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一) 家庭盟誓の重要性
「家庭盟誓」は、すべての原理の内容を中心として、家庭編成に適した核心的内容を抜粋して記録したものです。そのようなものであることを知って、皆さんは、祈祷する前には、必ず盟誓文をすらすらと暗唱し、現在の自分自身と自らの家庭の状態が盟誓文のとおりになっているか、いないかをたださなければなりません。そして、盟誓文のとおりになっていなければ、すぐにそれを是正していかなければなりません。盟誓文のとおりに完成しなければなりません。過去においては「私の誓い」と言ったでしょう? 今は何ですか。「家庭盟誓」を暗唱すれば、その中にすべてが入っているのですが、今後は「国家盟誓」、「世界盟誓」まで出てこなければなりません。
この盟誓文は、復帰摂理の骨子を抜き出してつくったものですが、どこへ行こうと、毎日これを中心として生きなければなりません。すべての盟誓文において、最初の文句は真の愛です。真の愛とは何ですか。自らの心と体を祭物として神様の前に捧げれば、神様まで一つになって私たちに返してくれるのです。自らの心と体を捧げなくては、神様と一つになり、返してもらうことができないのです。絶対信仰、絶対愛、絶対服従する立場で神様の前に捧げるようになれば、神様と一つになり、神様が私たちの前に立たれるのです。そのようにして、万事が天の指示どおりに動くならば、地上と天上天国のすべてのものが成されるのです。
盟誓文を朝、昼、晩の食事の時と、起きた時と寝る時、このように五回ずつ暗唱しながら自分自身を批判し、心と体が闘う基準に連結したものをすべて清算しなければなりません。そして、一つになっていなければ、朝食を食べることができず、また昼食や夕食を食べることができないのです。御飯を食べてはいけないのであり、寝てはいけないのです。盟誓文は、個人的誓いとは異なります。「家庭盟誓」です。
摂理の時、私たちは誓いをするのですが、今は個人ではなく家庭です。家庭がすべての公式であり、根本です。ですから、家庭を代表して暗唱するのです。父親が全体の家庭を代表して暗唱するのであり、母親も全体の家庭を代表して暗唱するのであり、また息子、娘も全体の家庭を代表して暗唱するのです。
第一に、心と体が一つにならなければなりません。第二に、夫婦が一つになるのです。第三に、子女が一つになるのです。どうしてでしょうか。エデンにおいて神様を失ってしまいました。アダムとエバを中心として個人を失い、家庭を失い、子女を失ってしまいました。これを復帰しなければなりません。ですから、「家庭盟誓」は心と体が一つにならなければなりません。夫婦が一つにならなければなりません。そして、子女が一つにならなければなりません。
「家庭盟誓」の最初は何ですか。「私たちの家庭は真の愛を中心として」です。すべて「私たちの家庭は真の愛を中心として」と言うのです。「家庭盟誓」の八大項目の中で、表題は何かというと、「私たちの家庭は真の愛を中心として」という言葉です。真の愛とは何ですか。真の愛というのは、神様の愛と真の父母の愛が堕落しないで一つとなり、真の愛を中心として真の生命、真の血統が連結されたことを意味するのです。
家庭が、すべての団体の根本です。ですから、問題は簡単です。世界の統一は、良心と体が一つになり、夫婦が一つになり、息子、娘が一つになるところから始まるのです。世界の統一はそこから始まるのです。ですから、一番の怨讐は、心の前における体です。体はサタン側です。心と体が一つになりさえすれば、天下がすべて変わるのです。歴史始まって以来今まで、いかなる聖人もそのことを教えてくれませんでした。真の父母が出てきて、初めて教えてくれるのです。
それでは、堕落したのですが、なぜ体が心を引きずり回すのでしょうか。偽りの愛で堕落したのですが、その偽りの愛の力が良心の力より強いので、問題が広がったのです。ゆえに、私たちは、心に神様の愛を注入しなければなりません。「神様を愛する」と言って注入しなければなりません。心と体が一つになれば、神様の愛が注入されるのです。
家庭が必要です。そこで自分のために生きますか、子女のために生きますか、それとも妻のために生きますか。子女のために生きなければなりません。なぜでしょうか。創造原則がそのようになっているからです。世の中の存在原則がそのようになっているからです。歴史がそのようになっているのです。
神様が創造したのは相対のためです。ですから、相対が自分よりも優れていることを願うのです。優れていることを願うのですが、何パーセント優れていることを願うのでしょうか。一〇パーセントですか。一〇〇パーセントですか。一〇〇〇パーセントですか。永遠パーセントですか。永遠パーセントというのは、無限のパーセントということです。ですから、投入して忘れてしまわなければなりません。一〇〇パーセントだけ投入するのならば、一〇〇パーセントしか出てきません。ですから、投入して忘れ、投入して忘れ、投入して忘れてしまわなければならないのです。
失ってしまったものを再度編成して、天国に一致させてこそ、天上世界で空いている天国が回復されるのです。今、先生は南米と北米を統一しています。南米と北米が統一されれば、韓国と北韓の統一は、あっという間です。それから、天の国を取り戻して立つ時は、その時からは天国の憲法が制定されるのです。皆さんの家庭が唱えている「家庭盟誓」の中から、憲法が制定されるのです。四大心情圏と三大王権、そして皇族圏の内容から憲法が制定されれば、それは公式になるので、誰もがみな知るようになります。そのようになれば、欺くことはできません。
このような原則によって憲法が制定されれば、そのとおりに生活すればいいのです。そのようになれば、教会は必要ありません。そのとおりに生きればいいのであり、国のために忠誠を尽くせばいいのです。国のために忠誠を尽くし、忠臣になり、孝子になり、聖人、聖子にならなければならなかったのですが、そのようになることができなかったので、それを教育するのです。
皆さんには、まだそのような観念ができていないのであり、皆さんの時代においては、昔の観念は変わっていかなければなりません。皆さんの息子、娘、何代かを経て、これを是正しなければなりません。
「家庭盟誓」は、すべて初めに「真の愛を中心として」から始まるのです。復帰の道は、神様と一つになった真の愛の道から出発するのです。故郷に行っても神様を身代わりし、真の御父母様を身代わりしなければなりません。
二) 家庭盟誓は復帰の総論を集約させたもの
「家庭盟誓」は、先生の歴史について述べた言葉です。先生が家庭を編成してきた歴史について述べた言葉だということを知らなければなりません。ですから、最初は何ですか。環境でしょう? 再創造歴史です。地上を復帰しなければなりません。一族を救い、その国を復帰しなければなりません。二番目は何ですか。「真の愛を中心として、神様と真の御父母様に侍り、天宙の代表的家庭となり、中心的家庭となって……」、天宙の代表的家庭です。それは、誰の家庭のことですか。先生の家庭です。中心家庭です。その伝統を受け継ぎなさいというのです。
ですから、家庭では孝子となり、国家では忠臣、世界では聖人にならなければなりません。今までの歴史上の聖人は問題ではありません。「神様の家庭を成して世界と連結させよう」という祝福家庭を取り戻さなければなりません
天国には、二つの法があります。王宮の法と国の法です。地上天国にも、王宮の法と地上の法があります。この四つの法を、すべて知って守ることができる家庭にならなければなりません。その王宮に入っていっても侍られ、国に行っても侍られ、地上の王宮に行っても侍られ、地上の国に行っても侍られなければなりません。先生は、その道を行かなければなりません。その道において自然屈服させ、尊重される勝利の覇権を復帰しなければならないのが先生の行くべき道です。
皆さんは家庭で孝行し、国で忠誠を尽くし、世界で聖人の道を行き、天宙で聖子の道を行かなければなりません。それが先生の歴史です。皆さんも、四段階の道を行かなければなりません。すべては成すことができなくても、一段階目である孝子になったとしても、その国の救いを受けるのです。一つでもしなければなりません。
数多くの家庭の中で家庭の王座を守らなければならず、数多くの忠臣の中で忠臣の王にならなければならず、数多くの聖人の中で王にならなければならず、数多くの聖子の中でも王にならなければなりません。多くの聖子の中で王になってこそ相続を受けるのです。そのようになって、そこから相続を受けるということが始まるのです。祝福を受けたからといって、その家庭が相続を受けるのではありません。
聖子は、地上のすべての宗教を統治し、神様の代身の位置に行くことによって、家庭を中心とした世界を祝福するようになっているのです。家庭が別々、民族が別々、このようにはならないということを知らなければなりません。そのような位置に立ったので、四大心情圏と三大王権を成すことができるのです。
すべてが祝福の位置を越えることができる位置に立ち、王権に対して東西南北、すなわち十二真珠門の三六〇度方向の、どこにおいても自由に行動することができるのです。ここから四大心情圏をもってくるのです。四大心情圏の中で、聖子の心情圏、聖人の心情圏、忠臣の心情圏、孝子の心情圏を越えることなくしては「四大心情圏を越えた」と言うことはできません。これが「家庭盟誓」の三番です。
四番は何ですか。「真の愛を中心として、神様の創造理想である天宙大家族を形成し……」、天宙大家族です。世界が兄弟です。一つの血統です。神様のように保護しなければなりません。神様の王宮の座に就いたとしても、この四番を成さなければなりません。天宙の大家族を形成し、自由と平和と統一と幸福の世界を完成しなければなりません。先生は、そのような心情です。天宙大家族主義者です。自由と、幸福と、統一と、平和を植えつけてあげなければなりません。その言葉は、何を表しているのですか。先生の歴史を表しているのです。先生の歴史が表題です。
頭の中にだけ入れたからといって良いのではありません。平和の世界、幸福の世界だけで暮らすのではありません。天上世界に直行できなければなりません。「真の愛を中心として、毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かい、前進的発展を促進化することをお誓い致します」です。前進的な自分たちになりなさいというのです。
世の中がこのように邪悪なのにもかかわらず、ただ座って眺め、寝て休むことができますか。一秒が重要です。一日を、いかに、より復帰していくのかというのです。雨が降ったり、夜になったりすることが問題ではありません。天上世界がすべて壊れて、機能していないのです。ですから、それをするのです。先生がそれをするのです。地上世界を中心として、天上世界を手術して是正するのです。
六番は何ですか。「私たちの家庭は真の愛を中心として、神様と真の御父母様の代身家庭として、天運を動かす家庭となり、天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成することをお誓い致します」です。自分たちだけが幸せに暮らすのではないのです。自分だけ幸せに暮らしてはいけないのです。神様は、そうではありません。父母は、そうではありません。息子、娘がもっと幸せになるようにしなければならないのです。四方にすべて連結させる家庭を完成しなければなりません。
七番は、「私たちの家庭は真の愛を中心として、本然の血統と連結された為に生きる生活を通して、心情文化世界を完成することをお誓い致します」です。本然の血統です。本然の血統と連結された心情文化世界です。どこにも、引っ掛かるものはありません。地獄に行こうと、天国に行こうと解放です。これは復帰の総論を越えて……。総論だけではありません。序論から主な内容、そして結論までのすべてを集約させたものが「家庭盟誓」です。先生のこのような話を聞けば、考え方が変わるはずです。今後、国をつくりあげれば、皆さんもその歴史をすべて話してあげなければなりません。そのような内容です。
最近、「家庭盟誓」の文の八番ができたでしょう。「成約時代を迎え、絶対信仰、絶対愛、絶対服従によって、神人愛一体理想を成し、地上天国と天上天国の解放圏を完成することをお誓い致します」です。簡単なことです。解放ではなく、解放圏です。皆さんの家だけに行ってはいけません。地上において、皆さんの国と皆さんの世界に、完全に責任を負わなければならないのです。
三) 家庭盟誓の中心思想は「真の愛」
統一教会では、「家庭盟誓」というものを宣布しました。「家庭盟誓」は、一般の人が暗唱するのではありません。「家庭盟誓」は、誰もが暗唱できるものではありません。「家庭盟誓」の八大条項の書き出しは「私たちの家庭は真の愛を中心として」となっています。それが前提となっています。それは何を意味しているのでしょうか。その言葉は、サタン世界と関係がない基盤から話しているのです。なぜ「家庭盟誓」に真の愛を前提条件としたのかというと、堕落がなかったエデンの園の本然の世界に入っていることを主張するためです。
「家庭盟誓」をすべて説明してあげましたか。「家庭盟誓」は、一から八まで「私たちの家庭は真の愛を中心として」という言葉が表題になっています。真の愛とは何ですか。今後、皆さんが真の愛を中心として一つにならないまま霊界に行けば、神様に侍って生活することはできません。
真なる私と真なる家庭を復帰しなければなりません。「家庭」といえば、三代のことをいうのです。祖父母と父母と子女です。これを拡大したものが世界です。それゆえに、どのような人であろうと、父母、夫婦、兄弟、子女が必要です。これは公式です。それを愛することができなかった人は、天国に行くことができません。「家庭盟誓」に出てくる四大心情と三大王権、皇族圏を体恤することができなければ、天国に行くことができなくなっているのです。
「家庭盟誓」の最初の部分は何ですか。最初は、どのようになっていますか。「私たちの家庭は真の愛を中心として」です。真の愛です。真の愛を中心として成すのです。堕落したので、真の愛をもつことができなかった人は、家庭というものをもつことはできません。それを知らなければなりません。真の愛をもつことができなかった人は、本来、神様の前に家庭をもつことができなくなっているのです。堕落とは何かというと、真の愛が腐っているのです。そうではありませんか。
すべてが相対的関係です。独断的にしてはいけません。そのようにすれば副作用が生じます。原理原則を中心として愛の理想世界を展開し、発展させようとすれば、投入することができる内的因縁がなければなりません。それがなくては、発展することはできません。愛が広がっていくことはできないのです。
神様を除いてしまえば、真の愛はありません。皆さんは、それを知らなければなりません。自分の父親と母親がけんかをしないで幸福に暮らしているので「真の父、真の母、真の愛だ」。そうではありません。神様が介在しなければなりません。未婚の男女が恋愛をして、お互いが死ぬほど愛し合い、たとえそれが生命を投げ出すような愛であったとしても、それは真の愛ではありません。神様が介在しない場合は、真の愛ではありません。真の愛には、神様が介在しなければなりません。
神様と関係を結び、神様の息子、娘になろうとするならば、神様の血統と、神様の生命と、神様の愛に関係しなくては不可能です。神様の愛と、神様の血統と、神様の良心を受け継がなければなりません。すべて必要です。神様の真の愛も真の愛が必要であり、神様の真の生命も真の愛が必要であり、神様の真の血統も真の愛が必要であり、神様の真の良心も真の愛が必要なのです。それが真の愛というものです。
真の愛とは、天理を立てるためのものです。ゆえに、愛も原理原則に基づくのです。愛は、原理上にあるのでしょう? 自由も原理主管圏、すなわち原理上にあるのであって、原理を否定するものではありません。
「家庭盟誓」には、敵という概念がありません。個人の徹底した精神だけを要求するのです。「家庭盟誓」は、そのようになっているのです。探してみてください。怨讐という概念はありません。愛以外の内容はありません。地上天国の内容に適合した、基礎的な柱と同じです。地上天国建設のための基礎公式なのです。
「私たちの家庭は真の愛を中心として」、これによってすべて越えていくのです。真の愛を中心として、すべて越えていくのです。父母の誓い、夫婦の誓い、子女の誓い、血族の誓い、一族の誓い、国家の誓いは、すべて真の愛を中心として越えていくのです。真の愛は、引っ掛かるところがありません。真の愛という言葉は、投入して忘れるということです。
四) 家庭盟誓を基準として生きなければならない
「家庭盟誓」を完成しなければ、天国に入っていくことはできません。キリスト教徒たちは「イエス様を信じれば天国に行く」と言っていますが、天国に行くことはそれほど簡単なことではありません。今、全世界はキリスト教文化圏ですが、天国になっていますか。
地獄の中の地獄になっているのです。地獄に近いのですか、天国に近いのですか。境界線で見れば、境界線を越えていきましたか、越えていきませんでしたか。自らがどの位置にいるのかすべて分かるのです。どの位置なのか、すべて分かるようになっているのです。それで、「家庭盟誓」が出てくるのです。そのような基盤ができて「家庭盟誓」が出てきたということを知らなければなりません。それで、「私たちの家庭は真の愛を中心として」というように、すべてに真の愛が入ってくるのです。真の愛を中心として個人、家庭、息子、娘を一つにして、父母として来られたということを知らなければなりません。
盟誓文には、すべて真の愛が入ってきます。真の愛は、この上で展開されるのです。心と体が一つになり、夫婦が一つになり、子女と一つになったのちにおいてこそ成されるのであって、それ以外には成されません。それができなければ、盟誓文を暗唱できないようにしなければなりません。今まで、個人的に盟誓文を暗唱してきましたが、実際は家庭です。祈祷会をする時は、毎回この盟誓文を暗唱してから祈祷しなければなりません。心と体が一つにならなくては、祈祷することはできません。神様を「お父様」と呼ぶことはできません。私たちは、堕落がどのようにしてなされたのかを知っているので、直すことができるのです。
真の愛とは何でしょうか。心と体が一つにならなければなりません。どのようにすれば、一つになることができるのでしょうか。サタンの血統を断ち切らなければなりません。根を抜き取ってしまわなければなりません。それが宗教生活です。修養です。それで、心を中心として体を一つにするのです。体を打って心を強くし、心に体が従ってくるようにするのです。既に良心は、天国に行くことを知っているのです。体を打ってサタンを分立すれば、自然に切り離されるようになっているのです。真の愛といえば、そのようになっているのです。
神様は、心と体が闘いますか、一つになっていますか。一つになることは簡単ですか、難しいですか。世界をひっくり返すことよりも難しいのです。自らの完成は、世界に勝利することよりも、もっと難しいのです。いかにして心と体を一つにするのかというのですが、それは簡単なことではありません。
難しいことですが、それはしなければならないことですか、してはならないことですか。しなければならないことです。そのような難しいところに、先生はハイウェイをつくりました。橋を架け、山にトンネルを通してハイウェイをつくったのです。先生は、先生のためにこのような苦労をする必要はないのです。世の中の人、皆さん、そして世界を救ってあげるために苦労したのであって、私を救うために苦労したのではありません。
霊界と地上において、すべて夢のような話が実現されるという事実ほど、恐ろしく、貴いものはありません。ゆえに、不平を言わずに素直に原理の道、み旨の道を行かなければなりません。それが神様と真の父母の伝統的な考えです。それは、相続しなければなりませんか、相続してはなりませんか。相続しなければなりません。今、先生が「相続してはいけない」と言えば、どのようにするつもりですか。先生がそのように言ったとしても、皆さんは相続しなければなりません。そのようにすれば、たとえ先生が反対し、逃げ回ったとしても、やむを得ず解放してあげざるを得ないのです。
「家庭盟誓」の一、二、三、……。すべてのものが原理原則です。これは、すべて暗記しなければなりません。それを知らなければ、摂理の方向が分かりません。方向が分からなければ、途中で混乱が生じるのです。「家庭盟誓」と、今回お母様が講演する内容は、新しい天宙復帰の大原則として本にして出版しなければなりません。堕落したこの世界において、長子権を復帰し、家庭定着を成して逆に戻っていくのです。それで、家庭という絶対的な権限をもって発展していくようになっているのです。
真の愛を成したならば、その責任を全うしなければなりません。無責任な人には、「完成」という言葉は永遠にありません。そうでしょう? 責任を負うようになってこそ、初めて完成が可能になるのです。完成というものは、責任のない人とは何の関係もありません。そのようなことをはっきり理解して、夫婦生活を成していかなければなりません。責任を負わないところには完成がないのです。愛というものは、責任的基盤で決定されるものなので、責任を負う限り、そのすべては均一的な結果をもたらします。責任を負わなければなりません。
既に、私は八十歳になりました。八十歳になりましたが、クリスマスの時でも家で過ごしたことがありますか。先日の誕生日も、家で過ごすことができないようにしました。近ごろでは、先生が還暦も解放してきたのですが……。正反対のことをしてきました。今でも、先生は皆さんの世話にはなりません。毎日、毎時間、父母の子女として、真の子女として、忠告したこのすべての内容を中心として考えるのです。私利私欲を中心として考える暇はありません。
毎日、天上と地上の統一に向かって前進的発展を促進化させなければなりません。気合いを入れてあげ、強制的にでも一気に追い立てていかなければなりません。それで、霊界を動員し、霊界にいる先祖を動員するのです。その代わりに、霊界の先祖たちがする活動に、私が負けてはなりません。絶対に負けてはなりません。それで、「私についてきなさい」と言い、寝ながらでも講義し、そのようにしながら寝るのです。先生はそのように生活しています。
み言をすべて話すことができなかったならば、寝ながら話しているのです。あすの朝に説教することも、すべて夜に話しているのです。お母様は、そのような先生の秘密を知っています。夜だからといって、寝る先生ではありません。常につぶやきながら生活しているのです。
一族で、家庭的なメシヤをつくらなければなりません。十二名以上つくり、家庭を中心として自分の一族、孫の嫁まですべて育てることができなければなりません。三代、四代までしなければなりません。そして、何をしようというのでしょうか。自分の一族を拡大するのです。
氏族は、七十門徒を中心として百二十門徒まで編成しなければなりません。イエス様は、百二十門徒を中心としてザカリヤ家庭で一つになり、朝廷のすべての官吏を中心として国の形態を備えて解放しなければならなかったのですが、それができませんでした。それは、氏族的責任です。メシヤとは何ですか。真の父母でしょう? 真の父母の家庭、真の父母の愛、真の父母の血族です。
国家メシヤを配置したでしょう? 先生は独りでそのような過程を勝利し、その勝利的覇権をもってすべてを収めたので、国家的メシヤを配置したのです。神様が地上に来られ、失ったものを取り戻し、再び主人となることができる相対圏を取り戻すために配置したのです。その相対圏になろうとすれば、その相対世界の家庭に、神様が自由に出入りすることができなければなりません。そのようになれば、家庭の自由圏、氏族の自由圏、国家の自由圏、世界の自由圏が生じるのです。
国家を取り戻し、その国家全体を犠牲にして、その国とすべてのものを売ったとしても世界のために生きるのならば、彼らの貢献した国家が世界の主体国家になるのです。ですから、どれほど深刻でしょうか。
先生が教えてあげたすべての内容は、天国に入っていくことができる鍵です。ここに合わなくては、天国の門を開けることはできません。先生があげる鍵で開けてこそ天国の門が開くのであって、その鍵でなければ開きません。いくら「アメリカの誰々だ」と言っても駄目です。先生の鍵は、本質的な鍵です。たとえ金や銀でつくったとしても、それらの鍵ではいくらやっても開きません。しかし、先生があげた鍵は、真鍮でつくられていて何でもないもののように見えても、さっと開くのです。誰も、そのような鍵をつくることはできません。
神様がこの地上で人間と共に暮らすことができないのは、この統一的見解が家庭において成されていないからです。これが成し遂げられれば、神様が再び来られて暮らすことができるのです。「真の愛」と言えば、「心と体が一つ、夫婦が一つ、子女が一つ」という観念がさっとそこに集約されていなければなりません。この三つが一つになれば、真の愛の家庭は、地上天国と天上天国の出発となるのです。神様と真の御父母様を中心として一つになる時、地上天国と天上天国が建設されるのです。ですから、地上天国はどこから出発するのですか。私と息子、娘からです。家庭からです。
五) 家庭盟誓に対する私たちの姿勢
盟誓文の中の第一番は、皆さんが故郷に帰っていき、神様の創造理想を再び創建しなければならないということです。二番目は何かというと、神様の歴史的な恨を解いてさしあげる孝子になろう、忠臣になろう、聖人になろう、聖子の道理を完成しようということです。イエス様は聖子になるために来られましたが、それを成し遂げることができなかったので、私たちの家庭で、このすべての出発をすることができるようにしなければならない、ということを考えなければなりません。それが私たちの伝統です。
毎日、盟誓文を暗唱し、朝起きた時、朝食を食べる時、昼食を食べる時、夕食を食べる時にそれを考えなければなりません。それから、寝る時に考え、「私は心と体が一つになり、夫婦が一つになり、子女が一つになることに精誠を尽くしただろうか」と反省しながら、これを毎日の生活の標準にしていかなければなりません。夫婦同士でけんかをしては、唱えることはできません。「家庭盟誓」を暗唱することができないということが、どれほど息詰まる事実かということを感じることができなければなりません。これは盾です。
寝る時に暗唱し、また起きて暗唱しながら、「今日は何節について考え、そこに合わせて生活し、そのように生活しただろうか」と鑑定する生活をしなければなりません。それができなかったならば、あす、再びその世界に到達できるように……。そのようにして、御飯を食べて大きくなるのと同じ生活的な要素として、天国の生命的な要素を基準要素として、盟誓文を暗唱しながら鑑定しなければなりません。
家庭をもった人が「家庭盟誓」を暗唱することができなければ、偽物です。これは皆さんの家庭を代表した標準なので、ここに一致しないものは不合格であり、脱落です。これを知り、ここに標準となることができるためには、主人である皆さん父母たちは、これをすべて暗記し、細分化して、子女たちに教えなければなりません。そして、周囲の人々もそこに同感することができるように、リードしていかなければならないということを知らなければなりません。
真の良心をもって真の父母を再び見てください。そのような良心をもって父母を愛し、夫や妻を愛し、国を愛し、世界を愛しなさいというのです。真の御父母様に対して、皆さんの態度が絶対的な相対的基準で一つにならなければならない時代に入っていくのです。
真の御父母様の家庭が定着したので、このような相対基盤を中心として、皆さんは完全に一つにならなければなりません。自らの観念があってはなりません。心と体が一つにならず、夫婦が一つにならず、子女が一つにならなくては、盟誓文を暗唱することもできず、先生を「父母様」と呼ぶこともできません。今まで呼んでいた父母は、利用してやるためのものです。先生は、そのような言葉を聞きたくはありません。それゆえに、「家庭盟誓」を徹底化できる基準をもたなければなりません。
真の父母と真の父母の子女たちが真の愛を相続して暮らす世界には、宗教が必要ありません。良心的な世界にならなければなりません。ですから、ここに「家庭盟誓」が出てくるのです。真の父母と一つになった皆さんは、「家庭盟誓」を暗唱する時、心と体が一つにならなければならず、夫婦が一つにならなければならず、子女が一つにならなければなりません。そのようにならなくては、盟誓文を暗唱することができないということを知らなければなりません。
「家庭盟誓」は、すべて「私たちの家庭は真の愛を中心として」という言葉から始まりますが、真の愛は、心と体が一つになり、夫婦が一つになり、子女と一つになる、その上で生活することだということを常に考えなければなりません。霊界に行けば、皆さんは、盟誓文にすぐに引っ掛かるのです。誓いというものは、そのように恐ろしいものです。常にそのように生きなければなりません。
父親がこの盟誓文と一つになっていなければ、母親も共同責任を負い、息子も共同責任を負い、個人も共同責任を負うのです。心と体が一つになり、真の愛を中心として一つになった夫婦から、その一つになった心と体の子供が出発するということは自動的な結論です。そうでなければ、家庭に真の愛がとどまることはできません。真の愛がない所に神様が臨在なさることはできません。論理的な結論です。
「家庭盟誓」は、中心に安着した場において、神様と全体が一つになった立場から説いているものです。アメリカが中心ではありません。日本でもなく、先進国でもありません。それらの世界は、ますます悲劇と、悲しみと、苦痛と、怨恨に満ちた世界になって終わっていくのです。今まで、統一教会という所は、地獄のように最も暗く、真っ暗な天地だと思っていたのですが、朝となり、これが反対の世界へ上がっていくのです。
ですから、天国の運勢が……。創造理想とは何かというと、家庭理想です。家庭理想、すなわち四位基台の完成です。四位基台は三代から成ります。三段階に展開したものが四位基台です。神様、父母、子女です。神様とアダムとエバ、そしてアダムの子女たちです。それが本来の公式です。アダム家庭は、公式家庭です。
「家庭盟誓」の文は、真の御父母様が闘ってきた戦勝の記録です。勝利した伝統の記録です。天宙の解放圏を成す時まで、この伝統的事実を自分の生活圏に適用させ、毎日のように自分の生活を批判しながら、相対的実体圏を自らが立てなければなりません。皆さんが盟誓文を斉唱する時、盟誓文を暗唱しながら、盟誓文を中心として常に批判しなければなりません。その言葉を、天から聞こえてくる言葉と思い、私がその実体圏になっているかを批判し、そのようにできていない部分は、削り取らなければいけません。「この悪党、統一教会を滅ぼすために入ってきたのか」という警告状を出さなければならないのです。それを考えてみたことがありますか。
イスラエル民族が契約の箱をもって四十年路程を歩んだように、統一教会も、「家庭盟誓」をもって一つになり、天国に入っていくのです。イスラエル民族がエジプトから出てきたのが建国のためだったように、建国思想を徹底化させなければなりません。同様に、今私たちには全世界的に国がありません。統一教会には国がありません。それは、どこがならなければなりませんか。韓国がならなければなりません。