Text Box: TP portrait  三 の御父母に侍るにも法度がある



  1.侍義時代の法は最高の法


 皆さんが動すること、座ること、すべてのことが文化されなければなりません。先生にする時のあいさつ法のようなものも文化されなければなりません。先生にする時のあいさつ法、それはみなあるのではないですか。そうではないでしょうか。社にもそのような法があるのですから、そうなるべきではないですか。

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 今日までの人倫道は父母が子供を愛し、子供は父母に孝行し、夫婦には別がなければならないというものでした。これは三綱五倫の礎石として今までわってきましたが、これがやはりわりつつあります。このように存の慣習や規範などが自然にわる勢が社環境に、生活環境に浸透して入ってくる日が終わりの日だというのです。メシヤがこの地上に現れるとするならその方がこの問題を拾しなければなりません。

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 落した習慣にするすべてのことを正すための新しい法があるのではありませんか。私たちの前には多くの法的過程が待っていることを皆さんは知らなければなりません。それを越えていかなければなりません。

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 韓の法(風習、しきたり)では目上の方から何かをもらう時、手でもらうようになっています。それは水平になってこそ愛を受けることができるというのです。受けるのは垂直を通じて九度で受けなければなりません。人心は天心だと言うでしょう。私たちのすべての規範は良心の道理にって相的につくられて出てきたものなので、水平にならなければなりません。また、道をくときも東洋思想は目上の人が先に立たなければなりません。なぜですか。先に出てきたからです。そのように、環境を合わせようとしてそうするのです。あとの者は後ろに立ち、高いものは高いものに、低いなら低いところに、前のものは前のものに、後ろのものは後ろのものに、上のものは上のものとして、前後を整えなければなりません。そのようなわるものではありません。それは永遠不のものです。

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 一の王と臣下の間にも朝、調和があるのです。韓の家庭を見れば、朝父母が起きれば父母に先にあいさつをします。このようなものが韓の法度ではありませんか。皆さんは史時代を蕩減するためには法の中の法、孝行する法なら孝行する法の中でも最高の法度を立てなければならず、家においても最高の基準を越えることのできる法を立てなければならないというのです。

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 この世には父母が死んで、三年の喪に服す時には日朝夕に上食(注:喪家で朝夕前に供える食事)を供え、出ていく時や入ってくる時、(注:位牌の奉安所)に告げてあいさつする法度があるではないかというのです。皆さんはそれ以上にしなければなりません。皆さんが今していることが、み旨から見る時、天の格式にぴったり合わせた生活ですか。とんでもないというのです。

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 家庭の統を立てる最も早い道は先生が生きている時にすることです。元朝、沐浴戒し、一里の外からいてきて先生に敬を捧げなければなりません。このような統を立てられなければ、自分の後孫たちの道がふさがるのです。

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 統一教会の中に、先生がたまに映を見に行くと「私たちも映を見に行かないと……」と言います。とんでもありません。昔は先生は劇場の前に行ってみたこともありませんでした。そのような訓練をて、そのような所へ行っても自分が汚されず、支配されない自主的な人間になったので問題にならないのです。しかし先生がするとおりにみなすると……。私が地方へ行ったときある者が、私が良くない言葉を使うと言うのです。このような輩たちがいます。

 私がぞんざいな言葉を使う時までは、幼子にまでも仕えて敬し、神の前に侍る生活をしてきました。み旨を知ってみると、先生が皆さんに敬語を使えば(皆さんは)決まりがくて顔を上げて話ができないのです。儀正しくしてみましょうか。どれほどばつがいでしょうか。



  2.人間が貴いのは人倫道のため


 ロマ法が現在、世界法の基礎になっていますが、人倫道はどこまでも良心を根にします。法よりは良心だというのです。良心の基礎は善です。善を標準とするのです。善を外れて間違う時は、良心がその間違ったことを正していきます。そして良心に一致できる普遍的な社体制を形成しようとすると、法令も必要なのです。ですから結局、人倫はどこに根を置くのですか。天倫に根を置くのです。

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 人倫は何を通じて形成されるのかと言えば、情を通じて形成されます。家族係や道徳観念、社制度、秩序というのは、全部情的な面です。情を先に感じたそれが長くなったとか次元が高いということになれば、そこに頭を下げるようになります。皆さんはそれを知らなければなりません。人倫形成の動機は情からです。父母が子女を愛するところから人倫が始まります。子供が父母を愛するところからの人間係は成立するのです。

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 皆さんは父母を愛し、必要とします。いつも父母にいたがり、一にいたがります。それはなぜでしょうか。年で見ても差があり、秩序的係を見ても上下の係があるからです。ですからそこにはを備え、尊敬し、孝行しなければなりません。このようなすべての社生活の人倫道的な容を備え、上下係において、一つは主体であり、一つは象の立場に立たなければなりません。ここで孝子になるには、順や服という容を介在させて、自分がいたいと思わなければならないというのです。これが親子係です。

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 人間が貴いのは人倫道があるからです。人倫は人と人の係を言います。一人の人のみでは人倫という言葉は使いません。人倫という言葉は二人以上になってこそ成立します。男性と女性が結婚した家庭から社の倫理という言葉が成立するのです。倫理は人間係の道理であり、法則です。

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 宇宙の日月星辰の創造の法則、すなわち、天道によって的秩序の体系を成しているのと同じように、家庭においても祖父母、父母、子女に成される的秩序と兄弟姉妹に成される的秩序の体系が立てられると同時に、相する、すなわち、規範が成立されたことを明らかにしなければならないでしょう。

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 私たちは超民族的、超家的な新しい統を立てていかなければなりません。その統を私たちの思いのままにするのではなく、神が願うとおりに統の相的基盤を磨いていかなければなりません。皆さんの習慣性や過去の風習、現在の流行というものに調を合わせるのではありません。完全に違うということを皆さんが知らなければなりません。

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 世界を見れば全体が調和するようになっているのです。ぎこちないところがないように、自然ながらも全部和合するための一つの刺激的な動機になれるようになっているのです。そのように、見た目に良くないところを注目するようにはなっていないのです。









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