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私たちの家庭は真の愛を中心として、神様の創造理想である天宙大家族を形
成し、自由と平和と統一と幸福の世界を完成することをお誓い致します。
一) 神様の創造理想
「家庭盟誓」の四節は、「私たちの家庭は真の愛を中心として、神様の創造理想である天宙大家族を形成し、自由と平和と幸福の世界を完成することをお誓い致します」です。ここから幸福が広がっていくのです。神様が願われる創造理想的家庭から、幸福と自由と理想が成し遂げられるのです。
「神様の創造理想である天宙大家族を形成し」です。天宙大家族は大きな家庭です。堕落していない皇族圏によって天宙の大家族を形成するのですが、それを成し遂げることができなかったのです。皇族たちが連結された平和の基準を通して、天宙の兄弟の友愛をもった一族にならなければなりません。天宙大家族を形成するのです。
大家族を形成すれば、その次には神様も自由と平和と幸福になるのです。神様も、神様の息子、娘も、どこでも遮られることがありません。自由と平和は遮られることがないのです。そして、統一も遮られることがありません。平和と自由と統一の大家族理念を造成して幸福の世界を完成することを誓うのです。そのような意味がすべて入っているのです。テキストブックです。
神様の理想は、世界がすべて一つの家庭になることです。一つの家族です。四大心情圏と三大王権を完成した人々が満ちあふれたところなので、神様を中心として一つの家庭なのであって、二つの家庭とはなり得ません。私たちは、創造理想である天宙大家族を形成して、世界が一家族になるのです。
創造理想とは何でしょうか。統一教会では、「アダムとエバを中心とした四位基台の完成である」 と言います。四位基台の完成は、神様の創造の面から見るとき、み旨の完成です。四位基台を完成しようとすれば、そこには完成したアダムと完成したエバがいなければなりません。
そのように、完成した女性と男性が一つになって完成した子女を繁殖していたならば、完成した勝利をもった創造理想の実体、主体、あるいは被造世界の中心となる人間完成体、人間完成圏が成し遂げられていたのです。それを中心として、神様と神様の愛が連結されることによって、神様が創造しようとされたすべての理想が実現されるのです。真のアダム、真のエバ、すなわち完成したアダム、完成したエバ、完成した子女、このような神様の前につくられた四位基台を中心とした家庭が、神様の愛と連結されることによって、すべての創造理想が実現されていたのです。
最後に残されるものは何でしょうか。愛を中心として神様と人間関係が残される、このようにみなさなければなりません。神様を中心として人間との不変の愛です。この愛の法度は、誰も変更させることはできません。いかなる力をもっても変更させることはできません。このような愛を中心として、人間関係、すなわち人間対人間の関係と、神様を中心とした関係が残されるのです。
その世界のことを何というのでしょうか。その世界のことを地上天国というのです。天国の世界です。その世界のことを地上天国といい、そこで生活したのちに天上に行って永遠の理想生活をするようになるのですが、そこを天上天国というのです。私たちは、常にこのような概念をもっていなければなりません。
「神様のみ旨」と言えば、創造理想を実現することです。それでは、創造理想とは何でしょうか。創造理想とは、「統一原理」で糾明したように四位基台の完成です。このような定義を下しています。それでは、その四位基台とは何でしょうか。それはもちろん、神様とアダムとエバと子女のことをいうのです。
それでは、この四位基台の中心は何でしょうか。それは神様でもなく、アダムとエバでもなく、子女でもありません。皆さんは、四位基台というものについて語りますが、この中心に何をおいて連結されるのでしょうか。何がセンターを設定するのかということが問題です。それは、神様でもなく、アダムとエバでもなく、子女でもありません。真の愛のみが中心を設定することができるのです。
父母と子女が、完全な愛の一体を成した真の家庭は永遠です。それは、永遠であると同時に絶対的です。その愛の起点というものは、唯一であり、不変であり、絶対的です。そのような愛は、神様にだけあるのではなく、父にだけあるのでもなく、母にだけあるのでもありません。家庭基盤の上で成立するのです。愛を中心とした家庭の信義というものは、愛が絶対的なので、絶対的です。それから、すべての関係においてもこれは絶対的です。
そこにおいて、一つが侵犯されるということは、全体の破壊を意味するので容認することはできません。したがって、四位基台自体は、愛が侵犯される問題があるので、その愛を審判するものが自らの生命を凌駕するものであったとしても、これを擁護して保護しなければなりません。最も恐ろしいことは、この愛の基盤が壊れることなのです。それが一つの核になって拡大されたものが世界です。アダム家庭でその息子の家庭が生まれて、父母の家庭と息子の家庭が一つにならなければなりません。それで、四位基台が展開すれば、この四位基台は、未来において霊界の四位基台に移動するのです。
平和の世界をどのようにしてつくりあげるのでしょうか。平和の世界は一つです。統一の世界も一つです。なぜ一つでなければならないのでしょうか。神様の創造理想が絶対的だからです。絶対的な創造主の創造理想は絶対的です。絶対的に一つしかありません。二つあるものを絶対的とはいいません。永遠に一つです。一つしかないその中心的存在が神様なのですが、神様の創造の偉業、創造理想のみ旨を成し遂げることができませんでした。アダムとエバが堕落したがゆえに、めちゃくちゃになってしまったのです。
未来において、私たちが天上天国の中心となり、地上天国の中心となるのです。天上天国は縦的な基準であり、地上天国は横的な基準ですが、これが一つになって地上天国と天上天国が統一されるのです。これは、神様の真の愛を中心として、統一的大家族を編成することを模倣したものです。これが神様の創造理想です。
人間は、誰もが幸福と自由と愛と理想を希求しています。その理想を希求するにおいては、刻一刻と変わるような理想は願いません。そのような観点から私たち人間世界を見れば、人間は変わるのが常であり、変遷していく歴史の中に生きているのです。そのような観点から見るとき、今世界人類は、理想や自由や真の善などを探し求めていますが、既に壁にぶち当たって疲れ果て、呻吟しているという現象を私たちは直視するようになっているのです。
真の自由の主人、平和の主人、幸福の主人、善の主人、愛の主人、理想の主人がいるとすれば、その主人は、私たち人間よりも次元が高く、変わることのない絶対的な一つの中心存在でなければならない、ということを私たちは考えるようになるのです。
それでは、皆さんが相続するというならば、今までの勝利的なすべてのサタン世界の覇権的基盤を中心として、神様の心に刺さった恨の釘を抜いてしまうことも貴いことですが、神様の創造理想をもって、超民族、超国家、超人種、超宗教的に理想的国家形態は成し遂げなければならないのです。神様の創造理想は、一つの世界であり、一つの大宇宙家族理想なのですが、それを展示することができるある国、ある国家がない、この現在の世界においては、先生の手を経て出発しなければならないということを、皆さんは知らなければなりません。
天国はどのような所かというと、主体的な神様の愛を中心としてすべてが一つとなって和合し、お互いに喜ぶことができる家庭を世界的に展開させた所です。そこが神様の理想とされる天国です。結局、神様の愛を中心として調和した大家族理念の世界圏が成されて、初めて天国になるのです。そのようになってこそ、神様が構想された世界となるのです。
人間世界に真の愛を完成したならば、政治的に、文化的に、また環境的に何か問題が起こるでしょうか。真の愛の世界では、解決することができない問題はありません。真の愛の世界は、まさしく歓喜と理想が充満した自由と平和と幸福の世界です。真の愛の同位権、同参権、相続権によって、喜びと幸福が無限に、そして永遠に拡散していく世界です。今日、世界人類が抱いている難問題は、真の愛の完成によってのみ、その根本的な解決が可能なのです。
善の基準は、愛の中心である神様です。今日、全人類が苦痛と混乱の現実から逃れようとこれほどまでに身もだえし、自由と平和をこれほどまでに渇望しているのは、人類の本心が善の基準を探し求め、愛の中心を探し求めているからだということを示しているのです。愛の中心を求めて、地上に永遠の幸福の世界を築こうとすることは、万民共通の願いであり、方向です。
本来、人間を造られた神様の目的は、霊的な基準にある妄想的、空想的な国家理念を成し遂げることではなく、生きている間に自分が汗を流しながら、生活しているその基盤の上に家庭と氏族を編成し、民族と国家を編成して、神様が愛される希望の国、希望の天国を成すことだったという事実を知らなければなりません。このような国を成し遂げて神様の愛を受けなければならないというのが本来の創造理想です。このように、地上に何の基盤もない霊的な国だけを願ってきたというようなことは、神様の願いではないということをはっきりと知らなければなりません。
二) 天宙大家族を形成し
(1)天宙大家族の基本は家庭
アダムとエバを真の父母として生み殖えた人類は、一つの大家族を築き、アダム文化圏の平和世界を成し遂げていたはずです。したがって、復帰歴史の帰結は、真の父母と真の愛を中心とした真なる家庭を探し立て、これを中心として編成されるようになっているはずです。この時、中心である真の家庭は、人類の願いであると同時に、神様の願いです。この真の家庭は、真の愛と真の生命の始源となり、人類の平和と幸福の起点となります。
第四節は何ですか。天宙大家族です。世界が兄弟であり、一つの血統です。神様のように保護しなければならないのです。ですから、神様の王宮に座っていたとしても、この第四節は成し遂げなければなりません。天宙の大家族を形成し、自由と平和と統一と幸福の世界を成し遂げなければなりません。先生の心情は、そのような心情です。天宙大家族主義者です。自由と平和と統一と幸福を植えつけてあげなければなりません。その言葉は何を意味するのでしょうか。先生の歴史を表しているのです。先生の歴史が表題です。はっきりと知らなければなりません。
神様が立ててこられた家庭を中心として、天下が要求する標準を立てようとするので、祖父母のモデル型、父母のモデル型、夫婦のモデル型、子女のモデル型がなければなりません。韓国は、親族大家族主義です。七代が一つの家で暮らすことができる主義をもって、何百名、何千名が、一つの家族として生活することができる伝統的歴史を、皆さんがつくっていかなければなりません。
統一教会の氏族的メシヤの道と、どうしてこのようにぴったり一致しているのか分かりません。そして、今後皆さんの家庭が、お互いに大家族を抱き、世界の前に誇っていく競演大会時代が来るのです。そして、一族の家庭が祝福を受け、一族で賞金をもらう時代が来るのです。その人々は、すべて皇族になることでしょう。
「神様の創造理想である天宙大家族を形成し」とは、神様のみ旨である大家族を完成しなければならないということです。ゆえに、サタン世界を切ることはできません。
自分がいくら王権を備えたとしても、アダム家庭の王権はないので、堕落していない王権を代表しようとすれば、サタン世界のすべての人を大家族へと収拾し、同じ自由と平和と統一と幸福の位置に立った者にしなければなりません。そこにおいて初めて自由と平和と統一と幸福なのです。私たちの理念は平和統一です。
神様の理想は、世界がすべて一つの家庭になることです。一つの家族です。四大心情圏と三大王権を完成した人々が満ちあふれたところなので、神様を中心として一つの家庭なのであって、二つの家庭とはなり得ません。私たちは、創造理想である天宙大家族を形成して、世界が一家族になるのです。その立場は、父子の関係において最高の立場であり、夫婦の関係において最高の立場であり、兄弟の関係において最高の立場です。また、家庭、氏族、民族、国家に対する関係においても、最高の立場とならざるを得ません。
中心にいらっしゃる神様は、父にもなられ、国の中心にもなられるのですが、その国の代表者は、その国民を子女のように愛するのです。また、神様が世界の中心としていらっしゃるのですが、その世界の代表者は神様を中心としているので、万民を兄弟のように愛するのです。そのような大家族社会であることに間違いはありません。
神様の創造理想は、大宇宙大家族です。自分一人だけではありません。天地のすべての人が一つの家族なのです。
人類は、氏族と宗族と皮膚の色の問題を超越して、神様を父母として侍る大家族世界を成し遂げなければなりません。
私たちが神様の計画を知ろうとすれば、まず神様のみ旨が何であるかを知らなければなりません。神様は、永遠、不変、唯一、絶対的なお方です。したがって、神様のみ旨も永遠、不変、絶対的でないはずはありません。神様が人間を創造される時の目的と理想があったので、その目的が成し遂げられていたならば、その世界は、愛によって統一された世界であり、神様を父として侍り、全人類が兄弟姉妹として仲むつまじく暮らす単一世界となり、人間大家族の世界となっていたはずです。
生きていらっしゃる神様は、永遠、絶対、不変のお方です。したがって、そのお方のみ旨も、永遠、絶対、不変とならざるを得ません。神様が人間を創造される時、目的と理想をもって創造されました。その目的が成し遂げられた世界は、愛によって統一された世界であり、神様を父として侍り、神様を中心として全人類が兄弟姉妹として仲むつまじく暮らす人類大家族の世界です。
平和というものは、すべての人類が個人、家庭、社会、国家、世界において神様の真の愛と真理を共有し、それを実践することによって人類が兄弟姉妹であることを悟り、地球大家族社会を成し遂げた時においてのみ実現されるものだということを、はっきりと悟らなければなりません。
天宙大家族をつくりあげなければなりません。一つ一つの単位は家庭ですが、それはカイン、アベルの時から一つの家庭ではありません。全世界の家庭は、天宙的大家族理想を中心として、いかなる環境においてでも、意地を張って自分だけを中心として、周りから孤立して凝り固まるのではなく、環境に合わせて生きていかなければなりません。人類は神様の息子、娘の大家族です。このような大家族にならなければならないのであって、ただ盲目的に生きるのではありません。その大家族形成において、地上世界というものは天上世界の基準に合わせて生きなければなりません。
(2)天宙大家族社会は、共生、共栄、共義の社会
理想的な社会や国というものは、すべての人が国境と皮膚の色を超越して相互協力しながら調和をつくりだし、幸福に暮らしていく社会です。この社会は、人々が一人の神様の息子、娘であることを自覚し、真の父母を中心として一つの兄弟となった大家族社会であり、そこは血統と所有権と心情を復帰した祝福家庭が、真の父母の言語と真の父母の文化のもとで自由と平和と統一の世界を成した世界です。神様の心情文化の中で、人々は共生、共栄、共義の生活をするようになるのです。
未来に到来する世界は、神様と人間と万物が調和を成した新しい心情文化と真の家庭による愛の文化の世界です。真の愛によって互いに「ため」に生きながら、和合、協力して共に生きる、共生、共栄、共義の世界です。未来の歴史は、「人類一兄弟姉妹」を念願する人類が人種を超越した真の愛による真の家庭と真の父母中心の真なる家庭理想によって、「世界一家庭」の夢を実現する歴史でなければなりません。
理想世界は、永遠、不変、絶対的な神様を父として侍り、全人類が兄弟姉妹として「ため」に生きながら仲むつまじく暮らす人間大家族の世界です。この世界を成し遂げるための神様の摂理を全体的に指導されるお方を「救世主」、あるいは「メシヤ」と呼びます。真の愛の回路がふさがった世界において、「ため」に生きる生活をもって模範を示されるこのお方は、人類理想の動機であり、目標です。
私たちの理想世界は、経済的には共生主義であり、政治的には共栄主義であり、倫理的には共義主義の社会です。共生主義とは、神様の真の愛を基盤とした共同所有をその中心内容とします。共生主義社会の基本となる典型は家庭です。単純な物質的所有だけではなく、神様の愛を基盤とした共同所有です。
家庭におけるすべての財産は、たとえ法的には父母の名義になっていたとしても、実質的には父母と子女、すなわち全家族の共同所有となっています。それと同時に、家族の個々人は、各々部屋と衣類、お小遣いをもつようになります。このように、家庭においては、全体目的と個体目的が調和を成すようになっています。このような愛が基盤となった家庭の理想的な所有形態が社会、国家、世界へ拡大されたものが、理想社会の所有形態です。
神様と人間の本然の関係は、真の愛を中心とした関係です。神様と私の共同所有、全体と私の共同所有、また隣人と私の共同所有など、様々なケースはありますが、神様の真の愛が中心となった感謝する心をもって共同所有するようになっているのです。
神様の愛を完成した人間がつくりあげる理想世界においては、全体目的と個体目的は自然に調和するようになっています。人間には欲望もあり、愛の自律性もあるので、個人所有や個体目的は許されています。だからといって、無制限な個人所有、あるいは全体目的を害する個体目的を追求することはありません。完成した人間は、自らの良心と本性によって、自分の分限に合った所有量を取るようになるのです。
特に、真の愛による万物の真なる主人の人格をもった理想的な人間の経済活動は、愛と感謝を底辺とするので、欲張ることや不正はあり得ないのです。同時に全体目的に反して地域や国家利益が強調されることはあり得ず、経済活動の目標は、利潤の追求でなく、全体の福祉に焦点が絞られるのです。
共栄主義は、神様の真の愛を基盤として共同参加し、自由、平等、幸福の理想が実現される政治を追求する主義です。共同政治参加の形式は、代議員を選出することになります。しかし、政治の単位が愛中心の家族であり、政治はその愛中心の家族関係を拡大したものであることを理解するとき、代議員の候補者はお互いに敵対関係にはなり得ません。一人の神様を父母として侍る兄弟関係によって、周辺から推薦され、奉仕するための使命感をもって候補になるのです。
そして、いくつかの選出段階の過程を経る時や最後の決定には、人為的な条件が介入されるのではなく、神様のみ旨に従って決めなければなりません。すなわち、祈祷と厳粛な儀式によって抽選で当選者を確定する方式になるのです。神様のみ旨と天運によって当落が決定するので、みな感謝し、結果を喜ばしい心で受け入れるのです。
共義主義は、真の愛を中心とした普遍的な倫理道徳を守り、構成員すべてが善と義の生活を追求する主義のことをいいます。これは、神様の真の愛による絶対価値のもとで、万民が倫理道徳を普遍的に実践する道義社会を指向する理想となるのです。
理想世界は、理想家庭と完成した人間を前提にしています。真の愛による理想的な父母、理想的な夫婦、理想的な子女の統一的な調和が理想家庭の要件になります。また、完成した人間は、真の愛によって心身の調和、統一を成した人になります。
このように完成した人々が、真の愛の基地である家庭生活、またその拡大である社会生活において、自律的に善と義を行う最高の愛の世界、道義世界がまさしく理想世界です。
理想世界の国家の重要機関と部署は、共同目的のもとで、お互いに円満な授受作用をしながら調和します。ちょうど人体の様々な器官が頭脳の指示による共同目的のもとで、合目的的、あるいは自律的に協助し合うのと同じです。
三) 自由と平和と統一と幸福の世界を完成
(1)私たちの理念は、統一された一つの世界
神様の世界的、宇宙的な家庭となり、自由と幸福と統一と平和の世界を完成しなければならないというのが「家庭盟誓」の第四節です。代表的な家庭となり、すべて統一するのです。四大心情圏がそうではありませんか。そして、送り出すのです。いくら統一された四大心情圏を成したからといっても、それで終わるのではありません。その家庭を中心として世界を収拾しなければならない責任があるのです。
世界の不安と、サタン世界の混沌と不幸と不自由な環境を収拾しなければなりません。「家庭盟誓」の第四節は、そのことをいっているのです。「私たちの家庭は真の愛を中心として、神様の創造理想である天宙大家族を形成し、自由と平和と統一と幸福の世界を完成することをお誓い致します」なのです。
「神様の創造理想である天宙大家族を形成し」とは、神様のみ旨である大家族を完成しなければならないということです。ゆえに、サタン世界を切ることはできません。
自分がいくら王権を備えたとしても、アダム家庭の王権はないので、堕落していない王権を代表しようとすれば、サタン世界のすべての人を大家族へと収拾し、同じ自由と平和と統一と幸福の位置に立った者にしなければなりません。そこにおいて初めて自由と平和と統一と幸福なのです。私たちの理念は平和統一です。共産主義と一つとなり、統一するのです。
今までの聖賢たちは、外的世界をいかにすれば一つにすることができるかということばかり考えました。しかし、統一教会の異なる点は何かというと、内的な私たち自身からどのように整備して一つにするかという点です。統一がないところには平和はなく、自由もありません。統一が成されたその上に幸福もあり、自由もあるのです。統一が最も重要なのです。
統一の基盤の上においてのみ平和があり、幸福があり、自由があり、希望があります。皆さんの心と体が一つになっていないのに、そこに自由がありますか。会社に行っても、心と体が世界大戦をして安定していないのに、自由がありますか。自由という言葉自体も嫌うのです。心と体が闘っているのに、そこに幸福がありますか。ですから、皆さんも人生問題において悩むのでしょう? これは、根本的な大きな問題です。心と体が一つになっていないのに、どこに幸福があり、どこに平和があるというのですか。
問題は、すべてこの線上で起きるのです。平和もここで成され、幸福もここで成され、自由もここで成され、希望もこの線上で成されるのです。これが駄目になれば、すべてのものが壊れていくのです。共産党の輩の話です。マルクスやヘーゲルのような人は、よく見ると心と体が闘っていたのです。ですから、それが人の根本だと思ったのです。堕落ゆえにそのようになったということを知りませんでした。堕落したという事実を知らなかったのです。ここから闘争概念が出てきました。
統一がないところには自由はなく、統一がないところには幸福もありません。統一がないところには平和もありません。統一がないところには希望もないということを知らなければなりません。そのようになっているか、いないか見てみましょう。皆さんの心と体が一つになっていないのに、幸福ですか。心と体が闘っているのに、幸福ですか。そこに自由がありますか。お互いがよく回らなければならないのです。
平和は、お互いにバランスがとれていなければならないのですが、バランスがとれていますか。皆さんは、夫婦同士お互いによく調和していますか。皆さん夫婦が、朝二人でけんかすれば、その一日は幸福ですか。そのようなことはありません。それを知らなければなりません。統一が成された基盤の上に自由があるのです。統一がなければ幸福もありません。統一がなければ平和もなく、統一がなければ希望もないのです。
統一がないところには幸福はありません。幸福もなく、希望もないのです。すべての人間が願う幸福や希望やすべての平和や自由も、その基盤の上に立たなければなりません。統一の基盤の上ですべてのものが成されるのです。父母と子女の間でも、統一の基盤の上に自由があり、幸福があり、真の喜びがあるのです。このようになっています。それを考えてみてください。今日、人類は、自由を求め、幸福を求め、平和を求めています。それは、どこで探し出すのですか。どのように探し出すのですか。統一的基盤の上で、主体と対象、縦と横、あるいは前後左右の関係において、その相対的主体と対象関係において、幸福や平和や自由が成し遂げられるのです。今まで、これが分からなかったのです。実際そうですか、そうではありませんか。
平和というものは、統一の土台がなければ成し遂げられません。平和や幸福という言葉があるでしょう? そして、自由という言葉があります。このすべてのものが一つにならないところでは何も存在しません。夫婦がけんかするところに平和がありますか。一つになるところに平和があるのでしょう? 夫婦が一つにならなくて幸福がありますか。幸福が逃げていってしまうのです。自由も同じです。男女がぶつかり合うところに自由がありますか。対立するところには平和や自由はありません。自由も統一の土台の上にあるのです。
息子、娘が一つになり、平和の国を取り戻すために統一がなされるところに自由が生じます。また、平和と幸福が生じます。私の夫までそこで踊る家庭になれば、幸福と平和圏が生じるのです。踊った人がその次には「おお、有り難い!」と言って、一家が踊り、国が踊り、世界が踊るようになれば、神様も歴史的に解放された息子、娘として宣布し、万国の万民がすべて統一王国の国民として改善されていくのです。
平和というものは、水平線上におかれるのであって、傾斜したところにおかれることはありません。皆さんは、みな自由を求めているでしょう? 「自由! 自由だ、自由!」と、そのようにするでしょう? その自由は、どこで暮らすことを願うでしょうか。統一された水平線上で暮らしたいと思うのです。その上に自由があり、その上に幸福があり、その上に平和があり、その上に希望があり、その上にすべてのものがあるのであって、傾斜したところには何もありません。皆さんの個人の希望、個人の自由がどこにありますか。心と体が一つになった上にあるのです。幸福がどこにありますか。皆さんの心と体が一つになった水平線上にあるのです。希望もそこにあるのです。
神様の愛と人間の愛の出発が同じでなければ、この方向が二つになります。方向が異なり、目的が異なるようになるのです。そのようになれば、平和の世界、統一の世界を成し遂げることはできません。統一や平和、また幸福や自由や平和や希望がすべてなくなるのです。
一つになるところに自由があるのです。目も、焦点が一点に合う時は気分が良いのです。鼻が詰まれば大変ですが、鼻が通れば自由です。耳も自由です。手も自由です。体も自由です。一つにならなければ、自由はなく、平和もなく、幸福もなく、統一もありません。バランスのとれた平らなところに、すべての創造の完成があるのです。とがっているところには、とどまることができません。
世界的に勝利した真の父母を通して、すべて学んで知っているので、皆さんは家庭的天国だけつくればいいのです。先生は世界的天国をつくらなければなりませんが、皆さんが真の父母になろうとすれば、心と体を一つにし、夫婦が一つになり、子女が一つになって、アダム家庭が堕落することによって失ってしまったものを取り戻せばいいのです。これが始まりです。平和、幸福、自由、統一、天国を取り戻さなければなりません。そのようになれば、万事亨通(注:万事滞りなくうまくいくこと)です。OKなのです。
理想的な社会や国というものは、すべての人が国境と皮膚の色を超越し、相互協力しながら調和をつくり出し、幸福に暮らしていく社会です。この社会は、人々が一人の神様の息子、娘であることを自覚し、真の父母を中心として一つの兄弟になった大家族社会であり、そこは、血統と所有権と心情を復帰した祝福家庭が、真の父母の言語と真の父母の文化のもとで自由と平和と統一の世界を完成した世界です。神様の心情文化の中で、人々は共生、共栄、共義の生活をするようになるのです。
(2)愛だけが自由と平和と幸福の要素
堕落がなかったならば、真の愛によるアダム家庭は、どのように生み殖えていったでしょうか。アダムとエバは、真の愛による理想的な真の夫婦になり、さらには真の父母となって、その子孫と全人類の真の先祖になっていたはずです。アダムとエバを真の父母として生み殖えた人類は、一つの大家族を成し、アダム文化圏の平和世界を成し遂げていたはずです。したがって、復帰歴史の帰結は、真の父母と真の愛を中心とした真なる家庭を探し立て、これを中心として編成されるようになっているはずです。この時、中心である真の家庭は、人類の願いであると同時に、神様の願いです。この真の家庭は、真の愛と真の生命の始源となり、人類の平和と幸福の起点になります。
人類にとって最も緊急に必要なものは、真の父母による真の愛の革命です。根本的な変革なくして、人類の幸福や平和の世界を願うことはできません。今日の諸問題は、真の父母が中心になった真の家庭主義と神様の真の愛主義によって整理されなければなりません。皆さんは、これまで先生が世界的に展開してきた平和運動と、真の愛主義の理念を深刻に評価しなければなりません。青少年に対する真の愛と純潔運動、また国境、文化、人種、宗教を超越した真の愛による「真の家庭運動」等を教団的行事としてのみ考えてはいけません。
世界平和は、まず平和な国家がなければなりません。そして、国家の平和は、家庭の平安が前提とならなければなりません。世俗的な人々が一般的に願ってきた権力や富や知識は、平和と幸福の必要条件となることはできません。真の幸福は、愛の所有に比例するのではなく、外的な生活の便利さによって左右されるものでもありません。真の愛とともにいる時に、真の平和と真の幸福を得るようになるのです。真の平和も、無限の幸福も、真の愛によって人のために生きて与える時、そして与えたものが全体を回って再び訪ねてくる時にだけ、確実に得るようになるのです。
今人類は、総体的危機時代を迎えています。特定分野の準備や努力だけでは不十分です。
指導者たちは、時代の良心となって積極的に模範を見せながら、平和世界の基本単位であり、前提条件である真の家庭を創造し、それを人々に指導する運動に乗り出さなければなりません。先生が主管する三億六千万双祝福結婚式の儀式は、先生が生涯を捧げて理想家庭に対する教育をしてきた一つの結実です。祝福儀式に参加する者は、既に神様に婚姻を約束し、神様の真の愛を中心として、真なる夫婦、真なる父母となって、真なる家庭を成すことができる人々です。平和世界実現のために、真の家庭運動を通じた歴史的な真の愛の革命がとうとうと進行しているのです。
愛がないところには、幸福もありません。平和もありません。男性と女性は、どのようにすれば平和になることができますか。男性と女性が平和であろうとすれば、凹凸を中心として一つにならなければなりません。それは、男性と女性の夫婦同士しかありません。ほかの男性やほかの女性と幸福になることができますか。それは、大きな事故です。すべてそうです。ほかの男性やほかの女性とでは、自由になることはできません。事故です。ゆえに、愛を除いてしまってはすべてのものが未完成だということを知らなければなりません。
理想や自由や平和や統一や幸福というものは、愛を中心として展開するのです。男性世界、女性世界において、自由というものは、愛で一体となっていない場においてはあり得ません。この地上の自由の出発基地はどこでしょうか。お金でもなく、物質でもなく、知識でもありません。愛から出発しなければならないという論理が出てくるのです。出発点が一つなので、目的点、定着点が変わってはいけません。
自由と平和も一つです。一つになるところに自由があります。しかし、自由だけあったのでは、立つ場所がありません。自由は実体ですか、何ですか。男性と女性がいれば、お互いに気兼ねすることなく一つになって行動するのです。そのようになるためには、何が必要ですか。ただ二人だけでいたのでは、一つになることはできません。これが問題です。
何が一つにするのですか。自由が一つにするのではありません。男性と女性が自由でいたければ逃げていくでしょう? それが自由ですか。夫を忘れることができず、行く途中で帰りたいと思い、行く途中で涙を流すことが自由ですか。違います。すべてのものは、愛を中心としなければならないのです。愛を除けば、すべて壊れていきます。
父母が愛で一つになる時、一つになったその場が自由の天地です。そこに平和が訪れ、幸福があるのです。また、兄弟同士がみな一つになろうとすれば、何が一つにするのですか。自由が一つにするのではありません。「平等」という、そのような言葉が一つにするのでもありません。愛が一つにするのです。父母と息子、娘、また小さな子供たちと年を取った人たちを、何が一つにさせるのですか。何が、おじいさんと孫を一つにするのですか。自由が一つにするのですか。何かの主義が一つにするのですか。愛です。愛なのです。国もそうです。国の大統領が一つにするのではありません。国を愛する愛国者が一つにするのです。人類もそうです。博愛、愛を中心として一つになるのです。これは、どうすることもできません。
天国は、本然の神様の愛から出発しましたが、それは天上天国と地上天国の出発地です。自由の出発地、幸福の出発地、理想の出発地、平和と統一の起源がそこにあるのです。驚くべき話です。それを肝に銘じなければなりません。
真の愛がなければ、自由もなく、平和もなく、統一もなく、幸福もありません。真の愛を中心としてのみ、すべてのものを完成することができます。真の愛を中心とした自由、平和、統一、幸福の完成時代です。
歴史的な闘いを終息させるためには、神様に帰らなければなりません。まず神様を中心として、個人の心と体が一つにならなければなりません。そして、そのような真なる男性と真なる女性が、神様を中心として真の家庭を築くことによって、その中に再び神様を迎えるようになるのです。したがって、真の愛を中心とした真の家庭こそ、神様が宿る地上基地となるのであり、さらには真の国家と真の平和世界の出発地となるのです。そして、これによって、真の自由と幸福の世界が開かれるのです。
五 家庭盟誓第五節の解説
私たちの家庭は真の愛を中心として、毎日、主体的天上世界と対象的地上世
界の統一に向かい、前進的発展を促進化することをお誓い致します。
一) 主体的天上世界と対象的地上世界の統一
(1)天上世界が主体である
第五節は何かというと、「私たちの家庭は真の愛を中心として、毎日、主体的天上世界……」、天上世界は、私たちの主体の位置にあるのです。そこには、数多くの氏族と数多くの民族が入っています。このような天上世界の秩序を基準として、地上もこれに合わせていかなければならないという話です。
「毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一」です。一つになるためには分かれてはいけません。地上世界は、神様の創造理想である超家庭的基準を中心として一つになって暮らすだけではなく、常に主体的な天上世界に合わせて暮らしていかなければならないということです。ゆえに、皆さんの生活において、体恤的な愛を感じなければなりません。霊界を感じることができ、神様が悲しまれること、喜ばれることを感じることができる体恤的生活にならなければなりません。
宇宙には、霊界があり、肉界があるということを知らなければなりません。ここで、天宙大家族をつくりあげようとすれば、地上天国と天上天国を一つにしなければなりません。そのような使命があるのです。
それで、「私たちの家庭は真の愛を中心として、毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かい、前進的発展を促進化することをお誓い致します」なのです。毎日です。一年に一度ずつではありません。「毎日、主体的天上世界と」です。天上世界の天国があるのです。その次に、対象である地上世界があるのです。天上世界と地上世界の何ですか。「統一に向かい、前進的発展を促進化」です。そのように休むことなく、興奮し、刺激的に発展させて、一つにしなければなりません。休む暇はありません。天上世界と地上世界の大家族になろうとすれば、天地を一つにしなければなりません。
皆さんは、主体的天上世界を知りません。一日に何回霊界のことを考えますか。全世界的に見るとき、霊界に行っている人が多いでしょうか、それとも現在この世界にいる人が多いでしょうか。皆さんは、今考える時、どのように考えましたか。霊界のことを考えましたか。今、この世のことだけを考えるのは、しっぽのことしか考えていないということです。
堕落することによって、霊界の観念がなくなったのです。ですから、ここで私たちの家庭は、毎日、主体的天上世界があるということを知らなければなりません。どちらがプラスかというと、霊界です。心がプラスなのと同じです。体は世界を代表し、心は霊界を代表しているのです。心はプラスと同じであり、体はマイナスと同じです。ですから、主体的な心の世界を無視する生活をすれば、地獄に行かなければなりません。体が心を打ったのと同じように、心の世界を否定したのですが、これを反対にしなければなりません。
今まで、皆さんが生活する中においては、毎日、天上世界が主体になっているという観念をもっていませんでした。そのような観念を、ひと月に一度ももちませんでした。それではいけません。毎日考えなければなりません。一日生活圏がすべて主体的天国に向かい、今日その相対である地上の完成形態を備えなければ、未来に天上世界の完成基盤を成すことはできません。直接的関係です。毎日、一年、一生を通じて、その直接的関係を築いてこそ、あの世に行ったのちに、そこが自らの第二の活動舞台となり、居住地になるのです。
神様を中心とした霊界が主体です。今、霊界に連結されているあらゆる階層というものは、ないのと同じです。オリジナルは、神様が主体であり、地上の真の父母が主体です。先生が教えることが神様の本質的な内容と一致しなければ、すべてのものが駄目になっていきます。この柱がつぶれていくのです。ですから、それらの内容が一致しなければなりません。内容が一致しなければならないのです。
「家庭盟誓」の第五節は何ですか。「私たちの家庭は真の愛を中心として、毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かい……」、統一です。霊界と肉界の統一です。これが問題です。皆さんは、一遍にこの網の目に引っ掛かるのです。それを越えるために、先生も血の涙を流し、恨に満ちた峠を越えてきたのです。
皆さんは、統一教会の背後に潜んでいる秘密を知りません。何も知らないのです。また知る必要もありません。それを知れば、どれほど多くの重荷を負わなければならないでしょうか。真の御父母様がこのように苦労されるのに、私が昼食を一食だけでも恵んでもらえば、涙がぽろぽろ出るのです。私はそれを願いません。蕩減条件に引っ掛かって、真の御父母様たちが歴史的な恨をすべて清算するために苦労したことを中心として回想することは、神様も願わず、真の御父母様も願いません。
それを忘れてしまい、希望に満ちた地上天国の名を呼び、真の父母の代身者として意気も高らかに天下を自らの舞台とし、天地を自らの国の舞台として飛躍しなければならなのです。跳躍でなく、飛躍しようという欲望をもって走り、力強く生きていかなければなりません。
統一圏内に、皆さんは、個人から家庭、氏族まで八段階です。八段階まで統一的内容を経ていかなければならない道があるというのに、一つも知らなかったのです。これを見過ごす国があり、主体国があるという時、皆さんが霊界に入っていって、この法の統治を受けなければならないとすれば、どうするつもりですか。個人的に拘束されるのです。
霊界へ行けば、皆さんの夫婦もすべて別れ別れになります。家庭に十人の家族がいれば、すべて別れ別れになります。一つの所に行くことはできません。それを知らなかったので、そのようにしているのでしょう。そのようなことをすべて知った上で見れば、天上世界の影のように地上世界があるのです。すべて実体がなければなりません。映像も実体に従って似ていくのです。一つになっていくのです。
霊界と地上に通じる道を探すために、地獄からすべてを遍歴し、踏査しながらその内容を明らかにしたのです。皆さんは、歴史的な宝物を手に入れたのだということを知らなければなりません。「家庭盟誓」の第五節で何といっていますか。「毎日、主体的天上世界」です。毎日、主体的天上世界に対して知らなければなりません。これが分かるのです。
「主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かい」です。対象的地上世界は、実と同じです。ここと、この霊界は同じです。ですから、統一です。霊界と地上を統一することができるという事実です。そのようになることによって、地獄の門と天国の門が開き、天国に入っていくのですが、それを一刻でも早く促進化させなければなりません。強制的に、たたいてでも追い立てていかなければなりません。
それでは、なぜ地上が重要なのでしょうか。なぜ地上が重要かという問題を考えるとき、人間が生まれた所は天上世界ではありません。地上世界です。すべてのものを造られた神様がこの被造世界を存在するようにした所も、この地上です。また、その地上の主人として造られたのがアダムとエバ、すなわち人間です。
そのような人間を造って何をしようとされたのでしょうか。このように見るとき、人間を造られた目的は何でしょうか。人間を造られた目的は、地上に天国をつくるためです。統一教会の言葉を借りて言えば、創造理想を完成することです。それでは、神様のみ旨とは何でしょうか。創造理想を完成することです。その創造理想は、どこで完成するのでしょうか。霊界ではなく、地上で完成しなければなりません。地上が問題です。
地上生活が絶対的に重要です。地上がどれほど重要であるかということを知らなければなりません。キリスト教徒たちは、世の中を捨ててみな天国に行こうと考えるでしょう? 妄想的です。地上で完成しなければならないのです。地上生活の重要さを知らなければなりません。地上生活の重要さを覚醒しようというのです。地上生活の重要さを忘れてはならないのです。霊界に行けば、千年、万年、常にその生活に反映されるのです。これがすべて種です。ここで種を蒔いたものが、天上世界で実として刈り取られるのです。ゆえに、完全な種をよく蒔かなければなりません。地上世界の重要さを覚醒しましょう! もう一度覚醒しなければなりません。
(2)天上世界と地上世界を統一させなければならない
アダム家庭は、神様が造られた地上世界の相対的なすべての主体と対象の核であり、神様は天上世界の主体と対象の核です。それで、地上天国と天上天国の二つの核が合わさって一つの統一された天国になるのです。地上世界の天国の核になることができるアダムと天上世界の家庭の主人となる核が一つになるのです。
堕落した世界をすべて整理し、一つの世界にしなければなりません。真の愛は、一つです。絶対的に一つです。真の愛を中心として連結された国は、全体が一つです。霊界と肉界は内と外と同じです。今、二つの世界が一つになることに拍車をかけるのです。強制的にでも、早く行かせなければなりません。たたいて追い立てなければなりません。
霊界を解決しなければなりません。その世界は、地上で解決しなければなりません。霊界に入っていって引っ掛かってはいけません。この地上ですべて解決しなければならないのです。これは、観念ではなく実在です。先生も、そのような世界が現実と同じであるということを感じたので、迫害が多くても問題ありませんでした。反対して迫害することが観念ならば、これは実在です。そのようにしてこそ生き残るのです。霊界が実在するということをいかにして実感するかということは、最も重要なことです。
自然のすべての現実と同じように、霊界の事実をそれ以上にはっきりと知らなければなりません。霊界は膨大な世界ですが、そこにはイギリス人やアメリカ人だけが行っているのではありません。世界各国の人の中で、心霊状態がぴったり合う人同士で集まっているのです。五色人種が一箇所に集まっているのです。
ドイツ人や、どこどこの人や、昔見た世の中の人の形態は知っていますが、心の世界を見るので、心の世界がどれくらい美しいか、そこにどのくらい近くなるかという問題がかかってくるのです。心の世界がより美しい人と一つになろうとするのです。ですから、「一つになってはいけない」と言っても一つになるのです。何千年、何万年前の人であっても、ぱっと会えばすぐに分かるのです。先生の話を観念や夢のように思い、事実として感じることができないでしょう? 言葉だけではなく、事実として感じて生きることができるかが問題です。この世は影です。影と同じです。
天上世界には境界線がないので、その世界で愛の心をもつようになれば、人と出会うたびにすべて通じるのです。心は老いません。心は、長生きすればするほどもっと美しくなるのです。心は美しくなるのですが、霊界で神様を中心とした息子、娘の見た目が醜くてもいいのですか。深い愛の中で和合して暮らす人は、みな美男美女になるのです。
女性たちだけではなく、男性たちも同じです。すべての問題を祈祷し、先生の教えと導きを受けなければなりません。エデンで堕落していなければ、神様に侍って暮らすはずでした。神様が実体をまといたいと思って創造されたのがアダムの体なので、先生を中心として霊界も通じるようになるのです。神様の愛を完成させるのは、神様御自身ではありません。人間を通して完成するのです。
今まで、誰が霊界の中心的な役事をしたのでしょうか。イエス様が中心でした。イエス様と聖霊です。神様を中心としてイエス様と聖霊が一つになるために体制を整えてきた基盤である地上のキリスト教を中心として、神様とイエス様と聖霊の名を通じて、キリスト教文化の体制を形成してきたのです。霊界がそのようになっているので、地上もそのような形態になり、霊界と肉界の二つがすべて合わさって一つにならなければなりません。同じです。
そのようにして、霊的世界と肉的世界が、いつ一つに統一されるのでしょうか。再臨時代になって統一されるのです。そのようになれば、再臨される主は、霊界のすべての体制的内容を相続し、引き継いで地上に来られ、世の中をその体制に一致する環境に追い立てていって収拾するのです。世の中を収拾して上がっていくのです。
天上世界と地上世界を連結させることができる内容は何ですか。それは、一時的に存在したものをもってはできません。時間と空間を超越したものであり、過去においても同じであり、今日においても同じであり、未来においても同じ内容にならなければなりません。そして、その内容は、私たちの日常生活において、接している四方の環境の、すべてのものが拒否せずに常に好む内容にならなければならないのです。夜でも昼でも好むことができる内容にならなければなりません。そのようになってこそ幸福なのです。
そのようなものは何かというと、愛です。それは、お金では不可能です。知識でも不可能です。そのようなものは、一方的なものにしかなりません。権力もやはり同じです。その時代的環境によって、権力の限界はありましたが、その権力をいかにして拡大させるかという問題を考えてみたとき、「私」という個人的権力を国家的に拡大させるためには、そこには何が橋渡しとならなければならないでしょうか。また、国家的権力を世界的権力へ拡大させるためには、何が橋渡しにならなければならないでしょうか。やはりこれも、橋となることができる何かがなければならないのですが、それが愛です。
霊界は、先祖が暮らしている所であり、肉界は子孫が暮らしている所ですが、この二つは、カイン・アベル関係です。霊界は天使長世界であり、肉界はアダム世界です。これが一つになって統一されれば、天上天国と地上天国になって共に暮らすようになるのです。地上世界と天上世界が一つにならなくては、天国になりません。霊界と肉界が一つになり、天使長世界とアダム世界が一つになるのです。カインとアベルが一つになることによって、真の父母がいらっしゃることができる基準ができるのです。堕落する以前の状況へ戻っていくのです。
真の愛を中心として、毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かって前進しています。前進的発展です。出ていく時も、前進的発展をして促進化させなさいというのです。いかなる制裁を加えたとしても、私がこの地上で先祖から受け継いだ罪の皮を完全に脱がなければ、天に飛翔し、解放された天国の神様の愛を受けることができる懐へ帰っていくことはできません。家庭復活です。家庭が行くにおいては、世界に遮るものがあってはなりません。
神様を中心として、地上世界と天上世界が一つになるのです。真の父母を中心として、統一的立て札をもってくることによって、ここで一つになるのです。創造される時、神様は絶対信仰、絶対愛、絶対服従により、「ため」に生きる愛をもって創造されたので、私たちも、このような全体、全般、全権、全能の基盤の上に立たなければなりません。創造本然へ帰っていき、そこで愛の対象を取り戻すためには、絶対信仰と絶対愛、そして絶対服従の心情をもって、投入し、忘れてしまうのです。神様がなされたすべてのものを再び取り戻すために、私たち自身も、神様を身代わりして、この世界に対して絶対信仰、絶対愛、絶対服従しなければなりません。
皆さんの心と体の焦点が合わないのです。これを是正しなければなりません。それゆえに、宗教は体を打つのです。それで、三年から五年の間で、習慣性を通じて、心の命令に絶対順応することができるようにしなければ、天上世界の道に直行することはできません。ここから京釜線の線路を通じて北韓と連結しようとすれば、レールの幅が同じでなければなりません。また、中国と連結しようとしても、レールの幅は同じでなければなりません。それと同じように、人間が地上世界で生きた幅と霊界に行く幅も同じでなければなりません。その軌道は何かというと愛です。霊界の愛と地上の愛が同じでなければ、統一はできません。
霊界をはっきりと知らなければなりません。「家庭盟誓」の第五節を見れば、「私たちは真の愛を中心として、毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かい、前進的発展を促進化することをお誓い致します」となっています。ですから、霊界を知らなければなりません。霊界を知らなければ、完成時代に入っていくことはできません。それで、先生は、成約時代のみ言とともに霊界の内容を教育しようとするのです。
神様は、思いどおりにすることができません。怨讐世界を殺そうとすれば、一瞬にして殺すことができる能力をもっているのですが、これを処断することができず、手をつけることができないのです。そのような血族が残されているのが堕落世界であるということを、今日の宗教圏は知らなかったのです。
真の父母の名をもって、初めて霊界のすべての実相を詳細に知り、堕落の動機からサタンの秘密、そして神様の秘密までを探り出して知り、このようなことを明らかにした内容が統一教会の原理です。今、地上世界と天上世界に分かれて、混乱状態の相反的な歴史をなしているすべてのものを和合させるために、これをもって、霊界の根本や実相から、地上の人生の根本までのすべてを解消して連結させようとしているのです。
「毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かい」です。統一です。霊界と肉界の統一です。これが問題です。皆さんは、一遍にこの網の目に引っ掛かります。先生もそれを越えて立つために、一生涯血の涙を流し、恨に満ちた峠を越えたのです。
私たちは、毎日地上天国を成し、大家族を成すのですが、その大家族はどこを標準として生きるのかというと、天上世界です。天上世界がより大きな大家族です。毎日のように、相対的な世界のカイン的大家族が拍子を合わせ、統一を形成しなければなりません。内容がそのようになっています。「統一に向かい、前進的発展を促進化する」のです。前進的発展です。そのように一つになってじっとしているのではありません。発展していくのです。
家庭時代から氏族時代、氏族時代から民族時代、このようにして世界化へと進んでいかなければなりません。これができなければ、途中ですべて解散してしまい、めちゃくちゃになるのです。仕事をしても、どこに行っても、座っても、休んでも、いつも主体的霊界の前に対象として一つになり、それが停止しないで、発展に発展を重ねることによって、家庭から氏族、民族、国家、世界の峠を越える立場に立ち、そのようにして、初めて地上天国と天上世界に入っていくのです。このサタンが蠢動したすべてのものをきれいに整理して、統一的神様の本然の理想世界を完成するのです。ですから、促進化しなくてはいけないのです。順序がそのようになっています。
真の御父母様がこの地上に現れて知ることによって、恨多き峠を越えて、平坦な高速道路をつくらなければならないので、川があれば橋を架け、山があれば穴を開け、今や地上の家庭が天上まで直行することができる高速道路を設定したということを知らなければなりません。ですから、先生は、万国の高速道路の建設を主張しているのです。霊界と肉界がすべて行き来する時代になってくるので、それをするのです。主体世界と対象世界が和合することができる対等な世界に発展していくので、今からこの世界は、霊界と統一化される急変の時代へ前進することができるのです。
先日、世界文化体育大典を行ったでしょう? 八つの団体を集め、そこで真の父母を宣布し、救世主の宣布をしたことを知っていますか。世界の著名な人々がみな集まりました。世界教会協議会(WCC)の責任者は誰ですか。マール・グレゴリオス(Mar Gregorios)氏が前会長ですが、この人は有名な人です。そのような人を集めて「私がメシヤです。私が救世主です。私が真の父母です。私に侍りなさい!」と宣布したのです。
なぜそれをしたのですか。それをしなければ、大統領選挙が終わって、その就任式をしなかったのと同じことになるのです。それでは、事務処理ができません。サタン世界と地上世界を清算する手続きを踏むことができないのです。引き継ぎができません。先生が発表することによって、天上世界や地上世界において、相続が起きるのです。霊界で相続が起きれば、地上で従っていくのです。それゆえに、仏教、儒教、キリスト教が怨讐だったのですが、今からは怨讐となり得ません。一つになるのです。このようになることによって、霊界の統一が起きるのです。
二) 前進的発展を促進化することを
(1)毎日、前進的発展を促進化しなさい
前進的な発展というものは、絶対に止まってはいけないのです。いつも前進しなければなりません。発展しなければなりません。前進的発展です! これは、東西四方に発展しなければなりません。
むやみやたらに盟誓文を立てたのではありません。ですから、心と体が一つにならず、夫婦が闘っていれば、盟誓文を唱えることができません。息子、娘を中心として、一つになることができなければ、覚えることはできないのです。家庭がどれほど貴重なのかを知らなければなりません。そのような家庭の盟誓文をもったということは、歴史始まって以来のすべての天上世界が注視します。
あのようにできる地上の幸福者がどこにいるのかというのです。霊界に行ったすべての先祖がうらやむのです。ですから、私たちの母親は、何も知らずに祝福をしてあげるのですから、どれほど喜びますか。先生が初めて還故郷の話をし、万民の解放圏を中心として、すべて共に祝福してあげるので、父母もそのケースに入っていくのです。このようにして秩序が立つのです。
前進するにも全力を尽くしてするのですが、促進化するというのです。統一に向かって前進的発展を促進化するのです。前進的に発展するにも、棍棒でたたいて促進化させるというのです。「家庭盟誓」の五節は、何ゆえに出てきたのですか。地上無事通過、天上無事通過です! 地上と天上地獄の門は関係なく、天国の門にだけ入っていくための行列ができ、動き始めています。「統一に向かって前進的発展を促進化!」とは、激しく追い立てなさいということです。弟がたくさんいる兄ならば、弟を張り飛ばしてでも祝福されるようにしなければならないのです。自分の息子が祝福されないと問題が生じます。
家庭時代から氏族時代、氏族時代から民族時代、このようにして世界化へと進んでいかなければなりません。これができなければ、途中ですべて解散してしまい、めちゃくちゃになるのです。仕事をしても、どこに行っても、座っても、休んでも、いつも主体的霊界の前に対象として一つになり、それが停止しないで、発展に発展を重ねることによって、家庭から氏族、民族、国家、世界の峠を越える立場に立ち、そのようにして、初めて地上天国と天上世界に入っていくのです。このサタンが蠢動したすべてのものをきれいに整理して、統一的神様の本然の理想世界を完成するのです。ですから、促進化しなくてはいけないのです。順序がそのようになっています。
今日、統一教会の食口たちは、「霊界を中心として毎日歩調を合わせよう」ということを、数カ月に一度くらいしか考えません。ですから、自分勝手になるのです。これを毎日のように検討するのです。大家族を築いても、また堕落するかもしれません。これを保護するために、前進的統一に向かって、前進的発展を「促進化」するのです。拍子を合わせていくのです。
その次には「することをお誓い致します」です。まだ天上天国の統一は成されていないというのです。促進化して、そこに合うようにしていかなければなりません。これが、絶対必要です。
「家庭盟誓」の五節は何ですか。私たちは、毎日このように暮らしているのですが、地上天国を築いて、大家族を成したとすれば、その大家族は、どこに標準を合わせて生きていくのかといえば、天上世界です。天上世界がより大きい大家族です。相対的な世界のカイン的大家族が、毎日のように拍子を合わせて統一を形成しなければなりません。「統一に向かって」です。内容がそのようになっています。
「統一に向かって前進的発展を促進化すること」、前進的発展といえば、そのように一つになってじっとしているのではありません。発展していくのです。家庭時代から氏族時代、氏族時代から民族時代、このようにして世界化に行かなければならないのです。それで、「前進的」といいました。停止する日には滑り落ちます。停止する日には地獄と連結します。一歩でも前進してこそ、繁栄と天国に連結します。そういうことです。前進的発展です。「発展」を促進化させなければならないというのです。絶えず発展するように催促させなさいということです。前進を早くしなさい、早くしなさいということです。
統一に向かって一つになって行くのですが、前進的とは何ですか。統一して静かに遊んでいるのではありません。前進しなければなりません。世界が、霊界が残っているというのです。統一しても定着できません。さらに進んでいかなければならないというのです。前進的発展を促進化しなければなりません。早くしなさいというのです。促進化することを誓うのです。
前進的です。いつも進んでいかなければならないのです。停止してはいけません。「前進的発展を促進化!」です。発展しながらも促進化させなさいというのです。重要な言葉です。地上において、版図は小さくても、世の中の相対的世界を中心として、自分が暮らす環境に、天国と同じ模型的基準を備えた模型をつくっておいてこそ、あの国に移すことができるというのです。それはやむを得ないのです。そのようなことは、文総裁が適当に言っているのではありません。天国と地上世界のすべてのことを総合して、天が願う道は、このように行かなければならない道であるがゆえに、「家庭盟誓」が出てきたというのです。
育たなければなりません。停止は、死んでいること、死亡と通じるのです。皆さんが統一教会に入る時、み言を聞いてどれほど喜びましたか。今、それ以上に喜びますか。私の喜びを越えて世界の喜びと一つになろうというのが神様の心であり、願いであり、み旨なのです。先生もその道を行っています。ですから、私の喜びが私の喜びではありません。世界の喜びと一つになろうとする努力をしています。すべて天に始まって、自分に帰りました。人間によってふさがってしまったというのです。
「家庭盟誓」の五番目は何ですか。「私たちは真の愛を中心として、毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かい、前進的発展を」です。前進的発展です。新しい人になるのです。生きている者は育ちます。統一教会に入る時、喜んだその心が、ますます大きくなっていきますか、なくなっていきますか。大きくなっていくのです。前進的発展を促進化させなさいというのです。生きているものは育つのです。育つことができないものは死にます。霊界との相対的価値を失ってしまうために、失われてしまうというのです。それで、前進的発展を促進化させなさいというのです。
促進、急ぐのです。寝てばかりいて、怠惰で、食べて楽しんで、そのようなものは、歴史にありません。忙しいというのです。一生は短いのです。それで、「私たちの家庭は真の愛を中心として、毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かい、前進的発展を促進化することをお誓い致します」です。休まないで走りなさいというのです。先生のようにということです。眠ることもせずに走りなさいというのです。
「主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かい、前進的発展を促進化することをお誓い致します」。毎日のように前進しなければならないというのです。停止すれば、死亡が展開します。死亡が展開するのです。ですから、停止してはいけないのです。「前進的発展を促進化」し一歩でも、毎日毎日、前に行くべきだというのです。「そのようにすることをお誓い致します」というのです。ですから、天上世界に要求されるすべての内容を、地上世界で寸分も違わないように前進的発展をしなければなりません。
「真の愛を中心として、毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かい、前進的発展を促進化」すると言いました。統一に向かって前進すればいいのに、前進的発展を促進化させなければならないと言いました。激しく追い込まなければならないのです。たたきなさいというのです。地上でぐずぐずして歩調を合わせることができなければ、激しく追い込まなければなりません。
私たちの「家庭盟誓」の五節に、「前進的発展を促進化することを」というのがあるでしょう。一つにして前進するのはよいのですが、その促進化は、棍棒で何度もたたいてするというのです。強制です。子牛のように強制的に引っ張ってきて祝福してあげれば、祝福を受けたその人が、霊界に入っていくときに地獄には行きません。長い時間かからずに天国に行くというのです。ですから、強制的にでもしなさいというのです。
毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一、主体世界と対象世界が統一されなければなりません。統一に向かって前進的発展、前進していく発展です。「前進的発展を促進化することをお誓い致します」。促進化、早く早く早くするようにするというのです。停止してはいけません。停止すればいつの間にか落ちていくのです。地獄と通じ、死亡と通じるのです。停止は落ちていって地獄と通じ、促進は発展と通じるのです。休まないで走りなさい、走りなさいというのです。先生のように、眠ることもせずに走りなさい、走りなさいというのです。そして、自分が考えた世界に私が関係を結ぶのであり、考えない世界にどのように関係を結ぶのですか。それでこそ統一がなされるのです。共に考えてあげなければなりません。相対的に考えてあげなければならないのです。
(2)真の愛のハイウェイを築こう
今までの霊界や地を、神様は見たくないというのです。完全に清算してしまわなければなりません。それを皆さん自体が、一つ一つ救援するのではありません。イエス様の代身として一族の家庭を清算したのちに、氏族的メシヤ、国家的メシヤ、世界的メシヤ圏の地上天国、天上天国を完成しなければならないのです。イエス様の心情圏を体恤して、イエス様が十字架の死の位置に行きながらも果たせなかった、家庭の恨を解いてあげなければなりません。神様もそれを願っています。ですから、皆さんを通してそれを解いてあげなければなりません。その上に皆さんの家庭を築かなければなりません。
皆さんは、今までのキリスト教のように信じる、そのような習慣的な統一教会だと考えるなというのです。そのような統一教会ではありません。深刻です。全体に対して教えるみ言を中心として、皆さんの世俗的な家庭観念を撃破しなければならないのです。霊界と地上世界において、そのような観念をすべて清算しなければなりません。清算したのちに、新しい世界を成し遂げなければなりません。
神様は、このように汚された地を再び回復されようと、人間と関係を結ぶ救援摂理をしてきていらっしゃいます。堕落することによって、神様を裏切った立場にいる人間たち、万物とも比較できないほど完全に落ちた人間たちに、神様が再び向かい合うために、救援摂理をしてきていらっしゃるのです。サタンが支配し、サタンが讒訴する人間を神様が主管されるために、橋を架ける役事をしてこられましたが、それが旧約時代を経て、新約時代を経て、今に至っています。
「家庭盟誓」の五節は、「私たちの家庭は真の愛を中心として、毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かい、前進的発展を促進化することをお誓い致します」です。これは、世界がすべて同じ家庭だというのです。天地において、すべて主体的天国の対象的立場で一つにならなければなりません。一つになるだけではなく、まだ地上には地獄が、サタン圏が残っているので、これを早く促進化させなければなりません。一日の時間が惜しいのです。そこに二代、三代が展開すれば問題になります。ますます困難が繁殖していくということを知らなければなりません。至急だというのです。
二〇〇〇年までに、すぱっと断ち切って総進軍しなければならない時代だというのです。急進的な発展を催促するので、急進的な滅亡の形態が世の中に展開し、すべて分立されて地獄に落ちていくのを、皆さんが死ぬ前に目で見ることができるのです。復帰の型をもっていく私たちの家庭が果たさなければならない使命と不可分の内容を中心として、盟誓文として設定したということを知らなければなりません。
祝福を受けた家庭は、先生が来ることを願いますか。皆さんの家に来ることを希望しますか。いつ行くか分かりません。ですから、宴のお膳をすべて売って十年間待ちながら備蓄しておいて、来るや否や何時間以内に祝宴できるように準備することができる心をもたなければなりません。
そのような家には、先生がどこかに行こうとしながらも訪ねていくというのです。行くことができなければ、車が家の前で故障して、その家に訪ねていくことができるようになるというのです。精誠を尽くさなければ考えられません。先生が霊界を知らなければ、この道を行くことができません。霊界のお父様が先生のお父様です。
ですから、霊界の秘密を誰よりも知っているのです。避難中にも空腹になった時は、先祖を動員するのです。道端の過ぎゆくお客さんのために、宴のお膳を準備するようにして接待するのです。そのようなものもたくさん恵んでもらいました。そのような話をすれば、うそのようなことが多いので話しません。
結婚するまでは、アダムとエバに所有権はなく、すべて神様のものです。堕落していなければ、どうなるでしょうか。ですから、所有していればどろぼうです。国でも誰でも、すべてどろぼうです。アダム家庭で結婚する前の所有は、神様の所有です。アダムが堕落することによって人間が所有権をもったという事実は、神様を追放したということです。追い出したのです。物質の所有権、愛の所有権、家庭の所有権を破壊しました。
この怨恨を知っている神様の前に、この怨恨を知っている真の父母の前に、これを蕩減しようとすれば、世界万民が真の孝子になり、忠臣にならなければなりません。そのためには、「体までも祭物としてください。自分がもっているすべての宝物、自分の生命までも捧げます」と言い、「これを父母のものとして神様に返してください」と言うことができなければなりません。
メシヤはどのような位置に来るのですか。メシヤは、愛を中心として、地上の法も愛することができ、天国の王宮法までも愛することができなければならないのです。地上にそのような世界をつくるために来られるのです。そして、天上世界と地上世界が合徳されるのです。天上世界と地上世界を何によって一つにするのですか。天上世界にプラスになり、地上世界にプラスになることとは何ですか。神様を中心とした愛です。
真の御父母様がしなければならないことは何ですか。地上世界と天上世界のふさがった道を、すべて開いてハイウェイをつくっておかなければならないのです。ハイウェイを地獄から、ダンベリーから、霊界の地獄から天上までつくっておかなければなりません。
地上世界から天上世界まで行くことができる大きなハイウェイを、まっすぐに築こうというのです。この道は、真の愛の道でなくてはなりません。真の愛のハイウェイをつくり、終着と出発が同じ高さ、同じ広さの道を地上と天上に築いてみようというのです。その目的成就は、地上天国を達成したのちに可能なのです。
神様の命令によって、天上世界と地上世界のすべての飛び石を片づけてハイウェイを、鉄橋をおくのです。出発すれば、休まずにロンドンまで走ることができるその道をつくろうというのが先生の希望です。それは、簡単なことですか、難しいことですか。難しいことです。
どれほど難しいですか。死ぬようなことが一度や二度ではありません。途中でストップできません。なぜですか。冷遇されたことを耐えることはできません。無視されたことを忘れることができないのです。昼が来ても夜が来ても、それを忘れることができないので、昼も夜も走るのです。ついてくる者が一人もいないようにして神様に会うのです。神様は、あの人類の果てにいらっしゃいます。そこに行って会い、談判することができて、覇権を握ってもってくるまでは休む時間がないのです。
こうして霊界を統一して、地上の闘いで地上統一をしたのです。サタンの偽りの家庭出発によって壊されたすべてのものを、真の父母が来て、神様に一八〇度反対した場で再び一八〇度背を向けて結婚することによって、地獄と天国が分かれるのです。天国は、家庭で入っていくところであることを知らなければなりません。
六 家庭盟誓第六節の解説
私たちの家庭は真の愛を中心として、神様と真の御父母様の代身家庭として、
天運を動かす家庭となり、天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成すること
をお誓い致します。
一) 神様と真の御父母様の代身家庭として
「家庭盟誓」の六節とは何ですか。「私たちの家庭は真の家庭を中心として、神様と真の御父母様の代身家庭として、天運を動かす家庭となり、天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成することをお誓い致します」です。
真の御父母様は何をしたのですか。真の御父母様の代身家庭となり、真の御父母様が動けば天運が従っていくのと同じように、皆さんも真の御父母様と完全に一つになり、天運を動かす家庭となって天の祝福を周辺に連結させなければなりません。自分一人ではいけないというのです。周辺に自分と同じ家庭をつくるのです。そのような主体的家庭になることを誓うということです。
「私たちの家庭は真の愛を中心として、神様と真の御父母様の代身家庭として」、神様と真の父母の代身家庭にならなければなりません。このようになることによって、真なる家庭となり、天宙を動かす家庭として、神様の祝福を自分だけが受けるのではなく、周辺に連結させる家庭を完成するのです。
動けば福となり、福を分け与えてあげることができる家庭になりなさいということです。皆さんの周辺に原理を知らない人がいれば原理を伝えてあげ、反対しても共に生き残って、どのようにしようと闘わずにそれを通過させていくのです。それからさらに周辺に教えてあげ、どんどん拡大させなさいというのです。一人で生きてはならないというのです。
「神様と真の御父母様の代身家庭として」。皆さんは、神様の家庭と真の父母の代身家庭です。神様と真の父母の代身家庭は、天運を動かす家庭です。「天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成することをお誓い致します」。私だけが祝福を受けて良い生活をするというのではありません。結局は、王族となり、全体の人々を民族にしなければならないというのです。
天の代表的家庭になり、この地上に平和と幸福と自由をもたらす仕事をしなければならないのです。それで、いつも天地に歩調を合わせなければなりません。その次には、神様と拍子を合わせたので、家庭を中心として周辺に天運を移してあげることができる家庭にならなければならないというのです。それが六節だというのです。結局は、そのようにして真の御父母様の代身家庭と天の心情的統一圏が築かれ、心情文化世界が今日の全世界に出発するというのです。それが盟誓です。
先生だけが真の父母ではなく、皆さんも真の父母にならなければなりません。皆さんもやはり完成しなければならないのです。先生は大きい木になりましたが、細胞が繁殖するように、皆さんは細胞のようにならなければならないというのです。大きい木である先生に似て出てきた種です。根本に似たのです。
世界的にすべて勝った真の父母によって、皆さんは、すべてを学んで知っているのです。先生は、世界的天国をつくらなければなりませんが、皆さんは、家庭的天国だけつくればよいのです。皆さんが真の父母になろうとするなら、心と体が一つになり、夫婦が一つになり、子女が一つになって、アダム家庭が堕落することによって失ってしまったものを取り戻さなければなりません。これが、平和、幸福、自由、統一、天国の始まりです。万事亨通だ、OKだというのです。
「家庭盟誓」の六節は、何というのですか。真の御父母様の代身家庭として天運を動かすというのです。創造理想がすべて従っていくようになっています。天の祝福を周辺に連結させる家庭にならなければなりません。それを築いておくのです。そして、神様の祝福世界と天上世界において、天国の功臣になれるかどうかという問題は、心情文化世界に絶対に血筋を汚さない歴史を何代、何千年残せるのかということにかかっているというのです。ぴたっと公式になっています。
六番目、「私たちの家庭は真の愛を中心として、神様と真の御父母様の代身家庭として、天運を動かす家庭となり、天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成する」です。自分だけが幸せに生きようとしてはいけないというのです。私たち祝福家庭は真の愛を中心として、神様と真の御父母様の代身家庭として・・ですから、天運が神様と真の御父母様と共にあるのです・・天道を動かす、天運を動かす家庭となり、天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成するというのです。その言葉は、「私たち祝福家庭は、どこに行っても全体に福を分け与えることができる中心家庭になる」ということです。
水が流れていって、うず巻きができるのも一つの条件です。同じ道理で、統一教会では、蕩減路程によって成し遂げられていくことを皆さんは知らなければなりません。自分一人ではありません。先生を身代わりし、神様を身代わりした家庭として動いてこそ、天運が協助してくれるということをはっきり知ることを願います。
二) 天運を動かす家庭となり
天運が訪ねてくる道がどこかということを、私たち人間は知らなければなりません。天運は、永遠に動くのです。天運は永遠の道を行くのですが、その道は、永遠の原則に従って変わらずに巡り巡っていくというのです。巡り巡っていきながら、因縁を合わせていきながら興亡盛衰の道をつづっていくのですが、ここに立っている私たち人間が、どのようにこれに合わせていくかということが問題です。
天運を誰が調整するのですか。この宇宙を創造なさった主人が調整するのです。その主人とは誰ですか。宗教的術語では神様であり、そのほかにも様々な名詞がありますが、それは問題ではありません。しかし、ある中心存在がいなければならないのです。その中心存在がいることをはっきりと知って、その中心存在が行く道に確実に従っていくようになるときには、万事が亨通するのです。
天理の運勢が巡っていくのですが、その天理の運勢は、いい加減にいくのではありません。秩序と軌道があり、法則があるために、それを通じて動くのです。それゆえに、天運に隷属しているすべての存在は、「ため」に生きる存在としてあるのです。
個人に運があるように、家庭や国家にも家運と国運があり、さらには世界の運、そして、天と地の全体には天運があります。いくら良い運をもって生まれた人でも、その家庭が傾く時は共に困難を経験するのであり、個人運と家庭運が良い人でも、もっと大きい国運が傾けば共に没落するしかありません。さらに、すべてのものを包括して、すべてのもののためにある天運の方向と進行によって、国運や世界の方向が決定するのです。世の中で天道を立てるということは、すなわち個人や国家の行く道を天運に合うようにするということです。
天運は、善の人が必要とするすべてのものを供給するようになっています。それゆえに、欲をもって「私がこれをどのようにする」と考えてはいけません。善であろうとすれば、必ず私が高い位置に行くか、低い位置に行くか、その二つの道しかないのです。低い位置に行くようになれば、すべてのものが自然に供給されるようになっています。空気と水も満たされ、天運も入っていくようになるので、このくぼみが埋められるのです。
「天運を動かすこと」が六節でしょう。「真の愛を中心として、真の御父母様の代身家庭として、天運を動かす家庭」になります。真の御父母様のすべての受難は、自分が幸せに暮らすためのものではありません。すべての人類を自分が解放させて天運を振り分けてあげ、天運を移してあげるためのものです。真の父母に従ってくる天運を、そのまま譲り渡してあげなければならないのです。祝福の基になりなさいということです。分かりますか。いくら促進化され、一つになっていても、その人が地上に来て、自分自体の福ばかり受けていってはいけないのです。地上に功績を立てて、すべての人が満足し、大きい天運の恩恵を受けることができるものを譲り渡していかなければなりません。
文総裁が一言言えば、世界がそのとおりになるので、みな恐れるのです。それは、ただそのまま成されるのではありません。歴史の行く道が明確なので、そのような時を知って話すのです。先生が予言して、それが当たるのではありません。そうなるようになっているのです。皆さんも、天運の方向をすべて見分けることができるようになれば、未来のすべてのこと、千年後のことも「このようになるはずだ」と明確に話すことができるのです。
先生はそれを知っているので、天運の風が吹くようにしたのです。低気圧になっていれば、高気圧の風が吹くようになっています。私たちが全力を尽くして、最大の低気圧の精誠を尽くせば、神様の高気圧の愛圏が押し寄せてくるので台風が吹くのです。このような話を信じなかったでしょう。この天運の風をつかみ取らなければなりません。
先生を見て、おばけのような人だといいます。世の中の誰も知らないことを知って、天運がどのように巡っているのかを知っています。今、大韓民国の国運がどこに行き、アジアの運がどこに行き、世界の運がどこに向かっているのかを知っているのです。これを縛りつけておけば、すべて引きずられます。走る千里馬のおしりにくっついているはえは、血を吸い込みながらも千里を行くのです。そうなのです。天運にしがみついて落ちなければ、万事がOKだというのです。
世界を抜け出すことができない人々は、天運を扱えません。それゆえに、統一教会は、世界を乗り越えなさいというのです。天運をもって越えなさいというのです。それで、天運をもって神様を中心として神様と対等な位置に立ち、神様から「あなたは、この地上に天運を活用できる主人である」という名前を受け、み印を受けてきて、初めてメシヤになるのです。そうしてこそ救世主、真の父母になるのです。それゆえに、先生一人をおいて全世界が打ってきましたが、本来、善の人は打ちません。
天運に乗ろうとするなら、先に天運が行く道がどのようなところかを知らなければなりません。そこは、万民が喜ぶところ、楽しんで飲み食いするところではありません。すべてが嫌う位置です。その場は、どのようなことでも常に感謝して、責任を遂行しながら栄光を神様の前に返して、自分自ら感謝することができる位置でなければならないのです。そのような位置に立つ人が天運に乗ることができるのです。それゆえに、皆さんは、必ず勝利しなければなりません。
大韓民国に、神様の愛を中心として、天上天下の代わりをし、歴史を身代わりし、「ため」に生きる愛をもって、万国の愛、万民の愛の権限、自らの権限ではなく全体の権限を身代わりし、自分は影になって彼らを太陽にして、「太陽の光になりなさい」と言うことができる慕心の位置に立てば、神様が私を訪ねてこられて、直接太陽の光になってくださるというのです。天国を移していくことができる力が、万福を移してくることができ、天運を左右できる力が、真の愛の道の前には同伴するというのです。
今、天運が韓国の地に発動できる時になったので、皆さんは、この民族のために、再創造するところに同参しなければならないのです。堕落したために、主体は、再創造しないといけないというのです。思想をもって神様の代身相対をつくっておかなければならないのです。それゆえに、家庭を新しくつくらなければならず、国家を新しくつくらなければならず、世界を新しくつくらなければなりません。皆さんは分かりませんが、このような使命が天道という命題のもとに、二十四時間、時間を超越して作用しているので、皆さんがこれを受け入れて新しい人生の春を迎え、世界を抱いて歌っていくことができる、人生行路の成功者にならなければならないのです。
自分だけが幸せに生きようとしてはいけないというのです。私たち祝福家庭は真の愛を中心として、神様と真の御父母様の代身家庭として・・ですから、天運が神様と真の御父母様と共にあるのです・・天運を動かす家庭となり、天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成するというのです。その言葉は、「私たち祝福家庭は、どこに行っても全体に福を分け与えることができる中心家庭になる」ということです。そのように生きられなかったのではないですか。
三) 天の祝福を周辺に連結させる家庭
「家庭盟誓」の六節は何ですか。「神様と真の御父母様の代身家庭として、天運を動かす家庭となり」です。神様のすべてを相続し、天運を動かす家庭となり、周辺に神様の祝福を分けてあげなければならないのです。周辺とは誰ですか。カイン世界のことをいうのです。それが必要です。自分一人で天国に行きますか。周辺にいる人、全員がつるはしを持って、「こいつ! お前だけ天国に上がっていこうというのか。み旨がそうなっているのか。私が『統一教会は嫌いだ』と言えば、むちをたたきながらでも死ぬまで忠告しなければならないのに、なぜしなかったのか」。いつか、このようなことが起きるというのです。
「天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成することをお誓い致します」。これは何かというと、祝福の基です。私が祝福を受けたのは、私一人がうまくいくためのものではありません。先に呼ばれれば、全世界の兄弟たちの家庭を私と同じ家庭にしなければならないのです。「天運に従って、私と同じ家庭をつくるための家庭になります」というのです。一人だけのためのものではありません。「家庭において『家和万事成』を成して、すべての家庭が和合して統一することができるようにします」、そのような意味です。
自分たちだけ幸せに暮らすのではないのです。自分だけ幸せに暮らしてはいけないのです。神様は、そうではありません。父母は、そうではありません。息子、娘がもっと幸せになるようにしなければならないというのです。四方にすべて連結させる家庭を完成しなければなりません。
今から皆さんが、天の祝福を周辺に伝えてあげなければ、霊界の先祖が皆さん自身を蕩減させるのです。反抗するというのです。絶えず道を妨げて妨害するというのです。「盟誓文にこのようになっているのに、なぜ行動しないのか、こいつ!」と言います。ですから、すべて分けてあげなさいというのです。それをしなければ、霊界に行って引っ掛かります。重要な一つの契約文書です、契約文書。盟誓文です。
「家庭盟誓」の六節は、「私たちの家庭は真の愛を中心として、神様と真の御父母様の代身家庭として、天運を動かす家庭となり、天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成することをお誓い致します」です。祝福の基になりなさいというのです。それでこそ、一つになった天と地のすべてのものを備えて、その場を中心として神様が下さった祝福の基になるのです。福の泉になりなさいというのです。
私だけが祝福を受けて良い生活をするというのではないのです。結局は、王族となり、すべての人々を民にしなければならないということです。神様と真の父母の代身家庭は、天運を動かすのです。天のすべての祝福を、万民の前に平等に分けてあげる家庭的祝福の基になるというのです。神様と真の父母の家庭は一家庭です。一家庭ですが、祝福家庭がたくさんいるので、全世界に拡張して神様の家庭と真の父母の家庭を身代わりし、福を分けてあげる機関になるのです。福を分けてあげる家庭にならなければなりません。全員が福を受けるようにしてあげるというのです。
大豆のもやしに毎日水を与えれば、水は流れていきますが、もやしは育ちます。皆さんの立場は、ただ、何と言いましょうか、水に溺れたねずみのように哀れですが、統一教会が大きくなっていけばよいのです。先生の身の上は悲惨で、ダンベリーの監獄に入っていって指弾を受ける人になりましたが、これで神様のみ旨が拡張されると考えていった先生の道は、ダンベリー以後に一躍飛躍したというのです。そのような事実を皆さんは見たでしょう。
誰の名によってですか。先生の名前によってではありません。この宇宙の名によって、神様が共にいてくださったのです。天道が連結されているがゆえに、神様が運行できる道にならなければならないので、宇宙が協助して、勝利に向かって前進するようになっているということを知らなければなりません。
家庭における孝子とは何ですか。愛を中心とした孝子です。国の忠臣とは何ですか。愛を中心とした忠臣です。世界において、四大聖人とその教えを中心として文化圏を収拾し、世界的な新しい背景を形成したのも、愛を中心として民族を越えて世界の人を愛そうという者たちです。
このようなことを見るとき、最後に天運に帰結するにおいて、旗手となることができる人は、どのような人でしょうか。神様は、天も愛して地も愛します。ですから、天地を愛することができる愛のチャンピオンでなければなりません! そのような結論を得ました。