1.信仰生活が子女教育になる
聖日の礼拝時間の前に行って、準備する人が何人いるか考えてみてください。聖歌を全部歌って説教の時間になると、その時にぴったり合わせて入ってくるのです。そのような人たちをどうしてみ旨に従っていく人たちだということができるでしょうか。いくら弁解しても、公的な生活ができずに私的な生活をしているということなのです。そのような人たちには希望をかけ、期待する何の内容もないのです。ですから皆さんは新しくみ旨の前に覚醒して、公的生活の徹底化、私的生活の模範化を決意していかなければなりません。
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祝福家庭は残らず礼拝時間の前に来て、礼拝に参加する大勢の生命に恩恵の雰囲気をつくってあげて、恩恵を及ばさなければなりません。そして牧会者が壇に立つ前に心情的な基盤をつくって支えてあげるようになると、説教をするにおいて食口たちの切実な表情を眺めて刺激を受けることができるのです。そのような要因が多ければ多いほど教会は発展します。
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公式的な記念日や集会があればそれを生命視して動かなければなりません。そうでない家庭は祝福家庭として落第です。
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礼拝時間を迎えるために早朝から精誠を捧げ、その日を神様の前に捧げることを生活化するように、子女たちに教育しなければならないにもかかわらず、自分勝手に何でもしています。み旨のための生活をすると言いながらも祈祷をするでもなく、精誠を捧げるでもなく、原理の勉強をするでもなく、伝道をするでもなく、何もしなくてもいいのでしょうか。聖日の礼拝時間が十時三十分ならば、その時間に合わせて参加するためには、九時三十分とか十時には出発してこそ礼拝時間の前に到着するでしょうに、時間になってから家を出発して、礼拝中に入ってきてそっと座るというのです。そうなると必ず批判されます。いくら父母の立場で子女を教育したとしても受け入れてもらえないのです。
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父母がみ旨のための生活の模範にならなければなりません。家庭で祈祷生活とか、家庭礼拝とか、どのような面でも一生懸命にする信仰生活を、子女たちに見せなければなりません。また、敬拝の時間がどんなに重要かということを認識させてあげなければなりません。その時間には敬拝式だけで終わるのではなくて、み旨を中心として、父母として子女たちを教育しなければならないのです。
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祝福家庭は天に侍る生活で手本にならなければならないし、献金、敬拝式、伝道などを生活化しなければなりません。
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聖日は一週間を節約して計画しておいて、食口たちが喜べる内容を与える日です。また聖日には共に集まって準備しておいた食事を分けて食べ、各家庭が互いに自分の夫や妻を自慢しなければなりません。
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早朝敬拝、精誠、礼拝の時間を厳守できないのに自分の息子や娘の幸福だけを願ってはいけません。したがって先生を中心として四位基台を成さなければなりません。それからここで後孫を立てるなら父母がしっかりしなければならないのです。
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祝福家庭は聖日や公的な集会に参加する手本にならなければなりません。
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食口はどこに行ってもまず聖なるところ、すなわち聖地や教会をまず訪ねたりしますが、そうできなければ、そのような条件でも立てなければなりません。皆さん各自は個人でありながらも、個人にのみとどまった存在ではないということを心に刻まなければならないのです。また皆さん各自は先祖の立場に立たなければなりません。
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各家庭は白い座布団を作りなさい。そして、きれいな場所を準備しなさい。その座布団に座って精誠を捧げる時間をもつようにしなさい。
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寝ても覚めても、食べても、休んでも、見ても、何をしても、すべてみ旨を中心としてしなければなりません。
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精誠を尽くして皆さんの父母を伝道しなければなりません。一つのみ旨の前に共に天の祝福を受け、祝福家庭の囲いをつくるようになれば、それ以上の幸福はないのです。
2.祈祷生活は御飯を食べることよりも重要
祈祷をしなければなりません。祈祷の時間を定める時は早朝にしてみて、朝もしてみて、昼にもしてみて、夕方にもしてみて、夜にも十時にしたり十二時にしたりしてみるのです。そのように長年の間祈祷生活をしてみて、何時から何時まで祈祷するのが自分に一番合う時間なのかを知らなければなりません。それを知って、自分に合う時間に精誠を捧げなさいというのです。
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できれば恩恵基準の高い人を中心として共に祈祷しなさい。そうすると、その人によって恩恵を受けるのです。もし夫が自分より恩恵の基準が高く信仰生活も模範的ならば、その夫によって恩恵を受けるようになるのです。そのように恩恵を受けるようになると、夫がこの世に二人といない美男子に見えるというのです。また夫が妻を通して恩恵を受けるようになると、その妻がこれ以上の美人はいないというくらいに美しく見えるというのです。この世の女性の中でも一番だというのです。本来夫婦はそうでなければなりません。それで目を開けさえすればじっと見ていたいし、夜を明かしてもひそひそと話したくなるのです。それは滅びることではなくて栄えることです。
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御飯を食べる時間が一日にどのくらいになりますか。一時間半くらいにならないですか。一日に平均一時間半御飯を食べて生きるとすれば、霊的なことには御飯を食べる時間よりももっと多く投入しなければならないのです。それは、先生の今までの長年の間の信仰生活で分かったことです。
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祈祷すれば必ず成されます。祈祷することによって力を受けます。祈祷することによって、これからこの問題がどうなっていくかという展望をみな教えてくれるのです。「このことはこうして、このことはこうするのだ」と教えてくれるのです。それを知ってこそ大きなことができるのです。祈祷によってのみその道を開拓することができるのです。祈祷が御飯を食べることより重要だということを知らなければなりません。
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私たちが行かなければならない道は、いずれにしても、かき分けて行かなければならない道です。それが、私たちの力のみでは不可能なことを、生活するほど感じるようになります。ですから信仰者は祈祷をしなければならないということを知らなければなりません。
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祈祷しなさい。祈祷は心情の補給倉庫です。時間がなければ、していることを通してでも祈祷できなければなりません。
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洗濯をしながらも、道を歩きながらも祈祷しなければなりません。倉庫にどんどん積まなければならないのです。空けておいてはいけません。
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常に祈祷する生活をしなければみ旨の道を行くことができません。皆さんは生活化するにおいてお金のことを考えるのではなく、み旨をまず考えなければなりません。
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皆さんは神様を背後とすることのできる、神様の息子や娘になったのでしょうか。神様を背後とするなら常に神様が共にいて、皆さんが神様と共にいられる人になっていなければなりません。小犬のように母親の懐を離れて独りで歩き回っては母親の保護を受けられないのです。
3.祝福家庭は族長
一九六八年度に四三〇家庭を祝福した時、先生が指示したとおり氏族的メシヤになれというのです。その使命を果たさなければなりません。先生を中心として協会に三十六家庭が組織されているように、金家ならば金家で先に祝福を受けた家庭を中心として金家の三十六家庭型がなければなりません。三十六家庭にならなければ十二家庭型の先祖でもつくらなければなりません。そうして皆さんが、皆さんの氏族の先祖になって新しい支派編成をしなければならないでしょう。 それが十二支派型なのですが、それを形成したらその十二支派圏内に全部入るのです。これが直系の氏族です。
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現在の祝福家庭は伝統の先祖なので重要です。氏族の前にメシヤ的家庭になってこそ伝統が立てられるのです。
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これからは祝福家庭を中心として氏族が成されていきます。そうすることによって皆さんは、氏族的メシヤとしての使命を果たさなければなりません。これからの教会は族長を中心として成されます。祝福を受けた人たちは全部族長たちです。
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新しい家庭と氏族の基盤をつくったので氏族復帰という歴史的な驚くべき恵沢圏内に入ったのです。それで皆さんには父親、母親を伝道することができ、お兄さんやお姉さんを伝道することのできる時が到来したのです。復帰歴史は家庭を探し立てるためのものですが、他の家庭を復帰するよりも自分の血肉を通して復帰したらどんなに早いでしょうか。皆さんが、父母や兄弟を伝道しなさいという話を聞くことができるのは、先生一代においては夢のような話です。
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皆さんはその基盤の上で、皆さんの代に氏族的な基盤をもつことができるというのです。ですからどんなに栄光でしょうか。これを知って感謝しなければならないにもかかわらず、その責任に耐えることができなければ、その家庭が責任追及を受けなくて済むのかというのです。このような立場で責任も責任ですが、これからはその家庭が氏族的メシヤの使命を果たさなければなりません。
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地獄という所は、一度はまったら抜け出すことのできない所です。それでも皆さんは自分の母親や父親、そして親戚が地獄に行くというのを実感することができません。何とかなるだろうと思っているのです。しかし、愛する父母が本当に地獄に行くと思ってください。この世の監獄に入るといっても、泣きわめいて、できることならどんなことをしてでも引っ張り出そうとするのが人情なのに、ましてや天情で結ばれた息子や娘、自分の父母と親戚、兄弟と姉妹、すべてが永遠に出ることのできない監獄に行くのを知ったなら、そうするでしょうか。
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祝福家庭の男性はイエス様の実体の立場であり、女性は聖霊の実体の立場です。すなわち、イエス様と聖霊がイスラエル民族を救おうとしたのと同じように、生きてこの民族を救おうと躊躇せずに進んで行く立場が正に祝福家庭の立場です。ですから祝福家庭は氏族的メシヤとして出発することができるのです。
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皆さんは家庭を率いてイスラエルの地を訪ねていかなければなりません。皆さんにはそのような責任があります。イスラエルの十二支派が、自分に分配された地を訪ねていかなければならなかったように、皆さんはこれから家庭を導いて氏族的な基盤の相続地を訪ねていかなければなりません。
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皆さんを氏族的メシヤとして送ったのは、どうしてでしょうか。昔はイエス様が霊界からこの地上に縦的な過程を通して送りましたが、今日文総裁は天を代表した神様の立場で氏族を代表することのできるメシヤ型の数万の家庭を世界に派遣したのです。これからは滅びません。一九八九年一月三日午後二時三十分に氏族的メシヤを宣布したのです。
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氏族的メシヤは一代において、氏族を中心として歴史的な故郷を案内する先鋒者だということを知らなければなりません。モーセのような出エジプトの先鋒者であることを知らなければなりません。盲目的ではないのです。モーセは何も知らずにしましたが、私は具体的に全部知っているというのです。理論的にみな知っているのです。故郷を訪ねて行かなければなりません。しかし、カインを探し立てなければ故郷に入ることはできません。
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なぜ氏族的メシヤとして責任分担を果たさなければならないのでしょうか。一番目の理由は、皆さんの父母を救わなければならないからです。父母は第一のアダムの立場であり、皆さんは第二のアダムの立場にあります。父母を復帰して、再創造してアダムの使命を完遂しなければなりません。二番目の理由は、皆さんには故郷が必要だからです。氏族的メシヤの使命を果たすことによって自分の故郷がもてるようになるのです。結局、氏族的なメシヤの責任分担を果たさなければならない理由は、アダム家庭の完成のためなのです。具体的には氏族を教育しなければならないのです。
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個人が安息しようとするならば家庭がなければならないので、今まで統一教会は家庭を探し立てるために闘ってきたのです。また家庭が安息しようとすれば、氏族圏がなければなりません。氏族が囲いとなって、吹きまくる風とそれ以外のすべてのものを、責任をもって防ぐことができる、そのような舞台をつくらなければ平安な家庭で生存できないのです。そうしようとするならば親戚を中心として族長になるのです。族長になれば、戦いが起こっても親戚が一線に立って闘うので、族長は作戦を指示しながら休むことができるのです。それで皆さんに、先生は氏族的メシヤの使命を果たしなさいと言ったのです。その次には国家的メシヤの使命を果たしなさい。これから世界に行って伝道をするときには国家的メシヤの使命をするようになるのです。
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皆さんは金家であれば金家のメシヤと同じ使命を果たさなければなりません。金家であれば金家、朴家であれば朴家において、天の国を創建するために、この氏族を代表しては「私がメシヤだ」と思いなさい。救世主だと思えというのです。金家を救う救世主だと思わなければなりません。そのためには金家全体に代わって祭司長的な責任を果たさなければなりません。
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さて最後に残された終着地とは何でしょうか。解決方法が何なのかというのです。すべての壁を壊して処置をすることですが、このような恵沢を受けるためには、どうしなければならないのでしょうか。氏族的メシヤになれというのです。氏族的メシヤ。これさえ終われば、個人的讒訴条件、家庭的讒訴条件、氏族的讒訴条件、民族的讒訴条件、国家的、世界的讒訴条件を提示するものは何もなくなるというのです。