Text Box: TP portrait  第四章 祝福家庭の統と生活


 一 祝福家庭の生活法度(方式)


  1.家法と節がしっかり立たなければならない


 今まで私たちはめちゃくちゃに生きてきたし、言葉もめちゃくちゃに話してきました。しかしこれからは、私たちの家庭でも規律を立てなければなりません。父母が、怒りがわきあがるといって子供を自分の分でたたいて「こいつはどうしようもないやつだ」と言うような、この世的な俗な言葉を使ってはいけません。これからはすべてが一新されなければなりません。神を中心として言葉から、態度から、生活から一新された立場に立たなければならないのです。

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 習慣性で生きる家庭になってはいけません。家庭は四位基台を成すことのできる基点です。ここでは家庭の一体化が要求されます。神が願われる本の基準の前に一致しなければなりません。

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 本家がえるためには、先祖から引きいできた家法というか、法を良く受けいで実践しなければなりません。「そんなものどうでもいい、私と何の係があるのか」と言うような人は、本家の子孫になることはできません。もしそのような人が本家の長男として生まれたとしても、そうなることができないというのです。

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 神から受けた純な血統を私たちがどのように保有するのかが問題です。落した血統ではなくて、純な血統をいかに保存するのかというのです。そのために本まなければなりません。汚染されていなかったエデンの園でも落したのに、この罪世界できれいになっていくということは、とても難しい問題なのです。罪世界で生まれた父母は苦をしたとしても、祝福を受けて生まれた子供たちには汚染されていない環境をつくってあげなければなりません。私たちが牲になっても二世たちのためにそのような環境を早く準備しなければならない、というのが先生の考えです。急がなければなりません。

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 罪の世界から解放されようとするなら韓民であっても、私が韓民であるという念をもってはいけません。韓民だと思う前に「私は神の人だ。天の民だ。天の人だ」という念をもたなければなりません。世界が使っている言語、着ている服、はいている靴、女性が使っている化粧品、このような風習と習慣の中に染まった罪の本性を無慈悲に切れるように、刃物を持った生活をしなければなりません。これが罪の世界から解放されるための生活です。この世の史、習慣、環境の習に勝利しなければ、罪の世界を主管する道はありません。の人になりたいなら、を見つけたいなら、天に行きたいならば、環境的なすべての件から解放されなければなりません。

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 習慣的で世俗的な家庭ではいけません。「今はこうだが、後日には良くなるだろう」と思ってはいけません。に完全になっていなければなりません。現在が問題になります。過去と現在が完全であってこそ未も完全になることができます。エデンの園でもこのような一日をもてなかったことが、落したという証です。過去と現在と未が一致する立場が理想的な立場です。現在を捧げることができなければなりません。地上で永遠の足場になってほしい、というのが神の願いです。これが史的な合点です。

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 イスラエル民族がカナン復をしたのちに滅亡してしまったのは、彼らが存の環境に同化し習慣化してしまったからです。彼らはより良い生活をし、より多く食べる豪華な生活に持ちを奪われてしまったので、滅亡したのです。異邦人であっても金持ちだったら結婚しました。また力を貪欲に欲し、知識を好みました。彼らは結局存のカナン文化に同化して、選民の精神をないがしろにしたので滅亡してしまったのです。

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 習慣は最も直しにくいい癖です。皆さんが結婚して子供を育てながら習慣的な生活をするようになると、それが身についてしまいます。そのような環境の中では特別な精誠や祈をする時間がないのです。子供たちがそばでぐので、祈の時間がないのです。

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 これからは刃物を持って切るものは切り、解剖するものは解剖しなければなりません。皆さんが自分勝手にしてはいけません。統一教会は天を成さなければならない教会なので、個人でなく、家庭を見つけなければならないのです。家庭生活で手本になることのできない人は世界的な非難を受けるでしょう。全天宙的な非難を受けるはずです。

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 祝福とは責任を果たしてこそ貴いものです。男性はこぶしを使い、女性は口を使ってはいけません。この世的な口を言ってはいけません。何かがわらなければなりません。すなわち、家庭は小教会です。天の代行機として行わなければなりません。天が訪ねていきたい家庭にならなければなりません。最低限三家庭が一カ所に住まなければなりません。特別にきょうを期してお話ししたいのは、まず大勢の人が往できる家庭にならなければなりません。人の和が最も大切です。それから二番目には天の家庭同士が結しなければなりません。最低限三位基台になった家庭同士だけでも完全に一つにならなければなりません。

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 私たちは個人を主とするのではなく、家庭を主としなければなりません。かといって家庭のみを中心としてすべてのことを算するのではなく、全部連結しなければなりません。ですから昔一人で修行生活をした時の努力をもってしてはなせません。昔努力したことの何倍もの努力をする、という決意と悟を付け加えなければなりません。して挑していく生活は、うっかりすると疲れて後退しがちです。家庭をもったときは一人のときよりも何倍も努力しなければなりません。家庭は中心をつかんだ立場です。私たちは現を避けることはできません。前後、左右、上下の係を家庭で成さなければなりません。過去の信仰形態をもってはいけません。過去の一方的な信仰態度ではいけないのです。

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 家庭の統を立てて、祝福家庭は家法を作らなければなりません。そして子女の育基準と家庭の規範を作らなければなりません。そうしなければ、もし父母に何かあった時とか、子女に追及された時には言いができないというのです。



  2.めちゃくちゃな生活をしてはいけない


 個人の生活をこうしなければならないということを確に究明しなければならないし、また家庭の生活はこうしなければならないということも確に究明しなければなりません。過去には漠然と生きて生活してきましたが、これからは具体的に生きていかなければなりません。

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 神のために、かに自分にあるすべてのものを牲にする時には、神が私を擁護します。神は必ず私の味方になります。

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 皆さんの家庭は愛の家庭にならなければなりません。そして皆さんは愛を中心として公的な夫婦になり、父母にならなければなりません。自分たちを中心とした私的な夫婦や父母になってはならないのです。父母が天に行く道から線しまいと精誠の限りをくせば、子供は絶に親不孝ができません。

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 家庭を復しなければなりません。それ以上の道はありません。夫婦が早朝に起きて、子女の手を握って、を流して祈しなければなりません。そうして父親や母親が外出していない時、子供たちが父母を待ちながら慕って歌うことができなければなりません。

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 一人でいる時には、祈するとすべてのことがうまくいきました。しかし家庭では、反する人がいると、その十字架を背負って本然の基準にまで突きけて行かなければなりません。個人は客車であり、家庭は機車と同じなのです。個人が失敗したものを復するのは簡です。しかし家庭的に失敗すると破綻します。

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 子供たちがよく「お父さん大好き! お母さん大好き!」と言います。そのように、お父さん、お母さんが好きだと誇れることが、子供たちの安息の場なのです。

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 家庭を中心として父親が「よいしょ」と言うと息子も「こらしょ」、息子が「よいしょ」と言うと父親も「こらしょ」と言うことのできる基盤が必要です。しかし子供がいると言っても、がなければ何の意味があるでしょうか。がなければ一番も何も、何の意味もないのです。

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 祝福家庭はすべての人の希望の標的です。しかし付加された責任を果たせなければ失望の家庭になります。









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