Text Box: TP portrait 十 他人との人間


  1.人にむやみにするな


 人にむやみにするなというのです。それで一九七年まで本部では、「通りすがりのおなかをすかせた人は誰でも食べていきなさい」と言っていたのです。おなかをすかせた人に御飯をあげるのは人間の道理です。もらった御飯でも分けて食べるのが道理です。米櫃にお米を入れておいて、「通りすがりのおなかをすかせた人が御飯をもらって食べる」と言ってけなせば、その家は長くきません。

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 かわいそうな人を見れば、助けてあげるために、すべての物をあげたくなる時もありました。えたい心、助けてあげたい心をもって欲するようになる時は、神も褒めたたえます。自分だけ食べて生きようとするのではなく、全体を良くするために、現在は苦しいけれども未を良くするために欲心をもつのは良いことなのです。

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 ただ飯をたくさん食べさせてはいけません。ただ飯を食べさせると同時に、公的な心を多くかせなければならないのです。それが福を受ける道です。ただ飯をたくさん食べさせると同時に公的な心を多くかせた人、そのような人は誰も嫌いません。

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 人を無視してはいけないのです。「一寸の虫にも五分の魂」と言うでしょう。それは必ずそうだというのです。死ぬ時、恨みを抱く、その恨みを買う人は先が長くないのです。

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 人にすることを面倒くさがってはいけません。義務的な過程では復活の役事が起こりません。おもしろさがなければなりません。時が過ぎるのも知らずに夜を明かし、天がここしかないというところからのみ、天に行くことができる値が見されるのです。そうではありませんか。木も完全に密着されてこそ接ぎ木できるのではないかというのです。

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 先生は、私たちが食べられなくても訪ねてきた人に良くしてあげようとします。彼らが百ほどの基準の道を修めれば、その基準以下でしては私たちがふさがってしまうのです。審判されるのです。そのような時は倍以上、三倍、五倍、十倍以上してあげるのです。そのようにしてあげたとしても滅ぶことはないのです。そうすれば天が感服するというのです。「こいつ、天より優れている!」と言うのです。

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 じっと見てみると、良い家は犬が糞をしてもその家の庭の隅に行ってします。ところが主人が「こらっ、この犬め! この町の犬はなぜみんなうちの庭の中にて糞をするのか」。このように不平を言う人は福を追い出すのです。「さあてやりなさい、さあおいで」そのようでなければならないのです。

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 うなと言うのではありません。二人ともよくなる時はうのです。一人が滅ぶ時にはってはいけません。うとしても、自分の味方をつくり育するためにわなければならないのであって、怨讐になるためにってはいけないのです。

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 える時は、父母の心をもってあげなければなりません。自分の欲望と野心をもってあげてはいけないのです。父がそのようにされたので皆さんもそのようにしなければなりません。

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 人を愛するのに惜しむな。何を投入したのか記憶するな。もっとあげたい……。ですから皆さんが良い食べ物があったとき、して一人で食べる人ならば、くたばって死んでしまう者だというのです。食べ物があればそれを食べないでとっておき、私が食べられなくてもえたい、一人では食べられないと食口を思う、そのようにできる人にならなければなりません。そのような父母の心をもった者とならなければならないのです。

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 えるには、どのようにしてえなければならないのでしょうか。食べした物をえてはいけません。り物をあげれば、食べ終わっても分がく唾を吐くのです。おもちをあげるとしても、五つあれば五つの中であれこれ取ったり置いたりして選んであげる時は、かえってあげないよりも分がいというのです。他人にあげるのに、五つあれば半分くらいそのまま取って相手にあげれば、有り難いと思うでしょうが、あれこれ取ってからあげれば世話になった人は、世話になったあとで批評するのです。ですから相手にあげるには、神と共に父母の心でえなさいというのです。



  2.他人との人間


 今日、人間たちは人にしてとても無心です。係において、的な因を中心として互いに尊重することが少ないのです。老若男女を問わず、人にしてみな面倒に思っています。人が面倒に思うようになれば道義の道を行く人になることができません。

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 神と一致した人になって万物世界、またはこの世界に、神の愛に代わって一人で、全体にして情的な基準で係をげ結んでいくのが、信仰者たちがしなければならない生活だと見るのです。生活でこれが結ばれなければなりません。生活でこれを成さなければならないのです。そうするには、皆さんがそのような神の心情に代わって係を結ばなければならないのです。

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 人と人がうところは……。ビリドをすれば玉同士がたってあちこちにがるでしょう。これがおもしろさです。おもしろさ。人と人の出いもそのような作用をするのです。それがぶつかれば引っ張って一つになり押し出す、そんな分になるのです。皆さんがサッカルをけっても、そのボルが上がったり落ちたり、化が多いほうがいいでしょう? 同じなのです。

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 私たちが五感を通し感じる、感の一切を統合して、この命、または愛とどのくらいの係を結んで生きるかによって、人間としてどれくらいの値をもっているかという問題が左右されるのです。ですから私たちは、私たち自身が生命力と加重された愛の心をもって係を結んで社生活をしてきたのか、という問題を考えざるを得ないのです。もしそのような立場に立っていることができなければ、停止するか、そうでなければ後退するということを知らなければなりません。

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 神が復帰摂理をしてこられるのに、私たちの大韓民だけを必要とするのではありません。世界人類をすべて必要とされるのです。ですから人にする深い心をもって出てこられるのです。これは今まで神理の中で一番重要な目標でした。私たちがその目標を成すために集められたとすれば、神と同じような立場で心をもってすることを知らなければなりません。

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 すべての人にする時、欲心をもってしてはいけません。

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 善なる人になるためには、を他人のことと考えるのではなく、自分の痛みとして感じ、夜を明かして彼らのためにで祈ってあげ、彼らの罪を贖罪するために祭祀を捧げる心をもって暮らさなければなりません。そのような人は、なる人の本性の中心存在にならざるを得ないのです。

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 良い人は少年も愛し、年も愛し、年も愛し、お年寄りも愛することができなければなりません。また、自然にして人が主体的な立場に立ったならば、その主体的な人は春も好きになり、夏も好きになり、秋も好きになり、冬も好きになるのです。

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 愛することにおいて、最も愛し尊敬し敬わなければならない人はお年寄りです。若者にはうだけでもいいですが、活動するにも不自由で力も不足し第三者のお世話にならなければならない老人たちには、もっと愛さなければならないし、同情もしなければならないのです。ところが、そのような風潮をこの世の中では見いだせないのです。

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 人を愛するといって、若者だけを愛してはいけないのです。愛するのは、お年寄りから幼い子まで、すべての人を愛さなければなりません。最近の年たちを見れば、お年寄りを相手にしないようにしますが、それではいけないのです。お年寄りも愛さなければならないし、若者も愛さなければならないのです。

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 人を愛さなければなりません。人を愛し、人をしがることにおいてどんな体よりもくなければなりません。これが人間のみ旨ではなく、神のみ旨を中心とした集まりだとするならば、必ず全世界に愛のとしてることでしょう。木が山を覆うように生い茂る時には、どれが松でどれが柾なのか見分けるのが難しいです。しかし秋になり、冬になれば分かります。冬になって、枝と幹だけの木の中にの木が見えたならば、それは希望を呼び起こすのです。それは新しい因が結ばれることを象するというのです。

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 「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」(マタイ二二三七)これが一番目の戒めであり、二番目は「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」(同二二三九)というのです。一番目の戒めは神を愛し、二番目の戒めは人類を愛することです。隣町ではありません。人類を愛せよというのです。人類とは、兄弟であり隣人なのです。

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 驕慢は怨讐です。驕慢と固執はサタンの本職です。サタンの要素です。それで私たちは驕慢の代わりに謙遜、固執の代わりに和合をしなければなりません。和而有親です。この人にもよくしてあげ、あの人にもよくしてあげる人にならなければなりません。そのようになってこそすべてのことに通じるようになるのです。あの人この人、二人が一つにならなければ大きいものが出てこないのです。和合しなければそのようになるのです。サタンの本質にはねたみと嫉妬のようなものもありますが、驕慢と固執は私たちには許すことができないものです。









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