲になることができる精神を私にもたせてくれるのだなあ!」。そのように考えれば、偉大な人となり、天国に行くことができる人になるのです。


 神様は、罪人までもその息子、娘にすることを願われていらっしゃるのに、婚約者の顔が少し悪く、日本人で、背が小さいからといって、「ああ、私の好みに合わない!」と、そのように考えることができますか。男性として生まれ、最も醜い女性を連れて、より犠牲となり、より奉仕すれば、一等天国に行くのだということを考えなさいというのです。


 最も偉大な夫となり、聖人の夫になるのだということを知らなければなりません。統一教会の食口ならば、それくらいのことは考えられなければなりません。


 女性にとって最も幸福であり、最も貴いことは、夫をもったということです。それから、夫婦にとって最もうれしいことは、子女をもったということです。その子女は、父親のものでもなく、母親のものでもありません。この世界のものです。天国のものです。族譜は天国にあるのです。


 自分の息子、娘ですが、みな国籍に入っているでしょう? 国籍があるということは、その国の民だということです。それと同じように、その息子、娘は、天国の息子、娘だというのです。それから、その夫婦は、天国を代表した夫であり、天国を代表した妻だというのです。そのように思うことができる心であってこそ、入籍する時、天国の基準に拍子が合うのです。そして、その基準に共鳴することができるのです。この地上において共鳴的体験をしなくては、いくら祝福を受けたとしても、天上世界では困るというのです。


 男性も同じです。女性をもったということが最高の幸福です。二人が一つになって、愛を中心として息子、娘をもったということが第二の幸福です。そのような愛の家庭を世界に伝授しなければなりません。そのようになれば、天国の民としての資格を完全に備えるのです。


 三位基台は、三大祭物です。アブラハムの三大祭物があり、ノアにも三層の箱舟があったでしょう? すべて三大祭物です。このように祭壇を築いて三人が祭物を捧げ、その地域の民のために忠誠と誠心を尽くし、自分の息子、娘に対して福を祈る心情をもって、その地域を抱くことができる人にならなければなりません。そのような地域を受け持って三年間だけ活動すれば、天の民の資格を備えるのです。


 真の人とは、全体のために犠牲となって苦労した人です。真の人の中には、真の息子がいて、真の娘がいて、真の師、真の友人、真の父母、真の兄弟、真の家庭、真の国、真の天国があります。それでは、真の天国とはどのような所でしょうか。全体のためにより犠牲となり、苦労した人々が行く所です。


 アダムとエバは、個人で間違った結婚をすることによって滅びたので、今は逆に、国家間において二世が交差結婚をするのです。今は、愛さざるを得ません。愛によってその怨讐を溶かさなければなりません。このような基準を立てるためには、アメリカという国を中心として、六カ国の怨讐の国々、日本、韓国、ドイツ、フランス、イギリス等の怨讐が集まり、その怨讐の国に行き、その国の忠臣以上になり、新しい国を蘇生させるための伝統として、怨讐を愛したという挙国的な愛の基台を通してのみ、一つになったその基台の上で天国が出帆するのです。


 天国に行こうとすれば、怨讐を愛さなければなりません。エデンの園には、神様を中心としたアダムとエバ、それからアダムとエバを中心とした天使長がいました。アダムとエバが完成して天国に入っていく時、天使長も一緒に入っていくようになっていました。愛して入っていく所が天国です。天使長が、神様の愛とアダムとエバの愛を受けたのちに、一緒に入っていくのです。それが創造原理です。


 生きるのは、自分のために生きるのではありません。全体を代表して生きなさいというのです。自分が女性ならば、すべての女性に代わってこの時代に生まれ、自分を見ている女性の手本にならなければなりません。一つの標本として生きるのです。そのようになれば、子孫たちは間違いなくその標本に従っていくのです。そのように標本に従って連結する所が天上世界であり、永遠の世界です。ここに合格すれば、すべてのことが無事通過ですが、合格できなければ、大変なことになるのです。そこは、真の父母が教えてあげるのではなく、真の父母を通して完成した人々が行く所です。あの世には、そのような教育制度がありません。この地上で教育を受けてから行かなければなりません。地上でつなぐことは、天でもみなつながれ、地上で解くことは、天でもみな解かれるのです。


 天国の民は、万民の前に奉仕の旗を掲げて立ち上がった人々です。それゆえに、今日私たちがある民族を救うためには、自分が所有しているすべてのものを、その民族のために分け与えなければなりません。それでも救うことができなければ、自らの生命まで捧げることができる人にならなければなりません。このような人が、すなわち天国の民です。このような民を糾合して天国理念を成就しなければならない神様の事情があることを、皆さんは考えなければなりません。


 怨讐の子女を自分の息子、娘よりも愛さなければ、天国に行く道がありません。今日の既成教会員たちは、神様に「いつも幸福にしてくださり、私たちの罪と悪なることを、すべて許してください」と祈ります。それは、すべて偽物です。それを知っている文総裁は、神様に祈祷することができません。祈祷する前に実績を収め、それを捧げながらも恥ずかしさを感じなければなりません。面目ない私たちの先祖の罪を、何をもって神様に許していただくのですか。


 いまだに真の父母が結婚式を挙げることができていません。真の父母が定着できていないのです。しかし、今は、真の父母が「真の父母と成約時代安着」という時代を迎えたので、真の父母が初めて還故郷することができるようになったのです。還故郷する時には、散在していたすべての子女を連れていくのです。故郷に行き、真の父母が定着して結婚式を挙げたので、息子、娘を結婚させるようになるのです。


 それゆえに、統一教会は、今まで他の宗教と反対の道を歩んできましたが、誤った宗教ではなく、正統の道を教える宗教だというのです。なぜならば、「真の父母」という言葉をもっているからです。偽りの父母が教えた世界とは反対の世界に立っているのです。


 偽りの父母の立場から、修養して真の父母の道を求めていくためにこのようなことを教えてあげたので、真の父母は、当然還故郷をしなければならず、家庭をもたなければならないというのです。ですから、真の父母の息子、娘も還故郷し、家庭をもたなければならないということは理論的です。


 皆さんの心が「今、私は新しい時代に越えてきている」と思えば、後ろも振り返らずに「世の中よ、さようなら! 私は行く」と言わなければなりません。何の話か分かりますか。天上地上平和統一解放聖火式をしたので、その峠を越えたのです。


 ソドムとゴモラを離れる時、後ろを顧みてはならないと警告したにもかかわらず、ロトの妻が、「ああ、行く道が漠漠としている」と言って……。行く目的地も知らず、どこに行くのかも知らず、避難することよりも、今の苦痛が目の前をふさいでいて真っ暗な天地だと思って行くので、女性たちは、昔の暮らしを慕わしく思い、間違いなく後ろを顧みるのです。ですから、終わりの日にはそのような時があるので、「身重の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸である」(マタイ二四・一九)と言ったのです。


 皆さんの国がありますか。この国のすべての結論を出さなければなりません。ですから、今から盟誓文も天一国主人です。主人になるのです。天一国主人私たちの家庭は、真の愛を中心として。これが主体です。このようにするのです。分かるでしょう? 盟誓文が変わるのです。盟誓文に主人が生まれました。誰もがみな売り飛ばすことができます。しかし、天一国という言葉は、永遠に、永遠に真の父母によって生まれた言葉です。神様の王権を樹立し、天地父母安着生活圏を経て、地上天上和合統一大会を経て、天宙、天上地上平和統一解放聖火式が終わったので、新しい国が必要です! 分かりますか。


 統一教会に入ってきてどれほど信仰したとしても、心と体が一つにならなければ天国に行くことはできません。闘うところには影があるからです。


 皆さんがここで入籍修練を受け、祝福を受ける時、正午定着ということを言いました。影があってはなりません。


 皆さんの心と体が一つになっていなければ、日の光がさすとき、心が高い位置にあれば、左側に影が生じます。体が良心よりも高くなれば、左側から影が生じます。正午定着にならなければなりません。上中下が完全に垂直に立たなければなりません。神様が一代だとすれば、アダムが二代であり、三代圏が垂直にならなかったというのです。神様には三代がありませんでした。孫と孫娘をもつことができなかったかわいそうな神様だということを知りませんでした。私たち人類の先祖であり、私たちの師の中の師であり、主人の中の主人であり、王の中の王であり、天下の大主宰であられるそのお方が、このように悲惨な立場に立っていらっしゃったという事実を、堕落した人類は知りませんでした。知ることができませんでした。


四 天国の所有権を得ようとすれば天の民を大勢連れていかなければならない


 皆さんは、「私たちは、希望の民を求めてきた群れだ。希望の国を蘇生させるための群れだ。私たちが手を付ける日には、国を蘇生させ得る、一つの要素となる国民が蘇生する。私たちは、国の伝統的思想を受け継いだ者として、私たちの願う国を再建するために立ち上がったので、正しい伝統的思想によって彼らと一つになり、正しい国を求めていかなければならない。私たちは、そのような群れを募集するための募兵責任者だ」、このように考えなければなりません。


 ここで、国を愛する心にあふれていなければならず、民を愛する心にあふれていなければなりません。今までのような、国の民として国を愛した立場とは違わなければなりません。今までの自分の親戚、あるいは父母、兄弟、妻子を愛したものとは違わなければなりません。それらとは異なる意味で民を愛し、国を愛することができなければ、神様が求めていらっしゃる希望の理想世界を再現することはできないのです。


 私が神様を正しく見せてあげてこそ、彼らが私に従ってきて天の民になるのです。また、その集まる民を正しく連結させてこそ、天の祖国光復が蘇生するのです。


 「一つの民」という言葉の中には、黒人、白人、黄色人がすべて入っています。一つの民は、すべての文化を消化させることができる能力をもたなければなりません。また、歴史的なすべての習慣と環境を消化し得る能力をもたなければなりません。


 この一つの民となり、父母を中心として兄弟になろうというのです。しかし、まだこの世界は、そのようになっていません。それを完全に一つの民になることができるようにしなければなりません。


 そのままほっておけば、そこにはいつも悪なる人が残ります。私たちが家庭教会活動をすることにより、一つの民をつくることができるのです。


 一つの民をつくる方法は、家庭教会活動を通じなければならないという事実を知らなければなりません。それ以外には道がないというのです。数多くの氏族がいても、一つにする運動をしなければなりません。


 統一教会は、祝福を受けることにより、統一教会の正常な食口として扱われ、天国の民として扱われます。そのようにすれば、サタンは、理論的基準で自動的に分別されざるを得ないという結論が出てきます。


 サタンの愛よりも神様の愛が気高く、原則的な愛の基盤で祝福を受けた男性と女性として立ったので、サタンが讒訴できる基準ではなく、その上にいるがゆえに、讒訴することができません。なぜならば、真の御父母様の血筋を通してすべて本然の血統基準を立てたので、その血統圏にいることができるならば、サタンは生まれることもできないというのです。ですから、完全にサタン分別圏に越えていくのです。


 統一教会は、家庭天国理想のために前進する代表的教会です。この家庭の中には、国が宿り、世界が宿り、天地が宿り、神様が宿るということを知らなければなりません。


 真の父母の血族の因縁をもったので、今後野生のオリーブの木になってはいけません。真のオリーブの木の種をもって、万国のどこに行って根を下ろしても、真のオリーブの木の実が結実しなければなりません。万国万邦を越えて同じ実を収め、天国の神聖な民族として倉庫に納めなければなりません。それが神様の創造理想だったことを知らなければなりません。天国の民を拡張させなければならない責任、蕩減の役事がない自由解放圏内の天国の民を拡張させなければならない責任が、私たち統一教会の家庭にはあるのです。それが皆さんの使命だということを忘却してはいけません。


 今から氏族圏が発足するのです。今からは、神様が主管されるのではなく、皆さんの一族を天国の氏族化させる時代に入っていくようになります。それゆえに、先祖が役事して、我知らず統一教会に行くようになるのです。春が訪れてくれば、葉が強制的に出てくるのではありません。自然に出てこなければなりません。ですから、徐々に朝日が浮かび上がるその世界が目前に迫ってきたので、解放された姿で、神様の子女の名分を中心として、威風堂々と天地の大主人として出ていくことが、私たちの義務であり使命だということを忘却してはいけません。


 先生の願いは、天国の民を生かすことです。しかし、サタン世界に属した民をどのように変化させるのでしょうか。これが問題です。それを否定して、一八○度方向を転換させるのです。今、サタンは上に位置し、神様は低い所に位置していらっしゃいます。それをどのように変えるのですか。零点にならなければなりません。天国の民をどれだけ連れていったのかということが、最も貴いことです。


 皆さんは、先生のおかげで全員天国の民になったでしょう? 同じです。皆さんの息子、娘が天国の民になることができるようにするためには、自分が死んでも、天国に連れていって暮らすことができる息子、娘として教育しておかなければなりません。それが皆さんの財産です。それをシステムにして、皆さんの息子、娘を教育しなければなりません。それでこそ、彼らが一つの所に行くのです。すべての人々が一度に天国の民になるならば、神様がどれほど喜ばれるでしょうか。そのようにしなければなりません。それが、あの世の財産です。


 嫁いでいく新婦が嫁ぎ先に行くときに、所帯道具をもっていくのと同じように、それがあの世に行く時の贈り物です。自分の国の人はもちろん、数多くの国の人を連れてきたというときには、天国で祝宴が催されるのです。


 原理のみ言を通じて、事業ならば事業分野において、天国の民を連れて入っていくことが最大の贈り物です。天国に入っていく時に、何をもっていくのですか。自分の家族だけ連れていくのではありません。自分の家族だけ連れていけば、サタン世界のカインの息子、娘を、誰が救ってあげますか。


 ですから、今まで、真の愛を中心として天国に入っていった民がいなかったというのです。そうです、天国は空いているのです。ですから、天国の民をたくさん復帰していくことが、神様から賞を頂き、天国の近くに行くことができる贈り物だということを知らなければなりません。知識や何かの活動や実績ではいけないというのです。


 永生基盤がなくては、長久な闘争はできないのです。実績がなければ流れていきます。先生は、永生をかけて闘ったので、今まで残ってきたのです。同じです。深刻な問題です。その力を知らずにいます。いずれ、一度は死ぬのです。どのコーナーで死ぬのか分かりません。いつかは霊界に行くのです。行く時に、天の前に何をもっていくのですか。体をもっていくことはできません。すべての人が天の民を率いていかなければなりません。それゆえに、先生の後ろには、多くの民が従うようになっているでしょう? それは、しなければならないのです。

 霊界においての所有圏は、天国の民をどのくらい連れて入ってきたかということで決まります。それが自分の財産です。これからは、それを正さなければならない時が来ました。今からは、一日に何百万が伝道される時が来ます。統一教会には、そのような素晴らしい内容があるのです。世の中を見なさいというのです。今死ぬとか生きるとか、人生が何だとか、地に足をつけることができずに空中をさまよいながら、狂ったように歩き回り、最後に自殺する人がどれほど多いですか。


 これからは交流時代に入っていくのです。統一教会の食口交流時代、近隣の三、四カ国を中心とした交流時代、その次には大陸間の交流時代、さらには東洋と西洋の交流時代が来るのです。このように交流すれば版図が変わるのです。


 なぜそれが必要でしょうか。その国家と国家を見れば、境界線に接している国家同士は、大概が怨警視しています。自らの実利を追求しているのでぶつかることが多く、怨讐になったというのです。それゆえに、霊界では、暗黒の時代で生きた人は、すべて障壁でふさがれているのです。これをどのように開くのですか。地上で子孫が崩してあげなければなりません。


 その子孫が崩してあげることにより、その障壁が崩れるというのです。その障壁を崩そうとするので、日本の人を、憎んだ以上に愛することができる人にならなければならないというのです。それがアベルの使命です。先に知った人が、先に十字架を負わなければなりません。

 あの世に行くにおいて、個人所有になるものは、この地上にいる時に天国の民をどれだけ多く接ぎ木させていったかということです。宗教では、この意識を植えつけてあげなければなりません。私たち統一教会の食口が二世にこの意識を植えつけることができなかったので、ほかの所に行こうとするのです。「就職だ」、「何だ」と言って、世の中に流れていこうとするのです。


 ですから、この地で霊界、天国の民を生産するようになっているというのです。霊界では生産ができません。地上で生産するのです。ですから、本来は、アダムとエバを中心として、原則的に生産したとすれば、すべてが天国の所属なのですが、堕落したためにひっくり返ったのです。


 御飯を食べることよりも重要なことが、天国の民を治めることです。それが、この地上に生きる私たちの本業です。生涯にしなければならないことの中で、それ以上に貴いことはありません。世の中で就職して出世したり、お金を集めたりすることは、すべて流れていくのです。あの世では、お金を集めても何の意味もありません。あの世では、物質が必要ないのです。知識が必要ないのです。学ばなくても心が先に知っています。一週間以内に何でも、すべて通じるのです。


 今後、皆さんはあの世に行き、復帰歴史をされる神様の前に、一人のアダムを取り戻すために今まで苦労された神様の前に行って、何と言うのですか。神様は、創世以後、今まで一人でアダム完成者を尋ね求めてこられたのではありませんか。しかし、皆さんは、原理を知りました。これは、数千、数万の民を救うことのできる武器です。今まで神様が人間に教えることができず、それを分からない中で摂理なさる神様の切なさ、それに代わって地上で神様以上のことを私たちがするのです。私たちには、原理で数百、数千のアダムを教化して連れていくことのできる道があるのです。


 皆さんは、天国に連れていくことができる息子、娘を何人つくりましたか。皆さんがしなければならないことは、それしかないのです。いくら億千万のお金をもって幸せに暮らしても、すべて流れていくのです。それは、自らのすべての物質と知識と自分の命まで、堕落した自分の命まで投入してでもしなければなりません。それを別々に投入するのではなく、一度に投入して天国の民をつくろうと思わなければなりません。投入して全体が加重されるに従い、その価値は比例していくのです。


 皆さんがどれだけ永遠に天の前に称賛を受けられるかは、どれほど天の民を収穫して収めるかという問題にかかっています。それを収めることのできる鍬が、今まではなかったのです。分からないのでできなかったのです。しかし、皆さんには、背負子があります。熱心にみ言を伝えれば、爆発的に収穫することができるのです。


 自分によって多くの天国の民、天国の家庭を拡大しなければなりません。あの世に行って新しく策定される位置が、地で決定するというのです。地で結べば天でも結ばれ、地で解けば天でも解かれると言ったでしょう? このことを前提として語られた言葉です。


 磁石のN極とS極がお互いに「引っ張れ」と言って引かれていくのではありません。そのように自然な作用が展開するのです。台風が吹くのです。これが定着しなければなりません。エバ圏を中心として、母を中心として、台風のように吹いてくる世界の運勢と共に、カイン・アベル圏を家庭にしっかりと植えておかなければなりません。出産するのです。皆さんがする出産は、母の出産であり、息子、娘の出産です。この道を行くにおいて、女性たちは解放者です。男性たちは、無関心な自由天地圏にいるので、自分の息子、娘が行くことに干渉できないのです。女性は、二十四時間いつでも占領することができる時代圏に入ってきたという驚きを、天地の前に、父母様の前に感謝しなければなりません。それゆえに、どれだけたくさん収穫して天国に行くのかということが問題です。

 最近韓国では、婚礼家具問題で騒々しいでしょう? ちょうどそのような時になりました。天国に、どれだけ多くの民と家庭を連れて入っていくのかということが問題です。天国には家庭も民もありません。民とともに家庭をつくってさしあげれば、神様がどれほど有り難いと思われるだろうかというのです。真っ暗な夜中に天を見れば、星が輝くのが見えるでしょう? 皆さんはその中で、どのような星になりたいですか。大きな星になりたいと思うはずです。へそのような大きな星になるかならないかは、民をどれだけ、家庭をどれだけ率いていくかにかかっているのです。


 山に行って山菜を摘む女性が、良い山菜を取ろうと一日中あちこち飛び回れば、夕方に帰ってくる時にはかごが空だというのです。おなかが空き、その山菜をつまみ食いして空のかごで帰ってくるのです。しかし、着実に落ち着いて取る人は、元気に飛び回っていた女性を家に使いとして連れてくることができるというのです。


 今、天国には民がいません。天国は空いています。それゆえに、統一教会の門を通じて、空いている膨大な天国を民で満たさなければなりません。そのような時代が来たにもかかわらず、世界のことは考えないで自分のことばかり考えていてはいけません。うずらのように頭の羽が抜け、せきれいのように頭の羽が白くなってはいけません。仕方なく尾を振りながら、哀れに飛んでいくせきれいになってはいけないというのです。貴婦人にならなければなりません。


 なぜ神様がアダムを造られたのかというと、横的な面積が必要なので造られたのです。多くの男女が結婚して家庭を築くのは、家庭の息子、娘をすべて移動させ、天国を満たすためなのです。それゆえに家庭は、天国の民を創造、製造する分工場です。


 家庭が分工場なので、多くの息子、娘を刷り出しなさいというのです。天国では、誰が民をたくさん連れて入ってきたかによって天国の位階が、栄光の位置が決定するのです。息子、娘をたくさん育ててみれば、十二タイプの人間、二十四タイプまで育ててみれば、人間をすべて愛したという位置に立つというのです。

 今回、私がハワイに出発する時に、今まで神様王権即位式と、それから神様の故郷と祖国定着、それから天一国宣布とともに国民……。国を成すためには主権がなければなりません。それが王権樹立です。国がなければなりません。祖国定着です。その次には国民がいなければなりません。ですから、天国入籍カードをもつようになっているのです。


 このようなことをなすことによって、天の全権を中心とした主権と国と国民を備えることができる天一国の基盤がすべて準備されました。ここにおいて自らの確定的な価値決定は、今から皆さんが天の前にどれくらい一族を収拾するかにかかっています。逆に行かなければなりません。ここから上がっていかなければなりません。


 今からは、先祖を動員する時代です。先祖たちを動員して協力させなければなりません。そのようにしようと思えば、この内容をはっきりと知り、天上の構造がどのようになっていて、どのように再臨役事が成されるのかということをはっきりと知って動員しなければなりません。そのようにして、皆さんが旗手となり、誠心誠意を尽くす彼らの方向を先につかんであげ、模範とならなければなりません。地上がお兄さんです。地上が模範とならなければなりません。分かりますか。ですから、一人でするのだと思わないでください。先祖を動員すれば、すべて協助してくれるのです。


 堕落とは何かというと、神様にも創造なさった責任があり、アダムには堕落させた責任があります。その堕落は家庭破綻であり、それは、国家、世界、全宇宙を滅ぼしてしまうことができる破綻です。偽りの父母がこのようにしてしまったので、偽りの父母の王であるサタンが生まれ、偽りの父母と一つになって神様を追放し、神様が願われる世界を滅ぼしたのです。そのようにして、今まで、政治世界が宗教圏を犠牲にしてきたのです。しかし、今からは、これがひっくり返ります。


 ですから先生は、超宗教、超国家、超NGO運動をして、秩序がひっくり返っているものを順次的な方向に立て、天と地が統一された解放の結果として合わせるのです。合わせるにおいては、霊界で合わせるのではなく、地上で合わせてすべてのものを解放して越えていかなければなりません。


 越えていく時は、サタンが汚した血痕の残っている一切、汚した痕跡が残っている一切を燃やしてしまうのです。今まで、自分個人や家庭やおしりにぶらさがっていたものをすべて燃やしてしまい、この天上地上平和統一解放聖火式を通して越えるのです。


 越えるのですが、その越えた位置は何かというと、祝福中心家庭です! 越えるにおいては、家庭から失敗したので、家庭をもたなければ越えることができません。個人では越えることができません。それゆえに、今、霊界でも祝福完結のために大騒ぎです。地上に対して要求するのです。


 それゆえに、地上で生きたのちに死んでいった皆さんの先祖や、また宗教の責任者である宗主たちには、地上に再臨し、その氏族や宗教を中心とした主人の立場で責任行為を完結して越えていかなければならない責任があるので……。


 「今、統一教会は外部の人を伝道してはならない」と言いました。自分の一族、自分の家庭に属している僕を救ってあげ、それから養子を救ってあげ、庶子を救ってあげ、直系の子女を救ってあげ、一つになって父母に侍り、本然の家庭の夫であるメシヤを中心として教育を受けるのです。そのようにすることによって、新たに解放された地上の個人から天上解放圏まで完結することができるのです。


五 天一国主人の生活

) 一心、一体、一念、一和


 あなたと私は、心と体が一つになった同じ位置、それはすなわち夫婦一心、父子一心という位置です。一心は、一つは上にあり、もう一つは下にあるという状況では成立できません。父親が上にいて、息子、娘が下にいれば、一心になることはできないのです。お互いが同等な立場で平面的に位置していてこそ一心になるのです。内的外的関係が平面線上の位置に立ってこそ一心になるというのです。夫婦も同様です。


 横的関係において内外関係、前後関係の位置に立ってこそ一心になるのであって、上下関係では絶対に一心になることはできないというのです。


 一心統一です。目が一心にならなければならず、鼻も一心であり、すべて一心です。心と体も一心であり、男性と女性も一心です。国の氏族も一心であり、国も一心にならなければなりません。王が願うとおりに一心にならなければならず、世界の大統領と一心となり、神様と一心となり、天地の大統領と一心統一になれば、世界は一つの国になるのです。その統一された国は、人の国ではなく、正に私の国なのです。


 アダムとエバが神様の前に責任を果たしていたならば、神様が祝福式をしてくださったのです。祝福を受ければ、そこから善が出発し、真理の一体化、実体の一体化、心情の一体化が成されるのです。真理の一体化とは、神様が「このようにしなさい!」とおっしゃれば、「はい」と言って、神様のみ言どおりに従ってすべて成されるのです。神様のみ旨から見たアダムとエバは、本来二人ではありません。アダムがエバに引かれて天法に背いたので二人になったのであって、本来は一人なのです。真理の一体化、実体の一体化が成されたのちには、心情の一体化が成されなければなりません。そのようになれば、神様と一体化するのです。神様は、そのようになる日を待ち望んでこられました。


 天国は、神様の愛を中心として完全に一体となった夫婦が入っていく所であり、その一体となった夫婦によって生まれた子女たち、すなわち神様を中心として一体となった家庭、氏族、民族をすべて率いて入っていく所なのです。


 統一教会の第一条件は、心身一体です。それで、神様が天地創造される時、絶対信仰、絶対愛、絶対服従を命じたのです。自分が言えば、信じたとおりに実体が現れます。現れなければ、投入して現れるようにして成し遂げるのです。いくら大きなものでも、自分が命令したとおりに成し遂げられるというのです。願った以上に投入するので、完成するのです。


 エバの堕落は、絶対信仰、絶対愛を追求できなかったということです。それで、蕩減復帰原則において、良心を中心として絶対信仰、絶対愛を取り戻すために、天のために生きる一念、一片丹心しかないというのです。世の中のすべてのものは、天とは背反するものなので、これを断ち切って絶対否定しなければなりません。


 一和という言葉は、「一」という字に、和するの「和」という字です。化けるの「化」という字ではありません。和するの「和」という字は、皆さんの個性がそれぞれ違いますが、個性の違う人たちが一つになるのと同じように、個性の違う民族、個性の違う国家が一つにならなければならないという意味が内包されています。


 一和という言葉の「和」という字は、本質が変わっていきながら和合するのではありません。男性なら男性が、女性なら女性が、変わらずに和合するのです。どちらが貴いかというと、本質が変わって和合するよりも、そのまま和合するのが貴いのです。


 一心、一体、一念。一心は何かというと愛天です。天を愛しなさいということです。一体は何かというと、人類を愛しなさいということです。そうではありませんか。一念は愛国です。愛国は国家を愛しなさいということです。国家は家庭を拡大したものです。家庭を愛しなさいということです。男性と女性におけるすべての願いの骨子または主流は、一心、一体、一念の思想です! 分かりますか。


 ですから、きょうの表題を言うと、一心、一体、一念安着は、一念と言ってもかまいません。一心、一体、一念は神様と天宙人の主流思想です。天宙と言えばみな分かるでしょう? 神様の家なので、万物世界、天地がすべて入るのです。天宙人の主流思想です! 分かりますか。一度言ってみてください。(一心、一体、一念は、神様と天宙人の主流思想です)。天宙人とは、天地の家の人です。すべて入ります。被造万物がすべて入るのです。天宙人の主流思想です。分かりましたか。一度言ってみてください。(一心、一体、一念は、神様と天宙人の主流思想です!)。それ以外にはありません。  


 万福の根源であられるお父様!


 地上に真の父母を送られて数多くの恨の峠を蕩減させられ、今は、天上地上和合統一大会とともに天上地上平和統一解放聖火式を終え、天と地が共に水平上に立つことのできる天一国平和統一平定時代を迎え、天と地が共に一体理想を中心として、個人から天宙まで、水平的基準で一つの目的に向かって前進するようになりました。個人完成を中心として、心と体が一つになり、一心、一体、一念を中心として和することのできる一和の実体を中心として、天が願われた相対的理想を完成するための愛の理想のために絶対的に必要なものは、対象的基準として創造されたアダムとエバです。無形の天国の父母と有形の実体の父母が、一心、一体、一念、一和の統一的基準を中心として、愛の理想相対をもたなければ、絶対愛、唯一愛、永遠不変の愛、神様における属性の主流的理想の目的を完成することはできません。


) 純潔の八段階


 救援摂理は再創造摂理です。再創造摂理は、神様の創造原則にかなう純潔な万物、純潔な人、純潔な血統、純潔な愛を立てるためのものであり、これが創造の過程なのです。純潔な地上に純潔な万物、純潔な人、純潔な愛を立てるためのものが創造の理想であり創造目的なので、これを成し遂げるためには、私たちの一身において自由にならなければなりません。


 純潔な体を取り戻すためには、サタンの基盤になっている体を打って、サタンを追放してしまわなければなりません。そして、純潔な心と体、物質と精神が一つになり、それからサタン圏を抜け出し、約婚段階において三年を経たのちに完成圏の祝福家庭を成すのです。これを原理から見るときには、人間の責任を完成することができる立場に上がっていくということです。このような復帰路程と蕩減路程を知らなければなりません。このようにしなければ上がっていく道がありません。


 純潔の八段階とは、純潔、純血、純愛、純孝、純忠、純聖、純婚、純家庭の道理を果たし、真の父母によって個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、神様まで、地上において八段階の秩序を完成した形態として立てることによって、はじめて対象的な横的個人、家庭、氏族、民族が相対的基準で一体化するのです。


 それで、無形の神様と実体の天地父母の愛を中心として、家庭的出発形態を拡大した世界理想の基準として抱き、一つの家庭形態として結論づけることができるようになるとき、地上天国と天上天国が解放され、天の国に直行することができる道が開かれるようになるのです。このような内容を成し遂げることが、神様と真の父母の使命です。


 心と体が一つになり、一心、一体、一念、一和の姿で神様の前に真の孝子となり、国の前に忠臣、世界の前に聖人、聖子の道理を果たし、純潔な孝誠の心で、「私は、永遠に真の父母に侍って暮らします」と言うことのできる群れにならなければ、天一国の民になることはできません。


 自分一人だけが幸せに暮らそうと考えることはできないということを発見しながら、世の中にいかなる困難や幸福な環境があったとしても、それを越えて不幸な立場にまでも自分が行き、開拓の王子の立場で神様の代身者になろうと思うことができてこそ、天一国を相続することができる相続者になるのです。


 一緒に暮らしたいと思って真の御父母様が苦労されるので、私は、千倍万倍苦労しても良く、持っているものをすべてかき集めて、その生活圏内に相対基準を造成し、誰よりも真の御父母様を解放された喜びの立場に立てようと思わなければなりません。


 自分は極の極の立場で苦難も消化しながら感謝することができ、賛美を捧げ、天の前に栄光を捧げ、子孫の前に永遠に誇りを残してあげようと思うことができる人になってこそ、天一国の主人になることができるのです。


 習慣性を正し、サタンにずるずる引っ張られる糸口を残さないためには、神様の摂理としてこれは良いチャンスだと考えなければなりません。


 純潔の血統を残すためには、真の御父母様の血統を受けて継承した清潔な基盤の上に、純潔な愛によって純潔な種を蒔いて、純潔な子孫を迎えるその日の喜びを思って耐えて越えていかなければなりません。そのような道が、山の峠が重なりあっています。それを重大だと思って希望に満ちて越えていくことを先生はお願いします。分かりますか。


 真の父母は、アダムとエバが失敗したすべてのことに責任をもち、解決してあげなければなりません。そのようにしなければ、真の父母の立場に帰る道がありません。父母が植えたので父母が収穫し、悪いものは火で燃やし、良いものは倉庫に入れ、万民が要求する種を分配してあげなければならないというのです。それが原理のみ言です。真の愛のみ言です。純潔な血統のみ言です。理想の夫婦に関する愛のみ言です。それ以外に、人間として尋ね求めていく道はありません。それ以外はすべて消えていきますが、これは、人間の生命と共に、永遠の生涯と共に行くのです。そのように貴重なのです。


 血統を維持しなければなりません。清い血統、純潔な血統を維持しなければならないというのです。神様が堕落したアダムとエバを追放したのと同じように、血統が汚されれば、自分を完全に除去してしまい、堕落した人と同じように、再び人類の後ろに戻っていかなければならないのです。


 今後、天国の責任者は、このような純潔を守って生きてきた人だけがなることができるのです。この人たちは、主流の伝統思想を受け継いで相続していかなければなりません。祝福を受けた家庭が再堕落することは、絶対に赦すことができません。


 家に帰ってくれば、誰よりもまず父母にあいさつし、孝道を尽くす伝統がありますが、それは、特に女性に強く強調されたことです。なぜ沈清でしょうか。それは、女性が不孝をしたからです。世界的な歴史を蕩減し、孝子の伝統を立てるために、一人の女性をナンバーワンの位置に立てなければならないのです。復帰天国を成していく時に、これが蕩減の第一条となるので、女性が孝子の伝統を立て、志操を守り、純潔を誇ることができる娘になったというのです。


 天国の主人になるということは、孝子になったのちに言う言葉です。孝子の次には、忠臣、聖人、聖子の家庭です。


 聖子の家庭が真の家庭です。真の家庭になってこそ、天国の主人になるのです。


  


 心と体が一つにならなければ、今後、天国に行くと考えてはいけません。


 もし原理のみ言を知って一つになろうと思ったならば、一つになる時まで、あの世に行って待たなければなりません。


 皆さんは、孝子にならなければならず、孝婦にならなければならず、それから孝聖にならなければなりません。その次には、純潔、純血、純愛を中心として、家庭基盤の上で神様に対して家庭的孝子にならなければなりません。一人だけではありません。家庭全体が孝子にならなければなりません。そして、孝子忠臣家庭、それから孝子聖人家庭、孝子聖子家庭です。


 そのような立場で、個人から天宙まで、あの世の天国の王権を受け継ぐことができる王子、王女として、遜色のない主人の代身者とならなければなりません。私たちは、常にそのような訓練をしなければなりません。天一国主人という言葉は、そのような意味です。


 真の父母がすべてを収拾し、主人の位置に奉献してさしあげなければなりません。なぜかというと、アダムとエバは、結婚したのちに相続されるのです。結婚前に所有しているということは、盗品を購入したということです。


 盗んだ品物を買って使っているか、借りて使っているか、自分で盗んで使っているか、主人ではない者が主人の役割をしているということです。すべて果たし、純潔、純血、純愛の家庭を中心として、家庭的孝子忠臣、家庭的孝子聖人、家庭的孝子聖子を真の父母の前にすべて捧げ、神様の前に収拾してさしあげなければなりません。その国も、すべてこのような婚姻申告をしなければならず、出生申告をしなければなりません。


 祝福された家庭は、純潔血統、純愛家庭を中心として、家庭的孝子、国家的孝子、世界的孝子、天宙的孝子になって「神様は私の父だ」と言わなければなりません。内外にあるすべてのものが似て、心も似て、体も似て、細胞も似て、一心、一体、一念、一和にならなければなりません。しかし、相対がいません。一和の立場で愛を投入しなければなりません。投入し、万物時代から絶えず上がっていかなければなりません。最終的には神様にまで上がっていかなければなりません。神様が喜ばれれば、天下が喜び、天地が和動できる本然の創造理想、完成完結した解放的起源がそこから出発するのです。そこまで行かなければなりません。それを早くしなければなりません。雷のごとくしなければなりません。



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