一 真の結婚は宇宙的合一の愛を成すこと
結婚はなぜするのでしょうか。神様の姿に似るためです。神様は二性性相としていらっしゃる方であり、各一性が合体化した一体的な存在であられ、神様の分性的な人格が男女なのでこれらが合成一体化して種のようになって、神様の本性の立場に戻らなければなりません。
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結婚の最高の神性を私たちは謳わなければなりません。男女が愛することのできる道は結婚生活です。そのように一つになることによって誰に似るのでしょうか。神様に似るというのです。男女が一つになってこそ、人を御自分の形状どおりに造られたと言われる神様に似るのです。そうしてこそ神様が臨在されるのです。
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男性は天を象徴し、女性は地を象徴します。二人が合わさって調和し、平行線を成さなければなりません。
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男女が合わさることは、天地が合わさることです。
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男性と女性が互いに好み合い抱擁するそれ自体が、宇宙が一体を成した立場です。神様の理想の中で成される創造本然の姿は、そのようなものです。
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結婚は、なぜするのでしょうか。世界を愛する訓練を受けるためです。また万民を愛することのできる資格をもつためです。
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結婚の目的は、男性と女性の心の世界を一致させようとすることであり、男性と女性の愛の完成のためのものです。それで結婚したということは、そのような証拠を見せて宣布をすることです。結婚生活を通して愛の完成と心の完成を成したなら、家庭の理想を実現したと言うことができます。それで死ぬ時これを成したなら、間違いなく天国に行くというのです。
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結婚とは何でしょうか。なぜ結婚が重要なのでしょうか。結婚は愛を探していく道だからです。愛する道、生命を創造する道です。男性と女性の生命が一体になる道です。男性と女性の血統が混合されるところです。結婚を通して歴史が生まれ、ここから国が生まれ、理想世界が始まるのです。
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結婚は誰のためにするのかといえば、人類のためにするのであり、人類の共同利益のためにするのです。ですから結婚は世界を代表したものです。その男性は世界を代表した男性であり、女性もまた世界を代表した女性です。では、どこから出発しなければならないのかというと、世界を代表した立場から出発しなければならないのです。結婚する意味は、人類が公的に願っているみ旨のためのものなのです。
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妹のように育て、妻のように愛し、母のように仕えてあげるという心をもつことが必要です。愛は妹から、すなわち妹として愛することを始めとし、妻として愛さなければならないし、妹、姉、新婦、母のように愛さなければなりません。そうしてこそ人間が堕落したことによって失い、神様が愛することのできなかったものをすべて復帰することができます。
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国を愛するためには何を愛さなければならないでしょうか。まず男性は一人の女性を、この国の代表的な女性だと思って愛せる者にならなければなりません。また女性は男性に対してただ一人の男性としてではなく、全世界の男性の中で代表的に選び出した人だと思うのです。このように代表者の立場に立った男性と女性が合わさって家庭を成すようになると、この家庭は天の国の家庭になるのです。
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女性にとって本当の幸福は、愛の主体者に出会うことです。愛は一人では感じることができません。幸福も同じです。相手と同じ相対的関係を結びながら互いに感じ、愛することのできる真の幸福を感じるのです。
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結婚する時はその男性がハンサムだといって喜んでいたのに、その男性が一週間後に事故に遭って体が不自由になった時、離婚しようとするのは真の愛ではありません。それは偽りの愛です。真の愛は絶対的であり、不変であり、永遠なのです。
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結婚は私のためにではなくて、相手のためにするという信条をもたなければなりません。結婚を、立派な人、きれいな人としたいというのは間違った考えです。人間は他のために生きなければならないという原則を知ったなら、結婚も相手のためにするという考えをもたなければなりません。いくらみすぼらしい人でも、美人よりももっと愛そうという信念をもつのが原則的な結婚観です。人間として生まれて相手を神様のように愛し、人類のように愛し、この世界の誰よりももっと愛することができるという考えに立たなければ、天の国に復帰することはできません。一人の男性として一人の女性を愛することを知らなければ、神様と人類を愛することはできません。
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結婚とは、幸福の宮殿のドアを開けて入っていく儀式だと言うことができます。したがって、結婚は人倫の大事なのです。愛は時空を超越し、人間史において最も偉大なものであり、結婚はそのような愛を表し、確認する儀式なのです。
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結婚する時は、美人の夫になろうと思わないでください。醜女の夫になり、誰よりも立派に生きる夫になると言わなければなりません。そしてこの世のどのような美人も敬うことのできる、そのような夫にならなければなりません。そのようにすることのできる観をもって、女性に対さなければなりません。
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どのような妻、どのような夫に会って結婚するのでしょうか。最もみすぼらしい人に会って、烈女になって愛そうとする原則を立てて結婚し、暮らさなければならないということを知らなければなりません。愛の度数が高いほど、無限の宇宙の舞台で活動することができます。
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人間において、愛は永遠なものであり、二つでなく一つです。男性と女性が愛によって結ばれると地上で百年偕老(注:共に年を取ること)しなければならず、死んでも永遠に共に生きなければなりません。体は二つだけれども、一つになって回ることによって一体になるのです。二つの体が一つになれば、神様と共に回るようになり、愛の四位基台を成すようになり、それがすなわち愛の理想世界なのです。そこには偽りの愛が侵入することができず、ただ真の愛のみが存在できるのです。
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個体完成、相対完成を成したのちに神様を中心とした愛によって公認されてこそ、本当の理想が成されます。
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新郎新婦はお金や権力、名誉を中心として一つになるのではなく、神様の本然の愛を中心として一体にならなければなりません。
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神様の最高の傑作品として造られた美しい男性と女性が、神様を中心として愛することができるなら、それは最高の愛であり、超越的な愛であり、この世的な愛ではありません。その愛は最高に美しい愛であり、愛の中の代表的な愛であり、永遠に輝くことのできる愛です。
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真の愛の味を感じるためには理想圏をもたなければなりませんが、男性には女性が必要であり、女性には男性が絶対的に必要です。真の愛のための絶対的な男性と女性は、一心に努力することによって結ばれます。一つに結ばれた時は、神様が二人の中に臨在されるようになることを知らなければなりません。
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全世界の人種が一つになるための最も早い近道は、国際結婚しかありません。二つの全く違う文化圏と環境から選択された男女が、神様の愛によって一つにならなければなりません。これが完全な調和と統一です。このような偉大なことを成就するために私たちは、巨大な愛の力を見つけなければなりません。最高の愛のみが国境を越え、人種の境界を越え、文化の境界を越え、知識の境界を越えるのです。
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神様の愛と人間の愛は、本質的に同じです。愛は一つになろうとするものです。男女が互いに慕い合う理由は、男性は女性、女性は男性を通してのみ神様を所有できるからです。愛は、互いを好むことです。
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結婚しない人は、天国に絶対に行けません。結婚しない人には、天国は絶望の美しい山河です。寂寞とした山河は希望がありますが、絶望の山河は希望もない状態ではありませんか。
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男性は女性のために生まれ、女性は男性のために生まれました。自分という存在を主張するところには、神様が共にいらっしゃるはずがなく、他人を尊重する時に、神様が共にいらっしゃいます。原則的で原理的な思考によって、私たちは二本の足で歩いているのです。
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女性は男性に会うために生まれ、男性は女性に会うために生まれたのです。それが最高の真理です。それで、このような原則に従って祝福圏を探していかなければなりません。最高の真理圏を離脱するのは、最高の悪です。
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韓国の伝統婚礼を見ると、互いに向かい合って大きなお辞儀をします。どうして大きなお辞儀をするのか知っていますか。互いに「ため」に生きようと大きなお辞儀をするのです。互いに「ため」に生きなければ愛は逃げていってしまいます。
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韓国の民法では同姓同系の結婚を禁じ、異族結婚を奨励していますが、これは統一を思慕する民族だからそうなのです。
二 男女の愛、互いが必要とする愛
成長の中で最も花のような時、最も美しい時が青春時代です。その青春時代の姿が最高のつぼみのような時期です。それをしっかりと愛することのできる人がいるなら、その人は神様の家の奥座敷にでも招待される人です。そのような愛を授受することのできる男性と女性は神様の福を受けることができ、神様の奥座敷にまでも招待されるはずです。
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人間の幸福とはどのようなものでしょうか。お金が有り余ってダイヤモンドを体に着けると幸福だと言えるのでしょうか。本当の幸福とは相対者と共に愛によって笑い、歌ってささやくところから見つけることができます。そうできる人は幸福な人です。愛する恋人からささやく言葉を聞くことのできる人は、幸福な人だと言うことができます。ほおをつけて愛をささやくことは、ちょうど夢を見るような幸福感を感じることができるからです。幸福な時は年齢的に見る時、若さが最も華麗に咲く時だといえます。愛によって力いっぱい膨らんで一つになることのできる時が、青春時代です。
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自分の一生一代に男女間で愛する愛よりも、世界を愛し神様を愛し人類を愛したあとで自分を愛することのできる、そのような愛をもった相対を迎えようとする人が、理想的な人です。
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女性にとって本当の幸福は、愛の主体者に出会うことです。
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男性が一人でいくら愛を探しても、その人は狂った人としか思われません。
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男性と女性がいくら素晴らしいといっても、愛がない時は意味がありません。
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男性と女性は、生理的にみな反対です。女性は一方的なのに比べて、男性は三方、四方的です。また女性は家にばかりいますが、男性はあちこち世の中を歩き回ります。このように性格がみんな反対です。このような主体的な男性と相対的な女性が、何を中心として一つになるのでしょうか。愛を中心として一つになるのです。人間と神様を一つにするのも愛です。
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神様は愛の理想完成のために人間を創造しました。そして人間と神様の関係は、最高の愛を中心とした主体と対象の関係です。では人間はいつ完成されるのでしょうか。男性も女性も愛の因縁を結んで愛の価値を知った立場に立った時、初めて完成されます。
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ある男性がハンサムで健康な人だとしても、女性がいなければ意味がないのです。自分の容姿や健康に酔って生きる男性は、どうしようもない存在であるだけです。そのように自我に陶酔して回っていくこの世を改善して、変化させていくのが神様の摂理だったということを知らなければなりません。
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この世で最も良いものとは何でしょうか。男性には女性、女性には男性ではないかというのです。男性が好きな愛は男性のものではなく、女性が好きな愛も女性のものではありません。そうでしょう。一人でいる時、愛したい気持ちになりますか。
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男性は神様の愛を中心として女性を愛するにおいて、「完全に愛した。最初から最後まで永遠に変わらずに愛した」と言える立場に立たなければなりません。また女性はそのような立場に立つために自分の体をしっかりと封じておかなければなりません。蓮の花が多くの花びらで何重にも包んであるように、しっかりと埋めておかなければなりません。そうして春という季節に、天地の調和に合わせ、そこに和合して新しい人生を出発しなければなりません。これを、しっかりとしなければなりません。
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皆さんは花の中で、美しい花は何だと思いますか。皆さんはどのような花が好きか分かりませんが、先生はラッパのような形をした花が好きです。なぜかと言うと、ラッパのような形をした花は香りを遠くまで漂わせます。ラッパのような形をした花は深い愛を意味します。ラッパのような形をしていてこそ、香りが遠くまで広がります。ですからラッパのような形であるほど香りが多く出ます。ですから女性が花であれば、深い愛の心情をもっていなければなりません。美しい香りをもった花は万民が喜びます。そしてゆりは単調ですが優雅な味があります。清く優雅なゆりの花は、葉なのか茎なのか分からないように同じ色で咲いているのを見ると、感傷的で情緒的な花だというのです。そのように結婚前の女性は、水仙、またはゆりのようにならなければなりません。優雅で清い花にならなければなりません。
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いくら美しい娘にも、思春期はたった一時しかないのです。その時は花の中の花であり、一生で最も貴い時なのです。それにもかかわらず「私一人で生きるわ」と思っている女性がいるでしょうか。その人は女性ではありません。また男性の中でも見てくれの悪いところのない、これ以上良い時はないという青春の時に、自分一人で生きると言う者がいるでしょうか。そのような時には、必ず相対を探すようになるのです。誰に似てそうなのでしょうか。神様に似てそうなのです。人生の最も貴い時である思春期の時に、相対を探そうとするのは男性も女性も同じです。
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男性はなぜ生まれたのでしょうか。男性は多くが自分一人で生きることができるので、そういうことに関心がないとも言いますが、男性は女性のために生まれたというのです。女性がいなければ男性は必要ありません。自分のために生まれたものは一つもないというのです。
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私たちの五感を見てください。私の目は私の目を見るために生まれたのでしょうか。鼻や耳、口、手もすべて相手のために生まれました。五感を総動員して集中できるその力が何かというと、真の愛です。目、鼻、耳、口そして手は、真の愛のために生まれた真の愛の道具です。
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女性にとって最も貴いものとは何でしょうか。男性です。どのような男性が必要でしょうか。立派か立派でないか、体が自由か不自由かが問題でなくて、その男性から価値のある愛を見つけ出すことができるかどうかが問題なのです。
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男性の心の中には神様が愛される女性がいて、女性の心の中には神様が愛される男性がいて、共にたたえるようになる時には神様もそれを見て喜ばれるので、万物も互いに喜ぶようになります。彼らが抱擁する喜びの内容が、天と地と共に喜ぶ価値になります。男性と女性が互いに好んで抱擁するそれ自体が、宇宙が一体を成す立場になります。神様の理想の中で成される創造本然の姿が、そうです。
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本来、男性が生まれた本当のみ意はどこにあるのでしょうか。女性のために生まれたということを否定することができません。反対に、女性は女性のために生まれたのではありません。男性のために生まれたという事実を本人が確信できない立場で、問題が起きるのだということを、私たちは知らなければなりません。これを天地創造の大主宰であられる神様が創造の原則とされたので、その原則に従わずには善であり、真であり、幸福であり、平和な世界、または愛と理想の世界に入ることができないのです。
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この世に多くの男性がいるとしても横目で見てはいけません。貞操は生命より、もっと尊いものです。夫が愛することができ、息子、娘が愛することができ、国が愛することができ、世界が愛することのできる歴史の道が、女性によって開かれるというのです。このような女性の美しさと高貴さと情緒的な伝統が輝くことのできる基準をつくっていく厳粛な課題の前に、皆さんは真実と真の姿でいる誠心を尽くさなければならないのです。
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最も花のような時期、花がさっと咲いた青春時代がいつかというと、思春期の時です。その時期がすなわち十八歳から二十四歳までの七年間です。この七年間は人生に二度とない花のような、愛の花が咲く時期です。一度しかない花のような時代が、どんなに貴いでしょうか。
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蓮の花を知っているでしょう。つぼみは何十もの花びらでしっかりと包まれていて、それを簡単につぶすことができないようになっています。このように、男性も女性も同じです。皆さんの赤い愛、黄色い花のようなその愛のつぼみを、いつぱっと咲かせるのでしょうか。天地の調和の中の美が最もよく現れる時が、青春の時期です。人間として見る時も最高に咲く時です。神様の傑作品となり、最も中心の絶頂として光る期間が青春の時期ですが、その時に神様の祝福の中でぱっと咲かなければならないでしょう。
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青春時代に純潔を失ったアダムとエバの恨みを踏んで蕩減することのできる貴い時である思春期に、純潔を汚してはいけません。その純潔を清く大切に保存して、「千代、万代一人で行っても愛が蹂躙されることは絶対にあり得ない」という操と決意をもたなければなりません。
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青少年として堕落して汚れず、染まらずに、聖なる純潔を大切に保管して、これをどこにもっていくのでしょうか。天が最も喜ぶことのできる祭壇に掲げて神様が喜ぶ、そのような純潔をもった男性と女性が出会って一つに結ばれる貴い基台が、新郎新婦の出会う場にならなければなりません。
三 祝福結婚式は神様の愛の伝授式
統一教会では、結婚することを「祝福」と表現します。
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祝福は真の父母と真の子女が出会い、創造目的を成就することを意味します。
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祝福とは何かというと、神様と共に一つになることです。神様と一つになると、全体をもつことができます。神様のすべてのもの、主体がもっている全体をもらうことになるのです。
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皆さんは今まで、真の父母と完全な因縁を結ぶことができませんでした。ですからその因縁を結ぶために、してあげるのが祝福です。
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祝福は天国の門を開くことであり、子女と共に入るのです。
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この世には大勢の人がいますが、大きく二つに分けてみると、男性と女性に区分されます。この人たちが一つになることのできる秘法を模索するのが、私たちの根本目的であるのです。今までそのような一つの結実的な家庭の起源が出てこなかったので、私たちはそれを模索していくのです。そのような起源が現れて種を蒔くと、新しい木になるのです。これが祝福結婚式です。
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祝福結婚式は、単純に男女が出会って一つの家庭を成す婚礼式ではありません。今までの結婚式は自分を中心としたものでしたが、私たちの結婚式は、神様に喜びを帰すほどの内容をもって歴史を蕩減する貴い条件として、聖なる雰囲気をもって盛大に挙行されなければなりません。私たちの結婚式とは、アダム・エバの堕落に始まった神様の恨みを解怨してさしあげ、イエス様が成すことのできなかった新郎新婦の基準に通ずることであることを、原理ははっきりと説明しています。
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神様の摂理で信仰を立てたとしても、神様の子供として復帰させるためには接ぎ木しなければなりません。
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もう一度生まれなければならないということは、堕落したアダム・エバの後孫である父母の血肉を通してもう一度生まれなければならないというのではなくて、堕落と関係のない父母の血肉を通してもう一度生まれなければならないということです。そうせずには神様の元に帰ることができません。罪の根本の根はアダム・エバから始まったのでこれを踏み越えて、すなわち原罪と因縁のない立場で生まれたという資格をもたずには、神様のそばに帰ることができないのです。
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重生する(生まれ変わる)には、アダム・エバよりできが悪くてはできないし、また根本の復帰もできません。重生するにも個人が重生しなければならないし、家庭、民族、国家、世界が重生しなければなりません。この事実を、今日のクリスチャンたちは知らずにいます。
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八十歳を越えたおばあさんたちも、祝福を受けずに死んだなら天国に行けないという事実を知っているので、死にゆく最後の瞬間にでも何千里離れた所に男性がいたり、何千里後ろに男性がいたとしても、二人を糸で結んで祝福を条件としてだけでも受けたいというのです。祝福はこのようになっています。先生は、このことをやり遂げなければならないので、運の悪い人です。
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真の父母というのは、完全な男性と完全な女性ということです。縦的、横的九〇度になった男性と女性ということです。それで先生が、これを接ぎ木するために青年男女を集めて頭を切り捨ててしまって、母親の芽と父親の芽をもって植えるのが祝福です。
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祝福式は正に愛の伝授式です。神様の愛をもって父母が生きるように、皆さんも父母の愛を神様の愛の代わりに受けて、「このように生きよう!」という人の伝授式が祝福式だというのです。神様の愛を父母から受けるのです。ある名の知れた人から受けるのではありません。それは天使長がしてくれる結婚式です。名の知れた人が一人で前に立ってしてくれる結婚式は、みな天使長から受ける結婚式です。
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血統が違うということは、父親が違うということです。ですから父親の違う血統をもって生まれた人間は、本来堕落しなかった本然の父母によってではない罪を、蕩減することができません。ですから今日まで、歴史は堕落しない始祖になり得る権利をもったその一人の方が来る時まで、宗教の理念を中心として連結させてきました。
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祝福を受けたということは、メシヤが二千年間の苦労によって地上に基盤をつくり、選ばれた民族と教団と自分の氏族を中心として、新郎新婦の名前によって出発できる時が来たということです。皆さんは氏族的なメシヤになることができるでしょうか。先生と父子の因縁を結んだので、サタンもどうすることもできません。このように祝福は、本当にすごいことです。
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天宙主義とは、どのような主義でしょうか。真の父母主義です。結局この二つの主義は父母の主義です。これは私たちの家の主義であり、私たちの国の主義であり、皆さん個人の主義です。人間が堕落しなかったなら、世界は誰の主義になるでしょうか。アダムの主義になるはずです。そのアダム主義がすなわち、真の父母主義です。父親母親主義なのです。ほかにこれ以上の思想はあり得ません。ですから統一教会は心情的な問題を、本然の理想的な家庭の枠の中で、真の父母という理念を中心として天宙主義とつながるようにしなければなりません。このような理念で制度化された家庭の因縁が残っている限り、滅びることはありません。滅びてはいけないというのです。
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天宙主義とは何でしょうか。家庭において言えば、自分が暮らしている家庭が金銀財宝でぎっしりと詰まり、それでも余りがあるとしても、それによって生きるのではなくて、それを忘れて、いつでも神様の愛によって暮らすことができるそのような家庭です。息子のものは父母のものであり、父母のものは神様のものとして、そっくりそのまま連結できなければなりません。
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真の家庭主義とはどのような主義でしょうか。真の家庭主義は神様の愛主義です。愛がなければいくら世界一だといって胸を張って歩き回っても、その人は不幸な人です。真の家庭主義は、父母が行けば息子、娘は父母のあとに永遠についていく主義、また兄が行けば弟が永遠についていく主義、弟が行けば兄が永遠についていく主義です。ですから弟の国があれば、兄の国がついていき、兄の国があれば、弟の国もついていくと言わなければなりません。
第四章 愛と家庭
一 愛の理想実現は家庭から
家庭は、万古普遍の起源であり礎です。これは父も変えることができないし、兄弟も変えることができないし、どの国も、どのような制度でも変えることができません。また世界的にも変えることができないし、天地も、神様も変えることができません。ですから、家庭というものには永遠に革命という名詞が必要ないのです。家庭は愛の場なので、革命が必要ないというのです。
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なぜ父母が良いものになるのでしょうか。そして夫と妻、子女がなぜ良いものになるのでしょうか。愛があるからです。父母の愛、これは子供に絶対に必要です。夫婦の愛、これは夫と妻に絶対に必要なものになります。そして兄弟間の友愛、子女が父母に対してもつ親孝行の心も、一つの家庭に絶対に必要なものです。
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家庭がなぜ良いのでしょうか。家庭は互いが自由に授受できる基盤になっており、栄えることができるので、人は故郷を懐かしがり、父母と兄弟がいる家庭を懐かしがるのです。
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真の家庭は、自分の母のように妻を愛し慈しみ、自分の父のように夫を慈しんで愛し、弟や兄のようにお互いを愛する所です。その次には、神様のように自分の夫を愛し尊敬する世界が、理想家庭が住む天国です。このような伝統が、この地球上に立たなければなりません。
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神様を中心とした永遠の父母の愛、永遠の夫婦の愛、永遠の子女の愛、この三つの愛があるところが理想家庭です。
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父母と子女、夫婦、そして兄弟姉妹たちがすべて、真の愛を中心として一つとなることを願うところが、私たちの理想家庭です。ここから永遠なる世界的平準化が始まり、地上天国が出発するのであり、さらにまた、天上天国も自動的に成し遂げられるのです。
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幸福はどこから来るのでしょう。鼻歌を歌い合える、そんな環境はどこから来るのでしょうか。家庭から来るのです。家庭の幸福は、情緒的に問題があれば成せないのです。また、心情、愛がなくても成せないのです。
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不幸は、どこから出発するのでしょうか。愛の安息地がなくなる時から始まるのです。幸福な家庭は、その家の垣根である父母に仕えて生活する家庭です。その家庭は上では天を代表した父母に仕え、横では夫婦が結ばれ、この夫婦が天倫の法度を貴び、その代を継ぎながら住む家庭です。
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皆さんは、どのような愛を探し求めましたか。神様の愛を探し求めたならば皆さんの心と体が完全に一つになり、神様の愛が臨在することができるのです。それで夫婦の天国となり、家庭天国を成すようになるのです。お母さん、お父さんが完全に一つとなって愛し合うようになり、息子、娘もお母さん、お父さんのような相対をもらうことができれば、家庭天国が実現されるのです。父母がプラスになり、息子、娘がマイナスになれば、家庭天国が実現されるのです。
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父母、夫婦、子女で形成された家庭は、世界の縮小体です。家庭の愛を拡大して、すべての人を愛することが、人類を生かす道だということを知らなければなりません。年を取った人はおばあさん、おじいさんのように、中年はお父さん、お母さんのように、自分より少し年上のように見える人はお兄さん、お姉さんのように、年下のように見える人は弟、妹のように考え、愛さなければなりません。
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天国はどこででき上がるのでしょうか。私たちの家庭からでき上がるのです。それならば私たちは何主義なのでしょうか。家庭主義です。私たちが標榜する天宙主義は、空である「天」の文字に家である「宙」の文字、すなわち空の家主義というのです。このようになれば、天宙という意味が明確になるのです。
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家庭は小さな社会に立脚した小さな国家です。小さな国家であり、小さな世界であり、小さな天宙なのです。それで、家庭を離れては何もできないのです。
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一家庭は、社会の倫理的基盤であり、人間世界では手本になり、根本的で一次的な組織です。このような家庭で、愛が最善の価値基準になるのです。
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人の一生涯で一番重要な時はいつかと言えば、生まれる時、結婚する時、死ぬ時です。それでは生まれる時は、どのように生まれなければならないのでしょうか。よく生まれなければなりません。次には結婚する時です。結婚とは生きるためにするのです。すなわち、四位基台を成すためにするのです。このように宇宙の公法を地球上に立てておけば神様のみ旨を成すことができ、人間のみ旨を成すことができるのです。このような宇宙の法度が指向する内容をもち、その形態をもつためのものが家庭です。
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家庭は、天国完成の基本単位です。天国は、一度行けば戻りたくなく、十回、百回会ってもまた会いたい方がいるところです。万民が共通にそこに行きたがり、その方に会いたく、その方と共に住みたがれば世界は統一されるのです。そこに向かっていくのが目標です。しかし、そこは一度に成されるのではありません。まず個人の基台が立ち、次に家庭の基台が立ち、その次に民族、国家、世界に広がっていくのです。
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天国はどこにあるのでしょうか。空中から降ってくるのではなく、お父さんとお母さん、そして子供の間に授受できる生活舞台を育て、またすべての被造物を私たちの生活に利用し、私たちの理想の条件を利用するおもしろさ、そのおもしろさを一○○パーセント享受できるところが天国です。
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天国へは一人では行くことができません。祝福は天国の門をさらりと越えていくのです。天国は、家庭に帰っていくところです。三代の因縁をもって入っていくところです。
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宗教は、最も偉大な教えです。神様の最も偉大な教えとは、人類を教え、人類を愛してみようということです。そのほかにはありません。それで真の父母は、子供に対して世界を好きになり、神様を好きになることを教えてくれるのです。
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天国は誰かが教えてくれて行くようになっていません。良心的に生きる人は自動的に行くようになっているところが天国です。太陽が昇れば、すべての木の芽は太陽に向かいます。草までも自ら方向性をもって帰っていくのに、まして万物の霊長である人間が自分の行く道を知らないわけがないのです。このような現象が起こってくるのです。
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天国は愛の世界です。中心者である神様のためにある世界、神様のために生きる世界です。
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天国へは愛の軌道に乗って行くのです。このように話せば実感するでしょう。その愛のひもは、引っ張れば引っ張るほどゴムのように細くなるのではありません。ゴムは引っ張れば引っ張るほど細くなりますが、愛のひもは引っ張れば引っ張るほど反対に太くなるのです
*
人間には、親子の関係がなければならず、夫婦関係、兄弟関係がなければなりません。すなわち、この三つの関係が一点になければなりません。その中心点は一つです。上下、左右、前後の中心が違ってはならないのです。この中心点が違えば上下、左右、前後関係の均衡がすべて崩れるのです。それで結局、上、下、左、右、前、後、そして一つの中心点まで、すべて七数を成すようになるのです。このように七数を成すのは神様を中心として完全な真の愛で一つになり、このすべてが完全に球形を成し、調和と統一を成す家庭になるのです。
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世界にはおじいさん、おばあさんのような人たちが住んでいて、お母さん、お父さんのような人たちが住んでいて、夫婦のような人たちが住んでいて、息子、娘のような人たちが住んでいます。何種類かと言えば、このような四種類の人たちが全世界に住んでいます。それゆえ、世界の数多い人たちに、天国人になれる教育の教材、経典としてみなされるのが、私たちの家庭だという観念をもたなければなりません。
*
家庭というものは、天国と因縁を結ぶための教材です。教育の教科書なのです。それは、軸を中心として、国に適用すれば愛国者になります。世界に適用すれば聖人になります。天地を中心とするようになれば神様の息子、娘、聖者になるのです。
*
家庭は、死ぬ時に天の国、平和の王宮に入籍できる手続き券を得られる、愛の教科書です。愛の修練所です。これを拡大したのが世界です。おじいさんのような世界があり、おばあさんのような世界があり、お父さんのような世界があり、お母さんのような世界があり、夫のような世界があり、妻のような世界があり、息子、娘のような世界があるのです。このように拡大すれば、すなわち世界になるのです。
*
愛の王国を成したいのが神様のみ旨です。愛の理想世界を発展させ、世界化させようとするのが神様のみ旨だとする時、小学校から大学の卒業、博士号の取得までパスできる実験場がどこかと言えば家庭です。家庭を拡大すれば世界です。世界を細かく見れば、おじいさん、おばあさんが住む世界、その次におじさん、おばさんたちが住む世界、お兄さんお姉さんのような人たちが住む世界、その次に青少年たちが住む世界、子供たちが住む世界だと言えるでしょう。それで老年から壮年、中年、青年、青少年たちが住むここは模様が大きく、数が多いだけで、家庭を拡大したものです。
*
家庭の中心は父母ですが、なぜ父母になるのでしょうか。父母はすべて家庭全体のためにあるからです。
*
人には家庭が必要で、国が必要で、世界が必要で、本然の世界、宇宙が必要です。
*
愛を中心とした家庭で、父母は国の代表者です。神様の代表者だと見るのです。それを訓練するための第一段階の訓練舞台が家庭です。地上で天国を成せる第一教化場が家庭で、そして国家が第二教化場です。ここに愛国者が必要なのです。その次に第三教化場が世界です。ここに聖人が必要です。霊界は第四教化場です。その次には神様の息子、娘になるのです。聖人といっても、神様の息子、娘ではありません。それで、すべてが神様の息子、娘にならなければならないのです。聖者の位置に入り、神様の愛と一つになって、永遠に神様を所有できる位置に入るようになります。
二 家庭は天国生活のための愛の訓練場
天国は愛の世界です。神様のためにある世界、神様のために生きる世界です。
*
天国とは何でしょうか。自分の家庭のように世界の人たちを愛することができるところが天国です。そのような人が、天国の民です。おじいさん、おばあさん、お母さん、お父さん、自分の妻や夫、兄弟、子女の四代とは何でしょうか。天国の民として愛を、宇宙の真の愛を体験するための教材としてあるのが家庭です。教材として私に教えてくれる基盤が家庭だということを知らなければなりません。
*
神様の愛は被造万物に現れます。父母の愛はどこに現れるのでしょうか。子供に現れます。また夫がいるところに妻の愛が現れます。子供を見て父母の愛を知ることができ、夫の服の端を見て妻の愛を知ることができるように、この世界に現れた事実を見て神様の愛を知ることができます。神様の愛は順序によって人に現れます。まず父母の愛、次に夫婦の愛、子女の愛、兄弟の愛です。愛だけをもてば神様と友達のように付き合うこともでき、お父さんのように付き合うこともできます。
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人生の航路は旅人の道ですが、私たちは縦横の愛を体恤していかなければなりません。真の父母の愛、真の夫婦の愛、真の兄弟の愛、真の息子、娘の愛を中心とした家庭を成したのち、これを横的に拡大し、東西南北に多くの家庭を置かなければなりません。それで彼らが縦横に連結させることができる真の家庭の形態を成して氏族圏、国家圏、世界圏、神様に連結される時、真の愛で連結されたその世界を天国だと言うのです。
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救いの門を開くのは神様の愛です。私たちは神様の真の愛と、真の生命と、真の血統を受け継がなければなりません。そうしなければ、救うことができないという事実を知らなければなりません。
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踏みにじったり壊してしまうのは罪の中の罪です。怨讐の中でも一番ひどく憎い怨讐は、愛を破綻させる怨讐です。一家庭を中心として子供が父母を愛することができなくしてしまい、夫婦同士愛せなくし、壊してしまう悪魔以上の悪魔はいません。人類の始祖が堕落することにより一番目は兄弟の愛を、二番目は夫婦の愛を、三番目は子女の愛を失ってしまいました。私たちはこれを再現させて愛さなければ、天国に入っていけません。
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神様の真の愛と一つになって生活して入っていくところ、神様の真の愛の血族を準備して共に入っていくところが天国です。この真の愛を占領できなければ、永遠に天国に入ることができません。その日のために、数千万年を待って準備しなければならないことを知るべきです。
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神様は真の愛の本体としておられ、真の愛と連結されれば、すべてが同じ体になります。父母は神様の代わりとしての生きた神様で、夫と妻は互いに片側の神様で、息子、娘はまた一つの小さな神様です。このように三代が真の愛を中心として成す家庭組織が、天国の基盤です。このような基盤をつくらなければ天国は成されません。家庭とは、宇宙の中心です。家庭完成は宇宙完成の基礎になるために、家庭で愛するように宇宙を愛すれば、どこでも無事に通過です。このような場合、神様は全体宇宙の父母として、愛の複合的な中心位置にいらっしゃいます。
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神様を中心とした創造本然の家庭的基台には、男性の愛、女性の愛、息子の愛、娘の愛、父母の愛、神様の愛がすべて入っています。このような消化された位置から父母を愛し、夫を愛し、息子、娘を愛せば、誰でも天国生活をするのです。
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天国生活はどこから始まるのでしょうか。家庭です。違うところから起こるのではありません。天国は家庭を立体的に拡大させただけで、家庭圏を離れたものではありません。そのために自分の妻や夫を懐に抱く時、これは世界の男性と女性が一つになるのだと考えなければなりません。このように世界人類を愛したという条件を立てることができる位置が、すなわち家庭です。
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皆さんの血族を大切にしなければなりません。お父さん、お母さんを大切にしなければならなりません。おじいさん、おばあさんは天国の王権を代表した、うちの主人です。しかし今は、年を取ったと疎まれる者になったでしょう。そのようにしておいて、何が世代の差ですか。これは誰がつくりましたか。サタンがつくっておいたのです。世代差がどこにありますか。愛に世代差がありますか。千年前の愛する方法と、千年後の愛する方法と違いますか。方法も同じで、そのようにするのも同じです。内容が違ったのです。堕落しなければ、愛の内容は公式になるので、億万年が過ぎても変わらないのです。
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千万回の天地開闢があったとしても、おじいさん、おばあさん、お母さん、お父さん、息子、娘の三代が一つになり、鉄城(注:堅固に取り囲んだもののたとえ)のようにくるくる巻き固め、そこに神様を核として迎えれば、どこでも天国を実現できる一つの種になるのです。これは神様の愛の種です。生命の種として血統の根本だと言えるのです。これを探し出さなければなりません。そうしなければ地上天国、平和の天国、幸福と自由の世界という、すべての願いは成り立ちません。
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天国とは何でしょうか。極楽あるいは天国に行くと言っても、自分一人で行くところではありません。自分の父母と兄弟すべてが、共に行かなければならないところが天国です。