Text Box: TP portrait  八 勤節約、質素な家庭生活


  1.質素な生活


 妻という人は夫のために生き、子供という人は父母のために生き、また父母は家庭のために生き、おじいさん、おばあさんも家庭のために生き、孫も家庭のために生き、このように、愛によって互いに「ため」に生きていくのが幸福ではないでしょうか。すべての食口たちが自分のものを作ろうと努力するのではなく、私たちのものを作ろうと努力するのです。

 おじいさんも使わずに節約して私たちのものにしようとし、お母さん、お父さんも私たちのものにするために使わずに節約し、息子、娘もそうであり、全家族が私たちのものを大させるために努力する、その家は繁するでしょう。ですからお金を使わずに節約して全体のために生きるところから、このような愛の安息の場は大されるのです。そのような家庭を中心として、社や世界にまるようになる時、理想現が可能なのであって、自分のもの、自分を中心としてはいけないのです。

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 所有は神に返さなければならないのです。ですから先生は何も持っていません。それを知っているので質素な生活をするのです。一家族が、かばん一つ背負って、どこにでも行って生きることのできる時代がだんだん近づいています。「富んでいる者が神のに入るよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」(マタイ一九二四)という聖句は一理あるのです。

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 確固たる経済的基盤をどのように築くのでしょうか。まず節約しなければなりません。それで節約しなさいと言うのです。しかし、いくら調しても駄目なのです。私たちが物質を自由に授け受けることのできる環境でも、責任を果たせずに追い出される日には、統一教会は第二次の受難の道を行かなければなりません。

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 私たち宣師はヨロッパ文明社の豪華な要素を必要としないほどに訓練されています。私たちは新しい文化をもっているからです。それが「袋文化」です。私たち若者はどこに行っても不慣れな所はないはずです。統一教会の宣師の家は豪華な家具のない、最も質素な家具だけがあるままで見つけられるでしょう。



  2.節約精神


 すべての面で模範にならなければなりません。良く食べて幸せに暮らし、豊富な生活をすることが絶に模範ではありません。これを節制をもってして、不可避なことにして、必要にじて適切な消耗をするのが模範的生活だということを知らなければなりません。

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 先生は聖日には仕方なくこのように正装をしますが、服を着る時はできるだけネクタイをしないで過ごすのです。家にいる時はジャケットを着ずに、セのようなものを簡に着ようとするのです。ヨロッパ社でネクタイの値段がどれほど高いか考えてみてください。ピンまで全部合わせるとこれはどんなに……。さあ、それができずに、ノタイ( ネクタイをしない)で一生を生きた人と、ネクタイをして世界を考えることができずに生きた人が界に行く時、どちらが神の前に近づくことができるか、考えてみてください。

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 食をしてみると時間がどんなに長いか分かるでしょう。三食の食事をするために、どんなに長い時間を要して食べていたかが分かるはずです。また精神的にも、りんご一つでももらって食べようと冷庫を開けてみたり、コラ一本でももうと行ったりたりする、そんな精神的な消耗がどんなに多いでしょうか。食事の時だけ食べる習慣が必要だというのです。そうすると病にもかからないし、健康になるのです。

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 先生は日のように風呂に入ることに成ではありません。三日に一度を原則にしなければなりません。汗を流したので仕方なく入るのです。日入ると、それがどんなに水をたくさん消耗するかというのです。健康にもいし……。「え、先生は野人だ」と言うかもしれませんが、野人だと言われてもいいというのです。エデンの園の神もアダムとエバも野人でした。昔はこのごろのようなトイレがあったでしょうか。トイレットペがあったでしょうか。何もなかったというのです。ですからそのようなものを感謝して、このようにしてでも、この世界を生かさなければならないでしょう。

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 御飯を食べても昔と違わなければなりません。トイレに行っても昔と違わなければなりません。このごろ汽車にってトイレに行くと、トイレットペが壁にかかっています。「よし、このように使ったとして誰が見るか」と、やたらと使ったりもしたでしょう。他人のものだからとずるずる一度に引き出して、また引き出し、また引き出し……、それではいけないのです。節約して一度にしなければなりません。わらなければならないのです。

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 おなかがすいて御飯を食べるときも、食器に御飯を山盛りにして食べるのではなくて、五分の二を除き、五分の三を食べて足できる基準をもちなさい。そうしてこそ賢い人です。何でも節約できなければなりません。最高に節約していくらで生活できるか、このような訓練をして最小限三カ月の間は各自が記し、自分自身の最大の限界点までしてみなければなりません。そのようにして、どのようになるか見ようというのです。

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 神のみ旨のために、このの復のために一でも節約できる道を模索しなければなりません。ですから経済的管理において、より一層節約できる道を私たちは開拓しなければならないというのが先生の考えです。

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 先生はこれから生活費の半分をもって生活するようにさせるのです。コラのようなものも、果物も食べられないようにしようというのです。食堂でも見ると、皆さんは食べるものなら自分勝手に入ってて、何でもよいから持っていって食べていました。豚のように食べているというのです。節約にはこつは要りません。着るもの、食べるもの、買うのにおいて節約すればよいのです。

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 私たち食口はあんなネクタイはしてはいけません。それは外部の人たちに誤解を受けるかもしれないので、するなというのではありませんが、できるだけそのような面で節約しなければならないのです。さあ、そうすることによって偉大な革命の基地が爆するのです。分かりますか。アメリカにおいて絶に必要です。

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 私がお金をたくさん持っているからと、ある人は私を百万長者だと言います。しかし、私は二十四時間休まずに血と汗を流して、たったの一でも節約しようと、すべてのお金をみな世界にちりばめて、文書も一切私にはっていないのです。印鑑一つもないのです。私が精誠をめて集めたこのお金は誰も勝手に消化することはできません。神が共にいらっしゃるのです。分かりましたか。

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 人がている時にず、人が食べる時に食べず、節約をして、人ができないことをするのです。先生の考えはもともとそうなのです。

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 このように大切にし、節約して、苦して何をしようというのでしょうか。後代のために良いことをしようというのです。それで世界に誇ることのできる基盤をつくる思想をもとうというのです。十年、そのような思想の統をして、百年、そのような思想の統をし、千年そのような思想の統をすようになる時は、大韓民は世界から推戴される民族になるとことは間違いありません。ですからこのような原則で指導しようとするのが先生の思想です。打たれている現在では最もい思想として見られますが、後にはこの思想のみがり、この思想のみが勝利するのだと思うので、このような道を行くようになったのです。

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 「お金を大切に!」という時、私が金持ちになるためというよりは、を生かすために大切にするのが公的だということです。私が大金持ちになるために大切にするのではありません。を生かすために大切にするのです。

 アメリカにおいて「アメリカは節約しなければならない。大切にしなさい」と言うのは、世界を生かすためなのです。アメリカは世界でも金を最も多くかけるなのですが、世界のために金を多く取ったら、世界から尊敬されるのです。それをアメリカの民のためにしたのであれば、アメリカの民も政府に反し、世界も反するのです。世界を駄目にする行動と文化をもっていると思うのです。ですからそのような世界のために私が、「反されてもレバレンドンが行く道が正な道だ」と言うのです。私が聞き、語り、私がするすべてのことがみなそうだというのです。



 九 日常生活の


  1.服


 服を掛けるときもすべて原理的に掛けなければなりません。男性の服は右、女性の服は左です。服を置くにも男性の服は上に置き、女性の服は下に置く、というのが原理的です。全部そのような訓練が必要なのです。皆さん、このようなことを初めて聞いたでしょう。そうしてこそ良いのです。男性の服をみな下において、女性の服だけ上に置くとはいったい何ですか。原理に反することです。

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 さて、服をぐときもズボンを先にいで上着を上に置かなければなりません。上着を先に置くのではありません。そのような原理的な生活によって環境を整理する方法を知らなければなりません。男性の靴は右側、女性の靴は左側、また二部屋しかない家に住む時は、男性の靴は上に女性の靴は下に、それを全部原理的に整理する方法を知らなければなりません。

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 女性は服を着る時どんなものを最初に着ますか。上のものを先に着ますか、下のものを先に着ますか。女性は下のものから着るのが原則です。原理では下から着るのです。男性ももちろんそうですが……。男性は時上のものを先に着ても良いと思います。それは原理的です。皆さんはそのようなことを全部知って生活から整理しなければなりません。原理が生活哲だということを知らなければなりません。



  2.顔


 顔はつくられたそのままですが、その表情はどうでしょうか。これは皆さんが習慣的に調整しなければなりません。側に曲がっているなら、できるだけ笑うなというのです。それはなぜでしょうか。毒蛇ののように見えるからです。ですからそのような女性は絶口を開けて笑うなというのです。女性がそうだとしたら相にきつい人に見えるからです。ですからできるだけ口を開けずに笑いなさい。

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 女性が「ははは」と笑ってはいけません。女性は花であり、花がく時は音もなく「ぱっと」くのでしょうか。しゃなりしゃなりとくでしょう。そのような女性が女性らしいのであって、「ははは」ではないのです。西洋の人たちは「はっはっは」と笑います。それが男性ならばまだ分かりませんが、女性は見ていられません。本に見ていられないのです。いくら西洋人だとしても、私たちムはそうであってはいけません。

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 笑いというものは本に妙なものです。ちょっと笑うのも笑いです。笑うとどうなるかというと、すべてのものが丸くなるのです。年取った男性が「はっはっは」と笑って、のけぞらずに、おなかを抱えると「くくく」というのです。なぜおなかを抱えるのでしょうか。ではないですか。のけぞって笑えば良いのに、なぜおなかを抱えるのでしょうか。丸くならなければならないからです。にこにこ笑う時には口元がちょっと上がりますが、「ははは」と笑う時には口が丸くなるというのです。ですから丸く笑う人の中にはい人がいないのです。今骨相を語っているのではありません。おもしろいでしょう。

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 さて、皆さんが笑う時、目と鼻が別に笑いますか、みな一に笑いますか。目が笑い、鼻が笑うのですが、口がこのような人(笑っていない人)は食べることに苦するのです。また鼻が笑わずにこわばっている人は、娘や息子を授かりにくいのです。また、笑うには笑うのですが、このように目が笑っていない人は情が薄いというのです。全部このようにパッと笑い、鼻が笑わなければなりません。



  3.頭


 男性も女性のようにを整えなければなりません。化粧をするのもそうだし、も自分が見て、分け目を左にするのか、右にするのか決めなければなりません。西洋もそうだし東洋もそうだし、みなこのようにするのです。西洋風ならば大抵左を分けるのです。しかし右を大きくするのが良いというのです。これを女性がよく考えなければならないのです。



  4.手の爪と足の爪


 先生が西洋にて最も恐ろしいと思ったのは、女性の前に行くことです。手の爪だけ見ても、これはもう危極まりありません。先生は爪をいつもこのように短くしています。これは必要なのです。ちょっとでも伸びると手足の爪を切るのです。手足の爪を切るのが趣味なのです。手の爪を伸ばす女性たちは「仕事をしません」と言っている女性たちです。わ、あの爪でタイプを打つときはどうやって打つのでしょうか。私はそれを見る時、「あの人は道端にいる女性だ」と思うのです。お金をあげなければ爪で「さっ」と金をくれと……私はそう思うのです。

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 女性が靴下をぐときに、足の爪が長くて伸びていてはいけません。西洋の女性たちは長いと足の爪が痛くていけません。ハイヒルを履くときに痛いでしょう。



  5.き方


 くときは端正にかなければなりません。立ってくということは均衡を保たなければならないのです。均衡を保って、安全にかなければなりません。ある人を見るとこのようにき、またこのようにき……。立っているということは均衡を保たなければならないことなのです。だらりと立っていても均衡が保たれていなければなりません。そのようなことが必要なのです。

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 女性は背中が丸まってはいけません。男性もそうですが。ベッドを使う女性たちを見ると胸がへこんでいるのですが、これは良くありません。頭からまっすぐに立たなければなりません。ですから座るときもいつもまっすぐ座る練習をしなければなりません。男性たちも同じです。また女性は座るときお尻をつけて座らなければなりません。これができなければみな腰が曲がってしまいます。く姿が重要だというのです。



  6.座る格好


 女性たちがどこかに行って座る時、東洋では絶寄りかかって座らないようにします。男性はそれを許されます。なぜそうかというと、女性はお尻が大きくて、座ると自動的にだというのです。男性はお尻が小さくて上体が大きいのです。ですから座る時、特に女性たちが寄りかかって座ると赤ん坊に支障があるというのです。妊娠していたら大だというのです。



  7.


 西洋ではるときのマナがどうなっていますか。うつ伏せにますか、になりますか。ぐっすりなければなりません。る姿が美しくなければならないのです。いびきをかくのも体の大きな男性がかくのであって、女性がかいてはいけないのです。女性がるときはすやすやとなければなりません。女性がいびきをかくのは困るというのです。そのようなときあごを引くともっと音がするというのです。そうではないですか。ですからできるだけ枕をこのようにあてるのです。それが必要です。

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 女性が、夫がているところに入らなければならないときはにすっと入らなければなりません。を向いてです。夫が先にているのに、女性がどたどたと入ると大なことになります。そっとに、それが必要です。



  8.健康


 健康が第一です。いくら具合がくても、風邪を引いても健康な持ちを……。自分の表情を見ても、他の人が何も分からないという表情が必要です。ちょっと風邪を引いても具合のい表情をし、ちょっと大でも大だという表情をするのですが、そうしてはならないのです。男性が心配しても、何でそうするのかと言いながら慰めることのできる、常に健康な表情が必要です。女性がそうだと、そのような女性と暮らしている男性は慰されるのです。



  9.言葉


 東洋では、女性のが塀を越えるとその家は滅びる、と言うのです。男性がわ、わ言うのは自然なことで、塀を越えるようになっています。女性はが小さいのです。本そのようになっているのです。ですから塀を越えるようになると原則から外れるので、その女性と暮らしているうちに滅びるということなのです。そして女性が話すを聞くと、すぐに分かるというのです。この人がどのような生活をするか、福を受けて生きられるのか、愛を受けて生きられるのか、それが分かるのです。ですから女性のは重要です。そんなことを考えたことがありますか

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 言葉は言葉だけで、行動は行動だけでしてはいけません。全部神の息子、娘の位に立てられているので、神の息子として語り行動し、神の娘として語り行動しなければなりません。

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 皆さんは心情にない言葉を語ってはいけません。絶に語ってはいけません。引っ掛かるのです。天法に引っ掛かるのです。

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 皆さんは言葉を瞬時に語りますが、その一言を間違えると、それが一年間も影響するのです。一瞬に間違った言葉を一年間もかけて算するようになるというのです。

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 愛を中心として語る言葉は、いくら口を言っても、何を語ってもえるのみであり、展するのみであり、全宇宙が喜ぶのみであるというのです。



 






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