1.思春期の戒律をよく守れ
皆さん、思春期になると異性に目覚めるようになり、全体の思いがそこに集中するでしょう。すべての細胞の作用がそこに集合するのです。
*
皆さん、思春期になった青少年たちを見てください。女性を見ると、目をぱちぱちして、カラフルな服を着、お尻を包んで歩き回るというのです。お尻が大きいと大変なことになるのです。傷がつくかもしれないと小さくして歩き回るというのです。皆さん、人において、知恵とすべての肉的な作用を一〇〇パーセント活用できる時が思春期です。細胞全部が作用するのですが、一〇〇パーセントするのです。その時のみ一〇〇パーセント活動するというのです。女性がかわいらしいもの、カラフルなものをなぜ着ようとするのでしょうか。それはみな信号機と同じだからです。
*
このごろの世の中には様々なことが起こりますが、この天地では統一教会の者たちは絶対巻き込まれてはいけません。思春期というものが「思考」の「思」を使った思春期ではなくて、「死亡」の「死」の死春期です。皆さん、これ(思春期)を選びますか、これ(死春期)を選びますか。
*
イエス様には思春期があったでしょうか、なかったでしょうか。イエス様にも思春期があったのです。イエス様も思春期があったのですが、何の思春期? この(「思考」の「思」)思春期を歩まれたのでしょうか。この(「死亡」の「死」)の死春期を歩まれたのでしょうか。どんな思春期を歩んだのでしょうか。誰にでも口笛を「ぴーっ」と吹いて合図する、そのような思春期ではありません。「思考」の「思」の思春期を歩んでいくというのです。
*
まず皆さんは思春期をしっかり過ごさなければなりません。生きようとするのはこれ(思春期)であり、死のうとするのはこれ(死春期)です。死のうとしてこれを外れて一回りひっくり返して、一八〇度回すと死春期が変わって思春期になります。それでイエス様は死んだ死春期を通して希望の春の日、新しく生きる春の日である新郎新婦の思春期に向かって探してこられたのです。それがキリスト教の新郎新婦の歴史です。
*
人間の堕落とはどういうことでしょうか。神様を中心として春の日を迎えることができなかったことです。春の日が来たら孝子になろうという者たちが、自分だけ春の日を迎えるのでしょうか。父母に、「お母さん、お父さん! きょうは春です。私たち、一緒に行って、きょうを楽しみましょう」と言ってこそ孝子です。「お母さん、お父さん! きょうは春ですが、春には昼寝をするのが適当です」と言って、ぐっすり昼寝をするようにしておいて自分たちだけで行って、歌を歌い、踊りを踊る者たちが孝子でしょうか。親不孝者と言われるだけでなく、殴り殺されなければならない者たちです。そうでしょう。
*
堕落とは何でしょうか。神様を中心として神様の側にいると、死春期として始まったのです。「死亡」というときの「死」の字を使う死春期です。死春期の歴史が始まったというのです。ですから死のうとするものには春が来るのです。新しい時代が来るのです。このようなことを今までしてきたのが、キリスト教の歴史です。
*
今日のティーンエイジャー(十代)が重要だと言われていますが、それは何でしょうか。これはプラスでもマイナスでも、どこでも……。目がひっくり返って歩き回ろうとするというのです。それで社会に破綻をもたらし自分自体に破綻をもたらすのです。また思春期は変化の時なので誰かが一言言っただけでも、「なーんだ!」と言う。全部そうだというのです。すっかり変わる時なので歩き回ろうとするのです。それで秩序に従って、状況を見つめながら行かなければならないというのです。皆さんは今これを整理しなければなりません。びくともしないものをみな整理しなければなりません。さあ、善悪の中で悪とは何でしょうか。破壊するためのものです。何の保護作用も成立できないということを知らなければなりません。
*
思春期の時は、男性や女性が危険な時です。ですから思春期に間違えると一生を駄目にすることもあるのです。しっかり選択すると一生を繁栄に導いて生きることができるのです。そのような問題が起こるのです。
*
今日の青少年たちが父母に逆らい家庭を破綻させるのは、法度の秩序を破綻させることだから悪だというのです。それによって家庭が破壊され、社会が破壊され、国家が破壊され、人間が破壊されるのに、これが悪でないはずがありません。思春期の時は力を出して、映画に出てくるスリルのある場面を実践してみたがったりするのです。それのどこが悪いのかというのです。しかし、そのようなふしだらなことをして環境を破綻させてしまうようなことが起こるので、制裁をしなければならないというのです。皆さんの知性が明るくなって、社会の体験と環境的なすべてのことをコントロールできるその時には良いとしても、今は駄目なのです。
*
皆さんは今最も美しく咲こうとしているつぼみが良いですか、ぱっと咲いた花が良いですか。先生はぱっと咲いた花が良いのですが。皆さんはちょうど今咲こうとしている人たちでしょうか。咲く時には自分勝手にぱっと咲きなさいというのです。他人の力で咲くのではなくて自分の思いのままにぱっと咲きなさい。それはどういうことかというと、皆さんが自然と育って、自然と思春期を過ぎ、自然な環境でぱっと咲いて、愛する夫に出会わなければならないというのです。咲くこともできずにしわくちゃになってはいけません。葉が落ちて粉が落ちてから咲く花になってはいけないのです。男性も同じです。男性もぱっと咲かなければなりません。
*
まだ咲いてもいないつぼみなのに、手紙を書いて恋愛ごっこをするような悪い者になってはいけません。自然とぱっと咲かなければならないのです。神様が御覧になる時、「わー! 純粋に本性的に咲いたのだなあ。香りをかいでみると汚れていない初物だ」と言えなければなりません。ですから神様も希望に胸を膨らませているというのです。そのような神様が初物を望むしょうか、しわくちゃなものを望むでしょうか。では皆さんはどうですか。初物を望みますか、しわくちゃなものを望みますか。堕落した皆さんも新しいものを望むのに、神様はそれをもっと望むのではないでしょうか。ですから純情をもってぱっと咲いて、今日の堕落した世界の悲しみの峠に引っ掛かるのではなくて、それを越えていくことのできる、価値のある皆さんになってくれるように願います。
2.私は天の子女
私たちは父の息子にならなければなりません。娘にならなければなりません。本当に父の血統を受け継いだ娘、息子にならなければなりません。父の心情が私たちの心情と因縁を結び、父の心臓の動脈が私たちの心臓の動脈と因縁付けられる一体的な関係を成し、父が行かれる道が私たちの道であり、父の心情が私たちの事情であり、父のみ旨が私たちのみ旨にならなければなりません。
*
皆さん考えてみてください。二十代に近い青少年として汚れに染まらずに聖なる純情をしっかりと包み込んで、どこに置いておくのでしょうか。天が最も喜ぶことのできる祭壇の前において神様が喜ばれるのです。その次には、自分のような純情をもった男性と女性が出会って神様と共に結ばれる聖なる基盤が、新郎新婦が出会う場であるにもかかわらず、皆さんはそのような価値を知らずにいます。
*
自分の体は貴いものです。これを汚さずに親孝行をするのです。神様に認められる体をもって、責任性をもってサタンの死亡圏から脱出しなければなりません。これは人間としての最高の目的であり、またそれが基準なのです。創造原理的に言えばそうなるようになっているのです。
*
皆さんは神様の純種になることができなかったので、純種になろうとすると従順でなければなりません。そして皆さんが言うことを聞かないと、たたいてでも従順になれるような法度を教えるのです。神様の愛を教えるというのです。これが統一教会です。それで統一教会はすべての宗教の中心になる宗教なのです。
*
これから従順の種を作らなければなりません。種を割るとその種の中心は胚乳です。胚乳の中心は神様の愛だというのです。では皆さんの頭を割ったらその中心は何でしょうか。神様の愛だというのです。種の中心、すなわち根になることのできる動機が神様の愛です。神様の愛から出発するのです。ところで皆さん、「私には神様の愛がある。私はたとえ見てくれはみすぼらしく、肉身は五、六尺にもならないけれど、この男の赤い心には神様の愛があふれている」と、そう言ったことがありますか。
*
地上は貴重だと思います。特に若い人たちは体を正しく保存しなければなりません。従順で清い心、従順で清い体が親に対する真の親孝行になるのです。
*
初愛の心をもって神様の前に行かなければなりません。
*
あの世に初愛と共に行った人が、天の国では最高の立場に行くということを知らなければなりません。
*
この地に生きる人で、天国に行くことのできる人は初愛を中心として行き、初愛によってすべてのことをあきらめ、初愛のゆえに死に、生きるという人です。ですから初愛を正しくしなければなりません。
十一 聖別儀式の生活化
1.聖塩
※聖塩は一九六〇年三月十六日(陰暦)、真の御父母様の成婚された日を基点として初めて聖塩を作って使用した。これによってすべての家庭は聖塩を使用して生活と環境を聖別する生活をした。
*
聖塩は麹のようなものです。ものを購入したときに聖別し、外出して家に戻ったときも塀(門)のところで聖別するのが原則です。
*
聖別したものをサタン世界に出してはいけません。それが不可避なときは左手であげなさい。
*
聖別は「父と子と聖霊と真の御父母様と私の名によって聖別いたします」と唱えながら聖塩を十字(北南東西の順)にかけます。
*
聖別した不動産などを処分しなければならないときは、段階を追って許しを得て処分するのが原則です。
*
私たち食口が聖別した土地をもって、すべての土地をだんだん占領していかなければなりません。
*
皆さんがどこかに行って座る時、塩をまいて座りますか。心の中で「ふー、ふー、ふー」と三回吹く条件を立てて座りなさい。サタン世界に美男子がいたら、「ああ、美男子と一緒に暮らしてみたい」そのように思わずに、美男子が手を一度握ったとしても「ふー」と吹いてしまわなければなりません。塩をまかなければならないというのです。心の中で「ふー、ふー、ふー」と三回吹きなさい。塩を三回まくのです。
*
食口たちはすべてのものを聖別しなければなりません。聖別をするのに聖塩をまいて聖別するのは何の問題にもなりませんが、御飯を食べたりそうめんを食べたり水を飲んだりする時に、いつ聖塩をもってそうするのでしょうか。ですからこれからどうするのですか。イエス様が復活したのち、「ふーっ」と吹きながら聖霊を受けなさいと言ったのと同じです。アダムを造っておいて鼻に息を吹きかけて実体の新生命を誕生させたのと同じように、これからは皆さんも生命の実体を代身して、水を飲んだり御飯を食べる時には息をかけてから食べなければならないというのです。
*
韓国の風習は妙だというのです。水を飲むときも息を吹きかけてから飲みます。また息を吹きかけて座ります。それは天がこの民族のために実践することのできる自然的な良心を動かして私たちに一つの風習として残すようにしたものです。これはすべて偶然に成されたのではありません。ですから心でいつもそのような聖別をしなければなりません。私たちは三時代、蘇生、長成、完成、六千年の長い時代を三時代として経ながら、汚れたものを聖別するために三回息を吹きかけて食べなければならないというのです。どこに行っても、皆さんが小便をしても、これからはそれをしなければならないのです。どこに行ってもみなしなければならないのです。
2.聖なるろうそく
① 心情のろうそく
※心情のろうそくは一九六一年一月五日にお作りになり、祝福家庭に伝授。心情のろうそくは真の御父母様を象徴するものであり、神様の心情を慰労してみ旨の成就を誓う祈祷をする時に使用する。
*
「アダムは堕落以降真の生命と愛(心情)の源泉を失ってしまいました。人間は神様を心情的にずっと失望させてきました。このような失敗によってあなた様は堕落人間を復帰するために身もだえせずにはいられませんでした。あなた様の労苦を心の中に大切にしまいながら私たち一人一人は復帰されたアダムの位置に上がるための一念で生きてまいりました。万物を復帰するための私たちの決心をもっと堅くしてください。この心情のろうそくが燃える時ごとにこの火花があなた様の心情を慰労してくださり、あなた様のみ旨を成すための私たちの献身があなた様に記憶されるようにしてください。私たちがこの心情のろうそくに火をともし、祈祷する時ごとに、復帰歴史において私たち自身の決意をさらに強くさせてください」
② お産のろうそく
※お産のろうそくは誉進様の誕生時から始まった。「三十六家庭」が結婚生活を始めて以降、真の御父母様が各家庭に伝授してくださった。
*
「私は今真の御父母様が三十六家庭に伝授してくださった伝統的なお産のろうそくを各家庭にもう一度伝授しようとしています。私が持っているお産のろうそくを、本来の真の御父母様が持っていらっしゃったお産のろうそくの象徴として使用しましたので、この家庭にも同じ内容をもつお産のろうそくを持てるようにしてください。あなた様のみ名と栄光をもって祈祷しますので、子女たちを出産する間、このお産のろうそくが燃える時に霊的な雰囲気を聖なるものにしてくださり、サタンが一切接近できないようにしてくださるように、祈祷いたします」。
③ 愛天のろうそく
※愛天のろうそくは一九八四年五月十六日、真の御父母様が作られ、五月二十日、祝福家庭に伝授された。愛天のろうそくは人類に対する愛の表示として心情のろうそくとは違って二本一組になっている。
*
ろうそくはそれ自体が犠牲となって光を発します。このように神様を中心として人類が一つになるためには、犠牲にならなければならないということを象徴しています。火がつく所はろうそくでもなく芯でもありません。ろうそくと芯が合わさって火がつき光を発します。同じように、主体と対象である夫婦が互いに犠牲になる時、光を発するということを象徴します。そこにはサタンが存在することができません。
*
愛天のろうそくを中心として統一心情圏に完全に一つになりなさい。そうするとすべてのものが整理されるのです。
*
「愛する神様! 愛天日を定めたこの勝利の標的を消えないろうそくの火によって象徴してくださったのでここに父母様の愛、神様の愛が共にあってくださり、このろうそくの光をともす所ごとに、その場の光と共に一つになるその家庭には平和が掲げられ、あなた様の愛の主管圏が連結されて暗い勢力を防ぎ、すべての不義の条件を防ぎ、不和の根源を防止できる勝利の聖なるろうそくになるように許してください。これを愛し、特別に祈祷する所ごとに、あなたが常に共にいてくださって父母様が共にいてくださり、全霊界と肉界が愛の統治権をもって共にいて保護してくださるようにお願い申し上げます。これから始まるこの愛天のろうそくの上にあなた様の栄光と共に歴史に長々と連結されることのできるように、そうして天国が完成される時まで継続することができるよう祝福しますので受けてくださいませ。父母様の名前で祈祷し宣布いたしました。アーメン」。
④ 統一のろうそく
※統一のろうそくは一九九五年九月五日から一九九六年一月二日まで、真のお母様が真の子女様と共に夜十二時に統一のろうそくをともして百二十日の間精誠を捧げられたのを起源とする。
*
今回お父様は、九月五日から米国巡回講演をされ、私も日本での講演を行いました。私は家を出てくる時、子供たちと話し合いました。集まることのできる子供たちをみな集めてから、「お父様が、再び人類を抱かれるために、アメリカを相手に、第一線に出てお話しされようとしておられるので、私たちは精誠を尽くしましょう」と言いました。
子供たちは一言の異議もなしに、皆「そうしましょう」と言いました。子供たちは離ればなれに分かれて勉強しているのですが、どのような環境にいたとしても、夜十二時になれば、ろうそくをともして祈祷することにしました。来年の一月二日までの百二十日間、精誠をささげることにしたのです。(真のお母様のみ言)
*
私が、きょう持ってきたろうそくがあるのですが、これを伝授します。ですから皆さんには、御父母様の前に誇れる息子、娘として、この地上で実を結ぶ立場になってほしいのです。そして、みんなを天国に一緒に連れていきたいのです。
精誠をささげる基台を、真の御父母様の家庭の子女たちまで拡大して、幼くとも皆さんがその隊列に共に同参して、同じ心情で、各自、責任を果たすことのできる者となってほしいのです。
このろうそくは一本ですが、これは三つのろうそくが一つになったものです。そして、ここに真のご子女様たちの愛が込められています。(真のお母様のみ言)
*
この「統一のろうそく(統一燭)」を連結して、永遠に消えることのない火で燃えるあなたの前に、忠誠と愛の心をもって全人類を燃やす時まで愛することを、重ね重ね誓い、約束する時間となりますように。そして、そのような人生を生きることのできる各自すべてとなることができますように、お父様、激励し、お守りください。
そのためにこの生命をささげるほどに、忠誠を尽くすことをお誓い申し上げるとともに、そのような立派な者たちとなることができますように、いま一度祝福してください。すべてのみ言を真の御父母様のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。(真のお母様のみ言)