Text Box: TP portrait  三 人と地上人の


 1.界は善の界と界に分かれている


 今まで界に行った人たちは、みな分かれています。界では的には通じません。的にはこの程度で通じるのです。

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 界は二つの群れになっています。界はサタン世界と神の世界になっています。界のサタン世界から善なる神の世界へ早く行ける道さえできれば、地上は自然に解決するのです。その道はどのようなものですか。界のサタン世界に行ってサタンの個人、サタンの家庭、サタンの氏族、サタンのをすべて神側に引きぐ秘法さえもてば、それが可能だというのです。界にそのような時がれば、地上にもそれが反映されるので、すべての遷が速く、その世界へがって越えていくというのです。

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 界がどのように展し、どのように動いてこの地上と係を結んでいくのかという全般的な容を知らなくては、界をはっきりと知ることができません。界といえば、善の界と界、このように二つに分けることができます。その世界は在する世界です。地上世界の人には分かりませんが、そこは確にある世界だというのです。

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 界は、な部類の役事をもっています。ところが、その人たちは思いのままにここにて仕事をすることができません。遮られているというのです。それで、宗によって橋を架けないと特定の人以外には再臨できません。ユダヤの中でも派閥が生じました。界から降りてる時、その主流が直線ではありません。ユダヤの別の系統が精誠をくせば、その主流が移されて行ったりたりするというのです。

 ですから、界にいる人が降りてるには、直線に該する人以外には降りてることができないというのです。再臨の役事の協助ができないというのです。そして一世紀がたてば、その人も界に行くのです。界に行って次の時代にようとすれば、やはりこのような原則で降りてくるのですが、特定の人以外には降りてくることができないのです。

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 界の塀はだんだん多くなります。ますます複になります。その次の世代がみな界に行くのです。それで、ますますこれが大きくなるのです。これがすべて壁です。今の時は世界的時代です。どんなに複か考えてみなさい。ここでこれを探してこようとすれば、どんなに回りに回ってこなければならないのか考えてみなさいというのです。ですから時になったら塀を押し倒さなければならないのです。界から降りてくる道と入る道をつくっておこうというのです。これを統一教会がするというのです。

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 神の本然の理想世界、本然の人間が行くことができる理想的な善のに向かって行くにおいて、善はそこに前進しようとし、悪霊はそこをふさいでいるのです。界との世界というのは、いつでも通じるのです。いつでも連絡がつきます。善の世界で立して反される位置で生きたです。それは宗を信じて逝った人です。

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 界でも、善の人と人が闘争しているのです。界にも闘争があるというのです。善悪霊を先導して、良い所に行けないようにするのを遮ろうといういをけています。サタンを中心として悪霊が連結しているのですが、その悪霊の統治圏内に今日地球の人間が生きているのです。なぜでしょうか。今まで逝った先祖は善でも悪霊でもすべて界に行っているために、その善落した世界と別されたという件をこの地上で立てて善の方に立っているだけなのであって、神が御になる時、完全な善の位置に立っていないというのです。

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 あの世に行けば人を殺した者、殺された者、もろもろの人が一箇所に集まっているので、そこでは刃物で相手を脅かしたり、復讐しようとすることも起こるのです。ですから、多くの塀でふさがっているのです。それゆえに、悪霊が怨讐の子女を訪ねていって事故に遭わせて連れていったりするようなことが起こるのです。これをすべて解かなければなりません。これを解くためにはまず地上世界で解かなければなりません。解くにはもっと良いものをえなければなりません。死ぬことよりもっと良いもの、怨讐係になったことよりもっと良いものをえなければ解くことができません。

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 イエスは、この地上において十字架で死んだことだけでも無念なのに、死んで三日間地獄に行きました。それが試です。人間には死が最高の恐怖ですが、イエスには地獄に行くことが最高の恐怖であるというのです。それでは、イエスはその地獄で恐怖の主人になったのでしょうか、でなければ幸福の主人になったのでしょうか。イエスには地獄に行って三日間苦痛を克服するための試練がありました。

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 何をもって界を解放して、神を解放するのでしょうか。このような係は人間の先祖が成し、天上世界までめちゃくちゃにしたので、子孫は先祖の過ちを償わなければなりません。の孝子になろうという子女なら、父母が負った負債を返さなければならないのです。そのような意味で界にいる先祖のふさがった塀を崩す運動をしなければなりません。そうすることによって先祖が訪ねてきて皆さんにえてくれるようになります。これは夢のような事です。



 2.人たちの界での立場


 肉的世界はサタンの活動舞台であり、的世界は神の活動舞台になって、いつも行き違いになってきました。これが復帰摂理時代に恨の要件としてっていることは間違いない事です。これが行き違いになるようにしてはいけないのです。神を中心とした心のと神を中心として統治を受ける体のを準備しなければなりません。生活圏内でこれをどのように展させるかで、統一基盤の基準が確立されるのです。

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 統一教会が統一するためには、界から統一しなければなりません。皆さん、界を知っていますか。私たち統一教会の群れは界を知らなければなりません。界を統一しなければなりません。界を統一することは易しいと思いますか。界の統一なしに地上の統一はありません。今日、この地上のいは、本に大でしょう。地上のいが大です。しかし、界のいは地上のいよりもっと大です。このようなことを考えると、今日統一教会の食口は、難しいという形容詞を口を開けて言うことができません。

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 理想を探し求めていく過程で、的なものと肉的なものが一つになるのは何によってでしょうか。的な世界は界で、肉的な世界は地上世界ですが、的世界と地上世界を一つにするには、入れえなければならないのです。自分の物をもっていてはいけません。すべてえてこそあちらがて、また向こうからすべてえてこそ、こちらがあちらへ行くのです。失った位置へ行くのです。

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 私たちが今後界と肉界を連結させるには、まず世界的な信念の自、統一的な理念の自をし、世界的に打開するための受難の道を甘受していかなければなりません。このようにするならば界と肉界が自動的に一つになり、ここから統一が展開するのです。統一の道を行く方向が決定するというのです。

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 界を統一する前に肉界を統一できますか。できません。それが原則です。それゆえに、先生は界を統一するために、肉界にある統一教会の群れを死地に追い詰めるのであり、無慈悲に打ちのめすのです。そのようになれば、界は皆さんに協助せざるを得ないというのです。皆さんが悲な位置に入っていけば入っていくほど、それを中心として、界は界なりに結するようになるのです。皆さんが深い位置に入っていくようになれば、三千万の民族の中に天国圏が展開するというのです。このは、以前から地獄に行っている者までも含まれるのです。

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 この世界は魔の世界です。魔の世界を訪ねなければなりません。皆さんは、いつ死ぬか分からないでしょう。誰でも死ぬのです。死の峠を越えて往できる基盤を地上に築いていかなければ、地上天ができないのです。地上天ができなければ、天上天はできません。皆さんが界に行っても、この地上に思いどおりにることができるようにしておかなければなりません。それでこそ地上天で暮らし、天上天が成し遂げられてそこで暮らすようになるのです。

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 あの世は物質世界を超越した世界です。あの世は知識の世界を超越した世界です。時間と空間を超越している世界なので、きのうの喜びがきょうの喜びになり、きょうの喜びがあすの喜びになり得るのです。このように見ると、その本質の世界は、今日、人間世界に生きている私たちが必要とし、重要視する容を中心としては動かないということです。すべての界生活における値的な中心とは何かということが重要なのです。

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 私たちは、三時代の使命を完結しなければなりません。界に行っている人を解放し、今日この罪の世に生きている人を解放し、今後る後代の人もここから解放しようというのです。このように三時代の解放をもってくるのです。これは膨大で途方もないことです。このように夢のような容が事として現れれば、どのようになるでしょうか。目がまん丸くなり、口はとめどなく開き、耳はそばだつかもしれませんが、頭は下げるようになるのです。

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 今日、地上に生きている人が、好きでも嫌いでも誰彼を問わず、みなってとどまる所が界です。そこには未開人から文明人まで、史時代に生まれて逝った千態万の多くの人間が集結しているというのです。今までの人史が平和を中心とした人類史にできず、幸福を中心とした人類史にできず、理想を中心とした人類史にできなかったとすれば、界に行っている人はどのようになるでしょうか。どのように統治されるのでしょうか。ここで生きた人があの世に行って突然わることはできません。「三つ子の魂百まで」という言葉があるでしょう。もって生まれた性格は直すのが難しいのです。

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 あの世に行っている人体は、私たちの今までの生き方と特別に違うのでしょうか。突然にわるのでしょうか。そのようなことはないのです。ここで生きた、その姿どおりに穫されていくのです。界に行っているすべての人体は、結局は地上で生きた人人体です。そのように見ると、今日この人たちが生きている世の中と、別に違わない世界だというのです。

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 あの世は、どのように連結していくのでしょうか。あの世においても、現在の立場よりあすの立場が良くなることを願うのは同じです。地上で暮らす人間が生活する中で、きのうよりきょうが良いことを願い、きょうよりあすが良いことを願うのは共通心理です。西洋人でも東洋人でも、過去の人でも今の人でも未の人でも、誰彼を問わず、現在生きていることよりも良くなることを願うのは共通心理なのです。これはわりません。界に行っているすべての人体も、それと同じなのです。現在よりも良くなればよいというのです。地上生活した時よりも良くなることを願うというのです。



 3.人たちの完成も地上人を通さなければならない


 今まで世界はサタン世界だったので、人がを動かすのに先頭的立場に立ったのです。しかし、善人はその反にいるので、的な天使世界が先祖の善の績をもった子孫を訪ねてきて協助しようとするのですが、協助しようとするその象は高い位置の人ではありません。反の位置にいる人だということを知っているために、高位層だけを考えてはいけないのです。

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 先生も同じです。生涯へとへとになりながら世界を見回り、家に行けば何もっているものがありません。そうして見ると、一つだけ彼らの前に植えつけたこととは何かというと、夜がても、季節がわっても、先生を思慕する心だけが大きくなっていくということです。どのに行ってもその村にの愛の心を、思慕の心を中心として生活すれば、天使が活動でき、善の先祖が落と係ない遊び場となって、希望の峰になるというのです。

 界にいる人たちが地上にるとしても、いつでもることができるのではありません。みな一年中の一節って、自分の心の門が合うのです。ある時は皆さんの友達にも良い時があり、い時があるのです。心の門が合えば、この地上に人たちがて協助できるようになるというのです。

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 主流宗は、すべてイスラエル民族を通して行くのではないのです。主流をすべてえて、このように出てくるのです。そのを通して協助し、再臨の役事をしてきましたが、これから統一教会を信じていく皆さんにおいては、主流宗教圏のすべての限を平準化させたので、皆さんの先祖がみな、これからは統一教会を信じる人を中心として一つになります。

 先祖は、皆さんより先に生まれたから天上天使です。先に造ったのは天使と同じで、私はアダムと同じなので、自然に天上の位置にいる先祖は、今アダムとエバの位置にいる子孫を後援することが原則になるというのです。ですから易しいのです。しかし、地上で築かなければなりません。界でするのではありません。心情は地上で築くようになっているのです。

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 過去にアダムとエバを守るべきだった天使は落させましたが、今や先祖はそのようなことをしないというのです。子孫はすべてその天使長の息子、娘です。そのような立場で、自分の先祖がて後援できる基盤になるので、先祖が界において讒訴する件を立てない生活をしなさいというのです。それが原理原則に出ているのです。原理原則にって生きなさいというのです。生きながら実践しなければなりません。実践すれば界が協助するようになっていて、そうすれば必ず展するようになっているのです。問題はそこにかかっています。

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 さあ、ったので決をしなければなりません。何を中心として決しますか。韓が生きるか、死ぬかという問題を中心として、神が願う位置に立って生きるためです。それはこの民族にする先祖が願う思いであり、神が願うみ意であり、今日この四千万の民族が願う心であり、私たち後世の者が願う心です。このような史的な起点においてこの責任を果たせない時は、すべての先祖の怨と、現時代の民族の怨と、後代の子孫の怨を避けることができません。

 皆さんは、皆さんの先祖の中のいかなる先祖よりも、現在この時代の誰よりも、後代のいかなる子孫の誰よりももっと深刻な位置に立っています。そのような哲をもって生きなければなりません。そのような生活哲をもって生きていながら身もだえするので、神が協助するのです。そのようになれば相手が滅ぶのです。理由がありません。コに行くのです。あなたが落ちるか、私が落ちるか。これほど追いんできました。

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 文化がいくら違うといっても、生命の連結や愛を中心として連結する根本が一つなら、どのようにしようとそれを中心として「私たちは絶的に一つだ」という念をもつことが重要なのです。人は「絶的に一つ」という念が重要です。日本人も、韓人も、中人も、西洋人も、絶的に一つです。それで、現世に生きている地上人も、界に行っている多くの人たちも、すべて根本は一つです。出して、結局は界に行ってとどまるというのです。

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 的な面において自分の先祖がみなて、先祖が橋を架けてくれるのです。先祖は天使長であるがゆえに、再創造するのに協助しての父母の愛の因って上がっていくのです。地獄にも、門が開いて天上世界へ上がっていくことができる道があるがゆえに、自分たちが育を受けて……。

 自分の父母、先祖が天使長でしょう。しかし今は、神側を滅ぼす天使ではありません。落した世界を滅ぼす天使、蕩減復の原則によって反の立場で、昔と違って天を滅ぼす位置ではない神側の天使長の使命を果たして、自らの子孫、アダムと同じ立場の者を協助してあげるのです。界にいる人たちが協助する、そのようなことが起きるのです。そのようにすることによって、その人たちも地上人のように越えていくことができるのです。

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 人たちは、現在の自己の位置で解放されようとするなら、地上人を通さずには苦痛を免れることができません。また犯した罪をぐこともできないので、自分が生きた所に必ず訪ねていきます。自らの血係のある人に訪ねていって信を送ります。

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 界に行ってもることができなければなりません。しかし、地上に天を成せなければ、地上にることができないのです。これは妄想ではありません。そのようになるのです。永遠にわたってしなければなりません。先祖がみな責任分担と蕩減件に引っ掛かり、界に行って、行くべき道を行くことができずに、地上に再び降りてて蕩減するのと同じように、その道を皆さんがしてはいけないというのです。原理のみ言が事なら、皆さんはそこに引っ掛かるのです。

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 先生が皆さんにしい生活をさせ、苦させることは皆さんが憎くてそうするのではなく、皆さんを生かしてあげるためにするのです。すべて皆さんを生かしてあげるためであることを知らなければなりません。皆さんを生かしてあげるために苦させるということを知って、有り難く思わなければなりません。そうすれば天の心情世界、新しい心情世界が展開するのです。そのようにすることが順序です。そのようにして心情的紐をもってこそ、天の命令ならばどこでも飛んでいくことができるのです。世界を引っ張っていく機車のような責任を果たすといえば、界が協助します。そのような考えをすれば界が間違いなく協助します。

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 皆さんは界に行くのが良いですか。地上の皆さんが界に行くという心と、界の人が地上に再臨するという心のうち、どちらがより切でしょうか。原理的に見ると、皆さんがもっと熱烈でなければならないでしょうか、界がもっと熱烈でなければならないでしょうか。界は天使長の世界で、ここはアダムとエバの世界、息子、娘の世界です。息子、娘がもっと熱烈でなければならないのであって、僕がもっと熱烈でなければならないのでしょうか。

 皆さんが界を協助するようになっていますか、界が皆さんを協助するようになっていますか。人が協助しようと待っているのに、なぜ待つのですか。地上に天を成すためのみ旨に協助しますか、皆さんが豊かに暮らそうとすることに協助しますか。地上に天を成すためのみ旨に協助するのです。

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 界を中心として見れば、悪霊がいると同時に中間がいて、善がいます。蘇生、長成、完成の三段階にとどまるのです。三次七年路程が連結することによって、善が地上に連絡できる道が生じるというのです。そのようにする以外にはありません。蘇生、長成がサタンの主管圏内にとどまっているために、なる勢力の版図圏内にいる悪霊が主導的な役割をしながら世界をすべてこのようにしてきました。

 これからはが交差し始めるのです。交差する時は、界が降りてくるのですが、悪霊から降りてきます。交差する時は、中間界を越えて善の界へと越えていく時です。これを越えていく日には、善と善人は上がっていき、悪霊人は下りていくのです。今までは善がお互いに上がったり下がったり交差しながら、混ざって出てきましたが、これからは善とが完全に分かれることのできる新しい次元の時代へ入っていくと見るのです。

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 人間が知らない界の人を動員して証させることのできる基準が、「私」に立っているかが問題です。界もそのようなことを要求しています。界は神の心情を知っているので、地上でそのような人が訴えれば、人たちを動員して天理念の現のための地上のみ旨に協助するようになるというのです。界の人たちがこの地上にることができない原因は、この地上が嘆きの垣根になっているからです。

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 これから皆さんは祈してください。「先生のみ言とともに、善は再臨して、この地上にいるの子孫を、善のあなたのを通して天に導いてください」と命令すれば、その命令が可能な時代に入るというのです。私たちはアダム時代圏内で生き、人たちは天使世界圏内で生きるので、アダムのために天使が協助すべき原理原則があるので、動かざるを得ないという結論がしっかりと出てくるのです。

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 早朝起きてその町のために、自分が引き受けた責任地域のために祈しながらを流さなければなりません。その道は心情的でありながらも、また界と的な因を結ぶ道です。神が町を見下ろせば、みな地獄に行くしかない人間なので、を流さざるを得ないのではないかと思って、神の代わりに自分がを流すということを自ら感じるというのです。神の心情でを流せる共鳴力が生じれば、界が動員するのです。

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 皆さんは道ができない時にも道をしなければなりません。石を海に投げるのと同じです。それで海水をすべて埋めて、山になるまで果てしなくするのです。そうすることによって、私が心情的に成長するというのです。体は何もわらないけれども、心情が育つというのです。

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 今までの六千年の史は、アダム一人を探してきた史です。アダム一人を再創造する史です。それゆえに、皆さんは先生についてこなければならないのです。エバはアダムが出てこなければ創造できません。それゆえたった一人のアダム、たった一人の男性を創造するのです。その一人を創造するためには、復帰摂理の途上に生まれて逝った多くの人の血と肉が材料にならなければなりません。億千万の人たちの怨恨がここに一つにならなければならないのです。そして、この体が登場する日に初めて、激しい迫害の中でも血を流して死んでいった殉者は、苦した甲斐を感じるようになるのです。

 たとえ界にいるとしても、地上にいる体と係を結ぶことによって、自分たちにも解放がるのです。このようになっています。それが念的に漠然としていてはなりません。この自をどのようにするかが問題です。

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 私たちは、で誰が何をしようと、食べていようと、休んでいようと係なく、その道を行かなければなりません。前には、千名が一にみな行っているというのです。ひもを引きながら休まずに精誠をくして苦しながら行けば、他の人もそのひもをき上げてくれるのです。そのようにしながら、多くの人がそこから落ちることも感じるようになるのです。

 マラソン大をするのと同じです。走ってみれば一等もあり、二等もあるのです。史がそうです。今まで千年間、多くの人がそのひもを結んできました。その中で一等であの世に行って、そのく装置と因を結んで丸ごとき上げれば、界と肉界が復されるのです。



 4.界の協助と確信


 今や界がこの上なく近い距離にたので、善の人たちが地上に定住する時代がたのです。て暮らすというのです。今まではサタン、魔が地上をすべて分轄して主管してきたのです。しかし、これからは善がその地域を奪って主管するのです。そのために統一教会の食口がを流して、血の汗を流して精誠をくさなければならないのです。キリストが精誠をくした以上、イスラム仏教、どんな宗よりも、私たちは切な心情をもって祈しなければならないのです。「あなた方を中心として地上に体基盤が復されたので、的基盤を中心としたを通して統一教会は前進しましょう」と祈するのです。

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 界に行っている人も、私たちを通じてこそ救われるということは知っています。ですから、界に行った人のためにえれば、界のみが皆さんを訪ねてくるのです。そのように界のために蕩減してあげ、悔い改める人になれば、その界が皆さんにってくるというのです。界が皆さんを中心としてすべて動いていくというのです。蕩減と悔い改めがこのように重要だということを知らなければなりません。

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 界は境界線がないので、界の領域は終わりがないのですが、どこに行ったとしても「私が協助した。あなたがそこの責任者だった時、その時代に行って協助した」と言うのです。みんな友人です。一つの時代圏内に立っている同僚者になるのです。先生が話すように界が動員されなければなりません。界が動員されなければ、どのように天を形成するのでしょうか。形成できません。

 天の父母から始まるようになっているのであって、今までの落した子孫によって始めるようにはなっていません。アダムを創造する時、天使世界の協助を受けたのと同じように、再創造も界から降りてきてすべて地上に協助しなければなりません。そうでなければならないようになっているのです。原理がそうではないですか。復活原理がそうでしょう。復活原理がそのまま結果に現れてこそ「」と言うのです。ですから、界が先生にしてどれほど喜ぶでしょうか。

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 い信念だけしっかりともっていけば、皆さんの先祖がお母さんや、親戚の誰かを押さえてどうすることもできず、口がきけないように力を加えるというのです。「私の話を聞きなさい!」と言うのです。なぜでしょうか落した悪霊は退いて、善の圏内の本然の氏族的基盤を中心として、父母と連結できる家的基準まで連結した御父母と世界的基準までサタンを押してきたすべての基盤の上に立ったので、サタンを退けて天使長型の界にいる皆さんのすべての先祖が協助するようになっています。

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 界にいる皆さんの先祖もこの世を見下ろしながら、誇らしい子孫に協助したくて地上に降りてきたいと思っているのです。それで、多くの先祖が皆さんの周に降りてきます。これが氏族を中心とする宗派を超越した宗世界です。理解できますか。皆さんの先祖が皆さんを信じて、皆さんを愛しながら皆さんについていきたがるのです。それで、皆さんに協助するために身したがるのです。

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 今日、地上では統一教会に入って祈すれば、一週間以に先祖が現れてすべてえてくれます。そのような位置に入ったのです。それはどういうことかといえば、今まで宗が世界的な版を築いて、心情的紐によって的な行路を築いてきたのですが、それを世界的な的版げておき、この世界の果てまで連結しておいたので、界に行った先祖が氏族を中心として初めて地上に再臨して協助できる時代になったのです。

 ホチャチがそのような世界的な版を縮小させた基盤です。それで、善がどのようになりますか。以前はて協助してりましたが、今は地上に定住するのです。そのような時代にたというのです。定住、分かりますか。定住といって先生の故の定州(注:韓語で定住と定州の音が同じ)ではありません。界に行った善が初めて定着して暮らすことのできる時代に入るという話です。それで、皆さんが統一教会に入って活動するのですが、善の先祖が皆さんと共に暮らしながら協助します。それゆえに氏族復が可能なのです。

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 世界的な時代に入った皆さんは、個人的な立場にあったとしても、世界最高の聖人と連結しているので、必要とする時、彼と同じ心性をもって、彼と同じ心的な生活をした人には、どこでも縦横に協助できる基盤が的にできてくるというのです。それで今、統一教会の動きに伴い、全世界の各の愛者は、統一教会の基盤を中心として、その背後にいを巡らしてすべてこの地上に再臨し、定住しています。

 これは部隊でいえば、そのの民族の何十倍、何百倍にもなる人が死んでいったのではなかったでしょうか。その人て陣を張って大工作を待っているというのです。それゆえに、すべての宣師は家的な運動をして動員し、界と共に全体を代表し、牲を悟して進軍命令を下せば、そのが協助するようになっています。

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 今までの宗界と肉界を連結させることができなかったので、的な精誠をくして的な面に拍子と波動が合って初めて接できましたが、今はその放送局自体に入りました。振動盤のような位置に立ったというのです。波動ではなく、波動を起こす送信機自体だというのです。

 ここで何千周波にしようが、何十周波にしようが、短波にしようが、くっつければ波長、電波をすべて出せます。私が放送局をもったので「界にいる私たちの先祖がて、私に協助してください。善の先祖よ、て協助してください。そのようなバイブレションが必要です」と言えば、さっとて……。個人を呼んでも動かすことができ、家庭を呼んでも動かすことができ、氏族、民族、世界を中心として連結させ得る踏み台が地上にできてきたので、それが動いて降りてくるというのです。

 このようになれば、今まで私の体は、このように行こうとしたのですが、我知らず回ってみんな引っ張られていくのです。二つの人体がて一つをつかんで引っ張れば、自分自身はそのつかんだものが分からないので引っ張られていくのであって、仕方ないでしょう。一人で走って入っていくのです。皆さん、それを信じますか。これは空論ではありません。理論的です。

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 統一教会が動けばマホメットが協助し、儒仏教の代表者がみな協助し、神も協助するという話は理論的だというのです。ですから、私は人類を代表し、界を代表し、神を身代わりしているので、全体が協助する立場で動くという自負心をもたなければなりません。

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 今まで御父母して界が支持できず、協助できない理由は、完成した父母の位置には落した界が協助できないというのです。本、原理がそうでしょう。完成した父母の位置であるということは、神落しない天使長が後援するようになっているのであって、サタン圏内にあるがいくら多くても父母を協助できないのです。

 今界に行っている人は、の父母を通して生まれずにりの父母を通して生まれたので、の父母を協助できないのです。しかし、天使長が失敗したすべてのものを蕩減し、子女の位置でアダムとエバが育つそのような立場にはいくらでも後援できるようになっています。それゆえに、界が協助することによって、世の中がだんだんと遠からず崩れていくというのです。



 5.流離するたち


 皆さん、界がどれほど大きいか知っていますか。界にどのくらい多くの人がいるだろうかと、考えたことがありましたか。今通する人が言うことを聞けば、一人たりに三千三百二十余名ずつ人たちがくっついていると計算しています。私たちの側にそれほどいると考えると、世の中に負けるでしょうか、勝つでしょうか。

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 人は百年も生きられないことを考えると、五十億の人類の中で一年に五千万人が界へ行きます。地獄に行くのをどうしますか。サタンが蒔いた種をすべて天にめることを神が願うのに、これがれればれるほど、どのようになるでしょうか。今まで四十年間にどのくらい地獄に行きましたか。十億人が行ったのです。深刻なのです。あの世に行ってい、「先生が在世時に私たちにして責任を果たせなかったではないか」と言われれば、何と言いますか。心からでもしなければなりません。心からでも食口に話して、未しても責任を果たすという行いを中心としていけば、「あなたは驚くべき方です。私たちのことを考えてくださいました」と言うのです。

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 今も一日に六万名が死んでいます。今一年に二千万名が飢え死にしているので、一日に六万名です。六万名が死んでいくのを父母、子女、兄弟たちが見れば、胸を痛めて痛哭する事情が起こっています。ところが、の父母が同情せず、それにする対処をしなければ、地上で在世時に自分たちと共に生きたという件が怨恨になります。

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 飢え死にする人よりもっと哀れな者たちが、神を否定する人です。飢え死にする人は、あの世に行くようになっても、自分の善意の道理にった級がありますが、神がいないという人は、界を否定するので踏み台がありません。界で雲の塊のように漂います。さまようになるのです。雲が集まって雨が降るのと同じように、集結してすべてい影響を及ぼすのです。ですから、みんな地獄に行って地獄を困らせるのです。そのようなことを十分に知って、彼らを生かしてあげなければならないのでこのことをするのです。






 



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